RW/洋楽コーナー:「My Favorite Songs」(第12巻)

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★(085):CSN&Y  「オハイオ」 (1970年) (2014.2.1公開) 


c0119160_21155268.jpg1960年代後半から70年にかけて、数々のアーティスト達(フォークではボブディラン,ジョーンバエズ,PPM、ロックではジミヘン,ジョンレノン,CCR,シカゴなど)がベトナム戦争を続ける米国政府に対して反抗姿勢を示し、反体制のメッセージを強く発していました。戦争国家へ変化したアメリカへの失望と、自由の国から変節した国家からの束縛に対する抗議と情熱(日本の全共闘世代も含めて世界的な潮流)は当時のロック音楽の源泉と本質であったような気がします。1960年代末から1970年代初頭にかけて活躍した「クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング」(以下CSN&Yと呼称)はアコースティックで美しいコーラスが中心の米国フォークロックバンドですが、上記に掲載した「オハイオ」はロック史に燦然と輝くプロテストソング(政治的抗議曲)の一つです。1970年5月米国オハイオ州立ケント大学構内でベトナム反戦集会に参加した学生4人が州兵に射殺されるという悲劇的な事件が起きてしまいました。これを知ったCSN&Yは米国政府の暴挙に憤慨し、事件後すぐに「オハイオ」をリリースして当時のニクソン大統領を名指しで批判したのです。この曲は即刻放送禁止というハンデを背負ったにもかかわらず、全米14位にチャートイン(彼らの1971ライブ名盤「4 Way Street」にも収録)で民衆の支持を得たのです。ニールヤングの切なる歌声とスティルス&クロスビーによる強烈なギターイントロは、前途ある若者の死に対する悲しみと体制への怒りが満ち溢れています。翌年にグラハムナッシュがソロで歌い上げた「シカゴ」(1971)もプロテストの名曲として有名です。CSN&Yとは、デヴィッド・クロスビー(元バーズ)、グラハム・ナッシュ(元ホリーズ)、スティーヴン・スティルスとニールヤング(元バッファロー・スプリングフィールド)、の構成メンバーで名前・頭文字を単純に並べているだけですが、各メンバーはすでに人気を博していたグループの主役級で当時世間は「スーパーバンドの誕生」と騒ぎ立てました。新たなバンド名を冠せず名前だけを並べた理由は「一緒にやりたい時だけ活動し、やりたくない時には別々に活動する・・」、当時バンド活動の人間関係に嫌気がさしていた彼らが「個人の集まり」という方法論を採ったのでしょう。デビューは1969年6月にCS&N(ニールヤングはまだ不参加)の同名盤でデビューしています。そして伝説的なロックフェスティバル「ウッドストック」に参加して「青い目のジュディ」(1969)を歌いさらに飛躍の舞台に立ちました。翌年にはその心境を再現した「ウッドストック」(1970)という曲も作り上げています。同年にリリースした2作目「デジャブ」はニールヤングも加わりサウンドの厚みが強化され、「ヘルプレス」や、ナッシュのほのぼの曲「僕たちの家」、ライブ名盤「4ウェイストリート」でも演奏された長大曲「キャリーオン」など、名曲満載のロック史に輝く金字塔盤となりました。当時のRW(中学1年生)はロックに目覚めたばかりでプログレやハードロックに夢中になっておりフォーク調CSN&Yには嵌らずじまいでしたが、今じっくり聴いてみると噛めば味わいのスルメの如し・・。実は彼らを知るきっかけは英国映画「小さな恋のメロディ」(1970)のラストを飾ったトロッコで旅立つマークレスターとトレイシーハイドのトロッコシーン背景に流れた「ティーチ・ユア・チルドレン」でした。まさかこんな渋~い反戦オジサン達が純愛映画のBGMを歌っていたとは想像もしませんでしたね~(苦笑)  元々は単なる個人の集まりであったCSN&Y・・、やがてグループは自然消滅し、当然の如く各自ソロ活動に入りました。しかしその後も彼らの紐帯は続いており、ニールヤングは滅多に参加しませんが、残りの3人はソロ活動のあいまを縫って一緒に活動して懐かしいハーモニーを聴かせてくれているようです。皆様元気で長生きしてほしいものですね・・・♪~CSN(^O^)(^O^)(^O^)&Y(^O^)~♪

⇒次回は、1970年代にジャズとロックを合体させた都会的センスあふれる大人の音楽「スティーリーダン」の「リキの電話番号」(1974)送りします。♪\(^◇^)/♪




★(084):セリーヌ・ディオン 「哀しみのハートビート」 (1990年) (2014.1.20公開) 


c0119160_2143599.jpg今回はカナダが生んだ世界的な歌姫「セリーヌ・ディオン」の初期ヒット曲(世界的ブレイク以前)の「哀しみのハートビート」(1990)をお送りします。セリーヌといえば今さらRWの解説など不要かと思いますが、グラミー賞5冠・全世界累計セールス2億2千万枚以上を誇る超大物歌手。何と言っても世界的な大ヒットを記録した歴史的な大作映画「タイタニック」(1997)の主題歌が一番有名ですね。彼女の90年代名曲をじっくり振り返るのもいいかも!と思い(実は自分の頭の中を整理するのが目的ですが・・)、セリーヌの足跡と名曲を年代順に紹介していきたいと思います。今や地球規模の大歌手となった彼女(1968年カナダのケベック州生まれ)ですが、幼少より類まれなる才能を発揮しており、12歳の時に音楽マネージャー「レネ・アンジェリル」と出会ったことが人生最大の転機となりました。アンジェリルは彼女の才能と歌声に惚れ込み、自宅を担保にしてデビューアルバム発売資金を調達したのです。1980年代前半はフランス語圏シンガーとしてケベック州のトップスターとなり、さらに1990年代初頭から英語圏ヒットチャートへ進出、上記曲を送り出し世界スターへの道を歩み出しました。その後ディズニー映画主題歌「美女と野獣」
(1992)ではピーボブライソンと共演し世界的な地位を固め始め、日本でもトレンディドラマの主題歌に「to love you more」(1994)が採用されて人気が一挙に沸騰してミリオンセラーを記録、初来日公演でも葉加瀬太郎(バイオリニスト)と共演してこの曲を披露しています。そして世界の頂点に立った・・!と真に実感したのは、1996年アトランタオリンピック開会式で「パワーオブラブ」を歌い切った時なのではないでしょうか。勢い止まらぬ大活躍の背景にはかの有名な音楽プロデューサー「デヴィッド・フォスター」も大きな貢献をしており、まさにアンジェリルとの鉄壁コンビで数々のヒット曲を世に送り出してきたのです。「あなたが愛してくれたから」(1996)は今やウェディングソングの定番曲、小生が愛するエリックカルメンの名曲「オールバイマイセルフ」も御本家以上の迫力ある歌唱力と声量で堂々と歌い上げています。彼女は19歳の時に26歳も年上の「レネ・アンジェリル」と恋をしていることを母親に打ち明け大反対されたそうです。そりゃそうでしょうね~、2度離婚歴がある45歳の中年オヤジ(しかも3人の子連れ)に未成年の愛娘が奪われると思えば母上殿は本当に気が気じゃなかったことでしょう。しかし2人は愛を貫き通し1994年に晴れて結婚、2人の間にはさらに3人の子宝が恵まれたのでした。セリーヌ最後の曲は、やはり愛を貫いた感動大作「タイタニック」のテーマ「マイハート・ウィル・ゴーオン」(1998年)、で締めるしかありませんね。家族愛に包まれた彼女は、子育てが一段落して再び音楽活動を再開させています。先月(2013年12月)には6年ぶりの新アルバム「Loved Me Back To Life」をリリースし相変わらずの美しい歌声と圧倒的な歌唱力を見せており、今後もさらなる躍進と大活躍を続けていくことでしょう。




★(083):ローリングストーンズ 「ラフ・ジャスティス」 (2005年) (2014.1.9公開)

    (21世紀のストーンズ名盤「ビガーバン」からのお気に入りチョイス)



c0119160_2254446.jpg結成50年を超えたロック界の至宝「ローリングストーンズ」が今年8年ぶりの来日(2/26~3/6)をします!今回はスペシャルゲストとして往年の主力メンバーのミックテイラーも出演するとのこと。昨年はビーチボーイズ、ポールマッカートニー、今年3月にはボブディランと・・、ロック草創・発展期の超大物がこの2年間で次々と日本の音楽ファンにLIVE演奏を披露してくれるのですからまさに凄いことですね~。ストーンズのお元気ぶりにはいつも目を丸くさせられますが、皆様すでに古希を過ぎておりこれが最後の来日となるのかもしれません。2014年冒頭の洋楽コーナーは「21世紀のローリングストーンズ」と題し、今世紀唯一のスタジオ録音された彼らの名盤「ビガーバン」(2005)からお気に入り名曲をチョイスしてスタートしたいと思います。ちなみに過去掲載した「ストーンズ特集記事」「ブライアンジョーンズ回想記事(第6巻050)」もあわせてレビューしてみて下さい。ローリングストーンズ(1962結成)は60年代末から70年代にかけてブラック&ブルースロックに傾倒し数々の名盤を送り出し黄金期を築きましたが、その後スタジオ録音は80年代が5枚、90年代が2枚と減る傾向に・・。しかし21世紀にリリースされた「ビガーバン」はまさに「70年代のアルバムに並ぶ傑作」と評されています。名盤の冒頭は「ラフ・ジャスティス」(掲載曲)、実にノリがいいギター中心のシンプルな旋律がカッコいい!「デンジャラス・ビューティー」は悠然ゆったりと歌う迫力の貫録曲。そして彼らのお得意のスローバラードは「ビゲスト・ミステイク」(本作の最大名曲とも評される)で披露してくれています。ミックとキースの関係が過去20数年で最も良好な中で制作されたと言われる名盤には「彼女の視線」というミックとキースが2人でサビを歌っている曲もあります。全くヒネリもない単純リフの繰り返し(ビートルズ曲では殆どありえない)なのに、これぞストーンズの真骨頂と称賛されるのですからやはり大したもんです。(笑) アルバム発売の翌年(2006)からは「ビガーバンツアー」(前回の来日も含む)で世界を廻り、その映像は2008年に封切りされた映画「シャイン・ア・ライト」で再現され我々を大いに魅了してくれました。当時古稀も近いミックが鍛えた体で腰をフリフリさせながら飛んだり跳ねたり走り回ったり・・、この映画を観て「何じゃ、コリャ~!」と本当に驚いたものだ・・・。「ビガーバン」は数々の完成度高い曲で構成されており内容充実の名盤だなぁと思います。、軽快なリズムで演奏する「ドライヴィング・トゥー・ファスト」は何となく「ブラウンシュガー」に似ている!スローな語りかけるように始まりゆっくり展開される渋いバラード「ストリーツ・オブ・ラヴ」、そしてハモニカの唸りが渋い濃厚なブルース「バック・オブ・マイ・ハンド」(このスライドギターは何とミックが弾いているそうな・・)、数十年間磨き抜いてきたストーンズサウンドのエッセンスがピカピカと輝いており本アルバムはまさに宝石箱の如し!小遣い制のRWにとっては、超高額なストーンズのLIVEチケットなどはとても手が出ませんが、「ビガーバン」を聴きながら次はどんな名盤を披露してくれるのだろうと心待ちにしております。最後は、キースとミックの才能が交配した名曲「スローで行こう !」で今年最初の洋楽記事を締めくくりたいと思います。「ローリングトーンズの皆様方、これからも喜寿・傘寿になるまで皆元気で思いっ切り転がり続けておくれやす!」(ローリングウエストからの勝手な年初祈願)




★(082):ベンフォールズ 「アニー・ウエイツ」 (2001年)  (20013.12.27公開)



c0119160_2020040.jpgピアニストロックアーティストについては以前も語りましたが、思い浮かぶビッグネームといえばエルトンジョン、ビリージョエル、レオンラッセル、ギルバートオサリバンなど片手で数えられるくらいしかない・・、60年近いロック史の中で数多のアーティスト達が輩出しているのに、ピアノマンって商業的な成功には難しい何かが(大きな壁のようなもの)があるのかな・・?と、つい思ってしまいます。2013年末の最後を締めくくるアーティストとして紹介する「ベンフォールズ」という非凡なピアノマンも日本では殆どマイナーな存在(彼のCDは中古市場で非常に安く叩き売られている情けなさ)ですが、彼のソロとしてのデビュー盤「ロッキン・ザ・サバーブス」(2001年)は小生が最も愛するお宝物の推奨盤。RW推奨の鳥肌モンの名盤の冒頭を飾る「アニー・ウエイツ」(上記掲載)は当時J-WAVEで頻繁に流れていた佳曲・・、POPで小気味いい鍵盤メロディのオープニングを初めて聴いた時に小生は彼に一挙魅了されてしまいました。このアルバムからの商業的なヒットナンバーは殆どありませんが、最初から最後までRWのPOPツボを突きまくる幅広い音楽性に彩られる名曲が数多く収録されている完成度の高さだなあといつも感銘してしまいます。10年以上経過した今でも愛聴しており、皆様も是非一度は聴いてみて下さいませ!アルバムの全体的な印象は、「The Ascent Of Stan」「Still Fighting It」などのストリングスとピアノによる味わい深いバラードや素晴らしいメロディー曲に多く彩られているものが大半ですが、「ザック&サラ」は迫力あるノリのいいパワーPOP曲、アルバム表題曲「ロッキン・ザ・サバーブス」はお茶目なヒネリも入れたリズムと激しいサウンドで圧倒する展開を交互に見せる曲、随所にエルトンジョンやビリージョエルを超えるような激しさと・熱さのようなものも垣間見えます。ベンフォールズ(1966年生まれ)は米国出身のマルチな才能を発揮するピアノマン、1994年に「ベンフォールズ・ファイヴ」という異色の3人編成バンド(ピアノ・ベース・ドラムのみでギターなし)を結成して音楽界にデビュー(20世紀末に3枚のアルバムを発表)、独特なサウンドで人気を博して一定の地位を築きあげました。彼のピアノのテクニックは非常に卓越しており、繊細なタッチ演奏から鍵盤を叩き付ける荒々しいプレイまで実に幅広くこなし、ライヴではピアノの弦を直接弾いたりピアノに椅子を投げつけたりといった過激なパフォーマンスも見せています。目指すキーボードプレイヤーとしてはキースエマーソン(EL&Pの構成もギタリスト不在)を意識していたのかなあ・・。しかしそのマルチな才能ぶりはトッドラングレンにも通じるようだし、ポール・マッカートニーやクリスト・ファークロス的な雰囲気も感じます。この2001年のソロアルバムは「ベンフォールズ・ファイヴ」解散直後にリリースされましたが、完成度が高い曲はまだまだ散りばめられており、「Losing Lisa」「Not The Same」なども明るく秀逸なPOP曲!聴き込み甲斐のあるアルバム各曲の殆どの楽器を彼自身が一人で演奏しているのだからまさに驚きですね~!その後、彼はベンフォールズファイブを 2012年に再結成し4枚目のアルバムを発表して今年2月には来日、打楽器の如くピアノを弾くベンのスタイルも健在で活きのいいサウンドを披露してくれたそうです。センスに溢れた非凡なピアニストロックアーティスト「ベンフォールズ」はもっともっと日本でも評価されるべきと思います。(PS):さてさて・・、2013年もあと残りわずかとなりました。RWの洋楽コーナーをご愛顧して頂いた皆様には深く感謝申し上げ、来年はさらなる幸運が訪れることを祈念して、「The Luckiest」(→幸運の人)をお送りして新しい年を迎えたいと思います。2014年は節目の100曲目を迎えますが、引き続き「My Favorite Songs」を引き続きご愛顧の程よろしくお願いいたします。




★(081):ブライアンアダムス「ヘブン」 (1984年) (2013.12.16公開)



c0119160_218275.jpg久々に80年代アーティスト(本コーナーでは殆ど取り上げておらず申し訳なし)を掲載したいと思います。80年代ロックは当時MTV媒体でよく聴いたものですが、70年代以前ロックと比べると洗練され過ぎ感(軟派基調?)が強く、皆同じような音に聞こえてしまうことから(AOR・フュージョン・プログレハード等、各ジャンル別の違いこそあれ・・)小生の心にはあまり深く残っていないのが実感です。まあ、この時期は社会人デビューした頃なので、10代の青春時代に夢中で聴いた音楽とは受け止め方や影響度合が相当違うことも大きな理由なのかもしれません。そんな印象を持つ80年代ロックの中でも「ブライアンアダムス」は小生のお気に入りアーティストでした。洗練さの中にも多少荒削り感があり正統派ロックを堂々と歌い上げている姿(ハスキーな声で硬派感あり)が実にカッコよかったですネ~!冒頭の「ヘブン」(1984)は彼自身の・・いや80年代ロックを代表する名曲であり、わが弟と従弟が各自結婚式(2人とも80年代洋楽好き)でラストフィナーレ曲に選定していたことが可笑しかった。(当時のブライダル定番曲だったのかも・・) ブライアンアダムス(1959年生まれ)はカナダのロックアーティスト、20歳でデビューし活きの良いロックン・ロールや端正なルックスで注目を集め始め、3作目「フロム・ザ・ハート」(1983)あたりから米国でも人気に火が点き始めました。さらに翌年の4thアルバム「レックレス」をリリースすると驚異的なメガセールス(全世界で1千万枚超)を一挙に記録、「ラントゥユー」(1984)、「サムバディ」(1984)などが大ヒット、伝説的な「ライブエイド」(We are the World)にも参加するなど一挙にビッグアーティストの仲間入りを果たしました。留まる事を知らない勢いはさらに加速し、当アルバムからは「想い出のサマー」(Summer of 69)(1984)、「ナイトラブアフェアー」など連続6曲をマシンガンの如くTOP20ヒットチャートへ立て続けに送り込んだのです。この大快挙はマイケルジャクソン「スリラー」、ブルーススプリングスティーン「ボーン・インザUSA 」、デフレパードの「ヒステリア」と並ぶ歴代最多記録となっています。その中にはティナターナーとのデュエット「イッツオンリーラブ」(1984)も・・、当時25歳のイケメンボーイがセクシーな大物おば様に強引に誘惑されるような勢いで迫られてタジタジと感じになっている姿が何となく微笑ましい・・(笑) 1991年には映画「ロビンフッド」(ケビンコスナー主演)の主題歌「(Everything I Do)I Do It For You」(1991)を提供するなどの活躍が続きましたが、サントラや映画主題歌製作が増えてやがて良識派ロックファンから「サントラ職人」と陰口を叩かれるようになっていきました。米国のファンからは飽きられる傾向となり、その後の活躍はパッとしない感じですが、もう50台半ばを迎えるのですねエ・・。小生のイメージにおいても、彼は20代半ばで出来すぎたサクセスストーリーを一挙に達成した「バラード主体のロック青春野郎」ですが、今の若者にとっては下に掲載したクリスマスソング↓「Christmas Time」で有名なブライアンアダムスなのかもしれません。クリスマスソングでヒットを飛ばしたアーティストって、ある意味得してるというかうまく成功を収めた存在ですよね・・。何せ、世代を超えて聴き継がれる名曲として毎年心ウキウキする季節に思い出してもらえるのですからね・・(笑)
                       

  # by rollingwest | 2001-12-01 00:00 | 洋楽(ロック・POPS) | Comments(78)

RW/洋楽コーナー:「My Favorite Songs」 (第11巻)

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★(080):ミッシェルポルナレフ 「シェリーに口づけ」 (1971年) (2013.12.4公開)


c0119160_8101712.jpg小生が洋楽に興味を持ち始めた頃(1970年前後)、日本のヒットチャートを物凄いパワーで賑わせていたのは、フランス勢(シルヴィーバルタンやダニエルビダル)とオランダ勢(ショッキングブルー等)でした。1960年代後半、ロックを象徴とする若者文化の激動は世界中に拡がりを見せており、伝統的に頑固なフランス(他国文化の影響を受けない姿勢・矜持が強い)でさえもその潮流に諍えることはできず、旧来のシャンソンとは違う「フレンチPOPS」という新ジャンルが席巻していたのです。その中でも数多くのヒット曲を放っていたスーパースターは「ミッシェルポルナレフ」でした。当時中学2年だった小生は彼の代表曲「シェリーに口づけ」 (本国フランスでは他曲B面扱いで全くヒットせず)を初めて聴いた時、「なんて魅力的な曲だろう~!」と全身がシビれたものだネ~!日本では1971年に大ブレイクし、さらに四半世紀以上の時を経てW杯フランス大会(1998年)に念願初出場した日本代表の非公式応援歌「アレアレ・ジャポン」としても復活し現代の若者の中でも十分浸透している名曲。(同じフレンチPOPS曲ではウォーターボーイズ映画主題歌として若者に再ブレイクしたシルヴィーバルタン「あなたのとりこ」の復活劇と似ているかもしれない・・)。彼のヒット曲はあまりにも沢山あり過ぎて1回では紹介しきれないので前後編(前編はデビュー~1972年頃まで、後編はそれ以降1970年代末まで)に分けて2回掲載したいと思います。彼の数々のヒット曲はやたら「愛」(直江兼続の生まれ変わりかいな?)というキーワードが登場していた記憶があります。「愛のコレクション」(1972)「愛の物語」「愛の休日」「愛の伝説」・・。ミッシェルポルナレフは1944年に音楽家のもとで生まれ(もう古稀を迎える)、5才の頃から天才ピアニストとして才能を発揮していたそうです。しかし青春時代に家出(親に反発)、転職を繰り返していたものの1966年にアマチュアロックのコンテストで優勝、その年に「ノンノン人形」という曲でデビューしています。彼のイメージは、やはりあの独特のトンボの様な宇宙人の様なミラー・サングラス!実は目の障害が原因で色の濃い眼鏡をかけているようですが、小生にとって1970年代初頭のPOPS「3大サングラス男」と言えばエルトンジョン、井上陽水&ポルナレフだったかも・・(笑) 初期時代のユーチューブを見ると「悲しみの舞踏会」(1969)も含めて、素顔のままで歌う彼の姿が公開されていました。ヒャ~初めてお目にかかった!彼は当時ゲイだと言われたらしいですが、お目々が実にパッチリしていますネ~! ファーストアルバム制作ではレッドツェッペリンのジミー・ペイジやジョン・ポール・ジョーンズが参加していたと聞いてビックリ!その後、彼は「愛の願い」(Love me, please love me)(1971)の大ヒットで一躍スターダムに上り詰めました。さらにその勢いは止まることを知らず、立て続けに数々のヒットを放ち1970年代は最高潮(まさに黄金時代)に達した印象があります。彼の曲名は「愛」 ばっかりと思えば悲・哀のパターンも多かった。「哀しみの終わるとき」(1972映画主題歌)、「悲しみのロマンス」「哀しみのエトランゼ」・・、まあ当時の洋楽邦題の付け方って実に安易でこんなもんでしたよね~。前編LASTは彼の代表曲の一つ「愛の休日」(1972)で締めを飾りたいと思います。後編(時期は未定)も「渚の想い出」「忘れじのグローリア」「愛の伝説」「愛のシンフォニー」など、数々の名曲が登場いたしますのでお楽しみに~!



⇒次回は、カナダが生んだ1980年代の象徴的なロック・スター「ブライアンアダムス」の名曲「ヘブン」 (1985)をお送りします。♪\(^◇^)/♪




★(079):ボブ・ディラン 「ライク・ア・ローリングストーン」 (1965年) (2013.11.22公開)


c0119160_21272292.jpgビートルズ、ローリングストーンズと同じ1962年にデビューし50年以上経過した今でもなお、ポピュラー音楽や大衆文化の世界で大きな影響力を持ち続けている伝説ミュージシャン「ボブ・ディラン」の代表曲「ライク・ア・ローリングストーン」を紹介したいと思います。小生はボブ・ディランを殆ど聴いていなかったのでエラソーに語れる資格は全くありませんが、この曲は「ローリング・ストーン誌」(世界的な米国POPカルチャー雑誌)が選んだグレイテストソング500曲(2004年)の中で、ジョン・レノン「イマジン」等を抑えて堂々1位となった名曲なのです。20世紀を代表する天才アーティストとも謂われるボブ・ディラン(1941年米国ミネソタ生まれ72歳)は1962年にフォーク歌手としてデビュー。ウディー・ガスリー(伝説的なカントリーフォークの英雄、放浪の吟遊詩人)の継承者として人気を博し、「風に吹かれて」(1963)や「激しい雨が降る」等のプロテストソングを歌って60年代前半は公民権運動の高まりとともに「フォークの神様」と呼ばれる地位を確立しました。しかし彼は1965年に突然音楽スタイルを変化させてエレキギターを持ってブルースロックのミュージシャンへと変身したのです。コンサート観客(往年のファン)からは大ブーイングの嵐を浴びましたが、しかし当年にリリースされた6作目の「追憶のハイウェイ61」はビルボードチャート3位を記録しロック史に残る名盤(ローリングストーン誌の2003年選出「過去ベストアルバム500盤」の4位に輝く)として21世紀になって高い評価を得たのです。掲載した「ライク・ア・ローリングストーン」(上記名盤からのシングルカット、当時では異例の6分超の演奏曲)はキャッシュボックスでNo.1チャート(彼にとって唯一の大ヒット)にも輝いたのです。言葉でメッセージを伝えることに拘り続ける「フォークソング」というスタイルにディランは音楽性の限界を感じ、サウンドそのものが自由である「ロック」という新しいスタイルの魅力にいち早く気がついていたと云われます。怒れる若者の心の表現をロックという新しいサウンドでボブ・ディランの「言葉=メッセージ」を得ることにより、さらなる進化の段階へと進んでいった姿も うねる時代の流れが彼に対して変化を求めていたからではないでしょうか。その後もザ・バーズの代表曲となった「ミスタータンブリンマン」(1965)を作曲提供したり、「見張塔からずっと」(1967)などの名曲を生み出し、着実にロックPOPS界の大物への地位を固めて行きました。ザ・バーズの「ミスタータンブリンマン」(ボブディラン作曲)のユーチューブを検索していたら、スペシャルゲストに招かれたボブディランがバンドリーダーのデビッドクロスビー(CSN&Yにも在籍)と共演するレアなるお宝映像を見つけて大変喜んでおります!また70年代に世界的なバンドに成長した「ザ・バンド」(第4巻NO33)は元々はボブディランのバックバンドでした。ザ・バンドの映画「ラストワルツ」(1978)で歌い上げている「フォーエヴァーヤング」も掲載しておきましょう。 80年代中盤以降になるとディランは頻繁に来日し、身軽な旅芸人風情の小規模なツアーを企画しており、秋田や倉敷など地方都市も含めて精力的に日本全国を行脚公演していました。先日ディランのユーチューブをチェックしていたら「タイトコネクション」(1985)という曲(ディラン流つぶやきソウル・ゴスペル風なゴキゲンサウンド)のPVに柏崎高校の同級生「H井真悟」(わがブログにも「楽SHINGO」の名前で登場してくれている声優)が出演しているのを発見して本当にビックリしました。準主役級の角刈りヤクザ役(一番最後にもナイフで刺されている奴)で倍賞美津子と共演しています。まだ日本がバブルに向かって走っていたよき時代の東京(赤坂、六本木、新宿)の繁華街の様子が伺える内容になっており、80年代のヘアスタイルや街の明るい雰囲気が実に懐かしい!(もう30年近くも経ってしまったんだなあ・・) 90年代以降もセールスも評価も非常に高い作品を連発し数度目の黄金期を迎え、変身と前進を繰り返しながら、20世紀を代表するアーティストとしての活躍を繰り広げてゆくことになります。まさに「ライク・ア・ローリングストーン」(転がる石)のような音楽人生ではありませんか。さらに驚いたことは、彼が詩人としてもノーベル文学賞にノミネートされているという事実を知ったことです。「卓越した詩の力による作詞がポピュラー・ミュージックとアメリカ文化に大きな影響与えた・・」という評価をされており、既に「ピューリッツァー特別賞」「フランス芸術文化勲章」「アメリカ国民芸術文化勲章」などの多数の栄誉受賞しており、常にノーベル文学賞の上位候補(毎回本命に挙げられる村上春樹に続く位置らしい)になっているとは知らなかった・・!もしもロックミュージシャンがノーベル賞を受賞したらまさに驚き桃の木・山椒の木ですね~!LASTは彼の70年代の代表曲「天国の扉」(1973)で締めたいと思います。





★(078):ポールマッカートニー&ウイングス 「ジュニアズファーム」 (1974年) (2013.11.10公開)


c0119160_22362616.jpgビートルズ結成から半世紀が経過し、今なお世界のスーパースターとして元気に活動を続けているポールマッカートニーが11月に4度目の来日(11年ぶり、ビートルズ時代を含めると5度目)をしました。古希も過ぎているのでもしかしたら最後の来日になるかもしれませんが、老いてますます盛ん!私生活では3回の結婚(2人目の妻には離婚訴訟では47億円支払)、昨年のロンドンオリンピックでは開会式で元気な姿で登場、そして今回の世界ツアー巡行・・と大したものですナ~。ジョンとジョージのソロ時代名曲はすでに紹介済みですが、大御所のポールはまだ未掲載でしたので、前・後編2回に分けて公開(前編はビートルズ解散後から1970年代中盤のウイングス時代)したいと思います。1968年頃から崩壊寸前状態にあったビートルズ・・、ポールは原点回帰(ゲットバック提唱)でメンバーをリードしてライヴ活動を再開しようと努力を重ねましたが皆の心が再び一つになることはありませんでした。1969年「アビー・ロード」の収録を最後にグループの活動は事実上停止、ジョンとヨーコとの結婚(1969年)を契機にポールは、脱退宣言(1970年4月)とともに解散を求める訴訟を起こしビートルズの栄光の歴史はついに閉じられてしまいました。ポールは1969年に写真家リンダ・イーストマンと結婚し、農場に引きこもって初のソロアルバム「マッカートニー」を仕上げますが、発売直前の脱退宣言公表によってポールは「ビートルズを解散させた男」という悪名高いレッテルを貼られることに・・。その後もジョンやジョージとは険悪な関係が続き、2作目の「ラム」(1971年)も評論家から不当な非難を浴びせられていました。小生がちょうど洋楽を聴き始めた頃の思い出深い名曲「アナザーデイ」(ポールの初のソロヒット)は、ポールの人生で孤独感・脱力感に苛まされていた心境が綴られていたのかもしれません。しかしポールはくじけず、愛妻リンダや子供たちに支えられ1971年にウイングスを結成します。翌年リリースしたシングル「ハイハイハイ」(1972)が卑猥な歌詞が原因で放送禁止になったことはビックリしたもんだネ~! ポールがリンダにキーボードを教えて夫婦共にステージに立つことに素人起用だと最初非難を浴びせていた評論家達もだんだん正当な評価を下すようになり、名バラード「マイラブ」が初のNo.1ヒットに輝き、さらに1973年発表の第5作「バンド・オン・ザ・ラン」の時代になると人気・実力は揺るぎないものになっていきました。この年は映画「007死ぬのは奴らだ」の主題歌も大いにはやっていましたネ~。今回の冒頭曲「ジュニアズファーム」(1974)や彼らの代表曲「ジェット」(1974)はテンポに溢れ、まさに油が乗り切った時代の最高に格好いいナンバーです。 ウイングスはメンバーチェンジが激しかったものの名曲・名盤を次々に世に送り出し、世界的なバンドへと成長していきました。1976年「幸せのノック」 がヒットしていた頃は全米ツアーも大好評を博し、ポールがビートルズ・ゲットバック運動で叶えられなかったライヴ活動で世界制覇する夢がついに実現したといえましょう!しかしその後幸せも長く続かず、「しあわせの予感」(With A Little Luck)」(1978)の頃は、メンバーの脱退で3人編成となり、結束力にやや翳りが出てきていた時代だったかも・・。そして愛妻リンダは乳癌に冒され1998年に亡くなってしまい、ポールの最も充実していたソロ時代の中で最も悲しい節目を迎えてしまいました。でも「しあわせの予感」は小生が個人的に一番好きなマッカートニー・ナンバーであり、これからもしあわせに長生きをしてほいしいものです。
*後編(公開時未定)はウイングス全盛期から解散まで、そして1980年代(スーパースター達との競演も含む)の名曲をチョイスします。 「ビートルズ時代の名盤記事」はコチラから






★(077):トッドラングレン 「ハローイッツミー 」   (1972年) (2013.10.29公開)


c0119160_20455284.jpg1970年代前半に美しく切ないメロディメーカーとして静かに(表面的には)ヒットを放ち続けていた「トッドラングレン」(今年8月来日)の数々の名曲を紹介したいと思います。凄い大ヒットを放ったアーティストではないのにも関わらずマニアファンからは絶大なる支持を得ている印象があり、マルチな才能で活躍していた天才アーティストと云われています。世界的な人気と実力を備えながらも日本では今一つ盛り上がらないアーティストの筆頭かもしれませんが、実は彼はGFR,バッドフィンガー,ザ・バンド,ホール&オーツなど数々の有名バンド・アーティストのプロデュースを行い、自身でもジャンルに捉われない幅広い音楽活動を行い多くの作品を発表してきた方なのです。日本で人気ある代表曲は上記掲載の「ハローイッツミー (Hello It's Me) 」(1972)や2枚組大作(3作目)「サムシング/エニシング?」からのシングル「瞳の中の愛(I Saw The Light)」(1972) が最も有名かな・・。全ての楽器(ギター,ベース,キーボード,ドラムス,)を自分で演奏しヴォーカルも様々な声を使い分ける何でもやれてしまう天才マルチプレイヤー「トッド・ラングレン」は1948年米国生まれのミュジージシャン。1967年にナッズというバンドを率いて注目を集め、1970年にソロデビューし「We Got To Get You A Woman」(1970) のヒットを放ち、その後も上記2曲のヒットで全米にその名を轟かせるようになりました。さらに1973年には「GFR」(大音量ハードロックの米国バンド)の名盤「アメリカン・バンド」をプロデュースし爆発的なセールスを打ち立てるなどの業績で彼の名声は1970年代前半で揺るぎないものとなったのです。ヴォーカルはカメレオンの如く変幻自在、アップテンポなロック曲では迫力の声、おふざけ曲ではヨレヨレ爺さんみたいなヘンテコ声、バラードを歌う時は伸びのある透き通った声・・と、何とも器用な方ですね~。美メロ職人としての才能が遺憾なく発揮されている「be nice to me」(1971)や、ロマンスと衝動感のバランスが絶妙に表現された「Couldn't I Just Tell You」(1972)も完成度の高いポップ錬金術師としての片鱗をソロデビュー直後から見せているお気に入り曲。彼の長い音楽キャリアに比例して顔もびっくりするほど長い・・(あっ関係ネーカ)。写真を間違って縦方向に引き伸ばしたのではないかと誤解する程の馬面(ピンクフロイドのロジャーウォーターズも真っ青!)ですが、顔が長いだけでなく音楽的な懐も広く才能の豊かさが並でないことは確かです。切々と歌い上げる「A Dream Goes On Forever」(1974)やダリルホールと共演した「Can We Still Be Friends」(1978:ロバートパーマーとロッドスチュワートのカバーバージョンが最も有名)も必聴ですね。小生の好みで今回は美曲ばかりを集めてしまいましたが、トッドラングレンの作品は、予測不可能な程は曲調の違う曲が同居しその脈絡のなさは相当に「ひねくれ者っぽい一面」を持ち合わせていることが、マニアックなファンにとっては大きな魅力のようです。「普通ではなく何か面白い事をやってくれるという期待感」「確実に楽しませてもらえる安心感」は、彼の溢れる才能や自信から来る職人技の余裕なのでしょう。最後は、 ピアノベースのシンプル曲を重厚感あるバラードで歌い上げた「Wailing Wall」(1971)で締めたいと思います。

  # by rollingwest | 2001-11-01 00:00 | 洋楽(ロック・POPS) | Comments(75)

RW/洋楽コーナー:「My Favorite Songs」(第10巻) 

                 【My Favorite Songs】の過去紹介した記事一覧(INDEX)はコチラから
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★(076):エマーソン・レイク&パーマー 「展覧会の絵」   (1971年) (2013.10.17公開)


c0119160_21142433.jpg1970年代初頭にプログレに嵌っていたRWですが、「ピンクフロイド,イエス,キングクリムゾン」を紹介後、プログ四天王の一角「エマーソン・レイク&パーマー」(以下、EL&Pと呼称)を早く掲載せねばと思いつつ・・もう1年数ケ月が過ぎてしまいました。EL&P以外のバンドは解散後も再結成したり20世紀末まで一定の活躍を続けたのに対し、EL&Pは1970年代中盤であっという間に解散してしまい今ではその名前すら知らないという若い人も多いのかも・・。しかし当時はムーグシンセサイザーを一早く導入し、クラシックと融合したプログレッシブロックで最先端を走っていたグループで、ユニークな演奏スタイル(ギタリスト不在のトリオ編成、ロックバンドでは異色)は今なお熱狂的なファンに支持されています。キース・エマーソン(元ナイス)の類稀なシンセサイザーのキーボードテクニックと狂気的なパフォーマンス、ベースを担当するグレッグ・レイク(キングクリムゾン→EL&P→エイジア)の叙情溢れる低音ボーカル、カール・パーマー(元アトミックルースター、当時は20歳前後で愛苦しい程の美少年)のパワフルで凄まじいドラムテクニック。当時この3人はすでに他バンドで名声を得ていたこともあり「スーパーグループ」とも呼ばれていました。1970年に結成され、デビューアルバムは名前の通り「エマーソン・レイク&パーマー」(名曲「ナイフエッジ」「ラッキーマン」等を含む)。翌年発表した2nd「タルカス」(映像は初来日1972年7月雨の後楽園球場)では本格的にムーグシンセサイザーを活用し始め、ジャケットの機械怪獣タルカスが全てを破壊するというコンセプトイメージで、爆発的な音塊を3人で表現しておりEL&Pの記念碑的作品と位置づけられました。同年のメロディーメーカー誌人気投票では前年のレッド・ツェッペリンに代わって首位になり「タルカス」もアルバム部門で1位を獲得しています。今日の紹介曲はその後にリリースされた「展覧会の絵」(ムソルグスキー作曲を独自に編成したライブアルバム)、冒頭に有名なクラシックサウンドが鳴り始め、序盤はキースとカールが息を合わせて絡み合うムーグシンセサイザーとドラムの叩き合い、その後壮大な組曲が展開されていき、グレッグレイクが高らかに歌い上げる「キエフの大門」でクライマックスを迎えていきます。当時はレコード針が擦り切れるほど聴いていましたネ~。当初、このライブ演奏は正式リリースする予定がなかったのですが、この未発表音源が海賊盤として出回ってしまったことから急遽市中から回収し、11月になって正規盤「展覧会の絵」を発表したという経緯だったらしい。その後は「トリロジー」(1972年)、最高傑作とも呼ばれる「恐怖の頭脳改革」(1973年)を発表して栄光の頂点を極めました。しかしその後はグループ活動のコンビネーションは次第に調子が落ちていき、人気面でも当時「こわれもの」「危機」の発表で進境著しいイエスに抜かれていきます。キース・エマーソンも音楽的な行き詰まりを感じ始め、メロディー・メーカー誌の人気投票(キーボードプレイヤー部門)ではリック・ウェイクマンに首位を明け渡し、彼らが最もクリエイティブな時期(ピーク)は、デビューから1974年頃までの僅か5年間でした。活動期間が短かったことや名盤の数が少ないことから、プログレ4大バンドの中では評価的に後塵を拝しているような気もしますが、結成時に世界指折りの実力者が集まってできたスーパー・グループであることは間違いありません。キースエマーソンがムーグシンセサイザーにナイフを突き立てたりする狂気じみたパフォーマンスも強烈な印象で脳裏に残っています。今はコンピュータでどんな音も表現できる時代、彼らのような体を張って楽器を操る音楽スタイルはある意味ではアナログなバンドなのかもしれません。最後は「展覧会の絵」からリリースされて大ヒット曲となった「ナットロッカー」(くるみわり人形)で記事を締めたいと思います。




★(075):キャット・スティーヴンス 「雨にぬれた朝」 (1972年) (2013.10.5公開)


c0119160_5215711.jpg最近は1970年代の「今は昔・・アーティスト」ばかり取り上げていますが、今回は1970年初頭にシンガーソングライターブームの先頭を走っていた「キャット・スティーヴンス」の代表作中の代表作「雨にぬれた朝」(Morning Has Broken)を紹介したいと思います。「誰、その人?」っていう声が多いかもしれませんが、その繊細なメロディセンスやヴォーカル主役のアコースティックなフォークサウンドは当時世界的にブレイクし、同時期のエルトンジョンにも迫る人気と勢いがありました。小生にとってこの曲は深夜放送を聴きながらテスト勉強をしていた頃(もう40年以上前か・・)のBGMですが、1990年代以降も何度かTV-CM曲にさりげなく使われていたので聴いたことがある方も多数いることでしょう。湖水の如く透き通った音色と旋律は今でも全く色褪せておらず、聴く程に心が洗われる時代を超越した名曲だと思います。イントロから流れるこの美しいピアノは何とイエスのリック・ウェイクマンが演奏しているのですぞ!雨上がりの朝の風景を描いた高尚なる歌詞(哲学&宗教的な色合いが滲む)は童話作家でもあるエレノア・ファージョンという詩人が書いた詩にキャットが感銘を受けてメロディをつけた曲なのだそうです。彼の音楽人生は1970年に発表した「白いバラ」を皮切りに人気を博し始め、1971年には「父と子」と「ティーザー&ファイアーキャット」がアルバムチャートで全米上位に入る大ブレイクに輝き、「ムーンシャドウ」や、「オ-ヴェリヤング」などの名曲を次々に生み出しました。1971年輩出の2名盤は米国だけでそれぞれ300万枚を売り上げ全米レコード協会によってトリプル・プラチナムに認定されており「ピーストレイン」「ザ・ウインド」等の佳曲も印象深くわが脳裏にいまだに焼き付いますネエ・・。しかし彼がキャットスティーヴンス名義で活動したのは1978年まで・・。兄からもらったイスラム教の聖典コーランを読んで大きな衝撃を受け、1979年にイスラム教に改宗(ユスフ・イスラムと改名)、全ての音楽活動を突然停止してしまいました。それまでに得た全財産を処分しその資金を元にロンドンでイスラム教学校を設立し教育家・慈善活動家としての活動を選択したのだから驚き!(知らなかった・・)。しかし彼の往年の名曲「ワイルドワールド」(Mr.Bigのカバーでも知られる)は21世紀に入っても、日本のCMでも使用されシングル・カットされて大ヒットしています。実はこの曲の内容は、主人公が別れた彼女に対して「世界は危険に満ちているから気をつけるんだよ」と歌いかけています。皮肉なことに、彼が信じるイスラム教が生んだイスラム原理派のテロリズムと米国を中心とする資本主義社会が対立を深めテロ事件がいつどこで起きてもおかしくない状況にあり、現在の地球こそまさに「Wild World」そのものかもしれません。欧米のファンにとっては、今では素直に楽しめないのがキャット・スティーヴンスの音楽だと言われていますが、日本人は欧米・イスラム対立には関心が薄いのでそんな複雑な思いを意識することなく純粋に彼の美曲を慕い受け継いでいくような気がします。




★(074):キッス 「ハードラックウーマン」  (1976年) (2013.9.24公開)


c0119160_2205363.jpg今年結成40周年を迎えたスーパー・ロックバンド「キッス」がいよいよ10月に来日、特徴的な白塗りメイクと奇抜なコスチュームでロックファンを圧倒し続けてきたモンスターバンド(総売上枚数が1億枚超)のツアー公演は7年ぶり10回目となります。今回もどんなエンターテインメント溢れるロックショーを見せてくれるのでしょうか。キッスといえば、ストレートなヘヴィメタロックが主流ですが、対照的に叙情性漂うメロディアスな曲や、アコースティックでリズム感溢れる名曲が多いのも大きな特徴(RWはこちらの路線が大好き)。今回の紹介曲は小生が大学1年の時、下宿のラジオ(FEN放送)から毎日のように流れていた「ハードラックウーマン」にしたいと思います。(美曲ベスにしようか選択に悩みましたが・・) 1973年米国で結成された、「キッス」のオリジナルメンバーは、ジーン・シモンズ(b)、ポール・スタンレー(vo、g)、エース・ フレーリー(g)、ピーター・クリス(ds)の4人。ド派手な化粧と個性的なレザー衣装で迫力あるライブパフォーマンスが評判を呼び人気が急上昇し1974年レコードデビュー!この頃、かの「ミュージックライフ誌」では、クイーン、エアロスミスと共に3大バンド的扱いで強力にプッシュされていました。1st/2ndのセールスは今一つでしたが、1975年「ロックンロール・オールナイト」(3rd盤からのシングル)が突然デトロイトで売れ出し、気を良くした彼らは急遽デトロイトでライブ・レコーディングを行い2枚組の名盤「地獄の狂獣/キッス・アライブ」を発表、これが一気にブレイクして全米9位とプラチナ・ディスク獲得という大ヒットを記録したのです。1976年、波にのったキッスはさらにロック史で名盤と称えられる「地獄の軍団」(彼らの代表曲「デトロイト・ロック・シティ」を含む)をリリースしプラチナ・ディスクに輝く大成功を収めました。統一感に溢れたスケールが大きい名盤は、効果音やストリングス等が随所に配されており必聴のアルバムです。やはり一番びっくりしたのは美曲「ベス」を初めて聴いたときです。これがあのキッス~?と目からウロコ・・!「地獄の○○」の表題でヘヴィメタパフォーマンス(定番曲は「ラブガン」など)のイメージが強く、RWにとってはキワモノバンドと見えており距離を置いていたのですが・・。さらに1977年に入ってポップス色が強い「ハードラックウーマン」(上記掲載曲)の大ヒットで、キッスの幅広い音楽性を目の当たりにして一遍にファンとなってしまいました。そして1979年リリースの「ラヴィン・ユー・ベイビー」も本当に格好いい!大胆なディスコ・ビートを導入してダンサンブルな16ビートのリズムにハードなギター・サウンドを乗せた快作でした。バンド自体はこの後も飛ぶ鳥の勢いで売れ続け、出すアルバムすべてがプラチナ・ディスクという、とてつもない快進撃をつづけていましたが、メンバー間の確執が激しくなり、80年ピーターが、83年にはエースが脱退していきます。しかし紆余曲折も乗り越えて、2012年にリリースした「モンスター」(20枚目のアルバム)が全米ビルボードで初登場3位を記録してキッスは今もなおパワー溢れる活動を継続中、本当に素晴らしいですね~! KISSの白塗りメイクや隈取の化粧メイクは日本の歌舞伎をモチーフに大いにカブイており、ジーンシモンズの大股で腰を据えたパフォーマンスは、まさに市川団十郎が「弁慶・安宅の関」で見せる荒事・大見得の如し!そのKISSメイクはデーモン小暮(聖飢魔II)やゴールデンボンバー樽美酒研二(ピーター・クリスを意識)などで再び日本に戻ってきているのもオモロイです。そして最後はKISSがノーメイクでイケメン素顔を見せながらしっかりとバラードを歌い上げている「フォーエバー」で締めて、キッスの来日公演の成功と再びの人気復活を祈念したいと思います。




★(073):ボブシーガー&シルバーバレットバンド  「ナイトムーブス」 (1977年) (2013.9.12公開)


c0119160_2082983.jpg前回紹介したニールダイアモンドも同様ですが、米国では高く評価されながらも日本での知名度は低い大物アーティストって沢山いますね~。70年代中盤から80年代前半にかけて大活躍した「ボブシーガー」もその一人の様な気がします。しゃがれた声に骨太なロック、ピアノとコーラスも大いなる魅力、R&Bやカントリーの雰囲気も漂う哀愁のナンバーの数々、(ケニーロジャーズ+Bスプリングスティーン+ヒューイルイス)÷3みたいな感じかな・・? 発表したアルバムの殆どを米国チャートのトップ10に送り込み大人気を誇ったアメリカン・ビッグシンガーでありました。小生は、大学生から社会人なり立て時代(1976~1980)に「アメリカンTOP40」が大好きでしたので、上記の「ナイトムーブス」や「オールドタイム・ロックンロール」、「アゲインストザウインド」「ファイアーレイク」(両曲は次回記事で紹介)など多くのヒットナンバーをFENラジオやベストヒットUSAでよく聴いていたものです。1度の記事では全て紹介しきれないので前編(1970年代の渋い時代)と後編(メジャー地位を確立した円熟時代)の2回に分けて掲載したいと思います。「ハリウッドナイツ」、のように熱くロックシャウトするボブもいいですが、「ウィブガットトナイト」の様な「枯れたヴォーカル」でしみじみ聴かせるバラード(哀愁、涙、泣き、アコースティックが満載)がこりゃまたいいんですナ~!ボブ・シーガーはデトロイト出身で1945年生まれ(もう古稀近いネ~)、決して一気にスターの座に上りつめたわけではなく10数年もの下積み時代があったようです。1969年のメジャー・デビュー後も大ヒット曲には恵まれず、1975年の「美しき旅立ち」でようやく花が咲きはじめた苦労のロッカー。上記曲のヒットによってその後シーガーは米国中部出身の庶民の代弁者という路線を進むことになります。この頃から「シルバーバレットバンド」(=銀の弾丸の意味、ドラマーはGFRのドンブリューワーと聞きビックリ!)を形成して活動を拡大しメジャーになっていきました。BスプリングスティーンにはEストリートバンドが、ニール・ヤングにはクレイジーホースがいるように、やはりいいアーティストにはいい仲間のバックバンドが付いておりますね。前編のラストは1978年のヒット名曲「フィール・ライク・ア・ナンバー」「裏切りのゲーム・Still The Same」(小生の最大級のお気に入り曲)で締めくくりたいと思います。




★(072):ニール・ダイアモンド 「スィートキャロライン」 (1969年) (2013.8.31公開)

c0119160_7582774.jpg日中・日韓関係が悪化の一途を辿り日米同盟の重要性が叫ばれる中でも、米国との諸課題は依然遅々として解決に至っていません。そんな現状を打開しようとオバマ大統領は、この2013年秋から在日アメリカ全権大使にキャロライン・ケネディ氏(故ジョン・F・ケネディ大統領の長女)を指名することになりました。1957年の生まれかぁ!小生と同年齢・・、あまりにも違いすぎる人生ですな~(笑) ご存じの通りケネディ大統領は1963年日本初のTV衛星中継において公衆面前で暗殺(その瞬間が世界中に放映されるという衝撃的な事件)され、妻ジャクリーン・ケネディ(キャロラインの母)が腰を抜かしながら車上を這いつくばってパニックしていたシーンが生々しく思い出されます。当時6才だったキャロラインが悲しみに暮れ、父を葬送する姿も実にけな気だったなあ・・。その後も叔父暗殺、弟の飛行機事故など「ケネディ家の呪い」ともいわれる不幸が続き、心が沈みゆく彼女(1969年・当時11才)を励ますため、「ニール・ダイアモンド」が歌った曲がまさに「スィートキャロライン」でした。「可愛らしいキャロラインよ!楽しい時がきっと来るよ、元気を出せよ!」・・と。ニール・ダイアモンドは、米国ではビルボードチャートの歴史上、エルトン・ジョン、バーブラ・ストライザンドに続いて3番目に大きな成功を収めたアダルトコンテンポラリーアーティストとして称賛されています。モンキーズの代表的なナンバー「アイムアビリーバー」(1969)はニールの原曲であり忠実に再現されたことがよく解ります。1972年には「ソング・サング・ブルー」が全米1位に輝き、1973年には映画「かもめのジョナサン」(リチャード・バックの小説・映画化)のサントラ曲、70年代中盤になっても「遥かな誓い」(1976)、「いとしのデザレ」(1977)とコンスタントにヒットを放ち、小生にとっては、洋楽に嵌っていた70年代初頭~中期~終盤とそれぞれの節目でヒット曲を愛聴してきたアーティストなので個人的にはお気に入りミュージシャンの一人なのでありました。顔はウスター級の濃~いソース顔、野太い声にはアクがあり決して美声 とは言えませんが、それ故に強い印象が残っています。(もう72歳になっているんだネ~) 1980年に入っても彼の活躍は続き、映画「ジャズシンガー」に自身が主演(ゴールデングローブ賞主演男優賞に輝く!)、映画サントラ盤でも「ラブ・オンザ・ロックス」「ハローアゲイン」などの美曲を書き上げ100万枚以上の売上を記録するヒットを飛ばしていました。全世界で1億数千万枚(米国では5千万枚)の売上を記録し2011年にはロック殿堂入りも果たしたているのですが、何故か日本では殆ど人気が出なかったんですよね~、不思議・・!そんな理由からか、まだ一度も来日したことがないアーティストの一人でもあります。今回掲載した「スィートキャロライン」は米国のスポーツイベント(ボストンレッドソックス・ボストン大学バスケなど)の試合曲としても有名、今年4月にボストンマラソン爆破事件の悲劇が起きましたが、被害者支援のために彼はこの曲の印税を寄付したとのことです。日本のファンには馴染みが薄いニール・ダイアモンドですが、まさに米国人にとっては心を捉えて続けてきた40数年間だったのではないでしょうか。そして彼に励まされた「スィート」だったキャロラインさん、今後は「ストロング」に変身していただき、日米関係のさらなる基盤強化に向けて大いに活躍していただくことを祈念いたします!

  # by rollingwest | 2001-10-01 00:00 | 洋楽(ロック・POPS) | Comments(96)