「My Favorite Songs」(第20巻)

             【My Favorite Songs】過去紹介した名曲(INDEX)はコチラから
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★(122)レーナード・スキナード 「フリーバード」 (1973年) (2015.5.27公開)


c0119160_1745548.jpg70年代米国サザンロックの代表的存在といえばオールマンブラザーズバンドが有名ですが、彼らと双壁をなした伝説的なバンドが「レ―ナード・スキナード」でした。米国南部カントりーの泥臭さと哀愁を帯びた壮大なサウンドが実に魅力的、そして「トリプル・リードギター」という特徴ある編成で迫まるギタープレイはまさに圧巻!彼らが残した名曲は数多くあるので前後編記事に分けて紹介したい思います。前編冒頭は小生が最も愛する「フリーバード」、10分近くに及ぶこの長い曲は「いとしのレイラ」(エリッククラプトン)のような雰囲気をもつロック史に輝く名曲です。哀愁の静かなアコースティックと渋いボーカルから始まりゆったりとしたバラードが続き、途中一転してアップテンポに泣きのギター、ここから3本の官能的なスライドギターのテクニカルな競演バトルが繰り広げられ、クライマックスを迎えます。この壮大なる名曲はいつ聴いても唸らされそして魅せられます。この曲は1973年デビュー盤「レ―ナード・スキナード」からのカッティングですが、実はこの曲が評価されたのは2nd盤「セカンド・ヘルピング」(1974)で「スイートホーム・アラバマ」(一番最後に紹介)でブレイクした後のことでした。しかしこのデビュー盤は実に素晴らしい曲が多く、冒頭から重厚なトリプルギターが炸裂する「アイ・エイント・ザ・ワン」(1973)や哀愁を帯びた泣き節ギターが印象的な「チューズデイズ・ゴーン」(1973)、ロックの王道を行くような「ギミー・スリー・ステップス」(1973)などカッコいい曲が多くて実に名盤だと思います。特に「シンプルマン」(1973)は「フリーバード」と並ぶスケールの大きい名曲、静かなボーカルから重厚かつ落着いたなギタープレイが見事に展開され、最後はこれまたトリプルギターのエキサイティングな競演!もう本当に言葉もなく、これぞレーナードの真骨頂だ!と感服します。レ―ナード・スキナードは1964年にフロリダ州で5名で結成。彼らを見出しデビュー・アルバムのプロデュースを担ったのがアル・クーパー(BS&Tの初期リーダー)だったと今回編集で初めて知ってビックリ!サイケなイメージがある彼がこの泥臭いグループに関わっていたとは実に意外でした。そしてレーナードはザ・フーの北米ツアーの前座を務め大きな喝采を浴びるパフォーマンスを披露して地道なライブ活動の中で多くのロックファンに徐々に認められていきます。この成功への軌跡を辿れた背景には、彼らの前座だったピーターフランプトン(下記119記事で紹介)がライブ活動で大ブレイクを果たしたことに学んだ対抗意識(アイツにできるならば俺達だって)だったとのこと。彼らがブレイクしてサザンロックの象徴としての地位を確立したのは1974年「セカンド・ヘルピング」、彼らを有名にしたこの名盤もまた実に素晴らしい~!「ワーキン・フォーMCA」(1974) やバイクが疾走する軽快なロックの「コールミー・ブリーズ」(1974)、わかりやすく耳に残るリフと重厚で豪放なリズム、ラフでルーズなグルーヴ感は、レーナード・スキナードというバンドの最も魅力的な部分を見事に具現化したものだったように思えます。彼らはその後もライブアルバムが大いに評価され、サザンロックの王道を突っ走っていましたが、突然信じられないような悲劇のニュースが飛び込んできます。5作目のアルバムリリースした3日後(1977年10月20日)、メンバーとクルー総勢26人を載せた自家用飛行機が移動中に墜落して6名が死亡(ブラスロックのチェイスに続く飛行機事故悲劇)。犠牲者には主力メンバー3人も含まれておりロック界全体に大きなショックと失望を与えたのです。本当に素晴らしいサウンドを聴かせてくれたロック王道アーティスト達の魂がこんな形であっけなく失われたとは・・、何という惜しいことだ・・。前編最後は彼の象徴曲「スイートホーム・アラバマ」(1974)で一度締めたいと思います。後編は「何も聞かないで」(セカンド・ヘルピング収録曲)を始めとして、墜落悲劇の直前にリリースしたLAST名盤「ストリート・サバイバーズ」からの名曲紹介を予定しています。

⇒次回は、1970年代の美しき哀愁メロディでRWが夢中になっていたボーカルバンド「ブレッド」のデビュー曲「灰色の朝」(1969)をお送りします。♪\(^◇^)/♪





★(121)テイラー・スウィフト 「チェンジ」 (2008年) (2015.4.27公開)


c0119160_206324.jpg先日21世紀カントリーポップの優秀アーティスト「レディ・アンテベラム」を紹介しましたが、今度は5月に来日するカントリーPOPの実力派アイドル「テイラー・スウィフト」の登場です!彼女が2008年にリリースした2nd盤「フィアレス」は第52回グラミー賞で「最優秀アルバム賞」の栄誉に輝き(その他カントリー部門とあわせて4部門受賞)、今や世界のアイドル的歌姫として大活躍ぶりなので皆さんも1度は耳にしたことがあると思います。2008~09年に「フィフティーン」「ラブ・ストーリー」等のヒット曲を立て続けに放ち、この名曲を収めた「フィアレス」はビルボードで初登場1位、その後11週1位という記録を打ち立て米国で500万枚近くを売上2009年で最も売れたアルバムとなりました。2010年グラミー賞で史上最年少(1989年生まれなので当時21才)で「最優秀アルバム賞」を受賞した金髪美女は、2011年3月時点で全世界860万枚以上のアルバムを引っ提げて一躍世界が恋するトップスター・アイドルとなったのです。上記掲載曲「チェンジ」(2008)は、ロック調の軽快POPSで北京五輪米国代表の応援歌として有名、2008年こそ彼女にとって大きな飛躍を果たした節目だったといえましょう。元々はカントリー部門の歌手として「Tim McGraw」(2006)を歌い17才でデビュー、次のヒット曲「Teardrops On My Guitar」(2007)もどこか古き良き時代を思わせるようなカントリーPOPSが展開されていましたが、「アワーソング」(2007)や「You Belong with Me」あたりはまだカントリー調ですがPVを見ると完全に転機の予兆が窺え、アルバムの枚数を重ねるごとにのロックや軽快なPOPS路線へと完全転身してしまった感があります。カントリー界では「テイラーから見捨てられた・・(泣)」と喪失感や恨み節も聞こえますが、人気大爆発の彼女にとってはそんなことはお構いなし!彼女は自分の表現したい世界はカントリー分野では描けないとこの部門から足を洗い、ロック・POPS路線へ猪突猛進状態の姿に見えます。抜群のスタイルと才能溢れる情熱的な美女を世の男性達が放っておく訳もなく、彼女がこれまで浮き名を流した男性の数は公式に聞こえているだけで12人もおり恋愛遍歴の積み重ね方もド派手なご活躍ぶり。その奔放さこそも、従来カントリーに馴染みのなかった人にも多く愛されてきた理由なのでしょう。今回の来日で再び日本でもテイラーブームに火が付くかも・・!次回はそんな明るくド派手に活躍する多くの曲(2010年スピークナウ、2012年レッド、最新アルバム「1989」からのチョイス)を紹介しますが、今回はしっとしりたテイラーの名曲「ホワイトホース」(2008)で一度締めたいと思います。





★(120)ジェリー・ウォレス 「男の世界」 (1970年) (2015.4.11公開)


c0119160_22123697.jpg今回は120回目の節目を迎えたので、初企画としてRWが洋楽に本格的に目覚めた(当時中学1年生)1970年(昭和45年)のヒットチャート曲にスポットを当て前後編に分けてレポートしていきましょう!RWが洋楽に嵌った1970年はまさにビートルズ解散の年・・、1960年代熱狂の世代からは数年遅れですが、それでも新しいジャンルのロック(プログレやハードロック,ブラスロック等)の歴史に刻まれた有名アーティスト達が毎年次々とデビューしたロック胎動・大発展期10年間(1966~1975)のド真ん中にいたので、その歴史をリアルタイムに肌で体験できた幸福世代の端くれなのかもしれません。小学校4年生くらいからモンキーズTVドラマに嵌っていましたが、小生を本格的に洋楽へ初めて誘ってくれた恩人は「サイモン&ガーファンクル」(1970年は「明日に架ける橋」でグラミー賞獲得)と「エルトンジョン」(1970年に「イエスイッツミー」と「僕の歌は君の歌」で大ブレイク)でした。しかし今回は有名アーティストの曲は記事の対象外としたいと思います。今やその名が殆ど忘れられてしましったアーティスト(一発屋も含む)のヒットナンバーばかりに絞りましたので、若い方には聴いたことない曲が多く登場しますのでご容赦! 同年代の方々には大いに懐かしんでもらえることと思います。Ready go!まず冒頭は米国人気俳優「チャールズブロンソン」の男性化粧品CMで日本中を席巻した「マンダム・男の世界」(原題はLOVERS OF THE WORLD)。米国C&Wシンガー「ジェリー・ウォレス」の曲に合わせて疾走する髭をたたえた男臭いブロンソン(映画「大脱走」は5~6回観ました)の姿が実に格好よかったね~!♪「ALL the World ~love the lover・・・、u~m、マンダム・・」。しかし当時はカナダ、フランス、オランダ勢が当時のヒットチャートに次々と名を連ねて大席巻していました。まずはカナダ出身のオリジナルキャストが 伸びやかに歌い上げる「ミスターマンデイ」、文化放送「All Japan Pop 20」で1位を6週間独走、日本では46万枚の大ヒットとなり、1970年の年間ランキング第1位に選ばれています。日本だけで大ヒットした曲ですが、素晴らしいイントロ部と哀愁を感じる歌声・爽やかサウンドが日本人の好みに合ったんでしょうね~。その次の曲もカナダ出身のグループ「マッシュマッカーン」の「霧の中の二人」、イントロから目立ちまくるオルガンの音色、テンポが弾むスリリングな展開、そして「ahh・・、love you~!foreve~!」のサビから続くカッコいい演奏、この曲は実に秀逸だと思います。カナダのグループが2連続で登場したので次はフランス勢の歌姫に・・!「シルヴィバルタン」の「あなたのとりこ」は誰でも聴いたことがある有名なPOPSスタンダード曲ですね。今の若い人に広く知られているのは2001年映画「ウォーターボーイズ」の主題歌にもなったことが契機ですが、我々はテスト勉強でラーメンをすすりながら深夜ラジオから流れていた懐かしのナンバー。「あなたのとりこ」は底抜けに明るくハイテンポなフレンチPOPSで何度聴いても素晴らしい!シルヴィバルタンといえば同じ年ヒット「悲しみの兵士」(My Favorite Songs:第2巻(014)に掲載 )も忘れることはできません。。♪「ラン・ララ、ラン・ランラ~、ランラ~」♪渋く哀愁に満ちた悲壮な女性歌声に、渋い男のフランス語呟き、随所に入る魅惑的で迫力あるサックス(ブッ・プワ~と大きく鳴り響く)。この悲しみ曲とアンバランスさの彼女のキュートな姿が実に魅力的でした。フランス勢でキュートなアイドルといえば「オーシャンゼリゼ」等で有名なダニエルビダル、デビューのきっかけは日本でした。母国のタレントコンテストで入賞したもののデビューさせてもらえず、日本のプロデューサーが彼女を見出し17歳で「天使のらくがき」で国内ヒットチャートに登場したのです。次はオランダ勢、まずはポピュラー音楽史に残るPOP曲のスタンダードとして有名な「ヴィーナス」のオリジナルヒットはオランダを代表するロック・バンド「ザ・ショッキング・ブルー」が歌っていました。イントロはいつ聴いても素晴らしい!でも今の若い人はダンスナンバーと信じていることでしょう。双壁の代表曲が「悲しき鉄道員」(My Favorite Songs:第3巻(026)に掲載)は日本で大ヒットしました。エキゾチックな雰囲気の女性ヴォーカル(マリスカ・フェレス)が歌いあげるリズム感ある曲調、哀愁帯びたギターと不思議な魅力のメロディ曲は日本人の琴線を刺激したのかも・・。最後は、小生が最も懐かしさを感じる「アース&ファイファー」(オランダ)の「シーズン」!衝撃的イントロと哀愁に満ちたエンディングが印象的で凝った作品はにRWの琴線を刺激してくれた名曲。次回、1970年ヒット後編は米国・英国勢のヒットナンバーを中心に紹介します。リンアンダーソン「 ローズガーデン」、ルークリスティ 「魔法」、クリスティー「イエローリバー」などが登場しますのでお楽しみに~!




★(119)ピーターフランプトン 「アイム・イン・ユー」 (1977年) (2015.3.29公開)


c0119160_1050863.jpg70年代洋楽ファンならば誰もが知っている英国ロックのスーパースター「ピーターフランプトン」・・、今では「誰それ~?」と殆ど無名の今昔物語状態なのかもしれませんネエ・・。しかし70~80年代洋楽ロック史で爆発的に売れたアルバム「サタデーナイトフィーバー」・フリートウッドマック「噂」・マイケルジャクソン「スリラー」等の怪物アルバムと匹敵する程に売れた名盤がピーターフランプトン「カムズ・アライヴ」(1976年)でした。当時としては珍しい2枚組ライブ盤として発売され全米10週連続No.1のメガヒットを記録(販売枚数1,000万枚)した彼の大プレイク出世作は、それまでキャロルキング 「つづれおり」 が保持していた米国アルバム売上NO1記録をあっさり更新してしまったのです。第1弾 「ショウミー・ザウェイ」(一番最後に掲載)は当時のFENラジオから毎日洪水の如く流れ続けていた曲であり、初めて大学生上京し下宿生活を始めた頃の思い出曲として小生の脳裏に深~く刻まれています。これに続くヒット曲が「Do You Feel Like We Do」(1976)と、「Baby,I Love Your Way」(1976)この3連続大ヒットで年間通してアルバムは莫大なセールスを記録し、その後ハードロック界はライブ盤ブームとなり他ミュージシャン達も続々とリリース、大きな影響を与えました。ピーターフランプトンは1950年の英国生れ、何とデヴィッドボウイの学校後輩であり2人でセッションしていた仲だったと今回初めて知ってビックリしました。彼は1960年代後半にスティーブ・マリオットと2枚看板で「ハンブルパイ」を結成しロック史に輝く超名盤「スモーキン」を生み出しています。ポップで甘いアコースティックなピーターと、逆にソウルフルで泥臭いなスティーブ、最初は絶妙コンビでしたが徐々にバンドはスティーブのブルース色が濃くなり、ピーターの音楽性が発揮できず彼の居場所はなくなっていきました。ハンブル・パイを脱退した彼は、1974年からソロに転向し「草の根ツアー」(ドサ廻りのステージ活動)を地味に継続し、とにかくツアーに明け暮れる日々を重ねていました。この努力がついに実を結び全米ツアーを収録した2枚組のライブ「カムズ・アライヴ」が1976年に全米1位となり大ブレイクしてしまったのです。この名盤からは往年のハンブルパイのようなブルージーで厚みのある「I'll Give You Money」(1975)や素晴らしいギタープレイを披露する「Something`s Happening」(1975)なども輩出しており、メガヒットとなった理由がよ~く解ります。冒頭で紹介した「アイム・イン・ユー」(1977年)は、「カムズアライヴ」に続いて発表された名盤からの代表曲で最高2位を記録したロックバラード、小生が最も愛する名曲です。希代の美少年であり性格も素直で誰からも好かれる人、好青年ぶりが超人気のアイドル的な売れ方で一挙ブレイクしてしまったことがその後の彼の人生に暗い影を落とします。「本当は実力派なのに、女子にキャーキャー言われるアイドル音楽なんて・・」という玄人筋からの酷評(殆ど妬みだね)になりました。1978年には自動車事故で大怪我に遭い、長年の恋人と別離、公演先との訴訟に巻き込まれと不幸が続き、レコード印税やコンサート収益は悪い大人に搾取されて財産は全く残らず・・、ロック史に残る金字塔アルバムと引き換えに、生涯の幸運を全部使い果たしてしまったという感じ。(泣) その後も低迷状態でしたが、1986年に「remonition」からのシングル「ライイング」(1986)で復活します。でもこれが最後の閃光だったのかな・・。記事の締めはやはり「カムズアライヴ」からの名曲で締めます。「ラインズオンマイフェイス」(1975)はスケール感がある壮大なロック弾き語りで本当に唸らされます。やはりフィナーレ曲はピーターフランプトンの象徴曲「ショウミー・ザウェイ」(1975)しかありません! 「ワォン、ワ・ワ・ワ・ワォ~ン、♪アイウォンチュ~、デイアフタデ~イ!♪」のトーキング・モジュレーターというギターが喋っているかのように聞こえるエフェクター(口に咥えながら操作して電気的にギター音色を変える機械)が実に衝撃的なトレードマークでした!よく真似したもんだ・・。フランプトンよ、再び復活カムズアライブ!





★(118)レディ・アンテベラム 「ニードユーナウ」 (2009年) (2015.3.15公開)


c0119160_21155145.jpg最近のグラミー賞は、カントリーポップの優秀アーティスト達が席捲している感があり興味深くウォッチしてきました。2010年テイラー・スウィフト、2011年レディ・アンテベラムと2年連続でグラミー賞の栄誉に輝いている新進気鋭のアーティストを紹介致しましょう。テイラーは5月に来日するのでその直前4月下旬頃に、今回は洗練された大人のサウンドをひっさげ次々大ヒット作を出しているレディ・アンテベラムの2007~2008年アルバムを中心にレポートしてみたいと思います。レディ・アンテベラムは、チャールズ・ケリー(1981生)、デイブ・ヘイウッド(1982生)、ヒラリー・スコット(女性・1986生)の3人からなるカントリーグループで、2006年に米テネシー州ナッシュビルにて結成されました。デビューからあっという間に世界の頂点に立ちこれまでに7つのグラミー賞(2011年は5冠の最多受賞)を獲得、さらに合計1000万枚以上のセールスを記録している大人気グループの最初の活動は、2007年のジム・ブリックマンのシングル曲「ネヴァーアローン」(2007)へのゲスト参加でした。そして翌年に「Love Don't Live Here」(2008)で本格デビューしいきなり全米4位で獲得してミリオンヒットとなり、同アルバムからのシングル「アイラントゥユー」(2008)もカントリーチャートで1位に輝いたのです。聴き手の心に寄り添うハートウォーミングなラブソングとカントリーフィールあふれる爽快なサウンド「Lookin' For A Good Time」、(2008)などパンチの効いたアップテンポなナンバーも随所に見せ、男女3人が織り成す美しいハーモニーと幅広い音楽性で多くの支持を獲得しています。レディアンテベラムとは「南北戦争の戦前時代の女性」という意味らしい。冒頭に紹介した「ニードユーナウ」(2009)は第53回グラミー賞で「最優秀レコード賞」「最優秀楽曲賞」を含む全5部門で受賞、彼らを世界の頂点に押し上げた代表曲で真夜中一人きりの時に相手に電話をしてはいけないと思いつつも、恋しくてつい気持ちが揺らいでしまう繊細で純粋な気持ちを綴った楽曲となっています。今回の締め曲は、将来の夢に向かって悩みながら日々暮して行く不安な気持ちを力強く励ましてくれる壮大なバラード「One Day You Will」(2008)と、静かに共感しながら慰めと癒しを与えてくれるほのぼの曲「Can't take my eyes off you」(2008)で一旦締めて次回は2ndアルバム「ニード・ユー・ナウ」(2010年)からの名曲を中心に、「ゴールデン」(2013年)「777」(2014年)のアルバムを予定していますが、彼らはまだまだ素晴らしい名曲を沢山輩出することは間違いないので5~6回位の記事を重ねて行くような気がしています。

  # by rollingwest | 2002-08-01 00:00 | 洋楽(ロック・POPS) | Comments(136)

「My Favorite Songs」(第19巻)

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★(117)リンゴスター 「想い出のフォトグラフ」 (1973年) (2015.3.2公開)



c0119160_10464857.jpg拝啓、リンゴスター様・・・・。RW洋楽コーナーもそろそろ120回目の節目を迎えようというのに、貴殿のソロ時代名曲を全く取り上げていないことに最近気づき、本当に失礼の極み・大反省・・・、<(_ _)><(_ _)><(_ _)>大変申し訳ございませんでした~。ビートルズ時代は激動の毎日で本当に目まぐるしく濃厚な7年半だったとお察しいたします。初期ドラマーだったピートベストと交替する形でビートルズに急遽加入させられた日から、貴殿の人生は一挙に大転換!あっという間に世界のアイドルに駆け上り、20代後半でついにロック史(・・いや世界文化の歴史)に燦然と輝く頂点に立つ存在になってしまうとは当時想像だにしていなかったのではないでしょうか?貴殿はついに今年4月、ロック殿堂入りの栄誉に輝くことになったとお聞きしました。誠におめでとうございます!いやいや、むしろビートルズメンバーが未だにロック殿堂入りしていなかったこと自体が意外や意外・・驚きの一言です。全く遅きに失したくらいの受賞であり、ここまで延ばされてしまったとは実に失礼なお話ですよね!(⇒小生もあまり言えたクチではございませんが・・苦笑)  今回記事では、掲載が遅れてしまったことを深く反省して懐かしきリンゴソロ時代(1970代前半)のヒットナンバーを沢山紹介させて頂きます。まずは貴殿がソロとしてデビューしたのは1970年(ビートルズ解散の年)・・、スタンダード曲を集めた初の単独作品「センチメンタル・ジャーニー」を発売した記念の年でしたね。1970年とはまさに小生が洋楽に目覚めハマった時期であり、思い出深い曲の数々が脳裏に浮かんでまいります。翌年は米国ヒットチャートで「明日への願い」(1971)や「バックオブルガルー」(1971)など魅力的なナンバーが上位に連続登場し、嬉しく思い毎日ラジオに耳を傾けていたものです。ビートルズ時代で貴殿の名曲といえば「イエローサブマリン」「アクトナチュラリー」「オクトパスガーデン」等くらいしか頭に浮かびませんが、解散後ソロ時代になってからは数々の素晴らしいヒット曲を連発!こんな実力があったというのに、ビートルズ時代はポールとジョンに遠慮していたんですか~?また映画やカメラ分野でも大いなる才能を発揮し、まさに「能ある鷹は爪を隠す」で貴方のお人柄が窺えます。そして1973~74年は貴方の黄金時代を迎えました!「ヨア・シックティーン」(1973)がついにビルボード誌で第1位を獲得!さらに1974年にはジョージと共演して「想い出のフォトグラフ」(1973・上記掲載曲)で世界を席巻しましたね~!掲載した冒頭ユーチューブは貴殿の親友ジョージハリスンが亡くなった1年後(2002年11月)に盟友エリック・クラプトンの呼びかけによってロンドンで開催されたジョージ追悼コンサート(ロイヤルアルバートホール)の映像を使わせて頂きました。いや~、ここでも実にいい味を出しておられますね~!貴殿の魅力はやはり「オクトパスガーデン」や「オーマイマイ」(1974)のようなオトボケチックな雰囲気。ビートルズ後期ではメンバー同士の人間関係がバラバラになり相克が高まる中で、貴殿のホッコリしたキャラクターが触媒役を果たし一服の清涼剤的な存在になってくれたと思っています。また ジョン・レノンが暗殺された時も一早くNYに駆けつけてオノヨーコを励まし彼の死を悼んだその行動と思いやりにも感銘しました。今回は亡きジョンレノンとコラボした「オンリーユー」(1974)をユーチューブで見つけて嬉しい限り!そして21世紀に入っても「フェイディングイン&フェイディングアウト」(2005)等のヒットを生み出し息長く頑張っているではありませんか!そろそろ長文のお手紙も筆を置くことにしましたが、最後は往年のカントリー名曲「アクトナチュラリー」(1965)で締めさせて頂きます。小生は45年前にこのEP盤(今や死語)を柏崎のレコード屋さんで購入したのですよ。歴史的な名曲「イエスタディ」とのカップリング盤でしたね。貴殿の曲がB面と思っていましたが、よく調べるとコチラがA面だったという事実を知ってただただ驚いているばかりです・・!当時はアップルレコードのレーベル名も貴殿のリンゴから命名採用されたと信じていたRWなのでこれくらいの勘違いは大したことじゃないのかも・・(苦笑) ビートルズも5年後は解散50周年を迎えます。その伝説をいつまでも長く伝導して頂くためにもくれぐれも健康には留意し長生きされて下さい。・・・・敬具


⇒次回は、21世紀の洗練されたカントリーPOPグループ「レディアンテベラム」の「ニードユーナウ」(2010)をお送りします。♪\(^◇^)/♪





★(116)チープトリック 「永遠のラブソング」 (1982年) (2015.2.17公開)



c0119160_1718433.jpg日本のファンが火をつけ世界的な人気に繋がったロックバンドといえばクイーンやボンジョヴィなど幾つかの事例がありますが1970~80年代に米国のPOPなハードロックで人気を博した「チープトリック」はまさにその典型パターン、彼らの人気は70年代後半と80年代後半の2回のピークがあったので前後編に分けて彼らのヒット曲を紹介しましょう。初期メンバーは、ロビンザンダー(Vo、G)、リックニールセン(G)、トムピーターソン(B)、バン・カルロス(Dr)の4人で1977年にデビュー。最初の2~3年は本国アメリカでは全く売れなかったのですが、なぜか日本でだけはどんどん人気が上がり、特に2ndアルバム「蒼ざめたハイウェイ」からのシングル「今夜は帰さない」(1977)が大ヒット!翌年には初の日本公演を武道館で行ないその模様はすぐに「チープ・トリックat武道館」として日本限定で発売されましたが、実はこのライヴ盤こそが彼らの運命を変えることとなったのです。彼らの友人がライブ盤からの「甘い罠」(I Want You To Want Me)を本国のラジオで流したところ、突然爆発的にヒットしあっという間に全米7位まで上昇。日本からの逆輸入盤が飛ぶように売れ、米国も慌てて後からリリースした結果、ついにプラチナディスク(全米4位)となってしまいチープ・トリックの名声はあっという間に世界中へと広まったのです。武道館ライブの「エイントザット・ア・シェイム」(1978)もヒット!そして同年にリリースされた3nd「天国の罠」からは「サレンダー」、翌年発表の「ドリーム・ポリス」も好調で、全米6位の大ヒットを記録しています。ところがその後、トムとリックが音楽的な衝突を起こし、トムの正式脱退が発表されると、彼らの人気は急激に下降し始めていきます。冒頭に公開した「永遠のラブソング」(1982)は、まさにその低迷期の曲で、後年の大ヒット曲「永遠の愛の炎」と混同されてしまうこともありますが、小生はこの曲が結構お気に入り!最近ジックリ聴き直してみてこの曲がジョージハリスンの「ギターは泣いている」的なメロディラインも登場して実にいい曲だなと噛みしめているところです。そんな知ったようなフリをしているRWですが、実はチープトリックは食わず嫌い(黄色い声のミーハー人気とバンド名のイメージから受ける安っぽいという先入観)でチト距離を置いていたのも事実でこの記事を編集するまでは頭の中が整理されていませんでした。締めの曲は、前期全盛期LASTの名盤「ドリームポリス」からの大ヒット曲「ヴォイシズ」(1979)、この曲も何となく当時のお気に入りで距離感を受けとめながらもチープトリックを気にし続ける契機となったナンバーだったような気がします。そして彼らは80年代の後半に再び大復活を成し遂げることになり、後編ではそのヒットの数々を紹介していく予定です。




★(115)レターメン 「ラブ」 (1971年) (2015.2.4公開)



c0119160_12555038.jpg中学生の頃、ラジオの深夜放送に目覚め始めた頃に思い出が深く残っているのは「レターメン」が歌い上げた「ラブ」(上記掲載曲)と夜のしじまに美しいメロディが染透る様なコーラス曲「ミスターロンリー」(1970)でした。まだあどけなき思春期に一挙魅了されてしまったこの2曲を聴くと、スタンドに照らされた勉強机、ラジオを聴きながら深夜のインスタントラーメンをすすっていた当時の光景がフラッシュバックしてきます。ノスタルジーを感じさせられる「ミスターロンリー」はてっきりレターメンのオリジナルとばかりと思っていましたが、ボビー・ビントンの1964年ヒット曲のカバーと知ったのはかなり後のことです。1958年ラスベガスでデビューした気品ある素晴らしいコーラスの男性3人グループは、「夏の日の恋」(1960年パーシー・フェイスの9週連続全米1位を記録したグラミー賞曲)や「涙のくちづけ」(原曲はピーター・アデル & ゲーリー・ゲルド)、さらにポールアンカ作品「涙に頬をうずめて」等を1960年代後期にカバーヒットさせていましたが、1970年代初頭でヒットさせた上記の2曲で日本でも一躍知名度をアップさせたのです。当時は「ラブ」の方も「ジョンレノン名曲」(記事のラストに掲載)とは全く知らず、レターメンのオリジナルと完全に信じ込んでいたものです。冒頭のアルペジオピアノから韻を踏む詩を美しいコーラスで静かに語り歌い上げており、自分たちの醸し出す魅惑的なハーモニーに置き換えていました。今でもRWはジョンレノン曲というよりはレターメン象徴曲のイメージが強く、そのように脳裏に刻まれた人も多いのではないでしょうか。でもそれぞれに味わいが深くどちらの代表曲と言っても全く問題がない傑作となっています。レターメンは1961年~75年の間 キャピトル・レーベルに 300曲以上もの作品を残していますが、長い レターメンのキャリアの中でも このキャピトル時代は良質作品をリリースし、最も商業的にも成功していた時期です。日本ではハイファイセットがカバーしたことで知られる「フィーリング」(1975)も全米年間チャート4位に輝いた大ヒット曲に輝きました。しかしこれもモーリスアルバートというシンガーソングライター(ブラジル出身)の作品で、自分達のオリジナルはないのかよ・・とも言いたいところですが「他人の作品を美しいコーラスでより一層輝かせる!」こういう特長があるアーティストなのだと納得してしまいました。今もなお3人仲良く美しい声でコーラスを聴かせてくれているとは嬉しいことではありませんか!それでは最後は「ミスターロンリー」がBGMで流れる城達也氏の渋いナレーションで始まった午前零時の「ジェット・ストリーム」(1967~1993年FM東京)で締めたいと思います。遠い地平線が消えて、深々とした夜の闇に心を休める時、はるか雲海の上を音もなく流れ去る気流は、たゆみない宇宙の営みを告げています。ジェットストリーム ・・、皆様の夜間飛行のお供をするパイロットは、私 城達也です。」 ♪「ロンリ~、 オオ、ミスター・ロンリ~・・」♪





★(114)ティアーズ・フォー・フィアーズ 「シーズ・オブ・ラブ」 (1989年) (2015.1.21公開)



c0119160_17363246.jpgRWの80年代アーティストへの評価・拘りは70年洋楽に比較するとかなり落ちてしまいますが、その中でも「ティアーズ・フォー・フィアーズ」(Tears for Fears=以降はTFFと表記)はとりわけ大好きなバンドでした。「TFF」は1981年にローランド・オーザバル(Gt、Vo)とカート・スミス(Bs、Vo)で結成された英国ロック・デュオで音楽性が高くセンスある独自世界を展開、1980年代に起こった英国アーティストによる世界的ブームの第2波的役割の最先端を走っていました。このバンドで有名な曲は何と言っても全米1位に輝いた「ルール・ザ・ワールド」(最後に紹介)と「シャウト」、この有名曲は日本のCM曲にも採用されているので皆さんも一度は耳にしたことがあるでしょう。さらに名曲「ヘッド・オーバー・ヒールズ」(1985)もお薦め!デビュー直後は「シンセを多用したエレポップ」の分類でしたが1982年頃から無機的なイメージだったエレ・ポップに表情豊かに洗練されたメロディを加え、英国で高い評価を得るようになります。そして1985年に米国進出を果たしついに全米No1、世界的な成功を収めていったのです。「TFF」はその後も音楽的な領域を拡張し、広大な音空間を表現できる大きな存在へと成長して行きます。その頂点曲は今回冒頭で掲載した「シーズ・オブ・ラブ」(1989)、この曲を初めて聴いた時「これはまさにビートルズの中期サウンドではないか!」と目を丸くしました。まさに「リヴォルバー」「サージェントペッパーズ」「マジカルミステリーツアー」の頃のサイケデリックなビートルズが再現されており、曲調とアレンジはまるで「I am the Walrus」をモチーフにしているかのようなアップテンポな軽快曲です。このトータル性はまさに「サージェントペッパーズ」が再現されたかのようだ! 「TFF」はジャズやブルースからビートルズまで幅広いジャンルの音楽をこなすバンドとして彼らの評価が頂点に達した時代と言えましょう!同アルバムからのシングルには、フィル・コリンズがドラムで参加している「ウーマン・イン・チェインズ」(1989)や「Advice For The Young At Heart」(1990)などの名曲が続々登場。大作「シーズ・オブ・ラブ」の制作は5年間もかけたことを今回あらためて知って本当に驚きました。「TFF」の2人はまさにビートルズの再現を意識して音源の録音編集に拘り妥協を許さず創造を極めたのでしょう。その結果が米英ともに売上げ100万枚突破するという金字塔を成し遂げたのです。このグループはもっと後世に評価されてもいいと思うのですが・・。その後は2人は不仲となりカートが脱退して解散状態となりましたが、21世紀になってまた 和解し再結成をしています。最後の曲は彼らが大ブレイクした「ルール・ザ・ワールド」(1985)、この名曲を聴きながら彼らがもう一度「サージェントペッパーズ」を彷彿させるような超大作を期待したいものです。

  # by rollingwest | 2002-07-01 00:00 | 洋楽(ロック・POPS) | Comments(112)

「My Favorite Songs」(第18巻)

【My Favorite Songs】の過去紹介した記事一覧(INDEX)はコチラから
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★(113)ピンクフロイド 「エコーズ」(PART-1) (1971年) (2015.1.9公開)



c0119160_209518.jpg小生が最も愛する「ピンクフロイド」の最高傑作は1970年初頭に輩出した「原子心母」(第2巻:015)&「おせっかい」(Meddle)の2大アルバム・・・、小生にとっては今も偉大なる金字塔として永遠に輝いている崇敬の名盤です。世間一般的には歴史的NO1アルバムは「狂気」(the dark side of the moon)と評価されていますが、RWにとっては神秘性が欠ける印象を受け期待が裏切られた・・と当時はガッカリしてしまいました。それだけ「原子心母」「おせっかい」から受けた衝撃と感動がいかに大きかったのか・・と今あらためて思うのです。上記に紹介した「エコーズ」は名盤「おせっかい」(1971)のラストトラックであり23分30秒という当時では常識外れの長大曲(B面全てが単一曲)でした。ピンクフロイドファンから最も人気の高い本曲の冒頭は「ピィーン!」と響き渡る幻想音、デイヴ・ギルモアとリック・ライトが静かに語り合うようなツインリードでヴォーカルを展開し、唸らせられる素晴らしいギルモアのギタープレイ、ニックメイスンの大迫力のドラム(まるでボンゾの如し)、メンバー4人の持ち味が見事に溶け合った壮大な宇宙観が表現されています。「エコーズ」は、映画「2001年宇宙の旅」のBGMにも採用され、、映画ラスト23分映像とも完全にシンクロしていたのでした。今回紹介した「エコーズ」の映像(PART-1と2に分割)は、ポンペイ遺跡(イタリア)で無人観客でのライブを収録したエイドリアン・メイベン監督の映像ドキュメンタリーで、1973年にNHK番組「ヤングミュージックショー」で放映されたものです。当時は洋楽アーティスト映像を見られることは殆どなかったので、興奮しながら齧りつくようにTVに釘付けとなった高1時代の在りし日の自分が蘇ってきます。「おせっかい」は1971年に発表されピンク・フロイドが一大飛躍を遂げた作品であり、オープニングを飾る迫力のインストゥルメンタル曲は「吹けよ風、呼べよ嵐」!冒頭から風の音が20数秒流れた後に、ロジャー・ウォーターズによる不気味なベースが鳴り響き、リック・ライトのシンセサイザーとがコラボする印象的な楽曲で日本でも大ヒットしました。途中で聴かれる叫び声はニック・メイスンが「いつの日か、お前を細切れにしてやる・・」と悪魔のように唸っています。中盤のアコースティックな小曲群にもかなりの趣があり、「ピロウオブ・ウインズ」「フィアレス」(最後の群集シュプレヒコールはサッカーサポーターが勝利に酔いしれる歓声の如し)はピンク・フロイドのもう一つの顔・・、静謐サウンドの象徴曲とも言えましょう。RWがフロイドのメンバーの中で最も大好きだったのは「エコーズ」でリードヴォーカルを取っている「リック・ライト」(今はリチャード・ライトと呼ぶらしいが・・)でした。地味な存在ながらも初期フロイドにおいてライトのキーボード演奏(メロトロン、シンセサイザー等)は独自世界のサウンド形成に大きな役割を果たしていたからです。他プログレバンドの代表的キーボード奏者(キース・エマーソンやリック・ウェイクマン等)のように超絶的な速弾きや目立ったソロプレイを披露することはありませんが、全体を包み込むような幻想的なサウンドを奏でていたリックライトの姿(童顔で可愛らしい)が実に魅力的なのでした。それでは超大作後半の「エコーズ」(PART-2)を聴いて頂きその真髄を再度堪能してみて下さい。リック・ライトは初期ピンク・フロイドにおいては、シド・バレットと共に音楽的には主導的立場にありましたが、1970年代中盤以降はバンド内での存在感が薄くなっていきます。特にリーダーシップを執っていたロジャー・ウォーターズとの対立で相当にいじめられ、ついには1979年解雇される事態にまで発展しました。そしてピンク・フロイド脱退後は、ドラッグに溺れていき一時は地獄のような日々を送り、2008年に癌のため65歳で死去しています。しかし失意のままで亡くなったのではなく、晩年の彼は再びピンクフロイドに迎えられて幸せな時間を過ごすことができていたのです。1987年、デイヴ・ギルモアとニック・メイスンがピンクフロイドを再始動させ、ライトはアルバム「鬱」のサポート・メンバーとして参加、そして同年に開始したワールドツアーより正式メンバーとして迎えられました。ついに往年のメンバーと縁を取り戻せてよかったですね~、ライトさん!そして今回記事のLASTは、アコースティックバージョン版「エコーズ」を聴いて頂き、締めとしたいと思います。デイヴ・ギルモアが主体となったスタジオセッションで、2005年前後(彼らが還暦前後)の映像ではないかと思われます。大型音響機材は使わず手作り感で演奏しているにも関わらず、往年の壮大曲をほぼ忠実に再現しているのですから本当に驚かされました。そして嬉しいのはキーボードを演奏しているとリック・ライトが笑顔で元気に共演していること・・、仲間たちと楽しそうによき時間を過ごしている感じが伝わってくるではありませんか!癌で人生終焉を迎えたリックライトの脳裏には、ピンクフロイド時代のさまざまな出来事が走馬灯の如くよぎり、かつての同志達といい時間を過ごせた・・と最期は満足感に浸っていたのかもしれません。


⇒次回は、ビートルズ・サウンドの遺伝子を受け継いだ80年代の英国バンド「ティアーズ・フォー・フィアーズ」の「シーズ・オブ・ラブ」をお送りします。♪\(^◇^)/♪





★(112)サラ・ブライトマン 「クエスチョンオブオナー」 (1995年) (2014.12.28公開)

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c0119160_9301325.jpg何かもう遠い昔の様ですが、世界中が2014年W杯ブラジル大会に熱中していたのは僅か半年前・・、わが国民も「サムライブルー戦士達はベスト4に行けるのでは!」・・なんて、今から思えば大いなる勘違い(傲慢だったかも)をしていました。しかし高い目標を掲げて努力を重ねなければ大きな夢が叶えられないのも事実。今年最後(&新年冒頭)のRW洋楽マイフェイバリット曲は、日本国民にサッカー応援BGMとしてすっかり脳裏に刷り込まれているサラ・ブライトマン(英国ソプラノ歌手&女優)の「クエスチョンオブオナー」を聴きながら、夢が持てる2015新年を迎えてみたいと思います。曲名を聞いてピンと来ない人も、中盤サビの部分まで来れば殆どの人が「聴いたことがある!」と気付くことでしょう。2002 W杯(日韓共催)日本vsチュニジア戦から採用され12年間もTV(テレ朝系)で流れ続けており、またトヨタ・マークXのCM曲にも採用されたので耳覚えがある筈・・。オペラ名曲「アリア」(邦題:「さようなら、ふるさとの家よ」)で荘厳な雰囲気で始まり、衝撃的な導入部イントロ(バイオリン&シンセサイザー)から徐々に高まりドラマティックに変調、そしてバックコーラスと交錯する唸るギターのリフレイン(まさにハードロックの真骨頂)、クライマックス部分はサラ・ブライトマンのハイトーンヴォイスが感動的に響き渡ります。やがて曲は静けさを取り戻し、余韻の中で再び彼女はオペラ歌手へと戻り「アリア」の旋律が・・。そして最後はオペラ絶唱とともに劇的な幕切れで曲が締めくくられるのです。嗚呼・・、なんて素晴らしいオペラ&ロックの組曲!フルで聴きこむと、その計算され尽くされたアレンジの素晴らしさ、躍動感あふれる劇的な展開は何度聴いても感動を覚えますネ~。「オナー」とは和訳すれば「名誉」、その曲名の由来は騎士道の精神を現す決意の言葉から来ています。「これは生きるか死ぬかの問題ではない。名誉の問題である!まさにサッカー日本代表が「ドーハの悲劇」で涙に暮れたあの日から20余年、そこから這い上がり着実に進化・成長をし続けてきたサムライブルー!1998年にW杯初出場を成し遂げ、1次リーグ突破(2002、2010)、そして今回(2014ブラジル大会)は残念な結果でしたが「次回2018ロシア大会こそはベスト8以上の夢を叶えよう!」という応援歌として実に相応しい曲なのではないでしょうか!小生もその夢を叶えてもらうため、最近はカラオケのマイ定番に本曲を加えて絶叫しているところでございます。(笑) サラ・ブライトマン(1960年生まれ )は、1980年代にミュージカル女優としてデビューし輝かしい成功を収めました。その契機は1981年の新作ミュージカル「キャッツ」のオーディションでジェミマ役を射止めたことに始まります。その後、彼女は数多くのミュージカルに出演、1986年に「オペラ座の怪人」のヒロイン役として大ブレイク、さらに1996年にはアンドレア・ボチェッリとのデュエット「大いなる世界」(タイム・トゥ・セイ・グッバイ)が爆発的にヒットし、ついに彼女は世界的なメジャー歌手としの地位を築き上げました。1990年代以降は、現在世界的な隆盛をもたらしている「クラシカル・クロスオーバー」(クラシックとPOPS・ロックを融合させた独自の音楽スタイル)の第一人者として活躍しており、米国ビルボード・チャートのクラシックとダンスの両音楽部門で同時1位を獲得した世界唯一の歌手なのです。このルーツは1970年前後でロック音楽が融合発展した歴史にあり、彼女はピンクフロイド(プログレロック)やデヴィッドボウイ(音楽変化の最先端)、クイーン(ロックオペラ)などに大きな影響を受けていたのです。当時の熱きロックアーティスト達のチャレンジ精神や熱気がサラブライトマンに受け継がれ、ついにクラシックとPOPS・ロック融合の頂点が極められたとは・・何と素晴らしいことではありませんか!サラブライトマンは日本に対して非常に深い親しみを持ってくれています。1991年のNHK紅白歌合戦に出演し「オペラ座の怪人」を歌い、2007年にはポケモン映画主題歌「ビー・ウィズ・ユー 〜いつもそばに」を披露、2009年はNHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」の主題歌「Stand Alone」(久石譲作曲)を、 2013年では「となりのトトロ」のBGMとして有名な「風のとおり道」を日本語で歌ってくれているのです。そしてLASTは、シューベルトのクラシック名曲「アヴェマリア」とミュージカル名曲「ランニング」(ジュピター~栄光の輝き)(in 東大寺)で締めさせて頂きます。ジュピターはグスターヴ・ホルスト (英国作曲家)による組曲「惑星」から「木星」に歌詞をのせてアレンジした壮大な曲(日本では平原綾香が歌って有名になりました)、まさにオペラとロックが完全融合した最高に素晴らしい世界に引き込まれます。この曲は日本で開催された大阪世界陸上(2007年)の開会式で初お披露目された曲ですので、ご記憶の方も多いのではないでしょうか。またオリンピック大会の公式テーマ曲を2度にわたって歌ったアーティストは、サラ・ブライトマン(1992年のバルセロナ大会、2008年北京大会)が初めてです。やはりこの方は凄い~!もっともっと世界的にビッグな伝説的歌姫となっていくことは間違いありません。
(PS):いよいよ1月にサッカーアジア杯が開幕!「クエスチョン・オブ・オナー」を熱い応援歌に日本の連覇優勝を祈願しましょう!




★(111):ギルバートオサリバン 「クレア」 (1972 年) (2014.12.17公開)



c0119160_12124015.jpgギルバート・オサリバン・・、小生が彼の名前と風貌を初めて目にしたのは1972年、誰もが知っている最大名曲「アローンアゲイン」(全米1位)をひっさげて一挙に世界的ブレイクをした年です。「アローンアゲイン」のEP盤写真は刈り上げ髪型で鳥打帽を被りニッカボッカというアナクロな姿・・(帽子で頭でっかちが強調されて目つきもどこか変・・、曲芸一座の旅芸人かいな?)、当時はハードロック・プログレ・グラムロック全盛時代だったので、突然登場してきた時代錯誤の奇人変人にかなりの違和感を覚えたものです。しかし独特の感性を持つ不思議な人には一挙に魅せられてしまった!ピアノ・弦楽器を使った曲が多く哀愁漂う懐かしい曲調が多いのですが、アップテンポ曲もあったり陽気さも散りばめられたものも多く、その音楽性の幅広さに感心したものです。当時はポールマッカートニーの再来とも言われ、ポール本人も後継者として認めたほどのシンガーソングライター(アイルランド出身)だったのですよ!デビュー曲「ナッスィング・ライムド」(1971)が収められた「ギルバート・オサリバンの肖像」(ジミーペイジもアコースティックギターで参加!)は完成度が高く、コアなファンはこのアルバムが最高傑作と称賛する方も多いようです。冒頭に紹介した「クレア」(アローンアゲインに続いて大ヒットしたナンバー)は、口笛から始まり幼女の笑い声で終わるほのぼのさ・・、優しさと温かみが伝わってきて実に印象的な名曲でした。クレアとは当時3~4歳の実在した女の子(オサリバンと鉄壁コンビだったマネージャー・ゴードンミルズの末娘)で彼は大変可愛いがっていたようです。「アローンアゲイン」(哀愁曲)⇒「クレア」(ほのぼの曲)に続いて放った第3弾はノリのいいリズムでヒットした「ゲットダウン」(1973)、この曲も大好きでしたね~!しかし1970年代中盤になるとすっかり彼の音信は不通になってしまいました。実は今回記事の執筆で初めて知ったのですが、鉄壁コンビだったゴードン・ミルズ(クレアの父親)がロイヤリティを多く取り過ぎており、2人は訴訟争いを繰り広げていたとのこと。こんな状態ではまともな音楽活動ができなかったのも当然か・・と今になってようやく理解した次第。小生にとってはオサリバンは1970年代初頭だけで輝いた閃光的なアーティストのイメージでしたが、1980年には「ホワッツ・インア・キッス」のヒットで復活し、1990年代には7回も来日を果たしていたこともあらためて知りました。TVドラマ「あの日の僕をさがして」という番組の主題歌に「トモロウ・トゥデイ」(1980)という曲が使われ国内でオサリバンブームが再来していたようです。長かった訴訟争いは結果的にオサリバンが勝訴して損害賠償額700万ポンドを受け取ったようですが(敗訴したゴードンミルズは1986年に死去)、その後の彼にはヒットチャートを賑わすこともなく今に至っています。時が経つのは早いもの・・、当時可愛い盛りのクレアももう40歳後半を迎えているわけか・・・。クレアおばさんは、2人の争いを目のあたりにしてどのような心境で40数年間を過ごしたのでしょうか?自分を歌ってくれた心あたたまる愛の歌「クレア」や「Happiness is me and you」などの名曲を聴きながら余計に悲しくなったことでしょう。最後の曲はやはり師走を迎え季節感にあわせて、オサリバンの「クリマスソング」で終えたいと思います。嗚呼、光陰矢の如し・・



★(110):シカゴ 「流血の日」(someday) (1969年) (2014.12.6公開)



c0119160_21134820.jpgRWが本格的に洋楽に嵌ったのは1970年(ビートルズ解散直後の中学2年)・・、初めてLPレコードを購入したアーティストは①S&G、その次が②エルトンジョン⇒③「シカゴ」⇒④ピンクフロイド⇒⑤ツェッペリン(⑥・・以下省略)の順番でした。ビートルズの方は、弟をたぶらかし「歴史的名盤を集めるのはお前の役目だ!」と命じて彼の小遣いから購入させ、小生の方は1969年から登場してきた新進気鋭のロックアーティスト達の話題盤を次々とGET、日々進化し発展していく1970年初頭ロックの激動パワー・うねりをリアルタイムに体験していったものです。この時代のロックはジャズ・クラシック・ラテン・アフロ音楽等、異分野との融合が次々と進み、ハードロックやプログレと並んで「ブラスロック」(BS&T、シカゴ、チェイス)も一大ジャンルとして世界を席巻していました。現在はBS&Tが唯一頑張っている印象かな・・。シカゴといえばAORバンドと認識する方が殆どと思いますが、RWにとっては1970後期以降の彼らは完全変節してしまった姿としか映りません。確かに美しいバラードのシカゴも嫌いじゃないけど・・、初期名盤(Ⅰ~Ⅲ)のワイルドさ・反骨心の衝撃が多感な時代の脳裏に深く刻まれ体に染みついてしまったため、到底同じバンドだとは思えないのです。ロックにブラスを取り入れた先駆的な存在、社会矛盾を突いた反体制の姿勢を鮮明にして愛・自由を叫んでいた熱い血潮のワイルドな初期シカゴ・・、今回はデビュー盤(2枚組の大作)から数々の名曲を紹介し、ありし日の彼らの真髄(凝縮された情熱)を十分に堪能してもらいたいと思います。冒頭に紹介した名曲「流血の日」(someday)は1968年夏の民主党大会(シカゴ開催)で「ベトナム戦争反対」のデモ隊と警察・軍がぶつかり合う生々しいシーンから始まります。対峙していく両者の背景には重々しく迫力あるシカゴBGMが刻々と迫り、ブラス音が炸裂して曲は一挙に疾走を開始、クライマックスへと向かっていくのです。冒頭と中盤に響き渡る群衆のシュプレヒコール「The Whole World is Watching!」(世界がこの権力暴挙を見つめているぞ!)・・、この衝撃曲で強烈な感動を受けたRWは完全にシカゴに圧倒されてしまいました。ジェイムズ・ウィリアム・ガルシアをプロデューサーに迎えデビューを果たした1st盤「シカゴの軌跡」(1969)は壮大なるコンセプトアルバムの風格を讃えています。当時は「シカゴ・トランジット・オーソリティ」という長いグループ名で「俺たちはこんなバンドなんだぞ!」と自信に満ち溢れた自己紹介曲「イントロダクション」が冒頭を飾り、ヒット曲としても有名な「一体現実を把握している者はいるだろうか?」「ビギニングス」そして初期の最大ヒット曲「クエスッチョンズ67&68」へと繋がっていきます。まさにロバートラムの鋭い感性と曲作りの豊潤なセンスが冴えわたっています。そして初期シカゴのサウンドを牽引していたのが名ギタリストとして称賛されたテリー・キャスの迫力あるギターソロ(超名曲「長い夜」でも炸裂)、彼がいぶし銀のギターワークがブルージーに唸り奏でられる組曲「ポエム58」は実に見事!これこそ1969年ロックの究極の姿だ・・!そしてピーター・セテラのベースで始まり、テリー・キャスのギターが真骨頂を見せる「アイアムアマン」はアフロな雰囲気(サンタナ風)も濃厚に漂うブルースロックの長大名曲!ジミ・ヘンドリックスやジャニス・ジョプリンも唸らせたと言われるテリーキャスのギターワークは初期シカゴの象徴そのものでした。しかしそのテリー・キャスは1978年、突然、悲劇的な死を迎えてしまいました。交遊者パーティにおいて、彼が余興のノリで38口径リヴォルバーを友人に示しながら「銃弾は入っていないよ」とこめかみに当て引き金に指を掛けた途端に暴発してしまったのです。享年31歳、薬物・アルコール依存だったとも謂われますが、今になっては真相は闇の中・・。根幹メンバーを失ったシカゴは迷走状態に陥り、80年代AOR路線で復活するまでは苦境状態が続いたのです。今回記事のフィナーレは壮大なるブルースロックの真髄が満ち溢れているテリー・キャスの究極轟音プレイ「フリーフォームギター」で締めましょう。まさにジミヘンばりにギターを唸らせ続ける大迫力演奏には完全圧倒されてしまいます!AORで頂点を極めたシカゴもいつか掲載しようと思ってはいますが、まだまだ初期シカゴの魅力を継続紹介して皆様に堪能してもらいたい!次回は2nd名盤「シカゴと23の誓い」から「長い夜」をメインとしたレポートをお届する予定。

  # by rollingwest | 2002-06-01 00:00 | 洋楽(ロック・POPS) | Comments(130)