カテゴリ:洋楽(ロック・POPS)( 92 )

 

「My Favorite Songs」(第13巻)



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★(090):バッド・カンパニー 「キャントゲットイナフ」 (1974年) (2014.4.2公開)


c0119160_08204608.jpg ブルース色の強いロックで人気を博した英国バンド「フリー」のメンバー2名(ポール・ロジャース&サイモンカーク)がグループ解散後、1974年にミック・ラルフス(元モット・ザ・フープル)、ボズ・バレル(元キング・クリムゾン)と意気投合して4人で結成された「バッド・カンパニー」・・・、ミディアムテンポでわかりやすい骨太ロックで我々を大いに魅了してくれました。元フリーのメンバーが2人いるので渋いブルージーなイメージが浮かびがちですが、やや明るめな「英国産アメリカンロック」という感じで、音の肌触りはかなり違った雰囲気でした。「キャントゲットイナフ」(上記掲載曲)は1st盤の冒頭を飾った先行リリースシングルで全米5位の大ヒットに輝き、アルバムもいきなり全米1位を記録(全世界での販売は1200万枚以上)、衝撃的なデビューを飾りました。この名盤には、オーソドックスすぎる程にシンプルで普遍的なロックの名曲が数々散りばめられており、「ロック・ステディ」「シューティングスター」を聴くと、これこそがロック本来のノリと感性に訴える教科書的な演奏だなあ・・と唸らされます。このバンドの凄いところは、音量で圧倒するとか劇的な曲展開を取り入れるとかいった手法を一切用いずひたすら熱い演奏を聴かせることにあります。現代のバンドが失ってしまったロックスピリッツは「ロックンロールファンタジー」「ラン・ウィズ・ザパック」等の名曲でも如何なく発揮され、1st盤で早くも完成域に達したと言っても過言ではないでしょう。「シーガル」はポール・ロジャースが全楽器を演奏している美しいバラードを歌い上げ、彼のマルチな才能に感服!米国市場をターゲットにした彼らのサウンドは、「フリー」(一番有名な名曲はやはり「オール・ライト・ナウ」)を愛した往年のファン からは失望の声も聞かれたようですが、フリー時代に成し得なかった全米制覇を目指して活動開始したポール・ロジャースにとってはついに夢を果たせた達成感に包まれていたのでは・・。'70年代後半~80年代前半になるとアメリカナイズされすぎたサウンド変化やポール脱退で人気はやや鎮静化したものの、ミック・ラルフスを中心に豪快な音づくりを継続して80年代ハードロックの一端を担いました。最後はRWのお気に入り曲の一つ「レディ・フォー・ラヴ」で最後の締めとしたいと思います。これはミックが結成前に在籍したモット・ザ・フープルの名盤「すべての若き野郎ども」(1972年)収録曲のセルフ・カヴァーですが、ポールのソウルフルなヴォーカルが見事にマッチしており、聴けば聴くほどにスルメイカ的な味が出てきますね~!飾り気という言葉は全く必要ないバドカンのシンプル極まりないロックの真髄がストレートに伝わってきます。





★(089):キャロルキング 「君の友達」(You've Got A Friend)1971年) (2014.3.21公開)


c0119160_08223543.jpg1970年代の洋楽といえばシンガーソングライターブームも大きな潮流の一つでした。その頂点を極めた一世風靡アルバムといえば「キャロルキング」の「つづれ織り」(Tapestry)ですね。この名盤は15週連続も全米アルバムチャートNO1を維持し2200万枚も売り上げた驚異作品であり、当時はビートルズ 「アビー・ロード」 と並び世界で最も売れたアルバムと称された伝説の名盤。1971年度グラミー賞では、ベストのアルバム・シングル各賞、最優秀女性ボーカル賞など主要4部門をキャロルキングが独占するという快挙が成し遂げられたのです。「つづれおり」のタイトル通り、数々の名曲の中には「男と女の複雑な心の機微」がTapestryの如く丹念に織り込まれており、発表からもう40年以上も経ちますが今でもその輝きは全く失われていません。「ウィルユー・ラブミー・トモロー」(1971)は、「明日も、まだ愛してくれるかしら?」という女性から男性への温かくさりげないメッセージが率直に表現されラブソングの最高峰かも・・!ロッド・スチュアートもカバーした「去りゆく恋人」(So far away)(1971)は失恋をテーマにした曲ですが、映画の1シーンを見ているようで何故かこの曲を聴くとホッと落ち着いてしまいます。「つづれ織り」の冒頭を飾った「空が落ちてくる」(I feel the earth move)(1971)は、ソウルフルに歌い上げられ力強い彼女のピアノが響き渡る名曲。キャロルキング(1942年・生粋のニューヨーカー)は小さな頃から音楽才能に恵まれ前夫とコンビを組んで活躍していましたが1970年ソロ・デビューを果たし、ジェームステイラー(「スゥイートベイビー・ジェイムス」が大人気)と一緒にシンガーソングライターブームの先駆者となったのです。1972年グラミー賞でも、キャロルは「イッツ・トウーレイト」(全米NO1曲)で最優秀レコード賞を獲得しています。反戦で熱く燃えた1960年代も終わり、その反動からか人々が「癒し」を求めて価値観も「個人重視」に切り替わった節目時期、その時代背景こそがブームを呼び込んだ大きな理由ではないでしょうか。上記に掲載した「君の友達」(You've Got A Friend)(1971)はジェームステイラーが1971年夏に全米1位獲得した曲ですが、キャロルキングがジェームスに提供した曲のセルフカバー。しかしキャロル版の方がピアノ・バイオリン旋律に彼女の切ない声が融合し、勇気・元気を与えてくれるより一層印象深い癒しの曲に仕上がっているような気がします。ところで・・、キャロルキングとジェイムステイラーの関係って本当はどうだったのでしょうか? お互いの才能を認め尊敬しあえる仲のミュージシャン同士でプラトニックな関係を維持してきたのか、実はカーリーサイモンとの三角関係で男と女の愛憎劇があったのか?・・とRWの脳裏には下世話な妄想も駆け巡りますが、晩年の2人のコラボ映像を見ていると心の底から互いに尊敬し合っているようにも見えます。もしそうであれば、男女間にもこんな素晴らしい友情関係(精神的な繋がり)があるんだ!と感動しちゃいますネエ・・。若い頃は決して美人とは言えない普通っぽい容姿でしたが、21世紀になっての味わいある名曲「ハッピーバースディ」のユーチューブを見ると、結構色香の漂うオバチャマに変身してしっとりと歌い上げておりますね~。キャロルの歌唱力は決して超一流とは言えないものの、反戦熱の醒めた1970年初頭(癒し心を求めた個人重視時代)においては、純朴で目線を合わせてくれるような歌い方が、世界中のファンを魅了し彼女に感情移入(同一化)させていったのではないでしょうか。1971年「つづれ織り」ばかりがクローズされて陰に隠れがちですが、「ミュージック」(1972)や「ファンタジー」(1973) も名盤といわれています。最後の締めは、3rdアルバム「ミュージック」から全米1位を獲得した名作「スウィートシーズン」をお送りして筆を置きたいと思います。




★(088):カンサス 「すべては風の中に」(Dust in the Wind) (1977年) (2014.3.9公開)


c0119160_08240482.jpg1969年から1970年代初頭にかけて英国プログレシッブロック(四天王:キングクリムゾン・ピンクフロイド・イエス・ELP)がロック発展史の中で燦然と華を開かせたことはご存知の通り。それを追いかけるように1970年代後期から、米国でもプログレを意識的に導入しハードでPOPなサウンドで人気を博したバンドが次々に登場しました。彼らは耳心地のいい曲が多く作り、ロック本来の反抗心を忘れて売れ線ばかり狙う「産業ロック」と揶揄されたものの、やはり商業的成功がなければ、歴史に名前を刻むことができないのは厳然たる事実。また80年代はお洒落な音楽潮流でしたから、これにトレンドを合わせていったことは致し方がなかったことかもしれません。「カンサス」は類似バンドの中ではやや地味な印象がありますが、3rd名盤「永遠の序曲」からのシングル「伝承」を初めて聴いた時はまさに衝撃的な感動を覚えたものです。「Carry On My Wayward Son ~!」という冒頭コーラスから始まり、キレのいいギターリフへと繋がる鳥肌の立つような恰好いい曲は、メロディアスなヴォーカルと変拍子を織り交ぜた美しい旋律が膨大なストーリーを感じさせてくれます。「ザ・ウォール」(1976)も同アルバムからリリースされてヒット、翌年には「帰らざる航海」(1977:last掲載曲)を聴いてさらに魅了されRWは一遍にファンとなってしまいました。60年代末~70年代前半の米ロック界は、英国勢イノベーション(次々と新しいアイデアを繰り出し強烈な個性を放ち続けた黄金期)の嵐に全く手も足も出ず押されっぱなしの状況であり、カンサスは「これを克服したい!アメリカにもプログレを根付かせたい!」という反転攻勢の情熱と試行錯誤の中で生まれたバンドです。特に初期アルバムは哲学的で英国プログレに対するこだわる姿勢が強く出ており2nd盤からの名曲「ソング・フォー・アメリカ」(1974)などを聴くと、初期の「ELO」(クラシックとロックの融合路線を目指しバイオリンを多用)にも似ているような気がします。英国のプログレ四天王の中ではイエスや初期キング・クリムゾンを模倣しようとしていたのかな・・。上記に紹介した「すべては風の中に」は(1977)は詞の中に、自我・混沌・流転を諦観するような「無」の東洋哲学思想が散りばめられおり、アルバムジャケットにも英国ケルト的な深みのある印象を感じて本当によかった・・!。80年初頭はまだカンサス独特の凝った曲作りとやや陰鬱な感じが「ホールドオン」(1980)に残されており大好きだったのですが、その後段々と産業ロック路線に染まり始め、フォリナーやTOTOにも近いポップな雰囲気に変化してしまいRWの心境にもすきま風が・・。「fight fire with fire」(1983)なんてまさにフォリナー「ヘッドゲーム」みたいなPOP路線そのものではないですか・・(泣)。最後の曲は、名盤「暗黒からの曳航」からのシングルで彼らの代表曲「帰らざる航海」(1977)を聴いてお別れとしますが、カンサスにはこの曲の様なクラシカルなプログレロック(やや根暗なイメージ)を最後まで貫いてほしかったと思うのは小生だけなのでしょうか・・。「アメリカン・プログレハード」と呼ばれた新ジャンルの四天王はTOTO、ボストン、カンサス、フォリナー、・・とRWは思っていましたが、ジャーニーやスティックスに入れ替えるケースもあるようです。





★(087):ケニー・ロジャース「ギャンブラー」 (1977年) (2014.2.25公開)


c0119160_08244298.jpg今や米国を代表するポップ・カントリーシンガーとして揺ぎない地位を確立している大御所「ケニー・ロジャース」を前編(~70年代)後編(80年代~)に分けて紹介したいと思います。地方から大学入学で上京(1976年)、四畳半下宿での楽しみはFENラジオから絶えず流れてくる最新の米国ヒットチャート曲の数々でした。「全米TOP40」やウルフマンジャック、チャーリーツナ等のコーナーが主な情報源でしたが、カントリー番組もありほのぼのとした米国カントリー音楽にも親しんでいった時代です。当時よく耳にしたのは、しわがれた声でポツポツと歌う髭面のオッサン「ケニー・ロジャース」・・。「ルシール」(一番最後の曲)や「弱虫トミー」(1979)などの地味ながらも味わい深いヒット曲がラジオから沢山流れていました。ケニー・ロジャースは1935年テキサス・ヒューストン生まれ、音楽愛好家の家庭に育ち少年時代から教会合唱団で歌っていたとのこと。1967年ファーストエディティションを結成し1969年には「町へ行かないで」のヒット曲が全米ポップヒットチャートも賑わすようになりました。1976年グループ解散後、ソロに転身してカントリー界入りし「デイタイム・フレンズ」(1977)や70年代の名盤「ギャンブラー」(1977年・上記主題曲)によって徐々にブレイクしていった感じです。その後はバラード路線に力を入れ始め「シー・ビリーヴス・インミー」(1978)や「愛のメッセージ」(1979)など耳心地のいいヒット曲を多く放っていきます。80年代にはライオネルリッチー等と交流を深め「レイディ」(後編で紹介)が世界的なプラチナヒットを達成しPOPS面でも大御所的な存在となったのです。1985年は「USA・フォー・アフリカ」(マイケルジャクソン、スティーヴィーワンダー等のスーパースター達たちが集った)の「ウィアー・ザワールド」のレコーディングにも参加、また多くの女性アーティストとデュエット曲を歌っています。(美人好きだネ、このオッサンは・・) 今回前編のLAST曲は、まだカントリー主体で渋さをたっぷり残していた頃の名曲「ルシール」(1977)を紹介して一旦締めくくりといたしましょう。




★(086):スティーリーダン 「リキの電話番号」 (1974年) (2014.2.13公開)


c0119160_08255774.jpg70年代にジャズ(フュージョン)とロックを合体させ都会的でセンス溢れる大人の音楽(クロス・オーヴァー)で我々を魅了してくれた「スティーリーダン」の名曲を前・後編に分けて紹介したいと思います。 小生が彼らの存在を初めて知ったのは「リーリン・インジ・イヤーズ」(1973)をラジオで耳にした時からです。最初はスティーリーダンというソロ歌手名だとばかり思っていましたが、ドナルド・フェイゲン(Key,Vo)とウォルター・ベッカー(Bass,Vo)を中心とする質の高いミュージシャン達が入れ替わり集まり散じたグループだったのか・・と認識したのは数年後のこと。スティーリーダンの結成は1967年、ニューヨークの大学で上記2人(元々ジャズの大ファン)が意気投合しソングライター活動を始めました。結局歌い手が見つからず自らで演奏活動をしていましたが、プロデューサーのゲーリー・カッツに見染めらてここから彼らの栄光史が本格的にスタートします。G.カッツはレコード会社契約後、ジェフ・バクスター(のちにドゥービーズの主力メンバー)らの有力メンバーを加入させ1972年デビューアルバム「Can't Buy A Thrill」を発表、最初のシングル「ドゥイットアゲイン」(1973)のヒットで一躍その名は全米に知られるようになりました。デビュー曲は何かサンタナを思わせるような怪しいリズムが魅力的ですが、その後は「マイ・オールド・スクール」(1973)や最大ヒットシングル(全米3位)となった「リキの電話番号」(上記曲1974)等の洗練された音楽が知れ渡りスティーリーダンの名声はますます高まることになったのです。しかしこの頃はすでにバンド形態は崩壊寸前、ドナルドフェイゲンとGカッツは一流セッションマンをレコーディングに多数起用し録音とライブ演奏を別物構築するスタイルに変えていったため、志向異なるメンバーはライブをしない活動形態に嫌気がさして次々と離れていきました。その中の一人は後期ドゥービー・ブラザーズを支えたジェフバクスター、彼はファンキーで泥臭かったドゥービーサウンドを一挙にスティーリーダン風(ジャズ系なお洒落な雰囲気)に変えてしまったのです。スティーリーダン存続危機も噂されましたが、ライブ活動から解放された2人はじっくりとスタジオワークに専念し、真の実力を発揮し始めたのは何とこれ以降の時代なのです。「ブラック・フライディ」を冒頭曲とする4thアルバム「うそつきケイティ」(1975年)、さらに「トルコ帽もないのに」(the fez)を収録した5 th「幻想の摩天楼」(Kid Charlemagne)(1976年)・・、一流ミュージシャンを適材適所に配置した名盤を連続リリースしてさらに評価は高まり、彼らの方法論が正しかったことを強力にアピールしました。そして1977年、ついに金字塔アルバムと誉れ高い「彩(エイジャ)」を発表、瞬く間に彼ら初のプラチナ・レコードとなり1年もの間チャートに居座り続けることとなる程の大ヒットを記録したのです。ロック・ミュージックにおける洗練の極みを確立したクオリティの高さから、やがて彼らは「究極のミュージシャンズ・ミュージシャン」と呼ばれるようにもなりました。後編記事は「彩 (エイジャ)」や「ガウチョ」 からの名曲を紹介する予定です。





  by rollingwest | 2002-01-01 00:01 | 洋楽(ロック・POPS)

RW/洋楽コーナー:「My Favorite Songs」(第12巻)

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★(085):CSN&Y  「オハイオ」 (1970年) (2014.2.1公開) 


c0119160_21155268.jpg1960年代後半から70年にかけて、数々のアーティスト達(フォークではボブディラン,ジョーンバエズ,PPM、ロックではジミヘン,ジョンレノン,CCR,シカゴなど)がベトナム戦争を続ける米国政府に対して反抗姿勢を示し、反体制のメッセージを強く発していました。戦争国家へ変化したアメリカへの失望と、自由の国から変節した国家からの束縛に対する抗議と情熱(日本の全共闘世代も含めて世界的な潮流)は当時のロック音楽の源泉と本質であったような気がします。1960年代末から1970年代初頭にかけて活躍した「クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング」(以下CSN&Yと呼称)はアコースティックで美しいコーラスが中心の米国フォークロックバンドですが、上記に掲載した「オハイオ」はロック史に燦然と輝くプロテストソング(政治的抗議曲)の一つです。1970年5月米国オハイオ州立ケント大学構内でベトナム反戦集会に参加した学生4人が州兵に射殺されるという悲劇的な事件が起きてしまいました。これを知ったCSN&Yは米国政府の暴挙に憤慨し、事件後すぐに「オハイオ」をリリースして当時のニクソン大統領を名指しで批判したのです。この曲は即刻放送禁止というハンデを背負ったにもかかわらず、全米14位にチャートイン(彼らの1971ライブ名盤「4 Way Street」にも収録)で民衆の支持を得たのです。ニールヤングの切なる歌声とスティルス&クロスビーによる強烈なギターイントロは、前途ある若者の死に対する悲しみと体制への怒りが満ち溢れています。翌年にグラハムナッシュがソロで歌い上げた「シカゴ」(1971)もプロテストの名曲として有名です。CSN&Yとは、デヴィッド・クロスビー(元バーズ)、グラハム・ナッシュ(元ホリーズ)、スティーヴン・スティルスとニールヤング(元バッファロー・スプリングフィールド)、の構成メンバーで名前・頭文字を単純に並べているだけですが、各メンバーはすでに人気を博していたグループの主役級で当時世間は「スーパーバンドの誕生」と騒ぎ立てました。新たなバンド名を冠せず名前だけを並べた理由は「一緒にやりたい時だけ活動し、やりたくない時には別々に活動する・・」、当時バンド活動の人間関係に嫌気がさしていた彼らが「個人の集まり」という方法論を採ったのでしょう。デビューは1969年6月にCS&N(ニールヤングはまだ不参加)の同名盤でデビューしています。そして伝説的なロックフェスティバル「ウッドストック」に参加して「青い目のジュディ」(1969)を歌いさらに飛躍の舞台に立ちました。翌年にはその心境を再現した「ウッドストック」(1970)という曲も作り上げています。同年にリリースした2作目「デジャブ」はニールヤングも加わりサウンドの厚みが強化され、「ヘルプレス」や、ナッシュのほのぼの曲「僕たちの家」、ライブ名盤「4ウェイストリート」でも演奏された長大曲「キャリーオン」など、名曲満載のロック史に輝く金字塔盤となりました。当時のRW(中学1年生)はロックに目覚めたばかりでプログレやハードロックに夢中になっておりフォーク調CSN&Yには嵌らずじまいでしたが、今じっくり聴いてみると噛めば味わいのスルメの如し・・。実は彼らを知るきっかけは英国映画「小さな恋のメロディ」(1970)のラストを飾ったトロッコで旅立つマークレスターとトレイシーハイドのトロッコシーン背景に流れた「ティーチ・ユア・チルドレン」でした。まさかこんな渋~い反戦オジサン達が純愛映画のBGMを歌っていたとは想像もしませんでしたね~(苦笑)  元々は単なる個人の集まりであったCSN&Y・・、やがてグループは自然消滅し、当然の如く各自ソロ活動に入りました。しかしその後も彼らの紐帯は続いており、ニールヤングは滅多に参加しませんが、残りの3人はソロ活動のあいまを縫って一緒に活動して懐かしいハーモニーを聴かせてくれているようです。皆様元気で長生きしてほしいものですね・・・♪~CSN(^O^)(^O^)(^O^)&Y(^O^)~♪

⇒次回は、1970年代にジャズとロックを合体させた都会的センスあふれる大人の音楽「スティーリーダン」の「リキの電話番号」(1974)送りします。♪\(^◇^)/♪




★(084):セリーヌ・ディオン 「哀しみのハートビート」 (1990年) (2014.1.20公開) 


c0119160_2143599.jpg今回はカナダが生んだ世界的な歌姫「セリーヌ・ディオン」の初期ヒット曲(世界的ブレイク以前)の「哀しみのハートビート」(1990)をお送りします。セリーヌといえば今さらRWの解説など不要かと思いますが、グラミー賞5冠・全世界累計セールス2億2千万枚以上を誇る超大物歌手。何と言っても世界的な大ヒットを記録した歴史的な大作映画「タイタニック」(1997)の主題歌が一番有名ですね。彼女の90年代名曲をじっくり振り返るのもいいかも!と思い(実は自分の頭の中を整理するのが目的ですが・・)、セリーヌの足跡と名曲を年代順に紹介していきたいと思います。今や地球規模の大歌手となった彼女(1968年カナダのケベック州生まれ)ですが、幼少より類まれなる才能を発揮しており、12歳の時に音楽マネージャー「レネ・アンジェリル」と出会ったことが人生最大の転機となりました。アンジェリルは彼女の才能と歌声に惚れ込み、自宅を担保にしてデビューアルバム発売資金を調達したのです。1980年代前半はフランス語圏シンガーとしてケベック州のトップスターとなり、さらに1990年代初頭から英語圏ヒットチャートへ進出、上記曲を送り出し世界スターへの道を歩み出しました。その後ディズニー映画主題歌「美女と野獣」
(1992)ではピーボブライソンと共演し世界的な地位を固め始め、日本でもトレンディドラマの主題歌に「to love you more」(1994)が採用されて人気が一挙に沸騰してミリオンセラーを記録、初来日公演でも葉加瀬太郎(バイオリニスト)と共演してこの曲を披露しています。そして世界の頂点に立った・・!と真に実感したのは、1996年アトランタオリンピック開会式で「パワーオブラブ」を歌い切った時なのではないでしょうか。勢い止まらぬ大活躍の背景にはかの有名な音楽プロデューサー「デヴィッド・フォスター」も大きな貢献をしており、まさにアンジェリルとの鉄壁コンビで数々のヒット曲を世に送り出してきたのです。「あなたが愛してくれたから」(1996)は今やウェディングソングの定番曲、小生が愛するエリックカルメンの名曲「オールバイマイセルフ」も御本家以上の迫力ある歌唱力と声量で堂々と歌い上げています。彼女は19歳の時に26歳も年上の「レネ・アンジェリル」と恋をしていることを母親に打ち明け大反対されたそうです。そりゃそうでしょうね~、2度離婚歴がある45歳の中年オヤジ(しかも3人の子連れ)に未成年の愛娘が奪われると思えば母上殿は本当に気が気じゃなかったことでしょう。しかし2人は愛を貫き通し1994年に晴れて結婚、2人の間にはさらに3人の子宝が恵まれたのでした。セリーヌ最後の曲は、やはり愛を貫いた感動大作「タイタニック」のテーマ「マイハート・ウィル・ゴーオン」(1998年)、で締めるしかありませんね。家族愛に包まれた彼女は、子育てが一段落して再び音楽活動を再開させています。先月(2013年12月)には6年ぶりの新アルバム「Loved Me Back To Life」をリリースし相変わらずの美しい歌声と圧倒的な歌唱力を見せており、今後もさらなる躍進と大活躍を続けていくことでしょう。




★(083):ローリングストーンズ 「ラフ・ジャスティス」 (2005年) (2014.1.9公開)

    (21世紀のストーンズ名盤「ビガーバン」からのお気に入りチョイス)



c0119160_2254446.jpg結成50年を超えたロック界の至宝「ローリングストーンズ」が今年8年ぶりの来日(2/26~3/6)をします!今回はスペシャルゲストとして往年の主力メンバーのミックテイラーも出演するとのこと。昨年はビーチボーイズ、ポールマッカートニー、今年3月にはボブディランと・・、ロック草創・発展期の超大物がこの2年間で次々と日本の音楽ファンにLIVE演奏を披露してくれるのですからまさに凄いことですね~。ストーンズのお元気ぶりにはいつも目を丸くさせられますが、皆様すでに古希を過ぎておりこれが最後の来日となるのかもしれません。2014年冒頭の洋楽コーナーは「21世紀のローリングストーンズ」と題し、今世紀唯一のスタジオ録音された彼らの名盤「ビガーバン」(2005)からお気に入り名曲をチョイスしてスタートしたいと思います。ちなみに過去掲載した「ストーンズ特集記事」「ブライアンジョーンズ回想記事(第6巻050)」もあわせてレビューしてみて下さい。ローリングストーンズ(1962結成)は60年代末から70年代にかけてブラック&ブルースロックに傾倒し数々の名盤を送り出し黄金期を築きましたが、その後スタジオ録音は80年代が5枚、90年代が2枚と減る傾向に・・。しかし21世紀にリリースされた「ビガーバン」はまさに「70年代のアルバムに並ぶ傑作」と評されています。名盤の冒頭は「ラフ・ジャスティス」(掲載曲)、実にノリがいいギター中心のシンプルな旋律がカッコいい!「デンジャラス・ビューティー」は悠然ゆったりと歌う迫力の貫録曲。そして彼らのお得意のスローバラードは「ビゲスト・ミステイク」(本作の最大名曲とも評される)で披露してくれています。ミックとキースの関係が過去20数年で最も良好な中で制作されたと言われる名盤には「彼女の視線」というミックとキースが2人でサビを歌っている曲もあります。全くヒネリもない単純リフの繰り返し(ビートルズ曲では殆どありえない)なのに、これぞストーンズの真骨頂と称賛されるのですからやはり大したもんです。(笑) アルバム発売の翌年(2006)からは「ビガーバンツアー」(前回の来日も含む)で世界を廻り、その映像は2008年に封切りされた映画「シャイン・ア・ライト」で再現され我々を大いに魅了してくれました。当時古稀も近いミックが鍛えた体で腰をフリフリさせながら飛んだり跳ねたり走り回ったり・・、この映画を観て「何じゃ、コリャ~!」と本当に驚いたものだ・・・。「ビガーバン」は数々の完成度高い曲で構成されており内容充実の名盤だなぁと思います。、軽快なリズムで演奏する「ドライヴィング・トゥー・ファスト」は何となく「ブラウンシュガー」に似ている!スローな語りかけるように始まりゆっくり展開される渋いバラード「ストリーツ・オブ・ラヴ」、そしてハモニカの唸りが渋い濃厚なブルース「バック・オブ・マイ・ハンド」(このスライドギターは何とミックが弾いているそうな・・)、数十年間磨き抜いてきたストーンズサウンドのエッセンスがピカピカと輝いており本アルバムはまさに宝石箱の如し!小遣い制のRWにとっては、超高額なストーンズのLIVEチケットなどはとても手が出ませんが、「ビガーバン」を聴きながら次はどんな名盤を披露してくれるのだろうと心待ちにしております。最後は、キースとミックの才能が交配した名曲「スローで行こう !」で今年最初の洋楽記事を締めくくりたいと思います。「ローリングトーンズの皆様方、これからも喜寿・傘寿になるまで皆元気で思いっ切り転がり続けておくれやす!」(ローリングウエストからの勝手な年初祈願)




★(082):ベンフォールズ 「アニー・ウエイツ」 (2001年)  (20013.12.27公開)



c0119160_2020040.jpgピアニストロックアーティストについては以前も語りましたが、思い浮かぶビッグネームといえばエルトンジョン、ビリージョエル、レオンラッセル、ギルバートオサリバンなど片手で数えられるくらいしかない・・、60年近いロック史の中で数多のアーティスト達が輩出しているのに、ピアノマンって商業的な成功には難しい何かが(大きな壁のようなもの)があるのかな・・?と、つい思ってしまいます。2013年末の最後を締めくくるアーティストとして紹介する「ベンフォールズ」という非凡なピアノマンも日本では殆どマイナーな存在(彼のCDは中古市場で非常に安く叩き売られている情けなさ)ですが、彼のソロとしてのデビュー盤「ロッキン・ザ・サバーブス」(2001年)は小生が最も愛するお宝物の推奨盤。RW推奨の鳥肌モンの名盤の冒頭を飾る「アニー・ウエイツ」(上記掲載)は当時J-WAVEで頻繁に流れていた佳曲・・、POPで小気味いい鍵盤メロディのオープニングを初めて聴いた時に小生は彼に一挙魅了されてしまいました。このアルバムからの商業的なヒットナンバーは殆どありませんが、最初から最後までRWのPOPツボを突きまくる幅広い音楽性に彩られる名曲が数多く収録されている完成度の高さだなあといつも感銘してしまいます。10年以上経過した今でも愛聴しており、皆様も是非一度は聴いてみて下さいませ!アルバムの全体的な印象は、「The Ascent Of Stan」「Still Fighting It」などのストリングスとピアノによる味わい深いバラードや素晴らしいメロディー曲に多く彩られているものが大半ですが、「ザック&サラ」は迫力あるノリのいいパワーPOP曲、アルバム表題曲「ロッキン・ザ・サバーブス」はお茶目なヒネリも入れたリズムと激しいサウンドで圧倒する展開を交互に見せる曲、随所にエルトンジョンやビリージョエルを超えるような激しさと・熱さのようなものも垣間見えます。ベンフォールズ(1966年生まれ)は米国出身のマルチな才能を発揮するピアノマン、1994年に「ベンフォールズ・ファイヴ」という異色の3人編成バンド(ピアノ・ベース・ドラムのみでギターなし)を結成して音楽界にデビュー(20世紀末に3枚のアルバムを発表)、独特なサウンドで人気を博して一定の地位を築きあげました。彼のピアノのテクニックは非常に卓越しており、繊細なタッチ演奏から鍵盤を叩き付ける荒々しいプレイまで実に幅広くこなし、ライヴではピアノの弦を直接弾いたりピアノに椅子を投げつけたりといった過激なパフォーマンスも見せています。目指すキーボードプレイヤーとしてはキースエマーソン(EL&Pの構成もギタリスト不在)を意識していたのかなあ・・。しかしそのマルチな才能ぶりはトッドラングレンにも通じるようだし、ポール・マッカートニーやクリスト・ファークロス的な雰囲気も感じます。この2001年のソロアルバムは「ベンフォールズ・ファイヴ」解散直後にリリースされましたが、完成度が高い曲はまだまだ散りばめられており、「Losing Lisa」「Not The Same」なども明るく秀逸なPOP曲!聴き込み甲斐のあるアルバム各曲の殆どの楽器を彼自身が一人で演奏しているのだからまさに驚きですね~!その後、彼はベンフォールズファイブを 2012年に再結成し4枚目のアルバムを発表して今年2月には来日、打楽器の如くピアノを弾くベンのスタイルも健在で活きのいいサウンドを披露してくれたそうです。センスに溢れた非凡なピアニストロックアーティスト「ベンフォールズ」はもっともっと日本でも評価されるべきと思います。(PS):さてさて・・、2013年もあと残りわずかとなりました。RWの洋楽コーナーをご愛顧して頂いた皆様には深く感謝申し上げ、来年はさらなる幸運が訪れることを祈念して、「The Luckiest」(→幸運の人)をお送りして新しい年を迎えたいと思います。2014年は節目の100曲目を迎えますが、引き続き「My Favorite Songs」を引き続きご愛顧の程よろしくお願いいたします。




★(081):ブライアンアダムス「ヘブン」 (1984年) (2013.12.16公開)



c0119160_218275.jpg久々に80年代アーティスト(本コーナーでは殆ど取り上げておらず申し訳なし)を掲載したいと思います。80年代ロックは当時MTV媒体でよく聴いたものですが、70年代以前ロックと比べると洗練され過ぎ感(軟派基調?)が強く、皆同じような音に聞こえてしまうことから(AOR・フュージョン・プログレハード等、各ジャンル別の違いこそあれ・・)小生の心にはあまり深く残っていないのが実感です。まあ、この時期は社会人デビューした頃なので、10代の青春時代に夢中で聴いた音楽とは受け止め方や影響度合が相当違うことも大きな理由なのかもしれません。そんな印象を持つ80年代ロックの中でも「ブライアンアダムス」は小生のお気に入りアーティストでした。洗練さの中にも多少荒削り感があり正統派ロックを堂々と歌い上げている姿(ハスキーな声で硬派感あり)が実にカッコよかったですネ~!冒頭の「ヘブン」(1984)は彼自身の・・いや80年代ロックを代表する名曲であり、わが弟と従弟が各自結婚式(2人とも80年代洋楽好き)でラストフィナーレ曲に選定していたことが可笑しかった。(当時のブライダル定番曲だったのかも・・) ブライアンアダムス(1959年生まれ)はカナダのロックアーティスト、20歳でデビューし活きの良いロックン・ロールや端正なルックスで注目を集め始め、3作目「フロム・ザ・ハート」(1983)あたりから米国でも人気に火が点き始めました。さらに翌年の4thアルバム「レックレス」をリリースすると驚異的なメガセールス(全世界で1千万枚超)を一挙に記録、「ラントゥユー」(1984)、「サムバディ」(1984)などが大ヒット、伝説的な「ライブエイド」(We are the World)にも参加するなど一挙にビッグアーティストの仲間入りを果たしました。留まる事を知らない勢いはさらに加速し、当アルバムからは「想い出のサマー」(Summer of 69)(1984)、「ナイトラブアフェアー」など連続6曲をマシンガンの如くTOP20ヒットチャートへ立て続けに送り込んだのです。この大快挙はマイケルジャクソン「スリラー」、ブルーススプリングスティーン「ボーン・インザUSA 」、デフレパードの「ヒステリア」と並ぶ歴代最多記録となっています。その中にはティナターナーとのデュエット「イッツオンリーラブ」(1984)も・・、当時25歳のイケメンボーイがセクシーな大物おば様に強引に誘惑されるような勢いで迫られてタジタジと感じになっている姿が何となく微笑ましい・・(笑) 1991年には映画「ロビンフッド」(ケビンコスナー主演)の主題歌「(Everything I Do)I Do It For You」(1991)を提供するなどの活躍が続きましたが、サントラや映画主題歌製作が増えてやがて良識派ロックファンから「サントラ職人」と陰口を叩かれるようになっていきました。米国のファンからは飽きられる傾向となり、その後の活躍はパッとしない感じですが、もう50台半ばを迎えるのですねエ・・。小生のイメージにおいても、彼は20代半ばで出来すぎたサクセスストーリーを一挙に達成した「バラード主体のロック青春野郎」ですが、今の若者にとっては下に掲載したクリスマスソング↓「Christmas Time」で有名なブライアンアダムスなのかもしれません。クリスマスソングでヒットを飛ばしたアーティストって、ある意味得してるというかうまく成功を収めた存在ですよね・・。何せ、世代を超えて聴き継がれる名曲として毎年心ウキウキする季節に思い出してもらえるのですからね・・(笑)
                       

  by rollingwest | 2001-12-01 00:00 | 洋楽(ロック・POPS) | Comments(78)

RW/洋楽コーナー:「My Favorite Songs」 (第11巻)

【My Favorite Songs】の過去紹介した記事一覧(INDEX)はコチラから
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★(080):ミッシェルポルナレフ 「シェリーに口づけ」 (1971年) (2013.12.4公開)


c0119160_8101712.jpg小生が洋楽に興味を持ち始めた頃(1970年前後)、日本のヒットチャートを物凄いパワーで賑わせていたのは、フランス勢(シルヴィーバルタンやダニエルビダル)とオランダ勢(ショッキングブルー等)でした。1960年代後半、ロックを象徴とする若者文化の激動は世界中に拡がりを見せており、伝統的に頑固なフランス(他国文化の影響を受けない姿勢・矜持が強い)でさえもその潮流に諍えることはできず、旧来のシャンソンとは違う「フレンチPOPS」という新ジャンルが席巻していたのです。その中でも数多くのヒット曲を放っていたスーパースターは「ミッシェルポルナレフ」でした。当時中学2年だった小生は彼の代表曲「シェリーに口づけ」 (本国フランスでは他曲B面扱いで全くヒットせず)を初めて聴いた時、「なんて魅力的な曲だろう~!」と全身がシビれたものだネ~!日本では1971年に大ブレイクし、さらに四半世紀以上の時を経てW杯フランス大会(1998年)に念願初出場した日本代表の非公式応援歌「アレアレ・ジャポン」としても復活し現代の若者の中でも十分浸透している名曲。(同じフレンチPOPS曲ではウォーターボーイズ映画主題歌として若者に再ブレイクしたシルヴィーバルタン「あなたのとりこ」の復活劇と似ているかもしれない・・)。彼のヒット曲はあまりにも沢山あり過ぎて1回では紹介しきれないので前後編(前編はデビュー~1972年頃まで、後編はそれ以降1970年代末まで)に分けて2回掲載したいと思います。彼の数々のヒット曲はやたら「愛」(直江兼続の生まれ変わりかいな?)というキーワードが登場していた記憶があります。「愛のコレクション」(1972)「愛の物語」「愛の休日」「愛の伝説」・・。ミッシェルポルナレフは1944年に音楽家のもとで生まれ(もう古稀を迎える)、5才の頃から天才ピアニストとして才能を発揮していたそうです。しかし青春時代に家出(親に反発)、転職を繰り返していたものの1966年にアマチュアロックのコンテストで優勝、その年に「ノンノン人形」という曲でデビューしています。彼のイメージは、やはりあの独特のトンボの様な宇宙人の様なミラー・サングラス!実は目の障害が原因で色の濃い眼鏡をかけているようですが、小生にとって1970年代初頭のPOPS「3大サングラス男」と言えばエルトンジョン、井上陽水&ポルナレフだったかも・・(笑) 初期時代のユーチューブを見ると「悲しみの舞踏会」(1969)も含めて、素顔のままで歌う彼の姿が公開されていました。ヒャ~初めてお目にかかった!彼は当時ゲイだと言われたらしいですが、お目々が実にパッチリしていますネ~! ファーストアルバム制作ではレッドツェッペリンのジミー・ペイジやジョン・ポール・ジョーンズが参加していたと聞いてビックリ!その後、彼は「愛の願い」(Love me, please love me)(1971)の大ヒットで一躍スターダムに上り詰めました。さらにその勢いは止まることを知らず、立て続けに数々のヒットを放ち1970年代は最高潮(まさに黄金時代)に達した印象があります。彼の曲名は「愛」 ばっかりと思えば悲・哀のパターンも多かった。「哀しみの終わるとき」(1972映画主題歌)、「悲しみのロマンス」「哀しみのエトランゼ」・・、まあ当時の洋楽邦題の付け方って実に安易でこんなもんでしたよね~。前編LASTは彼の代表曲の一つ「愛の休日」(1972)で締めを飾りたいと思います。後編(時期は未定)も「渚の想い出」「忘れじのグローリア」「愛の伝説」「愛のシンフォニー」など、数々の名曲が登場いたしますのでお楽しみに~!



⇒次回は、カナダが生んだ1980年代の象徴的なロック・スター「ブライアンアダムス」の名曲「ヘブン」 (1985)をお送りします。♪\(^◇^)/♪




★(079):ボブ・ディラン 「ライク・ア・ローリングストーン」 (1965年) (2013.11.22公開)


c0119160_21272292.jpgビートルズ、ローリングストーンズと同じ1962年にデビューし50年以上経過した今でもなお、ポピュラー音楽や大衆文化の世界で大きな影響力を持ち続けている伝説ミュージシャン「ボブ・ディラン」の代表曲「ライク・ア・ローリングストーン」を紹介したいと思います。小生はボブ・ディランを殆ど聴いていなかったのでエラソーに語れる資格は全くありませんが、この曲は「ローリング・ストーン誌」(世界的な米国POPカルチャー雑誌)が選んだグレイテストソング500曲(2004年)の中で、ジョン・レノン「イマジン」等を抑えて堂々1位となった名曲なのです。20世紀を代表する天才アーティストとも謂われるボブ・ディラン(1941年米国ミネソタ生まれ72歳)は1962年にフォーク歌手としてデビュー。ウディー・ガスリー(伝説的なカントリーフォークの英雄、放浪の吟遊詩人)の継承者として人気を博し、「風に吹かれて」(1963)や「激しい雨が降る」等のプロテストソングを歌って60年代前半は公民権運動の高まりとともに「フォークの神様」と呼ばれる地位を確立しました。しかし彼は1965年に突然音楽スタイルを変化させてエレキギターを持ってブルースロックのミュージシャンへと変身したのです。コンサート観客(往年のファン)からは大ブーイングの嵐を浴びましたが、しかし当年にリリースされた6作目の「追憶のハイウェイ61」はビルボードチャート3位を記録しロック史に残る名盤(ローリングストーン誌の2003年選出「過去ベストアルバム500盤」の4位に輝く)として21世紀になって高い評価を得たのです。掲載した「ライク・ア・ローリングストーン」(上記名盤からのシングルカット、当時では異例の6分超の演奏曲)はキャッシュボックスでNo.1チャート(彼にとって唯一の大ヒット)にも輝いたのです。言葉でメッセージを伝えることに拘り続ける「フォークソング」というスタイルにディランは音楽性の限界を感じ、サウンドそのものが自由である「ロック」という新しいスタイルの魅力にいち早く気がついていたと云われます。怒れる若者の心の表現をロックという新しいサウンドでボブ・ディランの「言葉=メッセージ」を得ることにより、さらなる進化の段階へと進んでいった姿も うねる時代の流れが彼に対して変化を求めていたからではないでしょうか。その後もザ・バーズの代表曲となった「ミスタータンブリンマン」(1965)を作曲提供したり、「見張塔からずっと」(1967)などの名曲を生み出し、着実にロックPOPS界の大物への地位を固めて行きました。ザ・バーズの「ミスタータンブリンマン」(ボブディラン作曲)のユーチューブを検索していたら、スペシャルゲストに招かれたボブディランがバンドリーダーのデビッドクロスビー(CSN&Yにも在籍)と共演するレアなるお宝映像を見つけて大変喜んでおります!また70年代に世界的なバンドに成長した「ザ・バンド」(第4巻NO33)は元々はボブディランのバックバンドでした。ザ・バンドの映画「ラストワルツ」(1978)で歌い上げている「フォーエヴァーヤング」も掲載しておきましょう。 80年代中盤以降になるとディランは頻繁に来日し、身軽な旅芸人風情の小規模なツアーを企画しており、秋田や倉敷など地方都市も含めて精力的に日本全国を行脚公演していました。先日ディランのユーチューブをチェックしていたら「タイトコネクション」(1985)という曲(ディラン流つぶやきソウル・ゴスペル風なゴキゲンサウンド)のPVに柏崎高校の同級生「H井真悟」(わがブログにも「楽SHINGO」の名前で登場してくれている声優)が出演しているのを発見して本当にビックリしました。準主役級の角刈りヤクザ役(一番最後にもナイフで刺されている奴)で倍賞美津子と共演しています。まだ日本がバブルに向かって走っていたよき時代の東京(赤坂、六本木、新宿)の繁華街の様子が伺える内容になっており、80年代のヘアスタイルや街の明るい雰囲気が実に懐かしい!(もう30年近くも経ってしまったんだなあ・・) 90年代以降もセールスも評価も非常に高い作品を連発し数度目の黄金期を迎え、変身と前進を繰り返しながら、20世紀を代表するアーティストとしての活躍を繰り広げてゆくことになります。まさに「ライク・ア・ローリングストーン」(転がる石)のような音楽人生ではありませんか。さらに驚いたことは、彼が詩人としてもノーベル文学賞にノミネートされているという事実を知ったことです。「卓越した詩の力による作詞がポピュラー・ミュージックとアメリカ文化に大きな影響与えた・・」という評価をされており、既に「ピューリッツァー特別賞」「フランス芸術文化勲章」「アメリカ国民芸術文化勲章」などの多数の栄誉受賞しており、常にノーベル文学賞の上位候補(毎回本命に挙げられる村上春樹に続く位置らしい)になっているとは知らなかった・・!もしもロックミュージシャンがノーベル賞を受賞したらまさに驚き桃の木・山椒の木ですね~!LASTは彼の70年代の代表曲「天国の扉」(1973)で締めたいと思います。





★(078):ポールマッカートニー&ウイングス 「ジュニアズファーム」 (1974年) (2013.11.10公開)


c0119160_22362616.jpgビートルズ結成から半世紀が経過し、今なお世界のスーパースターとして元気に活動を続けているポールマッカートニーが11月に4度目の来日(11年ぶり、ビートルズ時代を含めると5度目)をしました。古希も過ぎているのでもしかしたら最後の来日になるかもしれませんが、老いてますます盛ん!私生活では3回の結婚(2人目の妻には離婚訴訟では47億円支払)、昨年のロンドンオリンピックでは開会式で元気な姿で登場、そして今回の世界ツアー巡行・・と大したものですナ~。ジョンとジョージのソロ時代名曲はすでに紹介済みですが、大御所のポールはまだ未掲載でしたので、前・後編2回に分けて公開(前編はビートルズ解散後から1970年代中盤のウイングス時代)したいと思います。1968年頃から崩壊寸前状態にあったビートルズ・・、ポールは原点回帰(ゲットバック提唱)でメンバーをリードしてライヴ活動を再開しようと努力を重ねましたが皆の心が再び一つになることはありませんでした。1969年「アビー・ロード」の収録を最後にグループの活動は事実上停止、ジョンとヨーコとの結婚(1969年)を契機にポールは、脱退宣言(1970年4月)とともに解散を求める訴訟を起こしビートルズの栄光の歴史はついに閉じられてしまいました。ポールは1969年に写真家リンダ・イーストマンと結婚し、農場に引きこもって初のソロアルバム「マッカートニー」を仕上げますが、発売直前の脱退宣言公表によってポールは「ビートルズを解散させた男」という悪名高いレッテルを貼られることに・・。その後もジョンやジョージとは険悪な関係が続き、2作目の「ラム」(1971年)も評論家から不当な非難を浴びせられていました。小生がちょうど洋楽を聴き始めた頃の思い出深い名曲「アナザーデイ」(ポールの初のソロヒット)は、ポールの人生で孤独感・脱力感に苛まされていた心境が綴られていたのかもしれません。しかしポールはくじけず、愛妻リンダや子供たちに支えられ1971年にウイングスを結成します。翌年リリースしたシングル「ハイハイハイ」(1972)が卑猥な歌詞が原因で放送禁止になったことはビックリしたもんだネ~! ポールがリンダにキーボードを教えて夫婦共にステージに立つことに素人起用だと最初非難を浴びせていた評論家達もだんだん正当な評価を下すようになり、名バラード「マイラブ」が初のNo.1ヒットに輝き、さらに1973年発表の第5作「バンド・オン・ザ・ラン」の時代になると人気・実力は揺るぎないものになっていきました。この年は映画「007死ぬのは奴らだ」の主題歌も大いにはやっていましたネ~。今回の冒頭曲「ジュニアズファーム」(1974)や彼らの代表曲「ジェット」(1974)はテンポに溢れ、まさに油が乗り切った時代の最高に格好いいナンバーです。 ウイングスはメンバーチェンジが激しかったものの名曲・名盤を次々に世に送り出し、世界的なバンドへと成長していきました。1976年「幸せのノック」 がヒットしていた頃は全米ツアーも大好評を博し、ポールがビートルズ・ゲットバック運動で叶えられなかったライヴ活動で世界制覇する夢がついに実現したといえましょう!しかしその後幸せも長く続かず、「しあわせの予感」(With A Little Luck)」(1978)の頃は、メンバーの脱退で3人編成となり、結束力にやや翳りが出てきていた時代だったかも・・。そして愛妻リンダは乳癌に冒され1998年に亡くなってしまい、ポールの最も充実していたソロ時代の中で最も悲しい節目を迎えてしまいました。でも「しあわせの予感」は小生が個人的に一番好きなマッカートニー・ナンバーであり、これからもしあわせに長生きをしてほいしいものです。
*後編(公開時未定)はウイングス全盛期から解散まで、そして1980年代(スーパースター達との競演も含む)の名曲をチョイスします。 「ビートルズ時代の名盤記事」はコチラから






★(077):トッドラングレン 「ハローイッツミー 」   (1972年) (2013.10.29公開)


c0119160_20455284.jpg1970年代前半に美しく切ないメロディメーカーとして静かに(表面的には)ヒットを放ち続けていた「トッドラングレン」(今年8月来日)の数々の名曲を紹介したいと思います。凄い大ヒットを放ったアーティストではないのにも関わらずマニアファンからは絶大なる支持を得ている印象があり、マルチな才能で活躍していた天才アーティストと云われています。世界的な人気と実力を備えながらも日本では今一つ盛り上がらないアーティストの筆頭かもしれませんが、実は彼はGFR,バッドフィンガー,ザ・バンド,ホール&オーツなど数々の有名バンド・アーティストのプロデュースを行い、自身でもジャンルに捉われない幅広い音楽活動を行い多くの作品を発表してきた方なのです。日本で人気ある代表曲は上記掲載の「ハローイッツミー (Hello It's Me) 」(1972)や2枚組大作(3作目)「サムシング/エニシング?」からのシングル「瞳の中の愛(I Saw The Light)」(1972) が最も有名かな・・。全ての楽器(ギター,ベース,キーボード,ドラムス,)を自分で演奏しヴォーカルも様々な声を使い分ける何でもやれてしまう天才マルチプレイヤー「トッド・ラングレン」は1948年米国生まれのミュジージシャン。1967年にナッズというバンドを率いて注目を集め、1970年にソロデビューし「We Got To Get You A Woman」(1970) のヒットを放ち、その後も上記2曲のヒットで全米にその名を轟かせるようになりました。さらに1973年には「GFR」(大音量ハードロックの米国バンド)の名盤「アメリカン・バンド」をプロデュースし爆発的なセールスを打ち立てるなどの業績で彼の名声は1970年代前半で揺るぎないものとなったのです。ヴォーカルはカメレオンの如く変幻自在、アップテンポなロック曲では迫力の声、おふざけ曲ではヨレヨレ爺さんみたいなヘンテコ声、バラードを歌う時は伸びのある透き通った声・・と、何とも器用な方ですね~。美メロ職人としての才能が遺憾なく発揮されている「be nice to me」(1971)や、ロマンスと衝動感のバランスが絶妙に表現された「Couldn't I Just Tell You」(1972)も完成度の高いポップ錬金術師としての片鱗をソロデビュー直後から見せているお気に入り曲。彼の長い音楽キャリアに比例して顔もびっくりするほど長い・・(あっ関係ネーカ)。写真を間違って縦方向に引き伸ばしたのではないかと誤解する程の馬面(ピンクフロイドのロジャーウォーターズも真っ青!)ですが、顔が長いだけでなく音楽的な懐も広く才能の豊かさが並でないことは確かです。切々と歌い上げる「A Dream Goes On Forever」(1974)やダリルホールと共演した「Can We Still Be Friends」(1978:ロバートパーマーとロッドスチュワートのカバーバージョンが最も有名)も必聴ですね。小生の好みで今回は美曲ばかりを集めてしまいましたが、トッドラングレンの作品は、予測不可能な程は曲調の違う曲が同居しその脈絡のなさは相当に「ひねくれ者っぽい一面」を持ち合わせていることが、マニアックなファンにとっては大きな魅力のようです。「普通ではなく何か面白い事をやってくれるという期待感」「確実に楽しませてもらえる安心感」は、彼の溢れる才能や自信から来る職人技の余裕なのでしょう。最後は、 ピアノベースのシンプル曲を重厚感あるバラードで歌い上げた「Wailing Wall」(1971)で締めたいと思います。

  by rollingwest | 2001-11-01 00:00 | 洋楽(ロック・POPS) | Comments(75)

RW/洋楽コーナー:「My Favorite Songs」(第10巻) 

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★(076):エマーソン・レイク&パーマー 「展覧会の絵」   (1971年) (2013.10.17公開)


c0119160_21142433.jpg1970年代初頭にプログレに嵌っていたRWですが、「ピンクフロイド,イエス,キングクリムゾン」を紹介後、プログ四天王の一角「エマーソン・レイク&パーマー」(以下、EL&Pと呼称)を早く掲載せねばと思いつつ・・もう1年数ケ月が過ぎてしまいました。EL&P以外のバンドは解散後も再結成したり20世紀末まで一定の活躍を続けたのに対し、EL&Pは1970年代中盤であっという間に解散してしまい今ではその名前すら知らないという若い人も多いのかも・・。しかし当時はムーグシンセサイザーを一早く導入し、クラシックと融合したプログレッシブロックで最先端を走っていたグループで、ユニークな演奏スタイル(ギタリスト不在のトリオ編成、ロックバンドでは異色)は今なお熱狂的なファンに支持されています。キース・エマーソン(元ナイス)の類稀なシンセサイザーのキーボードテクニックと狂気的なパフォーマンス、ベースを担当するグレッグ・レイク(キングクリムゾン→EL&P→エイジア)の叙情溢れる低音ボーカル、カール・パーマー(元アトミックルースター、当時は20歳前後で愛苦しい程の美少年)のパワフルで凄まじいドラムテクニック。当時この3人はすでに他バンドで名声を得ていたこともあり「スーパーグループ」とも呼ばれていました。1970年に結成され、デビューアルバムは名前の通り「エマーソン・レイク&パーマー」(名曲「ナイフエッジ」「ラッキーマン」等を含む)。翌年発表した2nd「タルカス」(映像は初来日1972年7月雨の後楽園球場)では本格的にムーグシンセサイザーを活用し始め、ジャケットの機械怪獣タルカスが全てを破壊するというコンセプトイメージで、爆発的な音塊を3人で表現しておりEL&Pの記念碑的作品と位置づけられました。同年のメロディーメーカー誌人気投票では前年のレッド・ツェッペリンに代わって首位になり「タルカス」もアルバム部門で1位を獲得しています。今日の紹介曲はその後にリリースされた「展覧会の絵」(ムソルグスキー作曲を独自に編成したライブアルバム)、冒頭に有名なクラシックサウンドが鳴り始め、序盤はキースとカールが息を合わせて絡み合うムーグシンセサイザーとドラムの叩き合い、その後壮大な組曲が展開されていき、グレッグレイクが高らかに歌い上げる「キエフの大門」でクライマックスを迎えていきます。当時はレコード針が擦り切れるほど聴いていましたネ~。当初、このライブ演奏は正式リリースする予定がなかったのですが、この未発表音源が海賊盤として出回ってしまったことから急遽市中から回収し、11月になって正規盤「展覧会の絵」を発表したという経緯だったらしい。その後は「トリロジー」(1972年)、最高傑作とも呼ばれる「恐怖の頭脳改革」(1973年)を発表して栄光の頂点を極めました。しかしその後はグループ活動のコンビネーションは次第に調子が落ちていき、人気面でも当時「こわれもの」「危機」の発表で進境著しいイエスに抜かれていきます。キース・エマーソンも音楽的な行き詰まりを感じ始め、メロディー・メーカー誌の人気投票(キーボードプレイヤー部門)ではリック・ウェイクマンに首位を明け渡し、彼らが最もクリエイティブな時期(ピーク)は、デビューから1974年頃までの僅か5年間でした。活動期間が短かったことや名盤の数が少ないことから、プログレ4大バンドの中では評価的に後塵を拝しているような気もしますが、結成時に世界指折りの実力者が集まってできたスーパー・グループであることは間違いありません。キースエマーソンがムーグシンセサイザーにナイフを突き立てたりする狂気じみたパフォーマンスも強烈な印象で脳裏に残っています。今はコンピュータでどんな音も表現できる時代、彼らのような体を張って楽器を操る音楽スタイルはある意味ではアナログなバンドなのかもしれません。最後は「展覧会の絵」からリリースされて大ヒット曲となった「ナットロッカー」(くるみわり人形)で記事を締めたいと思います。




★(075):キャット・スティーヴンス 「雨にぬれた朝」 (1972年) (2013.10.5公開)


c0119160_5215711.jpg最近は1970年代の「今は昔・・アーティスト」ばかり取り上げていますが、今回は1970年初頭にシンガーソングライターブームの先頭を走っていた「キャット・スティーヴンス」の代表作中の代表作「雨にぬれた朝」(Morning Has Broken)を紹介したいと思います。「誰、その人?」っていう声が多いかもしれませんが、その繊細なメロディセンスやヴォーカル主役のアコースティックなフォークサウンドは当時世界的にブレイクし、同時期のエルトンジョンにも迫る人気と勢いがありました。小生にとってこの曲は深夜放送を聴きながらテスト勉強をしていた頃(もう40年以上前か・・)のBGMですが、1990年代以降も何度かTV-CM曲にさりげなく使われていたので聴いたことがある方も多数いることでしょう。湖水の如く透き通った音色と旋律は今でも全く色褪せておらず、聴く程に心が洗われる時代を超越した名曲だと思います。イントロから流れるこの美しいピアノは何とイエスのリック・ウェイクマンが演奏しているのですぞ!雨上がりの朝の風景を描いた高尚なる歌詞(哲学&宗教的な色合いが滲む)は童話作家でもあるエレノア・ファージョンという詩人が書いた詩にキャットが感銘を受けてメロディをつけた曲なのだそうです。彼の音楽人生は1970年に発表した「白いバラ」を皮切りに人気を博し始め、1971年には「父と子」と「ティーザー&ファイアーキャット」がアルバムチャートで全米上位に入る大ブレイクに輝き、「ムーンシャドウ」や、「オ-ヴェリヤング」などの名曲を次々に生み出しました。1971年輩出の2名盤は米国だけでそれぞれ300万枚を売り上げ全米レコード協会によってトリプル・プラチナムに認定されており「ピーストレイン」「ザ・ウインド」等の佳曲も印象深くわが脳裏にいまだに焼き付いますネエ・・。しかし彼がキャットスティーヴンス名義で活動したのは1978年まで・・。兄からもらったイスラム教の聖典コーランを読んで大きな衝撃を受け、1979年にイスラム教に改宗(ユスフ・イスラムと改名)、全ての音楽活動を突然停止してしまいました。それまでに得た全財産を処分しその資金を元にロンドンでイスラム教学校を設立し教育家・慈善活動家としての活動を選択したのだから驚き!(知らなかった・・)。しかし彼の往年の名曲「ワイルドワールド」(Mr.Bigのカバーでも知られる)は21世紀に入っても、日本のCMでも使用されシングル・カットされて大ヒットしています。実はこの曲の内容は、主人公が別れた彼女に対して「世界は危険に満ちているから気をつけるんだよ」と歌いかけています。皮肉なことに、彼が信じるイスラム教が生んだイスラム原理派のテロリズムと米国を中心とする資本主義社会が対立を深めテロ事件がいつどこで起きてもおかしくない状況にあり、現在の地球こそまさに「Wild World」そのものかもしれません。欧米のファンにとっては、今では素直に楽しめないのがキャット・スティーヴンスの音楽だと言われていますが、日本人は欧米・イスラム対立には関心が薄いのでそんな複雑な思いを意識することなく純粋に彼の美曲を慕い受け継いでいくような気がします。




★(074):キッス 「ハードラックウーマン」  (1976年) (2013.9.24公開)


c0119160_2205363.jpg今年結成40周年を迎えたスーパー・ロックバンド「キッス」がいよいよ10月に来日、特徴的な白塗りメイクと奇抜なコスチュームでロックファンを圧倒し続けてきたモンスターバンド(総売上枚数が1億枚超)のツアー公演は7年ぶり10回目となります。今回もどんなエンターテインメント溢れるロックショーを見せてくれるのでしょうか。キッスといえば、ストレートなヘヴィメタロックが主流ですが、対照的に叙情性漂うメロディアスな曲や、アコースティックでリズム感溢れる名曲が多いのも大きな特徴(RWはこちらの路線が大好き)。今回の紹介曲は小生が大学1年の時、下宿のラジオ(FEN放送)から毎日のように流れていた「ハードラックウーマン」にしたいと思います。(美曲ベスにしようか選択に悩みましたが・・) 1973年米国で結成された、「キッス」のオリジナルメンバーは、ジーン・シモンズ(b)、ポール・スタンレー(vo、g)、エース・ フレーリー(g)、ピーター・クリス(ds)の4人。ド派手な化粧と個性的なレザー衣装で迫力あるライブパフォーマンスが評判を呼び人気が急上昇し1974年レコードデビュー!この頃、かの「ミュージックライフ誌」では、クイーン、エアロスミスと共に3大バンド的扱いで強力にプッシュされていました。1st/2ndのセールスは今一つでしたが、1975年「ロックンロール・オールナイト」(3rd盤からのシングル)が突然デトロイトで売れ出し、気を良くした彼らは急遽デトロイトでライブ・レコーディングを行い2枚組の名盤「地獄の狂獣/キッス・アライブ」を発表、これが一気にブレイクして全米9位とプラチナ・ディスク獲得という大ヒットを記録したのです。1976年、波にのったキッスはさらにロック史で名盤と称えられる「地獄の軍団」(彼らの代表曲「デトロイト・ロック・シティ」を含む)をリリースしプラチナ・ディスクに輝く大成功を収めました。統一感に溢れたスケールが大きい名盤は、効果音やストリングス等が随所に配されており必聴のアルバムです。やはり一番びっくりしたのは美曲「ベス」を初めて聴いたときです。これがあのキッス~?と目からウロコ・・!「地獄の○○」の表題でヘヴィメタパフォーマンス(定番曲は「ラブガン」など)のイメージが強く、RWにとってはキワモノバンドと見えており距離を置いていたのですが・・。さらに1977年に入ってポップス色が強い「ハードラックウーマン」(上記掲載曲)の大ヒットで、キッスの幅広い音楽性を目の当たりにして一遍にファンとなってしまいました。そして1979年リリースの「ラヴィン・ユー・ベイビー」も本当に格好いい!大胆なディスコ・ビートを導入してダンサンブルな16ビートのリズムにハードなギター・サウンドを乗せた快作でした。バンド自体はこの後も飛ぶ鳥の勢いで売れ続け、出すアルバムすべてがプラチナ・ディスクという、とてつもない快進撃をつづけていましたが、メンバー間の確執が激しくなり、80年ピーターが、83年にはエースが脱退していきます。しかし紆余曲折も乗り越えて、2012年にリリースした「モンスター」(20枚目のアルバム)が全米ビルボードで初登場3位を記録してキッスは今もなおパワー溢れる活動を継続中、本当に素晴らしいですね~! KISSの白塗りメイクや隈取の化粧メイクは日本の歌舞伎をモチーフに大いにカブイており、ジーンシモンズの大股で腰を据えたパフォーマンスは、まさに市川団十郎が「弁慶・安宅の関」で見せる荒事・大見得の如し!そのKISSメイクはデーモン小暮(聖飢魔II)やゴールデンボンバー樽美酒研二(ピーター・クリスを意識)などで再び日本に戻ってきているのもオモロイです。そして最後はKISSがノーメイクでイケメン素顔を見せながらしっかりとバラードを歌い上げている「フォーエバー」で締めて、キッスの来日公演の成功と再びの人気復活を祈念したいと思います。




★(073):ボブシーガー&シルバーバレットバンド  「ナイトムーブス」 (1977年) (2013.9.12公開)


c0119160_2082983.jpg前回紹介したニールダイアモンドも同様ですが、米国では高く評価されながらも日本での知名度は低い大物アーティストって沢山いますね~。70年代中盤から80年代前半にかけて大活躍した「ボブシーガー」もその一人の様な気がします。しゃがれた声に骨太なロック、ピアノとコーラスも大いなる魅力、R&Bやカントリーの雰囲気も漂う哀愁のナンバーの数々、(ケニーロジャーズ+Bスプリングスティーン+ヒューイルイス)÷3みたいな感じかな・・? 発表したアルバムの殆どを米国チャートのトップ10に送り込み大人気を誇ったアメリカン・ビッグシンガーでありました。小生は、大学生から社会人なり立て時代(1976~1980)に「アメリカンTOP40」が大好きでしたので、上記の「ナイトムーブス」や「オールドタイム・ロックンロール」、「アゲインストザウインド」「ファイアーレイク」(両曲は次回記事で紹介)など多くのヒットナンバーをFENラジオやベストヒットUSAでよく聴いていたものです。1度の記事では全て紹介しきれないので前編(1970年代の渋い時代)と後編(メジャー地位を確立した円熟時代)の2回に分けて掲載したいと思います。「ハリウッドナイツ」、のように熱くロックシャウトするボブもいいですが、「ウィブガットトナイト」の様な「枯れたヴォーカル」でしみじみ聴かせるバラード(哀愁、涙、泣き、アコースティックが満載)がこりゃまたいいんですナ~!ボブ・シーガーはデトロイト出身で1945年生まれ(もう古稀近いネ~)、決して一気にスターの座に上りつめたわけではなく10数年もの下積み時代があったようです。1969年のメジャー・デビュー後も大ヒット曲には恵まれず、1975年の「美しき旅立ち」でようやく花が咲きはじめた苦労のロッカー。上記曲のヒットによってその後シーガーは米国中部出身の庶民の代弁者という路線を進むことになります。この頃から「シルバーバレットバンド」(=銀の弾丸の意味、ドラマーはGFRのドンブリューワーと聞きビックリ!)を形成して活動を拡大しメジャーになっていきました。BスプリングスティーンにはEストリートバンドが、ニール・ヤングにはクレイジーホースがいるように、やはりいいアーティストにはいい仲間のバックバンドが付いておりますね。前編のラストは1978年のヒット名曲「フィール・ライク・ア・ナンバー」「裏切りのゲーム・Still The Same」(小生の最大級のお気に入り曲)で締めくくりたいと思います。




★(072):ニール・ダイアモンド 「スィートキャロライン」 (1969年) (2013.8.31公開)

c0119160_7582774.jpg日中・日韓関係が悪化の一途を辿り日米同盟の重要性が叫ばれる中でも、米国との諸課題は依然遅々として解決に至っていません。そんな現状を打開しようとオバマ大統領は、この2013年秋から在日アメリカ全権大使にキャロライン・ケネディ氏(故ジョン・F・ケネディ大統領の長女)を指名することになりました。1957年の生まれかぁ!小生と同年齢・・、あまりにも違いすぎる人生ですな~(笑) ご存じの通りケネディ大統領は1963年日本初のTV衛星中継において公衆面前で暗殺(その瞬間が世界中に放映されるという衝撃的な事件)され、妻ジャクリーン・ケネディ(キャロラインの母)が腰を抜かしながら車上を這いつくばってパニックしていたシーンが生々しく思い出されます。当時6才だったキャロラインが悲しみに暮れ、父を葬送する姿も実にけな気だったなあ・・。その後も叔父暗殺、弟の飛行機事故など「ケネディ家の呪い」ともいわれる不幸が続き、心が沈みゆく彼女(1969年・当時11才)を励ますため、「ニール・ダイアモンド」が歌った曲がまさに「スィートキャロライン」でした。「可愛らしいキャロラインよ!楽しい時がきっと来るよ、元気を出せよ!」・・と。ニール・ダイアモンドは、米国ではビルボードチャートの歴史上、エルトン・ジョン、バーブラ・ストライザンドに続いて3番目に大きな成功を収めたアダルトコンテンポラリーアーティストとして称賛されています。モンキーズの代表的なナンバー「アイムアビリーバー」(1969)はニールの原曲であり忠実に再現されたことがよく解ります。1972年には「ソング・サング・ブルー」が全米1位に輝き、1973年には映画「かもめのジョナサン」(リチャード・バックの小説・映画化)のサントラ曲、70年代中盤になっても「遥かな誓い」(1976)、「いとしのデザレ」(1977)とコンスタントにヒットを放ち、小生にとっては、洋楽に嵌っていた70年代初頭~中期~終盤とそれぞれの節目でヒット曲を愛聴してきたアーティストなので個人的にはお気に入りミュージシャンの一人なのでありました。顔はウスター級の濃~いソース顔、野太い声にはアクがあり決して美声 とは言えませんが、それ故に強い印象が残っています。(もう72歳になっているんだネ~) 1980年に入っても彼の活躍は続き、映画「ジャズシンガー」に自身が主演(ゴールデングローブ賞主演男優賞に輝く!)、映画サントラ盤でも「ラブ・オンザ・ロックス」「ハローアゲイン」などの美曲を書き上げ100万枚以上の売上を記録するヒットを飛ばしていました。全世界で1億数千万枚(米国では5千万枚)の売上を記録し2011年にはロック殿堂入りも果たしたているのですが、何故か日本では殆ど人気が出なかったんですよね~、不思議・・!そんな理由からか、まだ一度も来日したことがないアーティストの一人でもあります。今回掲載した「スィートキャロライン」は米国のスポーツイベント(ボストンレッドソックス・ボストン大学バスケなど)の試合曲としても有名、今年4月にボストンマラソン爆破事件の悲劇が起きましたが、被害者支援のために彼はこの曲の印税を寄付したとのことです。日本のファンには馴染みが薄いニール・ダイアモンドですが、まさに米国人にとっては心を捉えて続けてきた40数年間だったのではないでしょうか。そして彼に励まされた「スィート」だったキャロラインさん、今後は「ストロング」に変身していただき、日米関係のさらなる基盤強化に向けて大いに活躍していただくことを祈念いたします!

  by rollingwest | 2001-10-01 00:00 | 洋楽(ロック・POPS) | Comments(96)

RW/洋楽コーナー:「My Favorite Songs」 (第9巻)

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★(071):マウンテン 「ミシシッピクイーン」 (1971年) (2013.8.18公開)


c0119160_2146321.jpg1970年代初頭、豪放なヘヴィロックで一世を風靡した「マウンテン」・・、今は殆ど語られることが少なくなりましたが米国ハードロックの夜明けはGFRと「マウンテン」を抜きには語ることはできません。彼らの代表曲「ミシシッピークィーン」(映画イージーライダーのサントラにも使用)を久しぶりに聴いてみて、「やはり凄い!ここまでしっかりしたブルース・ロックを演奏していたんだ・・」とあらためて感動します。ハードでヘヴィな彼らの音楽魅力が凝縮された希有の名曲は、イントロ部から重厚に響き渡る巨漢レスリーウエストのギターが何とも痛快であり、本当に迫力がありますネ~!当時高1だった小生は、彼らの最高傑作とも呼ばれる「悪の華」(1971年4作目、A面:スタジオ録、B面:フィルモアでのライヴ録音)を購入し、レコード針が擦り切れるくらい毎日聴いていたものです。マウンテンはハードロックの原点とも位置付けられる伝説の英国バンド「クリーム」(エリッククラプトンやジャックブルースが在籍)のプロデューサーだったフェリックス・パッパラルディが、クリームのようなR&Bに根ざすハードロックを志向し1969年に米国で結成されました。パッパラルディは、当時無名だったレスリーウエスト(gtr)を発掘し、スティーブナイト(kbd)、コーキレイング(dmS)を加え、自らはベース演奏をしながらマウンテンを引っ張っていました。「悪の華」には数々の名曲が満載、「ベートーベンをぶっ飛ばせ」(ビートルズ曲が一番有名かな)や「最後の冷たいキス」がまずは光っています。マウンテンはロック史に輝く伝説の野外コンサート「ウッドストック」にも出演しており、「サウスバウンドトレイン」の迫力ある演奏も素晴らしい~!その後はマウンテンがロック史の中で最も輝いていたのは1970年ゴールドディスク「Mountain Climbing」「Nantucket Sleighride」から「悪の華」(1971)あたりまでの僅か2~3年の短い閃光時代でした。この間、「ドントルックアラウンド」「暗黒への旅路」などの名曲が黄金期に生み出されています。その後パッパラルディは大音量コンサートツアーの連続で難聴になってしまいプロデュース業に専念、ジャックブルース(元クリーム)を加入させて新バンドを結成し音楽活動を続けるものの、1983年に妻の銃弾によって殺害されてしまいました。何たる悲劇・・。マウンテンは、米国バンドとは思えない程に英国的香りが漂うハード・ロックバンドだったような気がします。巨漢レスリーウエストが放つ豪快かつ繊細なギター・ワーク、搾り出すようなボーカル、R&Bの翳りを帯びた奥深いサウンド、ヘヴィでアグレッシヴな演奏の中にも「静」「動」の同居した音楽性、哀感漂うメロディと重厚なサウンドが融合した独特の叙情的世界、まさに「ブリティッシュ・ハード・ロック」的な個性・魅力がたっぷりと溢れていました。最後の締めはクリームの系譜を受け継ぐ「クロスローダー」と、卓越した構成の味わい深い劇的なバラード「誇りと情熱」でエンディングといたしましょう。時代の流れと共に今ではロックファンから忘れ去られたような存在となってしまった彼らですが、この迫力ある重厚な演奏を聴き映像を見ればマウンテンを称賛せざるを得ないと思います。「これこそが本物のロックだ!」・・と。


⇒次回は70年代の米国で人気を誇った「ニールダイアモンド」の「スィートキャロライン」(1969年)をお送りします。♪\(^◇^)/♪;




★(070):ホール&オーツ 「シーズゴーン」(追憶のメロディ) (1976年) (2013.8.6公開)


c0119160_6355791.jpg80年代MTV全盛期に米国チャートNo.1を次々と放ち「モダンヴォイス」「プライベイトアイズ」等のミリオンセラー記録で大活躍したダリル・ホール&ジョン・オーツですが、小生は80年代の華やかな時代の彼らには今一つ馴染めず、70年代(やや黒っぽく、ブルーアイドソウルと呼ばれていた頃)の方が好きですねエ・・。この2人は白人でありながら共に小さい時からソウル系の曲が好きでフィラデルフィア(70年代は黒人音楽のメッカ)での出会いがコンビ結成の契機となったそうです。その象徴曲は1976年(大学1年)に下宿のラジオから毎日流れていた「サラスマイル」と、上記に紹介した「シーズゴーン」(追憶のメロディ)。前者は彼らの初ブレイク曲(全米第4位)であり、スローテンポに渋く歌い上げる実に雰囲気が感じられる曲でした。後者(冒頭曲)は失恋したジョン・オーツが詩を書きそれにダリル・ホールが曲をつけた2人の共作で、最初は淡々と寂しく呟き始める静かな流れの中から最後は「She’s Gone~on・・~on!彼女は出て行ってしまった・・。」と絶叫のクライマックス!この悲しい盛り上がりが実に味わい深く、今もRWの心に刻まれています。そしてついに彼らは「リッチガール」(5作目ロックンソウルからのシングル:1977年)が2週間全米1位に輝き、完全にメジャーにのし上がっていきました。しかし、この頃はソウル色がまだ残っていた気がしますねエ・・。しかしAORの象徴プロデューサー「デビッドフォスター」のもとで80年前後からお洒落なPOP路線に完全変貌、「イッツアラーフ」(1978年・赤い断層)や、「ウェイトフォーミー」(1978年・モダンポップ)が続々とヒットを放ち、その後はまさに破竹の勢い・次々にミリオンセラーを記録して全盛期の時代を迎えていったのです。小生は「ウェイトフォーミー」を最後に彼らへの興味を殆ど失ってしまい、80年代以降の垢抜け過ぎたホール&オーツを斜に構えて冷たく見ておりました。華やかで明るい作風とは対極の1977年の名盤「裏通りの魔女」は、ソウル色の強い楽曲やダイナミックなロックナンバーがバランスよく配置され、起伏に富んだ展開・全体構成が光る歴史的な名盤でありました。黒いホール&オーツを愛するファンからはまさに黒のLAST金字塔と称えられているのかも・・。このアルバムからは、「恋の傷痕」等がシングルカットされたものの、大ヒット曲は殆ど生れていません。全体的に暗いトーンの作調がPOPなヒット作を期待するファンには受け入れられなかったからでしょう。しかし、「運命には逆らえない」「恋の魔術」(Don’t Change)など深い陰影ある佳作曲が多く、アルバムに素晴しい統一感を与えています。(聴き込むほど味わいが増すスルメの如し・・) 洋楽史において、歴代ビッグヒット(売上額やTOP10ヒット曲数・アルバム数など)を記録したデュオグループで必ずベスト3に入るのは、サイモン&ガーファンクル、カーペンターズ、そしてホール&オーツ。上記に挙げた3者は1960年代・1970年代・1980年代とそれぞれの時代を代表するスーパーデュオでした。次回はやはり、ホール&オーツ栄光の80年代の明るい名曲の数々も取り上げていかねばなりませんね。





★(069):ロバータフラック 「やさしく歌って」 (1972年) (2013.7.27公開)



c0119160_20132393.jpg小生の高校受験勉強時に深夜放送ラジオから毎日流れていたロバータフラックの「やさしく歌って」(Killing Me Softly With His Song)・・。今ではすっかり「ネスカフェ」のCM王道ソングとしてお茶の間に広く浸透しており、息長く広~く愛聴されていますね。静謐な空気(電子ピアノの静かに揺れる音)が流れる中で、芯があって滋味溢れる歌声がしっとり浮き出る印象的なナンバー・・、パブロフの犬の如くこの曲を聴いただけでコーヒーが飲みたくなる方も多いことでしょう。「やさしく歌って」は1973年1月にリリースされ、全米で4週連続N0.1の大ヒットを記録、グラミー賞3部門で最優秀賞の栄光にも輝いています。ロバータ・フラックは米国ノースカロライナ州出身、幼い頃よりピアノに親しみ、名門ハワード大学音楽科(クラシック専攻)に特待生入学し、3年間で大学を卒業したという超優秀なエリートだったとのこと。ソウルジャズ界の大物・レスマッキャンに見出されて1969年(22歳)で歌手デビュー。1972年「愛は面影の中に」(The First Time Ever I Saw Your Face)がクリントイーストウッドの映画「恐怖のメロディ」の主題歌として全米NO1を記録しグラミー賞で最優秀賞を獲得しています。・・ん?、ということは2年連続受賞ということかい!? 調べてみると間違いのない事実(1972・1973年)、栄光に彩られたグラミー賞の長い歴史で連続最優秀賞は、唯一ロバータ・フラックだけが成し遂げた大偉業なのでした。1972年はダニー・ハザウェイとデュエットした「恋人は何処へ」(Where is the Love)も全米NO1、その後も勢いは止まらず1974年「愛のため息」(Feel Like Makin' Love)が全米NO1、1978年にはまたもダニー・ハザウェイとデュエット「私の気持ち」(The Closer I Get To You )もゴールドディスク(5回目)に輝いています。(まさに最強のコンビだ~!) しかし今回の記事作成の中で、ダニー・ハザウェイが1979年に投身自殺し僅か34年という短い生涯を終えていたこと、そして彼女と大学のクラスメート仲間だったことも初めて知りました。ソウル・ボーカリストとして不動の人気を得たロバータ・フラックですが、コテコテのソウル音楽ファンからは「彼女の楽曲は、抑揚がなく淡々としすぎて物足りない・・」と、敬遠されることが多かったようです。しかし「やさしく歌って」は数多くのカバー曲も生み出し、今もなお洋楽のスタンダードとして世界の人々に愛され続けています。ロバータフラックはまさに1970年代ビッグヒットの象徴的な女性黒人歌手でありました。   (PS):「ジェシー」やS&Gの歴史的名をカバーした「明日に架ける橋」も味わい深い雰囲気で歌い上げており、小生のお気に入りです。




★(068):スリードッグナイト 「喜びの世界」 (1970年)  (2013.7.15公開)


c0119160_13144493.jpg小生が洋楽に夢中になり始めた1970年初頭のヒットチャート常連は、旧ビートルズの各ソロ、エルトンジョン、カーペンターズ、CCR、シカゴ、ドーンあたりでしたが、「スリードッグナイト」も外すわけにはいきません。とりわけ有名な彼らの代表曲は冒頭に掲載した「喜びの世界」(子供番組用に書かれたウシガエルのジェレマイアの主題歌)。6週連続全米NO1(200万枚を突破する大ヒット)を記録した70年代のアメリカンロックを代表する名曲ですが、現在も映画やCMに使われていることから若い人にも大いに浸透しているのではないでしょうか。声質の違うリードヴォーカリスト3名(ダニーハットン、チャックネグロン、コリンウェルズ)を前面に立て4人のセッションミュージシャンがバックで支えるという異例のバンド構成のグループでした。でもこのバンドって一体どの路線を目指しているんだろうと認識できませんでした。「喜びの世界」に続くヒット曲が重厚な「ライアー」(今も一番好き!)だったので小生は完全にハードロックグループと信じ込んでいましたが、その次の大ヒット曲がメロディアスな「オールドファッションドラブソング」(1971)、さらにファンキーチックな「ブラック&ホワイト」(1972)と全く違う曲調でのヒットが連発し「ムムム・・」とジャンル分けに悩みはじめ、「シャンバラ」(1975)になると、もうこのグループは「何でも屋さん」だったんだネ~とやっと理解しました。それもそのはず、スリードッグナイト(名前由来は、寒い夜に3匹の犬と一緒に眠ると暖かく熟睡できるとの意味らしい)は、個性の異なる3人のシンガーが曲ごとにリードヴォーカルが代わり、3人一斉コーラスで4番目の声になるというカメレオンのようなバンド、言い換えれば曲の特徴に合わせて多彩なコーラスワークに工夫を凝らす職人的な演奏グループだったからです。男っぽいダニーはステージでは一番の盛り上げ役、チャックはロマンチックなバラードをしっとりと歌い上げ、コリーはソウルフルな歌を聴かせるという完全分業性でステージ演出で大きな力を発揮していたのです。また、彼らは新鋭や無名ミュージシャン達の楽曲を発掘し、アレンジでヒットさせ有名にしていったグループでした。1969年のデビューでは「ワン」(ハリー・ニルソン作)が全米5位、その他にも「ショウマストゴーオン」(レオ・セイヤー作)、「ママトールドミー」( ランディ・ニューマン作)などのヒットを生み出しています。自作曲でないからと彼らを低く評価する人たちもいますが、才能溢れる若手アーティストを見出し、楽曲をカバーでチャンスを与えていた功績や持ち味は無視できません。スリー・ドッグ・ナイトのシングル曲は23枚、そのうちTop50以内が21曲、Top10ヒットが10曲(うちNo.1が3曲)、ミリオン・セラーは7曲・ゴールドディスク12枚とまさに驚異的な業績を残しました。70年代グループで今も人気が高いバンドが多いのに、スリードッグナイトのような素晴らしいグループがシングル志向だったことから、今では殆ど話題に上ることなく評価されていないのは全く残念なことですね。




★(067):スーパートランプ 「ロジカルソング」 (1969年)  (2013.7.2公開)


c0119160_20454113.jpg1970年代中盤から末期にかけて活躍した英国のPOPロックバンド「スーパートランプ」を紹介したいと思います。このバンドが世界的に大ブレイクしたのは何といっても1979年発表の名盤「ブレックファーストインアメリカ」、全米アルバムチャートで6週間1位となったロック史で永遠に記憶される彼らの最高傑作でした。ウェイトレスおばさんが「自由の女神」ポーズ(聖火がオレンジジュース、聖書がメニュー)で元気にはじけたユーモラスなジャケット(グラミー賞の最優秀アルバムパッケージ賞を獲得)が実に印象的でした。1969年ロジャー・ホジソンとリック・ディヴィスを中心に結成され、デビューは1970年。バンド名を和訳すれば「最後の切り札」みたいな感じかなと勝手に思っていたけれど実は「漂流者」という意味だったのか~(初めて知った・・)!ロジャーのハイトーンを生かした繊細で幻想的な曲、リックの力強く低い声を生かした比較的ブルージーでシニカルな曲、両者の姿勢が対比されるように織り成されバンドの音楽性に広い幅を持たせています。デビュー当初は大きなヒットに恵まれなかったものの、3枚目「クライムオブザセンチュリー」(1974年)がブレイクして人気アーティストの仲間入りを果たしました。このアルバムはピンクフロイドの如くドラマチックに展開するプログレ名作でもあった反面、「ドリーマー」など後年のPOP路線につながる名曲もいくつか収められています。1977年には「蒼い序曲」からアコースティック・ギターを背景にロジャーが歌う「少しは愛を下さい」がヒットし米国への足がかりも掴んでいきました。小生はアメリカンTOP40のファンでしたので、1970年中盤に登場したスーパートランプの名を初めて知り数々の名曲に魅せられていったものです。そして1979年「ブレックファーストインアメリカ」がついに全米ビルボード・チャート第1位を獲得、米国だけで400万枚(全世界で1800万枚)を売り上げる金字塔となったのです。本作からは上記の「ロジカルソング」「テイクザロングウェイホーム」、疾走感あるPOPな名曲「グッドバイストレンジャー」など多くのヒット曲が生み出されました。その後80年代になると「イッツレイニングアゲイン」などのヒットもありましたが、ロジャー・ホジスンが脱退(1982)するとビッグネームは徐々にフェードアウトしていきました。英国プログレ影響が色濃く出ていた初期サウンドがどんどんポップ色を強めていった音楽性変遷や人気上昇への過程は、アランパーソンズプロジェクト・10CC・ELO・スティーブミラーバンドなどと共通点があるような気がします。1970年中盤のプログレバンドはロックが商業化していく中でPOPな音楽づくりを意識せざるを得なく路線変更は決して抗えない流れだったのでしょうね~!プログレだけでなくあらゆるジャンルに共通した傾向化だったのかも・・。

  by rollingwest | 2001-09-01 00:00 | 洋楽(ロック・POPS) | Comments(94)

RW/洋楽コーナー:「My Favorite Songs」(第8巻)

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★(066):BS&T 「スピニングホイール」 (1969年)  (2013.6.19公開)


c0119160_21212526.jpg小生が洋楽ロックを本格的に聴き始めたのは1970年(ビートルズ解散直後)、ハードロック、プログレなどロックミュージックシーンがまさに新たな発展期を迎えていた時代でした。それらと競うように「ブラスロック」という新ジャンルが世界を席巻、初期シカゴの「長い夜」「流血の日」「クエスチョンズ67-68」(「第1巻-011」で掲載)、チェイスの「黒い炎」
等のヒット曲が毎日のようにラジオから流れており、小生はブラスセクションの新鮮なサウンドに夢中になっていたものです。その先輩格バンドは「ブラッド・スウェット&ティアーズ」(以下呼称は「BS&T」 )、 上記に紹介した「スピニングホイールス」が最も有名な曲ですが、 力強い疾走感のブラスサウンドで迫ってくる 「マックエビル」、ちょっとお茶目な「私が死んだ時」、重厚なロック基調で貫録溢れる「ゴーンダウンギャンブリン」など実に多彩な作品を生み出しています。彼らはブラスサウンドを基調としながらも、クラッシック、ジャズ、カントリー、ブルースの要素を取り入れたアンサンブル形式で一層深く厚みある曲に仕上げており、大人のロックグループだなア・・という印象がありました。BS&Tはシカゴとよく比較されますが、ロックが基調のシカゴに対し、BS&Tはジャズがベースにあるように思えます。グループの結成は1967年、アルクーパー、スティーヴカッツ等の元ブルース・プロジェクトを中心としてメンバーで、オルガン、ベース、ドラムスを主軸として華麗なホーン・アンサンブルで登場しました。デビューアルバム「子供は人類の父である」の代表曲「I Love You More Than You'll Ever Know」はアルクーパーが創り上げるサイケな独自サウンドで小生は結構お気に入りでしたネ~。またスティーヴカッツが静かに歌う「サムタイムス・イン・ウインター」はフルート演奏とともに情景が溢れた曲で渋いんですよ、これがまた・・。しかしこの1St盤は大ヒットには至らず、リーダーのアルクーパーは脱退してしまいます。後任に迎えた新ボーカリストはデヴィッド・クレイトン・トーマスでした。アルのやや頼り無かったボーカルに比べ、DCトーマスは声量に溢れ迫力ある力強さが魅力的であり、新体制はコマーシャルなサウンドも多く取り入れPR力は抜群!1969年にリリースされた2ndアルバム「血と汗と涙」は高く評価され、同年グラミー賞でアルバム部門を受賞し世界的にブレイクしたのです。小生が夢中になった「ブラスロック」というジャンルがロック史で輝いていたのは1970年前後の僅か3年強だけでした。シカゴはこのジャンルを捨てAOR路線に完全転換(裏切り者~!)、チェイスはメンバーの飛行機事故でグループ消滅・・。そんな中で今も原点を忘れずに還暦を過ぎてもロックとジャズとの融合を真摯に実践している「BS&T」、ハイレベルな演奏力と音楽性の幅広さはまさに玄人好みのお宝バンド(フュージョンの先駆者的存在)ではありませんか・・!最後の曲は、老境を迎えても頑固一徹にブラスロックを演奏し続けるな渋いオジサンたちがダイナミックに歌い上げ、燻銀のように演奏している「You've made me so very happy」で締めることにいたしましょう。




★(065):アメリカ 「金色の髪の少女」 (1975年)  (2013.6.7公開)


c0119160_22192147.jpg清涼感溢れるコーラスとアコースティックギターサウンドで、わが青春時代を大いに魅了してくれた「アメリカ」という名の米国バンド。その爽やかなハーモニーと洗練された演奏(哀愁も十分!)は、中年オヤジになってもいつまでも心に残り続けております。中学三年の時、高校受験勉強で深夜ラジオから流れてきたのが彼らのデビュー曲「名前のない馬」
でした。淡々と歌い上げるフォークロックテイストの曲は期せずしていきなり全米NO1となり一躍全世界にブレイクし登場したのです。へ~、こんな地味な印象の曲が大ヒットとなるのか・・と驚いたものですが、なぜか心に刻まれ感性に訴えるものがありました。デビューアルバムもミリオンセラーを記録し、その年のグラミー賞では最優秀新人賞の栄光に輝いたのです。当時はハードロックやプログレの全盛期でしたが、それらとは一線を画す「シンプルで味わいある生の音」がとても新鮮でしたネ~!もしかして一発屋で終わるのかな・・と思いきや、その後も「ベンチュラハイウェイ」「アイニードユー」「魔法のロボット」(Tin Man) 、「ひな菊のジェーン」(Daisy Jane )等の優れた楽曲を次々とヒットチャートに送り込み、音楽史に確固たる地位を築き上げたのです。ジェリー・ベックリー、デューイ・バネル、ダン・ピークの3人によってロンドンで結成されたバンド、なぜ故に「アメリカ」という名前なのかと調べてみたら、3人とも父親はロンドン駐留の米国軍人でアメリカンスクールの仲間だったことが理由のようです。離れた故郷であるが故に、この様にストレートなネーミングを付けて祖国への愛着を表したのでしょう。コーラスを生かした素朴なサウンドは、当時のフォークロック大御所バンド「CSN&Y」と比較されて彼らの弟分とか亜流などと呼ばれていました。彼らを「ウエストコーストサウンド」の流れの中に位置づけて米国フォークロックと捉える人も多いとは思いますが、底流には「ブリティッシュ・トラッド」的な要素や少し湿った味わいがあるように感じます。また美しいメロディにはビートルズの香りが漂うのは、英国で育った文化や伝統が彼らの音楽の中に息づいているからでしょう。1980年頃は、AOR路線も取り入れながら「オールマイライフ」、「風のマジック」、「ライトビフォーユアアイズ」とヒットを放ち1980年代前半まで息長く活動を続けました。今回、紹介した「金色の髪の少女」(Sister Golden Hair)は、デビュー曲に次ぎ全米NO1を記録した彼らの代表曲であり、このナンバーを思い出深く感じる方も多いことでしょう。詩の内容は「女性になかなか告白できない青年の青臭い気持」を歌にしたものですが、曲に「青臭さ」は一切感じられません。アコギとスライド・ギターで静かに始まり、哀愁を漂わせながらも、リズムに乗って疾走していくという曲調。途中で一度トーンダウンした後、エンディングに向けてコーラスが盛り上がっていく構成も実によくできていますね~!メリハリのある演奏を3分弱の短い時間の中でコンパクトに決めてみせる「アメリカ」のブリティッシュ・フォークの真骨頂がここにあります。




★(064):フォリナー 「ホットブラッデッド」 (1978年)  (2013.5.25公開)



c0119160_5523265.jpg1970年代後半~1980年代前半にかけて「プログレハード」と呼ばれる米国ロックバント達が人気を博し世界のミュージックシーンを席巻していました。1970年代初頭のプログレシッブロックが英国バンドを中心に独自の感性・難解なコンセプトアルバム(独善的拘り・個性的)を競い合って一時代を極めたのに対し、1970年代後半以降は米国バンドがプログレ様式にハードロック的要素や、分かり易いメロディアスなPOPサウンド(人工的・商業的な傾向)を加えて数々のヒット曲が生み出されたのです。代表的なバンドは四天王とも称されるフォリナー、TOTO、ボストン、カンサス、その他スティックス、ジャーニー、エイジャ等が大活躍でした。フォリナーの登場は1977年、まさに「衝撃のファーストタイム」!元キングクリムゾンのイアンマクドナルドが中心となり結成され、英国人と米国人が混在したことからフォリナー(外国人)と命名され、当時はスーパーグループ誕生で大いに話題となったものです。歯切れの良いギターのミックジョーンズ、高く伸びのあるボーカルのルーグラハムが才能を発揮していました。その後、「ダブルヴィジョン」(1978年・全米3位)、「ヘッドゲームス」(1979年・全米5位)、そして「フォリナー4」(1981年)は何と全米10週連続1位の栄光に輝いています。(小生はは荒削りのワイルドさや憂いの雰囲気も残すデビュー盤「栄光の旅立ち」が一番好きですが・・)。そんな風潮に対して、「本来ロックとは反抗心や泥臭い気骨・頑固なポリシーの中から生まれてくるべきものであり、大衆受けばかり狙う耳触りだけがいいミーハー的な音楽はロックではない!」と、売上第一主義の姿勢は「産業ロック」と揶揄され、キツ~イ批判(日本初の呼称者は渋谷陽一)が浴びせらたのも事実。しかし、当時の小生はそんな深い思慮やヒネクレ心も持たず夢中になって毎日ラジオで彼らの曲に耳を傾けていたものです。巨大産業ロックの代表バンドの証として、大ヒット曲が目白押しで掲載選択には迷うばかり・・。全体的にアップテンポでハードな曲が多いですが、「待ちくたびれて」の如く切々と哀愁を感じる名曲も・・。今回の「ホットブラッデッド」や「冷たいお前」「蒼い朝」等は彼らの定番的な曲で実にいいですね~!フォリナーはやはり完成度が高くて曲作りが巧い!捨て作品は殆どない素晴らしさをあらためて感じます。いつか第2回目記事も予定していますが、とりあえず今回は「愛とは何かを知りたい」のスローバラードな雰囲気で第1回目記事を締めくくっておきましょう。




★(063):エルビスプレスリー 「この胸のときめきを」 (1970年)  (2013.5.11公開)


c0119160_6221658.jpg「King of Pops」マイケルジャクソンに続き、今回は「King of Rock'n'Roll 」と呼ばれ、米国が生んだ戦後最大のスター「エルビスプレスリー」の記事をレポートします。ギネスブックではCDの世界売上げ歴代ベスト3は、1位:ビートルズ(約10億枚)・2位:マイケルジャクソン(約8億枚)・3位エルビスプレスリー(約6億枚)とのことですが、アナログレコード(詳細数字は不明)を含めればプレスリーの数字は10億枚近いのではないかと想像されます。ちなみにプレスリーの一人娘リサ・マリーはかつてのマイケルジャクソン夫人なので、義理の親子で売り上げた合計数字は一体どの位になるのだろう・・。エルビスプレスリーは、ビートルズやローリングストーンズにも大きな影響を与えたロック史に輝く白人アーティスト、まさに20世紀を代表する米国文化の象徴でありました。1935年にミシシッピー州で生まれたエルビスは1954年19歳でレコードデビュー、1956年に大手RCAと契約した、「ハートブレイクホテル」が全米1位となり、その後は「ハウンドドッグ」・「冷たくしないで」・「ブルースェードシューズ」・「監獄ロック」など立て続けにヒットを飛ばし、一気に全米1の人気歌手に駆け上がっていったのです。当時R&Bを歌う白人歌手は既に珍しくないものの、その殆どはソフトな大人の雰囲気で歌い上げる白人歌手(ペリーコモ、フランクシナトラ、パットブーン等)が主流でした。それに対してエルビスはリーゼントヘアの姿で腰を激しく振ったり、徹底的に黒人になり切った歌い方で一挙に若者の心を惹き付けたのです。大人達からは「黒人の下品な文化は止めろ!R&Bに取り憑かれている」と猛烈な反感を買い沢山の批判を受けました。革命的なエンターテイナーの登場(まさに反逆のロック音楽の体現)はまさに米国社会の全体をも揺るがす事件として大きな衝撃を与えたことでしょう。しかしその後、「エドサリバンショー」(当時の大人気TV番組)に出演したことで彼の全米制覇はついに完成、この瞬間にロックンロールが白人社会の一つの文化として定着したと云われています。さらにハリウッド・デビューも飾り、映画、「ラブミーテンダー」などバラードの面でも幅を広げていきます。当時の米国は徴兵制、23歳を迎えたエルビス(1958年)にも2年間の徴兵通知が届きました。しかし兵役を無事に勤め上げ、復帰後の映画、「GIブルース」(自身の兵役時代に重ね合わせたストーリー)は米国兵らの憂鬱な心を捉えただけでなく全米を魅了する記録破りの大ヒット、その人気はついに国民的なレベルにまで達したのです。1960年代後半のエルビスは映画撮影に嫌気がさして意気停滞したものの、1960年代末期には再びLIVE活動を開始し1969年ラスベガスコンサートでは20万人の観客を酔わせて大復活を遂げたのです。(この頃のエルビスはロカビリーのイメージを完全脱却し、まさに大人のエンターテイナーの風格!) 小生がエルビスを知ったのはビートルズが解散した1970年、当時日本でも大ヒットしたドキュメントLIVE映画「エルビス・オンステージ」を観てからです。その映画の象徴曲こそが上記に紹介した「この胸のときめきを」・・、そしてアップテンポな、「バーニングラブ」です。おデブになったしまったエルビスでしたが、襟の立った真っ白なディナーショースーツ(大きいボタンが一杯付いていた)で歌う彼の姿は、当時の我々にとっては憧れの井手達やファッションだったような気がします。リーゼントヘアやモミアゲ姿、ベルボトムのズボンをはいていた奴が周りに沢山いたなあ・・(懐) 1977年に僅か42歳の若さでエルビスは天国に召されてしまいましたが、彼が残した足跡や名曲の数々は永遠に語り継がれていくことは間違いありません。最後の曲は、エルビスの風格あるスタンダードナンバー、「好きになられずにいられない」で締めくくることとします。
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★(062):マイケルジャクソン 「ベン」  (1972年)  (2013.4.27公開)


c0119160_15555658.jpg「King of Pops」と称せられる「マイケルジャクソン」・・・、今さら詳しい解説は不要とも思いますが、アルバム・シングル・CDの総売上枚数は7億5千万枚で「人類史上最も稼いだエンターテイナー」とも呼ばれたスーパースターでした。2009年、最後の公演と予言した「THIS IS IT」のツアースタートに入る直前(6月25日)に50歳の若さで突然の死を迎え、全世界に強い衝撃と悲しみを与えたのは皆様ご存知の通り・・。しかし、小生にとってのマイケルはやはり少年時代(14才)に切々と歌い上げていた名曲「ベン」(鼠のベンと少年ダニーの交流を描いた映画主題歌)の印象が今も強く残っていますネ~!4人の兄達と結成した「ジャクソン5」のボーカルとしてブレイク、1969年10月発表のメジャーデビュー曲「帰ってほしいの」(I want you back)が全米シングルヒットNO1にいきなり輝きました。その後も天才児ぶりを発揮し、「ABC」「さよならは言わないで」など立て続けに全米1位曲を放ち、この頃からすでにスーパースターとしての地位へ駆け上がっていたのです。 その後、ダイアナ・ロス主演のミュージカル映画「WIZ」(オズの魔法使いをアレンジした黒人少年・自分探しの物語)の映画主題歌でも新境地を切り開き、青年に成長すると歌・ダンスはさらに磨きが掛っていき、あのムーンウォークの超絶美技へと繋がっていくのでした。「ジャクソンズ」時代のディスコ曲「今夜はブギー・ナイト」では、ハタチになった青年マイケルが最高にカッコいいネ~!その後はソロデビュー(1979)、80年代の大活躍は言うまでもありません。名盤「オフ・ザ・ウォール」(Rock With You)が大好きでした!)のリリース時には完全脱皮で大ブレイク、歴史的な大作「スリラー」は単独で1億500万枚販売の世界ギネスを記録しグラミー賞史上最多8部門を獲得したのですからまさに驚異的(絶頂期時代の名曲の数々はいつか気が向いた時に掲載予定)。その後、少年の性的虐待や数々の奇行でも話題となりましたが、50歳の若さで亡くなってしまったことは誠に残念!(彼の伝説化には一挙に拍車がかかりましたが・・)。昨年末に「ジャクソンズ」が再結成され来日(グループを一緒に支えた兄のジャーメインも復帰)し、往年のファン彼の在りし日の姿に思いを馳せたことでしょう。少年時代のマイケルと、死を迎える前の大人のマイケルが声と映像でコラボした「アイルビーゼア」のPVを観ればその感慨は一層に深まるかも・・。

  by rollingwest | 2001-08-01 00:00 | 洋楽(ロック・POPS) | Comments(74)

RW/洋楽コーナー:「My Favorite Songs」 (第7巻)

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★(061):オリビアニュートンジョン「そよ風の誘惑」 (1975年)  (2013.4.11公開)


c0119160_20383431.jpg清楚なイメージ・美しい容姿と天使の様な透き通る声で、我が青春時代(全くもてなかった18才前後)の心を癒してくれた歌姫がオリビア・ニュートンジョン様でありました。大学1年生として東京で初の独り暮らしを始めた1976年の春、下宿生活のラジオから毎日流れていたオリビアの美曲は「そよ風の誘惑」。クリスタルボイスで奏でられる爽やかで美しいメロディ、全米No1にも輝いたこの曲こそが1970年代の清純路線のオリビアの象徴だったように思えます。(*^m^*)ぷっ aho!誰?吹き出してる奴は・・。1976年前後の彼女は「プリーズMRプリーズ」「サム」等の美しいバラードや、「愛しい貴方」等の軽快で素朴かつPOPなカントリーソングで世界を魅了していました。オリビア・ニュートンジョンは、1948年英国ケンブリッジ生れ(今年もう65歳か・・)、父親は大学教授、祖父(母方)は何とノーベル賞物理学者(マックス・ボーン)という超エリート家系に育ったのです。14歳の時から音楽活動を始め、1971年の「イフナットフォーユー」(ボブディラン曲カバー)で歌手デビュー、この曲は米国5位・英国7位となる順調な発進、その後も数々のヒット曲を放ちました。そして1974年には「愛の告白」(I Honestly Love You)がついに全米1位を獲得、グラミー賞2部門の栄誉へと輝いたのです。1975~76年前後のオリビアは、「ひとりぼっちの囁き」(Come On Over)等の心のこもる歌を切々と歌い上げていました。この頃の彼女が最高だったナア・・!(*^m^*)ぷっhaihai 。しかしジョントラボルタと映画共演した「グリース」(1978)あたりからディスコで歌い踊ったり何か異常に元気過ぎるパワフルさが・・。1980年代になるとELOと「ザナドゥ」共演したり、レオタード姿になって「フィジカル」歌ったり・・、「あ~、やめてくれ・・俺の清純なオリビアのイメージが崩れていく・・!」と落胆したものです。でも今は大半の方のイメージは80年代に元気で飛び跳ねていた彼女の姿なのでしょうね・・。最後に小生が最も好きなバラードの「ドントストップビリーヴィン」(1976)にてあの清純なオリビアに思いを馳せたいと思います。(*^m^*)ぷっ mada yatteru ahotare (ToT)/~~   。


⇒次回は、世界的な伝説のスーパースター「マイケルジャクソン」の少年時代の名曲「ベン」お送りします。\(^◇^)/♪;




★(060):CCR 「雨をみたかい」(Have You Ever Seen The Rain)  (1971年)  (2013.3.30公開)


c0119160_3513877.jpgCCR(クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル)、小生が洋楽に夢中になり始めた1970年当時に快進撃を続けていたロックバンドでした。CCRといえばいかにも米国南部を思わせるワイルドでカントリーっぽい特徴が印象的ですが、実は彼らの出身地はカリフォルニアだったと知りビックリ。リーダーのジョン・フォガティが同級生だったスチュワート・クック、ダグクリフォード、ジョンの兄トムフォガティを加えて1968年にデビュー。小生が最初に彼らの聴いたヒット曲は、「トラベリンバンド」や、「アップ・アラウンド・ザ・ベンド」「スィートヒッチハイカー」、激しいアップテンポ曲だったので最初はハードなロックンロールバンドとばかり思っていました。しかし今や彼らのスタンダードナンバーとなっている「雨を見たかい」(Have You Ever Seen The Rain)やカントリー色が溢れる「サムデイ・ネバー・カムズ」等を聴くと、一体このバンドは何が主流なのだろうと見極めができなかった時期も・・。デビュー当時は、「スージーQ」に代表されるようにコテコテのホワイトブルースバンドでしたが、1969年にはシングルカット「プラウドメアリー」が全米2位を記録していきなりの大ブレイクを果たすと、ブルース色は一気に薄れ、カントリー、ロカビリー風のシンプル&ストレートなロック(ザ・バンドの影響を受けた)へと一挙に変貌を遂げていきました。R&R感覚 のカントリー色が強い印象はリードギタリストでもあるジョン・フォガティの魅力ある声。エモーショナル&ブルージー、そしていかにも黒人っぽい雰囲気をもつパワフルなジョンのヴォーカルこそがCCRのイメージに繋がります。1972年に初来日・・、因みにこの頃は大物ロックアーティストの初来日が続々(レッドツェッペリン、ディープパープル、GFR、ピンクフロイド、イエス、EL&P 、シカゴ、T-REX、スリードッグナイト、フリー等)でML誌の記事を食い入るように読んだものだなア・・。しかしすっかりジョンのワンマンバンドと化していったことに他の3人の 不満が爆発。特にトムフォガティ(ジョンの兄)との不仲は決定的となり71年1月に遂にトムは脱退、3人での初来日となってしまいました。多くのヒット曲を連発しながらも輝いた実働期間はわずか3年・・、太く短くロック発展期を駆け抜けていったバンドでした。最後は名盤「コスモスファクトリー」から雨繋がりの曲「フール・ストップ・ザレイン」で締めることにいたしましょう。




★(059):ジャーニー 「ホィール・インザ・スカイ」   (1978年)  (2013.3.16公開)


c0119160_7462439.jpgWBC3連覇の偉業を目指し日本中を沸かせた「侍JAPAN」、その応援テーマは「ジャーニー」の往年の名曲「セパレイトウェイズ」でした。「ジャーニー」は、1980年前後に高完成度かつPOPなプログレハード・サウンドで我々を魅了してくれました。そして3月中旬、ジャーニーとサンタナ(前々回紹介した)が同時期に来日しましたネ~!恥ずかしながら不勉強で、2大バンドには深い縁があったことを最近まで知らなかった・・(両者の音楽性やイメージが余りにも違うので想像だにしておりませんでしたが、先日サンタナの記事を書いて初認識)。 1975年、元サンタナのメンバーだったニール・ショーン(ギター)&グレッグ・ローリー(キーボード)を中心にバンド結成、初期はプログレシッブ・ロック志向(インストゥルメンタル中心)で、全盛期のPOP感覚溢れるメロディックな音楽性とはかけ離れており人気・商業的には成功せず完全に低迷期でした。当時は専任ヴォーカリトは不在で、スティーヴ・ペリー(類い稀なる美声のハイトーンヴォーカリスト)はまだ在籍していませんでした。(グレッグ・ローリーの渋目のヴォーカリストが好きという人も多いようですが・・)彼らのことを、「産業ロック」(TOTOも同様)と陰口をたたく評論家まで現れましたが、あまりにも売れすぎたことへの皮肉という部分があったのかもしれません。しかし人気が出るのは当然かも・・、ジャーニーサウンドは、唸らせられる程の素晴らしい編曲と高い完成度、これらはメンバー成熟した彼らの実力と努力の成果というしかありません。今回はブレイクの契機となった4thアルバム「インフィニティ」(1978)からの名曲「ホィール・インザ・スカイ」を紹介します。この名盤は、プログレシッヴ系ロックバンドとしての作風も維持しつつ、スティーヴ・ペリーの伸びあるヴォーカルを生かした躍動感ある楽曲との和合が特色となっておりプラチナディスクを初めて獲得、「ライツ」「ラヴィン・タッチン・スクゥィージン」等の名曲を次々とヒットさせました。グレッグ・ローリー(ブルース色の音楽志向)は心労理由(彼の音楽性に合わなくなってきたのでしょう)で1980年に脱退しますが、後任に゙ジョナサン・ケインが加入するとさらにPOP路線へと傾倒拡大、「お気に召すまま」「フィーリング・ザットウェイ」等のヒット曲はその後のバンド方向性を明確に示すことになりました。そして1982年には、米国ロック史上の最高傑作の一つ「エスケイプ」(全世界で800万枚も売れた)が生み出されました。この名盤からの代表曲は「ドント・ストップ・ビリ-ヴィン」や「オープン・アームス」などキラ星の如く・・、まさに彼らの全盛期を迎えていくのでした。全盛時代の記事はまた次回、ジックリと紹介したいと思います。
(PS)ところで「スティーヴ・ペリー」とお笑いピン芸人「なだぎ武」、ソックリと思うのは小生だけなのでしょうか?アッ、失礼いたしました~、ペリー様!m(_"_)m (笑)





★(058):ラズベリーズ 「明日を生きよう」   (1972年)  (2013.3.3公開)


c0119160_77559.jpg小生が最も愛するアーティストの一人「エリックカルメン」がソロ活動に入る前に、リーダーとして活躍していたNICEなバンド「ラズベリーズ」(1972~1974)を紹介したいと思います。小生が高校時代に「明日を生きよう」(I wanna be with you)、「レッツプリテンド」等、深夜ラジオ番組から流れるラズベリーズのヒット曲を夢中になって聴いていたものです。当時は、バッドフィンガー(ビートルズの弟バンド)と同じ「パワーPOP」路線の代表として人気を博していたような気がします。ビートルズの雰囲気をもった親しみやすく美しいメロディ、パワー溢れる明るいサウンドで1970年前半の象徴的バンド、今も友人と洋楽カラオケで彼らの往年のヒット曲を歌うことが多いですネ~。今も美少年の面影を残すエリックカルメン(過去紹介したエリック記事はコチラ「第1巻」(003)から)、美しい歌声に素晴らしいPOPなリズム感覚、人を魅了するオーラが溢れており、天は二物も三物を与えるケースもあるんだなアと思う次第。ソロになってラフマニノフ交響曲などのクラシカルな一面を広げていった彼ですが、ラズベリーズ時代は、「トゥナイト」等のパワー感に満ちたロックサウンドとPOPな美しいメロディが融合した佳曲が多かったような気がします。「君に首ったけ」(Ecstacy)のPVは色っぽい美女が続々と登場!エッチですネ~!鼻血が出るかな・・(笑) そして最後は彼らの最大名曲の一つ「ゴーオールザウェイ」で締めましょう。ラズベリーズ音楽は瑞々しく、軽やか、力強く、若々しく、切なく、美しい・・。やはりエリック・カルメンの少し「鼻にかかった」ような甘い歌声、歌唱力に負うところが大きいと思います。彼の歌声は、「ラズベリーズ」の名に相応しく、甘酸っぱい印象を携えて、聴く者に若い日々の甘く切ない恋の記憶を甦らせてくれます。




★(057):サンタナ 「ブラックマジックウーマン」  (1970年) (2013.2.16公開)


c0119160_6202097.jpgロック史上に燦然と輝く偉大なるギタリスト達の中から「カルロス・サンタナ」の名前を外すことは絶対できません。この偉大なるメキシコ出身の名ギタリストも今年(2013)で66歳を迎えますが、今も第一線でバリバリ活躍しているのですから本当に凄いものです。彼独特の魔法の様なテクニカルプレイは誰も真似ることのできない神領域のようにも思えます。小生が夢中になった頃(1970前後)は「ブラックマジックウーマン」を代表曲とするラテンロックで超人気を集めていました。この名曲がフリートウッドマック(ブルースバンド時代)のオリジナル曲(ピーターグリーン作曲)だったと後程知ってビックリしましたが・・。カルロスが率いるバンド「サンタナ」の大ブレイクは歴史的なロックコンサート「ウッドストック」(1969)に出演したことでしょう。フィルモアの盟主・ビルグレアムに見出されていた新進バンドは歴史的な大舞台で「エヴィルウェイズ」等の渋くも衝撃的なラテンロック曲の数々を披露して一挙に注目され、その勢いを買って2ndアルバム「天の守護神」(1970年)は大ヒットとなりビルボード誌アルバムチャートNO1を獲得したのです。「ブラックマジックウーマン」とメドレーで繋がる一体曲「ジプシークイーン」は驚異のハイテクニック。そして「ジンゴー」や「僕のリズムを聞いとくれ」はバリバリのラテンリズムロック、むしろこのアルバムはアフロロックの雰囲気が強かったような気もします。しかしその後サンタナは音楽性を方向転換。1971年にニールショーン(その後ジャーニーの主力メンバー)が加入しツインギター編成してジャズロック色を強めた「キャラバンサライ」(1972年)を発表、さらにマハビシュヌオーケストラと組んで哲学的な音楽志向へと・・。この辺りからもう小生は完全についていけなくなりました・・・。(苦笑) しかし1976年にラテンロックに回帰した名盤「アミーゴ」をリリース、当盤からはかの有名な「哀愁のヨーロッパ」が日本でのみでシングルカットされ人気を博しロック名曲として語り継がれたのです。(哀愁を帯びたメロディが日本人感性にピッタリ調和したのでしょうネ~)。その後の20数年は雌伏していたように見えていましたが、何と1999年に再び奇跡の復活で大ブレイク!ロブトーマスとコラボした「スムース」が全米1位になり、アルバム「スーパーナチュラル」(セッションマンとコラボスタイル)はグラミー賞9部門独占の快挙を果たしたのでした。サンタナはラテンロックにとって伝説の導師・シンボル的存在。今年の3月に来日とのことですが、沈静化していた日本にラテンの元気を与えてほしいものです。最後に小生お気に入りのラテンロック名曲「君に捧げるサンバ」を聴きながら、今後もサンタナが原点を忘れず古稀になっても活躍を続けてくれることを祈念!





★(056):ダニエルパウター 「ベストオブミー」 (2010年) (2013.2.2公開)


c0119160_642090.jpg60年近いロック・POPS史から、ピアノのロックアーティスト・ソロ吟遊詩人を列挙しようとすると意外に少ないなアと気付かされます。エルトンジョン、ビリージョエル、レオンラッセル、ギルバートオサリバン、ベンフォールズ・・くらいですかネ~。長い音楽史が刻まれていても、有名になって栄光に輝き名前を残したロックピアノマンがたった数人しかいないとは・・、商業的に大成するには意外と難しい分野なのかもしれません。21世紀に入ってブレイクしたピアノマンと言えばやはり「ダニエルパウター」が筆頭に挙げられます。2006 年のデビューシングル「バッド・デイ」(ついてない日の応援歌)がグラミー賞にノミネートされ、同年のビルボード・シングルチャートでは年間1位を獲得、1st アルバムも全世界で約300万枚のセールスを記録しました。 35歳でのブレイクはまさに遅咲き桜(現在42歳)、苦労が長かったカナダ出身のピアノマンの優しい歌声とPOPなピアノ旋律には、聴き手に癒しとリラックス効果を与えるような才能が秘められている気がします。とはいえ大ブレイク後の3年間はパッとせず再び苦悩、2009年ビルボード誌から最近10年での「一発屋」(落差が大きかったアーティスト)第一位に認定されるなど再び低迷の汚名を頂き紆余曲折の道へ・・。しかし2010年には上記掲載曲「ベストオブミー」が収められた「アンダーザレーダー」をリリース。さらに同年のアルバムからの「ネクストプレインホーム」など多くの佳曲を発表、昨年(2012)には「恋のキューピッド」をリリースして来日、元気の復活は実に嬉しいですね~!人生は常に「塞翁が馬」・・、ダニエルパウターには今後も是非頑張ってもらい、記憶に残る歴代ピアニストとしてその名を残してもらいたいと願っております。最後に彼の名曲「フリーループ」を聴きながらさらに応援歌!

  by rollingwest | 2001-07-01 00:00 | 洋楽(ロック・POPS) | Comments(97)

RW/洋楽コーナー:「My Favorite Songs」 (第5巻)

                 【My Favorite Songs】の過去紹介した記事一覧(INDEX)はコチラから
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★(049):ニールヤング 「男は女が必要」  (1972年)  (2012.11.3公開)

 

c0119160_20585420.jpg小生が洋楽ロックに夢中に嵌り始めたのは1970年・・、当時は1960年代末のウッドストック潮流やビートルズ解散を一つの節目としてロックがダイナミックに発展していた時期。ハードロック・ブラスロック・プログレ、JAZZ・クラシック融合を目指すした試みや挑戦が展開され、先鋭的に進化を遂げる新しいロックの姿に小生も日々夢中でした。ニールヤング「ハーヴェスト」「アフターザゴールドラッシュ」、CSN&Y「4ウェイストリート」、ML誌で評価が高かったフォークロック分野も気になっていましたが、小生には保守的なカテゴリーに映っていため二の次って感じでした。当時高価なるLP購入をどの分野に資源優先をさせるか皆様も共通の悩みだったでしょう。ニールヤング初聴の印象は、今一つピンと来なかった・・。類人猿的ワイルドな顔の割には、鼻に詰まったフニャフニャした変テコリンな声だし、ギター音はガリガリとノイジーな感じで決して上手いとは言えません。しかし齢を重ねるうちに、センチメンタルに切ない声で真摯に歌いあげる姿が大好きに・・。寂寥感・抒情性を漂わせシンプルな詩にはダンディズムとノスタルジーが溢れ、スワンプに歌い上げる「オールドマン」や黒人奴隷の苦しみを歌う「サザンマン」は象徴曲の様な気がします。雰囲気から彼は米国南部出身シンガーソングライターと信じ込んでいましたが、実はカナダ人だった!1966年、LAに移り住んだニールヤングはフォークロック史の伝説的バンド「バッファロー・スプリングフィールド」をスティーブン・スティルスらと結成し活躍、後にCSN&Yへ加わりロック史名盤「デジャブ」(代表曲はヘルプレス)を発表し大きな足跡を残しています。ソロ活動でも数々の至高作品を生み出しており、代表作は何といっても「アフターザゴールドラッシュ」と「ハーベスト」、「Heart Of Gold・ 孤独の旅路」、が最も有名(彼の唯一の全米NO1ヒット)ですが、小生は今回紹介した「男は女が必要」一番好きですネ~。小生、切なげに絶叫する歌が好きなので・・、(笑) RYOさん推薦「See The Sky About To Rain」ロックインザフリーワールドも追加!ニールヤングは今もなお生涯現役に拘り、盟友クレージーホースとの熱い魂の交流を続けながら、シンプル・ストレートなメッセージを誠実に発信し続けている。




★(048):リトルリヴァーバンド 「ロンサムルーザー」 (1979年)  (2012.10.19公開)


c0119160_2030244.jpg70年代後半~80年代前半に、米国で多くのヒットを放ち続けた「リトルリヴァーバンド」。高い音楽性とセンスある当バンドの数々の名曲をラジオでよく愛聴していたものです。サウンド的には米国西海岸の雰囲気に満ち溢れていますが、実はこのグループはオーストラリア出身のバンド(でもエアサプライやAC/DCとは全然路線が違う)なのです。メンバーは、シンガーソングライターが3人集結し、リードギター、ドラムス、ベースの3人が脇を固めた形の6人組の構成となっています。1975年に結成され、翌年にはアメリカ進出、当時商業的な成功を収めていたイーグルス、ドゥービーブラザーズ、リンダロンシュタットなどのウエストコーストサウンドを意識しながらオリジナルで多彩な楽曲を次々と発表していきました。1978年「追憶の甘い日々」(リミニッシング)が全米3位の栄冠を獲得し、一躍全世界的なメジャーバンドへと成長しました。日本では殆ど知名度がないのが不思議なくらいです。今回紹介の「ロンサムルーザー」はやはりイーグルスサウンドに雰囲気が非常に似ている感じがします。アメリカンチャートで上位に入った「クールチェンジ」は落ち着いたAOR風の名曲、「ハッピーアニバーサリー」はややファンキーでハードなPOP曲、「遥かなる道」はサザンロックのような曲調。彼らの織り成すサウンドは、コーラスハーモニーが強力な部分は共通しているものの一つのイメージで語るのは意外と難しいバンドである様な気がします。それだけに「多才で実力がある優秀バンドってことですね~!彼らのヒット曲は実に数が多いので、今回と次回で4曲ずつ2回に分けて紹介したいと思います。




★(047):ビーチボーズ 「スループ・ジョン・B」 (1966年)  (2012.10.5公開)


c0119160_20165817.gifポピュラー音楽史に輝かしい伝説を残し今もなお数多くのアーティストに影響を与え続けている「ビーチ・ボーイズ」。 2012年は歴史的なロックバンド(ビートルズ、ローリングストーンズ)と同様に、結成50周年の節目の年を迎え、8月に来日してジャパンツアーを成功裏に終わらせました。初期のビーチボーイズは、1960年代米国像(ケネディ大統領が就任、強く豊かで自由な国をアピール)の若者ライフスタイルに密着したサーフィンサウンドを前面に出して、サーフロック=ビーチボーイズサウンドとして捉えられています。お馴染の曲は「サーフィンU.S.A」「アイゲットアラウンド」「グッドバイブレーション」などが有名ですね。 しかし彼らがミュージックシーンに残した功績はそれだけではなく、ビートルズとの差別化や相互の切磋琢磨から生まれた「ペット・サウンズ」というポップス史上に燦然と輝く名盤を作りあげたことが特筆されます。従来のサーフロック路線では飽き足らなかった中心メンバーのブライアン・ウィルソンは、 ビートルズの傑作「ラバーソウル」に刺激を受けてその音楽性を着々と高め成長していきました。繊細で感受性の豊かなブライアンは、初期時代から精神的な患いもあってツアーには参加せず、スタジオに籠ってアルバムを制作するようになります。傑作「ペット・サウンズ」によって、ライブツアーとスタジオレコーディング作品を完全に分けるという制作スタイル・考え方が1966年に生み出されたのです。「ペットサウンズ」はビートルズに対しても大きな影響を逆に与えました。ビートルズ金字塔アルバム「サージェントペッパーズ・ロンリーハーツ・クラブバンド」のコンセプトアルバムという形態を出現させ、その後プログレ゙など多様なロックへの発展進化に繋がっていきました。なるほど、キングクリムゾン・イエス・ピンクフロイドなどは間接的にビーチボーイスの発想から生れてきたという訳か・・!しかし世間の期待するビーチボーイズの音楽イメージは相変らずの定番サーフサウンド・・、ところが継続は力なり。 1988年にブライアン抜きの残りのメンバーで作曲した「ココモ」が 映画「カクテル」の主題歌に抜擢され、22年振りの全米NO1ヒットを記録したのです。長い間、元気に活動していると色々とありますね~!一時期、メンバーとブライアンと確執がありましたが今回目出度く和解して来日し全盛期の再現となりました。上記に紹介した曲は名盤「ペットサウンズ」からシングルカットされた「スループ・ジョン・B」(ジョン・B号の遭難)、ブラザーズフォーやキングストントリオも歌った往年のナンバー、実に爽やかな名曲です。




★(046):ドゥービーブラザーズ 「チャイナグローブ」 (1973年)  (2012.9.22公開)


c0119160_4552586.gifイーグルスと並びウエストコーストサウンドの代表的なロックバンド「ドゥービーブラザーズ」、ロック史に輝くこのグループは前・後期で全く違う音楽性を見せましたがそれぞれに高く評価されています。今回は前期を象徴する名曲「チャイナグローブ」で登場頂きましょう。その歴史は1969年トムジョンストンが率いるフォークロックのバンドが米国カリフォルニアで「ドゥービーブラザース(マリファナ仲間の意味)の名前でデビューしたことに始まります。デビュー当時はパッとしなかったようですが、パットシモンズという名ギタリスト・ボーカリストやツインドラムの導入で音楽性の質・パワー・アレンジを高めていき、1972年のアルバム「トゥルーズストリート」からも名曲「リッスントゥザミュージック」が全米11位の大ヒットを記録してパッと華を咲かせました。そして1973年には前期の最大名盤「キャプテンアンドミー」がリリースされ、「ロング・トレイン・ランニン」や「チャイナグローブ」の大ヒットを輩出しています。(やっと、パッとシタモンズ・・・、いつまでやってんだ oyajigyag寒~、m(_"_)m)  このアルバムからスティーリーダンのジェフバクスターが参加、さらに翌年リリースした「ドゥービー天国」からの名曲「ブラックウォーター」が全米No.1の大ヒット(1975年)を記録、これによって名実ともにアメリカンロックの頂点を極めることになりました。「チャイナ・グローブ」は実に小気味がいい素晴しい曲・・、イントロのギターカッティングは一度耳にしたら忘れられない程、印象的ですネ~。後期(1976年以降)は、マイケル・マクドナルドの加入(病気で一時的にバンドを離れたトムジョンストンの代役としてジェフバクスターが招聘)によって、バンドの音楽性は都会的なAOR路線に完全転換、グラミー賞4部門受賞で2度目の全盛期を迎えていくのです。前後期ともそれぞれに素晴らしい魅力に溢れていますが、小生はどちらかと言えば歯切れがよくファンキーな時代が好きだナア・・。前期はメロディやギターリフが素晴しくノリがいいし、ツインのドラムやギターも個性的な印象が強い・・。「希望の炎」も前期の名曲です。渋いね~!次回洗練され大人びたAORグループに変身した後期ドゥービーの魅力も紹介していきたいと思います。




★(045):イングランドダン&ジョンフォードコーリー 「秋風の恋」 (1976年)  (2012.9.9公開)


c0119160_613828.jpg秋になると聴きたくなるのがイングランド・ダン&ジョン・フォード・コーリーの「秋風の恋」。哀愁のメロディと爽やかなヴォーカルハーモニの心地よいサウンドが今も心の中に余韻を残しています。70年代を代表するデュオグループといえばロギンス&メッシーナ、ホール&ウォーツ、シールズ&クロフツ等があげられますが、イングランド・ダン&ジョン・フォード・コーリー(以下ED&JFCと表記)はその筆頭的なPOPデュオでした。(大学時代にFENラジオで夢中になって聴いたネ~) 1971年にデビューしたものの、その後5年経っても鳴かず飛ばずだった彼らを一挙にスターダム('76年全米第2位のミリオンセラーヒット)に導いたのがこのナンバーです。その後ED&JFCは、「眠れぬ夜」「悲しみのかなたへ」、「愛の旅立ち」、「ラブイズアンサー」、と次々にヒット曲を放っていきました。しかし彼らがまだ世界的にブレイクしていなかった時代(デビュー後5年間も低迷)、唯一日本だけでヒットした「シーモンの涙」(1972年)は高校時代に深夜のラジオ放送で聴いていたさらに懐かしい曲です。カントリー・フレイバーも漂うアコースティックなPOPサウンドと美しいハーモニーが、日本人の琴線に触れたのかも・・。ちなみに、ED&JFCの構成メンバーの一人、ダンシールズは、シールズ&クロフツのジム・シールズの弟で2009年に残念がら天国に召されました。兄弟でコンビを組んでほしかったなあ・・。(あらためて合掌)




★(044):ブルーススプリングスティーン 「明日なき暴走」  (1975年)  (2012.8.26公開)


c0119160_64915100.jpg70年代ロックシーン金字塔の一つ、ブルース・スプリングスティーンの衝撃的な名曲「明日なき暴走(Born To Run)」 (1975)を初めて耳にしたとき、鮮烈な印象を受け鳥肌の立つような興奮を覚えました。この疾走感と緊張感、これぞ「ロック」の真骨頂!グイグイ迫って来る力量あるブルースの激しいボーカル、それを支えるバンド演奏も実に素晴らしい~。クラレンス・クモンズ(レコードジャケットでブルースが寄りかかっている左の人物)の強烈サックスもこの曲に溢れる疾走感を一段と際立たせています。ブルース・スプリングスティーンは70年代中盤~80年代に活躍した米国を象徴するロックミュージシャンです。最も有名な曲「ボーン・インザ・U.S.A.」(1984) のイメージ(ロック版ランボーみたいな星条旗を振り回すマッチョなヒーロー)が強すぎる感がありますが、1973年デビュー当時は「ボブディランの再来」と称されるシンガーソングライターだったのです。ロック一辺倒ではなく、ハーモニカやピアノの演奏も交えた哀愁的なシンガーソングライター的な名曲(「リバー」「サンダーロード」等)も数多く残しています。3rdアルバム「明日なき暴走」で爆発した圧倒的なロックサウンドで彼は一挙に大ブレイク!その後MTVのブームにも乗り歴史的なチャリティ「ウイアーザワールド」(1985)にも参加、世界的なアーティストへと登り詰めていきました。彼のロックへの姿勢は、演奏形態・技巧・楽器奏法は全く関係なく、迸るエネルギーをストレートに表現し叫び続けるもの。「オレ達は走るために生まれてきたのさ」・・(Born To Run)、そんな衝動に駆られる程のパワーが爆発した70年代象徴の名曲でした。






★(043):デビッドボウイ 「スペース・オデティ」  (1969年)  (2012.8.15公開)


c0119160_672158.jpg20世紀を代表する英国ロックスター「デヴィッド・ボウイ」。60年近いロック史において彼ほど活動キャリアの中で音楽性やルックス・ファッションのイメージを変化させ続けてきたアーティストはいないでしょう。常に新しい分野へ先進的に挑戦し、自らを変革させてきた変幻自在のカメレオンアーティストとも呼ばれています。我々の世代では、Tレックス(マークボラン)やロキシーミュージック(ブライアンイーノ、ブライアンフェリー)等と並んで「グラムロック」(1970年代初頭にブームとなった頽廃的・耽美的な雰囲気のロック分野)の旗手として輝いていたことが強烈な印象で残っています。しかし1967年デビュー直後の彼は全く評価されず泣かず飛ばずの状態で一度音楽業界から姿を消していたのです。この頃演劇活動に身を投じ、劇団がTV映画に出演するサウンドトラック曲として「スペース・オディティ」を書き上げたところ、これが突然で英国で大ヒット(全英5位)し、ロックスターへの足がかりを掴んだのでした。そして1972年、不朽の名盤「ジギー・スターダスト」(異星人ロックンローラーが地球を救うコンセプト)をリリースし、名曲「スターマン」(1972)と共に大ブレイクして一気にスターダムへと駆け上がりました。それに続くアルバム「アラジンセイン」(ヒット曲は「ジーンジニー」)は、発売同時に全英1位という快挙を達成!この映像からも判るように元祖ビジュアル系のグラムロックはこの頃人気を爆発させ、ボウイはTレックスと一緒に世界を席巻して行きました。しかし彼は絶頂の中で「ジギー」キャラクターを突然捨て去り、ブライアンイーノとの出会いを経て、アメリカンソウルに接近し新たな潮流に乗っていきました。ジョンレノンと共作した「フェーム」のヒット、「レッツダンス」でディスコ系ダンスミュージックに路線を変えMTVに頻繁に登場したり、初の主演映画「地球に落ちてきた男」や日本映画「戦場のメリークリスマス」でタケシと共演してみたり・・、チベット難民救済活動を展開したり、何でもやっちゃいますネ~!90年代も21世紀に入ってからも彼の新分野への挑戦は続いてきましたが、彼の新たな音楽を求める旅は当分終わりそうもありません。




★(042):ディープパープル 「ハイウェイスター」 (1972年)  (2012.8.2公開)

 

c0119160_22183174.jpg最近、青春時代に馴れ親しんだロックアーティストの訃報が相次いでいますが、今度は元ディープ・パープルの初代キーボードジョン・ロードが7月16日に死去(膵臓癌)しちゃいましたネエ・・。ディープ・パープルは近日中に名曲「スモークオンザウォーター」を掲載する予定でしたが、今回はジョンロードのキーボードプレイが光った曲に選定変更します。ディープ・パープルは、1968年に英国で結成されたハードロックバンド、当時レッドツェッペリンと対比されるヘビーメタル先駆者で、その優れた楽曲・サウンド・演奏力は現在でも多くのアーティストに尊敬されています。小生がパープルに夢中になったのは最大名盤「マシンヘッド」(1972年:「ハイウェイスター」、「スモークオンザウォーター」、「レイジー」を収曲)をリリースした黄金期時代(第2期メンバー)!当時のメンバーは、イアンギラン(Vo)・リッチーブラックモア(Gt)・ジョンロード(Key)・イアンペイス(Ds)・ロジャーグローバー(B)でヘビメタ・ハードロックの王道(高速道路)を爆進中でした。「ハイウェイスター」は疾走感・スリリング溢れるその象徴曲!ジョンロードのキーボードプレイ(オルガン)での畳掛けも本当に素晴らしいネ~!しかしデビュー当時は、意外にも芸術性の高いアレンシやクラシックエッセンスを取り入れたプログレ路線バンドだったのです。(後に知ってヘ~と驚き!)。オルガン中心のアートロックを主導していたのはまさにジョンロード。第1期メンバーでは「ハッシュ」の大ヒットで順調に活動していましたが、70年代に入るとレッドツェッペリンの大ブレイクに刺激され一挙に路線をハードロック志向に切り替えたのです。イアンギラン&ロジャーグローバーを迎え入れ、名盤「イン・ロック」(「チャイルドインタイム」は超名曲)「ファイヤーボール」「マシンヘッド」で大輪を咲かせました。しかしその後はメンバーの人間関係が悪化し、イアン&ロジャーは脱退、後にリッチーブラックモアもバンドを離れ変遷を繰り返し1976年に解散する事になります。ジョンロードの重厚なるハモンド・オルガンとイアンギランの深みある声、リッチーブラックモアの強力ギターで織り成されたパープルのヘビメタ・ハードロック・・、黄金時代のサウンドは今もロック史に燦然と輝き続けています。ジョンロード様、今も天国でも元気なオルガンプレイで大いに賑わせ魅了していることでしょう。心より哀悼・・。「スモークオンザウォーター」はまた次回のお楽しみ~

  by rollingwest | 2001-05-01 00:00 | 洋楽(ロック・POPS) | Comments(88)

RW/洋楽コーナー:「My Favorite Songs」 (第4巻)

                 【My Favorite Songs】の過去紹介した記事一覧(INDEX)はコチラから
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★(041):レオセイヤー 「遥かなる想い」(When I Need You)   (1977年)  (2012.7.22公開)


c0119160_13195651.jpg今回は、1970年中期~1980年初頭にかけて大活躍した英国出身のアーティスト「レオ・セイヤー」を紹介したいと思います。今はもう知る人は少なくなりましたが、当時はギルバートオサリバンやキャロルキングらと並び称賛されたシンガーソングライターで数々のヒット曲を放っていました。1973年にデビュー、英国で着実なヒットを重ねていましたが、1976年リリースの「恋の魔法使い」がついに全英・全米NO1に輝き、彼は一挙に世界的に有名なアーティストとなりました。当時のディスコブームも意識し躍動的な曲調、とてつもないハイトーンヴォイスとピエロのような風貌が実に衝撃的だったなア・・。さらに連続して全英・全米NO1ヒットとなった曲がこの「遥かなる想い」(When I Need You )。「恋の魔法使い」とは一転、低いキーで対照的な甘いメロディを物悲しく切実に歌い上げていました。実はこの名曲はアルバートハモンド(カリフォルニアの青い空で有名)&キャロルベイヤーセイガーの一流ライターによって作曲されたものです。レオセイヤーが大ヒットさせたことで、その後に超有名アーティスト達(ロッドスチュワート、ペリーコモ、バリーマニロウ、セリーヌディオン)が次々にカバー曲として取りあげてきたのです。彼はスリードッグナイトに「ショーマストゴーオン」の作品提供したり、自らもその後ヒット曲(「星影のバラードなど」)を数々放っていましたが、83年アルバム「Have You Ever Been in Love」以降、音楽活動を休止しました。エルトンジョンやビリージョエル等と比較すると影が薄いかもしれませんが、パワーある声(男性にしては高音が伸びる独特の歌い方)、抜群に安定した音程などが素晴らしく、今も大好きなアーティストの一人です。




★(040):キングクリムゾン 「21世紀の精神異常者」  (1969年)  (2012.7.10公開)


c0119160_613397.jpgビートルズ解散前のLAST金字塔「アビーロード」をNO1の座から蹴落とし、ビートルズ時代を終焉させたといわれる2枚のアルバムがあります。「クリムゾンキングの宮殿」&「レッドツェッペリンⅡ」まさにハードロック&プログレの夜明け、1969年の象徴的な主役交代の節目となりました。 無名の新人バンド「キング・クリムゾン」の1stアルバム(鼻の穴を広げた驚愕の顔の絵が描かれた印象的なジャケット)はまさに狂気と混乱に満ちたロック史上最高の衝撃的な登場でした。オープニング曲「21世紀の精神異常者」(21st Century Schizoid Man)は極度に歪んだメタリックギター、複雑な超絶ドラミング、電子音効果で処理されたスクリーミングヴォイス、まさにプログレシッブロックの萌芽期を代表する強烈かつ完璧な作品と言えましょう。この映像は1969年クリムゾンがデビューしたての頃、ローリングストーンズの前座としてロンドンのハイドパークに出演した貴重なる映像です。電子音にかぶされたグレッグレイク(のちにEL&P・エイジジャで活躍、この映像は若々しいネ~!)の荒々しいボーカル、イアンマクドナルドの激烈サックス、細かく切れ込み畳掛けるマイケルジャイルズのドラム、クリムゾンの連綿たるリーダーとなったロバートフィリップのハードプレイギター、曲作詞を担ったのはピートシンフィールド。JAZZ・クラシックとの融合を目指した新鋭グループは斬新なチャレンジ精神を前面に押し出しながらも、ベトナム戦争への反骨姿勢・反体制の熱気も十分に感じられます。クリムゾンはその後ロバートフィリップを中心にしてメンバー変遷と音楽性の変化を積み重ねていきますが、やはりこの衝撃的なデビューアルバムはロック史の金字塔として永遠に語り続けられていくことでしょう。そして名盤は「墓標:エピタフ」「ムーンチャイルド」を経て、最後はアルバムとグ゙ループ名を冠した曲「クリムゾンキング゙の宮殿」で壮大な展開と余韻を織りなしながら激しい曲調の中で幕を閉じていきます。



★(039):ドンマクリーン 「アメリカンパイ」  (1972年)   (2012.6.28公開)


c0119160_663712.jpg中学3年の小生がブラスロックやプログレに夢中だった1972年、日本の年間洋楽シングルチャートの1位はロバータフラック「愛は面影の中に」、2位はギルバートオサリバン「アローンアゲイン」、そして3位は今日掲載したドンマクリーンの「アメリカンパイ」でした。因みに4位はニルソン「ウィズアウトユー」。1970年代を代表する名曲がこの年に顔を揃えていたのです。「アメリカンパイ」は、8分36秒という長い曲にも関わらず全米No.1(1971年)となり590万枚も売れ、2000年にはマドンナもカバーし現在まで米国人に愛され続けている名曲です。1959年2月、ロック創世期のスーパースター(バディーホリー、ビッグボッパー、リーッチーヴァレンス)が飛行機事故で亡くなりました。NY出身の孤高のシンガーソングライター「ドンマクリーン」は、尊敬するバディの命を奪った事故をこの曲の中で「音楽が死んだ日」と歌い上げました。作品の歌詞は「謎の迷宮」とも呼ばれ、ボブディラン・エルヴィスプレスリー・ビートルス・ローリングストーンズ・バーズ・ジェームスディーンなどが登場、アポロ計画・核戦争なども交錯して歌われ、60年代の悩める米国を読み解くように表現した大作とも言われています。彼は懐かしき1950年代ロックが終わった節目を哀愁として捉え、また10年後の1969年も反骨精神のロック時代は終わった(Jの悲劇でジミヘンドリクス、ジャニスジョプリン、ジムモリスンなどのスーパースターが次々に死亡)と歌っているのかな? ロック音楽史で刻まれる1959年&1969年の出来事はやはりロックが変化し生まれ変わって行った節目だったのかもしれません。1970年代ロックが好きな小生も垢抜け過ぎている80年代ロックには今一つなじめないので、1980年を節目・・とか伏目がちに呟いてみようかな・・。チョット無理やりかな?でもこの年はジョンレノンとジョンボーナム、偉大なる2人のJが亡くなっているぞ・・!



★(038):10CC 「アイム・ノット・イン・ラヴ」 (1977年)  (2012.6.17公開)


c0119160_637479.jpg映像作品の様な音楽空間を構築した1970年代を代表する英国(マンチェスター)のユニット「10CC」、洋楽史に名を残した佳曲「アイム・ノット・イン・ラヴ」は才能溢れるこの創造的なグル-プによって生み出されました。幻想的なこの名曲はエリックスチュワート&グレアムグールドマンのコンビ(POP・メロディアス路線)による作品です。10CCは結成時は4人グループであり、他の2人は「音の魔術師コンビ」とも呼ばれたケヴィンゴドレー&ロルクレームでした。10CCは、職人技的なヒットメーカー(エリック&グレアム)と、独特な音色を模索する未来派(ケヴィン&ロル)の2組の混成チームだったのです。現代はコンピュータ発達(デジタル革命)でいかなる音でも生み出せますが、その直前時代にアナログながらも高度な録音技術を駆使し幻想曲を創作した驚異のグループでした。バンドとしてツアー活動も重要視するエリック&グレアム組と、スタジオ制作に集中したいケヴィン&ロル組で双方の意見対立が激化。レコード制作は4人で行うがツアーはエリック&グレアムだけで行くという暫定合意でかろうじてバンドは保たれていましたが、小生が最も愛する名曲「恋人たちのこと」のリリースを巡ってバンド分裂へと向かってしまいました。斬新な音を求めるケヴィン&ロルにとって、このような正統派の美しいメロディラブソングは性に合わんと拒絶して脱退して行ったのです。しかし分裂後の10CCは2人が抜けた穴を微塵も感じさせず、POP感覚溢れた素晴らしい曲を多く創作していきました。小生が夢中になって聴いた10CCは、「愛ゆえに」「恋人たちのこと」「フォー・ユーアンドアイ」そして・・、「アイム・ノット・イン・ラヴ」、エリック&グレアムを中心としたメンバーのイメージですネ~。そして彼らが生み出した数々の名曲は短い期間の閃光ではあったものの、今も燦然とロック史に輝き続けているのです。



★(037):イエス 「危機」(盛衰:I Get Up I Get Down ) (1972年)   (2012.6.6公開)


c0119160_539133.jpg小生がロック史の最大傑作と崇めているアルバムは、イエスの「危機」(CloseToTheEdge)。1970年初頭はまさに英国プログレシッブロックが開花し、ピンクフロイド・キングクリムゾン・EL&Pなどがクラシック・JAZZを融合させ、大げさで芸術的なコンセプト世界を極め競い合っていました。1969年デビューし独自世界を着々と築いたイエスは、「こわれもの」(1971年)で世界的な評価を得て、そして翌年に歴史的な大作アルバム「危機」(第5作目、LP両面で3曲のみ)を結実させたのです。タイトル曲はA面だけで1曲、神秘的な詩や壮大な曲構成で細部にまで凝った緻密なプレイが施されたクラシック交響曲の様な一大傑作でした。小川のせせらぎ・小鳥の囀り声のイントロで始まり、力強く躍動感を漲らせ主題を提示。中盤はパイプオルガンの荘厳なる幽玄世界。再びバンド疾走の演奏へと戻り、ハモンドオルガンソロを経て頂点を極める感動のクライマックスへと登り詰めていきます。掲載曲・PARTⅢ「I Get Up~、I Get Down~」から、LAST曲「人の四季」へと受け継がれエンディングへの壮大な展開はまさに完璧!そしてB面は小生が最も愛する名曲「同志」(And You and I)、スティーブハウのアコースティックギターとイエス叙情詩世界に魅了されます。最後は迫力・圧巻の壮大な世界「シベリアンカトゥール」で幕を閉じていくのです。イエス黄金期のメンバーは、ジョンアンダーソン(少年の様に澄み切ったボーカル)、スティーブハウ(崇高なギターテクニック)、クリススクワイアー(畳掛ける重低音ベース)、リックウエイクマン(イエスサウンドの根幹、多彩にシンセサイザー、メロトロンを華麗演奏)、ビルブラッフォード(シャープでタイトなドラム、本作を最後に脱退しクリムゾンへ移籍)。この黄金メンバー5人で2003年再結成で来日、彼らのコンサートに駆けつけ生サウンドを初体感(30年経ても変わらず)して感動的な時間に浸ることができました。イエスは小生にとって、永遠なる完成されたロックバンドとしていつまでも心に刻み続けられています。





★(036):ビージーズ「若葉の頃」(First of May)  (1969年)   (2012.5.26公開)


c0119160_8344285.jpg「ビージーズ」のロビンギブ(62歳)が5月20日肝臓ガンで亡くなっちゃいましたねエ・・。ビージーズを支えてきた長兄バリーは3人の弟(2003年:モーリス(ロビンと双子)53歳、1988年:末弟アンディ30歳)を若くして全て失いついに一人ぼっちとなってしまいました。1億枚以上のレコードを販売し世界で最も成功したPOPグループ「ビージーズ」( 英領マン島出身)は、初期は美しいメロディのコーラスグループでしたが、1970年中盤に突然ディスコ路線に変身し復活大ブレイク!「ステンアライブ」「恋のナイトフィーバー」「愛はきらめきの中に」などの世界的ヒットを次々に放ちその栄光を不動のものとしました。しかし我々世代のビージーズといえばやはり映画「小さな恋のメロディ」(1971年)ですね~!「メロディフェア」「インザモーニング」そして今回掲載した「若葉のころ」(First of May)・・・。マークレスター&トレシーハイドが初恋に陥りトロッコを漕いで2人で旅立つのメルヘン世界でした。なぜか本国では不発、日本だけでヒットした映画(日本人の琴線に触れたのですかね~)でした。2人が新緑の中ので初デートするシーン、背景に流れていたこの名曲、まさに思春期の象徴的でありましたな~!(プッ、誰~?噴き出している奴は・・?)小生はやはりビージーズの1960年代後半から1970年初頭にリリ-スされた哀愁名曲(「マサチューセッツ」「ホリデイ」「マイワールド」等)が今でも一番好きです。このユーチューブでは亡くなったバリーが優しい声で歌いあげ栄光なる兄弟コーラスで素晴らしいハーモニー世界を見せており、彼らの名曲はこれからも折を見て数多く紹介したいと思います。親友らと時たま開催する洋楽カラオケ歌いまくりでは毎回この「若葉の頃」をチョイスしますが、50半ばの中年オヤジが自己陶酔して熱唱する姿をいつも皆に大笑いされてしまいます。こうなったら「枯れ葉マークの頃」になっても意地でもこの歌を熱唱し続けてやる・・!(苦笑)




★(035):アンドリューゴールド 「ロンリーボーイ」  (1977年)   (2012.5.14公開)


c0119160_5552311.jpg♪チャンチャンチャチャン・チャンチャンチャチャン♪、「ヒワズボ~インナ・サマーデイ!ナインティフィフティワ~ン・・・」、♪チャンチャンチャチャン・チャンチャンチャチャン、硬質なピアノ連打から始まる軽快なテンポ・心地良いリズム、そして後半のドラマテチックなサビまさに70年代の典型的なPOP名曲という感じがしますね~!ウエストコーストロックの黄金期を支えたシンガーソングライターの「アンドリュー・ゴールド」の最大ヒット曲「ロンリーボーイ」を紹介しましょう。(今は殆ど知られていない曲だと思いますが・・)大学時代、毎日のようにFENラジオで聴いていた本当に大好きな曲です。アンドリュー・ゴールドは、表・裏の両面からウエストコーストロックの黄金期を支えた功労者(リンダロンシュタット、JDサウザー、カーリーサイモン、カーラボノフ等の作品に携わったセッションプレイヤー)です。70年代後半ではソロ活動でも活躍を見せ1976年の2ndアルバム「What's Wrong With This Picture?」(ピーターアッシャーがプロデュース)から生まれたのがこの名曲「ロンリーボーイ」(全米7位の大ヒット)。1951年カリフォルニア州生まれの彼の自伝を詩にしたといわれます。しかし彼はすでに昨年死去(心臓発作・享年59歳)し今年6月3日に1周忌を迎えることになりました。こんな見事な構成曲は滅多にありませんね~!後半途中で盛り上がる泣きのギタープレイと両親に別れを告げる歌詞もよかった・・。「グッバイ・ママ~、グッバイ・パパ・・、グッバイ・ユ~!」・・、他には「気の合う二人」(Thank You for Being a Friend)も好きだったナア・・。「コージープレイス」も佳曲ですよ。今も天国でも軽快にNiceな名曲を沢山歌っていますか~?ご冥福をあらためてお祈りいたします。ソー・ロング、アンドリュー!




★(034):キャメル 「ブレスレス(神秘の女王)」  (1978年)  (2012.5.4公開)


c0119160_1285580.jpg1970年代終盤、叙情派プレグシッブロックと称された「キャメル」、彼らが発表した1978年「ブレスレス(神秘の女王)」は小生が最も気に入っているお宝物の名盤です。キャメル最高傑作として誉れ高いアルバムと言われるだけあって佳曲の連続(メロディアスなバラード、テクニカルな幻想ナンバーなどが満載)に堪能されてしまいます。まずは冒頭から美しいギターナンバーで始まるメロディアスなテーマ曲「ブレスレス」(今回の紹介がコレ)、本当に素晴らしい曲ですネ~!メロトロンやフルートに彩られた世界に一偏に嵌ってしまいました。その次は長いインストルメンタルが続く圧巻の「エコーズ」、アンドリュー・ラティマーのギターソロと続くピーター・バーデンスのキーボード、演奏もメロディも最高!これこそ叙情派プログレの王道曲っていう感じ。その他も素晴らしいストリングアレンジ曲、インストルメンタルなフュージョン曲が次々と展開されていき、ついにラストナンバーは「レインボウズ・エンド」で余韻を残しながらフィニッシュを迎えます。初期キャメルは今聴いても本当に素晴らしい~!あまり有名ではないグループですが、皆さんも是非とも一度聴いてみて下さい。




★(033):ザ・バンド 「ウエイト」  (1969年)  (2012.4.24公開)  


c0119160_6141742.jpg4月19日、「ザ・バンド」のドラマー兼ヴォーカル「レヴォン・ヘルム」の病死ニュースが報じられました。我が友しむけん様から昨年秋にザ・バンドをいつか取りあげてほしいとリクエストを受けていましたので、急遽予定を変更し彼らの代表曲「ザ・ウェイト」(1970年名画イージーライダーの挿入曲)を紹介します。初期はボブディランのバックバンドであり、伝説のロックフェスティフィバル「ウッドストック」にも出演した「ザ・バンド」。カナダ出身でありながら米国南部の泥臭い雰囲気で「米国そのもの」と讃えられるサウンド(カントリー・ゴスペル・R&Bの様々な音楽ジャンルが渾然一体となった豊かな響きを醸し出す)は、今なお多くのミュージシシャンから尊敬を集めています。代表曲を多く歌ったレヴォンは、正にバンドの中心的存在。先日BS番組「Song to Soul」で彼の言葉が紹介されていました。「子供の頃はジュークボックスこそが音楽供給源だった。父親と町に出た時、小銭をもらいジュークボックスの傍に座りずっと耳を澄ましていた。本当に美しかった。」 映画「ラスト・ワルツ」(1976年:ドキュメンタリー映画)を最後にバンドは解散しましたが、その後レヴォンは4枚ソロアルバムを出し、死の直前まで精力的に後進アーティストの育成活動に携わり、正にアメリカン・ロックの良心であり続けました。冥福を祈念!しむけん様からお気に入り曲としてリクエスト頂いた「ロッキングチェア」と、りりん様の手作りユーチューブ「優しい雨のように」も追加しておきますね~!

  by rollingwest | 2001-04-01 00:00 | 洋楽(ロック・POPS) | Comments(56)

RW/洋楽コーナー:「My Favorite Songs」 (第3巻)

                 【My Favorite Songs】の過去紹介した記事一覧(INDEX)はコチラから
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★(032):レニークラヴィッツ「ロンクンロールイズデッド」   (1995年)  (2012.4.14公開)


c0119160_8591331.jpg1980年代末、「自分はジミヘンやジョレンノンの信望者だ!」と敢えて宣言し登場した黒人アーティストがいました。過去合計9枚のアルバムを発表、世界で総売上3500万枚以上を記録し、グラミー賞を4度受賞の輝かしい経歴を誇るロック・レジェンド「レニー・クラヴィッツ」。知らんなア・・という人も彼の代表曲「自由への疾走」(Are You Gonna Go My Way)は聴いたことがあるでしょう。日産車CMソングや「みのもんた朝ズバ!」オープニングで有名な曲。 孤高の天才「レニー」は1970年前後のロックスタイルを貫く革命児。今年4月14年ぶりに単独来日、「Black&White Japan」ツアーを展開しました。今回の紹介曲は95年発売の4thアルバム「サーカス」からリリース、グラミー賞「最優秀男性ロック歌手部門」も受賞した「ロックンロール・イズ・デッド」。映画「オースティンパワーズ」の挿入歌で使われた曲。「ロックンロールは もう死んだ!」と叫び、矯めの効いた土臭いファンキーなジミヘン風ギターリフ、重いリズムセクションが畳掛けるイントロ幕開け!「ロック本来の姿」を求め続けるレニークラヴィッツ、ここにあり!「アイルビーウェイティング」もお気に入りです。






★(031):カーペンターズ 「青春の輝き」  (1976年)   (2012.4.3公開)


c0119160_21275411.jpg我青春のBGM「カーペンターズ」、中学~大学生時代まで二人の美しいコーラスをリアルタイムに聴いて青春を過ごしハタチに・・。何も起こらなかった寂しいわが青春・・(苦笑)、数々の名曲は自分の心を今も癒してくれます。1969年デビューの兄妹デュオ初の曲「遙かなる影」(close to you)が初購入EPレコードでした。当時はバートバカラック秘蔵ッ子と言われましたが、その後は2人の力で「トップオブザワールド」「スーパースター」「シング」「イエスタディワンスモア」等の名曲を次々に放ち70年代を代表するアメリカンPOPSの最高峰に登り詰めました。1983年拒食症により32歳の若さで急逝したカレン、1976年リリースの「青春の輝き」は彼女が最も気に入っていた曲でした。「気付くのに時間が掛かった。私は恋をするべき時間を無駄にしたことは分っている。完璧を求めたお馬鹿さんの私、真面目に走り過ぎていた。蒔かない種は生えはしない。気付くまで随分と高くついたみたい・・。」ユーチューブ「青春の輝き」では、カーペンターズが大ブレイクしても、多忙の中で寂しさ・空疎な気持ちが出ています。兄妹の表情、移動する飛行機座席の中で恋するカップルを見て羨む心情が・・、「青春の輝き」の曲名とは正反対の心情・・。70年代に世界制覇した偉大なる姉妹、栄光の彼らとは全く反対のRWですが、甘い「青春の輝き」がなかったという点では一緒だなア・・。無理矢理こじつけた・・。(苦笑) 



★(030):ビートルズ 「サムシング」  (1969年)   (2012.3.25公開)

c0119160_4594160.jpgビートルズ最後の金字塔「アビー・ロード」に収められた「サムシング」。言うまでもなく、「ヒアカムザサン」 と並びジョージハリスンの代表曲ですね~。中期までジョンとポールの影に隠れサイレントビートルと揶揄されたジョージは後期になり作曲能力の才能を開花させました。「ギターは泣いている」「ヒアカムザサン」は毎回洋楽カラオケで小生が歌う定番名曲。ユーチューブはビートルズ4人の妻が全員出演、カップル4組の当時の表情が窺えてお宝物映像!ジョージ&パティ、ジョン&ヨーコと、ポール&リンダ、リンゴ&モーリン・・、各4人とも伴侶とラブラブな状態に見えます。その後4人とも離婚・死別など色々とありましたが・・。でもこの中で一番魅惑的な美人女性はやはりパティ・ボイドだね~!実に可愛らしい。ジョージは親友エリッククラプトンに妻パティを寝取られますが、以後も「ギターは泣いている」など数々の名曲コラボで友情維持したのだから偉いというか・・(苦笑)。実は「サムシング」はパティ由来の名曲だったと知り驚きました。ジョン&ポールに追いつこうと焦っていたジョージは中期時代「インド音楽」へ領域を広げしました。マハリシュ・マヘシュ・ヨギを紹介したのはパティですが、ジョージはインドに一挙傾倒し瞑想やシタール修行に没頭、パティは二の次になったのです。寂しくなった彼女は何とか夫の気持を自分に向けようとクラプトンに相談したのです。到達結論は「やきもちを焼かせよう!」・・。クラプトンは親友ジョージ夫妻のために喜んで協力、自ら「あて馬」を買って出ました。パティ&クラプトンの作戦は見事成功し、ジョージは再び彼女の元に戻ってきたのです。「サムシング」はジョージがパティに贈ったラブソングでした。しかし今度は、クラプトンがパティに本気になってしまい、彼女への募る思いは増す一方・・、ロック史名曲「いとしのレイラ」はクラプトンがこの悩ましき気持をぶつけて叫び続けています。クラプトンは念願叶い漸くパティと結婚・・、しかし結果的には離婚・・。色事だけに色々あるネ・・(苦笑)エリッククラプトンがパティに想いを寄せて叫んだ曲「いとしのレイラ」は当記事4曲目




★(029):シンディローパー「タイムアフタータイム」  (1984年)   (2012.3.14公開)


c0119160_2229667.jpg「貴方がもし倒れたら、私が受け止めてあげる。何度も何度でも・・」、「シンディ・ローパー」初の全米1位に輝いた名曲「タイム・アフター・タイム」を紹介。彼女は今再び来日し東日本大震災被災地を訪れ励ましの活動を続けています。1984年デビュー曲「ハイスクーはダンステリア」でド派手姿で跳んだり跳ねたりで突然登場したチト年喰ったノーテンキなオネーチャン。その後「マネーチェンジエブリシング」「シーバップ」「トゥルーカラーズ」など次々にヒットを放ち、マドンナと並ぶ1980年代POPシーンの代表的な女性エンターティナー(グラミー賞も獲得)に成長。ファンキーなデビュー曲に相反し、この2ndシングルは叙情溢れ語りかけ心に響く名曲、幅広い音楽性に魅力を感じます。彼女は大変な親日家。売れなかった若いNY時代、定職なく困っていた時に日本レストランのオーナーに拾われ働かせてもらったことを非常に恩義を感じています。1995年阪神・淡路大震災にはチャリティー活動で来日。その彼女が、何と偶然にも昨年3月11日に東日本大震災に遭遇し我々と一緒にその恐怖をリアルタイムに共有体験していたのです。来日で成田空港に到着する時に大地震が発生、各地の空港は閉鎖され緊急措置で横田米軍基地に着陸。周囲は原発事故発生で米国に帰るよう促しましたが、彼女は「音楽の力で日本を励ましたい」と残ることを決め、ツアー強行。思い出せば1984年・・「USAフォー・アフリカ」のチャリティ活動(ウイアーザワールドの曲で有名)で彼女は中核的な存在として参加しています。いまだノーテンキなド派手オバチャンの雰囲気が強いシンディですが、実は慈悲深い観音菩薩様の化身かも・・。「鬼怒鳴門」(kiin・donarudo)の名で日本帰化したドナルドキーンさん同様、貴女は日本を深く愛する外国人の代表だったのか!



★(028):モンキーズ「素敵なバレリ」  (1967年)   (2012.3.4公開)


c0119160_80626.jpg2012年3月1日、我々世代の洋楽アイドル「モンキーズ」の最大人気者デイヴィージョーンズの訃報(享年66歳)。モンキーズは小生の洋楽の原点で、小学校3~4年に金曜夜7時TBS系で放映していた「ザ・モンキーズ・ショウ」を夢中で見ていました。売れないミュージシャン4人が繰り広げるドタバタコメディドラマは、POPかつ哀愁をおびた名曲の数々、三枚目エンターテイナーぶり、魅力満載のTV番組に釘づけ、洋楽興味の先駆けとなりました。モンキーズは英国ビートルズに対抗すべく、米国でオーデション募集により1966年に結成されたアイドルバンドでした。オーデションに勝ち抜いたデイヴィージョーンズ、マイクネスミス、ピータートーク、ミッキードレンツが選出され「恋の終列車」でデビュー!シンプルで理屈抜きのストレートなPOPサウンド、世界配信された「ザ・モンキーズ・ショウ」のTV番組は彼らを瞬く間にスターダムに押し上げました。メンバー4人のタレント性・音楽・TVのメディアアミックスの仕掛、どれも万全に機能して「モンキーズ」という一大産業が成立した訳です。日本でも毎回20%以上の高視聴率を記録、スゴイね~!我々の世代は洋楽に興味がない人も確実にモンキーズの名と懐かしい名曲(「デイドリームビリーヴァー」「アイムアビリーヴァー」「自由になりたい」(アイワナビーフリー)等の数々を共通に知っています。1960年代後半といえば、ビートルズを中心としたリバプールサウンド旋風が一段落、米国勢が巻き返しを図っていた頃。世界のPOPシーンが最も揺れ動いた時代だったかも・・。1967年ヒット曲「素敵なバレリ」は初期ビートルズを意識した1960年代らしい曲。歌い出しからPOPに弾けるビートとコーラス、デイヴィーの甘いヴォーカル。背が低くても、ハンサムで甘い声で我々を魅了し楽しい夢に導いてくれたデイヴィージョーンズ・・、少年の様な面影が永遠に脳裏に残ります。最後に懐かしの「モンキーズのテーマ」を聴きながら・・、デイヴィーの冥福を心より祈念・・




★(027):クイーン 「輝ける七つの海」  (1974年)   (2012.2.24公開)


c0119160_22112035.jpg伝説のロックバンド「クイーン」の初期名曲「輝ける七つの海」を紹介。デビューアルバム「戦慄の王女」(1973)と「クイーンⅡ」(1974)、彼らとの出会いは高校生の時、デビューアルバム「戦慄の王女 」の衝撃的な1曲目「キープユアセルフアライブ」のイントロを聴いた瞬間、一挙にクイーン世界の虜となってしまいました。綿密なアレンジと美しいコーラスワーク、スピード感溢れるパワフルサウンド、洗練された高い技術のゴージャスな多重録音・・、従来のロックにないクイーン独特のハイテクニック華麗サウンド世界が繰り広げられていたのです。グラフィックデザイナーのフレディ・マーキュリー(ヴォーカル)、天文学者ブライアン・メイ(ドラム)、歯科大学生ロジャーテイラー(ギター)、電子工学生ジョン・ディーコン(ベース)、インテリ集団4人が1971年クイーンを結成し新ロックスタイルを模索中でした。この曲は「戦慄の王女」でインストゥルメンタルバージョン。後にフレディのヴォーカル入り曲が英国シングルチャートでベスト10入り、「クイーンⅡ」のラストトラックも飾っています。結成デビュー後は本国イギリスでは全く評価されていなかったクイーン。ようやく 「輝ける七つの海」のヒットで人気が出始め、名曲「キラークイーン」(サード盤、シアーハートアタック)で大物バンドとなりました。その後は「ボヘミアンラプソディ」で展開する「オペラ座の夜」(1975)が世界的評価を受け、ロック史を飾る伝説的バンドとなったのです。今は若いリスナーにも大人気のクイーン、中・後期曲(ボヘミアンラプソディ、ウイアーザチャンピオン、ロックユー等)が有名ですが、小生はやはり初期が好きだな~!「輝ける七つの海」は美しい旋律(ピアノ・イントロ)でスタート、激しく奏でられるアップテンポで鋭い切れ味の展開曲、渋いギター・リフも実に素晴らしい~!見事にクイーンのイメージを表現した邦題!7つの海を支配した大英帝国「女王の国」のバンドのイメージアップに一役買いました。彼らは、日本のファンこそが自分達を最初に認めてくれた国として今も感謝しているのです。




★(026):ショッキングブルー「悲しき鉄道員」  (1970年)   (2012.2.14公開)


c0119160_6241153.jpg小生が洋楽に本格的夢中になった年はビートルズ解散の1970年でした。当時ヒット曲は、S&G「コンドルは飛んでいく」「明日に架ける橋」、オリジナルキャスト「Mrマンデイ」、ジェリーウォレス「マンダム・男の世界」、クリスティー「イエローリバー」、マシュマッカーン「霧の中の二人」等・・、懐かしい~!シルビーヴァルタンやダニエルビダルのフレンチPOPSと並び、オランダ勢も非常に頑張っていた時期。筆頭は「ショッキングブルー」!世界的ヒット「ヴィーナス」が余りにも有名ですが、今回は日本だけでヒットした名曲「悲しき鉄道員」。エキゾチックな雰囲気の女性ヴォーカル(マリスカ・フェレス)が歌いあげるリズム感ある曲調、哀愁帯びたギターとメロディ・・。不思議な魅力の曲は日本人の琴線を刺激したのかも・・。知らん~という方が多いでしょうが、「悲しき鉄道員」は「男の世界」(ウ~ン・マンダムとチャールズブロンソンが呟く)と1970年秋に壮絶なチャートを争い、当時ラジオに噛り付いた洋楽ファンは涙が出る程懐かしい名曲。鉄道員を賛美した歌と信じていたのに調べたら、実は「鉄道員とは決して結婚するな!」(Never Marry A Railroad Man)っていう歌詞。鉄道員さん、本当に悲しくなってしまうじゃないか~!(涙) 当時の洋楽曲邦題は「悲しき〇〇」とか「悲しみの〇〇」ってのがやたら多かったなア・・(笑)





★(025):ビートルズ 「インマイライフ」  (1965年)   (2012.2.4公開)


c0119160_7314446.jpgビートルズのデビュー50周年のセレクト曲は、小生が大好きな「インマイライフ」・・。先日、ユーチューブで名曲ベスト10を紹介済ですが、「ヘイジュード」がNO1に輝いており、全体の選曲・順位も常識的かなと思いました。「インマイライフ」は素晴らしい曲ですが、数多い名曲の中ではやや地味・マイナーな位置づけなので予想通りベスト10には入っていない。しかし調べると、EMIミュ-ジック・ジャパンの公式サイト「2011年版ビートルズ人気投票」企画では「インマイライフ」がなんと2位に輝いている!1位はやはり「ヘイジュード」ですが僅差だったらしい。「2009年リマスター発売記念・人気投票」でも2位の座(1位は「レットイットビー」)を獲得している。決してメジャーでないのに不思議な魅力があるのでしょう。格調高い間奏のピアノメロディ(バロック調)とハプシコードが印象的、1965年の名盤「ラバーソウル」に収めらました。ジョン・レノンが故郷リバプールの子供時代に住んだ地区(ペニーレーン)に思いを馳せて作った曲。ジョンの人生に対する姿勢や恋人・友人への思いを素直に歌いあげています。そうか・・、ペニーレーンって〇〇の雨みたいなイメージだったけどジョンの生れた街の地区名だったのか。「君との新しい愛を想う時、過去の思い出は全て意味をなくす」・・。温かい余韻・ノスタルジア溢れる詩や旋律、実に癒されます・・。過去紹介したビートルズ関連記事




★(024):レッドツェッペリン 「サンキュー」  (1969年)                (2012.1.24公開)


c0119160_22273134.jpg 「レッド・ツェッペリン」は、ブルースをベースとしたハードロックを確立し頂点に立ったロック史の伝説的なバンドですが、アコースティックな美しい佳曲も非常に多いことに気付かされます。最高名曲「天国への階段」がその典型例ですが、意外にもジミーペイジやロバートプラントはそのタイプの曲も好みらしく、積極的にアコースティックなナンバーを発表しています。彼らの金字塔アルバム「Led Zeppelin Ⅱ」(ビートルズの名盤「アビーロードをNo1の座から蹴落す)の4曲目に「サンキュー」という美しい曲が埋もれており、小生はこの曲こそ「天国への階段」と並ぶアコースティックZEPの双璧曲です。「ZepⅡ」は「胸いっぱいの愛を」「ハートブレイカー」等インパクトの強いハードロックナンバーが目立つだけに、対照的な「サンキュー」はある意味ナイスなバランスを与えています。「もし太陽が照らさなくても山々が海に崩れ落ちてもはお前を愛し続ける・・」、ロバートプラントが妻に捧げた情熱的なラブソング、彼が本格的に詞を書いた最初の曲で、40年前のメロディは今も全く飽きることはありません。ジミーペイジの美しいアコースティックギターとジョンポールジョーンズのオルガンが荘厳の雰囲気を与えていますが、それ以上に驚くのはやはりジョンボーナムの重厚に炸裂するドラム。まさにハードで圧巻・・・、かくなる静かなメロディ曲でもやはり「ボンゾ」(1980年32歳で死去)の強烈なドラムビートなしにはZEPサウンドが成立しないことがよく解ります。過去紹介した「レッド・ツェッペリン特集記事」はコチラから




★(023):ブレッド 「ギターマン」  (1972年)                  (2012.1.14公開)


c0119160_737535.jpg1970年代初期ソフトロックを代表するバンド「ブレッド」・・、もう世間の記憶からは忘却の彼方ですが、青春時代に夢中になって聴いたお気に入りバンドの一つ。デビッドゲイツ、ロブロイヤー、ジェームスグリフィンにマイケルボッツ(1stはジムゴードン)の4人が奏でる曲は一服の清涼剤、魅惑の美しいボーカル・ハーモニーに癒されます。「灰色の朝」「イフ」「愛の別れ道」「オーブレー」「二人の架け橋」「スイートサレンダー」「涙の思い出」など多くのヒット曲を生みました。日本で一番売れた名曲「ギターマン」は、美しくセンチメンタルなスチールギターと絡みつくバウギター、心地よい澄んだボーカル・・・。ブレッドは、ソフト&メロウ作風のDゲイツとハードナンバーを作るグリフィンの対比が魅力的なバンドですが、この曲はゲイツが奏でるソフトな世界。印象深いギターはラリーネクテルという有名なスタジオミュージシャンで、S&G「明日に架ける橋」でのピアノを弾いていた人と知ってビックリ!70年代前半はプログレやブラスロックなどロックが変化に挑戦し急進発展を遂げていました。そんな時代の中で、極めて簡潔な3分シングル曲づくりの姿勢を崩さず、最後まで見事に貫き通したブレッドというバンドに今も大きな魅力を感じます。

  by rollingwest | 2001-03-01 00:00 | 洋楽(ロック・POPS) | Comments(70)