RW/洋楽コーナー:「My Favorite Songs」 (第14巻)

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★(095):コモドアーズ 「アイムイージー」 (1977年) (2014.6.1公開)



c0119160_20275631.jpg「日曜朝の気分はイージー・・、心地よい気楽さの喜びを感じる・・」、誰にも共通した心境を噛み締めるように歌ったコモドアーズの「アイムイージー」(1977)は小生がジュークボックス(今や死語)でよく聴いていた名曲でした。リラックス気分を再現するかのように序盤は美しいピアノイントロから始まり、ゆったりとしたミディアム・テンポで曲は流れ行きます。やがて「I Wanna Be High~!」の絶唱から曲調は一気に盛り上がり、サックスとストリングス演奏・ワイルドなギターソロ、そしてピアノとコーラスが見事融合して叙情的な展開を見せていきます。全米ヒット4位、グラミー賞R&B最優秀歌曲賞にもノミネートされた素晴らしい名曲を聴き、彼らに抱いていた小生のイメージは全く変わってしまいました。それまでコモドアーズと言えば、「マシンガン」(1974)など電信音インストルメンタル曲のシンセサイザー系ダンスミュージックバンド、またはアップテンポな「ブリックハウス」(1977)でのファンキー系ディスコバンドとして活躍していました。しかし上記曲に続き「永遠の人に捧げる歌」(Three Time Lady)(1978)も大ヒットを記録すると、ライオネルリッチーのバラードメーカー才能が大きく開花、「セイルオン」(1979)や「スティル」(1979)など大人のソフトナンバーを連続ヒットさせると、完全にライオネル主導のバラード系バンド(他メンバーは面白くなかったのかも・・)へと転身してしまいました。80年代初頭は久しぶりにノリのいいナンバー「レイディ」(1981)をリリースして往年のコモドアーズが復活かと思ったら、ライオネルリッチーは翌年にグループを脱退してしまいました。彼はソロ活動に専念するとさらに大物ぶりを発揮し、1981年にダイアナロスとのデュエット「エンドレスラブ」の全米1位ヒット、ロス五輪閉会式(1984)での歌唱、「USA for AFRICA」チャリティーコンサートでの「We are the World」(1984)、「セイユー・セイミー」のアカデミー賞映画主題歌賞(1986)と世界的な名声を完全に確立していきました。一方、彼が抜けた後のコモドアーズは低迷状態に陥りましたが、1985年には「ナイトシフト」の大ヒットでグラミー賞R&B部門を受賞して再起に成功したのです。この曲は1984年に亡くなった2人の偉大なる黒人シンガー「マーヴィンゲイ」と「ジャッキーウィルソン」を深く追悼した歌でした。「俺たちはライオネル主導のバラード系バンドではない。R&Bやファンクをベースとした黒人グループなんだ・・」という意地の気持ちが最後のひと花を咲かせたのかもしれません。



⇒次回は、ビリ―ジョエル最大名盤「ストレンジャー」の隠れた名曲「イタリアンレストランで」(1977) をお送りします。♪\(^◇^)/♪




★(094):スティックス 「永遠への航海」(Come Sail Away) (1977年) (2014.5.20公開)



c0119160_2247404.jpg1970年代から80年代前半にかけて洗練されたヒット曲を沢山放ち続けて高い人気を誇っていた「スティックス」・・、数多くの名曲の中で小生が一番のお気に入りは上記の「永遠への航海」(Come Sail Away)(1977全米8位)です。ピアノイントロとデニス・デヤングの甘い声から始まり、静かなシンセサイザーに奏でられる美しい旋律が続く序盤、中盤ではいきなり転調して一挙爆発的なハード演奏に突入し頂点へ圧巻の盛り上がりを見せる展開、大海原へ航海へ漕ぎだす勇敢なる船出のイメージ!以前小生は「アメリカン・プログレハード四天王とは【ボストン、カンサス、TOTO、フォリナー】、人によってはジャーニーやスティックスを入れるケースも・・」と記載しましたが、この記事を書きながら認識をあらためるべきと大いに反省しています。実はスティックスこそ、彼らよりずっと早くから米国ロックの中にプログレ的なテイストを取り入れようとしていた先駆者だったのです。70年代初頭から活動してきたスティックスは、甘いヴォーカルとPOPな旋律を奏でるデニス・デ・ヤング(key,vo)、ハード路線でスケールの大きなロックを求める貴公子トミー・ショウ(g,vo)、そして野性的なジェームス・ヤング(g,vo)の3人の個性がぶつかり合い調和しながら高質の曲を多く世に送り出してきました。今回は初・中期のブリティッシュな雰囲気を醸し出していた1970年初頭~1977年のスティックスを前編で紹介します。1972年に1st「Styx」でデビュー、当時は冒頭から長い組曲を収録し中世ヨーロッパを彷彿する神秘的な曲が多かったですが、2nd以降は名曲「憧れのレイディ」(1974・全米6位)などPOPなセンスでや音の幅を広げ聴きやすいプログレバンドの地位を徐々に確立していきました。1975年に第5作「分岐点」発表直後、トミー・ショウ(vo,g)が加入し以降は3頭体制(3人のリード・ヴォーカリストと2人のリード・ギタリストが存在)でさらに音楽の厚みを広げて質を高めていきました。76年リリースしたアルバム「クリスタル・ボール」では、早くもトミー・ショウがコンポーザー&ヴォーカリストとしての手腕を大いに発揮しています。そしてスティックスの人気がついに世界的に爆発する時が到来します!1977年「永遠への航海」(上記掲載)・「怒れ!若者」(Fooling Yourself)「ミスアメリカ」などの名曲を満載した「大いなる幻影」(The Grand Illusion )が全米で300万枚セールスを突破し初のマルチプラチナ盤に輝き一挙に超メジャーバンドとなったのです。その後遅れて登場してきたカンサス、ボストン、ジャーニーらも大ヒットを連発するようになりアメリカン・プログレハード軍団は一挙に世界を席巻していきましたが、トミーは「スティックスは僕が加入する前から今のサウンドは基本的に同じだよ。僕たちを後進のカンサスやボストンと比較するなんておかしいよ」と高いプライドで見せつつ余裕で語っています。最後の締め曲は「スイートマダムブルー」(1975)を紹介して前編記事の筆を置きます。1975年は壮大なるスティックスサウンドのまさに分岐点、彼らの進化した音楽性神髄の一端を思う存分に楽しんで下さい。





★(093):T-REX 「20センチュリーボーイ」 (1973年) (2014.5.8公開)



c0119160_2111134.jpg中学生時代の小生が洋楽に嵌って2~3年目(1971~1972年)に「グラムロック」という中性的なビジュアルバンド達(妖しげなでギラギラのメークやファッション)が世界を席巻し大旋風の頂点を極めていました。そのネーミング語源は「Glamorous」(女性的な魅惑、幻惑的な魅力)から来ており、双璧のスーパースターはデビッドボウイと「T-REX」、その他にもモット・ザ・フープル、アリス・クーパー、ロキシーミュージック、スレイドなどが百花繚乱の如く咲き乱れておりました。このジャンルは音楽性からの仕分けではなく単なる外見・ファッションからの分類です。今回は「T-REX」が絶頂期を誇っていた頃の最大名盤「スライダー」(1972)からの名曲を中心に、ロック史を太く短く駆け抜けたマークボランの生涯を紹介したいと思います。1947年、ロンドンに生まれたマーク・ボランは15歳でバンド結成し音楽活動を始めたらしい。何と早熟!彼は当時パリに住んでいた魔術師に弟子入りし錬金術を学んでいたとのこと。何と驚愕!そして1968年21歳でT-REXの前身「ティラノザウルス・レックス」の名前でデビューし、1969年にミッキーフィンが参加したあたりからT-REX独特のエレクトリックブギーがスタートすることに・・。そして1970年バンド名を「T-REX」と短縮改名し、奇抜な中性的な化粧やサテン衣裳を施して「電気の武者」がアルバムリリースされるや否や彼らの人気はついに爆発的なブレイクとなり、「ジープスター」(1971)や「ゲットイットオン」が大ヒットして黄金期を迎えることになります。マークボランのビジュアルPRは他のバンドやファンに一挙に大影響を与えてグラムロック・スタイルは一挙に確立し世界をあっという間に席巻してしまったのです。小生のT-REX初体験曲はやはり「テレグラムサム」(1972)ですね~!この妖しいリズムとマークの声とファッションに一挙魅了されてしまいました。グラムロックと聞くと、音の方もギラギラした内容を想像するかもしれませんが、T-REXのサウンドは「メタルグルー」(1972)に見られるように実にシンプル。あまり上手とは言えないギターリフとコード進行、演奏面だけで言うと実に素人くさい感じでした。しかしマークの不思議な詩の世界とボーカル、奇妙なストリングスとコーラスアレンジは聴く者を独特のマークの世界に誘い込みます。「チルドレン・オブ・レボリューション」(1972)や「メインマン」(1972)などはその典型曲だったかもしれません。テクニックよりも感性重視したギターリフのフィーリング曲は、時代を超えた天才マーク・ボランの真髄として魔法音楽のように響き渡り「ボラン・ブギー」というマークトリップの世界にロックファンを惹きこんで行きました。1972年は初来日も果たして、当時のRWはミュージックライフ誌を食い入るように読み漁っていたことが懐かしき思い出・・!しかしミッキー・フィンが脱退した1975年頃から、世の中のグラムロック熱は潮を引くように醒めていき彼らの人気も一挙に凋落状態となりました。一挙に頂点を極め過ぎるとその落差はあまりにも残酷でしたが、そんな彼にも1977年に音楽居場所を与えてくれる時代が再到来しました。それは商業主義のロックを根底から覆そうという大きな地殻変動「パンク・ロック」の登場です。このジャンルはグラムロックと同じようにファッションとともに英国全土に人気が広がり、彼らも新生T-REXを結成して再スタートを窺い順調に復活への兆しが見えてきたのです。しかし同年9月衝撃的なニュースがロック界を駆け巡りました。マークボランが交通事故で30歳誕生日を迎える寸前でこの世を去ってしまったのです。彼はかつて生前インタビューで「僕は30歳になる前に体がバラバラになって死ぬだろう」と予言していました。彼は15歳の頃から魔法使いの下で修行を積んでおり、自らの若い命と引き換えにボランサウンドを永遠に残してほしいと願って魔法使いとの契約を交わしたのかもしれません。その証拠に70年初頭の短期間の閃光だったにもかかわらず「T-REX」の名前は今の若者にも絶大な人気を誇っています。上記掲載の「20センチュリーボーイ」は浦沢直樹の大ベストセラー・コミックを映画化(2008年)した「20世紀少年」の主題歌として大人気となり、皆様も久しぶりに懐かしい気持ちになったことでしょう。そして、最後の締め曲は 全英3週連続第1位に輝き彼らの出世曲「ゲットイットオン」(1971)、マークボランとエルトンジョンとが共演している超お宝物の映像なのでございます。




★(092):マンフレッド・マンズ・アースバンド 「光に目も眩み」 (1976年) (2014.4.26公開)


c0119160_913164.jpg今回は、マンフレッド・マン(1960年代前半から活躍するキーボーディスト)が1976年にグループを率いて大ヒットさせた「光で目もくらみ」(Blinded By The Light)を紹介したいと思います。この曲は小生が大学入学で上京したての頃(もう40年近くが経つなあ・・)、毎日のように四畳半下宿のFENラジオから流れていた全米1位ヒットナンバーで完全にRWの体に染みついている懐かしのロックナンバー。シンセサイザー音の序曲から骨太ボーカル、壮大なるギター演奏、幻想的かつ見事なアレンジと劇的な曲展開で大いに魅了させれました。実はオリジナルはブルース・スプリングスティーンの1st盤に収められていましたが、やはり「マンフレッドマンズ・アースバンド」のナンバーでこそがロック史に輝く名曲であり、彼らにとっても最大の代表曲に間違いありません。当時この英国バンドは「一発屋」なのかな・・と思っていましたが、マンフレッドマンを調べていくうちに、様々な形態のバンドを結成して意欲的に新たな音楽境地を模索してきたブリティッシュロックの至宝と評価されていることを後程知りました。そういえば「スピリッツ・インザナイト」も渋く素晴らしい演奏を見せながら壮大な展開曲で本当に格好よかった!「マンフレッドマンズ・アースバンド」は、各活動時期によって全く異なる音楽性を発揮している珍しいグループで、初期はR&Bが主体、その後シングル中心のPOPバンドに変身、1960年代後半はアイドル的な人気を誇った「シャララ」や「DO WAH DIDDY DIDDY」、やボブ・ディラン曲をカバーしてヒットした「マイティ・クイーン」、などで有名になりPOPS路線の寵児として大人気を博していたのです。そしてその後の変貌ぶりはあまりにも凄すぎる・・、ブラスを加えたジャズを志向したり、さらに1970年前半からは何とプログレッシブロック路線へと変身し4作目の「ソーラーファイアー」(1973)(冒頭曲は「FATHER OF DAY,FATHER OF NIGHT」は、太陽系をテーマにしたコンセプト盤としてプログレ世界の名曲として語られるべき作品と評価されているのです。・・とはいえ濃厚な本格プログレではなく、泣きのギターやメロトロンが叙情的なメロディを奏でたりとお洒落な大人風POP路線も残した音作りを心がけている感じがします。活動前期で高い評価を得ている名盤は「ナイチンゲイルズ&ボンバーズ」(1975)、このアルバムからは小生お気に入りの名曲「スピリッツ・インザナイト」、ドラマティックで雄大な「ヴィジョナリー・マウンテン」等が収められています。そして翌年には、上記掲載曲「光に目も眩み」でスタートするロック史の名盤「静かなる叫び」(1976)のリリースが続きます。これ以降は、キーボード主体のキャッチーかつPOPなサウンドを主体として、ソフト&メロウバラードからハードロックまで何でもこなす幅広さを披露していきました。「イルカの声」(1976)を聴くともうだいぶAOR路線に入り込んできた印象も受けますな~。マンフレッドマンズ・アースバンドはB・スプリングスティーンやボブディラン、ランディニューマン等を好んでカヴァーしていますが、全然原曲と違った趣にしてしまうという稀有な特技を持っています。楽曲選択とアレンジの素晴らしさを駆使すれば歴史的な名盤をも残せるというお手本みたいなバンドでした。今回は1976年までを一区切りとして、後編は1978年から1980年中期までの名曲の数々をいつか紹介する予定です。最後の曲はRWのお気に入りの一つ「クエスチョンズ」(1976)で締めたいと思います。




★(091):アートガーファンクル 「永遠の想い」 (1975年) (2014.4.14公開)


c0119160_6415931.jpg中学生の頃小生を洋楽の道に導いてくれた「サイモン&ガーファンクル」(第2巻(016)参照)・・、「明日に架ける橋」がグラミー賞に輝いた1970年に残念ながら解散してしまいました。ポールサイモンはソロ転身後も「母と子の絆」、「僕のコダクローム」等のヒットを放ち気を吐いていましたが、S&G時代に一つも作曲しなかったアート・ガーファンクルの方は解散後は沈黙していた印象があります。その頃、彼は自分の澄んだ歌声に合う楽曲を見つけていかに自分流に歌うかという方向性でデビュー盤を作ろう・・と奮闘していたのです。その結果満を持して、自らの声を比喩したような題名をつけて1973年発表されたソロデビュー盤が「天使の歌声」(ANGEL CLAIR)でした。その冒頭曲は「青春の旅路」(Traveling Boy)を聴いて、期待に違わず美しい高音とちょっと鼻にかかる特徴的なガーファンクルボーカルが健在!とまずはひと安心、そしてアルバート・ハモンド作品で大いにヒットした「ひとりぼっちのメリー」・・、ビブラートが効果的に響くはかなさも伝わってくる声にまたも感動!そしてデビュー盤で小生が最大のお気に入り曲は、ジミーウェッブ作詞・作曲の「友に捧げる賛歌」(All I Know)、親友を思う歌詞と美しいメロディーが透明感溢れる声で感動的に表現されており、まるで「明日に架ける橋」の如し・・!続く1975年発表の2nd「愛への旅立ち」(Break Away)も超名盤で本当にお薦め!このアルバムは数々の名曲がプレゼントされておりレコード針が摩れる程聴き惚れ幸福感に酔ったものだなあ~・・。スティーヴン・ビショップ提供の「めぐり逢い」(Looking For The Right One)も余韻ある名曲・・、オリジナルピアノ演奏者はかの有名な大物プロデューサーデヴィッド・フォスターらしい。上記に掲載曲した「永遠の想い」は2nd盤に収められており、その他にも「瞳は君ゆえに」、そして小生が下溜めて愛してきた曲「L.A.より99マイル」等の多くのヒット曲がキラ星の如く。この名盤は曲の選択もさることながらアレンジも素晴らしくバックミューシャンにもCSN&Yのデヴィッド・クロスビーやグラハム・ナッシュなどの豪華なゲストも参加しておりました。「夢心地」を味わえるこの名盤のヒット曲には、ポールサイモンとの共演曲「マイリトルタウン」も入っています。ついにS&G復活か~!と大喜びしたものです。実際のコンビ復活は1981年セントラルパークコンサートでしたが、その後2人で何度か来日してくれて1993年カミサンと一緒に東京ドームで生のデュエットを聴けたこと(もう20年以上か・・)がいい思い出です。アートガーファンクルのソロ名盤は「シザースカット」(1981)等まだまだ沢山ありますので、いつか後編として紹介したいと思います。

  # by rollingwest | 2002-02-01 00:00 | 洋楽(ロック・POPS) | Comments(108)

<2016年11月6日>世界遺産「ラスコー展」(クロマニヨン人が残した洞窟壁画)

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上野の国立科学博物館で開催されている「世界遺産ラスコー展 〜クロマニョン人が残した洞窟壁画〜」(11月1日スタート)の展示を観賞してきました。中学校時代の教科書でしか見ていなかったラスコー洞窟を間近に体験できるとは・・これは滅多にない体験だと思い立ち早速行ってきました。

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フランス南西部に位置するこの世界遺産ラスコーの壁画は、今から2万年前にクロマニヨン人によって描かれた動物達の彩色画で、洞窟内部には600頭の動物が豊かな色彩で描かれています。

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展欄室においてラスコー洞窟の全貌がリアルに紹介されており、高精度で再現された実物大の壁画展示のスケールの大きさ、技法の素晴らしさからに感動しました!クロマニョン人が特徴的な技法を用いて描かれて残した実物の大壁画、彫刻物、絵画造形で使われた多彩な道具も公開。

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クロマニヨン人って類人猿のようなイメージを持っていましたが、実際観るとこんなにも現人類に近い存在で、日本の縄文時代に生きた人たちの祖先だったんだなあ・・と目から鱗でした。2017年2月19日(日)まで開催されていますので皆様も是非御覧になってみることをお薦めいたします。

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                                                        おわり

  # by rollingwest | 2002-01-01 00:01 | エトセトラ | Comments(4)

「My Favorite Songs」(第13巻)



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★(090):バッド・カンパニー 「キャントゲットイナフ」 (1974年) (2014.4.2公開)


c0119160_08204608.jpg ブルース色の強いロックで人気を博した英国バンド「フリー」のメンバー2名(ポール・ロジャース&サイモンカーク)がグループ解散後、1974年にミック・ラルフス(元モット・ザ・フープル)、ボズ・バレル(元キング・クリムゾン)と意気投合して4人で結成された「バッド・カンパニー」・・・、ミディアムテンポでわかりやすい骨太ロックで我々を大いに魅了してくれました。元フリーのメンバーが2人いるので渋いブルージーなイメージが浮かびがちですが、やや明るめな「英国産アメリカンロック」という感じで、音の肌触りはかなり違った雰囲気でした。「キャントゲットイナフ」(上記掲載曲)は1st盤の冒頭を飾った先行リリースシングルで全米5位の大ヒットに輝き、アルバムもいきなり全米1位を記録(全世界での販売は1200万枚以上)、衝撃的なデビューを飾りました。この名盤には、オーソドックスすぎる程にシンプルで普遍的なロックの名曲が数々散りばめられており、「ロック・ステディ」「シューティングスター」を聴くと、これこそがロック本来のノリと感性に訴える教科書的な演奏だなあ・・と唸らされます。このバンドの凄いところは、音量で圧倒するとか劇的な曲展開を取り入れるとかいった手法を一切用いずひたすら熱い演奏を聴かせることにあります。現代のバンドが失ってしまったロックスピリッツは「ロックンロールファンタジー」「ラン・ウィズ・ザパック」等の名曲でも如何なく発揮され、1st盤で早くも完成域に達したと言っても過言ではないでしょう。「シーガル」はポール・ロジャースが全楽器を演奏している美しいバラードを歌い上げ、彼のマルチな才能に感服!米国市場をターゲットにした彼らのサウンドは、「フリー」(一番有名な名曲はやはり「オール・ライト・ナウ」)を愛した往年のファン からは失望の声も聞かれたようですが、フリー時代に成し得なかった全米制覇を目指して活動開始したポール・ロジャースにとってはついに夢を果たせた達成感に包まれていたのでは・・。'70年代後半~80年代前半になるとアメリカナイズされすぎたサウンド変化やポール脱退で人気はやや鎮静化したものの、ミック・ラルフスを中心に豪快な音づくりを継続して80年代ハードロックの一端を担いました。最後はRWのお気に入り曲の一つ「レディ・フォー・ラヴ」で最後の締めとしたいと思います。これはミックが結成前に在籍したモット・ザ・フープルの名盤「すべての若き野郎ども」(1972年)収録曲のセルフ・カヴァーですが、ポールのソウルフルなヴォーカルが見事にマッチしており、聴けば聴くほどにスルメイカ的な味が出てきますね~!飾り気という言葉は全く必要ないバドカンのシンプル極まりないロックの真髄がストレートに伝わってきます。





★(089):キャロルキング 「君の友達」(You've Got A Friend)1971年) (2014.3.21公開)


c0119160_08223543.jpg1970年代の洋楽といえばシンガーソングライターブームも大きな潮流の一つでした。その頂点を極めた一世風靡アルバムといえば「キャロルキング」の「つづれ織り」(Tapestry)ですね。この名盤は15週連続も全米アルバムチャートNO1を維持し2200万枚も売り上げた驚異作品であり、当時はビートルズ 「アビー・ロード」 と並び世界で最も売れたアルバムと称された伝説の名盤。1971年度グラミー賞では、ベストのアルバム・シングル各賞、最優秀女性ボーカル賞など主要4部門をキャロルキングが独占するという快挙が成し遂げられたのです。「つづれおり」のタイトル通り、数々の名曲の中には「男と女の複雑な心の機微」がTapestryの如く丹念に織り込まれており、発表からもう40年以上も経ちますが今でもその輝きは全く失われていません。「ウィルユー・ラブミー・トモロー」(1971)は、「明日も、まだ愛してくれるかしら?」という女性から男性への温かくさりげないメッセージが率直に表現されラブソングの最高峰かも・・!ロッド・スチュアートもカバーした「去りゆく恋人」(So far away)(1971)は失恋をテーマにした曲ですが、映画の1シーンを見ているようで何故かこの曲を聴くとホッと落ち着いてしまいます。「つづれ織り」の冒頭を飾った「空が落ちてくる」(I feel the earth move)(1971)は、ソウルフルに歌い上げられ力強い彼女のピアノが響き渡る名曲。キャロルキング(1942年・生粋のニューヨーカー)は小さな頃から音楽才能に恵まれ前夫とコンビを組んで活躍していましたが1970年ソロ・デビューを果たし、ジェームステイラー(「スゥイートベイビー・ジェイムス」が大人気)と一緒にシンガーソングライターブームの先駆者となったのです。1972年グラミー賞でも、キャロルは「イッツ・トウーレイト」(全米NO1曲)で最優秀レコード賞を獲得しています。反戦で熱く燃えた1960年代も終わり、その反動からか人々が「癒し」を求めて価値観も「個人重視」に切り替わった節目時期、その時代背景こそがブームを呼び込んだ大きな理由ではないでしょうか。上記に掲載した「君の友達」(You've Got A Friend)(1971)はジェームステイラーが1971年夏に全米1位獲得した曲ですが、キャロルキングがジェームスに提供した曲のセルフカバー。しかしキャロル版の方がピアノ・バイオリン旋律に彼女の切ない声が融合し、勇気・元気を与えてくれるより一層印象深い癒しの曲に仕上がっているような気がします。ところで・・、キャロルキングとジェイムステイラーの関係って本当はどうだったのでしょうか? お互いの才能を認め尊敬しあえる仲のミュージシャン同士でプラトニックな関係を維持してきたのか、実はカーリーサイモンとの三角関係で男と女の愛憎劇があったのか?・・とRWの脳裏には下世話な妄想も駆け巡りますが、晩年の2人のコラボ映像を見ていると心の底から互いに尊敬し合っているようにも見えます。もしそうであれば、男女間にもこんな素晴らしい友情関係(精神的な繋がり)があるんだ!と感動しちゃいますネエ・・。若い頃は決して美人とは言えない普通っぽい容姿でしたが、21世紀になっての味わいある名曲「ハッピーバースディ」のユーチューブを見ると、結構色香の漂うオバチャマに変身してしっとりと歌い上げておりますね~。キャロルの歌唱力は決して超一流とは言えないものの、反戦熱の醒めた1970年初頭(癒し心を求めた個人重視時代)においては、純朴で目線を合わせてくれるような歌い方が、世界中のファンを魅了し彼女に感情移入(同一化)させていったのではないでしょうか。1971年「つづれ織り」ばかりがクローズされて陰に隠れがちですが、「ミュージック」(1972)や「ファンタジー」(1973) も名盤といわれています。最後の締めは、3rdアルバム「ミュージック」から全米1位を獲得した名作「スウィートシーズン」をお送りして筆を置きたいと思います。




★(088):カンサス 「すべては風の中に」(Dust in the Wind) (1977年) (2014.3.9公開)


c0119160_08240482.jpg1969年から1970年代初頭にかけて英国プログレシッブロック(四天王:キングクリムゾン・ピンクフロイド・イエス・ELP)がロック発展史の中で燦然と華を開かせたことはご存知の通り。それを追いかけるように1970年代後期から、米国でもプログレを意識的に導入しハードでPOPなサウンドで人気を博したバンドが次々に登場しました。彼らは耳心地のいい曲が多く作り、ロック本来の反抗心を忘れて売れ線ばかり狙う「産業ロック」と揶揄されたものの、やはり商業的成功がなければ、歴史に名前を刻むことができないのは厳然たる事実。また80年代はお洒落な音楽潮流でしたから、これにトレンドを合わせていったことは致し方がなかったことかもしれません。「カンサス」は類似バンドの中ではやや地味な印象がありますが、3rd名盤「永遠の序曲」からのシングル「伝承」を初めて聴いた時はまさに衝撃的な感動を覚えたものです。「Carry On My Wayward Son ~!」という冒頭コーラスから始まり、キレのいいギターリフへと繋がる鳥肌の立つような恰好いい曲は、メロディアスなヴォーカルと変拍子を織り交ぜた美しい旋律が膨大なストーリーを感じさせてくれます。「ザ・ウォール」(1976)も同アルバムからリリースされてヒット、翌年には「帰らざる航海」(1977:last掲載曲)を聴いてさらに魅了されRWは一遍にファンとなってしまいました。60年代末~70年代前半の米ロック界は、英国勢イノベーション(次々と新しいアイデアを繰り出し強烈な個性を放ち続けた黄金期)の嵐に全く手も足も出ず押されっぱなしの状況であり、カンサスは「これを克服したい!アメリカにもプログレを根付かせたい!」という反転攻勢の情熱と試行錯誤の中で生まれたバンドです。特に初期アルバムは哲学的で英国プログレに対するこだわる姿勢が強く出ており2nd盤からの名曲「ソング・フォー・アメリカ」(1974)などを聴くと、初期の「ELO」(クラシックとロックの融合路線を目指しバイオリンを多用)にも似ているような気がします。英国のプログレ四天王の中ではイエスや初期キング・クリムゾンを模倣しようとしていたのかな・・。上記に紹介した「すべては風の中に」は(1977)は詞の中に、自我・混沌・流転を諦観するような「無」の東洋哲学思想が散りばめられおり、アルバムジャケットにも英国ケルト的な深みのある印象を感じて本当によかった・・!。80年初頭はまだカンサス独特の凝った曲作りとやや陰鬱な感じが「ホールドオン」(1980)に残されており大好きだったのですが、その後段々と産業ロック路線に染まり始め、フォリナーやTOTOにも近いポップな雰囲気に変化してしまいRWの心境にもすきま風が・・。「fight fire with fire」(1983)なんてまさにフォリナー「ヘッドゲーム」みたいなPOP路線そのものではないですか・・(泣)。最後の曲は、名盤「暗黒からの曳航」からのシングルで彼らの代表曲「帰らざる航海」(1977)を聴いてお別れとしますが、カンサスにはこの曲の様なクラシカルなプログレロック(やや根暗なイメージ)を最後まで貫いてほしかったと思うのは小生だけなのでしょうか・・。「アメリカン・プログレハード」と呼ばれた新ジャンルの四天王はTOTO、ボストン、カンサス、フォリナー、・・とRWは思っていましたが、ジャーニーやスティックスに入れ替えるケースもあるようです。





★(087):ケニー・ロジャース「ギャンブラー」 (1977年) (2014.2.25公開)


c0119160_08244298.jpg今や米国を代表するポップ・カントリーシンガーとして揺ぎない地位を確立している大御所「ケニー・ロジャース」を前編(~70年代)後編(80年代~)に分けて紹介したいと思います。地方から大学入学で上京(1976年)、四畳半下宿での楽しみはFENラジオから絶えず流れてくる最新の米国ヒットチャート曲の数々でした。「全米TOP40」やウルフマンジャック、チャーリーツナ等のコーナーが主な情報源でしたが、カントリー番組もありほのぼのとした米国カントリー音楽にも親しんでいった時代です。当時よく耳にしたのは、しわがれた声でポツポツと歌う髭面のオッサン「ケニー・ロジャース」・・。「ルシール」(一番最後の曲)や「弱虫トミー」(1979)などの地味ながらも味わい深いヒット曲がラジオから沢山流れていました。ケニー・ロジャースは1935年テキサス・ヒューストン生まれ、音楽愛好家の家庭に育ち少年時代から教会合唱団で歌っていたとのこと。1967年ファーストエディティションを結成し1969年には「町へ行かないで」のヒット曲が全米ポップヒットチャートも賑わすようになりました。1976年グループ解散後、ソロに転身してカントリー界入りし「デイタイム・フレンズ」(1977)や70年代の名盤「ギャンブラー」(1977年・上記主題曲)によって徐々にブレイクしていった感じです。その後はバラード路線に力を入れ始め「シー・ビリーヴス・インミー」(1978)や「愛のメッセージ」(1979)など耳心地のいいヒット曲を多く放っていきます。80年代にはライオネルリッチー等と交流を深め「レイディ」(後編で紹介)が世界的なプラチナヒットを達成しPOPS面でも大御所的な存在となったのです。1985年は「USA・フォー・アフリカ」(マイケルジャクソン、スティーヴィーワンダー等のスーパースター達たちが集った)の「ウィアー・ザワールド」のレコーディングにも参加、また多くの女性アーティストとデュエット曲を歌っています。(美人好きだネ、このオッサンは・・) 今回前編のLAST曲は、まだカントリー主体で渋さをたっぷり残していた頃の名曲「ルシール」(1977)を紹介して一旦締めくくりといたしましょう。




★(086):スティーリーダン 「リキの電話番号」 (1974年) (2014.2.13公開)


c0119160_08255774.jpg70年代にジャズ(フュージョン)とロックを合体させ都会的でセンス溢れる大人の音楽(クロス・オーヴァー)で我々を魅了してくれた「スティーリーダン」の名曲を前・後編に分けて紹介したいと思います。 小生が彼らの存在を初めて知ったのは「リーリン・インジ・イヤーズ」(1973)をラジオで耳にした時からです。最初はスティーリーダンというソロ歌手名だとばかり思っていましたが、ドナルド・フェイゲン(Key,Vo)とウォルター・ベッカー(Bass,Vo)を中心とする質の高いミュージシャン達が入れ替わり集まり散じたグループだったのか・・と認識したのは数年後のこと。スティーリーダンの結成は1967年、ニューヨークの大学で上記2人(元々ジャズの大ファン)が意気投合しソングライター活動を始めました。結局歌い手が見つからず自らで演奏活動をしていましたが、プロデューサーのゲーリー・カッツに見染めらてここから彼らの栄光史が本格的にスタートします。G.カッツはレコード会社契約後、ジェフ・バクスター(のちにドゥービーズの主力メンバー)らの有力メンバーを加入させ1972年デビューアルバム「Can't Buy A Thrill」を発表、最初のシングル「ドゥイットアゲイン」(1973)のヒットで一躍その名は全米に知られるようになりました。デビュー曲は何かサンタナを思わせるような怪しいリズムが魅力的ですが、その後は「マイ・オールド・スクール」(1973)や最大ヒットシングル(全米3位)となった「リキの電話番号」(上記曲1974)等の洗練された音楽が知れ渡りスティーリーダンの名声はますます高まることになったのです。しかしこの頃はすでにバンド形態は崩壊寸前、ドナルドフェイゲンとGカッツは一流セッションマンをレコーディングに多数起用し録音とライブ演奏を別物構築するスタイルに変えていったため、志向異なるメンバーはライブをしない活動形態に嫌気がさして次々と離れていきました。その中の一人は後期ドゥービー・ブラザーズを支えたジェフバクスター、彼はファンキーで泥臭かったドゥービーサウンドを一挙にスティーリーダン風(ジャズ系なお洒落な雰囲気)に変えてしまったのです。スティーリーダン存続危機も噂されましたが、ライブ活動から解放された2人はじっくりとスタジオワークに専念し、真の実力を発揮し始めたのは何とこれ以降の時代なのです。「ブラック・フライディ」を冒頭曲とする4thアルバム「うそつきケイティ」(1975年)、さらに「トルコ帽もないのに」(the fez)を収録した5 th「幻想の摩天楼」(Kid Charlemagne)(1976年)・・、一流ミュージシャンを適材適所に配置した名盤を連続リリースしてさらに評価は高まり、彼らの方法論が正しかったことを強力にアピールしました。そして1977年、ついに金字塔アルバムと誉れ高い「彩(エイジャ)」を発表、瞬く間に彼ら初のプラチナ・レコードとなり1年もの間チャートに居座り続けることとなる程の大ヒットを記録したのです。ロック・ミュージックにおける洗練の極みを確立したクオリティの高さから、やがて彼らは「究極のミュージシャンズ・ミュージシャン」と呼ばれるようにもなりました。後編記事は「彩 (エイジャ)」や「ガウチョ」 からの名曲を紹介する予定です。





  # by rollingwest | 2002-01-01 00:01 | 洋楽(ロック・POPS)