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RW/洋楽コーナー:「My Favorite Songs」 (第16巻)

【My Favorite Songs】の過去紹介した記事一覧(INDEX)はコチラから

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★(105):ニッティ・グリティ・ダートバンド 「ミスター・ボージャングルズ」 (1970年) (2014.10.8公開)


c0119160_22242672.jpg1970年代カントリーロック分野で我々世代の心に残っている「ニッティ・グリティ・ダートバンド」の最大ヒット曲「ミスター・ボージャングルズ」を紹介いたしましょう。それにしても彼らのグループ名は実に長ったらしい・・(以降は「NGDB」と表記)、直訳すると「愚直で埃だらけの汚らしいバンド」となります。何か自虐的な名称にも見えますが、その精神には「自分たちはあくまで洗練されることなく、泥臭いカントリーを地道にやっていくぞ・・」みたいな主張があるように思えます。今や、彼らの名を知る人は殆どいませんが、「Bayou Jubilee」「You Made Life Good Again」などを聴いてみるとこのグループはまさに初期イーグルスの雰囲気(Take It Easy 等)とそっくり!カントリー系ロックバンドとして後続登場したイーグルズの方はその後本格的なロック・壮大バラード路線に転身して米国を代表するビッグな存在となりましたが、片や「NGDB」の方は1966年結成から現在に至るまで一貫して(バンド名の通り)地道に泥臭くカントリーだけを演奏し続けてきたベテランバンドなのです。商業的成功には殆ど縁が薄い存在ですが、意外にも彼らはオールマンブラザーズやジャクソンブラウン、ケニーロギンス等とも縁があり、カントリー界とロックを結ぶ架け橋的な存在として高い評価を得てきました。1967年「Nitty Gritty Dirt Band」でアルバムデビューした時はフォーク&カントリーの異端児として話題をさらいましたが、その後泣かず飛ばずとなり1969年にはついに一度解散してしまいます。しかし、1970年新たなメンバーで再結成し、5thアルバム「アンクルチャーリーと愛犬テディ」の名盤と、全米シングル9位を記録した大ヒット曲(上記掲載)「ミスター・ボージャングルズ」を引っ提げてロック界にカムバックしたのです。ほのぼのとさせる哀愁漂う渋い名曲は米国カントリー歌手ジェリー・ジェフウォーカーのオリジナル曲(1968)をカバーしたものですが、RWとしては「NGDB」の代表曲という印象が強いですね~!また同アルバムからは ケニーロギンズ(無名時代)が何曲か提供しており、その中からヒットした「プー横丁の家」(1970)も思い出深い曲・・。このアルバムはプラチナディスクに輝き、グラミー賞の2部門にノミネートされるなど一躍彼らはビッグスターの仲間入りを果たしたのです。続いて彼らが挑んだのはナッシュヴィルでカントリースター達と共演したアルバムを制作することでした。デビューした当時はカントリー界からは白い目で見られていた「NGDB」でしたが、彼らのカントリー音楽に対する造詣の深さと敬愛の念は認められ、初の大がかりなロックとカントリーの共演が実現しました。ロックバンドがカントリーの聖地ナッシュヴィルで録音したり、カントリースターと共演することは実に異例のことで、その模様は歴史的名盤「永遠の絆」(何と3枚組)として発表、その中には「グランドオール・オープリーソング」などの名曲が収められています。彼らが演奏する音楽はまさに伝統的庶民派カントリーロックスタイル!バンジョー、マンドリン、アコーディオン、アコギ、ハーモニカがメインで鳴り響かせる作品が多く、「Long Hard Road」(アメリカ開拓史の映像が叙情的)や、「Fishing In The Dark」など、一曲一曲が個性的で古き良き時代のアメリカを感じさせてくれます。70年代後半に入るとさすがに時代の変化を感じ取り、「ダートバンド」と改名して一時ポップな方向性を打ち出しますが長くは続かず、1980年代に入ると再びバンド名を「ニッティ・グリティ・ダートバンド」に戻しました。やはり「One Good Love」(白黒映像が格好いいカントリーロックの真髄)みたいな曲で路線をぶらさずに一貫して継続することで歴史的価値が深まっていくことの表れかもしれません。現在はカントリーバンドとして安定した活動を続け息の長い存在となっていますが、RW洋楽コーナーはロック・POPS記事なのでLAST曲は彼らがリンダロンシュタッドと共演した「アメリカンドリーム」(1979年、全米第13位のヒット曲)で締めくくりとしたいと思います。

⇒次回は、1972年の懐かしい秋を象徴する名曲ヴィグラス&オズボーン「秋は一人ぼっち」をお送りします。♪\(^◇^)/♪




★(104):グランドファンクレイルロード 「アメリカンバンド」 (1973年)  (2011.9.25公開)


c0119160_13395742.jpg1970年は小生が洋楽ロックの魅力に憑りつかれた記念すべき年、そして翌1971年は日本の洋楽ロックファンにとっては、大物アーティスト(BBキング・BS&T・シカゴ・CCR・エルトンジョン・レッドツェッペリン・EL&P・ピンクフロイド・フリー・GFR等)が次々に初来日を果たした画期的な年となりました。今でこそ洋楽ロック映像や生演奏に触れられる機会は当たり前のことですが、昔は夢のような出来事だった時代、1年間でこれだけのビッグネームが一挙初お目見えした1971年はまさに特筆される衝撃イヤーだったのです。当時RWは中学2年生・・、LIVE上京の実現などあり得るはずもなく、音楽雑誌「ミュージックライフ誌」を毎月買い込んで来日記事の詳細を読みながら興奮していたものです。その中でも伝説的なコンサートとして今でも語り継がれているのが「グランドファンクレイルロード」(以下GFRと呼称)が雷雨の中で行った「後楽園球場」(東京ドームの前身)LIVEでした。当時の大物コンサート会場は武道館が定番でしたが球場で行われるのは初めてのこと、当時「世界一デカい音を出すバンド」といわれたGFRの初来日公演は大きな話題となったのです。当日は会場に入れなかった多数の若者が暴徒化して放火・投石の末、場内乱入する大荒れ状態となりました。そんな異様な雰囲気が頂点に達してさらに突然の閃光と轟く雷鳴、いよいよ豪雨の中でGFRが登場し、「ハートブレイカー」をついに歌い上げた・・こんなLIVE記事をRWは食い入るように読み漁り、疑似体験の様な興奮と自己満足感を覚えたものです。1969年にドンブリューワー (ds)とマークファーナー(vo、g)とメルサッチャー(b)の3人で結成され、バンド名は米国鉄道会社「Grand Trunk Western Railroad 」を文字って名付けられたとのことです。レッドツェッペリンの米国公演の前座を務めた時、その凄まじい歌と演奏力で聴衆を熱狂させたことが話題となりロックファンにその名を轟かすようになりました。デビュー盤「On Time」(1969)からは上記掲載した哀愁たっぷりのハードロックバ ラード「ハートブレイカー」が輩出、2nd「Grand Funk」からはgwan・gwan~と歪めたギターが迫るヘヴィなナンバー「パラノイド」(1969)、アニマルズの名曲「孤独の叫び」(Inside Looking Out)(1969)はテンポを落としGFR流のヘヴィなロックになっておりインパクトが強い彼らの代表曲ともなりました。「サバイバル」(1971)は3人が原始人に扮したLPジャケットで小生の脳裏に強く印象が残っており、デイヴメイスンのファンキー曲「フィーリン・オールライト」やストーンズ代表曲「ギミーシェルター」をカバーしています。当時のロックは反戦姿勢も強く打ち出されておりGFRも「戦争をやめよう」(1971)で大いにPRしていました。ただし当時のRWは英国プログレシッブロックに嵌っていたので、ストレートで無骨なアメリカンハードロックが今一つ後進的な音楽に感じられて距離感を置いていたのも事実でした。しかし冒頭曲「アメリカンバンド」(1973)は、メロディも詞もシンプルで力強く一度聴いたら忘れないハードロックの名曲だと大いにお気に入りとなりました。さらに「ロコモーション」(1974)はハードロック風にアレンジしたカバーがシングルカットされ大ヒット曲となり見事全米1位に輝いています。2度目の大ブレイクの功労者は名プロデュースで自身も多彩な才能を発揮したトッドラングレンであることは有名ですね。1970年代中盤からは米国プログレハードが人気主流となって、GFRも2度の解散と再結成を重ねる紆余曲折もありました。しかしアメリカンロックの醍醐味はブルース・スプリングスティーン等に受け継がれ見事に米国ロックの主流となっています。小生も年齢を重ねるにつれて、新しいことなど何もなくひたすら愚直に「ロックの原点」を追求するこの姿勢が噛みスルメの味わいのように思えてきました。GFRが築き上げた功績や誇りは、「我々はアメリカンロックの王道を突き進んできたバンドだ~!」という魂の叫びが冒頭掲載曲に籠っているような気がします。締めは「アメリカンバン」の次にヒットした曲「ウォーク・ライクアマン」(1973)で・・




★(103):ラーセンフェイントンバンド 「今夜はきまぐれ」 (1980年) (2014.9.13公開)


c0119160_22473511.jpg80年代洋楽はソフト路線AORの他に、ジャズ・ソウルとロックを融合した「フュージョン音楽」(クロスオーバーとも呼称)が華やかりし時代でした。ボーカルが入っていたらAOR、インストルメンタルだけだったらフュージョンなんて・・適当なジャンル分けをしていた感じだったかもしれない。(笑) お洒落で都会的な雰囲気など到底似合わないRWも、当時は無理してラリーカールトン、リーリトナー、ジョーサンプルなどのアーティストを聴いていましたが今一つ夢中にはなれなかったなあ・・。そんな中で、「ニールラーセン」(Key.)と「バジーフェイトン」(Gt,Vo.)という2人のテクニシャンアーティストが結成した「ラーセンフェイトンバンド」は小生お気に入りのスーパーユニット。フュージョン風味の小粋なAORという感じでとにかくカッコイイ!当時はかなり嵌っていましたねえ・・。冒頭紹介の「今夜はきまぐれ」(Who’ll Be the Fool Tonight)は、米国ヒットチャート上位に入った名曲(ブラスとギターの切れ味、ドラム・パーカッションのリズムが見事にMIX)で、彼らのポップでキャッチーなサウンドを聴き一遍に魅了されてしまいました。この名曲が収録されていた1stアルバム「Larsen-Feiten Band」は、1980年当時のAOR・フュージョン名盤として頻繁に採り上げられていた気がします。このデビュー盤には名曲がズラリ!「メイクイット」はホーンの響きとアレンジが秀逸、ダンサブルなナンバーでディスコ(←死語かも?今はクラブかな)で流れてきたら違和感なく踊り出しそうな雰囲気。「デインジャーゾーン」はロック色の強い唸るようなギターが印象的で渋い曲調の運び。「彼女はフリー」(She's Not In Love)はパーカッションが効果的に使われる軽快な雰囲気、サビ部分の切れ良く透明感あるギターカッティングが素晴らしく個人的にもお気に入りの曲です。1982年発表の2ndアルバム「フルムーン」は衝撃的名作(1972)を残した伝説バンドの名前を冠しています。フルムーンというバンドは1970年代初頭にブルーアイドソウルを取り入れ先進的に取り組んでいましたが1980年前後で当該音楽が大きなブームを呼び彼らが再評価されました。その流れを受けてリリースされた名盤「フルムーン」には「ファントム・オブ・フットライツ」「リトルシスター」などの名曲が収められ、洗練されたブルーアイドソウルバンドとして復活を遂げ脚光を浴びたのです。職人気質に溢れPOP&ファンキーかつアダルトな感で高い演奏力を見せた名コンビ、彼らはフュージョン時代の金字塔ともいえる完成度の高い2つの名盤を生み出していたのです。最後は2nd盤からのお気に入り曲「ブラウンアイズ」を聴きながら、30数年過ぎても全く色褪せないAOR・フュージョンの傑作を堪能してみませんか!





★(102):グレンキャンベル 「ラインストーン・カウボーイ」 (1975年) (2014.8.31公開)


c0119160_20232292.jpgグレン・キャンベルは母国アメリカでは一時代を築いたカントリーPOPS歌手(1936年生まれ・もう80歳に近いか・・)ですが、日本では殆ど無名に近いアーティストかもしれません。日本でグレン・キャンベルが一般の方に注目されたのは、40年程前のコカ・コーラCM曲「カミングホーム」(1975)が使われた時ですが、覚えている人も少ないでしょうねエ・・。RWは彼がヒットさせた数々の曲(1960年終盤から10年間)には癒されて結構大好きだった歌手なので今も心に残っております。彼の音楽キャリアの集大成となったのが、上記に掲載した「ラインストーン・カウボーイ」(1975)でしょう。 「♪Like a Rhinestone Cowboy~!チャンチャン!♪ Riding out on a horse in a star-spangled rodeo~♪」 軽快リズムの中で、豪快かつ伸びやかに「ロォ~デオ~!」と熱唱する声は心を揺り動かされるサビ部分、実に爽快感溢れる名曲でした。彼が音楽界でスターだった時期は1967年から1970年代後半までの10年間位でしたが、カントリーとPOPSの垣根を取り払った功績はかなり大きいと言えるでしょう。グレン・キャンベルは米国・片田舎の貧しい小作農家で12人兄弟の7番目として生まれましたが、幼少時期から音楽才能に恵まれカントリー歌手への夢を膨らませていました。彼の成功道のりは決して平坦ではなく最初はロサンゼルスの音楽業界周辺をうろついていましたが、やがてギタリストの腕前を見込まれセッションミュージシャン(ギタリスト)として有名歌手達のレコーディングに参加していくようになります。実は彼は一時的にビーチボーイズの一員だったことがあるのです。 同バンド主力だったブライアンウィルソンがツアー活動から退いたことが契機、スタジオ録音で認められたグレンキャンベルに白羽の矢が立ったのです。数カ月間は代役としてビーチボーイズの面々とツアーを共にしたものの、残念ながらツアー合間の休暇中で怪我をしてしまい已む無く降板した経緯があります。グレンキャンベルがソロ歌手として最初の成功を掴んだのは1967年に「ジェントル・オンマイマインド」のヒットに恵まれたことでしょう。さらに「恋はフェニックス」等のジミー・ウェブ作品を歌うことで、カントリー音楽ファン以外のリスナーにもファンが増えて支持が拡大していきました。この曲は見事グラミー賞(ベスト男性ヴォーカル賞)に輝き、今やアダルト音楽のスタンダードかもしれませんね。「ガルベストン」(1969)はテキサス州ヒューストン近郊町を歌ったもので、よきアメリカの情緒を感じさせる得意分野のカントリー調名曲です。1970年代に入っても「Try A Little Kindness」(1970)や「ラインストーン・カウボーイ」のヒットを放ち続け、この10年間は彼が最も輝いた栄光時代でした。しかし、人気が上がればいつかは落ち目の時期が到来するもの・・。70年代後半から80年代においては、大衆音楽の好みも大きく変わり(ディスコサウンドや都会的音楽が流行)、古臭い哀愁調のカントリー音楽の支持層は激減となり彼の人気も陰りを深めていきました。さらに私生活では、酒とドラッグに溺れて離婚3回など混迷の転落人生を辿ってしまったのです。彼の自伝には、成功から栄光に至った10年間、その後転落の日々(酒・ドラッグ)から立ち直るための戦いや信仰に目覚めた歴史が綴られているとのこと。晩年を迎え、彼は75歳で歌手人生最後のアルバムを発表しました。まだまだ頑張ってもらいたいものですが、実は彼はアルツハイマー病の初期段階にあると知ってビックリしました。少しずつ記憶が失われてゆく不治の病に侵され、やがて歌手能力も奪われていく前に最後のスタジオ録音に踏み切り、自分の元気な声とギター音色を刻み付けておきたいという願いを叶えたのです。ラスト曲は、小生が貧乏学生時代に毎日下宿のラジオから流れて来ていた「サザンナイツ」(1977)を紹介したいと思います。「南半球避暑地のビーチで星空に輝く夜空を見上げながら美女と愛を語らう・・(羨)、四畳半でカップラーメンを啜っていたRWとは何という違いだろう・・」と、何もいいことがなかった青春時代で心を癒してくれたグレンキャンベルの音楽・・。彼の波乱万丈の人生が静かに全うできることを祈念して本記事の筆を置きたいと思います。





★(101):ハート 「バラクーダ」 (1977年) (2014.8.18公開)


c0119160_625437.jpg皆さん、イチローがかつて所属したマリナーズ本拠地の「シアトル」(ワシントン州・最大都市)と謂えば何を連想されますでしょうか?実はボーイング(航空・宇宙産業の中核)・マイクロソフト(ビルゲイツ創業IT最大手)・アマゾン(ネット販売の最大手)・スターバックス(コーヒー)等、世界的な超有名企業の発祥地。そしてロック史においては、60年代に史上最高のロックギタリストと賞賛されたジミ・ヘンドリックス、90年代のオルタナティヴロックで世界を席巻したニルヴァーナなどの出身地でもあります。そして70~80年代では、沢山のヒット曲を当時放ち続けていた美人姉妹(アンウィルソン&ナンシーウィルソン)率いるロックバンド「ハート」を輩出していたのでありました。大学生の頃、貧乏下宿(四畳半)のラジオから小生のハートをズキュンと打ち抜いた小気味いいギターサウンドとハイトーンヴォイスが迫る「バラクーダ」を筆頭に、70年代でリリースされた名曲の数々も一緒に紹介いたしましょう。彼らの人気は70年代後半と80年代後半と2回のピークがありヒット曲数が半端なく多いので、前・後編に分けた記事にしたいと思います。「ハート」は元々アーミーと言うカナダのバンドが母体でシアトルで活動中にアン・ウィルソン(姉)をスカウト、その後妹のナンシーも巻き込んで1975年に正式結成されました。彼女らを全面に押し出したプロモーションを行い(アンはボーカル、ナンシーはリードギター)、1976年に1st盤「ドリームボート・アニー」(夢見るアニー)でデビューしました。デビューシングルは「クレイジー・オン・ユー」、イントロのアコースティックギター(ナンシー)から静かに始まり、突然洗練された軽快ロックに変調していく曲の構成が実にカッコイイ!「夢見るアニー」は勿論アンの愛称、このアルバムは大ヒット(全米7位)となり最高傑作とも称えられておりアン&ナンシーは世界デビューの夢をいきなり叶えてしまったのです。1977年には2ndアルバム「リトルクイーン」を発表して冒頭掲載の「バラクーダ」が全米11位のヒットを記録、さらにビートの効いたロック「Kick It Out」(1977)や「ストレイトオン」(1978)など全米チャート上位を常に賑わす実力を発揮し彼女らの人気は揺るぎないものとなりました。妹のナンシーのセクシーさと胸の谷間が目を引き(中年オヤジ表現だネ~)、「シスターズロック」と呼称されたことからビジュアル優先で人気を博してきたのかと思いきや・・、じっくり聴くとレッドツェッペリンを意識しており音楽の幅が結構広いなあ・・とその実力に感心させられます。アンウィルソンのハイトーンボーカルを聴くとまさに女ロバート・プラントと名付けたいくらいだ!またアコースティック・ギターも駆使する名曲が多い点もツェッペリン影響の一端を感じさせます。抒情的に歌い上げた「ドッグ&バタフライ」(1979)も大好きだったなあ・・。1970年代はシアトル美人姉妹として有名だったハートでしたが、今では姉のアンが激太りでかつての美貌は見る影もなくハートブレイク溜息(破・嗚呼~と・・)が出るばかり・・。ユーチューブはやはり心ときめいた時代の映像ばかりをチョイスしてしまいました。クリストファークロス、エルトンジョンに続き、イメージ映像にばかり拘る修業足らずのRWですが、やはり前編最後はデビュー期の最大ヒット曲「マジックマン」(1976:全米9位)で締めたいと思います。こりゃ、またカッコいい曲なんだな~!途中に迫力のドラマーソロも入り8分近くに及ぶナンバー、これこそ70年代ハートの真骨頂のイメージ!

  by rollingwest | 2002-04-01 00:00 | 洋楽(ロック・POPS) | Comments(118)