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RW/洋楽コーナー:「My Favorite Songs」 (第9巻)

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★(071):マウンテン 「ミシシッピクイーン」 (1971年) (2013.8.18公開)


c0119160_2146321.jpg1970年代初頭、豪放なヘヴィロックで一世を風靡した「マウンテン」・・、今は殆ど語られることが少なくなりましたが米国ハードロックの夜明けはGFRと「マウンテン」を抜きには語ることはできません。彼らの代表曲「ミシシッピークィーン」(映画イージーライダーのサントラにも使用)を久しぶりに聴いてみて、「やはり凄い!ここまでしっかりしたブルース・ロックを演奏していたんだ・・」とあらためて感動します。ハードでヘヴィな彼らの音楽魅力が凝縮された希有の名曲は、イントロ部から重厚に響き渡る巨漢レスリーウエストのギターが何とも痛快であり、本当に迫力がありますネ~!当時高1だった小生は、彼らの最高傑作とも呼ばれる「悪の華」(1971年4作目、A面:スタジオ録、B面:フィルモアでのライヴ録音)を購入し、レコード針が擦り切れるくらい毎日聴いていたものです。マウンテンはハードロックの原点とも位置付けられる伝説の英国バンド「クリーム」(エリッククラプトンやジャックブルースが在籍)のプロデューサーだったフェリックス・パッパラルディが、クリームのようなR&Bに根ざすハードロックを志向し1969年に米国で結成されました。パッパラルディは、当時無名だったレスリーウエスト(gtr)を発掘し、スティーブナイト(kbd)、コーキレイング(dmS)を加え、自らはベース演奏をしながらマウンテンを引っ張っていました。「悪の華」には数々の名曲が満載、「ベートーベンをぶっ飛ばせ」(ビートルズ曲が一番有名かな)や「最後の冷たいキス」がまずは光っています。マウンテンはロック史に輝く伝説の野外コンサート「ウッドストック」にも出演しており、「サウスバウンドトレイン」の迫力ある演奏も素晴らしい~!その後はマウンテンがロック史の中で最も輝いていたのは1970年ゴールドディスク「Mountain Climbing」「Nantucket Sleighride」から「悪の華」(1971)あたりまでの僅か2~3年の短い閃光時代でした。この間、「ドントルックアラウンド」「暗黒への旅路」などの名曲が黄金期に生み出されています。その後パッパラルディは大音量コンサートツアーの連続で難聴になってしまいプロデュース業に専念、ジャックブルース(元クリーム)を加入させて新バンドを結成し音楽活動を続けるものの、1983年に妻の銃弾によって殺害されてしまいました。何たる悲劇・・。マウンテンは、米国バンドとは思えない程に英国的香りが漂うハード・ロックバンドだったような気がします。巨漢レスリーウエストが放つ豪快かつ繊細なギター・ワーク、搾り出すようなボーカル、R&Bの翳りを帯びた奥深いサウンド、ヘヴィでアグレッシヴな演奏の中にも「静」「動」の同居した音楽性、哀感漂うメロディと重厚なサウンドが融合した独特の叙情的世界、まさに「ブリティッシュ・ハード・ロック」的な個性・魅力がたっぷりと溢れていました。最後の締めはクリームの系譜を受け継ぐ「クロスローダー」と、卓越した構成の味わい深い劇的なバラード「誇りと情熱」でエンディングといたしましょう。時代の流れと共に今ではロックファンから忘れ去られたような存在となってしまった彼らですが、この迫力ある重厚な演奏を聴き映像を見ればマウンテンを称賛せざるを得ないと思います。「これこそが本物のロックだ!」・・と。


⇒次回は70年代の米国で人気を誇った「ニールダイアモンド」の「スィートキャロライン」(1969年)をお送りします。♪\(^◇^)/♪;




★(070):ホール&オーツ 「シーズゴーン」(追憶のメロディ) (1976年) (2013.8.6公開)


c0119160_6355791.jpg80年代MTV全盛期に米国チャートNo.1を次々と放ち「モダンヴォイス」「プライベイトアイズ」等のミリオンセラー記録で大活躍したダリル・ホール&ジョン・オーツですが、小生は80年代の華やかな時代の彼らには今一つ馴染めず、70年代(やや黒っぽく、ブルーアイドソウルと呼ばれていた頃)の方が好きですねエ・・。この2人は白人でありながら共に小さい時からソウル系の曲が好きでフィラデルフィア(70年代は黒人音楽のメッカ)での出会いがコンビ結成の契機となったそうです。その象徴曲は1976年(大学1年)に下宿のラジオから毎日流れていた「サラスマイル」と、上記に紹介した「シーズゴーン」(追憶のメロディ)。前者は彼らの初ブレイク曲(全米第4位)であり、スローテンポに渋く歌い上げる実に雰囲気が感じられる曲でした。後者(冒頭曲)は失恋したジョン・オーツが詩を書きそれにダリル・ホールが曲をつけた2人の共作で、最初は淡々と寂しく呟き始める静かな流れの中から最後は「She’s Gone~on・・~on!彼女は出て行ってしまった・・。」と絶叫のクライマックス!この悲しい盛り上がりが実に味わい深く、今もRWの心に刻まれています。そしてついに彼らは「リッチガール」(5作目ロックンソウルからのシングル:1977年)が2週間全米1位に輝き、完全にメジャーにのし上がっていきました。しかし、この頃はソウル色がまだ残っていた気がしますねエ・・。しかしAORの象徴プロデューサー「デビッドフォスター」のもとで80年前後からお洒落なPOP路線に完全変貌、「イッツアラーフ」(1978年・赤い断層)や、「ウェイトフォーミー」(1978年・モダンポップ)が続々とヒットを放ち、その後はまさに破竹の勢い・次々にミリオンセラーを記録して全盛期の時代を迎えていったのです。小生は「ウェイトフォーミー」を最後に彼らへの興味を殆ど失ってしまい、80年代以降の垢抜け過ぎたホール&オーツを斜に構えて冷たく見ておりました。華やかで明るい作風とは対極の1977年の名盤「裏通りの魔女」は、ソウル色の強い楽曲やダイナミックなロックナンバーがバランスよく配置され、起伏に富んだ展開・全体構成が光る歴史的な名盤でありました。黒いホール&オーツを愛するファンからはまさに黒のLAST金字塔と称えられているのかも・・。このアルバムからは、「恋の傷痕」等がシングルカットされたものの、大ヒット曲は殆ど生れていません。全体的に暗いトーンの作調がPOPなヒット作を期待するファンには受け入れられなかったからでしょう。しかし、「運命には逆らえない」「恋の魔術」(Don’t Change)など深い陰影ある佳作曲が多く、アルバムに素晴しい統一感を与えています。(聴き込むほど味わいが増すスルメの如し・・) 洋楽史において、歴代ビッグヒット(売上額やTOP10ヒット曲数・アルバム数など)を記録したデュオグループで必ずベスト3に入るのは、サイモン&ガーファンクル、カーペンターズ、そしてホール&オーツ。上記に挙げた3者は1960年代・1970年代・1980年代とそれぞれの時代を代表するスーパーデュオでした。次回はやはり、ホール&オーツ栄光の80年代の明るい名曲の数々も取り上げていかねばなりませんね。





★(069):ロバータフラック 「やさしく歌って」 (1972年) (2013.7.27公開)



c0119160_20132393.jpg小生の高校受験勉強時に深夜放送ラジオから毎日流れていたロバータフラックの「やさしく歌って」(Killing Me Softly With His Song)・・。今ではすっかり「ネスカフェ」のCM王道ソングとしてお茶の間に広く浸透しており、息長く広~く愛聴されていますね。静謐な空気(電子ピアノの静かに揺れる音)が流れる中で、芯があって滋味溢れる歌声がしっとり浮き出る印象的なナンバー・・、パブロフの犬の如くこの曲を聴いただけでコーヒーが飲みたくなる方も多いことでしょう。「やさしく歌って」は1973年1月にリリースされ、全米で4週連続N0.1の大ヒットを記録、グラミー賞3部門で最優秀賞の栄光にも輝いています。ロバータ・フラックは米国ノースカロライナ州出身、幼い頃よりピアノに親しみ、名門ハワード大学音楽科(クラシック専攻)に特待生入学し、3年間で大学を卒業したという超優秀なエリートだったとのこと。ソウルジャズ界の大物・レスマッキャンに見出されて1969年(22歳)で歌手デビュー。1972年「愛は面影の中に」(The First Time Ever I Saw Your Face)がクリントイーストウッドの映画「恐怖のメロディ」の主題歌として全米NO1を記録しグラミー賞で最優秀賞を獲得しています。・・ん?、ということは2年連続受賞ということかい!? 調べてみると間違いのない事実(1972・1973年)、栄光に彩られたグラミー賞の長い歴史で連続最優秀賞は、唯一ロバータ・フラックだけが成し遂げた大偉業なのでした。1972年はダニー・ハザウェイとデュエットした「恋人は何処へ」(Where is the Love)も全米NO1、その後も勢いは止まらず1974年「愛のため息」(Feel Like Makin' Love)が全米NO1、1978年にはまたもダニー・ハザウェイとデュエット「私の気持ち」(The Closer I Get To You )もゴールドディスク(5回目)に輝いています。(まさに最強のコンビだ~!) しかし今回の記事作成の中で、ダニー・ハザウェイが1979年に投身自殺し僅か34年という短い生涯を終えていたこと、そして彼女と大学のクラスメート仲間だったことも初めて知りました。ソウル・ボーカリストとして不動の人気を得たロバータ・フラックですが、コテコテのソウル音楽ファンからは「彼女の楽曲は、抑揚がなく淡々としすぎて物足りない・・」と、敬遠されることが多かったようです。しかし「やさしく歌って」は数多くのカバー曲も生み出し、今もなお洋楽のスタンダードとして世界の人々に愛され続けています。ロバータフラックはまさに1970年代ビッグヒットの象徴的な女性黒人歌手でありました。   (PS):「ジェシー」やS&Gの歴史的名をカバーした「明日に架ける橋」も味わい深い雰囲気で歌い上げており、小生のお気に入りです。




★(068):スリードッグナイト 「喜びの世界」 (1970年)  (2013.7.15公開)


c0119160_13144493.jpg小生が洋楽に夢中になり始めた1970年初頭のヒットチャート常連は、旧ビートルズの各ソロ、エルトンジョン、カーペンターズ、CCR、シカゴ、ドーンあたりでしたが、「スリードッグナイト」も外すわけにはいきません。とりわけ有名な彼らの代表曲は冒頭に掲載した「喜びの世界」(子供番組用に書かれたウシガエルのジェレマイアの主題歌)。6週連続全米NO1(200万枚を突破する大ヒット)を記録した70年代のアメリカンロックを代表する名曲ですが、現在も映画やCMに使われていることから若い人にも大いに浸透しているのではないでしょうか。声質の違うリードヴォーカリスト3名(ダニーハットン、チャックネグロン、コリンウェルズ)を前面に立て4人のセッションミュージシャンがバックで支えるという異例のバンド構成のグループでした。でもこのバンドって一体どの路線を目指しているんだろうと認識できませんでした。「喜びの世界」に続くヒット曲が重厚な「ライアー」(今も一番好き!)だったので小生は完全にハードロックグループと信じ込んでいましたが、その次の大ヒット曲がメロディアスな「オールドファッションドラブソング」(1971)、さらにファンキーチックな「ブラック&ホワイト」(1972)と全く違う曲調でのヒットが連発し「ムムム・・」とジャンル分けに悩みはじめ、「シャンバラ」(1975)になると、もうこのグループは「何でも屋さん」だったんだネ~とやっと理解しました。それもそのはず、スリードッグナイト(名前由来は、寒い夜に3匹の犬と一緒に眠ると暖かく熟睡できるとの意味らしい)は、個性の異なる3人のシンガーが曲ごとにリードヴォーカルが代わり、3人一斉コーラスで4番目の声になるというカメレオンのようなバンド、言い換えれば曲の特徴に合わせて多彩なコーラスワークに工夫を凝らす職人的な演奏グループだったからです。男っぽいダニーはステージでは一番の盛り上げ役、チャックはロマンチックなバラードをしっとりと歌い上げ、コリーはソウルフルな歌を聴かせるという完全分業性でステージ演出で大きな力を発揮していたのです。また、彼らは新鋭や無名ミュージシャン達の楽曲を発掘し、アレンジでヒットさせ有名にしていったグループでした。1969年のデビューでは「ワン」(ハリー・ニルソン作)が全米5位、その他にも「ショウマストゴーオン」(レオ・セイヤー作)、「ママトールドミー」( ランディ・ニューマン作)などのヒットを生み出しています。自作曲でないからと彼らを低く評価する人たちもいますが、才能溢れる若手アーティストを見出し、楽曲をカバーでチャンスを与えていた功績や持ち味は無視できません。スリー・ドッグ・ナイトのシングル曲は23枚、そのうちTop50以内が21曲、Top10ヒットが10曲(うちNo.1が3曲)、ミリオン・セラーは7曲・ゴールドディスク12枚とまさに驚異的な業績を残しました。70年代グループで今も人気が高いバンドが多いのに、スリードッグナイトのような素晴らしいグループがシングル志向だったことから、今では殆ど話題に上ることなく評価されていないのは全く残念なことですね。




★(067):スーパートランプ 「ロジカルソング」 (1969年)  (2013.7.2公開)


c0119160_20454113.jpg1970年代中盤から末期にかけて活躍した英国のPOPロックバンド「スーパートランプ」を紹介したいと思います。このバンドが世界的に大ブレイクしたのは何といっても1979年発表の名盤「ブレックファーストインアメリカ」、全米アルバムチャートで6週間1位となったロック史で永遠に記憶される彼らの最高傑作でした。ウェイトレスおばさんが「自由の女神」ポーズ(聖火がオレンジジュース、聖書がメニュー)で元気にはじけたユーモラスなジャケット(グラミー賞の最優秀アルバムパッケージ賞を獲得)が実に印象的でした。1969年ロジャー・ホジソンとリック・ディヴィスを中心に結成され、デビューは1970年。バンド名を和訳すれば「最後の切り札」みたいな感じかなと勝手に思っていたけれど実は「漂流者」という意味だったのか~(初めて知った・・)!ロジャーのハイトーンを生かした繊細で幻想的な曲、リックの力強く低い声を生かした比較的ブルージーでシニカルな曲、両者の姿勢が対比されるように織り成されバンドの音楽性に広い幅を持たせています。デビュー当初は大きなヒットに恵まれなかったものの、3枚目「クライムオブザセンチュリー」(1974年)がブレイクして人気アーティストの仲間入りを果たしました。このアルバムはピンクフロイドの如くドラマチックに展開するプログレ名作でもあった反面、「ドリーマー」など後年のPOP路線につながる名曲もいくつか収められています。1977年には「蒼い序曲」からアコースティック・ギターを背景にロジャーが歌う「少しは愛を下さい」がヒットし米国への足がかりも掴んでいきました。小生はアメリカンTOP40のファンでしたので、1970年中盤に登場したスーパートランプの名を初めて知り数々の名曲に魅せられていったものです。そして1979年「ブレックファーストインアメリカ」がついに全米ビルボード・チャート第1位を獲得、米国だけで400万枚(全世界で1800万枚)を売り上げる金字塔となったのです。本作からは上記の「ロジカルソング」「テイクザロングウェイホーム」、疾走感あるPOPな名曲「グッドバイストレンジャー」など多くのヒット曲が生み出されました。その後80年代になると「イッツレイニングアゲイン」などのヒットもありましたが、ロジャー・ホジスンが脱退(1982)するとビッグネームは徐々にフェードアウトしていきました。英国プログレ影響が色濃く出ていた初期サウンドがどんどんポップ色を強めていった音楽性変遷や人気上昇への過程は、アランパーソンズプロジェクト・10CC・ELO・スティーブミラーバンドなどと共通点があるような気がします。1970年中盤のプログレバンドはロックが商業化していく中でPOPな音楽づくりを意識せざるを得なく路線変更は決して抗えない流れだったのでしょうね~!プログレだけでなくあらゆるジャンルに共通した傾向化だったのかも・・。

  by rollingwest | 2001-09-01 00:00 | 洋楽(ロック・POPS) | Comments(94)