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<2014年5月>静岡東部探訪(その3):「三島・韮山・北伊豆」編

静岡東部」探訪シリーズも3回目を迎えます。初回は「富士宮編」(霊峰富士を間近に仰ぐ絶景と信仰ルーツ)、2回目は「富士・沼津・伊豆の国編」(沼津周辺名所や古代ミステリー)、今回は、頼朝・政子の史蹟や伊豆国鎮守「三島大社」、世界遺産の新候補「韮山反射炉」、北伊豆「丹那断層」もあわせてご紹介

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                          静岡東部探訪(その1):「富士宮」編

                          静岡東部探訪(その2):「富士・沼津・伊豆の国」編より続く
  



★源頼朝・北条政子の逢瀬が重ねられた「蛭ケ小島」

葛城山頂上には少年時代の源頼朝像がありました。山頂から東側には伊豆の国市を流れ行く狩野川の光景が広がっていますが、その平野部の中に源頼朝が北条政子と逢引きをしていた「蛭ケ小島」があります。頼朝は若き頃、平清盛から伊豆へ配流されたこの地で雌伏の時代を過していたのです。


   ......葛城山頂から望んだ伊豆の国市&狩野川(kanogawa)風景、少年時代の源頼朝像も......
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2人のラブロマンス地は現在、「蛭ヶ小島の夫婦」と題した頼朝・政子の銅像が仲睦まじく建っている公園、「源頼朝公配流地」の石碑もあるぞ。地名は水田地帯に広がる湿地で蛭が多かったことが由来らしいが、周囲を見渡すと一面の田んぼだらけ。デート場所としては名前も含め、ムードには欠けるなア・・(笑)


      ........頼朝&政子Fall in Love!若き日のラブ゙ロマンス舞台は韮山「蛭ヶ小島」......
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1157年北条時政の長女として生まれた政子(韮山・成福寺に産湯井戸あり)は、父・時政が監視していた源頼朝(平治の乱後14歳で伊豆に配流)とやがて恋に落ち、この「蛭ケ小島」で何度も逢瀬を重ねました。時政は当然猛反対、源氏嫡流で罪人の身である頼朝との仲を何とか引き裂こうとします。


      .........(左・中)政子の産湯井戸(韮山・成福寺) (右)北条氏・父と娘の葛藤.....
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時政は政子を無理やり他の男と結婚させるべく婚礼の夜を迎えますが、激しい雨中に政子は逃げ出し山・川を越えズブ濡れになって恋しき頼朝の元に向かい、遂に伊豆山神社で2人はついに結ばれます。花嫁の夜逃げとは・・、映画「卒業」みたいだ!時政も遂に折れてその仲を許すことになりました。


      .........「蛭ケ小島」(源氏再興の地)から愛を貫いた「頼朝&政子」が富士を仰ぐ.....
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そして政子と結婚した頼朝は源氏再興に向けて当地から挙兵(1180年)、5年後には壇ノ浦で平家を滅ぼし1192年に鎌倉幕府を開いていきます。その後、2人の人生は激動を迎えますが、大恋愛していた頃が一番いい時だったのかもしれない。逢瀬を重ねた当地「蛭ヶ小島」ではどんな語らいが・・?



★創建歴史の深い霊験あらたかな「三島大社」

「三島大社」(事代主命と大山祇命が主祭神)は伊豆国一の宮として崇敬を集める歴史深い神社。また頼朝が挙兵前に戦勝祈願し、源氏再興が成就されたことでその霊験の強さが知れ渡っています。


   .......頼朝が深く崇敬し源氏再興の戦勝祈願した「三島大社」は伊豆の総鎮守.......
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平清盛は京都でクーデターを企て後白河法皇を幽閉、安徳天皇を即位させました。皇位継承を絶たれた後白河法皇の子・以仁王は平氏追討の令旨を全国の源氏に発布し、1180年頼朝はついに挙兵!


   ......源氏再興旗上げした源頼朝は「石橋山」で一度敗れるが、安房に渡り巻き返しを図る....
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緒戦敗退の頼朝でしたが房総半島に渡り体制を立て直し、平家打倒に呼応する東国武士の相次ぐ加勢で形勢逆転。鎌倉入りした頼朝に弟・義経が駆けつけ破竹の勢いとなり、壇ノ浦へ追い詰めて平家を滅ぼしました。源氏再興が実現したことにより三島大明神の威光も全国に轟くこととなりました。


  .......(左)三島大社「本殿」(七五三の記念写真を撮影する親子) (右)境内中央の「舞殿」.......
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大社には恵比寿様が祀られ商売繁盛・五穀豊穣にもご利益があると云われ、訪問時は七五三参拝の家族連れで大いに賑わっていました。恵比寿神とは大国主の長男「事代主神」とイコールなのです。


   .......(左)厳島神社池脇を祝言の列が行く (右)恵比寿(事代主神)と三宅島の関係は?.......
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「事代主神」を祀る最古の本宮神社は何と伊豆七島「三宅島」に存在します。(その2)記事で山岳修験の祖「役行者」(鴨族)が伊豆や三宅島に深く関係すると書きましたが、事代主神は葛城臣王・賀茂氏の神でもあり修験道神道と強く結び付いているらしい。三島大社は役行者との関係も深いカモ・・


    .......南伊豆「石廊崎」に連なる断崖奇岩、ここにも「役行者」(鴨族)の足跡が残される.......
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三島大明神に潜む謎、役行者が賀茂・石廊崎に立てた岩室神社、修業した大和葛城山との名前一致、三宅島~下田・石廊崎~葛城山~三島大社と辿った「鴨族」(=秦氏の呪術集団)、裏天皇として祭祀を司る京都「上賀茂・下鴨神社」との繋がり・・、「kamo」は古代史ミステリ-と深く関係あるに違いない。

 



★富士湧水の里「三島・清水町」、鰻が旨い!

過去何度も紹介しましたが、三島には日本三大清流の一つ「柿田川湧水群」があります。柿田川には過去3回訪問しましたが、車の往来が激しい国道1号線のすぐ脇に風光明媚な清流が広がっていること自体が驚きだ。因みに日本三大清流の他2つとは「四万十川」(高知県)「長良川」(岐阜県)です。


    .....「柿田川湧水」、3回目の訪問は2008年12月、食山人氏・マツ氏と雨ケ岳登山後に訪問.......
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柿田川の成り立ちを調べてみると、「富士山に降った雨・雪が火山灰礫地下に一旦潜って貯留され、三島溶岩流の地下(三島市・清水町)まで流れ来て湧水として地表に現れる」と解説されています。富士山周辺の湧水といえば富士宮大社「湧玉池」、山梨(南都留郡)「忍野八海」も素晴らしいですね~!


  .......静かな柿田川清流。富士山に降った雨・雪は地下で豊富なバナジウム水となって湧出.......
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       .......三島駅の近くには有数の湧水SPOTが3つもある。写真は白滝公園.......
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柿田川訪問の直近は2008年、「雨ケ岳」登山後に食山人氏宅(当時単身赴任)に泊めてもらい、三島名店「うな繁」でご馳走になりました。水が綺麗な当地は旨い鰻で有名、当店オリジナル「鰻の櫃まぶし・石焼鍋」を頂きましたが、鰻タレがお焦げと相まって絶品の味でした。最近鰻は高くて全く縁がない・・


   .....「うな繁」の(左)玄関風景と(右)「鰻の櫃まぶし・石焼鍋」、静岡は食文化も東西分岐点....
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                            雨ケ岳登山・柿田川湧水訪問(2008年12月)の記事
  




★世界遺産候補となり今後ブレイクの予感・・「韮山反射炉」

富士山が世界文化遺産登録で喜びに沸いた昨年に続き、今年6月に「富岡製糸場」がその夢を叶えることとなりました。富岡は10年以上前から街を挙げて地道な活動を積み上げてきましたが漸く実現!本当に目出度いことだ。当時の富岡と同じ境遇で盛り上がっているのは伊豆の国市韮山です。


  ......2014年6月「富岡製糸場」が世界文化遺産に!同じ流れで期待を寄せる「韮山反射炉」.......
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昨年政府はユネスコに新たな世界遺産として申請する推薦候補を絞り込みましたが、最終まで候補争いしたのは「明治日本の産業革命遺産(九州・山口と関連地域)」と「長崎の教会群遺産」でした。最後は産業革命遺産に軍配が上がりましたが安倍政権の経済景気優先策が裏の選定理由かもネ・・


 .......2013年世界遺産候補(明治日本の産業革命遺産の一つ)として名乗り出た「韮山反射炉」.......
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選定地域は主に九州と山口県ですが東日本に2ケ所飛地があり、釜石(岩手)・韮山(静岡)が思いがけなく世界遺産候補へと一躍脚光を浴びる事になったのです。韓国は軍国主義生産拠点で世界遺産指定は大反対と騒いでいますが(最近この国はエキセントリック過ぎる)、各地元の期待は相当大きい・・


    .......(左)韓国は軍国施設を世界遺産にするな!と宣伝 (右)各候補地は大盛り上がり.......
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今回、静岡東部探訪に出たトリガー(最大理由)は当ニュースを知ったことです。世界遺産となった富士山の信仰ルーツと世界遺産候補に名乗り出た「反射炉」を見たい・・、「反射炉」とは一体何なのだろう?RWの好奇心は擽られました。垢抜けた雰囲気漂う網目煉瓦の3基塔が天に向かって聳えている!


         ......煉瓦積みの韮山反射炉、炉体断面図で鉄を溶かす仕組みを解説.......
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見学後、品川区探訪(後編)で紹介した「お台場砲台」を製造した装置だったということが判りました。煉瓦塔土台部には溶鉱炉の役目を果たす石室があり、炉内部は効率よく鉄を溶かすため反射板が設置してあります。太陽光を虫眼鏡で集め紙を焦がす原理と同じで炎熱を集中させる仕組みらしい。


        .......ペリー来航で海防強化のための大砲は韮山反射炉にて製造された.......
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           .......攘夷に向けて現在のお台場エリアに設置された品川砲台.......
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                            品川区探訪(後編):お台場の砲台に関する記事  

装置考案者は江戸後期の西洋流兵学者で砲術塾を開いた「江川担庵(英龍)」。門下に佐久間象山・桂小五郎らの名前が!ペリー来航後に防衛責務を任され品川台場建設と大砲鋳造に尽力した韮山出身の偉い方らしい。地元で盛り上がる世界遺産への期待!選ばれれば江川さんも一挙に有名人~


  ......(左)反射炉・生みの親・江川担庵 (右)九州・山口の遺産群と一緒に喜べる日は来るか?.......
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★北伊豆地震を引き起こした「丹那断層」

韮山からは熱海に抜け小田原経由で帰宅しましたが、途中で「丹那断層」という80数年前に起きた北伊豆大地震(マグニチュード7.5、最大震度6、内陸直下型)の痕跡があると知り立ち寄ってみました。無料見学できる公園ですが地下観察室まである!ここでは丹那断層の断面を見ることができます。


       .......「丹那断層」・北伊豆地震(1930年直下型震度6)の痕跡をまざまざと残す......
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高齢の方は「丹那」とくればトンネルを連想するのでは・・。東海道本線は昭和初期までは箱根北側を迂回するルートで山越えしていましたが、ショートカットするために箱根南側をトンネルで貫く計画が進められました。工事は断層破砕帯からの大量出水で困難を極め、起工から実に16年もかかり1934年完成


    .....昔は御殿場の裾野をエッチラ登っていた東海道線、「丹那トンネル」開通で喜ぶ工夫......
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丹那断層は伊豆半島北部を南北に走る断層帯ですが、実は1930年発生の「北伊豆地震」は丹那トンネル掘削の工事真っ最中だったのです。もしかして工事が原因で断層を刺激し大地震が引き起こされた人災だったのかも・・。海から衝突してきた伊豆半島は今もグイグイと本州を押しまくっている筈だ・・(怖)


      .......太古に日本列島に衝突した伊豆半島は今後も大地震を繰り返す運命にある.......
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★再び頼朝&政子のラブロマンス・・、「伊豆山神社」(熱海)に寄って帰宅

今日は早朝から出発して富士宮・沼津・三島・韮山と思う存分廻ったのでもう夕暮れが迫ってきた。熱海に出てからも「貫一・お宮の所縁地」等の名所もと欲張ったのですが時間がなくなり、史蹟訪問最後は頼朝・政子の愛が結ばれた「伊豆山神社」(熱海の小高い山に鎮座)だけに立ち寄ってみました。


       .......(左)頼朝と政子が結ばれた伊豆山神社 (右)頼朝と政子の像.......
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伊豆山神社は伊豆の名がつく神社の全国総本社格であり、婚礼から逃げ出した北条政子が頼朝と当地で愛を成就させた所縁ある神社として有名。縁結び・恋愛成就を願い参拝者が結構多いらしい。



    ......(左)熱海の山の伊豆神社へ (右) 立派なご神木の陰には2人が愛を語った「腰掛石」!......
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     .......伊豆山神社から眺望した夕暮れの相模湾、海のかなたに初島が見えた.......
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頼朝が源氏再興に向け旗揚げしデビューした「石橋山古戦場」(初戦敗退)も訪ねたかったものの既に夕闇が迫っていたので諦めました。小田原海岸に降り立ち、相模湾の名月を撮影して帰宅の途に・・


    ......頼朝挙兵「石橋山古戦場」近く相模湾海岸(小田原付近)に幻想の月が浮かぶ!.......
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     ......石橋山古戦場の夕暮れ海岸は怒涛の波音に包まれていた(さあ帰ろ~!).......
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静岡東部探訪シリーズは今回で完了・・。次回は久しぶりに熱海・小田原を廻り、新シリーズ記事をスタートさせようかなと思っています。当該記事には昔訪ねた伊豆半島・名所レビューも入れるkamo・・(鴨~n!)



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  by rollingwest | 2014-05-25 00:00 | 近郊歩きのミニ旅 | Comments(84)

<2014年5月>越後長岡の風景・歴史探訪(後編)

★前編は長岡市内の見所紹介、後編は郊外中心に・・


昨年GW(柏崎帰省時)に、隣接「長岡市」の歴史見所(主に市内部)を巡り、前編レポートで纏めましたが久しぶりに続編公開・・。後編は長岡市郊外と近隣穴場スポットをピックアップして紹介致します。市町村合併で寺泊(弥彦山近く)まで長岡エリアが拡大したことで良寛・芭蕉史蹟も登場!


     ......(左)信濃川の夜空に上がる三尺玉大花火(8月) (右)長生橋冬景色......
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前編は旧市街をメインとした歴史探訪で「山本五十六」「小林虎三郎」「河井継之助」の3大ビッグ゙ネーム(長岡出身)の史蹟巡り。戊辰戦争・太平洋戦争の戦火に巻きまれた長岡の歴史悲劇を綴りました。

                                    越後長岡の風景・歴史探訪(前編)


    .......(左)海軍総司令官「山本五十六」肖像 (右) 小林虎三郎米百俵の群像」......
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  .......(左)「河井継之助」記念館の入口  (右)継之助が購入した最新武器「ガトリング砲」......
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後編最初は「戊辰北越戦争」の「大黒古戦場跡」にある「北越戦争伝承館」を訪ねました。広大な水田遥か先には河井継之助が長岡城奪還で新政府軍と交戦した「八丁沖古戦場」も俯瞰できる!


         .......長岡郊外の田んぼに佇む「北越戦争伝承館」(激戦地跡)......
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長岡城を奪われた河井継之助は、城の北部に広がる沼地(八丁沖)を縦断し城に迫る作戦を立てました。八丁沖は底無し沼で通行不可能と言われ、突然攻撃に驚いた山県有朋・西園寺公望が率いる新政府軍は裏をかかれ一斉退却、継之助は奇襲攻撃で長岡城の再奪還に一時的に成功しました。


    .......(左)「八丁沖古戦場」を遥か望む (右)「北越戦争」の藩別対峙図・攻防経路......
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しかし戦いの中で河井継之助は流れ弾を足に受け重傷となり長岡藩兵の指揮能力・士気は一挙に低下、新政府軍は再び体制を立て直し反撃攻勢開始。その勢いに長岡軍はなすすべなく城を再び奪われ会津藩へ敗走していきます。河井継之助は只見で死去、北越戦争の終止符は打たれました。


        .......(左)「大黒古戦場」跡の石碑  (右八丁沖古戦場」跡の赤鳥居.......
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北越戦争伝承館に飾ってある幕末維新の志士達の若き日の集合写真を見てビックリしました。歴史教科書に乗るビッグネームの名前が続々!西郷隆盛・勝海舟・坂本竜馬・中岡慎太郎・大久保利通・桂小五郎・高杉晋作・大隈重信・伊藤博文・後藤象二郎他・・・、そして明治天皇も!何と貴重な写真だ~


    .....明治天皇を囲む各藩・勤王党志士達、錚々たるビッグネーム!(クリックで拡大閲覧).....
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  ↑上記写真は、「フルベッキ写真」と呼ばれ「明治天皇暗殺・すり替え説」があるらしい~!(驚)





★縄文時代から続く由緒深い「宝徳大社稲荷」・・(旧・越路町)


JR信越線の越後岩塚駅近くの小高い丘陵に真っ赤な大神殿が浮き立つごとく目に飛び込んできます。ごく普通の田舎風景の中にまるで巨大な宇宙船が舞い降りたかのような不思議な光景!地元では岩塚のお稲荷さんと親しまれる「宝徳山稲荷大社」の巨大神殿、鳥居も巨大でド派手~!


    ......立派な千木が張り出す「宝徳稲荷大社」の神殿群全景、旧越路町は今は長岡市......
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そのスケール・デザインからすると新興宗教臭がプンプンとしますが、その歴史は古く縄文の昔まで遡るらしい。解説には「殷帝大王の命により物部美万玉女命が瓊名の里に日宮の御社を建て・・」とありますが、ムム・・誰のことかさっぱり解りません。でもそんな由緒正しき神社だったとは知りませんでした。


     .......(左)鳥居越しに仰ぐ「宝徳大社」奥宮 (右)宝徳・大提灯、菊花御紋の天井......
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社殿に入ると金ピカ本殿に巨大提灯、やはり新興宗教っぽいなア・・。でも蝋燭が立ち並ぶ本殿の光景が実に幻想的!毎年11月の夜に開催される夜祭大祭(別名ろうそく祭り)では全国の神々が一堂に集まり国家隆昌・人民安泰・諸産業発展が多くの参拝者に祈念され火の鳥となって姿を現すらしい。


              ......絢爛豪華!「宝徳稲荷」の光り輝く神殿内部......
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★市町村合併で巨大化した新「長岡市」

先程紹介した宝徳稲荷は一応長岡市ですが昔の越路町です。2005年度の平成大合併で長岡は9つの市町村(栃尾・山古志・寺泊・越路、等)を呑みこみ面積841k㎡(3倍強)、人口28万人(1.5倍)と巨大化。栃尾や寺泊といえばそれだけでイメージした文化や風景があったのに何か寂しい気持ちも・・


  ......(左)平成大合併で「長岡」は一挙拡大! (右)あぶらげ・雁木で有名な旧「栃尾市」も編入....
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雪深い栃尾は「雁木」(がんぎ)の街でもあります。古い建物・各家々の仕様によって屋根の高さが違い、冬の生活に工夫した特徴ある柱や格子戸等が歴史の重みを感じさせてくれます。栃尾名物は巨大「油揚げ」。随所に「あぶらげ」の看板が見られ、古い雁木街並の風景に溶け込んでいる感じです。


   ....(左)上杉謙信が少年時代に過ごした常安寺 (右)栃尾城から長尾景虎として初陣!......
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「栃尾」は「上杉謙信」所縁の地。幼少時代「常安寺」で過ごし元服後、栃尾城主「長尾景虎」となり、この地で初陣を果たしました。寺裏手の長い階段を上がれば「火除け神社」で名高い「秋葉神社」が鎮座しています。奥ノ院の彫刻は越後のミケランジェロと呼ばれた「石川雲蝶」実に精密な作品で名高い!

                  「越後のミケランジェロ」と称された「石川雲蝶」記事

    .......(左)秋葉神社の「石川雲蝶」彫刻は必見! (右)栃尾には静御前の墓」もあった......
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         ......魚沼の「山古志村」は素晴らしい棚田が多くあり、闘牛・錦鯉で有名......
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棚田・闘牛・錦鯉で静かな山合い生活を送っていた「山古志村」も今や長岡市の一部です。「山古志村」といえば2004年「中越地震」で大きな被害を被った場所、あれからもう10年の月日が経つのか・・


  .....2004年「中越地震」は大規模な土砂崩れ・新幹線も脱線、防災意識の高まりの契機.....
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ところでわが故郷・柏崎もその3年後に大地震に見舞われ液状化被害で多くの家屋が倒壊しました。「中越地震」と「中越沖地震」・・、県民さえ間違えやすいのに他県の方は全く頭がゴチャゴチャ状態でしょう。もっと解り易い命名をすべきでした。「2004小千谷・魚沼地震」「2007柏崎・刈羽沖地震」を推奨!


  ......(左)故郷「柏崎」は2007年「中越沖地震」で被害  (右)2つの地震の呼び名が紛らわしい......
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     .......長岡市は「寺泊」(海産物ツアーや佐渡航路で有名)も編入、海をついに手に入れた......
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国道402号線沿いに鮮魚専門店が並び競い合っている「魚の市場通り」は、通称「魚のアメ横」と呼ばれている全国的に有名な「寺泊の観光スポット」!海の恵みの宝庫で豊富な種類の鮮魚がオンパレード、浜焼きの人気が特に高い!全国から観光バスが続々と乗り付けて市場はいつも大賑わい状態です。


       ......(左)バスツアーで大人気の「魚のアメ横市場」 (右)干物「デ゙ルフィッシュ」はエイです......
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★日本最古の即身仏ミイラ「弘智法印」が眠る古刹「西生寺」


寺泊の野積地区(弥彦山のすぐ脇)にある真言宗智山派寺院が「西生寺」。ここは「日本海の鎌倉」と称され1300年近い歴史を持つ即身仏霊場、733年に僧行基が開いた越後では屈指の古刹です。


     .......寺泊・野積にヒッソリ佇む即身仏霊場「西生寺」(奈良時代・行基が開創)......
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即身仏とは、穀類を断つ三千日の厳しい「木喰修行」で身体を浄化し腐りにくい体質に変え、地中祠で経を唱えながら往生を遂げていったミイラのこと。全国24体ある即身仏の大半が新潟・山形に存在


     .......当寺には日本最古の即身仏ミイラとなった「弘智法印」(立像)が眠っている......
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                  <2008年>山形の即身仏ミイラ記事:「出羽三山」

上記山形記事で掲載した全国の即身仏は江戸時代以降のものですが、当地に眠る「弘智法印即身仏」は唯一鎌倉時代のミイラ。文部省学術調査(1959年)で本物と認められた最古の即身仏なのです。 


           ......(左)水子供養菩薩のスケールに圧倒 (右)本堂(阿弥陀堂)......
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     ......(左)弘智法印ミイラが安置される霊堂 (右)巨大な弘智立像を下から仰ぎ見る......
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弘智法印は諸国や高野山で修行し「迷える民の憐れみ・救済」を目的に長い伝道旅を行っていましたが、高野山を去り越後で自ら即身仏になろうと決心。1363年座禅を組んだまま当地で入定しました。


          .......(左)霊堂祭壇にミイラが眠る (右)本堂の阿弥陀仏......
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         .......(左)これぞ、弘智法印の即身仏 (右)客殿には木像ミイラも鎮座......
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2010年「弘智法印御伝記」という古浄瑠璃を蘇らせる上演がドナルドキーン先生(米国から帰化した日本文化研究の第一人者)によって実現しました。古浄瑠璃物語の舞台はわが故郷・柏崎ですが、当時中越沖地震で壊滅状態になっていた柏崎に復興と希望の光を持ってもらおうという企画でした。


   .....柏崎の地元文化財団がD・キーン先生とコラボし蘇らせた古浄瑠璃「弘智法印御伝記」......
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この企画で大いに活躍された方が我がブログをスタート時期(2007)から応援してくれているハンドルネーム「小石ペガサス」様です。彼女は小生の中学同級生で、地元文化財団(ブルボン・オーナー家)から柏崎文化をPR発信する熱心な方。当縁で2013年に柏崎に「ドナルドキーンセンター」が目出度くオープンしたのです。


  .....縁を取りもったブ゙ログメイト「小石ペガサス様」(同級生)がキーン先生と2ショット!(本人掲載了承済).....
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      .......2013年9月、故郷柏崎に「ドナルドキーンセンター」がオープン!キーン先生の書斎・居間......
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昨年秋オープンの直後、小石ペガサス理事様に館内を案内してもらいました。キーン先生のNY時代の書斎が復元されており1800冊の蔵書や貴重な資料が保存されています。充実した映像ライブラリーも必見!


   .....2013年10月、小石ペガサス理事様に案内して頂きキーン先生気分で椅子に座りました......
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現代も我々に素晴らしい縁を与えてくれた有難き「弘智法印」(即身仏)様に感謝!西生寺は芭蕉の弟子・「曾良の旅日記」や鈴木牧之「北越雪譜」にも記され、松尾芭蕉や良寛もここを訪れています。


      ......西生寺には松尾芭蕉や良寛も来訪、歴史的な名刹だったことが窺い知れる......
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           .....「弘智法印」(即身仏)様に再度参拝して「西生寺」を後にした.....
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★寺泊・弥彦山の周辺にある良寛や芭蕉の史蹟紹介

市町村合併以前は寺泊町でしたが長岡市に併合されちゃったので「長岡歴史紀行」の一環として周辺にある良寛所縁史蹟、芭蕉「奥の細道」の越後ルートを紹介し最後の締め括りとしたいと思います。


   ......西生寺近くには越後名峰「弥彦山」(日本三彦山)が越後平野に堂々鎮座......
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西生寺訪問後は弥彦山の麓「旧・分水町」(現・燕市)にある「良寛資料館」にも立ち寄ってみました。当地で良寛と関わった家々に残る家宝(良寛の遺墨や資料)を公開させてもらう施設としてオープン


     .....1980年開館の旧・分水町「良寛資料館」、良寛遺墨等が多く展示.....
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        .......資料館では様々な良寛の表情・姿が人形でリアルに再現......
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良寛は出雲崎に生まれ、倉敷の円通寺で修行後、諸国行脚を経て少年期に過ごした懐かしい当地に戻り「国上山」(kugamiyama)の五合庵で「只管打坐」修行の日々を送りました。「国上寺」は山の中腹に建っており709年に弥彦大神のご託宣によって創建された県内でも格式が最高位の古刹です。

                               <2008年>秋の越後路を訪ねて(その1) 

   ......旧・分水町の国上山「国上寺」、良寛は20年間「五合庵」で過ごし修行・句・書道に励む......
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この古刹は「良寛和尚」が約20年過ごした寺として全国的に有名!諸国行脚を終え越後に戻った良寛が住んだ「五合庵」や展望公園に子供と遊ぶ「良寛像」を見ることができます。また出雲崎にある生家跡には「良寛堂」があり、堂前には渋い雰囲気の「良寛和尚」が佐渡を見渡すように座しています。


   ......(左)良寛生誕地の出雲崎「良寛堂」  (右)国上寺、良寛と子供達の戯れる銅像......
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                               <2008年>秋の越後路を訪ねて(その2) 


出雲崎では「荒海や佐渡に横たふ天の河」・・、ご存知「松尾芭蕉」の「奥の細道」で有名な俳句が生まれました。芭蕉が弟子・曽良と山形から海岸線を南下し、当地「出雲崎」に歩き着いた時の句ですが、「荒海」というと季節風が吹きつける悪天候日・・、こんな時に天の川が見えたのかなあ・・?(笑)


      .......芭蕉が辿った越後「奥の細道」ルート、出雲崎で詠まれた有名な一句......
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                       <2013年GW>山形歴史紀行:奥の細道「山寺・立石寺」 


長岡市は元々新潟県中部にある中核都市ですが、市町村合併によるエリア拡大で歴史的史蹟も当然増加しています。かくも価値の高い見所が多いのですからもっとPRすればいいのに・・と思います。歴史・文化・自然・食に恵まれた越後の魅力をもっと発信してもらいましょう!小石様、柏崎もヨロシク!


        .......長岡名物、「笹団子」「柿の種」「赤飯」、山本五十六も愛した「水饅頭」......
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                                                        おわり

  by rollingwest | 2014-05-13 00:00 | 故郷の風景 | Comments(86)

<2014年4月12日>2014新緑の観音崎・横須賀ウォーキング

★中学同級生と観音崎の海岸歩きを楽しむ

柏崎同級仲間で3年前からウォーキング班(有志)を発足させましたが、今年の春企画は観音崎・横須賀歩きを計画提案。今回も男性陣が都合付かず、結果的にRyoko様、N-minto様&娘さん、さらに娘さんの会社同僚も加め女性4名が参加。両手にW花束状態で案内役を務めることに・・。


      .......三浦半島観音崎ウォークを楽しんだ一日(観音埼灯台で集合写真)......
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「観音崎」は三浦半島東端に位置し、東京湾(浦賀水道)を挟み対岸は房総半島が間近。安房富津岬までは直線距離は7km、まさに神奈川県と千葉県が接近する場所。付近は県立公園として整備されコース散策が楽しめます。京浜急行浦賀駅に朝集合し、バスを使って観音崎に9時に到着


      .......浦賀駅からバスで観音崎に到着!ハマダイコンの花が咲き誇っていた......
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      .......(左)浦賀水道沖に巨大軍艦発見! (右)女性陣集合、いざ出陣!......
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オ~!沖合に軍艦が航行する姿を早速発見!さすが横須賀軍港に近い浦賀水道。歓声を上げた女性陣を、露頭の磯海岸(横須賀市天然記念物)コースへと引率。この辺りは「三浦枕状溶岩」と呼ばれ、約4千万年前に海底火山の噴出物がプレート沈み込みによりつくられた景観です。


   .......観音崎の海岸磯を歩く。固まった溶岩が波で削られ平坦な岩棚が形成......
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軍艦を追っていくと背景には何やら工場らしき建物が!あれはどこかな?と思ったら後程調べてみると「富津LNG火力発電所」だったことを認識。次は観音崎県立公園のコース散策路へ向かいます。


      .......航行する軍艦をクローズアップ!大迫力光景、さすがヨコスカ~!......
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♪「おいら岬の~灯台守は~」♪木下恵介監督・佐田啓二・高峰秀子主演の松竹映画「喜びも悲しみも幾歳月」(1957)の舞台となった「観音埼灯台」は日本初の洋式灯台として1868年デビュー!ペリー黒船来航(1853)で横浜が開港され航路上の灯台が必要となり、観音崎に設置が決定されました。 


      .......日本初の洋式灯台「観音埼灯台」、映画「喜びも悲しみも幾年月」の舞台......
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フランス人設計師ヴェルニーにより建設され点灯開始して以来今日まで約150年間、浦賀水道を往来する船の安全を守るため照らし続けてきました。当時の光源は落花生油を燃料だったらしい。初代灯台は大正地震で亀裂、2代目は関東大震災で崩壊、現在は3代目(1925)となっています。


    .......(左)灯台光源レンズが展示 (右) 観音埼灯台を設計したヴェルニー......
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観音埼灯台最上部に登ってみると浦賀水道が一望です。ワ~(女性陣が一斉大歓声)、今度は潜水艦を発見!実際に航行する姿を見るのは初めてだ!小型漁船・大型貨物船まで1日で400~700隻の船が往来する世界有数の海上交通路、本当に過密海域だということが解ります。


    .......灯台から「浦賀水道」を眺望、潜水艦発見!クローズアップすると人の姿も見える!.....
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脳裏に浮かぶのが1988年「なだしお事故」(遊漁船が海上自衛隊潜水艦と衝突し沈没)や昨年の貨物船同士(パナマと韓国)の衝突。海幅最小 6.5km の狭水道で航行する船の数は多く、潮流も早いことから日本海域では有数の航海難所と言われ海難事故が起こりやすい所なのです。


       .......(左)観音崎自然散策路の木陰道を行く (右)砲台モニュメント(手作り木製)......
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次は県立観音崎公園へと向かおう。途中には自然博物館や黒船砲台の木製モニュメントがあります。公園に到着すると何とゴジラの足跡が・・。アレ?初代ゴジラの本土上陸は品川・八ツ山橋だった筈だが・・。嘗て「たたら浜」に地元人気のコジラ滑り台があったが老朽化撤去で足跡を残したらしい。


  ......観音崎公園(たたら浜)でゴジラ足跡発見!今、ゴジラ滑り台は横須賀久里浜にある......
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1954年に初代ゴジラが世界に衝撃デビューし今年は60周年、米国でゴジラ復活映画がついに完成し日本では7月公開予定。それに先立ち1954初代映画(最高傑作)がデジタルリマスターで劇場リバイバル


 ......還暦を迎える「ゴジラ」、米国で記念映画が作られ、日本では1954映画がデジタル復元....
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                               ■「GODZILLA」 公式サイトはコチラから

観音崎の磯海岸、観音埼灯台を十分満喫し、浦賀水道の軍艦・潜水艦を目にし、ゴジラ還暦に思いを馳せて、朝から充実のウォーキングスタートを切ったネ~。さて次は走水(hasirimizu)へ!


     .......(左)たたら浜で元気全快4人 (右)LNG(天然ガス)輸送船が登場!......
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★「防衛大学」と「ヤマトタケル・古事記伝説」が同居する「走水」(hashirimizu)

観音崎を後にして海岸線を歩き進むと、迷彩服姿の若者達が訓練に励む姿が目に入ってきました。「防衛大学・走水訓練場」の施設名が門に表記されている。隣国脅威の国防強化が求められている現情勢で将来の日本を防衛する若者達がここで育っているのか!女性若手2人の瞳はキラキラ


       ......防衛大学「走水訓練場」、将来の日本国防を担う卵達が訓練中......
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訓練所から歩くこと10分弱で「走水神社」へ到着!ここは古事記神話が大好きなRWが是非訪問したかったパワースポット。「日本武尊」(ヤマトタケル)東征の成功分岐となる事件がここで起きたのです。


  ......「ヤマトタケル」の妻「弟橘媛」(ototachibanahime)伝説に由緒深い「走水神社」訪問......
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      .......(左)走水神社・御神木 (右)「弟橘媛」を称える和歌石碑(皇族親王の書)......
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日本武尊が走水の海に船で到着時、海が荒れ狂い前進が不可能になりました。海神の怒りを解くために「弟橘媛」(オトタチバナヒメ)は「夫の身に替わり海に入水するので皇子東征を護らせ給え!」と念じ身を投げたのです。すると波は鎮まり、ヤマトタケルは上総国(千葉)へ船を進められた神話舞台


   ......(左)日本武尊(ヤマトタケル)の遠征ルート (右)弟橘媛は入水し海神の怒りを鎮め夫を救う......
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      .......走水神社に参拝する人も古代神話の愛とロマンに思いを馳せる?......
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さすが古事記神話に語られる歴史ある神社。走水三社(神明社・須賀社・諏訪社)が古代祭祀の祠社で鎮座している。三社は「伊勢神宮」「出雲大社」「諏訪大社」の別名ですが何か謎めいた雰囲気


    .......(左)走水三社(神明社・須賀社・諏訪社) (右)本殿内部にはヤマトタケル神話絵馬......
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11時半、馬堀海岸に到着。南国風の街路樹が爽やかな風になびき海外リゾート地にいる感覚です。垢抜けて開放感あふれるビーチサイドでお待ちかねの昼食タイ~ム。RWはビール缶をプシュと開けて乾杯~!お弁当を広げると上空には鳶が狙って旋回周遊。あっち行け~と追い払いながらワイワイガヤガヤ


    ......(左)南国風でお洒落「馬堀海岸」散策路 (右)木道脇で昼食、猿島クローズアップ......
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昼食後は浦賀駅(朝バス出発で集合の駅)へ戻り京急線で横須賀市内へと向かいました。横須中央駅で下車し、次は「龍本寺」&「横須賀中央公園」を訪ね高台から横須賀市内を一望するコースです。


★横須賀の高台から市内眺望、軍港の「三笠公園」へ向かう

横須賀中央駅を下車し、登り坂に沿った駅前商店街を暫く進み左手に曲がると閑静な住宅街に入って行きます。さらに奥へ進むと威厳ある古刹が出現!横須賀猿島の由来となった「龍本寺」だ。


     .......横須賀の鎮守「龍本寺」。龍の彫刻彫が見事!当寺も日蓮伝説が!......
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日蓮上人が布教のため房総半島から海上渡航で鎌倉を目指した際、船底に穴が開き沈みそうになり題目を唱えると命が救われ何とか猿島に漂着しました。そこに白い猿が現れ日蓮に陸地の方(現在の米ヶ浜)を指差したのです。日蓮はそこに草庵を結び現在の龍本寺となっています。


     ....... 猿島の名由来は日蓮伝説、本尊に見事な猿の彫物で再現されていた......
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猿島が間近に見える臨海部高台の横須賀中央公園へと向かいました。三浦半島の歴史も学べる自然・人文博物館があり、核兵器廃絶・平和都市宣言を記念した平和モニュメントもあります。この公園は何と旧日本軍の演習砲台跡に造られたとのこと。ここからは猿島越しに房総半島が眺望できる!


         .......(左)横須賀中央公園 (右)結構な距離を歩いた~!一休み......
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        ......中央公園から猿島を遠望、さて今度は横須賀市内散策へ向かう......
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再び坂を下りて横須賀中央駅から軍港でもある「三笠公園」へと向います。その名前由来は日露戦争でバルチック艦隊(当時は世界最強)を打ち破った戦艦「三笠」!世界を驚愕させた「日本海海戦」のヒーローはご存知「東郷平八郎」!ここからは横須賀軍港の歴史が大いに味わえるコースを辿ります。


    .....本日メインイベント「三笠記念公園」へ!日露戦争の英雄「東郷平八郎」がお出迎え!......
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★横須賀沖の「猿島」に上陸、近代の軍事要塞の探索ウォーキング

       .......(左)戦艦「三笠」の巨大雄姿 (右)フェリーに乗船し、いざ猿島へ!......
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いよいよ本日のメインイベント「猿島」探検!戦艦「三笠」脇の乗船場からフェリーで猿島へ上陸(RWは島に渡るのはこれで3回目)。散策開始すると早速女性陣の歓喜の声「スゴ~イ、大感動!」予想通りの反応にRWはニンマリ。ここは煉瓦積みの美しいトンネル等要塞(旧軍施設)の散策が楽しめるのだ!


    .......(左)フェリーで猿島上陸! (右)島内の旧・陸海軍要塞跡の探索いざ出発!......
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猿島は幕末から太平洋戦争まで江戸・東京および横須賀を守る台場・要塞として利用されてきました。戦争が終わるまで一般人の立入りが禁止され続け、戦後も長い間国有地だったために観光開発の手が加わらず、豊かな自然とともに明治期の巨大構築物がしっかりと残されています。


      .......煉瓦積みトンネルや豊かな大自然散策ができる猿島探検は魅力的......
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       .......(左)ルート散策には日蓮洞窟跡 (右)急傾斜な階段が連続する......
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軍事要塞跡(弾薬保管庫・戦闘指令所)や煉瓦トンネル・砲台跡が残り、最奥部には日蓮が上陸した祠の岩礁地もあり、ワクワク気分が連続する1時間の島内散策を十分満喫し再び横須賀へ戻りました。


      .......(左)日蓮洞窟からの岩礁風景 (右)猿島浜から対岸の横須賀市内を望む......
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さていよいよお待ちかね、戦艦「三笠」の見学!三笠は日露戦争(1904)で東郷平八郎率いる連合艦隊の旗艦。日本海海戦では敵の集中砲火に耐えて奮戦し当時世界最強と恐れられたバルチック艦隊を全滅させた日本海軍の伝説的軍艦であり、1926年保存公開されて既に90年近くが経ちます。


     .......連合艦隊旗艦を務めた名艦「三笠」に乗り込み砲弾モニュメント前にて......
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明治時代の戦艦に乗れる機会は実に貴重体験なので早速見学してみよう。(入艦料500円)入口階段を上がると砲弾モニュメントが登場、甲板に上がるとさすがにドデカイ!高さ50mマストを見上げて艦首方面に向うと40口径主砲と30.5cm連装砲が船体前部と後部に装備されています。大迫力~!


          ......(左)甲板デッキも一大展示場 (右)三笠軍艦の甲板先頭部......
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電信室や艦橋を見学し最前線に立てば完全に東郷元帥の気分、船内を順路に従って艦内へ入って行くと船員が過した部屋や長官公室・会議室も見学できます。バルチック艦隊を壊滅させた日本海海戦の再現映像もあり大変勉強になりました。若手女子は愛国心に燃える勇ましさで敬礼!(笑)


       .......威厳ある艦長室内部、東郷元帥の等身大の絵が飾られるた......
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   .......東郷平八郎や海軍志士達のボードパネルをバックに集合写真、若手女子・敬礼!......
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1992年世界船舶基金(英国)から造船史上価値の高い船舶として認められ海事遺産賞を授与された名艦「三笠」を十分満喫することができました。次は記念公園を巡って米軍横須賀基地へ


  .......(左)戦艦頂上部から記念公園を見下ろす (右)米軍横須賀基地正門前のモニュメント......
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当然基地の中は覗けませんが、正門ゲートからは日本のプレートナンバーを付けた車が多く出入りすることにビックリ!また基地の前には横須賀名物の海軍カレー店が多くあり、街を歩けば防衛大生の姿も沢山。まさに横須賀市は米軍基地や防衛大学と一緒に生活を成り立たせていることがよく解ります。


      .......(左)防衛大学生が多い街 (右)横須賀は「海軍カレー」の店が沢山!......
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最後は「どぶ板通り」を通って帰路につきます。米軍基地文化が漂い最も街の泥臭さを残す商店街、名前は、戦前にこの通り道に流れるドブ川に海軍工廠から分厚い鉄板を貰って川蓋をした所に飲食店等が次々林立した由来にあります。今はコンクリートブロックにドブ板の模様が刻まれているだけ・・


     .......「どぶ板通り」には米軍兵士が寛げるアメリカンテイストな店が軒を連ねる......
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かつてこのストリートは風俗喧騒・暴力など危なくて地元の人も近づけなかった場所でしたが、今は観光拠点の一つとして整備され、そんな雰囲気は一切ありません。米軍も若い兵士が騒ぎを起こして県民感情を害することを恐れており地元警察と一緒に米軍警察も繁華街を巡回しているらしい。


   .......何かハリウッド映画のロケ舞台みたい!パブでは米軍若者が盛り上がっていた......
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今日は朝9時から夕方16時半まで相当の距離を歩きましたが、観光名所を盛り沢山に廻り充実の一日でした。最後は横浜西口の居酒屋で心地よく反省会をして解散!次回企画もお楽しみに~!


        .......猿島砂浜から見た対岸風景、今日満喫した横須賀の街!......
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                                                        おわり

  by rollingwest | 2014-05-01 00:00 | 神奈川県 | Comments(112)