<   2003年 02月 ( 1 )   > この月の画像一覧

 

「My Favorite Songs」(第26巻)

【My Favorite Songs】の過去紹介した記事一覧(INDEX)はコチラから

c0119160_13135225.jpg



★(146)レオンラッセル 「ソング・フォーユー」 (1972年) (2016.5.9公開)



c0119160_8395591.jpg前回記事で取り上げたカーペンターズ・・、彼らがチョイスしたカバー曲は数多くありますが、カレンが澄み切った声でしっとりと歌いあげた1970年代初頭を代表する名曲「ソング・フォーユー」(1972)は、当時のロックシーンでカリスマ的な存在だった「レオンラッセル」によって生み出されました。全く日本人受けしなかったこの渋~いオジサンを知っているのは1970年前後のコアなロックファンにほぼ限られているのでしょうね~。彼が放ったヒット曲って上記以外に他に何があったのだろうと思い起してみても「タイトロープ」(1972)くらいしか脳裏に浮かびません。耳触りいいヒットチャート曲とは全く無縁(頑固なまでに・・)、独特のダミ声で泥臭さ~く歌うスワンプな姿に馴染む人はかなりコアな少数派だったような気がします。当時プログレ路線やメロディアスなナンバーを嗜好していたRWは全くレコードを買う気にもならず相当の距離感を保っておりましたが、「ハミングバード」(1970)を聴き直してみると泥臭くもスケールある素晴らしい曲ですね~!再発見の感動です!この方は当時最大の話題になっていた「バングラデシュコンサート」(1971年にマディソン・スクエア・ガーデンで開催された史上初のロック主体の大規模チャリティ・コンサート)で相当な存在感を誇っていました。主催者ジョージハリソンとコラボし2人で歌いあげたLIVE名曲「Beware of Darkness」や、エリッククラプトン、ボブディラン、ビリープレストン、リンゴスターら大物達と共演した数々の秀逸なパフォーマンスは食い入るように読んだミュージックライフ誌のレポートで強烈な印象が残っています。レオンラッセルは当時珍しかったミュージシャン同士の交流を促進した触媒的存在(架け橋・媒介者)でロック界に大きな影響力を誇っていたのです。美しいロングヘアーに口髭と顎鬚(イエスキリストの様な風貌)、人の心を射抜くような眼光の鋭さを持っていた仙人のような崇高かつ孤高なる姿はまさにカリスマ、憧れの存在でしたね~。「マジックミラー」(1972)などジャズとブルースが融け合ったようなピアノを滔々と歌い上げるレオンも魅力的、またストーンズのカバー曲「ホンキートンク・ウイメン」ではギターを弾きながら躍動的な一面を見せているのも興味深い!これはジョーコッカーのバックバンド「マッドドッグス&イングリッシュメン」でバンドリーダーを務めていた時の貴重な映像です。 JAZZ界から殴り込んできたジョージベンソンが1976年に世界中に大ヒットした「マスカレード」(グラミー賞の栄誉曲)もレオンラッセルが書き上げた名曲です。何と「ソング・フォーユー」のB面曲だったのですよ。「ソング・フォーユー」は多くのアーティストにカバーされていますが、レオンラッセルのように魂を絞り出すようには歌えないような気がします。聴けば聴くほど心に沁み込んでいつしかその魔力に魅入られるようです。それにしてもレオン様、老ライオン王の如く威厳を見せてますます仙人の極みになった御姿、素晴らしい・・!その美しき白髪の神々しさに御手を合わせたくなるような気持ち、いつまでも御達者で長生きされて下さい。
(PS)最後に、星船様からご推奨頂いた名曲「レディブルー」を追加!落着いた感じで滔々と歌うレオンも大いに魅力です。


⇒次回は、威厳と威光を放ち続ける大英帝国ヘビメタの誇り「デフレパード」のロック史に残る名盤「ヒステリア」 (1987)から名曲の数々をお送りします 。♪\(^◇^)/♪




★(145)カーペンターズ 「遥かなる影」(Close To You) (1970年) (2016.4.25公開)



c0119160_19412345.jpg我が青春のBGM「カーペンターズ」・・、リチャード(兄)とカレン(妹)・二人の美しいコーラスを中学~大学生時代までリアルタイムで傾聴しながら青春を過ごしてきました。カレンの究極の美声に彩られたバラードや名曲の数々にどれだけ癒されたことでしょう。洋楽に嵌り始めたRWが初購入した頃のEPレコード(今や死語=ドーナツ盤)の一つが上記に掲載した曲「遙かなる影」(close to you)だったことをこの歳になって思い出しました。そんなにもお世話になった彼らなのに・・、まだ過去1回しかレポートしていなかったこと(【第3巻】(031)「青春の輝き」のみ)に気づいて大反省・・!これから数編に渡って、彼らの歴史と名曲をジックリと辿って行きたいと思います。初期のカーペンターズは「バートバカラック(米国の映画音楽巨匠)の秘蔵ッ子」とのキャッチフレーズで人気を博しており、2ndシングル「遙かなる影」(close to you)で初の全米No1に輝き大ブレイク、同年に大ヒットした「愛のプレリュード」(We've Only Just Begun)(1970)、悲しみと憂鬱な気持ちを歌い上げた「雨の日と月曜日は」(1971)と立て続けに連続ヒットを放ち、この初期三大名曲が中学生時代のRWの脳裏に思い出深くクッキリと刻まれています。彼らがデビューしたのは1969年、 ハープアルバート(米国ジャズトランペットの巨匠でA&Mレコードの創設者)に認められ、「涙の乗車券」(ビートルズ名曲のカバー)でデビューし最初のヒットを放っています。彼らがビートルズを愛していたことは「ヘルプ」(1971)をカバーしていたことでも窺い知れますが、両曲とも完全にカーペンターズ独自の味付け・テイストとなっていますね~!神から授かったカレンの美声、素晴らしい巧みなアレンジが施されていること、カレンのドラマーとリチャードのキーボード演奏が主体となって全体がコーラス構成になっていることなど、ビートルズ・オリジナル曲とは明らかに一線を画しており、初期の代表的なカーペンターズ定番曲として愛聴されています。その後、彼らの勢いは止まることなく映画BGM「動物と子供達の詩」(1971)もアカデミー主題歌賞にノミネートされ、彼らは完全にトップランナーに躍り出たのです。小生が最も大好きな初期曲は、「ふたりの誓い」(For All We Know)(1971)、この作曲者が先日「カリフォルニアも青い空」で紹介したアルバートハモンドだったことを最近知ったばかりで目から鱗でした!そして奇跡の兄妹は1970年代で世界的なヒット曲を続々と放ち、まさに文字通り「スーパースター」(1971)として君臨していきました。彼らのヒットナンバーはあまりにも多い・・、カレンが亡くなるまで名曲の数々を紹介し切る完結編がお届けできるのはRWが還暦を過ぎた頃になるかなア・・(苦笑) 続編は1972~1973年のヒット曲をレポートしますので気長~にお付き合い下さい。




★(144)アトランタ・リズムセクション 「ソー・イントゥ・ユー」 (1977年) (2016.4.12公開)



c0119160_15545226.jpg今回紹介する「アトランタ・リズムセクション」(以下はARSと表記します)は1970年代後半に多くのヒットを放って活躍していたオシャレなサザン・ロック・バンドでした!現在でその名を知る人は少ないと思いますが、ダサイ大学生時代のRWはFENラジオから流れてくる一流のスタジオ・ミュージシャン達のクオリティ高い音楽に大いに嵌っておりました。サザン・ロックでありながら哀愁感ある洗練されたAOR風のサウンドが特徴(レイナードスキナードほど泥臭くなく、リトルリバーバンドにも似た都会的なアレンジ)、現在聴いてもそのセンスのよさに大いに唸らせられます。ARSはその名の通り米国南部アトランタで1970年結成された専属セッション集団、ノリのよいサザンロック・ナンバー「ドラヴィル」(1974)などヒットを放っていましたが最初はあまり人気は上がっていなかったようです。彼らが本格的に米国ヒットチャートでブレイクしたのは結成から苦節7~8年後、冒頭で紹介した「ソー・イントゥ・ユー」(1977)、毎日ラジオから流れてくる気だるい歌声・妖しい感じの雰囲気ある曲はギターのピッキング・ハーモニックスもカッコよくRWは一挙に魅了されてしまいました。そしてさらに翌年、彼らの代表曲「イマジネリー・ラヴァーズ」(1978)がついに全米NO1に輝いたのです!聴けば聴くほど味が染みてくるような歌、よく考えればこの題名は「妄想の恋人」でエロイ感じではないか!めくるめく白昼夢を歌ったオタク世界を歌っていたのかも・・!(苦笑)  ARSの音楽は実に多彩で才能に溢れています。オールマンブラザーズバンドを思わせるような軽快なナンバー・「ジューキン」(1976)、そしてケニーロギンスが歌っているかのような落着いた哀愁感あるメロディ曲「Do It Or Die」(1979)、カントリー調でホノボノとしたサザンロックの美曲「ジョージア・リズム」(1979)、レスポールやフェンダーローズの乾いた音が決まりまくっている名曲「スプーキー」(1979)、これらのナンバーをあらためて聴くと他の同系列バンドに比べると音創りが格段に洗練されていた超素敵なバンドだったことを再認識します。それなのに日本では全く人気が出なかったことが今を思っても不思議・・、彼らこそ1970年代の名バンドの一角として取り上げられるべき存在だったと再評価されてほしいものだなあ・・。最後はRWがARSで最も大好きな曲「シャンペンジャム」(1978)で締めたいと思います。クオリティ高い演奏力と楽曲の良さ(ギター・リフも印象的な渋いロック・ナンバー)で ARSの魅力が炸裂しています。




★(143)アルバートハモンド 「カリフォルニアの青い空」 (1973年) (2016.3.27公開)



c0119160_13162034.jpgアルバート・ハモンドの「カリフォルニアの青い空」・・、RWが中学生3年(高校受験勉強)の頃に毎日ラジオから流れていた実に懐かしいナンバー!米国西海岸光景をイメージさせる爽やかな声は、同年秋にヒットした「落葉のコンチェルト」(最後に紹介)や「フリーエレクトリックバンド」(1973)とあわせて一世を風靡した1970年初頭の代表的なシンガー・ソングライターでした。その後はあまりヒットチャートに登場しなくなったので「一発屋」だったのかな・・と記憶が薄れて行ったのですが、またAOR全盛期には当時の流行に乗った爽やかなPOP曲で再登場して「まだ元気に頑張っているんだな~」と喜んだものです。「マリン・ブルーが輝く時、オフショアに白い波が咲く。そして、エンドレス・サマーの夢が始まる」と赤面するようなキャッチコピーを引っ提げて「風のララバイ」(1981)で再登場したナンバーは、TOTOなど西海岸ミュージシャンとコラボしてAORに彩られてお洒落な印象がありました。ロマンティックなメロディ曲で「ひとりぼっちの渚」(When I'm Gone)(1981)やノリのいい軽快曲「ダウンザリバー」(1981)等のヒット曲が懐かしい~、もう35年の月日が経過したのか・・・。1944年ロンドン生まれなので英国シンガーと思いきや今回の記事編集で、彼がスペインの歌手だったことを初めて知りました。両親がイベリア半島の南端(ジブラルタル)出身で第2次大戦時に英国に避難していた経緯だったとのこと。ラテン界の人気スター、フリオ・イグレシアスの全米進出にも協力、スペイン語で歌ったナンバー「Echame a mi la culpa」(1977)も紹介しておきましょう。また彼は 作曲家としても目覚ましい才能を発揮していたことを再認識。ホリーズの「安らぎの世界」、カーペンターズ「青春の輝き」、レオ・セイヤー「はるかなる想い」、ホイットニーヒューストン「One Moment In Time」、ダイアナロス「恋のプレリュード」、その他にもアート・ガーファンクル、ティナターナー、セリーヌディオンなどのトップシンガーに次々と曲を提供し大ヒットさせていたのです。 最後は澄んだ声で秋を感じさせる哀愁曲「落葉のコンチェルト」(1973)で締めたいと思います。日本でのみシングル・カットされた曲ですが、ロマンティックなメロディでいかにも日本人好みの琴線に触れる名曲ですね~!RWも何度この曲を聴いたことか・・。 彼は今年1月にも来日を果たし今も現役で頑張っています。最近、1970年代の洋楽アーティストの訃報が次々と入ってくるようになりましたが彼にはまだまだ頑張ってほしいものです。

  by rollingwest | 2003-02-01 00:10 | 洋楽(ロック・POPS) | Comments(103)