タグ:戦国武将 ( 6 ) タグの人気記事

 

<2017年9月>リニューアル「小田原城」&北条氏五代の史蹟探訪


c0119160_12200890.jpgc0119160_12222680.jpg
c0119160_12213300.jpg



★リニューアルした小田原城へ!18年ぶりの対面


神奈川県「小田原城」(百名城)は昨年5月、耐震補強工事でリニューアルオープン。入場者は1年強で百万人突破の大人気となっています。今はゲーム影響で戦国武将・城郭のブーム到来(歴女も増殖)!18年ぶりに小田原城(1999家族旅行以来)へ行ってみたので北条氏五代の歴史も重ねてレポートします。


 ......(左)お色直し・新「小田原城」    (右)1999年2月家族旅行(娘5歳、今は亡き義父母と).....
c0119160_12362860.jpgc0119160_12341035.jpgc0119160_12493909.jpg
c0119160_12370491.jpg


小田原城は戦国大名「北条氏」が五代の栄華を誇り(鎌倉北条氏と混同されるため後北条氏とも呼ばれる)、武田信玄や上杉謙信が大群を率いて攻めても落とせなかった「難攻不落」の名城です。蓮が茂る掘を横目に見て進むと美しい朱色の「学橋」、城の正面玄関となる「馬出門」が出現します。


   .....真っ赤な「学橋」を渡っていくと、小田原城の入口「馬出門」とイヌマキ大木がお出迎え!.....
c0119160_12580288.jpg
c0119160_12584613.jpg
c0119160_13021815.jpg
c0119160_13030096.jpg


小田原城の堀は「障子堀」と呼ばれ、四角形溝が並ぶ落とし穴となっており嵌ると抜けられなくなる構造。城門の中は桝形広場で集中砲火を浴びせられる城塞仕掛けで昔は三~四重の防備だったとのこと。これが難攻不落城と謂われた訳か~!堀を渡ると、二の丸へ続く銅門が見えてきます。


   ......(左)銅門(akaganemon)の赤銅が渋く光る (右) 敵を落としこむ「障子堀」の罠仕掛.....
c0119160_13204595.jpgc0119160_13221684.jpg
c0119160_13225076.jpg

     ......(左)小田原城入場者は7月に百万人越えの大人気 (右)勇壮な天守閣をバックに.....
c0119160_13245673.jpg
c0119160_13252915.jpg







★小田原城内見学:北条氏五代の歴史をあらためて学ぶ


天守閣は第5代北条氏直が1580年築きましたが、その後は徳川の諸大名が城主を務めました。関東大震災で崩壊、小田原城址公園として再整備。現在の天守は昭和35年市制20周年記念事業として総工費8000万円をかけて復興され、そして昨年の耐震工事でリニューアルに至っています。


         ......常盤木門をくぐり、いよいよ天守閣の中へと入って見よう!.....
c0119160_13342867.jpg
c0119160_13345103.jpg


中に入ると1階では江戸時代の小田原城、2階では北条氏の歴史や戦国時代の城の様子を紹介するなど、小田原城の歴史的魅力を伝えるストーリー性がある垢抜けた展示になった気がするなア・・


    ......受付から入るとまず巨大絵巻の展示が出現!内装もなかなかオシャレな作りだ!.....
c0119160_13364764.jpg
c0119160_13371072.jpg

       ......北条氏が戦国時代に建設した中世の小田原城は現在と相当イメージが違う.....    
c0119160_13405539.jpgc0119160_13400273.jpgc0119160_13403159.jpg

それでは小田原城の繁栄の基礎を築き上げた北条氏五代の歴史をレビューしてみましょう。戦国大名北條氏は甲斐武田・越後上杉に比べると地味なイメージがありますが、ピーク時には関八州(関東平野一帯)を支配下としたBIG大名です。小田原駅西口前には初代・北條早雲の勇姿銅像が! 


  ...... 初代北条早雲(小田原駅前に銅像)は伊勢新九郎・宗瑞を名乗り下剋上で勢力拡大.....    
c0119160_13595380.jpgc0119160_14004354.jpgc0119160_14013873.jpg
c0119160_14021284.jpg


早雲は岡山伊勢氏の出自で伊勢宗瑞と名乗り、初めは足利幕府に仕えましたが、その後駿河の大名今川氏へと鞍替え。伊豆韮山城を築き戦国大名と成り上がっていき相模一国を平定する基礎を作りました。二代目・氏綱は拠点を小田原城に移し、伊勢から北条への改姓・虎朱印状の創出等でさらに国力を発展させて、領国を駿河・武蔵・下総まで拡大し東国盟主としての地位を確立しました。


  .....(左)初代・早雲 (右)北條を名乗った二代・氏綱(鎌倉北条の後継ブランドを目指した?)....
c0119160_14160037.jpgc0119160_14172429.jpgc0119160_14162737.jpgc0119160_14283376.jpg
c0119160_14364082.jpg

群雄割拠の戦国期の大物ヒーローは三代・氏康!大規模な検地・税制改正・家臣の軍役負担制度など領国支配体制を万全に整え、河越合戦に勝利して勢力を広げ群馬・千葉県まで進出しました。武田信玄と今川義元とは三竦みで睨み合うも、三国同盟を結ぶなど傑出した政治能力も語り草!


     ......三代・氏康は、関東管領の上杉氏を関東から排除し最大勢力を誇る拡大ぶり.....
c0119160_14390482.jpgc0119160_14401160.jpg
c0119160_14404152.gif


四代・氏政は上杉謙信や武田信玄の小田原攻めを退けています。守りを固め内政を充実させましたが、天下統一を目指す豊臣秀吉の野望により小田原攻めの敗北で切腹しています。五代氏直は敗北後、高野山へ追放。90年に亘る戦国大名北条氏による関東支配は終焉を告げました。


   ......(左)四代・氏政、小田原攻めで切腹  (右)五代・氏直、高野山へ追放され無念の死.....
c0119160_14441660.jpgc0119160_14444616.jpg
c0119160_14452311.jpg


     ......北条氏五代の歴史・文化を十分に学んだ後は、天守閣からの絶景を楽しむ!.....
c0119160_15061222.jpgc0119160_15070637.gifc0119160_15043477.jpg
c0119160_15080641.jpg
c0119160_15292292.jpg
c0119160_15300043.jpg


小田原城の出口には報徳二宮神社が鎮座しています。かつての小学校の校庭で、薪を背負って読書をしながら歩く少年の像でお馴染みだった、あの二宮尊徳を祭神として祀っている神社です。


      .....小さな努力の積み重ねが大切さを日本全国に教えた二宮尊徳は小田原の出身.....
c0119160_15550627.jpg
c0119160_15562049.jpg
c0119160_15563616.jpg
c0119160_15570103.jpg


リニューアルされた小田原城は、歴史ファン増加にあわせて解りやすく展示に工夫を凝らしていました。北条氏が小田原を拠点に戦国大名とし関東へ勢力を広げた経緯、五代に渡って栄華を誇った歴史、秀吉の小田原攻め滅亡、全体がよく理解でき大満足!今度は静岡県富士市へと向います!






★静岡県富士市へ!北条・今川・武田の三国同盟の史蹟訪問


   .....三代・北条氏康が今川義元(駿河)・武田信玄(甲斐)と三国同盟を結んだ善得寺(富士市)へ.....
c0119160_16091739.jpgc0119160_16004521.gifc0119160_16144299.jpg
c0119160_16095731.jpg


静岡県富士市の「善得寺公園」は「甲相駿三国同盟」と呼ばれる武田・北条・今川の相互不可侵同盟が結ばれた歴史的な場所。小田原~東名高速道で足を延ばしてみました。当時は静岡東部一番の大寺院(今川義元の軍師・雪斎が住職)でしたが、今は面影もなく単なる小公園で意外~!


    .....「善得寺跡」は富士市内の住宅地にあり、実に分かりにくい場所、ここで同盟締結か~.....
c0119160_16245841.jpg
c0119160_16251973.jpg
c0119160_16282134.jpgc0119160_16283784.jpg
c0119160_16285497.jpg







★静岡三島の新名所!話題の「三島スカイウォーク」初体験!


静岡富士からは一般道を使って三島・箱根経由で再び小田原へと戻ります。このエリアにも北条氏が創築した「山中城」(日本百名城)があります。そしてその手前には今話題になっている日本一の大吊橋「三島スカイウォーク」(2015年12月開業、全長400m)で空中散歩体験をしてみよう!


   .....「三島スカイウォーク」はオープン1年半を過ぎて大人気、日本最長の歩行者専用吊り橋.....
c0119160_16423134.jpgc0119160_16430534.jpg
c0119160_16435184.jpg


吊り橋の散歩は有料、チケット購入後、吊り橋に向かうと多くの人が列をなしている!歩き始めると、想像以上に揺れを感じ、スリル満点!一番高い場所は地上70m超の落差、足元はグレーチング構造で隙間から地面が見え、高い場所が大好きなRWでもドキドキ!これはなかなかの穴場スポットだ!


  ......日本一の大吊り橋!列をなす観光客、揺れてスリル満点・高所恐怖症の方は無理かも・・.....
c0119160_16474411.jpg
c0119160_16480474.jpg
c0119160_16495046.jpg
c0119160_16503439.jpg
c0119160_16511242.jpgc0119160_16532616.jpg
c0119160_16535898.jpg

橋の上は360度のパノラマビューで眺望抜群!駿河湾・伊豆の山並の絶景が一望できます。チョット残念だったのはガスで覆われ富士山が見えなかったこと・・。快晴ならば富士の壮大な絶景が出現!


     ......遥か先に沼津市街、連なる山は沼津アルプス、さらに背後に伊豆半島が見える.....     
c0119160_17015797.jpg
c0119160_17023545.jpg
c0119160_17041463.jpg

   ......もし快晴ならばこんな素晴らしい富士山・愛鷹山の絶景が見える!(ネット写真拝借).....   
c0119160_17045311.jpg





★北条氏の箱根防御拠点「山中城」、「芦の湖」経由で再び小田原へ


東海道・三島から小田原を攻めるには箱根峠を越えなければなりません。北条氏がこの交通要所に配置した防御拠点が「山中城」です。是非行きたかった城なので小田原へ戻る途中に訪問してみました。緑豊かな史跡公園で特徴的な戦略掘「障子堀」「畝堀」が残る美しい山城史跡です。


   ......「山中城」は、1560年代に小田原城を守る城として、北条氏により創築された.....
c0119160_17184486.jpg
c0119160_17190596.jpg
c0119160_17204532.jpg
c0119160_17210853.jpg
c0119160_17234214.jpgc0119160_17241583.jpgc0119160_17244560.jpg
c0119160_17251858.jpg


三島から箱根峠に登る「東海道」(現在の国道1号)の交通要所、西側には駿河湾と富士山を一望におさめ、伊豆韮山城も眺められる場所に位置した「山中城」。標高580mの箱根山中に北条氏康によって築かれた広大なる堅城は、武田信玄の侵攻に備えた小田原を守の要の山城でした。


    ......山中城は東海道の道筋を場内に取り込む形で設計され、自然地形を豊富に利用.....
c0119160_17483367.jpg
c0119160_17485150.jpg
c0119160_17525851.jpg
c0119160_17532893.jpg
c0119160_17545709.jpg
c0119160_17552066.jpg


再び小田原へ戻りますが、箱根旧街道(江戸時代の箱根越え)の道を通っていこう!♪「箱根の山は 天下の嶮~」、明治時代から唄われた唱歌「箱根八里 」(作曲:滝廉太郎)の名称で知られる天下の難所でした。この急坂の多い山道は江戸時代初期、幕府の官道として整備されました。


    .....昔は泥道だった箱根旧街道、江戸幕府が近代的な石畳道を敷き詰めて拡大整備.....
c0119160_17573987.jpgc0119160_17590570.jpg
c0119160_17593067.jpg


箱根観光の象徴「芦ノ湖」は標高724mに位置し、周囲20km、最深部は43.5m、3千年前に起きた大涌谷付近の噴火によって生成されたカルデラ湖でこの水は小田原・箱根エリアの恵みの水源です。


     .....箱根観光は「芦ノ湖」遊覧は欠かせない。箱根街道は有名な浮世絵が沢山!.....
c0119160_18050145.jpgc0119160_18052690.jpg
c0119160_18060537.jpg

小中学校時代、箱根山は浮世絵イメージで相当な難関峰と思っていましたが、こんな断崖絶壁の山ではありません。しかし東海道を徒歩往来するには難所の山、歴史上の交通要所を守る重要拠点の意味が深く、箱根を制すれば天下が取れる「天下の嶮」として謳われてきたのだと思います。

c0119160_18085106.jpgc0119160_18092071.jpg
c0119160_18094344.jpg






★秀吉が北条氏を滅ぼした「石垣山・一夜城」


最後は再び小田原に戻り、今度は豊臣秀吉が築いた「石垣山一夜城」を訪ねました。秀吉は天下統一事業の仕上げとして、屈服に応じない北条氏と相対することになり、1589年小田原征伐に乗り出しました。全国の大名を小田原に集結させて総勢20万を超える大軍で小田原城を包囲したのです。小田原城を見下ろす笠懸山に、ある日突然「一夜城」が現れ、これを見て北条氏は愕然としました。


     ......秀吉が笠懸山(小田原城を完全に監視する位置)に築いた「石垣山一夜城」.....
c0119160_19291352.jpgc0119160_19293815.jpg
c0119160_19314270.jpg
c0119160_19414367.jpgc0119160_19432911.jpg
c0119160_19454573.jpg

秀吉は事前に大量の兵糧を買占め、北条征伐を長期戦も辞さぬ覚悟で臨み陸海から完全に小田原城を包囲。これに対し北条方では秀吉大軍をどうやって迎え撃つか小田原城に重臣が集まり話し合いが行われますがいつまで経っても結論が出ません。これが「小田原評定」の語源由来です。


      ......石垣山一夜城の入口、関東で初の野面積み城の頂上部へと登って見よう!.....
c0119160_19514451.jpg
c0119160_19521549.jpg
c0119160_19535701.jpg
c0119160_19542564.jpg

石垣山城は、笠懸山(小田原城の西)に秘かに城を築き、完成後に周囲の木を伐採して一夜で総石垣の城を築いたように見せたことから「石垣山一夜城」と呼ばれます。城の出現を見て北条将兵は戦闘意欲を完全に喪失し、四代・氏政は観念して切腹。ついに北条の歴史が終わりました。


     ...... 石垣山城頂上に立つと小田原の街が一望!確かに小田原城を見下ろす位置だ!.....
c0119160_20222198.jpgc0119160_20233329.jpgc0119160_20241960.jpg
c0119160_20250008.jpg

石垣山城は、長期戦に備えた城構えで秀吉の威信を示す大本営でした。征伐100日間には淀殿や千利休が大阪から呼ばれて茶会が催され、天皇の勅使も迎え能役者や猿楽師も呼ばれ華やかな宴会も催されたとのこと。こんなビッグネーム達が小田原に長く滞在していたとは知らなかった~!


     ......この山に秀吉・家康・淀君・利休等が長期陣を張って滞在していたと思うと凄い!.....
c0119160_20325402.jpgc0119160_20331685.jpgc0119160_20333106.jpgc0119160_20343462.jpgc0119160_20345381.jpgc0119160_20350534.jpg

北条氏の降伏により秀吉はその後天下統一を実現、120年続いた戦国時代は終焉を迎えました。敗者は歴史を塗り替えられ、北条氏は愚者に祀り上げられたため我々のイメージも希薄ですが、関東の一大勢力として五代に渡り繁栄した実力はもっと評価されてもいいのではないかとも思いました。小田原城リニューアルで北条氏人気は高まっており、いつか大河ドラマにも取り上げられることでしょう!


       ......難攻不落の異名を誇った小田原城、この強固な城が小田原の繁栄を築いた.....
c0119160_20450185.jpg
c0119160_20453870.jpg

                  


                          「過去に紹介した「戦国武将」のレポート」はコチラから

                                                         おわり



  by rollingwest | 2017-09-25 19:20 | Comments(156)

<2015年8月>「毛野国」探訪④:(源氏・東国武士のルーツ探訪)

c0119160_5554333.gifc0119160_5555680.jpg
c0119160_556615.jpg


                               「毛野国探訪」③:(足尾銅山&田中正造)より続く



★清和源氏の流れを汲む「東国武士」のルーツ紹介!


両毛エリア(群馬・栃木)の魅力を紹介するシリーズ「毛の国探訪」(第4編)は源氏をルーツとする関東の有名武将の所縁の地を紹介。「太平記」(鎌倉末期・建武新政が記載)の主人公「足利尊氏・新田義貞」の出身は両毛地区です。所謂ゆる「坂東武士」とは一体何なのか?を明らかにしていきます。


   .....「太平記」の主人公・「足利尊氏」は栃木県足利市、新田義貞は群馬県「太田市」の出身.....
c0119160_55936.jpgc0119160_5591580.jpg
c0119160_5592723.gif


ところで徳川家康のルーツは一般的には愛知三河と認識されがちですが、実は群馬県太田市であることを御存知でしょうか?太田市の「世良田(serada)東照宮」は日光東照宮から家康遺骸を改葬した1644年建立されました。これを知ったのは5年前、いつか来ようと思い念願が叶った~!


    .....太田市「世良田(serata)東照宮」は2015年に家康の没後400年で結構賑った.....
c0119160_643578.jpgc0119160_644778.jpg
c0119160_65795.jpg

c0119160_681185.jpg
c0119160_682293.jpg


源頼朝・足利尊氏・徳川家康・・、ともに征夷大将軍に任ぜられましたが、実は将軍になる必須条件は「清和源氏」系(清和天皇を祖とする諸流)だったのです。頼朝と尊氏は間違いなく清和源氏の系統ですが、家康の場合はチト怪しいとも謂われ征夷大将軍となるために捏造があったという説もあります。


   .....「清和源氏諸流」(八幡太郎・義家)の子孫しか、「征夷大将軍」にはなれなかった!.....
c0119160_6112385.jpgc0119160_6113583.jpgc0119160_6121883.gifc0119160_6123744.jpg
c0119160_6125597.jpg


戦国武将の殆どは源氏or平氏末裔だと名乗っています。平氏(桓武天皇系統)の系統は平清盛・鎌倉北条氏・織田信長・明智光秀・小田原北条氏・・、かたや源頼朝・足利尊氏・徳川家康・武田信玄は源氏系統。政権は源平で交互に入れ替わったのです。確かに事実だ!非該当は秀吉だけ・・


  ....清和天皇系統図、源頼朝・義経、足利・新田の祖先もここに始まる。武田信玄も源氏の流れ.....
c0119160_625144.jpgc0119160_6251671.jpgc0119160_7158100.jpgc0119160_6253271.jpg
c0119160_6254698.jpg


源氏・平氏末裔は皇族子孫ですが、藤原氏の専制で中央における活躍の場は全くありませんでした。彼らは東国(坂東)に下向し、私墾田を開発し徐々に実力を蓄積していったのです。関東で起きた「平将門の乱」はその象徴事件!源氏も八幡太郎義家が着々と東国に地盤を築いていきました。


    ....東京大手町の「平将門の首塚」(祟りが強烈)、平氏から分派した東国武士の代表格.....
c0119160_2157172.jpgc0119160_21571767.jpg
c0119160_21573228.jpg


名武将達は皇室の流れを汲む源平末裔と名乗り、高貴なる血統継承者として権威を高めたかったのでしょう。平清盛→源頼朝→北条氏(平氏)→足利尊氏(源氏)・・・後醍醐天皇(天皇親政)・・・織田信長(平氏)→秀吉(例外)と来たので、家康は次は絶対自分は源氏末裔と名乗ると画策したのかも・・





★新田義貞の史蹟を訪問


世良田東照宮の隣には「新田荘歴史資料館」(1985開館)がありました。ここには、鎌倉・稲村ヶ崎で奇跡を起こした新田義貞の伝説(黄金太刀を投げ入れ龍神に祈願)の銅像が立っているぞ!


   ....「新田荘歴史資料館」(世良田東照宮に隣接)のモニュメントは「新田義貞の龍神祈願像」.....
c0119160_2210512.jpgc0119160_2211647.jpg
c0119160_22112838.jpg


その伝説は、①新田義貞が後醍醐天皇綸旨を受け鎌倉幕府を攻めたものの稲村ヶ崎に来たら満潮で通過不可能に!②海上から北条の大軍が迫って来た!③義貞が海に黄金太刀を投げ入れて龍神に祈願すると潮が引いた!④北条軍も遠く沖に流され進軍突破ができた、という伝説です。

                           <2013年>鎌倉・湘南探訪(稲村ケ崎)の記事はコチラから


   .....(左)太平記で語られる「新田義貞の遠征ルート」 (右)稲村ヶ崎での龍神への祈り伝説図.....
c0119160_2215460.jpg
c0119160_22151630.jpg


次は新田義貞故郷にある「生品神社」(新田義貞挙兵伝説地、1934年国指定史跡)を訪問しました。境内に義貞が旗挙げの「旗挙塚」や陣を構えた「床几塚」があります。鎌倉攻めの稲村ヶ崎において、 龍神への祈りが通じたのも霊験あらたかな生品神社のご加護があったからなのかも・・


  ....1333年、新田義貞は後醍醐天皇の命を受け、鎌倉幕府を滅ぼすため「生品神社」で挙兵.....
c0119160_22231659.jpgc0119160_22233733.jpgc0119160_22235210.jpg
c0119160_22241177.jpg

c0119160_2231125.jpg
c0119160_22311637.jpg


    .....稲村ヶ崎・龍神の祈りの奇跡は、生品神社の神がを叶えたのだろうか・・!?.....
c0119160_22332882.jpgc0119160_22334754.jpgc0119160_22348100.jpg
c0119160_22342930.jpg


今度は太田市・山合にある金山城に登ってみました。太田市周辺はかつて新田一族が治める荘園だったため、新田義貞が築城したと言われますが、実際は横瀬氏というは新田家老直系のようです。金山は190mの独立峰ですがここに要塞の様な山城が築かれていたのです。凄い迫力!


    .....(左)まさに要塞の様な石垣 (右)金山城(日本100名城、関東7名城)の鳥瞰図.....
c0119160_5383834.jpgc0119160_5385266.jpg
c0119160_5391369.jpg


   .....井戸「月の池」登場!岩盤を掘り下げて湧水点を探し当てるとは並々ならぬ技術力!.....
c0119160_5443271.jpg
c0119160_547432.jpg


金山城は、中世の城には殆ど見られない石垣が用いられた近世のような城郭だ!月の池なる巨大井戸を過ぎ、さらに進むと要塞のような竪堀が次々と登場!よくもまあこんな急峻な山上に城を築く気になったもんだ!防衛上や見晴らしはいいが、こんな不便なところに住むのは嫌だなあ・・。


   .....(左)頂上部には新田神社が鎮座  (右)要塞の様な石垣が次々と積み上がっている.....
c0119160_5533668.jpgc0119160_5535440.jpg
c0119160_5541790.jpg


      .....頂上部には物見台がある。石壇や柱石群も発見され、展望用の施設が!.....
c0119160_60730.jpg
c0119160_603555.jpg

群馬県太田市(上野国)で新田義貞ゆかりの地を十分堪能し、次は栃木県足利市(下野国)へと入ります。やはり渡良瀬川はいつ来てもいいなア・・。森高千里や相田みつをが魅せられる訳だ!


    .....両毛エリアを象徴する渡良瀬川。森高千里の名曲「渡良瀬橋」は素晴しい~!.....
c0119160_623146.jpgc0119160_624513.jpg
c0119160_63278.gif

c0119160_673036.jpgc0119160_674882.jpgc0119160_671633.jpg


                     「毛の国」探訪②:(足利・桐生・渡良瀬川)の記事はコチラから





★ちょっと寄り道。「佐野厄除け大師」&「佐野ラーメン」


佐野市(栃木県)は、隣接する館林市・足利市・桐生市・太田市と同じで群馬県なのか栃木県なのか?他県民からは殆ど判別がつきません。両毛エリアは埼玉県も含み3県境エリアが一緒くた・ゴッチャになっているので解りにくいネ~!でも佐野といえば厄除け大師とラーメンが全国的に有名です。


      .....超有名寺院「佐野厄除け大師」は佐野市ゆるキャラ「さのまる君」がご紹介....
c0119160_6194120.jpgc0119160_619576.jpg


c0119160_6202547.jpg
c0119160_6203920.jpg


JR佐野駅・南西側の春日岡山にあり、惣宗寺の名前より佐野厄除け大師の通称の方でよく知られている天台宗の寺院です。第18代天台座主の良源(比叡山中興の祖)が平安時代に開創したとのこと。厄よけ・身体安全を中心に家内安全・商売繁盛・心願成就などに御利益があるらしい。


     ....関東全域から多くの人が参拝客で賑わう。年末年始と厄除け時期は大混雑!.....
c0119160_715994.jpg
c0119160_722085.jpg

佐野市には2013年「ゆるキャラ・グランプリ」で優勝した「さのまる」や佐野プレミアムアウトレットも有名!しかし一番有名なのは佐野ラーメン!各店に個性がありますが、手打麺と透き通る淡白味スープの2点が共通しています。青竹で打った麺が特徴で、RWは万里という店に入りましたが旨かった~!


   .....(左) 「佐野厄除け大師」の目の前にある店 (右)「万里」は国道沿いにあるお薦め店.....
c0119160_735027.jpgc0119160_74940.jpgc0119160_742876.jpg
c0119160_745095.jpg


          .....渡良瀬川に車を走らせて行き、さあ次は栃木県・足利市へ!.....
c0119160_795725.jpgc0119160_7101767.jpg





★足利市内探訪(日本最古の学校と足利尊氏のルーツを訪ねる)


  ......(左)「足利学校」のシンボル学校門 (右)日本遺産に認定され今後は世界遺産も目指す.....
c0119160_20414923.jpgc0119160_2056591.jpgc0119160_20431240.jpgc0119160_2049418.jpg
c0119160_20441157.jpg


足利で一番有名なのは日本最大の藤ガーデン「あしかがフラワーパーク」かも・・。しかし「足利学校」(日本最古の学校)と足利尊氏のルーツ「鑁阿寺」(bannaji)を紹介しない訳にはいきません。フランシスコザビエル(イエスズ会宣教師)が「日本最大の大学」と世界に紹介した驚くべき学問の府だったのです。


   .....往年の姿が見事に復元されている。茅葺屋根の方丈(講義場)や庫裏(台所・食堂).....
c0119160_2104444.jpgc0119160_2111489.jpgc0119160_2113071.jpg




c0119160_2115595.jpg


日本最古の学校の堂中央には孔子廟が鎮座し、右手に茅葺屋根の方丈や庫裏、さらに巡ると衆寮があります。遺跡図書館には古文書が多数保管。関東管領上杉憲実が学校整備したとのこと


    .....(左)ミニチュアで足利学校の全貌も再現 (右・下)孔子廟は徳川4代将軍・家綱が造営.....
c0119160_21101991.jpgc0119160_21103588.jpg
c0119160_21111499.jpg

c0119160_21161528.jpg
c0119160_21162638.jpg


創建は不明ですが平安初期に小野篁が建てたとも・・、足利2代目義兼が子弟を教育する学問所がルーツ等、色々な説がありますが歴史が実に深い!かつて古えの学生達はどんな想いで学生生活を過したのだろう。足利学校では入場券代わりに入学証が発行されてRWも入学生になった~




★足利尊氏のルーツ、「鑁阿寺」(bannaji)を最後に訪問

今回最大の興味ある場所「鑁阿寺」へ念願の訪問が実現しました。このお寺は足利尊氏のルーツであり市民からは「大日様」として親しまれている国の史跡で最近「日本遺産」にも指定されました。足利氏始祖である源義国が当地に居館を築き大日如来を祀り足利氏の氏寺として崇められます。


   ....「鑁阿寺」は周囲を濠に囲まれ広い城郭のよう!歴史深い風情の中で学校門へ向う.....
c0119160_21184946.jpgc0119160_2119685.jpgc0119160_21192569.jpgc0119160_21194074.jpg
c0119160_21262636.jpg


   .....(左)学校門をくぐると国宝指定された大御堂(本堂)が見えて来た!威厳があるネ~.....
c0119160_21353157.jpg
c0119160_21355854.jpg
c0119160_21361725.jpg
c0119160_21363279.jpg


どっしり構えた山門が歴史あるお寺の風情を醸しています。武家屋敷で周囲は濠とによって囲まれたまるで城郭のような厳重な作りになっています。重厚ながらもどことなく優雅な雰囲気の佇まい!太鼓橋を渡って鑁阿寺の境内へ!普通のお寺とは少し違う!鑁阿寺ならではの光景!


    ....(左)現在の本堂は足利氏7代足利貞氏が鎌倉時代に再建  (右)足利氏の家紋.....
c0119160_214109.jpgc0119160_21412486.jpgc0119160_21413832.jpg
c0119160_21415956.jpg


後醍醐天皇・建武新政が独裁的だ!と不満が高まる中、足利尊氏は武家独自政権を創始する動きを見せます。後醍醐天皇はこれに激怒して尊氏討伐を命じました。天皇派武士は北畠顕家・楠木正成・新田義貞・・、天皇に闘いを挑み南北朝を分裂させた尊氏は逆族イメージが今も残っています。


   .....(左)太平記:足利尊氏の遠征ルート(東北から九州まで) (右)鑁阿寺国宝指定は2013年.....
c0119160_22163565.jpgc0119160_22165036.gif
c0119160_22152615.jpg

       .....約40,000㎡ある鎌倉時代の武家屋敷「足利氏宅跡」として国の史跡に指定.....
c0119160_21485177.jpg
c0119160_2149347.jpg

一見、地味に見える両毛エリアですが、徳川家康・足利尊氏・新田義貞というビッグネームの故郷だったという事実にはあらためて驚きを隠さざるを得ません。お宝物が次々と発掘できたRWには相当嬉しい旅となっています。あと2回くらい魅力満載「毛の国」探訪の記事をレポートしたいと考えております!

        
         .....新田は群馬県、足利は栃木県。でも実際は同じエリア(源氏ルーツのライバル同士).....
c0119160_21503321.gif
c0119160_21504494.jpg



                     「毛の国」探訪①群馬県:「高崎・安中・館林」の記事はコチラから



                                                        おわり

  by rollingwest | 2017-02-02 22:59 | Comments(150)

<2016年1月>真田一族のルーツ・史蹟探訪(上田・松代・沼田)

c0119160_759753.jpg


★話題の2016年大河ドラマ「真田丸」がスタート


戦国時代の人気武将「真田幸村」(信繁)と抜群の強さを誇った真田三代を描いたNHK大河ドラマ「真田丸」が遂にスタートしました。朝ドラは絶好調でも大河視聴率が低迷のNHKに焦りが感じられ、今回にかける意気込みは相当強い気がします。第1回視聴率は20%近い数字でまずまずのスタートかな・・


     ....2016年大河ドラマ「真田丸」、(主演)堺雅人(脚本)三谷幸喜は好調な視聴率発進.....
c0119160_81538.jpgc0119160_804856.jpgc0119160_812182.jpg


c0119160_813758.jpg

c0119160_12344793.jpg
   
真田の家紋は「六文銭」(三途の川・渡し賃)、死を恐れない不惜身命の決意が家紋に漲っている!そして天下を分ける関ヶ原の戦いを迎え、何れかについても真田一族の血流を残すため親子が別れをする決断(犬伏の別れ)、まさに戦国時代ロマンを感じさせるドラマ展開に大いに期待がもてます。


 ...3年前に亡くなった義母(右)も交えた信州家族旅行(2012)で上田城を訪問(懐かしき思い出)....
c0119160_873085.jpgc0119160_8143429.jpgc0119160_8144782.jpg
c0119160_8151024.gif
c0119160_8152718.jpg


                          両親連れて2012家族旅行(上田城)の記事
  
真田丸の舞台は全国的(長野・群馬・栃木・山梨・大阪・滋賀・和歌山・岐阜)ですが、やはり一番脚光を浴びるのは真田一族のルーツ・城を構えた長野県(上田・長野松代)でしょう。2012年信州家旅行で上田城を見学して以来、真田一族に興味が湧きここ4年間で帰省の折に数回史跡を訪ねました。


           ....(左)上田・真田の里の地図 (右).真田一族の家紋「六文銭」...
c0119160_83312.jpgc0119160_8331631.jpg

c0119160_8334666.jpgc0119160_8335887.jpg
c0119160_8341014.jpg


今回レポートは過去訪問した上田市・長野松代町・真田町・沼田市(群馬県)の真田史蹟「海津城」(2010)、「上田城」(2012)、「真田宝物館」(2014)、「真田氏歴史館」(2015)、「沼田城」(2015)などの撮り溜めた写真を再編集して大河ドラマ視聴率向上への応援団に志願します。祝・出航「真田丸」~!





★徳川大軍を撃退、天下に名を轟かせた「上田城」


上田城は、真田昌幸(幸村の父)が築いた平城(1583)で、上田盆地中央に位置しています。堀と土塁で囲まれ、入口に石垣を使った堅牢な城。2回の上田合戦で徳川勢大軍を攻略・撃退し、天下に名を轟かせました。数ある全国の城郭で2度も輝かしい戦果をあげた城は他には例がないのです。


     ....(左)上田城西櫓 (右)関ヶ原合戦の際に徳川秀忠軍を堂々と迎え撃った真田軍...
c0119160_8463057.jpgc0119160_8465493.jpg


c0119160_848916.jpg
c0119160_8482244.jpg

   
上田城本丸・二の丸の崖下には千曲川深い分流があり、天然の堀となっていました。城内は石垣や土塁が多く残されています。西櫓は尼ヶ淵河岸段丘上に築かれた本丸隅櫓。外壁は下見板張り、格子窓がある「武者窓」や、矢や鉄砲を放つための小窓「矢狭間」「鉄砲狭間」も設けられています。


         ....(左)「六文銭」の旗がたなびく真田神社 (右)真田氏家紋の赤兜....
c0119160_9171221.jpgc0119160_9172724.jpgc0119160_9174185.jpg

c0119160_918321.jpg

   
真田城の中には真田神社があり、この境内に残る本丸唯一の井戸は直径2m、深さは16.5mに達します。井戸には抜け穴があり、上田市内に通じており抜け道や物資輸送に使われたと云われます。


      ....(左)酒樽茶室、中を覗くと畳がある (右)真田の井戸(外部との秘密連絡路)....
c0119160_9291285.jpgc0119160_9292980.jpg
c0119160_9294692.jpg


真田親子の物語ハイライトは「犬伏の別れ」、関ヶ原の合戦直前、犬伏(栃木県)で真田親子は話し合いの場を持ち、徳川・石田のどちらに従うかを決定します。結果的に親子は、真田の血を絶やさぬために長男・次男が東西に分かれるという選択をしたのです。まさに真田家ドラマのクライマックス名場面!


 ....(左)大坂夏の陣屏風 (右) 「犬伏の別れ」、真田の血を絶やさず東西軍に分かれた真田親子....
c0119160_9383159.jpgc0119160_1053961.gifc0119160_1061771.jpg

c0119160_1065151.jpg






★真田氏発祥の地「真田町」(現・上田市)


真田町(上田市に合併)は真田氏一族の発祥の地、今も町の随所に真田氏縁の寺社や城跡が残り往時を偲ばせてくれます。まずはルーツのエッセンスを勉強できる「真田氏歴史館」を訪問してみよう!


       ....(左)真田氏発祥の地「真田町」を訪問  (右)「真田氏歴史館」の外観....
c0119160_1027108.jpgc0119160_10273718.jpg

c0119160_1028143.jpg

c0119160_1033277.jpgc0119160_1034018.jpgc0119160_10342830.jpg

c0119160_1034525.jpg


真田氏歴史館は武田二十四将として活躍した真田幸隆を始め一族の歴史を古文書や武具等の豊富な資料で紹介しています。館内展示は年代に沿った紹介なので真田氏の活躍の様子をわかりやすく理解できるネ~!真田昌幸・信幸・幸村(信繁)親子の復元甲冑・六文銭の旗なども展示されている!


  ....(左)真田氏歴史館エントランス (中)真田信幸(信之)の甲冑 (右)真田幸村(信繁)奮戦の図....
c0119160_10424121.jpgc0119160_10425892.jpgc0119160_10433875.jpgc0119160_10435773.jpg


c0119160_1044183.jpg


御屋敷公園が隣接しており、ここは真田氏が上田城に移る前まで用いていた居館跡(中世豪族の居館が完全な形で保存)も立派!中央部には皇大神宮が勧請され祀られている・・何と驚きだ~!


     ....(左)真田昌幸(幸村の父親)肖像 (右)御屋敷公園.に鎮座する真田氏館跡...
c0119160_11135575.jpgc0119160_1114194.jpgc0119160_11145365.jpg

c0119160_1115271.jpg


山家神社は景行天皇期(2世紀)に日本武尊を合祀したと伝わっており、災厄の霊験あらたか!奥社(四阿山頂)には加賀「白山比咩神社」の分霊を合祀しており武将民衆の崇敬が篤い神社です。


     ....真田郷の産土神が祀られた歴史ある「山家神社」(上田城の鬼門除の守護神)....
c0119160_1131463.jpgc0119160_1132356.jpgc0119160_11322982.jpg




c0119160_11325175.jpg

c0119160_1240592.jpgc0119160_12402044.jpgc0119160_12403636.jpg

c0119160_12405658.jpg


真田本城は真田一族発祥地の城で、真田昌幸が上田城を築くまでの居城地でした。平時の政務機能は麓にある真田氏館跡に置かれていましたが、真田本城は戦時用の最後の砦という感じかな・・


         ....真田氏本城(山城)を訪ねてみたがまだ整備は始まったばかり....
c0119160_1248395.jpg
c0119160_12481917.jpg

信綱寺は真田昌幸の兄・信綱の墓がある寺。勇猛果敢だった信綱が愛用した鎧胴や長篠の戦いで討死した信綱の首を包んだ血染めの陣羽織、昌幸からの書状などが寺宝として遺されています。


    ....真田信綱の墓がある「信綱寺」は立派な寺門が!宝物館に歴史的遺品が数多く保蔵....
c0119160_12501641.jpgc0119160_12502765.jpg




c0119160_12505254.jpg

c0119160_1256106.jpgc0119160_12563244.jpg

c0119160_12564968.jpg


信綱寺の次は、真田幸村(信繁)の父・真田昌幸と祖父・真田幸隆の墓がある「長谷寺」(choukokuji)へ訪問。連綿と受け継がれた真田家の中興の祖的な存在に手を合わせ真田町の締めとしました。


          ....(左)真田氏の菩提寺「長谷寺」  (右)長谷寺の境内を散策....
c0119160_1322342.jpg
c0119160_1325759.jpg





★日本史に重要な足跡を残す長野松代、「真田宝物館」等の史蹟を大満喫


松代町はかつて埴科郡の独立町でしたが今は長野市に併合されています。江戸期は松代藩の城下町であり佐久間象山を輩出。昭和期の太平洋戦争末期では国家中枢機能移転を目的として松代大本営の地下坑道が造られたことで有名です。昨年公開した記事より松代(前編)を御覧下さい。

                          <2014年4月>「松本・松代の史蹟探訪」(前編)
  
   ....(左)信州もう一つの真田史蹟の見所「長野松代」 (右)海津城跡之碑(2010年に訪問)....
c0119160_135389.jpgc0119160_1355598.jpg
c0119160_1362210.jpgc0119160_136432.jpg

c0119160_1371050.jpg


「松代城」は川中島合戦で武田信玄の本陣となった城郭であり、別名を「海津城」とも呼ばれます。
三方を山に囲まれた平城(山本勘助が築城)ですが、千曲川を堀とした天然の要害だったのです。改名は、江戸時代に真田家が藩主入城してからで現在は海津城址公園として整備されています。


    ....武田信玄の川中島合戦時は「海津城」、真田一族が治めた時は「松代城」と呼ばれた....
c0119160_13163515.jpgc0119160_13161051.jpg


c0119160_13171669.jpg


       ....(左)真田十万石まつりの風景  (右)松代城のお堀・城郭の堅固な守り....
c0119160_13242135.jpgc0119160_1325325.jpgc0119160_13255633.jpg


c0119160_13244454.jpg


真田公園は旧松代藩真田十万石の真田邸と松代高校跡地を整備して公園化、隣接して真田邸・宝物館・松代文武学校・樋口家住宅などがあり、落ち着いた城下町の雰囲気を醸し出しています。


     ....(左)樋口家住宅前 (右)旧・松代藩鐘楼(佐久間象山の電気通信実験で有名)...
c0119160_13351248.jpgc0119160_13354315.jpg

c0119160_13362100.jpg


          ....真田公園を入り、松代城下町を散策。実に風情がありました.....
c0119160_13394074.jpg
c0119160_1340555.jpg
             
昭和41年に真田家12代当主から1966(譲られた武具・調度・書画など大名道具を収蔵・展示する博物館として開館。 国の重要文化財「青江の大太刀」、真田昌幸(信之・幸村の父)所用の「昇梯子の具足」、武田信玄・豊臣秀吉・石田三成・徳川家康らの書状など貴重な資料は約5万点にも及びます。


           ....「真田宝物館」を見学、真田の甲冑と六文銭の旗がまず登場!....
c0119160_1348831.jpgc0119160_134731100.jpg



c0119160_13483458.jpg


      ....(左)真田昌幸と幸村(信繁)の像 (右)歴代の真田藩主がズラリ並び立つ....
c0119160_13553352.jpg
c0119160_13554782.jpg

           ....(左)海津城大御門鬼瓦 (右)信濃の地図が横になっている....
c0119160_1358023.jpgc0119160_13582222.jpg

c0119160_13584093.jpg


江戸時代、大名妻子は生涯江戸住まいを義務づけられていましたが14代将軍・徳川家茂が参勤交代制度を緩和し妻子帰国が許可されたことで松代にも屋敷が必要となり真田邸が造られました。


      ....(左)真田邸(国指定史跡) (右)中は凛とした空気が流れ落着いた雰囲気....
c0119160_1413027.jpgc0119160_1414727.jpg


c0119160_142789.jpg


       ...(左)居間の雰囲気も素晴らしい~! (右)江戸時代のトイレ (下)和弓道場....
c0119160_1445533.jpgc0119160_1453056.jpg

c0119160_1455349.jpg


                 ....(左)松代城付属御殿跡 (右)文武学校....
c0119160_1494782.jpg
c0119160_1410755.jpg

長国寺は真田家菩提寺、信幸の霊屋、真田幸村(信繁)・父子の供養碑、歴代松代藩主の墓所、真田幸隆・昌幸・信綱の供養碑など見所満載。真田家の家紋がある本堂屋根が兜みたいで興味深い!


      ....真田家の菩提寺「長国寺」(曹洞宗の修行道場)、六文銭の櫓が秀逸!....
c0119160_1412838.jpgc0119160_14122927.jpgc0119160_14124340.jpg






c0119160_1413022.jpg


           ....松代藩祖・初代真田信之から十代にわたる真田家歴代の墓所....
c0119160_14195083.jpgc0119160_14202211.jpg

c0119160_14204439.jpg


             ....(左)初代藩主真田信幸の霊屋  (右) 長国寺本堂の雄姿....
c0119160_14242443.jpgc0119160_14244270.jpg

c0119160_1425339.jpg


長野県(上田・松代)での真田史蹟はこの他にも角間渓谷(真田忍者修行の地と伝わる景勝地)や米山城・砥石城等がありますがまだ全て訪問し切れていません。次は群馬県の沼田の史蹟を紹介




★小松姫の逸話も真田物語のハイライト(群馬県沼田市)


沼田城は、天正年間に沼田氏が築きましたが、上杉・北条・武田で争奪が繰り返され、沼田氏は滅亡。その後、武田方の真田昌幸が沼田城を攻め取り、真田・北条の攻防のせめぎ合いが続きました。


         ....(左)沼田城址公園(群馬県沼田市) (右)城址公園の案内板....
c0119160_14332330.jpgc0119160_14334152.jpgc0119160_1434797.jpg



c0119160_14342223.jpg

  
     ....(左)沼田城址公園の鐘楼 (右)沼田の名物・大天狗 (下)真田氏歴史解説....
c0119160_14411640.jpgc0119160_1441419.jpg

c0119160_1442852.jpg


関ヶ原合戦で長男(信幸)・次男(幸村)が東西に分かれる選択をした真田家、父親昌幸は幸村(信繁)と行動を共にします。犬伏の別れ後、父・昌幸が上田城に戻る途中、沼田城に立ち寄りました。留守城を独り守っていた小松姫(敵対となった信幸の妻)に、昌幸が「孫の顔を一目見たい」と懇願します。


           ....(左)小松姫のエピソードで有名な正覚寺  (右)小松姫の墓所....
c0119160_14464785.jpgc0119160_1447015.jpg

c0119160_14473310.jpg


小松姫は城内から昌幸に向かって大声で叫びました。「父君の名を語る不埒な奴。我は女なれど沼田城主・真田信之の妻!全員を捕らえ首を取るぞ」。昌幸は小松姫の堂々たる姿に驚嘆しました。


            ....(左)沼田市街が一望  (右)ぐんまちゃんと小松姫がコラボ....
c0119160_1450177.jpgc0119160_14503698.jpg


c0119160_1450532.jpg


しかし小松姫の態度は、あくまでも沼田城を守る家臣らに真田氏が敵味方に分かれたことを認識させるためでした。小松姫はひそかに城近くの正覚寺に昌幸・幸村(信繁)父子を案内し、温かく酒や料理をでもてなし孫達を昌幸に会わせたのです。沼田市街を見下ろし小松姫の墓も堂々としていました。


         ....大坂冬の陣:真田丸、この要塞と真田家の船出の意味も含む真田丸....
c0119160_14534486.jpgc0119160_14535645.jpg

c0119160_1454137.jpg

          
真田丸とは1614年、徳川家康が大阪城を攻めた「大坂冬の陣」の際、豊臣方の武将・真田信繁(幸村)が大阪城の平野口に築いた出城の名称で、防御攻撃に多大な戦果を挙げた柵で囲われた土塁


        ....日本一の兵とも云われる真田一族のドラマ展開がこれから大いに楽しみ!....
c0119160_1457154.jpgc0119160_14581235.jpg



c0119160_14582725.jpg


その土塁城に因んで大河番組名は真田家が荒波を渡っていく船の名前にも掛けています。これから一体どんなドラマが展開されるのでしょうか!大いに楽しみです!再び真田丸の出航にエール!

                                       NHK大河ドラマ「真田丸」


                                                         おわり

  by rollingwest | 2016-01-17 15:30 | 旅の風景 | Comments(107)

<2011年8月2日>謙信・信玄ゆかりの地を行く(その3)&甲斐の国探訪(その3)



★甲斐の国探訪といえば・・、やはり「武田信玄」


3年前、仕事の関係で甲斐の国を多く訪ねる機会に恵まれました。山梨県は面積4465㎡(全国32位)、山に囲まれる狭い甲府盆地を中心に13市が押しクラ饅頭のように犇めいています。新たな市名が多く甲府や韮崎は別にして馴染みのない名前ばかり・・。平成市町村合併の弊害ですかネ~。ようワカラン・・


  .....(左)平成大合併山梨県には馴染みない新設市が乱立 (右)甲府周辺の見所spot.....
c0119160_18192191.gifc0119160_18194836.jpg
c0119160_18201420.gif


                                      甲斐の国探訪シリーズはコチラから


甲斐の国といえばやはり「武田信玄」を抜きに語ることはできません。「人は城、人は石垣、人は堀、情は味方、仇は敵なり」・・、地元領民を守ることを優先とし治水事業・新田開発に力を尽くし、金山採掘での莫大な資金獲得、士気高い軍事力の増強。正に名経営者の鏡、山梨県民が崇敬する伝説の武将!

c0119160_18254927.jpg


甲府駅を降りると駅脇に堂々たる「信玄公」が鎮座し睨みを利かせています。「甲斐の国をいつまでも見守り続けるぞ・・」と迫力ある姿は頼もしい。4月には「信玄公祭り」が行われ「風林火山」の幟をたなびかせた武者行列絵巻が繰り広げられます。山梨の人達は「信玄公」を深く尊敬している気がする。


     ....(左)甲府駅前に鎮座する「信玄公の銅像」(右)信玄が旗に掲げた「風林火山」.....
c0119160_18372687.jpgc0119160_18375048.jpgc0119160_1836443.jpg








c0119160_18381228.jpg


     ........4月上旬に行われる「信玄公祭り」、騎馬の武者行列が甲府市内を進んでいく。.....
c0119160_20195486.jpgc0119160_20201225.jpg
c0119160_20202980.jpg


小生は越後出身なので当然「上杉謙信」ファンですが、09年末の帰省時に信州「川中島の合戦地」と越後の「春日山城」を訪ねました。両雄に所縁ある地は、数年前から意識して訪れるようにしています。


                            「謙信・信玄ゆかりの地を訪ねて」のシリーズはコチラから





★「武田神社」:信玄が拠点を構えた「躑躅ケ崎」居館跡


甲府駅から北に裾野坂を上がっていくと、高台から市内を見守るように信玄公を祀った「武田神社」が鎮座しています。大正8年、大正天皇の即位を契機に創建されました。この地は武田氏三代が63年間に渡って国政を執った「躑躅ヶ崎」(tsutsujigasaki)の居館跡であり国の重要史跡に指定されています。


            .......「武田神社」の本殿、入口には「風林火山」の幟がはためく.....
c0119160_20443634.jpgc0119160_2045718.jpg

c0119160_20453371.jpg


「躑躅ヶ崎」の居館は戦国大名の中でも全国最大級の規模を誇るとのこと。この館には信虎・信玄・勝頼の三代が居住しましたが、この親子の間にもいろいろ相克のドラマがありましたネエ・・。息子の信玄から故郷を追われた父・信虎が哀れに思われますが、親に対する非情も信玄の活力となったのかも・・


       ........武田神社の「石灯籠の道」は見事!「躑躅ケ崎」は(武田氏三代の居館跡).....
c0119160_21113297.jpg

館跡には堀・石垣・古井戸が残り、石灯籠の連なる道、数百種の樹木が四季折々の風景を見せます。庫裡玄関には立派な「風林火山」の屏風があり、お堀には水鳥が優雅に泳いでいました。honobono・・


       ........(左)信玄の入道姿  (右)「躑躅ケ崎館」のには「風林火山」の屏風が・・.....
c0119160_21135793.jpgc0119160_21142369.jpg
c0119160_21151057.jpg


神社を出ると高台からは甲府の街が見渡せます。躑躅ヶ崎館には、戦国大名の城のような立派な石垣はありません。まさに「人は石垣」、強固な家臣団の忠誠心が名武将を支え守ってくれたのでしょう。


     .......(左)お堀を優雅に泳ぐ水鳥 (右)高台の武田神社からは甲府市内が見下ろせる。.....
c0119160_21194457.jpg
c0119160_21204091.jpg





★信玄の菩提寺「恵林寺」(erinji)


信玄の菩提寺として有名な「恵林寺」は、「夢想国師」(鎌倉末~室町初期の臨済宗の高僧)によって開山されました。簡素で美しい外観を誇り、参道の赤門は重要文化財に指定されていまする。境内の広さは何と3万㎡!信玄公の墓所には戦国時代ファン(最近は歴女?)が多く訪れるとのことです。

c0119160_2222144.gif
     .......信玄の菩提寺「恵林寺」は快川和尚「心頭滅却すれば火もまた涼し」と唱えた寺.....
c0119160_21315557.jpg
c0119160_21321481.jpg


戦国時代、信玄から寺領を寄進され寺勢が高まりましたが、武田氏滅亡後は、織田軍の焼討ちに遭いました。その後、徳川家康により再興され今に至ります。寺ん勢、常に塞翁が馬・・?(oyaji gayag・・寒)


        ........(左) 恵林寺のお堂と三重の塔  (右)立派な庫裡(kuri)をもつ寺務所.....
c0119160_2138267.jpg
c0119160_21382059.jpg


恵林寺の社務所は立派な庫裡建築を誇っています。京都では大規模のものは有名な寺で幾つか見ることができますが、山梨県の寺ではこれほどの大きな庫裡を見ることはなかなかありません。


    ....... 庫裡の庭には「平等性智の前庭」。鬼瓦が鎮座し、鶏が放し飼いにされていた。.....
c0119160_21422763.jpgc0119160_21425253.jpg






c0119160_2143122.jpg


恵林寺を訪ねるにはJR塩山駅が最寄りの駅ですが、駅前にも見所がありますのでもう一つご紹介。
「甘草屋敷」と呼ばれる広い庭を持つ旧高野家住宅があります。ここは豪農の邸宅だったのでしょう。
調べてみると高野家は、江戸時代に薬用植物である甘草の栽培をして幕府に納めていた家とのこと


         ........ 重要文化財旧高野家住宅「甘草屋敷」の立派な外観と大広間.....
c0119160_2225165.jpg
c0119160_22252270.jpg


       .......JR塩山駅前には立派な名家の屋敷、ここにも「信玄像」が鎮座していた。.....
c0119160_2229880.jpg

c0119160_22323853.jpgc0119160_22325971.jpg

帰りはJR塩山駅から乗車し東京へと戻ります。おっ、ここにも信玄像が座して睨みを利かしている!
ところで塩山は合併で何市になったんだっけ?「甲州市」・・。冒頭にも嘆きましたが、山梨市・甲斐市・中央市・笛吹市、ア~モ~、さっぱりわからん!昔の地名(塩山・勝沼・石和)の方が余程イメージが湧く。





★甲府市内の歴史深い古刹

c0119160_2282826.gif

甲府市内にも歴史ある素晴らしいお寺が沢山ありますが、甲府市内にも何と善光寺があるのです。長野善光寺と形はソックリだが、でも色はオレンジに彩られて全く違う!ここに鎮座した由来は、信玄が「川中島合戦」の際、善光寺の焼失を恐れ本尊如来や諸仏宝類を甲府に移し奉遷したことに始まります。

                          
  ......「甲斐善光寺」はオレンジ色が特徴的!川中島合戦前に長野「善光寺」から宝物が移された。.....
c0119160_2293396.jpgc0119160_2294886.jpg



c0119160_22101589.jpg


確かに川中島合戦時の戦陣配置を確認すると、信玄は海津城に陣を張っており、信濃善光寺は上杉謙信側の拠点となっている。合戦開始前に多くの宝物を甲斐に持ち出したとは・・、何としたたかだネ~


   ......(左).本家・長野「善光寺」は渋いこげ茶色 (右)川中島合戦の善光寺の位置地図.....
c0119160_22185725.jpg
c0119160_221919100.jpg


金堂中陣天井(吊り天井)には、巨大な「鳴き龍」が二匹描かれています。その下に立ってパン!と手を叩くと不思議なビィーンという反響音を聴くことができます。これぞ「鳴き龍」の名の所以なのであります。


       ......甲斐善光寺の本堂には、吊天井の「鳴き龍」。多重反響現象による共鳴音.....
c0119160_6281845.jpgc0119160_6324067.jpg






c0119160_6331536.jpg


甲府市内にある「酒折の宮」の歴史由来は相当古い!日本武尊が東夷平定の帰りに「酒折の宮」にて慰労宴を行い、武者達に連歌問答した言い伝えから「連歌発祥の地」と云われ、石碑も残っています。


       .......(左) 日本書紀に記載される「酒折の宮」 (右)「連歌発祥の地」の石碑.....
c0119160_715383.jpgc0119160_716446.jpg




c0119160_7162473.jpg



甲府駅の北口近くに「五重の塔」があるのを御存知ですか?注意していないと気づきませんが、電車の窓から見ることができます。信玄が追放した父・信虎の妻の菩提寺「長禅寺」境内に聳えています。自分の夫が、息子と憎しみ合い故郷を追われた悲劇を見て「大井夫人」は相当涙を流したことでしょう。
c0119160_8302346.gif

     ........(左) 「長禅寺」正門 (右)甲府駅前近くに立つ五重の塔(中央線車窓から見える).....
c0119160_8291455.jpgc0119160_829305.jpg







★その他、信玄に所縁深い寺社・史蹟


最後に甲府を離れたエリアの信玄に所縁深い寺社史跡を追記します。まずは「甲斐・浅間神社」、「せんげん」様は富士山を崇敬する神社ですが、笛吹市(甲府市の東)にあるこの神社は「あさま」と読むようです。甲斐の国を治める者にとって富士は正に守り神・・!本殿には雄々しい富士の雄姿の額縁が・・


       .......信玄が崇敬した「甲斐・浅間神社」には、富士山の額縁が飾られている。.....
c0119160_2152120.jpgc0119160_21562822.gif


c0119160_839124.jpg

信玄の軍師はご存知「山本勘助」。彼の生涯は謎に包まれますが北杜市山本家に「勘助の墓」がありました。信玄と側室「湖衣姫」との間に入り、主君に忠誠を尽くしながら姫を恋い慕う勘助がいじらしい。


    ...... 「山本家」(北杜市高根)の庭に眠る「山本勘助」の墓(一般公開されていなかった).....
c0119160_20122418.jpgc0119160_2011379.jpgc0119160_20115841.gif




c0119160_20104566.jpg


そして故郷・諏訪の地を攻められ、信玄の側室にされてしまった「湖衣姫」(諏訪御料人)、信玄を憎み続けながらも信玄の後継者・勝頼を生んだ悲劇の姫。その墓は当然、諏訪湖近くで祀られていました。
この訪問記事は諏訪シリーズで紹介したいと思います。いつになるかわかりませんが・・、多分来年以降


    ......信玄の最愛の側室「由布姫」に所縁が深い「小坂観音」(諏訪市)の神社本殿.....
c0119160_2054360.jpg

        .......「諏訪御料人」(由布姫、湖衣姫)は静かな諏訪の杜の中で眠っていた。.....
c0119160_2035373.jpgc0119160_20322110.jpgc0119160_2122988.jpg






c0119160_20353068.jpg


戦国時代のTVや映画では無敵の「武田騎馬軍団」が有名ですが、実際には存在しなかったという説が有力。ポニーの如く脚の短い甲斐駒に跨った騎馬武者一人に対し、数人の農民が周りを固めた歩兵単位で行動していたらしい。ドラマではそんな姿じゃ絵にならんので脚色されているのかもネ・・(苦笑)


        .......(左)「武田二十四将」と騎馬軍団 (右下)甲府駅前の「ライトアップ信玄」.....
c0119160_2129512.jpgc0119160_21292317.gifc0119160_2130749.jpg

c0119160_21303945.gif


c0119160_21305683.gif

c0119160_21311281.gif


でも忠誠心の篤い「武田二十四将」のもとで農民を組織的に駆使したことは事実。やはり地元をよく治め、戦に勝てば人民に還元する姿勢がモチベーションUPに繋がって、強力なる軍団が築けたのでしょう。
信玄と謙信、こらからも2大英雄(優れたライバル同士)の史蹟訪問の旅を少しずつ紹介していきますネ。

c0119160_21413476.jpg




                                                          おわり





次回は、岐阜の200名山「大日ケ岳」&「郡上八幡」の記事を紹介いたします。
c0119160_21445198.jpgc0119160_214585.jpg

  by rollingwest | 2011-08-03 00:00 | 上杉・武田の史蹟めぐり | Comments(46)

<2010年正月帰省>謙信・信玄ゆかりの地を行く(その2)越後・春日山編

(その1)信州・川中島編 より続く



★信州から越後に入る


上信越道を走り進めて行くと山風景は、北信濃の「黒姫山」から越後「妙高山」へと主役の顔を替えてきました。黒姫山麓はナウマン象発掘地や小林一茶の郷土、近くには野尻湖が水をたたえます。


        ........(左)長野の黒姫山(日本200名山)  (右)新潟の妙高山(日本百名山)........
c0119160_15504911.jpgc0119160_15511763.jpg


c0119160_15584415.jpgc0119160_15593695.jpg
c0119160_1602228.gif


「妙高山」は、万葉時代から「越の中山」と記された信仰の名山で「越後富士」とも呼ばれています。
スキー場で有名な赤倉・池ノ平高原はこの山麓に広がりっており、昔はよく滑りに来たものだなア・・
しかし何故か小生は2名峰の頂上にまだ立っていません。今秋に、黒姫山を初登山する予定です。

                         
     ........妙高山の雄姿を横から眺める。(雄大なコニーデ火山の裾を広げている!).......
c0119160_165850.jpg

さて謙信ゆかりの上越市に到着!1971年に旧・高田市(豪雪で有名)と旧・直江津市が合併して誕生しましたが、04年に頚城エリアを合併しさらに拡大、今は人口20万人超で新潟県第3位の都市





★謙信が学び育ち、居城を構えた「春日山」

c0119160_1684271.jpg
c0119160_169130.jpg


春日山は上越市中部(旧・高田市)にあり、この山頂に長尾氏(謙信の先代)が居城を構えました。
この山麓には、謙信が青年期に過ごした「林泉寺」と、城の鬼門を守る「春日山神社」が鎮座する。


       .......(左)「林泉寺」山門が水田に映りこむ (右)山門文字は「第一が!」.......
c0119160_16155830.jpgc0119160_16162157.jpg 









c0119160_1841249.gif



c0119160_16164162.jpg

「林泉寺」は謙信が7~14歳時に学問を学んだ場所、戦乱の世で「義」を貫き通した謙信の思想はこの寺で育まれたとのこと。山門には青地に金文字で「第一義」が掲げてある~!やはり流石だ!


           ........ 林泉寺本堂の前には12月中旬に降った雪が多く残っていた。.......
c0119160_16254563.jpg
 
春日山神社入口に頭巾を被った謙信立像が睨みを利かせています。NHK大河で三者三様の謙信が描かれたが、阿部寛が一番カッコよかったかな。ガクトも奇抜でしたがストイックさがよく出ていた・・
でも小6時に夢中だった「天と地と」、石坂浩二が頭巾・騎馬姿で先陣を切るシーンが一番懐かしい。

c0119160_195338.jpg

 ....「謙信の立像」と、演じた人達⇒「天と地と」石坂浩二、「風林火山」ガクト、「天地人」阿部寛.....
c0119160_17413299.jpgc0119160_17414919.jpg




c0119160_17422523.jpg







c0119160_17421215.jpg



「春日山神社」は千年以上の歴史を誇り、奈良「春日大社」(鹿で有名)の分社ですが、城の鬼門封じで現地に移築されたとのこと。「春日大社」には直江兼続の釣灯篭がある所以はこの繋がりか~!


           ........... (左)春日山神社の鳥居と本社正面(日の丸旗).......
c0119160_17571312.jpgc0119160_17574215.jpg


            ...........拝殿には謙信公の銅版肖像が飾られていた。........
c0119160_18271389.jpg
c0119160_18272882.jpg

北陸へ攻めてきた織田信長軍を一歩たりとも国境に入れず、信濃では信玄と拮抗して春日山城を守りきった上杉謙信・・。無類の強さで大したもんだ~!雪国に住む地の利を生かしたのかも・・。


      ..........(左)上杉・武田・北条・織田の勢力図  (右)景勝時代の春日山城の合戦舞台.......
c0119160_18352288.gifc0119160_18383119.jpg
c0119160_18362798.gif
c0119160_18363938.gifc0119160_18365635.gif

c0119160_1837131.gif

         ..........春日山城から望む上越市街(頚城平野)と裏側から見る米山.......
c0119160_18534845.jpg

春日山城から上越市街を俯瞰してみると、その遥かには何と雪の米山が見えるではないか~!
「米山は柏崎の山」とばかり思っていたが、上越市民や謙信にとっても故郷の名峰だったのか・・! と改めて認識しました。やはり柏崎からの姿が断トツに秀麗ですが、裏米山も十分格好がいいぞ!





★親鸞・芭蕉・山椒大夫にも所縁ある「越後国府・直江の津」


上越市海岸部は旧・直江津市。名前からも判る通リ、兼続が継いだ直江家(謙信家臣)が開いた津(湊)という意味の地名。ここは日本史・ビッグネームが次々登場する由緒ある史蹟が沢山あるのだ!


         ...........(左)「五智国分寺」の全景  (右)格式高い三重の塔が鎮座........
c0119160_1973219.jpgc0119160_1974728.jpg


まずは奈良時代に聖武天皇の勅願で建立された「五智国分寺」、この地は越後国府で国分寺があった場所で謙信が再建した古名刹で三重の塔は素晴しい!五体の如来本尊が安置されていることから「五智」の名があるとのこと。そしてこの寺には浄土真宗開祖の親鸞像や草庵がありました。


.......(左)国分寺の五如来(HPより) (中)親鸞像を見上げる (右)親鸞ゆかりの竹之内草庵.......
c0119160_2110521.jpgc0119160_21103899.jpg




c0119160_21105522.jpg



何故この地に親鸞ゆかりの史蹟が多くあるかというと、1202年に親鸞が当地(越後国府)に流罪されたからです。拡大する浄土宗(法然の教え)の迫害を狙う比叡山(天台宗)の動きとあわせて、後鳥羽上皇の側近女性2名が浄土宗尼僧になってしまい上皇の逆鱗に触れたことが引き金です。


   ......(左)浄土真宗越後布教の拠点となった本願寺国府別院  (右)本願寺本堂と親鸞像.......
c0119160_21154672.jpg




c0119160_21162256.jpg


1211年、親鸞に赦免の宣旨が下ったものの豪雪期で越後から京都へは戻れず、親鸞の子供が幼かったこともあって越後に留まることを決めました。その後東国布教に注力することになります。小生の母方実家も浄土真宗だし、越後・北陸に真宗名刹(吉崎御坊等)が多く残るのも頷けます。


        ......上越市と裏米山を海越しに望む (こんな姿を見せる米山もあったのか!).......
c0119160_21193471.jpg


親鸞聖人が流罪で流れ着いた所は「居田の浜」と呼ばれそこには上陸記念碑がありました。日蓮も佐渡に流罪され柏崎に流れ着いたし、いつか親鸞・日蓮ゆかりの地・探訪の特集もしてみたい。


           ........ 親鸞聖人上陸の地(京を追放されこの地に流罪された).......
c0119160_2120428.jpg


この地も芭蕉が「奥の細道」で立ち寄っていました。出雲崎「荒海や佐渡に横たふ」の名句ほど有名じゃないけど当地にも句碑がしっかり建っております。さらにここは森鴎外「山椒大夫」の舞台にもなった所なのです。安寿と厨子王が人買いに浚われ母と別離された浜は正にこの海岸でした。


 .....(左)琴平神社:芭蕉の句「文月や六日も常の夜には似ず」 (右)安寿と厨子王の供養塔.......
c0119160_2132496.jpgc0119160_21301673.jpg






c0119160_2130338.jpg
ユーチューブ:映画「山椒大夫」(森鴎外作・溝口健二監督)の予告編(英語版)
⇒母は佐渡、姉弟は丹後、長い別離の歳月を経て母と再会


そういえばH井真吾の物語シアター「山椒大夫」の朗読・冒頭文は「越後の春日を経て今津へ出る道を珍しい旅人の一群が歩いている。」で始まる。成程、春日は春日山の麓という意味だったのか!
映画「山椒大夫」(溝口健二監督・昭29年モノクロ)は昨年TVで鑑賞しましたがやはり名作品だね~



         ........年末の谷浜海岸で戯れるカップル(遠くには米山さんが見える).......
c0119160_21414066.jpg






★冬の米山さん・名峰諸景


高校時代に直江津高校とのサッカー試合遠征で谷浜海岸の民宿に泊まった時、初めて海に浮かぶ裏側の米山さんを見て感動したことを覚えています。35年ぶりにあの風景を確認できたぞ~!


            .......海に浮かぶ裏米山をクローズアップ!(手前の街は上越市).......
c0119160_21434991.jpg
  
海越しにこんな素晴らしい米山が見えることを柏崎市民は殆ど知らないんじゃないかなア・・。明日大晦日は荒天予報なので実にラッキーだ!こうなれば冬の米山を色々な角度から見てみよう~!

c0119160_21442311.gif


                 ........上越・柿崎付近の田園風景から望む裏米山.......
c0119160_21451617.jpg

柏崎に向かう際、北陸自動車道には敢えて乗らず国道8号線(海沿い)をトコトコと車を走らせます。
柿崎(現・上越市)の田園風景から望む裏米山も実に風情あり!右の稜線が結構長いことを発見!


                ........上越市および柏崎市の地図(クリックで拡大).......
c0119160_21493546.jpg
c0119160_21494671.jpg



いよいよ柏崎市に入り、米山さんも表の顔に変わってきました。裏米山頂上がやや丸く塊状なのに対し、こちらから見る姿はやはり鋭鋒です。柏崎高校・校歌は「♪米峰突兀雲を貫き~」で始まる。
c0119160_21543589.jpgc0119160_21544971.jpg

一番の絶景ポイントは、青海川海岸に突き出る断崖「恋人岬」から仰ぐ米山勇姿でしょう!名峰と海の間に「米山大橋」の赤が映えてコントラストを引き立てます。昭41完成当時は日本一高い橋だった。


       ........柏崎「恋人岬」から、表側の米山・米山大橋・弁天島(青海川海岸)を望む.......
c0119160_2159028.jpg
c0119160_21591534.jpg


市街に入り、「柏崎墓園」へ親父の墓参りに向かいます。途中の田園地帯(新潟工科大前)に広がる米山や黒姫山パノラマは実に素晴らしい!ここからの風景は人工物がないからいいんだよネ~


       .......新潟工科大(柏崎)付近から見る刈羽黒姫山(左端)と米山の田園風景.......
c0119160_2273434.jpg

           ........夕闇迫る雪の米山、いよいよ明日は強い寒波が来る・・。.......
c0119160_228215.jpg


柏崎実家への到着は夕方5時近く。朝5時に川崎自宅を出発し長野市・上越市を経由して12時間のロングドライブ帰省でした。当初は川中島古戦場・善光寺・春日山城の3つを見られればいいと思っていましたが、当地に着いてから初めて存在を知る史蹟・風景も多く発見し大満足!得した気分~


           ........今回辿った越後ルート(クリックで拡大表示).......c0119160_2210462.jpg











c0119160_2211098.gif



天気予報が当たり大晦日・元旦は厳しい寒波が日本列島を襲いました。(1日違いでラッキーだった)
親父のいない初の正月でしたが、弟家族も帰省して家族団欒でゆっくりと過ごすことができました。


          .......正月を迎え1月2日に関越道で帰京、魚沼平野は完全に白銀世界.......
c0119160_22144126.jpg


                            リンク:「天地人」のルーツを訪ねて

1月2日の帰京はいつも通り関越自動車道経由。南魚沼・六日町は一面の雪風景に覆われていました。昨年末帰省はここで降りて「天地人」のルーツを訪ねましたが、あっという間の1年だったなア・・
上杉・武田の史蹟めぐり」はまだまだ続きます。今度は甲府から「信玄ゆかりの地」を紹介予定。


                                                      おわり



次回記事は、「伊豆大仁・駿河湾パノラマの新春ハイキング」をお送りします。
c0119160_22184170.jpg

  by rollingwest | 2010-01-17 15:40 | 上杉・武田の史蹟めぐり | Comments(34)

<2010年正月帰省>謙信・信玄ゆかりの地を行く(その1)信州・川中島編

c0119160_17333190.jpg


★はじめに

この度左INDEXに「上杉・武田の史蹟めぐり」という特集コーナー(過去記事含む)を新設しました。
昨年はNHK「天地人」で再び謙信が脚光を浴び、仕事で山梨県を訪れる機会も増えたことが引金となり、今回の正月帰省途中では「謙信・信玄ゆかりの地」を訪ねてみたいと思い立ったからです。


c0119160_17352272.jpg"alt="rw"左をクリックしても「上杉・武田の史蹟めぐり」コーナーに入れます。

これから上杉謙信・武田信玄はもとより、後継(上杉景勝・直江兼続、武田勝頼等)も含めて、上杉・武田の史蹟・所縁地(主に越後・甲斐・信州・米沢等)をじっくりと逍遥・探訪して行こうと思います。


             ......(左)甲斐の虎:武田信玄の像      (右)越後の虎:上杉謙信の像......
c0119160_17382510.jpg
c0119160_17432538.jpg
c0119160_18234312.jpg

通常は関越自動車道で帰省しますが、今回は川中島古戦場や春日山城の訪問を主眼に置いて、上信越自動車道経由で帰り長野市・上越市に立ち寄りました。12月30日未明5時に自宅出発、ETC割引は12月不適用なので道路はスイスイ!関越花園ICを過ぎた辺りで日の出を迎えました。
c0119160_17404822.jpg


      ......上信越道・横川SAから見る妙義山の奇岩風景、駅弁釜飯は地元名物.......
c0119160_17465573.jpg

c0119160_17471989.jpg

                 
                          ......一昨年に登った浅間山 (日本有数の活火山)......
c0119160_17533091.jpg

妙義山・浅間山の名峰パノラマを満喫しながら行く高速道は快適そのもの!たまにはこのルートで帰省するのもいいねエ。長野ICを降りれば謙信・信玄が一騎討ちした古戦場や城郭・史蹟は近い。





★信玄・北信最前線の城郭「松代城」


 .....松代城(別名:海津城)は02年に城門・土塁や堀が復元された。.......
c0119160_17572849.jpg

「松代城」は川中島合戦で武田信玄の本陣となった城郭であり、別名を「海津城」とも呼ばれます。
三方を山に囲まれた平城(山本勘助が築城)ですが、千曲川を堀とした天然の要害だったのです。


                  .......早朝の松代城・お堀には水鳥が寛ぎ漂っていた。.......
c0119160_17591939.jpg

門構えの雰囲気は甲府の武田居城「躑躅ヶ崎館」に似ているような気がします。戦国時代の城郭といえば山城や天守閣のイメージになりがちですが、それに比べれば質素な平地・城屋敷だなア・・。信玄は「人は石垣・人は城」で勢力拡大した武将、平城でも十分戦える自信があったのでしょう。


      .......(左)早朝の薄氷が朝日に反射して美しい (右)水鳥飛び立つ!バサバサ、バサ~........
c0119160_1875883.jpg

c0119160_1882077.jpg


松代城への到着は朝9時前、放射冷却で気温は下がり外堀の一部には薄氷が張っていました。
30日の朝で人かげは疎ら・・。「風林火山」でブームの頃は多くの観光客数で賑わったに違いない。


              .........松代城跡の想像俯瞰図(まるで要塞みたいだ!).......
c0119160_18143746.jpg

風林火山」とは・・・・、
    「疾如風」 (速きこと風の如く)⇒攻めるべき時には風の如く迅速に進むべし。
    「徐如林」 (静かなること林の如く)⇒チャンスに備え準備整え、林の如く静寂整然と待つべし。
c0119160_18161957.jpg
c0119160_18163484.jpg

    「侵掠如火」 (侵略すること火の如く)⇒敵を侵攻する時は火のように熾烈に戦うべし。
    「不動如山」 (動かざること山の如く)⇒自陣堅守の時は山のように落ち着いて守るべし。




★千曲川から北アルプス&北信名峰の大絶景を望む


松代城をひととおり見学し、石垣上に登って見ると遠くに真っ白で雄大な山々が連なっているぞ!
千曲川河川敷の土手に登れば、北アルプス後立山連峰や北信の名峰が鮮やかに眺望できる!


           ...... 松代城・石垣の遥か向こうには北アルプス連峰が見える!......
c0119160_2084977.jpg


    .....(左)真っ白な北ア・後立山連峰と千曲川河川敷 (右)北信の名峰:高妻山飯縄山......
c0119160_20114190.jpgc0119160_20183961.jpg
c0119160_2011577.jpg

後立山連峰とは、剱岳・立山の東部に連なる大山脈(全山縦走すると3泊4日)です。京都~北陸街道から正面に見える剱・立山は古えから信仰されてきた霊峰ですが、その裏側に聳える山脈なので後立山と呼ばれます。しかし、風情や由緒がもっと感じられる名前にしてあげればいいのに・・


       ......北アルプス・北信の名峰を一望するパノラマ地図(クリックすると拡大表示)......
c0119160_20322817.jpg


     .....後立山連峰クローズアップ(左)鹿島槍&五竜ケ岳 (右)唐松岳~鑓・杓子~白馬岳.......
c0119160_20504249.jpgc0119160_2145572.gif

c0119160_6241997.jpg






c0119160_21134061.gif

c0119160_22322741.jpg


当日は正に快晴パノラマを運よく味わうこと(翌・大晦日は全国的に大荒れ天気になったのでラッキー)ができました。さて千曲川を渡って、いよいよ謙信・信玄が対決した「川中島古戦場」へと向おう!





★「風林火山」vs「毘」!両雄一騎討ちの古戦場
c0119160_21285844.gif
野戦で無敗を誇り最高の指揮統率力を持つ戦術家といわれた上杉謙信、孫子兵法を生かし理論的な戦術で騎馬軍団を擁した武田信玄、この二人の英雄が北信濃の支配権を巡って5回にわたり激突を繰り広げた戦いが「川中島合戦」。その舞台跡が「八幡原史跡公園」として残されています。


    .....(左)有名な川中島合戦の謙信・信玄一騎討ち (右)古戦場の舞台「八幡原史跡公園」....
c0119160_2120466.jpgc0119160_2121816.jpg

長野盆地は昔「善光寺平」と呼ばれ、千曲川と犀川が合流する三角地が「川中島」です。11年間で5回の合戦が行われました。その中で最大の戦いが1561年に3万3千人の兵が激突した第4次合戦であり、伝説的な両雄・直接対決はこの時(史実か否かは疑問符ですが・・)だったのです。


                ....岩国美術館所蔵「川中島合戦図屏風」....
c0119160_21332428.jpg

謙信は越後から善光寺に着陣し、さらに後南下して千曲川沿いの「妻女山」に布陣しました。信玄は上記紹介した「松代(海津)城」に鶴翼の陣を張り、両雄は対峙します。睨み合いの末、信玄の軍師・山本勘助は兵を二手に分けて挟み撃ちで妻女山を攻め落とす「啄木鳥(きつつき)戦法」を画策


                ......川中島古戦場跡に鎮座する「八幡社」.......
c0119160_213568.jpg


しかし事前にこの作戦を察知した謙信は妻女山を深夜密かに下山し千曲川対岸・八幡原に布陣。
朝の川霧が晴れた時に武田軍本隊は、いるはずがない眼前に布陣する上杉軍を見てビックリ~!
裏をかかれた武田本隊は上杉軍に猛攻をかけられ、山本勘助は討ち死し一挙劣勢に陥りました。


  ....(左)「川中島合戦」布陣図(謙信は霧で車懸の陣で動く) (右)古戦場全景(妻女山より).....
c0119160_213812100.jpgc0119160_21384919.jpg







c0119160_21403246.gif
c0119160_21405513.gif
c0119160_21405513.gif
c0119160_21405513.gif


ここで謙信は、手薄になった信玄本陣に単騎斬り込みをかけます。相対し本陣に座する信玄は軍配で応戦!これが有名な両雄の一騎討ちです。二人の勝負も、合戦自体も結局は引分けで終了。
古戦場跡には二人の対決銅像が昭和44年NHK大河「天と地と」放映の年に建立されています。


          ......八幡社の脇にある信玄・謙信の一騎討ち銅像(躍動感溢れる~!).......
c0119160_2150283.jpg

千曲川の河川敷には、ここで討死にした信玄の軍師「山本勘助」の墓が密やかに佇んでいました。周りに何もなく観光看板も不案内ですが大河TV主人公になったからこそ再整備されたのでしょう。


    .......(左)信玄の軍師「山本勘助」の墓 (右)NHK「風林火山」の勘助(内野聖陽).......
c0119160_221324.jpg






c0119160_22133957.jpg


                ......歌川広重作「川中島合戦乃図」....
c0119160_22241682.jpg


戦国時代の両雄、謙信・信玄が戦った史蹟を初めて見ることができて満足!両雄は雌雄を決することができませんでしたが、永遠のライバルだった2人は「敵に塩を送る」の故事があるようにお互いを尊重し実力を認め合う仲だったのかもしれません・・。さて、次は長野の名刹「善光寺」に向おう!

c0119160_22193819.gif





★1400年近い歴史を誇る「善光寺」


謙信が川中島の戦いで着陣したのが「善光寺」。このお寺は「牛に引かれて善光寺参り」の民話・諺や本尊秘仏ご開帳等で有名な古刹です。644年欽明天皇に創建とのこと、もう1400年近い!


         ......国宝に指定される「善光寺」本堂正門(日本第三の木造大建築)......
c0119160_22454028.jpg


         ......(左)善光寺境内の年末風景 (右)山門にはすでに賀正の文字が・・.......
c0119160_22462293.jpgc0119160_6561332.gif



c0119160_22463837.jpg


本名刹を訪れるのはもう数回目。子供の頃、家族旅行で連れて来てもらったことをよく覚えている。
明後日の元旦に備えてもう初詣の受入れ準備はスタンバイ・・、30日で人出は疎らなので境内をゆっくりと参詣することができました。最近小生は毎年初詣には出かけず、年末お礼参りにしています。


          ......(左)本堂前の護摩香炉の煙    (右)延命地蔵・六地蔵に祈る.......c0119160_2341297.jpgc0119160_6561332.gif



c0119160_2343010.jpg

    ......(左)閻魔大王も目を光らす  (右)撫でた部分を治癒してくれる↓「びんずる尊者」.....
c0119160_715362.jpg
c0119160_72158.jpg


昨年GW全国で一番賑わった観光地は「善光寺」でした。7年に1度ご開帳される秘仏「前立本尊」を見るために多くの観光客で賑わいました。昨年からのETC割引で長野高速道路は大渋滞~!


         ...... 2009年GWの人出では日本一の賑わいを記録した秘仏御開帳の法要......c0119160_793624.jpg
c0119160_792022.jpg



現在の長野市は善光寺の門前町を起源として発展した都市で、善光寺平と呼ばれる盆地から長く緩やかな傾斜の街となっています。ここは北国街道・宿場街として多くの参詣者が訪れたのです。


                 ......善光寺本堂の横全景は本当にでかい!.......
c0119160_71541.jpg


話を謙信・信玄に戻しますが、山梨県甲府市にも「善光寺」があります。川中島決戦に臨み、由緒ある名刹が焼失しては申し訳ないと、信玄が甲州に同じ寺を事前建立し宝物を移転したのです。


        ......色は違うが形はそっくりな「甲斐善光寺」 (後日、甲州編で紹介します。).....
c0119160_722293.jpgc0119160_7222446.jpg

10数年ぶりに訪れた「善光寺」ですが、いつ見てもこのお寺は威厳があってスケールが違う!
裏側参道から本堂の屋根を見上げるとまだ根雪が残っています。明日は一面が雪景色だなア・・


                ......本堂の裏側に廻ると真っ白な雪屋根だった!......
c0119160_727278.jpg





★信州から越後へと向う



長野市は真田一族の地や松代象山地下壕などまだ見所が多い街。まだ名残惜しいですが、次に謙信所縁の地(春日山城)が控えているので今回これで終わりにしよう。次回また来ればいいや・・


          ...... 長野市(善光寺・松代・川中島)の地図 (クリックで拡大表示)........
c0119160_17185667.jpg

            ......雪を被った(左)黒姫山と(右)妙高山 OH!BEATIFUL!......
c0119160_17203410.jpg








c0119160_17205388.gif

須坂長野東ICから再び上信越自動車道に乗って北上し新潟方面へと向います。信越国境の名峰黒姫山&妙高山が遠方に見えてきた。ここからは信玄がついに入り込めなかった越後の国です。


                                                      おわり



次回は、「謙信・信玄ゆかりの地を行く:(その2)越後・春日山編」 をお送りします。
c0119160_1726235.jpg

リンク:謙信・信玄ゆかりの地を行く:(その2)

  by rollingwest | 2010-01-10 17:28 | 上杉・武田の史蹟めぐり | Comments(26)