カテゴリ:洋楽(ロック・POPS)( 83 )

 

デビッドボウイ  「ラザロス」

★(139)デビッドボウイ  「ラザロス」 (2016年) (2016.1.24公開)



c0119160_8572534.jpg「20世紀で最も影響力あるアーティスト」デヴィッド・ボウイ死去(1月10日・享年69歳)のニュースは、全世界に大衝撃・喪失感を与えています。彼の影響力がいかに大きかったのかその偉大さにあらためて驚くばかり・・。デビッド・ボウイは18ケ月間がんと果敢に闘った後、家族に看取れながら安らかに息を引き取ったとのこと。デヴィッド・ボウイ記事は【第5巻】(043)で一度掲載したきりですが、今年は続編で1980年代曲(レッツダンス等)をレポートする予定だったので、突然の訃報に茫然・・。今回は、彼が全世界ファンに別れを告げるようにリリース(亡くなる2日前)した遺作ブラックスター】の全7曲を紹介します。現在このアルバムは小売店で品切れが続出、すでに初登場全米・全英1位に輝いており、さらに売上を伸ばし歴史的名盤になる可能性も高い!生前の彼が終ぞ成しえなかったNO1快挙を有終の美で飾ることができて本当によかった・・!上記に掲載した「ラザロス」(アルバム収録3曲目)は全体を覆うサックスサウンドが印象的でボウイの歌唱力が光るミディアムテンポな重厚曲。ユーチューブ映像は彼がまさにガンと闘病している最後の自分自身を映し出しているではないか~!この映像は彼がファンへの「別れの挨拶」だったという情報が後日明らかにされました。「ラザロス」とは新約聖書(ヨハネ11章)に登場する人物(死後4日目にイエスによって蘇らされたラザロ)で、今回全米NO1となり世界に蘇ったボウイの姿そのものを予言した暗示的な題名・・!それでは遺作盤の全てを紹介しましょう。冒頭曲はアルバムタイトル名にもなった10分近くの長い曲「★ブラックスター」でスタート。死の暗黒星へと旅立つに際して、人生の裁きを受ける前の恐怖が感じられ沈潜・浮上が繰り返される暗示的な曲。聴く側も耳をそらすことができない彼の深い叫びがひしひし迫ってくるようです。2曲目の「'Tis a Pity She Was a Whore」は激しいビートに吹き込まれる様ななサックス(ピンポイント爆撃の上空映像が連続)と彼のボーカルが随所に登場する不思議な曲、「スー」(Or In a Season of Crime)はジャズロックサウンドと融合した深淵な雰囲気を感じさせるイメージ、死を間際にして人生の懺悔を歌いあげているのか・・? 第5曲目「ガールラヴズミー」はややノスタルジック曲調でボウイのエコーヴォーカルが魅力的!往年の退廃的なムードと中性的なボウイのエロい妖しさが溢れ出ておりオールドファンには喜ばしい限り!艶溢れる声、妖しい色気ある容姿(昔の映像かな?)を見ればとても病床にいたとは思えぬ程、衰えを感じさせない・・!我々世代が夢中になったデビッドボウイは1970年初頭、当時出現したグラムロックの両雄が強烈な印象で音楽シーンを席巻!一世風靡していたマーク・ボラン(Tレックス)が悪魔的エレキサウンド全開のスタイル、そのライバルだったボウイは宇宙人ジギー・スターダストとして地球に舞い降り、中性的かつド派手なコスチューム(歌舞伎チックかも)でハードなロックサウンドを次々披露していました。さて再び遺作紹介へと戻りましょう。第6曲目「ダラーデイズ」はサックスソロが全体を引き締める正統派なボウイサウンド!宇宙的な神秘性もありデビッドボウイの音楽人生がこのユーチューブに全てレビュー総括されている気がしています。RWはこの曲が一番お気に入り、地球の皆様に対する実質的な締めの曲なのかも・・。そしてアルバム最期の曲(生涯を閉じたフィナーレの7曲目)は「I Can't Give Everything Away」、ストレートで深みあるロックはまさにボウイの定番サウンドが展開され1970年代LP時代の雰囲気も漂います。曲題を直訳すれば「私は皆さんに自分の全てを与えられず、ついにあの世へと去る・・」こんな心境を彼はノスタルジーを込めた曲で惜別の挨拶しているのだろうか・・?←いえいえ・・何を仰る、ボウイ様!貴殿は地球・全世界の皆様に十分過ぎる程に素晴しい贈り物を沢山して頂きましたよ・・! 死の病床にありながら往年の美しさを失わずこれだけのアルバムを創り上げたとは・・、まさに驚異の生命力と執念!彼の美学を最期まで突き通した姿に唸らせられます。彼が大ブレイクした1970年はビートルズが解散した年、世界の若者達は新たなスターの出現を待望していました。次々と音楽スタイルを変化させ時代を先取りしていったデビッドボウイ、まさに「20世紀で最も影響力あるアーティスト」の冠名に相応しいのかもしれません。(ビートルズやストーンズは、最も影響を与えたのは当然俺達に決ってるだろ!と自負してるでしょうが・・苦笑) 
往年のロックスター達も年を重ねて鬼籍に入る方が多くなってきましたが寂しい限りです。さようなら・・デビッドボウイ、地球に降りて来た宇宙人、再び天に戻ってもバサラな格好で先鋭的な曲を歌い続けて下さい。あらためてご冥福を祈念したいと思います。

  by rollingwest | 2002-11-01 00:22 | 洋楽(ロック・POPS)

ビートルズ 「リボルバー」発売50周年特集

★(149)ビートルズ 「フォー・ノーワン」 (1966年) (2016.6.23公開)

(名盤「リボルバー」発売50周年・記念特集)


c0119160_19131864.jpg今年夏は「ビートルズ来日・武道館公演50周年」(6月29日~7月3日)を迎え、さらに秋はライヴ映像映画『ザ・ビートルズ EIGHT DAYS A WEEK - The Touring Years』が公開予定。リンゴスターも来日公演もあり今から楽しみですね~。またもビートルズのミニブームが再燃し盛り上ってきそうな気がしています。半世紀前の日本中が大フィーバーした様子は、2016年元旦に公開した「ビートルズ来日・私設資料館訪問」記事で再度振り返って見て下さい。ちょうど50年前・1966年は彼らにとって音楽性や活動内容を大転換させた画期的な年でもありました。日本公演の2ケ月後に彼らは「今後公演活動を一切中止する」と宣言、以後はスタジオミュージシャンとしての音楽活動に徹していきました。遊び心で録音テープを逆回転させ重層的な曲編集、インド音楽を取り入れた幻想的な世界への挑戦、スタジオに籠って新・音楽境地を開いていく活動スタイルはその後ロック界全体に広く深く影響を与えていく契機となったのです。その変化を象徴する歴史的な名盤が【リボルバー】・・、今年8月で発売50周年を迎えるのでこのアルバムから数々の名曲をお届けしたいと思います。冒頭曲「フォーノーワン」はポールが淡々と歌い上げ美しいホルンの響きがコラボする癒しの名曲・・、RWお薦めのお宝ナンバーを今回記事のTOPとして選択いたしました。名盤「リボルバー」の第1曲目はジョージがリードボーカルを取ったアップテンポ曲(英国の税金制度を諷刺)「タックスマン」でした。デビュー以来、一番目立たなかったジョージがアルバム冒頭を飾り3曲がフューチャーしているとは・・、彼が徐々に実力を積み上げ前面に出て来た時期だったのかとあらためて再認識されます。当時のジョージはインド音楽魅力に傾倒しており「ラブ・ユー・トゥ」はその真骨頂、シタール楽器の音色・魔法の打楽器タブラ・シンプルなコード進行などビートルズの他メンバーも独特な世界に触れ大きな衝撃を受けていたのです。次に紹介する曲は、ひょうきんなアニメ演出で遊び心で重層録音編集を楽しんでいる「アイム・オンリー・スリーピング」、気だるさを醸し出す味わい深いさには彼らの余裕が感じられます。実験的・先進性の曲が多い名盤の中には、従来路線の美しいバラード曲も随所に健在!ポールの声で織りなす歴史的な名曲「エリナーリグビー」「ヒア・ゼア・アンド・エヴリウエア」等でバランスを取っており、このアルバムの魅力をより一層際立たせていると思います。ヒアゼアのユーチューブを見ると、ポールが婚約発表(1967年)したものの翌年婚約破棄されてしまったジェーン・アッシャー(4年越しの恋人)と仲良く写っているではないか!ポールの結婚生活は本当に波乱に満ちているなア・・。ジェーンとの破局後は、リンダ・イーストマンと1969年結婚しウイングスで仲良く黄金時代を築きましたが、リンダが乳ガンに侵され1998年に逝去。その後、若いモデルと結婚と離婚を繰り返し、最近では50億円慰謝料など武勇伝を繰り返すポールのお元気さには頭が下がります。さて次は有名曲の一つ「イエローサブマリン」の登場です!リンゴがほのぼの調で歌う日本でも馴染み深い曲は、のちに同名でアニメ映画化されたサウンドトラックでも大ヒット。おとぼけ雰囲気が相変わらずいいですね~!そして最後に紹介する曲は当然「トモロウ・ネバー・ノウズ」、テープ式のループ(繰返し音)が鳴り、ミニマルなドラムやベース・ギター、カモメの声が絡み合う曲はやがてLSDの世界に誘うような宇宙的展開、この曲こそ画期的な名盤「リボルバー」(ジャズ゙・クラシック・インド音楽への接近、LSD麻薬体験での幻想的なエレクトロ技術の曲が続々登場)の象徴的な曲といえましょう。この名盤から、ロック史の最高名盤と称賛される「サージェント・ペッパーズ・ロンリーハーツ・クラブバンド」へと受け継がれていくのです。

(追伸):皆様から多くのコメントを頂戴し誠にありがとうございます。今回、皆様からこの曲は是非掲載してほしかったという強いリクエストが寄せられた2つの名曲「and yourbirds can sing」「got to get you into my life」を追加させて頂きます。このような嬉しい反応を頂くと記事の書き甲斐があるなあと相互の切磋琢磨ができる感謝の気持で一杯でございます。

  by rollingwest | 2002-11-01 00:21 | 洋楽(ロック・POPS)

アースウインド&ファイアー 「宇宙のファンタジー」


★(142)アース・ウィンド&ファイアー 「宇宙のファンタジー」 (1977年) (2016.3.8公開)




c0119160_22362769.jpgまたまた1970年代のトップアーティストの哀悼レポート・・、米国人気バンド「アース・ウィンド&ファイアー」(以下EW&Fと記載)の創設者「モーリス・ホワイト」(パーキンソン病・享年74歳)が2月に亡くなり1ケ月が過ぎました。デビッドボウイ、グレンフライ(イーグルス)に続く3連続訃報は、自分自身が還暦近くなり1970年代巨星達が次々と天に召される時代を迎えたのか・・と複雑な気持ちです。第25巻はボブウエルチも含めて紹介の4記事が全て物故者シリーズとなってしまいましたね・・(涙) 南部テネシー州のジャズ・ドラマーだったモーリス・ホワイトはシカゴで音楽活動に入り「アース・ウィンド&ファイアー」を結成、ファンクとR&Bをポップに融合し黒人・白人の両方から称賛されるバンドとして注目を集めました。やがてAORも取り入れて1970年~80年初頭に世界を席巻(総売上は9000万枚超、グラミー賞6回)、2000年にはロック殿堂入りを果たしています。ヒット曲は「セプテンバー」や「ブギー・ワンダーランド」「アフター・ザ・ラブ・ハズ・ゴーン」など数えきれませんが、やはり日本人に一番知られているのは冒頭の「宇宙のファンタジー」でしょうね~!高校野球開会式曲やドラマ「電車男」等で若者にも十分浸透している感じです。EW&Fは有名曲が多いので前後編に分けて紹介、今回は1973~1977年のややワイルドでファンキーなナンバーを中心にレポートします。フィリップ・ベイリーが加入しツインボーカルとなった1973年「ヘッド・トゥ・ザ・スカイ」がゴールドディスクを獲得し一躍有名になり始めました。当時はまだ落着いた大人のジャジ―な雰囲気が伺えます。1975年に映画主題歌「暗黒への挑戦」が全米アルバムNO1を獲得、「シング・ア・ソング」(1975)や切れ味鋭く攻撃的かつ商業的な曲で全米NO1に輝いた「シャイニングスター」(1975)が大ヒット。RWが初めて彼らを注目し始めたのはこのあたりの曲だったような気がします。大学生で上京した1976年、この頃から世界的に空前のディスコブームが始まり、EW&Fまさに当時の中心的な存在になっていました。ファンキーでジャジ―な即興演奏のディスコサウンドは解りやすくて日本人にも大受けし「サタデイ・ナイト」(1976名盤「魂」/ Spiritより) やアップテンポでワイルドな乗りの「ゲッタウェイ」(1976)を聴きながら新宿ディスコで踊ったことが懐かしい~!上京したてのダサイ大学生は夜の大都会で夢のような出会いが起こるはずと期待したものの結局何の成果も得られず虚しい気持で四畳半下宿に一人帰宅したのでした・・(苦笑) アルバム「魂」はEW&Fの音楽性が最高レベルに凝縮した作品、2週連続全米2位ダブルプラチナを記録しています。そして翌年1977年には名盤「太陽神」がリリースされ「宇宙のファンタジー」が世界的なヒットとなると、彼らの人気はさらに高まり栄光の全盛時代を迎えていきました。モーリスホワイトの誕生星図は占星術によればEarth, Air & Fire(土・空気と火)の3要素があり、それがバンド名の由来ですが、惑星の中心「太陽の神」に対して彼は深い崇敬意識を抱いていたのかも・・。最後は名盤から「ジュピター」(太陽神・1977)で前編を締めくくりましょう。天に召され天空の輝ける☆となったモーリス・ホワイトの冥福をあらためて祈念いたします・・。
(PS)3月は、ジョージマーチン(ビートルズの父親的存在)、キース・エマーソン(EL&P)とその後も訃報が連続・・、1~3月の洋楽大物逝去の連続は5人目となりました。 再び、合掌・・

  by rollingwest | 2002-11-01 00:20 | 洋楽(ロック・POPS)

イーグルス 「テイクイットイージー」 


★(140)イーグルス 「テイクイットイージー」
 (1972年) (2016.2.9公開)



c0119160_15432576.jpg1月上旬から2月初めにかけてロック界の大物スターが次々と鬼籍へ(デビッド・ボウイ、グレン・フライ、モーリス・ホワイト)・・、時の流れとはいえ実に寂しいことです。自分自身がアラ還となり、かつてロック発展期を支えた方々も皆70~80才前後となるので致し方ありませんが、これから毎年訃報が続き哀悼記事を書くことが多くなることでしょう。今回グレン・フライの死を耳にして、わが青春時代に深く愛した「イーグルス」の記事を過去にたった1回(爛熟期名曲「ラストリゾート」:【第1巻】006」)しか掲載していないことに気が付きました。「偉大なるイーグルスの名曲を全て紹介しなければ、バンド創設者のグレン・フレイに申し訳ない・・!」と思い立ち、「イーグルス」の歴史を書いていきたいと思います。今回は黎明期(1972~74)デビュー盤「イーグルス1st」と2nd「ならずもの( Desperado)」、3rd「オンザ・ボーダー」からの一部名曲を特集、これから数編に分けて掲載していきます。(最終編は数年後になるかなあ・・。) 


◎ 【黎明期】(1972~1974)

イーグルスとの出会いは1972年・中3時代、高校受験を迎えて数学が苦手なRWは難問が解けず頭の中は完全に混乱状態、その時に深夜ラジオ番組からカラッとした曲が流れてきて「気楽に行こうぜ~!」と爽やかに心を癒してくれたのです。(結局、難問は解けませんでしたが・・苦笑) この小気味いいカントリー調ナンバーこそイーグルスのデビュー曲、1/18に逝去したグレンフライが歌った「テイクイットイージー」(冒頭曲)でした。ちなみにこの曲はグレン・フライとジャクソン・ブラウンの共作であり、当時の二人は同じアパートに住んでいたという縁があったとのこと。「愛の安らぎ(Peaceful Easy Feeling)」(1972)も、グレンフライが歌う心の穏やかな曲。初期のイーグルスはカントリータッチのコーラスやハーモニーが重視されており、愛着を持って聴ける曲が多いのも特徴でした。イーグルスはウッドストック世代最後のフォーク系バンド(バーズやバッファロー・スプリングフィールド、CSN&Yからの系譜を継承)ですが、ベトナム戦争終盤(米国劣勢)を迎えていた当時のロックやフォークは、政治性や反戦歌はすでに下火となっており「もう説教臭い歌はやめて気楽にやろうぜ・・」と心の癒しを求め始めていた時代でした。イーグルスの原型はウエストコーストムーブメントの女性歌手「リンダ・ロンシュタット」のバック・バンドとして集められたというのは有名なお話ですね。ちなみに「魔女のささやき(Witchy Woman)」(1972)は、リンダのことを歌っているらしい!LAの歌姫・リンダは恋多き女性として有名ですから、当時のイーグルスメンバーも妖しい魔女に変身した彼女から次々に誘惑されたのかも・・!?(下衆の極みRW・・苦笑)。 デビュー当時のメンバーはグレン・フライ(gt)、ドン・ヘンリー(dm)、ランディー・マイズナー(bs)、バーニー・リードン(banjo)から成る4人編成で、曲ごとにリード・ボーカル担当をで変えていました。彼らのサウンドのベースはカントリー・ロックですが、泥臭さを薄めることによって広く一般大衆にも受け入れられるものとなり、「ウエストコースト風」と呼ばれるブームの中心となっていきます。 イーグルス・ファンの中では、2nd「ならず者(Desperado)」(1973)が一番好きだという人も多いのではないでしょうか。この名盤は西部劇を意識したコンセプト・アルバムで、バーニー・リードンの色が強いバンジョー楽曲とロック要素が共存しており音楽的成熟度も格段の向上を見せています。ドンヘンリーが滔々と歌い上げるアルバム冒頭曲「ドゥーリン・ドルトン」(1973)は米国開拓時代に実在した史上に残るアウト・ロー兄弟を歌ったものでハーモニカ・ソロで展開される名曲、この西部劇画像は統一されたコンセプトで作り上げた傑作を象徴しているかのようです。「テキーラ・サンライズ」(1973)も哀愁を帯びた美しいバラードで西部劇を歌いあげる初期イーグルスを象徴する彼らの代表作です。さて次は3rd盤「オンザ・ボーダー」の名曲紹介へと移りましょう。アルバム冒頭曲「過ぎた事(Already Gone)」(1974)はカリフォルジャム野外公演の映像をお届けします。カントリー調の雰囲気を残しながらも小気味よいリズムで明るい70年代のウェストコースト・ロックという感じでいい味を出しています。このアルバムからは、新メンバー・ギタリストのドン・フェルダーが加入、彼らのサウンドはさらにハードでロック的要素や美しいバラードの名曲が増えてきます。3rd盤の最高名曲はやはり「我が至上の愛(BEST OF MYLIFE)」(1974)ですね~!貫禄溢れる演奏と綺麗なコーラスが印象的なバラードは商業的な成功も治めてついにに初の全米No.1曲という栄光を勝ちえました。
次回記事はさらにロック色を強めて行った発展期【1974~1975】、「オンザ・ボーダー」収録の未紹介曲と4rth「呪われた夜」(歴史的名盤の一つ)を中心としたヒット曲の数々をお届けします。その後は「ホテルカリフォルニア」の爛熟期【1976~1978】、そして衰退期【1979~】復活期【21世紀】という記事構成で数年かけて紹介していきますので気長にお付き合い下さい。今回の黎明期【1972~1974】の最後を飾る曲は、やはりRW的には「デスペラード」しかありません。米国開拓時代のならずものに対して愛を込めて歌い上げた雄大なる名曲で今回記事を締めたいと思います。

  by rollingwest | 2002-11-01 00:19 | 洋楽(ロック・POPS)

エマーソンレイク&パーマー 「展欄会の絵」

★(076):エマーソン・レイク&パーマー 「展覧会の絵」   (1971年) (2013.10.17公開)


c0119160_21142433.jpg1970年代初頭にプログレに嵌っていたRWですが、「ピンクフロイド,イエス,キングクリムゾン」を紹介後、プログ四天王の一角「エマーソン・レイク&パーマー」(以下、EL&Pと呼称)を早く掲載せねばと思いつつ・・もう1年数ケ月が過ぎてしまいました。EL&P以外のバンドは解散後も再結成したり20世紀末まで一定の活躍を続けたのに対し、EL&Pは1970年代中盤であっという間に解散してしまい今ではその名前すら知らないという若い人も多いのかも・・。しかし当時はムーグシンセサイザーを一早く導入し、クラシックと融合したプログレッシブロックで最先端を走っていたグループで、ユニークな演奏スタイル(ギタリスト不在のトリオ編成、ロックバンドでは異色)は今なお熱狂的なファンに支持されています。キース・エマーソン(元ナイス)の類稀なシンセサイザーのキーボードテクニックと狂気的なパフォーマンス、ベースを担当するグレッグ・レイク(元キングクリムゾン→EL&P→エイジア)の叙情溢れる低音ボーカル、カール・パーマー(元アトミックルースター→EL&P→エイジア、当時は20歳前後で愛苦しい程の美少年)のパワフルで凄まじいドラムテクニック。当時この3人はすでに他バンドで名声を得ていたこともあり「スーパーグループ」とも呼ばれていました。1970年に結成され、デビューアルバムは名前の通り「エマーソン・レイク&パーマー」(名曲「ナイフエッジ」「ラッキーマン」等を含む)。翌年発表した2nd「タルカス」(映像は初来日1972年7月雨の後楽園球場)では本格的にムーグシンセサイザーを活用し始め、ジャケットの機械怪獣タルカスが全てを破壊するというコンセプトイメージで、爆発的な音塊を3人で表現しておりEL&Pの記念碑的作品と位置づけられました。同年のメロディーメーカー誌人気投票では前年のレッド・ツェッペリンに代わって首位になり「タルカス」もアルバム部門で1位を獲得しています。今日の紹介曲はその後にリリースされた「展覧会の絵」(ムソルグスキー作曲を独自に編成したライブアルバム)、冒頭に有名なクラシックサウンドが鳴り始め、序盤はキースとカールが息を合わせて絡み合うムーグシンセサイザーとドラムの叩き合い、その後壮大な組曲が展開されていき、グレッグレイクが高らかに歌い上げる「キエフの大門」でクライマックスを迎えていきます。当時はレコード針が擦り切れるほど聴いていましたネ~。当初、このライブ演奏は正式リリースする予定がなかったのですが、この未発表音源が海賊盤として出回ってしまったことから急遽市中から回収し、11月になって正規盤「展覧会の絵」を発表したという経緯だったらしい。その後は「トリロジー」(1972年)、最高傑作とも呼ばれる「恐怖の頭脳改革」(1973年)を発表して栄光の頂点を極めました。しかしその後はグループ活動のコンビネーションは次第に調子が落ちていき、人気面でも当時「こわれもの」「危機」の発表で進境著しいイエスに抜かれていきます。キース・エマーソンも音楽的な行き詰まりを感じ始め、メロディー・メーカー誌の人気投票(キーボードプレイヤー部門)ではリック・ウェイクマンに首位を明け渡し、彼らが最もクリエイティブな時期(ピーク)は、デビューから1974年頃までの僅か5年間でした。活動期間が短かったことや名盤の数が少ないことから、プログレ4大バンドの中では評価的に後塵を拝しているような気もしますが、結成時に世界指折りの実力者が集まってできたスーパー・グループであることは間違いありません。キースエマーソンがムーグシンセサイザーにナイフを突き立てたりする狂気じみたパフォーマンスも強烈な印象で脳裏に残っています。今はコンピュータでどんな音も表現できる時代、彼らのような体を張って楽器を操る音楽スタイルはある意味ではアナログなバンドなのかもしれません。最後は「展覧会の絵」からリリースされて大ヒット曲となった「ナットロッカー」(くるみわり人形)で記事を締めたいと思います。

  by rollingwest | 2002-11-01 00:17 | 洋楽(ロック・POPS)

キングクリムゾン 「21世紀の精神異常者」

★(040):キングクリムゾン 「21世紀の精神異常者」  (1969年)  (2012.7.10公開)


c0119160_613397.jpgビートルズ解散前のLAST金字塔「アビーロード」をNO1の座から蹴落とし、ビートルズ時代を終焉させたといわれる2枚のアルバムがあります。「クリムゾンキングの宮殿」&「レッドツェッペリンⅡ」まさにハードロック&プログレの夜明け、1969年の象徴的な主役交代の節目となりました。 無名の新人バンド「キング・クリムゾン」の1stアルバム(鼻の穴を広げた驚愕の顔の絵が描かれた印象的なジャケット)はまさに狂気と混乱に満ちたロック史上最高の衝撃的な登場でした。オープニング曲「21世紀の精神異常者」(21st Century Schizoid Man)は極度に歪んだメタリックギター、複雑な超絶ドラミング、電子音効果で処理されたスクリーミングヴォイス、まさにプログレシッブロックの萌芽期を代表する強烈かつ完璧な作品と言えましょう。この映像は1969年クリムゾンがデビューしたての頃、ローリングストーンズの前座としてロンドンのハイドパークに出演した貴重なる映像です。電子音にかぶされたグレッグレイク(のちにEL&P・エイジアで活躍、この映像は若々しいネ~!)の荒々しいボーカル、イアンマクドナルドの激烈サックス、細かく切れ込み畳掛けるマイケルジャイルズのドラム、クリムゾンの連綿たるリーダーとなったロバートフィリップのハードプレイギター、曲作詞を担ったのはピートシンフィールド。JAZZ・クラシックとの融合を目指した新鋭グループは斬新なチャレンジ精神を前面に押し出しながらも、ベトナム戦争への反骨姿勢・反体制の熱気も十分に感じられます。クリムゾンはその後ロバートフィリップを中心にしてメンバー変遷と音楽性の変化を積み重ねていきますが、やはりこの衝撃的なデビューアルバムはロック史の金字塔として永遠に語り続けられていくことでしょう。そして名盤は「墓標:エピタフ」「ムーンチャイルド」を経て、最後はアルバムとグ゙ループ名を冠した曲「クリムゾンキング゙の宮殿」で壮大な展開と余韻を織りなしながら激しい曲調の中で幕を閉じていきます。

  by rollingwest | 2002-11-01 00:16 | 洋楽(ロック・POPS)

ボブ・ウエルチ 「悲しい女」

★(141)ボブ・ウエルチ 「悲しい女」(Sentimental Lady) (1977年) (2016.2.24公開)



c0119160_21355479.jpg我々世代がイメージする「フリートウッド・マック」は1970年代中期の2大名盤「ファンタスティック・マック」(1975)と「噂」(1977)で世界を大席巻していた頃の姿です。女性ボーカル2名(スティービー・ニックス&クリスティン・マクヴィー)と、リンジー・バッキンガムとの三者三様の美しいボーカルが織りなす美しいメロディや分かり易いPOPなサウンドが実に魅力的で、RWが大学生時代に嵌っていたバンドの筆頭的存在でした。しかし創設期(1967~1970ピーター・グリーン主導時代)は完全にコテコテの泥臭いブルースバンドであり、往年のファン(今は70才前後)からすれば「何でこんな変節をしてしまったんだ・・、裏切られた」と落胆した方が多かったと聞きます。ピーター・グリーンなど初期メンバーが相次ぎ脱退した後に、バンドに加入したボブ・ウエルチは1972~73年にジャズ・ロック的アプローチの楽曲等をフィーチャーしバンドの音楽スタイルを変遷させていきました。ウェルチ在籍時代のフリートウッド・マックは5枚のアルバムを出して商業的にも健闘しており「ヒプノタイズド」(1973神秘の扉)などをヒットチャートに送り込んでいます。フリートウッドマックが世界的にブレイクするのはボブ・ウェルチが1974年にバンドを脱退した後(LバッキンガムとSニックス加入)ですが、彼がバンドの音楽スタイル変化のトリガーを弾いた中継ぎ期の中心人物であったことは間違いありません。新生フリートウッド・マックがPOP路線に完全転換し金字塔名盤「噂」(1977)で全盛を誇った年は、バンド脱退したボブウエルチにとっても同時に最大の栄光時代でした。初のソロアルバム「フレンチ・キッス」(1977)はポップでキャッチーな曲で構成された名盤で、冒頭掲載曲の「悲しい女」(Sentimental Lady)・「エボニー・アイズ」(最終締め曲)「ホット・ラヴ,コールド・ワールド」と連続3曲の大ヒットを飛ばし200万枚も売れる大成功をもたらしたのです。この名盤制作にはフリートウッド・マックのメンバーも共演していたのでお互いに相乗効果もあったのでしょうね。次作「スリー・ハーツ」(1979)も同じ路線の焼直し的なアルバムでしたが、売上げは100万枚を突破し「プレシャス・ラヴ」「チャーチ」もヒット、その後に日本公演を行っています。このアルバムの中ではビートルズ名曲「アイソーハー・スタンディングゼア」をAOR風にアレンジしているのも興味深い・・。しかしその後アルバムセールスは落ち込んでいき、彼の人生は徐々に転落への道を辿っていきました。ヘロイン中毒で入院し麻薬所持で逮捕された後、表立った音楽活動から遠ざかり、そして4年前にはショッキングなニュース(ナッシュビルの自宅で銃自殺)が入ってきたのです。最近は亡くなったアーティストばかりを掲載していますが、人生の評価は「終わりよければ全てよし」(有終の美を飾ってこそ・・)、 全盛期の明るいPOPなイメージの彼には似合わないような不幸な人生の終焉には悲しい気持ちにさせられます。最後の締め曲は彼の大ヒット曲の一つ「エボニーアイズ」(1977)を紹介し前向きな気持ちで哀悼したいと思います。この精悍なサウンドは、大学生時代に一人でテントを担いで九十九里浜(千葉)の長大な砂浜(66km)を1泊2日で単独踏破した時(お馬鹿というしかありませんが学生時代に3回歩きました)、ラジオから流れるボブ・ウエルチの曲に鼓舞されたことがよき思い出です。彼からエネルギーをもらって荒波寄せる延々と続く砂浜を無事に歩き切れたことに感謝・感謝~!

  by rollingwest | 2002-11-01 00:15 | 洋楽(ロック・POPS)

フリートウッドマック 「ドリームス」

★(010):フリートウッドマック 「ドリームス」  (1977年)                 (2011.9.11公開)


c0119160_628826.jpg1970年代中期の洋楽POPヒットチャートを席巻した「フリートウッドマック」の最大ヒット曲「ドリームス」を紹介。1977年リリースの最高傑作「噂」(Rumours)からのシングルカットは全米第1位に輝き、彼等をイーグルスと並ぶ米国ロックの代表存在(アルバムは31週間・米ビルボード1位、1700万枚セールス)に導きました。淡々としたドラムスと堅実に奏でるギターとシンバル、絡むような印象深い女性ボーカル(スティービーニックス)、風格ある名曲でした。POP名曲の数々「ライアノン」「ゴーヨアオウンウェイ」「ソングバード」「ドントストップ」等の名曲は小生の寂しき青春時代を癒してくれました。実は元々彼らは当初は泥臭いブルースバンドでした。1967年、ミック・フリートウッド(リーダー)&ピーターグリーン(ブルースの盟主)により英国で結成され、ローリングストーンズと並ぶ白人ブルースで人気を博していました。その後音楽性の違いから70年にピーターが脱退、相次ぐメンバーチェンジや音楽性の変換でバンドは低迷期を迎えます。しかし1975年に2人の女性ボーカル(スティービーニックス&クリスティーンマクビー)を迎え一挙にPOP路線へと転換。新生メンバー再出発の「ファンタスティック・マック」(1975)は大ヒット、栄光への邁進となりました。泥臭さをこよなく愛するブルースファンの立場からすれば、一挙に軟弱路線へ変節した堕落バンドだったのかも・・。当時そんな背景を知らなかったRWは、洗練のPOPサウンドに魅せられ、夢中でFENラジオから彼らのヒット曲を毎日聴いていたのでした。

  by rollingwest | 2002-11-01 00:14 | 洋楽(ロック・POPS)

デビッドボウイ「ラザロス」


★(139)デビッドボウイ  「ラザロス」 (2016年) (2016.1.24公開)



c0119160_8572534.jpg「20世紀で最も影響力あるアーティスト」デヴィッド・ボウイ死去(1月10日・享年69歳)のニュースは、全世界に大衝撃・喪失感を与えています。彼の影響力がいかに大きかったのかその偉大さにあらためて驚くばかり・・。デビッド・ボウイは18ケ月間がんと果敢に闘った後、家族に看取れながら安らかに息を引き取ったとのこと。デヴィッド・ボウイ記事は【第5巻】(043)で一度掲載したきりですが、今年は続編で1980年代曲(レッツダンス等)をレポートする予定だったので、突然の訃報に茫然・・。今回は、彼が全世界ファンに別れを告げるようにリリース(亡くなる2日前)した遺作ブラックスター】の全7曲を紹介します。現在このアルバムは小売店で品切れが続出、すでに初登場全米・全英1位に輝いており、さらに売上を伸ばし歴史的名盤になる可能性も高い!生前の彼が終ぞ成しえなかったNO1快挙を有終の美で飾ることができて本当によかった・・!上記に掲載した「ラザロス」(アルバム収録3曲目)は全体を覆うサックスサウンドが印象的でボウイの歌唱力が光るミディアムテンポな重厚曲。ユーチューブ映像は彼がまさにガンと闘病している最後の自分自身を映し出しているではないか~!この映像は彼がファンへの「別れの挨拶」だったという情報が後日明らかにされました。「ラザロス」とは新約聖書(ヨハネ11章)に登場する人物(死後4日目にイエスによって蘇らされたラザロ)で、今回全米NO1となり世界に蘇ったボウイの姿そのものを予言した暗示的な題名・・!それでは遺作盤の全てを紹介しましょう。冒頭曲はアルバムタイトル名にもなった10分近くの長い曲「★ブラックスター」でスタート。死の暗黒星へと旅立つに際して、人生の裁きを受ける前の恐怖が感じられ沈潜・浮上が繰り返される暗示的な曲。聴く側も耳をそらすことができない彼の深い叫びがひしひし迫ってくるようです。2曲目の「'Tis a Pity She Was a Whore」は激しいビートに吹き込まれる様ななサックス(ピンポイント爆撃の上空映像が連続)と彼のボーカルが随所に登場する不思議な曲、「スー」(Or In a Season of Crime)はジャズロックサウンドと融合した深淵な雰囲気を感じさせるイメージ、死を間際にして人生の懺悔を歌いあげているのか・・? 第5曲目「ガールラヴズミー」はややノスタルジック曲調でボウイのエコーヴォーカルが魅力的!往年の退廃的なムードと中性的なボウイのエロい妖しさが溢れ出ておりオールドファンには喜ばしい限り!艶溢れる声、妖しい色気ある容姿(昔の映像かな?)を見ればとても病床にいたとは思えぬ程、衰えを感じさせない・・!我々世代が夢中になったデビッドボウイは1970年初頭、当時出現したグラムロックの両雄が強烈な印象で音楽シーンを席巻!一世風靡していたマーク・ボラン(Tレックス)が悪魔的エレキサウンド全開のスタイル、そのライバルだったボウイは宇宙人ジギー・スターダストとして地球に舞い降り、中性的かつド派手なコスチューム(歌舞伎チックかも)でハードなロックサウンドを次々披露していました。さて再び遺作紹介へと戻りましょう。第6曲目「ダラーデイズ」はサックスソロが全体を引き締める正統派なボウイサウンド!宇宙的な神秘性もありデビッドボウイの音楽人生がこのユーチューブに全てレビュー総括されている気がしています。RWはこの曲が一番お気に入り、地球の皆様に対する実質的な締めの曲なのかも・・。そしてアルバム最期の曲(生涯を閉じたフィナーレの7曲目)は「I Can't Give Everything Away」、ストレートで深みあるロックはまさにボウイの定番サウンドが展開され1970年代LP時代の雰囲気も漂います。曲題を直訳すれば「私は皆さんに自分の全てを与えられず、ついにあの世へと去る・・」こんな心境を彼はノスタルジーを込めた曲で惜別の挨拶しているのだろうか・・?←いえいえ・・何を仰る、ボウイ様!貴殿は地球・全世界の皆様に十分過ぎる程に素晴しい贈り物を沢山して頂きましたよ・・! 死の病床にありながら往年の美しさを失わずこれだけのアルバムを創り上げたとは・・、まさに驚異の生命力と執念!彼の美学を最期まで突き通した姿に唸らせられます。彼が大ブレイクした1970年はビートルズが解散した年、世界の若者達は新たなスターの出現を待望していました。次々と音楽スタイルを変化させ時代を先取りしていったデビッドボウイ、まさに「20世紀で最も影響力あるアーティスト」の冠名に相応しいのかもしれません。(ビートルズやストーンズは、最も影響を与えたのは当然俺達に決ってるだろ!と自負してるでしょうが・・苦笑) 
往年のロックスター達も年を重ねて鬼籍に入る方が多くなってきましたが寂しい限りです。さようなら・・デビッドボウイ、地球に降りて来た宇宙人、再び天に戻ってもバサラな格好で先鋭的な曲を歌い続けて下さい。あらためてご冥福を祈念したいと思います。

  by rollingwest | 2002-11-01 00:14 | 洋楽(ロック・POPS)

レオンラッセル 「ソング・フォーユー」

★(146)レオンラッセル 「ソング・フォーユー」 (1972年) (2016.5.9公開)



c0119160_8395591.jpg前回記事で取り上げたカーペンターズ・・、彼らがチョイスしたカバー曲は数多くありますが、カレンが澄み切った声でしっとりと歌いあげた1970年代初頭を代表する名曲「ソング・フォーユー」(1972)は、当時のロックシーンでカリスマ的な存在だった「レオンラッセル」によって生み出されました。全く日本人受けしなかったこの渋~いオジサンを知っているのは1970年前後のコアなロックファンにほぼ限られているのでしょうね~。彼が放ったヒット曲って上記以外に他に何があったのだろうと思い起してみても「タイトロープ」(1972)くらいしか脳裏に浮かびません。耳触りいいヒットチャート曲とは全く無縁(頑固なまでに・・)、独特のダミ声で泥臭さ~く歌うスワンプな姿に馴染む人はかなりコアな少数派だったような気がします。当時プログレ路線やメロディアスなナンバーを嗜好していたRWは全くレコードを買う気にもならず相当の距離感を保っておりましたが、「ハミングバード」(1970)を聴き直してみると泥臭くもスケールある素晴らしい曲ですね~!再発見の感動です!この方は当時最大の話題になっていた「バングラデシュコンサート」(1971年にマディソン・スクエア・ガーデンで開催された史上初のロック主体の大規模チャリティ・コンサート)で相当な存在感を誇っていました。主催者ジョージハリソンとコラボし2人で歌いあげたLIVE名曲「Beware of Darkness」や、エリッククラプトン、ボブディラン、ビリープレストン、リンゴスターら大物達と共演した数々の秀逸なパフォーマンスは食い入るように読んだミュージックライフ誌のレポートで強烈な印象が残っています。レオンラッセルは当時珍しかったミュージシャン同士の交流を促進した触媒的存在(架け橋・媒介者)でロック界に大きな影響力を誇っていたのです。美しいロングヘアーに口髭と顎鬚(イエスキリストの様な風貌)、人の心を射抜くような眼光の鋭さを持っていた仙人のような崇高かつ孤高なる姿はまさにカリスマ、憧れの存在でしたね~。「マジックミラー」(1972)などジャズとブルースが融け合ったようなピアノを滔々と歌い上げるレオンも魅力的、またストーンズのカバー曲「ホンキートンク・ウイメン」ではギターを弾きながら躍動的な一面を見せているのも興味深い!これはジョーコッカーのバックバンド「マッドドッグス&イングリッシュメン」でバンドリーダーを務めていた時の貴重な映像です。 JAZZ界から殴り込んできたジョージベンソンが1976年に世界中に大ヒットした「マスカレード」(グラミー賞の栄誉曲)もレオンラッセルが書き上げた名曲です。何と「ソング・フォーユー」のB面曲だったのですよ。「ソング・フォーユー」は多くのアーティストにカバーされていますが、レオンラッセルのように魂を絞り出すようには歌えないような気がします。聴けば聴くほど心に沁み込んでいつしかその魔力に魅入られるようです。それにしてもレオン様、老ライオン王の如く威厳を見せてますます仙人の極みになった御姿、素晴らしい・・!その美しき白髪の神々しさに御手を合わせたくなるような気持ち、いつまでも御達者で長生きされて下さい。
(PS)最後に、星船様からご推奨頂いた名曲「レディブルー」を追加!落着いた感じで滔々と歌うレオンも大いに魅力です。

  by rollingwest | 2002-11-01 00:13 | 洋楽(ロック・POPS)