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「My Favorite Songs」(第28巻)

【My Favorite Songs】の過去紹介した記事一覧(INDEX)はコチラから
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★(154)リン・アンダーソン 「 ローズガーデン」 (1970年) (2016.9.9公開)



c0119160_15205686.jpg洋楽コーナー120回目記念(2015.4.11)では、「1970年(昭45)のスマッシュヒット特集」(RWが洋楽に嵌った年の思い出曲)でジェリー・ウォレス「男の世界」を公開、それから約1年半が経過し、前回で紹介しきれなかった思い出名曲を後編として掲載いたしましょう!当時中学1年生だったRWの洋楽心を目覚めさせた名曲の一つがリン・アンダーソンのローズガーデン」(全米第3位を記録しグラミー賞も獲得)、軽快なポップ調のカントリー・メロディの爽やかな歌声がとても心地よかったですネ~!日本でも大ヒットしたこのナンバーが南沙織のデビュー曲「17才」の元ネタになったことは有名なお話・・・。オーディションで沖縄(当時は外国)から初来日した彼女に筒美京平が初顔合わせで「何が歌えるの?」と聞くと「ローズ・ガーデンだけ歌えます」と答えたそうな・・。単に曲調が似たモチーフ曲かと思っていたらこんな隠れたエピソードもあったのか・・と目から鱗でした!リン・アンダーソン、昨年67歳の若さで亡くなられておられたのですね・・。彼女の成功が女性カントリーPOPS路線(オリビアニュートンジョンやリンダロンシュタッド等)の先鞭となったことは間違いありません。心よりご冥福を祈念いたします。そして1970年のRW思い出・印象曲で最もインパクトを感じた曲は、ルークリスティの「魔法」でした。「♪メイビ~シャララ、メイビメイビ、アイ・ラ~ビュ・・・、シー・ソミ・マジック、シー・ソミ・マ~ジック♪」 イントロなしでいきなりサビから入る曲構成、神秘的な雰囲気を漂わせながら流れる曲調からクライマックスへと誘っていく素晴らしいアレンジだったなア・・。前編紹介のアース&ファイアー「シーズン」と並んで強い衝撃を受けたヒットナンバーでした。3番目登場曲は、一転して大物歌手エンゲルベルト・フンパーディンクの「太陽は燃えている」、1960~1970年初頭で女性を中心に絶大人気を誇った英国シンガー(ラテン系歌手だとばかり思ってた!)の仰々しい歌い方は、「キング・オブ・ロマンス」と称されたトム・ジョーンズとともにアダルトコンテポラリー分野では人気を2分していた感があります。でもこの曲は日本だけの限定ヒットだったのかも・・・。4曲目は、ヴァニティ・フェア「夜明けのヒッチハイク」、中学時代の音楽授業で吹いたチープな縦笛イントロが印象的ですが、1970年代表曲では「悲しき鉄道員」「長い夜」「イエロー・リバー」「男の世界」等と並ぶ大ヒットナンバーでした。5曲目は、マイクネスミス&ファーストナショナルバンドの「シルバームーン」(日本では翌1971年に大ヒット)を紹介します。イントロの美しいギターの調べとサビ部分の裏声(♪シルバ・ム~ン・・)が印象的・・、マイクネ・スミスとはモンキーズの一員だったマイク(緑の編帽子)のこと、彼がソロ独立後に結成したカントリーバンドなのです。6曲目は「ノックは3回」(1971)「幸せの黄色いリボン」(1973)の大ヒットで一世を風靡したドーン(トニー・オーランドという歌手が率いる米国バンド)のデビュー曲は「恋するキャンディーダ」、ビルボード3位まで上昇していたんだネ~。ラストを飾るのはクリスティー(CCRっぽい雰囲気はありますが英国バンド)の「イエローリバー」、シングル盤は安易に題名にあわせて黄土色のジャケットデザイン、3ヶ月間もベスト10にランクインし、 日本だけでも20万枚近くを売り上げるロング・セラーとなしました。洋楽に嵌り始めた当時のヒット曲はAMラジオの深夜放送からBGMのように毎日色々な曲が流れていました。当時中学生になったばかり、あれからもう46年の歳月が刻まれてしまったのか・・、懐かしき1970年。まさにビートルズが解散し、新たなロックの胎動(プログレやハードロック)がうねり始めている時代でした。



⇒次回は、'80年代を代表する女性ロッカー(グラミー賞4回受賞)パット・ベネターの「ウィ・ビロング」(1984) をお送りします。 ♪\(^◇^)/♪





★(153)オーリアンズ 「友よ再び」 (1979年) (2016.8.25公開)



c0119160_2120451.jpg1970年代洋楽の雰囲気をタップリ持ち合わせ美しいコーラス・ハーモニーでRWがお気に入りだったバンド「オーリアンズ」、第1巻(002)で彼らの代表曲「ダンス・ウィズミー」(1975)をサラリと紹介したきりで5年の歳月が既に刻まれてしまいました。爽やかな風が吹き抜けるような西海岸サウンドをイメージする名曲を数多く残した彼らが、実は東海岸ウッドストックの出身で当初はR&Bやロックンロールに根差した泥臭い音楽を志向していたと知ってビックリ!「オーリンズ」とも呼称され、名前由来はニュー・オリンズ(ルイジアナ州南部・ジャズの聖地)に関連していたとは・・。ジョン・ホールとホッペン兄弟を中心に再編成されたメンバーで1973年にデビュー、本来目指していたR&B路線ではなかなか人気が出ずに苦労していたようですが、3rd盤「歌こそすべて」(Let There Be Music)でついに華が開きました!この曲を聴けばまさにドゥービー・ブラザーズにそっくり!そしてここからからシングルカットされた「ダンス・ウィズミー」が全米6位の大ヒットに輝き一挙にブレイクしたのです。当時は「西のドゥービー、東のオーリアンズ」として紹介され、その爽やかなサウンドで圧倒的な人気を博しました。そして翌年リリースされた大傑作「夢のさまよい」(4th盤)から彼らの代表曲「スティル・ザ・ワン」(1976)が最高位5位のヒットとなり名実ともに栄光の座を獲得しました。オーリアンズの魅力は、ジョンホールのギターとラリーホッペンの明るいコーラスが映えるウエストコーストサウンド!「フレッシュウインド」(1975)は小気味よいアコースティックギターの煌びやかさで何度聞いても清々しく心が躍る曲です。「リーチ」(1976)はやや渋めなナンバーながらも美しいコーラスとコラボした乗りのいいナンバー、これもドゥービー風の名曲だネ~。そんな西海岸風な明るいサウンドで人気を上げて行くトレンドに対して、リーダーのジョンホールは違和感を感じて1977年脱退してしまったのです。R&B路線が忘れられず、ソフトロックの雄として認知されたことが本意ではなかったのでしょうか・・?支柱的リーダーを失って残りのメンバーは失意に陥るものの、1979年に5th盤「フォーエバー」をリリース、上記に掲載した「友よ再び」(Love Takes Time)が11位チャートで復活を果たします。この曲はラリー・ホッペンの突き抜けるようなハイトーン・ヴォイスが素晴しく、美しいコーラス・カラッと乾いた爽やかなサウンドでまさにウエストコーストサウンドのお手本のような名曲です。しかし結局はこれで最後のヒットとなり、まさにオーリアンズは文字通りフォーエバー・・永遠のお別れとなってしまいました。今回の記事編集で初めて知って驚いたのは、ラリーホッペンが2012年に61才の若さで亡くなっていたこと、そして脱退したジョンホールが米国下院議員となり米国防総省の軍事顧問になり栄光の転身をしていたこと・・。2人は何とも対照的な人生を歩いたんですねエ・・。最後の曲は、残念にも短命人生で終わったラリーが残した美しいメロディアスなナンバー「I Never Wanted to Love You」(1979)を聴きながら1970年代を爽やかに駆け抜けたオーリアンズの記事に筆を置きたいと思います。




★(152)レッドツェッペリン 「胸いっぱいの愛を」 (1969年) (2016.8.9公開)



c0119160_1231499.jpgロック史に残る偉大なるビートルズのLAST金字塔「アビーロード」、この超名盤をNO1の座から引きずり降ろして新時代を築いた1969年発表の2つのアルバム「クリムゾンキングの宮殿」と「レッドツェッペリンⅡ」は、プログレシッブとハードロックの本格的な夜明けを告げた歴史的な名盤として今も語り継がれています。レッドツェッペリンは、白人ブルースをベースとした画期的なハードロックを確立し頂点に立った伝説的なバンド、1969年デビュー後に立て続けでリリースした「レッド・ツェッペリンⅠ・Ⅱ」はまさに60年代の終わりと70年代始まりを告げる記念碑的な2名盤となりました。ZEP記事は過去まだ1回のみ【第3巻】(026)でアコースティックな美しき佳曲「サンキュー」(Ⅱ収録)しか掲載しておらず、以降4年半が経過してしまったことを認識し大反省・・、今回記事はツェッペリンの真骨頂であるハードロックの初期名曲(Ⅰ~Ⅲ)の数々をお届けします。その象徴曲は上記掲載の「胸いっぱいの愛を」(2008年北京五輪閉会式でペイジが全世界に向けて演奏)を差し置いては語れません。この曲を初めて聴いたのは中学1年生、今まで耳にしたことない強烈な大音響と幻想宇宙的な目眩くステレオ世界が渦巻いてくる恐ろしい程の迫力サウンドに初対面し「何なんだ!この曲は~!」と戦慄・驚愕したものです!ジミーペイジの炸裂ギターとロバート・プラントの120%全開ボーカル、ジョンボーナムの重戦車ドラムビート、超ハードで圧巻なる重厚サウンドに圧倒され一挙虜となってしまいました。三大ギタリスト(エリッククラプトン、ジェフベック)も在籍した伝説バンド「ヤードバーズ」解散後に、最後のギタリストだったジミー・ペイジがロバート・プラント(vo)、ジョンポール・ジョーンズ(b.Key)、ジョン・ボーナム(ds)と共に新しくレッドツェッペリンが結成されたのは1968年秋、デビュー盤の炎上墜落飛行船ジャケットⅠ(1969)からのハードナンバーはやはり「コミュニケーション・ブレイクダウン 」ですね。ブレイクシャウト多用・重暑なドラム&ベース、リードギターがギンギン冴えわたるこれこそロックの醍醐味という印象曲です。Ⅲ(1970)からの代表曲はやはり「移民の歌」しかありません。 「ア・ア・ア~、ア!」プラントの冴え渡る遠吠えボーカルと強烈なペイジのギターリフがカッコよすぎて血が騒ぎますネ~!初期三部作における最高峰名盤はやはりⅡ(1969)であることは間違いなく明白、プラントがSEX SYMBOLとなる契機ともなったエロティックな「レモン・ ソング」も印象的でした。ZEPサウンドの重厚さ・大迫力の源泉はボンゾ(Jボーナム)のドラムが際立っていますが、ジョーンズの渋いベース演奏も忘れるわけにはいきません。特にこの曲でのベースは秀逸なものを感じます。エレクトリックとアコーステック・ギターのアンサンブルが実に素晴らしい「ランブルオン」、ミディアムテンポのへヴィー曲「ハートブレイカ―」(無伴奏のフリーテンポのギターソロが凄い)、 名盤Ⅱはハードロック史の金字塔と称されながらも、アコースティック・ギターでの英国フォークの奥深い趣も漂っていることも大きな特徴です。当時はまだブルース・ロックが中心だった時代、その中で登場した完成度の高さを誇る本アルバムの登場は実に衝撃的でした。進化したライブ・パフォーマンスも後続バンドに様々なヒントと大きな影響を与え、功績の偉大さには感服するばかり・・。さてさて・・、今回記事のラストナンバーは、RW自身の狂熱LIVE「胸いっぱいの愛を」(2009at高田馬場)で締めさせて頂きます。友人達からは、騒音一杯の「胸やけいっぱいの愛」と揶揄されている洋楽カラオケでの恥姿、気分を悪くされませぬように・・。ご迷惑をおかけいたしまして <(_ _)> 申し訳なし~! (苦笑)

「レッドツェッペリンの過去特集記事」(2009.4.18公開)はコチラから






★(151)マービンゲイ 「ホワッツ・ゴーイン・オン」 (1971年) (2016.7.24公開)



c0119160_21573756.jpg今回はニューソウル(美しく独創的なブラックミュージック)の先駆者「マービン・ゲイ」を紹介したいと思います。黒人アーティストへの思い入れは比較的薄いRWですが、中学生時代(洋楽を聴き始めた頃)に彼が歌い上げた名曲「ホワッツ・ゴーイン・オン」(1971)は「大人のソウル音楽だなア~」と感銘し今も心に深く刻まれています。ローリングストーン誌が歴史上で最も偉大な100人のシンガーにおいて第6位に選んだマービンはダイアナ・ロスとのデュエット曲「ユー・アー・エヴリシング」(1974)や1983年グラミー賞に輝いた名曲「セクシャル・ヒーリング」(1982・全米3位曲)等の名曲でも有名で、皆様も彼の名前を一度は耳にしたことがあるでしょう。1939年米国ワシントンD.C.で牧師の息子として生まれ、教会でゴスペルと出会い彼の音楽人生は始まりました。1961年デビュー、「プライド&ジョイ」(1963)と、タミーテリルとのデュエット曲「Aint No Mountain High Enough」(1967)(全米トップ10に入るヒット)で徐々に頭角を現していきます。そしてついに「悲しい噂」(1968)がビルボード全米No1となり完全にメジャーシンガーの地位を築き上げて行ったのです。1970年に入ると彼は社会派歌手に転身、ベトナム反戦や社会問題(公害・貧困)を取り上げていくようになります。1971年に発表したコンセプト名盤「ホワッツ・ゴーイン・オン」は黒人初のメッセージアルバムであり、主題歌(冒頭掲載)は詩の内容や美しいサウンドが高い評価を得てついにトップアーティストとして不動の地位をGETしたのです。第2黄金時代を迎えたマービンは「レッツ・ゲット・イットオン」(1973)や「アイ・ウォントユー」(1975)など、私小説的な内容の作品を数多く生み出し「ニューソウル」という新しい音楽分野を確立していきました。1970年代後半は公私共に低迷し薬物依存・破産でどん底状態に陥ったものの、1980年代は再び復活したことは実に嬉しいことでした。1983年には、当時飛ぶ鳥を落とす勢いのマイケルジャクソンやスティーヴィーワンダーを抑えてグラミー賞に輝いたのですから・・。そんな波乱万丈の人生を送ったマービンゲイ・・、1984年自宅で両親の喧嘩を仲裁した際に父親と口論になり激昂した父が拳銃を発砲、銃弾2発が胸部と肩に命中し突然人生を断たれる運命に遭遇してしまうのです。本当にショックなニュースでした。拳銃は皮肉にも彼が父親にプレゼントしたものだったとのこと。何たる悲劇・・、「終わりよければ全てよし」の正反対の人生終幕ではないか!余りにも悲しい人生の終焉を迎えてしまったマービンでしたが、RWにとっては彼に与えてもらった思い出の名曲を忘れることはできません。LASTは「ホワッツ・ゴーイン・オン」と同じ香りが感じられる1970年代初頭の名曲「マーシー・マーシー・ミー」」(1971)で締めたいと思います。

  by rollingwest | 2003-04-01 00:00 | 洋楽(ロック・POPS) | Comments(128)