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「My Favorite Songs」(第29巻)

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★(158)ハンブルパイ 「ほら穴の30日」 (1972年) (2016.11.8公開)



c0119160_15423910.jpg1970年前期、ロック史に輝く名盤「スモーキン」を残した伝説的な英国バンド「ハンブルパイ」を紹介したいと思います。活躍当時からすでに40数年が経っており、今やその名前を知る人は少なくなってきたと思われますが、ピーターフランプトン(1976年「カムズ・アライヴ」で全米10週連続No.1メガヒットを記録)が在籍したバンドと聞けばピンとくるかも知れません。しかし彼らの最大名盤(5作目)はピーター・フランプトンが脱退後に生み出されたもの、実質的な単独リーダーとなったスティーブ・マリオットが主導して黒人的な音楽性を強めており、ブルースロックバンドとして栄光の地位を築き上げました。上記に掲載した彼らの代表曲「ほら穴の30日間」(本名盤からのヒット曲でMR.BIGもカバー)は、フリーの「オールライトナウ」にちょっと似た感じを受けるネ~。アルバムの冒頭曲「Hot'N Nasty」はスティーブ・マリオットの凄まじいパワー溢れるソウルフルな歌(レイチャールズやアレサ・フランクリンを意識?)が炸裂しており最初から圧倒されます。次に登場する「フィクサー」はハードなナンバーで、新加入したデイヴ・クレムソン(元コロシアム、ピーターフランプトンの後釜)が凄腕なギターを唸らせています。「ユア・ソー・グッド・フォー・ミー」は珍しく落着いたアコースティック調に流れる中で歌う米国南部R&Bとカントリーを混ぜ合わせたような感じの曲。続いてはお得意のブギにアレンジしたストレートなロック・ナンバー「カモン・エブリバディ」、そして彼らのブルースロックの真骨頂は「アイ・ワンダー」、ブルースフレーズのギターが唸る中で衝撃的なマリオットのソウルフルな叫びが炸裂する名曲です。その後1973年「イート・イット」などの名盤も生み出し、ツアー中心の活動を継続していきましたが、絶え間ない移動によりバンドメンバーはすっかり疲れ果ててしまい1975年に解散してしまいました。90年初めにマリオットとフランプトンでの再結成の機運が高まったのですが、その直後にスティーブ・マリオットは自宅の火事で焼死(享年44歳)、唯一無二とも言える独特の歌声はもうこれで聴けなくなってしましました。最後の締め曲、小生のお気に入りの重厚なロックナンバー「スイート・ピース・アンド・タイム」で締めたいと思います。1970年代前期、最高のブリティッシュ・ハード・ロックバンドとして彼らの功績はいつまでも語り続けられるはずと信じています。


⇒次回は、1970年代の名バンド「フリートウッドマック」が栄光ブレイクする契機の名盤「ファンタスティック・マック」から「リアノン」(1975)をお送りします。 ♪\(^◇^)/♪




★(157)ポール・デイビス 「アイゴー・クレイジー」 (1977年) (2016.10.23公開)



c0119160_10564749.jpg大学2年生が終わり3年生が始まる1978年の春、引っ越したアパート(中野区沼袋)で新生活を始めた頃に毎日部屋のFENラジオから流れ続けていた美しいバラードがポール・デイビスの「アイゴー・クレイジー」でした。この曲は地味な雰囲気ながらFENで何度も何度も繰り返し流されており、繰り返し聴いていくとその良さ・味わいが日増しに浸み渡り大のお気に入り曲となっていました。毎日ラジオに耳を傾けながらも、すぐに消える一発屋のスマッシュヒットだろうと思っていましたが、トンデモナイ・・これからが真骨頂の名曲伝説が始まります。3月にヒットチャート初登場して以来、その後半年以上もランクインし続けるという驚異的な記録を打ち立てたのです。米国チャートの最高位は7位でしたが、3週間連続で同順位をキープ、その後もしぶとくトップ40以内に残り続け在位25週、Hot100位以内では40週間もチャートインした異例の超ロングセラーを記録しました。日本では1981年公開された映画「なんとなく、クリスタル」(原作:田中康夫)の主題歌として使われてリバイバル・ヒットした曲として覚えている方が多いのかもしれません。AORブームでのパステルカラー調の曲なので、彼はどんな人なのだろうと調べてみたら、1969年「ミシシッピ・リバー」でデビューした頃は南部ソウルのバンドをバックにして泥臭い感じなので実に意外でした!そしてその姿(今回初めて認識!)を見てイメージが全然違う・・、レオナルド・ダ・ビンチの絵画に描かれていそうなしぶくて哲学的なお顔ではないか!初期はカントリー色が強かったのですが、1977年に発表されたアルバム「Singer of Songs: Teller of Tales」からはイメージを一新、上記曲と「スイート・ライフ」「ダーリン」の3枚のシングルがヒットし一挙にブレイクしたのです。そして80年に入ると垢ぬけたAORナンバー「You Came To Me」(1981)や後期最大の名曲「クールナイト」(1982:LASTで掲載)、そして軽快ナンバーでブリッジ部分のアカペラが素晴らしい「パステル・メッセージ(DO RIGHT)」(1982)等がヒットしてこの頃はもう完全にAORシンガーとしてお洒落な音楽ジャンルの成功者として輝きを放ちます。しかし残念ながら・・・、ポール・デイビスは、2008年に60歳の若さで他界してしまいました。大人のための音楽を奏でることの出来る数少ないシンガー。Hot100位に40週間もチャートインし続けたというPOPS史に残る静かな快挙を成し遂げた隠れた名アーティストの優しい声は、RWの懐かしき青春時代の思い出の名曲として一生脳裏に焼き付けられています。最後は80年代の彼の名曲「クールナイト」(1982)で締めることに致しましょう。




★(156) プロコルハルム 「青い影」 (1967年) (2016.10.8公開)



c0119160_21563026.jpgプロコルハルムの「青い影」・・、21世紀も10数年が過ぎた今では、ほぼ半世紀前に大ヒットした荘厳さ漂うオルガンが流れる美しきこの名曲を知る人はかなり少なくなってきたような気がします。40年程前では誰もが知る美しき洋楽のスタンダードナンバーでしたが、今や還暦前後のマニアックな洋楽趣味者のみ知る化石的な位置付けとなってきたのかも・・。昔は独身寮祭や青婦人部ダンスパーティ(今や死語)・ディスコのチークタイムで流れる定番曲は、つのだひろが歌う「メリージェーン」orプロコル・ハルムの「青い影」が双壁というイメージも残っています。やはり「彼らの曲は「青い影」しか思い浮かばない・・、一般的には本曲だけの一発屋と認識している方が大勢なのではないでしょうか。彼らの2曲目シングル「ホンバーグ」(1967)も殆ど無名曲ですし、実際にそれ以降ヒットナンバーは殆どなきに等しいので当然その様に認識されるのは致し方なきこと・・。しかしプロコルハルムとは洋楽史において、実はプログレシッブロック分類で位置づけられています。(エッ?と驚く方が多いと思いますが・・) ゲイリー・ブルッカー(ピアノ)とマシュー・フィッシャー(オルガン)のツイン・キーボード編成でクラシック的要素を融合させた独特の音作りをした先鋭バンドであり、「In Held 'TWas in I」「Shine on Brightly」などを擁する2ndアルバム「月の光」(1968年)、POP作風を指向した3rd盤「ソルティ・ドッグ」(1969年)は初期の2大佳作と評価されています。「シンプルシスター」(1971)を聴くと、シカゴ「長い夜」のイントロか?と一瞬思わせますが、プログレ世界へ誘われる壮大なロック組曲風となっています。そして1973年にリリースされた7th盤「グランド・ホテル」は、ロックとクラシックを融合したロココ調の大作で、彼らの金字塔的な名盤と呼ばれているのです。ホテルを退廃的な物質文明(西欧文明)の象徴と見なすコンセプチュアルな歌詞と、重厚華麗な演奏が特徴で「ファイアース」「ラム・テイル」などの名曲を生み出しています。1975年にもある程度の商業的成功を収めましたが、「もう全てやり尽くした」というゲイリーの判断で1977年には解散を迎えています。実験精神が旺盛だった先進的なシンフォニックロック英国バンドだったにも関わらず、日本ではやはり「青い影」のイメージが強過ぎてそれ以外は話題に上らないのもちと寂しい・・。しかしこんな風に自己独特路線を貫いたと言う点ではロック史において実に個性的な存在だったのかも・・。「青い影」だけの一発屋ではなくプログレの伝説的バンドだったことを皆様に知ってい頂いただけでRWは大いに満足でございます。ラストは1970年代プログレシーンを代表する至上傑作の主題曲「グランドホテル」で締めたいと思います。





★(155)パット・ベネター 「ウィ・ビロング」 (1984年) (2016.9.23公開)



c0119160_9445127.jpg1980年代の洋楽にはあまり拘りがないRWですが、「パット・ベネター」は1981年から5年連続でグラミー賞(女性ロック部門)の栄誉に輝いたアーティストなので印象が強く残っています。AORやフュージョン等お洒落な音楽全盛期の中で、女性がハードロックナンバーをパワフルにシャウトする姿が何か貴重な存在に思えたものです。彼女の曲は全般的に1980年前後が好きなのですが、今回の冒頭掲載は1984年「ウィ・ビロング」(6th盤「トロピコ」)といたしました。何故ならRWの洋楽興味は、1985年(ウイアー・ザワールドの頃)で殆ど失われてしまい、そんな黄昏時期にヒットしていたPOPなハードロックバラードというイメージで印象に残っているからです。「ウィ・ビロング」は、POPでセンスのあるシンセサイザー・イントロとアコースティック伴奏(素晴しいアレンジ)が実に魅力的、ノりのいいビートリズムと彼女の声量ある力強い歌声と、澄んだバックコーラスがバランスよくコラボしており大好きな曲です。パット・ベネターの本名はパトリシア・アンジェイエフスキーというチト堅苦しく長ったらしいお名前らしい。(意外!) その苗字の通りポーランド系米国人で1953年生まれ厳格な両親のもとで育ったお嬢さんだったとのこと。幼少時からオペラ声楽とクラシックを勉強させられた教育方針に反発して、芸能界入り(初めはナイトクラブのハードロック歌手で活動)した経緯を初めて知りました。1979年に1st盤「真夜中の恋人」でデビューし、初シングル「ハートブレイカー」がヒット、声に張りがありでストレートに伝わるシャウトの歌唱力、色気も持ち併せた女性シンガー(当時はハートの様なバンドだと・・)が現れたな~と思ったものです。そしてついに2nd盤「危険な恋人」(Crimes Of Passion)は、全米最高位2位(500万枚セールス)の大ヒットアルバムとなり、シングルカットされた「強気で愛して」(Hit Me With The Best Shot)」(1981)、も初のTop10入りして何とグラミー賞を獲得したのです。3rd盤「プレシャス・タイム」収録曲からは「見つめあう夜」(Promises In The Dark)(1981)や「ファイアー&アイス」(1981)がヒット、この年あたりからケバイ印象が薄まり比較的素に近い形でメロディアスなボーカルをとっているのが印象的。間奏でかっこよくギターを弾いているのが、彼女の夫ニール・ジラルドで作品の初プロデュース役としても頭角を現しています。さらに「愛の嵐」(1983)は全米5位とまさにこの頃が彼女の黄金時代!7th盤からのシングル「インビシブル」(1985)もパットRock真髄の熱くカッコいい曲、軸がブレない芯の強さが彼女の魅力です。小柄で華奢な身体から 出る物凄くパワフルな歌声、ライブではドスの効いた迫力のある地声でガンガン押してくるようです。80年代初頭の正統派ロックシンガーで女性ヴォーカルはパット・ベネター以外考えられなかった印象です。シャウトする場面でも囁くような場面でも 元々のポテンシャルが高いということなんでしょう。この才能もオペラ歌手も経験させられた両親の厳格な教育の賜物だったのかも・・。最後は彼女の代表曲「シャドウ・オブ・ザ・ナイト」(1982)で締めることと致します。

  by rollingwest | 2003-05-23 00:00 | 洋楽(ロック・POPS) | Comments(114)