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RW/洋楽コーナー:「My Favorite Songs」 (第7巻)

                 【My Favorite Songs】の過去紹介した記事一覧(INDEX)はコチラから
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★(061):オリビアニュートンジョン「そよ風の誘惑」 (1975年)  (2013.4.11公開)


c0119160_20383431.jpg清楚なイメージ・美しい容姿と天使の様な透き通る声で、我が青春時代(全くもてなかった18才前後)の心を癒してくれた歌姫がオリビア・ニュートンジョン様でありました。大学1年生として東京で初の独り暮らしを始めた1976年の春、下宿生活のラジオから毎日流れていたオリビアの美曲は「そよ風の誘惑」。クリスタルボイスで奏でられる爽やかで美しいメロディ、全米No1にも輝いたこの曲こそが1970年代の清純路線のオリビアの象徴だったように思えます。(*^m^*)ぷっ aho!誰?吹き出してる奴は・・。1976年前後の彼女は「プリーズMRプリーズ」「サム」等の美しいバラードや、「愛しい貴方」等の軽快で素朴かつPOPなカントリーソングで世界を魅了していました。オリビア・ニュートンジョンは、1948年英国ケンブリッジ生れ(今年もう65歳か・・)、父親は大学教授、祖父(母方)は何とノーベル賞物理学者(マックス・ボーン)という超エリート家系に育ったのです。14歳の時から音楽活動を始め、1971年の「イフナットフォーユー」(ボブディラン曲カバー)で歌手デビュー、この曲は米国5位・英国7位となる順調な発進、その後も数々のヒット曲を放ちました。そして1974年には「愛の告白」(I Honestly Love You)がついに全米1位を獲得、グラミー賞2部門の栄誉へと輝いたのです。1975~76年前後のオリビアは、「ひとりぼっちの囁き」(Come On Over)等の心のこもる歌を切々と歌い上げていました。この頃の彼女が最高だったナア・・!(*^m^*)ぷっhaihai 。しかしジョントラボルタと映画共演した「グリース」(1978)あたりからディスコで歌い踊ったり何か異常に元気過ぎるパワフルさが・・。1980年代になるとELOと「ザナドゥ」共演したり、レオタード姿になって「フィジカル」歌ったり・・、「あ~、やめてくれ・・俺の清純なオリビアのイメージが崩れていく・・!」と落胆したものです。でも今は大半の方のイメージは80年代に元気で飛び跳ねていた彼女の姿なのでしょうね・・。最後に小生が最も好きなバラードの「ドントストップビリーヴィン」(1976)にてあの清純なオリビアに思いを馳せたいと思います。(*^m^*)ぷっ mada yatteru ahotare (ToT)/~~   。


⇒次回は、世界的な伝説のスーパースター「マイケルジャクソン」の少年時代の名曲「ベン」お送りします。\(^◇^)/♪;




★(060):CCR 「雨をみたかい」(Have You Ever Seen The Rain)  (1971年)  (2013.3.30公開)


c0119160_3513877.jpgCCR(クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル)、小生が洋楽に夢中になり始めた1970年当時に快進撃を続けていたロックバンドでした。CCRといえばいかにも米国南部を思わせるワイルドでカントリーっぽい特徴が印象的ですが、実は彼らの出身地はカリフォルニアだったと知りビックリ。リーダーのジョン・フォガティが同級生だったスチュワート・クック、ダグクリフォード、ジョンの兄トムフォガティを加えて1968年にデビュー。小生が最初に彼らの聴いたヒット曲は、「トラベリンバンド」や、「アップ・アラウンド・ザ・ベンド」「スィートヒッチハイカー」、激しいアップテンポ曲だったので最初はハードなロックンロールバンドとばかり思っていました。しかし今や彼らのスタンダードナンバーとなっている「雨を見たかい」(Have You Ever Seen The Rain)やカントリー色が溢れる「サムデイ・ネバー・カムズ」等を聴くと、一体このバンドは何が主流なのだろうと見極めができなかった時期も・・。デビュー当時は、「スージーQ」に代表されるようにコテコテのホワイトブルースバンドでしたが、1969年にはシングルカット「プラウドメアリー」が全米2位を記録していきなりの大ブレイクを果たすと、ブルース色は一気に薄れ、カントリー、ロカビリー風のシンプル&ストレートなロック(ザ・バンドの影響を受けた)へと一挙に変貌を遂げていきました。R&R感覚 のカントリー色が強い印象はリードギタリストでもあるジョン・フォガティの魅力ある声。エモーショナル&ブルージー、そしていかにも黒人っぽい雰囲気をもつパワフルなジョンのヴォーカルこそがCCRのイメージに繋がります。1972年に初来日・・、因みにこの頃は大物ロックアーティストの初来日が続々(レッドツェッペリン、ディープパープル、GFR、ピンクフロイド、イエス、EL&P 、シカゴ、T-REX、スリードッグナイト、フリー等)でML誌の記事を食い入るように読んだものだなア・・。しかしすっかりジョンのワンマンバンドと化していったことに他の3人の 不満が爆発。特にトムフォガティ(ジョンの兄)との不仲は決定的となり71年1月に遂にトムは脱退、3人での初来日となってしまいました。多くのヒット曲を連発しながらも輝いた実働期間はわずか3年・・、太く短くロック発展期を駆け抜けていったバンドでした。最後は名盤「コスモスファクトリー」から雨繋がりの曲「フール・ストップ・ザレイン」で締めることにいたしましょう。




★(059):ジャーニー 「ホィール・インザ・スカイ」   (1978年)  (2013.3.16公開)


c0119160_7462439.jpgWBC3連覇の偉業を目指し日本中を沸かせた「侍JAPAN」、その応援テーマは「ジャーニー」の往年の名曲「セパレイトウェイズ」でした。「ジャーニー」は、1980年前後に高完成度かつPOPなプログレハード・サウンドで我々を魅了してくれました。そして3月中旬、ジャーニーとサンタナ(前々回紹介した)が同時期に来日しましたネ~!恥ずかしながら不勉強で、2大バンドには深い縁があったことを最近まで知らなかった・・(両者の音楽性やイメージが余りにも違うので想像だにしておりませんでしたが、先日サンタナの記事を書いて初認識)。 1975年、元サンタナのメンバーだったニール・ショーン(ギター)&グレッグ・ローリー(キーボード)を中心にバンド結成、初期はプログレシッブ・ロック志向(インストゥルメンタル中心)で、全盛期のPOP感覚溢れるメロディックな音楽性とはかけ離れており人気・商業的には成功せず完全に低迷期でした。当時は専任ヴォーカリトは不在で、スティーヴ・ペリー(類い稀なる美声のハイトーンヴォーカリスト)はまだ在籍していませんでした。(グレッグ・ローリーの渋目のヴォーカリストが好きという人も多いようですが・・)彼らのことを、「産業ロック」(TOTOも同様)と陰口をたたく評論家まで現れましたが、あまりにも売れすぎたことへの皮肉という部分があったのかもしれません。しかし人気が出るのは当然かも・・、ジャーニーサウンドは、唸らせられる程の素晴らしい編曲と高い完成度、これらはメンバー成熟した彼らの実力と努力の成果というしかありません。今回はブレイクの契機となった4thアルバム「インフィニティ」(1978)からの名曲「ホィール・インザ・スカイ」を紹介します。この名盤は、プログレシッヴ系ロックバンドとしての作風も維持しつつ、スティーヴ・ペリーの伸びあるヴォーカルを生かした躍動感ある楽曲との和合が特色となっておりプラチナディスクを初めて獲得、「ライツ」「ラヴィン・タッチン・スクゥィージン」等の名曲を次々とヒットさせました。グレッグ・ローリー(ブルース色の音楽志向)は心労理由(彼の音楽性に合わなくなってきたのでしょう)で1980年に脱退しますが、後任に゙ジョナサン・ケインが加入するとさらにPOP路線へと傾倒拡大、「お気に召すまま」「フィーリング・ザットウェイ」等のヒット曲はその後のバンド方向性を明確に示すことになりました。そして1982年には、米国ロック史上の最高傑作の一つ「エスケイプ」(全世界で800万枚も売れた)が生み出されました。この名盤からの代表曲は「ドント・ストップ・ビリ-ヴィン」や「オープン・アームス」などキラ星の如く・・、まさに彼らの全盛期を迎えていくのでした。全盛時代の記事はまた次回、ジックリと紹介したいと思います。
(PS)ところで「スティーヴ・ペリー」とお笑いピン芸人「なだぎ武」、ソックリと思うのは小生だけなのでしょうか?アッ、失礼いたしました~、ペリー様!m(_"_)m (笑)





★(058):ラズベリーズ 「明日を生きよう」   (1972年)  (2013.3.3公開)


c0119160_77559.jpg小生が最も愛するアーティストの一人「エリックカルメン」がソロ活動に入る前に、リーダーとして活躍していたNICEなバンド「ラズベリーズ」(1972~1974)を紹介したいと思います。小生が高校時代に「明日を生きよう」(I wanna be with you)、「レッツプリテンド」等、深夜ラジオ番組から流れるラズベリーズのヒット曲を夢中になって聴いていたものです。当時は、バッドフィンガー(ビートルズの弟バンド)と同じ「パワーPOP」路線の代表として人気を博していたような気がします。ビートルズの雰囲気をもった親しみやすく美しいメロディ、パワー溢れる明るいサウンドで1970年前半の象徴的バンド、今も友人と洋楽カラオケで彼らの往年のヒット曲を歌うことが多いですネ~。今も美少年の面影を残すエリックカルメン(過去紹介したエリック記事はコチラ「第1巻」(003)から)、美しい歌声に素晴らしいPOPなリズム感覚、人を魅了するオーラが溢れており、天は二物も三物を与えるケースもあるんだなアと思う次第。ソロになってラフマニノフ交響曲などのクラシカルな一面を広げていった彼ですが、ラズベリーズ時代は、「トゥナイト」等のパワー感に満ちたロックサウンドとPOPな美しいメロディが融合した佳曲が多かったような気がします。「君に首ったけ」(Ecstacy)のPVは色っぽい美女が続々と登場!エッチですネ~!鼻血が出るかな・・(笑) そして最後は彼らの最大名曲の一つ「ゴーオールザウェイ」で締めましょう。ラズベリーズ音楽は瑞々しく、軽やか、力強く、若々しく、切なく、美しい・・。やはりエリック・カルメンの少し「鼻にかかった」ような甘い歌声、歌唱力に負うところが大きいと思います。彼の歌声は、「ラズベリーズ」の名に相応しく、甘酸っぱい印象を携えて、聴く者に若い日々の甘く切ない恋の記憶を甦らせてくれます。




★(057):サンタナ 「ブラックマジックウーマン」  (1970年) (2013.2.16公開)


c0119160_6202097.jpgロック史上に燦然と輝く偉大なるギタリスト達の中から「カルロス・サンタナ」の名前を外すことは絶対できません。この偉大なるメキシコ出身の名ギタリストも今年(2013)で66歳を迎えますが、今も第一線でバリバリ活躍しているのですから本当に凄いものです。彼独特の魔法の様なテクニカルプレイは誰も真似ることのできない神領域のようにも思えます。小生が夢中になった頃(1970前後)は「ブラックマジックウーマン」を代表曲とするラテンロックで超人気を集めていました。この名曲がフリートウッドマック(ブルースバンド時代)のオリジナル曲(ピーターグリーン作曲)だったと後程知ってビックリしましたが・・。カルロスが率いるバンド「サンタナ」の大ブレイクは歴史的なロックコンサート「ウッドストック」(1969)に出演したことでしょう。フィルモアの盟主・ビルグレアムに見出されていた新進バンドは歴史的な大舞台で「エヴィルウェイズ」等の渋くも衝撃的なラテンロック曲の数々を披露して一挙に注目され、その勢いを買って2ndアルバム「天の守護神」(1970年)は大ヒットとなりビルボード誌アルバムチャートNO1を獲得したのです。「ブラックマジックウーマン」とメドレーで繋がる一体曲「ジプシークイーン」は驚異のハイテクニック。そして「ジンゴー」や「僕のリズムを聞いとくれ」はバリバリのラテンリズムロック、むしろこのアルバムはアフロロックの雰囲気が強かったような気もします。しかしその後サンタナは音楽性を方向転換。1971年にニールショーン(その後ジャーニーの主力メンバー)が加入しツインギター編成してジャズロック色を強めた「キャラバンサライ」(1972年)を発表、さらにマハビシュヌオーケストラと組んで哲学的な音楽志向へと・・。この辺りからもう小生は完全についていけなくなりました・・・。(苦笑) しかし1976年にラテンロックに回帰した名盤「アミーゴ」をリリース、当盤からはかの有名な「哀愁のヨーロッパ」が日本でのみでシングルカットされ人気を博しロック名曲として語り継がれたのです。(哀愁を帯びたメロディが日本人感性にピッタリ調和したのでしょうネ~)。その後の20数年は雌伏していたように見えていましたが、何と1999年に再び奇跡の復活で大ブレイク!ロブトーマスとコラボした「スムース」が全米1位になり、アルバム「スーパーナチュラル」(セッションマンとコラボスタイル)はグラミー賞9部門独占の快挙を果たしたのでした。サンタナはラテンロックにとって伝説の導師・シンボル的存在。今年の3月に来日とのことですが、沈静化していた日本にラテンの元気を与えてほしいものです。最後に小生お気に入りのラテンロック名曲「君に捧げるサンバ」を聴きながら、今後もサンタナが原点を忘れず古稀になっても活躍を続けてくれることを祈念!





★(056):ダニエルパウター 「ベストオブミー」 (2010年) (2013.2.2公開)


c0119160_642090.jpg60年近いロック・POPS史から、ピアノのロックアーティスト・ソロ吟遊詩人を列挙しようとすると意外に少ないなアと気付かされます。エルトンジョン、ビリージョエル、レオンラッセル、ギルバートオサリバン、ベンフォールズ・・くらいですかネ~。長い音楽史が刻まれていても、有名になって栄光に輝き名前を残したロックピアノマンがたった数人しかいないとは・・、商業的に大成するには意外と難しい分野なのかもしれません。21世紀に入ってブレイクしたピアノマンと言えばやはり「ダニエルパウター」が筆頭に挙げられます。2006 年のデビューシングル「バッド・デイ」(ついてない日の応援歌)がグラミー賞にノミネートされ、同年のビルボード・シングルチャートでは年間1位を獲得、1st アルバムも全世界で約300万枚のセールスを記録しました。 35歳でのブレイクはまさに遅咲き桜(現在42歳)、苦労が長かったカナダ出身のピアノマンの優しい歌声とPOPなピアノ旋律には、聴き手に癒しとリラックス効果を与えるような才能が秘められている気がします。とはいえ大ブレイク後の3年間はパッとせず再び苦悩、2009年ビルボード誌から最近10年での「一発屋」(落差が大きかったアーティスト)第一位に認定されるなど再び低迷の汚名を頂き紆余曲折の道へ・・。しかし2010年には上記掲載曲「ベストオブミー」が収められた「アンダーザレーダー」をリリース。さらに同年のアルバムからの「ネクストプレインホーム」など多くの佳曲を発表、昨年(2012)には「恋のキューピッド」をリリースして来日、元気の復活は実に嬉しいですね~!人生は常に「塞翁が馬」・・、ダニエルパウターには今後も是非頑張ってもらい、記憶に残る歴代ピアニストとしてその名を残してもらいたいと願っております。最後に彼の名曲「フリーループ」を聴きながらさらに応援歌!

  by rollingwest | 2001-07-01 00:00 | 洋楽(ロック・POPS) | Comments(97)