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RW/洋楽コーナー:「My Favorite Songs」(第10巻) 

                 【My Favorite Songs】の過去紹介した記事一覧(INDEX)はコチラから
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★(076):エマーソン・レイク&パーマー 「展覧会の絵」   (1971年) (2013.10.17公開)


c0119160_21142433.jpg1970年代初頭にプログレに嵌っていたRWですが、「ピンクフロイド,イエス,キングクリムゾン」を紹介後、プログ四天王の一角「エマーソン・レイク&パーマー」(以下、EL&Pと呼称)を早く掲載せねばと思いつつ・・もう1年数ケ月が過ぎてしまいました。EL&P以外のバンドは解散後も再結成したり20世紀末まで一定の活躍を続けたのに対し、EL&Pは1970年代中盤であっという間に解散してしまい今ではその名前すら知らないという若い人も多いのかも・・。しかし当時はムーグシンセサイザーを一早く導入し、クラシックと融合したプログレッシブロックで最先端を走っていたグループで、ユニークな演奏スタイル(ギタリスト不在のトリオ編成、ロックバンドでは異色)は今なお熱狂的なファンに支持されています。キース・エマーソン(元ナイス)の類稀なシンセサイザーのキーボードテクニックと狂気的なパフォーマンス、ベースを担当するグレッグ・レイク(キングクリムゾン→EL&P→エイジア)の叙情溢れる低音ボーカル、カール・パーマー(元アトミックルースター、当時は20歳前後で愛苦しい程の美少年)のパワフルで凄まじいドラムテクニック。当時この3人はすでに他バンドで名声を得ていたこともあり「スーパーグループ」とも呼ばれていました。1970年に結成され、デビューアルバムは名前の通り「エマーソン・レイク&パーマー」(名曲「ナイフエッジ」「ラッキーマン」等を含む)。翌年発表した2nd「タルカス」(映像は初来日1972年7月雨の後楽園球場)では本格的にムーグシンセサイザーを活用し始め、ジャケットの機械怪獣タルカスが全てを破壊するというコンセプトイメージで、爆発的な音塊を3人で表現しておりEL&Pの記念碑的作品と位置づけられました。同年のメロディーメーカー誌人気投票では前年のレッド・ツェッペリンに代わって首位になり「タルカス」もアルバム部門で1位を獲得しています。今日の紹介曲はその後にリリースされた「展覧会の絵」(ムソルグスキー作曲を独自に編成したライブアルバム)、冒頭に有名なクラシックサウンドが鳴り始め、序盤はキースとカールが息を合わせて絡み合うムーグシンセサイザーとドラムの叩き合い、その後壮大な組曲が展開されていき、グレッグレイクが高らかに歌い上げる「キエフの大門」でクライマックスを迎えていきます。当時はレコード針が擦り切れるほど聴いていましたネ~。当初、このライブ演奏は正式リリースする予定がなかったのですが、この未発表音源が海賊盤として出回ってしまったことから急遽市中から回収し、11月になって正規盤「展覧会の絵」を発表したという経緯だったらしい。その後は「トリロジー」(1972年)、最高傑作とも呼ばれる「恐怖の頭脳改革」(1973年)を発表して栄光の頂点を極めました。しかしその後はグループ活動のコンビネーションは次第に調子が落ちていき、人気面でも当時「こわれもの」「危機」の発表で進境著しいイエスに抜かれていきます。キース・エマーソンも音楽的な行き詰まりを感じ始め、メロディー・メーカー誌の人気投票(キーボードプレイヤー部門)ではリック・ウェイクマンに首位を明け渡し、彼らが最もクリエイティブな時期(ピーク)は、デビューから1974年頃までの僅か5年間でした。活動期間が短かったことや名盤の数が少ないことから、プログレ4大バンドの中では評価的に後塵を拝しているような気もしますが、結成時に世界指折りの実力者が集まってできたスーパー・グループであることは間違いありません。キースエマーソンがムーグシンセサイザーにナイフを突き立てたりする狂気じみたパフォーマンスも強烈な印象で脳裏に残っています。今はコンピュータでどんな音も表現できる時代、彼らのような体を張って楽器を操る音楽スタイルはある意味ではアナログなバンドなのかもしれません。最後は「展覧会の絵」からリリースされて大ヒット曲となった「ナットロッカー」(くるみわり人形)で記事を締めたいと思います。




★(075):キャット・スティーヴンス 「雨にぬれた朝」 (1972年) (2013.10.5公開)


c0119160_5215711.jpg最近は1970年代の「今は昔・・アーティスト」ばかり取り上げていますが、今回は1970年初頭にシンガーソングライターブームの先頭を走っていた「キャット・スティーヴンス」の代表作中の代表作「雨にぬれた朝」(Morning Has Broken)を紹介したいと思います。「誰、その人?」っていう声が多いかもしれませんが、その繊細なメロディセンスやヴォーカル主役のアコースティックなフォークサウンドは当時世界的にブレイクし、同時期のエルトンジョンにも迫る人気と勢いがありました。小生にとってこの曲は深夜放送を聴きながらテスト勉強をしていた頃(もう40年以上前か・・)のBGMですが、1990年代以降も何度かTV-CM曲にさりげなく使われていたので聴いたことがある方も多数いることでしょう。湖水の如く透き通った音色と旋律は今でも全く色褪せておらず、聴く程に心が洗われる時代を超越した名曲だと思います。イントロから流れるこの美しいピアノは何とイエスのリック・ウェイクマンが演奏しているのですぞ!雨上がりの朝の風景を描いた高尚なる歌詞(哲学&宗教的な色合いが滲む)は童話作家でもあるエレノア・ファージョンという詩人が書いた詩にキャットが感銘を受けてメロディをつけた曲なのだそうです。彼の音楽人生は1970年に発表した「白いバラ」を皮切りに人気を博し始め、1971年には「父と子」と「ティーザー&ファイアーキャット」がアルバムチャートで全米上位に入る大ブレイクに輝き、「ムーンシャドウ」や、「オ-ヴェリヤング」などの名曲を次々に生み出しました。1971年輩出の2名盤は米国だけでそれぞれ300万枚を売り上げ全米レコード協会によってトリプル・プラチナムに認定されており「ピーストレイン」「ザ・ウインド」等の佳曲も印象深くわが脳裏にいまだに焼き付いますネエ・・。しかし彼がキャットスティーヴンス名義で活動したのは1978年まで・・。兄からもらったイスラム教の聖典コーランを読んで大きな衝撃を受け、1979年にイスラム教に改宗(ユスフ・イスラムと改名)、全ての音楽活動を突然停止してしまいました。それまでに得た全財産を処分しその資金を元にロンドンでイスラム教学校を設立し教育家・慈善活動家としての活動を選択したのだから驚き!(知らなかった・・)。しかし彼の往年の名曲「ワイルドワールド」(Mr.Bigのカバーでも知られる)は21世紀に入っても、日本のCMでも使用されシングル・カットされて大ヒットしています。実はこの曲の内容は、主人公が別れた彼女に対して「世界は危険に満ちているから気をつけるんだよ」と歌いかけています。皮肉なことに、彼が信じるイスラム教が生んだイスラム原理派のテロリズムと米国を中心とする資本主義社会が対立を深めテロ事件がいつどこで起きてもおかしくない状況にあり、現在の地球こそまさに「Wild World」そのものかもしれません。欧米のファンにとっては、今では素直に楽しめないのがキャット・スティーヴンスの音楽だと言われていますが、日本人は欧米・イスラム対立には関心が薄いのでそんな複雑な思いを意識することなく純粋に彼の美曲を慕い受け継いでいくような気がします。




★(074):キッス 「ハードラックウーマン」  (1976年) (2013.9.24公開)


c0119160_2205363.jpg今年結成40周年を迎えたスーパー・ロックバンド「キッス」がいよいよ10月に来日、特徴的な白塗りメイクと奇抜なコスチュームでロックファンを圧倒し続けてきたモンスターバンド(総売上枚数が1億枚超)のツアー公演は7年ぶり10回目となります。今回もどんなエンターテインメント溢れるロックショーを見せてくれるのでしょうか。キッスといえば、ストレートなヘヴィメタロックが主流ですが、対照的に叙情性漂うメロディアスな曲や、アコースティックでリズム感溢れる名曲が多いのも大きな特徴(RWはこちらの路線が大好き)。今回の紹介曲は小生が大学1年の時、下宿のラジオ(FEN放送)から毎日のように流れていた「ハードラックウーマン」にしたいと思います。(美曲ベスにしようか選択に悩みましたが・・) 1973年米国で結成された、「キッス」のオリジナルメンバーは、ジーン・シモンズ(b)、ポール・スタンレー(vo、g)、エース・ フレーリー(g)、ピーター・クリス(ds)の4人。ド派手な化粧と個性的なレザー衣装で迫力あるライブパフォーマンスが評判を呼び人気が急上昇し1974年レコードデビュー!この頃、かの「ミュージックライフ誌」では、クイーン、エアロスミスと共に3大バンド的扱いで強力にプッシュされていました。1st/2ndのセールスは今一つでしたが、1975年「ロックンロール・オールナイト」(3rd盤からのシングル)が突然デトロイトで売れ出し、気を良くした彼らは急遽デトロイトでライブ・レコーディングを行い2枚組の名盤「地獄の狂獣/キッス・アライブ」を発表、これが一気にブレイクして全米9位とプラチナ・ディスク獲得という大ヒットを記録したのです。1976年、波にのったキッスはさらにロック史で名盤と称えられる「地獄の軍団」(彼らの代表曲「デトロイト・ロック・シティ」を含む)をリリースしプラチナ・ディスクに輝く大成功を収めました。統一感に溢れたスケールが大きい名盤は、効果音やストリングス等が随所に配されており必聴のアルバムです。やはり一番びっくりしたのは美曲「ベス」を初めて聴いたときです。これがあのキッス~?と目からウロコ・・!「地獄の○○」の表題でヘヴィメタパフォーマンス(定番曲は「ラブガン」など)のイメージが強く、RWにとってはキワモノバンドと見えており距離を置いていたのですが・・。さらに1977年に入ってポップス色が強い「ハードラックウーマン」(上記掲載曲)の大ヒットで、キッスの幅広い音楽性を目の当たりにして一遍にファンとなってしまいました。そして1979年リリースの「ラヴィン・ユー・ベイビー」も本当に格好いい!大胆なディスコ・ビートを導入してダンサンブルな16ビートのリズムにハードなギター・サウンドを乗せた快作でした。バンド自体はこの後も飛ぶ鳥の勢いで売れ続け、出すアルバムすべてがプラチナ・ディスクという、とてつもない快進撃をつづけていましたが、メンバー間の確執が激しくなり、80年ピーターが、83年にはエースが脱退していきます。しかし紆余曲折も乗り越えて、2012年にリリースした「モンスター」(20枚目のアルバム)が全米ビルボードで初登場3位を記録してキッスは今もなおパワー溢れる活動を継続中、本当に素晴らしいですね~! KISSの白塗りメイクや隈取の化粧メイクは日本の歌舞伎をモチーフに大いにカブイており、ジーンシモンズの大股で腰を据えたパフォーマンスは、まさに市川団十郎が「弁慶・安宅の関」で見せる荒事・大見得の如し!そのKISSメイクはデーモン小暮(聖飢魔II)やゴールデンボンバー樽美酒研二(ピーター・クリスを意識)などで再び日本に戻ってきているのもオモロイです。そして最後はKISSがノーメイクでイケメン素顔を見せながらしっかりとバラードを歌い上げている「フォーエバー」で締めて、キッスの来日公演の成功と再びの人気復活を祈念したいと思います。




★(073):ボブシーガー&シルバーバレットバンド  「ナイトムーブス」 (1977年) (2013.9.12公開)


c0119160_2082983.jpg前回紹介したニールダイアモンドも同様ですが、米国では高く評価されながらも日本での知名度は低い大物アーティストって沢山いますね~。70年代中盤から80年代前半にかけて大活躍した「ボブシーガー」もその一人の様な気がします。しゃがれた声に骨太なロック、ピアノとコーラスも大いなる魅力、R&Bやカントリーの雰囲気も漂う哀愁のナンバーの数々、(ケニーロジャーズ+Bスプリングスティーン+ヒューイルイス)÷3みたいな感じかな・・? 発表したアルバムの殆どを米国チャートのトップ10に送り込み大人気を誇ったアメリカン・ビッグシンガーでありました。小生は、大学生から社会人なり立て時代(1976~1980)に「アメリカンTOP40」が大好きでしたので、上記の「ナイトムーブス」や「オールドタイム・ロックンロール」、「アゲインストザウインド」「ファイアーレイク」(両曲は次回記事で紹介)など多くのヒットナンバーをFENラジオやベストヒットUSAでよく聴いていたものです。1度の記事では全て紹介しきれないので前編(1970年代の渋い時代)と後編(メジャー地位を確立した円熟時代)の2回に分けて掲載したいと思います。「ハリウッドナイツ」、のように熱くロックシャウトするボブもいいですが、「ウィブガットトナイト」の様な「枯れたヴォーカル」でしみじみ聴かせるバラード(哀愁、涙、泣き、アコースティックが満載)がこりゃまたいいんですナ~!ボブ・シーガーはデトロイト出身で1945年生まれ(もう古稀近いネ~)、決して一気にスターの座に上りつめたわけではなく10数年もの下積み時代があったようです。1969年のメジャー・デビュー後も大ヒット曲には恵まれず、1975年の「美しき旅立ち」でようやく花が咲きはじめた苦労のロッカー。上記曲のヒットによってその後シーガーは米国中部出身の庶民の代弁者という路線を進むことになります。この頃から「シルバーバレットバンド」(=銀の弾丸の意味、ドラマーはGFRのドンブリューワーと聞きビックリ!)を形成して活動を拡大しメジャーになっていきました。BスプリングスティーンにはEストリートバンドが、ニール・ヤングにはクレイジーホースがいるように、やはりいいアーティストにはいい仲間のバックバンドが付いておりますね。前編のラストは1978年のヒット名曲「フィール・ライク・ア・ナンバー」「裏切りのゲーム・Still The Same」(小生の最大級のお気に入り曲)で締めくくりたいと思います。




★(072):ニール・ダイアモンド 「スィートキャロライン」 (1969年) (2013.8.31公開)

c0119160_7582774.jpg日中・日韓関係が悪化の一途を辿り日米同盟の重要性が叫ばれる中でも、米国との諸課題は依然遅々として解決に至っていません。そんな現状を打開しようとオバマ大統領は、この2013年秋から在日アメリカ全権大使にキャロライン・ケネディ氏(故ジョン・F・ケネディ大統領の長女)を指名することになりました。1957年の生まれかぁ!小生と同年齢・・、あまりにも違いすぎる人生ですな~(笑) ご存じの通りケネディ大統領は1963年日本初のTV衛星中継において公衆面前で暗殺(その瞬間が世界中に放映されるという衝撃的な事件)され、妻ジャクリーン・ケネディ(キャロラインの母)が腰を抜かしながら車上を這いつくばってパニックしていたシーンが生々しく思い出されます。当時6才だったキャロラインが悲しみに暮れ、父を葬送する姿も実にけな気だったなあ・・。その後も叔父暗殺、弟の飛行機事故など「ケネディ家の呪い」ともいわれる不幸が続き、心が沈みゆく彼女(1969年・当時11才)を励ますため、「ニール・ダイアモンド」が歌った曲がまさに「スィートキャロライン」でした。「可愛らしいキャロラインよ!楽しい時がきっと来るよ、元気を出せよ!」・・と。ニール・ダイアモンドは、米国ではビルボードチャートの歴史上、エルトン・ジョン、バーブラ・ストライザンドに続いて3番目に大きな成功を収めたアダルトコンテンポラリーアーティストとして称賛されています。モンキーズの代表的なナンバー「アイムアビリーバー」(1969)はニールの原曲であり忠実に再現されたことがよく解ります。1972年には「ソング・サング・ブルー」が全米1位に輝き、1973年には映画「かもめのジョナサン」(リチャード・バックの小説・映画化)のサントラ曲、70年代中盤になっても「遥かな誓い」(1976)、「いとしのデザレ」(1977)とコンスタントにヒットを放ち、小生にとっては、洋楽に嵌っていた70年代初頭~中期~終盤とそれぞれの節目でヒット曲を愛聴してきたアーティストなので個人的にはお気に入りミュージシャンの一人なのでありました。顔はウスター級の濃~いソース顔、野太い声にはアクがあり決して美声 とは言えませんが、それ故に強い印象が残っています。(もう72歳になっているんだネ~) 1980年に入っても彼の活躍は続き、映画「ジャズシンガー」に自身が主演(ゴールデングローブ賞主演男優賞に輝く!)、映画サントラ盤でも「ラブ・オンザ・ロックス」「ハローアゲイン」などの美曲を書き上げ100万枚以上の売上を記録するヒットを飛ばしていました。全世界で1億数千万枚(米国では5千万枚)の売上を記録し2011年にはロック殿堂入りも果たしたているのですが、何故か日本では殆ど人気が出なかったんですよね~、不思議・・!そんな理由からか、まだ一度も来日したことがないアーティストの一人でもあります。今回掲載した「スィートキャロライン」は米国のスポーツイベント(ボストンレッドソックス・ボストン大学バスケなど)の試合曲としても有名、今年4月にボストンマラソン爆破事件の悲劇が起きましたが、被害者支援のために彼はこの曲の印税を寄付したとのことです。日本のファンには馴染みが薄いニール・ダイアモンドですが、まさに米国人にとっては心を捉えて続けてきた40数年間だったのではないでしょうか。そして彼に励まされた「スィート」だったキャロラインさん、今後は「ストロング」に変身していただき、日米関係のさらなる基盤強化に向けて大いに活躍していただくことを祈念いたします!

  by rollingwest | 2001-10-01 00:00 | 洋楽(ロック・POPS) | Comments(96)