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「My Favorite Songs」(第21巻)

【My Favorite Songs】の過去紹介した記事一覧(INDEX)はコチラから
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★(126)バリー・マニロウ 「哀しみのマンディ」 (1975年) (2015.6.25公開)



c0119160_18193138.jpgRWの高校・大学生時代(1970年代)、正統派バラード曲を次々とヒットさせて一世を風靡した大物歌手「バリー・マニロウ様」の紹介をいたしましょう。RWが夢中になって聴いてきたアーティストなのにすっかり失念しており、こんなにも掲載が遅れてしまって本当にご容赦・・!1970年代中期からの1980年までの数年間がまさに彼の黄金時代!美しい旋律とセンチメンタルなメロディに彩られた名曲で我々の心を癒してくれていたものです。彼のヒット曲も本当に多いので、またも前・中・後編に分けて気長に紹介していきたいと思います。まず冒頭はRWが最も大好きだった「哀しみのマンディ」(1975)、まさに美しきバラードの王道曲として今もPOPSシーンに燦然と輝いています。最初は「悲しみの月曜日」という歌名なのかなと思っていたら実は女性の名前、自ら振った元恋人を今になって想う切ないバラードだったと気づいたのはかなり後のこと。バリー・マニロウ(1946生まれ・もう古稀か!)はクライヴ・デイビスに見出され、1975年にアルバム「Barry Manilow I」「恋はマジック」でデビュー。「愛は奇蹟のように」(1975)などのヒットで順調なスタートを切りましたが、やはり彼の名前が世界的にブレイクしたのは堂々全米NO1に輝いた「哀しみのマンディ」であり、この曲こそRWがバリー・マニロウに一挙嵌った契機となりました。当時のシングル曲名は邦題がまだ主流時代、あらためてどんな名前だったのかとレビューしてみると叙情的な形容詞(愛・恋・哀しみ・想い出・涙・面影等)を使用した曲名がオンパレード!でも邦題名だと彼の往年のメロディが即時に連想して来ないんですよね~!やはり「歌の贈りもの」(1975、彼の代表曲)は「I Write The Songs」、「愛を歌に込めて」(1976)は「This One's For You」と表記したほうが脳裏にクッキリと旋律が蘇ります。バリー・マニロウといえば一般的には「コパカバーナ」(中編で紹介予定)が代表曲でエンターティナーという印象で捉える人が殆どと思いますが、RWにとってのバリーはあくまでもピアノ弾き語りと美しいバラード(大仰なアレンジ)で王道を行く大人のボーカリストというイメージでした。大学入学で上京し初めての下宿生活(四畳半)でFENラジオから毎日のように流れていた「ニューイングランドの週末」(1976)や「うつろな想い」(1976)などは涙が出るほど懐かしい名曲です。鼻が高くて金髪のハンサム(犬顔家の一族)・・、女性を過去どれだけ泣かしたのだろうと思っていたら、何と今年の春に彼は30年間マネージャーを務めている男性と結婚宣言!いや~実にビックリ、イメージがガラガラと崩壊してしまいました・・!まあ、最近は同性婚が多くの国で認めらてきたのでこの辺でやめときます。(苦笑) でも小生にとっては正統派の貴公子的なバラードシンガーだったバリー・マニロウ様だったのです。次回は黄金時代後期(1977~1980)の名曲を沢山紹介していきたいと思います。


⇒次回は、盲目のハンデをものともせず今も絶大な人気を誇り続けるPOPS/R&B/SOUL界の巨匠「スティービー・ワンダー」が世界的に大ブレイクした名曲「迷信」(superstition)(1976)を お送りします。♪\(^◇^)/♪




★(125)ウイッシュボーン・アッシュ 「戦士(Warrior)」 (1972年) (2015.6.25公開)



c0119160_20333810.jpg今回は1970年代初期に大英帝国が輩出した最強のツインリード・ギターバンド(4人組)、「ウィッシュボーン・アッシュ」を紹介いたします。一部マニアの方にはロック史に刻まれる伝説的なグループとして崇められていますが、その一方で国内一般的には殆ど無名状態・・・、今やこのバンドを知っている世代はほんの一握り(アラ還前後のロック好き?)なのかもしれません。アンディ・パウエルとテッド・ターナーが織りなす美しいツインリードギターとボーカルのハーモニー、そしてわかりやすいメロディとドラマティックな曲の数々、特に1972年にリリースされた「百眼の巨人・アーガス」はロック史に燦然と輝く金字塔的なアルバムです。このジャケットや曲名から受ける印象はまさに「中世騎士の戦争」・・、兜の鎧を身につけたマント姿の勇者「アーガス」が手に槍を持ってまっすぐ遥か前面を見据えており、冒頭に紹介した「戦士」(1972)はまさにその象徴曲的な存在でした。コンセプトアルバムの印象なのでプログレッシブロックかなと思いましたがそれほどマニアック・難解でもなく、ハードロック的かというと決してヘヴィメタではない。ブルースの要素はあるもののコテコテに泥臭くはなく、ジャズやフュージョンでもない。このグループは一体どのジャンルに属すのだろうと不思議に思っていましたが、強いて云うならば「叙情美ある英国トラディショナルロック」という冠名あたりが相応しいのかもしれません。「百眼の巨人・アーガス」はまさに名曲がオンパレード!小生は軽快なギター・リフや抑え目のボーカルで流れ始めやがてギターバトルが相互展開される「ブローイン・フリー」(1972)が一番のお気に入り!そして中世王家戦争のイメージが迫る「ザ・キング・ウィル・カム」(1972)の仰々しさ(映像も然り)も「百眼の巨人・アーガス」を代表する曲でもあります。ウィッシュボーン・アッシュは1969年ロンドンで結成、翌年に「光なき世界」(1970)でアルバムデビュー(原題Wishbone Ash)をして、全英チャートで34位にランクされるヒットを記録。続く2nd盤「巡礼の旅」(1971)も14位に入り早くも第一人者としての地位を確立しました。そして今回記事のメインである第3作「アーガス」は全英3位という大ヒットを記録、「メロディ・メーカー誌」の年間最優秀アルバムにも輝きついに世界的なブレイク(日本での人気沸騰もこの名盤)を果たしたのです。「サムタイム・ワールド」(1972)は彼らのエッセンスが詰め込まれている7分近い壮大な曲で、美しきメロディーと洗練されたギターとドラムサウンドがドラマティックに曲が構築されています。スロー・テンポで穏やかなボーカルから、後半は一挙にテンポが変調してアッシュ独特の音世界へ突入!一挙競演が展開されるツインリードギターのバトルが繰り広げられ実に聴きごたえがあります。2人のギタリストが各自リードを取る奏法を初めて成功させたのは紛れもなくウィッシュボーンアッシュ・・、自由奔放にギターソロを入れながらも混乱を見せることは一切なく見事な調和を生み出しています。お互いのプレイを理解し、尊重し合っているからなのでしょう。1970年前後の名ギタリストといえばJヘンドリクスや3大ギタリスト(Eクラプトン・Jペイジ・Jベック)等の名前が真っ先に上がりますが、ツインリードの先駆者であるアンディ・パウエルとテッド・ターナーの知名度は今ひとつ・・、これだけの優れたプレイヤーはもっと評価されてもいいのではないでしょうか。彼らの名盤でもう一つ忘れてはならないのが 第一期の集大成ライブアルバム「ライブ・デイト」(1973)です。「剣を捨てろ」(1973)など「アーガス」からの名曲が中心にチョイスされていますが、哀愁漂うメロディーにツインギター音色が美しく響き渡り、絶頂期ウィッシュボーン・アッシュのエッセンスが凝縮されたロック史に輝くライブアルバムです。「ビーコンのバラード」(1973)彼らには珍しいアコースティックテイストで2人がコーラスを織りなしており、コチラも小生のお気に入り曲です。衝撃的な要素は皆無でありながら、知らず知らず脳に刷り込まれていくような魅力に溢れる「ウィッシュボーンアッシュ」・・、締めの曲は、彼らのデビュー盤「光なき世界」のLASTに収められた「フェニックス」(1970)で・・!キングクリムゾンの中期曲を連想させるような雰囲気をもつ名曲ですが、ユーチューブ映像では中世騎士の戦争ではなく、現代世界の戦争がテーマに描かれており何か今後の近未来の暗示的なものを感じたRWです。




★(124)ハーブ・アルパート 「ビタースイートサンバ」 (1965年) (2015.6.10公開)



c0119160_1419595.jpg「ハーブ・アルパート」という米国のジャズ・トランペット巨匠の存在を初めて知ったのは1979年秋、「ライズ」という曲がマイケル・ジャクソン(前週1位)を蹴落として全米チャートNO1に輝いた時でした。このゆったりと淡々と演奏されるトランペットサックス曲(翌年のグラミー賞でインストゥルメンタル部門を受賞)がPOPSチャートで堂々王座に輝いたことはちょっと驚きましたが、当時はクロスオーヴァー/フュージョンがブーム幕開け時期だったので歴史を今振り返ってみれば必然だったのかもしれません。しかし演奏者の名前を知らなくとも、彼が演奏してきた数々の名曲が中学生時代から自分の体にドップリ刷り込まれていたという事実を知ったのはつい最近のこと。今回掲載した冒頭曲「ビタースウィート・サンバ」は我々世代ならば誰でも知っている深夜ラジオ番組「オールナイト・ニッポン」(1967~・ニッポン放送)のオープニングテーマ曲です。受験勉強でインスタントラーメンをすすりながら、深夜1時に「チャラッチャ、チャッチャララ、チャッチャチャ~」というトランペットのメロディが流れてくると「今日はどんな新曲や話題ネタが仕入れられるのだろう・・」と、毎晩楽しみにラジオチューニングしていたものです。乗りのいいGo Go糸居五郎 Goes on!トーク中心の今仁哲夫、人気が高かったカメ(亀渕昭信)&アンコウ(斉藤安好)、アッハ~ンのエロトーク笑福亭鶴光、あのねのねナンセンスギャグなど個性あふれるパーソナリティが登場して諸々の情報を提供してくれたラジオ番組は、セイヤング(文化放送)やパックインミュージック(TBSラジオ)と並び若者文化発信の3大プラットフォームでした。その懐かしき青春時代の番組BGMを演奏していたのが「ライズ」のハープアルバートだったのか~・・、お恥ずかしながら50才後半にしてようやく再認識した次第です。彼は1965年からすでにグラミー賞にも輝く大物ミュージシャンでした。ハーブ・アルパート&ザ・ティファナ・ブラスのグループ名で「テイストオブハニー(蜜の味)」「(1965)や「ティファナ・タクシー」(1965) などの楽曲がTV・ラジオ挿入曲として盛んに使われ大ヒットしておりすでに当時から音楽界の第一人者となっていました。いずれもお馴染みのスタンダードのBGMばかりですよね~!今回の編集で、さらに驚いたのは彼がA&Mレコード(セルジオ・メンデス、ジョー・コッカー、カーペンターズ、ピーター・フランプトン、ポリスも所属)の創始者の一人だっだということ!なるほど・・、A&MのAはアルパート(Alpert)を指していたのか~! ティファナ・ブラス解散後はソロとなって「ライズ(1979)が全米NO1ヒットを記録すると、「ビヨンド」(1980)や「マジックマン」(1982)、「ファンダンゴ」(1982)等がキリンシーグラムのウイスキー「ロバートブラウン」のCM曲に使われ、日本国民全体にも彼の曲は確実に浸透していたはず!「この曲は聞いたことがある!」という方が殆どだと思います。そして1987年にはジャネットジャクソンとコラボして「ダイヤモンズ 1987」もヒットさせて1980年代はハープアルバート第2期黄金時代ともいえる勢いで驀進していたことを思い出します。元々はジャズ・ミュージシャンを目指していたアルパートでしたが、ジャズ即興演奏よりは、トランペットを何本も重ね録りするアルバム重視の方法論を目指したようです。最後の締め曲はモスクワ五輪のテーマ曲「1980」で・・!せっかくの名曲が東西冷戦で西側諸国がボイコットしたオリンピック大会となってしまいハープアルバートも複雑な気持ちだったかと思いますが、スパニッシュな旋律で誉れ高いこの曲はいつまでたっても色褪せることはありません。




★(123)ブレッド 「灰色の朝」 (1969年) (2015.5.27公開)



c0119160_1121477.jpgRWが1970年代(中高時代)大いに癒され愛聴していた美しいボーカル・ハーモニーの「ブレッド」、メロディの魔術師とも呼ばれたデビット・ゲイツを中心としたバラードの原点のような歌声が実に魅力的でした。3年前に彼らの代表曲「ギターマン」を「第3巻」(023)でサラリと掲載してしまいましたので、あらためてリセットして彼らの軌跡をデビューから解散まで順を追って紹介して行きたいと思います。彼らは1969~1977年まで活動期間は僅か10年足らずなのに本当に名曲が多すぎて今後3回に渡ってレポート、今回は1969~1970年・・ブレイク前夜の2年間です。冒頭に掲載した「灰色の朝」は、彼らのデビューシングル(1969年)でしたが全くヒットせず、その3年後にもう一度リリースされ日本だけでヒットしたという紆余曲折的な経緯。しかし当時中学生のRWが初めてラジオで聴いた時に何て素晴らしい曲だと衝撃が走ったことを覚えています。爽やかなアコースティック・ギターのイントロで始まりハイトーンボイスが響き渡る明るい曲調の軽快ナンバーですが、原題は「DISMAL DAY=陰気な日」・・、引きこもりの様な憂鬱な歌詞をこんなにも爽やかにが歌いあげるとは・・!ブレッドはデヴィッド・ゲイツとジェイムス・グリフィン、ロブ・ロイヤーの3人がオリジナルメンバーですが、先日の洋楽ブログメイト「The Apple of My Eye」さんの記事でレオンラッセルがデヴィッド・ゲイツの幼馴染みでブレッドの結成に深く寄与していたと知って本当に驚きました。デビュー盤には数多くの名曲が静かに埋れています。哀愁漂う「ロンドンブリッジ」(1969)は小生が最も愛する曲の一つ、そして「Look What You've Done」(1969)や「友達と恋人たち」(1969)などの佳曲があったにもかかわらず商業的には成功しませんでした。しかし1970年にドラマーのマイケル・ボッツを新メンバーに加えた2nd盤(On The Waters)から「二人の架け橋」(Make It With You」)(1970)が全米No1に輝き一躍ブレッドの名は世界的なものになったのです。その秋にはデビュー盤で埋れていた「気にしないで」(It Don't Matter To Me)(1969)を録音し直して再リリースするとこれもまた10位までに上り詰めていき成功への礎が着実に築かれていきました。2nd盤にはより多彩な楽曲が収められ更に高度なアレンジを駆使したナンバーが目立ちます。こんな素晴らしいボーカルバンドが世間の記憶からは忘却の彼方とは寂しいものがありますね~。ブレッド3部作の前編(今回)はスケールの大きいドラマチック美曲「Been to long on the road」(1970)で一旦締めとしますが、まだまだ彼らの称賛記事は続いていきます。次回の中編からのチョイスは彼らが最も輝いた期間(1971~1972年)の名曲を紹介して行く予定です。(数年後になるかと思いますが・・)

  by rollingwest | 2002-09-01 00:00 | 洋楽(ロック・POPS) | Comments(114)