カテゴリ:上杉・武田の史蹟めぐり( 3 )

 

<2011年8月2日>謙信・信玄ゆかりの地を行く(その3)&甲斐の国探訪(その3)



★甲斐の国探訪といえば・・、やはり「武田信玄」


3年前、仕事の関係で甲斐の国を多く訪ねる機会に恵まれました。山梨県は面積4465㎡(全国32位)、山に囲まれる狭い甲府盆地を中心に13市が押しクラ饅頭のように犇めいています。新たな市名が多く甲府や韮崎は別にして馴染みのない名前ばかり・・。平成市町村合併の弊害ですかネ~。ようワカラン・・


  .....(左)平成大合併山梨県には馴染みない新設市が乱立 (右)甲府周辺の見所spot.....
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                                      甲斐の国探訪シリーズはコチラから


甲斐の国といえばやはり「武田信玄」を抜きに語ることはできません。「人は城、人は石垣、人は堀、情は味方、仇は敵なり」・・、地元領民を守ることを優先とし治水事業・新田開発に力を尽くし、金山採掘での莫大な資金獲得、士気高い軍事力の増強。正に名経営者の鏡、山梨県民が崇敬する伝説の武将!

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甲府駅を降りると駅脇に堂々たる「信玄公」が鎮座し睨みを利かせています。「甲斐の国をいつまでも見守り続けるぞ・・」と迫力ある姿は頼もしい。4月には「信玄公祭り」が行われ「風林火山」の幟をたなびかせた武者行列絵巻が繰り広げられます。山梨の人達は「信玄公」を深く尊敬している気がする。


     ....(左)甲府駅前に鎮座する「信玄公の銅像」(右)信玄が旗に掲げた「風林火山」.....
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     ........4月上旬に行われる「信玄公祭り」、騎馬の武者行列が甲府市内を進んでいく。.....
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小生は越後出身なので当然「上杉謙信」ファンですが、09年末の帰省時に信州「川中島の合戦地」と越後の「春日山城」を訪ねました。両雄に所縁ある地は、数年前から意識して訪れるようにしています。


                            「謙信・信玄ゆかりの地を訪ねて」のシリーズはコチラから





★「武田神社」:信玄が拠点を構えた「躑躅ケ崎」居館跡


甲府駅から北に裾野坂を上がっていくと、高台から市内を見守るように信玄公を祀った「武田神社」が鎮座しています。大正8年、大正天皇の即位を契機に創建されました。この地は武田氏三代が63年間に渡って国政を執った「躑躅ヶ崎」(tsutsujigasaki)の居館跡であり国の重要史跡に指定されています。


            .......「武田神社」の本殿、入口には「風林火山」の幟がはためく.....
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「躑躅ヶ崎」の居館は戦国大名の中でも全国最大級の規模を誇るとのこと。この館には信虎・信玄・勝頼の三代が居住しましたが、この親子の間にもいろいろ相克のドラマがありましたネエ・・。息子の信玄から故郷を追われた父・信虎が哀れに思われますが、親に対する非情も信玄の活力となったのかも・・


       ........武田神社の「石灯籠の道」は見事!「躑躅ケ崎」は(武田氏三代の居館跡).....
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館跡には堀・石垣・古井戸が残り、石灯籠の連なる道、数百種の樹木が四季折々の風景を見せます。庫裡玄関には立派な「風林火山」の屏風があり、お堀には水鳥が優雅に泳いでいました。honobono・・


       ........(左)信玄の入道姿  (右)「躑躅ケ崎館」のには「風林火山」の屏風が・・.....
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神社を出ると高台からは甲府の街が見渡せます。躑躅ヶ崎館には、戦国大名の城のような立派な石垣はありません。まさに「人は石垣」、強固な家臣団の忠誠心が名武将を支え守ってくれたのでしょう。


     .......(左)お堀を優雅に泳ぐ水鳥 (右)高台の武田神社からは甲府市内が見下ろせる。.....
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★信玄の菩提寺「恵林寺」(erinji)


信玄の菩提寺として有名な「恵林寺」は、「夢想国師」(鎌倉末~室町初期の臨済宗の高僧)によって開山されました。簡素で美しい外観を誇り、参道の赤門は重要文化財に指定されていまする。境内の広さは何と3万㎡!信玄公の墓所には戦国時代ファン(最近は歴女?)が多く訪れるとのことです。

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     .......信玄の菩提寺「恵林寺」は快川和尚「心頭滅却すれば火もまた涼し」と唱えた寺.....
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戦国時代、信玄から寺領を寄進され寺勢が高まりましたが、武田氏滅亡後は、織田軍の焼討ちに遭いました。その後、徳川家康により再興され今に至ります。寺ん勢、常に塞翁が馬・・?(oyaji gayag・・寒)


        ........(左) 恵林寺のお堂と三重の塔  (右)立派な庫裡(kuri)をもつ寺務所.....
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恵林寺の社務所は立派な庫裡建築を誇っています。京都では大規模のものは有名な寺で幾つか見ることができますが、山梨県の寺ではこれほどの大きな庫裡を見ることはなかなかありません。


    ....... 庫裡の庭には「平等性智の前庭」。鬼瓦が鎮座し、鶏が放し飼いにされていた。.....
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恵林寺を訪ねるにはJR塩山駅が最寄りの駅ですが、駅前にも見所がありますのでもう一つご紹介。
「甘草屋敷」と呼ばれる広い庭を持つ旧高野家住宅があります。ここは豪農の邸宅だったのでしょう。
調べてみると高野家は、江戸時代に薬用植物である甘草の栽培をして幕府に納めていた家とのこと


         ........ 重要文化財旧高野家住宅「甘草屋敷」の立派な外観と大広間.....
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       .......JR塩山駅前には立派な名家の屋敷、ここにも「信玄像」が鎮座していた。.....
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帰りはJR塩山駅から乗車し東京へと戻ります。おっ、ここにも信玄像が座して睨みを利かしている!
ところで塩山は合併で何市になったんだっけ?「甲州市」・・。冒頭にも嘆きましたが、山梨市・甲斐市・中央市・笛吹市、ア~モ~、さっぱりわからん!昔の地名(塩山・勝沼・石和)の方が余程イメージが湧く。





★甲府市内の歴史深い古刹

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甲府市内にも歴史ある素晴らしいお寺が沢山ありますが、甲府市内にも何と善光寺があるのです。長野善光寺と形はソックリだが、でも色はオレンジに彩られて全く違う!ここに鎮座した由来は、信玄が「川中島合戦」の際、善光寺の焼失を恐れ本尊如来や諸仏宝類を甲府に移し奉遷したことに始まります。

                          
  ......「甲斐善光寺」はオレンジ色が特徴的!川中島合戦前に長野「善光寺」から宝物が移された。.....
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確かに川中島合戦時の戦陣配置を確認すると、信玄は海津城に陣を張っており、信濃善光寺は上杉謙信側の拠点となっている。合戦開始前に多くの宝物を甲斐に持ち出したとは・・、何としたたかだネ~


   ......(左).本家・長野「善光寺」は渋いこげ茶色 (右)川中島合戦の善光寺の位置地図.....
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金堂中陣天井(吊り天井)には、巨大な「鳴き龍」が二匹描かれています。その下に立ってパン!と手を叩くと不思議なビィーンという反響音を聴くことができます。これぞ「鳴き龍」の名の所以なのであります。


       ......甲斐善光寺の本堂には、吊天井の「鳴き龍」。多重反響現象による共鳴音.....
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甲府市内にある「酒折の宮」の歴史由来は相当古い!日本武尊が東夷平定の帰りに「酒折の宮」にて慰労宴を行い、武者達に連歌問答した言い伝えから「連歌発祥の地」と云われ、石碑も残っています。


       .......(左) 日本書紀に記載される「酒折の宮」 (右)「連歌発祥の地」の石碑.....
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甲府駅の北口近くに「五重の塔」があるのを御存知ですか?注意していないと気づきませんが、電車の窓から見ることができます。信玄が追放した父・信虎の妻の菩提寺「長禅寺」境内に聳えています。自分の夫が、息子と憎しみ合い故郷を追われた悲劇を見て「大井夫人」は相当涙を流したことでしょう。
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     ........(左) 「長禅寺」正門 (右)甲府駅前近くに立つ五重の塔(中央線車窓から見える).....
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★その他、信玄に所縁深い寺社・史蹟


最後に甲府を離れたエリアの信玄に所縁深い寺社史跡を追記します。まずは「甲斐・浅間神社」、「せんげん」様は富士山を崇敬する神社ですが、笛吹市(甲府市の東)にあるこの神社は「あさま」と読むようです。甲斐の国を治める者にとって富士は正に守り神・・!本殿には雄々しい富士の雄姿の額縁が・・


       .......信玄が崇敬した「甲斐・浅間神社」には、富士山の額縁が飾られている。.....
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信玄の軍師はご存知「山本勘助」。彼の生涯は謎に包まれますが北杜市山本家に「勘助の墓」がありました。信玄と側室「湖衣姫」との間に入り、主君に忠誠を尽くしながら姫を恋い慕う勘助がいじらしい。


    ...... 「山本家」(北杜市高根)の庭に眠る「山本勘助」の墓(一般公開されていなかった).....
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そして故郷・諏訪の地を攻められ、信玄の側室にされてしまった「湖衣姫」(諏訪御料人)、信玄を憎み続けながらも信玄の後継者・勝頼を生んだ悲劇の姫。その墓は当然、諏訪湖近くで祀られていました。
この訪問記事は諏訪シリーズで紹介したいと思います。いつになるかわかりませんが・・、多分来年以降


    ......信玄の最愛の側室「由布姫」に所縁が深い「小坂観音」(諏訪市)の神社本殿.....
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        .......「諏訪御料人」(由布姫、湖衣姫)は静かな諏訪の杜の中で眠っていた。.....
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戦国時代のTVや映画では無敵の「武田騎馬軍団」が有名ですが、実際には存在しなかったという説が有力。ポニーの如く脚の短い甲斐駒に跨った騎馬武者一人に対し、数人の農民が周りを固めた歩兵単位で行動していたらしい。ドラマではそんな姿じゃ絵にならんので脚色されているのかもネ・・(苦笑)


        .......(左)「武田二十四将」と騎馬軍団 (右下)甲府駅前の「ライトアップ信玄」.....
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でも忠誠心の篤い「武田二十四将」のもとで農民を組織的に駆使したことは事実。やはり地元をよく治め、戦に勝てば人民に還元する姿勢がモチベーションUPに繋がって、強力なる軍団が築けたのでしょう。
信玄と謙信、こらからも2大英雄(優れたライバル同士)の史蹟訪問の旅を少しずつ紹介していきますネ。

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                                                          おわり





次回は、岐阜の200名山「大日ケ岳」&「郡上八幡」の記事を紹介いたします。
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  by rollingwest | 2011-08-03 00:00 | 上杉・武田の史蹟めぐり | Comments(46)

<2010年正月帰省>謙信・信玄ゆかりの地を行く(その2)越後・春日山編

(その1)信州・川中島編 より続く



★信州から越後に入る


上信越道を走り進めて行くと山風景は、北信濃の「黒姫山」から越後「妙高山」へと主役の顔を替えてきました。黒姫山麓はナウマン象発掘地や小林一茶の郷土、近くには野尻湖が水をたたえます。


        ........(左)長野の黒姫山(日本200名山)  (右)新潟の妙高山(日本百名山)........
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「妙高山」は、万葉時代から「越の中山」と記された信仰の名山で「越後富士」とも呼ばれています。
スキー場で有名な赤倉・池ノ平高原はこの山麓に広がりっており、昔はよく滑りに来たものだなア・・
しかし何故か小生は2名峰の頂上にまだ立っていません。今秋に、黒姫山を初登山する予定です。

                         
     ........妙高山の雄姿を横から眺める。(雄大なコニーデ火山の裾を広げている!).......
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さて謙信ゆかりの上越市に到着!1971年に旧・高田市(豪雪で有名)と旧・直江津市が合併して誕生しましたが、04年に頚城エリアを合併しさらに拡大、今は人口20万人超で新潟県第3位の都市





★謙信が学び育ち、居城を構えた「春日山」

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春日山は上越市中部(旧・高田市)にあり、この山頂に長尾氏(謙信の先代)が居城を構えました。
この山麓には、謙信が青年期に過ごした「林泉寺」と、城の鬼門を守る「春日山神社」が鎮座する。


       .......(左)「林泉寺」山門が水田に映りこむ (右)山門文字は「第一が!」.......
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「林泉寺」は謙信が7~14歳時に学問を学んだ場所、戦乱の世で「義」を貫き通した謙信の思想はこの寺で育まれたとのこと。山門には青地に金文字で「第一義」が掲げてある~!やはり流石だ!


           ........ 林泉寺本堂の前には12月中旬に降った雪が多く残っていた。.......
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春日山神社入口に頭巾を被った謙信立像が睨みを利かせています。NHK大河で三者三様の謙信が描かれたが、阿部寛が一番カッコよかったかな。ガクトも奇抜でしたがストイックさがよく出ていた・・
でも小6時に夢中だった「天と地と」、石坂浩二が頭巾・騎馬姿で先陣を切るシーンが一番懐かしい。

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 ....「謙信の立像」と、演じた人達⇒「天と地と」石坂浩二、「風林火山」ガクト、「天地人」阿部寛.....
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「春日山神社」は千年以上の歴史を誇り、奈良「春日大社」(鹿で有名)の分社ですが、城の鬼門封じで現地に移築されたとのこと。「春日大社」には直江兼続の釣灯篭がある所以はこの繋がりか~!


           ........... (左)春日山神社の鳥居と本社正面(日の丸旗).......
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            ...........拝殿には謙信公の銅版肖像が飾られていた。........
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北陸へ攻めてきた織田信長軍を一歩たりとも国境に入れず、信濃では信玄と拮抗して春日山城を守りきった上杉謙信・・。無類の強さで大したもんだ~!雪国に住む地の利を生かしたのかも・・。


      ..........(左)上杉・武田・北条・織田の勢力図  (右)景勝時代の春日山城の合戦舞台.......
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         ..........春日山城から望む上越市街(頚城平野)と裏側から見る米山.......
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春日山城から上越市街を俯瞰してみると、その遥かには何と雪の米山が見えるではないか~!
「米山は柏崎の山」とばかり思っていたが、上越市民や謙信にとっても故郷の名峰だったのか・・! と改めて認識しました。やはり柏崎からの姿が断トツに秀麗ですが、裏米山も十分格好がいいぞ!





★親鸞・芭蕉・山椒大夫にも所縁ある「越後国府・直江の津」


上越市海岸部は旧・直江津市。名前からも判る通リ、兼続が継いだ直江家(謙信家臣)が開いた津(湊)という意味の地名。ここは日本史・ビッグネームが次々登場する由緒ある史蹟が沢山あるのだ!


         ...........(左)「五智国分寺」の全景  (右)格式高い三重の塔が鎮座........
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まずは奈良時代に聖武天皇の勅願で建立された「五智国分寺」、この地は越後国府で国分寺があった場所で謙信が再建した古名刹で三重の塔は素晴しい!五体の如来本尊が安置されていることから「五智」の名があるとのこと。そしてこの寺には浄土真宗開祖の親鸞像や草庵がありました。


.......(左)国分寺の五如来(HPより) (中)親鸞像を見上げる (右)親鸞ゆかりの竹之内草庵.......
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何故この地に親鸞ゆかりの史蹟が多くあるかというと、1202年に親鸞が当地(越後国府)に流罪されたからです。拡大する浄土宗(法然の教え)の迫害を狙う比叡山(天台宗)の動きとあわせて、後鳥羽上皇の側近女性2名が浄土宗尼僧になってしまい上皇の逆鱗に触れたことが引き金です。


   ......(左)浄土真宗越後布教の拠点となった本願寺国府別院  (右)本願寺本堂と親鸞像.......
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1211年、親鸞に赦免の宣旨が下ったものの豪雪期で越後から京都へは戻れず、親鸞の子供が幼かったこともあって越後に留まることを決めました。その後東国布教に注力することになります。小生の母方実家も浄土真宗だし、越後・北陸に真宗名刹(吉崎御坊等)が多く残るのも頷けます。


        ......上越市と裏米山を海越しに望む (こんな姿を見せる米山もあったのか!).......
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親鸞聖人が流罪で流れ着いた所は「居田の浜」と呼ばれそこには上陸記念碑がありました。日蓮も佐渡に流罪され柏崎に流れ着いたし、いつか親鸞・日蓮ゆかりの地・探訪の特集もしてみたい。


           ........ 親鸞聖人上陸の地(京を追放されこの地に流罪された).......
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この地も芭蕉が「奥の細道」で立ち寄っていました。出雲崎「荒海や佐渡に横たふ」の名句ほど有名じゃないけど当地にも句碑がしっかり建っております。さらにここは森鴎外「山椒大夫」の舞台にもなった所なのです。安寿と厨子王が人買いに浚われ母と別離された浜は正にこの海岸でした。


 .....(左)琴平神社:芭蕉の句「文月や六日も常の夜には似ず」 (右)安寿と厨子王の供養塔.......
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ユーチューブ:映画「山椒大夫」(森鴎外作・溝口健二監督)の予告編(英語版)
⇒母は佐渡、姉弟は丹後、長い別離の歳月を経て母と再会


そういえばH井真吾の物語シアター「山椒大夫」の朗読・冒頭文は「越後の春日を経て今津へ出る道を珍しい旅人の一群が歩いている。」で始まる。成程、春日は春日山の麓という意味だったのか!
映画「山椒大夫」(溝口健二監督・昭29年モノクロ)は昨年TVで鑑賞しましたがやはり名作品だね~



         ........年末の谷浜海岸で戯れるカップル(遠くには米山さんが見える).......
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★冬の米山さん・名峰諸景


高校時代に直江津高校とのサッカー試合遠征で谷浜海岸の民宿に泊まった時、初めて海に浮かぶ裏側の米山さんを見て感動したことを覚えています。35年ぶりにあの風景を確認できたぞ~!


            .......海に浮かぶ裏米山をクローズアップ!(手前の街は上越市).......
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海越しにこんな素晴らしい米山が見えることを柏崎市民は殆ど知らないんじゃないかなア・・。明日大晦日は荒天予報なので実にラッキーだ!こうなれば冬の米山を色々な角度から見てみよう~!

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                 ........上越・柿崎付近の田園風景から望む裏米山.......
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柏崎に向かう際、北陸自動車道には敢えて乗らず国道8号線(海沿い)をトコトコと車を走らせます。
柿崎(現・上越市)の田園風景から望む裏米山も実に風情あり!右の稜線が結構長いことを発見!


                ........上越市および柏崎市の地図(クリックで拡大).......
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いよいよ柏崎市に入り、米山さんも表の顔に変わってきました。裏米山頂上がやや丸く塊状なのに対し、こちらから見る姿はやはり鋭鋒です。柏崎高校・校歌は「♪米峰突兀雲を貫き~」で始まる。
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一番の絶景ポイントは、青海川海岸に突き出る断崖「恋人岬」から仰ぐ米山勇姿でしょう!名峰と海の間に「米山大橋」の赤が映えてコントラストを引き立てます。昭41完成当時は日本一高い橋だった。


       ........柏崎「恋人岬」から、表側の米山・米山大橋・弁天島(青海川海岸)を望む.......
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市街に入り、「柏崎墓園」へ親父の墓参りに向かいます。途中の田園地帯(新潟工科大前)に広がる米山や黒姫山パノラマは実に素晴らしい!ここからの風景は人工物がないからいいんだよネ~


       .......新潟工科大(柏崎)付近から見る刈羽黒姫山(左端)と米山の田園風景.......
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           ........夕闇迫る雪の米山、いよいよ明日は強い寒波が来る・・。.......
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柏崎実家への到着は夕方5時近く。朝5時に川崎自宅を出発し長野市・上越市を経由して12時間のロングドライブ帰省でした。当初は川中島古戦場・善光寺・春日山城の3つを見られればいいと思っていましたが、当地に着いてから初めて存在を知る史蹟・風景も多く発見し大満足!得した気分~


           ........今回辿った越後ルート(クリックで拡大表示).......c0119160_2210462.jpg











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天気予報が当たり大晦日・元旦は厳しい寒波が日本列島を襲いました。(1日違いでラッキーだった)
親父のいない初の正月でしたが、弟家族も帰省して家族団欒でゆっくりと過ごすことができました。


          .......正月を迎え1月2日に関越道で帰京、魚沼平野は完全に白銀世界.......
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                            リンク:「天地人」のルーツを訪ねて

1月2日の帰京はいつも通り関越自動車道経由。南魚沼・六日町は一面の雪風景に覆われていました。昨年末帰省はここで降りて「天地人」のルーツを訪ねましたが、あっという間の1年だったなア・・
上杉・武田の史蹟めぐり」はまだまだ続きます。今度は甲府から「信玄ゆかりの地」を紹介予定。


                                                      おわり



次回記事は、「伊豆大仁・駿河湾パノラマの新春ハイキング」をお送りします。
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  by rollingwest | 2010-01-17 15:40 | 上杉・武田の史蹟めぐり | Comments(34)

<2010年正月帰省>謙信・信玄ゆかりの地を行く(その1)信州・川中島編

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★はじめに

この度左INDEXに「上杉・武田の史蹟めぐり」という特集コーナー(過去記事含む)を新設しました。
昨年はNHK「天地人」で再び謙信が脚光を浴び、仕事で山梨県を訪れる機会も増えたことが引金となり、今回の正月帰省途中では「謙信・信玄ゆかりの地」を訪ねてみたいと思い立ったからです。


c0119160_17352272.jpg"alt="rw"左をクリックしても「上杉・武田の史蹟めぐり」コーナーに入れます。

これから上杉謙信・武田信玄はもとより、後継(上杉景勝・直江兼続、武田勝頼等)も含めて、上杉・武田の史蹟・所縁地(主に越後・甲斐・信州・米沢等)をじっくりと逍遥・探訪して行こうと思います。


             ......(左)甲斐の虎:武田信玄の像      (右)越後の虎:上杉謙信の像......
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通常は関越自動車道で帰省しますが、今回は川中島古戦場や春日山城の訪問を主眼に置いて、上信越自動車道経由で帰り長野市・上越市に立ち寄りました。12月30日未明5時に自宅出発、ETC割引は12月不適用なので道路はスイスイ!関越花園ICを過ぎた辺りで日の出を迎えました。
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      ......上信越道・横川SAから見る妙義山の奇岩風景、駅弁釜飯は地元名物.......
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                          ......一昨年に登った浅間山 (日本有数の活火山)......
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妙義山・浅間山の名峰パノラマを満喫しながら行く高速道は快適そのもの!たまにはこのルートで帰省するのもいいねエ。長野ICを降りれば謙信・信玄が一騎討ちした古戦場や城郭・史蹟は近い。





★信玄・北信最前線の城郭「松代城」


 .....松代城(別名:海津城)は02年に城門・土塁や堀が復元された。.......
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「松代城」は川中島合戦で武田信玄の本陣となった城郭であり、別名を「海津城」とも呼ばれます。
三方を山に囲まれた平城(山本勘助が築城)ですが、千曲川を堀とした天然の要害だったのです。


                  .......早朝の松代城・お堀には水鳥が寛ぎ漂っていた。.......
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門構えの雰囲気は甲府の武田居城「躑躅ヶ崎館」に似ているような気がします。戦国時代の城郭といえば山城や天守閣のイメージになりがちですが、それに比べれば質素な平地・城屋敷だなア・・。信玄は「人は石垣・人は城」で勢力拡大した武将、平城でも十分戦える自信があったのでしょう。


      .......(左)早朝の薄氷が朝日に反射して美しい (右)水鳥飛び立つ!バサバサ、バサ~........
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松代城への到着は朝9時前、放射冷却で気温は下がり外堀の一部には薄氷が張っていました。
30日の朝で人かげは疎ら・・。「風林火山」でブームの頃は多くの観光客数で賑わったに違いない。


              .........松代城跡の想像俯瞰図(まるで要塞みたいだ!).......
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風林火山」とは・・・・、
    「疾如風」 (速きこと風の如く)⇒攻めるべき時には風の如く迅速に進むべし。
    「徐如林」 (静かなること林の如く)⇒チャンスに備え準備整え、林の如く静寂整然と待つべし。
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    「侵掠如火」 (侵略すること火の如く)⇒敵を侵攻する時は火のように熾烈に戦うべし。
    「不動如山」 (動かざること山の如く)⇒自陣堅守の時は山のように落ち着いて守るべし。




★千曲川から北アルプス&北信名峰の大絶景を望む


松代城をひととおり見学し、石垣上に登って見ると遠くに真っ白で雄大な山々が連なっているぞ!
千曲川河川敷の土手に登れば、北アルプス後立山連峰や北信の名峰が鮮やかに眺望できる!


           ...... 松代城・石垣の遥か向こうには北アルプス連峰が見える!......
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    .....(左)真っ白な北ア・後立山連峰と千曲川河川敷 (右)北信の名峰:高妻山飯縄山......
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後立山連峰とは、剱岳・立山の東部に連なる大山脈(全山縦走すると3泊4日)です。京都~北陸街道から正面に見える剱・立山は古えから信仰されてきた霊峰ですが、その裏側に聳える山脈なので後立山と呼ばれます。しかし、風情や由緒がもっと感じられる名前にしてあげればいいのに・・


       ......北アルプス・北信の名峰を一望するパノラマ地図(クリックすると拡大表示)......
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     .....後立山連峰クローズアップ(左)鹿島槍&五竜ケ岳 (右)唐松岳~鑓・杓子~白馬岳.......
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当日は正に快晴パノラマを運よく味わうこと(翌・大晦日は全国的に大荒れ天気になったのでラッキー)ができました。さて千曲川を渡って、いよいよ謙信・信玄が対決した「川中島古戦場」へと向おう!





★「風林火山」vs「毘」!両雄一騎討ちの古戦場
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野戦で無敗を誇り最高の指揮統率力を持つ戦術家といわれた上杉謙信、孫子兵法を生かし理論的な戦術で騎馬軍団を擁した武田信玄、この二人の英雄が北信濃の支配権を巡って5回にわたり激突を繰り広げた戦いが「川中島合戦」。その舞台跡が「八幡原史跡公園」として残されています。


    .....(左)有名な川中島合戦の謙信・信玄一騎討ち (右)古戦場の舞台「八幡原史跡公園」....
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長野盆地は昔「善光寺平」と呼ばれ、千曲川と犀川が合流する三角地が「川中島」です。11年間で5回の合戦が行われました。その中で最大の戦いが1561年に3万3千人の兵が激突した第4次合戦であり、伝説的な両雄・直接対決はこの時(史実か否かは疑問符ですが・・)だったのです。


                ....岩国美術館所蔵「川中島合戦図屏風」....
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謙信は越後から善光寺に着陣し、さらに後南下して千曲川沿いの「妻女山」に布陣しました。信玄は上記紹介した「松代(海津)城」に鶴翼の陣を張り、両雄は対峙します。睨み合いの末、信玄の軍師・山本勘助は兵を二手に分けて挟み撃ちで妻女山を攻め落とす「啄木鳥(きつつき)戦法」を画策


                ......川中島古戦場跡に鎮座する「八幡社」.......
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しかし事前にこの作戦を察知した謙信は妻女山を深夜密かに下山し千曲川対岸・八幡原に布陣。
朝の川霧が晴れた時に武田軍本隊は、いるはずがない眼前に布陣する上杉軍を見てビックリ~!
裏をかかれた武田本隊は上杉軍に猛攻をかけられ、山本勘助は討ち死し一挙劣勢に陥りました。


  ....(左)「川中島合戦」布陣図(謙信は霧で車懸の陣で動く) (右)古戦場全景(妻女山より).....
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ここで謙信は、手薄になった信玄本陣に単騎斬り込みをかけます。相対し本陣に座する信玄は軍配で応戦!これが有名な両雄の一騎討ちです。二人の勝負も、合戦自体も結局は引分けで終了。
古戦場跡には二人の対決銅像が昭和44年NHK大河「天と地と」放映の年に建立されています。


          ......八幡社の脇にある信玄・謙信の一騎討ち銅像(躍動感溢れる~!).......
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千曲川の河川敷には、ここで討死にした信玄の軍師「山本勘助」の墓が密やかに佇んでいました。周りに何もなく観光看板も不案内ですが大河TV主人公になったからこそ再整備されたのでしょう。


    .......(左)信玄の軍師「山本勘助」の墓 (右)NHK「風林火山」の勘助(内野聖陽).......
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                ......歌川広重作「川中島合戦乃図」....
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戦国時代の両雄、謙信・信玄が戦った史蹟を初めて見ることができて満足!両雄は雌雄を決することができませんでしたが、永遠のライバルだった2人は「敵に塩を送る」の故事があるようにお互いを尊重し実力を認め合う仲だったのかもしれません・・。さて、次は長野の名刹「善光寺」に向おう!

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★1400年近い歴史を誇る「善光寺」


謙信が川中島の戦いで着陣したのが「善光寺」。このお寺は「牛に引かれて善光寺参り」の民話・諺や本尊秘仏ご開帳等で有名な古刹です。644年欽明天皇に創建とのこと、もう1400年近い!


         ......国宝に指定される「善光寺」本堂正門(日本第三の木造大建築)......
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         ......(左)善光寺境内の年末風景 (右)山門にはすでに賀正の文字が・・.......
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本名刹を訪れるのはもう数回目。子供の頃、家族旅行で連れて来てもらったことをよく覚えている。
明後日の元旦に備えてもう初詣の受入れ準備はスタンバイ・・、30日で人出は疎らなので境内をゆっくりと参詣することができました。最近小生は毎年初詣には出かけず、年末お礼参りにしています。


          ......(左)本堂前の護摩香炉の煙    (右)延命地蔵・六地蔵に祈る.......c0119160_2341297.jpgc0119160_6561332.gif



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    ......(左)閻魔大王も目を光らす  (右)撫でた部分を治癒してくれる↓「びんずる尊者」.....
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昨年GW全国で一番賑わった観光地は「善光寺」でした。7年に1度ご開帳される秘仏「前立本尊」を見るために多くの観光客で賑わいました。昨年からのETC割引で長野高速道路は大渋滞~!


         ...... 2009年GWの人出では日本一の賑わいを記録した秘仏御開帳の法要......c0119160_793624.jpg
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現在の長野市は善光寺の門前町を起源として発展した都市で、善光寺平と呼ばれる盆地から長く緩やかな傾斜の街となっています。ここは北国街道・宿場街として多くの参詣者が訪れたのです。


                 ......善光寺本堂の横全景は本当にでかい!.......
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話を謙信・信玄に戻しますが、山梨県甲府市にも「善光寺」があります。川中島決戦に臨み、由緒ある名刹が焼失しては申し訳ないと、信玄が甲州に同じ寺を事前建立し宝物を移転したのです。


        ......色は違うが形はそっくりな「甲斐善光寺」 (後日、甲州編で紹介します。).....
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10数年ぶりに訪れた「善光寺」ですが、いつ見てもこのお寺は威厳があってスケールが違う!
裏側参道から本堂の屋根を見上げるとまだ根雪が残っています。明日は一面が雪景色だなア・・


                ......本堂の裏側に廻ると真っ白な雪屋根だった!......
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★信州から越後へと向う



長野市は真田一族の地や松代象山地下壕などまだ見所が多い街。まだ名残惜しいですが、次に謙信所縁の地(春日山城)が控えているので今回これで終わりにしよう。次回また来ればいいや・・


          ...... 長野市(善光寺・松代・川中島)の地図 (クリックで拡大表示)........
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            ......雪を被った(左)黒姫山と(右)妙高山 OH!BEATIFUL!......
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須坂長野東ICから再び上信越自動車道に乗って北上し新潟方面へと向います。信越国境の名峰黒姫山&妙高山が遠方に見えてきた。ここからは信玄がついに入り込めなかった越後の国です。


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次回は、「謙信・信玄ゆかりの地を行く:(その2)越後・春日山編」 をお送りします。
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リンク:謙信・信玄ゆかりの地を行く:(その2)

  by rollingwest | 2010-01-10 17:28 | 上杉・武田の史蹟めぐり | Comments(26)