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「My Favorite Songs」(第23巻)

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★(134)イエス 「ラウンドアバウト」 (1971年) (2015.11.6公開)



c0119160_8584229.jpg中学時代にプログレシッブロックに夢中で嵌っていたRWですが、プログレ四天王の中で最も尊敬し愛聴していた「イエス」・・、1968年結成時からのオリジナルメンバーだった「クリス・スクワイアー」(Bs)が今年6月、残念ながら急性骨髄性白血病で亡くなってしまいました。(享年67才) イメージ的には地味だったクリスですが、離合集散が激しいイエスの中で唯一グループの中心として最期まで在籍し続けその命を全ういたしました。メンバーチェンジが激しかった背景には、個性的で気難しい大物メンバー達が血気盛んに自己主張し合う場面が何度も繰り返されたことが容易に想像されます。その中で人間関係を重視し調整し続けてきたクリスの悩みや苦労は如何ばかりだったのか・・と察し、あらためてご冥福を祈念いたします。(合掌) 3年半前に【第4巻】(037)で彼らの最高峰アルバム「危機」(1972)を掲載しましたが、今回は、その先駆け作品であり双壁の金字塔名盤「こわれもの」(1971英題Fragile)の収録曲に限定してレビューしてみたいと思います。冒頭に掲載した「ラウンドアバウト」はイエスファンならば誰でも知っている彼らの代表曲(全米13位)、8分を超える複雑な構成曲ですがノリ良いビートのアップテンポなサウンドで展開するロック史に燦然と輝く名曲中の名曲です。中2時代のRWは深夜ラジオから流れてきたこの曲を聴いてイエスに一挙嵌ってしまいましたが、最近では2012年TVアニメ「ジョジョの奇妙な冒険」のエンディング曲に使用されて若者の間でもイエスは大いに人気を博しているとのこと。このアルバムは、バンドとしての大作と各メンバーのソロ小作品が混在する面白い構成になってます。大作バージョンの代表はジョンアンダーソンの美しき声が響き渡る「遥かなる思い出」、この曲は「危機」に入っていてもおかしくない程のクオリティでまさにイエスの音楽スタイルが確立した証と言っていいでしょう。ソロ小作品の代表はリック・ウェイクマン(本アルバムから新加入)がブラームスの交響曲第4番第3楽章をキーボードで多重録音した「キャンズ&ブラームス」、当時のプログレはELP「展覧会の絵」などクラシックとの融合を積極的に図っていましたが、この短いソロ曲は実に新鮮な驚きで聴いたものです。「燃える朝焼け」は、のちにキングクリムゾンへ移籍したビルブラッフォード(Dm)が作曲した本アルバム最大クライマックスでスケール感ある壮大曲。ユーチューブでは、仙人姿に化してしまったスティーブハウのギター、中年太りの白髪リックウエイクマンのキーボードプレイがより一層熟練されての披露、後期高齢者を迎えても往年の荘厳なるイエス世界が繰り広げられています。スティーブハウといえば牧歌的なアコースティックソロギターが定番です。ソロ小作品の秀逸曲「ムードフォアデイ」では彼の素晴らしいスパニッシュギター(イエス音楽性の幅広さ)のテクニックを是非とも堪能してみてください。そしてイエスの象徴はやはり少年のように澄み切ったジョン・アンダーソンのハイトーンヴォイス!「天国への架け橋」は多重録音されたジョンの美声がうねるように次々と迫って来ます。やはり彼の透明感あるヴォーカルなしにはイエス音楽は成り立ちませんね~! 2003年9月(関西勤務時)大阪厚生年金ホールで初めて生の「イエス」を聴きに行きましたが、この来日はまさに黄金期メンバーが勢ぞろいだったので感動したものです。聴取客はRWと同じ年齢層の中年ばかりで「俺も年取ったなあ・・」なんて思っちゃいましたが・・(苦笑) LAST曲は、ジョンアンダーソンと亡くなったクリススクワイアの共作「南の空」で締めたいと思います。地球の大自然・美しい世界を目指す男の形而上学物語が表現されておりまさに秀逸!プログレジャケットの象徴とも言われるロジャー・ディーンのデザインは本アルバムから採用されましたが、描かれた地球と「こわれもの」の表題・・、イエスは「地球はナーバスで壊れやすいものである・・」と40数年前から現代の地球環境破壊を予言していたのかもしれません。





★(133)ビートルズ 「ノルウェイの森」  (1965年) (2015.10.21公開)



c0119160_22171972.jpg毎年ノーベル文学賞の本命に挙げられながらここ数年受賞を逃し続けていた村上春樹氏、今年こそ朗報が聞けるだろうと目論み、先月からビートルズ名曲「ノルウェイの森」で祝辞記事を用意していたのですが見事肩透かしを食らってしまいました。(苦笑) 今年も日本人が自然科学部門でノーベル賞に輝く快挙が連日続き、さすがにノーベル委員会もこれ以上の日本人受賞はマズイ・・と各国バランスを考慮すべきと判断したのですかね~! ・・とはいえ今年は「ノルウェイの森」が収録された名盤「ラバーソウル」(6作目)が初版発売から丁度50周年を迎え、来月には秘蔵ビデオ集「ビートルズ1」が発売されることから当初通り「ラバーソウル収録名曲」の数々をお届けしたいと思います。冒頭曲「ノルウェイの森」(Norweigian Wood)はジョン・ポールの共作ですが、ヴォーカルはジョン、ジョージがインド民族楽器シタールを演奏して幻想的な雰囲気を演出している佳曲です。ちなみにポピュラー曲でシタールが使用されたのはこの曲が初めてとのこと。本当の訳題は「ノルウェイ産のWood木材」でありWoods表記であれば森が正解らしい・・。とはいえこの誤訳は結果的に大正解でした!北欧の森林で恋人同士が歩いているイメージ、神秘的で美しい響きの誤訳が村上春樹の小説表題へと導かれノーベル賞を狙える作家になっていったのですから・・・。まさに「瓢箪から駒」というしかありません。ラバーソウルのオープニング曲はノリのいいイントロギターで登場する「ドライヴ・マイ・カー」、絡んでくるベースと流れる様な伴奏ピアノ、ソウルフルなボーカル、クラクションを真似た「Beep beep'm beep beep yeah~!」という不思議なコーラス!ラバーの如く変幻自在に展開してまさに名盤冒頭を飾るに相応しい曲といえましょう。「ガール」は、ジョンが終始けだるい感じで歌い上げる切ないバラードですが、感情を抑えて歌う彼の声は多少ハスキーになる傾向があり個性的な雰囲気を醸し出しています。「ガァ・ガァ~ル」と甘ぁ~くため息をついた後に「スゥーッ」と息を吸う音(麻薬説もあり)が隠れた聞かせどころかも・・。このユーチューブはジョンの前妻シンシアとのラブラブぶりが貴重な映像ですね~!因みに彼女は今年4月に亡くなられたとのこと。(享年75歳)合掌・・!ビートルズサウンドは前期(LIVE中心)と後期(スタジオ編集中心)では全く異なり、その完全変化は1966年「リボルバー」ですが、前年の「ラバーソウル」が変化への転機となったアルバムといわれます。「ヘルプ」から「ラバー・ソウル」への移行期で次第に使用楽器が増えサウンド作りに変化が見え始め、音楽活動に対する意識の変化(アイドルからアーティストへ)も芽生え始めた頃です。同時に隠れた名曲が多いのも「ラバーソウル」の特徴、「ユー・ウォント・シー・ミー」は力強いタッチのピアノを基調としたポールの軽快なリズムナンバー。重厚なギター音とジョンとジョージの「ウ~ラッララ~」というバックコーラスが耳に残り、この作品を一段と魅力あるものにしています。ジョン・ポール・ジョージの3人アカペラで始まるイントロが印象的な「ひとりぼっちのあいつ」(Nowhere Man)、日本公演を含む1966年のライブで何度も演奏されたハーモニーが最も美しい曲の1つ。しかし対照的に、詩の内容はジョン少年時代の屈折した姿を投影したものと言われます。父親の愛に飢え、奔放な実母と厳格な伯母との間で自分の居場所に葛藤し、他人への不信感や精神障害に悩ませられていた頃の自分の思いがこの曲に籠められていたとは・・。「恋をするなら」(If I Needed Someone)はジョージがリードヴォーカルも取り1966年来日の武道館コンサートで披露された曲。ジョンやポールの陰に隠れていたジョージがいよいよ頭角を現してきた曲の一つと言えましょう。美しいビートルズ曲の代表といえばやはり1966年度グラミー賞最優秀楽曲の栄誉に輝いた「ミッシェル」、フランス語が使用された唯一のビートルズシャンソン!ポールは「イエスタデイ」に次ぐ名曲を作ると宣言して実際にその夢を実現してしまったところがやはり凄い!このユーチューブ映像は若きビートルズメンバーが列車の中でナンパを次々に繰り広げるコメディ的なショートストーリーになっていますがRWはかつて見たことがないものでとても新鮮でした!いや~ありがたし・・「ビートルズ1」を買わんでも、タダでお宝物映像をユーチューブで楽しめるよき時代になったのですからネ~!ラバーソウル特集の最後は、RWにとって5本の指に入る愛聴曲「イン・マイ・ライフ」で締めたいと思います。世界中の多くのシンガーからカバーされ「ローリング・ストーン誌」で「偉大なる500曲」の23位にも入りました。イントロの甘いギターが懐古的でジョンの溜め息をつくような大人の歌い方と、ハープシコード風な音に聞こえるバロック調のピアノ間奏が心に染み渡ります。さて来年はビートルズ来日(1966年6月)&リボルバー発売(同年8月)から50周年を迎えます。元旦記事は武道館コンサートに関する内容をレポート、8月はリボルバーからの名曲(エリナーリグビー、 イエローサブマリン、フォーノーワン等)をお届けします。






★(132)TOTO 「ホールドザライン」 (1978年) (2015.10.5公開)



c0119160_6293567.jpgRW洋楽コーナーでまだ1度も取り上げていない大物バンドはいくつかありますが、1980年前後で一世を風靡した「TOTO」もその一つでした。10月10日(TOTOの日)を迎えて到頭TOTOを掲載し滔々と語ってみたいと思います。(今日は親父otoの命日だし・・) 前編はデビューから1980年初頭のプログレハード的サウンドを・・、後編ではグラミー賞に輝いた4作目「聖なる剣」~80年代黄金期のAORサウンドで整理して纏めていきたいと思います。1970年代中期にRWは米国プログレハード(ボストン、カンサス、スティックス、フォリナー等)に大いに嵌っていました。そこに続いて登場したのが「ホールドザライン」(上記掲載曲)を引っ提げて鮮烈にデビューしたのがTOTO!1978年、FENラジオから流れてきた彼らのデビュー曲を初めて聴いて「実力ある新人ロックバンドが出現したぞ~!」と大いに喜んだものです。全米5位を記録して世界の舞台に名乗りを上げた1st盤「TOTO」の邦題は「宇宙の騎士」と名付けられ、「愛する君に」(I`ll Supply The Love)(1978)や「ジョージー&ポージー」(1978)が立て続けにヒットを放ったのです。ボズ・スキャッグスのサウンドにも似たオシャレなJAZZY曲もあるなあと・・その幅広さに感心していたのですが、それもそのはず「当然のTOの字」(おTOさんギャグが続き大変失礼・・)、彼らはボズスキャッグスのバックバンドだったのですから・・。初期バンドの中核を担っていたデイヴィッド・ペイチ(kd,vo)とジェフ・ポーカロ(dm)、デヴィッド・ハンゲイト(bs)は、当時先進技術を走っていたロスのスタジオミュージシャンとして実力は早くから認められていましたが、ボズ・スキャッグスの名盤「シルク・ディグリーズ」(1976)のレコーディングは大きな話題となりました。そして1978年バンド結成で独立、超A級セッションマン集団として個々が経験し培ってきた豊富な知識とテクニックを思う存分に発揮し、新人らしからぬ完成度で周囲をあっと言わせて世界デビューを果たしたのです。続いてリリースされた2nd「ハイドラ」(1979)は、ギリシャ神話の蛇怪獣ヒドラ(日本神話の八岐大蛇と同根起源)をモチーフにしたコンセプトアルバムで、プログレやジャズ的な要素を強め、後のTOTOサウンドにつながるサウンドアプローチをほぼ完成させました。アルバム冒頭は、主題曲「ハイドラ」、(思わせぶりなオープニングでやや難解な長大曲)から始まり、続く「St.ジョージ&ザ・ドラゴン」(1979)なリズムで始まりやがて荘厳なる神話世界へと引き込まれ、そして静謐で美しき彼ら最大級の名曲「99」(ラストで掲載)で心が癒される流れで壮大な3部作がいきなり登場する構成となっています。本アルバムはプログレッシヴな展開を見せる冒頭2曲がややとっつきにくい印象を与えたのか、セールス面では今一つ盛り上がりに欠けた結果に終わってしまいました。しかしRWは80年代のオシャレでトレンディな人気絶頂期TOTOよりも、やや渋めでプログレ的な匂いを残す1st・2ndの頃が大好きなのでございま~す!続いて発表された3rd盤「ターン・バック」になると、スティーヴ・ルカサー(gt,vo) がバンドの中心へと変貌していく契機となりました。少しハードロック寄りのアレンジを意識して演奏するルカサーの超絶ギターが前面に出た「グッバイ・エリノア」(1981) が象徴的!またルカサーの清らかな声とわき上がるようなサビのメロディが素晴らしいバラード「ラスト・ナイト」(1981)も大いに聴き応えがあります。当時のスタジオミュージシャンは、インストゥルメンタル曲が主体で演奏技術を競っていたのに対して、TOTOは専任リードボーカリストを置き歌モノ中心曲を演奏するというスタイルで幅広くロックファンを増やし、80年代はAOR化して一世を風靡していきました。産業ロックと揶揄されてしまった典型バンドでしたが、ハードロックからプログレ、ジャズ・フュージョン等さまざまなスタイルを内包した実力あるバンドであることは絶対に間違いあリません。前編の最後は、スティーヴ・ルカサーの名ヴォーカルが光るミディアムテンポの美曲「99」で十分な余韻を残しながら後編へ繋げていきたいと思います。「♪ナインティナイ~ン、99ゾロ目の次は10・10~♪」とうとう最後までototoギャグすみません・・(苦笑) to10<(_ _)>10to




★(131)アデル 「サムワン・ライクユー」 (2011年) (2015.9.17公開)



c0119160_9382513.jpg飛ぶ鳥の勢いで世界のミュージックシーンを席巻し続ける20代の若き女性シンガーといえば、今年4月に【第20巻】(121)で紹介したテイラースイフトが超有名ですが、彼女と双璧をなす実力派の英国大物歌手「アデル」を今回は取り上げてみたいと思います。1970年代ロックを嗜好とするRW洋楽メイトの方々には多少馴染みが薄いかとは思いますが、彼女はデビュー以来、本当に驚くような超絶的な記録を洋楽史に次々と樹立し続けています。2008年19才でデビューしたアルバム「19」が初登場1位、2009年米国グラミー賞では最優秀新人賞と最優秀女性POPボーカル賞2部門を獲得!さらに2ndアルバム「21」(21歳時に録音したアルバム)は3つのギネス記録を持つ大ヒットとなり、目ン玉が飛びす程ビックリする偉業を打ち立てたのです!全米チャート史上最長39週連続TOP5入り(マイケル ジャクソン「BAD」38週を抜く歴代1位)、英国売上では歴代記録450万枚を突破!これは歴代1位クイーン「Greatest Hits」、2位ビートルズ「SGTペッパーズ」、3位アバ「Greatest Hits」に次ぐ4位(オリジナル盤ではロック史に燦然と輝くビートルズ最大名盤に次ぐ記録2位)を打ち立て、2015年時点で世界セールス3千万枚突破というのですから、もう凄過ぎて言葉もなし・・!まさに驚愕・奇跡の20代女性シンガーというしかありません。しかし冒頭で紹介した全英・全米1位に輝いた名曲「サムワン・ライクユー」(2011)や彼女の代表曲「ターニングテーブル」(2011)を聴いてみれば「なるほど納得!」とその実力を皆様に即理解して貰えることでしょう。それにしてもこの怪物記録を打ち立てた時の彼女の年齢は何と23歳の頃、「ルーモア・ハズイット」(2011)のソウルフルな歌声や堂々たる貫禄姿からは、20台前半だとは全く想像だにできず(大変失礼~)、40歳半ばのオバちゃん(倍年齢)と言われても誰もが完全に信じてしまうことでしょう・・(osoroshiya~)。彼女の1stシングルは2008年の「ホームタウン・グローリー」(デビュー盤「19」の冒頭曲)、そして「Make You Feel My Love」(2009)等の高い歌唱力が評価され、第51回グラミー賞で最優秀新人・ポップ女性歌手の両受賞で早速にブレイク!さらに上記で紹介したモンスターアルバム2nd盤「21」から、「ローリング・インザ・ディープ」(2010)と「Set Fire to the Rain」(2011)が連続で全米1位に輝き、トップアーティスト地位をあっという間に確立してしまいました。彼女の勢いは今も全く止まらず、2012年10月には007映画テーマ曲「スカイフォール」(2012)https://www.youtube.com/watch?v=StJLvbPIvTwを書き下ろしています。その大活躍から英国音楽業界への貢献が認められ、ついに2013年12月チャールズ皇太子からバッキンガム宮殿にて大英帝国勲章(MBE)を受章したのです。彼女が最も尊敬する名盤はあのキャロル・キング「つづれおり」(Tapestry)だとのこと・・、今年の11月頃に3rd盤「25」(25歳時で制作)が発表されると聞いていますが、 このアルバムがキャロルキングの金字塔盤を超える記録になってほしいと大いに期待しているRWです。最後は「21」の中からRWお気に入りナンバーの「ドンチュー・リメンバー」(2011)で締め曲といたしましょう。

  by rollingwest | 2002-10-01 00:01 | 洋楽(ロック・POPS)

「My Favorite Songs」(第22巻)

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★(130)ジョン・デンバー 「緑の風のアニー」 (1974年) (2015.9.3公開)



c0119160_224230100.jpg今回は1970年代前~中期にカントリー&フォークのヒット曲を数多く生み出した米国歌手ジョン・デンバーをご紹介します。今の若い方は殆ど知らない名前かもしれませんが70年代洋楽を知る我々にとっては懐かしき郷愁の歌声・・・、洋楽を聴かなかった人でも「太陽を背に受けて」(一番最後で紹介)のメロディを覚えている方は多いことでしょう。♪「Sunshine~、 On My Shoulder~s、Makes Me Happy~」 ♪当時のTVCM曲でよく流れていたあの名曲ですね。そして誰もが知っているミリオン・セラー曲「故郷へ帰りたい」(1971:有名な「♪カントリー・ロ~ド」・・・オリビアニュートンジョンの方が有名かな?)を聴けば、この世界的な有名曲を生み出したのはジョンデンバーだったのか・・!とその偉大さを認識して頂けることでしょう。多分彼は米国人が故郷を思う気持ちの琴線に触れるアーティストの筆頭格に必ず挙げられるではないかと思います。表題そのもの「バックホームアゲイン」(1974)や故郷ロッキー山脈の山々に想いを馳せる「ロッキーマウンテンハイ」(1973)を聴けば一目瞭然(百聞は一見に如かずかな?)!この歌はジョンデンバーの故郷・コロラド州(アスペン)への愛着を現したものであり、現在では州の公式歌に指定(紆余曲折があったものの)され歌碑も立っています。1943年生まれ、父が米空軍パイロットだったことから米国各地を転々(転属移住)としていたようですが、一時は日本に住んだこともあったと知りビックリ!彼は少年時代からプレスリーやエヴァリーブラザースに触発され歌手になることを夢見て、ソロデビューを目指して地道な活動を続けていました。1969年そんな彼にブレイクの日がついに訪れました。PP&Mに提供していた「悲しみのジェット・プレイン」が全米第1位の大ヒットとなり、彼は一躍ソングライターとしての脚光を浴びることになったのです。さらに「♪カントリーロ~ド」が世界的なブレイクを果たすと1970年代の黄金時代が到来、自然の美しさ・人の優しさ・愛する女性への思い等を題材にした素朴で美しい楽曲が人気を博し、次々とヒット・チャートを賑わせました。上記に紹介した1974年「緑の風のアニー」( Annie's Song)は妻 に捧げた叙情詩で全米NO1にも輝きました。女性を称える名曲では「マイ・スウィート・レディ」(1977)も有名です。演奏家として優れた資質だけではなく、ジョン・デンバーは常に環境・社会・政治・人々の生活向上について高い意識で各種活動に取り組んだ人でした。彼は米国大統領から国内外飢餓対策委員の一員に任じられアフリカの飢餓の危機を救う活動に取り組み「飢餓なき世界」賞を受賞しています。そんな彼に信じられない悲劇が突然訪れてしまいました。1997年自家用軽飛行機を操縦中に海へ墜落し帰らぬ人とに・・・。米国民から愛されたジョン・デンバーの死に対して、当時の米クリントン大統領は「彼の歌った音楽は何百万人もの人々を感動させ、世界中で人類についての理解を深めることに貢献した」と語り深い哀悼の意を示しました。ラストを飾る名曲は「さすらいのカウボーイ」(1973)のB面曲にもかかわらず、歌の内容が徐々に評価されて翌年に全米NO1に輝いた「太陽を背に受けて」(1974)で締めくくりたいと思います。悲しみを乗り越えて、彼の業績は世界に注がれた愛のサンシャインとなって今も称え続けられています。


⇒次回は、 2年連続で世界売上1位など数々のギネス記録を打ち立てた貫録の若き実力女性歌手「アデル」の「サムワン・ライクユー」(2011)を お送りします。♪\(^◇^)/♪





★(129)スティーブミラーバンド 「ロックンミー」 (1976年) (2015.8.20公開)



c0119160_2055591.jpg今回はRWの大学生時代にFENラジオから数々の名曲を届けてくれた「スティーブミラーバンド」を前・後編に分けて取り上げてみましょう。一般の方は「またまた聞いたことないマニアックバンドかい!?」と思われるでしょうが、1970年代洋楽シーンを知る者にとっては全米チャートに毎月名前を連ねていた常連ヒットメーカーでした。このバンドはサンフランシスコで1968年に結成され、当初はブルースに根ざしながらもサイケデリックなサウンド追求型でしたが、日本で知名度が高まった1970年代中盤~後半に入るとポップで聴き易いファンキーなサウンドに変身していき、「スティーブミラーの音楽路線って一体何処に属すのかいな?」と思うほど実に多彩なヒット曲を沢山放っていました。黄金期の名曲群は1970年代半ばの2大名盤「鷲の爪」(1976)&「ペガサスの祈り」(1977)に集約されていると言っても過言はありません。冒頭紹介の「ロックンミー」(1976)は、「鷲の爪」からのシングルで全米N01に輝いた彼らの象徴曲の一つです。キャッチ―なギターリフ(歯切れも抜群!)で始まり、疾走感溢れるノリ良いリズムと軽快メロディーで展開してくファンキーさは「ジェットエアライナー」と実によく似た雰囲気ですね~。 スティーブミラーは若い頃からシカゴブルースの影響を受けてギタリストとしての道を歩み始め、かの有名なボズスキャッグスとは何と高校・大学時代は同級生同士、若い頃から一緒にセッション活動していたようです。1968年に自ら名前を冠したグループを結成(当時はスティーブミラー・ブルースバンドと呼称)、「クイックシルバーガール」(1968)などブルースに根ざしながらもサイケデリックサウンドを追求していました。1970年代中盤は電子音を駆使しながらカントリー・ブルース・宇宙的世界が入り混じったような不思議な曲が多かった印象があります。RWが彼らの存在を初めて知ったのは全米No1に輝いた「ジョーカー」(1973)、この曲はまだブルースの泥臭さが残っておりサイケ調に唸り出すギターとのコラボが実に渋かったなあ・・! 1970年代後半になると、ポップな彩りを加えたサウンドづくりに変身(音楽分野の幅を広げた?売上重視の受け狙い?)、米国ヒットチャートの上位を毎月のように賑わす存在になっていき驚いたものでした。「星空のセレナーデ」(1976)は、リズミックなアコースティックギターと哀愁漂うノリが良いミディアムテンポのボーカルが実に素晴らしい~!「テイク・ザ・マネー&ラン」(1976):今回はクリントイーストウッドの動画)は軽快なギターサウンドとノリのいいボーカルコラボが冴えるロックンロール曲、「ダンス・ダンス・ダンス」(1976) はカントりーな雰囲気がたっぷりな情緒ある曲、そして「ワイルド・マウンテン・ハニー」(1976)は中近東的なエキゾチックサウンドを聴かせてくれます。まあよくこれだけカメレオンの如くサウンドを変身させることができるもんだ・・と半ばあきれながらも、RWは下宿のFENラジオから流れる彼らのヒット曲に耳を傾けていたものでした。前編最後の曲は、幻想的なブラック系な雰囲気で1976年全米No2に輝いた「鷲の爪」(Fly Like An Eagle)で締めることといたしましょう。ピリピリするのが鷹の爪(トウガラシ)ならば、「鷲の爪」はJAZZYなシンセサイザー演奏で淡々と歌い上げるクールなスペーシーサウンド、歌詞は未来ある貧困な子供達を救おうというメッセージソングだったようです。後編はスティーヴミラーがさらにPOP度を進化させて世界的に人気を博した名盤「ペガサスの祈り」からのヒットナンバーの数々をお届けいたします。





★(128)ロギンス&メッシーナ 「川の流れのように」 (1974年) (2015.8.6公開)



c0119160_21505077.jpg「ロギンス&メッシーナ」・・?今時の方にとってはまたも「誰それ~?」との反応が返ってくる気がしますが、我々世代では1970年代の代表的なアコースティックデュオのひとつ、S&G解散後からE・ダン&JFコーリー登場前の空白時期に活躍していた思い出のグループです。実はメンバーの片割れロギンスとは、「フットルース」や「トップガン」(デインジャーゾーン)など数々の映画主題歌をヒットさせ、1985年「ウイアーザワールド」(USAフォーアフリカ)にも参加したあの有名なケニーロギンス( 1980年代を象徴するアーティスト)なのです。RWの初出会いは、深夜ラジオから毎日流れていた大ヒット曲「ママはダンスを踊らない」(1972)でしたが、1980年代以降でケニーロギンス(パワフルでオシャレ・垢抜けたイメージ)を認知した人にとっては「彼がこんな泥臭くおとぼけチックな曲を歌っていたとは・・!」と意外な経歴に驚くかもしれません。この次にヒットした「放課後のロックンロール・パーティー」(My Music)(1973)も同様路線で、前年ヒットしていたポールサイモン「僕とフリオと校庭で」と並ぶお茶目で楽しい学校ネタ曲でした。またRWがよくラジオで聴いていた彼らの代表曲「愛する人」(Thinking Of You)(1972)は軽快で爽やかなほのぼの路線、淡々と歌い上げる「ピースオブマインド」(1971)を聴けばやはり彼らの基本線はフォークPOPデュオと認識できます。それもそのはず相方のジムメッシーナはあの伝説的なフォークロックバンドだったバッファロー・スプリングフィールド(CSN&Yの母体)やポコ(カントリー・ロックの源流バンドの一つ)に参加していたのですから・・。上記に紹介した「川の流れのように」(1974)は三拍子シンプルな曲ながら美しいハーモニーや聞きやすいメロディが印象的、その他にも「ダニーの歌」(1971)など叙情詩的なアコースティック美曲の数々は本当に魅力的です。しかし今回の記事編集で再認識したのは音楽性の幅広さ、ロカビリー・カントリー・ソウル・ジャズ・プログレを交えて自分達のサンウンドに創り上げている点です。4作目マザーロードからの名曲「ビー・フリー」(1974)は弦楽器(バイオリンとバンジョー)がコラボする長大曲(6分59秒)、カントリーロックとプログレが合体した雰囲気で、複雑構成ながらも手作りで叙情性溢れる壮大で独特な世界を表現しています。また「アングリーアイズ」(1972)もジャズロックと融合したような多彩かつ壮大なる構成(エレキギター、サックス、フルートの競演)!初老2人のボーカルはCSN&Yの雰囲気も醸し出しており、実にいい味を出しています。彼らの音楽性のマルチぶり・奥深さは、ホンワカムードを演出するジム・メッシーナの絶妙ギターやカントリーフィドルの浮遊する楽しさ、間奏バイオリンや美しいケニー・ロギンスのコーラスワーク、ジャズやプログレとの融合も目指した演奏全体の濃密度・・、溢れる才能と先進的な姿勢がコンビを組んだ5年間(1972~1975)に静かに花を咲かせました。 最後を飾る名曲は「プー横丁の家」(1971)、クマのプーさんをイメージするほのぼの曲はケニー・ロギンスがプロになる前(高校生時代)に作曲し、ニッティー・グリッティー・ダート・バンドがヒットさせた名曲です。ロギンス&メッシーナは本当に素晴らしき1970年代を静かに控えめに彩ってくれたデュオでした。





★(127)スティービー・ワンダー 「迷信」(superstition) (1972年) (2015.7.23公開)



c0119160_2294721.jpgスティービー・ワンダーといえば、洋楽を殆ど聴かない方でも一度は耳にしたことがある世界的なビッグアーティスト。その類い稀な作曲センスや歌・演奏の素晴らしいパフォーマンスでグラミー賞を何と合計22回も受賞し今も絶大な人気を誇り続けるPOPS/R&B/SOUL界の巨匠です。しかしRW記事ではまたも未掲載だったことを再認識し新たな3部作をスタートさせたいと思います。前編(少年期の1960年代~1970年代初頭)、中編(金字塔と称される1976名盤「キー・オブ・ライフ」~1970年代後半名曲)、後編(1980年代以降、世界レジェンドとして君臨)といった分類でレポートを進めて行きます。スティービーは1950年ミシガン州で誕生、しかしこの時から彼の苦難の人生がすでに始まっていたのです。保育器内の過量酸素が原因で生まれてすぐ永久に視力を失い盲目者としての生涯がスタートすることに・・。しかしこのハンディを負いながらも、彼は ブラックミュージックの名門モータウンから僅か13歳でデビューを果たし、「フィンガーチップス」(1962)が全米No1に輝きました。その後ミドルティーンでの活躍も目覚ましくマイケル・ジャクソンも凌駕する幼少からの天才ぶりが窺えます。15歳で歌った「アップタイト」(1965)は、ストーンズ「サティスファクション」に影響を受けた雰囲気の曲で大ヒット。そして16才では、少年から大人へ声が移り変わる中でサウンド面で一歩大人な雰囲気になった「太陽のあたる場所」(1966)、彼のガールフレンドを歌ったと言われる「マイシェールアモール」(1969)などの名曲を次々にヒットさせ大活躍を続けていました。しかし1970年初頭に入ると従来のヒットナンバー量産路線から脱却し、社会的テーマの追求を目指すアルバムプロデュースに積極的に関与する姿勢を見せていきます。その最初の集大成が1972年発表の「トーキング・ブック」、冒頭に紹介した「迷信」(superstition)はまさに象徴曲であり新たなスティービーが全世界にブレイクした歴史的名曲でありました。タイトなドラムス、クラビネット(電気鍵盤楽器)とギターで一度聴いたら耳に焼きついて離れない呪術のようなリフレインのイントロ、スティーヴィーが抑えたヴォーカルで唄い出します。さらにはトランペットが響き渡り、絡みつく完璧アレンジのホーン・セクション、絞り出す様なシャウト!RWも初めて スティービー・ワンダーの存在を認識したのがこの曲であり、魔法にでも掛ったかのように心を奪われてしまいました。このアルバムはトータリティ・普遍性の面で飛躍的な進歩を遂げる作品として歴史的な快挙を刻みました。さらに翌年リリースされた「インナーヴィジョン」は超有名なヒット曲はないですが、「ハイアーグランド」(1973)、「汚れた街」(Living for the City)(1974)がともに全米4位のヒットを記録しして スティービーは世界的なビッグネームとしての地位を着実に突き進んで行った時代です。前編の締め曲はボサノバなどでもよくカバーされる「サンシャイン」(1973)、温かみあるラヴソングは「迷信」と並ぶ名盤「トーキング・ブック」からの代表曲で全米1位に輝いています。次回中編はグラミー賞を総ナメにした彼の最高傑作「キーオブライフ」(1976)はロック史に輝く金字塔的な名盤からのレポートとなります。

  by rollingwest | 2002-10-01 00:00 | 洋楽(ロック・POPS) | Comments(126)