カテゴリ:洋楽(ロック・POPS)( 84 )

 

「My Favorite Songs」(第28巻)

【My Favorite Songs】の過去紹介した記事一覧(INDEX)はコチラから
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★(154)リン・アンダーソン 「 ローズガーデン」 (1970年) (2016.9.9公開)



c0119160_15205686.jpg洋楽コーナー120回目記念(2015.4.11)では、「1970年(昭45)のスマッシュヒット特集」(RWが洋楽に嵌った年の思い出曲)でジェリー・ウォレス「男の世界」を公開、それから約1年半が経過し、前回で紹介しきれなかった思い出名曲を後編として掲載いたしましょう!当時中学1年生だったRWの洋楽心を目覚めさせた名曲の一つがリン・アンダーソンのローズガーデン」(全米第3位を記録しグラミー賞も獲得)、軽快なポップ調のカントリー・メロディの爽やかな歌声がとても心地よかったですネ~!日本でも大ヒットしたこのナンバーが南沙織のデビュー曲「17才」の元ネタになったことは有名なお話・・・。オーディションで沖縄(当時は外国)から初来日した彼女に筒美京平が初顔合わせで「何が歌えるの?」と聞くと「ローズ・ガーデンだけ歌えます」と答えたそうな・・。単に曲調が似たモチーフ曲かと思っていたらこんな隠れたエピソードもあったのか・・と目から鱗でした!リン・アンダーソン、昨年67歳の若さで亡くなられておられたのですね・・。彼女の成功が女性カントリーPOPS路線(オリビアニュートンジョンやリンダロンシュタッド等)の先鞭となったことは間違いありません。心よりご冥福を祈念いたします。そして1970年のRW思い出・印象曲で最もインパクトを感じた曲は、ルークリスティの「魔法」でした。「♪メイビ~シャララ、メイビメイビ、アイ・ラ~ビュ・・・、シー・ソミ・マジック、シー・ソミ・マ~ジック♪」 イントロなしでいきなりサビから入る曲構成、神秘的な雰囲気を漂わせながら流れる曲調からクライマックスへと誘っていく素晴らしいアレンジだったなア・・。前編紹介のアース&ファイアー「シーズン」と並んで強い衝撃を受けたヒットナンバーでした。3番目登場曲は、一転して大物歌手エンゲルベルト・フンパーディンクの「太陽は燃えている」、1960~1970年初頭で女性を中心に絶大人気を誇った英国シンガー(ラテン系歌手だとばかり思ってた!)の仰々しい歌い方は、「キング・オブ・ロマンス」と称されたトム・ジョーンズとともにアダルトコンテポラリー分野では人気を2分していた感があります。でもこの曲は日本だけの限定ヒットだったのかも・・・。4曲目は、ヴァニティ・フェア「夜明けのヒッチハイク」、中学時代の音楽授業で吹いたチープな縦笛イントロが印象的ですが、1970年代表曲では「悲しき鉄道員」「長い夜」「イエロー・リバー」「男の世界」等と並ぶ大ヒットナンバーでした。5曲目は、マイクネスミス&ファーストナショナルバンドの「シルバームーン」(日本では翌1971年に大ヒット)を紹介します。イントロの美しいギターの調べとサビ部分の裏声(♪シルバ・ム~ン・・)が印象的・・、マイクネ・スミスとはモンキーズの一員だったマイク(緑の編帽子)のこと、彼がソロ独立後に結成したカントリーバンドなのです。6曲目は「ノックは3回」(1971)「幸せの黄色いリボン」(1973)の大ヒットで一世を風靡したドーン(トニー・オーランドという歌手が率いる米国バンド)のデビュー曲は「恋するキャンディーダ」、ビルボード3位まで上昇していたんだネ~。ラストを飾るのはクリスティー(CCRっぽい雰囲気はありますが英国バンド)の「イエローリバー」、シングル盤は安易に題名にあわせて黄土色のジャケットデザイン、3ヶ月間もベスト10にランクインし、 日本だけでも20万枚近くを売り上げるロング・セラーとなしました。洋楽に嵌り始めた当時のヒット曲はAMラジオの深夜放送からBGMのように毎日色々な曲が流れていました。当時中学生になったばかり、あれからもう46年の歳月が刻まれてしまったのか・・、懐かしき1970年。まさにビートルズが解散し、新たなロックの胎動(プログレやハードロック)がうねり始めている時代でした。



⇒次回は、'80年代を代表する女性ロッカー(グラミー賞4回受賞)パット・ベネターの「ウィ・ビロング」(1984) をお送りします。 ♪\(^◇^)/♪





★(153)オーリアンズ 「友よ再び」 (1979年) (2016.8.25公開)



c0119160_2120451.jpg1970年代洋楽の雰囲気をタップリ持ち合わせ美しいコーラス・ハーモニーでRWがお気に入りだったバンド「オーリアンズ」、第1巻(002)で彼らの代表曲「ダンス・ウィズミー」(1975)をサラリと紹介したきりで5年の歳月が既に刻まれてしまいました。爽やかな風が吹き抜けるような西海岸サウンドをイメージする名曲を数多く残した彼らが、実は東海岸ウッドストックの出身で当初はR&Bやロックンロールに根差した泥臭い音楽を志向していたと知ってビックリ!「オーリンズ」とも呼称され、名前由来はニュー・オリンズ(ルイジアナ州南部・ジャズの聖地)に関連していたとは・・。ジョン・ホールとホッペン兄弟を中心に再編成されたメンバーで1973年にデビュー、本来目指していたR&B路線ではなかなか人気が出ずに苦労していたようですが、3rd盤「歌こそすべて」(Let There Be Music)でついに華が開きました!この曲を聴けばまさにドゥービー・ブラザーズにそっくり!そしてここからからシングルカットされた「ダンス・ウィズミー」が全米6位の大ヒットに輝き一挙にブレイクしたのです。当時は「西のドゥービー、東のオーリアンズ」として紹介され、その爽やかなサウンドで圧倒的な人気を博しました。そして翌年リリースされた大傑作「夢のさまよい」(4th盤)から彼らの代表曲「スティル・ザ・ワン」(1976)が最高位5位のヒットとなり名実ともに栄光の座を獲得しました。オーリアンズの魅力は、ジョンホールのギターとラリーホッペンの明るいコーラスが映えるウエストコーストサウンド!「フレッシュウインド」(1975)は小気味よいアコースティックギターの煌びやかさで何度聞いても清々しく心が躍る曲です。「リーチ」(1976)はやや渋めなナンバーながらも美しいコーラスとコラボした乗りのいいナンバー、これもドゥービー風の名曲だネ~。そんな西海岸風な明るいサウンドで人気を上げて行くトレンドに対して、リーダーのジョンホールは違和感を感じて1977年脱退してしまったのです。R&B路線が忘れられず、ソフトロックの雄として認知されたことが本意ではなかったのでしょうか・・?支柱的リーダーを失って残りのメンバーは失意に陥るものの、1979年に5th盤「フォーエバー」をリリース、上記に掲載した「友よ再び」(Love Takes Time)が11位チャートで復活を果たします。この曲はラリー・ホッペンの突き抜けるようなハイトーン・ヴォイスが素晴しく、美しいコーラス・カラッと乾いた爽やかなサウンドでまさにウエストコーストサウンドのお手本のような名曲です。しかし結局はこれで最後のヒットとなり、まさにオーリアンズは文字通りフォーエバー・・永遠のお別れとなってしまいました。今回の記事編集で初めて知って驚いたのは、ラリーホッペンが2012年に61才の若さで亡くなっていたこと、そして脱退したジョンホールが米国下院議員となり米国防総省の軍事顧問になり栄光の転身をしていたこと・・。2人は何とも対照的な人生を歩いたんですねエ・・。最後の曲は、残念にも短命人生で終わったラリーが残した美しいメロディアスなナンバー「I Never Wanted to Love You」(1979)を聴きながら1970年代を爽やかに駆け抜けたオーリアンズの記事に筆を置きたいと思います。




★(152)レッドツェッペリン 「胸いっぱいの愛を」 (1969年) (2016.8.9公開)



c0119160_1231499.jpgロック史に残る偉大なるビートルズのLAST金字塔「アビーロード」、この超名盤をNO1の座から引きずり降ろして新時代を築いた1969年発表の2つのアルバム「クリムゾンキングの宮殿」と「レッドツェッペリンⅡ」は、プログレシッブとハードロックの本格的な夜明けを告げた歴史的な名盤として今も語り継がれています。レッドツェッペリンは、白人ブルースをベースとした画期的なハードロックを確立し頂点に立った伝説的なバンド、1969年デビュー後に立て続けでリリースした「レッド・ツェッペリンⅠ・Ⅱ」はまさに60年代の終わりと70年代始まりを告げる記念碑的な2名盤となりました。ZEP記事は過去まだ1回のみ【第3巻】(026)でアコースティックな美しき佳曲「サンキュー」(Ⅱ収録)しか掲載しておらず、以降4年半が経過してしまったことを認識し大反省・・、今回記事はツェッペリンの真骨頂であるハードロックの初期名曲(Ⅰ~Ⅲ)の数々をお届けします。その象徴曲は上記掲載の「胸いっぱいの愛を」(2008年北京五輪閉会式でペイジが全世界に向けて演奏)を差し置いては語れません。この曲を初めて聴いたのは中学1年生、今まで耳にしたことない強烈な大音響と幻想宇宙的な目眩くステレオ世界が渦巻いてくる恐ろしい程の迫力サウンドに初対面し「何なんだ!この曲は~!」と戦慄・驚愕したものです!ジミーペイジの炸裂ギターとロバート・プラントの120%全開ボーカル、ジョンボーナムの重戦車ドラムビート、超ハードで圧巻なる重厚サウンドに圧倒され一挙虜となってしまいました。三大ギタリスト(エリッククラプトン、ジェフベック)も在籍した伝説バンド「ヤードバーズ」解散後に、最後のギタリストだったジミー・ペイジがロバート・プラント(vo)、ジョンポール・ジョーンズ(b.Key)、ジョン・ボーナム(ds)と共に新しくレッドツェッペリンが結成されたのは1968年秋、デビュー盤の炎上墜落飛行船ジャケットⅠ(1969)からのハードナンバーはやはり「コミュニケーション・ブレイクダウン 」ですね。ブレイクシャウト多用・重暑なドラム&ベース、リードギターがギンギン冴えわたるこれこそロックの醍醐味という印象曲です。Ⅲ(1970)からの代表曲はやはり「移民の歌」しかありません。 「ア・ア・ア~、ア!」プラントの冴え渡る遠吠えボーカルと強烈なペイジのギターリフがカッコよすぎて血が騒ぎますネ~!初期三部作における最高峰名盤はやはりⅡ(1969)であることは間違いなく明白、プラントがSEX SYMBOLとなる契機ともなったエロティックな「レモン・ ソング」も印象的でした。ZEPサウンドの重厚さ・大迫力の源泉はボンゾ(Jボーナム)のドラムが際立っていますが、ジョーンズの渋いベース演奏も忘れるわけにはいきません。特にこの曲でのベースは秀逸なものを感じます。エレクトリックとアコーステック・ギターのアンサンブルが実に素晴らしい「ランブルオン」、ミディアムテンポのへヴィー曲「ハートブレイカ―」(無伴奏のフリーテンポのギターソロが凄い)、 名盤Ⅱはハードロック史の金字塔と称されながらも、アコースティック・ギターでの英国フォークの奥深い趣も漂っていることも大きな特徴です。当時はまだブルース・ロックが中心だった時代、その中で登場した完成度の高さを誇る本アルバムの登場は実に衝撃的でした。進化したライブ・パフォーマンスも後続バンドに様々なヒントと大きな影響を与え、功績の偉大さには感服するばかり・・。さてさて・・、今回記事のラストナンバーは、RW自身の狂熱LIVE「胸いっぱいの愛を」(2009at高田馬場)で締めさせて頂きます。友人達からは、騒音一杯の「胸やけいっぱいの愛」と揶揄されている洋楽カラオケでの恥姿、気分を悪くされませぬように・・。ご迷惑をおかけいたしまして <(_ _)> 申し訳なし~! (苦笑)

「レッドツェッペリンの過去特集記事」(2009.4.18公開)はコチラから






★(151)マービンゲイ 「ホワッツ・ゴーイン・オン」 (1971年) (2016.7.24公開)



c0119160_21573756.jpg今回はニューソウル(美しく独創的なブラックミュージック)の先駆者「マービン・ゲイ」を紹介したいと思います。黒人アーティストへの思い入れは比較的薄いRWですが、中学生時代(洋楽を聴き始めた頃)に彼が歌い上げた名曲「ホワッツ・ゴーイン・オン」(1971)は「大人のソウル音楽だなア~」と感銘し今も心に深く刻まれています。ローリングストーン誌が歴史上で最も偉大な100人のシンガーにおいて第6位に選んだマービンはダイアナ・ロスとのデュエット曲「ユー・アー・エヴリシング」(1974)や1983年グラミー賞に輝いた名曲「セクシャル・ヒーリング」(1982・全米3位曲)等の名曲でも有名で、皆様も彼の名前を一度は耳にしたことがあるでしょう。1939年米国ワシントンD.C.で牧師の息子として生まれ、教会でゴスペルと出会い彼の音楽人生は始まりました。1961年デビュー、「プライド&ジョイ」(1963)と、タミーテリルとのデュエット曲「Aint No Mountain High Enough」(1967)(全米トップ10に入るヒット)で徐々に頭角を現していきます。そしてついに「悲しい噂」(1968)がビルボード全米No1となり完全にメジャーシンガーの地位を築き上げて行ったのです。1970年に入ると彼は社会派歌手に転身、ベトナム反戦や社会問題(公害・貧困)を取り上げていくようになります。1971年に発表したコンセプト名盤「ホワッツ・ゴーイン・オン」は黒人初のメッセージアルバムであり、主題歌(冒頭掲載)は詩の内容や美しいサウンドが高い評価を得てついにトップアーティストとして不動の地位をGETしたのです。第2黄金時代を迎えたマービンは「レッツ・ゲット・イットオン」(1973)や「アイ・ウォントユー」(1975)など、私小説的な内容の作品を数多く生み出し「ニューソウル」という新しい音楽分野を確立していきました。1970年代後半は公私共に低迷し薬物依存・破産でどん底状態に陥ったものの、1980年代は再び復活したことは実に嬉しいことでした。1983年には、当時飛ぶ鳥を落とす勢いのマイケルジャクソンやスティーヴィーワンダーを抑えてグラミー賞に輝いたのですから・・。そんな波乱万丈の人生を送ったマービンゲイ・・、1984年自宅で両親の喧嘩を仲裁した際に父親と口論になり激昂した父が拳銃を発砲、銃弾2発が胸部と肩に命中し突然人生を断たれる運命に遭遇してしまうのです。本当にショックなニュースでした。拳銃は皮肉にも彼が父親にプレゼントしたものだったとのこと。何たる悲劇・・、「終わりよければ全てよし」の正反対の人生終幕ではないか!余りにも悲しい人生の終焉を迎えてしまったマービンでしたが、RWにとっては彼に与えてもらった思い出の名曲を忘れることはできません。LASTは「ホワッツ・ゴーイン・オン」と同じ香りが感じられる1970年代初頭の名曲「マーシー・マーシー・ミー」」(1971)で締めたいと思います。

  by rollingwest | 2003-04-01 00:00 | 洋楽(ロック・POPS) | Comments(128)

「My Favorite Songs」(第27巻)

【My Favorite Songs】の過去紹介した記事一覧(INDEX)はコチラから

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★(150)バッドフィンガー 「嵐の恋」 (1971年) (2016.7.8公開)



c0119160_22213572.jpg2011年7月にスタートさせた【My Favorite Songs】も今回でちょうど5周年&150編の節目を迎えることができました。日頃から洋楽に拘り深い皆様から多数の蘊蓄コメントを頂き切磋琢磨の相互情報交換をさせてもらい、あらためて感謝御礼申し上げます。今年はビートルス来日50周年、節目の記事はビートルズの弟分的存在としてアップルレコードからデビューし1970年代の数々の名曲を放った隠れたパワーポップのお宝バンド「バッドフィンガー」(英国ウェールズ出身)を紹介したいと思います。RWが彼らの名前を初めて知ったのは中学2年生時代、最大ヒットとなった「デイ・アフター・デイ」(1971・ラスト締め曲で紹介)を深夜ラジオで初めて聴いた日でした。1970年代初期に一世風靡した彼らの素晴しさは、「嵐の恋」(No matter what)や日本だけでシングルカットされスマッシュヒットした「明日の風」を聴けば即時納得してもらえることでしょう!そしてこのバンドが、ニルソンやマライア・キャリーが歌った世界的な名曲「ウィズアウトユー」(1970)のオリジナル作品を生み出したという事実は多分殆ど知られていないのではないでしょうか。本当に素晴しい実力と魅力溢れるバンドにも関わらず、洋楽史上で最も過小評価され無名に終わってしまった屈指の悲しいバンドの一つだったのです。実際に彼らの人生は呪われた悲劇の運命に翻弄され線香花火の如く短い期間で終止符を打ってしまったのです!神の思し召しには全く恵まれなかったこんな秀逸なバンドが45年前に存在したことを是非皆様に知ってもらいたいと思いレビュー記事を書かせて頂きます。彼らはビートルズ設立のアップルレコードから「メイビー・トモロウ」(1968)でデビューしました。その2年後に日本でもブレイクするのですが、掘り出し物の知られざる名曲が実に多い!「ネーム・オブザ・ゲーム」(1971)は、郷愁が感じられる序曲から美しく爽やかにクライマックスへと展開していく名曲。「フライング」(1972)はジョンレノンの影響を受けて忠実に再現した様な曲に思えます。また「アップル・オブ・マイアイ」(1973)という表題曲はアップルレコードが破綻していったことを悲しく思った曲なのでしょうか?ビートルズの弟バンドは、ともに才能あふれたソングライター集団で共通点は多いものの、視点を変えると意外と両者はまったく別の個性をもったバンドだったような気もします。後期ビートルズが芸術至上主義的スタンスでポップソングの常識を次々と壊していったのに較べて、バッドフィンガーはあくまでPOPソング分野で完成度とダイナミズムの追求を行っていったからです。このバンドの悲劇は、中心メンバーのピート・ハムとトム・エヴァンズがレコード会社側との裁判闘争に巻き込まれ次々に自殺に追い込まれあっという間にバンドの寿命を終えたこと・・。しかし彼らの残した作品は70年代洋楽を愛した世代にとっては、今でも胸を打ち感動を与えてくれたこと。最後の締め曲はやはり彼らの最大ヒット「デイ・アフター・デイ」(1971)しかありません。ジョージ・ハリスンのスライド・ギターが印象的なナンバーは今まで紹介した名曲とはタイプの違う奥深さが感じられます。才能あるこの名バンドが自らの命を経つことなく、長生きされて健康に演奏してくれていたらナア・・と感慨深く思うRWです。次回の節目200編執筆に向けてRWも残りの人生をバリバリ元気に生きて健康な日々を過ごしていきたいと思っております。引き続き皆様方からご愛顧の程よろしくお願い申し上げます。(洋楽5周年&150編記事の記念節目にて・・)


⇒次回も、悲劇の死を迎えてしまった伝説の黒人シンガー「マービンゲイ」の名曲「 ホワッツゴーイングオン」(1971)をお送りします 。♪\(^◇^)/♪





★(149)ビートルズ 「フォー・ノーワン」 (1966年) (2016.6.23公開)

(名盤「リボルバー」発売50周年・記念特集)


c0119160_19131864.jpg今年夏は「ビートルズ来日・武道館公演50周年」(6月29日~7月3日)を迎え、さらに秋はライヴ映像映画『ザ・ビートルズ EIGHT DAYS A WEEK - The Touring Years』が公開予定。リンゴスターも来日公演もあり今から楽しみですね~。またもビートルズのミニブームが再燃し盛り上ってきそうな気がしています。半世紀前の日本中が大フィーバーした様子は、2016年元旦に公開した「ビートルズ来日・私設資料館訪問」記事で再度振り返って見て下さい。ちょうど50年前・1966年は彼らにとって音楽性や活動内容を大転換させた画期的な年でもありました。日本公演の2ケ月後に彼らは「今後公演活動を一切中止する」と宣言、以後はスタジオミュージシャンとしての音楽活動に徹していきました。遊び心で録音テープを逆回転させ重層的な曲編集、インド音楽を取り入れた幻想的な世界への挑戦、スタジオに籠って新・音楽境地を開いていく活動スタイルはその後ロック界全体に広く深く影響を与えていく契機となったのです。その変化を象徴する歴史的な名盤が【リボルバー】・・、今年8月で発売50周年を迎えるのでこのアルバムから数々の名曲をお届けしたいと思います。冒頭曲「フォーノーワン」はポールが淡々と歌い上げ美しいホルンの響きがコラボする癒しの名曲・・、RWお薦めのお宝ナンバーを今回記事のTOPとして選択いたしました。名盤「リボルバー」の第1曲目はジョージがリードボーカルを取ったアップテンポ曲(英国の税金制度を諷刺)「タックスマン」でした。デビュー以来、一番目立たなかったジョージがアルバム冒頭を飾り3曲がフューチャーしているとは・・、彼が徐々に実力を積み上げ前面に出て来た時期だったのかとあらためて再認識されます。当時のジョージはインド音楽魅力に傾倒しており「ラブ・ユー・トゥ」はその真骨頂、シタール楽器の音色・魔法の打楽器タブラ・シンプルなコード進行などビートルズの他メンバーも独特な世界に触れ大きな衝撃を受けていたのです。次に紹介する曲は、ひょうきんなアニメ演出で遊び心で重層録音編集を楽しんでいる「アイム・オンリー・スリーピング」、気だるさを醸し出す味わい深いさには彼らの余裕が感じられます。実験的・先進性の曲が多い名盤の中には、従来路線の美しいバラード曲も随所に健在!ポールの声で織りなす歴史的な名曲「エリナーリグビー」「ヒア・ゼア・アンド・エヴリウエア」等でバランスを取っており、このアルバムの魅力をより一層際立たせていると思います。ヒアゼアのユーチューブを見ると、ポールが婚約発表(1967年)したものの翌年婚約破棄されてしまったジェーン・アッシャー(4年越しの恋人)と仲良く写っているではないか!ポールの結婚生活は本当に波乱に満ちているなア・・。ジェーンとの破局後は、リンダ・イーストマンと1969年結婚しウイングスで仲良く黄金時代を築きましたが、リンダが乳ガンに侵され1998年に逝去。その後、若いモデルと結婚と離婚を繰り返し、最近では50億円慰謝料など武勇伝を繰り返すポールのお元気さには頭が下がります。さて次は有名曲の一つ「イエローサブマリン」の登場です!リンゴがほのぼの調で歌う日本でも馴染み深い曲は、のちに同名でアニメ映画化されたサウンドトラックでも大ヒット。おとぼけ雰囲気が相変わらずいいですね~!そして最後に紹介する曲は当然「トモロウ・ネバー・ノウズ」、テープ式のループ(繰返し音)が鳴り、ミニマルなドラムやベース・ギター、カモメの声が絡み合う曲はやがてLSDの世界に誘うような宇宙的展開、この曲こそ画期的な名盤「リボルバー」(ジャズ゙・クラシック・インド音楽への接近、LSD麻薬体験での幻想的なエレクトロ技術の曲が続々登場)の象徴的な曲といえましょう。この名盤から、ロック史の最高名盤と称賛される「サージェント・ペッパーズ・ロンリーハーツ・クラブバンド」へと受け継がれていくのです。

(追伸):皆様から多くのコメントを頂戴し誠にありがとうございます。今回、皆様からこの曲は是非掲載してほしかったという強いリクエストが寄せられた2つの名曲「and yourbirds can sing」「got to get you into my life」を追加させて頂きます。このような嬉しい反応を頂くと記事の書き甲斐があるなあと相互の切磋琢磨ができる感謝の気持で一杯でございます。



⇒次回は、ビートルズの弟的なバンドとして人気を博し、その後悲劇の結末を迎えたバッドフィンガーの「嵐の恋」(1970) をお送りします 。♪\(^◇^)/♪




★(148)バーブラ・ストライザンド 「追憶」 (1974年) (2016.6.8公開)



c0119160_21212722.jpgバーブラ・ストライザンド様・・。最近あまりお姿をお見かけしないような気もしますが、1970年代の貴女は歌手・女優・作曲家・映画監督も一挙同時にこなして絶頂人気を誇っており、まさに天からニ物・三物を与えられたスーパーウーマンという存在でしたね。上記紹介曲は、貴女がイケメン男優ロバート・レッドフォード様と共演した70年代の名作映画「追憶」(The Way We Were)のテーマ曲、ストーリーは「第二次大戦の末期、相反する政治思想を持ちながらもどこか惹かれ合っていた男女がNYで偶然、再会し愛し合うようになって結婚。しかし妻が第一子をみごもった時、互いの考え方や価値観の相違に今さらながら気付き、別れることを選択する」という大人の恋愛映画でした。某映画情報誌で史上最高の映画主題歌リストのベスト20曲に選ばれただけあり、ラストシーンで流れる貴女の歌「The way we were」は実に印象深かったですネ~!当時RWは高校3年で受験勉強中でしたが、インスタントラーメンを食いながら聴いていた深夜放送のラジオから毎日のように流れてくる貴女の美しい声が思い出されます。大学に入り上京後もFENラジオばかり聴いていましたが、当時のヒットしていた「愛はわが胸に」(My Heart Belongs To Me)(1977)や「ソングバード」(1978)が小生にとっては実に懐かしいヒットナンバーなのです。貴女はニューヨーク市生まれ、アマチュア歌手コンテストで優勝、1962年ミュージカルでブロードウェイにデビュー、1964年ミュージカル「ファニー・ガール」でスターの座を獲得、この曲を映画にした「ピープル」(1968)でアカデミー主演女優賞を受賞、その後オスカー2回、エミー賞6回、ゴールデングローブ賞11回、グラミー賞10回など映画部門の栄光の数々、女性歴代最多全米No.1アルバム記録更新も音楽界での金字塔、そして息子さんの嫁さんはダイアン・レイン・・、こんな挫折なき華やかな栄光人生を連続で送れる人ってなかなかいませんよネ~!「ワシ鼻顔」こそ幸運を掴む目出たき顔なんだな~と誰もが信じてしまうではないですか~!貴女が数々のスーパースター達とデュエットした名曲も脳裏に深く刻まれています。その筆頭曲はニールダイアモンド様と共演された「愛のたそがれ」(You Don't Bring Me Flowers)(1978)、全米NO1に輝いただけあって二人のじっくり歌いあげる声は永遠にPOP史に残る名曲というしかありません。さらに1980年には貴女はビージーズとコラボされましたネ~!「ウーマインラブ」やバリーギブとのコラボして全米No.1に輝いた「ギルティ」(1980)が凄いバーブラ人気のウエーブを再び起こして驚いたものです。しかしRWにとって貴女の一番の思い出曲は、「スター誕生・愛のテーマ」(1976)なのです。初めて大学生となり上京した四畳半の下宿でカップラーメンを啜りながらこの曲が流れていたあの日を思い出します。貴女の華やかな人生に比べて、対極をなすビンボー学生だった頃のRWが貴女の美しい歌声に癒されていたことに40年ぶりにあらためて感謝を申し上げます。貴女は今年74歳を迎えるとのことですが、未だに来日して頂けない大物アーティストのひとりです。喜寿になる前にぜひとも、来日公演の実現を期待したいものですな~♪



★(147)デフレパード 「ヒステリア」 (1987年) (2016.5.24公開)



c0119160_2213578.jpg海外では驚異的なセールスを記録し、かつ音楽性においても高い評価を得ているのに・・、なぜか日本では全く人気が出なかったバンドが幾つかありますが80年代後半での筆頭バンドは「デフレパード」ではないでしょうか。1970年代洋楽専門のRWは80年代アーティストには興味が薄いのですが、デフレパードについては当時から「実に素晴らしいバンドだな~」と感銘しながら聴いておりました。今回彼らの足跡を再整理して噛みしめ直したいと思い立ち、前後編に渡って記事を書きたいと思います。まず最初はロック史に輝く名盤「ヒステリア」からの名曲の数々をご紹介。彼らは1970年代後半に結成された英国のハードロックバンドでヘヴィ・メタルの旗手として80~90年代前半で絶大な人気を世界的に誇っていました。彼らの最大ヒットした金字塔が4th盤「ヒステリア」(1987)、英国・米国NO1に輝き2千枚も売り上げた20世紀屈指の超お宝物名盤なのです。次の紹介曲はライブの冒頭曲によく使われる「ロケット」(映像では1970年代のロックスターやサッカー名選手が続々と登場)からスタート、ほぼ完璧ともいえるリズムコードに彩られ高揚感が迫ってきます。「シュガー・オン・ミー」もRWの最大お気に入り曲の一つ、スケール大きい完成度高い曲を意図的にラフな感じに仕上げている感があっていいですね~!「神の戦争」と意味深な曲名が付けらた「ゴッズ・オブ・ウォー」のユーチューブはあまりにも衝撃的すぎる・・!原爆実験や世界を驚愕させた9.11のNYテロ恐怖映像が使用されており、あらためて目が釘付けとなってしまいました。アルバム名「ヒステリア」の意味は我々が一般的に認識しているヒステリー(精神的不安定)のイメージではなく、押し寄せる高まりのドキドキ感を表わしたものらしい。その名の通りこの名盤からは7つものシングルがヒットし、アルバム自体も3年間チャートインしたモンスターアルバムなのです。美しいメロディと文句なしのアレンジ、その神がかり的な完成度・分厚い音作りは本当に素晴らしく、捨て曲など一つもない徹底的に練り上げた特筆名盤というしかありません。ストレートでダイレクトなロックナンバーの「ウーマン」は迫力あるLIVE演奏が凄過ぎる~!ノリが良くメロディアスな「アニマル」(サーカスの動物が続々登場)は本アルバムの2cdシングルで英国6位に輝く人気に先鞭を付けた曲です。2015年も4年ぶりに来日して現在も現役で頑張っていることは嬉しいことですが、なぜこんな素晴らしいバンドが日本では知名度が低いのかと不思議に思うばかりです。同時代で同様路線のボンジョビがあれだけ売れていたのに・・。もっとこのバンドは日本で売れるべきバンドであったはずと今も思っているRWが、最後に紹介する締めは彼らを代表する2つの名曲にします。まずは全米3位に輝いた「アーマゲドン」、噛めば噛むほど味のあるアルバムの名盤の代表曲、そして最後は美しいコーラスに彩られたキャッチーで心に響くメロディと迫力の高揚感「ラヴ・バイツ」(全米No1の栄光!)が栄光のフィナーレ!完成度が高く垢抜けている本曲こそデフレパードの真髄・・、美しいヘビメタ系の王道バラードで何度聴いても素晴らしい!皆さん、このお宝物アーティストに是非とも嵌ってみて下さい!後編は「炎のターゲット」等、他の名盤を中心に公開予定

  by rollingwest | 2003-03-01 00:00 | 洋楽(ロック・POPS) | Comments(138)

「My Favorite Songs」(第26巻)

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★(146)レオンラッセル 「ソング・フォーユー」 (1972年) (2016.5.9公開)



c0119160_8395591.jpg前回記事で取り上げたカーペンターズ・・、彼らがチョイスしたカバー曲は数多くありますが、カレンが澄み切った声でしっとりと歌いあげた1970年代初頭を代表する名曲「ソング・フォーユー」(1972)は、当時のロックシーンでカリスマ的な存在だった「レオンラッセル」によって生み出されました。全く日本人受けしなかったこの渋~いオジサンを知っているのは1970年前後のコアなロックファンにほぼ限られているのでしょうね~。彼が放ったヒット曲って上記以外に他に何があったのだろうと思い起してみても「タイトロープ」(1972)くらいしか脳裏に浮かびません。耳触りいいヒットチャート曲とは全く無縁(頑固なまでに・・)、独特のダミ声で泥臭さ~く歌うスワンプな姿に馴染む人はかなりコアな少数派だったような気がします。当時プログレ路線やメロディアスなナンバーを嗜好していたRWは全くレコードを買う気にもならず相当の距離感を保っておりましたが、「ハミングバード」(1970)を聴き直してみると泥臭くもスケールある素晴らしい曲ですね~!再発見の感動です!この方は当時最大の話題になっていた「バングラデシュコンサート」(1971年にマディソン・スクエア・ガーデンで開催された史上初のロック主体の大規模チャリティ・コンサート)で相当な存在感を誇っていました。主催者ジョージハリソンとコラボし2人で歌いあげたLIVE名曲「Beware of Darkness」や、エリッククラプトン、ボブディラン、ビリープレストン、リンゴスターら大物達と共演した数々の秀逸なパフォーマンスは食い入るように読んだミュージックライフ誌のレポートで強烈な印象が残っています。レオンラッセルは当時珍しかったミュージシャン同士の交流を促進した触媒的存在(架け橋・媒介者)でロック界に大きな影響力を誇っていたのです。美しいロングヘアーに口髭と顎鬚(イエスキリストの様な風貌)、人の心を射抜くような眼光の鋭さを持っていた仙人のような崇高かつ孤高なる姿はまさにカリスマ、憧れの存在でしたね~。「マジックミラー」(1972)などジャズとブルースが融け合ったようなピアノを滔々と歌い上げるレオンも魅力的、またストーンズのカバー曲「ホンキートンク・ウイメン」ではギターを弾きながら躍動的な一面を見せているのも興味深い!これはジョーコッカーのバックバンド「マッドドッグス&イングリッシュメン」でバンドリーダーを務めていた時の貴重な映像です。 JAZZ界から殴り込んできたジョージベンソンが1976年に世界中に大ヒットした「マスカレード」(グラミー賞の栄誉曲)もレオンラッセルが書き上げた名曲です。何と「ソング・フォーユー」のB面曲だったのですよ。「ソング・フォーユー」は多くのアーティストにカバーされていますが、レオンラッセルのように魂を絞り出すようには歌えないような気がします。聴けば聴くほど心に沁み込んでいつしかその魔力に魅入られるようです。それにしてもレオン様、老ライオン王の如く威厳を見せてますます仙人の極みになった御姿、素晴らしい・・!その美しき白髪の神々しさに御手を合わせたくなるような気持ち、いつまでも御達者で長生きされて下さい。
(PS)最後に、星船様からご推奨頂いた名曲「レディブルー」を追加!落着いた感じで滔々と歌うレオンも大いに魅力です。


⇒次回は、威厳と威光を放ち続ける大英帝国ヘビメタの誇り「デフレパード」のロック史に残る名盤「ヒステリア」 (1987)から名曲の数々をお送りします 。♪\(^◇^)/♪




★(145)カーペンターズ 「遥かなる影」(Close To You) (1970年) (2016.4.25公開)



c0119160_19412345.jpg我が青春のBGM「カーペンターズ」・・、リチャード(兄)とカレン(妹)・二人の美しいコーラスを中学~大学生時代までリアルタイムで傾聴しながら青春を過ごしてきました。カレンの究極の美声に彩られたバラードや名曲の数々にどれだけ癒されたことでしょう。洋楽に嵌り始めたRWが初購入した頃のEPレコード(今や死語=ドーナツ盤)の一つが上記に掲載した曲「遙かなる影」(close to you)だったことをこの歳になって思い出しました。そんなにもお世話になった彼らなのに・・、まだ過去1回しかレポートしていなかったこと(【第3巻】(031)「青春の輝き」のみ)に気づいて大反省・・!これから数編に渡って、彼らの歴史と名曲をジックリと辿って行きたいと思います。初期のカーペンターズは「バートバカラック(米国の映画音楽巨匠)の秘蔵ッ子」とのキャッチフレーズで人気を博しており、2ndシングル「遙かなる影」(close to you)で初の全米No1に輝き大ブレイク、同年に大ヒットした「愛のプレリュード」(We've Only Just Begun)(1970)、悲しみと憂鬱な気持ちを歌い上げた「雨の日と月曜日は」(1971)と立て続けに連続ヒットを放ち、この初期三大名曲が中学生時代のRWの脳裏に思い出深くクッキリと刻まれています。彼らがデビューしたのは1969年、 ハープアルバート(米国ジャズトランペットの巨匠でA&Mレコードの創設者)に認められ、「涙の乗車券」(ビートルズ名曲のカバー)でデビューし最初のヒットを放っています。彼らがビートルズを愛していたことは「ヘルプ」(1971)をカバーしていたことでも窺い知れますが、両曲とも完全にカーペンターズ独自の味付け・テイストとなっていますね~!神から授かったカレンの美声、素晴らしい巧みなアレンジが施されていること、カレンのドラマーとリチャードのキーボード演奏が主体となって全体がコーラス構成になっていることなど、ビートルズ・オリジナル曲とは明らかに一線を画しており、初期の代表的なカーペンターズ定番曲として愛聴されています。その後、彼らの勢いは止まることなく映画BGM「動物と子供達の詩」(1971)もアカデミー主題歌賞にノミネートされ、彼らは完全にトップランナーに躍り出たのです。小生が最も大好きな初期曲は、「ふたりの誓い」(For All We Know)(1971)、この作曲者が先日「カリフォルニアも青い空」で紹介したアルバートハモンドだったことを最近知ったばかりで目から鱗でした!そして奇跡の兄妹は1970年代で世界的なヒット曲を続々と放ち、まさに文字通り「スーパースター」(1971)として君臨していきました。彼らのヒットナンバーはあまりにも多い・・、カレンが亡くなるまで名曲の数々を紹介し切る完結編がお届けできるのはRWが還暦を過ぎた頃になるかなア・・(苦笑) 続編は1972~1973年のヒット曲をレポートしますので気長~にお付き合い下さい。




★(144)アトランタ・リズムセクション 「ソー・イントゥ・ユー」 (1977年) (2016.4.12公開)



c0119160_15545226.jpg今回紹介する「アトランタ・リズムセクション」(以下はARSと表記します)は1970年代後半に多くのヒットを放って活躍していたオシャレなサザン・ロック・バンドでした!現在でその名を知る人は少ないと思いますが、ダサイ大学生時代のRWはFENラジオから流れてくる一流のスタジオ・ミュージシャン達のクオリティ高い音楽に大いに嵌っておりました。サザン・ロックでありながら哀愁感ある洗練されたAOR風のサウンドが特徴(レイナードスキナードほど泥臭くなく、リトルリバーバンドにも似た都会的なアレンジ)、現在聴いてもそのセンスのよさに大いに唸らせられます。ARSはその名の通り米国南部アトランタで1970年結成された専属セッション集団、ノリのよいサザンロック・ナンバー「ドラヴィル」(1974)などヒットを放っていましたが最初はあまり人気は上がっていなかったようです。彼らが本格的に米国ヒットチャートでブレイクしたのは結成から苦節7~8年後、冒頭で紹介した「ソー・イントゥ・ユー」(1977)、毎日ラジオから流れてくる気だるい歌声・妖しい感じの雰囲気ある曲はギターのピッキング・ハーモニックスもカッコよくRWは一挙に魅了されてしまいました。そしてさらに翌年、彼らの代表曲「イマジネリー・ラヴァーズ」(1978)がついに全米NO1に輝いたのです!聴けば聴くほど味が染みてくるような歌、よく考えればこの題名は「妄想の恋人」でエロイ感じではないか!めくるめく白昼夢を歌ったオタク世界を歌っていたのかも・・!(苦笑)  ARSの音楽は実に多彩で才能に溢れています。オールマンブラザーズバンドを思わせるような軽快なナンバー・「ジューキン」(1976)、そしてケニーロギンスが歌っているかのような落着いた哀愁感あるメロディ曲「Do It Or Die」(1979)、カントリー調でホノボノとしたサザンロックの美曲「ジョージア・リズム」(1979)、レスポールやフェンダーローズの乾いた音が決まりまくっている名曲「スプーキー」(1979)、これらのナンバーをあらためて聴くと他の同系列バンドに比べると音創りが格段に洗練されていた超素敵なバンドだったことを再認識します。それなのに日本では全く人気が出なかったことが今を思っても不思議・・、彼らこそ1970年代の名バンドの一角として取り上げられるべき存在だったと再評価されてほしいものだなあ・・。最後はRWがARSで最も大好きな曲「シャンペンジャム」(1978)で締めたいと思います。クオリティ高い演奏力と楽曲の良さ(ギター・リフも印象的な渋いロック・ナンバー)で ARSの魅力が炸裂しています。




★(143)アルバートハモンド 「カリフォルニアの青い空」 (1973年) (2016.3.27公開)



c0119160_13162034.jpgアルバート・ハモンドの「カリフォルニアの青い空」・・、RWが中学生3年(高校受験勉強)の頃に毎日ラジオから流れていた実に懐かしいナンバー!米国西海岸光景をイメージさせる爽やかな声は、同年秋にヒットした「落葉のコンチェルト」(最後に紹介)や「フリーエレクトリックバンド」(1973)とあわせて一世を風靡した1970年初頭の代表的なシンガー・ソングライターでした。その後はあまりヒットチャートに登場しなくなったので「一発屋」だったのかな・・と記憶が薄れて行ったのですが、またAOR全盛期には当時の流行に乗った爽やかなPOP曲で再登場して「まだ元気に頑張っているんだな~」と喜んだものです。「マリン・ブルーが輝く時、オフショアに白い波が咲く。そして、エンドレス・サマーの夢が始まる」と赤面するようなキャッチコピーを引っ提げて「風のララバイ」(1981)で再登場したナンバーは、TOTOなど西海岸ミュージシャンとコラボしてAORに彩られてお洒落な印象がありました。ロマンティックなメロディ曲で「ひとりぼっちの渚」(When I'm Gone)(1981)やノリのいい軽快曲「ダウンザリバー」(1981)等のヒット曲が懐かしい~、もう35年の月日が経過したのか・・・。1944年ロンドン生まれなので英国シンガーと思いきや今回の記事編集で、彼がスペインの歌手だったことを初めて知りました。両親がイベリア半島の南端(ジブラルタル)出身で第2次大戦時に英国に避難していた経緯だったとのこと。ラテン界の人気スター、フリオ・イグレシアスの全米進出にも協力、スペイン語で歌ったナンバー「Echame a mi la culpa」(1977)も紹介しておきましょう。また彼は 作曲家としても目覚ましい才能を発揮していたことを再認識。ホリーズの「安らぎの世界」、カーペンターズ「青春の輝き」、レオ・セイヤー「はるかなる想い」、ホイットニーヒューストン「One Moment In Time」、ダイアナロス「恋のプレリュード」、その他にもアート・ガーファンクル、ティナターナー、セリーヌディオンなどのトップシンガーに次々と曲を提供し大ヒットさせていたのです。 最後は澄んだ声で秋を感じさせる哀愁曲「落葉のコンチェルト」(1973)で締めたいと思います。日本でのみシングル・カットされた曲ですが、ロマンティックなメロディでいかにも日本人好みの琴線に触れる名曲ですね~!RWも何度この曲を聴いたことか・・。 彼は今年1月にも来日を果たし今も現役で頑張っています。最近、1970年代の洋楽アーティストの訃報が次々と入ってくるようになりましたが彼にはまだまだ頑張ってほしいものです。

  by rollingwest | 2003-02-01 00:10 | 洋楽(ロック・POPS) | Comments(103)

「My Favorite Songs」(第25巻)

【My Favorite Songs】の過去紹介した記事一覧(INDEX)はコチラから

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★(142)アース・ウィンド&ファイアー 「宇宙のファンタジー」 (1977年) (2016.3.8公開)




c0119160_22362769.jpgまたまた1970年代のトップアーティストの哀悼レポート・・、米国人気バンド「アース・ウィンド&ファイアー」(以下EW&Fと記載)の創設者「モーリス・ホワイト」(パーキンソン病・享年74歳)が2月に亡くなり1ケ月が過ぎました。デビッドボウイ、グレンフライ(イーグルス)に続く3連続訃報は、自分自身が還暦近くなり1970年代巨星達が次々と天に召される時代を迎えたのか・・と複雑な気持ちです。第25巻はボブウエルチも含めて紹介の4記事が全て物故者シリーズとなってしまいましたね・・(涙) 南部テネシー州のジャズ・ドラマーだったモーリス・ホワイトはシカゴで音楽活動に入り「アース・ウィンド&ファイアー」を結成、ファンクとR&Bをポップに融合し黒人・白人の両方から称賛されるバンドとして注目を集めました。やがてAORも取り入れて1970年~80年初頭に世界を席巻(総売上は9000万枚超、グラミー賞6回)、2000年にはロック殿堂入りを果たしています。ヒット曲は「セプテンバー」や「ブギー・ワンダーランド」「アフター・ザ・ラブ・ハズ・ゴーン」など数えきれませんが、やはり日本人に一番知られているのは冒頭の「宇宙のファンタジー」でしょうね~!高校野球開会式曲やドラマ「電車男」等で若者にも十分浸透している感じです。EW&Fは有名曲が多いので前後編に分けて紹介、今回は1973~1977年のややワイルドでファンキーなナンバーを中心にレポートします。フィリップ・ベイリーが加入しツインボーカルとなった1973年「ヘッド・トゥ・ザ・スカイ」がゴールドディスクを獲得し一躍有名になり始めました。当時はまだ落着いた大人のジャジ―な雰囲気が伺えます。1975年に映画主題歌「暗黒への挑戦」が全米アルバムNO1を獲得、「シング・ア・ソング」(1975)や切れ味鋭く攻撃的かつ商業的な曲で全米NO1に輝いた「シャイニングスター」(1975)が大ヒット。RWが初めて彼らを注目し始めたのはこのあたりの曲だったような気がします。大学生で上京した1976年、この頃から世界的に空前のディスコブームが始まり、EW&Fまさに当時の中心的な存在になっていました。ファンキーでジャジ―な即興演奏のディスコサウンドは解りやすくて日本人にも大受けし「サタデイ・ナイト」(1976名盤「魂」/ Spiritより) やアップテンポでワイルドな乗りの「ゲッタウェイ」(1976)を聴きながら新宿ディスコで踊ったことが懐かしい~!上京したてのダサイ大学生は夜の大都会で夢のような出会いが起こるはずと期待したものの結局何の成果も得られず虚しい気持で四畳半下宿に一人帰宅したのでした・・(苦笑) アルバム「魂」はEW&Fの音楽性が最高レベルに凝縮した作品、2週連続全米2位ダブルプラチナを記録しています。そして翌年1977年には名盤「太陽神」がリリースされ「宇宙のファンタジー」が世界的なヒットとなると、彼らの人気はさらに高まり栄光の全盛時代を迎えていきました。モーリスホワイトの誕生星図は占星術によればEarth, Air & Fire(土・空気と火)の3要素があり、それがバンド名の由来ですが、惑星の中心「太陽の神」に対して彼は深い崇敬意識を抱いていたのかも・・。最後は名盤から「ジュピター」(太陽神・1977)で前編を締めくくりましょう。天に召され天空の輝ける☆となったモーリス・ホワイトの冥福をあらためて祈念いたします・・。
(PS)3月は、ジョージマーチン(ビートルズの父親的存在)、キース・エマーソン(EL&P)とその後も訃報が連続・・、1~3月の洋楽大物逝去の連続は5人目となりました。 再び、合掌・・

⇒次回は、1970年初頭の明るく爽やかなPOPSの象徴的な英国シンガー「アルバートハモンド」の「カリフォルニアの青い空」(1972)をお送りします 。♪\(^◇^)/♪





★(141)ボブ・ウエルチ 「悲しい女」(Sentimental Lady) (1977年) (2016.2.24公開)



c0119160_21355479.jpg我々世代がイメージする「フリートウッド・マック」は1970年代中期の2大名盤「ファンタスティック・マック」(1975)と「噂」(1977)で世界を大席巻していた頃の姿です。女性ボーカル2名(スティービー・ニックス&クリスティン・マクヴィー)と、リンジー・バッキンガムとの三者三様の美しいボーカルが織りなす美しいメロディや分かり易いPOPなサウンドが実に魅力的で、RWが大学生時代に嵌っていたバンドの筆頭的存在でした。しかし創設期(1967~1970ピーター・グリーン主導時代)は完全にコテコテの泥臭いブルースバンドであり、往年のファン(今は70才前後)からすれば「何でこんな変節をしてしまったんだ・・、裏切られた」と落胆した方が多かったと聞きます。ピーター・グリーンなど初期メンバーが相次ぎ脱退した後に、バンドに加入したボブ・ウエルチは1972~73年にジャズ・ロック的アプローチの楽曲等をフィーチャーしバンドの音楽スタイルを変遷させていきました。ウェルチ在籍時代のフリートウッド・マックは5枚のアルバムを出して商業的にも健闘しており「ヒプノタイズド」(1973神秘の扉)などをヒットチャートに送り込んでいます。フリートウッドマックが世界的にブレイクするのはボブ・ウェルチが1974年にバンドを脱退した後(LバッキンガムとSニックス加入)ですが、彼がバンドの音楽スタイル変化のトリガーを弾いた中継ぎ期の中心人物であったことは間違いありません。新生フリートウッド・マックがPOP路線に完全転換し金字塔名盤「噂」(1977)で全盛を誇った年は、バンド脱退したボブウエルチにとっても同時に最大の栄光時代でした。初のソロアルバム「フレンチ・キッス」(1977)はポップでキャッチーな曲で構成された名盤で、冒頭掲載曲の「悲しい女」(Sentimental Lady)・「エボニー・アイズ」(最終締め曲)「ホット・ラヴ,コールド・ワールド」と連続3曲の大ヒットを飛ばし200万枚も売れる大成功をもたらしたのです。この名盤制作にはフリートウッド・マックのメンバーも共演していたのでお互いに相乗効果もあったのでしょうね。次作「スリー・ハーツ」(1979)も同じ路線の焼直し的なアルバムでしたが、売上げは100万枚を突破し「プレシャス・ラヴ」「チャーチ」もヒット、その後に日本公演を行っています。このアルバムの中ではビートルズ名曲「アイソーハー・スタンディングゼア」をAOR風にアレンジしているのも興味深い・・。しかしその後アルバムセールスは落ち込んでいき、彼の人生は徐々に転落への道を辿っていきました。ヘロイン中毒で入院し麻薬所持で逮捕された後、表立った音楽活動から遠ざかり、そして4年前にはショッキングなニュース(ナッシュビルの自宅で銃自殺)が入ってきたのです。最近は亡くなったアーティストばかりを掲載していますが、人生の評価は「終わりよければ全てよし」(有終の美を飾ってこそ・・)、 全盛期の明るいPOPなイメージの彼には似合わないような不幸な人生の終焉には悲しい気持ちにさせられます。最後の締め曲は彼の大ヒット曲の一つ「エボニーアイズ」(1977)を紹介し前向きな気持ちで哀悼したいと思います。この精悍なサウンドは、大学生時代に一人でテントを担いで九十九里浜(千葉)の長大な砂浜(66km)を1泊2日で単独踏破した時(お馬鹿というしかありませんが学生時代に3回歩きました)、ラジオから流れるボブ・ウエルチの曲に鼓舞されたことがよき思い出です。彼からエネルギーをもらって荒波寄せる延々と続く砂浜を無事に歩き切れたことに感謝・感謝~!



⇒次回もまたまた哀悼シリーズが続きます。 「アース・ウィンド&ファイアー」の創設者モーリス・ホワイトの死を悼み彼らの代表曲「宇宙のファンタジー」(1977)をお送りします。(†∩†)






★(140)イーグルス 「テイクイットイージー」
 (1972年) (2016.2.9公開)



c0119160_15432576.jpg1月上旬から2月初めにかけてロック界の大物スターが次々と鬼籍へ(デビッド・ボウイ、グレン・フライ、モーリス・ホワイト)・・、時の流れとはいえ実に寂しいことです。自分自身がアラ還となり、かつてロック発展期を支えた方々も皆70~80才前後となるので致し方ありませんが、これから毎年訃報が続き哀悼記事を書くことが多くなることでしょう。今回グレン・フライの死を耳にして、わが青春時代に深く愛した「イーグルス」の記事を過去にたった1回(爛熟期名曲「ラストリゾート」:【第1巻】006」)しか掲載していないことに気が付きました。「偉大なるイーグルスの名曲を全て紹介しなければ、バンド創設者のグレン・フレイに申し訳ない・・!」と思い立ち、「イーグルス」の歴史を書いていきたいと思います。今回は黎明期(1972~74)デビュー盤「イーグルス1st」と2nd「ならずもの( Desperado)」、3rd「オンザ・ボーダー」からの一部名曲を特集、これから数編に分けて掲載していきます。(最終編は数年後になるかなあ・・。) 


◎黎明期 【1972~1974】

イーグルスとの出会いは1972年・中3時代、高校受験を迎えて数学が苦手なRWは難問が解けず頭の中は完全に混乱状態、その時に深夜ラジオ番組からカラッとした曲が流れてきて「気楽に行こうぜ~!」と爽やかに心を癒してくれたのです。(結局、難問は解けませんでしたが・・苦笑) この小気味いいカントリー調ナンバーこそイーグルスのデビュー曲、1/18に逝去したグレンフライが歌った「テイクイットイージー」(冒頭曲)でした。ちなみにこの曲はグレン・フライとジャクソン・ブラウンの共作であり、当時の二人は同じアパートに住んでいたという縁があったとのこと。「愛の安らぎ(Peaceful Easy Feeling)」(1972)も、グレンフライが歌う心の穏やかな曲。初期のイーグルスはカントリータッチのコーラスやハーモニーが重視されており、愛着を持って聴ける曲が多いのも特徴でした。イーグルスはウッドストック世代最後のフォーク系バンド(バーズやバッファロー・スプリングフィールド、CSN&Yからの系譜を継承)ですが、ベトナム戦争終盤(米国劣勢)を迎えていた当時のロックやフォークは、政治性や反戦歌はすでに下火となっており「もう説教臭い歌はやめて気楽にやろうぜ・・」と心の癒しを求め始めていた時代でした。イーグルスの原型はウエストコーストムーブメントの女性歌手「リンダ・ロンシュタット」のバック・バンドとして集められたというのは有名なお話ですね。ちなみに「魔女のささやき(Witchy Woman)」(1972)は、リンダのことを歌っているらしい!LAの歌姫・リンダは恋多き女性として有名ですから、当時のイーグルスメンバーも妖しい魔女に変身した彼女から次々に誘惑されたのかも・・!?(下衆の極みRW・・苦笑)。 デビュー当時のメンバーはグレン・フライ(gt)、ドン・ヘンリー(dm)、ランディー・マイズナー(bs)、バーニー・リードン(banjo)から成る4人編成で、曲ごとにリード・ボーカル担当をで変えていました。彼らのサウンドのベースはカントリー・ロックですが、泥臭さを薄めることによって広く一般大衆にも受け入れられるものとなり、「ウエストコースト風」と呼ばれるブームの中心となっていきます。 イーグルス・ファンの中では、2nd「ならず者(Desperado)」(1973)が一番好きだという人も多いのではないでしょうか。この名盤は西部劇を意識したコンセプト・アルバムで、バーニー・リードンの色が強いバンジョー楽曲とロック要素が共存しており音楽的成熟度も格段の向上を見せています。ドンヘンリーが滔々と歌い上げるアルバム冒頭曲「ドゥーリン・ドルトン」(1973)は米国開拓時代に実在した史上に残るアウト・ロー兄弟を歌ったものでハーモニカ・ソロで展開される名曲、この西部劇画像は統一されたコンセプトで作り上げた傑作を象徴しているかのようです。「テキーラ・サンライズ」(1973)も哀愁を帯びた美しいバラードで西部劇を歌いあげる初期イーグルスを象徴する彼らの代表作です。さて次は3rd盤「オンザ・ボーダー」の名曲紹介へと移りましょう。アルバム冒頭曲「過ぎた事(Already Gone)」(1974)はカリフォルジャム野外公演の映像をお届けします。カントリー調の雰囲気を残しながらも小気味よいリズムで明るい70年代のウェストコースト・ロックという感じでいい味を出しています。このアルバムからは、新メンバー・ギタリストのドン・フェルダーが加入、彼らのサウンドはさらにハードでロック的要素や美しいバラードの名曲が増えてきます。3rd盤の最高名曲はやはり「我が至上の愛(BEST OF MYLIFE)」(1974)ですね~!貫禄溢れる演奏と綺麗なコーラスが印象的なバラードは商業的な成功も治めてついにに初の全米No.1曲という栄光を勝ちえました。
次回記事はさらにロック色を強めて行った発展期【1974~1975】、「オンザ・ボーダー」収録の未紹介曲と4rth「呪われた夜」(歴史的名盤の一つ)を中心としたヒット曲の数々をお届けします。その後は「ホテルカリフォルニア」の爛熟期【1976~1978】、そして衰退期【1979~】復活期【21世紀】という記事構成で数年かけて紹介していきますので気長にお付き合い下さい。今回の黎明期【1972~1974】の最後を飾る曲は、やはりRW的には「デスペラード」しかありません。米国開拓時代のならずものに対して愛を込めて歌い上げた雄大なる名曲で今回記事を締めたいと思います。


⇒次回は、フリートウッドマックから独立後にソロで大活躍したボブ・ウエルチの「悲しい女(センチメンタル・レイディ)」(1977)をお送りします 。♪\(^◇^)/♪




★(139)デビッドボウイ  「ラザロス」 (2016年) (2016.1.24公開)



c0119160_8572534.jpg「20世紀で最も影響力あるアーティスト」デヴィッド・ボウイ死去(1月10日・享年69歳)のニュースは、全世界に大衝撃・喪失感を与えています。彼の影響力がいかに大きかったのかその偉大さにあらためて驚くばかり・・。デビッド・ボウイは18ケ月間がんと果敢に闘った後、家族に看取れながら安らかに息を引き取ったとのこと。デヴィッド・ボウイ記事は【第5巻】(043)で一度掲載したきりですが、今年は続編で1980年代曲(レッツダンス等)をレポートする予定だったので、突然の訃報に茫然・・。今回は、彼が全世界ファンに別れを告げるようにリリース(亡くなる2日前)した遺作ブラックスター】の全7曲を紹介します。現在このアルバムは小売店で品切れが続出、すでに初登場全米・全英1位に輝いており、さらに売上を伸ばし歴史的名盤になる可能性も高い!生前の彼が終ぞ成しえなかったNO1快挙を有終の美で飾ることができて本当によかった・・!上記に掲載した「ラザロス」(アルバム収録3曲目)は全体を覆うサックスサウンドが印象的でボウイの歌唱力が光るミディアムテンポな重厚曲。ユーチューブ映像は彼がまさにガンと闘病している最後の自分自身を映し出しているではないか~!この映像は彼がファンへの「別れの挨拶」だったという情報が後日明らかにされました。「ラザロス」とは新約聖書(ヨハネ11章)に登場する人物(死後4日目にイエスによって蘇らされたラザロ)で、今回全米NO1となり世界に蘇ったボウイの姿そのものを予言した暗示的な題名・・!それでは遺作盤の全てを紹介しましょう。冒頭曲はアルバムタイトル名にもなった10分近くの長い曲「★ブラックスター」でスタート。死の暗黒星へと旅立つに際して、人生の裁きを受ける前の恐怖が感じられ沈潜・浮上が繰り返される暗示的な曲。聴く側も耳をそらすことができない彼の深い叫びがひしひし迫ってくるようです。2曲目の「'Tis a Pity She Was a Whore」は激しいビートに吹き込まれる様ななサックス(ピンポイント爆撃の上空映像が連続)と彼のボーカルが随所に登場する不思議な曲、「スー」(Or In a Season of Crime)はジャズロックサウンドと融合した深淵な雰囲気を感じさせるイメージ、死を間際にして人生の懺悔を歌いあげているのか・・? 第5曲目「ガールラヴズミー」はややノスタルジック曲調でボウイのエコーヴォーカルが魅力的!往年の退廃的なムードと中性的なボウイのエロい妖しさが溢れ出ておりオールドファンには喜ばしい限り!艶溢れる声、妖しい色気ある容姿(昔の映像かな?)を見ればとても病床にいたとは思えぬ程、衰えを感じさせない・・!我々世代が夢中になったデビッドボウイは1970年初頭、当時出現したグラムロックの両雄が強烈な印象で音楽シーンを席巻!一世風靡していたマーク・ボラン(Tレックス)が悪魔的エレキサウンド全開のスタイル、そのライバルだったボウイは宇宙人ジギー・スターダストとして地球に舞い降り、中性的かつド派手なコスチューム(歌舞伎チックかも)でハードなロックサウンドを次々披露していました。さて再び遺作紹介へと戻りましょう。第6曲目「ダラーデイズ」はサックスソロが全体を引き締める正統派なボウイサウンド!宇宙的な神秘性もありデビッドボウイの音楽人生がこのユーチューブに全てレビュー総括されている気がしています。RWはこの曲が一番お気に入り、地球の皆様に対する実質的な締めの曲なのかも・・。そしてアルバム最期の曲(生涯を閉じたフィナーレの7曲目)は「I Can't Give Everything Away」、ストレートで深みあるロックはまさにボウイの定番サウンドが展開され1970年代LP時代の雰囲気も漂います。曲題を直訳すれば「私は皆さんに自分の全てを与えられず、ついにあの世へと去る・・」こんな心境を彼はノスタルジーを込めた曲で惜別の挨拶しているのだろうか・・?←いえいえ・・何を仰る、ボウイ様!貴殿は地球・全世界の皆様に十分過ぎる程に素晴しい贈り物を沢山して頂きましたよ・・! 死の病床にありながら往年の美しさを失わずこれだけのアルバムを創り上げたとは・・、まさに驚異の生命力と執念!彼の美学を最期まで突き通した姿に唸らせられます。彼が大ブレイクした1970年はビートルズが解散した年、世界の若者達は新たなスターの出現を待望していました。次々と音楽スタイルを変化させ時代を先取りしていったデビッドボウイ、まさに「20世紀で最も影響力あるアーティスト」の冠名に相応しいのかもしれません。(ビートルズやストーンズは、最も影響を与えたのは当然俺達に決ってるだろ!と自負してるでしょうが・・苦笑) 
往年のロックスター達も年を重ねて鬼籍に入る方が多くなってきましたが寂しい限りです。さようなら・・デビッドボウイ、地球に降りて来た宇宙人、再び天に戻ってもバサラな格好で先鋭的な曲を歌い続けて下さい。あらためてご冥福を祈念したいと思います。

  by rollingwest | 2003-01-02 00:00 | 洋楽(ロック・POPS) | Comments(118)

ボブ・ディラン

★(079):ボブ・ディラン 「ライク・ア・ローリングストーン」 (1965年) (2013.11.22公開)


c0119160_21272292.jpgビートルズ、ローリングストーンズと同じ1962年にデビューし50年以上経過した今でもなお、ポピュラー音楽や大衆文化の世界で大きな影響力を持ち続けている伝説ミュージシャン「ボブ・ディラン」の代表曲「ライク・ア・ローリングストーン」を紹介したいと思います。小生はボブ・ディランを殆ど聴いていなかったのでエラソーに語れる資格は全くありませんが、この曲は「ローリング・ストーン誌」(世界的な米国POPカルチャー雑誌)が選んだグレイテストソング500曲(2004年)の中で、ジョン・レノン「イマジン」等を抑えて堂々1位となった名曲なのです。20世紀を代表する天才アーティストとも謂われるボブ・ディラン(1941年米国ミネソタ生まれ72歳)は1962年にフォーク歌手としてデビュー。ウディー・ガスリー(伝説的なカントリーフォークの英雄、放浪の吟遊詩人)の継承者として人気を博し、「風に吹かれて」(1963)や「激しい雨が降る」等のプロテストソングを歌って60年代前半は公民権運動の高まりとともに「フォークの神様」と呼ばれる地位を確立しました。しかし彼は1965年に突然音楽スタイルを変化させてエレキギターを持ってブルースロックのミュージシャンへと変身したのです。コンサート観客(往年のファン)からは大ブーイングの嵐を浴びましたが、しかし当年にリリースされた6作目の「追憶のハイウェイ61」はビルボードチャート3位を記録しロック史に残る名盤(ローリングストーン誌の2003年選出「過去ベストアルバム500盤」の4位に輝く)として21世紀になって高い評価を得たのです。掲載した「ライク・ア・ローリングストーン」(上記名盤からのシングルカット、当時では異例の6分超の演奏曲)はキャッシュボックスでNo.1チャート(彼にとって唯一の大ヒット)にも輝いたのです。言葉でメッセージを伝えることに拘り続ける「フォークソング」というスタイルにディランは音楽性の限界を感じ、サウンドそのものが自由である「ロック」という新しいスタイルの魅力にいち早く気がついていたと云われます。怒れる若者の心の表現をロックという新しいサウンドでボブ・ディランの「言葉=メッセージ」を得ることにより、さらなる進化の段階へと進んでいった姿も うねる時代の流れが彼に対して変化を求めていたからではないでしょうか。その後もザ・バーズの代表曲となった「ミスタータンブリンマン」(1965)を作曲提供したり、「見張塔からずっと」(1967)などの名曲を生み出し、着実にロックPOPS界の大物への地位を固めて行きました。ザ・バーズの「ミスタータンブリンマン」(ボブディラン作曲)のユーチューブを検索していたら、スペシャルゲストに招かれたボブディランがバンドリーダーのデビッドクロスビー(CSN&Yにも在籍)と共演するレアなるお宝映像を見つけて大変喜んでおります!また70年代に世界的なバンドに成長した「ザ・バンド」(第4巻NO33)は元々はボブディランのバックバンドでした。ザ・バンドの映画「ラストワルツ」(1978)で歌い上げている「フォーエヴァーヤング」も掲載しておきましょう。 80年代中盤以降になるとディランは頻繁に来日し、身軽な旅芸人風情の小規模なツアーを企画しており、秋田や倉敷など地方都市も含めて精力的に日本全国を行脚公演していました。先日ディランのユーチューブをチェックしていたら「タイトコネクション」(1985)という曲(ディラン流つぶやきソウル・ゴスペル風なゴキゲンサウンド)のPVに柏崎高校の同級生「H井真悟」(わがブログにも「楽SHINGO」の名前で登場してくれている声優)が出演しているのを発見して本当にビックリしました。準主役級の角刈りヤクザ役(一番最後にもナイフで刺されている奴)で倍賞美津子と共演しています。まだ日本がバブルに向かって走っていたよき時代の東京(赤坂、六本木、新宿)の繁華街の様子が伺える内容になっており、80年代のヘアスタイルや街の明るい雰囲気が実に懐かしい!(もう30年近くも経ってしまったんだなあ・・) 90年代以降もセールスも評価も非常に高い作品を連発し数度目の黄金期を迎え、変身と前進を繰り返しながら、20世紀を代表するアーティストとしての活躍を繰り広げてゆくことになります。まさに「ライク・ア・ローリングストーン」(転がる石)のような音楽人生ではありませんか。さらに驚いたことは、彼が詩人としてもノーベル文学賞にノミネートされているという事実を知ったことです。「卓越した詩の力による作詞がポピュラー・ミュージックとアメリカ文化に大きな影響与えた・・」という評価をされており、既に「ピューリッツァー特別賞」「フランス芸術文化勲章」「アメリカ国民芸術文化勲章」などの多数の栄誉受賞しており、常にノーベル文学賞の上位候補(毎回本命に挙げられる村上春樹に続く位置らしい)になっているとは知らなかった・・!もしもロックミュージシャンがノーベル賞を受賞したらまさに驚き桃の木・山椒の木ですね~!LASTは彼の70年代の代表曲「天国の扉」(1973)で締めたいと思います。

  by rollingwest | 2002-12-12 00:00 | 洋楽(ロック・POPS) | Comments(0)

シンディ・ローパー

★(029):シンディローパー「タイムアフタータイム」  (1984年)   (2012.3.14公開)


c0119160_2229667.jpg「貴方がもし倒れたら、私が受け止めてあげる。何度も何度でも・・」、「シンディ・ローパー」初の全米1位に輝いた名曲「タイム・アフター・タイム」を紹介。彼女は今再び来日し東日本大震災被災地を訪れ励ましの活動を続けています。1984年デビュー曲「ハイスクーはダンステリア」でド派手姿で跳んだり跳ねたりで突然登場したチト年喰ったノーテンキなオネーチャン。その後「マネーチェンジエブリシング」「シーバップ」「トゥルーカラーズ」など次々にヒットを放ち、マドンナと並ぶ1980年代POPシーンの代表的な女性エンターティナー(グラミー賞も獲得)に成長。ファンキーなデビュー曲に相反し、この2ndシングルは叙情溢れ語りかけ心に響く名曲、幅広い音楽性に魅力を感じます。彼女は大変な親日家。売れなかった若いNY時代、定職なく困っていた時に日本レストランのオーナーに拾われ働かせてもらったことを非常に恩義を感じています。1995年阪神・淡路大震災にはチャリティー活動で来日。その彼女が、何と偶然にも昨年3月11日に東日本大震災に遭遇し我々と一緒にその恐怖をリアルタイムに共有体験していたのです。来日で成田空港に到着する時に大地震が発生、各地の空港は閉鎖され緊急措置で横田米軍基地に着陸。周囲は原発事故発生で米国に帰るよう促しましたが、彼女は「音楽の力で日本を励ましたい」と残ることを決め、ツアー強行。思い出せば1984年・・「USAフォー・アフリカ」のチャリティ活動(ウイアーザワールドの曲で有名)で彼女は中核的な存在として参加しています。いまだノーテンキなド派手オバチャンの雰囲気が強いシンディですが、実は慈悲深い観音菩薩様の化身かも・・。「鬼怒鳴門」(kiin・donarudo)の名で日本帰化したドナルドキーンさん同様、貴女は日本を深く愛する外国人の代表だったのか!

  by rollingwest | 2002-12-11 22:22 | 洋楽(ロック・POPS) | Comments(0)

ダリル・ホール

★(070):ホール&オーツ 「シーズゴーン」(追憶のメロディ) (1976年) (2013.8.6公開)


c0119160_6355791.jpg80年代MTV全盛期に米国チャートNo.1を次々と放ち「モダンヴォイス」「プライベイトアイズ」等のミリオンセラー記録で大活躍したダリル・ホール&ジョン・オーツですが、小生は80年代の華やかな時代の彼らには今一つ馴染めず、70年代(やや黒っぽく、ブルーアイドソウルと呼ばれていた頃)の方が好きですねエ・・。この2人は白人でありながら共に小さい時からソウル系の曲が好きでフィラデルフィア(70年代は黒人音楽のメッカ)での出会いがコンビ結成の契機となったそうです。その象徴曲は1976年(大学1年)に下宿のラジオから毎日流れていた「サラスマイル」と、上記に紹介した「シーズゴーン」(追憶のメロディ)。前者は彼らの初ブレイク曲(全米第4位)であり、スローテンポに渋く歌い上げる実に雰囲気が感じられる曲でした。後者(冒頭曲)は失恋したジョン・オーツが詩を書きそれにダリル・ホールが曲をつけた2人の共作で、最初は淡々と寂しく呟き始める静かな流れの中から最後は「She’s Gone~on・・~on!彼女は出て行ってしまった・・。」と絶叫のクライマックス!この悲しい盛り上がりが実に味わい深く、今もRWの心に刻まれています。そしてついに彼らは「リッチガール」(5作目ロックンソウルからのシングル:1977年)が2週間全米1位に輝き、完全にメジャーにのし上がっていきました。しかし、この頃はソウル色がまだ残っていた気がしますねエ・・。しかしAORの象徴プロデューサー「デビッドフォスター」のもとで80年前後からお洒落なPOP路線に完全変貌、「イッツアラーフ」(1978年・赤い断層)や、「ウェイトフォーミー」(1978年・モダンポップ)が続々とヒットを放ち、その後はまさに破竹の勢い・次々にミリオンセラーを記録して全盛期の時代を迎えていったのです。小生は「ウェイトフォーミー」を最後に彼らへの興味を殆ど失ってしまい、80年代以降の垢抜け過ぎたホール&オーツを斜に構えて冷たく見ておりました。華やかで明るい作風とは対極の1977年の名盤「裏通りの魔女」は、ソウル色の強い楽曲やダイナミックなロックナンバーがバランスよく配置され、起伏に富んだ展開・全体構成が光る歴史的な名盤でありました。黒いホール&オーツを愛するファンからはまさに黒のLAST金字塔と称えられているのかも・・。このアルバムからは、「恋の傷痕」等がシングルカットされたものの、大ヒット曲は殆ど生れていません。全体的に暗いトーンの作調がPOPなヒット作を期待するファンには受け入れられなかったからでしょう。しかし、「運命には逆らえない」「恋の魔術」(Don’t Change)など深い陰影ある佳作曲が多く、アルバムに素晴しい統一感を与えています。(聴き込むほど味わいが増すスルメの如し・・) 洋楽史において、歴代ビッグヒット(売上額やTOP10ヒット曲数・アルバム数など)を記録したデュオグループで必ずベスト3に入るのは、サイモン&ガーファンクル、カーペンターズ、そしてホール&オーツ。上記に挙げた3者は1960年代・1970年代・1980年代とそれぞれの時代を代表するスーパーデュオでした。次回はやはり、ホール&オーツ栄光の80年代の明るい名曲の数々も取り上げていかねばなりませんね。

  by rollingwest | 2002-12-10 00:00 | 洋楽(ロック・POPS) | Comments(0)

スティーブ・ペリー

★(059):ジャーニー 「ホィール・インザ・スカイ」   (1978年)  (2013.3.16公開)


c0119160_7462439.jpgWBC3連覇の偉業を目指し日本中を沸かせた「侍JAPAN」、その応援テーマは「ジャーニー」の往年の名曲「セパレイトウェイズ」でした。「ジャーニー」は、1980年前後に高完成度かつPOPなプログレハード・サウンドで我々を魅了してくれました。そして3月中旬、ジャーニーとサンタナ(前々回紹介した)が同時期に来日しましたネ~!恥ずかしながら不勉強で、2大バンドには深い縁があったことを最近まで知らなかった・・(両者の音楽性やイメージが余りにも違うので想像だにしておりませんでしたが、先日サンタナの記事を書いて初認識)。 1975年、元サンタナのメンバーだったニール・ショーン(ギター)&グレッグ・ローリー(キーボード)を中心にバンド結成、初期はプログレシッブ・ロック志向(インストゥルメンタル中心)で、全盛期のPOP感覚溢れるメロディックな音楽性とはかけ離れており人気・商業的には成功せず完全に低迷期でした。当時は専任ヴォーカリトは不在で、スティーヴ・ペリー(類い稀なる美声のハイトーンヴォーカリスト)はまだ在籍していませんでした。(グレッグ・ローリーの渋目のヴォーカリストが好きという人も多いようですが・・)彼らのことを、「産業ロック」(TOTOも同様)と陰口をたたく評論家まで現れましたが、あまりにも売れすぎたことへの皮肉という部分があったのかもしれません。しかし人気が出るのは当然かも・・、ジャーニーサウンドは、唸らせられる程の素晴らしい編曲と高い完成度、これらはメンバー成熟した彼らの実力と努力の成果というしかありません。今回はブレイクの契機となった4thアルバム「インフィニティ」(1978)からの名曲「ホィール・インザ・スカイ」を紹介します。この名盤は、プログレシッヴ系ロックバンドとしての作風も維持しつつ、スティーヴ・ペリーの伸びあるヴォーカルを生かした躍動感ある楽曲との和合が特色となっておりプラチナディスクを初めて獲得、「ライツ」「ラヴィン・タッチン・スクゥィージン」等の名曲を次々とヒットさせました。グレッグ・ローリー(ブルース色の音楽志向)は心労理由(彼の音楽性に合わなくなってきたのでしょう)で1980年に脱退しますが、後任に゙ジョナサン・ケインが加入するとさらにPOP路線へと傾倒拡大、「お気に召すまま」「フィーリング・ザットウェイ」等のヒット曲はその後のバンド方向性を明確に示すことになりました。そして1982年には、米国ロック史上の最高傑作の一つ「エスケイプ」(全世界で800万枚も売れた)が生み出されました。この名盤からの代表曲は「ドント・ストップ・ビリ-ヴィン」や「オープン・アームス」などキラ星の如く・・、まさに彼らの全盛期を迎えていくのでした。全盛時代の記事はまた次回、ジックリと紹介したいと思います。
(PS)ところで「スティーヴ・ペリー」とお笑いピン芸人「なだぎ武」、ソックリと思うのは小生だけなのでしょうか?アッ、失礼いたしました~、ペリー様!m(_"_)m (笑)

  by rollingwest | 2002-12-09 00:00 | 洋楽(ロック・POPS) | Comments(0)

ケニー・ロギンス

★(128)ロギンス&メッシーナ 「川の流れのように」 (1974年) (2015.8.6公開)



c0119160_21505077.jpg「ロギンス&メッシーナ」・・?今時の方にとってはまたも「誰それ~?」との反応が返ってくる気がしますが、我々世代では1970年代の代表的なアコースティックデュオのひとつ、S&G解散後からE・ダン&JFコーリー登場前の空白時期に活躍していた思い出のグループです。実はメンバーの片割れロギンスとは、「フットルース」や「トップガン」(デインジャーゾーン)など数々の映画主題歌をヒットさせ、1985年「ウイアーザワールド」(USAフォーアフリカ)にも参加したあの有名なケニーロギンス( 1980年代を象徴するアーティスト)なのです。RWの初出会いは、深夜ラジオから毎日流れていた大ヒット曲「ママはダンスを踊らない」(1972)でしたが、1980年代以降でケニーロギンス(パワフルでオシャレ・垢抜けたイメージ)を認知した人にとっては「彼がこんな泥臭くおとぼけチックな曲を歌っていたとは・・!」と意外な経歴に驚くかもしれません。この次にヒットした「放課後のロックンロール・パーティー」(My Music)(1973)も同様路線で、前年ヒットしていたポールサイモン「僕とフリオと校庭で」と並ぶお茶目で楽しい学校ネタ曲でした。またRWがよくラジオで聴いていた彼らの代表曲「愛する人」(Thinking Of You)(1972)は軽快で爽やかなほのぼの路線、淡々と歌い上げる「ピースオブマインド」(1971)を聴けばやはり彼らの基本線はフォークPOPデュオと認識できます。それもそのはず相方のジムメッシーナはあの伝説的なフォークロックバンドだったバッファロー・スプリングフィールド(CSN&Yの母体)やポコ(カントリー・ロックの源流バンドの一つ)に参加していたのですから・・。上記に紹介した「川の流れのように」(1974)は三拍子シンプルな曲ながら美しいハーモニーや聞きやすいメロディが印象的、その他にも「ダニーの歌」(1971)など叙情詩的なアコースティック美曲の数々は本当に魅力的です。しかし今回の記事編集で再認識したのは音楽性の幅広さ、ロカビリー・カントリー・ソウル・ジャズ・プログレを交えて自分達のサンウンドに創り上げている点です。4作目マザーロードからの名曲「ビー・フリー」(1974)は弦楽器(バイオリンとバンジョー)がコラボする長大曲(6分59秒)、カントリーロックとプログレが合体した雰囲気で、複雑構成ながらも手作りで叙情性溢れる壮大で独特な世界を表現しています。また「アングリーアイズ」(1972)もジャズロックと融合したような多彩かつ壮大なる構成(エレキギター、サックス、フルートの競演)!初老2人のボーカルはCSN&Yの雰囲気も醸し出しており、実にいい味を出しています。彼らの音楽性のマルチぶり・奥深さは、ホンワカムードを演出するジム・メッシーナの絶妙ギターやカントリーフィドルの浮遊する楽しさ、間奏バイオリンや美しいケニー・ロギンスのコーラスワーク、ジャズやプログレとの融合も目指した演奏全体の濃密度・・、溢れる才能と先進的な姿勢がコンビを組んだ5年間(1972~1975)に静かに花を咲かせました。 最後を飾る名曲は「プー横丁の家」(1971)、クマのプーさんをイメージするほのぼの曲はケニー・ロギンスがプロになる前(高校生時代)に作曲し、ニッティー・グリッティー・ダート・バンドがヒットさせた名曲です。ロギンス&メッシーナは本当に素晴らしき1970年代を静かに控えめに彩ってくれたデュオでした。

  by rollingwest | 2002-12-08 00:00 | 洋楽(ロック・POPS) | Comments(0)

ブルース・スプリングスティーン

★(044):ブルーススプリングスティーン 「明日なき暴走」  (1975年)  (2012.8.26公開)


c0119160_64915100.jpg70年代ロックシーン金字塔の一つ、ブルース・スプリングスティーンの衝撃的な名曲「明日なき暴走(Born To Run)」 (1975)を初めて耳にしたとき、鮮烈な印象を受け鳥肌の立つような興奮を覚えました。この疾走感と緊張感、これぞ「ロック」の真骨頂!グイグイ迫って来る力量あるブルースの激しいボーカル、それを支えるバンド演奏も実に素晴らしい~。クラレンス・クモンズ(レコードジャケットでブルースが寄りかかっている左の人物)の強烈サックスもこの曲に溢れる疾走感を一段と際立たせています。ブルース・スプリングスティーンは70年代中盤~80年代に活躍した米国を象徴するロックミュージシャンです。最も有名な曲「ボーン・インザ・U.S.A.」(1984) のイメージ(ロック版ランボーみたいな星条旗を振り回すマッチョなヒーロー)が強すぎる感がありますが、1973年デビュー当時は「ボブディランの再来」と称されるシンガーソングライターだったのです。ロック一辺倒ではなく、ハーモニカやピアノの演奏も交えた哀愁的なシンガーソングライター的な名曲(「リバー」「サンダーロード」等)も数多く残しています。3rdアルバム「明日なき暴走」で爆発した圧倒的なロックサウンドで彼は一挙に大ブレイク!その後MTVのブームにも乗り歴史的なチャリティ「ウイアーザワールド」(1985)にも参加、世界的なアーティストへと登り詰めていきました。彼のロックへの姿勢は、演奏形態・技巧・楽器奏法は全く関係なく、迸るエネルギーをストレートに表現し叫び続けるもの。「オレ達は走るために生まれてきたのさ」・・(Born To Run)、そんな衝動に駆られる程のパワーが爆発した70年代象徴の名曲でした。

  by rollingwest | 2002-12-07 00:00 | 洋楽(ロック・POPS) | Comments(0)