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RW/洋楽コーナー:「My Favorite Songs」(第8巻)

                 【My Favorite Songs】の過去紹介した記事一覧(INDEX)はコチラから
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★(066):BS&T 「スピニングホイール」 (1969年)  (2013.6.19公開)


c0119160_21212526.jpg小生が洋楽ロックを本格的に聴き始めたのは1970年(ビートルズ解散直後)、ハードロック、プログレなどロックミュージックシーンがまさに新たな発展期を迎えていた時代でした。それらと競うように「ブラスロック」という新ジャンルが世界を席巻、初期シカゴの「長い夜」「流血の日」「クエスチョンズ67-68」(「第1巻-011」で掲載)、チェイスの「黒い炎」
等のヒット曲が毎日のようにラジオから流れており、小生はブラスセクションの新鮮なサウンドに夢中になっていたものです。その先輩格バンドは「ブラッド・スウェット&ティアーズ」(以下呼称は「BS&T」 )、 上記に紹介した「スピニングホイールス」が最も有名な曲ですが、 力強い疾走感のブラスサウンドで迫ってくる 「マックエビル」、ちょっとお茶目な「私が死んだ時」、重厚なロック基調で貫録溢れる「ゴーンダウンギャンブリン」など実に多彩な作品を生み出しています。彼らはブラスサウンドを基調としながらも、クラッシック、ジャズ、カントリー、ブルースの要素を取り入れたアンサンブル形式で一層深く厚みある曲に仕上げており、大人のロックグループだなア・・という印象がありました。BS&Tはシカゴとよく比較されますが、ロックが基調のシカゴに対し、BS&Tはジャズがベースにあるように思えます。グループの結成は1967年、アルクーパー、スティーヴカッツ等の元ブルース・プロジェクトを中心としてメンバーで、オルガン、ベース、ドラムスを主軸として華麗なホーン・アンサンブルで登場しました。デビューアルバム「子供は人類の父である」の代表曲「I Love You More Than You'll Ever Know」はアルクーパーが創り上げるサイケな独自サウンドで小生は結構お気に入りでしたネ~。またスティーヴカッツが静かに歌う「サムタイムス・イン・ウインター」はフルート演奏とともに情景が溢れた曲で渋いんですよ、これがまた・・。しかしこの1St盤は大ヒットには至らず、リーダーのアルクーパーは脱退してしまいます。後任に迎えた新ボーカリストはデヴィッド・クレイトン・トーマスでした。アルのやや頼り無かったボーカルに比べ、DCトーマスは声量に溢れ迫力ある力強さが魅力的であり、新体制はコマーシャルなサウンドも多く取り入れPR力は抜群!1969年にリリースされた2ndアルバム「血と汗と涙」は高く評価され、同年グラミー賞でアルバム部門を受賞し世界的にブレイクしたのです。小生が夢中になった「ブラスロック」というジャンルがロック史で輝いていたのは1970年前後の僅か3年強だけでした。シカゴはこのジャンルを捨てAOR路線に完全転換(裏切り者~!)、チェイスはメンバーの飛行機事故でグループ消滅・・。そんな中で今も原点を忘れずに還暦を過ぎてもロックとジャズとの融合を真摯に実践している「BS&T」、ハイレベルな演奏力と音楽性の幅広さはまさに玄人好みのお宝バンド(フュージョンの先駆者的存在)ではありませんか・・!最後の曲は、老境を迎えても頑固一徹にブラスロックを演奏し続けるな渋いオジサンたちがダイナミックに歌い上げ、燻銀のように演奏している「You've made me so very happy」で締めることにいたしましょう。




★(065):アメリカ 「金色の髪の少女」 (1975年)  (2013.6.7公開)


c0119160_22192147.jpg清涼感溢れるコーラスとアコースティックギターサウンドで、わが青春時代を大いに魅了してくれた「アメリカ」という名の米国バンド。その爽やかなハーモニーと洗練された演奏(哀愁も十分!)は、中年オヤジになってもいつまでも心に残り続けております。中学三年の時、高校受験勉強で深夜ラジオから流れてきたのが彼らのデビュー曲「名前のない馬」
でした。淡々と歌い上げるフォークロックテイストの曲は期せずしていきなり全米NO1となり一躍全世界にブレイクし登場したのです。へ~、こんな地味な印象の曲が大ヒットとなるのか・・と驚いたものですが、なぜか心に刻まれ感性に訴えるものがありました。デビューアルバムもミリオンセラーを記録し、その年のグラミー賞では最優秀新人賞の栄光に輝いたのです。当時はハードロックやプログレの全盛期でしたが、それらとは一線を画す「シンプルで味わいある生の音」がとても新鮮でしたネ~!もしかして一発屋で終わるのかな・・と思いきや、その後も「ベンチュラハイウェイ」「アイニードユー」「魔法のロボット」(Tin Man) 、「ひな菊のジェーン」(Daisy Jane )等の優れた楽曲を次々とヒットチャートに送り込み、音楽史に確固たる地位を築き上げたのです。ジェリー・ベックリー、デューイ・バネル、ダン・ピークの3人によってロンドンで結成されたバンド、なぜ故に「アメリカ」という名前なのかと調べてみたら、3人とも父親はロンドン駐留の米国軍人でアメリカンスクールの仲間だったことが理由のようです。離れた故郷であるが故に、この様にストレートなネーミングを付けて祖国への愛着を表したのでしょう。コーラスを生かした素朴なサウンドは、当時のフォークロック大御所バンド「CSN&Y」と比較されて彼らの弟分とか亜流などと呼ばれていました。彼らを「ウエストコーストサウンド」の流れの中に位置づけて米国フォークロックと捉える人も多いとは思いますが、底流には「ブリティッシュ・トラッド」的な要素や少し湿った味わいがあるように感じます。また美しいメロディにはビートルズの香りが漂うのは、英国で育った文化や伝統が彼らの音楽の中に息づいているからでしょう。1980年頃は、AOR路線も取り入れながら「オールマイライフ」、「風のマジック」、「ライトビフォーユアアイズ」とヒットを放ち1980年代前半まで息長く活動を続けました。今回、紹介した「金色の髪の少女」(Sister Golden Hair)は、デビュー曲に次ぎ全米NO1を記録した彼らの代表曲であり、このナンバーを思い出深く感じる方も多いことでしょう。詩の内容は「女性になかなか告白できない青年の青臭い気持」を歌にしたものですが、曲に「青臭さ」は一切感じられません。アコギとスライド・ギターで静かに始まり、哀愁を漂わせながらも、リズムに乗って疾走していくという曲調。途中で一度トーンダウンした後、エンディングに向けてコーラスが盛り上がっていく構成も実によくできていますね~!メリハリのある演奏を3分弱の短い時間の中でコンパクトに決めてみせる「アメリカ」のブリティッシュ・フォークの真骨頂がここにあります。




★(064):フォリナー 「ホットブラッデッド」 (1978年)  (2013.5.25公開)



c0119160_5523265.jpg1970年代後半~1980年代前半にかけて「プログレハード」と呼ばれる米国ロックバント達が人気を博し世界のミュージックシーンを席巻していました。1970年代初頭のプログレシッブロックが英国バンドを中心に独自の感性・難解なコンセプトアルバム(独善的拘り・個性的)を競い合って一時代を極めたのに対し、1970年代後半以降は米国バンドがプログレ様式にハードロック的要素や、分かり易いメロディアスなPOPサウンド(人工的・商業的な傾向)を加えて数々のヒット曲が生み出されたのです。代表的なバンドは四天王とも称されるフォリナー、TOTO、ボストン、カンサス、その他スティックス、ジャーニー、エイジャ等が大活躍でした。フォリナーの登場は1977年、まさに「衝撃のファーストタイム」!元キングクリムゾンのイアンマクドナルドが中心となり結成され、英国人と米国人が混在したことからフォリナー(外国人)と命名され、当時はスーパーグループ誕生で大いに話題となったものです。歯切れの良いギターのミックジョーンズ、高く伸びのあるボーカルのルーグラハムが才能を発揮していました。その後、「ダブルヴィジョン」(1978年・全米3位)、「ヘッドゲームス」(1979年・全米5位)、そして「フォリナー4」(1981年)は何と全米10週連続1位の栄光に輝いています。(小生はは荒削りのワイルドさや憂いの雰囲気も残すデビュー盤「栄光の旅立ち」が一番好きですが・・)。そんな風潮に対して、「本来ロックとは反抗心や泥臭い気骨・頑固なポリシーの中から生まれてくるべきものであり、大衆受けばかり狙う耳触りだけがいいミーハー的な音楽はロックではない!」と、売上第一主義の姿勢は「産業ロック」と揶揄され、キツ~イ批判(日本初の呼称者は渋谷陽一)が浴びせらたのも事実。しかし、当時の小生はそんな深い思慮やヒネクレ心も持たず夢中になって毎日ラジオで彼らの曲に耳を傾けていたものです。巨大産業ロックの代表バンドの証として、大ヒット曲が目白押しで掲載選択には迷うばかり・・。全体的にアップテンポでハードな曲が多いですが、「待ちくたびれて」の如く切々と哀愁を感じる名曲も・・。今回の「ホットブラッデッド」や「冷たいお前」「蒼い朝」等は彼らの定番的な曲で実にいいですね~!フォリナーはやはり完成度が高くて曲作りが巧い!捨て作品は殆どない素晴らしさをあらためて感じます。いつか第2回目記事も予定していますが、とりあえず今回は「愛とは何かを知りたい」のスローバラードな雰囲気で第1回目記事を締めくくっておきましょう。




★(063):エルビスプレスリー 「この胸のときめきを」 (1970年)  (2013.5.11公開)


c0119160_6221658.jpg「King of Pops」マイケルジャクソンに続き、今回は「King of Rock'n'Roll 」と呼ばれ、米国が生んだ戦後最大のスター「エルビスプレスリー」の記事をレポートします。ギネスブックではCDの世界売上げ歴代ベスト3は、1位:ビートルズ(約10億枚)・2位:マイケルジャクソン(約8億枚)・3位エルビスプレスリー(約6億枚)とのことですが、アナログレコード(詳細数字は不明)を含めればプレスリーの数字は10億枚近いのではないかと想像されます。ちなみにプレスリーの一人娘リサ・マリーはかつてのマイケルジャクソン夫人なので、義理の親子で売り上げた合計数字は一体どの位になるのだろう・・。エルビスプレスリーは、ビートルズやローリングストーンズにも大きな影響を与えたロック史に輝く白人アーティスト、まさに20世紀を代表する米国文化の象徴でありました。1935年にミシシッピー州で生まれたエルビスは1954年19歳でレコードデビュー、1956年に大手RCAと契約した、「ハートブレイクホテル」が全米1位となり、その後は「ハウンドドッグ」・「冷たくしないで」・「ブルースェードシューズ」・「監獄ロック」など立て続けにヒットを飛ばし、一気に全米1の人気歌手に駆け上がっていったのです。当時R&Bを歌う白人歌手は既に珍しくないものの、その殆どはソフトな大人の雰囲気で歌い上げる白人歌手(ペリーコモ、フランクシナトラ、パットブーン等)が主流でした。それに対してエルビスはリーゼントヘアの姿で腰を激しく振ったり、徹底的に黒人になり切った歌い方で一挙に若者の心を惹き付けたのです。大人達からは「黒人の下品な文化は止めろ!R&Bに取り憑かれている」と猛烈な反感を買い沢山の批判を受けました。革命的なエンターテイナーの登場(まさに反逆のロック音楽の体現)はまさに米国社会の全体をも揺るがす事件として大きな衝撃を与えたことでしょう。しかしその後、「エドサリバンショー」(当時の大人気TV番組)に出演したことで彼の全米制覇はついに完成、この瞬間にロックンロールが白人社会の一つの文化として定着したと云われています。さらにハリウッド・デビューも飾り、映画、「ラブミーテンダー」などバラードの面でも幅を広げていきます。当時の米国は徴兵制、23歳を迎えたエルビス(1958年)にも2年間の徴兵通知が届きました。しかし兵役を無事に勤め上げ、復帰後の映画、「GIブルース」(自身の兵役時代に重ね合わせたストーリー)は米国兵らの憂鬱な心を捉えただけでなく全米を魅了する記録破りの大ヒット、その人気はついに国民的なレベルにまで達したのです。1960年代後半のエルビスは映画撮影に嫌気がさして意気停滞したものの、1960年代末期には再びLIVE活動を開始し1969年ラスベガスコンサートでは20万人の観客を酔わせて大復活を遂げたのです。(この頃のエルビスはロカビリーのイメージを完全脱却し、まさに大人のエンターテイナーの風格!) 小生がエルビスを知ったのはビートルズが解散した1970年、当時日本でも大ヒットしたドキュメントLIVE映画「エルビス・オンステージ」を観てからです。その映画の象徴曲こそが上記に紹介した「この胸のときめきを」・・、そしてアップテンポな、「バーニングラブ」です。おデブになったしまったエルビスでしたが、襟の立った真っ白なディナーショースーツ(大きいボタンが一杯付いていた)で歌う彼の姿は、当時の我々にとっては憧れの井手達やファッションだったような気がします。リーゼントヘアやモミアゲ姿、ベルボトムのズボンをはいていた奴が周りに沢山いたなあ・・(懐) 1977年に僅か42歳の若さでエルビスは天国に召されてしまいましたが、彼が残した足跡や名曲の数々は永遠に語り継がれていくことは間違いありません。最後の曲は、エルビスの風格あるスタンダードナンバー、「好きになられずにいられない」で締めくくることとします。
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★(062):マイケルジャクソン 「ベン」  (1972年)  (2013.4.27公開)


c0119160_15555658.jpg「King of Pops」と称せられる「マイケルジャクソン」・・・、今さら詳しい解説は不要とも思いますが、アルバム・シングル・CDの総売上枚数は7億5千万枚で「人類史上最も稼いだエンターテイナー」とも呼ばれたスーパースターでした。2009年、最後の公演と予言した「THIS IS IT」のツアースタートに入る直前(6月25日)に50歳の若さで突然の死を迎え、全世界に強い衝撃と悲しみを与えたのは皆様ご存知の通り・・。しかし、小生にとってのマイケルはやはり少年時代(14才)に切々と歌い上げていた名曲「ベン」(鼠のベンと少年ダニーの交流を描いた映画主題歌)の印象が今も強く残っていますネ~!4人の兄達と結成した「ジャクソン5」のボーカルとしてブレイク、1969年10月発表のメジャーデビュー曲「帰ってほしいの」(I want you back)が全米シングルヒットNO1にいきなり輝きました。その後も天才児ぶりを発揮し、「ABC」「さよならは言わないで」など立て続けに全米1位曲を放ち、この頃からすでにスーパースターとしての地位へ駆け上がっていたのです。 その後、ダイアナ・ロス主演のミュージカル映画「WIZ」(オズの魔法使いをアレンジした黒人少年・自分探しの物語)の映画主題歌でも新境地を切り開き、青年に成長すると歌・ダンスはさらに磨きが掛っていき、あのムーンウォークの超絶美技へと繋がっていくのでした。「ジャクソンズ」時代のディスコ曲「今夜はブギー・ナイト」では、ハタチになった青年マイケルが最高にカッコいいネ~!その後はソロデビュー(1979)、80年代の大活躍は言うまでもありません。名盤「オフ・ザ・ウォール」(Rock With You)が大好きでした!)のリリース時には完全脱皮で大ブレイク、歴史的な大作「スリラー」は単独で1億500万枚販売の世界ギネスを記録しグラミー賞史上最多8部門を獲得したのですからまさに驚異的(絶頂期時代の名曲の数々はいつか気が向いた時に掲載予定)。その後、少年の性的虐待や数々の奇行でも話題となりましたが、50歳の若さで亡くなってしまったことは誠に残念!(彼の伝説化には一挙に拍車がかかりましたが・・)。昨年末に「ジャクソンズ」が再結成され来日(グループを一緒に支えた兄のジャーメインも復帰)し、往年のファン彼の在りし日の姿に思いを馳せたことでしょう。少年時代のマイケルと、死を迎える前の大人のマイケルが声と映像でコラボした「アイルビーゼア」のPVを観ればその感慨は一層に深まるかも・・。

  by rollingwest | 2001-08-01 00:00 | 洋楽(ロック・POPS) | Comments(74)