「My Favorite Songs」(第22巻)

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★(130)ジョン・デンバー 「緑の風のアニー」 (1974年) (2015.9.3公開)



c0119160_224230100.jpg今回は1970年代前~中期にカントリー&フォークのヒット曲を数多く生み出した米国歌手ジョン・デンバーをご紹介します。今の若い方は殆ど知らない名前かもしれませんが70年代洋楽を知る我々にとっては懐かしき郷愁の歌声・・・、洋楽を聴かなかった人でも「太陽を背に受けて」(一番最後で紹介)のメロディを覚えている方は多いことでしょう。♪「Sunshine~、 On My Shoulder~s、Makes Me Happy~」 ♪当時のTVCM曲でよく流れていたあの名曲ですね。そして誰もが知っているミリオン・セラー曲「故郷へ帰りたい」(1971:有名な「♪カントリー・ロ~ド」・・・オリビアニュートンジョンの方が有名かな?)を聴けば、この世界的な有名曲を生み出したのはジョンデンバーだったのか・・!とその偉大さを認識して頂けることでしょう。多分彼は米国人が故郷を思う気持ちの琴線に触れるアーティストの筆頭格に必ず挙げられるではないかと思います。表題そのもの「バックホームアゲイン」(1974)や故郷ロッキー山脈の山々に想いを馳せる「ロッキーマウンテンハイ」(1973)を聴けば一目瞭然(百聞は一見に如かずかな?)!この歌はジョンデンバーの故郷・コロラド州(アスペン)への愛着を現したものであり、現在では州の公式歌に指定(紆余曲折があったものの)され歌碑も立っています。1943年生まれ、父が米空軍パイロットだったことから米国各地を転々(転属移住)としていたようですが、一時は日本に住んだこともあったと知りビックリ!彼は少年時代からプレスリーやエヴァリーブラザースに触発され歌手になることを夢見て、ソロデビューを目指して地道な活動を続けていました。1969年そんな彼にブレイクの日がついに訪れました。PP&Mに提供していた「悲しみのジェット・プレイン」が全米第1位の大ヒットとなり、彼は一躍ソングライターとしての脚光を浴びることになったのです。さらに「♪カントリーロ~ド」が世界的なブレイクを果たすと1970年代の黄金時代が到来、自然の美しさ・人の優しさ・愛する女性への思い等を題材にした素朴で美しい楽曲が人気を博し、次々とヒット・チャートを賑わせました。上記に紹介した1974年「緑の風のアニー」( Annie's Song)は妻 に捧げた叙情詩で全米NO1にも輝きました。女性を称える名曲では「マイ・スウィート・レディ」(1977)も有名です。演奏家として優れた資質だけではなく、ジョン・デンバーは常に環境・社会・政治・人々の生活向上について高い意識で各種活動に取り組んだ人でした。彼は米国大統領から国内外飢餓対策委員の一員に任じられアフリカの飢餓の危機を救う活動に取り組み「飢餓なき世界」賞を受賞しています。そんな彼に信じられない悲劇が突然訪れてしまいました。1997年自家用軽飛行機を操縦中に海へ墜落し帰らぬ人とに・・・。米国民から愛されたジョン・デンバーの死に対して、当時の米クリントン大統領は「彼の歌った音楽は何百万人もの人々を感動させ、世界中で人類についての理解を深めることに貢献した」と語り深い哀悼の意を示しました。ラストを飾る名曲は「さすらいのカウボーイ」(1973)のB面曲にもかかわらず、歌の内容が徐々に評価されて翌年に全米NO1に輝いた「太陽を背に受けて」(1974)で締めくくりたいと思います。悲しみを乗り越えて、彼の業績は世界に注がれた愛のサンシャインとなって今も称え続けられています。


⇒次回は、 2年連続で世界売上1位など数々のギネス記録を打ち立てた貫録の若き実力女性歌手「アデル」の「サムワン・ライクユー」(2011)を お送りします。♪\(^◇^)/♪





★(129)スティーブミラーバンド 「ロックンミー」 (1976年) (2015.8.20公開)



c0119160_2055591.jpg今回はRWの大学生時代にFENラジオから数々の名曲を届けてくれた「スティーブミラーバンド」を前・後編に分けて取り上げてみましょう。一般の方は「またまた聞いたことないマニアックバンドかい!?」と思われるでしょうが、1970年代洋楽シーンを知る者にとっては全米チャートに毎月名前を連ねていた常連ヒットメーカーでした。このバンドはサンフランシスコで1968年に結成され、当初はブルースに根ざしながらもサイケデリックなサウンド追求型でしたが、日本で知名度が高まった1970年代中盤~後半に入るとポップで聴き易いファンキーなサウンドに変身していき、「スティーブミラーの音楽路線って一体何処に属すのかいな?」と思うほど実に多彩なヒット曲を沢山放っていました。黄金期の名曲群は1970年代半ばの2大名盤「鷲の爪」(1976)&「ペガサスの祈り」(1977)に集約されていると言っても過言はありません。冒頭紹介の「ロックンミー」(1976)は、「鷲の爪」からのシングルで全米N01に輝いた彼らの象徴曲の一つです。キャッチ―なギターリフ(歯切れも抜群!)で始まり、疾走感溢れるノリ良いリズムと軽快メロディーで展開してくファンキーさは「ジェットエアライナー」と実によく似た雰囲気ですね~。 スティーブミラーは若い頃からシカゴブルースの影響を受けてギタリストとしての道を歩み始め、かの有名なボズスキャッグスとは何と高校・大学時代は同級生同士、若い頃から一緒にセッション活動していたようです。1968年に自ら名前を冠したグループを結成(当時はスティーブミラー・ブルースバンドと呼称)、「クイックシルバーガール」(1968)などブルースに根ざしながらもサイケデリックサウンドを追求していました。1970年代中盤は電子音を駆使しながらカントリー・ブルース・宇宙的世界が入り混じったような不思議な曲が多かった印象があります。RWが彼らの存在を初めて知ったのは全米No1に輝いた「ジョーカー」(1973)、この曲はまだブルースの泥臭さが残っておりサイケ調に唸り出すギターとのコラボが実に渋かったなあ・・! 1970年代後半になると、ポップな彩りを加えたサウンドづくりに変身(音楽分野の幅を広げた?売上重視の受け狙い?)、米国ヒットチャートの上位を毎月のように賑わす存在になっていき驚いたものでした。「星空のセレナーデ」(1976)は、リズミックなアコースティックギターと哀愁漂うノリが良いミディアムテンポのボーカルが実に素晴らしい~!「テイク・ザ・マネー&ラン」(1976):今回はクリントイーストウッドの動画)は軽快なギターサウンドとノリのいいボーカルコラボが冴えるロックンロール曲、「ダンス・ダンス・ダンス」(1976) はカントりーな雰囲気がたっぷりな情緒ある曲、そして「ワイルド・マウンテン・ハニー」(1976)は中近東的なエキゾチックサウンドを聴かせてくれます。まあよくこれだけカメレオンの如くサウンドを変身させることができるもんだ・・と半ばあきれながらも、RWは下宿のFENラジオから流れる彼らのヒット曲に耳を傾けていたものでした。前編最後の曲は、幻想的なブラック系な雰囲気で1976年全米No2に輝いた「鷲の爪」(Fly Like An Eagle)で締めることといたしましょう。ピリピリするのが鷹の爪(トウガラシ)ならば、「鷲の爪」はJAZZYなシンセサイザー演奏で淡々と歌い上げるクールなスペーシーサウンド、歌詞は未来ある貧困な子供達を救おうというメッセージソングだったようです。後編はスティーヴミラーがさらにPOP度を進化させて世界的に人気を博した名盤「ペガサスの祈り」からのヒットナンバーの数々をお届けいたします。





★(128)ロギンス&メッシーナ 「川の流れのように」 (1974年) (2015.8.6公開)



c0119160_21505077.jpg「ロギンス&メッシーナ」・・?今時の方にとってはまたも「誰それ~?」との反応が返ってくる気がしますが、我々世代では1970年代の代表的なアコースティックデュオのひとつ、S&G解散後からE・ダン&JFコーリー登場前の空白時期に活躍していた思い出のグループです。実はメンバーの片割れロギンスとは、「フットルース」や「トップガン」(デインジャーゾーン)など数々の映画主題歌をヒットさせ、1985年「ウイアーザワールド」(USAフォーアフリカ)にも参加したあの有名なケニーロギンス( 1980年代を象徴するアーティスト)なのです。RWの初出会いは、深夜ラジオから毎日流れていた大ヒット曲「ママはダンスを踊らない」(1972)でしたが、1980年代以降でケニーロギンス(パワフルでオシャレ・垢抜けたイメージ)を認知した人にとっては「彼がこんな泥臭くおとぼけチックな曲を歌っていたとは・・!」と意外な経歴に驚くかもしれません。この次にヒットした「放課後のロックンロール・パーティー」(My Music)(1973)も同様路線で、前年ヒットしていたポールサイモン「僕とフリオと校庭で」と並ぶお茶目で楽しい学校ネタ曲でした。またRWがよくラジオで聴いていた彼らの代表曲「愛する人」(Thinking Of You)(1972)は軽快で爽やかなほのぼの路線、淡々と歌い上げる「ピースオブマインド」(1971)を聴けばやはり彼らの基本線はフォークPOPデュオと認識できます。それもそのはず相方のジムメッシーナはあの伝説的なフォークロックバンドだったバッファロー・スプリングフィールド(CSN&Yの母体)やポコ(カントリー・ロックの源流バンドの一つ)に参加していたのですから・・。上記に紹介した「川の流れのように」(1974)は三拍子シンプルな曲ながら美しいハーモニーや聞きやすいメロディが印象的、その他にも「ダニーの歌」(1971)など叙情詩的なアコースティック美曲の数々は本当に魅力的です。しかし今回の記事編集で再認識したのは音楽性の幅広さ、ロカビリー・カントリー・ソウル・ジャズ・プログレを交えて自分達のサンウンドに創り上げている点です。4作目マザーロードからの名曲「ビー・フリー」(1974)は弦楽器(バイオリンとバンジョー)がコラボする長大曲(6分59秒)、カントリーロックとプログレが合体した雰囲気で、複雑構成ながらも手作りで叙情性溢れる壮大で独特な世界を表現しています。また「アングリーアイズ」(1972)もジャズロックと融合したような多彩かつ壮大なる構成(エレキギター、サックス、フルートの競演)!初老2人のボーカルはCSN&Yの雰囲気も醸し出しており、実にいい味を出しています。彼らの音楽性のマルチぶり・奥深さは、ホンワカムードを演出するジム・メッシーナの絶妙ギターやカントリーフィドルの浮遊する楽しさ、間奏バイオリンや美しいケニー・ロギンスのコーラスワーク、ジャズやプログレとの融合も目指した演奏全体の濃密度・・、溢れる才能と先進的な姿勢がコンビを組んだ5年間(1972~1975)に静かに花を咲かせました。 最後を飾る名曲は「プー横丁の家」(1971)、クマのプーさんをイメージするほのぼの曲はケニー・ロギンスがプロになる前(高校生時代)に作曲し、ニッティー・グリッティー・ダート・バンドがヒットさせた名曲です。ロギンス&メッシーナは本当に素晴らしき1970年代を静かに控えめに彩ってくれたデュオでした。





★(127)スティービー・ワンダー 「迷信」(superstition) (1972年) (2015.7.23公開)



c0119160_2294721.jpgスティービー・ワンダーといえば、洋楽を殆ど聴かない方でも一度は耳にしたことがある世界的なビッグアーティスト。その類い稀な作曲センスや歌・演奏の素晴らしいパフォーマンスでグラミー賞を何と合計22回も受賞し今も絶大な人気を誇り続けるPOPS/R&B/SOUL界の巨匠です。しかしRW記事ではまたも未掲載だったことを再認識し新たな3部作をスタートさせたいと思います。前編(少年期の1960年代~1970年代初頭)、中編(金字塔と称される1976名盤「キー・オブ・ライフ」~1970年代後半名曲)、後編(1980年代以降、世界レジェンドとして君臨)といった分類でレポートを進めて行きます。スティービーは1950年ミシガン州で誕生、しかしこの時から彼の苦難の人生がすでに始まっていたのです。保育器内の過量酸素が原因で生まれてすぐ永久に視力を失い盲目者としての生涯がスタートすることに・・。しかしこのハンディを負いながらも、彼は ブラックミュージックの名門モータウンから僅か13歳でデビューを果たし、「フィンガーチップス」(1962)が全米No1に輝きました。その後ミドルティーンでの活躍も目覚ましくマイケル・ジャクソンも凌駕する幼少からの天才ぶりが窺えます。15歳で歌った「アップタイト」(1965)は、ストーンズ「サティスファクション」に影響を受けた雰囲気の曲で大ヒット。そして16才では、少年から大人へ声が移り変わる中でサウンド面で一歩大人な雰囲気になった「太陽のあたる場所」(1966)、彼のガールフレンドを歌ったと言われる「マイシェールアモール」(1969)などの名曲を次々にヒットさせ大活躍を続けていました。しかし1970年初頭に入ると従来のヒットナンバー量産路線から脱却し、社会的テーマの追求を目指すアルバムプロデュースに積極的に関与する姿勢を見せていきます。その最初の集大成が1972年発表の「トーキング・ブック」、冒頭に紹介した「迷信」(superstition)はまさに象徴曲であり新たなスティービーが全世界にブレイクした歴史的名曲でありました。タイトなドラムス、クラビネット(電気鍵盤楽器)とギターで一度聴いたら耳に焼きついて離れない呪術のようなリフレインのイントロ、スティーヴィーが抑えたヴォーカルで唄い出します。さらにはトランペットが響き渡り、絡みつく完璧アレンジのホーン・セクション、絞り出す様なシャウト!RWも初めて スティービー・ワンダーの存在を認識したのがこの曲であり、魔法にでも掛ったかのように心を奪われてしまいました。このアルバムはトータリティ・普遍性の面で飛躍的な進歩を遂げる作品として歴史的な快挙を刻みました。さらに翌年リリースされた「インナーヴィジョン」は超有名なヒット曲はないですが、「ハイアーグランド」(1973)、「汚れた街」(Living for the City)(1974)がともに全米4位のヒットを記録しして スティービーは世界的なビッグネームとしての地位を着実に突き進んで行った時代です。前編の締め曲はボサノバなどでもよくカバーされる「サンシャイン」(1973)、温かみあるラヴソングは「迷信」と並ぶ名盤「トーキング・ブック」からの代表曲で全米1位に輝いています。次回中編はグラミー賞を総ナメにした彼の最高傑作「キーオブライフ」(1976)はロック史に輝く金字塔的な名盤からのレポートとなります。

  # by rollingwest | 2002-10-01 00:00 | 洋楽(ロック・POPS) | Comments(126)

「My Favorite Songs」(第21巻)

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★(126)バリー・マニロウ 「哀しみのマンディ」 (1975年) (2015.6.25公開)



c0119160_18193138.jpgRWの高校・大学生時代(1970年代)、正統派バラード曲を次々とヒットさせて一世を風靡した大物歌手「バリー・マニロウ様」の紹介をいたしましょう。RWが夢中になって聴いてきたアーティストなのにすっかり失念しており、こんなにも掲載が遅れてしまって本当にご容赦・・!1970年代中期からの1980年までの数年間がまさに彼の黄金時代!美しい旋律とセンチメンタルなメロディに彩られた名曲で我々の心を癒してくれていたものです。彼のヒット曲も本当に多いので、またも前・中・後編に分けて気長に紹介していきたいと思います。まず冒頭はRWが最も大好きだった「哀しみのマンディ」(1975)、まさに美しきバラードの王道曲として今もPOPSシーンに燦然と輝いています。最初は「悲しみの月曜日」という歌名なのかなと思っていたら実は女性の名前、自ら振った元恋人を今になって想う切ないバラードだったと気づいたのはかなり後のこと。バリー・マニロウ(1946生まれ・もう古稀か!)はクライヴ・デイビスに見出され、1975年にアルバム「Barry Manilow I」「恋はマジック」でデビュー。「愛は奇蹟のように」(1975)などのヒットで順調なスタートを切りましたが、やはり彼の名前が世界的にブレイクしたのは堂々全米NO1に輝いた「哀しみのマンディ」であり、この曲こそRWがバリー・マニロウに一挙嵌った契機となりました。当時のシングル曲名は邦題がまだ主流時代、あらためてどんな名前だったのかとレビューしてみると叙情的な形容詞(愛・恋・哀しみ・想い出・涙・面影等)を使用した曲名がオンパレード!でも邦題名だと彼の往年のメロディが即時に連想して来ないんですよね~!やはり「歌の贈りもの」(1975、彼の代表曲)は「I Write The Songs」、「愛を歌に込めて」(1976)は「This One's For You」と表記したほうが脳裏にクッキリと旋律が蘇ります。バリー・マニロウといえば一般的には「コパカバーナ」(中編で紹介予定)が代表曲でエンターティナーという印象で捉える人が殆どと思いますが、RWにとってのバリーはあくまでもピアノ弾き語りと美しいバラード(大仰なアレンジ)で王道を行く大人のボーカリストというイメージでした。大学入学で上京し初めての下宿生活(四畳半)でFENラジオから毎日のように流れていた「ニューイングランドの週末」(1976)や「うつろな想い」(1976)などは涙が出るほど懐かしい名曲です。鼻が高くて金髪のハンサム(犬顔家の一族)・・、女性を過去どれだけ泣かしたのだろうと思っていたら、何と今年の春に彼は30年間マネージャーを務めている男性と結婚宣言!いや~実にビックリ、イメージがガラガラと崩壊してしまいました・・!まあ、最近は同性婚が多くの国で認めらてきたのでこの辺でやめときます。(苦笑) でも小生にとっては正統派の貴公子的なバラードシンガーだったバリー・マニロウ様だったのです。次回は黄金時代後期(1977~1980)の名曲を沢山紹介していきたいと思います。


⇒次回は、盲目のハンデをものともせず今も絶大な人気を誇り続けるPOPS/R&B/SOUL界の巨匠「スティービー・ワンダー」が世界的に大ブレイクした名曲「迷信」(superstition)(1976)を お送りします。♪\(^◇^)/♪




★(125)ウイッシュボーン・アッシュ 「戦士(Warrior)」 (1972年) (2015.6.25公開)



c0119160_20333810.jpg今回は1970年代初期に大英帝国が輩出した最強のツインリード・ギターバンド(4人組)、「ウィッシュボーン・アッシュ」を紹介いたします。一部マニアの方にはロック史に刻まれる伝説的なグループとして崇められていますが、その一方で国内一般的には殆ど無名状態・・・、今やこのバンドを知っている世代はほんの一握り(アラ還前後のロック好き?)なのかもしれません。アンディ・パウエルとテッド・ターナーが織りなす美しいツインリードギターとボーカルのハーモニー、そしてわかりやすいメロディとドラマティックな曲の数々、特に1972年にリリースされた「百眼の巨人・アーガス」はロック史に燦然と輝く金字塔的なアルバムです。このジャケットや曲名から受ける印象はまさに「中世騎士の戦争」・・、兜の鎧を身につけたマント姿の勇者「アーガス」が手に槍を持ってまっすぐ遥か前面を見据えており、冒頭に紹介した「戦士」(1972)はまさにその象徴曲的な存在でした。コンセプトアルバムの印象なのでプログレッシブロックかなと思いましたがそれほどマニアック・難解でもなく、ハードロック的かというと決してヘヴィメタではない。ブルースの要素はあるもののコテコテに泥臭くはなく、ジャズやフュージョンでもない。このグループは一体どのジャンルに属すのだろうと不思議に思っていましたが、強いて云うならば「叙情美ある英国トラディショナルロック」という冠名あたりが相応しいのかもしれません。「百眼の巨人・アーガス」はまさに名曲がオンパレード!小生は軽快なギター・リフや抑え目のボーカルで流れ始めやがてギターバトルが相互展開される「ブローイン・フリー」(1972)が一番のお気に入り!そして中世王家戦争のイメージが迫る「ザ・キング・ウィル・カム」(1972)の仰々しさ(映像も然り)も「百眼の巨人・アーガス」を代表する曲でもあります。ウィッシュボーン・アッシュは1969年ロンドンで結成、翌年に「光なき世界」(1970)でアルバムデビュー(原題Wishbone Ash)をして、全英チャートで34位にランクされるヒットを記録。続く2nd盤「巡礼の旅」(1971)も14位に入り早くも第一人者としての地位を確立しました。そして今回記事のメインである第3作「アーガス」は全英3位という大ヒットを記録、「メロディ・メーカー誌」の年間最優秀アルバムにも輝きついに世界的なブレイク(日本での人気沸騰もこの名盤)を果たしたのです。「サムタイム・ワールド」(1972)は彼らのエッセンスが詰め込まれている7分近い壮大な曲で、美しきメロディーと洗練されたギターとドラムサウンドがドラマティックに曲が構築されています。スロー・テンポで穏やかなボーカルから、後半は一挙にテンポが変調してアッシュ独特の音世界へ突入!一挙競演が展開されるツインリードギターのバトルが繰り広げられ実に聴きごたえがあります。2人のギタリストが各自リードを取る奏法を初めて成功させたのは紛れもなくウィッシュボーンアッシュ・・、自由奔放にギターソロを入れながらも混乱を見せることは一切なく見事な調和を生み出しています。お互いのプレイを理解し、尊重し合っているからなのでしょう。1970年前後の名ギタリストといえばJヘンドリクスや3大ギタリスト(Eクラプトン・Jペイジ・Jベック)等の名前が真っ先に上がりますが、ツインリードの先駆者であるアンディ・パウエルとテッド・ターナーの知名度は今ひとつ・・、これだけの優れたプレイヤーはもっと評価されてもいいのではないでしょうか。彼らの名盤でもう一つ忘れてはならないのが 第一期の集大成ライブアルバム「ライブ・デイト」(1973)です。「剣を捨てろ」(1973)など「アーガス」からの名曲が中心にチョイスされていますが、哀愁漂うメロディーにツインギター音色が美しく響き渡り、絶頂期ウィッシュボーン・アッシュのエッセンスが凝縮されたロック史に輝くライブアルバムです。「ビーコンのバラード」(1973)彼らには珍しいアコースティックテイストで2人がコーラスを織りなしており、コチラも小生のお気に入り曲です。衝撃的な要素は皆無でありながら、知らず知らず脳に刷り込まれていくような魅力に溢れる「ウィッシュボーンアッシュ」・・、締めの曲は、彼らのデビュー盤「光なき世界」のLASTに収められた「フェニックス」(1970)で・・!キングクリムゾンの中期曲を連想させるような雰囲気をもつ名曲ですが、ユーチューブ映像では中世騎士の戦争ではなく、現代世界の戦争がテーマに描かれており何か今後の近未来の暗示的なものを感じたRWです。




★(124)ハーブ・アルパート 「ビタースイートサンバ」 (1965年) (2015.6.10公開)



c0119160_1419595.jpg「ハーブ・アルパート」という米国のジャズ・トランペット巨匠の存在を初めて知ったのは1979年秋、「ライズ」という曲がマイケル・ジャクソン(前週1位)を蹴落として全米チャートNO1に輝いた時でした。このゆったりと淡々と演奏されるトランペットサックス曲(翌年のグラミー賞でインストゥルメンタル部門を受賞)がPOPSチャートで堂々王座に輝いたことはちょっと驚きましたが、当時はクロスオーヴァー/フュージョンがブーム幕開け時期だったので歴史を今振り返ってみれば必然だったのかもしれません。しかし演奏者の名前を知らなくとも、彼が演奏してきた数々の名曲が中学生時代から自分の体にドップリ刷り込まれていたという事実を知ったのはつい最近のこと。今回掲載した冒頭曲「ビタースウィート・サンバ」は我々世代ならば誰でも知っている深夜ラジオ番組「オールナイト・ニッポン」(1967~・ニッポン放送)のオープニングテーマ曲です。受験勉強でインスタントラーメンをすすりながら、深夜1時に「チャラッチャ、チャッチャララ、チャッチャチャ~」というトランペットのメロディが流れてくると「今日はどんな新曲や話題ネタが仕入れられるのだろう・・」と、毎晩楽しみにラジオチューニングしていたものです。乗りのいいGo Go糸居五郎 Goes on!トーク中心の今仁哲夫、人気が高かったカメ(亀渕昭信)&アンコウ(斉藤安好)、アッハ~ンのエロトーク笑福亭鶴光、あのねのねナンセンスギャグなど個性あふれるパーソナリティが登場して諸々の情報を提供してくれたラジオ番組は、セイヤング(文化放送)やパックインミュージック(TBSラジオ)と並び若者文化発信の3大プラットフォームでした。その懐かしき青春時代の番組BGMを演奏していたのが「ライズ」のハープアルバートだったのか~・・、お恥ずかしながら50才後半にしてようやく再認識した次第です。彼は1965年からすでにグラミー賞にも輝く大物ミュージシャンでした。ハーブ・アルパート&ザ・ティファナ・ブラスのグループ名で「テイストオブハニー(蜜の味)」「(1965)や「ティファナ・タクシー」(1965) などの楽曲がTV・ラジオ挿入曲として盛んに使われ大ヒットしておりすでに当時から音楽界の第一人者となっていました。いずれもお馴染みのスタンダードのBGMばかりですよね~!今回の編集で、さらに驚いたのは彼がA&Mレコード(セルジオ・メンデス、ジョー・コッカー、カーペンターズ、ピーター・フランプトン、ポリスも所属)の創始者の一人だっだということ!なるほど・・、A&MのAはアルパート(Alpert)を指していたのか~! ティファナ・ブラス解散後はソロとなって「ライズ(1979)が全米NO1ヒットを記録すると、「ビヨンド」(1980)や「マジックマン」(1982)、「ファンダンゴ」(1982)等がキリンシーグラムのウイスキー「ロバートブラウン」のCM曲に使われ、日本国民全体にも彼の曲は確実に浸透していたはず!「この曲は聞いたことがある!」という方が殆どだと思います。そして1987年にはジャネットジャクソンとコラボして「ダイヤモンズ 1987」もヒットさせて1980年代はハープアルバート第2期黄金時代ともいえる勢いで驀進していたことを思い出します。元々はジャズ・ミュージシャンを目指していたアルパートでしたが、ジャズ即興演奏よりは、トランペットを何本も重ね録りするアルバム重視の方法論を目指したようです。最後の締め曲はモスクワ五輪のテーマ曲「1980」で・・!せっかくの名曲が東西冷戦で西側諸国がボイコットしたオリンピック大会となってしまいハープアルバートも複雑な気持ちだったかと思いますが、スパニッシュな旋律で誉れ高いこの曲はいつまでたっても色褪せることはありません。




★(123)ブレッド 「灰色の朝」 (1969年) (2015.5.27公開)



c0119160_1121477.jpgRWが1970年代(中高時代)大いに癒され愛聴していた美しいボーカル・ハーモニーの「ブレッド」、メロディの魔術師とも呼ばれたデビット・ゲイツを中心としたバラードの原点のような歌声が実に魅力的でした。3年前に彼らの代表曲「ギターマン」を「第3巻」(023)でサラリと掲載してしまいましたので、あらためてリセットして彼らの軌跡をデビューから解散まで順を追って紹介して行きたいと思います。彼らは1969~1977年まで活動期間は僅か10年足らずなのに本当に名曲が多すぎて今後3回に渡ってレポート、今回は1969~1970年・・ブレイク前夜の2年間です。冒頭に掲載した「灰色の朝」は、彼らのデビューシングル(1969年)でしたが全くヒットせず、その3年後にもう一度リリースされ日本だけでヒットしたという紆余曲折的な経緯。しかし当時中学生のRWが初めてラジオで聴いた時に何て素晴らしい曲だと衝撃が走ったことを覚えています。爽やかなアコースティック・ギターのイントロで始まりハイトーンボイスが響き渡る明るい曲調の軽快ナンバーですが、原題は「DISMAL DAY=陰気な日」・・、引きこもりの様な憂鬱な歌詞をこんなにも爽やかにが歌いあげるとは・・!ブレッドはデヴィッド・ゲイツとジェイムス・グリフィン、ロブ・ロイヤーの3人がオリジナルメンバーですが、先日の洋楽ブログメイト「The Apple of My Eye」さんの記事でレオンラッセルがデヴィッド・ゲイツの幼馴染みでブレッドの結成に深く寄与していたと知って本当に驚きました。デビュー盤には数多くの名曲が静かに埋れています。哀愁漂う「ロンドンブリッジ」(1969)は小生が最も愛する曲の一つ、そして「Look What You've Done」(1969)や「友達と恋人たち」(1969)などの佳曲があったにもかかわらず商業的には成功しませんでした。しかし1970年にドラマーのマイケル・ボッツを新メンバーに加えた2nd盤(On The Waters)から「二人の架け橋」(Make It With You」)(1970)が全米No1に輝き一躍ブレッドの名は世界的なものになったのです。その秋にはデビュー盤で埋れていた「気にしないで」(It Don't Matter To Me)(1969)を録音し直して再リリースするとこれもまた10位までに上り詰めていき成功への礎が着実に築かれていきました。2nd盤にはより多彩な楽曲が収められ更に高度なアレンジを駆使したナンバーが目立ちます。こんな素晴らしいボーカルバンドが世間の記憶からは忘却の彼方とは寂しいものがありますね~。ブレッド3部作の前編(今回)はスケールの大きいドラマチック美曲「Been to long on the road」(1970)で一旦締めとしますが、まだまだ彼らの称賛記事は続いていきます。次回の中編からのチョイスは彼らが最も輝いた期間(1971~1972年)の名曲を紹介して行く予定です。(数年後になるかと思いますが・・)

  # by rollingwest | 2002-09-01 00:00 | 洋楽(ロック・POPS) | Comments(114)

「My Favorite Songs」(第20巻)

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★(122)レーナード・スキナード 「フリーバード」 (1973年) (2015.5.27公開)


c0119160_1745548.jpg70年代米国サザンロックの代表的存在といえばオールマンブラザーズバンドが有名ですが、彼らと双壁をなした伝説的なバンドが「レ―ナード・スキナード」でした。米国南部カントりーの泥臭さと哀愁を帯びた壮大なサウンドが実に魅力的、そして「トリプル・リードギター」という特徴ある編成で迫まるギタープレイはまさに圧巻!彼らが残した名曲は数多くあるので前後編記事に分けて紹介したい思います。前編冒頭は小生が最も愛する「フリーバード」、10分近くに及ぶこの長い曲は「いとしのレイラ」(エリッククラプトン)のような雰囲気をもつロック史に輝く名曲です。哀愁の静かなアコースティックと渋いボーカルから始まりゆったりとしたバラードが続き、途中一転してアップテンポに泣きのギター、ここから3本の官能的なスライドギターのテクニカルな競演バトルが繰り広げられ、クライマックスを迎えます。この壮大なる名曲はいつ聴いても唸らされそして魅せられます。この曲は1973年デビュー盤「レ―ナード・スキナード」からのカッティングですが、実はこの曲が評価されたのは2nd盤「セカンド・ヘルピング」(1974)で「スイートホーム・アラバマ」(一番最後に紹介)でブレイクした後のことでした。しかしこのデビュー盤は実に素晴らしい曲が多く、冒頭から重厚なトリプルギターが炸裂する「アイ・エイント・ザ・ワン」(1973)や哀愁を帯びた泣き節ギターが印象的な「チューズデイズ・ゴーン」(1973)、ロックの王道を行くような「ギミー・スリー・ステップス」(1973)などカッコいい曲が多くて実に名盤だと思います。特に「シンプルマン」(1973)は「フリーバード」と並ぶスケールの大きい名曲、静かなボーカルから重厚かつ落着いたなギタープレイが見事に展開され、最後はこれまたトリプルギターのエキサイティングな競演!もう本当に言葉もなく、これぞレーナードの真骨頂だ!と感服します。レ―ナード・スキナードは1964年にフロリダ州で5名で結成。彼らを見出しデビュー・アルバムのプロデュースを担ったのがアル・クーパー(BS&Tの初期リーダー)だったと今回編集で初めて知ってビックリ!サイケなイメージがある彼がこの泥臭いグループに関わっていたとは実に意外でした。そしてレーナードはザ・フーの北米ツアーの前座を務め大きな喝采を浴びるパフォーマンスを披露して地道なライブ活動の中で多くのロックファンに徐々に認められていきます。この成功への軌跡を辿れた背景には、彼らの前座だったピーターフランプトン(下記119記事で紹介)がライブ活動で大ブレイクを果たしたことに学んだ対抗意識(アイツにできるならば俺達だって)だったとのこと。彼らがブレイクしてサザンロックの象徴としての地位を確立したのは1974年「セカンド・ヘルピング」、彼らを有名にしたこの名盤もまた実に素晴らしい~!「ワーキン・フォーMCA」(1974) やバイクが疾走する軽快なロックの「コールミー・ブリーズ」(1974)、わかりやすく耳に残るリフと重厚で豪放なリズム、ラフでルーズなグルーヴ感は、レーナード・スキナードというバンドの最も魅力的な部分を見事に具現化したものだったように思えます。彼らはその後もライブアルバムが大いに評価され、サザンロックの王道を突っ走っていましたが、突然信じられないような悲劇のニュースが飛び込んできます。5作目のアルバムリリースした3日後(1977年10月20日)、メンバーとクルー総勢26人を載せた自家用飛行機が移動中に墜落して6名が死亡(ブラスロックのチェイスに続く飛行機事故悲劇)。犠牲者には主力メンバー3人も含まれておりロック界全体に大きなショックと失望を与えたのです。本当に素晴らしいサウンドを聴かせてくれたロック王道アーティスト達の魂がこんな形であっけなく失われたとは・・、何という惜しいことだ・・。前編最後は彼の象徴曲「スイートホーム・アラバマ」(1974)で一度締めたいと思います。後編は「何も聞かないで」(セカンド・ヘルピング収録曲)を始めとして、墜落悲劇の直前にリリースしたLAST名盤「ストリート・サバイバーズ」からの名曲紹介を予定しています。

⇒次回は、1970年代の美しき哀愁メロディでRWが夢中になっていたボーカルバンド「ブレッド」のデビュー曲「灰色の朝」(1969)をお送りします。♪\(^◇^)/♪





★(121)テイラー・スウィフト 「チェンジ」 (2008年) (2015.4.27公開)


c0119160_206324.jpg先日21世紀カントリーポップの優秀アーティスト「レディ・アンテベラム」を紹介しましたが、今度は5月に来日するカントリーPOPの実力派アイドル「テイラー・スウィフト」の登場です!彼女が2008年にリリースした2nd盤「フィアレス」は第52回グラミー賞で「最優秀アルバム賞」の栄誉に輝き(その他カントリー部門とあわせて4部門受賞)、今や世界のアイドル的歌姫として大活躍ぶりなので皆さんも1度は耳にしたことがあると思います。2008~09年に「フィフティーン」「ラブ・ストーリー」等のヒット曲を立て続けに放ち、この名曲を収めた「フィアレス」はビルボードで初登場1位、その後11週1位という記録を打ち立て米国で500万枚近くを売上2009年で最も売れたアルバムとなりました。2010年グラミー賞で史上最年少(1989年生まれなので当時21才)で「最優秀アルバム賞」を受賞した金髪美女は、2011年3月時点で全世界860万枚以上のアルバムを引っ提げて一躍世界が恋するトップスター・アイドルとなったのです。上記掲載曲「チェンジ」(2008)は、ロック調の軽快POPSで北京五輪米国代表の応援歌として有名、2008年こそ彼女にとって大きな飛躍を果たした節目だったといえましょう。元々はカントリー部門の歌手として「Tim McGraw」(2006)を歌い17才でデビュー、次のヒット曲「Teardrops On My Guitar」(2007)もどこか古き良き時代を思わせるようなカントリーPOPSが展開されていましたが、「アワーソング」(2007)や「You Belong with Me」あたりはまだカントリー調ですがPVを見ると完全に転機の予兆が窺え、アルバムの枚数を重ねるごとにのロックや軽快なPOPS路線へと完全転身してしまった感があります。カントリー界では「テイラーから見捨てられた・・(泣)」と喪失感や恨み節も聞こえますが、人気大爆発の彼女にとってはそんなことはお構いなし!彼女は自分の表現したい世界はカントリー分野では描けないとこの部門から足を洗い、ロック・POPS路線へ猪突猛進状態の姿に見えます。抜群のスタイルと才能溢れる情熱的な美女を世の男性達が放っておく訳もなく、彼女がこれまで浮き名を流した男性の数は公式に聞こえているだけで12人もおり恋愛遍歴の積み重ね方もド派手なご活躍ぶり。その奔放さこそも、従来カントリーに馴染みのなかった人にも多く愛されてきた理由なのでしょう。今回の来日で再び日本でもテイラーブームに火が付くかも・・!次回はそんな明るくド派手に活躍する多くの曲(2010年スピークナウ、2012年レッド、最新アルバム「1989」からのチョイス)を紹介しますが、今回はしっとしりたテイラーの名曲「ホワイトホース」(2008)で一度締めたいと思います。





★(120)ジェリー・ウォレス 「男の世界」 (1970年) (2015.4.11公開)


c0119160_22123697.jpg今回は120回目の節目を迎えたので、初企画としてRWが洋楽に本格的に目覚めた(当時中学1年生)1970年(昭和45年)のヒットチャート曲にスポットを当て前後編に分けてレポートしていきましょう!RWが洋楽に嵌った1970年はまさにビートルズ解散の年・・、1960年代熱狂の世代からは数年遅れですが、それでも新しいジャンルのロック(プログレやハードロック,ブラスロック等)の歴史に刻まれた有名アーティスト達が毎年次々とデビューしたロック胎動・大発展期10年間(1966~1975)のド真ん中にいたので、その歴史をリアルタイムに肌で体験できた幸福世代の端くれなのかもしれません。小学校4年生くらいからモンキーズTVドラマに嵌っていましたが、小生を本格的に洋楽へ初めて誘ってくれた恩人は「サイモン&ガーファンクル」(1970年は「明日に架ける橋」でグラミー賞獲得)と「エルトンジョン」(1970年に「イエスイッツミー」と「僕の歌は君の歌」で大ブレイク)でした。しかし今回は有名アーティストの曲は記事の対象外としたいと思います。今やその名が殆ど忘れられてしましったアーティスト(一発屋も含む)のヒットナンバーばかりに絞りましたので、若い方には聴いたことない曲が多く登場しますのでご容赦! 同年代の方々には大いに懐かしんでもらえることと思います。Ready go!まず冒頭は米国人気俳優「チャールズブロンソン」の男性化粧品CMで日本中を席巻した「マンダム・男の世界」(原題はLOVERS OF THE WORLD)。米国C&Wシンガー「ジェリー・ウォレス」の曲に合わせて疾走する髭をたたえた男臭いブロンソン(映画「大脱走」は5~6回観ました)の姿が実に格好よかったね~!♪「ALL the World ~love the lover・・・、u~m、マンダム・・」。しかし当時はカナダ、フランス、オランダ勢が当時のヒットチャートに次々と名を連ねて大席巻していました。まずはカナダ出身のオリジナルキャストが 伸びやかに歌い上げる「ミスターマンデイ」、文化放送「All Japan Pop 20」で1位を6週間独走、日本では46万枚の大ヒットとなり、1970年の年間ランキング第1位に選ばれています。日本だけで大ヒットした曲ですが、素晴らしいイントロ部と哀愁を感じる歌声・爽やかサウンドが日本人の好みに合ったんでしょうね~。その次の曲もカナダ出身のグループ「マッシュマッカーン」の「霧の中の二人」、イントロから目立ちまくるオルガンの音色、テンポが弾むスリリングな展開、そして「ahh・・、love you~!foreve~!」のサビから続くカッコいい演奏、この曲は実に秀逸だと思います。カナダのグループが2連続で登場したので次はフランス勢の歌姫に・・!「シルヴィバルタン」の「あなたのとりこ」は誰でも聴いたことがある有名なPOPSスタンダード曲ですね。今の若い人に広く知られているのは2001年映画「ウォーターボーイズ」の主題歌にもなったことが契機ですが、我々はテスト勉強でラーメンをすすりながら深夜ラジオから流れていた懐かしのナンバー。「あなたのとりこ」は底抜けに明るくハイテンポなフレンチPOPSで何度聴いても素晴らしい!シルヴィバルタンといえば同じ年ヒット「悲しみの兵士」(My Favorite Songs:第2巻(014)に掲載 )も忘れることはできません。。♪「ラン・ララ、ラン・ランラ~、ランラ~」♪渋く哀愁に満ちた悲壮な女性歌声に、渋い男のフランス語呟き、随所に入る魅惑的で迫力あるサックス(ブッ・プワ~と大きく鳴り響く)。この悲しみ曲とアンバランスさの彼女のキュートな姿が実に魅力的でした。フランス勢でキュートなアイドルといえば「オーシャンゼリゼ」等で有名なダニエルビダル、デビューのきっかけは日本でした。母国のタレントコンテストで入賞したもののデビューさせてもらえず、日本のプロデューサーが彼女を見出し17歳で「天使のらくがき」で国内ヒットチャートに登場したのです。次はオランダ勢、まずはポピュラー音楽史に残るPOP曲のスタンダードとして有名な「ヴィーナス」のオリジナルヒットはオランダを代表するロック・バンド「ザ・ショッキング・ブルー」が歌っていました。イントロはいつ聴いても素晴らしい!でも今の若い人はダンスナンバーと信じていることでしょう。双壁の代表曲が「悲しき鉄道員」(My Favorite Songs:第3巻(026)に掲載)は日本で大ヒットしました。エキゾチックな雰囲気の女性ヴォーカル(マリスカ・フェレス)が歌いあげるリズム感ある曲調、哀愁帯びたギターと不思議な魅力のメロディ曲は日本人の琴線を刺激したのかも・・。最後は、小生が最も懐かしさを感じる「アース&ファイファー」(オランダ)の「シーズン」!衝撃的イントロと哀愁に満ちたエンディングが印象的で凝った作品はにRWの琴線を刺激してくれた名曲。次回、1970年ヒット後編は米国・英国勢のヒットナンバーを中心に紹介します。リンアンダーソン「 ローズガーデン」、ルークリスティ 「魔法」、クリスティー「イエローリバー」などが登場しますのでお楽しみに~!




★(119)ピーターフランプトン 「アイム・イン・ユー」 (1977年) (2015.3.29公開)


c0119160_1050863.jpg70年代洋楽ファンならば誰もが知っている英国ロックのスーパースター「ピーターフランプトン」・・、今では「誰それ~?」と殆ど無名の今昔物語状態なのかもしれませんネエ・・。しかし70~80年代洋楽ロック史で爆発的に売れたアルバム「サタデーナイトフィーバー」・フリートウッドマック「噂」・マイケルジャクソン「スリラー」等の怪物アルバムと匹敵する程に売れた名盤がピーターフランプトン「カムズ・アライヴ」(1976年)でした。当時としては珍しい2枚組ライブ盤として発売され全米10週連続No.1のメガヒットを記録(販売枚数1,000万枚)した彼の大プレイク出世作は、それまでキャロルキング 「つづれおり」 が保持していた米国アルバム売上NO1記録をあっさり更新してしまったのです。第1弾 「ショウミー・ザウェイ」(一番最後に掲載)は当時のFENラジオから毎日洪水の如く流れ続けていた曲であり、初めて大学生上京し下宿生活を始めた頃の思い出曲として小生の脳裏に深~く刻まれています。これに続くヒット曲が「Do You Feel Like We Do」(1976)と、「Baby,I Love Your Way」(1976)この3連続大ヒットで年間通してアルバムは莫大なセールスを記録し、その後ハードロック界はライブ盤ブームとなり他ミュージシャン達も続々とリリース、大きな影響を与えました。ピーターフランプトンは1950年の英国生れ、何とデヴィッドボウイの学校後輩であり2人でセッションしていた仲だったと今回初めて知ってビックリしました。彼は1960年代後半にスティーブ・マリオットと2枚看板で「ハンブルパイ」を結成しロック史に輝く超名盤「スモーキン」を生み出しています。ポップで甘いアコースティックなピーターと、逆にソウルフルで泥臭いなスティーブ、最初は絶妙コンビでしたが徐々にバンドはスティーブのブルース色が濃くなり、ピーターの音楽性が発揮できず彼の居場所はなくなっていきました。ハンブル・パイを脱退した彼は、1974年からソロに転向し「草の根ツアー」(ドサ廻りのステージ活動)を地味に継続し、とにかくツアーに明け暮れる日々を重ねていました。この努力がついに実を結び全米ツアーを収録した2枚組のライブ「カムズ・アライヴ」が1976年に全米1位となり大ブレイクしてしまったのです。この名盤からは往年のハンブルパイのようなブルージーで厚みのある「I'll Give You Money」(1975)や素晴らしいギタープレイを披露する「Something`s Happening」(1975)なども輩出しており、メガヒットとなった理由がよ~く解ります。冒頭で紹介した「アイム・イン・ユー」(1977年)は、「カムズアライヴ」に続いて発表された名盤からの代表曲で最高2位を記録したロックバラード、小生が最も愛する名曲です。希代の美少年であり性格も素直で誰からも好かれる人、好青年ぶりが超人気のアイドル的な売れ方で一挙ブレイクしてしまったことがその後の彼の人生に暗い影を落とします。「本当は実力派なのに、女子にキャーキャー言われるアイドル音楽なんて・・」という玄人筋からの酷評(殆ど妬みだね)になりました。1978年には自動車事故で大怪我に遭い、長年の恋人と別離、公演先との訴訟に巻き込まれと不幸が続き、レコード印税やコンサート収益は悪い大人に搾取されて財産は全く残らず・・、ロック史に残る金字塔アルバムと引き換えに、生涯の幸運を全部使い果たしてしまったという感じ。(泣) その後も低迷状態でしたが、1986年に「remonition」からのシングル「ライイング」(1986)で復活します。でもこれが最後の閃光だったのかな・・。記事の締めはやはり「カムズアライヴ」からの名曲で締めます。「ラインズオンマイフェイス」(1975)はスケール感がある壮大なロック弾き語りで本当に唸らされます。やはりフィナーレ曲はピーターフランプトンの象徴曲「ショウミー・ザウェイ」(1975)しかありません! 「ワォン、ワ・ワ・ワ・ワォ~ン、♪アイウォンチュ~、デイアフタデ~イ!♪」のトーキング・モジュレーターというギターが喋っているかのように聞こえるエフェクター(口に咥えながら操作して電気的にギター音色を変える機械)が実に衝撃的なトレードマークでした!よく真似したもんだ・・。フランプトンよ、再び復活カムズアライブ!





★(118)レディ・アンテベラム 「ニードユーナウ」 (2009年) (2015.3.15公開)


c0119160_21155145.jpg最近のグラミー賞は、カントリーポップの優秀アーティスト達が席捲している感があり興味深くウォッチしてきました。2010年テイラー・スウィフト、2011年レディ・アンテベラムと2年連続でグラミー賞の栄誉に輝いている新進気鋭のアーティストを紹介致しましょう。テイラーは5月に来日するのでその直前4月下旬頃に、今回は洗練された大人のサウンドをひっさげ次々大ヒット作を出しているレディ・アンテベラムの2007~2008年アルバムを中心にレポートしてみたいと思います。レディ・アンテベラムは、チャールズ・ケリー(1981生)、デイブ・ヘイウッド(1982生)、ヒラリー・スコット(女性・1986生)の3人からなるカントリーグループで、2006年に米テネシー州ナッシュビルにて結成されました。デビューからあっという間に世界の頂点に立ちこれまでに7つのグラミー賞(2011年は5冠の最多受賞)を獲得、さらに合計1000万枚以上のセールスを記録している大人気グループの最初の活動は、2007年のジム・ブリックマンのシングル曲「ネヴァーアローン」(2007)へのゲスト参加でした。そして翌年に「Love Don't Live Here」(2008)で本格デビューしいきなり全米4位で獲得してミリオンヒットとなり、同アルバムからのシングル「アイラントゥユー」(2008)もカントリーチャートで1位に輝いたのです。聴き手の心に寄り添うハートウォーミングなラブソングとカントリーフィールあふれる爽快なサウンド「Lookin' For A Good Time」、(2008)などパンチの効いたアップテンポなナンバーも随所に見せ、男女3人が織り成す美しいハーモニーと幅広い音楽性で多くの支持を獲得しています。レディアンテベラムとは「南北戦争の戦前時代の女性」という意味らしい。冒頭に紹介した「ニードユーナウ」(2009)は第53回グラミー賞で「最優秀レコード賞」「最優秀楽曲賞」を含む全5部門で受賞、彼らを世界の頂点に押し上げた代表曲で真夜中一人きりの時に相手に電話をしてはいけないと思いつつも、恋しくてつい気持ちが揺らいでしまう繊細で純粋な気持ちを綴った楽曲となっています。今回の締め曲は、将来の夢に向かって悩みながら日々暮して行く不安な気持ちを力強く励ましてくれる壮大なバラード「One Day You Will」(2008)と、静かに共感しながら慰めと癒しを与えてくれるほのぼの曲「Can't take my eyes off you」(2008)で一旦締めて次回は2ndアルバム「ニード・ユー・ナウ」(2010年)からの名曲を中心に、「ゴールデン」(2013年)「777」(2014年)のアルバムを予定していますが、彼らはまだまだ素晴らしい名曲を沢山輩出することは間違いないので5~6回位の記事を重ねて行くような気がしています。

  # by rollingwest | 2002-08-01 00:00 | 洋楽(ロック・POPS) | Comments(136)