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スティーリーダン(前編)




★(086):スティーリーダン 「リキの電話番号」 (1974年) (2014.2.13公開)


c0119160_08255774.jpg70年代にジャズ(フュージョン)とロックを合体させ都会的でセンス溢れる大人の音楽(クロス・オーヴァー)で我々を魅了してくれた「スティーリーダン」の名曲を前・後編に分けて紹介したいと思います。 小生が彼らの存在を初めて知ったのは「リーリン・インジ・イヤーズ」(1973)をラジオで耳にした時からです。最初はスティーリーダンというソロ歌手名だとばかり思っていましたが、ドナルド・フェイゲン(Key,Vo)とウォルター・ベッカー(Bass,Vo)を中心とする質の高いミュージシャン達が入れ替わり集まり散じたグループだったのか・・と認識したのは数年後のこと。スティーリーダンの結成は1967年、ニューヨークの大学で上記2人(元々ジャズの大ファン)が意気投合しソングライター活動を始めました。結局歌い手が見つからず自らで演奏活動をしていましたが、プロデューサーのゲーリー・カッツに見染めらてここから彼らの栄光史が本格的にスタートします。G.カッツはレコード会社契約後、ジェフ・バクスター(のちにドゥービーズの主力メンバー)らの有力メンバーを加入させ1972年デビューアルバム「Can't Buy A Thrill」を発表、最初のシングル「ドゥイットアゲイン」(1973)のヒットで一躍その名は全米に知られるようになりました。デビュー曲は何かサンタナを思わせるような怪しいリズムが魅力的ですが、その後は「マイ・オールド・スクール」(1973)や最大ヒットシングル(全米3位)となった「リキの電話番号」(上記曲1974)等の洗練された音楽が知れ渡りスティーリーダンの名声はますます高まることになったのです。しかしこの頃はすでにバンド形態は崩壊寸前、ドナルドフェイゲンとGカッツは一流セッションマンをレコーディングに多数起用し録音とライブ演奏を別物構築するスタイルに変えていったため、志向異なるメンバーはライブをしない活動形態に嫌気がさして次々と離れていきました。その中の一人は後期ドゥービー・ブラザーズを支えたジェフバクスター、彼はファンキーで泥臭かったドゥービーサウンドを一挙にスティーリーダン風(ジャズ系なお洒落な雰囲気)に変えてしまったのです。スティーリーダン存続危機も噂されましたが、ライブ活動から解放された2人はじっくりとスタジオワークに専念し、真の実力を発揮し始めたのは何とこれ以降の時代なのです。「ブラック・フライディ」を冒頭曲とする4thアルバム「うそつきケイティ」(1975年)、さらに「トルコ帽もないのに」(the fez)を収録した5 th「幻想の摩天楼」からは「滅びゆく英雄」(Kid Charlemagne)(1976年)・・、一流ミュージシャンを適材適所に配置した名盤を連続リリースしてさらに評価は高まり、彼らの方法論が正しかったことを強力にアピールしました。そして1977年、ついに金字塔アルバムと誉れ高い「彩(エイジャ)」を発表、瞬く間に彼ら初のプラチナ・レコードとなり1年もの間チャートに居座り続けることとなる程の大ヒットを記録したのです。ロック・ミュージックにおける洗練の極みを確立したクオリティの高さから、やがて彼らは「究極のミュージシャンズ・ミュージシャン」と呼ばれるようにもなりました。後編記事は「彩 (エイジャ)」や「ガウチョ」 からの名曲を紹介する予定です。




  by rollingwest | 2002-11-01 00:32

アート・ガーファンクル「永遠の想い」


★(091):アートガーファンクル 「永遠の想い」 (1975年) (2014.4.14公開)


c0119160_6415931.jpg中学生の頃小生を洋楽の道に導いてくれた「サイモン&ガーファンクル」(第2巻(016)参照)・・、「明日に架ける橋」がグラミー賞に輝いた1970年に残念ながら解散してしまいました。ポールサイモンはソロ転身後も「母と子の絆」、「僕のコダクローム」等のヒットを放ち気を吐いていましたが、S&G時代に一つも作曲しなかったアート・ガーファンクルの方は解散後は沈黙していた印象があります。その頃、彼は自分の澄んだ歌声に合う楽曲を見つけていかに自分流に歌うかという方向性でデビュー盤を作ろう・・と奮闘していたのです。その結果満を持して、自らの声を比喩したような題名をつけて1973年発表されたソロデビュー盤が「天使の歌声」(ANGEL CLAIR)でした。その冒頭曲は「青春の旅路」(Traveling Boy)を聴いて、期待に違わず美しい高音とちょっと鼻にかかる特徴的なガーファンクルボーカルが健在!とまずはひと安心、そしてアルバート・ハモンド作品で大いにヒットした「ひとりぼっちのメリー」・・、ビブラートが効果的に響くはかなさも伝わってくる声にまたも感動!そしてデビュー盤で小生が最大のお気に入り曲は、ジミーウェッブ作詞・作曲の「友に捧げる賛歌」(All I Know)、親友を思う歌詞と美しいメロディーが透明感溢れる声で感動的に表現されており、まるで「明日に架ける橋」の如し・・!続く1975年発表の2nd「愛への旅立ち」(Break Away)も超名盤で本当にお薦め!このアルバムは数々の名曲がプレゼントされておりレコード針が摩れる程聴き惚れ幸福感に酔ったものだなあ~・・。スティーヴン・ビショップ提供の「めぐり逢い」(Looking For The Right One)も余韻ある名曲・・、オリジナルピアノ演奏者はかの有名な大物プロデューサーデヴィッド・フォスターらしい。上記に掲載曲した「永遠の想い」は2nd盤に収められており、その他にも「瞳は君ゆえに」、そして小生が下溜めて愛してきた曲「L.A.より99マイル」等の多くのヒット曲がキラ星の如く。この名盤は曲の選択もさることながらアレンジも素晴らしくバックミューシャンにもCSN&Yのデヴィッド・クロスビーやグラハム・ナッシュなどの豪華なゲストも参加しておりました。「夢心地」を味わえるこの名盤のヒット曲には、ポールサイモンとの共演曲「マイリトルタウン」も入っています。ついにS&G復活か~!と大喜びしたものです。実際のコンビ復活は1981年セントラルパークコンサートでしたが、その後2人で何度か来日してくれて1993年カミサンと一緒に東京ドームで生のデュエットを聴けたこと(もう20年以上か・・)がいい思い出です。アートガーファンクルのソロ名盤は「シザースカット」(1981)等まだまだ沢山ありますので、いつか後編として紹介したいと思います。

  by rollingwest | 2002-11-01 00:31

サイモン&ガーファンクル「冬の散歩道」




★(160)サイモン&ガーファンクル 「冬の散歩道」 (1968年) (2016.12.8公開)



c0119160_14474415.jpg中学生時代に小生を洋楽の道に目覚めさせてくれた「サイモン&ガーファンクル」・・、2011年に第2巻記事で「サウンドオブサイレンス」を取り上げただけで洋楽恩人に対して5年間も掲載せず不義理を大いに反省しております。久しぶりの続編は、彼らの名盤「ブックエンド」(1968)特集で半世紀前の名曲を紹介してお詫び申し上げたいと思います。S&Gの有名曲といえば他に「明日に架ける橋」「コンドルは飛んでいく」「ボクサー」「スカボロ・フェア」等が挙げられますが、今回は寒い冬の訪れに合わせて「冬の散歩道」を冒頭曲に選びました。日本でも木枯しの季節になると時たまラジオでかかる曲ですが、題名とは反し乗りのいいリズムのロックナンバー、S&Gとしては実に珍しい!12弦ギターの印象的なリフ、タイトなドラミング、途中で鳴り響くトランペット、韻を踏んだ詩がハイテンポな2人のコーラスで美しく軽快に展開していきます。名盤「ブックエンド」はレコードA面(今は死語か・・)1~7曲が「アメリカの現実」というテーマのコンセプト構成、当時の米国社会・世情を反映した数々の曲が本立ての中に収められているアルバムです。冒頭は組曲のオープニングとなる「ブックエンドのテーマ」、わずか20秒程の短いギター・インストルメンタルですが何となく惹かれる曲で期待感の予兆。A面物語の最大名曲は、やはり静かなハミング♪m~m~m~、mmm・・・~♪のフェード・インから始まる名曲「アメリカ」、語りかけるようポールサイモンの歌声と映画の一場面を見るような描写感が交錯した様なハーモニー曲。恋人キャシーへの語りかけとともに「皆がアメリカを探しにやってきたんだ」「アメリカとは何か?」という問い掛けでこの曲は終わっています。何度聴いても素晴しい彼らの最高傑作曲の一つで、日本では遅まきながら1972年にヒットして「何で今頃?」と思ったものです。アルバムB面はシングルヒットや個性的な曲が詰めらており、映画「卒業」のために作曲された「ミセス・ロビンソン」が収められています。この曲は1968年グラミー賞でビートルズ「ヘイ・ジュード」と最後まで最優秀賞を競り合い栄誉に輝いた歴史的なナンバーです。映画「卒業」のヒットで直後に発売された「ブックエンド」は彼ら初の全米NO1(7週連続)を獲得しまさに世界的なブレイクを果たした栄光期の名盤となりました。「動物園にて」は、さまざまな動物を性格設定したお茶目な曲。ポールサイモンが後にソロとなって大ヒットさせた「僕とフリオと校庭で」や「コダクローム」等に通じて行く原点曲のようにも思えるネ~。小生が大好きな不思議なる癒し曲「フェイキン・イット」は、さまざまな仕掛けが施された曲で録音テープを逆回転させたり子供の会話を入れたり凝った編曲がなされており、S&Gもビートルズ「サージェントペッパーズ」の影響を受けているんだなあ・・と再認識させられます。コンセプトアルバムは最後に「旧友~ブックエンドのテーマ」で静かにフィナーレ・・。ベンチ両端に座る2人の疲れ果てた老人がブックエンドの象徴として描かれ、人生の終焉を静かに待っているような悲しさと叙情的な詩・・。当時20代後半のポールサイモンが人生晩節に佇む老人の哀愁を表現しているとはあらためて驚きました。そして自分が当時この歌のイメージだった還暦を迎えるとは・・。最後のテーマエンドは「Time it was・・、あの頃は・・、時は経過してしまった・・」と呟く1分の短かい曲で「ブックエンド」が静かに締められています。



  by rollingwest | 2002-11-01 00:30 | 洋楽(ロック・POPS)

アトランタ・リズムセクション 「ソー・イントゥ・ユー」



★(144)アトランタ・リズムセクション 「ソー・イントゥ・ユー」 (1977年) (2016.4.12公開)



c0119160_15545226.jpg今回紹介する「アトランタ・リズムセクション」(以下はARSと表記します)は1970年代後半に多くのヒットを放って活躍していたオシャレなサザン・ロック・バンドでした!現在でその名を知る人は少ないと思いますが、ダサイ大学生時代のRWはFENラジオから流れてくる一流のスタジオ・ミュージシャン達のクオリティ高い音楽に大いに嵌っておりました。サザン・ロックでありながら哀愁感ある洗練されたAOR風のサウンドが特徴(レイナードスキナードほど泥臭くなく、リトルリバーバンドにも似た都会的なアレンジ)、現在聴いてもそのセンスのよさに大いに唸らせられます。ARSはその名の通り米国南部アトランタで1970年結成された専属セッション集団、ノリのよいサザンロック・ナンバー「ドラヴィル」(1974)などヒットを放っていましたが最初はあまり人気は上がっていなかったようです。彼らが本格的に米国ヒットチャートでブレイクしたのは結成から苦節7~8年後、冒頭で紹介した「ソー・イントゥ・ユー」(1977)、毎日ラジオから流れてくる気だるい歌声・妖しい感じの雰囲気ある曲はギターのピッキング・ハーモニックスもカッコよくRWは一挙に魅了されてしまいました。そしてさらに翌年、彼らの代表曲「イマジネリー・ラヴァーズ」(1978)がついに全米NO1に輝いたのです!聴けば聴くほど味が染みてくるような歌、よく考えればこの題名は「妄想の恋人」でエロイ感じではないか!めくるめく白昼夢を歌ったオタク世界を歌っていたのかも・・!(苦笑)  ARSの音楽は実に多彩で才能に溢れています。オールマンブラザーズバンドを思わせるような軽快なナンバー・「ジューキン」(1976)、そしてケニーロギンスが歌っているかのような落着いた哀愁感あるメロディ曲「Do It Or Die」(1979)、カントリー調でホノボノとしたサザンロックの美曲「ジョージア・リズム」(1979)、レスポールやフェンダーローズの乾いた音が決まりまくっている名曲「スプーキー」(1979)、これらのナンバーをあらためて聴くと他の同系列バンドに比べると音創りが格段に洗練されていた超素敵なバンドだったことを再認識します。それなのに日本では全く人気が出なかったことが今を思っても不思議・・、彼らこそ1970年代の名バンドの一角として取り上げられるべき存在だったと再評価されてほしいものだなあ・・。最後はRWがARSで最も大好きな曲「シャンペンジャム」(1978)で締めたいと思います。クオリティ高い演奏力と楽曲の良さ(ギター・リフも印象的な渋いロック・ナンバー)で ARSの魅力が炸裂しています。



  by rollingwest | 2002-11-01 00:29 | 洋楽(ロック・POPS)

レーナード・スキナード 「フリーバード」


★(122)レーナード・スキナード 「フリーバード」 (1973年) (2015.5.27公開)


c0119160_1745548.jpg70年代米国サザンロックの代表的存在といえばオールマンブラザーズバンドが有名ですが、彼らと双壁をなした伝説的なバンドが「レ―ナード・スキナード」でした。米国南部カントりーの泥臭さと哀愁を帯びた壮大なサウンドが実に魅力的、そして「トリプル・リードギター」という特徴ある編成で迫まるギタープレイはまさに圧巻!彼らが残した名曲は数多くあるので前後編記事に分けて紹介したい思います。前編冒頭は小生が最も愛する「フリーバード」、10分近くに及ぶこの長い曲は「いとしのレイラ」(エリッククラプトン)のような雰囲気をもつロック史に輝く名曲です。哀愁の静かなアコースティックと渋いボーカルから始まりゆったりとしたバラードが続き、途中一転してアップテンポに泣きのギター、ここから3本の官能的なスライドギターのテクニカルな競演バトルが繰り広げられ、クライマックスを迎えます。この壮大なる名曲はいつ聴いても唸らされそして魅せられます。この曲は1973年デビュー盤「レ―ナード・スキナード」からのカッティングですが、実はこの曲が評価されたのは2nd盤「セカンド・ヘルピング」(1974)で「スイートホーム・アラバマ」(一番最後に紹介)でブレイクした後のことでした。しかしこのデビュー盤は実に素晴らしい曲が多く、冒頭から重厚なトリプルギターが炸裂する「アイ・エイント・ザ・ワン」(1973)や哀愁を帯びた泣き節ギターが印象的な「チューズデイズ・ゴーン」(1973)、ロックの王道を行くような「ギミー・スリー・ステップス」(1973)などカッコいい曲が多くて実に名盤だと思います。特に「シンプルマン」(1973)は「フリーバード」と並ぶスケールの大きい名曲、静かなボーカルから重厚かつ落着いたなギタープレイが見事に展開され、最後はこれまたトリプルギターのエキサイティングな競演!もう本当に言葉もなく、これぞレーナードの真骨頂だ!と感服します。レ―ナード・スキナードは1964年にフロリダ州で5名で結成。彼らを見出しデビュー・アルバムのプロデュースを担ったのがアル・クーパー(BS&Tの初期リーダー)だったと今回編集で初めて知ってビックリ!サイケなイメージがある彼がこの泥臭いグループに関わっていたとは実に意外でした。そしてレーナードはザ・フーの北米ツアーの前座を務め大きな喝采を浴びるパフォーマンスを披露して地道なライブ活動の中で多くのロックファンに徐々に認められていきます。この成功への軌跡を辿れた背景には、彼らの前座だったピーターフランプトン(下記119記事で紹介)がライブ活動で大ブレイクを果たしたことに学んだ対抗意識(アイツにできるならば俺達だって)だったとのこと。彼らがブレイクしてサザンロックの象徴としての地位を確立したのは1974年「セカンド・ヘルピング」、彼らを有名にしたこの名盤もまた実に素晴らしい~!「ワーキン・フォーMCA」(1974) やバイクが疾走する軽快なロックの「コールミー・ブリーズ」(1974)、わかりやすく耳に残るリフと重厚で豪放なリズム、ラフでルーズなグルーヴ感は、レーナード・スキナードというバンドの最も魅力的な部分を見事に具現化したものだったように思えます。彼らはその後もライブアルバムが大いに評価され、サザンロックの王道を突っ走っていましたが、突然信じられないような悲劇のニュースが飛び込んできます。5作目のアルバムリリースした3日後(1977年10月20日)、メンバーとクルー総勢26人を載せた自家用飛行機が移動中に墜落して6名が死亡(ブラスロックのチェイスに続く飛行機事故悲劇)。犠牲者には主力メンバー3人も含まれておりロック界全体に大きなショックと失望を与えたのです。本当に素晴らしいサウンドを聴かせてくれたロック王道アーティスト達の魂がこんな形であっけなく失われたとは・・、何という惜しいことだ・・。前編最後は彼の象徴曲「スイートホーム・アラバマ」(1974)で一度締めたいと思います。後編は「何も聞かないで」(セカンド・ヘルピング収録曲)を始めとして、墜落悲劇の直前にリリースしたLAST名盤「ストリート・サバイバーズ」からの名曲紹介を予定しています。


  by rollingwest | 2002-11-01 00:28 | 洋楽(ロック・POPS)

エリック・クラプトン 「いとしのレイラ」



★(004):エリッククラプトン 「いとしのレイラ」  (1970年)               (2011.7.30公開)


c0119160_810952.jpgこの衝撃的なイントロ、誰でも耳にしたことがある名曲「レイラ(Layla)」は3大ギタリスト・エリック・クラプトン(デレク&ドミノス時代)の永遠不朽の名曲。クリーム解散後、デレク&ドミノス活動時に発表した同名アルバムのタイトル曲、オープニングは激しく鳴り渡るデュアン・オールマンの印象的なスライドギターのリフ演奏から始まり、後半は一転してピアノを軸にした穏やかな演奏で終盤に余韻を残す対照的な2つのパートで構成されます。この曲は、クラプトンが親友ジョージ・ハリスンの妻パティ・ボイドに恋をしてしまい、彼女を求める悩ましい不倫の曲だとは余りに有名なお話。ジョージハリスンはそれでも親友の仲を維持し続けたのだから、心が広いというか何というか・・。この頃の2人はイエスキリストの様な風貌が実にカッコよかったネ~!初期のワイルドなクラプトンが活躍したクリームを解散し、ブラインド・フェイスでの短い活動を経て、クラプトンは自らの傷心と疲れを癒しにアメリカ南部へ渡りました。そして彼はディラニー&ボニーを介して知り合った南部のミュージシャン(デュアン・オールマン等)たちと、自分の好きなブルースやR&Bに没頭していった時期でした。デレク&ドミノスとは「エリックと仲間達」という意味、この時代の名曲と言えば「リトルウイング」も忘れることはできません。そしてその後1970年代ソロになっての名曲は「アイショット・ザ・シェリフ」・・、この頃のクラプトンはちょっと泥臭くてよかったネ~!




  by rollingwest | 2002-11-01 00:27 | 洋楽(ロック・POPS)

ピンクフロイド 「エコーズ」(1971「おせっかい」) 


★(113)ピンクフロイド 「エコーズ」(PART-1) (1971年) (2015.1.9公開)



c0119160_209518.jpg小生が最も愛する「ピンクフロイド」の最高傑作は1970年初頭に輩出した「原子心母」(第2巻:015)&「おせっかい」(Meddle)の2大アルバム・・・、小生にとっては今も偉大なる金字塔として永遠に輝いている崇敬の名盤です。世間一般的には歴史的NO1アルバムは「狂気」(the dark side of the moon)と評価されていますが、RWにとっては「往年の神秘性が欠ける印象を受けて期待が裏切られた・・泣」と当時はガッカリしてしまいました。それだけ「原子心母」「おせっかい」から受けた衝撃と感動がいかに大きかったのか・・と今あらためて思うのです。上記に紹介した「エコーズ」は名盤「おせっかい」(1971)のラストトラックであり23分30秒という当時では常識外れの長大曲(B面全てが単一曲)でした。ピンクフロイドファンから最も人気の高い本曲の冒頭は「ピィーン!」と響き渡る幻想音、デイヴ・ギルモアとリック・ライトが静かに語り合うようなツインリードでヴォーカルを展開し、唸らせられる素晴らしいギルモアのギタープレイ、ニックメイスンの大迫力のドラム(まるでボンゾの如し)、メンバー4人の持ち味が見事に溶け合った壮大な宇宙観が表現されています。「エコーズ」は、映画「2001年宇宙の旅」のBGMにも採用され、、映画ラスト23分映像とも完全にシンクロしていたのでした。今回紹介した「エコーズ」の映像(PART-1と2に分割)は、ポンペイ遺跡(イタリア)で無人観客でのライブを収録したエイドリアン・メイベン監督の映像ドキュメンタリーで、1973年にNHK番組「ヤングミュージックショー」で放映されたものです。当時は洋楽アーティスト映像を見られることは殆どなかったので、興奮しながら齧りつくようにTVに釘付けとなった高1時代の在りし日の自分が蘇ってきます。「おせっかい」は1971年に発表されピンク・フロイドが一大飛躍を遂げた作品であり、オープニングを飾る迫力のインストゥルメンタル曲は「吹けよ風、呼べよ嵐」!冒頭から風の音が20数秒流れた後に、ロジャー・ウォーターズによる不気味なベースが鳴り響き、リック・ライトのシンセサイザーとがコラボする印象的な楽曲で日本でも大ヒットしました。途中で聴かれる叫び声はニック・メイスンが「いつの日か、お前を細切れにしてやる・・」と悪魔のように唸っています。中盤のアコースティックな小曲群にもかなりの趣があり、「ピロウオブ・ウインズ」「フィアレス」(最後の群集シュプレヒコールはサッカーサポーターが勝利に酔いしれる歓声の如し)はピンク・フロイドのもう一つの顔・・、静謐サウンドの象徴曲とも言えましょう。RWがフロイドのメンバーの中で最も大好きだったのは「エコーズ」でリードヴォーカルを取っている「リック・ライト」(今はリチャード・ライトと呼ぶらしいが・・)でした。地味な存在ながらも初期フロイドにおいてライトのキーボード演奏(メロトロン、シンセサイザー等)は独自世界のサウンド形成に大きな役割を果たしていたからです。他プログレバンドの代表的キーボード奏者(キース・エマーソンやリック・ウェイクマン等)のように超絶的な速弾きや目立ったソロプレイを披露することはありませんが、全体を包み込むような幻想的なサウンドを奏でていたリックライトの姿(童顔で可愛らしい)が実に魅力的なのでした。それでは超大作後半の「エコーズ」(PART-2)を聴いて頂きその真髄を再度堪能してみて下さい。リック・ライトは初期ピンク・フロイドにおいては、シド・バレットと共に音楽的には主導的立場にありましたが、1970年代中盤以降はバンド内での存在感が薄くなっていきます。特にリーダーシップを執っていたロジャー・ウォーターズとの対立で相当にいじめられ、ついには1979年解雇される事態にまで発展しました。そしてピンク・フロイド脱退後は、ドラッグに溺れていき一時は地獄のような日々を送り、2008年に癌のため65歳で死去しています。しかし失意のままで亡くなったのではなく、晩年の彼は再びピンクフロイドに迎えられて幸せな時間を過ごすことができていたのです。1987年、デイヴ・ギルモアとニック・メイスンがピンクフロイドを再始動させ、ライトはアルバム「鬱」のサポート・メンバーとして参加、そして同年に開始したワールドツアーより正式メンバーとして迎えられました。ついに往年のメンバーと縁を取り戻せてよかったですね~、ライトさん!そして今回記事のLASTは、アコースティックバージョン版「エコーズ」を聴いて頂き、締めとしたいと思います。デイヴ・ギルモアが主体となったスタジオセッションで、2005年前後(彼らが還暦前後)の映像ではないかと思われます。大型音響機材は使わず手作り感で演奏しているにも関わらず、往年の壮大曲をほぼ忠実に再現しているのですから本当に驚かされました。そして嬉しいのはキーボードを演奏しているとリック・ライトが笑顔で元気に共演していること・・、仲間たちと楽しそうによき時間を過ごしている感じが伝わってくるではありませんか!癌で人生終焉を迎えたリックライトの脳裏には、ピンクフロイド時代のさまざまな出来事が走馬灯の如くよぎり、かつての同志達といい時間を過ごせた・・と最期は満足感に浸っていたのかもしれません。

  by rollingwest | 2002-11-01 00:26 | 洋楽(ロック・POPS)

ピンクフロイド 「サマー'68」(1970「原子心母」) 

★(015):ピンクフロイド 「サマー68」 (1970年)   (2011.10.26公開)



c0119160_42025.jpg1970年前後にプログレシッブロックをリードし一世風靡した象徴グループ「ピンクフロイド」。サイケデリック世界から音楽性を先進的に発展させ、壮大なる抒情詩、太陽神、宇宙の世界、人間本質等を示したコンセプトアルバムを次々と創り出していきました。現在ロックコピーバンドは多く存在しますが、ピンクフロイドの完全なる真似は不可能・・。それ程に彼ら自身でなければ表現できない独自世界を築き上げたのです。「実験的=抽象・難解」とういうイメージが先行しますが、実は彼らの曲には牧歌的でメロディアスな佳曲が沢山ありました。ピンクフロイドは1973年ロック史に今も燦然と輝く名盤「狂気」で金字塔を極めますが、小生にとって今も崇める名盤は「原子心母」(1970)と「おせっかい」(1971)です。彼らの最大級傑作アルバムの一つ「原子心母」B面には「リック・ライト」(今はリチャードライトと呼ぶらしい)が書き上げた「サマー68」(小生が最も愛する名曲)や「イフ」が眠っています。静かなピアノ弾き語りで始まり、優しく美しいボーカルが印象的な曲。一気に盛り上がるサビ間奏部はホーンセクションのオーケストラが実に感動的です。リック・ライトは、ロジャーウォーターズ、デイブギルモアという強烈な個性を放つ二人を前にしているだけに目立たない鍵盤奏者ではありましたが、フロイドサウンドの骨子・下支えをシッカリと担っていました。だって、あの最高なる大抒情曲「エコーズ」のボーカル主役をやっていたのですから・・。その後、彼はだんだんグループの中から干され、ドラッグに溺れピンクフロイドを脱退・・、そして2008年に65歳で癌で逝去してしましました。あの可愛らしい少年の様な笑顔は年老いても面影を残していました。あらためて哀悼・・。リック・ライトよ、永遠に・・。

  by rollingwest | 2002-11-01 00:25 | 洋楽(ロック・POPS)

デビッドボウイ&ミックジャガー 「ダンス・インザ・ストリート」 


★(162)Dボウイ&Mジャガー 「ダンシング・イン・ザ・ストリート」 (1985年) (2017.1.8公開)



c0119160_19262325.jpgRW洋楽コーナーも今年最初の記事をスタートさせたいと思います。昨年はロック黄金期の巨星達が次々と天に召された衝撃的な年でしたが、その口火を切った訃報が丁度1年前のデビッド・ボウイ死去(2016.1.10)のニュースでした。死の2日前に新作「ブラックスター」(参照記事:第25巻(139)「ラザロス」)をリリースしたばかりだったというのに・・!しかし宇宙から舞い降りて来たデビッドボウイのこと・・、死を予感し地球人へ強いメッセージを残した直後、敢えてこのタイミングでブラックスターへ戻る「当初からの計画的な昇天」だったのでは・・?と思えてなりません。デビッドボウイ(享年69歳)は若くしてこの世を去りましたが・・、かたや74歳を迎えるミックジャガー(ローリングストーンズ)はデビュー以来55年間音楽シーンの最前線を走り続け、今も飛んだり跳ねたり超パワフルな姿を維持し続けています!ビックリするのは昨年何と彼に8番目の子供が生まれたこと・・、普通ならピストルから赤玉(定量打ち止め)が出ている年齢なのに今も元気現役とは恐れ入りました・・(◎m◎)┌★*!そんな対照的な2人が1985年にコラボした「ダンス・イン・ザ・ストリート」を今回冒頭に掲載しましたが、彼らが1980年代に放った数々のヒット曲を紹介しながら「ボウイ1周忌の回顧」&「絶倫ミックの長命激励」のW記事にしたいと思います。

デヴィッド・ボウイの1980年代はアルバム「レッツ・ダンス」(1983)で商業的には最も成功を収めた時期といえるのかもしれません。「チャイナガール」(1983)などダンサブルな曲で音楽スタイルを一変させ、それまでのカルト的イメージを完全抹殺し一挙に主流商業路線に躍り出ることになりました。「モダン・ラヴ」(1983)や「ブルー・ジーン」(1984)などの曲もMTVに多く露出し、若い人はデヴィッド・ボウイはダンシングロック歌手と思いこんでいる人も多いのではないのでしょうか?我々世代は「スペース・オデティ」など70年代名曲を懐かしむファンが主体なので歯がゆい思いで聴いていた方も多いのでは・・?小生も80年代のボウイはアーティスト感覚が殆ど感じられず好きじゃないけど、やはりカメレオンの如く時代変化に合わせて生き抜いてきたその強かさには評価すべきものがあります。

さて80年代のローリングストーンズも同じ様な境遇に晒されていました。ストーンズといえばとにかく永遠に「ロックンロール」一途の印象が強いですが、お洒落な80年代では「もう古臭い消えゆくバンド」に見られていた感があります。しかし彼らも70年代後半~80年代は当時はやりのディスコサウンド風の曲を多く取り入れ、時代に合わせていかなければ生き残れないかもしれない・・と悪戦苦闘し路線修正に悩んでいました。しかし彼らは見事にPOPSシーン最前線へのTOP復活ができたのです!その象徴的な曲は「スタート・ミー・アップ」(1981)!往年のファンからは「流行のダンスサウンドを見境なく取り入れやがって(`ヘ´#)・・・」と強いブーイング もあったようですが、何と米国チャート2位に一挙躍り出てストーンズ自身もビックリ!予想外の成功にまだまだ自分達はやれるんだと自信を深めていきました。「エモーショナル・レスキュー」(1980)のように彼ら独特の雰囲気も維持しながら、その後も「ミックスド・エモーション」(1989)などヒットを放ち続けて90年代から21世紀へ・・、こうなると何をやっても全てロック超大御所と崇められる存在(「21世紀のローリングストーンズ」)となり、長寿・元気さも驚きの目で見られる伝説的なバンドとして鎮座し今に至っています。

「アフリカ難民救済」を目的とした20世紀最大のチャリティー・コンサート「ライヴ・エイド」企画(1985)の一環で、上記に紹介したデビッド・ボウイとミック・ジャガーのコラボ曲「ダンス・イン・ザ・ストリート」が実現しましたが、これは「往年のダサいミュージック・ビデオランキング」の上位に常にランキングされる映像で今見ると80年代のお洒落を気取った野暮ったさ加減が実に笑えます。この2人は当時おホモ達の関係にあったようで、デヴィッド・ボウイの元妻アンジーは二人が裸でベッドに寝ているところを見たとも発言しています。色恋お盛んなミックは傘寿・米寿になっても数々の話題を振りまきながら頑張っている気がします。早世したデビッド・ボウイもミックに対して「あんた、若い時には麻薬三昧でハチャメチャな生活していた割には何でこんなに長寿なの・・?」と大いに呆れ返っているかもしれません・・(笑) 両者とも時代の流れを敏感に感じ取り、往年ファンから一時罵声を浴びながらも苦しい時代を耐えて生き抜いたからこそ、後世に大御所的存在に認められ金字塔歴史を築き上げられたのだと思います。ローリング・ストーンズは昨年末に新譜「ブルー&ロンサム」をリリースし彼らの原点である泥臭いブルースやスワンプロックの道に回帰しています。生きていても亡くなってしまってもロック史に残る巨星達はしぶとく永遠に輝き続けることでしょう!

  by rollingwest | 2002-11-01 00:24 | 洋楽(ロック・POPS)

21世紀のローリングストーンズ 名盤「ビガーバン」特集 

★(083):ローリングストーンズ 「ラフ・ジャスティス」 (2005年) (2014.1.9公開)

    (21世紀のストーンズ名盤「ビガーバン」からのお気に入りチョイス)



c0119160_2254446.jpg結成50年を超えたロック界の至宝「ローリングストーンズ」が今年8年ぶりの来日(2/26~3/6)をします!今回はスペシャルゲストとして往年の主力メンバーのミックテイラーも出演するとのこと。昨年はビーチボーイズ、ポールマッカートニー、今年3月にはボブディランと・・、ロック草創・発展期の超大物がこの2年間で次々と日本の音楽ファンにLIVE演奏を披露してくれるのですからまさに凄いことですね~。ストーンズのお元気ぶりにはいつも目を丸くさせられますが、皆様すでに古希を過ぎておりこれが最後の来日となるのかもしれません。2014年冒頭の洋楽コーナーは「21世紀のローリングストーンズ」と題し、今世紀唯一のスタジオ録音された彼らの名盤「ビガーバン」(2005)からお気に入り名曲をチョイスしてスタートしたいと思います。ちなみに過去掲載した「ストーンズ特集記事」「ブライアンジョーンズ回想記事(第6巻050)」もあわせてレビューしてみて下さい。ローリングストーンズ(1962結成)は60年代末から70年代にかけてブラック&ブルースロックに傾倒し数々の名盤を送り出し黄金期を築きましたが、その後スタジオ録音は80年代が5枚、90年代が2枚と減る傾向に・・。しかし21世紀にリリースされた「ビガーバン」はまさに「70年代のアルバムに並ぶ傑作」と評されています。名盤の冒頭は「ラフ・ジャスティス」(掲載曲)、実にノリがいいギター中心のシンプルな旋律がカッコいい!「デンジャラス・ビューティー」は悠然ゆったりと歌う迫力の貫録曲。そして彼らのお得意のスローバラードは「ビゲスト・ミステイク」(本作の最大名曲とも評される)で披露してくれています。ミックとキースの関係が過去20数年で最も良好な中で制作されたと言われる名盤には「彼女の視線」というミックとキースが2人でサビを歌っている曲もあります。全くヒネリもない単純リフの繰り返し(ビートルズ曲では殆どありえない)なのに、これぞストーンズの真骨頂と称賛されるのですからやはり大したもんです。(笑) アルバム発売の翌年(2006)からは「ビガーバンツアー」(前回の来日も含む)で世界を廻り、その映像は2008年に封切りされた映画「シャイン・ア・ライト」で再現され我々を大いに魅了してくれました。当時古稀も近いミックが鍛えた体で腰をフリフリさせながら飛んだり跳ねたり走り回ったり・・、この映画を観て「何じゃ、コリャ~!」と本当に驚いたものだ・・・。「ビガーバン」は数々の完成度高い曲で構成されており内容充実の名盤だなぁと思います。、軽快なリズムで演奏する「ドライヴィング・トゥー・ファスト」は何となく「ブラウンシュガー」に似ている!スローな語りかけるように始まりゆっくり展開される渋いバラード「ストリーツ・オブ・ラヴ」、そしてハモニカの唸りが渋い濃厚なブルース「バック・オブ・マイ・ハンド」(このスライドギターは何とミックが弾いているそうな・・)、数十年間磨き抜いてきたストーンズサウンドのエッセンスがピカピカと輝いており本アルバムはまさに宝石箱の如し!小遣い制のRWにとっては、超高額なストーンズのLIVEチケットなどはとても手が出ませんが、「ビガーバン」を聴きながら次はどんな名盤を披露してくれるのだろうと心待ちにしております。最後は、キースとミックの才能が交配した名曲「スローで行こう !」で今年最初の洋楽記事を締めくくりたいと思います。「ローリングトーンズの皆様方、これからも喜寿・傘寿になるまで皆元気で思いっ切り転がり続けておくれやす!」(ローリングウエストからの勝手な年初祈願)

  by rollingwest | 2002-11-01 00:23 | 洋楽(ロック・POPS)