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<2014年4月>鎌倉湘南探訪(その8):「藤沢歴史探訪」(義経・一遍・日蓮の史蹟巡り)

<日本仏教史を飾った偉人達>(その3):踊念仏・時宗「一遍上人」&「日蓮上人」②(龍ノ口法難)


★藤沢北部エリアに見られる歴史の面影

久しぶりに鎌倉湘南探訪シリーズ記事を公開、今回は鎌倉・江ノ島から離れて藤沢北部に足を伸ばしてみました。今やすっかり都市化した藤沢の市街には、残念ながら鎌倉や川越のような深い歴史を感じる街並は見当りませんが、宝探しの視点で歩いてみると随所に歴史の面影を発見できます。


    .......湘南最大の都市「藤沢市」(人口42万人、神奈川県第4位)の駅前風景.......
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藤沢宿は江戸日本橋から数えて東海道53次の第6番目の宿場。戦国時代から、小田原北条氏の交通要地でしたが1601年に駅制が定めら藤沢宿として成立しました。遊行寺や江ノ島詣の観光宿で発展し、江戸庶民は浮世絵に描かれた光景に憧れて藤沢という地をイメージしていたことでしょう。

                                湘南探訪・江ノ島を特集した記事はコチラから


   .......広重や北斎が浮世絵に描かれた藤沢宿・江ノ島は江戸時代の人気観光SPOT.......
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藤沢北部には、東海道の昔を思い出すような街並風景は殆ど残っていませんが日本史に登場するビッグネームの史蹟を随所に発見することができます。今回の記事は、源義経に所縁深い「白旗神社」、一遍(踊り念仏・寺宗の開祖)の「遊行寺」、日蓮が法難を受けた「龍口寺」を中心に紹介しましょう。


   .......日蓮上人が法難を受けた「龍口寺」、寺の高台からは藤沢の街と江ノ島が望める.......
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★源義経・弁慶の首が祀られる「白旗神社」


     .......藤沢の「白旗神社」(創建年代不詳、古くから寒川比古命を祀っている).....
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源義経が祀られる藤沢の「白旗神社」は全国に70社を数える源氏を祀る神社の一つですが、もとは相模国一宮寒川神社と号していたとのこと。しかし1249年に義経がここに合祀され白旗神社となりました。ちなみに源氏三神社とは、六孫王神社(京都)、多田神社(川西)、壺井八幡宮(羽曳野)


  .....社殿を覗くと判官・源義経の肖像画があるぞ!ヒーロー義経が当地に眠っていたのか.......
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その由緒は源義経と弁慶の首が当地に祀られたからです。平家打倒の立役者だった義経は兄頼朝とその後対立し1189年奥州平泉で攻められて自害しました。2人の首は鎌倉での検分実施後に捨てられ、藤沢の境川に漂着して、近くには義経の首を洗ったという「首洗い井戸」が残っています。


   .......奥州で自害した義経の首は鎌倉で検分され川に捨てられ、当神社で祀られる......
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当地で首が拾われた事を知った頼朝は義経を哀れみ源氏シンボル「白旗」の名を冠し明神として祀らせたとのこと。境内には義経と弁慶の名に因んだ木や石碑もある。日本史で超有名な義経・弁慶が藤沢に眠っているとは意外と知られていない事実!でも源平史が好きな人はよく訪れる神社です。


       ........石に触れると病気に罹らないと云われる「弁慶の力石」もあった......
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源氏に所縁深い神社といえば八幡宮ですが、鎌倉鶴岡八幡のシンボルは鳩。そして白旗・・、清和天皇をルーツとする源氏と秦氏は深い繋がりを持っています。今登場した文字(幡・鳩・旗・秦)には全てHATのキーワードが登場している。大陸渡来の秦氏は氏姓の源という意味が隠されているのかも・・


       .......源平合戦で有名な源氏の白い旗、この神社の名の由来となっている......
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★高級別荘住宅地の鵠沼海岸付近

江ノ島の隣に位置する鵠沼海岸には、歴史的に有名な政治家・実業家・文化人の邸宅や別荘が多くある場所でリッチな雰囲気が漂います。RWにとっての鵠沼は、会社の新入社員研修合宿で砂浜を毎朝走らされたことが脳裏に蘇る海岸。江ノ島を生まれて初めて見たのも研修所の窓からでした。


  ......新入社員研修で毎朝、鵠沼の砂浜(別荘地の面影あり)を走らされたものだネ~.......
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2007年、鵠沼にあった歴史的建造物が次々に放火される事件が相次ぎ、この辺りは物騒な雰囲気に包まれたことがあります。大正時代の丸ビルを建築した米国設計技師モーガンの旧邸、国の重要文化財建築だった旧住友家俣野別邸、大磯の旧吉田茂邸も出火、実に不埒な奴がいたもんだ・・


   .......(左)モーガン旧邸 (右)旧住友家俣野別邸、2007年に連続放火で焼失.......
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鵠沼に皇大神宮があったという事実も初めて知りました。832年造立記録があり、創建が古い神宮の祭神は天照皇大神の他に神話のビッグネームが続々と登場します。第60代醍醐天皇時代には、相模国の総社(筆頭は寒川神社)に列せられたらしい。鳥が告げるクゲの字も何か意味がありそうだ・・


   ........(左)鵠沼皇大神宮 (右)夏は人形山車が練り歩く華麗な例大祭が行われる......
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★箱根駅伝の坂で有名な「遊行寺」(時宗の総本山)

正月の風物詩「箱根駅伝」往路で戸塚中継所を通過した後、最初に迎える難所は「遊行寺坂」、ここを上り下りするランナーはスペシャリスト選抜の一人なのかも・・。坂の名前は鎌倉時代に「一遍」という遊行僧が当地で踊念仏を始め、「時宗」という大きな宗派に成長し「遊行寺」が建立されたことに由来


    ........遊行寺の坂(国道1号)はきつくて長い・・。箱根駅伝の難所コースとして有名......
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時宗・総本山「遊行寺」の正式名称は「藤澤山無量光院清浄光寺」・・、Oh~藤沢の名前がついているぞ!東海道五十三次・藤沢宿は江ノ島観光の他に門前町として発展したことが大きな理由か・・?


  ........「遊行寺」は境川(片瀬川)を渡った丘の上に鎮座。時宗4代目「呑海上人」が創建......
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時宗開祖の「一遍」は全国を遊行して踊念仏を広め、鎌倉新仏教の一勢力を占める程に発展へと導きました。本堂は東海道随一といわれる木造建築(関東大震災後に再建)で実に堂々としている。総門の石段は48段あり、いろは四十八文字からもじって「いろは坂」と呼ばれているとのことです。


  .......(左)諸国を巡り「踊り念仏」を広めた「一遍上人」 (右)総門へ登る石段「いろは坂」......
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「いろはにほへと」の歌を調べて見るとは「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」の三法印(真理の教え)が刻まれているそうな・・。いろは歌の作者は空海や柿本人麻呂等の諸説がありますが、歌中には日本古代史を紐解く暗号が隠されているとも言われます。毎回この路線が好きなRW・・(苦笑)


      ......念仏系宗派の本尊は金ピカのケースが多いが、ここも実に華やかだった・・!......
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境内には、大銀杏(樹齢数百年)や立派な庭園(ソテツも多く湘南らしい雰囲気)があり、ゆっくりと散策するには楽しいお寺だね~!訪問した日は梅が綺麗に咲き誇り、春到来の嬉しさを感じました。


     ......遊行寺社務所の庭に出てみると燃立つ白梅や木瓜の花、本格的な春到来!......
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先日久しぶりに大手町ビルど真ん中に鎮座する強烈なる東京のパワースポット「平将門の首塚」を訪ね、塚碑銘に「遊行寺の名僧・真教上人が復興した」と記載されており驚きました!鎌倉新仏教の寺と日本最大の祟り神との繋がりは全くイメージしにくいものの実に不思議な縁だな~と思った次第です。


   .......(左)早春の庭に心和む (右)平将門首塚(大手町)の復興は遊行寺名僧の名が!.....
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★日蓮が斬殺されかけた法難の寺「龍口寺」

「龍口寺」は藤沢市片瀬の丘に建つ日蓮宗の本山、この地はかつて鎌倉時代の刑場跡で1271年日蓮が処刑されそうになった因縁の地であり当事件は「龍ノ口法難」と呼ばれています。日蓮は鎌倉幕府や念仏宗を堂々と路上批判(辻説法)し捕えられてしまいますが自分の信念を曲げません。


  ......「龍ノ口法難」の舞台「龍口寺」、幕府に捕えられた日蓮はここで処刑されることになった......
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ついに日蓮上人は腰越の「龍ノ口刑場」で斬殺処刑されることになりました。上人が首切り座に据えられ介錯人が首を刎ねようとする瞬間、突然轟音と共に雷光が閃いたのです。武士達は目が眩み次々倒れ込み、天から守られた上人は難から無事逃れられ、当地は日蓮法難の霊蹟となりました。


  ......日蓮が斬殺される寸前に、突然雷光・雷鳴が轟き、武士は目が眩み倒れ込んだ!......
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処刑は免れても佐渡流罪となった日蓮でしたが、赦免後は日蓮の教えをさらに広めていきます。頑固一徹な日蓮上人の波乱万丈な一生は「大田区探訪④池上本門寺」で紹介済ですのでご覧下さい。

                          日蓮の生涯(大田区探訪④池上本門寺)の記事はコチラから

 


  ......(左)処刑寸前の地には日蓮の石碑が! (右)高台にはインド寺院風の仏塔があった....
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仁王門をくぐり山門を抜けると広い境内が広がり、大本堂と五重塔が現れます。大本堂をぐるりと取り囲むように裏山の散策路があり、裏山に聳え建つ風格ある五重塔や真っ白な仏舎利塔を観ることができます。仏舎利塔に登ると相模湾・江ノ島や藤沢の街を望む絶景のパノラマが満喫できます。


    .......(左)風格漂う五重塔 (右)威厳ある本堂、見事な木彫りが芸術的だった!......
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★日蓮所縁の史蹟が多く残る鎌倉

鎌倉は日蓮上人の足跡が多く残っている場所です。辻説法を行っていた「鎌倉開教聖地の碑」がある「妙本寺」(苔寺とも呼ばれる)を中心にして日蓮所縁の寺跡をジックリと散策することができます。


      .......辻説法の地に立つ「妙本寺」の日蓮像、「松葉が谷草庵跡」としても有名......
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安房から初めて鎌倉に入った日蓮が拠点を構え20年近く過ごしたといわれる「松葉が谷草庵跡」、「立正安国論」を著した「安国論寺」、「大聖人辻説法像」(高村光雲作)が立つ「長勝寺」が最大見所


   ......(左)蒙古襲来を予言した「立正安国論」の著書拠点 (右)「富士見台」からの光景......
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その他、日蓮宗を迫害した北条時頼家臣が翻意帰依した「光則寺」、日蓮が富士山に向かい法華経を読んだ「富士見台」(由比ガ浜・材木座海岸・富士が一望の絶景ビュー)等もお薦め。次回は日蓮上人が辿った鎌倉足跡に絞りレポートしたいと思っています。あっ今回は藤沢の紹介でしたネ・・、失礼~


    ....... 日朗(日蓮の弟子)を監禁した幕府家臣が翻意帰依した「光則寺」(お花の寺)......
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龍口寺の近くにはマスコットみたいな可愛らしい六体の地蔵が祀られています。六地蔵は、当地で処刑された罪人供養のため亡者を六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天)から救うために祀られます。


      .......(左)昔は刑場だった龍口寺の近くには「六地蔵」 (右)腰越・江ノ電風景......
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修行足らずで現生利益優先の凡人は、日蓮の如く強くは生きられず・・、一遍の如く欲なく往生を願う暮しもできず・・、皆様とブログでコメントを交わすささやかな喜びで生きているRWです。(苦笑)



                                                          おわり

  by rollingwest | 2014-04-19 00:00 | 鎌倉・湘南探訪 | Comments(92)

<2014年4月>埼玉探訪:「行田・さきたま古墳群」&「和同開珎」発祥地(秩父)

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★行田の「さきたま古墳群」を初体験

前回の東松山・川越記事に続き今回も埼玉県の歴史探索記事をお届けします。行田市の「さきたま古墳群」、日本初の貨幣「和同開珎」の発祥地(秩父)。埼玉は古代史探訪で魅力的な県なのです。


   ......埼玉県行田市「さきたま古墳公園」丸墓山古墳から稲荷山古墳を望む(1月訪問).....
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東松山の「吉見百穴」という古墳時代の横穴墳墓を前回紹介しましたが、埼玉県北部は5~6世紀の古墳群が数多く存在しているエリア。利根川・荒川に挟まれた肥沃な土地で繁栄したためでしょう。


        .......埼玉県行田市や東松山(吉見百穴)等に古墳時代遺跡が残る......
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                                 埼玉探訪(東松山・川越)の記事はコチラから  


川崎から行田のアクセスは電車だと不便なので、車で朝早く出発して10時過ぎに到着。埼玉の県名発祥碑と対面後、いよいよ「さきたま古墳群」へと向かいます。訪問時は2月初めで一点の雲もなき快晴!冬枯れの木々が疎らに生える平原に巨大な前方後円墳が現れてきた!何たる開放感!


         .......(左)埼玉の県名発祥地の碑 (右)さきたま古墳群の航空写真......
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     .......(左)「丸墓山古墳」へと向かう (右)「二子山古墳」を望む(2014年1月)......
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まずは日本最大の円墳「丸墓山古墳」に登ってみました。頂上部には冬枯れした桜の木がありましたが、春爛漫時期の写真をGETしてみると満開桜に菜ノ花群生のコラボ、大いなる絶景ですね~!


     .......(左)日本最大の円墳「丸墓山古墳」 (右)春は頂上部で桜満開......
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1590年に石田三成が北条攻めで「忍城」(oshijyou)を包囲して水攻めにするために造った堤防の跡(石田堤)がありました。水攻め作戦はうまくいかなかったようですが・・。木道階段を登り頂上部に立てば行田市街が一望!やや春霞っぽい陽気で朧げだったものの遥か彼方に冠雪富士が眺望!


      .......(左)丸墓山古墳を登り上がる (右)頂上パノラマ、朧な富士山が遠望......
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      .......初老女性が足どり軽くウォーキング、古墳散歩を日課としてるのかな?......
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丸墓山古墳からの眺望を満喫後、全国的に有名な「稲荷山古墳」へと歩きを進めて行きました。ここは国宝「金錯銘鉄剣」(詳細後述)が出土し一躍脚光を浴びた前方後円墳。頂上部には埋葬礫槨が復元されています。舟形の河原石枠内に棺があり、副葬品として「金錯銘鉄剣」が発見されたのです。


    .......さいたま古墳群の中で最古の「前方後円墳」、頂上部に復元された埋葬礫槨......
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稲荷山古墳から少し離れた所に武蔵国最大の前方後円墳(全長90m)「将軍山古墳」(平成9年復元)が丘の如く聳えています。陵上に並び配置された数多くのモニュメント風の土器群!不思議な光景だ~


     .......「将軍山古墳」の丘上には多くの埴輪が飾られている。将軍の名の由来は?.....
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墓陵の中は「将軍山古墳展示館」が併設されており古墳内部に入って見学できます。石棺室にはまさに名前通り古代豪族将軍が永眠している姿が再現されていました。安置遺体と供に出土した煌びやかな馬具類や副葬品は必見!「三国志」に登場するような武具甲冑・豪華宝飾物には驚くばかり!


    .......(左)眠る将軍周辺には多くの副葬品 (右)エントランス展の騎馬将軍の銅像雄姿......
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大和朝廷時代、関東~東北エリアには「毛人」(縄文人)が支配する巨大王国(複数部族の集合体)があり、その中で大和朝廷と婚姻関係を結んだ東国豪族が「毛野氏」(kenoshi)でした。この豪族は今の群馬・栃木を中心に大勢力を誇り2県エリアを「両毛」と呼ぶ由来は上下の毛野国という意味です。


      ......古代日本豪族の一翼勢力をなした騎馬民族、将軍眠る古墳内部を再現......
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一族は騎馬術を駆使し武門に優れており、朝廷命により東北の蝦夷討伐や朝鮮出兵に協力することで大和朝廷との連携を図り大豪族(常陸西部・武蔵北部まで勢力範囲)の地位を保ちました。さきたま古墳群造営者が毛野氏自身か?その対抗勢力かは判然としませんが大いに関係がありそう・・


         .......「浅間塚古墳」を通過していくと「さきたま史跡博物館」へと戻る......
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数々の古墳の周遊見学を終えて「さきたま史跡博物館」に戻ってきました。博物館前は広い庭があり日本古民家「遠藤家」が展示。家の内部を懐古的心境で拝見、次は博物館を見学してみることに


           ......「旧・遠藤家住宅」、古墳脇に民家が移築展示されていた......
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    .......(左)旧・遠藤家住宅の内部 (右)古墳時代の人達にとっては未来の夢邸宅!......
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さて今度は「さきたま古墳史跡博物館」を勉強してみよう!今廻ってきた古墳群のおさらいと合わせついに国宝として名高い「金錯銘鉄剣」(.稲荷山古墳から出土)の本物にご対面する時が来ました。




★「さきたま史跡博物館」の国宝名剣&日本古代史考察


博物館内部では「さきたま古墳群」昭和初期の写真、足長の馬や武人の埴輪などが展示されています。大和朝廷のルーツは大陸から渡来した騎馬民族が征服したという説が有力ですが、武人・馬の埴輪、精巧な馬具等を見ると大いに信憑性があります。日本人と蒙古人は殆ど同じDNAだしネ・・


    .......博物館に飾られていた長い足の馬、武人埴輪を見ると「大魔神」を思い出す......
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当時の渡来人は生活・武具等を作る高い工業技術者を持った人が多く、大和王権は渡来人を支配下に置き、部民制度(職業別組織体制)を導入しました。須恵器を作る人達を「陶部」(suetukuribe)、馬具や鞍を作る人達は「鞍作部」(kuratukuribe)、埴輪や土器を人達は「土師部」(hajibe)などです。


       .......(左)錆ついた鉄剣・神獣鏡 (下) 勾玉 (右)須惠器・土師器の数々......
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1978年、稲荷山古墳から出土した錆びた金錯銘鉄剣銘鉄剣の中に「獲加多支鹵(ワカタケル)大王」の文字が発見され日本古代史究明における世紀の大発見と騒がれました。ワカタケルとは第21代「雄略天皇」のこと、鉄剣所有者は「ヲワケ臣」なる人物で雄略天皇に信頼が厚い親衛隊長だったらしい。


     .....「ワカタケル大王」の名が刻まれた「金錯銘鉄剣」(稲荷山古墳から出土)......
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中国古書「宋書倭国伝」の日本に関する記述に登場する「倭の五王」のうち「武王」が「雄略天皇」のことですが、日本書紀の記述を見ると、同母兄等を次々に残酷な方法で殺し天皇の地位を奪った横暴な大王で「大悪天皇」or「有徳天皇」とも呼ばれています。全く反対の評価名が同居している・・


       .......考古学的観点で実在が実証された最古の天皇「雄略天皇」(ワカタケル)......
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雄略天皇は百済や任那を支援し、朝鮮半島で圧迫を受けた多くの民を日本に渡来させました。その反面、気性は激しく部下の不用意言動に対して激怒し焼き殺したりして猜疑心が強かったらしい。信長以上に強烈な性格の天皇が心を許し重用した「ヲワケ」とは一体どんな人物だったのでしょう?





★渡来人がもたらした技術・文化、「和銅開珎」の発祥地(秩父)を訪ねる


秩父は養蚕や絹織物業が盛んですが、多くの渡来人が当エリアに多く住んだからです。大和政権は技術力が高い秦氏族(渡来人)を統率強化し、養蚕・服飾業の奨励拡大を図り日本人に同化させました。秦野・波多野・羽田・畑山・畠中・鳩山・服部(hattori)苗字は機織り(hataori=秦織り)に由来


 ......「武甲山」が見守る秩父では昔から「秩父銘仙」の絹織物技術・養蚕業が発展してきた......
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秩父に入植してきた秦氏は鉱山採掘・鋳造技術にも優れており、日本初の国内貨幣を鋳造しました。教科書で習った奈良時代の貨幣「和同開珎」は何と埼玉県が発祥地なのです。物作りに長け手先が器用な日本人の技術力は、秦氏の血・DNAが古代から継承されてきたからではないでしょうか。


  ......2013年11月「和銅開珎」御神体の「聖神社」を訪問(地元で銭神様と親しまれる)......
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秩父の「和銅黒谷」は日本で初めて流通した貨幣「和同開珎」の発祥地。元明天皇期(708)に日本初の自然銅が秩父で発見され朝廷に献上されたからです。和同開珎が祀られる「聖神社」は地元では「銭神様」と呼ばれ、金運招来の神として宝くじ当選やビジネス成功を祈る人達に大人気らしい。


   .......(左)秩父鉄道には「和銅黒谷」の駅もある (右)金運招来の祈願で賑う「聖神社」......
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「和銅」採掘跡は黒谷和銅山にあり一帯が「和銅遺跡」となっています。露天掘跡脇には巨大な「和同開珎」モニュメントや銅精錬所跡もあってビックリ!秩父から奈良に銅を運ぶのも大変だったろうなア・・


      ...... (左)和銅黒谷の自然銅採掘跡&銅ムカデ (右)巨大貨幣モニュメントが鎮座......
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        ......「銅精錬所跡」、この技術も秦氏が日本に導入した高い技術の一つ......
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和銅遺跡には、秩父銅を都へ運ぶ役割を担った「羊太夫」の説明書きもありました。この方は上野国(群馬県)の伝説上の人物で、多胡郡吉井町(現高崎市)の「多胡碑」を見に行ったことを思い出しました。この碑には日本古代史に隠されたある文字が刻まれているのです。(下記に詳細を記載)


   ......2011年に訪ねた群馬県多胡郡吉井町の「多胡碑」、ここに原始キリスト教の文字が・・......
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群馬の県名は大陸から日本に渡ってきた騎馬民族勢力の痕跡が残っています。そして羊という名の豪族、まさに騎馬を操る蒙古遊牧民族が当地に根を張っていたことが窺えます。行田古墳群・秩父銅山跡は群馬県の隣接エリアであり、大和朝廷・騎馬将軍・渡来人秦氏に深い繋がりを感じます。


          .......和銅開珎の聖神社から望む「武甲山」、秩父の街を見守る......
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「武蔵国」「武甲山」の呼び名のルーツは「武庫」・・、日本武尊(ヤマトタケル)が武具をこの山に奉庫したからです。秩父「三峯神社」には「ヤマトタケル」銅像が堂々と立っており、大和朝廷が崇めた山だった!


       ......「三峯神社」を訪問して、天を見つめる「日本武尊ヤマトタケル」を発見!......
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                              名峰「武甲山」を仰ぐ「秩父の里」記事はコチラから 




★日本人とユダヤの繋がり (毎回のRW関心テーマ)


ところで日本古代史と来ればRWは「日本人のルーツはユダヤ」という説に興味を示し敏感に反応してしまいます。行田古墳の埴輪を見るとまさに古代ユダヤ人そのものだ!またキリストが処刑された十字架には「INRI」の文字があり、INARIに変化し「稲荷山」の古墳名に残されたとの説があるのです!


    ......ユダヤ司教の姿に似る埴輪、イエス磔十字架のINRI文字と稲荷山の類似は?......
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先程紹介した羊太夫「多胡碑」には「JINRI」文字が古書に記され、キリスト磔の「INRI」と全く同じ⇒「イエス、ナザレ大王」の意味が隠されているとのこと。大和朝廷がユダヤルーツである確証の一つです。
全国で最も多い神社は八幡神社と稲荷神社ですが、両方とも全て秦氏が創設し拡大した神社です。


  ......「天孫降臨」とはユダヤ人が日本を騎馬征服し、天から皇が降りた神話として表わす......
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日本の神社には古代イスラエル祭祀との類似が多くあり、祭祀形式・禊・結界(幕屋)・神輿(=アーク)・狛犬(=ライオン)等の共通点が沢山。失われたイスラエル10支族は騎馬民族と一緒に行動し世界最東端の日本へ到着、原始キリスト教を日本神道として再生させた。こんな驚愕的な説が唱えられています。


    ......「失われたユダヤ10支族」の移動ルート、騎馬民族と一緒に渡来した説が有力?......
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京都「祇園祭」の山鉾巡行に使用される装飾布には、イラクバクダッド宮殿や旧約聖書の一場面を表した図柄があります。ユダヤの「シオン祭」(⇒祇園と発音酷似)と開催日程や祭祀形式が完全に一致しています。天皇を裏から支え、京都遷都計画を完全指揮した秦氏は原始キリスト教直系だったのです。


  ......京都「祇園祭」のタペストリーには旧約聖書のデザイン!ユダヤ「シオン祭」と完全に同日開催......
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「祇園祭」「高山祭」と並ぶ三大曳山祭りは「秩父夜祭り」。昨年12月に初体験しましたが何故こんな山奥に京都に似た華麗な祭りが?と思いましたが、秩父に秦氏が多くいたことを考えれば当然か!


      .......華麗なる「秩父夜祭」、祇園と類似する理由は秦氏の影響に間違いなし......
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                                 「秩父夜祭」(2013年12月)の記事はコチラから  


行田古墳群から京都祇園やユダヤ文化へ突然話が飛んでしまったような印象になりましたが、アジア大陸は実はイスラエル・ペルシャと地続きです。渡来人文化とは中国・朝鮮と即考えがちですが、蒙古騎馬民族(スキタイ)と遊牧民族(ユダヤ)が合流し朝鮮半島経由で日本に渡ってきたと理解すべきかも・・


   ......伊勢神宮灯籠の「ダビデ紋章・六芒星」、アークを運ぶ姿は神官装束・神輿と全く一緒......c0119160_18313674.jpgc0119160_18421258.jpgc0119160_19271812.jpg




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天皇家のルーツは朝鮮半島東に秦韓・辰韓・弁韓(⇒後に新羅・百済・任那)を建国した「扶余族」(騎馬民族)と云われます。秦氏(扶余族)は原始キリスト教直系・・、日本の神話(天孫降臨)という権威を構築しながら全国の神社(頂点は伊勢神宮)を支配していったと考えればいいのかもしれません。



                                                          おわり

  by rollingwest | 2014-04-07 00:00 | 秩父探訪 | Comments(71)