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RW/洋楽コーナー:「My Favorite Songs」 (第14巻)

【My Favorite Songs】の過去紹介した記事一覧(INDEX)はコチラから

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★(095):コモドアーズ 「アイムイージー」 (1977年) (2014.6.1公開)



c0119160_20275631.jpg「日曜朝の気分はイージー・・、心地よい気楽さの喜びを感じる・・」、誰にも共通した心境を噛み締めるように歌ったコモドアーズの「アイムイージー」(1977)は小生がジュークボックス(今や死語)でよく聴いていた名曲でした。リラックス気分を再現するかのように序盤は美しいピアノイントロから始まり、ゆったりとしたミディアム・テンポで曲は流れ行きます。やがて「I Wanna Be High~!」の絶唱から曲調は一気に盛り上がり、サックスとストリングス演奏・ワイルドなギターソロ、そしてピアノとコーラスが見事融合して叙情的な展開を見せていきます。全米ヒット4位、グラミー賞R&B最優秀歌曲賞にもノミネートされた素晴らしい名曲を聴き、彼らに抱いていた小生のイメージは全く変わってしまいました。それまでコモドアーズと言えば、「マシンガン」(1974)など電信音インストルメンタル曲のシンセサイザー系ダンスミュージックバンド、またはアップテンポな「ブリックハウス」(1977)でのファンキー系ディスコバンドとして活躍していました。しかし上記曲に続き「永遠の人に捧げる歌」(Three Time Lady)(1978)も大ヒットを記録すると、ライオネルリッチーのバラードメーカー才能が大きく開花、「セイルオン」(1979)や「スティル」(1979)など大人のソフトナンバーを連続ヒットさせると、完全にライオネル主導のバラード系バンド(他メンバーは面白くなかったのかも・・)へと転身してしまいました。80年代初頭は久しぶりにノリのいいナンバー「レイディ」(1981)をリリースして往年のコモドアーズが復活かと思ったら、ライオネルリッチーは翌年にグループを脱退してしまいました。彼はソロ活動に専念するとさらに大物ぶりを発揮し、1981年にダイアナロスとのデュエット「エンドレスラブ」の全米1位ヒット、ロス五輪閉会式(1984)での歌唱、「USA for AFRICA」チャリティーコンサートでの「We are the World」(1984)、「セイユー・セイミー」のアカデミー賞映画主題歌賞(1986)と世界的な名声を完全に確立していきました。一方、彼が抜けた後のコモドアーズは低迷状態に陥りましたが、1985年には「ナイトシフト」の大ヒットでグラミー賞R&B部門を受賞して再起に成功したのです。この曲は1984年に亡くなった2人の偉大なる黒人シンガー「マーヴィンゲイ」と「ジャッキーウィルソン」を深く追悼した歌でした。「俺たちはライオネル主導のバラード系バンドではない。R&Bやファンクをベースとした黒人グループなんだ・・」という意地の気持ちが最後のひと花を咲かせたのかもしれません。



⇒次回は、ビリ―ジョエル最大名盤「ストレンジャー」の隠れた名曲「イタリアンレストランで」(1977) をお送りします。♪\(^◇^)/♪




★(094):スティックス 「永遠への航海」(Come Sail Away) (1977年) (2014.5.20公開)



c0119160_2247404.jpg1970年代から80年代前半にかけて洗練されたヒット曲を沢山放ち続けて高い人気を誇っていた「スティックス」・・、数多くの名曲の中で小生が一番のお気に入りは上記の「永遠への航海」(Come Sail Away)(1977全米8位)です。ピアノイントロとデニス・デヤングの甘い声から始まり、静かなシンセサイザーに奏でられる美しい旋律が続く序盤、中盤ではいきなり転調して一挙爆発的なハード演奏に突入し頂点へ圧巻の盛り上がりを見せる展開、大海原へ航海へ漕ぎだす勇敢なる船出のイメージ!以前小生は「アメリカン・プログレハード四天王とは【ボストン、カンサス、TOTO、フォリナー】、人によってはジャーニーやスティックスを入れるケースも・・」と記載しましたが、この記事を書きながら認識をあらためるべきと大いに反省しています。実はスティックスこそ、彼らよりずっと早くから米国ロックの中にプログレ的なテイストを取り入れようとしていた先駆者だったのです。70年代初頭から活動してきたスティックスは、甘いヴォーカルとPOPな旋律を奏でるデニス・デ・ヤング(key,vo)、ハード路線でスケールの大きなロックを求める貴公子トミー・ショウ(g,vo)、そして野性的なジェームス・ヤング(g,vo)の3人の個性がぶつかり合い調和しながら高質の曲を多く世に送り出してきました。今回は初・中期のブリティッシュな雰囲気を醸し出していた1970年初頭~1977年のスティックスを前編で紹介します。1972年に1st「Styx」でデビュー、当時は冒頭から長い組曲を収録し中世ヨーロッパを彷彿する神秘的な曲が多かったですが、2nd以降は名曲「憧れのレイディ」(1974・全米6位)などPOPなセンスでや音の幅を広げ聴きやすいプログレバンドの地位を徐々に確立していきました。1975年に第5作「分岐点」発表直後、トミー・ショウ(vo,g)が加入し以降は3頭体制(3人のリード・ヴォーカリストと2人のリード・ギタリストが存在)でさらに音楽の厚みを広げて質を高めていきました。76年リリースしたアルバム「クリスタル・ボール」では、早くもトミー・ショウがコンポーザー&ヴォーカリストとしての手腕を大いに発揮しています。そしてスティックスの人気がついに世界的に爆発する時が到来します!1977年「永遠への航海」(上記掲載)・「怒れ!若者」(Fooling Yourself)「ミスアメリカ」などの名曲を満載した「大いなる幻影」(The Grand Illusion )が全米で300万枚セールスを突破し初のマルチプラチナ盤に輝き一挙に超メジャーバンドとなったのです。その後遅れて登場してきたカンサス、ボストン、ジャーニーらも大ヒットを連発するようになりアメリカン・プログレハード軍団は一挙に世界を席巻していきましたが、トミーは「スティックスは僕が加入する前から今のサウンドは基本的に同じだよ。僕たちを後進のカンサスやボストンと比較するなんておかしいよ」と高いプライドで見せつつ余裕で語っています。最後の締め曲は「スイートマダムブルー」(1975)を紹介して前編記事の筆を置きます。1975年は壮大なるスティックスサウンドのまさに分岐点、彼らの進化した音楽性神髄の一端を思う存分に楽しんで下さい。





★(093):T-REX 「20センチュリーボーイ」 (1973年) (2014.5.8公開)



c0119160_2111134.jpg中学生時代の小生が洋楽に嵌って2~3年目(1971~1972年)に「グラムロック」という中性的なビジュアルバンド達(妖しげなでギラギラのメークやファッション)が世界を席巻し大旋風の頂点を極めていました。そのネーミング語源は「Glamorous」(女性的な魅惑、幻惑的な魅力)から来ており、双璧のスーパースターはデビッドボウイと「T-REX」、その他にもモット・ザ・フープル、アリス・クーパー、ロキシーミュージック、スレイドなどが百花繚乱の如く咲き乱れておりました。このジャンルは音楽性からの仕分けではなく単なる外見・ファッションからの分類です。今回は「T-REX」が絶頂期を誇っていた頃の最大名盤「スライダー」(1972)からの名曲を中心に、ロック史を太く短く駆け抜けたマークボランの生涯を紹介したいと思います。1947年、ロンドンに生まれたマーク・ボランは15歳でバンド結成し音楽活動を始めたらしい。何と早熟!彼は当時パリに住んでいた魔術師に弟子入りし錬金術を学んでいたとのこと。何と驚愕!そして1968年21歳でT-REXの前身「ティラノザウルス・レックス」の名前でデビューし、1969年にミッキーフィンが参加したあたりからT-REX独特のエレクトリックブギーがスタートすることに・・。そして1970年バンド名を「T-REX」と短縮改名し、奇抜な中性的な化粧やサテン衣裳を施して「電気の武者」がアルバムリリースされるや否や彼らの人気はついに爆発的なブレイクとなり、「ジープスター」(1971)や「ゲットイットオン」が大ヒットして黄金期を迎えることになります。マークボランのビジュアルPRは他のバンドやファンに一挙に大影響を与えてグラムロック・スタイルは一挙に確立し世界をあっという間に席巻してしまったのです。小生のT-REX初体験曲はやはり「テレグラムサム」(1972)ですね~!この妖しいリズムとマークの声とファッションに一挙魅了されてしまいました。グラムロックと聞くと、音の方もギラギラした内容を想像するかもしれませんが、T-REXのサウンドは「メタルグルー」(1972)に見られるように実にシンプル。あまり上手とは言えないギターリフとコード進行、演奏面だけで言うと実に素人くさい感じでした。しかしマークの不思議な詩の世界とボーカル、奇妙なストリングスとコーラスアレンジは聴く者を独特のマークの世界に誘い込みます。「チルドレン・オブ・レボリューション」(1972)や「メインマン」(1972)などはその典型曲だったかもしれません。テクニックよりも感性重視したギターリフのフィーリング曲は、時代を超えた天才マーク・ボランの真髄として魔法音楽のように響き渡り「ボラン・ブギー」というマークトリップの世界にロックファンを惹きこんで行きました。1972年は初来日も果たして、当時のRWはミュージックライフ誌を食い入るように読み漁っていたことが懐かしき思い出・・!しかしミッキー・フィンが脱退した1975年頃から、世の中のグラムロック熱は潮を引くように醒めていき彼らの人気も一挙に凋落状態となりました。一挙に頂点を極め過ぎるとその落差はあまりにも残酷でしたが、そんな彼にも1977年に音楽居場所を与えてくれる時代が再到来しました。それは商業主義のロックを根底から覆そうという大きな地殻変動「パンク・ロック」の登場です。このジャンルはグラムロックと同じようにファッションとともに英国全土に人気が広がり、彼らも新生T-REXを結成して再スタートを窺い順調に復活への兆しが見えてきたのです。しかし同年9月衝撃的なニュースがロック界を駆け巡りました。マークボランが交通事故で30歳誕生日を迎える寸前でこの世を去ってしまったのです。彼はかつて生前インタビューで「僕は30歳になる前に体がバラバラになって死ぬだろう」と予言していました。彼は15歳の頃から魔法使いの下で修行を積んでおり、自らの若い命と引き換えにボランサウンドを永遠に残してほしいと願って魔法使いとの契約を交わしたのかもしれません。その証拠に70年初頭の短期間の閃光だったにもかかわらず「T-REX」の名前は今の若者にも絶大な人気を誇っています。上記掲載の「20センチュリーボーイ」は浦沢直樹の大ベストセラー・コミックを映画化(2008年)した「20世紀少年」の主題歌として大人気となり、皆様も久しぶりに懐かしい気持ちになったことでしょう。そして、最後の締め曲は 全英3週連続第1位に輝き彼らの出世曲「ゲットイットオン」(1971)、マークボランとエルトンジョンとが共演している超お宝物の映像なのでございます。




★(092):マンフレッド・マンズ・アースバンド 「光に目も眩み」 (1976年) (2014.4.26公開)


c0119160_913164.jpg今回は、マンフレッド・マン(1960年代前半から活躍するキーボーディスト)が1976年にグループを率いて大ヒットさせた「光で目もくらみ」(Blinded By The Light)を紹介したいと思います。この曲は小生が大学入学で上京したての頃(もう40年近くが経つなあ・・)、毎日のように四畳半下宿のFENラジオから流れていた全米1位ヒットナンバーで完全にRWの体に染みついている懐かしのロックナンバー。シンセサイザー音の序曲から骨太ボーカル、壮大なるギター演奏、幻想的かつ見事なアレンジと劇的な曲展開で大いに魅了させれました。実はオリジナルはブルース・スプリングスティーンの1st盤に収められていましたが、やはり「マンフレッドマンズ・アースバンド」のナンバーでこそがロック史に輝く名曲であり、彼らにとっても最大の代表曲に間違いありません。当時この英国バンドは「一発屋」なのかな・・と思っていましたが、マンフレッドマンを調べていくうちに、様々な形態のバンドを結成して意欲的に新たな音楽境地を模索してきたブリティッシュロックの至宝と評価されていることを後程知りました。そういえば「スピリッツ・インザナイト」も渋く素晴らしい演奏を見せながら壮大な展開曲で本当に格好よかった!「マンフレッドマンズ・アースバンド」は、各活動時期によって全く異なる音楽性を発揮している珍しいグループで、初期はR&Bが主体、その後シングル中心のPOPバンドに変身、1960年代後半はアイドル的な人気を誇った「シャララ」や「DO WAH DIDDY DIDDY」、やボブ・ディラン曲をカバーしてヒットした「マイティ・クイーン」、などで有名になりPOPS路線の寵児として大人気を博していたのです。そしてその後の変貌ぶりはあまりにも凄すぎる・・、ブラスを加えたジャズを志向したり、さらに1970年前半からは何とプログレッシブロック路線へと変身し4作目の「ソーラーファイアー」(1973)(冒頭曲は「FATHER OF DAY,FATHER OF NIGHT」は、太陽系をテーマにしたコンセプト盤としてプログレ世界の名曲として語られるべき作品と評価されているのです。・・とはいえ濃厚な本格プログレではなく、泣きのギターやメロトロンが叙情的なメロディを奏でたりとお洒落な大人風POP路線も残した音作りを心がけている感じがします。活動前期で高い評価を得ている名盤は「ナイチンゲイルズ&ボンバーズ」(1975)、このアルバムからは小生お気に入りの名曲「スピリッツ・インザナイト」、ドラマティックで雄大な「ヴィジョナリー・マウンテン」等が収められています。そして翌年には、上記掲載曲「光に目も眩み」でスタートするロック史の名盤「静かなる叫び」(1976)のリリースが続きます。これ以降は、キーボード主体のキャッチーかつPOPなサウンドを主体として、ソフト&メロウバラードからハードロックまで何でもこなす幅広さを披露していきました。「イルカの声」(1976)を聴くともうだいぶAOR路線に入り込んできた印象も受けますな~。マンフレッドマンズ・アースバンドはB・スプリングスティーンやボブディラン、ランディニューマン等を好んでカヴァーしていますが、全然原曲と違った趣にしてしまうという稀有な特技を持っています。楽曲選択とアレンジの素晴らしさを駆使すれば歴史的な名盤をも残せるというお手本みたいなバンドでした。今回は1976年までを一区切りとして、後編は1978年から1980年中期までの名曲の数々をいつか紹介する予定です。最後の曲はRWのお気に入りの一つ「クエスチョンズ」(1976)で締めたいと思います。




★(091):アートガーファンクル 「永遠の想い」 (1975年) (2014.4.14公開)


c0119160_6415931.jpg中学生の頃小生を洋楽の道に導いてくれた「サイモン&ガーファンクル」(第2巻(016)参照)・・、「明日に架ける橋」がグラミー賞に輝いた1970年に残念ながら解散してしまいました。ポールサイモンはソロ転身後も「母と子の絆」、「僕のコダクローム」等のヒットを放ち気を吐いていましたが、S&G時代に一つも作曲しなかったアート・ガーファンクルの方は解散後は沈黙していた印象があります。その頃、彼は自分の澄んだ歌声に合う楽曲を見つけていかに自分流に歌うかという方向性でデビュー盤を作ろう・・と奮闘していたのです。その結果満を持して、自らの声を比喩したような題名をつけて1973年発表されたソロデビュー盤が「天使の歌声」(ANGEL CLAIR)でした。その冒頭曲は「青春の旅路」(Traveling Boy)を聴いて、期待に違わず美しい高音とちょっと鼻にかかる特徴的なガーファンクルボーカルが健在!とまずはひと安心、そしてアルバート・ハモンド作品で大いにヒットした「ひとりぼっちのメリー」・・、ビブラートが効果的に響くはかなさも伝わってくる声にまたも感動!そしてデビュー盤で小生が最大のお気に入り曲は、ジミーウェッブ作詞・作曲の「友に捧げる賛歌」(All I Know)、親友を思う歌詞と美しいメロディーが透明感溢れる声で感動的に表現されており、まるで「明日に架ける橋」の如し・・!続く1975年発表の2nd「愛への旅立ち」(Break Away)も超名盤で本当にお薦め!このアルバムは数々の名曲がプレゼントされておりレコード針が摩れる程聴き惚れ幸福感に酔ったものだなあ~・・。スティーヴン・ビショップ提供の「めぐり逢い」(Looking For The Right One)も余韻ある名曲・・、オリジナルピアノ演奏者はかの有名な大物プロデューサーデヴィッド・フォスターらしい。上記に掲載曲した「永遠の想い」は2nd盤に収められており、その他にも「瞳は君ゆえに」、そして小生が下溜めて愛してきた曲「L.A.より99マイル」等の多くのヒット曲がキラ星の如く。この名盤は曲の選択もさることながらアレンジも素晴らしくバックミューシャンにもCSN&Yのデヴィッド・クロスビーやグラハム・ナッシュなどの豪華なゲストも参加しておりました。「夢心地」を味わえるこの名盤のヒット曲には、ポールサイモンとの共演曲「マイリトルタウン」も入っています。ついにS&G復活か~!と大喜びしたものです。実際のコンビ復活は1981年セントラルパークコンサートでしたが、その後2人で何度か来日してくれて1993年カミサンと一緒に東京ドームで生のデュエットを聴けたこと(もう20年以上か・・)がいい思い出です。アートガーファンクルのソロ名盤は「シザースカット」(1981)等まだまだ沢山ありますので、いつか後編として紹介したいと思います。

  by rollingwest | 2002-02-01 00:00 | 洋楽(ロック・POPS) | Comments(108)