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<2013年10月>2012山陰山陽の旅④:「出雲大社&伊勢神宮」(日本神話に潜む謎の関係)

                          山陰山陽(その1):「鳥取風景~出雲・神話の里」


★久しぶりに出雲の旅記事レポート

昨年11月に訪問した「山陰・山陽の旅」は今年1~3月でシリーズ3編をレポートして以来、すっかり御無沙汰状態。今年5月、出雲大社が60年ぶりの遷座祭を無事終えて大国主大神が本殿に再鎮座。
今度は伊勢神宮が10月に20年ぶりの式年遷宮を迎えることから第4編記事を紹介します。


   ......(左)昨年11月に訪ねた「出雲大社」の拝殿 (右)今年5月、改修が完成した大社本殿....
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   .....5月は出雲大社「本宮遷座祭」、大国主命が無事に仮殿から本殿へと引っ越された....
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伊勢神宮遷座の制度は約1300年前に天武天皇発意を起源とし690年持統天皇のもとで第1回目が斎行されました。戦国時代に一時中断があったものの、現代まで連綿と継続され10月に第62回式年遷宮(2日内宮、5日外宮)が行われます。20年ぶりに「唯一神明造り」の神殿が再び生まれ変わる!

                                      伊勢神宮(2010年訪問)

       ......伊勢神宮では20年ぶりの遷宮がいよいよ10月初めに執り行われる....
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20年に一度の意義は何でしょう。人生では1つの区切り、神宮神殿は常に新しく変わらぬ姿を求め造り替えることにより永遠を継承します。神殿造営の技術伝承、神宮の崇敬・威厳を継続で保っていくためには丁度いい間隔なのかもしれません。そして伊勢神宮と出雲大社には深い因縁があるのです。

                         山陰山陽(その3):「出雲大社・60年ぶり大遷宮」
 




★「出雲の阿国」(歌舞伎創始者)&「神々の縁結び会議」神社を訪問


さて出雲大社の参拝(上記・その3参照)を終え、次は「神在月」(旧暦10月)に全国の八百万の神々が出雲の国に上陸する「稲佐の浜」へと向かいますが、その途中に幾つかの見所がありました。


      ......スサノオが祀られる「素盞社」や大注連縄「神楽殿」を参拝し出雲大社を後にする ....
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出雲大社から稲佐の浜に向かう途中左手に歌舞伎創始者とされる女性「出雲阿国」(izumo・okuni)の墓がヒッソリと佇んでいます。彼女は、安土桃山時代の芸能者(白拍子)で「ややこ踊り」を基にしてかぶき踊りを創始した事で知られ、この踊りが様々な変遷を得て現在の歌舞伎み繋がっています。


   ......「出雲阿国」の墓、彼女が京都四条河原で演じたかぶき踊りが歌舞伎のルーツ....
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元々彼女は出雲大社に仕えた巫女だったらしい。紆余曲折の末に大道ピン芸人としてドロップアウトしてしまったのかも・・。しかし見世物踊りが今や歌舞伎となり世界無形文化遺産として大繁栄しているとは・・。阿国様も今年4月、東銀座にリニューアルオープンした歌舞伎座を見たらビックリ仰天することでしょう。


 .....(左)江戸時代の歌舞伎繁栄図 (右)今年リニューアルの歌舞伎座、団十郎・勘三郎は無念でした....
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稲佐の浜に向かう途中には奉納山公園が現れます。ここに鎮座するのは「荒神社」と「上の宮」。神在月(旧暦10月)は日本全国の八百万の神々が出雲に参集し、7日間に渡って縁結び会議が行なわれます。神々は出雲大社境内の十九社で宿泊し、この「上の宮」内に神々の会議室があるのです。


    ......(左)神々の縁結び会議は「上の宮」で開催 (下)出雲大社の境外摂社「荒神社」....
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神在月(出雲以外は神が留守で神無月)になると全国の神々は稲佐の浜に上陸し出雲に集結します。この時に「神迎祭」なる神事(今年は11月12~19日開催)が行われ、夕刻、浜で御神火が焚かれ、注連縄が張り巡らされた斎場内に神籬が置かれ、龍蛇神(セグロウミヘビ)が神々の先導役を担います。


       ......今年は11月12日から行われる「神在祭」。全国八百万の神々が出雲に集結....
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因みにセグロウミヘビとは対馬海流に乗って石見・出雲に旧暦10月に北上してくる猛毒の海蛇で、出雲(海人族)では「龍蛇神」として崇められており、出雲大社や大神神社(大和)の御神体となっています。
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★日本神話「国譲りの舞台」となった「稲佐の浜」に立つ


そして遂に憧れの「稲佐の浜」に降り立ちました。何と感動的な光景・・!遠浅の浜に連続波が次々に寄せる水平線上には石見の山々、秋の青空には雲が輝きその合間から何筋もの光が海面に降臨している。波打ち際には神々しい屏風岩が鎮座。まさに八百万の神々が上陸する浜に相応しい・・。


   ......「稲佐の浜」へ!次々押し寄せる波、遥か彼方に三瓶山や石見の山々、威厳の屏風岩....
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出雲大社参道脇には、幸魂・奇魂を大波とともに迎え入れる大国主像がありましたが、稲佐の浜での儀式だったのでしょう。この地には正に大国主が築き上げた偉大なる出雲の繁栄があったはず。


    ......(左)大国主は海から幸魂・奇魂を迎え入れた (右)神々の会議場所「上の宮」....
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ここは古事記・日本書紀にも語られる「国譲り神話」の舞台でもあります。当時、出雲の大国主は「葦原中ツ国」(日本の昔の呼び名)の国造りに励み「偉大な国の主」と呼ばれていました。そこに天照大神が率いる高天原族が大国主に国の支配権を譲るように迫りついに承諾させたという有名な神話


      ......神降り立つ「稲佐の浜」はまさに眺望が開けた大絶景!特別なオーラを感じる....
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高天原では天照大神が強い嫉妬心に駆られていました。「ムカツク~!私の弟だけどデキの悪い暴れん坊【スサノオ】の子孫(大国主)が、何で瑞穂国(日本)を治めて偉そうな顔をしているの?我々の威厳を見せるために出雲を脅して支配下に入るように折衝してらっしゃい!」と強烈な指令が下りました。


      ......天照大神が出雲に迫った「国譲り神話」(古事記)、実は大和政権の動きに重なる....
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最初は天穂日命、次に天稚彦が国譲りの交渉役に遣わされますが、両者とも大国主に懐柔され高天原に帰って来ない。激怒した天照大神は武甕槌神(鹿島神宮の軍神)と経津主神(香取神宮の軍神)を派遣して、稲佐の浜に剣を突き立てて国譲りを迫る(軍事力で圧倒)という強硬策を取りました。


    ......天照大神は鹿島神宮(左)の軍神「建御雷神」を派遣し、出雲に軍事圧力をかけた.....
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                                「鹿島神宮・香取神宮」(2010年秋訪問) 


大国主は抵抗しても勝てないと判断し、息子二人に意見を求めます。長男・事代主神は国譲りに承諾しますが、次男・健御名方神は猛反対し武甕槌神と力競べで雌雄を決することに・・。完膚なく敗退した健御名方神は、今後蟄居しますと平伏謝罪し諏訪に敗走。今は諏訪大社の神様となっています。


  ......(左・中)次男「建御名方神」は最後まで抵抗したが敗れて諏訪に逃げる (右)手締めの図....
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古事記では国譲り決着で事代主神が柏手を打って承知したという記述があります。手を打つ(妥協・決着)というこの動作が、一件落着・手締めのルーツとなっているのです。この決着にあたり、大国主は天照大神に対し「天にも届くような大神殿を出雲に建ててくれるならば国を譲ろう」と了承しています。


     ......かつて出雲には天にも届くような大神殿があったと伝承される。その真実は・・?....
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本当にこんな円満な話だったのでしょうか?高天原・天照大神とは大和朝廷(現・天皇家祖先)であり、大国主(出雲で繁栄を極めた地元豪族)を武力制圧し軍門に下らせ領地を強奪したと推定されます。史実を神話として美化したに違いない・・。列島の支配者としては最初に出雲族が存在し、国内に大勢力を持っていた出雲文化圏を大和政権が軍事で征服し抹殺したのではないかと考えられます。


 ....大神神社(大和)から見ると、伊勢神宮(天照大神)は日の出、出雲大社(大国主)は日の入り....
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大国主は天照大神に対して、国譲りに譲歩する条件として出雲大神殿建築の他に「現世の政事は皇孫に任せるので、私は幽界で神事を治めることにしよう」と和解していますが、ここに日本神話の捏造がありそう・・。祟神天皇時代まで大和・大神神社では、天照大神と大国主(大物主)が一緒に祀られていましたが天災疫病が次々発生。天照大神は「こんな所にいたくない!新神宮を探せ」と命じます。


  ....「大神神社」(大和)にも大国主と龍蛇神が祀られる。伊勢遷宮理由は国譲りの恨み祟りが・・....
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2つの神を別々に祀るため巫女らは数々の地をリサーチします。垂仁天皇時代に倭姫命が遂に伊勢に辿り着き、太陽の光に満ち溢れ海産物も豊富な伊勢への遷宮を提案。天照大神は当地を大いに気に入り伊勢神宮が建てられたという訳です。しかしこの裏には国譲りに対する出雲族の祟りで大和政権は畏れ慄き、天照大神を伊勢に逃して出雲には大神殿を造営して祈ったことが真相と思えます。


   .....天照大神の使者「天穂日命」は出雲に懐柔されミイラ取りがミイラに・・。出雲国造家の祖に....
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出雲大社宮司は天穂日命(国譲りで高天原から交渉役派遣されたのに大国主命に心服)を祖とする出雲国造家のみが祭祀を担うことが許され、現在も皇室すら本殿内に入れぬ掟を守り続けています。実は、国譲りの祟りを呼んでしまった出雲豪族・地方神に対し天皇家の畏れ・遠慮があるのでは・・?


     ......武御雷神vs大国主・事代主神が国譲り交渉し妥結の手締めをした場所「屏風岩」....
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円満な国譲り・手締め神話の裏に、実はドロドロした豪族同士の抗争や祟り等の史実がありそうです。しかし今では「幽界神事を司る=人の縁を決める」と理解され、出雲大社が女性に人気が高い「縁結びの神様」として明るいイメージで復活しているのは何よりなこと。大国主もさぞ御喜びのことでしょう。


         ......稲佐の浜を後にして海岸道路を北上。いよいよ日御碕へ....
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★国引き神話、日没の神「日御碕神社」、日本海に沈む夕日絶景


もう夕暮れが近い・・。稲佐の浜を後にして目指すは本日最後の訪問地「日御碕」、ここに拘ったのも日本神話の主役「アマテラス&スサノオ」が祀られているパワースポットだからです。海岸道路を北上して行くと途中に日本海が俯瞰できる展望台があります。対岸には石見銀山(世界遺産)など島根の山々が!


     ......(左) 稲佐の浜・日御碕の地図 (右)石見銀山など島根の山々を日本海越しに見る....
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日本200名山「三瓶山」も海上に聳えている!「出雲国風土記」には国引き神話が記されており、ヤツカミズオミツノミコトが大山・三瓶山を杭代わりに綱をかけ、離島だった国を引き寄せ出雲国の面積を広げたと云います。国引きで継ぎ足された所は島根半島の付け根部分・・。だから島の根と呼ぶのか・・!


  ......国引き神話の綱杭となった「三瓶山」(sanpesan)、山を杭にして島根半島を綱で引き寄せた....
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出雲の最北・島根半島は東西に長く伸びており、西端に「日御碕」(hinomisaki)があり「日御碕神社」が祀られています。日御碕は別名「日沈宮(hisizonomiya)とも呼ばれ、古来から夕陽に餞の祈りを行う所でした。ここに天照大神が祀られているのも興味深い。Sunriseのイメージが強いがSunsetも・・


      ......(左)夕日に浮かぶ日御碕神社の外鳥居 (右)「日御碕神社」の楼門(優美)....
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小さな海辺町に立派な「日御碕神社」が見えてきました。神門を潜ると正面に朱色の拝殿「日沈宮」(天照大神が鎮座)、右手高台にはもう一つの拝殿「神の宮」(素盞嶋尊・スサノオノミコト)が日沈宮を見下ろすように祀られています。姉弟とはいえ性格の合わない2つの神が一緒に鎮座するケースは珍しい。


     ......(左)上の宮にスサノオが祀られ、(右)下の宮(日沈宮とも呼ぶ)にアマテラスが!主従逆転....
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規模は圧倒的に日没の宮が大きいものの、高さは神の宮に軍配。出雲では本来スサノオが優位ですが天照大神と両方に敬意を払っているのでしょう。お宮を出て漁港の方へ歩き進むと堤防前に巨大な岩礁島「経島」が見えてきました。この上には鳥居があり、かつてはここが日没の宮だったそうな・・


    ......(左) 夕日で輝く日御碕漁港 (右)経島(fumisima)の鳥居、8月に夕日祭りが開催....
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日の出(東)伊勢神宮が「日本の昼を守る」のに対し、日没(西)の日御碕神社は「日本の夜を守れ」との勅命を受けた神社、山陰の地名にしても、出雲は「夜を司る」という闇のイメージが・・。やはり封印された出雲の祟りを恐れた大和政権が当地をしっかり祈り上げておく必要があったのかもしれない。


       ......(左)上の宮から下の宮(日沈宮)を俯瞰 (右) 夕暮れに映える日御碕神社.....
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島根半島・最西端の断崖に聳える「日御碕灯台」は明治36年に設置され、高さは44m海面から灯塔上までは63mと日本一の高さを誇ります。その光は40km沖合まで達し、百歳を越えた今なお現役で海の安全を守っています。外壁は美しい石造り・内壁は煉瓦造りで施された特殊な二重構造らしい。


       ......白亜の「日御碕灯台」(世界の歴史的灯台百選)が夕日を浴びて浮かびあがる....
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丁度いい時刻に日の沈む西端岬に到着することができた!こうなったら天照大神様(太陽)が今日一日のお役目を無事終えSUNSETして、闇夜世界を支配する大国主様に任務をバトンタッチする瞬間までをシカと見届けようではないか!流紋岩で構成される隆起地形(海食台)には夕暮れの波音が響く・・


               ......日本海夕日に映える岩礁海岸、岩に砕ける波の音....
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海上には岩礁小島が点在し柱状節理や洞穴が見られますが、海底の大岩には何と人工的に彫られた階段・参道・祭祀跡があるらしい。これは沖縄県の世界遺産「斎場御嶽」に似ていると云われます。
ラブラブカップルを羨ましく横目に見つつ、中年オヤジRWは美しい日本海サンセットを一人で見届けました。


             ......(左)感動的な夕日を眺めるカップル (右)静けさの余韻が広がる....
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さていよいよ10月に伊勢神宮の式年遷宮が行われますが、出雲大社60年遷座祭(5月)も同じ年に重なったという奇遇には、やはり伊勢・出雲の切っても切れぬ深い因縁が潜んでいると感じました。


   ......伊勢神宮の新しい正殿完成!お披露目でお白石持ち行事も完了し、いよいよ遷宮へ!...
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日本神話の裏には一体どんな謎が隠されているのか・・と興味は深まるばかり。でも簡単に史実は明かされず、あれやこれやと想像しロマンが掻き立てられている状態が一番楽しいのかもしれません。


      ......(左)出雲・稲佐の浜では11月に神迎神事を迎える (右) 夕暮れの出雲大社鳥居....
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                                                       おわり

  by rollingwest | 2013-09-28 16:10 | 山陰・山陽の旅 | Comments(70)

<2013年8月6~9日>越後の奥深き名峰(後編):「越後三山」(駒ケ岳・中ノ岳)

猛暑の夏も過ぎて完全に秋を迎えていますが、8月越後の山記事(後篇)を・・

                                 (前編):奥只見の峻嶮峰「荒沢岳」より続く 



★【3日目】:越後三山の盟主「越後駒ヶ岳」(日本百名山)に登頂


年に2~3回、車で故郷へ帰省しますがその時の楽しみは車窓から数々の名峰が眺められることです。上州では「榛名・妙義・赤城」の山々、上越国境を越える時は「谷川連峰」、そして関越トンネルを抜けると「巻機山」に続き、魚沼地方(コシヒカリ名産地)の象徴「越後三山」の雄姿が右手に見えてきます。


  .....「越後三山」(左から駒ヶ岳・中ノ岳・八海山)雄姿、毎回感動するネ~(2010年3月帰省時)......
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越後三山とは「越後駒ケ岳・中ノ岳・八海山」の総称、この中で断トツに知名度が高いのは日本酒で有名な「八海山」!他2峰の名前は馴染みが薄いですが、「越後駒ケ岳」こそが三山の盟主的な存在(重厚さと貫禄に溢れる)。「中ノ岳」は最も標高が高く、中央部奥に聳えてアプ゚ローチが長く制覇が困難な山


  .......夏の越後三山(2009年8月帰省時)、魚沼・小出周辺の魚野川からの山容は特に秀麗!.......
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奥只見3日目は、「枝折峠」から「越後駒ケ岳」を登り「駒ノ小屋」に宿泊(3日目行程タイムは5時間)、4日目が「中ノ岳」をピストン(ほぼ空身状態)して下山しますが、当日は12時間を超えるロングコース・・。行程平準化したいけれど、夏場の「駒ノ小屋」は管理人常駐で布団も用意されている。装備軽量化で歩けるメリットを考えればこれ以外の選択肢はない・・。「奥只見山荘」で豪華な朝食を頂き、いざ出発!


      .......(左) 越後駒・中ノ岳へのアプローチは長大コース. (右)「枝折峠」を出発......
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「枝折峠」を7:45出発(昼過ぎに山小屋へ着けばよいので余裕コイテマス・・)、今日も朝からガスが立ち込めて快晴とはあいならず。木道が随所に現れるダラダラとした緩やかな道を登っていき小倉山へ・・


      ......明神峠を経由して小倉山へと向かう。ガスに煙る山道・木道を延々と行く......
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下りは大得意ですが登りは苦手のRWは、60代半ばの超健脚コンビに初めからドンドン離されていき、ほぼ単独行みたいな状態。明神峠・道行山・小倉山を過ぎ、蒸し暑さと重装備で早くも息絶え絶えになってきた・・。出発から歩くこと3時間半、漸く「百草の池」なるミニ湿原に到着。休憩をコマメに取ろう・・


    .......(左)「百草ノ池」というミニ湿原が出現 (右)遠ざかるにつれて手鏡の様な光景に......
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12時頃、前駒を通過。日差しも強くなりこの辺りが一番辛かった~!左手に雄大な山稜・残雪沢、そして遥か彼方に「中ノ岳」手前の突兀峰が見える!あの峰よりさらに先にあるのか、遥かな山だ~!


   .......(左)「中ノ岳」手前のピラミダルな峰が!(右)雄大な滝ハナ沢、雪渓やコバイケソウが美しい!......
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最後の辛い1時間を登り切り13時、今日の宿泊地「駒ノ小屋」に漸く到着。重荷を降ろし冷たい水で喉を潤して一息つきました。健脚2人は不在、多分今頃は「駒ヶ岳」の頂上にいるのでしょう・・。小生も遅れてはならじと駒ヶ岳頂上を空身で目指します。駒ノ小屋から山頂までは片道30分の至近距離


      .......(左)雄大な雪渓を背景に(結構お疲れ・・) (右)ようやく「駒ノ小屋」に到着......
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   .......(左) 駒ノ小屋から駒ケ岳頂上に向かう (右)小屋がもうあんなに遠くに離れてしまった......
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空身だと登りは軽快、小屋は足元景色となりドンドン小さくなっていく。午前中はガスに覆われる時間が多かったものの、今は青空も覗きが徐々に視界が開けてきた。13時半、越後駒ヶ岳の山頂に到着!


       ......(左) 駒ケ岳頂上に到着!(右)雄大な雪渓が頂上から小屋に広がる.......
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頂上から見る景色は実に雄大!夏の日差しを浴びて水蒸気が立つ雪渓と笹に覆われた山稜のコントラストが実に美しい。越後駒の標高は約2千mなのに真夏でこれだけの巨大な雪渓が残っているとは・・


         ......大雪渓のパノラマ写真、立ち上がるガスに青空が覗く幻想的な光景......
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頂上稜線付近で健脚の2名と再会、時刻はまだ14時過ぎ。小屋に戻って宿泊手続きを済ませ、広場で英気を養う前祝い(毎回こんなことを言っている・・)、ビールで乾杯!手持ちのつまみに焼酎で話を咲かせていると、今日の小屋宿泊客が続々登って来る。人の輪は徐々に広がり、皆で楽しくワイワイ・・


  ......(左)2人と合流し本日の宿泊「駒ノ小屋」へと戻る (右) さて夕食の前に一杯やりましょう......
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      .....夕刻の雪渓部にダイヤモンド駒ケ岳!夕餉を楽しむ小屋宿泊者も歓声を上げる......
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初めて知り合った山仲間との会話も弾み夕刻の宴は楽しく過ぎていきました。小屋から見る荒沢岳の景色や絶え間なく変化する入道雲の芸術を十分満喫、明日の起床は3時なので早めに就寝しよう。


      ......(左)入道雲が湧き上り獅子咆哮の如し (右)山稜のガスは次々に表情を変える......
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★【4日目】:奥深き名峰「中ノ岳」(日本200名山)に登頂 (12時間以上の踏破)


まだ真っ暗な夜中の3時に起床、熟睡中の宿泊客を尻目にヘッドランプを装着、ゴソゴソと道具を小屋の外に運び出して朝食の準備。今日は空身に近い中ノ岳ピストンだが小屋に戻るまでは9時間近い長丁場。3人は早朝4:15出発、夜明け前の稜線・雪渓はまるで墨絵のよう。空気はまだ涼しく身は軽い。



   ......早朝4時過ぎに出発、夜明け前の墨絵風景の様な稜線・雪渓を見ながら歩き出す......
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山の天候は午後からガスが発生して曇るケースが多いので、早朝出発ならば雲がない大パノラマを眺望できると期待したのに・・、今日もこんな感じかい。まあ全国的猛暑で不安定な天気が続いているのでしゃーないか・・。長丁場を炎天下の中で歩く辛さがないだけマシだな・・と、ブツブツ負け惜しみ(苦笑)


       ......遥かな山を目指し稜線を下り歩いて行く、だんだん明るくなってきた!......
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     ......(左)立ち込めたガスの中から薄日が差し始める(右) 檜廊下・四合目峰を目指す......
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駒ヶ岳雲・竜ノ峰稜線の分岐・天狗平を過ぎ、2時間程歩くと「檜廊下」と呼ばれるナイフブリッジな道が出現しアップダウンが繰り返されます。この辺りの稜線が駒ヶ岳と中ノ岳の縦走路では最大のハイライトかも!


     ......(左)「檜廊下」の岩峰稜線を渡り行く食山人氏 (右)越後の高山植物が咲き誇る......
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稜線から見る光景は巨大な垂直スラブが屹立、深き切れ込んだ谷と重厚たる山容!2千m級の山とは思えない程に、北アルプスの様な険しさが刻まれています。やはり世界的な豪雪の山であるだけに雪崩や膨大な雪解け水のエネルギーが山肌を荒々しく削り、深い谷が形成されてきたのですナ。豪快だネ~


       ......(左)垂直スラブが屹立する迫力の景色 (右)依然、霧中の稜線歩きは続く......
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7時に四合目峰を通過、8:15に中ノ岳避難小屋が見えてきた。ここまで来ればもう頂上近し、5分後に越後三山最高峰「中ノ岳」(2085m)に到着!ガスは依然立ち込めて期待した眺望は全く得られず・・


          ......(左)中ノ岳避難小屋に到着、頂上は近し (右)コバイケソウの大群落.......
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  ....(左)ついに中ノ岳頂上に到着(食山人氏写真) (右)山頂には真っ赤な鳥居・中ノ岳の標石......
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頂上で時間をかけて待ってもガスは晴れずと判断し集合写真撮影後にすぐ下山。今日はまだまだ続くロングコース、早速に同じ道をピストンで戻ります。中ノ岳にも多くの高山植物が美しく咲き誇っていました。


          ......(左) ツリガネニンジンの花が咲く (右)黄色鮮やか! ミヤマキオン.....
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      ......「越後駒ケ岳」の雄姿 (左)左肩は雲竜ノ峰 (右)「グシガハナの峰」越しに望む......
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しかし眺望は無理だな・・と諦めていたら、慈悲深い山の神様は帰路で素晴らしい絶景をプレゼントしてくれました。ガスは徐々に薄くなり夏の青空が見え始めた!そして目前に盟主「越後駒」の雄姿が出現


              ......(左)ノハラアザミ (中)コメツツジ (右)タカネマツムシソウ......
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       ......(左) 垂直の大スラブ絶壁を再び! (右)中ノ岳の前衛峰も素晴らしい姿!......
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さらに「八海山」(4日間で山容を一度も見ることができなかった)も遂に全貌を現してくれました。「八海山」は7年前(2006年10月)にFツアーメンバーと登頂しましたが、頂上部のギザギザ岩稜もよく見える。


     ......(左)八海山がついに姿を現した! (右)魚野川から見た八海山(2009年8月撮影)......
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当時登った2006年の「八海山」写真(紅葉絶景の時期で思い出深い!)をいくつか掲載しておきます。この山は魚沼側からロープウエイを経由して登ればアプローチは比較的簡単。しかし真骨頂は頂上部の八つ峰(迂回路もありますが・・)、鎖場が30数ケ所もある危険ルートで断崖岩稜が続き恐ろしかった~!


     ......「八海山」は標高1778mと三山で最も低いがスリル満点の奇岩が続く山(2006秋)......
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      ......(左)八海山の岩稜ルートは想像以上に危険な山だった!(右)奇岩背景の不動明王像......
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峻嶮峰は古より修験道の行者が入り、山岳宗教のメッカで歴史は深い。麓や山頂部には天照大神や八海大明神が祀られ、岩稜を背に不動明王像が物凄い形相で鎮座しています。大迫力の山でした。


   .....(左)垂直の鎖場岩を慎重に下る(2006年10月) (右)雪の越後三山(2013年1月撮影)......
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背後を振り返ると、越後三山・最高峰「中ノ岳」も雄大な姿が遠くから完全に俯瞰できるようになってきました。これで越後三山名峰の眺望が全て叶った!そして2日前に登った荒沢岳の突兀なる雄姿も見えるではないか!最初はガスで覆い、焦らしながらも最後はシッカリ見せてくれた山の神様に感謝・・


         ......(左)中ノ岳の重量感ある威容 (右)切れ込んだ奥深き谷が遥かに見える......
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    ......(左)2日前に登頂した「荒沢岳」の突兀峰 (右)駒ケ岳~中ノ岳間の「檜回廊」を下りゆく......
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空身なのに健脚組からはまたまた離されてしまい先の姿は完全に見えない。あのお二方は2週間前に9日間も北海道の山に入って相当ハードな山を数座登ってきているのに・・、何であんなにタフで元気なのかネ~?と呆れつつ、単独行の稜線旅はまだまだ続く。長丁場でかなりヘロヘロ状態になってきた。


         ......(左)「越後駒ケ岳」の重量感ある雄姿 (右) コバイケソウとニッコウキスゲのお花畑.......
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越後駒稜線のLAST登り返しは辛かった・・。青空に映える巨大山稜絶景は素晴らしかったが、炎天下登山となり体力消耗は激しい・・。駒ノ小屋に着いたのは13時、お二方は1時間前に到着していたとのこと、恐れ入りました。でも最終ゴール「枝折峠」にはまだあと3時間半歩かなければならない・・。


          ......(左)駒ノ小屋から長い道のりを下りゆく (右)16時半、ようやく枝折峠に到着......
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駒ノ小屋から最後の歩き(小倉山~明神峠~枝折峠)もダラダラ続くアップダウンが続き苦行でした。16時半に漸く到着。真夏の12時間以上の登山は辛かった~!でも日中はガスが立ち込める時間が多く、昨年夏の飯豊「杁差岳」の様に直射日光に晒される時間が今回は少なかったので何とか助かった。


       .....越後三山の盟主「越後駒ケ岳」(日本百名山)の全容姿、重厚感に溢れていた!......
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異常高温が続いた今夏の超猛暑、8/6~9日はガスが多く比較的コンディションには恵まれた4日間だったかも・・。下山の翌日は全国で40度越えが続出。当日が炎天下の登山だったら熱中症になってさらに大変なことになっていたかもしれません。越後の山は夏に登るものではないナ~と再認識しました。
下山後は、食山人氏を浦佐駅(新幹線)まで送り、越後出身組(Miz本氏と小生)は各自車帰省でお別れ


    ...... (2009年4月)関越道を車で走りながら撮影してしまった<(_ _)>残雪の「越後三山」  ......
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思い出深い苦行の4日間・・、越後の奥深き山々を全て眺望することが叶い最高の山旅でした。今後も帰省時に何度も「越後三山」の雄姿を遠望すると思いますが、難関峰を苦労して登頂した経験後に仰ぐ山々は新たな感慨と共に蘇ることでしょう。 「苦しんで歩き通した越後峰 故郷の山に心深まる



                                                          おわり

  by rollingwest | 2013-09-17 00:00 | ローリングウエスト山紀行 | Comments(83)

<2013年9月5日>大田区探訪(その4):日蓮聖人ゆかりの「洗足池」「池上本門寺」

         <日本仏教史を飾った偉人達>(その2):法華経の辻説法「日蓮聖人」①



★久しぶりの大田区探訪シリーズ・・「日蓮所縁の洗足池」

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過去、大田区探訪シリーズ(羽田空港、下町風景、巨人の星・多摩川グランド)と3回紹介してきましたが、前回記事からもう1年以上もご無沙汰でした。川崎市から丸子橋を渡ればすぐに大田区ですが、日本仏教界の偉人「日蓮聖人」の史跡がいくつかあります。4回目は日蓮にSPOTを当てた記事をご紹介

                        大田区探訪(その1)「下町風景編」(羽田・蒲田・大森・六郷)


   .......大田区は「日蓮聖人」が入滅した「池上本門寺」や「洗足池」があり日蓮に所縁が深い.......
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                        大田区探訪(その2)「羽田空港・東京ベイサイド」編

丸子橋を渡り中原街道沿いに都心に向かうと「洗足」「千束」という地名が現れます。変わった地名は、日蓮聖人が甲斐身延から常陸国へと向かう旅途中、大田区の池で足を洗ったことから「洗足池」の名前が歴史に刻まれました。洗足池公園は周囲1.2km、面積約4万㎡都内有数の広さを誇ります。


    ........中原街道沿いにある「洗足池」は大田区民・憩いの場(白鳥の遊覧ボートも浮かぶ).......
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公園はお花見の名所、子供広場もあり白鳥遊覧ボートにも乗ることができる大田区民・憩いの場!
池の周囲をグルリ散策してみましょう。まずは池に架かる朱塗りの擬宝珠の木橋、鯉も泳いで風情あり


     .......洗足池の中で最も雰囲気ある「渡り橋」・・。鷺が啄み、朱塗り橋の下には鯉が泳ぐ.......
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池の奥側に行くと「勝海舟夫妻の墓」や「西郷隆盛の留魂祠」が現れた。エッ?何の所縁かいな?・・と由緒を読むと勝海舟は洗足池の風景がこよなく気に入り自分が死んだら当地に埋葬してほしいと遺言を残した理由に拠ります。「西郷隆盛・留魂祠」があるのは江戸無血開城・名コンビの縁から・・?


           ........(左)勝海舟夫妻の墓 (右).墓所に関わる由来を記した案内板......
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     .......「西郷隆盛」の留魂祠もあった。江戸無血開城・名コンビの縁は深かったようだ.......
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さらに歩くと日蓮が足を洗った池の由来が残る「妙福寺」が静かに佇んでいる。ここには立派な松の木が聳え立っています。日蓮が自分の袈裟を洗って干した「袈裟懸けの松」は江戸浮世絵でも有名


       ........(左)日蓮が足を洗ったと云われる洗足池脇の「妙福寺」  (右)日蓮立像.......
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     ........(左)江戸名所百景「千束の池・袈裟懸松」の図 (右)「袈裟懸けの松」を間近に撮影......
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洗足池は中原街道を車で通過する時に毎回脇目にチラリと見ていますが、ジックリ散策してみると今まで知らなかった史跡や自然風景を多く発見。実に素晴らしい場所だね~!皆様も一度歩いてみては・・


     ........(左)柳越しに見る洗足池のボート乗り場 (右)水鳥の遊泳軌跡は何とも風情あり.......
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                        大田区探訪:(その3)「巨人の星と多摩川風景」





★「日蓮聖人」入滅の地、「池上本門寺」


♪「池上~線が走る街に~、あなたは二度と来ないのオね~」♪。殆ど誰も知らないと思いますが、昭和51年に西島三重子という歌手が「東急池上線」をテーマにした情緒溢れる哀愁曲をヒットさせています。東急線「池上駅」から背後の山を登っていくと日蓮が入滅した「池上本門寺」の大伽藍が出現します。


  ......本門寺のアクセスは「東急線池上駅」、「池上」の地名は洗足池の上っていう意味なのかな?......
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池上本門寺」は日蓮宗の大本山(全国200末寺を持つ関東有数の大名刹)。日蓮が身延で体調を崩したため山を下り湯治旅に出た途中、ここで病気が重くなり入滅しました。日蓮・直弟子が中心となって寺院建立し、徳川幕府支援で発展、寛永期には全国的に有名な日蓮の聖地となったそうです。


     ........(左)経蔵と霊宝殿 (右)経蔵で読経する僧、経蔵の仏は2012年1月に盗難に遭う......
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         ........(左)池上本門寺「大本堂」  (右)煌びやかな大本堂を参詣する人達.......
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戦災(昭20)で多くの建物が焼失しましたが順調に復興し、現在は往時を超える大伽藍威容を誇ります。安藤広重が描いた総門、戦火を免れた経蔵、国重要文化財の五重塔や日蓮聖人座像、都文化財の多宝塔、加藤清正寄進の石段、有名武将の供養塔、都内でこれだけ見所ある寺は実に貴重!


    ........(左)霊宝殿と仁王門 (下)経蔵  (右)大本堂から護摩鉢越しに望む本門寺境内.......
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  ......(左)重要文化財「日蓮聖人坐像」(非公開) (右)仁王門脇で仁王立ちの「日蓮聖人・立像」.......
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池上本門寺は過去3~4回訪問しており、夏季と秋の紅葉期で撮り溜めた数々の写真が季節混在しているのでご容赦下さい。仁王立ちの日蓮聖人を仰ぎ、大伽藍群を見た後は五重塔へと向かおう。


     ........(左)枯れ葉を掃除するお茶目なお坊さん石像  (右)夏の仁王門・参道.......
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  ........(左右)威容を誇る「五重の塔」、紅葉や光と影のコラボ  (下)明治時代の池上本門寺.......
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五重塔から右手に進むと池上会館が見えてきました。ここは山上から大田区の街並みを眺望できる絶好の展望台であり、これは必見です!それにしても池上本門寺の境内は実に広大だナ~!と実感


    ....... (左)池上会館からの大田区眺望  (右)展望台にある幾何学的な椅子オブジェ......
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本門寺には武将や日蓮宗法主等の供養塔が幾つかありますが、近代・現代著名人のお墓も沢山あります。一番有名なのは空手チョップで有名な力道山のお墓、道標もあり大勢の人が参拝しています。


    .......(左)市川雷蔵や幸田露伴等、馬込文士の墓も多くある (右)力道山の墓(カッコイイ!)......
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          ........(左)悟永寿院の「万両塚」 (右) 紅葉衣装を纏う五重の塔 ......
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ここからは小生が今まで訪ねた日蓮聖人の所縁史蹟をレビューしたいと思います。安房・比叡山・鎌倉・佐渡・柏崎・鎌倉・身延、そして大田区池上・・、頑固一徹な日蓮聖人の波乱万丈な一生は凄いネ~!


       ........本門寺・宝物院に収蔵されている「日蓮聖人註画讃」(桃山時代作品).......
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★波乱万丈なる日蓮聖人の一生 (今まで訪問した史蹟の紹介とともにレビュー)

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日蓮は1222年、安房国(千葉県天津小湊町)で生まれました。地元には、「誕生寺」という寺があり聖人生誕地として深い信仰を集めています。2006年10月、房総南端エリアを訪ね(アクアライン経由)、「誕生寺」や立教開宗宣言の「清澄寺」、日蓮誕生吉兆で鯛の大群が現れた「鯛ノ浦」などを見てきました。


  .......2006年、日蓮の生誕地・安房鴨川(千葉)にある「誕生寺」や「鯛の浦」を訪ねてみた......
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日蓮は地元「清澄寺」(天台宗系)にて16歳で出家、仏教学の聖地「比叡山」の修行へと入りました。数々の修行を重ねた日蓮は1253年千葉鴨川・清澄山(日本で一番早く日の出を迎える)山頂に立ち、昇り来る太陽に向かい題目(南無妙法蓮華経)を唱え遂に開眼!法華経至上とする立教開宗を宣言


 ...... 2003冬、家族で比叡山・延暦寺を訪問、根本中堂には歴代・仏教偉人の肖像画(日蓮も).......
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  .....日蓮は房総南端の「清澄寺」で悟り開眼。日の出に向かい題目唱える日蓮聖人像......
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政治・文化中心地「鎌倉」に入った日蓮は松葉ケ谷に草庵を結び「立正安国論」を著し辻説法を開始。当時は凶作・飢饉・疫病・大地震・洪水が頻繁に発生し、「災害続発の原因は法然浄土教にあり、対策は正法(法華経)に帰依することだ!」と、北条時頼(当時政界最高の実力者)に上呈したのです。


    ........(左)鎌倉・辻説法の図 (中)「立正安国論」  (右)日蓮と蒙古襲来時の鎌倉幕府.......
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日蓮は対立宗派(浄土教)や幕府から次々と迫害・弾圧(松葉ケ谷草庵・焼打ち、伊豆配流、小松原法難)を受けますが「受難を乗り越えてこそ正法成就」の信念で次々困難を乗り切っていきます。蒙古襲来に右往左往する幕府に対し日蓮はさらに激しい批判行動を重ね、遂に捕えられてしまうことに・・


         ........日蓮が処刑されることになった「龍口寺」、威厳ある本堂と日蓮立像.......
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日蓮は鎌倉腰越の「龍ノ口刑場」(江ノ島近くの龍口寺)で処刑されることになりました。介錯人が首を刎ねようとする瞬間、突然轟音と共に雷光が閃いたのです。武士は目が眩み次々倒れ込み、天から守られた聖人は難から逃れることができました。(龍ノ口法難は次回の鎌倉湘南シリーズで紹介予定)


   ........(左)龍ノ口刑場跡 (右)龍ノ口法難図、処刑執行寸前に雷光が走り日蓮は難を逃れる......
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しかし鎌倉幕府は聖人や弟子・信者に対してさらに弾圧を強め、日蓮は佐渡へ配流され塚原の三昧堂に閉じ込められました。地元の念仏信者・阿仏房は、日蓮を襲撃するものの教えを説かれて忽ち帰依し、その後生涯を通してはるばる佐渡から身延まで3度も聖人を訪ねたとのこと


     .......日蓮は鎌倉幕府から島流しを言い渡され、越後寺泊から佐渡へと流罪(ルート図)......
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              ........佐渡流罪で聖人が逗留していた塚原の「根本寺」.......
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佐渡で蟄居させられた日蓮は2年数ケ月間後に赦免され寺泊へと向かうものの、途中漂流してしまい我が故郷柏﨑の番神岬に上陸しました。NHK「ゆく年くる年」で何度か紹介された番神堂は家族で大晦日2年参りによく来たものだ。岬には聖人像が立っており佐渡ケ島を懐かしむ様に見据えている。


  ......(左)わが故郷・柏崎の聖人像 (右)流罪放免となった日蓮は佐渡から柏崎・番神岬に漂着.......
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 .......(左)年越し2年参りで何度も訪れた故郷柏崎の番神堂 (右)本堂・芸術彫刻は実に見事!.......
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赦免されて鎌倉に一度戻った日蓮でしたが、幕府との意見対立(とにかく頑固一徹!)は依然と続き、業を煮やした聖人は鎌倉を見限る決意を固め、山梨の身延山「久遠寺」へと入ります。7年間で数々の講義を重ねて門弟を育て上げ、身延山は日蓮宗の一大道場へと隆盛し、現在に至っています。

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    ........(左)日蓮の修身道場となった身延山「久遠寺」 (右) 1998年、家族3人で身延山訪問......
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久遠寺本堂脇に聳える枝垂れ桜の大木は実に見事!春に訪れたことはありませんが、桜満開期(ネット写真を下記掲載)は多くの観光客で賑わいます。山梨って山高神代桜など桜名所が多い県だ・・


     ........(左)身延「久遠寺」本堂脇の枝垂れ桜は超有名 (右)満開の枝垂れ桜(ネット写真).......
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                  【再び、大田区の池上本門寺へと戻ります。】


1282年身延で体調を崩した日蓮は湯治療養を薦められ、下山して常陸国の温泉へと向かいますが、旅の途中で亡くなってしまいました。この地こそが大田区の池上本門寺であり、本堂裏手には日蓮聖人の御廟所が鎮座。日蓮命日(10月13日)には全国で報恩感謝の法会「御会式」が行われます。


           ........(左)日蓮聖人の御廟所  (右)日朝堂・鐘楼の鮮やかな姿.......
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  .......日蓮入滅の10月13日は日蓮聖人を偲ぶ「御会式」が行われ、美しい万灯の纏が花開く.......
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死を覚悟した日蓮は臨終に際し池上本門寺で「立正安国論」を最期の説法として講義、波乱万丈の60余年生涯に終止符を打ちました。日蓮宗祖の宗派は新興宗教系も含め沢山ありますが相互対立は激しく、決して相手を認めない傾向が見られます。頑固一徹な聖人の血脈が継承されたのかも・・


     ........(左)「池上本門寺」の駐車場は実に広い!  (右)紅葉とコラボしていた秋の仁王門.......
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歴史好き・寺社好きRWなので、自分が過去訪ねた史跡レビューに合わせ、日本史に大きな足跡を残した偉人を特集紹介(戦国武将では上杉・武田、仏教は空海・日蓮)してきましたが、今後も掲載予定。次回は?


                        <日本仏教史を飾った偉人達>: (その1)「弘法大師・空海」①
                    


                                                          おわり

  by rollingwest | 2013-09-05 00:00 | 都会の風景 | Comments(70)