カテゴリ:洋楽(ロック・POPS)( 93 )

 

ケニー・ロギンス

★(128)ロギンス&メッシーナ 「川の流れのように」 (1974年) (2015.8.6公開)



c0119160_21505077.jpg「ロギンス&メッシーナ」・・?今時の方にとってはまたも「誰それ~?」との反応が返ってくる気がしますが、我々世代では1970年代の代表的なアコースティックデュオのひとつ、S&G解散後からE・ダン&JFコーリー登場前の空白時期に活躍していた思い出のグループです。実はメンバーの片割れロギンスとは、「フットルース」や「トップガン」(デインジャーゾーン)など数々の映画主題歌をヒットさせ、1985年「ウイアーザワールド」(USAフォーアフリカ)にも参加したあの有名なケニーロギンス( 1980年代を象徴するアーティスト)なのです。RWの初出会いは、深夜ラジオから毎日流れていた大ヒット曲「ママはダンスを踊らない」(1972)でしたが、1980年代以降でケニーロギンス(パワフルでオシャレ・垢抜けたイメージ)を認知した人にとっては「彼がこんな泥臭くおとぼけチックな曲を歌っていたとは・・!」と意外な経歴に驚くかもしれません。この次にヒットした「放課後のロックンロール・パーティー」(My Music)(1973)も同様路線で、前年ヒットしていたポールサイモン「僕とフリオと校庭で」と並ぶお茶目で楽しい学校ネタ曲でした。またRWがよくラジオで聴いていた彼らの代表曲「愛する人」(Thinking Of You)(1972)は軽快で爽やかなほのぼの路線、淡々と歌い上げる「ピースオブマインド」(1971)を聴けばやはり彼らの基本線はフォークPOPデュオと認識できます。それもそのはず相方のジムメッシーナはあの伝説的なフォークロックバンドだったバッファロー・スプリングフィールド(CSN&Yの母体)やポコ(カントリー・ロックの源流バンドの一つ)に参加していたのですから・・。上記に紹介した「川の流れのように」(1974)は三拍子シンプルな曲ながら美しいハーモニーや聞きやすいメロディが印象的、その他にも「ダニーの歌」(1971)など叙情詩的なアコースティック美曲の数々は本当に魅力的です。しかし今回の記事編集で再認識したのは音楽性の幅広さ、ロカビリー・カントリー・ソウル・ジャズ・プログレを交えて自分達のサンウンドに創り上げている点です。4作目マザーロードからの名曲「ビー・フリー」(1974)は弦楽器(バイオリンとバンジョー)がコラボする長大曲(6分59秒)、カントリーロックとプログレが合体した雰囲気で、複雑構成ながらも手作りで叙情性溢れる壮大で独特な世界を表現しています。また「アングリーアイズ」(1972)もジャズロックと融合したような多彩かつ壮大なる構成(エレキギター、サックス、フルートの競演)!初老2人のボーカルはCSN&Yの雰囲気も醸し出しており、実にいい味を出しています。彼らの音楽性のマルチぶり・奥深さは、ホンワカムードを演出するジム・メッシーナの絶妙ギターやカントリーフィドルの浮遊する楽しさ、間奏バイオリンや美しいケニー・ロギンスのコーラスワーク、ジャズやプログレとの融合も目指した演奏全体の濃密度・・、溢れる才能と先進的な姿勢がコンビを組んだ5年間(1972~1975)に静かに花を咲かせました。 最後を飾る名曲は「プー横丁の家」(1971)、クマのプーさんをイメージするほのぼの曲はケニー・ロギンスがプロになる前(高校生時代)に作曲し、ニッティー・グリッティー・ダート・バンドがヒットさせた名曲です。ロギンス&メッシーナは本当に素晴らしき1970年代を静かに控えめに彩ってくれたデュオでした。

  by rollingwest | 2002-12-08 00:00 | 洋楽(ロック・POPS) | Comments(0)

ブルース・スプリングスティーン

★(044):ブルーススプリングスティーン 「明日なき暴走」  (1975年)  (2012.8.26公開)


c0119160_64915100.jpg70年代ロックシーン金字塔の一つ、ブルース・スプリングスティーンの衝撃的な名曲「明日なき暴走(Born To Run)」 (1975)を初めて耳にしたとき、鮮烈な印象を受け鳥肌の立つような興奮を覚えました。この疾走感と緊張感、これぞ「ロック」の真骨頂!グイグイ迫って来る力量あるブルースの激しいボーカル、それを支えるバンド演奏も実に素晴らしい~。クラレンス・クモンズ(レコードジャケットでブルースが寄りかかっている左の人物)の強烈サックスもこの曲に溢れる疾走感を一段と際立たせています。ブルース・スプリングスティーンは70年代中盤~80年代に活躍した米国を象徴するロックミュージシャンです。最も有名な曲「ボーン・インザ・U.S.A.」(1984) のイメージ(ロック版ランボーみたいな星条旗を振り回すマッチョなヒーロー)が強すぎる感がありますが、1973年デビュー当時は「ボブディランの再来」と称されるシンガーソングライターだったのです。ロック一辺倒ではなく、ハーモニカやピアノの演奏も交えた哀愁的なシンガーソングライター的な名曲(「リバー」「サンダーロード」等)も数多く残しています。3rdアルバム「明日なき暴走」で爆発した圧倒的なロックサウンドで彼は一挙に大ブレイク!その後MTVのブームにも乗り歴史的なチャリティ「ウイアーザワールド」(1985)にも参加、世界的なアーティストへと登り詰めていきました。彼のロックへの姿勢は、演奏形態・技巧・楽器奏法は全く関係なく、迸るエネルギーをストレートに表現し叫び続けるもの。「オレ達は走るために生まれてきたのさ」・・(Born To Run)、そんな衝動に駆られる程のパワーが爆発した70年代象徴の名曲でした。

  by rollingwest | 2002-12-07 00:00 | 洋楽(ロック・POPS) | Comments(0)

マイケル・ジャクソン

★(062):マイケルジャクソン 「ベン」  (1972年)  (2013.4.27公開)


c0119160_15555658.jpg「King of Pops」と称せられる「マイケルジャクソン」・・・、今さら詳しい解説は不要とも思いますが、アルバム・シングル・CDの総売上枚数は7億5千万枚で「人類史上最も稼いだエンターテイナー」とも呼ばれたスーパースターでした。2009年、最後の公演と予言した「THIS IS IT」のツアースタートに入る直前(6月25日)に50歳の若さで突然の死を迎え、全世界に強い衝撃と悲しみを与えたのは皆様ご存知の通り・・。しかし、小生にとってのマイケルはやはり少年時代(14才)に切々と歌い上げていた名曲「ベン」(鼠のベンと少年ダニーの交流を描いた映画主題歌)の印象が今も強く残っていますネ~!4人の兄達と結成した「ジャクソン5」のボーカルとしてブレイク、1969年10月発表のメジャーデビュー曲「帰ってほしいの」(I want you back)が全米シングルヒットNO1にいきなり輝きました。その後も天才児ぶりを発揮し、「ABC」「さよならは言わないで」など立て続けに全米1位曲を放ち、この頃からすでにスーパースターとしての地位へ駆け上がっていたのです。 その後、ダイアナ・ロス主演のミュージカル映画「WIZ」(オズの魔法使いをアレンジした黒人少年・自分探しの物語)の映画主題歌でも新境地を切り開き、青年に成長すると歌・ダンスはさらに磨きが掛っていき、あのムーンウォークの超絶美技へと繋がっていくのでした。「ジャクソンズ」時代のディスコ曲「今夜はブギー・ナイト」では、ハタチになった青年マイケルが最高にカッコいいネ~!その後はソロデビュー(1979)、80年代の大活躍は言うまでもありません。名盤「オフ・ザ・ウォール」(Rock With You)が大好きでした!)のリリース時には完全脱皮で大ブレイク、歴史的な大作「スリラー」は単独で1億500万枚販売の世界ギネスを記録しグラミー賞史上最多8部門を獲得したのですからまさに驚異的(絶頂期時代の名曲の数々はいつか気が向いた時に掲載予定)。その後、少年の性的虐待や数々の奇行でも話題となりましたが、50歳の若さで亡くなってしまったことは誠に残念!(彼の伝説化には一挙に拍車がかかりましたが・・)。昨年末に「ジャクソンズ」が再結成され来日(グループを一緒に支えた兄のジャーメインも復帰)し、往年のファン彼の在りし日の姿に思いを馳せたことでしょう。少年時代のマイケルと、死を迎える前の大人のマイケルが声と映像でコラボした「アイルビーゼア」のPVを観ればその感慨は一層に深まるかも・・。

  by rollingwest | 2002-12-07 00:00 | 洋楽(ロック・POPS) | Comments(0)

ビリー・ジョエル

★(096):ビリ―ジョエル 「イタリアンレストランで」 (1977年) (2014.6.13公開)


c0119160_22285151.jpgエルトンジョン、ベンフォールズ、ダニエルパウター等、過去記事でピアノアーティストを何人か紹介してきましたが、大御所「ビリー・ジョエル」を今まで一度も掲載しておらず大変失礼いたしました~!<(_ _)>。 エルトンジョンに次ぐ世界最高峰のピアノマン、1970年代後半から1990年代前半にかけてポップで親しみやすいメロディラインと、大都会に生活する人々を描いたメッセージ性の強い歌詞で次々にヒットを連発した「ビリー・ジョエル」の名曲の数々を3回に分けてようやくレポートいたしまする。初回はデビューから最大名盤「ストレンジャー」までの中心曲、第2回目は「ニューヨーク52番街」「グラスハウス」からのピックアップ、最終回は「イノセントマン」から1980年代終盤までのヒット曲を3部構成でお届けしましょう。小生がビリージョエルに興味を持ち始めたのは1977年、下宿のFEN ラジオから流れてきた「ムーヴィン・アウト」(小生の最大お気に入り曲)に出遭った時からです。サックスとコラボしたエネルギッシュな曲は実に衝撃的!大都会ニューヨークに生きる市民の生活と心情を逞しい躍動感とともに見事に歌い切っておりました。何故こんなにも印象的だったと言えばやはり中間部で発せられる「La・ca ca ca ca・・!」「ma ma ma ma・・!」の奇妙な連呼とバイクエンジン音とのフィナーレが脳裏に鋭く焼き付いていたんでしょうネ~!この曲は米国で大ヒットしたのですが、日本ではB面扱いで冷遇されていたことを後程知り大いに意外でした。日本ではバラード系曲の受けがいいですが、米国ではノリのいいロックンロール系がヒットしていく傾向があったようです。その後日本で大ブレイクしたのは、ご存知今回の主題盤「ストレンジャー」からの1stシングルカット「素顔のままで」(1977)でした。しっとりと歌われたビリーバラードの代表曲は、前妻エリザベスに捧げられたラヴソングでグラミー賞の最優秀曲賞に輝いています。直訳すれば「そのままの君でいてくれ」ですが、邦題「素顔のままで」は実に的確でセンスが感じられる命名だな・・とあらためて思います。そしてアルバム題名にもなっている「ストレンジャー」(1977)、哀愁漂う印象的なセンチメンタルメロディの口笛が静かに始まり、突然衝撃的なイントロが入りアップテンポな曲が展開されていきます。都会の孤独をかっこよく歌った一度で忘れられなくなるような彼の最大代表曲の一つです。懐かしきジェームスディーン出演のユーチューブ「若死にするのは善人だけ」(only the good die young)(1977)では特有のしゃがれ声が激しく高揚する軽快なロックンロールバージョン!全世界で1億枚以上のレコード・セールスを記録し、アメリカでのレコード総売上第6位のアーティストとなったビリージョエルですが、音楽人生のスタートは決して順風満帆という訳ではなかったようです。初期の代表曲「ピアノマン」(1973)は、彼がロスのピアノバーでピアノの弾き語りをしている時の失意の経験を元にして作られた曲だったとのこと。「ニューヨークの想い・NY物語」(1976)も夜景が似合うニューヨークの哀愁曲ではなく、ロスのピアノバー時代のことを歌っているらしいですが、よほど辛い思い出があるらしく彼はあまりそれを語ろうとしません。再び名盤「ストレンジャー」からの佳曲へと記事を戻しましょう・・。今回、メイン掲載した「イタリアンレストランで」 (1977)はシングルカットこそされませんでしたが小生の最大お気に入り曲(初期エルトンジョン的雰囲気も・・)です。名盤「ストレンジャー」の中で最もスケールが大きい優雅な曲としてビリーファンからの人気が高く、また本人自身も好んでステージ゙で取りあげています。冒頭部分は静かにシットリ歌い上げ、突然アップテンポの明るい曲に転調、ビートルズを意識したような壮大に展開していく連続構成曲はストリングスでのクライマックスを迎え、最後は再び美しいハーモニー(ピアノソロ・ボーカル&サックス)を奏でながら余韻を残しながら静かに閉じられていきます。第1回記事のフィナーレ曲は、日本人の琴線に触れる隠れた名曲「シーズ・オールウェイズ・ア・ウーマン」(1977)で締めることにいたしましょう。これも「素顔のままで」と同様に 彼のキャリアを支えた前夫人エリザベスへの愛の賛歌でした。まだまだビリージョエルのヒット曲は多くあり、次はどんな内容で紹介していきましょうか・・。第2回目は数年後になるかと思いますがお楽しみに~!

  by rollingwest | 2002-12-06 00:00 | 洋楽(ロック・POPS) | Comments(0)

ケニー・ロジャース

★(087):ケニー・ロジャース 「ギャンブラー」(1977年) (2014.2.25公開) 


c0119160_11201555.jpg「愛のメッセージ」(1979)などのバラード名曲で今や米国を代表するポップ・カントリーシンガーとして揺ぎない地位を確立している大御所「ケニー・ロジャース」を前編(~70年代)後編(80年代~)に分けて紹介したいと思います。地方から大学入学で上京(1976年)、四畳半下宿での楽しみはFENラジオから絶えず流れてくる最新の米国ヒットチャート曲の数々でした。「全米TOP40」やウルフマンジャック、チャーリーツナ等のコーナーが主な情報源でしたが、カントリー番組もありほのぼのとした米国カントリー音楽にも親しんでいった時代です。当時よく耳にしたのは、しわがれた声でポツポツと歌う髭面のオッサン「ケニー・ロジャース」・・。「ルシール」(一番最後の曲)や「弱虫トミー」(1979)などの地味ながらも味わい深いヒット曲がラジオから沢山流れていました。ケニー・ロジャースは1935年テキサス・ヒューストン生まれ、音楽愛好家の家庭に育ち少年時代から教会合唱団で歌っていたとのこと。1967年ファーストエディティションを結成し1969年には「町へ行かないで」のヒット曲が全米ポップヒットチャートも賑わすようになりました。1976年グループ解散後、ソロに転身してカントリー界入りし「デイタイムフレンズ」(1977)や70年代の名盤「ギャンブラー」(1977年・上記主題曲)によって徐々にブレイクしていった感じです。その後はバラード路線に力を入れ始め「シー・ビリーヴス・インミー」(1978)をきっかけとして耳心地のいいヒット曲を多く放っていきます。80年代にはライオネルリッチー等と交流を深め「レイディ」(後編で紹介)が世界的なプラチナヒットを達成しPOPS面でも大御所的な存在となったのです。1985年は「USA・フォー・アフリカ」(マイケルジャクソン、スティーヴィーワンダー等のスーパースター達たちが集った)の「ウィアー・ザワールド」のレコーディングにも参加、また多くの女性アーティストとデュエット曲を歌っています。(美人好きだネ、このオッサンは・・) 今回前編のLAST曲は、まだカントリー主体で渋さをたっぷり残していた頃の名曲「ルシール」(1977)を紹介して一旦締めくくりといたしましょう。

  by rollingwest | 2002-12-05 00:00 | 洋楽(ロック・POPS) | Comments(0)

サイモン&ガーファンクル 「サウンド・オブ・サイレンス」

★(016):サイモン&ガーファンクル 「サウンドオブサイレンス」 (1965年) (2011.11.5公開)


c0119160_1041947.jpg「サイモン&ガーファンクル」・・、ビートルズやエルトンジョンと並んで、小生に洋楽の素晴らしさを教えてくれた恩人です。小学校時代(1967)に不二家CMで流れていたS&Gの「サウンド・オブ・サイレンス」を聴いて感銘。半音のイントロギターから、透明感あるガーファンクルの美しい声、それに合わせるポールサイモンの低音ハーモニー、静寂をテーマとし暗闇の中から響いてくるような美しいS&Gのアコースティック世界には、詩の中に強いメッセージが秘められていました。洋楽に本格的に興味を持ち始めた13歳の頃、「赤い限定盤:S&Gグレーテストヒッツ」を購入、これこそ小生が生まれて初めて買ったLPレコード。この永遠なる名曲はS&Gとして初めてレコーディングし、1stアルバム「水曜の朝・午前3時」(1964)に収録された作品でデビュー時は全くヒットしませんでしたが、あるプロデサーューがエレクトリックギターを加えたアレンジでリリースしたら翌65年に全米ヒットNo.1に輝いてしまったのです。この大ヒットで事実上活動休止だったS&Gは再結成、映画「卒業」(「ミセス・ロビンソン」に誘惑される主人公ダスティホフマンが娘役キャサリンロスへの純愛を貫く物語)のテーマソングとして大ヒットを記録し」、「スカボロフェア」などの名曲でS&Gを世界的アーティストに押し上げました。その後、「コンドルは飛んでいく」「ボクサー」そして最大名曲「明日に架ける橋」など数々のヒット曲を生み出し、小生も洗練された美しいフォークロック世界に一遍に虜となりました。彼らは5枚だけのアルバムを残し1970年に解散してしまい、その後ソロでそれぞれが独自の道を歩み始めます。しかし1981年にセントラールパークで再結成、翌年来日し往年のファンを喜ばせたのです。2度目の来日(1993年)はカミサンと東京ドームに公演を聴きに行き彼らと初対面(当然電光掲示板越しですが・・)したことがいい思い出です。小生の一生敬愛する懐かしきアーティストとしてS&Gの名曲を数多く紹介していくつもりです。

  by rollingwest | 2002-12-04 00:00 | 洋楽(ロック・POPS)

スティーヴィー・ワンダー

★(127)スティービー・ワンダー 「迷信」(superstition) (1972年) (2015.7.23公開)



c0119160_2294721.jpgスティービー・ワンダーといえば、洋楽を殆ど聴かない方でも一度は耳にしたことがある世界的なビッグアーティスト。その類い稀な作曲センスや歌・演奏の素晴らしいパフォーマンスでグラミー賞を何と合計22回も受賞し今も絶大な人気を誇り続けるPOPS/R&B/SOUL界の巨匠です。しかしRW記事ではまたも未掲載だったことを再認識し新たな3部作をスタートさせたいと思います。前編(少年期の1960年代~1970年代初頭)、中編(金字塔と称される1976名盤「キー・オブ・ライフ」~1970年代後半名曲)、後編(1980年代以降、世界レジェンドとして君臨)といった分類でレポートを進めて行きます。スティービーは1950年ミシガン州で誕生、しかしこの時から彼の苦難の人生がすでに始まっていたのです。保育器内の過量酸素が原因で生まれてすぐ永久に視力を失い盲目者としての生涯がスタートすることに・・。しかしこのハンディを負いながらも、彼は ブラックミュージックの名門モータウンから僅か13歳でデビューを果たし、「フィンガーチップス」(1962)が全米No1に輝きました。その後ミドルティーンでの活躍も目覚ましくマイケル・ジャクソンも凌駕する幼少からの天才ぶりが窺えます。15歳で歌った「アップタイト」(1965)は、ストーンズ「サティスファクション」に影響を受けた雰囲気の曲で大ヒット。そして16才では、少年から大人へ声が移り変わる中でサウンド面で一歩大人な雰囲気になった「太陽のあたる場所」(1966)、彼のガールフレンドを歌ったと言われる「マイシェールアモール」(1969)などの名曲を次々にヒットさせ大活躍を続けていました。しかし1970年初頭に入ると従来のヒットナンバー量産路線から脱却し、社会的テーマの追求を目指すアルバムプロデュースに積極的に関与する姿勢を見せていきます。その最初の集大成が1972年発表の「トーキング・ブック」、冒頭に紹介した「迷信」(superstition)はまさに象徴曲であり新たなスティービーが全世界にブレイクした歴史的名曲でありました。タイトなドラムス、クラビネット(電気鍵盤楽器)とギターで一度聴いたら耳に焼きついて離れない呪術のようなリフレインのイントロ、スティーヴィーが抑えたヴォーカルで唄い出します。さらにはトランペットが響き渡り、絡みつく完璧アレンジのホーン・セクション、絞り出す様なシャウト!RWも初めて スティービー・ワンダーの存在を認識したのがこの曲であり、魔法にでも掛ったかのように心を奪われてしまいました。このアルバムはトータリティ・普遍性の面で飛躍的な進歩を遂げる作品として歴史的な快挙を刻みました。さらに翌年リリースされた「インナーヴィジョン」は超有名なヒット曲はないですが、「ハイアーグランド」(1973)、「汚れた街」(Living for the City)(1974)がともに全米4位のヒットを記録しして スティービーは世界的なビッグネームとしての地位を着実に突き進んで行った時代です。前編の締め曲はボサノバなどでもよくカバーされる「サンシャイン」(1973)、温かみあるラヴソングは「迷信」と並ぶ名盤「トーキング・ブック」からの代表曲で全米1位に輝いています。次回中編はグラミー賞を総ナメにした彼の最高傑作「キーオブライフ」(1976)はロック史に輝く金字塔的な名盤からのレポートとなります。

  by rollingwest | 2002-12-03 00:00 | 洋楽(ロック・POPS) | Comments(0)

ライオネル・リッチー

★(095):コモドアーズ 「アイムイージー」 (1977年) (2014.6.1公開)



c0119160_20275631.jpg「日曜朝の気分はイージー・・、心地よい気楽さの喜びを感じる・・」、誰にも共通した心境を噛み締めるように歌ったコモドアーズの「アイムイージー」(1977)は小生がジュークボックス(今や死語)でよく聴いていた名曲でした。リラックス気分を再現するかのように序盤は美しいピアノイントロから始まり、ゆったりとしたミディアム・テンポで曲は流れ行きます。やがて「I Wanna Be High~!」の絶唱から曲調は一気に盛り上がり、サックスとストリングス演奏・ワイルドなギターソロ、そしてピアノとコーラスが見事融合して叙情的な展開を見せていきます。全米ヒット4位、グラミー賞R&B最優秀歌曲賞にもノミネートされた素晴らしい名曲を聴き、彼らに抱いていた小生のイメージは全く変わってしまいました。それまでコモドアーズと言えば、「マシンガン」(1974)など電信音インストルメンタル曲のシンセサイザー系ダンスミュージックバンド、またはアップテンポな「ブリックハウス」(1977)でのファンキー系ディスコバンドとして活躍していました。しかし上記曲に続き「永遠の人に捧げる歌」(Three Time Lady)(1978)も大ヒットを記録すると、ライオネルリッチーのバラードメーカー才能が大きく開花、「セイルオン」(1979)や「スティル」(1979)など大人のソフトナンバーを連続ヒットさせると、完全にライオネル主導のバラード系バンド(他メンバーは面白くなかったのかも・・)へと転身してしまいました。80年代初頭は久しぶりにノリのいいナンバー「レイディ」(1981)をリリースして往年のコモドアーズが復活かと思ったら、ライオネルリッチーは翌年にグループを脱退してしまいました。彼はソロ活動に専念するとさらに大物ぶりを発揮し、1981年にダイアナロスとのデュエット「エンドレスラブ」の全米1位ヒット、ロス五輪閉会式(1984)での歌唱、「USA for AFRICA」チャリティーコンサートでの「We are the World」(1984)、「セイユー・セイミー」のアカデミー賞映画主題歌賞(1986)と世界的な名声を完全に確立していきました。一方、彼が抜けた後のコモドアーズは低迷状態に陥りましたが、1985年には「ナイトシフト」の大ヒットでグラミー賞R&B部門を受賞して再起に成功したのです。この曲は1984年に亡くなった2人の偉大なる黒人シンガー「マーヴィンゲイ」と「ジャッキーウィルソン」を深く追悼した歌でした。「俺たちはライオネル主導のバラード系バンドではない。R&Bやファンクをベースとした黒人グループなんだ・・」という意地の気持ちが最後のひと花を咲かせたのかもしれません。

  by rollingwest | 2002-12-02 00:00 | 洋楽(ロック・POPS) | Comments(0)

「My Favorite Songs」(第24巻)

【My Favorite Songs】の過去紹介した記事一覧(INDEX)はコチラから
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★(138)ビートルズ  「ロックンロール・ミュージック」 (1965年) (2016.1.9公開)



c0119160_15423355.jpg今年の冒頭記事は「ビートルズ来日50周年」でしたが、洋楽コーナーも「ビートルズ武道館公演11曲」の全て紹介する続編記事でスタートいたします。今や武道館といえばロックコンサート殿堂として世界的にも有名ですが、当時は音楽公演会場になること自体が非常識でありえないとの認識でした。「日本武道の神聖なる場に長髪・不良の喧騒バンドを演奏させるなんて無礼な興行!」と大反対の声がありましたが、その頃日本には観客1万人収容できる音楽会場がなく大混乱が予想されたため、やむなく実施された経緯にあります。ロックアーティスト憧れのLIVE殿堂「武道館」という存在になっているルーツはまさにビートルス日本公演だったのです。来日公演(6/29、7/1-2)は5回実施され、曲の順番も含めて全て同じ内容の11曲、まずはオープニングは乗りがいいビートルズ初期の象徴的な冒頭曲「ロックンロール・ミュージック」、チャック・ベリーのカバー曲は4th盤「ビートルズ '65」(フォー・セール)に収録された名前通りロックンロール・リズムで躍動する魅力的なナンバー(ジョン・レノンがリードヴォーカル)。2曲目はポールが歌う「シーズア・ウーマン」、「アイフィール・ファイン」のB面曲ながらビルボード誌では最高4位を記録しています。続く「恋をするなら」(If I Needed Someone)は名盤「ラバーソウル」からのジョージ・ハリスン初期の代表作。リード・ヴォーカルを取っているものの当時の彼はまだまだ目立たない存在でした。4曲目「デイ・トリッパー」はギター・リフが印象的なロック・ナンバー!「デイ・トリッパー(日帰り旅行客)=ドラッグでトリップする人」という意味も含まれ当時ドラッグに嵌り始めた頃の意味深な命題だね~。次は「ベイビーズ・イン・ブラック」、はビートルズには珍しくワルツ拍子調でゆったりした曲(4th盤「ビートルズ '65」より) 6曲目の「アイ・フィール・ファイン」(1964年)は英国メロディ・メイカー誌で5週連続1位で英国140万枚以上、米国で100万枚以上のセールスを記録。リードボーカルはジョン。ポールとジョージがコーラスで支えます。次は20世紀のスタンダード的な名曲「イエスタデイ」、世界中で知らない人はいないんじゃないかと思う程の有名曲は5th盤「4人はアイドル」(1965年)から生み出されました。ヴォーカルはポール、ビートルズが初めて弦楽四重奏をバックにしたアコースティック・バラード。中学生時代に購入したEPレコードのジャッケトをよく覚えています。8曲目は「アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン」、2nd盤「With The Beatles」の収録曲で、リンゴ・スターがリード・ヴォーカル。ビートルズがローリング・ストーンズに提供した曲としても知られ、ストーンズを人気グループに押し上げる結果となりました。ロック史における伝説的なライバル同士が交流したに歴史的な名曲なのです。次は「ひとりぼっちのあいつ」(ラバー・ソウル収録)は、ジョン・ポール・ジョージ3人のアカペラからのハーモニーで始まる豪華な雰囲気!10曲目は「ペイパーバック・ライター」は、小生が1970年初めて買った初期のビートルズベスト盤「オールディーズ」に収録、この曲はまさにビートルズが来日した1966年6月下旬にビルボードNO1に輝いている歴史的な曲(ビートルズ1からの映像)。来日公演のラスト(11曲目)は「アイム・ダウン」、ビートルズ最大級の人気曲「ヘルプ」のシングルB面でした。ビートルズは日本公演を含むワールドツアーを終了後、超名盤「リボルバー」(12作目・1966年8月)をリリースしましたが、このアルバムからビートルズの音楽姿勢は完全に変化(ライブ主体バンドからスタジオ録音集団へ変貌)したのです。日本公演は国内テレビ史に残るカラー放送・音楽番組としてTV放映(7月1日)され何と視聴率は56.5%を記録したそうです。日本公演はまさに初期ビートルズ4人の最後の生演奏映像だった訳か~!50周年記念で再放送をやってくれないかなあ・・。LASTの締め曲(ボーナストラック)はラバーソウルのオープニング曲「ドライブマイカー」、この曲は日本公演で演奏していないのですが、来日公演を模したお宝物映像(デジタルアニメ)を見つけました!ノリのいいイントロギターで登場、絡むベースと流れる様な伴奏ピアノ、ソウルフルなボーカル、クラクションを真似た「Beep beep'm beep beep yeah~!」という不思議なコーラス!実際は50年前の武道館では演奏しなかったこの名曲をユーチューブはあたかも真実の如く熱狂LIVEを見事に再現してくれています!


⇒デビッドボウイ逝去・・!哀悼。次回は、デビッドボウイが亡くなる2日前にリリースされた遺作「ブラックスター」の全曲をお届けします。




★(137)USAフォー・アフリカ 「ウィアー・ザ・ワールド」  (1985年) (2015.12.22公開)



c0119160_20363251.jpg2015年も押し迫りもうあと僅か・・、今年の洋楽コーナーは50周年(1965ビートルズ・ラバーソウル)40周年(1975クイーン・ボヘミアンラプソディ)と掲載してきたので、次は30周年記念レポートをして2015年に別れを告げたいと思います。1985年、アフリカの飢饉・貧困救済を目的に米国のスーパースター達(USA for Africaと称した)が集結して収録され、同年4月に世界中のラジオ局で一斉同時オンエアされた歴史的なチャリティーソング「ウィアー・ザ・ワールド」は世界記録的な大ヒット(売上げ2000万枚)となり、7500万ドル(当時約70億円)もの募金が集まりました。ハリー・ベラフォンテ構想を基にクインシー・ジョーンズがプロデュースしたチャリティー大イベントに参加したのは当時のビッグネーム45名ですが、ソロリレーを取ったのはさらなる超大物に絞られて21名。そのメンバーはRW洋楽記事で6割程紹介をしてきたので、順番に登場して歌い継ぐアーティスト達を過去紹介リンクを張りつけながら記事を進めて行きます。まずスタートを飾ったのはPJ提唱と呼びかけの功労立役者「ライオネル・リッチー」。1970年代にコモドアーズ活躍していた彼がソロ独立でこれ程までに世界メジャーになるとは思わなかったなア・・。次は誰もが大物重鎮と認める「スティーヴィー・ワンダー」 、3番目は小生の洋楽への誘い人S&Gの「ポール・サイモン」、早く2回目の記事やソロを紹介しようと思いながら数年が経つ・・。4番目はカントリー界からハスキーボイスの髭モテおやじ「ケニー・ロジャース」 、「ジェームス・イングラム」「ティナ・ターナー」へと受け継がれて、7番目は「ビリー・ジョエル」(ニューヨークの想いを歌わせれば3本の指に入るぞ)。そして8番目は・・、ついに出ました~「マイケル・ジャクソン」」!(←今は亡き伝説的な「King of Pops」の記事は少年時代の名曲「ベン」を紹介)。マイケルは敬愛する「ダイアナ・ロス」と美しい声でデュオを取り、その後「ディオンヌ・ワーウィック」「 ウイリー・ネルソン 」「アル・ジャロウ」と続きます。そして13番目に登場するのが大声量でガナりまくる「ブルース・スプリングスティーン」!この方が発する圧倒的な声はひときわ際立ちNo1の存在感があります。(全体的に目立ち過ぎ~!) 14番目は「ケニー・ロギンス」、映画フットルースなどで80年代アーティストのイメージが強いですがRWにとっては70年代のほのぼのしたフォークコンビを組んでいた頃が懐かしい。15番目はジャーニーのボーカリスト「スティーブ・ペリー」(お笑いのピン芸人なだぎ武とソックリ)、あいかわらず素晴らしいハイトーンヴォイスですね~!16番目は「ダリルホール」」の登場!(←この方も80年代になって超垢抜けちまったなあ・・!ブルーアイドソウルと呼ばれた黒っぽいホール&ウォーツが好きなRWのボヤキでした。(苦笑) 再びマイケルが登場し熱唱、そして「ヒューイルイス」「シンディローパー」(この方もマドンナと並ぶ80年代女性アーティストの象徴)、「キム・カーンズ」と歌い継がれ、スーパースター達の「ウィアー・ザ・ワールド~♪、ウィアー・ザ・チルドレン~♪」の大合唱へと入ります。21番目は大御所「ボブディラン」!あいかわらず抑揚のない吟遊調ですが、この方がノーベル文学賞候補になっていることをご存知ですか?「従来歌詞とは異質の『詩』が革新的で、詩が歌と同じ『声の文化』であることを再認識させた」・・との理由らしい。再び「ウィアー・ザ・ワールド~♪、アワ・ワールド~♪」の合唱の中で、クライマックスは「スティーヴィー・ワンダー」と「ブルース・スプリングスティーン」のロングな掛け合い、最後のトリは「ジェームス・イングラム」と大御所「レイ・チャールズ」が締めてフィナーレを迎えます。40代以上の世代は当然誰でも知っている偉大なるチャリティーソングは多分若い人にもかなり浸透しているのではないかと思います。つい最近の様な気もしますが「もう30年も経ったのか~?」・・と時の経過の早さに驚きながらも実に感慨深いものがありますネ~。
さて今年も洋楽コーナーに皆様の含蓄あるコメントを沢山頂戴し誠にありがとうございました。来年も〇周年記事なども含めて多くのアーティストを紹介していきたいと思います。2016年も数々の名曲をお楽しみ下さい。



★(136)クイーン 「ボヘミアン・ラプソディ」 (1975年) (2015.12.7公開)



c0119160_20532920.jpg今年(2015)は「クイーン」の代表的なアルバム「オペラ座の夜」(1975年:彼らの最高名盤)がリリースされて11月23日で丁度40年の節目を迎えました。またフレディマーキュリーの命日は翌11月24日(HIV感染合併症によるカリニ肺炎で45歳の若さで死去)、来年は四半世紀目の命日となるのか・・!(早いもんだなあ・・、俺も年をとるわけだ。) 初期の時代(Ⅰ~Ⅲ)が大好きなRWは、過去の洋楽記事でクイーンを紹介したのは第3巻(027)「輝ける七つの海」のみですが、やはりこの金字塔アルバムを掲載しない訳にはいきません。当名盤における超傑作曲といえば「ボヘミアン・ラプソディ」(冒頭掲載曲)、英国音楽誌の読者投票で20世紀を代表する曲の第1位に選ばれた大傑作です!この曲は3部構成の大作で、序盤はピアノ伴奏と落ち着いたバラードで静かに始まり、中盤では一転して壮大なオペラ世界へ、終盤はハードロックのエキサイティングな展開、最後には再びピアノに導かれて静かに終わりを迎える・・、というドラマティックかつストーリー性に溢れた展開(一曲が全体6分)は本1作品自体がアルバムタイトルの如くまさにオペラ劇場にいるかのような錯覚さえ覚えてしまいます。「ボヘミアン・ラプソディ」は当時シンセを使用しない事で有名だった彼らが200人分以上のコーラスを4人で重ね録りし、また巨額の制作費が投じられたプロモーションビデオ(「クイーン Ⅱ」ジャケットがモチーフ)が大きな話題にもなりました。フレディ・マーキュリーの才能を集結した曲の意味深な歌詞(冒頭から「母さん、たった今僕は人を殺してきたんだよ」というショッキングな内容)には色々な解釈があります。「ボヘミアン」とは「異邦人・移動型民族・放浪者」(かつてはジプシーとも呼ばれた)を意味し、彼の出自(タンザニア生まれのインド系英国人,ゾロアスター教)と同性愛者だったことが創作の動機となったと云われます。英国内ではマイノリティ立場であり、その被差別意識や苦しい思いを跳ね返したいというメッセージがこの名曲に籠められているのかもしれません。リリース40周年を記念し「オペラ座の夜」特集を徹底的にレポートしましょう!オープニング曲は「Death on Two Legs」、衝撃的なイントロから始まり目まぐるしく曲調転換を見せながら息つく暇もなくエンディングへと一気に突っ走るアレンジは実に巧妙!壮大なクイーン・オペラ劇場開演を打ち鳴らす幕開けに相応しい序曲です。「I'm in Love With My Car」はハードロック調で迫るRWのお気に入り曲で、車が趣味のロジャー・テイラー(dm)が作曲、カーレーシングのレトロチックなモノクロPVには目を奪われます。POPなリズムの「マイ・ベストフレンド」は、ジョン・ディーコン(bs)の作曲で彼の初シングルヒットとなりました。RWは当時大学に入学して上京してきたばかり、四畳半下宿のFENラジオから毎日のようにこの曲が流れていたことが実に懐かしい!「'39」は、ブライアン・メイ(gt)が作曲し自身もボーカルをとっているカントリー調のアコースティック・ギターと牧歌的なメロディが実に秀逸です。ミュージカル調のコミカル作風が魅力の小作品「シーサイド・ランデヴー」(昔の海水浴風景を、デキシーランド・ジャズっぽい軽快なリズムで歌いあげた心地良い曲)や「グッド・カンパニー」(ジャズ風の金管・木管楽器・手回し式演奏オルガンをブライアン・メイが全て演奏)を聴くと、クイーンはこのオペラ劇場的なアルバムを、ビートルズの2大名盤(SGTペッパーズ、アビーロード)と対比させたかったのではないでしょうか?これらのホノボノ曲が時たま散りばめられていることも、ビートルズ2大名盤に疑似させているような気がします。初期3部作はひたすら才能をアピールし、先鋭的な作風が剥き出しになっていた傾向がありましたが、このアルバムから遊び心と余裕が生まれ、クイーンの音楽スタイルのターニング・ポイント・分水嶺となった作品です。この名盤でクライマックスシーンを迎えるのは最長曲「預言者の歌」、冒頭と終焉の琴とアコースティックギターのコラボが不思議な世界に誘い、ロックサウンド展開後の絶頂部は絶え間なく響く声明的な幽玄世界は僧侶集団が輪唱しているかの如し!まるでイエスサウンドの世界に引き込まれたかのような錯覚を覚える壮大なる曲です。最後の締めを飾るのは、クイーンファンの間でも人気の高い名曲「ラヴ・オブ・マイ・ライフ」(せつない失恋の心情の歌詞)、メランコリックなピアノとハプシコードに導かれるままフレディ・マーキュリーがしっとりと歌いあげる数あるバラードの中でも3本の指に入る美しさを誇ります。クイーンのメンバー4人は、それぞれのパートでロック界のNo1と言えるほどの実力を持ち合わせたインテリ集団、その傑出した能力が結集してクラシック音楽とロックを融合させた完璧と言えるアルバムは永遠にロック史に刻まれ伝説として受け継がれていくことでしょう。



★(135)ジョーコッカー 「美しすぎて」(You Are So Beautiful) (1975年) (2015.11.21公開)



c0119160_2046661.jpgハスキーなしわがれ声と独特の歌唱で多くのファンを惹きつけた英国出身のロック歌手「ジョー・コッカー」が昨年12月に肺がんで亡くなってから(享年70歳)、ちょうど1年を迎えようとしています。1969年のロックフェス「ウッドストック」での熱唱で、一躍世界的なロックシンガーとなり1980年代では映画「愛と青春の旅立ち」の主題歌などで知られていました。彼の最も美しい名曲「美しすぎて」を聴きながらあらためて来月の一周忌の冥福をご祈念したいと思います。日本人が好むピアノ・バラードの名曲の最後の歌詞「You Are So Beautiful to me」は声がもうかすれ声・・、特に「…to me」の部分は絞り出すような嗚咽にも思えるくらいの熱唱。ビリープレストンのカバー曲は、もはや今ではジョーコッカーの代名詞になる程に強烈な印象を残しました。ジョー・コッカー(1944年生まれ)は学校中退して働きながらプロの歌手を目指す下積み生活が長かったものの、1968年「With A Little Help From My Friends」(ビートルズのカバー曲)をヒットさせてから運が開けてきました。彼の曲には数多くのビートルズ名曲のカバーナンバーがあるので相当大きな影響を受けていたのでしょう。そして彼の音楽人生が一挙にブレイクしたのは1969年の伝説的な野外ロックフェスティバル「ウッドストック」に出演したことが契機でした。「Let's go get stoned」(1969)を引っ提げて劇的に初登場したシーン(ソウルフルで力強い熱唱)はまさにお宝物映像!当時はまだ無名に近い存在でしたが、曲が進むに従って客席の心を鷲づかみにし、圧倒的な歌唱力でステージを支配していき最後は割れんばかりの拍手に包まれるステージを披露したのです。その後、「マッド・ドッグス&イングリッシュメン」というのツアーバンド(レオン・ラッセルが仕掛けた豪華過ぎるメンバー)を組み「ザ・レター」(1970、ふてぶてしいレオンラッセルの姿が印象的)などのヒットを飛ばして活躍し一時代を築きました。RWはリアルタイムに彼の音楽を傾聴する機会はないものの、当時のミュージックライフ誌で凄い大物ロック歌手なんだなあ・・と遠くから恐れ多く意識しているだけでした。しかし中年になって歳を重ね最近になって、ジョーコッカーの魅力・味わいには深いものがあるなあ・・と再発見状態です。1970年代前半は、大麻所持逮捕、長年のアルコール依存症で暫くはヒットも途切れ低迷の時代を迎えてしまいましたが、彼は逆境にもへこたれずに1970年代中盤に音楽活動を再開して冒頭の「美しすぎて」(You Are So Beautiful)の大ヒットを飛ばし復活したのです。この時代には、「I Can Stand a Little Rain 」(1974)や「The Jealous Kind」(1976)の名曲を輩出、しかしその後は酒やドラッグ漬けから脱却しようとする苦労を重ね、ついに1980年映画「愛と青春の旅立ち」」(リチャード・ギア主演)の主題歌(ラスト掲載曲)で第2の頂点を迎えたのです。それ以降も「A Woman Loves A Man」(1987)が全米チャートの上位に入るなど息の長い音楽活動を継続しました。まさに七転び八起きの人生・不屈の魂で泥臭く全身全霊をこめて振り絞るような歌唱する姿、これこそがジョー・コッカーの魅力だったと言えましょう。一周忌を迎えてあらためて彼の代表曲「Up Where We Belong」(ジェニファーウォーンズとのデュエット、映画「愛と青春の旅立ち」の主題歌)を聴きながら天国からの絶唱を聴かせて頂きたいと思います。

  by rollingwest | 2002-12-01 00:00 | 洋楽(ロック・POPS) | Comments(122)

「サージェント・ペパーズ」50周年特集




★(170)ビートルズ 「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」 (1967年) (2017.5.17公開)



c0119160_20150173.jpg2年前からビートルズ中期以降名盤の50周年特集記事をスタートさせました。2015年10月に「ラバーソウル50周年」、 2016年1月は来日50周年特集として「武道館コンサート演奏11曲」、そして2016年6月は「リヴォルバー50周年」の名曲レビューを公開してきましたが、今年5月末はいよいよビートルズの最高傑作と呼ばれる「サージェント・ペパーズ・ロンリーハーツ・クラブバンド50周年」の執筆を迎える時期となりました。さて・・冒頭曲は何をチョイスしようかと迷っていましたが、5月26日発売の「サージェント・ペパー50周年記念エディション」(34曲以上の未発表音源も収録された2枚組)の豪華プロモーションビデオを発見!名盤主要曲のエッセンスが短く効果的に折り込まれており、これを採用することにしました。偉大なるビートルズが50年前に世界を驚嘆させた名盤「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」(1967.6.1発売)、この想像力に富んだコンセプトアルバムが後進の著名バンド達に与えた影響・偉大な功績は本当に計りしれません。ロック史に輝く金字塔が発売50年を迎えて名曲の数々ををあらためてレビューしたいと思います。まず最初は、ビートルズのトリビュートバンド世界NO.1と評価される「ザ・ファブ・フォー」(The Fab Four)が演奏する「サージェント・ペッパーズ・ロンリーハーツ・クラブバンド」~「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・マイフレンズ」の連続曲画像を紹介します。本物のビートルズじゃないのにRWはこのユーチューブに大感動!実際のアルバム冒頭を飾るバンドデビュー曲(ペパーズクラブの観衆にお披露目)が見事に忠実再現されているではないか~!演奏曲もサイケデリック衣装もまさに本物そっくり!2曲目はリンゴのボーカルと3人のコーラスも実にいい感じ!ビートルズ自体がこの時期はライブ活動を封印していたのでまさかこんな映像が見られるとは思いませんでした。本当に素晴らし過ぎるお宝物映像です!次はエルトンジョンも歌った「ルーシー・インザスカイ・ウィズ・ダイアモンズ」、実際のアルバム曲とは微妙にアレンジが違いますがLSD体験曲とも呼ばれる不思議な世界が見事に映像で再現されています。宇宙へ浮遊するトリップ路線曲は後続サイケデリックバンドに影響を与え、やがてピンクフロイドなどのプログレシッブロックバンド発展への道を開いて行きました。続くはポールマッカートニー(先月5度目の来日)がソロで歌いあげる「ゲッティング・ベター」、このお方のお元気さは本当に目を見張るばかり・・!ミックジャガーと一緒に喜寿・傘寿まで頑張っていそうな両巨頭です!続くはRWが本アルバムでの最大美曲と称賛する「シーズ・リヴィング・ホーム」・・、もしシングルカットされていれば「イエスタディ」「エリナーリグビー」に匹敵する名バラードとして評価されていただろうに・・。「ウィズイン・ユー・ウィズアウト・ユー」はインド音楽と融合したジョージハリスンの最大象徴曲(シタールとタブラが織りなす妖しい雰囲気)です。ポールがリードボーカルをとる「ラヴリー・リタ」は女性の交通取締官(メーター・メイド)と引っかけて歌うお茶目曲。RWが洋楽に嵌ったのは1969~1970年(ビートルズ解散の年)であり映画「レットイットビー」が公開された時期でした。我々はビートルズが世界を席巻したリアルタイム熱狂期には数年遅れていますが、彼らの解散でビートルズ最後のブームに直面した世代です。1970年を基点とした前後の数年間に青春時代を迎えリアルタイムで日々ロックの進歩に興奮し体感できた幸せなジェネレーションだと感謝しています。この時代こそ、ロック歴史において最も進化発展した時代だったのです。そしてフィナーレは・・、やはりサージェント・ペパーズの有終の美を飾る壮大なるコンセプト名曲「ア・デイ・インザ・ライフ」で締めるしかありません。ポールとジョンが織りなす壮大なるドラマチックな展開曲、その重層的に織りなされたスケール・高揚感、何度聴いても飽きることはありません!洋楽カラオケでは、アビーロードB面メドレーと並びRWのアドレナリンが出まくる最も興奮する永遠の名曲・・!「サージェント・ペッパーズ・ロンリーハーツ・クラブバンド」・・、これからも生涯聴き続けるであろうロック史の金字塔名曲、50年目にしても全く色褪せていないなあ・・とあらためて感動します。
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  by rollingwest | 2002-11-01 00:34 | 洋楽(ロック・POPS)