カテゴリ:洋楽(ロック・POPS)( 83 )

 

ビリー・ジョエル

★(096):ビリ―ジョエル 「イタリアンレストランで」 (1977年) (2014.6.13公開)


c0119160_22285151.jpgエルトンジョン、ベンフォールズ、ダニエルパウター等、過去記事でピアノアーティストを何人か紹介してきましたが、大御所「ビリー・ジョエル」を今まで一度も掲載しておらず大変失礼いたしました~!<(_ _)>。 エルトンジョンに次ぐ世界最高峰のピアノマン、1970年代後半から1990年代前半にかけてポップで親しみやすいメロディラインと、大都会に生活する人々を描いたメッセージ性の強い歌詞で次々にヒットを連発した「ビリー・ジョエル」の名曲の数々を3回に分けてようやくレポートいたしまする。初回はデビューから最大名盤「ストレンジャー」までの中心曲、第2回目は「ニューヨーク52番街」「グラスハウス」からのピックアップ、最終回は「イノセントマン」から1980年代終盤までのヒット曲を3部構成でお届けしましょう。小生がビリージョエルに興味を持ち始めたのは1977年、下宿のFEN ラジオから流れてきた「ムーヴィン・アウト」(小生の最大お気に入り曲)に出遭った時からです。サックスとコラボしたエネルギッシュな曲は実に衝撃的!大都会ニューヨークに生きる市民の生活と心情を逞しい躍動感とともに見事に歌い切っておりました。何故こんなにも印象的だったと言えばやはり中間部で発せられる「La・ca ca ca ca・・!」「ma ma ma ma・・!」の奇妙な連呼とバイクエンジン音とのフィナーレが脳裏に鋭く焼き付いていたんでしょうネ~!この曲は米国で大ヒットしたのですが、日本ではB面扱いで冷遇されていたことを後程知り大いに意外でした。日本ではバラード系曲の受けがいいですが、米国ではノリのいいロックンロール系がヒットしていく傾向があったようです。その後日本で大ブレイクしたのは、ご存知今回の主題盤「ストレンジャー」からの1stシングルカット「素顔のままで」(1977)でした。しっとりと歌われたビリーバラードの代表曲は、前妻エリザベスに捧げられたラヴソングでグラミー賞の最優秀曲賞に輝いています。直訳すれば「そのままの君でいてくれ」ですが、邦題「素顔のままで」は実に的確でセンスが感じられる命名だな・・とあらためて思います。そしてアルバム題名にもなっている「ストレンジャー」(1977)、哀愁漂う印象的なセンチメンタルメロディの口笛が静かに始まり、突然衝撃的なイントロが入りアップテンポな曲が展開されていきます。都会の孤独をかっこよく歌った一度で忘れられなくなるような彼の最大代表曲の一つです。懐かしきジェームスディーン出演のユーチューブ「若死にするのは善人だけ」(only the good die young)(1977)では特有のしゃがれ声が激しく高揚する軽快なロックンロールバージョン!全世界で1億枚以上のレコード・セールスを記録し、アメリカでのレコード総売上第6位のアーティストとなったビリージョエルですが、音楽人生のスタートは決して順風満帆という訳ではなかったようです。初期の代表曲「ピアノマン」(1973)は、彼がロスのピアノバーでピアノの弾き語りをしている時の失意の経験を元にして作られた曲だったとのこと。「ニューヨークの想い・NY物語」(1976)も夜景が似合うニューヨークの哀愁曲ではなく、ロスのピアノバー時代のことを歌っているらしいですが、よほど辛い思い出があるらしく彼はあまりそれを語ろうとしません。再び名盤「ストレンジャー」からの佳曲へと記事を戻しましょう・・。今回、メイン掲載した「イタリアンレストランで」 (1977)はシングルカットこそされませんでしたが小生の最大お気に入り曲(初期エルトンジョン的雰囲気も・・)です。名盤「ストレンジャー」の中で最もスケールが大きい優雅な曲としてビリーファンからの人気が高く、また本人自身も好んでステージ゙で取りあげています。冒頭部分は静かにシットリ歌い上げ、突然アップテンポの明るい曲に転調、ビートルズを意識したような壮大に展開していく連続構成曲はストリングスでのクライマックスを迎え、最後は再び美しいハーモニー(ピアノソロ・ボーカル&サックス)を奏でながら余韻を残しながら静かに閉じられていきます。第1回記事のフィナーレ曲は、日本人の琴線に触れる隠れた名曲「シーズ・オールウェイズ・ア・ウーマン」(1977)で締めることにいたしましょう。これも「素顔のままで」と同様に 彼のキャリアを支えた前夫人エリザベスへの愛の賛歌でした。まだまだビリージョエルのヒット曲は多くあり、次はどんな内容で紹介していきましょうか・・。第2回目は数年後になるかと思いますがお楽しみに~!

  by rollingwest | 2002-12-06 00:00 | 洋楽(ロック・POPS) | Comments(0)

ケニー・ロジャース

★(087):ケニー・ロジャース 「ギャンブラー」(1977年) (2014.2.25公開) 


c0119160_11201555.jpg「愛のメッセージ」(1979)などのバラード名曲で今や米国を代表するポップ・カントリーシンガーとして揺ぎない地位を確立している大御所「ケニー・ロジャース」を前編(~70年代)後編(80年代~)に分けて紹介したいと思います。地方から大学入学で上京(1976年)、四畳半下宿での楽しみはFENラジオから絶えず流れてくる最新の米国ヒットチャート曲の数々でした。「全米TOP40」やウルフマンジャック、チャーリーツナ等のコーナーが主な情報源でしたが、カントリー番組もありほのぼのとした米国カントリー音楽にも親しんでいった時代です。当時よく耳にしたのは、しわがれた声でポツポツと歌う髭面のオッサン「ケニー・ロジャース」・・。「ルシール」(一番最後の曲)や「弱虫トミー」(1979)などの地味ながらも味わい深いヒット曲がラジオから沢山流れていました。ケニー・ロジャースは1935年テキサス・ヒューストン生まれ、音楽愛好家の家庭に育ち少年時代から教会合唱団で歌っていたとのこと。1967年ファーストエディティションを結成し1969年には「町へ行かないで」のヒット曲が全米ポップヒットチャートも賑わすようになりました。1976年グループ解散後、ソロに転身してカントリー界入りし「デイタイムフレンズ」(1977)や70年代の名盤「ギャンブラー」(1977年・上記主題曲)によって徐々にブレイクしていった感じです。その後はバラード路線に力を入れ始め「シー・ビリーヴス・インミー」(1978)をきっかけとして耳心地のいいヒット曲を多く放っていきます。80年代にはライオネルリッチー等と交流を深め「レイディ」(後編で紹介)が世界的なプラチナヒットを達成しPOPS面でも大御所的な存在となったのです。1985年は「USA・フォー・アフリカ」(マイケルジャクソン、スティーヴィーワンダー等のスーパースター達たちが集った)の「ウィアー・ザワールド」のレコーディングにも参加、また多くの女性アーティストとデュエット曲を歌っています。(美人好きだネ、このオッサンは・・) 今回前編のLAST曲は、まだカントリー主体で渋さをたっぷり残していた頃の名曲「ルシール」(1977)を紹介して一旦締めくくりといたしましょう。

  by rollingwest | 2002-12-05 00:00 | 洋楽(ロック・POPS) | Comments(0)

サイモン&ガーファンクル 「サウンド・オブ・サイレンス」

★(016):サイモン&ガーファンクル 「サウンドオブサイレンス」 (1965年) (2011.11.5公開)


c0119160_1041947.jpg「サイモン&ガーファンクル」・・、ビートルズやエルトンジョンと並んで、小生に洋楽の素晴らしさを教えてくれた恩人です。小学校時代(1967)に不二家CMで流れていたS&Gの「サウンド・オブ・サイレンス」を聴いて感銘。半音のイントロギターから、透明感あるガーファンクルの美しい声、それに合わせるポールサイモンの低音ハーモニー、静寂をテーマとし暗闇の中から響いてくるような美しいS&Gのアコースティック世界には、詩の中に強いメッセージが秘められていました。洋楽に本格的に興味を持ち始めた13歳の頃、「赤い限定盤:S&Gグレーテストヒッツ」を購入、これこそ小生が生まれて初めて買ったLPレコード。この永遠なる名曲はS&Gとして初めてレコーディングし、1stアルバム「水曜の朝・午前3時」(1964)に収録された作品でデビュー時は全くヒットしませんでしたが、あるプロデサーューがエレクトリックギターを加えたアレンジでリリースしたら翌65年に全米ヒットNo.1に輝いてしまったのです。この大ヒットで事実上活動休止だったS&Gは再結成、映画「卒業」(「ミセス・ロビンソン」に誘惑される主人公ダスティホフマンが娘役キャサリンロスへの純愛を貫く物語)のテーマソングとして大ヒットを記録し」、「スカボロフェア」などの名曲でS&Gを世界的アーティストに押し上げました。その後、「コンドルは飛んでいく」「ボクサー」そして最大名曲「明日に架ける橋」など数々のヒット曲を生み出し、小生も洗練された美しいフォークロック世界に一遍に虜となりました。彼らは5枚だけのアルバムを残し1970年に解散してしまい、その後ソロでそれぞれが独自の道を歩み始めます。しかし1981年にセントラールパークで再結成、翌年来日し往年のファンを喜ばせたのです。2度目の来日(1993年)はカミサンと東京ドームに公演を聴きに行き彼らと初対面(当然電光掲示板越しですが・・)したことがいい思い出です。小生の一生敬愛する懐かしきアーティストとしてS&Gの名曲を数多く紹介していくつもりです。

  by rollingwest | 2002-12-04 00:00 | 洋楽(ロック・POPS)

スティーヴィー・ワンダー

★(127)スティービー・ワンダー 「迷信」(superstition) (1972年) (2015.7.23公開)



c0119160_2294721.jpgスティービー・ワンダーといえば、洋楽を殆ど聴かない方でも一度は耳にしたことがある世界的なビッグアーティスト。その類い稀な作曲センスや歌・演奏の素晴らしいパフォーマンスでグラミー賞を何と合計22回も受賞し今も絶大な人気を誇り続けるPOPS/R&B/SOUL界の巨匠です。しかしRW記事ではまたも未掲載だったことを再認識し新たな3部作をスタートさせたいと思います。前編(少年期の1960年代~1970年代初頭)、中編(金字塔と称される1976名盤「キー・オブ・ライフ」~1970年代後半名曲)、後編(1980年代以降、世界レジェンドとして君臨)といった分類でレポートを進めて行きます。スティービーは1950年ミシガン州で誕生、しかしこの時から彼の苦難の人生がすでに始まっていたのです。保育器内の過量酸素が原因で生まれてすぐ永久に視力を失い盲目者としての生涯がスタートすることに・・。しかしこのハンディを負いながらも、彼は ブラックミュージックの名門モータウンから僅か13歳でデビューを果たし、「フィンガーチップス」(1962)が全米No1に輝きました。その後ミドルティーンでの活躍も目覚ましくマイケル・ジャクソンも凌駕する幼少からの天才ぶりが窺えます。15歳で歌った「アップタイト」(1965)は、ストーンズ「サティスファクション」に影響を受けた雰囲気の曲で大ヒット。そして16才では、少年から大人へ声が移り変わる中でサウンド面で一歩大人な雰囲気になった「太陽のあたる場所」(1966)、彼のガールフレンドを歌ったと言われる「マイシェールアモール」(1969)などの名曲を次々にヒットさせ大活躍を続けていました。しかし1970年初頭に入ると従来のヒットナンバー量産路線から脱却し、社会的テーマの追求を目指すアルバムプロデュースに積極的に関与する姿勢を見せていきます。その最初の集大成が1972年発表の「トーキング・ブック」、冒頭に紹介した「迷信」(superstition)はまさに象徴曲であり新たなスティービーが全世界にブレイクした歴史的名曲でありました。タイトなドラムス、クラビネット(電気鍵盤楽器)とギターで一度聴いたら耳に焼きついて離れない呪術のようなリフレインのイントロ、スティーヴィーが抑えたヴォーカルで唄い出します。さらにはトランペットが響き渡り、絡みつく完璧アレンジのホーン・セクション、絞り出す様なシャウト!RWも初めて スティービー・ワンダーの存在を認識したのがこの曲であり、魔法にでも掛ったかのように心を奪われてしまいました。このアルバムはトータリティ・普遍性の面で飛躍的な進歩を遂げる作品として歴史的な快挙を刻みました。さらに翌年リリースされた「インナーヴィジョン」は超有名なヒット曲はないですが、「ハイアーグランド」(1973)、「汚れた街」(Living for the City)(1974)がともに全米4位のヒットを記録しして スティービーは世界的なビッグネームとしての地位を着実に突き進んで行った時代です。前編の締め曲はボサノバなどでもよくカバーされる「サンシャイン」(1973)、温かみあるラヴソングは「迷信」と並ぶ名盤「トーキング・ブック」からの代表曲で全米1位に輝いています。次回中編はグラミー賞を総ナメにした彼の最高傑作「キーオブライフ」(1976)はロック史に輝く金字塔的な名盤からのレポートとなります。

  by rollingwest | 2002-12-03 00:00 | 洋楽(ロック・POPS) | Comments(0)

ライオネル・リッチー

★(095):コモドアーズ 「アイムイージー」 (1977年) (2014.6.1公開)



c0119160_20275631.jpg「日曜朝の気分はイージー・・、心地よい気楽さの喜びを感じる・・」、誰にも共通した心境を噛み締めるように歌ったコモドアーズの「アイムイージー」(1977)は小生がジュークボックス(今や死語)でよく聴いていた名曲でした。リラックス気分を再現するかのように序盤は美しいピアノイントロから始まり、ゆったりとしたミディアム・テンポで曲は流れ行きます。やがて「I Wanna Be High~!」の絶唱から曲調は一気に盛り上がり、サックスとストリングス演奏・ワイルドなギターソロ、そしてピアノとコーラスが見事融合して叙情的な展開を見せていきます。全米ヒット4位、グラミー賞R&B最優秀歌曲賞にもノミネートされた素晴らしい名曲を聴き、彼らに抱いていた小生のイメージは全く変わってしまいました。それまでコモドアーズと言えば、「マシンガン」(1974)など電信音インストルメンタル曲のシンセサイザー系ダンスミュージックバンド、またはアップテンポな「ブリックハウス」(1977)でのファンキー系ディスコバンドとして活躍していました。しかし上記曲に続き「永遠の人に捧げる歌」(Three Time Lady)(1978)も大ヒットを記録すると、ライオネルリッチーのバラードメーカー才能が大きく開花、「セイルオン」(1979)や「スティル」(1979)など大人のソフトナンバーを連続ヒットさせると、完全にライオネル主導のバラード系バンド(他メンバーは面白くなかったのかも・・)へと転身してしまいました。80年代初頭は久しぶりにノリのいいナンバー「レイディ」(1981)をリリースして往年のコモドアーズが復活かと思ったら、ライオネルリッチーは翌年にグループを脱退してしまいました。彼はソロ活動に専念するとさらに大物ぶりを発揮し、1981年にダイアナロスとのデュエット「エンドレスラブ」の全米1位ヒット、ロス五輪閉会式(1984)での歌唱、「USA for AFRICA」チャリティーコンサートでの「We are the World」(1984)、「セイユー・セイミー」のアカデミー賞映画主題歌賞(1986)と世界的な名声を完全に確立していきました。一方、彼が抜けた後のコモドアーズは低迷状態に陥りましたが、1985年には「ナイトシフト」の大ヒットでグラミー賞R&B部門を受賞して再起に成功したのです。この曲は1984年に亡くなった2人の偉大なる黒人シンガー「マーヴィンゲイ」と「ジャッキーウィルソン」を深く追悼した歌でした。「俺たちはライオネル主導のバラード系バンドではない。R&Bやファンクをベースとした黒人グループなんだ・・」という意地の気持ちが最後のひと花を咲かせたのかもしれません。

  by rollingwest | 2002-12-02 00:00 | 洋楽(ロック・POPS) | Comments(0)

「My Favorite Songs」(第24巻)

【My Favorite Songs】の過去紹介した記事一覧(INDEX)はコチラから
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★(138)ビートルズ  「ロックンロール・ミュージック」 (1965年) (2016.1.9公開)



c0119160_15423355.jpg今年の冒頭記事は「ビートルズ来日50周年」でしたが、洋楽コーナーも「ビートルズ武道館公演11曲」の全て紹介する続編記事でスタートいたします。今や武道館といえばロックコンサート殿堂として世界的にも有名ですが、当時は音楽公演会場になること自体が非常識でありえないとの認識でした。「日本武道の神聖なる場に長髪・不良の喧騒バンドを演奏させるなんて無礼な興行!」と大反対の声がありましたが、その頃日本には観客1万人収容できる音楽会場がなく大混乱が予想されたため、やむなく実施された経緯にあります。ロックアーティスト憧れのLIVE殿堂「武道館」という存在になっているルーツはまさにビートルス日本公演だったのです。来日公演(6/29、7/1-2)は5回実施され、曲の順番も含めて全て同じ内容の11曲、まずはオープニングは乗りがいいビートルズ初期の象徴的な冒頭曲「ロックンロール・ミュージック」、チャック・ベリーのカバー曲は4th盤「ビートルズ '65」(フォー・セール)に収録された名前通りロックンロール・リズムで躍動する魅力的なナンバー(ジョン・レノンがリードヴォーカル)。2曲目はポールが歌う「シーズア・ウーマン」、「アイフィール・ファイン」のB面曲ながらビルボード誌では最高4位を記録しています。続く「恋をするなら」(If I Needed Someone)は名盤「ラバーソウル」からのジョージ・ハリスン初期の代表作。リード・ヴォーカルを取っているものの当時の彼はまだまだ目立たない存在でした。4曲目「デイ・トリッパー」はギター・リフが印象的なロック・ナンバー!「デイ・トリッパー(日帰り旅行客)=ドラッグでトリップする人」という意味も含まれ当時ドラッグに嵌り始めた頃の意味深な命題だね~。次は「ベイビーズ・イン・ブラック」、はビートルズには珍しくワルツ拍子調でゆったりした曲(4th盤「ビートルズ '65」より) 6曲目の「アイ・フィール・ファイン」(1964年)は英国メロディ・メイカー誌で5週連続1位で英国140万枚以上、米国で100万枚以上のセールスを記録。リードボーカルはジョン。ポールとジョージがコーラスで支えます。次は20世紀のスタンダード的な名曲「イエスタデイ」、世界中で知らない人はいないんじゃないかと思う程の有名曲は5th盤「4人はアイドル」(1965年)から生み出されました。ヴォーカルはポール、ビートルズが初めて弦楽四重奏をバックにしたアコースティック・バラード。中学生時代に購入したEPレコードのジャッケトをよく覚えています。8曲目は「アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン」、2nd盤「With The Beatles」の収録曲で、リンゴ・スターがリード・ヴォーカル。ビートルズがローリング・ストーンズに提供した曲としても知られ、ストーンズを人気グループに押し上げる結果となりました。ロック史における伝説的なライバル同士が交流したに歴史的な名曲なのです。次は「ひとりぼっちのあいつ」(ラバー・ソウル収録)は、ジョン・ポール・ジョージ3人のアカペラからのハーモニーで始まる豪華な雰囲気!10曲目は「ペイパーバック・ライター」は、小生が1970年初めて買った初期のビートルズベスト盤「オールディーズ」に収録、この曲はまさにビートルズが来日した1966年6月下旬にビルボードNO1に輝いている歴史的な曲(ビートルズ1からの映像)。来日公演のラスト(11曲目)は「アイム・ダウン」、ビートルズ最大級の人気曲「ヘルプ」のシングルB面でした。ビートルズは日本公演を含むワールドツアーを終了後、超名盤「リボルバー」(12作目・1966年8月)をリリースしましたが、このアルバムからビートルズの音楽姿勢は完全に変化(ライブ主体バンドからスタジオ録音集団へ変貌)したのです。日本公演は国内テレビ史に残るカラー放送・音楽番組としてTV放映(7月1日)され何と視聴率は56.5%を記録したそうです。日本公演はまさに初期ビートルズ4人の最後の生演奏映像だった訳か~!50周年記念で再放送をやってくれないかなあ・・。LASTの締め曲(ボーナストラック)はラバーソウルのオープニング曲「ドライブマイカー」、この曲は日本公演で演奏していないのですが、来日公演を模したお宝物映像(デジタルアニメ)を見つけました!ノリのいいイントロギターで登場、絡むベースと流れる様な伴奏ピアノ、ソウルフルなボーカル、クラクションを真似た「Beep beep'm beep beep yeah~!」という不思議なコーラス!実際は50年前の武道館では演奏しなかったこの名曲をユーチューブはあたかも真実の如く熱狂LIVEを見事に再現してくれています!


⇒デビッドボウイ逝去・・!哀悼。次回は、デビッドボウイが亡くなる2日前にリリースされた遺作「ブラックスター」の全曲をお届けします。




★(137)USAフォー・アフリカ 「ウィアー・ザ・ワールド」  (1985年) (2015.12.22公開)



c0119160_20363251.jpg2015年も押し迫りもうあと僅か・・、今年の洋楽コーナーは50周年(1965ビートルズ・ラバーソウル)40周年(1975クイーン・ボヘミアンラプソディ)と掲載してきたので、次は30周年記念レポートをして2015年に別れを告げたいと思います。1985年、アフリカの飢饉・貧困救済を目的に米国のスーパースター達(USA for Africaと称した)が集結して収録され、同年4月に世界中のラジオ局で一斉同時オンエアされた歴史的なチャリティーソング「ウィアー・ザ・ワールド」は世界記録的な大ヒット(売上げ2000万枚)となり、7500万ドル(当時約70億円)もの募金が集まりました。ハリー・ベラフォンテ構想を基にクインシー・ジョーンズがプロデュースしたチャリティー大イベントに参加したのは当時のビッグネーム45名ですが、ソロリレーを取ったのはさらなる超大物に絞られて21名。そのメンバーはRW洋楽記事で6割程紹介をしてきたので、順番に登場して歌い継ぐアーティスト達を過去紹介リンクを張りつけながら記事を進めて行きます。まずスタートを飾ったのはPJ提唱と呼びかけの功労立役者「ライオネル・リッチー」。1970年代にコモドアーズ活躍していた彼がソロ独立でこれ程までに世界メジャーになるとは思わなかったなア・・。次は誰もが大物重鎮と認める「スティーヴィー・ワンダー」 、3番目は小生の洋楽への誘い人S&Gの「ポール・サイモン」、早く2回目の記事やソロを紹介しようと思いながら数年が経つ・・。4番目はカントリー界からハスキーボイスの髭モテおやじ「ケニー・ロジャース」 、「ジェームス・イングラム」「ティナ・ターナー」へと受け継がれて、7番目は「ビリー・ジョエル」(ニューヨークの想いを歌わせれば3本の指に入るぞ)。そして8番目は・・、ついに出ました~「マイケル・ジャクソン」」!(←今は亡き伝説的な「King of Pops」の記事は少年時代の名曲「ベン」を紹介)。マイケルは敬愛する「ダイアナ・ロス」と美しい声でデュオを取り、その後「ディオンヌ・ワーウィック」「 ウイリー・ネルソン 」「アル・ジャロウ」と続きます。そして13番目に登場するのが大声量でガナりまくる「ブルース・スプリングスティーン」!この方が発する圧倒的な声はひときわ際立ちNo1の存在感があります。(全体的に目立ち過ぎ~!) 14番目は「ケニー・ロギンス」、映画フットルースなどで80年代アーティストのイメージが強いですがRWにとっては70年代のほのぼのしたフォークコンビを組んでいた頃が懐かしい。15番目はジャーニーのボーカリスト「スティーブ・ペリー」(お笑いのピン芸人なだぎ武とソックリ)、あいかわらず素晴らしいハイトーンヴォイスですね~!16番目は「ダリルホール」」の登場!(←この方も80年代になって超垢抜けちまったなあ・・!ブルーアイドソウルと呼ばれた黒っぽいホール&ウォーツが好きなRWのボヤキでした。(苦笑) 再びマイケルが登場し熱唱、そして「ヒューイルイス」「シンディローパー」(この方もマドンナと並ぶ80年代女性アーティストの象徴)、「キム・カーンズ」と歌い継がれ、スーパースター達の「ウィアー・ザ・ワールド~♪、ウィアー・ザ・チルドレン~♪」の大合唱へと入ります。21番目は大御所「ボブディラン」!あいかわらず抑揚のない吟遊調ですが、この方がノーベル文学賞候補になっていることをご存知ですか?「従来歌詞とは異質の『詩』が革新的で、詩が歌と同じ『声の文化』であることを再認識させた」・・との理由らしい。再び「ウィアー・ザ・ワールド~♪、アワ・ワールド~♪」の合唱の中で、クライマックスは「スティーヴィー・ワンダー」と「ブルース・スプリングスティーン」のロングな掛け合い、最後のトリは「ジェームス・イングラム」と大御所「レイ・チャールズ」が締めてフィナーレを迎えます。40代以上の世代は当然誰でも知っている偉大なるチャリティーソングは多分若い人にもかなり浸透しているのではないかと思います。つい最近の様な気もしますが「もう30年も経ったのか~?」・・と時の経過の早さに驚きながらも実に感慨深いものがありますネ~。
さて今年も洋楽コーナーに皆様の含蓄あるコメントを沢山頂戴し誠にありがとうございました。来年も〇周年記事なども含めて多くのアーティストを紹介していきたいと思います。2016年も数々の名曲をお楽しみ下さい。



★(136)クイーン 「ボヘミアン・ラプソディ」 (1975年) (2015.12.7公開)



c0119160_20532920.jpg今年(2015)は「クイーン」の代表的なアルバム「オペラ座の夜」(1975年:彼らの最高名盤)がリリースされて11月23日で丁度40年の節目を迎えました。またフレディマーキュリーの命日は翌11月24日(HIV感染合併症によるカリニ肺炎で45歳の若さで死去)、来年は四半世紀目の命日となるのか・・!(早いもんだなあ・・、俺も年をとるわけだ。) 初期の時代(Ⅰ~Ⅲ)が大好きなRWは、過去の洋楽記事でクイーンを紹介したのは第3巻(027)「輝ける七つの海」のみですが、やはりこの金字塔アルバムを掲載しない訳にはいきません。当名盤における超傑作曲といえば「ボヘミアン・ラプソディ」(冒頭掲載曲)、英国音楽誌の読者投票で20世紀を代表する曲の第1位に選ばれた大傑作です!この曲は3部構成の大作で、序盤はピアノ伴奏と落ち着いたバラードで静かに始まり、中盤では一転して壮大なオペラ世界へ、終盤はハードロックのエキサイティングな展開、最後には再びピアノに導かれて静かに終わりを迎える・・、というドラマティックかつストーリー性に溢れた展開(一曲が全体6分)は本1作品自体がアルバムタイトルの如くまさにオペラ劇場にいるかのような錯覚さえ覚えてしまいます。「ボヘミアン・ラプソディ」は当時シンセを使用しない事で有名だった彼らが200人分以上のコーラスを4人で重ね録りし、また巨額の制作費が投じられたプロモーションビデオ(「クイーン Ⅱ」ジャケットがモチーフ)が大きな話題にもなりました。フレディ・マーキュリーの才能を集結した曲の意味深な歌詞(冒頭から「母さん、たった今僕は人を殺してきたんだよ」というショッキングな内容)には色々な解釈があります。「ボヘミアン」とは「異邦人・移動型民族・放浪者」(かつてはジプシーとも呼ばれた)を意味し、彼の出自(タンザニア生まれのインド系英国人,ゾロアスター教)と同性愛者だったことが創作の動機となったと云われます。英国内ではマイノリティ立場であり、その被差別意識や苦しい思いを跳ね返したいというメッセージがこの名曲に籠められているのかもしれません。リリース40周年を記念し「オペラ座の夜」特集を徹底的にレポートしましょう!オープニング曲は「Death on Two Legs」、衝撃的なイントロから始まり目まぐるしく曲調転換を見せながら息つく暇もなくエンディングへと一気に突っ走るアレンジは実に巧妙!壮大なクイーン・オペラ劇場開演を打ち鳴らす幕開けに相応しい序曲です。「I'm in Love With My Car」はハードロック調で迫るRWのお気に入り曲で、車が趣味のロジャー・テイラー(dm)が作曲、カーレーシングのレトロチックなモノクロPVには目を奪われます。POPなリズムの「マイ・ベストフレンド」は、ジョン・ディーコン(bs)の作曲で彼の初シングルヒットとなりました。RWは当時大学に入学して上京してきたばかり、四畳半下宿のFENラジオから毎日のようにこの曲が流れていたことが実に懐かしい!「'39」は、ブライアン・メイ(gt)が作曲し自身もボーカルをとっているカントリー調のアコースティック・ギターと牧歌的なメロディが実に秀逸です。ミュージカル調のコミカル作風が魅力の小作品「シーサイド・ランデヴー」(昔の海水浴風景を、デキシーランド・ジャズっぽい軽快なリズムで歌いあげた心地良い曲)や「グッド・カンパニー」(ジャズ風の金管・木管楽器・手回し式演奏オルガンをブライアン・メイが全て演奏)を聴くと、クイーンはこのオペラ劇場的なアルバムを、ビートルズの2大名盤(SGTペッパーズ、アビーロード)と対比させたかったのではないでしょうか?これらのホノボノ曲が時たま散りばめられていることも、ビートルズ2大名盤に疑似させているような気がします。初期3部作はひたすら才能をアピールし、先鋭的な作風が剥き出しになっていた傾向がありましたが、このアルバムから遊び心と余裕が生まれ、クイーンの音楽スタイルのターニング・ポイント・分水嶺となった作品です。この名盤でクライマックスシーンを迎えるのは最長曲「預言者の歌」、冒頭と終焉の琴とアコースティックギターのコラボが不思議な世界に誘い、ロックサウンド展開後の絶頂部は絶え間なく響く声明的な幽玄世界は僧侶集団が輪唱しているかの如し!まるでイエスサウンドの世界に引き込まれたかのような錯覚を覚える壮大なる曲です。最後の締めを飾るのは、クイーンファンの間でも人気の高い名曲「ラヴ・オブ・マイ・ライフ」(せつない失恋の心情の歌詞)、メランコリックなピアノとハプシコードに導かれるままフレディ・マーキュリーがしっとりと歌いあげる数あるバラードの中でも3本の指に入る美しさを誇ります。クイーンのメンバー4人は、それぞれのパートでロック界のNo1と言えるほどの実力を持ち合わせたインテリ集団、その傑出した能力が結集してクラシック音楽とロックを融合させた完璧と言えるアルバムは永遠にロック史に刻まれ伝説として受け継がれていくことでしょう。



★(135)ジョーコッカー 「美しすぎて」(You Are So Beautiful) (1975年) (2015.11.21公開)



c0119160_2046661.jpgハスキーなしわがれ声と独特の歌唱で多くのファンを惹きつけた英国出身のロック歌手「ジョー・コッカー」が昨年12月に肺がんで亡くなってから(享年70歳)、ちょうど1年を迎えようとしています。1969年のロックフェス「ウッドストック」での熱唱で、一躍世界的なロックシンガーとなり1980年代では映画「愛と青春の旅立ち」の主題歌などで知られていました。彼の最も美しい名曲「美しすぎて」を聴きながらあらためて来月の一周忌の冥福をご祈念したいと思います。日本人が好むピアノ・バラードの名曲の最後の歌詞「You Are So Beautiful to me」は声がもうかすれ声・・、特に「…to me」の部分は絞り出すような嗚咽にも思えるくらいの熱唱。ビリープレストンのカバー曲は、もはや今ではジョーコッカーの代名詞になる程に強烈な印象を残しました。ジョー・コッカー(1944年生まれ)は学校中退して働きながらプロの歌手を目指す下積み生活が長かったものの、1968年「With A Little Help From My Friends」(ビートルズのカバー曲)をヒットさせてから運が開けてきました。彼の曲には数多くのビートルズ名曲のカバーナンバーがあるので相当大きな影響を受けていたのでしょう。そして彼の音楽人生が一挙にブレイクしたのは1969年の伝説的な野外ロックフェスティバル「ウッドストック」に出演したことが契機でした。「Let's go get stoned」(1969)を引っ提げて劇的に初登場したシーン(ソウルフルで力強い熱唱)はまさにお宝物映像!当時はまだ無名に近い存在でしたが、曲が進むに従って客席の心を鷲づかみにし、圧倒的な歌唱力でステージを支配していき最後は割れんばかりの拍手に包まれるステージを披露したのです。その後、「マッド・ドッグス&イングリッシュメン」というのツアーバンド(レオン・ラッセルが仕掛けた豪華過ぎるメンバー)を組み「ザ・レター」(1970、ふてぶてしいレオンラッセルの姿が印象的)などのヒットを飛ばして活躍し一時代を築きました。RWはリアルタイムに彼の音楽を傾聴する機会はないものの、当時のミュージックライフ誌で凄い大物ロック歌手なんだなあ・・と遠くから恐れ多く意識しているだけでした。しかし中年になって歳を重ね最近になって、ジョーコッカーの魅力・味わいには深いものがあるなあ・・と再発見状態です。1970年代前半は、大麻所持逮捕、長年のアルコール依存症で暫くはヒットも途切れ低迷の時代を迎えてしまいましたが、彼は逆境にもへこたれずに1970年代中盤に音楽活動を再開して冒頭の「美しすぎて」(You Are So Beautiful)の大ヒットを飛ばし復活したのです。この時代には、「I Can Stand a Little Rain 」(1974)や「The Jealous Kind」(1976)の名曲を輩出、しかしその後は酒やドラッグ漬けから脱却しようとする苦労を重ね、ついに1980年映画「愛と青春の旅立ち」」(リチャード・ギア主演)の主題歌(ラスト掲載曲)で第2の頂点を迎えたのです。それ以降も「A Woman Loves A Man」(1987)が全米チャートの上位に入るなど息の長い音楽活動を継続しました。まさに七転び八起きの人生・不屈の魂で泥臭く全身全霊をこめて振り絞るような歌唱する姿、これこそがジョー・コッカーの魅力だったと言えましょう。一周忌を迎えてあらためて彼の代表曲「Up Where We Belong」(ジェニファーウォーンズとのデュエット、映画「愛と青春の旅立ち」の主題歌)を聴きながら天国からの絶唱を聴かせて頂きたいと思います。

  by rollingwest | 2002-12-01 00:00 | 洋楽(ロック・POPS) | Comments(122)

ピンクフロイド 「エコーズ」(1971「おせっかい」) 


★(113)ピンクフロイド 「エコーズ」(PART-1) (1971年) (2015.1.9公開)



c0119160_209518.jpg小生が最も愛する「ピンクフロイド」の最高傑作は1970年初頭に輩出した「原子心母」(第2巻:015)&「おせっかい」(Meddle)の2大アルバム・・・、小生にとっては今も偉大なる金字塔として永遠に輝いている崇敬の名盤です。世間一般的には歴史的NO1アルバムは「狂気」(the dark side of the moon)と評価されていますが、RWにとっては「往年の神秘性が欠ける印象を受けて期待が裏切られた・・泣」と当時はガッカリしてしまいました。それだけ「原子心母」「おせっかい」から受けた衝撃と感動がいかに大きかったのか・・と今あらためて思うのです。上記に紹介した「エコーズ」は名盤「おせっかい」(1971)のラストトラックであり23分30秒という当時では常識外れの長大曲(B面全てが単一曲)でした。ピンクフロイドファンから最も人気の高い本曲の冒頭は「ピィーン!」と響き渡る幻想音、デイヴ・ギルモアとリック・ライトが静かに語り合うようなツインリードでヴォーカルを展開し、唸らせられる素晴らしいギルモアのギタープレイ、ニックメイスンの大迫力のドラム(まるでボンゾの如し)、メンバー4人の持ち味が見事に溶け合った壮大な宇宙観が表現されています。「エコーズ」は、映画「2001年宇宙の旅」のBGMにも採用され、、映画ラスト23分映像とも完全にシンクロしていたのでした。今回紹介した「エコーズ」の映像(PART-1と2に分割)は、ポンペイ遺跡(イタリア)で無人観客でのライブを収録したエイドリアン・メイベン監督の映像ドキュメンタリーで、1973年にNHK番組「ヤングミュージックショー」で放映されたものです。当時は洋楽アーティスト映像を見られることは殆どなかったので、興奮しながら齧りつくようにTVに釘付けとなった高1時代の在りし日の自分が蘇ってきます。「おせっかい」は1971年に発表されピンク・フロイドが一大飛躍を遂げた作品であり、オープニングを飾る迫力のインストゥルメンタル曲は「吹けよ風、呼べよ嵐」!冒頭から風の音が20数秒流れた後に、ロジャー・ウォーターズによる不気味なベースが鳴り響き、リック・ライトのシンセサイザーとがコラボする印象的な楽曲で日本でも大ヒットしました。途中で聴かれる叫び声はニック・メイスンが「いつの日か、お前を細切れにしてやる・・」と悪魔のように唸っています。中盤のアコースティックな小曲群にもかなりの趣があり、「ピロウオブ・ウインズ」「フィアレス」(最後の群集シュプレヒコールはサッカーサポーターが勝利に酔いしれる歓声の如し)はピンク・フロイドのもう一つの顔・・、静謐サウンドの象徴曲とも言えましょう。RWがフロイドのメンバーの中で最も大好きだったのは「エコーズ」でリードヴォーカルを取っている「リック・ライト」(今はリチャード・ライトと呼ぶらしいが・・)でした。地味な存在ながらも初期フロイドにおいてライトのキーボード演奏(メロトロン、シンセサイザー等)は独自世界のサウンド形成に大きな役割を果たしていたからです。他プログレバンドの代表的キーボード奏者(キース・エマーソンやリック・ウェイクマン等)のように超絶的な速弾きや目立ったソロプレイを披露することはありませんが、全体を包み込むような幻想的なサウンドを奏でていたリックライトの姿(童顔で可愛らしい)が実に魅力的なのでした。それでは超大作後半の「エコーズ」(PART-2)を聴いて頂きその真髄を再度堪能してみて下さい。リック・ライトは初期ピンク・フロイドにおいては、シド・バレットと共に音楽的には主導的立場にありましたが、1970年代中盤以降はバンド内での存在感が薄くなっていきます。特にリーダーシップを執っていたロジャー・ウォーターズとの対立で相当にいじめられ、ついには1979年解雇される事態にまで発展しました。そしてピンク・フロイド脱退後は、ドラッグに溺れていき一時は地獄のような日々を送り、2008年に癌のため65歳で死去しています。しかし失意のままで亡くなったのではなく、晩年の彼は再びピンクフロイドに迎えられて幸せな時間を過ごすことができていたのです。1987年、デイヴ・ギルモアとニック・メイスンがピンクフロイドを再始動させ、ライトはアルバム「鬱」のサポート・メンバーとして参加、そして同年に開始したワールドツアーより正式メンバーとして迎えられました。ついに往年のメンバーと縁を取り戻せてよかったですね~、ライトさん!そして今回記事のLASTは、アコースティックバージョン版「エコーズ」を聴いて頂き、締めとしたいと思います。デイヴ・ギルモアが主体となったスタジオセッションで、2005年前後(彼らが還暦前後)の映像ではないかと思われます。大型音響機材は使わず手作り感で演奏しているにも関わらず、往年の壮大曲をほぼ忠実に再現しているのですから本当に驚かされました。そして嬉しいのはキーボードを演奏しているとリック・ライトが笑顔で元気に共演していること・・、仲間たちと楽しそうによき時間を過ごしている感じが伝わってくるではありませんか!癌で人生終焉を迎えたリックライトの脳裏には、ピンクフロイド時代のさまざまな出来事が走馬灯の如くよぎり、かつての同志達といい時間を過ごせた・・と最期は満足感に浸っていたのかもしれません。

  by rollingwest | 2002-11-01 00:26 | 洋楽(ロック・POPS)

ピンクフロイド 「サマー'68」(1970「原子心母」) 

★(015):ピンクフロイド 「サマー68」 (1970年)   (2011.10.26公開)



c0119160_42025.jpg1970年前後にプログレシッブロックをリードし一世風靡した象徴グループ「ピンクフロイド」。サイケデリック世界から音楽性を先進的に発展させ、壮大なる抒情詩、太陽神、宇宙の世界、人間本質等を示したコンセプトアルバムを次々と創り出していきました。現在ロックコピーバンドは多く存在しますが、ピンクフロイドの完全なる真似は不可能・・。それ程に彼ら自身でなければ表現できない独自世界を築き上げたのです。「実験的=抽象・難解」とういうイメージが先行しますが、実は彼らの曲には牧歌的でメロディアスな佳曲が沢山ありました。ピンクフロイドは1973年ロック史に今も燦然と輝く名盤「狂気」で金字塔を極めますが、小生にとって今も崇める名盤は「原子心母」(1970)と「おせっかい」(1971)です。彼らの最大級傑作アルバムの一つ「原子心母」B面には「リック・ライト」(今はリチャードライトと呼ぶらしい)が書き上げた「サマー68」(小生が最も愛する名曲)や「イフ」が眠っています。静かなピアノ弾き語りで始まり、優しく美しいボーカルが印象的な曲。一気に盛り上がるサビ間奏部はホーンセクションのオーケストラが実に感動的です。リック・ライトは、ロジャーウォーターズ、デイブギルモアという強烈な個性を放つ二人を前にしているだけに目立たない鍵盤奏者ではありましたが、フロイドサウンドの骨子・下支えをシッカリと担っていました。だって、あの最高なる大抒情曲「エコーズ」のボーカル主役をやっていたのですから・・。その後、彼はだんだんグループの中から干され、ドラッグに溺れピンクフロイドを脱退・・、そして2008年に65歳で癌で逝去してしましました。あの可愛らしい少年の様な笑顔は年老いても面影を残していました。あらためて哀悼・・。リック・ライトよ、永遠に・・。

  by rollingwest | 2002-11-01 00:25 | 洋楽(ロック・POPS)

デビッドボウイ&ミックジャガー 「ダンス・インザ・ストリート」 


★(162)Dボウイ&Mジャガー 「ダンシング・イン・ザ・ストリート」 (1985年) (2017.1.8公開)



c0119160_19262325.jpgRW洋楽コーナーも今年最初の記事をスタートさせたいと思います。昨年はロック黄金期の巨星達が次々と天に召された衝撃的な年でしたが、その口火を切った訃報が丁度1年前のデビッド・ボウイ死去(2016.1.10)のニュースでした。死の2日前に新作「ブラックスター」(参照記事:第25巻(139)「ラザロス」)をリリースしたばかりだったというのに・・!しかし宇宙から舞い降りて来たデビッドボウイのこと・・、死を予感し地球人へ強いメッセージを残した直後、敢えてこのタイミングでブラックスターへ戻る「当初からの計画的な昇天」だったのでは・・?と思えてなりません。デビッドボウイ(享年69歳)は若くしてこの世を去りましたが・・、かたや74歳を迎えるミックジャガー(ローリングストーンズ)はデビュー以来55年間音楽シーンの最前線を走り続け、今も飛んだり跳ねたり超パワフルな姿を維持し続けています!ビックリするのは昨年何と彼に8番目の子供が生まれたこと・・、普通ならピストルから赤玉(定量打ち止め)が出ている年齢なのに今も元気現役とは恐れ入りました・・(◎m◎)┌★*!そんな対照的な2人が1985年にコラボした「ダンス・イン・ザ・ストリート」を今回冒頭に掲載しましたが、彼らが1980年代に放った数々のヒット曲を紹介しながら「ボウイ1周忌の回顧」&「絶倫ミックの長命激励」のW記事にしたいと思います。

デヴィッド・ボウイの1980年代はアルバム「レッツ・ダンス」(1983)で商業的には最も成功を収めた時期といえるのかもしれません。「チャイナガール」(1983)などダンサブルな曲で音楽スタイルを一変させ、それまでのカルト的イメージを完全抹殺し一挙に主流商業路線に躍り出ることになりました。「モダン・ラヴ」(1983)や「ブルー・ジーン」(1984)などの曲もMTVに多く露出し、若い人はデヴィッド・ボウイはダンシングロック歌手と思いこんでいる人も多いのではないのでしょうか?我々世代は「スペース・オデティ」など70年代名曲を懐かしむファンが主体なので歯がゆい思いで聴いていた方も多いのでは・・?小生も80年代のボウイはアーティスト感覚が殆ど感じられず好きじゃないけど、やはりカメレオンの如く時代変化に合わせて生き抜いてきたその強かさには評価すべきものがあります。

さて80年代のローリングストーンズも同じ様な境遇に晒されていました。ストーンズといえばとにかく永遠に「ロックンロール」一途の印象が強いですが、お洒落な80年代では「もう古臭い消えゆくバンド」に見られていた感があります。しかし彼らも70年代後半~80年代は当時はやりのディスコサウンド風の曲を多く取り入れ、時代に合わせていかなければ生き残れないかもしれない・・と悪戦苦闘し路線修正に悩んでいました。しかし彼らは見事にPOPSシーン最前線へのTOP復活ができたのです!その象徴的な曲は「スタート・ミー・アップ」(1981)!往年のファンからは「流行のダンスサウンドを見境なく取り入れやがって(`ヘ´#)・・・」と強いブーイング もあったようですが、何と米国チャート2位に一挙躍り出てストーンズ自身もビックリ!予想外の成功にまだまだ自分達はやれるんだと自信を深めていきました。「エモーショナル・レスキュー」(1980)のように彼ら独特の雰囲気も維持しながら、その後も「ミックスド・エモーション」(1989)などヒットを放ち続けて90年代から21世紀へ・・、こうなると何をやっても全てロック超大御所と崇められる存在(「21世紀のローリングストーンズ」)となり、長寿・元気さも驚きの目で見られる伝説的なバンドとして鎮座し今に至っています。

「アフリカ難民救済」を目的とした20世紀最大のチャリティー・コンサート「ライヴ・エイド」企画(1985)の一環で、上記に紹介したデビッド・ボウイとミック・ジャガーのコラボ曲「ダンス・イン・ザ・ストリート」が実現しましたが、これは「往年のダサいミュージック・ビデオランキング」の上位に常にランキングされる映像で今見ると80年代のお洒落を気取った野暮ったさ加減が実に笑えます。この2人は当時おホモ達の関係にあったようで、デヴィッド・ボウイの元妻アンジーは二人が裸でベッドに寝ているところを見たとも発言しています。色恋お盛んなミックは傘寿・米寿になっても数々の話題を振りまきながら頑張っている気がします。早世したデビッド・ボウイもミックに対して「あんた、若い時には麻薬三昧でハチャメチャな生活していた割には何でこんなに長寿なの・・?」と大いに呆れ返っているかもしれません・・(笑) 両者とも時代の流れを敏感に感じ取り、往年ファンから一時罵声を浴びながらも苦しい時代を耐えて生き抜いたからこそ、後世に大御所的存在に認められ金字塔歴史を築き上げられたのだと思います。ローリング・ストーンズは昨年末に新譜「ブルー&ロンサム」をリリースし彼らの原点である泥臭いブルースやスワンプロックの道に回帰しています。生きていても亡くなってしまってもロック史に残る巨星達はしぶとく永遠に輝き続けることでしょう!

  by rollingwest | 2002-11-01 00:24 | 洋楽(ロック・POPS)

21世紀のローリングストーンズ 名盤「ビガーバン」特集 

★(083):ローリングストーンズ 「ラフ・ジャスティス」 (2005年) (2014.1.9公開)

    (21世紀のストーンズ名盤「ビガーバン」からのお気に入りチョイス)



c0119160_2254446.jpg結成50年を超えたロック界の至宝「ローリングストーンズ」が今年8年ぶりの来日(2/26~3/6)をします!今回はスペシャルゲストとして往年の主力メンバーのミックテイラーも出演するとのこと。昨年はビーチボーイズ、ポールマッカートニー、今年3月にはボブディランと・・、ロック草創・発展期の超大物がこの2年間で次々と日本の音楽ファンにLIVE演奏を披露してくれるのですからまさに凄いことですね~。ストーンズのお元気ぶりにはいつも目を丸くさせられますが、皆様すでに古希を過ぎておりこれが最後の来日となるのかもしれません。2014年冒頭の洋楽コーナーは「21世紀のローリングストーンズ」と題し、今世紀唯一のスタジオ録音された彼らの名盤「ビガーバン」(2005)からお気に入り名曲をチョイスしてスタートしたいと思います。ちなみに過去掲載した「ストーンズ特集記事」「ブライアンジョーンズ回想記事(第6巻050)」もあわせてレビューしてみて下さい。ローリングストーンズ(1962結成)は60年代末から70年代にかけてブラック&ブルースロックに傾倒し数々の名盤を送り出し黄金期を築きましたが、その後スタジオ録音は80年代が5枚、90年代が2枚と減る傾向に・・。しかし21世紀にリリースされた「ビガーバン」はまさに「70年代のアルバムに並ぶ傑作」と評されています。名盤の冒頭は「ラフ・ジャスティス」(掲載曲)、実にノリがいいギター中心のシンプルな旋律がカッコいい!「デンジャラス・ビューティー」は悠然ゆったりと歌う迫力の貫録曲。そして彼らのお得意のスローバラードは「ビゲスト・ミステイク」(本作の最大名曲とも評される)で披露してくれています。ミックとキースの関係が過去20数年で最も良好な中で制作されたと言われる名盤には「彼女の視線」というミックとキースが2人でサビを歌っている曲もあります。全くヒネリもない単純リフの繰り返し(ビートルズ曲では殆どありえない)なのに、これぞストーンズの真骨頂と称賛されるのですからやはり大したもんです。(笑) アルバム発売の翌年(2006)からは「ビガーバンツアー」(前回の来日も含む)で世界を廻り、その映像は2008年に封切りされた映画「シャイン・ア・ライト」で再現され我々を大いに魅了してくれました。当時古稀も近いミックが鍛えた体で腰をフリフリさせながら飛んだり跳ねたり走り回ったり・・、この映画を観て「何じゃ、コリャ~!」と本当に驚いたものだ・・・。「ビガーバン」は数々の完成度高い曲で構成されており内容充実の名盤だなぁと思います。、軽快なリズムで演奏する「ドライヴィング・トゥー・ファスト」は何となく「ブラウンシュガー」に似ている!スローな語りかけるように始まりゆっくり展開される渋いバラード「ストリーツ・オブ・ラヴ」、そしてハモニカの唸りが渋い濃厚なブルース「バック・オブ・マイ・ハンド」(このスライドギターは何とミックが弾いているそうな・・)、数十年間磨き抜いてきたストーンズサウンドのエッセンスがピカピカと輝いており本アルバムはまさに宝石箱の如し!小遣い制のRWにとっては、超高額なストーンズのLIVEチケットなどはとても手が出ませんが、「ビガーバン」を聴きながら次はどんな名盤を披露してくれるのだろうと心待ちにしております。最後は、キースとミックの才能が交配した名曲「スローで行こう !」で今年最初の洋楽記事を締めくくりたいと思います。「ローリングトーンズの皆様方、これからも喜寿・傘寿になるまで皆元気で思いっ切り転がり続けておくれやす!」(ローリングウエストからの勝手な年初祈願)

  by rollingwest | 2002-11-01 00:23 | 洋楽(ロック・POPS)