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「My Favorite Songs」(第18巻)

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★(113)ピンクフロイド 「エコーズ」(PART-1) (1971年) (2015.1.9公開)



c0119160_209518.jpg小生が最も愛する「ピンクフロイド」の最高傑作は1970年初頭に輩出した「原子心母」(第2巻:015)&「おせっかい」(Meddle)の2大アルバム・・・、小生にとっては今も偉大なる金字塔として永遠に輝いている崇敬の名盤です。世間一般的には歴史的NO1アルバムは「狂気」(the dark side of the moon)と評価されていますが、RWにとっては神秘性が欠ける印象を受け期待が裏切られた・・と当時はガッカリしてしまいました。それだけ「原子心母」「おせっかい」から受けた衝撃と感動がいかに大きかったのか・・と今あらためて思うのです。上記に紹介した「エコーズ」は名盤「おせっかい」(1971)のラストトラックであり23分30秒という当時では常識外れの長大曲(B面全てが単一曲)でした。ピンクフロイドファンから最も人気の高い本曲の冒頭は「ピィーン!」と響き渡る幻想音、デイヴ・ギルモアとリック・ライトが静かに語り合うようなツインリードでヴォーカルを展開し、唸らせられる素晴らしいギルモアのギタープレイ、ニックメイスンの大迫力のドラム(まるでボンゾの如し)、メンバー4人の持ち味が見事に溶け合った壮大な宇宙観が表現されています。「エコーズ」は、映画「2001年宇宙の旅」のBGMにも採用され、、映画ラスト23分映像とも完全にシンクロしていたのでした。今回紹介した「エコーズ」の映像(PART-1と2に分割)は、ポンペイ遺跡(イタリア)で無人観客でのライブを収録したエイドリアン・メイベン監督の映像ドキュメンタリーで、1973年にNHK番組「ヤングミュージックショー」で放映されたものです。当時は洋楽アーティスト映像を見られることは殆どなかったので、興奮しながら齧りつくようにTVに釘付けとなった高1時代の在りし日の自分が蘇ってきます。「おせっかい」は1971年に発表されピンク・フロイドが一大飛躍を遂げた作品であり、オープニングを飾る迫力のインストゥルメンタル曲は「吹けよ風、呼べよ嵐」!冒頭から風の音が20数秒流れた後に、ロジャー・ウォーターズによる不気味なベースが鳴り響き、リック・ライトのシンセサイザーとがコラボする印象的な楽曲で日本でも大ヒットしました。途中で聴かれる叫び声はニック・メイスンが「いつの日か、お前を細切れにしてやる・・」と悪魔のように唸っています。中盤のアコースティックな小曲群にもかなりの趣があり、「ピロウオブ・ウインズ」「フィアレス」(最後の群集シュプレヒコールはサッカーサポーターが勝利に酔いしれる歓声の如し)はピンク・フロイドのもう一つの顔・・、静謐サウンドの象徴曲とも言えましょう。RWがフロイドのメンバーの中で最も大好きだったのは「エコーズ」でリードヴォーカルを取っている「リック・ライト」(今はリチャード・ライトと呼ぶらしいが・・)でした。地味な存在ながらも初期フロイドにおいてライトのキーボード演奏(メロトロン、シンセサイザー等)は独自世界のサウンド形成に大きな役割を果たしていたからです。他プログレバンドの代表的キーボード奏者(キース・エマーソンやリック・ウェイクマン等)のように超絶的な速弾きや目立ったソロプレイを披露することはありませんが、全体を包み込むような幻想的なサウンドを奏でていたリックライトの姿(童顔で可愛らしい)が実に魅力的なのでした。それでは超大作後半の「エコーズ」(PART-2)を聴いて頂きその真髄を再度堪能してみて下さい。リック・ライトは初期ピンク・フロイドにおいては、シド・バレットと共に音楽的には主導的立場にありましたが、1970年代中盤以降はバンド内での存在感が薄くなっていきます。特にリーダーシップを執っていたロジャー・ウォーターズとの対立で相当にいじめられ、ついには1979年解雇される事態にまで発展しました。そしてピンク・フロイド脱退後は、ドラッグに溺れていき一時は地獄のような日々を送り、2008年に癌のため65歳で死去しています。しかし失意のままで亡くなったのではなく、晩年の彼は再びピンクフロイドに迎えられて幸せな時間を過ごすことができていたのです。1987年、デイヴ・ギルモアとニック・メイスンがピンクフロイドを再始動させ、ライトはアルバム「鬱」のサポート・メンバーとして参加、そして同年に開始したワールドツアーより正式メンバーとして迎えられました。ついに往年のメンバーと縁を取り戻せてよかったですね~、ライトさん!そして今回記事のLASTは、アコースティックバージョン版「エコーズ」を聴いて頂き、締めとしたいと思います。デイヴ・ギルモアが主体となったスタジオセッションで、2005年前後(彼らが還暦前後)の映像ではないかと思われます。大型音響機材は使わず手作り感で演奏しているにも関わらず、往年の壮大曲をほぼ忠実に再現しているのですから本当に驚かされました。そして嬉しいのはキーボードを演奏しているとリック・ライトが笑顔で元気に共演していること・・、仲間たちと楽しそうによき時間を過ごしている感じが伝わってくるではありませんか!癌で人生終焉を迎えたリックライトの脳裏には、ピンクフロイド時代のさまざまな出来事が走馬灯の如くよぎり、かつての同志達といい時間を過ごせた・・と最期は満足感に浸っていたのかもしれません。


⇒次回は、ビートルズ・サウンドの遺伝子を受け継いだ80年代の英国バンド「ティアーズ・フォー・フィアーズ」の「シーズ・オブ・ラブ」をお送りします。♪\(^◇^)/♪





★(112)サラ・ブライトマン 「クエスチョンオブオナー」 (1995年) (2014.12.28公開)

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c0119160_9301325.jpg何かもう遠い昔の様ですが、世界中が2014年W杯ブラジル大会に熱中していたのは僅か半年前・・、わが国民も「サムライブルー戦士達はベスト4に行けるのでは!」・・なんて、今から思えば大いなる勘違い(傲慢だったかも)をしていました。しかし高い目標を掲げて努力を重ねなければ大きな夢が叶えられないのも事実。今年最後(&新年冒頭)のRW洋楽マイフェイバリット曲は、日本国民にサッカー応援BGMとしてすっかり脳裏に刷り込まれているサラ・ブライトマン(英国ソプラノ歌手&女優)の「クエスチョンオブオナー」を聴きながら、夢が持てる2015新年を迎えてみたいと思います。曲名を聞いてピンと来ない人も、中盤サビの部分まで来れば殆どの人が「聴いたことがある!」と気付くことでしょう。2002 W杯(日韓共催)日本vsチュニジア戦から採用され12年間もTV(テレ朝系)で流れ続けており、またトヨタ・マークXのCM曲にも採用されたので耳覚えがある筈・・。オペラ名曲「アリア」(邦題:「さようなら、ふるさとの家よ」)で荘厳な雰囲気で始まり、衝撃的な導入部イントロ(バイオリン&シンセサイザー)から徐々に高まりドラマティックに変調、そしてバックコーラスと交錯する唸るギターのリフレイン(まさにハードロックの真骨頂)、クライマックス部分はサラ・ブライトマンのハイトーンヴォイスが感動的に響き渡ります。やがて曲は静けさを取り戻し、余韻の中で再び彼女はオペラ歌手へと戻り「アリア」の旋律が・・。そして最後はオペラ絶唱とともに劇的な幕切れで曲が締めくくられるのです。嗚呼・・、なんて素晴らしいオペラ&ロックの組曲!フルで聴きこむと、その計算され尽くされたアレンジの素晴らしさ、躍動感あふれる劇的な展開は何度聴いても感動を覚えますネ~。「オナー」とは和訳すれば「名誉」、その曲名の由来は騎士道の精神を現す決意の言葉から来ています。「これは生きるか死ぬかの問題ではない。名誉の問題である!まさにサッカー日本代表が「ドーハの悲劇」で涙に暮れたあの日から20余年、そこから這い上がり着実に進化・成長をし続けてきたサムライブルー!1998年にW杯初出場を成し遂げ、1次リーグ突破(2002、2010)、そして今回(2014ブラジル大会)は残念な結果でしたが「次回2018ロシア大会こそはベスト8以上の夢を叶えよう!」という応援歌として実に相応しい曲なのではないでしょうか!小生もその夢を叶えてもらうため、最近はカラオケのマイ定番に本曲を加えて絶叫しているところでございます。(笑) サラ・ブライトマン(1960年生まれ )は、1980年代にミュージカル女優としてデビューし輝かしい成功を収めました。その契機は1981年の新作ミュージカル「キャッツ」のオーディションでジェミマ役を射止めたことに始まります。その後、彼女は数多くのミュージカルに出演、1986年に「オペラ座の怪人」のヒロイン役として大ブレイク、さらに1996年にはアンドレア・ボチェッリとのデュエット「大いなる世界」(タイム・トゥ・セイ・グッバイ)が爆発的にヒットし、ついに彼女は世界的なメジャー歌手としの地位を築き上げました。1990年代以降は、現在世界的な隆盛をもたらしている「クラシカル・クロスオーバー」(クラシックとPOPS・ロックを融合させた独自の音楽スタイル)の第一人者として活躍しており、米国ビルボード・チャートのクラシックとダンスの両音楽部門で同時1位を獲得した世界唯一の歌手なのです。このルーツは1970年前後でロック音楽が融合発展した歴史にあり、彼女はピンクフロイド(プログレロック)やデヴィッドボウイ(音楽変化の最先端)、クイーン(ロックオペラ)などに大きな影響を受けていたのです。当時の熱きロックアーティスト達のチャレンジ精神や熱気がサラブライトマンに受け継がれ、ついにクラシックとPOPS・ロック融合の頂点が極められたとは・・何と素晴らしいことではありませんか!サラブライトマンは日本に対して非常に深い親しみを持ってくれています。1991年のNHK紅白歌合戦に出演し「オペラ座の怪人」を歌い、2007年にはポケモン映画主題歌「ビー・ウィズ・ユー 〜いつもそばに」を披露、2009年はNHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」の主題歌「Stand Alone」(久石譲作曲)を、 2013年では「となりのトトロ」のBGMとして有名な「風のとおり道」を日本語で歌ってくれているのです。そしてLASTは、シューベルトのクラシック名曲「アヴェマリア」とミュージカル名曲「ランニング」(ジュピター~栄光の輝き)(in 東大寺)で締めさせて頂きます。ジュピターはグスターヴ・ホルスト (英国作曲家)による組曲「惑星」から「木星」に歌詞をのせてアレンジした壮大な曲(日本では平原綾香が歌って有名になりました)、まさにオペラとロックが完全融合した最高に素晴らしい世界に引き込まれます。この曲は日本で開催された大阪世界陸上(2007年)の開会式で初お披露目された曲ですので、ご記憶の方も多いのではないでしょうか。またオリンピック大会の公式テーマ曲を2度にわたって歌ったアーティストは、サラ・ブライトマン(1992年のバルセロナ大会、2008年北京大会)が初めてです。やはりこの方は凄い~!もっともっと世界的にビッグな伝説的歌姫となっていくことは間違いありません。
(PS):いよいよ1月にサッカーアジア杯が開幕!「クエスチョン・オブ・オナー」を熱い応援歌に日本の連覇優勝を祈願しましょう!




★(111):ギルバートオサリバン 「クレア」 (1972 年) (2014.12.17公開)



c0119160_12124015.jpgギルバート・オサリバン・・、小生が彼の名前と風貌を初めて目にしたのは1972年、誰もが知っている最大名曲「アローンアゲイン」(全米1位)をひっさげて一挙に世界的ブレイクをした年です。「アローンアゲイン」のEP盤写真は刈り上げ髪型で鳥打帽を被りニッカボッカというアナクロな姿・・(帽子で頭でっかちが強調されて目つきもどこか変・・、曲芸一座の旅芸人かいな?)、当時はハードロック・プログレ・グラムロック全盛時代だったので、突然登場してきた時代錯誤の奇人変人にかなりの違和感を覚えたものです。しかし独特の感性を持つ不思議な人には一挙に魅せられてしまった!ピアノ・弦楽器を使った曲が多く哀愁漂う懐かしい曲調が多いのですが、アップテンポ曲もあったり陽気さも散りばめられたものも多く、その音楽性の幅広さに感心したものです。当時はポールマッカートニーの再来とも言われ、ポール本人も後継者として認めたほどのシンガーソングライター(アイルランド出身)だったのですよ!デビュー曲「ナッスィング・ライムド」(1971)が収められた「ギルバート・オサリバンの肖像」(ジミーペイジもアコースティックギターで参加!)は完成度が高く、コアなファンはこのアルバムが最高傑作と称賛する方も多いようです。冒頭に紹介した「クレア」(アローンアゲインに続いて大ヒットしたナンバー)は、口笛から始まり幼女の笑い声で終わるほのぼのさ・・、優しさと温かみが伝わってきて実に印象的な名曲でした。クレアとは当時3~4歳の実在した女の子(オサリバンと鉄壁コンビだったマネージャー・ゴードンミルズの末娘)で彼は大変可愛いがっていたようです。「アローンアゲイン」(哀愁曲)⇒「クレア」(ほのぼの曲)に続いて放った第3弾はノリのいいリズムでヒットした「ゲットダウン」(1973)、この曲も大好きでしたね~!しかし1970年代中盤になるとすっかり彼の音信は不通になってしまいました。実は今回記事の執筆で初めて知ったのですが、鉄壁コンビだったゴードン・ミルズ(クレアの父親)がロイヤリティを多く取り過ぎており、2人は訴訟争いを繰り広げていたとのこと。こんな状態ではまともな音楽活動ができなかったのも当然か・・と今になってようやく理解した次第。小生にとってはオサリバンは1970年代初頭だけで輝いた閃光的なアーティストのイメージでしたが、1980年には「ホワッツ・インア・キッス」のヒットで復活し、1990年代には7回も来日を果たしていたこともあらためて知りました。TVドラマ「あの日の僕をさがして」という番組の主題歌に「トモロウ・トゥデイ」(1980)という曲が使われ国内でオサリバンブームが再来していたようです。長かった訴訟争いは結果的にオサリバンが勝訴して損害賠償額700万ポンドを受け取ったようですが(敗訴したゴードンミルズは1986年に死去)、その後の彼にはヒットチャートを賑わすこともなく今に至っています。時が経つのは早いもの・・、当時可愛い盛りのクレアももう40歳後半を迎えているわけか・・・。クレアおばさんは、2人の争いを目のあたりにしてどのような心境で40数年間を過ごしたのでしょうか?自分を歌ってくれた心あたたまる愛の歌「クレア」や「Happiness is me and you」などの名曲を聴きながら余計に悲しくなったことでしょう。最後の曲はやはり師走を迎え季節感にあわせて、オサリバンの「クリマスソング」で終えたいと思います。嗚呼、光陰矢の如し・・



★(110):シカゴ 「流血の日」(someday) (1969年) (2014.12.6公開)



c0119160_21134820.jpgRWが本格的に洋楽に嵌ったのは1970年(ビートルズ解散直後の中学2年)・・、初めてLPレコードを購入したアーティストは①S&G、その次が②エルトンジョン⇒③「シカゴ」⇒④ピンクフロイド⇒⑤ツェッペリン(⑥・・以下省略)の順番でした。ビートルズの方は、弟をたぶらかし「歴史的名盤を集めるのはお前の役目だ!」と命じて彼の小遣いから購入させ、小生の方は1969年から登場してきた新進気鋭のロックアーティスト達の話題盤を次々とGET、日々進化し発展していく1970年初頭ロックの激動パワー・うねりをリアルタイムに体験していったものです。この時代のロックはジャズ・クラシック・ラテン・アフロ音楽等、異分野との融合が次々と進み、ハードロックやプログレと並んで「ブラスロック」(BS&T、シカゴ、チェイス)も一大ジャンルとして世界を席巻していました。現在はBS&Tが唯一頑張っている印象かな・・。シカゴといえばAORバンドと認識する方が殆どと思いますが、RWにとっては1970後期以降の彼らは完全変節してしまった姿としか映りません。確かに美しいバラードのシカゴも嫌いじゃないけど・・、初期名盤(Ⅰ~Ⅲ)のワイルドさ・反骨心の衝撃が多感な時代の脳裏に深く刻まれ体に染みついてしまったため、到底同じバンドだとは思えないのです。ロックにブラスを取り入れた先駆的な存在、社会矛盾を突いた反体制の姿勢を鮮明にして愛・自由を叫んでいた熱い血潮のワイルドな初期シカゴ・・、今回はデビュー盤(2枚組の大作)から数々の名曲を紹介し、ありし日の彼らの真髄(凝縮された情熱)を十分に堪能してもらいたいと思います。冒頭に紹介した名曲「流血の日」(someday)は1968年夏の民主党大会(シカゴ開催)で「ベトナム戦争反対」のデモ隊と警察・軍がぶつかり合う生々しいシーンから始まります。対峙していく両者の背景には重々しく迫力あるシカゴBGMが刻々と迫り、ブラス音が炸裂して曲は一挙に疾走を開始、クライマックスへと向かっていくのです。冒頭と中盤に響き渡る群衆のシュプレヒコール「The Whole World is Watching!」(世界がこの権力暴挙を見つめているぞ!)・・、この衝撃曲で強烈な感動を受けたRWは完全にシカゴに圧倒されてしまいました。ジェイムズ・ウィリアム・ガルシアをプロデューサーに迎えデビューを果たした1st盤「シカゴの軌跡」(1969)は壮大なるコンセプトアルバムの風格を讃えています。当時は「シカゴ・トランジット・オーソリティ」という長いグループ名で「俺たちはこんなバンドなんだぞ!」と自信に満ち溢れた自己紹介曲「イントロダクション」が冒頭を飾り、ヒット曲としても有名な「一体現実を把握している者はいるだろうか?」「ビギニングス」そして初期の最大ヒット曲「クエスッチョンズ67&68」へと繋がっていきます。まさにロバートラムの鋭い感性と曲作りの豊潤なセンスが冴えわたっています。そして初期シカゴのサウンドを牽引していたのが名ギタリストとして称賛されたテリー・キャスの迫力あるギターソロ(超名曲「長い夜」でも炸裂)、彼がいぶし銀のギターワークがブルージーに唸り奏でられる組曲「ポエム58」は実に見事!これこそ1969年ロックの究極の姿だ・・!そしてピーター・セテラのベースで始まり、テリー・キャスのギターが真骨頂を見せる「アイアムアマン」はアフロな雰囲気(サンタナ風)も濃厚に漂うブルースロックの長大名曲!ジミ・ヘンドリックスやジャニス・ジョプリンも唸らせたと言われるテリーキャスのギターワークは初期シカゴの象徴そのものでした。しかしそのテリー・キャスは1978年、突然、悲劇的な死を迎えてしまいました。交遊者パーティにおいて、彼が余興のノリで38口径リヴォルバーを友人に示しながら「銃弾は入っていないよ」とこめかみに当て引き金に指を掛けた途端に暴発してしまったのです。享年31歳、薬物・アルコール依存だったとも謂われますが、今になっては真相は闇の中・・。根幹メンバーを失ったシカゴは迷走状態に陥り、80年代AOR路線で復活するまでは苦境状態が続いたのです。今回記事のフィナーレは壮大なるブルースロックの真髄が満ち溢れているテリー・キャスの究極轟音プレイ「フリーフォームギター」で締めましょう。まさにジミヘンばりにギターを唸らせ続ける大迫力演奏には完全圧倒されてしまいます!AORで頂点を極めたシカゴもいつか掲載しようと思ってはいますが、まだまだ初期シカゴの魅力を継続紹介して皆様に堪能してもらいたい!次回は2nd名盤「シカゴと23の誓い」から「長い夜」をメインとしたレポートをお届する予定。

  by rollingwest | 2002-06-01 00:00 | 洋楽(ロック・POPS) | Comments(130)