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<2013年師走>年の瀬は「秩父」三昧・・!(黒山三滝・紅葉ハイク&秩父夜祭り)

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2013年もあと残り僅か・・、歳を取ると時の経過が早く感じられます。今年1年間、拙ブログと交流頂いた皆様方にあらためて感謝申し上げます。年の瀬は「秩父三昧」(①中高同級生との紅葉ハイクや忘年会,②カミさん・大学時代旧友と秩父夜祭を満喫)、本編コーナーは当記事にて今年最後の締めとします。
                 


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★(2013.11.23):「黒山三滝」紅葉ハイク&中高同級生との忘年会


昨年秋の「昇仙峡」紅葉ハイクで山に嵌ってしまったN-minto女史から今年も同級会ハイキング開催を切望され、秩父の紅葉ハイクを6名(N-minto女史&娘さん・セキさん・ryokoさん・H井真吾)にて企画したが、H井真吾・ryokoさんが持病・手術の足腰痛で残念リタイア、セキさんも親戚ご不幸で急遽欠席の連絡・・・


    .......(左)東武線「越生(ogoae)」の駅前には多数のハイカー (右)黒山三滝への入口.......
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開催延期を通知(変にカミサンに誤解されると困るので・・苦笑)したものの、N-minto女史からは「娘も楽しみにしているし快晴に恵まれて紅葉真っ盛り、是非お願い!」と懇願され結局3人で出かけることに・・。朝9時過ぎに東武線「越生駅」で現地集合し、バスに乗り換えて黒山三滝ハイキングの登山ゲートへ


    ......清々しい朝の空気の中で登山開始。三滝川沿いには茶屋・釣堀り処が点在.......
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            ......天狗滝に向かう渓谷(黒山三滝の1番目)の入口.......
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今回設定コースは、黒山三滝の渓谷道を歩き、花立松ノ峠経由で関八州見晴台のパノラマ絶景を満喫、高山不動を参拝し西武線吾野駅へ下るルート。朝の渓谷道には清々しい空気が流れて気持がいい・・
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  .......「天狗滝」渓谷でN-minto女史・娘さんと3shot(←家族登山と誤認されたと思う).......
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黒山三滝とは荒川水系源流部の三滝川にかかる男滝(落差10m)・女滝(5m)と、支流の天狗滝(20m)の3つの滝の総称です。渓谷のスケールは天狗滝に軍配がありますが、水量・ビューロケーションでは男滝・女滝の方が優れており豪快さが味わえます。マイナスイオン溢れるこの場所はストレス解消には最適です。


    .......ここがメインSPOTの「男滝&女滝」、目の前のアーチ橋から夫婦の滝を望むRW.......
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 .....豪快な男滝をバックに.ピ-スサインのN-minto母娘(姉妹に見えると茶化すと娘さんが不満顔)・笑....
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娘さんは今年山ガールデビューらしいが、会社先輩に連れられ何ともう5~6回以上登っているとのこと。「どこに登った?」と尋ねたら「全くわかりませ~ン」との返事でズッコケましたが、よく聞くと最近は「爺ケ岳」に登っている!エッ、北アルプス後立山連峰ではないか・・と目がテン!全然意識してないのも凄い(笑)


   .......(左)木漏れ日の杉木立の山道を歩くお二人さん (右)枝垂れのような鮮やか紅葉.......
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      .......(左)今日は雲一つない大快晴 (右)小春日和でススキの穂も鮮やかに輝く......
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今日は一点の雲もない好天の青空!色づきが遅かった今年の紅葉でしたが最高の日となりました。三滝の上から山道や林道を登り進め(花立松ノ峠から関八州見晴台への分岐点がやや判りにくかった・・)、出発から2時間半(昼過ぎに)最大メイン展望地(関八州見晴台)へ到着することができました。


   .......(左)いよいよ「関八州見晴台」へと登り行く (中)遥か彼方に新宿高層ビル群も見える!......
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      .......(下)展望広場からは関東平野が一望! (右上)昼食前に集合写真パチリ.......
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展望台は正に名前の通り関東平野(新宿高層ビル群やスカツリー等)が一望!冠雪富士、秩父の武甲山・両神山、日光連山も見えるぞ!疑似親子を演じながら、パノラマ満喫の昼食タイムを楽しみました。(笑)
 

 ......(左)奥秩父連山から冠雪の「霊峰富士」 (右)ピラミダルな「武甲山」、右遥かには「両神山」.......
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   .......(左)仲睦まじき初老夫婦も秋を満喫 (右)まるで墨絵の様な重畳たる山並風景.......
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大展望と昼食(2人はさらにスイーツタイム)を十分満喫した後は、高山不動尊に立ち寄って西武秩父・吾野方面への下山ルートを取りました。高山不動は成田(千葉)高幡(東京)と並ぶ関東三大不動の一つ


    .......輝く紅葉・木漏れ日の中、高山不動尊方面へと「関東ふれあいの道」を下り行く.......
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   .......威厳ある立派な高山不動尊の本堂が出現!真っ赤な紅葉と屋根が見事にマッチ!.......
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高山不動に14時頃到着、さすが関東三大不動と称されるだけあり立派な本堂が出現!幕末に再建された由緒ある寺(国指定有形重要文化財)は、かつて山伏修験道場として大いに栄えていたらしい。


    .......(左)本堂の太い梁を見上げるN-minto女史 (右)梁屋根の木彫り彫刻が見事.......
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本堂天井を見上げるとワイルドに組まれた太い梁が興味深い。真赤なトタン屋根は紅葉とコラボして独特の風情が醸し出されています。お堂の前には樹齢800年の大銀杏、正にパワースポット!帰りは秩父の山間道を下り吾野駅へ・・。娘さんは干し柿風景に、N-minto女史は100円柚子(無人販売)に大喜び


  .......(左)大銀杏の下で語らう母娘 (右)本堂から下に降り、木立越しに見上げた高山不動尊.......
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       ......雰囲気ある杉木立の道を下り行く、出発からもう5時間近くは歩いている.......
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  .......(左)秩父山間に佇む民家(結構空き家が目立つ) (右)西武線・吾野駅も多くのハイカ-が・・......
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朝から歩くこと5時間半、吾野駅に15:30漸く西武線・吾野駅に到着しました。結構歩いたネ~!レッドアロー号に乗って池袋駅へ。そして今回参加できなかったH井真吾・Ryokoさんも集合して居酒屋で忘年懇親会、2次会はカラオケで歌いまくりとパワー全開の締めとなりました。次回こそは全員で登りましょう!


    .......ハイキングに参加できなかったお二方も池袋に集合、居酒屋懇親会&2次会はカラオケ......
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★(2013.12.3):本年最後の逍遥イベントは、日本三大曳山祭「秩父夜祭り」を初体験!


今年最後のRW逍遥イベントはまたも秩父三昧でした。上記の秩父ハイキングをした10日後(12/3)に、カミサンと大学旧友の3人と連れ立って「日本三大曳山祭り」の一つ「秩父夜祭り」に出かけてきました。いつか見てみたいと久しく憧れていた豪華な夜祭をついに初体験して本当に感動的な夜でありました~!


    .......「秩父夜祭り」は京都祇園・飛騨高山と並ぶ「日本三大曳山祭り」、まさに豪華絢爛!.......
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本企画は初夏の鎌倉紫陽花ハイキングのメンバー(大学サークル同期)に声をかけ4人で行く予定でしたが、モッチャンが土壇場になって発熱を起こし泣く泣く断念。でも彼女は皆の特急指定券を購入していたためチケットを受け渡しのためにわざわざ渋谷まで出てきてくれました。体調不良にも関わらず申し訳なし・・


    ......(左)カミサンも連れ出し、ワカボン(大学同窓)と3人で (右)西武秩父駅前から仰ぐ武甲山......
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  ....(左)西武秩父駅前に聳える大木杉(紅葉する杉もあるんだ!) (右)仲見世通りは大賑わい......
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最近はウォーキングイベントには殆ど付き合ってくれないカミサン(昔は積極的な山ガールだったのに・・)も珍しく参加意思を表明、東松山市出身の彼女も実は秩父夜祭りはまだ見たことがなく昔から憧れていたとのこと。3人は西武池袋駅に15:40頃に到着しましたが物凄い人出!やはり超有名な祭りですネ~!


   .......(左)聖人通りは大きな建物がなく空が広い (右)立ち並ぶ露天テント後方には巨大ゴリラ.......
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   .......(左)カルチャー館前の休処広場は大賑わい (右)子供歌舞伎の囃子太鼓が小気味よく・・.......
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当日は比較的暖かく天候に恵まれましたが通常は相当冷えるので使い捨てカイロを持参した方がお薦め。駅裏から聖人通り経由で上町・繁華街のカルチャー館前へ。16:30頃には「子供歌舞伎」の舞台前は多くの人が開演を待ち構えていました。広場に配置された御休みテーブル席を確保してビールで乾杯~!


       ......ビールケース椅子に座ってワカボンとビールで乾杯!そして次は焼酎お湯割りに・・.......
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     .......(左)子供歌舞伎も見事な演技! (右)カミサンとワカボンもダウンジャケで防寒対策バッチリ.......
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大人顔負けの子供歌舞伎を楽しんだ後は秩父神社へ。秩父夜祭りは秩父神社の例大祭(2日宵宮・3日本祭)、提灯で飾り付けられた屋台・笠鉾の曳き回しや冬の花火大会がコラボすることで有名です。


   .......秩父夜祭りは秩父神社の例大祭、神社創建の歴史は古く第10代崇神天皇時代とのこと.......
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秩父神社の例祭は、知知夫彦大神と武甲山信仰が起源と謂われます。当地方は、崇神天皇時代に「知知夫彦命」が初代国造に任じられ養蚕と機織りを秩父地方に教示し広めたとのこと。江戸中期、秩父神社に立った絹織物の市、「絹大市」の経済的な発展と共に、盛大に行われるようになりました。


         .......秩父神社に集結していた屋台、これから市内の曳き回しが始まる.......
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何故、秩父山奥に京都・祇園祭の様な華やかな祭りが・・?秩父には高麗の地名があり、平安京の造営に力を尽くした渡来人「秦氏」(鋳造・養蚕・機織など技術集団だった)の痕跡が多く見られます。


   ......華やかなイルミネーションの笠鉾・屋台。オーリャオーリャのかけ声とともに秩父市街を練り廻る.......
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日本初の通貨「和同開珎」は武蔵国秩父郡から献上された和銅から鋳造されたものであり、渡来人文化の繋がりから秩父山奥には京都祇園祭と似た優雅な祭りが存在しているのではないでしょうか。


     .......秩父夜祭りは、養蚕や機織りで発展した秩父の大行事として江戸時代から続く....
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    .......(左)本町近くの蕎麦屋に入り再び乾杯! (右)夕食後はいよいよ屋台巡行の見物へ.......
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夕刻から6基の笠鉾・屋台が出され、秩父神社への宮参りした後、本町・中町・上町通りの曳き回しが行われ、18:30頃には秩父神社から1kmほど離れた御旅所に向けて御神幸行列が出発します。


       ......交差点に入った屋台は、2本のテコ棒で90度に方向転換!実に壮観でした.......
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     .......(左)脇道に入れば猿回し演芸が! (右)昔懐かしい射的に夢中で興じる男の子.......
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迫力ある華やかな笠鉾と屋台で秩父の街は大賑わい。脇道では猿回し、立ち並ぶ露天には射的の縁日風景・・、久しぶりに見たね~。散策途中でいよいよ秩父祭りの名物「冬花火」が上がり始めた!


        .......秩父夜祭のハイライトはやはり冬の花火、澄んだ空気に大輪の花が咲く!.......
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屋台の団子坂への曳き上げや御旅所に整列する壮観な光景が繰り広げられる頃が祭りの最高潮となります。豪華なイルミネーションの屋台&華麗な冬花火のコラボ・・、こんな冬祭風景は日本で唯一かも・・

           .......冬花火のスターマインが何発も打ち上がり夜祭りはクライマックスへ!.......
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     ......(左)有料桟敷「御旅所」(右)西武秩父駅前広場も絶好の観覧場所で大混雑状態.......
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花火を最後まで楽しみかったものの、21時過ぎ以降の特急レッドアロー号(全席指定)は1ケ月前から予約満杯であり、モッチャンに確保してもらった20:46秩父発で池袋へ帰りました。それにしてもこの10日間で特急レッドアロー号に2回も乗ってしまい、まさに秩父三昧の年の瀬。錦秋満喫も含めを十分に堪能~


  .......(左)駅前の大木杉から見る枝垂れ花火も素晴しい! (右)レッドアロー号の予約はお早めに.......
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さて皆様への年末最後ご挨拶は12/28洋楽コーナーのお知らせ欄であらためてさせて頂きますが、本編の逍遥記事は今回の秩父レポートで今年最後となります。そういや昨年のラストレポートも秩父だった・・


                             昨年末の「秩父探訪&観音三十四ケ所巡り」レポート

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12/28洋楽コーナー公開で今年最後の御挨拶とさせて頂きます。また2014年新年記事(毎年恒例の富士山風景&年間記事計画)は年始早々に再開予定。クリスマス・忘年会、年賀状・年末大掃除・帰省準備と多忙な年の瀬を迎えますがお風邪など召されぬように・・。それでは皆様よいお年を~!(^O^)/ 



                                                         おわり

  by rollingwest | 2013-12-20 00:49 | 秩父探訪 | Comments(90)

<2013年12月>2012山陰山陽の旅⑥:「奥出雲探訪」(出雲帝国遺跡&砂の器ロケ地)

★出雲帝国実在を裏付ける「荒神谷・加茂岩倉遺跡」


昨年11月に廻った「2012山陰山陽の旅」も6回目の記事となります。もう1年以上過ぎてしまったのに依然と出雲周辺紹介に留まっており、なかなか世界遺産(石見銀山や厳島神社)へのレポートに入れませんネエ・・。(苦笑) シリーズ記事完結は2年越しになるSlowパターンが多いRWなのでご容赦願います。


   .......夜明け前に出発、雨中煙る「仏経山」を見ながら「奥出雲」(JR木次線沿線)へと向かう.....
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今回は、神話世界として語り継がれてきた「出雲帝国」が実在の国と証明され世紀の発見と話題になった2大遺跡(荒神谷・加茂岩倉)のレポートです。奥出雲は交通の便が実に悪くアチコチ廻るには相当な時間を要するためビジネスホテルを早朝6時出発。今日は朝から雨か・・、いざ仏経山(神名火山)の麓へ


    .......昨年10月に鑑賞した出雲特別展(国立東京博物館)、今回の旅の契機となった.....
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この遺跡に対面したいと思ったのは昨年10月国立東京博物館で「聖地の至宝・出雲特別展」を鑑賞した時でした。出雲大神殿は2000年に出雲大社境内から出土した宇豆柱が実在を証明したのです。


 ......(左)神話と信じられていた出雲大神殿 (右)実在が証明された2000年宇豆柱の出土......
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出雲では宇豆柱の出土以前にも考古学の常識を覆す大発見(1984:荒神谷遺跡&1996:加茂岩倉遺跡」が2回もありました。古代出雲は神話ではなく銅鐸文化の大繁栄国があったことが解ったのです。


   .....かつて大繁栄した出雲帝国が実在したことを裏付けられた多数の銅剣・銅鐸・銅鉾......
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                  2012年11月「出雲展鑑賞&出雲探訪旅プロローグ」の記事はコチラから


 .......「荒神谷遺跡」(国の重要文化財)は仏経山の近くで発見され考古学界に衝撃が走った!......
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1984年、仏経山麓の農道から多数の銅剣・銅鐸・銅矛が発見され、調査を進めると銅剣358本、銅鐸6個、銅矛16個が出土しました。これが「荒神谷遺跡」で考古学上の大ニュースとなると、さらに1996年には「加茂岩倉遺跡」が発見され、何と39個もの銅鐸(1ケ所遺跡として全国最多)が出てきたのです。


     ......1996年には工事現場から大量の銅鐸が出土、「加茂岩倉遺跡」は銅鐸王国......
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銅鐸は弥生時代に製造された釣鐘型青銅器のことで神を招く鐘と云われ、青銅製の棒で鳴らす五穀豊穣を祈る農耕祭祀用の装飾祭器とのこと。BC2世紀に大陸から伝わり日本で400年間に渡って用いられた鐘(本来は楽器らしい)の全国出土数は470個、1ケ所で39個の発見は相当な数らしい。


    ......加茂岩倉遺跡は 銅鐸の谷、発見当時のまま出土表層に自然展示されていた......
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「加茂岩倉遺跡」は全国最多の銅剣を出土した「荒神谷遺跡」から3km程の距離しか離れていません。またこの地域には弥生~古墳時代にかけての古墳群も確認されており、この周辺に古代出雲の強大な勢力が存在していたことを覗わせます。その中心地は「意宇」(ou)という地に存在したとのこと


 .......出雲帝国の中心地はかつて「意宇」(ou)にあった。今は「八雲立つ風土記の丘」が建つ.....
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山陰レポート第1回目に「出雲立つ風土記の丘」を紹介しましたが、近くにはイザナギ・イザナミの「黄泉比良坂」(あの世への入口)、イザナミを祀る「神魂神社」、スサノオ・クシナダ姫の「八重垣神社」があります。また意宇の地は国引き神話(大山と三瓶山)の中間点に位置し、まさに出雲帝国の首都だった訳か~!

                  山陰レポート第1回目「鳥取風景~出雲・神話の里」の記事はコチラから


   ......意宇「出雲立つ風土記の丘」、牛馬埴輪等が出土、日本の最大勢力の痕跡が沢山......
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   ......出雲の中心「意宇」は大山と三瓶山(国引神話の杭となった両峰)の中間点に存在......
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★奥出雲の「たたら製鉄」の歴史を知る


次は「奥出雲たたらと刀剣館」を訪ねました。奥出雲といえば八岐大蛇伝説の他に古代製鉄技術「たたら製鉄」が発展した場所としても有名です。館内入口には八岐大蛇をモチーフにしたモニュメントが個性的


    .......「奥出雲たたらと刀剣館」、入口にある現代美術モニュメントは「八岐大蛇」のうねる姿......
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               山陰レポート第5回目「スサノオ・八岐大蛇伝説の史蹟訪問」の記事はコチラから

「たたら製鉄」は日本独自の和式製鋼法(タタラ吹き技術)で大量の砂鉄と木炭を必要としますが、奥出雲地方はこの両方が豊富だった古代より製鉄業が営まれてきたとのこと。銅鐸・銅剣出土は2世紀以降で突然途絶えていますが、背景は鉄の武器出現にあるのでしょう。鉄の方が銅より強いからネ~


        .......館内では古代の製鉄技術「たたら製鉄」の歴史を知ることができる......
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八岐大蛇伝説は斐伊川の氾濫をイメージした神話かも・・と前回レポートしましたが、たたら製鉄が起源という説もあるようです。真赤な大蛇の眼や血は鉄分の赤い川やたたら製鉄の炎を形容したものでないかとも云われ、大蛇の尻尾から出て来た天叢雲剣は「たたら製鉄」の象徴だったのかもしれません。


  ........(左)製鉄作業の再現模型(大迫力の炎) (中)黒い鉄の塊 (右)たたら製鉄の古絵図......
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次はいよいよ奥出雲探訪の主目的の一つ「亀嵩」(kamegdake) の街を訪ねます。小生が最も愛する日本映画の名作「砂の器」でメイン舞台となった場所。クネクネした奥出雲の山間の道路を黙々と進む・・


       .......奥出雲の萱葺屋根民家や田んぼ景色、これこそ正に「日本の原風景」......
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★松本清張名作「砂の器」の舞台となった「亀嵩」を巡る


1974年松竹映画「砂の器」は何回見ても涙なしには見られぬ感動名画。松本清張の同名小説を野村芳太郎監督、橋本忍・山田洋次脚本で映画化した社会派サスペンス。迷官入り寸前の殺人事件を捜査する刑事2人の執念、暗い過去を背負うがため殺人を犯した天才音楽家の宿命を描きました。


      .....「砂の器」のメイン舞台「亀嵩」はJR木次線(宍道湖~備後落合)の中間位置......
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国鉄蒲田操車場構内で扼殺死体が発見、被害者の身許が分らず捜査は難航したものの事件を担当した今西(丹波哲郎)、吉村(森田健作)の両刑事は執念の捜査で著名な音楽家・和賀英良(加藤剛)を追い詰めますが、彼はハンセン氏病に患う父・千代吉(加藤嘉)を持つ暗い宿命を背負っていました。


 ......映画主演者、秀夫(春田和秀)、ハンセン氏病の父・千代吉(加藤嘉)、心優しき三木巡査(緒形拳).....
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和賀英良の本名は本浦秀夫(子役・春田和秀)、故郷から追われた父子は日本海側の道を延々と放浪・乞食旅に・・。コンサートでピアノを弾く加藤剛と背景の交響曲に合わせて放浪旅の回想シーンが音楽と映像だけで再現されますが、四季それぞれの中の悲しい光景や親子愛情が感動の涙を誘います。


 .......「砂の器」のクライマックシーンはやはり「亀嵩駅」、父親との離別シーンはいつも涙が溢れてしまう......
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苛められ排除され2人はついに出雲・亀嵩の街へ・・。そこで出会った三木巡査(緒形拳)が心優しく接しますが、病気治療のためついに別れの日が・・。このクライマックシーンは何度見ても感動の嵐で涙々・・。子宝に恵まれていなかった三木巡査は秀夫を引き取りわが子のように可愛がり育てました。


  .......(左)秀夫が千代吉を追って来て抱擁号泣し別れを惜しんだプラットフォーム (右)レトロな改札口......
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秀夫は大きくなり音楽家の道を歩み有名な新進作曲家・和賀英良となり上流階級社会で栄光の躍進を遂げていきます。しかしある日突然、三木巡査が上京し英良に面会を求めてきました。実父がまだ生きていることを伝えるために・・。英良は自らの暗い過去を暴かれないためついに罪を犯すことに・・


   ........(左)「砂の器」ロケ地・記念碑  (右)゙:放浪の旅が描かれるシーンは涙線が・・......
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刑事2人は全国を廻り和賀英良(秀夫)の犯罪証拠を集め、ついに逮捕状を出す日が・・。犯罪動機と秀夫の宿命を語り始める今西刑事(丹波哲郎)。その同じ時刻には、和賀英良が「宿命」コンサートで栄光の舞台に立っていました。今西が解き明かした和賀の過去と三木巡査の愛情を裏切った罪が交響曲とともに語られていきます・・。コンサートを終え、称賛拍手の和賀のもとには逮捕状を持った刑事達が・・


    ........和賀英良が管弦楽コンサートで弾く「宿命」のピアノ、放浪の旅(回想)&別れの感動シーン.....
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最後に今西刑事はハンセン氏病棟で老いた秀夫の父親を訪ね、息子の写真を見せた時、「オラ、こんな奴は知らね~」と叫び号泣する父親(加藤嘉)の迫真演技シーン、涙が止まらぬ最大のクライマックス場面!美しい音楽と映像回想、最後の30分で波のように押し寄せる感動には胸が締め付けられます。この感動的な映画を初めて観てから30数年、いつか来たいと願っていた亀嵩駅と漸く対面できた・・


  .......(左)ここを訪れた多数の著名人(サイン色紙ズラリ!) (右)「亀嵩駅」で奥出雲蕎麦を味わう.....
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駅舎の中にはお蕎麦屋さん(亀嵩駅の手打ちそば)があります。ここを訪れた有名人のサイン色紙が壁に沢山飾られており、映画を観て感動した多くの人が当地に思いを寄せていることがよくわかります。奥出雲そばはコシが強くて絶品でした。蕎麦を食した後は「砂の器」記念碑と湯野神社に寄りました。


   ........記念碑の脇には「湯野神社」、 雨が降りそぼる濡れた鳥居には山陰の寂しさを感じた......
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夕方近くになって漸く雨は上がり、出雲の山々にかかる雲の風景が独特の雰囲気を醸し出しています。墨絵の様な奥出雲の景色を目に焼き付けながら、石見銀山方面へと車を走らせて行きました。


    .....(左)雨上がりの「奥出雲路」  (右)次は三瓶山方面を経由して世界遺産「石見銀山」へ......
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                                                          おわり

  by rollingwest | 2013-12-09 00:00 | 山陰・山陽の旅 | Comments(78)

「My Favorite Songs」(第36巻)


【My Favorite Songs】の過去紹介した記事一覧(INDEX)はコチラから
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★(179)K.C.&ザ・サンシャインバンド 「ザッツ・ザ・ウェイ」 (1975年) (2017.10.4公開)



c0119160_10262036.jpg70年代中盤~後半にかけて米国ヒットチャートを席巻し続けていた「ディスコサウンド」、世界的大ブームのピークは1976~78年(RWが大学1~3年生)まさに映画「サタデーナイトフィーバー」の影響が大きかったブーム真っ只中ですが、ビージーズ・ディスコ全盛期に火が付く1年前(1975)に3曲連続で全米NO1を実現した「KC &ザ・サンシャイン・バンド」を今回レポートしましょう。今の若い世代にとっては全く無名なバンドでしょうが、上記曲「ザッツ・ザ・ウェイ」は最近ではサントリー烏龍茶(ミランダ・カー)やホンダ車のCMソングなどで何度も使われており無意識の内に脳裏に刻まれているはず・・。♪ルゥル~ル・ルルル・ルルル~♪「That's The Way~アハアハI Like It~アハアハ」(これが俺の生き方さ!アハアハ、お気に入りだぜ!アハアハ・・)我々50~60歳の中年オジサン世代にとってはハタチ前後にディスコで踊りまくったノリのいい思い出曲です。このバンドはまさに70年代ディスコ・ブームの象徴・旗手的な存在、白人リーダーのハリー・ケーシー(通称KC)とリチャード・フィンチを中心に1973年マイアミで結成された白人黒人混合の4人グループ、単純明快で分かり易いサウンドで黒人音楽特有の粘っこさは全く感じられず、マイアミ太陽の如くカラリとした明るい雰囲気の開放感溢れるディスコ・バンドでした。特に1975年から76年にかけて、「ゲットダウン・トゥナイト」、上記の「ザッツ・ザ・ウェイ」、「シェイク・ユア・ブーティ」が全米No.1ヒットの3連発!この中で特に3曲目の♪Shake, Shake, Shake~はディスコ向け楽曲としては最も完成度が高かった曲のように思います。洋楽史において、1年間で3曲の全米1位を連続獲得したのは1964年ビートルズ以来の快挙だったのですから本当に驚き!さらに翌年(1977)も「ブギーマン」(全米1位)、と「愛はノンストップ」(Keep It Comin' Love)(全米2位)に輝き、さらに映画「サタデーナイト・フィーバー」でも「ブギーシューズ」(1977)がサウンドトラック収録されて、彼らの勢いは止まるところを知らずまさにわが世の春を謳歌していました。しかしこうやってあらためて聴くと、ひたすら単純明快なリフレインが続き、特別な転調・ヒネリもなく歌詞の中味もないディスコ音楽・・・「楽しく踊らせるということが一番の目的なのだからコレでいいのだ~!」と開き直って聴けばいいのかもしれません。しかし80年代になるとディスコブームはパタッと凋落の一途を辿ります。AORやフュージョン等の新しい波が台頭して来て、単純な繰り返しサウンドは完全に飽きられてしまいました。この潮流を肌で感じ取ったKC&ザ・サンシャイン・バンドは、80年代に入るとPOP路線に変更し、スローバラードの「プリーズ・ドント・ゴー」(1980全米1位)やチャイナポップ調「Na・na・na・na・・・ na~」の「Give It Up」(1982全米18位、全英1位)をリリースして結構頑張っていました。しかしこの2曲を最後に彼らの栄光は終焉を迎えるのです。やはりかつての栄光ディスコバンドのイメージが強すぎたのでしょうねエ・・。伝統あるR&Bやソウルを愛していた黒人音楽ファンにとってディスコブームは、オチャラケで心のこもらない白痴的歌詞と単純な繰り返し演奏でソウル音楽から魂を奪った諸悪の根源だと苦々しく思っていたことでしょう。しかしあの短い数年間に英米でNO1ヒット曲を立て続けに5~6曲を輩出した「KC &ザ・サンシャイン・バンド」(まさに1960年代半ばのビートルズ的勢い)は、今から考えると物凄い偉業を達成したバンドだと再認識します。締め曲はメロウ路線転換を図り、最後の全米No1を記録した哀愁のバラード「プリーズ・ドント・ゴー」(1980)でサヨウナラ・・!燃え尽きる花火が最後に栄光の華を咲かせた静かなる閃光曲でした。


⇒次回は、1960年代後半にビートルズ、ストーンズと並ぶ英国3大ロックバンドと呼ばれた「ザ・フー」の名曲「ババ・オライリィ」(1971))をお送りします。♪\(^◇^)/♪



★(178)スティーリー・ダン 「エイジヤ(彩)」 (1977年) (2017.9.18公開)


c0119160_21234781.jpg今年もまた一人、偉大なミュージシャンの訃報が入ってきました。ジャズ・フュージョン系ミュージシャンを多く起用して洗練されたクロスオーバー的音楽で世界を魅了した「スティーリー・ダン」、その主力メンバーだった「ウォルター・ベッカー」(ドナルド・フェイゲンと並ぶ両巨頭の一人)の死去ニュース(9月3日・享年67歳)を知り、当初予定(KC&sunshine)を変更して急遽「スティーリー・ダン」(後編)のレポートに切り替えたいと思います。2014年2月に公開した「前編」(第13巻-086)では、「リキの電話番号」「ドゥイットアゲイン」「リーリン・インザ・イヤーズ」等の1970年代中盤期の名曲を紹介したので、後編スタートは彼らが1977年に発表した最高峰「彩(エイジャ)」の主題曲が必然のチョイス!ウォルター・ベッカー(1950年NY生まれ)とドナルド・フェイゲンは大学時代の友人で1972年スティーリー・ダンを結成し「「Can't Buy A Thrill」でアルバムデビュー(前編参照)。有名スタジオミュージシャンとコラボし、拘り抜いたサウンドが大いに評価され音楽評論家からも絶大な支持を受けましたが、1977年に第6作目「彩(エイジャ)」が全米3位・200万枚の大ヒットを記録して一挙に世界的な大ブレイク!豪華な一流スタジオ・ミュージシャンとのコラボでジャズ・ロックが混合した洗練フュージョンアルバムは、グラミー賞最優秀録音賞も獲得しロック音楽史に燦然と輝く栄光盤となりました。名盤の表題曲(上記掲載)は、8分間に及ぶ複雑なジャズ的転調でウェイン・ショーターのサックスソロ、スティーヴ・ガッドによる巧みなドラム演奏などが折り込まれ、スティーリー・ダンの名声は決定的なものとなったのです。金字塔傑作には大ヒットした「ペグ」「ディーコン・ブルース」(1977)等の拘り抜いたサウンドが満載!アルバムジャケットは、日本人モデルの山口小夜子(化粧品CMでも有名)が起用され、アジア・テイストの文化追及のコンセプトにも大いに魅了されたものだなあ・・。デビュー当時4人編成のスティーリー・ダンでしたが、この名盤制作を最後にウォルター・ベッカー&ドナルド・フェイゲン、2人だけのグループとなっています。「FM」(1978)は、FMラジオ局を題材とした米国映画(日本は未公開)のサントラ盤で当時の大物アーティストのヒット曲と一緒に収録されており全米5位という大ヒット曲。当時RWは「スティーリー・ダン」って、まだグループだとは知らず音楽才能のある男性ソロアーティストの名前だと勘違いしておりました・・(苦笑)。次のアルバムは膨大な時間(2年半)と1億円近い費用をかけて制作された「ガウチョ」(1980)でした。前作の「彩(エイジャ)」の評価があまりにも高かったためそのプレッシャーは相当大きかったと思います。色々とトラブルがありましたが、完璧主義のドナルド・フェイゲンは演奏に寸分の狂いも許さずこのアルバムはプラチナセールスを獲得し、収録曲の「ヘイ・ナインティーン」(1980)もシングル・チャートの10位に入っています。一方のウォルター・ベッカーは当時麻薬に溺れ、レコーディング終盤で交通事故で入院するなどボロボロ状態だったようで、「ガウチョ」を最後にコンビは活動を停止。その後ドナルド・フェイゲンがソロ・アルバム「ナイトフライ」(1982)を発表し大活躍している中で、ベッカーも1985年に麻薬を克服して音楽界へ復帰するものの目立った活動は見られませんでした。しかし1999年以降は再び二人での活動を再開し、2000年の8th盤「トゥー・アゲインスト・ネイチャー」がグラミー賞を4部門受賞で復活しグラミー賞殿堂入りも果たしたことは実に嬉しいことでした。最後の締め曲は名盤ガウチョからシングルカットされた「バビロン・シスターズ」(1980)を聴きながらこの二人がロック史に残した偉大なる足跡を振り返り、ウォルター・ベッカーの冥福をあらためて祈念します。これからも突然入ってくる有名アーティスト訃報の追悼記事をあたふたと急遽掲載する機会が増えていくんだろうなあ・・。 (合掌)






★(177)ステッペン・ウルフ 「ワイルドで行こう」 (1970年) (2017.9.3公開)


c0119160_16162565.jpg60年代米国の若者文化を活写して話題を集めたアメリカン・ニューシネマの傑作「イージー・ライダー」(1969)・・!ハーレーダビッドソンを運転し、真夏の太陽がサンサンと照り付ける荒野を風を切って走るデニス・ホッパーとピーター・フォンダ(主演・脚本)の勇姿が実にカッコよかったなア・・!日本での映画公開は翌年(1970年、RWが中学時代)でしたが、映画ポスターが他クラス教室の壁にこれ見よがしと貼ってあった記憶が鮮明に蘇ります。当時は、ビートルズ解散後に封切られた映画「レット・イット・ビー」のポスター(黒枠4人)と並んで人気の双璧・憧れの的となっていました。「イージー・ライダー」の映画主題歌は「ステッペン・ウルフ」の「ワイルドで行こう」(Born To Be Wild)、イントロが流れるだけで血沸き肉踊るような迫りくるビートと躍動感、この強烈な印象曲は全米第2位を獲得し、その後ローリング・ストーン誌が選定した最も偉大な500曲において第130位に輝いています。当時はベトナム戦争真っ最中、若者の反体制的文化が沸騰していた時代であり、この曲題名・リズム・ビート・ワイルドなボーカル全てが反抗心に溢れた1969年ロックの象徴曲の如く感じられました。しかしこのバンドは本曲以外はあまりよく知らないという方が多いのでは・・(実は自分自身もその一人)、色々調べてみるとその他にも沢山のチャートヒットを放っていたことを知り、ステッペンウルフ再発見のレポートとしたいと思います。リードボーカルのジョン・ケイを中心とした5人組のハード・ロック・バンド、カナダ出身で1968年に「スキ・スキ・スー」という曲でデビューしました。ワイルドなサウンドに合わせて「スッキ-スッキ-スッキ-スッキ-・・スー!」と繰り返されるお茶目なリフレインがRWもスッキ-スッキ-大好っき~!2ndアルバムからの 「マジック・カーペット・ライド」(1968)は最初に轟音ギターのハウリングが鳴り響く渋めのロック曲ですが後半は幻想的なサイケデリックロック(全米3位の大ヒット)、3rdアルバムからは前半は正統派ロックが終盤には突然アフロチック演奏に変調する「ロック・ミー」(1969 全米10位)などが聴きどころ!「ワイルドで行こう」が世界に大ブレイクしてからも全米ベスト10入りしたヒット曲が3連続もあったなんて知らなかったな~!新ギタリストのラリー・バイロンを迎えた4th盤からは反体制のメッセージが強く主張されている「ムーブ・オーバー」(1969)や5th盤からは、「Hey Lawdy Mama」(1970)がシングルリリースされています。上記2曲もアメリカン・TOP40にチャートインしており「ワイルドで行こう」だけの一発屋バンドとの印象が強いステッペン・ウルフですが、7~8曲もヒットナンバーを持っていたとは目から鱗!しかも、こうやって色々な曲を聴きこんでみると、プログレのような壮大なロック曲が多いバンドだったんだ!・・とあらためて驚かされました。しかし、1970年代に入ると絶えまなく続くツアーとレコーディングに追われメンバー達はついに疲れ果ててしまい、1972年2月14日にバンドは解散宣言・・。彼らの活動拠点だったロサンゼルスの市長は解散日を「ステッペンウルフの日」に指定し惜しんだのだそうな・・ Σstpn(゚◇゚;) wolf!  代表曲「ワイルドで行こう」の歌詞一部に「ヘヴィ・メタル・サンダー」という言葉が登場しますが、これがきっかけで「ヘヴィ・メタル」の音楽ジャンル名称が誕生したとも言われ、ロック史に輝く名バンドだったんだなあ・・とあらためて敬服します。映画「イージー・ライダー」での劇中歌の「プッシャー」(1969)も渋めの名曲!「イージー・ライダー」は戦争や政治に対する反抗・反体制的な若者文化で米国が2分されていた時代の象徴的な映画でした。現在の米国は、トランプ大統領が選出され米国第一の保護主義化、白人優位主義・移民差別の対立、朝鮮半島の戦争危機などの米国自身が混乱し国が分裂している時代となりました。当時とは状況がやや違うものの、国内対立・迷走・人種差別・戦争というキーワードでは相当似ている部分がある気がします。戦争という面では、トランプ大統領と金正恩は「ワイルドで行こう」とヤケを起こし一触即発・戦争衝突なんていう事態は絶対に避けてほしいものですネ~。 最後の締め曲は4thアルバムの題名曲「モンスター」(1969)、序盤はスローなバラードそして徐々に壮大な世界へ引き込まれていく秀逸かつ壮大なロックナンバー、母国アメリカを心底愛する硬派達が横暴なモンスター権力に対しての反骨心と熱い想いを全身全霊で歌いあげています!実に素晴らしい~!RWはこの曲こそがステッペンウルフの最高曲だと感銘いたしました!




  by rollingwest | 2013-12-01 00:00 | Comments(140)