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「My Favorite Songs」(第33巻)

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★(170)ビートルズ 「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」 (1967年) (2017.5.17公開)



c0119160_20150173.jpg2年前からビートルズ中期以降名盤の50周年特集記事をスタートさせました。2015年10月に「ラバーソウル50周年」、 2016年1月は来日50周年特集として「武道館コンサート演奏11曲」、そして2016年6月は「リヴォルバー50周年」の名曲レビューを公開してきましたが、今年5月末はいよいよビートルズの最高傑作と呼ばれる「サージェント・ペパーズ・ロンリーハーツ・クラブバンド50周年」の執筆を迎える時期となりました。さて・・冒頭曲は何をチョイスしようかと迷っていましたが、5月26日発売の「サージェント・ペパー50周年記念エディション」(34曲以上の未発表音源も収録された2枚組)の豪華プロモーションビデオを発見!名盤主要曲のエッセンスが短く効果的に折り込まれており、これを採用することにしました。偉大なるビートルズが50年前に世界を驚嘆させた名盤「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」(1967.6.1発売)、この想像力に富んだコンセプトアルバムが後進の著名バンド達に与えた影響・偉大な功績は本当に計りしれません。ロック史に輝く金字塔が発売50年を迎えて名曲の数々ををあらためてレビューしたいと思います。まず最初は、ビートルズのトリビュートバンド世界NO.1と評価される「ザ・ファブ・フォー」(The Fab Four)が演奏する「サージェント・ペッパーズ・ロンリーハーツ・クラブバンド」~「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・マイフレンズ」の連続曲画像を紹介します。本物のビートルズじゃないのにRWはこのユーチューブに大感動!実際のアルバム冒頭を飾るバンドデビュー曲(ペパーズクラブの観衆にお披露目)が見事に忠実再現されているではないか~!演奏曲もサイケデリック衣装もまさに本物そっくり!2曲目はリンゴのボーカルと3人のコーラスも実にいい感じ!ビートルズ自体がこの時期はライブ活動を封印していたのでまさかこんな映像が見られるとは思いませんでした。本当に素晴らし過ぎるお宝物映像です!次はエルトンジョンも歌った「ルーシー・インザスカイ・ウィズ・ダイアモンズ」、実際のアルバム曲とは微妙にアレンジが違いますがLSD体験曲とも呼ばれる不思議な世界が見事に映像で再現されています。宇宙へ浮遊するトリップ路線曲は後続サイケデリックバンドに影響を与え、やがてピンクフロイドなどのプログレシッブロックバンド発展への道を開いて行きました。続くはポールマッカートニー(先月5度目の来日)がソロで歌いあげる「ゲッティング・ベター」、このお方のお元気さは本当に目を見張るばかり・・!ミックジャガーと一緒に喜寿・傘寿まで頑張っていそうな両巨頭です!続くはRWが本アルバムでの最大美曲と称賛する「シーズ・リヴィング・ホーム」・・、もしシングルカットされていれば「イエスタディ」「エリナーリグビー」に匹敵する名バラードとして評価されていただろうに・・。「ウィズイン・ユー・ウィズアウト・ユー」はインド音楽と融合したジョージハリスンの最大象徴曲(シタールとタブラが織りなす妖しい雰囲気)です。ポールがリードボーカルをとる「ラヴリー・リタ」は女性の交通取締官(メーター・メイド)と引っかけて歌うお茶目曲。RWが洋楽に嵌ったのは1969~1970年(ビートルズ解散の年)であり映画「レットイットビー」が公開された時期でした。我々はビートルズが世界を席巻したリアルタイム熱狂期には数年遅れていますが、彼らの解散でビートルズ最後のブームに直面した世代です。1970年を基点とした前後の数年間に青春時代を迎えリアルタイムで日々ロックの進歩に興奮し体感できた幸せなジェネレーションだと感謝しています。この時代こそ、ロック歴史において最も進化発展した時代だったのです。そしてフィナーレは・・、やはりサージェント・ペパーズの有終の美を飾る壮大なるコンセプト名曲「ア・デイ・インザ・ライフ」で締めるしかありません。ポールとジョンが織りなす壮大なるドラマチックな展開曲、その重層的に織りなされたスケール・高揚感、何度聴いても飽きることはありません!洋楽カラオケでは、アビーロードB面メドレーと並びRWのアドレナリンが出まくる最も興奮する永遠の名曲・・!「サージェント・ペッパーズ・ロンリーハーツ・クラブバンド」・・、これからも生涯聴き続けるであろうロック史の金字塔名曲、50年目にしても全く色褪せていないなあ・・とあらためて感動します。
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⇒次回は、1970代の黒人ファンクバンド「クール&ザ・ギャング」が1980年代に放ったバラード美曲「チェリッシュ」(1985)をお送りします。♪\(^◇^)/♪







★(169)J・ ガイルズ・バンド 「堕ちた天使」 (1982年) (2017.5.1公開)



c0119160_10530706.jpg今回の記事、当初は昨年亡くなったプリンスの一周忌・追想特集(代表曲:パープルレイン・1984)を予定していたのですが、ユーチューブの公開制限(著作権申し立て)が厳しくて名曲を殆どチョイスすることができず記事作成をついに諦めました。そんな折、先月J・ガイルズの訃報(享年71歳)を知り、急遽予定を変更して1980年前後に活躍したJ・ガイルズ・バンドの名曲特集に切り替えたいと思います。冒頭曲は何と言っても彼らの代表曲「堕ちた天使」(Centerfold)、全米1位を記録した定番の有名曲なのでこれは外せないでしょうね~!「ナ・ナ~ナ・ナナナ、ナナナ~ナナナ、ナナ~ナ!」と能天気チックでおとぼけ調のサビ部分は日本国内でもTVCMに何度も使われておりサブミリナル効果で皆様の脳裏に刻まれている曲だと思います。歌詞をみると昔学生時代に憧れていた同級生がエロ本のヌードを晒しているのを発見し「俺の天使が堕落した・・(†∩†)う゛ぅ」と嘆く内容らしい。(苦笑) その次に有名なヒット曲は「ラブスティンクス」(1980)ですかね~!こちらは迫力あるサウンドで正統派ロックをやっております。両曲が全米大ヒットを放つまで、日本において彼らは全く無視されていた感がありますが、RWにとってはJ・ガイルズ・バンドに夢中になった象徴曲はイントロが実にカッコよく乗りいいリズムの名曲「ワンラストキッス」(1978)でした。当時は大学3年生、アメリカンTOP40曲を流し続けるFENラジオに齧りついてこのカッコいいナンバーを毎日聴きまくっていたものだなあ・・。J・ガイルズ・バンドは米国ボストンで1967年に結成されたブルースロックをメイン演奏するライブバンドでしたが長らく芽が出ず、1975年に「マスタ・ガット・ロスト」(1975)が全米ヒットとなり漸く世に知られる存在となりました。RWはこの頃の70年代サウンドが一番好きですね~!このバンドの売りといえば、饒舌なピーター・ウルフのロック魂溢れるヴォーカル、マジック・ディックの豪快なブルース・ハープ、後期のバンドの音を支配したセス・ジャストマンのキーボード・・・ですが、リーダーであるはずのJ・ガイルズの名前は殆ど出てこず目立たない存在でした。70年代は目立ったヒットは少なかったですが、80年代に入ると乗りのいいPOPなロックナンバー「ジャスト・キャント・ウェイト」(1980)や彼らの代表曲の一つ「カムバック」(1980)でヒットチャートを賑わしていきました。そして1982年は彼らの頂点を極める時代へ!冒頭紹介した「堕ちた天使」が6週間連続全米NO1を達成し、オールディズな雰囲気なアップテンポの楽しいナンバー「アイ・ドゥ」(1982)やMTV映像で楽しくPRした「フリーズ・フレイム」(1982)と次々にヒット曲を放っていました。派手なギターがベースなのは変わらなくても、シンセサイザーが前面に出ることが多くなり、サウンドの印象は大きく変わったことに、R&B色の濃いロックンロールサウンドを愛する古くからのファンからは反発を呼びました。まあ1980年代って、売れてナンボ・・音楽スタイルの変化は当然の時代だからしかたがないか・・(苦笑) その後は低迷期に入り2000年以降に再結成してライブ活動が再開されましたが、J・ガイルズと他メンバーとの確執が生じ、ガイルズから「自分の名前が付いたバンド名を使用するな」と訴訟対立の事態になってたいたとは意外なことでした。そんな仲違いをしたままだったピーター・ウルフは訃報を聞いた4月13日、「俺らが最高潮になって満場をうならせたあの時期を思い出している。J・ガイルズよ、永遠に・・」とフェイスブックで追悼しており、和解しあいたかった後悔の念もあったのでしょう・・。最後の締め曲は、「悲しみのエンジェル」(1981)・・、全米40位に輝いた名バラード曲は実に素晴しい!コーラスやブラス・セクションをバックにピーター・ウルフがソウルフルに美しいメロディー曲を歌い上げています。冒頭が「墜ちた天使」で始まったので最後は「悲しみのエンジェル」で締めることにします。哀悼、J・ガイルズ殿・・(合掌)






★(168)ピンクフロイド 「夢に消えるジュリア」 (1968年) (2017.4.15公開)



c0119160_7401522.jpg今年はピンクフロイド結成50周年!1970年初頭のプログレシッブロックに嵌っていたRWは、70年代の歴史的名盤「原子心母」(1970)と、長大な代表曲「エコーズ」が展開される最高作「おせっかい」(1971)を過去2回レポートしてきましたが、今回は彼らの原点・サイケな初期(結成直後)のピンクフロイド(1960年代)の名曲を満載紹介したいと思います!上記掲載の「夢に消えるジュリア」(1968)は、ピンク・フロイドの初来日(1971年・箱根LIVE等)に併せて来日記念盤としてリリースされました。その前年(1970年)「原子心母」(Atom Heart Mother)が大ヒットし一躍「プログレ・ロックの寵児」として世界にブレイクした彼らは、これ以上ない絶妙なタイミングで初来日し、一挙に日本でも大人気を博したのです。神秘・夢幻なムードを持つこの曲は大ヒットし深夜ラジオで毎日のように流れていたことが懐かしい・・。ちなみにシングルB面は小生が最も愛する隠れた名曲「サマー68」(原子心母の収録曲、牧歌的かつ壮大な展開)で、ステレオ針が擦り切れるほどEPレコードを聴いていたものです。プログレロックの代表格・四天王と称賛されるピンクフロイドですが、初期はサイケデリックバンドでした。彼らは「アーノールド・レイン」(1967)のシングルヒットで颯爽とデビュー、そして2枚目のシングル「シー・エミリー・プレイ」(1967)が全英6位に登場し一躍「サイケ先進バンド」としてロックシーンに知られる存在となったのです。同年、1st・アルバム「夜明けの口笛吹き」を発表、その第1曲は「天の支配」(Astronomy Domine)(1967)、幻想的なギタープレイを絡めた独特の浮遊感でアルバムお披露目を果たしています。「バイク」(1967)はアップテンポのボーカルで始まり、振り子時計ワールドが奏でられるサイケミュージック。「星空のドライブ」(1967)はLSDで宇宙トリップ体験するようなスケールの大きいインストゥルメンタル曲です。当時のリーダーは狂気の天才シド・バレット、彼はビートルズ「サージェントペッパーズ」(同年発表されたロック史に輝く金字塔名盤)に大いに影響を受け初期ピンクフロイドを牽引し、当時はシドのワンマン・バンドとしてサイケサウンド曲が満載だったことがよく解ります。しかしシドは過度のLSD摂取によって奇行が目立ちバンド活動に支障をきたし始めたため、翌1968年にデイヴ・ギルモアが彼の役割を補う形で加入し一時的にフロイドは5人編成となりました。シドの薬物中毒は重症であり1968年3月にバンドを脱退、ついに狂人と化してしまいました。ロジャー・ウォーターズ、リック・ライト、ニック・メイスン、デイヴ・ギルモアの4人で再出発したピンクフロイドはサイケデリック・ロックから脱却し、2nd盤「神秘」ではより独創性の高い音楽を目指す方針転換を目指します。「ユージン斧に気をつけろ」(1968)が収められた「ウマグマ」(1969)は相当難解な印象を受けますが、浮遊感・倦怠感・幻想的なサウンドへトライしている姿勢が窺えます。ピンクフロイドは常に中期ビートルズを意識し憧れ成長変化を重ねていったバンドなのかもしれません。「ポイント・ミー・アット・ザ・スカイ」(1968)は、ビートルズの「ルーシー・イン・ザ・スカイ」(SGTペッパーズ収録)を疑似した様なサイケデリックを受け継いだ隠れたお宝物曲です。最後は、デイブ・ギルモアが奏でる2nd盤「神秘」からの壮大名曲「追想」(remember a day)(1968)で初期ピンクフロイド特集記事を締めたいと思います。



 

  by rollingwest | 2003-09-01 00:00 | 洋楽(ロック・POPS) | Comments(148)