RW/洋楽コーナー:「My Favorite Songs」 (第7巻)

                 【My Favorite Songs】の過去紹介した記事一覧(INDEX)はコチラから
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★(061):オリビアニュートンジョン「そよ風の誘惑」 (1975年)  (2013.4.11公開)


c0119160_20383431.jpg清楚なイメージ・美しい容姿と天使の様な透き通る声で、我が青春時代(全くもてなかった18才前後)の心を癒してくれた歌姫がオリビア・ニュートンジョン様でありました。大学1年生として東京で初の独り暮らしを始めた1976年の春、下宿生活のラジオから毎日流れていたオリビアの美曲は「そよ風の誘惑」。クリスタルボイスで奏でられる爽やかで美しいメロディ、全米No1にも輝いたこの曲こそが1970年代の清純路線のオリビアの象徴だったように思えます。(*^m^*)ぷっ aho!誰?吹き出してる奴は・・。1976年前後の彼女は「プリーズMRプリーズ」「サム」等の美しいバラードや、「愛しい貴方」等の軽快で素朴かつPOPなカントリーソングで世界を魅了していました。オリビア・ニュートンジョンは、1948年英国ケンブリッジ生れ(今年もう65歳か・・)、父親は大学教授、祖父(母方)は何とノーベル賞物理学者(マックス・ボーン)という超エリート家系に育ったのです。14歳の時から音楽活動を始め、1971年の「イフナットフォーユー」(ボブディラン曲カバー)で歌手デビュー、この曲は米国5位・英国7位となる順調な発進、その後も数々のヒット曲を放ちました。そして1974年には「愛の告白」(I Honestly Love You)がついに全米1位を獲得、グラミー賞2部門の栄誉へと輝いたのです。1975~76年前後のオリビアは、「ひとりぼっちの囁き」(Come On Over)等の心のこもる歌を切々と歌い上げていました。この頃の彼女が最高だったナア・・!(*^m^*)ぷっhaihai 。しかしジョントラボルタと映画共演した「グリース」(1978)あたりからディスコで歌い踊ったり何か異常に元気過ぎるパワフルさが・・。1980年代になるとELOと「ザナドゥ」共演したり、レオタード姿になって「フィジカル」歌ったり・・、「あ~、やめてくれ・・俺の清純なオリビアのイメージが崩れていく・・!」と落胆したものです。でも今は大半の方のイメージは80年代に元気で飛び跳ねていた彼女の姿なのでしょうね・・。最後に小生が最も好きなバラードの「ドントストップビリーヴィン」(1976)にてあの清純なオリビアに思いを馳せたいと思います。(*^m^*)ぷっ mada yatteru ahotare (ToT)/~~   。


⇒次回は、世界的な伝説のスーパースター「マイケルジャクソン」の少年時代の名曲「ベン」お送りします。\(^◇^)/♪;




★(060):CCR 「雨をみたかい」(Have You Ever Seen The Rain)  (1971年)  (2013.3.30公開)


c0119160_3513877.jpgCCR(クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル)、小生が洋楽に夢中になり始めた1970年当時に快進撃を続けていたロックバンドでした。CCRといえばいかにも米国南部を思わせるワイルドでカントリーっぽい特徴が印象的ですが、実は彼らの出身地はカリフォルニアだったと知りビックリ。リーダーのジョン・フォガティが同級生だったスチュワート・クック、ダグクリフォード、ジョンの兄トムフォガティを加えて1968年にデビュー。小生が最初に彼らの聴いたヒット曲は、「トラベリンバンド」や、「アップ・アラウンド・ザ・ベンド」「スィートヒッチハイカー」、激しいアップテンポ曲だったので最初はハードなロックンロールバンドとばかり思っていました。しかし今や彼らのスタンダードナンバーとなっている「雨を見たかい」(Have You Ever Seen The Rain)やカントリー色が溢れる「サムデイ・ネバー・カムズ」等を聴くと、一体このバンドは何が主流なのだろうと見極めができなかった時期も・・。デビュー当時は、「スージーQ」に代表されるようにコテコテのホワイトブルースバンドでしたが、1969年にはシングルカット「プラウドメアリー」が全米2位を記録していきなりの大ブレイクを果たすと、ブルース色は一気に薄れ、カントリー、ロカビリー風のシンプル&ストレートなロック(ザ・バンドの影響を受けた)へと一挙に変貌を遂げていきました。R&R感覚 のカントリー色が強い印象はリードギタリストでもあるジョン・フォガティの魅力ある声。エモーショナル&ブルージー、そしていかにも黒人っぽい雰囲気をもつパワフルなジョンのヴォーカルこそがCCRのイメージに繋がります。1972年に初来日・・、因みにこの頃は大物ロックアーティストの初来日が続々(レッドツェッペリン、ディープパープル、GFR、ピンクフロイド、イエス、EL&P 、シカゴ、T-REX、スリードッグナイト、フリー等)でML誌の記事を食い入るように読んだものだなア・・。しかしすっかりジョンのワンマンバンドと化していったことに他の3人の 不満が爆発。特にトムフォガティ(ジョンの兄)との不仲は決定的となり71年1月に遂にトムは脱退、3人での初来日となってしまいました。多くのヒット曲を連発しながらも輝いた実働期間はわずか3年・・、太く短くロック発展期を駆け抜けていったバンドでした。最後は名盤「コスモスファクトリー」から雨繋がりの曲「フール・ストップ・ザレイン」で締めることにいたしましょう。




★(059):ジャーニー 「ホィール・インザ・スカイ」   (1978年)  (2013.3.16公開)


c0119160_7462439.jpgWBC3連覇の偉業を目指し日本中を沸かせた「侍JAPAN」、その応援テーマは「ジャーニー」の往年の名曲「セパレイトウェイズ」でした。「ジャーニー」は、1980年前後に高完成度かつPOPなプログレハード・サウンドで我々を魅了してくれました。そして3月中旬、ジャーニーとサンタナ(前々回紹介した)が同時期に来日しましたネ~!恥ずかしながら不勉強で、2大バンドには深い縁があったことを最近まで知らなかった・・(両者の音楽性やイメージが余りにも違うので想像だにしておりませんでしたが、先日サンタナの記事を書いて初認識)。 1975年、元サンタナのメンバーだったニール・ショーン(ギター)&グレッグ・ローリー(キーボード)を中心にバンド結成、初期はプログレシッブ・ロック志向(インストゥルメンタル中心)で、全盛期のPOP感覚溢れるメロディックな音楽性とはかけ離れており人気・商業的には成功せず完全に低迷期でした。当時は専任ヴォーカリトは不在で、スティーヴ・ペリー(類い稀なる美声のハイトーンヴォーカリスト)はまだ在籍していませんでした。(グレッグ・ローリーの渋目のヴォーカリストが好きという人も多いようですが・・)彼らのことを、「産業ロック」(TOTOも同様)と陰口をたたく評論家まで現れましたが、あまりにも売れすぎたことへの皮肉という部分があったのかもしれません。しかし人気が出るのは当然かも・・、ジャーニーサウンドは、唸らせられる程の素晴らしい編曲と高い完成度、これらはメンバー成熟した彼らの実力と努力の成果というしかありません。今回はブレイクの契機となった4thアルバム「インフィニティ」(1978)からの名曲「ホィール・インザ・スカイ」を紹介します。この名盤は、プログレシッヴ系ロックバンドとしての作風も維持しつつ、スティーヴ・ペリーの伸びあるヴォーカルを生かした躍動感ある楽曲との和合が特色となっておりプラチナディスクを初めて獲得、「ライツ」「ラヴィン・タッチン・スクゥィージン」等の名曲を次々とヒットさせました。グレッグ・ローリー(ブルース色の音楽志向)は心労理由(彼の音楽性に合わなくなってきたのでしょう)で1980年に脱退しますが、後任に゙ジョナサン・ケインが加入するとさらにPOP路線へと傾倒拡大、「お気に召すまま」「フィーリング・ザットウェイ」等のヒット曲はその後のバンド方向性を明確に示すことになりました。そして1982年には、米国ロック史上の最高傑作の一つ「エスケイプ」(全世界で800万枚も売れた)が生み出されました。この名盤からの代表曲は「ドント・ストップ・ビリ-ヴィン」や「オープン・アームス」などキラ星の如く・・、まさに彼らの全盛期を迎えていくのでした。全盛時代の記事はまた次回、ジックリと紹介したいと思います。
(PS)ところで「スティーヴ・ペリー」とお笑いピン芸人「なだぎ武」、ソックリと思うのは小生だけなのでしょうか?アッ、失礼いたしました~、ペリー様!m(_"_)m (笑)





★(058):ラズベリーズ 「明日を生きよう」   (1972年)  (2013.3.3公開)


c0119160_77559.jpg小生が最も愛するアーティストの一人「エリックカルメン」がソロ活動に入る前に、リーダーとして活躍していたNICEなバンド「ラズベリーズ」(1972~1974)を紹介したいと思います。小生が高校時代に「明日を生きよう」(I wanna be with you)、「レッツプリテンド」等、深夜ラジオ番組から流れるラズベリーズのヒット曲を夢中になって聴いていたものです。当時は、バッドフィンガー(ビートルズの弟バンド)と同じ「パワーPOP」路線の代表として人気を博していたような気がします。ビートルズの雰囲気をもった親しみやすく美しいメロディ、パワー溢れる明るいサウンドで1970年前半の象徴的バンド、今も友人と洋楽カラオケで彼らの往年のヒット曲を歌うことが多いですネ~。今も美少年の面影を残すエリックカルメン(過去紹介したエリック記事はコチラ「第1巻」(003)から)、美しい歌声に素晴らしいPOPなリズム感覚、人を魅了するオーラが溢れており、天は二物も三物を与えるケースもあるんだなアと思う次第。ソロになってラフマニノフ交響曲などのクラシカルな一面を広げていった彼ですが、ラズベリーズ時代は、「トゥナイト」等のパワー感に満ちたロックサウンドとPOPな美しいメロディが融合した佳曲が多かったような気がします。「君に首ったけ」(Ecstacy)のPVは色っぽい美女が続々と登場!エッチですネ~!鼻血が出るかな・・(笑) そして最後は彼らの最大名曲の一つ「ゴーオールザウェイ」で締めましょう。ラズベリーズ音楽は瑞々しく、軽やか、力強く、若々しく、切なく、美しい・・。やはりエリック・カルメンの少し「鼻にかかった」ような甘い歌声、歌唱力に負うところが大きいと思います。彼の歌声は、「ラズベリーズ」の名に相応しく、甘酸っぱい印象を携えて、聴く者に若い日々の甘く切ない恋の記憶を甦らせてくれます。




★(057):サンタナ 「ブラックマジックウーマン」  (1970年) (2013.2.16公開)


c0119160_6202097.jpgロック史上に燦然と輝く偉大なるギタリスト達の中から「カルロス・サンタナ」の名前を外すことは絶対できません。この偉大なるメキシコ出身の名ギタリストも今年(2013)で66歳を迎えますが、今も第一線でバリバリ活躍しているのですから本当に凄いものです。彼独特の魔法の様なテクニカルプレイは誰も真似ることのできない神領域のようにも思えます。小生が夢中になった頃(1970前後)は「ブラックマジックウーマン」を代表曲とするラテンロックで超人気を集めていました。この名曲がフリートウッドマック(ブルースバンド時代)のオリジナル曲(ピーターグリーン作曲)だったと後程知ってビックリしましたが・・。カルロスが率いるバンド「サンタナ」の大ブレイクは歴史的なロックコンサート「ウッドストック」(1969)に出演したことでしょう。フィルモアの盟主・ビルグレアムに見出されていた新進バンドは歴史的な大舞台で「エヴィルウェイズ」等の渋くも衝撃的なラテンロック曲の数々を披露して一挙に注目され、その勢いを買って2ndアルバム「天の守護神」(1970年)は大ヒットとなりビルボード誌アルバムチャートNO1を獲得したのです。「ブラックマジックウーマン」とメドレーで繋がる一体曲「ジプシークイーン」は驚異のハイテクニック。そして「ジンゴー」や「僕のリズムを聞いとくれ」はバリバリのラテンリズムロック、むしろこのアルバムはアフロロックの雰囲気が強かったような気もします。しかしその後サンタナは音楽性を方向転換。1971年にニールショーン(その後ジャーニーの主力メンバー)が加入しツインギター編成してジャズロック色を強めた「キャラバンサライ」(1972年)を発表、さらにマハビシュヌオーケストラと組んで哲学的な音楽志向へと・・。この辺りからもう小生は完全についていけなくなりました・・・。(苦笑) しかし1976年にラテンロックに回帰した名盤「アミーゴ」をリリース、当盤からはかの有名な「哀愁のヨーロッパ」が日本でのみでシングルカットされ人気を博しロック名曲として語り継がれたのです。(哀愁を帯びたメロディが日本人感性にピッタリ調和したのでしょうネ~)。その後の20数年は雌伏していたように見えていましたが、何と1999年に再び奇跡の復活で大ブレイク!ロブトーマスとコラボした「スムース」が全米1位になり、アルバム「スーパーナチュラル」(セッションマンとコラボスタイル)はグラミー賞9部門独占の快挙を果たしたのでした。サンタナはラテンロックにとって伝説の導師・シンボル的存在。今年の3月に来日とのことですが、沈静化していた日本にラテンの元気を与えてほしいものです。最後に小生お気に入りのラテンロック名曲「君に捧げるサンバ」を聴きながら、今後もサンタナが原点を忘れず古稀になっても活躍を続けてくれることを祈念!





★(056):ダニエルパウター 「ベストオブミー」 (2010年) (2013.2.2公開)


c0119160_642090.jpg60年近いロック・POPS史から、ピアノのロックアーティスト・ソロ吟遊詩人を列挙しようとすると意外に少ないなアと気付かされます。エルトンジョン、ビリージョエル、レオンラッセル、ギルバートオサリバン、ベンフォールズ・・くらいですかネ~。長い音楽史が刻まれていても、有名になって栄光に輝き名前を残したロックピアノマンがたった数人しかいないとは・・、商業的に大成するには意外と難しい分野なのかもしれません。21世紀に入ってブレイクしたピアノマンと言えばやはり「ダニエルパウター」が筆頭に挙げられます。2006 年のデビューシングル「バッド・デイ」(ついてない日の応援歌)がグラミー賞にノミネートされ、同年のビルボード・シングルチャートでは年間1位を獲得、1st アルバムも全世界で約300万枚のセールスを記録しました。 35歳でのブレイクはまさに遅咲き桜(現在42歳)、苦労が長かったカナダ出身のピアノマンの優しい歌声とPOPなピアノ旋律には、聴き手に癒しとリラックス効果を与えるような才能が秘められている気がします。とはいえ大ブレイク後の3年間はパッとせず再び苦悩、2009年ビルボード誌から最近10年での「一発屋」(落差が大きかったアーティスト)第一位に認定されるなど再び低迷の汚名を頂き紆余曲折の道へ・・。しかし2010年には上記掲載曲「ベストオブミー」が収められた「アンダーザレーダー」をリリース。さらに同年のアルバムからの「ネクストプレインホーム」など多くの佳曲を発表、昨年(2012)には「恋のキューピッド」をリリースして来日、元気の復活は実に嬉しいですね~!人生は常に「塞翁が馬」・・、ダニエルパウターには今後も是非頑張ってもらい、記憶に残る歴代ピアニストとしてその名を残してもらいたいと願っております。最後に彼の名曲「フリーループ」を聴きながらさらに応援歌!

  # by rollingwest | 2001-07-01 00:00 | 洋楽(ロック・POPS) | Comments(97)

RW/洋楽コーナー:「My Favorite Songs」 (第6巻)

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★(055):クリーム 「ホワイトルーム」   (1968年)    (2013.1.19公開)


c0119160_8511169.jpgロック発展期(1966~1968年)にブルースロックからハードロックへの橋渡しをした「クリーム」の代表曲「ホワイトルーム」を久々に聴いてみたいと思います。ロック史に多大なる影響を与えたスーパートリオは、ジャックブルース(迫力・個性のベースソロ)、エリッククラプトン(ご存知3大ギタリストの一人、ワウテクニックを披露)、ジンジャーベイカー(インチキ臭い風貌のジジーに見えるが若々しくパワフルなドラム)の個性派揃い・・! オリジナルアルバムは4枚だけでしたが、技巧的なヘビーな演奏とサイケデリックデザインのLPジャケットが今も強く印象に残っています。ジャックブルースのアクの強いボーカルとベースリフが圧巻の「政治家」や、ロバートジョンソンの往年のブルース名曲をヘビーロック風にアレンジした「クロスロード」は最高にカッコ良かったなア!デビューアルバムからのヒット曲「アイフィルフリー」を聴くと60年代後半の英国サイケデリックバンドの雰囲気も十分漂っており(皆、若くてアイドルバンドみたい!)、ものすごく面白い。トリオバンドといいう最小形態ながらも重厚な迫力あるサウンドを放っていたクリーム・・、リーダー不在で3人の個性がぶつかり合い各自が好き勝手に演奏し競い合っていたことが魅力的でした。しかしそれが仇にもなり、ジャックブルースとジンジャーベイカーの確執は高まり、その対立の中に挟まれて苦悩するエリッククラプトンという構図が見えておりグループは分裂。 クリーム解散後、ジャックブルースはその後「マウンテン」結成(後日紹介予定)などソロ活動、クラプトンはブラインドフェイスやデレク&ドミノスの活動を経て徐々にアダルトコンテンポラリー路線へ、ジンジャーベイカーも昨年来日するなど皆さん今もなお元気に音楽活動を続けておられます。クリームは僅か2年余りという短い活動期間ながらジミヘンと共に、ハードロック全盛期に向けてレッドツェッペリンやディープパープルなどに道筋を指し示したバンドとして、ロック界に対して果たした功績は余りにも大きいのです。最後にホワイトルームと並ぶ双璧の名曲「サンシャインオブヨアラブ」を聴きながら、ハードロックの原点はこのグループだという評価をあらためて噛みしめ直してみましょう。


⇒次回は、21世紀の遅咲き・吟遊詩人(ピアノマン)、ダニエルパウターの「ベストオブミー」をお送りします。\(^◇^)/♪




★(054):エレクトリック・ライト・オーケストラ  「エヴィルウーマン (1975年) (2013.1.6公開)


c0119160_8385432.jpg今年最初の「My Favorite Songs」は、小生が大学時代に夢中になった英国バンド「ELO」(エレクトリック・ライト・オーケストラ)より新春・筆初めといたしましょう。「ELO」はかつてギネスブックに「最も多くの全米TOP40ヒットを飛ばしたグループ」としても紹介された1970年代の代表的なヒットメーカーです。初めてその名を耳にするという方でもTVドラマ「電車男」の主題歌「トワイライト」を歌っていたグループと聞けば成る程と頷くかも・・・。「ELO」は1971年に、60年代の前衛バンド「ザ・ムーブ」に在籍していたロイ・ウッドとジェフ・リンの二人によって結成されました。初期はプログレシッブロックに通じる実験的な試行錯誤を重ねていましたが、70年代中盤からはビートルズ的なサウンド志向を強めて世界的なPOPSバンドへと変貌していったのです。1974年の「エルドラド」が初の全米ゴールドディスクを獲得すると一気にブレイク、1975年「フェイスザミュージック」、1976年「オーロラの救世主」(プラチナディスクに輝く)と、順調にヒットチャートの常連へと成長。その後、2枚組大作名盤「アウトオブザブルー」(1977年)へと大輪の華は開いて行きました。1978年に初来日、小生は従兄弟と一緒に日本武道館LIVEに行きその演出の素晴しさに目を丸くしたものです。場内が突然暗くなり、武道館にレーザー光線が飛び交い・・・・不気味なイントロから一挙に夢幻の舞台が始まったのです。レーザービームが飛び交う中に巨大UFOを出現させ、メンバーがその中で演奏するという大掛りな演出は、当時では最先端技術を駆使した内容で世界的にも大いに話題となっていました。このバンドが放ったヒット曲は余りにも多いのでどれを取り上げようか・・、と非常に悩みます。小生は70代後半以降のPOPになりすぎた「ELO」よりも、個性的な雰囲気を残し拘りを持っていた頃の名盤「フェイスザミュージック」に収められている名曲「エヴィルウーマン」を今回の掲載曲と致しました。このアルバムはヘヴィーロックとクラシックの要素、POPな一面など全てが完璧に融合されて出来上がっている名盤であり小生は最高傑作の一つと思っています。「リヴィングスィング」「ストレンジマジック」等の名曲を輩出していた頃の「ELO」には、クラシック融合ミュージックを凝縮したような弦楽器による世界最小のオーケストレーションを目指す独特の姿勢がありました。ジェフ・リンという音楽天才によって指導され、世界的なメジャーバンドに成長していった「ELO」・・。その後、POP志向やディスコサウンド(オリビアニュートンジョン主演映画「ザナドゥ」のサウンドトラック)、ビートルズメンバーとの交流も深め「アンソロジー」のプロデュースなど活躍の場を広げて行きました。その当時のヒット曲の数々はまた後に紹介したいと思います。最後に彼らの代表曲である「テレフォンライン」を紹介して今回は2013初筆を締めたいと思います。メイン曲掲載にすべきか最後まで選択に悩んだ名曲・・・、ケータイやスマホで軽いノリの電話メールで意思を伝える現代から見れば、受話器で相手への想いを紡ぎ合う様に語らう(小生は全く無縁でしたが・・苦笑)懐かしき時代の曲でした。ELOは大胆なストリングス導入とジャンルを問わない多彩なPOP曲の数々、ある意味ではビートルズの雰囲気を70~80年代で再現したバンドと言えるのかもしれません。





★(053):ビートルズ「ゴールデンスランバー、~ジ・エンド」  (1969年) (2012.12.24公開)


c0119160_6225342.jpg激動の2012年も残すところあと僅かとなりました。この時期になると1年間の物故者がレビューされますが、我々が青春時代に愛した往年の洋楽アーティスト達も次々と天に召されていきましたネ~。デイビージョンズ(モンキーズ)、ロビンギブ(ビージーズ)、ジョンロード(ディープパープル)、レヴォンヘルム(ザ・バンド)、ドナサマー、ホイットニーヒューストン、アンディウィリアムス・・等。 ロック黄金期を支えた人たちも前期高齢者世代になっているので致し方なしか・・、来年はさらに多くの訃報に接していきそうです。しかし対照的に、ローリングストーンズやビーチボーイズは古希を迎えながらも結成50周年コンサートツアーを完遂し、その元気さに改めて驚かされました。そして2012年はビートルズにとっても結成50周年メモリアルイヤーであり、彼らの偉業を称える数々のイベントが開催され世界中のファンがビートルズを思い起こす機会が多かったと思います。ビートルズがデビューした10/5は英国リバプール(彼らの誕生地)にファンが集まり1600人で「ラブ・ミー・ドゥ」(デビュー曲)を輪唱するというギネス記録が達成! ロンドン 五輪開幕式(7/28)ではポールマッカートニーが登場して歴史的な名曲「ヘイジュード」を歌い、閉幕セレモニーではジョンレノンのオブジェとともに「イマジン」が流れていました。また5/22には、「アビーロード」の横断歩道をメンバー4人が逆向きに歩いている未使用写真がロンドンで競売に掛けられニュースとなったことを覚えていますでしょうか?「アビーロード」といえばご存知、ビートルズの金字塔となったラストアルバム・・、この名盤のB面メドレーは何度聴いても圧倒されるんですヨネ~。今年最後の「My favoritesong」は緩急起伏に溢れた連続曲のクライマックスを担う象徴曲ゴールデンスランバー、~ジ・エンド」で締めたいと思います。ピアノで始まる出だしの“Once there was away”・・「かつてそこには道があった、戻る道が」と静かに始まり、大団円へと向かっていく高揚感は何度聴いても飽きません。連続メドレーに入る前に、まずはリンゴスターーのおとぼけ名曲「オクトパスガーデン」から紹介。今年いくつか他の3人の名曲を掲載しながらもリンゴだけ忘れておりました~、失礼 m(_ _)m~! B面メドレーの開始冒頭は、「ユー・ネヴァー・ギブ・ヨアマネー」(今回は生演奏6分バージョンで紹介) 、ポールが成し遂げた3メロディ曲から構成される組曲でした。次は「サンキング」、ジョンのゆったりとリラックスしたボーカルに絶妙コーラスが色を添えます。(スペイン語みたいな呪文のような歌詞が印象的)、そこから突然アップテンポの「ミーンMRマスタード」(最後の戯れ曲「ハー・マジェスティ」も添付)が小気味よく展開されていきます。そしてビートルズの最後となった曲は「ジ・エンド」(まさに曲題そのもの・・)、「And in the end ~・・!the love you take Is equal to the love you make~・・」(結局あなたが得る愛は、あなたが捧げる愛に等しいのだよ)・・・、この力強い演奏と余韻を残しながらビートルズは去って行きました。まさに「ゴールデンスランバー」(黄金のまどろみ、うたたかながらも最高の夢)・・、「たった8年間の活動の中で紆余曲折も色々あったけれど、我々はロック史に残る大きな偉業をなし遂げやり切ったぞ!」という充実感とプライドが最後に溢れているような気がします。 「My favoritesongs」もお陰さまで50回を迎えましたが、目標500回を目指してボケずに長生きしたいと思います。それでは皆様、よいお年を~!来年もまたよろしくお願いいたします。




★(052):ニルソン 「ウィズアウトユー」   (1971年) (2012.12.11公開) 


c0119160_20305288.jpg年に1~2回、大学時代仲間と「洋楽歌いまくりの会」(主に70年代のPOPS・ロック)で集いますが、小生は絶叫系の名曲が大好き!ニルソンの「ウィズアウトユー」は最も得意とする曲(他人も呆れる自己陶酔)の一つです。この曲を初めて聴いたのは高校一年生の時、その切なげなる美しい絶叫声に圧倒されてしまい一遍で虜に・・、まさに感動的・衝撃的な出会いでした。曲名や歌手を知らない人でも誰もが一度は耳にしたある歴史的な名バラードと言っても過言ではありません。今どきの若者はやはり「マライアキャリー」versionが一番の馴染みだと思いますし、80年代POPSが好きな方は「エアサプライ」versionもあるぞ!と主張されるかもしれません。 しかし「ニルソン」versionに優るものなし!ゴスペル色の強い有名なピアノイントロから始まり、悲しげな歌は静かに進んでいきますが、高まるサビ部分では「もう君なしではいられない!」と一挙に泣き叫ぶようなクライマックスを迎えます。まさにドラマチック!ハリーニルソンは1941年生まれの米国人で銀行員をしながら作曲家(小椋佳みたいだ・・)として1960年代初頭から活動していましたが、暫くは日の目を見ることはなかったようです。しかし、プロデューサーとして名高いフィル・スペクターの目に留まり、モンキーズやヤードバーズに曲を提供した後、1967年にシンガーソングライターとしてデビューしました。1stアルバムをビートルズの面々に聴かせたところ、ジョンレノンがこれを大いに気に入りニルソンに国際電話をかけて「君のアルバムは素晴らしい。」と最大級の賛辞を贈ったそうです。その後、1968年リリ-スの「ワン」がスリードッグナイトに取り上げられ、全米5位の大ヒット、また「うわさの男」は映画「真夜中のカウボーイ」(1969)の主題歌に起用され全米6位、そして71年のアルバム「ニルソン・シュミルソン」からシングルカットされたこの名バラードが72年に初の全米1位を記録し、世界中で大ヒットしたのです。小生は当初から30数年間、この曲は彼のオリジナル曲と信じ込んでいましたが、実は「バッドフィンガー」versionがその提供原曲でした。バッドフィンガーは中心メンバー2人が自殺してしまった悲劇のバンドですが、ビートルズの弟バンドと注目されたグループ(青春時代に大好きだったこのグループも近日中に特集予定)。ハリーニルソン名曲出会いの縁は、ジョンレノンの仲介によって実現されたのかもしれません。しかしニルソンは1994年に52歳と言う若さで糖尿病を患い天に召されてしまいました。彼の豊かな才能によって数々の印象的な作品が残され、シンガーソングライターに分類されることが多いニルソンですが、コンサート活動を一切行わないというスタンスや独自性を保った音楽姿勢もあり、どの音楽ジャンルにも属なさい孤高の人のような印象があります。





★(051):ジュリアンレノン 「ヴァロッテ」   (1984年) (2012.11.26公開)


c0119160_031583.jpg恒例の12月8日(ジョンレノン命日)が近づくと、ah、また年の暮れが押し迫ってきたなア・・と毎年思います。今回はジュリアンレノン(ジョンレノンの最初の息子)が21歳で世界に衝撃デビューした名曲「ヴァロッテ」(1984年)を紹介し、ジョンへの追悼の気持ちを伝えたいと思います。歳を取ると月日の経つのが早い・・。今年はビートルズのデビュー50周年、ロンドン五輪開会式でポールが「ヘイジュード」を歌い閉会式ではジョンの「イマジン」で締めくくられた節目の年だけあって、ジョンの命日に特別な思いを寄せる方も多いかもしれません。「ジョンレノン生誕70年、暗殺30年目の命日」(2010/12月記事)はコチラから。ジュリアンは本当に声・ルックス・雰囲気ともそっくりで、まるで生き写しの様です。彼がデビューした1984年といえばジョン暗殺(1980)ショックからまだ世界が立ち直れていない頃だったので、父親似の顔と声を携えた息子の衝撃的登場は全てのジョンレノンファンのテンションを思いっきり刺激していました。 「アイドンワナノウ」「ソルトウォーター」」の歌声を聴いてみれば皆様も十分納得のことと思います。「デイアフターデイ」のユーチューブを見ると反戦に燃えたジョンが自らが兵士役出演した映画「僕の戦争」の姿にまさに瓜二つ・・と驚いてしまいます。当時ジョンと先妻シンシア(ジュリアンの母)との仲は険悪で離婚寸前状態でした。ビートルズナンバーでは常にNO1順位になる世界的名曲「ヘイジュード」(1968)は、ポールマッカートニーが当時5才のジュリアン(ジュードは彼の愛称)を元気付けた歌としてあまりにも有名。その狭間で父親ジョンに愛されなかった可哀相なジュリアンを励まそうとするポールの優しい気持ち、これが歴史的名曲として刻まれ21世紀の英国五輪で世界中の聴衆を魅了したのですから感慨も深い・・。 その後、ジュリアンは「フォトグラムスマイル」等の名作も出した後、長いブランクを経て2009年に幼な馴染みの追悼曲「Lucy」(Lucy In The Skyの由来)を発表、2011年には評判の高い「Everything Changes」もリリースしました。「父に対する怒りや苦しみを持ち続けていたら、残りの人生、僕の頭の上にはずっと暗雲が覆うことになるって最近気づいたんだ。」・・、数年前に悟った如く語ったジュリアンの言葉を聞き、天国のジョンは苦笑いしながら申し訳ない気持ちで息子の成長を喜んでいるのではないでしょうか。




★(050):ローリングストーンズ 「レディジェーン」   (1966年) (2012.11.13公開)  


c0119160_2018764.jpgマイフェイバリットsongsも遂に50回の節目となりましたが、まだローリングストーンズの曲を取り上げておりませんでした。大変失礼~m(_ _)m ビートルズ・ビーチボーイズと並び今年結成50周年を迎え、現在もなお休むことなく転がり続けている偉大なるストーンズ、「アーティスト別名盤レビュー・第4回」では【ストーンズ特集】を公開しましたが、本シリーズ節目50回は今は亡きブライアン・ジョーンズの視点から取り上げてみたいと思います。 ブライアンはストーンズの創始者(名付け親)・初期リーダーでしたが、1969年に謎の死を遂げ現在は名前すら殆ど忘れ去られた存在となってしまいました。ブライアンは作曲こそしませんでしたが、多才な演奏家でスライドギター・ハーモニカ・ピアノ・シタール・リコーダー・木琴・クラリネット等30種類以上の楽器演奏を駆使していたのです。今回の紹介曲「レディジェーン」は小生が愛する「ルビーチューズデイ」「涙溢れて」と並ぶ60年代3大美曲ですが、ブライアンのダルシマー(ハプシコード先祖楽器)が冴え渡り実に印象的です。その他にも 「黒くぬれ!」のシタール演奏(ジョージハリスンがインド風アレンジで使用)、「ルビーチューズデイ」のリコーダー演奏は永遠に残る佳曲として有名ですネ!初期ストーンズの進路を引っ張ったのはブライアンでしたが作詞・作曲の才能には恵まれず、逆にミックとキースの創作能力はドンドンと向上しバンド主導権を握られていきます。居場所が無くなったブライアンは麻薬に溺れ演奏活動が出来なくなり、1969年6月にリーダーでありながら遂にストーンズから追放されてしまいました。そして脱退後、1ヶ月も経たないうちに自邸プール底に沈んでいる姿が発見され、悲劇的な死(真相は自殺・殺害説など様々な憶測)を迎えたのです。後継者ミック・テイラーのお披露目となったハイドパークLIVE(1969)は、急遽ブライアン追悼コンサートとなりました。「ホンキートンクウイメン」はその貴重な映像です。ロック史に深く刻まれる名曲「悪魔を憐れむ歌」はブライアン最後参加となった曲で、これを完成させるまでの過程を撮影し一本の長編ドキュメンタリーに仕上げたのが映画「ブライアンジョーンズ ストーンズから消えた男」(2005年)でした。初期ストーンズは間違いなくブライアンの高い音楽性なしに今に至る地位は築くことはできませんでした。彼を切り捨て50年間もロック界トップの地位を保ち続けるストーンズのしたたかさ、常に先進に立ちながら基本的な音楽性を変えず古希を迎えている元気なるジジー達の姿・・・、若くしてあの世にいった繊細なるブライアンは草葉の陰から半世紀も続くストーンズの栄光をどのように見詰めているのでしょうか。

  # by rollingwest | 2001-06-01 00:00 | Comments(116)

RW/洋楽コーナー:「My Favorite Songs」 (第5巻)

                 【My Favorite Songs】の過去紹介した記事一覧(INDEX)はコチラから
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★(049):ニールヤング 「男は女が必要」  (1972年)  (2012.11.3公開)

 

c0119160_20585420.jpg小生が洋楽ロックに夢中に嵌り始めたのは1970年・・、当時は1960年代末のウッドストック潮流やビートルズ解散を一つの節目としてロックがダイナミックに発展していた時期。ハードロック・ブラスロック・プログレ、JAZZ・クラシック融合を目指すした試みや挑戦が展開され、先鋭的に進化を遂げる新しいロックの姿に小生も日々夢中でした。ニールヤング「ハーヴェスト」「アフターザゴールドラッシュ」、CSN&Y「4ウェイストリート」、ML誌で評価が高かったフォークロック分野も気になっていましたが、小生には保守的なカテゴリーに映っていため二の次って感じでした。当時高価なるLP購入をどの分野に資源優先をさせるか皆様も共通の悩みだったでしょう。ニールヤング初聴の印象は、今一つピンと来なかった・・。類人猿的ワイルドな顔の割には、鼻に詰まったフニャフニャした変テコリンな声だし、ギター音はガリガリとノイジーな感じで決して上手いとは言えません。しかし齢を重ねるうちに、センチメンタルに切ない声で真摯に歌いあげる姿が大好きに・・。寂寥感・抒情性を漂わせシンプルな詩にはダンディズムとノスタルジーが溢れ、スワンプに歌い上げる「オールドマン」や黒人奴隷の苦しみを歌う「サザンマン」は象徴曲の様な気がします。雰囲気から彼は米国南部出身シンガーソングライターと信じ込んでいましたが、実はカナダ人だった!1966年、LAに移り住んだニールヤングはフォークロック史の伝説的バンド「バッファロー・スプリングフィールド」をスティーブン・スティルスらと結成し活躍、後にCSN&Yへ加わりロック史名盤「デジャブ」(代表曲はヘルプレス)を発表し大きな足跡を残しています。ソロ活動でも数々の至高作品を生み出しており、代表作は何といっても「アフターザゴールドラッシュ」と「ハーベスト」、「Heart Of Gold・ 孤独の旅路」、が最も有名(彼の唯一の全米NO1ヒット)ですが、小生は今回紹介した「男は女が必要」一番好きですネ~。小生、切なげに絶叫する歌が好きなので・・、(笑) RYOさん推薦「See The Sky About To Rain」ロックインザフリーワールドも追加!ニールヤングは今もなお生涯現役に拘り、盟友クレージーホースとの熱い魂の交流を続けながら、シンプル・ストレートなメッセージを誠実に発信し続けている。




★(048):リトルリヴァーバンド 「ロンサムルーザー」 (1979年)  (2012.10.19公開)


c0119160_2030244.jpg70年代後半~80年代前半に、米国で多くのヒットを放ち続けた「リトルリヴァーバンド」。高い音楽性とセンスある当バンドの数々の名曲をラジオでよく愛聴していたものです。サウンド的には米国西海岸の雰囲気に満ち溢れていますが、実はこのグループはオーストラリア出身のバンド(でもエアサプライやAC/DCとは全然路線が違う)なのです。メンバーは、シンガーソングライターが3人集結し、リードギター、ドラムス、ベースの3人が脇を固めた形の6人組の構成となっています。1975年に結成され、翌年にはアメリカ進出、当時商業的な成功を収めていたイーグルス、ドゥービーブラザーズ、リンダロンシュタットなどのウエストコーストサウンドを意識しながらオリジナルで多彩な楽曲を次々と発表していきました。1978年「追憶の甘い日々」(リミニッシング)が全米3位の栄冠を獲得し、一躍全世界的なメジャーバンドへと成長しました。日本では殆ど知名度がないのが不思議なくらいです。今回紹介の「ロンサムルーザー」はやはりイーグルスサウンドに雰囲気が非常に似ている感じがします。アメリカンチャートで上位に入った「クールチェンジ」は落ち着いたAOR風の名曲、「ハッピーアニバーサリー」はややファンキーでハードなPOP曲、「遥かなる道」はサザンロックのような曲調。彼らの織り成すサウンドは、コーラスハーモニーが強力な部分は共通しているものの一つのイメージで語るのは意外と難しいバンドである様な気がします。それだけに「多才で実力がある優秀バンドってことですね~!彼らのヒット曲は実に数が多いので、今回と次回で4曲ずつ2回に分けて紹介したいと思います。




★(047):ビーチボーズ 「スループ・ジョン・B」 (1966年)  (2012.10.5公開)


c0119160_20165817.gifポピュラー音楽史に輝かしい伝説を残し今もなお数多くのアーティストに影響を与え続けている「ビーチ・ボーイズ」。 2012年は歴史的なロックバンド(ビートルズ、ローリングストーンズ)と同様に、結成50周年の節目の年を迎え、8月に来日してジャパンツアーを成功裏に終わらせました。初期のビーチボーイズは、1960年代米国像(ケネディ大統領が就任、強く豊かで自由な国をアピール)の若者ライフスタイルに密着したサーフィンサウンドを前面に出して、サーフロック=ビーチボーイズサウンドとして捉えられています。お馴染の曲は「サーフィンU.S.A」「アイゲットアラウンド」「グッドバイブレーション」などが有名ですね。 しかし彼らがミュージックシーンに残した功績はそれだけではなく、ビートルズとの差別化や相互の切磋琢磨から生まれた「ペット・サウンズ」というポップス史上に燦然と輝く名盤を作りあげたことが特筆されます。従来のサーフロック路線では飽き足らなかった中心メンバーのブライアン・ウィルソンは、 ビートルズの傑作「ラバーソウル」に刺激を受けてその音楽性を着々と高め成長していきました。繊細で感受性の豊かなブライアンは、初期時代から精神的な患いもあってツアーには参加せず、スタジオに籠ってアルバムを制作するようになります。傑作「ペット・サウンズ」によって、ライブツアーとスタジオレコーディング作品を完全に分けるという制作スタイル・考え方が1966年に生み出されたのです。「ペットサウンズ」はビートルズに対しても大きな影響を逆に与えました。ビートルズ金字塔アルバム「サージェントペッパーズ・ロンリーハーツ・クラブバンド」のコンセプトアルバムという形態を出現させ、その後プログレ゙など多様なロックへの発展進化に繋がっていきました。なるほど、キングクリムゾン・イエス・ピンクフロイドなどは間接的にビーチボーイスの発想から生れてきたという訳か・・!しかし世間の期待するビーチボーイズの音楽イメージは相変らずの定番サーフサウンド・・、ところが継続は力なり。 1988年にブライアン抜きの残りのメンバーで作曲した「ココモ」が 映画「カクテル」の主題歌に抜擢され、22年振りの全米NO1ヒットを記録したのです。長い間、元気に活動していると色々とありますね~!一時期、メンバーとブライアンと確執がありましたが今回目出度く和解して来日し全盛期の再現となりました。上記に紹介した曲は名盤「ペットサウンズ」からシングルカットされた「スループ・ジョン・B」(ジョン・B号の遭難)、ブラザーズフォーやキングストントリオも歌った往年のナンバー、実に爽やかな名曲です。




★(046):ドゥービーブラザーズ 「チャイナグローブ」 (1973年)  (2012.9.22公開)


c0119160_4552586.gifイーグルスと並びウエストコーストサウンドの代表的なロックバンド「ドゥービーブラザーズ」、ロック史に輝くこのグループは前・後期で全く違う音楽性を見せましたがそれぞれに高く評価されています。今回は前期を象徴する名曲「チャイナグローブ」で登場頂きましょう。その歴史は1969年トムジョンストンが率いるフォークロックのバンドが米国カリフォルニアで「ドゥービーブラザース(マリファナ仲間の意味)の名前でデビューしたことに始まります。デビュー当時はパッとしなかったようですが、パットシモンズという名ギタリスト・ボーカリストやツインドラムの導入で音楽性の質・パワー・アレンジを高めていき、1972年のアルバム「トゥルーズストリート」からも名曲「リッスントゥザミュージック」が全米11位の大ヒットを記録してパッと華を咲かせました。そして1973年には前期の最大名盤「キャプテンアンドミー」がリリースされ、「ロング・トレイン・ランニン」や「チャイナグローブ」の大ヒットを輩出しています。(やっと、パッとシタモンズ・・・、いつまでやってんだ oyajigyag寒~、m(_"_)m)  このアルバムからスティーリーダンのジェフバクスターが参加、さらに翌年リリースした「ドゥービー天国」からの名曲「ブラックウォーター」が全米No.1の大ヒット(1975年)を記録、これによって名実ともにアメリカンロックの頂点を極めることになりました。「チャイナ・グローブ」は実に小気味がいい素晴しい曲・・、イントロのギターカッティングは一度耳にしたら忘れられない程、印象的ですネ~。後期(1976年以降)は、マイケル・マクドナルドの加入(病気で一時的にバンドを離れたトムジョンストンの代役としてジェフバクスターが招聘)によって、バンドの音楽性は都会的なAOR路線に完全転換、グラミー賞4部門受賞で2度目の全盛期を迎えていくのです。前後期ともそれぞれに素晴らしい魅力に溢れていますが、小生はどちらかと言えば歯切れがよくファンキーな時代が好きだナア・・。前期はメロディやギターリフが素晴しくノリがいいし、ツインのドラムやギターも個性的な印象が強い・・。「希望の炎」も前期の名曲です。渋いね~!次回洗練され大人びたAORグループに変身した後期ドゥービーの魅力も紹介していきたいと思います。




★(045):イングランドダン&ジョンフォードコーリー 「秋風の恋」 (1976年)  (2012.9.9公開)


c0119160_613828.jpg秋になると聴きたくなるのがイングランド・ダン&ジョン・フォード・コーリーの「秋風の恋」。哀愁のメロディと爽やかなヴォーカルハーモニの心地よいサウンドが今も心の中に余韻を残しています。70年代を代表するデュオグループといえばロギンス&メッシーナ、ホール&ウォーツ、シールズ&クロフツ等があげられますが、イングランド・ダン&ジョン・フォード・コーリー(以下ED&JFCと表記)はその筆頭的なPOPデュオでした。(大学時代にFENラジオで夢中になって聴いたネ~) 1971年にデビューしたものの、その後5年経っても鳴かず飛ばずだった彼らを一挙にスターダム('76年全米第2位のミリオンセラーヒット)に導いたのがこのナンバーです。その後ED&JFCは、「眠れぬ夜」「悲しみのかなたへ」、「愛の旅立ち」、「ラブイズアンサー」、と次々にヒット曲を放っていきました。しかし彼らがまだ世界的にブレイクしていなかった時代(デビュー後5年間も低迷)、唯一日本だけでヒットした「シーモンの涙」(1972年)は高校時代に深夜のラジオ放送で聴いていたさらに懐かしい曲です。カントリー・フレイバーも漂うアコースティックなPOPサウンドと美しいハーモニーが、日本人の琴線に触れたのかも・・。ちなみに、ED&JFCの構成メンバーの一人、ダンシールズは、シールズ&クロフツのジム・シールズの弟で2009年に残念がら天国に召されました。兄弟でコンビを組んでほしかったなあ・・。(あらためて合掌)




★(044):ブルーススプリングスティーン 「明日なき暴走」  (1975年)  (2012.8.26公開)


c0119160_64915100.jpg70年代ロックシーン金字塔の一つ、ブルース・スプリングスティーンの衝撃的な名曲「明日なき暴走(Born To Run)」 (1975)を初めて耳にしたとき、鮮烈な印象を受け鳥肌の立つような興奮を覚えました。この疾走感と緊張感、これぞ「ロック」の真骨頂!グイグイ迫って来る力量あるブルースの激しいボーカル、それを支えるバンド演奏も実に素晴らしい~。クラレンス・クモンズ(レコードジャケットでブルースが寄りかかっている左の人物)の強烈サックスもこの曲に溢れる疾走感を一段と際立たせています。ブルース・スプリングスティーンは70年代中盤~80年代に活躍した米国を象徴するロックミュージシャンです。最も有名な曲「ボーン・インザ・U.S.A.」(1984) のイメージ(ロック版ランボーみたいな星条旗を振り回すマッチョなヒーロー)が強すぎる感がありますが、1973年デビュー当時は「ボブディランの再来」と称されるシンガーソングライターだったのです。ロック一辺倒ではなく、ハーモニカやピアノの演奏も交えた哀愁的なシンガーソングライター的な名曲(「リバー」「サンダーロード」等)も数多く残しています。3rdアルバム「明日なき暴走」で爆発した圧倒的なロックサウンドで彼は一挙に大ブレイク!その後MTVのブームにも乗り歴史的なチャリティ「ウイアーザワールド」(1985)にも参加、世界的なアーティストへと登り詰めていきました。彼のロックへの姿勢は、演奏形態・技巧・楽器奏法は全く関係なく、迸るエネルギーをストレートに表現し叫び続けるもの。「オレ達は走るために生まれてきたのさ」・・(Born To Run)、そんな衝動に駆られる程のパワーが爆発した70年代象徴の名曲でした。






★(043):デビッドボウイ 「スペース・オデティ」  (1969年)  (2012.8.15公開)


c0119160_672158.jpg20世紀を代表する英国ロックスター「デヴィッド・ボウイ」。60年近いロック史において彼ほど活動キャリアの中で音楽性やルックス・ファッションのイメージを変化させ続けてきたアーティストはいないでしょう。常に新しい分野へ先進的に挑戦し、自らを変革させてきた変幻自在のカメレオンアーティストとも呼ばれています。我々の世代では、Tレックス(マークボラン)やロキシーミュージック(ブライアンイーノ、ブライアンフェリー)等と並んで「グラムロック」(1970年代初頭にブームとなった頽廃的・耽美的な雰囲気のロック分野)の旗手として輝いていたことが強烈な印象で残っています。しかし1967年デビュー直後の彼は全く評価されず泣かず飛ばずの状態で一度音楽業界から姿を消していたのです。この頃演劇活動に身を投じ、劇団がTV映画に出演するサウンドトラック曲として「スペース・オディティ」を書き上げたところ、これが突然で英国で大ヒット(全英5位)し、ロックスターへの足がかりを掴んだのでした。そして1972年、不朽の名盤「ジギー・スターダスト」(異星人ロックンローラーが地球を救うコンセプト)をリリースし、名曲「スターマン」(1972)と共に大ブレイクして一気にスターダムへと駆け上がりました。それに続くアルバム「アラジンセイン」(ヒット曲は「ジーンジニー」)は、発売同時に全英1位という快挙を達成!この映像からも判るように元祖ビジュアル系のグラムロックはこの頃人気を爆発させ、ボウイはTレックスと一緒に世界を席巻して行きました。しかし彼は絶頂の中で「ジギー」キャラクターを突然捨て去り、ブライアンイーノとの出会いを経て、アメリカンソウルに接近し新たな潮流に乗っていきました。ジョンレノンと共作した「フェーム」のヒット、「レッツダンス」でディスコ系ダンスミュージックに路線を変えMTVに頻繁に登場したり、初の主演映画「地球に落ちてきた男」や日本映画「戦場のメリークリスマス」でタケシと共演してみたり・・、チベット難民救済活動を展開したり、何でもやっちゃいますネ~!90年代も21世紀に入ってからも彼の新分野への挑戦は続いてきましたが、彼の新たな音楽を求める旅は当分終わりそうもありません。




★(042):ディープパープル 「ハイウェイスター」 (1972年)  (2012.8.2公開)

 

c0119160_22183174.jpg最近、青春時代に馴れ親しんだロックアーティストの訃報が相次いでいますが、今度は元ディープ・パープルの初代キーボードジョン・ロードが7月16日に死去(膵臓癌)しちゃいましたネエ・・。ディープ・パープルは近日中に名曲「スモークオンザウォーター」を掲載する予定でしたが、今回はジョンロードのキーボードプレイが光った曲に選定変更します。ディープ・パープルは、1968年に英国で結成されたハードロックバンド、当時レッドツェッペリンと対比されるヘビーメタル先駆者で、その優れた楽曲・サウンド・演奏力は現在でも多くのアーティストに尊敬されています。小生がパープルに夢中になったのは最大名盤「マシンヘッド」(1972年:「ハイウェイスター」、「スモークオンザウォーター」、「レイジー」を収曲)をリリースした黄金期時代(第2期メンバー)!当時のメンバーは、イアンギラン(Vo)・リッチーブラックモア(Gt)・ジョンロード(Key)・イアンペイス(Ds)・ロジャーグローバー(B)でヘビメタ・ハードロックの王道(高速道路)を爆進中でした。「ハイウェイスター」は疾走感・スリリング溢れるその象徴曲!ジョンロードのキーボードプレイ(オルガン)での畳掛けも本当に素晴らしいネ~!しかしデビュー当時は、意外にも芸術性の高いアレンシやクラシックエッセンスを取り入れたプログレ路線バンドだったのです。(後に知ってヘ~と驚き!)。オルガン中心のアートロックを主導していたのはまさにジョンロード。第1期メンバーでは「ハッシュ」の大ヒットで順調に活動していましたが、70年代に入るとレッドツェッペリンの大ブレイクに刺激され一挙に路線をハードロック志向に切り替えたのです。イアンギラン&ロジャーグローバーを迎え入れ、名盤「イン・ロック」(「チャイルドインタイム」は超名曲)「ファイヤーボール」「マシンヘッド」で大輪を咲かせました。しかしその後はメンバーの人間関係が悪化し、イアン&ロジャーは脱退、後にリッチーブラックモアもバンドを離れ変遷を繰り返し1976年に解散する事になります。ジョンロードの重厚なるハモンド・オルガンとイアンギランの深みある声、リッチーブラックモアの強力ギターで織り成されたパープルのヘビメタ・ハードロック・・、黄金時代のサウンドは今もロック史に燦然と輝き続けています。ジョンロード様、今も天国でも元気なオルガンプレイで大いに賑わせ魅了していることでしょう。心より哀悼・・。「スモークオンザウォーター」はまた次回のお楽しみ~

  # by rollingwest | 2001-05-01 00:00 | 洋楽(ロック・POPS) | Comments(88)