RW/洋楽コーナー:「My Favorite Songs」 (第4巻)

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★(041):レオセイヤー 「遥かなる想い」(When I Need You)   (1977年)  (2012.7.22公開)


c0119160_13195651.jpg今回は、1970年中期~1980年初頭にかけて大活躍した英国出身のアーティスト「レオ・セイヤー」を紹介したいと思います。今はもう知る人は少なくなりましたが、当時はギルバートオサリバンやキャロルキングらと並び称賛されたシンガーソングライターで数々のヒット曲を放っていました。1973年にデビュー、英国で着実なヒットを重ねていましたが、1976年リリースの「恋の魔法使い」がついに全英・全米NO1に輝き、彼は一挙に世界的に有名なアーティストとなりました。当時のディスコブームも意識し躍動的な曲調、とてつもないハイトーンヴォイスとピエロのような風貌が実に衝撃的だったなア・・。さらに連続して全英・全米NO1ヒットとなった曲がこの「遥かなる想い」(When I Need You )。「恋の魔法使い」とは一転、低いキーで対照的な甘いメロディを物悲しく切実に歌い上げていました。実はこの名曲はアルバートハモンド(カリフォルニアの青い空で有名)&キャロルベイヤーセイガーの一流ライターによって作曲されたものです。レオセイヤーが大ヒットさせたことで、その後に超有名アーティスト達(ロッドスチュワート、ペリーコモ、バリーマニロウ、セリーヌディオン)が次々にカバー曲として取りあげてきたのです。彼はスリードッグナイトに「ショーマストゴーオン」の作品提供したり、自らもその後ヒット曲(「星影のバラードなど」)を数々放っていましたが、83年アルバム「Have You Ever Been in Love」以降、音楽活動を休止しました。エルトンジョンやビリージョエル等と比較すると影が薄いかもしれませんが、パワーある声(男性にしては高音が伸びる独特の歌い方)、抜群に安定した音程などが素晴らしく、今も大好きなアーティストの一人です。




★(040):キングクリムゾン 「21世紀の精神異常者」  (1969年)  (2012.7.10公開)


c0119160_613397.jpgビートルズ解散前のLAST金字塔「アビーロード」をNO1の座から蹴落とし、ビートルズ時代を終焉させたといわれる2枚のアルバムがあります。「クリムゾンキングの宮殿」&「レッドツェッペリンⅡ」まさにハードロック&プログレの夜明け、1969年の象徴的な主役交代の節目となりました。 無名の新人バンド「キング・クリムゾン」の1stアルバム(鼻の穴を広げた驚愕の顔の絵が描かれた印象的なジャケット)はまさに狂気と混乱に満ちたロック史上最高の衝撃的な登場でした。オープニング曲「21世紀の精神異常者」(21st Century Schizoid Man)は極度に歪んだメタリックギター、複雑な超絶ドラミング、電子音効果で処理されたスクリーミングヴォイス、まさにプログレシッブロックの萌芽期を代表する強烈かつ完璧な作品と言えましょう。この映像は1969年クリムゾンがデビューしたての頃、ローリングストーンズの前座としてロンドンのハイドパークに出演した貴重なる映像です。電子音にかぶされたグレッグレイク(のちにEL&P・エイジジャで活躍、この映像は若々しいネ~!)の荒々しいボーカル、イアンマクドナルドの激烈サックス、細かく切れ込み畳掛けるマイケルジャイルズのドラム、クリムゾンの連綿たるリーダーとなったロバートフィリップのハードプレイギター、曲作詞を担ったのはピートシンフィールド。JAZZ・クラシックとの融合を目指した新鋭グループは斬新なチャレンジ精神を前面に押し出しながらも、ベトナム戦争への反骨姿勢・反体制の熱気も十分に感じられます。クリムゾンはその後ロバートフィリップを中心にしてメンバー変遷と音楽性の変化を積み重ねていきますが、やはりこの衝撃的なデビューアルバムはロック史の金字塔として永遠に語り続けられていくことでしょう。そして名盤は「墓標:エピタフ」「ムーンチャイルド」を経て、最後はアルバムとグ゙ループ名を冠した曲「クリムゾンキング゙の宮殿」で壮大な展開と余韻を織りなしながら激しい曲調の中で幕を閉じていきます。



★(039):ドンマクリーン 「アメリカンパイ」  (1972年)   (2012.6.28公開)


c0119160_663712.jpg中学3年の小生がブラスロックやプログレに夢中だった1972年、日本の年間洋楽シングルチャートの1位はロバータフラック「愛は面影の中に」、2位はギルバートオサリバン「アローンアゲイン」、そして3位は今日掲載したドンマクリーンの「アメリカンパイ」でした。因みに4位はニルソン「ウィズアウトユー」。1970年代を代表する名曲がこの年に顔を揃えていたのです。「アメリカンパイ」は、8分36秒という長い曲にも関わらず全米No.1(1971年)となり590万枚も売れ、2000年にはマドンナもカバーし現在まで米国人に愛され続けている名曲です。1959年2月、ロック創世期のスーパースター(バディーホリー、ビッグボッパー、リーッチーヴァレンス)が飛行機事故で亡くなりました。NY出身の孤高のシンガーソングライター「ドンマクリーン」は、尊敬するバディの命を奪った事故をこの曲の中で「音楽が死んだ日」と歌い上げました。作品の歌詞は「謎の迷宮」とも呼ばれ、ボブディラン・エルヴィスプレスリー・ビートルス・ローリングストーンズ・バーズ・ジェームスディーンなどが登場、アポロ計画・核戦争なども交錯して歌われ、60年代の悩める米国を読み解くように表現した大作とも言われています。彼は懐かしき1950年代ロックが終わった節目を哀愁として捉え、また10年後の1969年も反骨精神のロック時代は終わった(Jの悲劇でジミヘンドリクス、ジャニスジョプリン、ジムモリスンなどのスーパースターが次々に死亡)と歌っているのかな? ロック音楽史で刻まれる1959年&1969年の出来事はやはりロックが変化し生まれ変わって行った節目だったのかもしれません。1970年代ロックが好きな小生も垢抜け過ぎている80年代ロックには今一つなじめないので、1980年を節目・・とか伏目がちに呟いてみようかな・・。チョット無理やりかな?でもこの年はジョンレノンとジョンボーナム、偉大なる2人のJが亡くなっているぞ・・!



★(038):10CC 「アイム・ノット・イン・ラヴ」 (1977年)  (2012.6.17公開)


c0119160_637479.jpg映像作品の様な音楽空間を構築した1970年代を代表する英国(マンチェスター)のユニット「10CC」、洋楽史に名を残した佳曲「アイム・ノット・イン・ラヴ」は才能溢れるこの創造的なグル-プによって生み出されました。幻想的なこの名曲はエリックスチュワート&グレアムグールドマンのコンビ(POP・メロディアス路線)による作品です。10CCは結成時は4人グループであり、他の2人は「音の魔術師コンビ」とも呼ばれたケヴィンゴドレー&ロルクレームでした。10CCは、職人技的なヒットメーカー(エリック&グレアム)と、独特な音色を模索する未来派(ケヴィン&ロル)の2組の混成チームだったのです。現代はコンピュータ発達(デジタル革命)でいかなる音でも生み出せますが、その直前時代にアナログながらも高度な録音技術を駆使し幻想曲を創作した驚異のグループでした。バンドとしてツアー活動も重要視するエリック&グレアム組と、スタジオ制作に集中したいケヴィン&ロル組で双方の意見対立が激化。レコード制作は4人で行うがツアーはエリック&グレアムだけで行くという暫定合意でかろうじてバンドは保たれていましたが、小生が最も愛する名曲「恋人たちのこと」のリリースを巡ってバンド分裂へと向かってしまいました。斬新な音を求めるケヴィン&ロルにとって、このような正統派の美しいメロディラブソングは性に合わんと拒絶して脱退して行ったのです。しかし分裂後の10CCは2人が抜けた穴を微塵も感じさせず、POP感覚溢れた素晴らしい曲を多く創作していきました。小生が夢中になって聴いた10CCは、「愛ゆえに」「恋人たちのこと」「フォー・ユーアンドアイ」そして・・、「アイム・ノット・イン・ラヴ」、エリック&グレアムを中心としたメンバーのイメージですネ~。そして彼らが生み出した数々の名曲は短い期間の閃光ではあったものの、今も燦然とロック史に輝き続けているのです。



★(037):イエス 「危機」(盛衰:I Get Up I Get Down ) (1972年)   (2012.6.6公開)


c0119160_539133.jpg小生がロック史の最大傑作と崇めているアルバムは、イエスの「危機」(CloseToTheEdge)。1970年初頭はまさに英国プログレシッブロックが開花し、ピンクフロイド・キングクリムゾン・EL&Pなどがクラシック・JAZZを融合させ、大げさで芸術的なコンセプト世界を極め競い合っていました。1969年デビューし独自世界を着々と築いたイエスは、「こわれもの」(1971年)で世界的な評価を得て、そして翌年に歴史的な大作アルバム「危機」(第5作目、LP両面で3曲のみ)を結実させたのです。タイトル曲はA面だけで1曲、神秘的な詩や壮大な曲構成で細部にまで凝った緻密なプレイが施されたクラシック交響曲の様な一大傑作でした。小川のせせらぎ・小鳥の囀り声のイントロで始まり、力強く躍動感を漲らせ主題を提示。中盤はパイプオルガンの荘厳なる幽玄世界。再びバンド疾走の演奏へと戻り、ハモンドオルガンソロを経て頂点を極める感動のクライマックスへと登り詰めていきます。掲載曲・PARTⅢ「I Get Up~、I Get Down~」から、LAST曲「人の四季」へと受け継がれエンディングへの壮大な展開はまさに完璧!そしてB面は小生が最も愛する名曲「同志」(And You and I)、スティーブハウのアコースティックギターとイエス叙情詩世界に魅了されます。最後は迫力・圧巻の壮大な世界「シベリアンカトゥール」で幕を閉じていくのです。イエス黄金期のメンバーは、ジョンアンダーソン(少年の様に澄み切ったボーカル)、スティーブハウ(崇高なギターテクニック)、クリススクワイアー(畳掛ける重低音ベース)、リックウエイクマン(イエスサウンドの根幹、多彩にシンセサイザー、メロトロンを華麗演奏)、ビルブラッフォード(シャープでタイトなドラム、本作を最後に脱退しクリムゾンへ移籍)。この黄金メンバー5人で2003年再結成で来日、彼らのコンサートに駆けつけ生サウンドを初体感(30年経ても変わらず)して感動的な時間に浸ることができました。イエスは小生にとって、永遠なる完成されたロックバンドとしていつまでも心に刻み続けられています。





★(036):ビージーズ「若葉の頃」(First of May)  (1969年)   (2012.5.26公開)


c0119160_8344285.jpg「ビージーズ」のロビンギブ(62歳)が5月20日肝臓ガンで亡くなっちゃいましたねエ・・。ビージーズを支えてきた長兄バリーは3人の弟(2003年:モーリス(ロビンと双子)53歳、1988年:末弟アンディ30歳)を若くして全て失いついに一人ぼっちとなってしまいました。1億枚以上のレコードを販売し世界で最も成功したPOPグループ「ビージーズ」( 英領マン島出身)は、初期は美しいメロディのコーラスグループでしたが、1970年中盤に突然ディスコ路線に変身し復活大ブレイク!「ステンアライブ」「恋のナイトフィーバー」「愛はきらめきの中に」などの世界的ヒットを次々に放ちその栄光を不動のものとしました。しかし我々世代のビージーズといえばやはり映画「小さな恋のメロディ」(1971年)ですね~!「メロディフェア」「インザモーニング」そして今回掲載した「若葉のころ」(First of May)・・・。マークレスター&トレシーハイドが初恋に陥りトロッコを漕いで2人で旅立つのメルヘン世界でした。なぜか本国では不発、日本だけでヒットした映画(日本人の琴線に触れたのですかね~)でした。2人が新緑の中ので初デートするシーン、背景に流れていたこの名曲、まさに思春期の象徴的でありましたな~!(プッ、誰~?噴き出している奴は・・?)小生はやはりビージーズの1960年代後半から1970年初頭にリリ-スされた哀愁名曲(「マサチューセッツ」「ホリデイ」「マイワールド」等)が今でも一番好きです。このユーチューブでは亡くなったバリーが優しい声で歌いあげ栄光なる兄弟コーラスで素晴らしいハーモニー世界を見せており、彼らの名曲はこれからも折を見て数多く紹介したいと思います。親友らと時たま開催する洋楽カラオケ歌いまくりでは毎回この「若葉の頃」をチョイスしますが、50半ばの中年オヤジが自己陶酔して熱唱する姿をいつも皆に大笑いされてしまいます。こうなったら「枯れ葉マークの頃」になっても意地でもこの歌を熱唱し続けてやる・・!(苦笑)




★(035):アンドリューゴールド 「ロンリーボーイ」  (1977年)   (2012.5.14公開)


c0119160_5552311.jpg♪チャンチャンチャチャン・チャンチャンチャチャン♪、「ヒワズボ~インナ・サマーデイ!ナインティフィフティワ~ン・・・」、♪チャンチャンチャチャン・チャンチャンチャチャン、硬質なピアノ連打から始まる軽快なテンポ・心地良いリズム、そして後半のドラマテチックなサビまさに70年代の典型的なPOP名曲という感じがしますね~!ウエストコーストロックの黄金期を支えたシンガーソングライターの「アンドリュー・ゴールド」の最大ヒット曲「ロンリーボーイ」を紹介しましょう。(今は殆ど知られていない曲だと思いますが・・)大学時代、毎日のようにFENラジオで聴いていた本当に大好きな曲です。アンドリュー・ゴールドは、表・裏の両面からウエストコーストロックの黄金期を支えた功労者(リンダロンシュタット、JDサウザー、カーリーサイモン、カーラボノフ等の作品に携わったセッションプレイヤー)です。70年代後半ではソロ活動でも活躍を見せ1976年の2ndアルバム「What's Wrong With This Picture?」(ピーターアッシャーがプロデュース)から生まれたのがこの名曲「ロンリーボーイ」(全米7位の大ヒット)。1951年カリフォルニア州生まれの彼の自伝を詩にしたといわれます。しかし彼はすでに昨年死去(心臓発作・享年59歳)し今年6月3日に1周忌を迎えることになりました。こんな見事な構成曲は滅多にありませんね~!後半途中で盛り上がる泣きのギタープレイと両親に別れを告げる歌詞もよかった・・。「グッバイ・ママ~、グッバイ・パパ・・、グッバイ・ユ~!」・・、他には「気の合う二人」(Thank You for Being a Friend)も好きだったナア・・。「コージープレイス」も佳曲ですよ。今も天国でも軽快にNiceな名曲を沢山歌っていますか~?ご冥福をあらためてお祈りいたします。ソー・ロング、アンドリュー!




★(034):キャメル 「ブレスレス(神秘の女王)」  (1978年)  (2012.5.4公開)


c0119160_1285580.jpg1970年代終盤、叙情派プレグシッブロックと称された「キャメル」、彼らが発表した1978年「ブレスレス(神秘の女王)」は小生が最も気に入っているお宝物の名盤です。キャメル最高傑作として誉れ高いアルバムと言われるだけあって佳曲の連続(メロディアスなバラード、テクニカルな幻想ナンバーなどが満載)に堪能されてしまいます。まずは冒頭から美しいギターナンバーで始まるメロディアスなテーマ曲「ブレスレス」(今回の紹介がコレ)、本当に素晴らしい曲ですネ~!メロトロンやフルートに彩られた世界に一偏に嵌ってしまいました。その次は長いインストルメンタルが続く圧巻の「エコーズ」、アンドリュー・ラティマーのギターソロと続くピーター・バーデンスのキーボード、演奏もメロディも最高!これこそ叙情派プログレの王道曲っていう感じ。その他も素晴らしいストリングアレンジ曲、インストルメンタルなフュージョン曲が次々と展開されていき、ついにラストナンバーは「レインボウズ・エンド」で余韻を残しながらフィニッシュを迎えます。初期キャメルは今聴いても本当に素晴らしい~!あまり有名ではないグループですが、皆さんも是非とも一度聴いてみて下さい。




★(033):ザ・バンド 「ウエイト」  (1969年)  (2012.4.24公開)  


c0119160_6141742.jpg4月19日、「ザ・バンド」のドラマー兼ヴォーカル「レヴォン・ヘルム」の病死ニュースが報じられました。我が友しむけん様から昨年秋にザ・バンドをいつか取りあげてほしいとリクエストを受けていましたので、急遽予定を変更し彼らの代表曲「ザ・ウェイト」(1970年名画イージーライダーの挿入曲)を紹介します。初期はボブディランのバックバンドであり、伝説のロックフェスティフィバル「ウッドストック」にも出演した「ザ・バンド」。カナダ出身でありながら米国南部の泥臭い雰囲気で「米国そのもの」と讃えられるサウンド(カントリー・ゴスペル・R&Bの様々な音楽ジャンルが渾然一体となった豊かな響きを醸し出す)は、今なお多くのミュージシシャンから尊敬を集めています。代表曲を多く歌ったレヴォンは、正にバンドの中心的存在。先日BS番組「Song to Soul」で彼の言葉が紹介されていました。「子供の頃はジュークボックスこそが音楽供給源だった。父親と町に出た時、小銭をもらいジュークボックスの傍に座りずっと耳を澄ましていた。本当に美しかった。」 映画「ラスト・ワルツ」(1976年:ドキュメンタリー映画)を最後にバンドは解散しましたが、その後レヴォンは4枚ソロアルバムを出し、死の直前まで精力的に後進アーティストの育成活動に携わり、正にアメリカン・ロックの良心であり続けました。冥福を祈念!しむけん様からお気に入り曲としてリクエスト頂いた「ロッキングチェア」と、りりん様の手作りユーチューブ「優しい雨のように」も追加しておきますね~!

  # by rollingwest | 2001-04-01 00:00 | 洋楽(ロック・POPS) | Comments(56)

RW/洋楽コーナー:「My Favorite Songs」 (第3巻)

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★(032):レニークラヴィッツ「ロンクンロールイズデッド」   (1995年)  (2012.4.14公開)


c0119160_8591331.jpg1980年代末、「自分はジミヘンやジョレンノンの信望者だ!」と敢えて宣言し登場した黒人アーティストがいました。過去合計9枚のアルバムを発表、世界で総売上3500万枚以上を記録し、グラミー賞を4度受賞の輝かしい経歴を誇るロック・レジェンド「レニー・クラヴィッツ」。知らんなア・・という人も彼の代表曲「自由への疾走」(Are You Gonna Go My Way)は聴いたことがあるでしょう。日産車CMソングや「みのもんた朝ズバ!」オープニングで有名な曲。 孤高の天才「レニー」は1970年前後のロックスタイルを貫く革命児。今年4月14年ぶりに単独来日、「Black&White Japan」ツアーを展開しました。今回の紹介曲は95年発売の4thアルバム「サーカス」からリリース、グラミー賞「最優秀男性ロック歌手部門」も受賞した「ロックンロール・イズ・デッド」。映画「オースティンパワーズ」の挿入歌で使われた曲。「ロックンロールは もう死んだ!」と叫び、矯めの効いた土臭いファンキーなジミヘン風ギターリフ、重いリズムセクションが畳掛けるイントロ幕開け!「ロック本来の姿」を求め続けるレニークラヴィッツ、ここにあり!「アイルビーウェイティング」もお気に入りです。






★(031):カーペンターズ 「青春の輝き」  (1976年)   (2012.4.3公開)


c0119160_21275411.jpg我青春のBGM「カーペンターズ」、中学~大学生時代まで二人の美しいコーラスをリアルタイムに聴いて青春を過ごしハタチに・・。何も起こらなかった寂しいわが青春・・(苦笑)、数々の名曲は自分の心を今も癒してくれます。1969年デビューの兄妹デュオ初の曲「遙かなる影」(close to you)が初購入EPレコードでした。当時はバートバカラック秘蔵ッ子と言われましたが、その後は2人の力で「トップオブザワールド」「スーパースター」「シング」「イエスタディワンスモア」等の名曲を次々に放ち70年代を代表するアメリカンPOPSの最高峰に登り詰めました。1983年拒食症により32歳の若さで急逝したカレン、1976年リリースの「青春の輝き」は彼女が最も気に入っていた曲でした。「気付くのに時間が掛かった。私は恋をするべき時間を無駄にしたことは分っている。完璧を求めたお馬鹿さんの私、真面目に走り過ぎていた。蒔かない種は生えはしない。気付くまで随分と高くついたみたい・・。」ユーチューブ「青春の輝き」では、カーペンターズが大ブレイクしても、多忙の中で寂しさ・空疎な気持ちが出ています。兄妹の表情、移動する飛行機座席の中で恋するカップルを見て羨む心情が・・、「青春の輝き」の曲名とは正反対の心情・・。70年代に世界制覇した偉大なる姉妹、栄光の彼らとは全く反対のRWですが、甘い「青春の輝き」がなかったという点では一緒だなア・・。無理矢理こじつけた・・。(苦笑) 



★(030):ビートルズ 「サムシング」  (1969年)   (2012.3.25公開)

c0119160_4594160.jpgビートルズ最後の金字塔「アビー・ロード」に収められた「サムシング」。言うまでもなく、「ヒアカムザサン」 と並びジョージハリスンの代表曲ですね~。中期までジョンとポールの影に隠れサイレントビートルと揶揄されたジョージは後期になり作曲能力の才能を開花させました。「ギターは泣いている」「ヒアカムザサン」は毎回洋楽カラオケで小生が歌う定番名曲。ユーチューブはビートルズ4人の妻が全員出演、カップル4組の当時の表情が窺えてお宝物映像!ジョージ&パティ、ジョン&ヨーコと、ポール&リンダ、リンゴ&モーリン・・、各4人とも伴侶とラブラブな状態に見えます。その後4人とも離婚・死別など色々とありましたが・・。でもこの中で一番魅惑的な美人女性はやはりパティ・ボイドだね~!実に可愛らしい。ジョージは親友エリッククラプトンに妻パティを寝取られますが、以後も「ギターは泣いている」など数々の名曲コラボで友情維持したのだから偉いというか・・(苦笑)。実は「サムシング」はパティ由来の名曲だったと知り驚きました。ジョン&ポールに追いつこうと焦っていたジョージは中期時代「インド音楽」へ領域を広げしました。マハリシュ・マヘシュ・ヨギを紹介したのはパティですが、ジョージはインドに一挙傾倒し瞑想やシタール修行に没頭、パティは二の次になったのです。寂しくなった彼女は何とか夫の気持を自分に向けようとクラプトンに相談したのです。到達結論は「やきもちを焼かせよう!」・・。クラプトンは親友ジョージ夫妻のために喜んで協力、自ら「あて馬」を買って出ました。パティ&クラプトンの作戦は見事成功し、ジョージは再び彼女の元に戻ってきたのです。「サムシング」はジョージがパティに贈ったラブソングでした。しかし今度は、クラプトンがパティに本気になってしまい、彼女への募る思いは増す一方・・、ロック史名曲「いとしのレイラ」はクラプトンがこの悩ましき気持をぶつけて叫び続けています。クラプトンは念願叶い漸くパティと結婚・・、しかし結果的には離婚・・。色事だけに色々あるネ・・(苦笑)エリッククラプトンがパティに想いを寄せて叫んだ曲「いとしのレイラ」は当記事4曲目




★(029):シンディローパー「タイムアフタータイム」  (1984年)   (2012.3.14公開)


c0119160_2229667.jpg「貴方がもし倒れたら、私が受け止めてあげる。何度も何度でも・・」、「シンディ・ローパー」初の全米1位に輝いた名曲「タイム・アフター・タイム」を紹介。彼女は今再び来日し東日本大震災被災地を訪れ励ましの活動を続けています。1984年デビュー曲「ハイスクーはダンステリア」でド派手姿で跳んだり跳ねたりで突然登場したチト年喰ったノーテンキなオネーチャン。その後「マネーチェンジエブリシング」「シーバップ」「トゥルーカラーズ」など次々にヒットを放ち、マドンナと並ぶ1980年代POPシーンの代表的な女性エンターティナー(グラミー賞も獲得)に成長。ファンキーなデビュー曲に相反し、この2ndシングルは叙情溢れ語りかけ心に響く名曲、幅広い音楽性に魅力を感じます。彼女は大変な親日家。売れなかった若いNY時代、定職なく困っていた時に日本レストランのオーナーに拾われ働かせてもらったことを非常に恩義を感じています。1995年阪神・淡路大震災にはチャリティー活動で来日。その彼女が、何と偶然にも昨年3月11日に東日本大震災に遭遇し我々と一緒にその恐怖をリアルタイムに共有体験していたのです。来日で成田空港に到着する時に大地震が発生、各地の空港は閉鎖され緊急措置で横田米軍基地に着陸。周囲は原発事故発生で米国に帰るよう促しましたが、彼女は「音楽の力で日本を励ましたい」と残ることを決め、ツアー強行。思い出せば1984年・・「USAフォー・アフリカ」のチャリティ活動(ウイアーザワールドの曲で有名)で彼女は中核的な存在として参加しています。いまだノーテンキなド派手オバチャンの雰囲気が強いシンディですが、実は慈悲深い観音菩薩様の化身かも・・。「鬼怒鳴門」(kiin・donarudo)の名で日本帰化したドナルドキーンさん同様、貴女は日本を深く愛する外国人の代表だったのか!



★(028):モンキーズ「素敵なバレリ」  (1967年)   (2012.3.4公開)


c0119160_80626.jpg2012年3月1日、我々世代の洋楽アイドル「モンキーズ」の最大人気者デイヴィージョーンズの訃報(享年66歳)。モンキーズは小生の洋楽の原点で、小学校3~4年に金曜夜7時TBS系で放映していた「ザ・モンキーズ・ショウ」を夢中で見ていました。売れないミュージシャン4人が繰り広げるドタバタコメディドラマは、POPかつ哀愁をおびた名曲の数々、三枚目エンターテイナーぶり、魅力満載のTV番組に釘づけ、洋楽興味の先駆けとなりました。モンキーズは英国ビートルズに対抗すべく、米国でオーデション募集により1966年に結成されたアイドルバンドでした。オーデションに勝ち抜いたデイヴィージョーンズ、マイクネスミス、ピータートーク、ミッキードレンツが選出され「恋の終列車」でデビュー!シンプルで理屈抜きのストレートなPOPサウンド、世界配信された「ザ・モンキーズ・ショウ」のTV番組は彼らを瞬く間にスターダムに押し上げました。メンバー4人のタレント性・音楽・TVのメディアアミックスの仕掛、どれも万全に機能して「モンキーズ」という一大産業が成立した訳です。日本でも毎回20%以上の高視聴率を記録、スゴイね~!我々の世代は洋楽に興味がない人も確実にモンキーズの名と懐かしい名曲(「デイドリームビリーヴァー」「アイムアビリーヴァー」「自由になりたい」(アイワナビーフリー)等の数々を共通に知っています。1960年代後半といえば、ビートルズを中心としたリバプールサウンド旋風が一段落、米国勢が巻き返しを図っていた頃。世界のPOPシーンが最も揺れ動いた時代だったかも・・。1967年ヒット曲「素敵なバレリ」は初期ビートルズを意識した1960年代らしい曲。歌い出しからPOPに弾けるビートとコーラス、デイヴィーの甘いヴォーカル。背が低くても、ハンサムで甘い声で我々を魅了し楽しい夢に導いてくれたデイヴィージョーンズ・・、少年の様な面影が永遠に脳裏に残ります。最後に懐かしの「モンキーズのテーマ」を聴きながら・・、デイヴィーの冥福を心より祈念・・




★(027):クイーン 「輝ける七つの海」  (1974年)   (2012.2.24公開)


c0119160_22112035.jpg伝説のロックバンド「クイーン」の初期名曲「輝ける七つの海」を紹介。デビューアルバム「戦慄の王女」(1973)と「クイーンⅡ」(1974)、彼らとの出会いは高校生の時、デビューアルバム「戦慄の王女 」の衝撃的な1曲目「キープユアセルフアライブ」のイントロを聴いた瞬間、一挙にクイーン世界の虜となってしまいました。綿密なアレンジと美しいコーラスワーク、スピード感溢れるパワフルサウンド、洗練された高い技術のゴージャスな多重録音・・、従来のロックにないクイーン独特のハイテクニック華麗サウンド世界が繰り広げられていたのです。グラフィックデザイナーのフレディ・マーキュリー(ヴォーカル)、天文学者ブライアン・メイ(ドラム)、歯科大学生ロジャーテイラー(ギター)、電子工学生ジョン・ディーコン(ベース)、インテリ集団4人が1971年クイーンを結成し新ロックスタイルを模索中でした。この曲は「戦慄の王女」でインストゥルメンタルバージョン。後にフレディのヴォーカル入り曲が英国シングルチャートでベスト10入り、「クイーンⅡ」のラストトラックも飾っています。結成デビュー後は本国イギリスでは全く評価されていなかったクイーン。ようやく 「輝ける七つの海」のヒットで人気が出始め、名曲「キラークイーン」(サード盤、シアーハートアタック)で大物バンドとなりました。その後は「ボヘミアンラプソディ」で展開する「オペラ座の夜」(1975)が世界的評価を受け、ロック史を飾る伝説的バンドとなったのです。今は若いリスナーにも大人気のクイーン、中・後期曲(ボヘミアンラプソディ、ウイアーザチャンピオン、ロックユー等)が有名ですが、小生はやはり初期が好きだな~!「輝ける七つの海」は美しい旋律(ピアノ・イントロ)でスタート、激しく奏でられるアップテンポで鋭い切れ味の展開曲、渋いギター・リフも実に素晴らしい~!見事にクイーンのイメージを表現した邦題!7つの海を支配した大英帝国「女王の国」のバンドのイメージアップに一役買いました。彼らは、日本のファンこそが自分達を最初に認めてくれた国として今も感謝しているのです。




★(026):ショッキングブルー「悲しき鉄道員」  (1970年)   (2012.2.14公開)


c0119160_6241153.jpg小生が洋楽に本格的夢中になった年はビートルズ解散の1970年でした。当時ヒット曲は、S&G「コンドルは飛んでいく」「明日に架ける橋」、オリジナルキャスト「Mrマンデイ」、ジェリーウォレス「マンダム・男の世界」、クリスティー「イエローリバー」、マシュマッカーン「霧の中の二人」等・・、懐かしい~!シルビーヴァルタンやダニエルビダルのフレンチPOPSと並び、オランダ勢も非常に頑張っていた時期。筆頭は「ショッキングブルー」!世界的ヒット「ヴィーナス」が余りにも有名ですが、今回は日本だけでヒットした名曲「悲しき鉄道員」。エキゾチックな雰囲気の女性ヴォーカル(マリスカ・フェレス)が歌いあげるリズム感ある曲調、哀愁帯びたギターとメロディ・・。不思議な魅力の曲は日本人の琴線を刺激したのかも・・。知らん~という方が多いでしょうが、「悲しき鉄道員」は「男の世界」(ウ~ン・マンダムとチャールズブロンソンが呟く)と1970年秋に壮絶なチャートを争い、当時ラジオに噛り付いた洋楽ファンは涙が出る程懐かしい名曲。鉄道員を賛美した歌と信じていたのに調べたら、実は「鉄道員とは決して結婚するな!」(Never Marry A Railroad Man)っていう歌詞。鉄道員さん、本当に悲しくなってしまうじゃないか~!(涙) 当時の洋楽曲邦題は「悲しき〇〇」とか「悲しみの〇〇」ってのがやたら多かったなア・・(笑)





★(025):ビートルズ 「インマイライフ」  (1965年)   (2012.2.4公開)


c0119160_7314446.jpgビートルズのデビュー50周年のセレクト曲は、小生が大好きな「インマイライフ」・・。先日、ユーチューブで名曲ベスト10を紹介済ですが、「ヘイジュード」がNO1に輝いており、全体の選曲・順位も常識的かなと思いました。「インマイライフ」は素晴らしい曲ですが、数多い名曲の中ではやや地味・マイナーな位置づけなので予想通りベスト10には入っていない。しかし調べると、EMIミュ-ジック・ジャパンの公式サイト「2011年版ビートルズ人気投票」企画では「インマイライフ」がなんと2位に輝いている!1位はやはり「ヘイジュード」ですが僅差だったらしい。「2009年リマスター発売記念・人気投票」でも2位の座(1位は「レットイットビー」)を獲得している。決してメジャーでないのに不思議な魅力があるのでしょう。格調高い間奏のピアノメロディ(バロック調)とハプシコードが印象的、1965年の名盤「ラバーソウル」に収めらました。ジョン・レノンが故郷リバプールの子供時代に住んだ地区(ペニーレーン)に思いを馳せて作った曲。ジョンの人生に対する姿勢や恋人・友人への思いを素直に歌いあげています。そうか・・、ペニーレーンって〇〇の雨みたいなイメージだったけどジョンの生れた街の地区名だったのか。「君との新しい愛を想う時、過去の思い出は全て意味をなくす」・・。温かい余韻・ノスタルジア溢れる詩や旋律、実に癒されます・・。過去紹介したビートルズ関連記事




★(024):レッドツェッペリン 「サンキュー」  (1969年)                (2012.1.24公開)


c0119160_22273134.jpg 「レッド・ツェッペリン」は、ブルースをベースとしたハードロックを確立し頂点に立ったロック史の伝説的なバンドですが、アコースティックな美しい佳曲も非常に多いことに気付かされます。最高名曲「天国への階段」がその典型例ですが、意外にもジミーペイジやロバートプラントはそのタイプの曲も好みらしく、積極的にアコースティックなナンバーを発表しています。彼らの金字塔アルバム「Led Zeppelin Ⅱ」(ビートルズの名盤「アビーロードをNo1の座から蹴落す)の4曲目に「サンキュー」という美しい曲が埋もれており、小生はこの曲こそ「天国への階段」と並ぶアコースティックZEPの双璧曲です。「ZepⅡ」は「胸いっぱいの愛を」「ハートブレイカー」等インパクトの強いハードロックナンバーが目立つだけに、対照的な「サンキュー」はある意味ナイスなバランスを与えています。「もし太陽が照らさなくても山々が海に崩れ落ちてもはお前を愛し続ける・・」、ロバートプラントが妻に捧げた情熱的なラブソング、彼が本格的に詞を書いた最初の曲で、40年前のメロディは今も全く飽きることはありません。ジミーペイジの美しいアコースティックギターとジョンポールジョーンズのオルガンが荘厳の雰囲気を与えていますが、それ以上に驚くのはやはりジョンボーナムの重厚に炸裂するドラム。まさにハードで圧巻・・・、かくなる静かなメロディ曲でもやはり「ボンゾ」(1980年32歳で死去)の強烈なドラムビートなしにはZEPサウンドが成立しないことがよく解ります。過去紹介した「レッド・ツェッペリン特集記事」はコチラから




★(023):ブレッド 「ギターマン」  (1972年)                  (2012.1.14公開)


c0119160_737535.jpg1970年代初期ソフトロックを代表するバンド「ブレッド」・・、もう世間の記憶からは忘却の彼方ですが、青春時代に夢中になって聴いたお気に入りバンドの一つ。デビッドゲイツ、ロブロイヤー、ジェームスグリフィンにマイケルボッツ(1stはジムゴードン)の4人が奏でる曲は一服の清涼剤、魅惑の美しいボーカル・ハーモニーに癒されます。「灰色の朝」「イフ」「愛の別れ道」「オーブレー」「二人の架け橋」「スイートサレンダー」「涙の思い出」など多くのヒット曲を生みました。日本で一番売れた名曲「ギターマン」は、美しくセンチメンタルなスチールギターと絡みつくバウギター、心地よい澄んだボーカル・・・。ブレッドは、ソフト&メロウ作風のDゲイツとハードナンバーを作るグリフィンの対比が魅力的なバンドですが、この曲はゲイツが奏でるソフトな世界。印象深いギターはラリーネクテルという有名なスタジオミュージシャンで、S&G「明日に架ける橋」でのピアノを弾いていた人と知ってビックリ!70年代前半はプログレやブラスロックなどロックが変化に挑戦し急進発展を遂げていました。そんな時代の中で、極めて簡潔な3分シングル曲づくりの姿勢を崩さず、最後まで見事に貫き通したブレッドというバンドに今も大きな魅力を感じます。

  # by rollingwest | 2001-03-01 00:00 | 洋楽(ロック・POPS) | Comments(70)

RW/洋楽コーナー:「My Favorite Songs」 (第2巻)

                 【My Favorite Songs】過去紹介記事一覧(INDEX)はコチラから
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★(022):ビートルズ名曲「トップ10ソングス」 (デビュー50周年記念:2012年)  (2012.1.4公開)



c0119160_2292269.jpg【掲載ユーチューブが削除され再掲載。順位と画像が一致せず御容赦!】
2012年はビートルズが「ラヴミードゥ」(1962年)でデビュー50年の節目。「ビートルス名曲ベスト10」をユーチューブで発見。冒頭曲は「抱きしめたい!」(1963年):彼らの魅力を世界に知らしめた曲(500万枚記録)。第10位「SGTペッパーズ・ロンリーハーツクラブバンド」(1967年):最高名盤の冒頭タイトル曲、ブラスセクション・多重録音効果の力強いロックナッバー。第9位「ルーシーインザスカイ」(1967年):名盤SGTに収められたLSD世界のサイケデリック曲、エルトンジョンもカバー。第8位「ヒア・カム・ザ・サン」(1969年):双璧金字塔「アビーロード」のジョージハリスン代表曲、アコースティックギター&シンセサイザーの響きが心地よい。第7位「エリナー・リグビー」(1966年):名盤「リヴォリバー」よりイエローサブマリンと両A面発売、グラミー賞歌唱部門の栄誉に輝いたクラシカル旋律曲。第6位「ヘルプ!」(1965年):映画「ヘルプ!4人はアイドル」主題歌で初期時代の絶頂曲。アイドル人気に辟易とし自分を見失う心の叫びを本気で「ヘルプ」と吐露。音楽性の転換点・分水嶺かも・・。第5位「ゲットバック」(1969年):解散寸前・スレ違い拡大のビートルズ現状を危惧したポールマッカートニーが「再び原点に戻ってやり直そう」の趣旨で始めた「ゲットバックセクション」の曲で歌詞中のジョジョとは当時ヨーコに没頭していたジョンレノン、「戻って来い~!」とCALL。第4位「カムトゥゲザー」:LAST名盤「アビーロード」冒頭曲、シュッの歌詞で始まるファンキーでブルージーなジョン後期の代表作。第3位は「愛こそはすべて」(1967年):世界同時中継でレコーディングシーンが紹介された永遠の名曲。簡潔シンプルに繰り返す愛のフレーズ。第2位はビートルズを代表するバラード名曲「イエスタディ」、弦楽四重奏とコラボするポールメロディは世界で最も多くカバーされた佳曲。そして第1位は・・、1968年リリースのビートルズ最大ヒット曲「ヘイジュード」。ポールがジョンの息子ジュリアンの孤独を慰める思いやり曲





★(021):ロッドスチュワート「セイリング」 (1975年)  (2011.12.25公開)


c0119160_6512490.jpg2011年は大震災・原発被害・台風被害・経済悪化・政治混乱・・、未曽有なる悪夢・混迷の今年を忘れ最後の曲は、次の未来の海を目指す意味でこの曲を・・。ロッドといえばしわがれ声で「アイムセクシー」等のノリいいロックンロールを明るくノーテンキに歌いますが、「胸につのる思い」等のバラード名曲も多く輩出。彼の有名なバラードは「セイリング」でしょう。カバーソングですがロッド独特の雰囲気でスピリチュアルな心境を歌いあげています。実は詩内容は、死に瀕した男が末期を迎え自分の人生を航海に例えて振り返り、天国に召される前に神への誓いを表現した歌なのです。悪夢に襲われた日本が大晦日・新年を迎えるにあたり、前向きに捉える「勇気づけの葬送歌」。「往く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず」・・、今体験する日常・自然環境・人生運命は一時・仮の姿とすれば、悪夢の年は早めに一区切りをつけ新航海に再出発すべき!生まれ変わった日本が心を切り替え荒波怒涛に向かい乗り切って行くことが大切!





★(020):ダンフォーゲルバーグ「懐しき恋人の歌」(Same Old Lang Syne) (1981年) (2011.12.15公開)


c0119160_618011.jpg洋楽アーティストのクリスマスソングには数多くの名曲がありますが、小生お気に入り曲はダン・フォーゲルバーグの「懐かしき恋人の歌」(名盤インノセントエイジ)。曲の詩は、クリスマスイブに昔の恋人(既婚)と偶然再会、暫し懐かしい昔に戻り楽しい会話を交わせた小さな幸福の一時の感情を歌いあげています。2人は学生時代に熱烈に愛し合ったのでしょう。各自が抱える現実苦悩を隠しながら、今もお互い何も変わらぬ純粋な面影を感じ合いました。決して戻れないイノセントエイジ(純粋な青春時代)をフラッシュバックしながら・・。やがて話も尽き、各自の日常に戻る現実を迎えます。別れのキスを受けた後に彼女の車を見送る一人ぼっちの自分・・、寂しく家路に着く切なさに胸が締め付けられる。気がつくとクリマスイブの雪はいつしか雨に・・。⇒LAST<蛍の光>(マイケル・ブレッカーノのサックスソロ) 映画1シーンの様な情景で泣ける冬の短編ストーリー、いつ聴いても感銘を受けます・・。「蛍の光」原曲はスコットラント民謡「Auld Lang Syne」ですが、曲題「Same Old Lang Syne」と「蛍の光」とが結びついた。ダン・フォーゲルバーグは70~80年代の米国ウエストコーストサウントを支えたシンガーソングライター、日本知名度は余りにも低いですが、本国アメリカでは高く評価。叙情的な歌詞と温かみと清潔感溢れる優しい歌声、小生が大好きなアーティストでした。名曲「ロンガー」「ビリーブインミー」も思い出深い・・。しかし彼は2004年、癌の病魔に侵され闘病の末、2007年12月17日クリスマスイブを待つことなく56歳の若さで逝去。孤高の吟遊詩人が奏でた美曲に流れる「蛍の光」、永遠に・・。





★(019):アバ「悲しきフェルナンド」 (1976年) (2011.12.5公開)


c0119160_22581064.jpg1970年代を代表するPOPグループ「アバ」(ABBA)、現在も世界的な人気を保ち続る北欧スェーデン出身の4人組は、シングル・アルバム3億7千万枚を超える世界的なミュージシャン、2010年にはロック殿堂入りをしています。「ダンシングクイーン」「マンマミーア」「チキチータ」など彼らの曲を聴いたことがない人は殆どいないと思います。彼らは夫婦2組のカルテット、グループ名は各4人のイニシャル(男:ビョルン&ベニー、女:アグネッタ&アンニフリッド)を並べたものです。男性デュエット「ビョルン&ベニー」は小生が中学生時代に夢中になって聴いた「木枯らしの少女」などのヒット曲を放っており、彼ら2人がアバの前身だと知ったのは20歳前後のこと。初めてアバを意識したのは1976年(大学1年)、FENラジオから流れてきたこの名曲「悲しきフェルナンド」を聴いてからです。アバは明るくPOPな曲が多いですが、当作品は米国テキサス州の「リオグランデ川」を舞台にしたアメリカ・メキシコ戦争を歌い、南米アンデスの雰囲気も感じられます。





★(018):ジョージハリスン「リヴィングインザ・マテリアルワールド」 (1973年)  (2011.11.25公開)


c0119160_0115424.jpg「静かなるビートル」と呼ばれたジョージハリスン。2001年に他界(享年58歳の若さで病死)してから10年の歳月が経ちました。ジョンとポールの影に隠れ地味な存在だった彼ですが、インド音楽に魅了され徐々に音楽の幅を広げていきます。最も輝いたのはビートルズ末期・ソロ時代、Eクラプトン等数々の有名ミュージシャンと交友を深め、「オールシングスマストパス」「バングラディシュコンサート」などロック史に大きな足跡を残しました。小生がジョージのソロで一番好きなアルバムは。「ギブミーラブ」の名曲を収めた「リヴィングインザ・マテリアルワールド」(1973)。このアルバムは地味で一般的には無名に近いですが、聴けば聴くほど味わい深い名盤!何とこのアルバムと同名のドキュメンタリー映画が特別限定上映公開していると知り早速(11/23)に鑑賞に行きました。 アカデミー 賞にも輝いた鬼才マーティン・スコセッシ監督(ローリングストーンズのシャイン・ア・ライトも製作)が描いた映像世界は非常に感銘深かった・・!映画構成は極めてシンプル、時系列にジョージの58年の生涯を辿るのみ・・。ビートルズの成功、人間関係の葛藤、インド音楽・精神世界への傾倒、妻パティが盟友クラプトンに陥る恋・・、バングラディシュ支援チャリティーコンサート、懐かしい映像や知らなかった事実(ガンに侵されていた時代に自宅侵入した暴漢に襲われ殺されかけたこと等)が続々登場!3時間半の長い上映(途中休憩あり)でしたが、ビートルズ時代からの名曲やポール、リンゴ、クラプトン達の生の声も聞け、本当に飽きることのない時間でした。インド宗教の精神世界で得た彼の心境を物質世界でロック新境地(この曲にもインド音楽のエッセンスが・・)を開拓し続けた映像はビートルズファンを確実に魅了します。ジョージはこの名盤の中で、パティがクラプトンのもとに走っていったことで「ザット・イズ・オール」(全ては終わったね・・)と寂しそうに歌い上げています。⇒映画「リヴィングインザ・マテリアルワールド」はコチラから





★(017):アランパーソンズプロジェクト「アイ・インザ・スカイ」 (1982年) (2011.11.15公開)


c0119160_22285022.jpg70年代のロックシーンをエンジニアとして陰から支え、やがて自らもミュージシャンとしてデビューし世界的な人気を博した「アランパーソンズ」を紹介します。彼はビートルズの「ホワイトアルバム」「アビーロード」「レットイットビー」、ピンクフロイドの「原子心母」「狂気」という歴史的名盤を手掛けて脚光を浴びました。その彼が1975年にエリックウルフソンと組み、セッションミュージシャンを加えながら「アランパーソンズプロジェクト」を結成し、プログレを彷彿させる質の高い多く作品を生み出しました。「エドガーアランポーの世界」という怪奇幻想物語テーマのデビュー盤はグラミー賞にノミネートされ、その後も数々のコンセプトアルバム合計10枚をリリースしています。壮大なスケールサウンドとPOPで聴きやすい音楽を展開し世界的な大成功を収めた彼らには多くの名曲がありますが、最大ヒット曲は「アイ・インザ・スカイ」ですかネ。まず1曲目「狼星」からパーソンズ世界が現れ、その流れでベース音からアルバムテーマの本曲に引き継がれるオープン(彼独特の手法)展開。アランパーソンズプロジェクトは、アルバムごとに明確なコンセプトを定義し、その都度曲に相応しいミュージシャンを起用することで完成度を深めました。(オーケストラとの共演も魅力) 小生は1977年の「アイロボット」が最大のお気に入り名盤!「サム・アザー・タイム」「ドンレットイットショウ」などの佳曲とともに初期のプログレ色が明確で実に素晴らしい~!80年代になるとメロディ重視の美しいバラード曲が増えていきます。






★(016):サイモン&ガーファンクル 「サウンドオブサイレンス」 (1965年) (2011.11.5公開)


c0119160_1041947.jpg「サイモン&ガーファンクル」・・、ビートルズやエルトンジョンと並んで、小生に洋楽の素晴らしさを教えてくれた恩人です。小学校時代(1967)に不二家CMで流れていたS&Gの「サウンド・オブ・サイレンス」を聴いて感銘。半音のイントロギターから、透明感あるガーファンクルの美しい声、それに合わせるポールサイモンの低音ハーモニー、静寂をテーマとし暗闇の中から響いてくるような美しいS&Gのアコースティック世界には、詩の中に強いメッセージが秘められていました。洋楽に本格的に興味を持ち始めた13歳の頃、「赤い限定盤:S&Gグレーテストヒッツ」を購入、これこそ小生が生まれて初めて買ったLPレコード。この永遠なる名曲はS&Gとして初めてレコーディングし、1stアルバム「水曜の朝・午前3時」(1964)に収録された作品でデビュー時は全くヒットしませんでしたが、あるプロデサーューがエレクトリックギターを加えたアレンジでリリースしたら翌65年に全米ヒットNo.1に輝いてしまったのです。この大ヒットで事実上活動休止だったS&Gは再結成、映画「卒業」(「ミセス・ロビンソン」に誘惑される主人公ダスティホフマンが娘役キャサリンロスへの純愛を貫く物語)のテーマソングとして大ヒットを記録しS&Gを世界的アーティストに押し上げました。その後、「コンドルは飛んでいく」「スカボロフェア」「ボクサー」そして最大名曲「明日に架ける橋」など数々のヒット曲を生み出し、小生も洗練された美しいフォークロック世界に一遍に虜となりました。彼らは5枚だけのアルバムを残し1970年に解散してしまい、その後ソロでそれぞれが独自の道を歩み始めます。しかし1981年にセントラールパークで再結成、翌年来日し往年のファンを喜ばせたのです。2度目の来日(1993年)はカミサンと東京ドームに公演を聴きに行き彼らと初対面(当然電光掲示板越しですが・・)したことがいい思い出です。小生の一生敬愛する懐かしきアーティストとしてS&Gの名曲を数多く紹介していくつもりです。





★(015):ピンクフロイド 「サマー68」 (1970年)   (2011.10.26公開)

★(015):ピンクフロイド 「サマー68」 (1970年)   (2011.10.26公開)



c0119160_42025.jpg1970年前後にプログレシッブロックをリードし一世風靡した象徴グループ「ピンクフロイド」。サイケデリック世界から音楽性を先進的に発展させ、壮大なる抒情詩、太陽神、宇宙の世界、人間本質等を示したコンセプトアルバムを次々と創り出していきました。現在ロックコピーバンドは多く存在しますが、ピンクフロイドの完全なる真似は不可能・・。それ程に彼ら自身でなければ表現できない独自世界を築き上げたのです。「実験的=抽象・難解」とういうイメージが先行しますが、実は彼らの曲には牧歌的でメロディアスな佳曲が沢山ありました。ピンクフロイドは1973年ロック史に今も燦然と輝く名盤「狂気」で金字塔を極めますが、小生が今も崇める名盤は「原子心母」(1970)と「おせっかい」(1971)です。彼らの最大級傑作アルバムの一つ「原子心母」B面には「リック・ライト」(今はリチャードライトと呼ぶらしい)が書き上げた「サマー68」(小生が最も愛する名曲)や「イフ」が眠っています。静かなピアノ弾き語りで始まり、優しく美しいボーカルが印象的な曲。一気に盛り上がるサビ間奏部はホーンセクションのオーケストラが実に感動的。リック・ライトは、ロジャーウォーターズ、デイブギルモアという強烈な個性を放つ二人を前にしているだけに目立たない鍵盤奏者ではありましたが、フロイドサウンドの骨子・下支えをシッカリと担っていました。だって、あの最高なる大抒情曲「エコーズ」のボーカル主役をやっていたのですから・・。その後、彼はだんだんグループの中から干され、ドラッグに溺れピンクフロイドを脱退・・、そして2008年に65歳で癌で逝去してしましました。あの可愛らしい少年の様な笑顔は年老いても面影を残していました。あらためて哀悼・・。リック・ライトよ、永遠に・・。



★(014):シルヴィ・バルタン「悲しみの兵士」 (1970年) (2011.10.16公開)


c0119160_8374016.jpg♪「ラン・ララ、ラン・ランラ~、ランラ~」♪この哀愁に満ちた女性の声に、フランス語での男の渋い呟き、そして随所に入る魅惑的で迫力あるサックス(ブッ・プワ~と大きく鳴り響く)。1960年代後半~70年代初めにかけ、フランスやオランダの歌手やバンドが一時代を築いていました。中学生時代にラジオで流れていたフレンチPOPS(ダニエルビダル、ミッシェルポルナレフ等)に先駆けた旗手はシルヴィ・バルタンでした。1964年に「アイドルを探せ」でデビュー、そして1970年にこの「悲しみの兵士」「あなたのとりこ」の2大ヒット曲を放ち、小生も文字通り彼女の虜となってしまいました。映画「ウォーターボーイズ」の主題歌にもなった「あなたのとりこ」はとっても明るくハイテンポなPOP曲、そしてこの曲は渋く哀愁に満ちた悲壮なメロディ曲。このアンバランスさと彼女のキュートな姿が実に魅力的でした。このユーチューブ画像を見ていると愛苦しかったアイドル時代や、その後トウが立ってオバサン臭くなった頃など多くのシルヴィ表情が楽しめます。ビートルズと一緒に映った画像はお宝物! この曲で渋く呟いた男性の声はシルヴィの旦那(ジョニーアリディ)が歌っていたのだそうです。「悲しみの兵士」の歌詞はフランス革命を背景にしたものだといわれており、一度聴いたら忘れられない印象を残します。戦争を題材に採ったシルヴィ作品の中でも異色ともいえる名曲です。





★(013):ジミ・ヘンドリックス 「紫のけむり」(Purple Haze) (1967年) (2011.10.7公開)


c0119160_61787.jpgロック史に崇められる3大ギタリストといえば「エリッククラプトン」「ジェフベック」「ジミーペイジ」、1960年代末期に「ハードロック」というジャンルを土台を築き上げた栄光の3人。いずれも「ヤードバーズ」というバンドに属していましたが、当時はブルース・R&Bの色が強かったように思えます。その彼ら3人が「ハードロック」に向かっていった背景には、「ジミヘンドリックス」という天才的な黒人ギタリストが出現してその影響を受けたからです。パワフルなギター、ソウルフルな叫び、ワイルドで先鋭的な姿はロック史の伝説的存在、某誌では「史上最も偉大なギタリスト100人」の第1位に選ばれています。彼の代表曲はやはり「紫のけむり」(Purple Haze)。英国に渡り成功を収め、米国に凱旋帰国した1967年の名盤「アーユー・エクスペリエンスト?」に収められ、ヘビー&ハードそしてサイケデリックに歌いあげています。ロック史に輝く歴史的な野外コンサート「ウッドストック」(1969)ではトリを務め、「アメリカ国歌」を激しいギター演奏した後、当曲に入っていきました。「ヴゥードゥチャイルド」も代表曲の一つ。その後ドラッグに溺れた彼は1969年、ロンドンのホテルで昏睡状態で発見され27歳の若さで短い命を閉じました。この衝撃的な事件は、その後相次ぐJの字から始まるロックアーティストの死とあいまって「Jの悲劇」と呼ばれます。「Jの悲劇」はベトナム反戦・ドラッグ・サイケデリック・反体制の60年代ロックの終焉を象徴する出来事ともいえるでしょう。数々のアーティスト達が輝く名盤(ビートルズ「アビーロード」など)を輩出した金字塔の1969年は、ロック史の大きな節目時期だったと断定しても過言ではありません。

  # by rollingwest | 2001-02-01 00:00 | 洋楽(ロック・POPS) | Comments(70)