ピーターフランプトン 「アイムインユー」

★(119)ピーターフランプトン 「アイム・イン・ユー」 (1977年) (2015.3.29公開)


c0119160_1050863.jpg70年代洋楽ファンならば誰もが知っている英国ロックのスーパースター「ピーターフランプトン」・・、今では「誰それ~?」と殆ど無名の今昔物語状態なのかもしれませんネエ・・。しかし70~80年代洋楽ロック史で爆発的に売れたアルバム「サタデーナイトフィーバー」・フリートウッドマック「噂」・マイケルジャクソン「スリラー」等の怪物アルバムと匹敵する程に売れた名盤がピーターフランプトン「カムズ・アライヴ」(1976年)でした。当時としては珍しい2枚組ライブ盤として発売され全米10週連続No.1のメガヒットを記録(販売枚数1,000万枚)した彼の大プレイク出世作は、それまでキャロルキング 「つづれおり」 が保持していた米国アルバム売上NO1記録をあっさり更新してしまったのです。第1弾 「ショウミー・ザウェイ」(一番最後に掲載)は当時のFENラジオから毎日洪水の如く流れ続けていた曲であり、初めて大学生上京し下宿生活を始めた頃の思い出曲として小生の脳裏に深~く刻まれています。これに続くヒット曲が「Do You Feel Like We Do」(1976)と、「Baby,I Love Your Way」(1976)この3連続大ヒットで年間通してアルバムは莫大なセールスを記録し、その後ハードロック界はライブ盤ブームとなり他ミュージシャン達も続々とリリース、大きな影響を与えました。ピーターフランプトンは1950年の英国生れ、何とデヴィッドボウイの学校後輩であり2人でセッションしていた仲だったと今回初めて知ってビックリしました。彼は1960年代後半にスティーブ・マリオットと2枚看板で「ハンブルパイ」を結成し大活躍していました。ロック史に輝く超名盤「スモーキン」はピーターの脱退後でしたが・・。ポップで甘いアコースティックなピーターと、逆にソウルフルで泥臭いなスティーブ、最初は絶妙コンビでしたが徐々にバンドはスティーブのブルース色が濃くなり、ピーターの音楽性が発揮できず彼の居場所はなくなっていきました。ハンブル・パイを脱退した彼は、1974年からソロに転向し「草の根ツアー」(ドサ廻りのステージ活動)を地味に継続し、とにかくツアーに明け暮れる日々を重ねていました。この努力がついに実を結び全米ツアーを収録した2枚組のライブ「カムズ・アライヴ」が1976年に全米1位となり大ブレイクしてしまったのです。この名盤からは往年のハンブルパイのようなブルージーで厚みのある「I'll Give You Money」(1975)や素晴らしいギタープレイを披露する「Something`s Happening」(1975)なども輩出しており、メガヒットとなった理由がよ~く解ります。冒頭で紹介した「アイム・イン・ユー」(1977年)は、「カムズアライヴ」に続いて発表された名盤からの代表曲で最高2位を記録したロックバラード、小生が最も愛する名曲です。希代の美少年であり性格も素直で誰からも好かれる人、好青年ぶりが超人気のアイドル的な売れ方で一挙ブレイクしてしまったことがその後の彼の人生に暗い影を落とします。「本当は実力派なのに、女子にキャーキャー言われるアイドル音楽なんて・・」という玄人筋からの酷評(殆ど妬みだね)になりました。1978年には自動車事故で大怪我に遭い、長年の恋人と別離、公演先との訴訟に巻き込まれと不幸が続き、レコード印税やコンサート収益は悪い大人に搾取されて財産は全く残らず・・、ロック史に残る金字塔アルバムと引き換えに、生涯の幸運を全部使い果たしてしまったという感じ。(泣) その後も低迷状態でしたが、1986年に「remonition」からのシングル「ライイング」(1986)で復活します。でもこれが最後の閃光だったのかな・・。記事の締めはやはり「カムズアライヴ」からの名曲で締めます。「ラインズオンマイフェイス」(1975)はスケール感がある壮大なロック弾き語りで本当に唸らされます。やはりフィナーレ曲はピーターフランプトンの象徴曲「ショウミー・ザウェイ」(1975)しかありません! 「ワォン、ワ・ワ・ワ・ワォ~ン、♪アイウォンチュ~、デイアフタデ~イ!♪」のトーキング・モジュレーターというギターが喋っているかのように聞こえるエフェクター(口に咥えながら操作して電気的にギター音色を変える機械)が実に衝撃的なトレードマークでした!よく真似したもんだ・・。フランプトンよ、再び復活カムズアライブ!

  # by rollingwest | 2002-11-01 00:12 | 洋楽(ロック・POPS)

ボブ・ディラン 「ライク・ア・ローリングストーン」

★(079):ボブ・ディラン 「ライク・ア・ローリングストーン」 (1965年) (2013.11.22公開)


c0119160_21272292.jpgビートルズ、ローリングストーンズと同じ1962年にデビューし50年以上経過した今でもなお、ポピュラー音楽や大衆文化の世界で大きな影響力を持ち続けている伝説ミュージシャン「ボブ・ディラン」の代表曲「ライク・ア・ローリングストーン」を紹介したいと思います。小生はボブ・ディランを殆ど聴いていなかったのでエラソーに語れる資格は全くありませんが、この曲は「ローリング・ストーン誌」(世界的な米国POPカルチャー雑誌)が選んだグレイテストソング500曲(2004年)の中で、ジョン・レノン「イマジン」等を抑えて堂々1位となった名曲なのです。20世紀を代表する天才アーティストとも謂われるボブ・ディラン(1941年米国ミネソタ生まれ72歳)は1962年にフォーク歌手としてデビュー。ウディー・ガスリー(伝説的なカントリーフォークの英雄、放浪の吟遊詩人)の継承者として人気を博し、「風に吹かれて」(1963)や「激しい雨が降る」等のプロテストソングを歌って60年代前半は公民権運動の高まりとともに「フォークの神様」と呼ばれる地位を確立しました。しかし彼は1965年に突然音楽スタイルを変化させてエレキギターを持ってブルースロックのミュージシャンへと変身したのです。コンサート観客(往年のファン)からは大ブーイングの嵐を浴びましたが、しかし当年にリリースされた6作目の「追憶のハイウェイ61」はビルボードチャート3位を記録しロック史に残る名盤(ローリングストーン誌の2003年選出「過去ベストアルバム500盤」の4位に輝く)として21世紀になって高い評価を得たのです。掲載した「ライク・ア・ローリングストーン」(上記名盤からのシングルカット、当時では異例の6分超の演奏曲)はキャッシュボックスでNo.1チャート(彼にとって唯一の大ヒット)にも輝いたのです。言葉でメッセージを伝えることに拘り続ける「フォークソング」というスタイルにディランは音楽性の限界を感じ、サウンドそのものが自由である「ロック」という新しいスタイルの魅力にいち早く気がついていたと云われます。怒れる若者の心の表現をロックという新しいサウンドでボブ・ディランの「言葉=メッセージ」を得ることにより、さらなる進化の段階へと進んでいった姿も うねる時代の流れが彼に対して変化を求めていたからではないでしょうか。その後もザ・バーズの代表曲となった「ミスタータンブリンマン」(1965)を作曲提供したり、「見張塔からずっと」(1967)などの名曲を生み出し、着実にロックPOPS界の大物への地位を固めて行きました。ザ・バーズの「ミスタータンブリンマン」(ボブディラン作曲)のユーチューブを検索していたら、スペシャルゲストに招かれたボブディランがバンドリーダーのデビッドクロスビー(CSN&Yにも在籍)と共演するレアなるお宝映像を見つけて大変喜んでおります!また70年代に世界的なバンドに成長した「ザ・バンド」(第4巻NO33)は元々はボブディランのバックバンドでした。ザ・バンドの映画「ラストワルツ」(1978)で歌い上げている「フォーエヴァーヤング」も掲載しておきましょう。 80年代中盤以降になるとディランは頻繁に来日し、身軽な旅芸人風情の小規模なツアーを企画しており、秋田や倉敷など地方都市も含めて精力的に日本全国を行脚公演していました。先日ディランのユーチューブをチェックしていたら「タイトコネクション」(1985)という曲(ディラン流つぶやきソウル・ゴスペル風なゴキゲンサウンド)のPVに柏崎高校の同級生「H井真悟」(わがブログにも「楽SHINGO」の名前で登場してくれている声優)が出演しているのを発見して本当にビックリしました。準主役級の角刈りヤクザ役(一番最後にもナイフで刺されている奴)で倍賞美津子と共演しています。まだ日本がバブルに向かって走っていたよき時代の東京(赤坂、六本木、新宿)の繁華街の様子が伺える内容になっており、80年代のヘアスタイルや街の明るい雰囲気が実に懐かしい!(もう30年近くも経ってしまったんだなあ・・) 90年代以降もセールスも評価も非常に高い作品を連発し数度目の黄金期を迎え、変身と前進を繰り返しながら、20世紀を代表するアーティストとしての活躍を繰り広げてゆくことになります。まさに「ライク・ア・ローリングストーン」(転がる石)のような音楽人生ではありませんか。さらに驚いたことは、彼が詩人としてもノーベル文学賞にノミネートされているという事実を知ったことです。「卓越した詩の力による作詞がポピュラー・ミュージックとアメリカ文化に大きな影響与えた・・」という評価をされており、既に「ピューリッツァー特別賞」「フランス芸術文化勲章」「アメリカ国民芸術文化勲章」などの多数の栄誉受賞しており、常にノーベル文学賞の上位候補(毎回本命に挙げられる村上春樹に続く位置らしい)になっているとは知らなかった・・!もしもロックミュージシャンがノーベル賞を受賞したらまさに驚き桃の木・山椒の木ですね~!LASTは彼の70年代の代表曲「天国の扉」(1973)で締めたいと思います。

  # by rollingwest | 2002-11-01 00:11 | 洋楽(ロック・POPS)

ジェリー・ウォレス 「男の世界」(1970年ヒット特集:前編)

★(120)ジェリー・ウォレス 「男の世界」 (1970年) (2015.4.11公開)


c0119160_22123697.jpg今回は120回目の節目を迎えたので、初企画としてRWが洋楽に本格的に目覚めた(当時中学1年生)1970年(昭和45年)のヒットチャート曲にスポットを当て前後編に分けてレポートしていきましょう!RWが洋楽に嵌った1970年はまさにビートルズ解散の年・・、1960年代熱狂の世代からは数年遅れですが、それでも新しいジャンルのロック(プログレやハードロック,ブラスロック等)の歴史に刻まれた有名アーティスト達が毎年次々とデビューしたロック胎動・大発展期10年間(1966~1975)のド真ん中にいたので、その歴史をリアルタイムに肌で体験できた幸福世代の端くれなのかもしれません。小学校4年生くらいからモンキーズTVドラマに嵌っていましたが、小生を本格的に洋楽へ初めて誘ってくれた恩人は「サイモン&ガーファンクル」(1970年は「明日に架ける橋」でグラミー賞獲得)と「エルトンジョン」(1970年に「イエスイッツミー」と「僕の歌は君の歌」で大ブレイク)でした。しかし今回は有名アーティストの曲は記事の対象外としたいと思います。今やその名が殆ど忘れられてしましったアーティスト(一発屋も含む)のヒットナンバーばかりに絞りましたので、若い方には聴いたことない曲が多く登場しますのでご容赦! 同年代の方々には大いに懐かしんでもらえることと思います。Ready go!まず冒頭は米国人気俳優「チャールズブロンソン」の男性化粧品CMで日本中を席巻した「マンダム・男の世界」(原題はLOVERS OF THE WORLD)。米国C&Wシンガー「ジェリー・ウォレス」の曲に合わせて疾走する髭をたたえた男臭いブロンソン(映画「大脱走」は5~6回観ました)の姿が実に格好よかったね~!♪「ALL the World ~love the lover・・・、u~m、マンダム・・」。しかし当時はカナダ、フランス、オランダ勢が当時のヒットチャートに次々と名を連ねて大席巻していました。まずはカナダ出身のオリジナルキャストが 伸びやかに歌い上げる「ミスターマンデイ」、文化放送「All Japan Pop 20」で1位を6週間独走、日本では46万枚の大ヒットとなり、1970年の年間ランキング第1位に選ばれています。日本だけで大ヒットした曲ですが、素晴らしいイントロ部と哀愁を感じる歌声・爽やかサウンドが日本人の好みに合ったんでしょうね~。その次の曲もカナダ出身のグループ「マッシュマッカーン」の「霧の中の二人」、イントロから目立ちまくるオルガンの音色、テンポが弾むスリリングな展開、そして「ahh・・、love you~!foreve~!」のサビから続くカッコいい演奏、この曲は実に秀逸だと思います。カナダのグループが2連続で登場したので次はフランス勢の歌姫に・・!「シルヴィバルタン」の「あなたのとりこ」は誰でも聴いたことがある有名なPOPSスタンダード曲ですね。今の若い人に広く知られているのは2001年映画「ウォーターボーイズ」の主題歌にもなったことが契機ですが、我々はテスト勉強でラーメンをすすりながら深夜ラジオから流れていた懐かしのナンバー。「あなたのとりこ」は底抜けに明るくハイテンポなフレンチPOPSで何度聴いても素晴らしい!シルヴィバルタンといえば同じ年ヒット「悲しみの兵士」(My Favorite Songs:第2巻(014)に掲載 )も忘れることはできません。。♪「ラン・ララ、ラン・ランラ~、ランラ~」♪渋く哀愁に満ちた悲壮な女性歌声に、渋い男のフランス語呟き、随所に入る魅惑的で迫力あるサックス(ブッ・プワ~と大きく鳴り響く)。この悲しみ曲とアンバランスさの彼女のキュートな姿が実に魅力的でした。フランス勢でキュートなアイドルといえば「オーシャンゼリゼ」等で有名なダニエルビダル、デビューのきっかけは日本でした。母国のタレントコンテストで入賞したもののデビューさせてもらえず、日本のプロデューサーが彼女を見出し17歳で「天使のらくがき」で国内ヒットチャートに登場したのです。次はオランダ勢、まずはポピュラー音楽史に残るPOP曲のスタンダードとして有名な「ヴィーナス」のオリジナルヒットはオランダを代表するロック・バンド「ザ・ショッキング・ブルー」が歌っていました。イントロはいつ聴いても素晴らしい!でも今の若い人はダンスナンバーと信じていることでしょう。双壁の代表曲が「悲しき鉄道員」(My Favorite Songs:第3巻(026)に掲載)は日本で大ヒットしました。エキゾチックな雰囲気の女性ヴォーカル(マリスカ・フェレス)が歌いあげるリズム感ある曲調、哀愁帯びたギターと不思議な魅力のメロディ曲は日本人の琴線を刺激したのかも・・。最後は、小生が最も懐かしさを感じる「アース&ファイファー」(オランダ)の「シーズン」!衝撃的イントロと哀愁に満ちたエンディングが印象的で凝った作品はにRWの琴線を刺激してくれた名曲。次回、1970年ヒット後編は米国・英国勢のヒットナンバーを中心に紹介します。リンアンダーソン「 ローズガーデン」、ルークリスティ 「魔法」、クリスティー「イエローリバー」などが登場しますのでお楽しみに~!

  # by rollingwest | 2002-11-01 00:10 | 洋楽(ロック・POPS)