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<2013年10月>2012山陰山陽の旅④:「出雲大社&伊勢神宮」(日本神話に潜む謎の関係)

                          山陰山陽(その1):「鳥取風景~出雲・神話の里」


★久しぶりに出雲の旅記事レポート

昨年11月に訪問した「山陰・山陽の旅」は今年1~3月でシリーズ3編をレポートして以来、すっかり御無沙汰状態。今年5月、出雲大社が60年ぶりの遷座祭を無事終えて大国主大神が本殿に再鎮座。
今度は伊勢神宮が10月に20年ぶりの式年遷宮を迎えることから第4編記事を紹介します。


   ......(左)昨年11月に訪ねた「出雲大社」の拝殿 (右)今年5月、改修が完成した大社本殿....
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   .....5月は出雲大社「本宮遷座祭」、大国主命が無事に仮殿から本殿へと引っ越された....
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伊勢神宮遷座の制度は約1300年前に天武天皇発意を起源とし690年持統天皇のもとで第1回目が斎行されました。戦国時代に一時中断があったものの、現代まで連綿と継続され10月に第62回式年遷宮(2日内宮、5日外宮)が行われます。20年ぶりに「唯一神明造り」の神殿が再び生まれ変わる!

                                      伊勢神宮(2010年訪問)

       ......伊勢神宮では20年ぶりの遷宮がいよいよ10月初めに執り行われる....
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20年に一度の意義は何でしょう。人生では1つの区切り、神宮神殿は常に新しく変わらぬ姿を求め造り替えることにより永遠を継承します。神殿造営の技術伝承、神宮の崇敬・威厳を継続で保っていくためには丁度いい間隔なのかもしれません。そして伊勢神宮と出雲大社には深い因縁があるのです。

                         山陰山陽(その3):「出雲大社・60年ぶり大遷宮」
 




★「出雲の阿国」(歌舞伎創始者)&「神々の縁結び会議」神社を訪問


さて出雲大社の参拝(上記・その3参照)を終え、次は「神在月」(旧暦10月)に全国の八百万の神々が出雲の国に上陸する「稲佐の浜」へと向かいますが、その途中に幾つかの見所がありました。


      ......スサノオが祀られる「素盞社」や大注連縄「神楽殿」を参拝し出雲大社を後にする ....
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出雲大社から稲佐の浜に向かう途中左手に歌舞伎創始者とされる女性「出雲阿国」(izumo・okuni)の墓がヒッソリと佇んでいます。彼女は、安土桃山時代の芸能者(白拍子)で「ややこ踊り」を基にしてかぶき踊りを創始した事で知られ、この踊りが様々な変遷を得て現在の歌舞伎み繋がっています。


   ......「出雲阿国」の墓、彼女が京都四条河原で演じたかぶき踊りが歌舞伎のルーツ....
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元々彼女は出雲大社に仕えた巫女だったらしい。紆余曲折の末に大道ピン芸人としてドロップアウトしてしまったのかも・・。しかし見世物踊りが今や歌舞伎となり世界無形文化遺産として大繁栄しているとは・・。阿国様も今年4月、東銀座にリニューアルオープンした歌舞伎座を見たらビックリ仰天することでしょう。


 .....(左)江戸時代の歌舞伎繁栄図 (右)今年リニューアルの歌舞伎座、団十郎・勘三郎は無念でした....
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稲佐の浜に向かう途中には奉納山公園が現れます。ここに鎮座するのは「荒神社」と「上の宮」。神在月(旧暦10月)は日本全国の八百万の神々が出雲に参集し、7日間に渡って縁結び会議が行なわれます。神々は出雲大社境内の十九社で宿泊し、この「上の宮」内に神々の会議室があるのです。


    ......(左)神々の縁結び会議は「上の宮」で開催 (下)出雲大社の境外摂社「荒神社」....
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神在月(出雲以外は神が留守で神無月)になると全国の神々は稲佐の浜に上陸し出雲に集結します。この時に「神迎祭」なる神事(今年は11月12~19日開催)が行われ、夕刻、浜で御神火が焚かれ、注連縄が張り巡らされた斎場内に神籬が置かれ、龍蛇神(セグロウミヘビ)が神々の先導役を担います。


       ......今年は11月12日から行われる「神在祭」。全国八百万の神々が出雲に集結....
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因みにセグロウミヘビとは対馬海流に乗って石見・出雲に旧暦10月に北上してくる猛毒の海蛇で、出雲(海人族)では「龍蛇神」として崇められており、出雲大社や大神神社(大和)の御神体となっています。
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★日本神話「国譲りの舞台」となった「稲佐の浜」に立つ


そして遂に憧れの「稲佐の浜」に降り立ちました。何と感動的な光景・・!遠浅の浜に連続波が次々に寄せる水平線上には石見の山々、秋の青空には雲が輝きその合間から何筋もの光が海面に降臨している。波打ち際には神々しい屏風岩が鎮座。まさに八百万の神々が上陸する浜に相応しい・・。


   ......「稲佐の浜」へ!次々押し寄せる波、遥か彼方に三瓶山や石見の山々、威厳の屏風岩....
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出雲大社参道脇には、幸魂・奇魂を大波とともに迎え入れる大国主像がありましたが、稲佐の浜での儀式だったのでしょう。この地には正に大国主が築き上げた偉大なる出雲の繁栄があったはず。


    ......(左)大国主は海から幸魂・奇魂を迎え入れた (右)神々の会議場所「上の宮」....
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ここは古事記・日本書紀にも語られる「国譲り神話」の舞台でもあります。当時、出雲の大国主は「葦原中ツ国」(日本の昔の呼び名)の国造りに励み「偉大な国の主」と呼ばれていました。そこに天照大神が率いる高天原族が大国主に国の支配権を譲るように迫りついに承諾させたという有名な神話


      ......神降り立つ「稲佐の浜」はまさに眺望が開けた大絶景!特別なオーラを感じる....
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高天原では天照大神が強い嫉妬心に駆られていました。「ムカツク~!私の弟だけどデキの悪い暴れん坊【スサノオ】の子孫(大国主)が、何で瑞穂国(日本)を治めて偉そうな顔をしているの?我々の威厳を見せるために出雲を脅して支配下に入るように折衝してらっしゃい!」と強烈な指令が下りました。


      ......天照大神が出雲に迫った「国譲り神話」(古事記)、実は大和政権の動きに重なる....
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最初は天穂日命、次に天稚彦が国譲りの交渉役に遣わされますが、両者とも大国主に懐柔され高天原に帰って来ない。激怒した天照大神は武甕槌神(鹿島神宮の軍神)と経津主神(香取神宮の軍神)を派遣して、稲佐の浜に剣を突き立てて国譲りを迫る(軍事力で圧倒)という強硬策を取りました。


    ......天照大神は鹿島神宮(左)の軍神「建御雷神」を派遣し、出雲に軍事圧力をかけた.....
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                                「鹿島神宮・香取神宮」(2010年秋訪問) 


大国主は抵抗しても勝てないと判断し、息子二人に意見を求めます。長男・事代主神は国譲りに承諾しますが、次男・健御名方神は猛反対し武甕槌神と力競べで雌雄を決することに・・。完膚なく敗退した健御名方神は、今後蟄居しますと平伏謝罪し諏訪に敗走。今は諏訪大社の神様となっています。


  ......(左・中)次男「建御名方神」は最後まで抵抗したが敗れて諏訪に逃げる (右)手締めの図....
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古事記では国譲り決着で事代主神が柏手を打って承知したという記述があります。手を打つ(妥協・決着)というこの動作が、一件落着・手締めのルーツとなっているのです。この決着にあたり、大国主は天照大神に対し「天にも届くような大神殿を出雲に建ててくれるならば国を譲ろう」と了承しています。


     ......かつて出雲には天にも届くような大神殿があったと伝承される。その真実は・・?....
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本当にこんな円満な話だったのでしょうか?高天原・天照大神とは大和朝廷(現・天皇家祖先)であり、大国主(出雲で繁栄を極めた地元豪族)を武力制圧し軍門に下らせ領地を強奪したと推定されます。史実を神話として美化したに違いない・・。列島の支配者としては最初に出雲族が存在し、国内に大勢力を持っていた出雲文化圏を大和政権が軍事で征服し抹殺したのではないかと考えられます。


 ....大神神社(大和)から見ると、伊勢神宮(天照大神)は日の出、出雲大社(大国主)は日の入り....
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大国主は天照大神に対して、国譲りに譲歩する条件として出雲大神殿建築の他に「現世の政事は皇孫に任せるので、私は幽界で神事を治めることにしよう」と和解していますが、ここに日本神話の捏造がありそう・・。祟神天皇時代まで大和・大神神社では、天照大神と大国主(大物主)が一緒に祀られていましたが天災疫病が次々発生。天照大神は「こんな所にいたくない!新神宮を探せ」と命じます。


  ....「大神神社」(大和)にも大国主と龍蛇神が祀られる。伊勢遷宮理由は国譲りの恨み祟りが・・....
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2つの神を別々に祀るため巫女らは数々の地をリサーチします。垂仁天皇時代に倭姫命が遂に伊勢に辿り着き、太陽の光に満ち溢れ海産物も豊富な伊勢への遷宮を提案。天照大神は当地を大いに気に入り伊勢神宮が建てられたという訳です。しかしこの裏には国譲りに対する出雲族の祟りで大和政権は畏れ慄き、天照大神を伊勢に逃して出雲には大神殿を造営して祈ったことが真相と思えます。


   .....天照大神の使者「天穂日命」は出雲に懐柔されミイラ取りがミイラに・・。出雲国造家の祖に....
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出雲大社宮司は天穂日命(国譲りで高天原から交渉役派遣されたのに大国主命に心服)を祖とする出雲国造家のみが祭祀を担うことが許され、現在も皇室すら本殿内に入れぬ掟を守り続けています。実は、国譲りの祟りを呼んでしまった出雲豪族・地方神に対し天皇家の畏れ・遠慮があるのでは・・?


     ......武御雷神vs大国主・事代主神が国譲り交渉し妥結の手締めをした場所「屏風岩」....
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円満な国譲り・手締め神話の裏に、実はドロドロした豪族同士の抗争や祟り等の史実がありそうです。しかし今では「幽界神事を司る=人の縁を決める」と理解され、出雲大社が女性に人気が高い「縁結びの神様」として明るいイメージで復活しているのは何よりなこと。大国主もさぞ御喜びのことでしょう。


         ......稲佐の浜を後にして海岸道路を北上。いよいよ日御碕へ....
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★国引き神話、日没の神「日御碕神社」、日本海に沈む夕日絶景


もう夕暮れが近い・・。稲佐の浜を後にして目指すは本日最後の訪問地「日御碕」、ここに拘ったのも日本神話の主役「アマテラス&スサノオ」が祀られているパワースポットだからです。海岸道路を北上して行くと途中に日本海が俯瞰できる展望台があります。対岸には石見銀山(世界遺産)など島根の山々が!


     ......(左) 稲佐の浜・日御碕の地図 (右)石見銀山など島根の山々を日本海越しに見る....
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日本200名山「三瓶山」も海上に聳えている!「出雲国風土記」には国引き神話が記されており、ヤツカミズオミツノミコトが大山・三瓶山を杭代わりに綱をかけ、離島だった国を引き寄せ出雲国の面積を広げたと云います。国引きで継ぎ足された所は島根半島の付け根部分・・。だから島の根と呼ぶのか・・!


  ......国引き神話の綱杭となった「三瓶山」(sanpesan)、山を杭にして島根半島を綱で引き寄せた....
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出雲の最北・島根半島は東西に長く伸びており、西端に「日御碕」(hinomisaki)があり「日御碕神社」が祀られています。日御碕は別名「日沈宮(hisizonomiya)とも呼ばれ、古来から夕陽に餞の祈りを行う所でした。ここに天照大神が祀られているのも興味深い。Sunriseのイメージが強いがSunsetも・・


      ......(左)夕日に浮かぶ日御碕神社の外鳥居 (右)「日御碕神社」の楼門(優美)....
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小さな海辺町に立派な「日御碕神社」が見えてきました。神門を潜ると正面に朱色の拝殿「日沈宮」(天照大神が鎮座)、右手高台にはもう一つの拝殿「神の宮」(素盞嶋尊・スサノオノミコト)が日沈宮を見下ろすように祀られています。姉弟とはいえ性格の合わない2つの神が一緒に鎮座するケースは珍しい。


     ......(左)上の宮にスサノオが祀られ、(右)下の宮(日沈宮とも呼ぶ)にアマテラスが!主従逆転....
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規模は圧倒的に日没の宮が大きいものの、高さは神の宮に軍配。出雲では本来スサノオが優位ですが天照大神と両方に敬意を払っているのでしょう。お宮を出て漁港の方へ歩き進むと堤防前に巨大な岩礁島「経島」が見えてきました。この上には鳥居があり、かつてはここが日没の宮だったそうな・・


    ......(左) 夕日で輝く日御碕漁港 (右)経島(fumisima)の鳥居、8月に夕日祭りが開催....
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日の出(東)伊勢神宮が「日本の昼を守る」のに対し、日没(西)の日御碕神社は「日本の夜を守れ」との勅命を受けた神社、山陰の地名にしても、出雲は「夜を司る」という闇のイメージが・・。やはり封印された出雲の祟りを恐れた大和政権が当地をしっかり祈り上げておく必要があったのかもしれない。


       ......(左)上の宮から下の宮(日沈宮)を俯瞰 (右) 夕暮れに映える日御碕神社.....
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島根半島・最西端の断崖に聳える「日御碕灯台」は明治36年に設置され、高さは44m海面から灯塔上までは63mと日本一の高さを誇ります。その光は40km沖合まで達し、百歳を越えた今なお現役で海の安全を守っています。外壁は美しい石造り・内壁は煉瓦造りで施された特殊な二重構造らしい。


       ......白亜の「日御碕灯台」(世界の歴史的灯台百選)が夕日を浴びて浮かびあがる....
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丁度いい時刻に日の沈む西端岬に到着することができた!こうなったら天照大神様(太陽)が今日一日のお役目を無事終えSUNSETして、闇夜世界を支配する大国主様に任務をバトンタッチする瞬間までをシカと見届けようではないか!流紋岩で構成される隆起地形(海食台)には夕暮れの波音が響く・・


               ......日本海夕日に映える岩礁海岸、岩に砕ける波の音....
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海上には岩礁小島が点在し柱状節理や洞穴が見られますが、海底の大岩には何と人工的に彫られた階段・参道・祭祀跡があるらしい。これは沖縄県の世界遺産「斎場御嶽」に似ていると云われます。
ラブラブカップルを羨ましく横目に見つつ、中年オヤジRWは美しい日本海サンセットを一人で見届けました。


             ......(左)感動的な夕日を眺めるカップル (右)静けさの余韻が広がる....
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さていよいよ10月に伊勢神宮の式年遷宮が行われますが、出雲大社60年遷座祭(5月)も同じ年に重なったという奇遇には、やはり伊勢・出雲の切っても切れぬ深い因縁が潜んでいると感じました。


   ......伊勢神宮の新しい正殿完成!お披露目でお白石持ち行事も完了し、いよいよ遷宮へ!...
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日本神話の裏には一体どんな謎が隠されているのか・・と興味は深まるばかり。でも簡単に史実は明かされず、あれやこれやと想像しロマンが掻き立てられている状態が一番楽しいのかもしれません。


      ......(左)出雲・稲佐の浜では11月に神迎神事を迎える (右) 夕暮れの出雲大社鳥居....
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                                                       おわり

  by rollingwest | 2013-09-28 16:10 | 山陰・山陽の旅 | Comments(70)

<2013年3月>2012山陰山陽の旅③:60年ぶりの大遷宮を迎える「出雲大社」

★いよいよ「出雲大社」レポートに突入!

神々の国、出雲。その信仰の象徴である出雲大社には2千年の歴史を持つ威容を誇る神殿が厳かに立っています。2012年秋、長らく憧れていた古代神話大社とついに対面することができました。


   .......2012年11月、縁結びの神様で名高い「出雲大社」とご対面・・、夢実現!......
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出雲大社創建が一体いつなのかは今も不明ですが、壮大な日本神話世界に登場する古代の社。日本の国が成立過程の中で、数々の争いが繰り広げられ悲劇の歴史が隠されていることは想像に難くありません。八雲山を背にした神域・森には厳粛な空気が流れ、緊張感が漂っていました。


     ........(左)巨大な日の丸国旗がたなびく (右)巨大な注連縄が有名な神楽殿......
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★昔の玄関口・「旧JR大社駅」


まず、かつて出雲大社の表玄関口「旧JR大社駅」を訪ねてみよう。明治45年に出雲市~大社間で開業以来、平成2年廃駅となるまで親しまれてきた駅舎は格調ある純日本風・木造建築です。


     ........「旧JR大社駅」を訪問、かつては当駅が参詣玄関口......
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出雲大社や門前町へ多くの参詣者をかつて迎えた威厳の駅舎は、大正浪漫の建築美と格調に満ち溢れ、平成16年(2004)国の重要文化財に指定、「日本の建築200選」にも選ばれています。


       ........(左)神社建築様式のレトロな外観 (右)構内も木造り駅舎で素晴らしい!......
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全国でも珍しい神社様式を取り入れた旧大社駅舎の中に入ると、高く設計された天井からは大正風の灯篭型の和風シャンデリアが玄関を含めて30個備え付けてあります。実に威厳溢れるネ~!


   ........(左)威厳ある駅舎内部、天井が高い! (右)懐かしい木枠・改札口&プラットフォーム......
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出雲大社の大祭に遣わされる皇室の勅使をもてなすための貴賓室や駅名標・大社大鳥居が見えるホームが当時のまま残されます。旧事務室は大正ロマン溢れる喫茶店となっており、駅線路側に出てみると山陰線を走り続けた蒸気機関車D51が昔の雄姿を誇っている!実に見応えある駅。


          ........(左)大社駅にはSLが鎮座  (右)レトロな木造駅舎(駅長事務室)......
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           ........「出雲大社駅」の全景、神社様式駅舎はまるで歌舞伎座!......
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いよいよ出雲大社へ!車を走らせていくと神門通りの入り口に高さ23Mを誇る大鳥居が見えて来たゾ!大正4年建立・日本初のコンクリート製の鳥居であり、建築当時は日本一の高さを誇りました。神門通り途中には現在の参拝玄関口「出雲大社前」駅、モダンな形をした駅舎が右手に確認できる。



   .......かつて日本一の高さを誇った大鳥居が一番目出現、車で通過......
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         ........(左)大鳥居クローズアップ  (右)現在のJR玄関は「出雲大社前」駅.......
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★出雲大社の参道から、ついに境内へ!


街並を過ぎると、出雲大社の石柱と2つ目の木製の「勢溜(seidamari)鳥居」が出現。祓橋を越えると3つ目の鳥居があり、ここからは松並木参拝道。中央の参道は神の道であり皇族以外は歩行禁止となっており、一般の方は両脇道を通ります。松の参道を抜けるとお清めの手水舎がありました。


    ........(左)「勢溜りの鳥居」(木造) (右)中央は神が歩く参道、一般参詣者はご法度......
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手水舎前には、主祭神「大国主」が海から現れた「幸魂・奇魂」を崇め迎えた姿「ムスビの御神像」が雄々しく鎮座している。「大国主」(オオクニヌシノミコト)とは一体何の神様なのだろう?一般的には「大黒様」の名前が有名ですが、日本書紀では「素戔嗚尊」(スサノオノミコト)の息子、「古事記」では数代後の子孫とされ、その他にも実に数多くの名前を持っている掴みどころのない謎の神様なのです。


    ........(左)「ムスビの御神像」、幸魂(サキミタマ)・奇魂(クシミタマ」を出迎える「大国主像」.......
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「大己貴神」(オオナムチ)という名で、少彦名命(一寸法師のモデル)と力を合わせて国造りを成し遂げ「大国主神」の名を授かります。他にも「葦原色許男神」(アシハラシオノカミ)「八千矛神」(ヤチホコノカミ)の名もあり、国造り・縁結びの神、農業神、商業神、医療神等にご利益ある神として信仰されています。


   ........因幡の白兎伝説で有名な「大国主」は色々な名前を持つ神様(大黒様でもある).......
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極めつけは「日本書紀」で登場する「大物主神」(オオモノヌシノカミ)。祟り神としても恐れられ、日本最古の「大神神社」に鎮座。「幸魂(サキミタマ)奇魂(クシミタマ)」が大和の三輪山に自分を祀れと大国主に指示し、「大神(oomiwa)神社」の「大物主」となりました。「伊勢神宮」の起源にも深い関係が・・。(後述)


        .......4つ目は銅製鳥居、重要文化財(毛利氏寄進)、境内は広いネ~!......
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いよいよ出雲大社境内へ!重厚なる「御仮殿」が出現!本殿は大遷宮前で檜皮葺・大屋根の葺替え中であり、仮殿参拝となっていました。本殿からの一時移転時は2008年遷座祭が行われました。


       ........大国主が一時鎮座していた「御仮殿」、2008年仮殿移転の遷座祭......
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本殿は延享の造営(1744)で建立された大社造神殿(国宝指定)。神社建築の中では日本一を誇り、高さは約24m、厚い桧皮葺きの屋根の棟の上には長さ7.9mの二組の千木が交差しています。今回、「本殿」を実際に見ることができなかったのは残念でしたが、遷宮後にいつかまた来てみたいネ~!


       ........60年ぶりの大遷宮を迎え修復中の「出雲大社本殿」(ネット写真拝借).....
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           ........(左)国宝指定の本殿 (右)御簾越しに祈る神職の後ろ姿......
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旧暦10月は日本全国の八百万の神が出雲に出張不在となるので「神無月」と呼びますが、出雲では逆に神様が集結するので「神在月」と呼ばれ、男女の縁結びなどの会議が行われます。八百万の神々は本殿両脇にある東西の十九社(苔むした摂社)を宿泊所として出雲で一週間過ごします。


    ........(左)大木に結ばれた縁結びおみくじ  (右)八百万の神が宿泊する「十九社」......
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★国譲りをやむなく受け入れた出雲の祟り、天皇家・伊勢神宮との由来


今年は日本を代表する2大神社(出雲大社&伊勢神宮)がともに遷宮を迎える記念すべき年です。
出雲大社が60年ぶりの大遷宮(修復)、伊勢神宮は平成初の遷宮(20年移転)。両社は記紀神話・大和政権の隆盛・天皇家との関わりの側面から非常に深い関係性と謎を持ち合っているのです。


     ........今年は60年ぶりの大社遷宮、奇しくも伊勢神宮20年遷宮年とも重なる.......
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伊勢神宮には「天照大神」(天皇家祖先)が祀られますが創建ルーツは、出雲大社を祀る「大物主」(大国主)と間に深い因縁を持っていました。関連本が大好きで何冊も読んだ蘊蓄を語りま~す(笑)


   ........(左)かつて高さ48mの威容を誇った出雲・巨大神殿 (右)神殿を支えた宇豆柱......
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「古事記」によれば「大国主」(オオクニヌシノミコト)が「天照大神」(アマテラスオオミカミ)から国譲り(最後は天孫族に屈伏し国の支配権を渡す)を迫られた際に、「自分を祀る巨大神殿を建ててくれるならば国を献上しよう。自分は隠れて幽界の世界に隠れていよう」と条件を提示して巨大神殿が創建されました。


     ........ 2012年秋、国立東京博物館に出雲展を鑑賞(巨大神殿の模型)......
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昨年秋、この謎に迫る「出雲~聖地の至宝展」を鑑賞、巨大神殿の再現姿に対面しました。10世紀の「出雲大社」は高さ48mの壮大なる社殿、正に天に届くが如く「杵築大神殿」が聳えていたとの神話があります。それは長らく作り話と信じられていましたが、2000年に出雲大社境内から「宇豆柱」(uzubashira)という直径1mの3柱束遺跡が境内から多く出土し、神殿の実在が証明されたのです。


       ........境内にマークされた幾何学模様は、出雲大神殿の心柱(宇豆柱)の跡......
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平安時代の編纂書に「雲太・和ニ・京三」の記述があり、出雲大社が日本一、2番が大和・東大寺大仏殿、3番が京都御所・大極殿と言い表したもので当時出雲神殿がいかに巨大な建物だったかを物語っています。何故、かくなる巨大神殿が建築されたのでしょう?それは国譲り伝説に由来します。


     ........(左)宇豆柱の境内配置図 (中)雲太・和二・京三、当時は日本一の建造物......
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出雲の神々とは地元の有力豪族の数々だったのではないかと思われます。縄文時代から弥生時代にかけ、海面の後退に合わせ徐々に湿地エリアが広がり始め「葦原の中津国」と呼ばれる国土が拡大。出雲にスサノオノミコトが舞い降り、その子孫であり国土開発を進めた英雄が「大国主」なのです。



         ........出雲大社境内図、日本古代史で出雲大社には深く隠された謎が・・。......
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しかしこれに目をつけたのが渡来系「天孫族」(天皇家の祖先)。「天照大神の思し召し」と称して「我々に肥沃なる農耕地を譲れ!」と迫ってきたのです。圧倒的な軍事力で「天孫降臨の神の意志に従え!」と脅しをかけられ、出雲はついに天孫族に屈伏せざるを得ず、国の支配権を譲りました。



     ........「国譲り対決」(建御雷神と建御名方)の戦い、負けた建御名方は諏訪敗走......       
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しかし国譲りと引き換えに巨大神殿を建立した理由背景は、天皇家(大和朝廷)が出雲に対して後ろめたさがあり、恨み・祟りを恐れた故と云われます。出雲に国譲りを迫り屈服させた天孫族に対して恐ろしい祟りを与えた「大物主」、天皇家は出雲に対し今も近づき難い畏怖感を持っているのです。



      ........(左)出雲大社の龍蛇神図 (右)「大物主」は天皇家の守り神・祟り神だった......
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「大神神社」(オオミワジンジャ:奈良県桜井市)は日本最古の神社、日本神話に記される創建由緒は「大物主」に深い関係があります。第10代崇神天皇の時代、国内に恐ろしい疫病が流行りました。


      ........強力な祟り神「大物主」は大和三輪山「大神神社」に祀られる(蛇神鎮座)......
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                               「大神神社」(三輪山・山ノ辺の道)記事はコチラから

憂い嘆く崇神天皇の夢に大物主が現れ、「大田田根子なる者を見つけ私を三輪山に祀れば疫病は鎮まる」と告げました。これは「出雲の祟り」に違いないと信じ、お告げ通り大物主を大神神社として祀らせたところ疫病は収まり国に平和が戻りました。これ以降、大物主神は皇室の守神となります。


    .......大神神社(大和)から、日の出は伊勢、日没は出雲、3パワースポットが線で結ばれる.....
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「天照大神」は「大物主」と皇室の中で一緒に祀られていましたが、お互いに霊力パワーが強すぎて合わなかったのでしょう。「天照大神」は一緒に大和で祀られることを嫌い、自分に相応しい鎮座地の選定を巫女に命じました。指示を受けた倭姫命は大和から旅立ち数々の地をリサーチに!


     .......天照大神が伊勢遷宮を望んだのは、出雲神「大物主」から逃れたかったため......
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ついに海山の幸に恵まれた豊穣地「伊勢の国」へと辿り着き、伊勢への遷宮が決まったのです。出雲大社と伊勢神宮を結ぶと丁度真ん中に大神神社(大和)があり、日の出・日の入りラインで結ばれること(上記地図)に気づかされます。今年は同時遷宮でもあり、深い縁で繋がっている大社と神宮

                                「伊勢神宮の起源」をレポートした記事はコチラから 





★縁結びの神「出雲大社」をあとにして


「モノ」とは古代より荒ぶる祟り神や鬼神、「オオモノ」とはその中でも最大の祟り神を意味します。神には、「荒魂」(aratama:神が祟る恐ろしい魂)と「和魂」(nigitama:神の優しく平和な魂)と2つの側面を持ち合わせ、天皇家も恐れる「出雲の神」(大物主)は「幽世の祭神」&「神事の主催神」だったのです。


    ........(左)神在月(10月)の全国の神々を迎える祭り (右)神々による縁結びの会議......
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出雲大社は男女の縁・人間の運命・幽界に至るまで全てを統率する大神であり、縁結びの神と称えられる由縁ここにあり。出雲の旅では、確かに縁結びを求める女性観光客が多かった印象が・・


                .......「神楽殿」の中で一人で祈る女性(良縁へのお願い?)......
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出雲大社境内を西門から出て川を渡ったところに神楽殿があります。明治12年出雲大社教が組織化された当時、教化のために大国主大神を本殿とは別に祀ったことに由来します。大広間は270畳敷の広さをほこり、神社建築には珍しく、正面破風の装飾にステンドグラスが使われていました。



        .......本殿前から「神楽殿」へと渡り、社殿前に飾られる巨大・注連縄......
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神楽殿に掛かる巨大・注連縄(simenawa)は長さ13.5m、重さ4.4t、「国引き神話」の出雲を象徴するようだ。出雲大社の拝礼方法は「二礼・四拍手・一礼」(通常・二拍手)、神全体を取り纏める格式の高さ


       ........(左)神楽殿脇の水連池  (右)縁結びを祈る女性を横からガラス越しに撮影......
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出雲大社の強力な霊験と深い歴史を知り、壮大な神楽殿を後にして大社にお別れをします。やはりここは日本最大級のパワースポットでした!実に感動、日本のルーツの出雲は大きな祟り神だったと理解した次第。次は国譲り舞台となった「稲佐の浜」&日没出雲の象徴スポット「日御碕」へと向おう。


           ........壮大な神楽殿を後にして、次は国譲り舞台となった稲佐浜へ......
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                ........(左)出雲大社周辺図  (右)夕暮れの大社も荘厳......
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                                                         おわり

  by rollingwest | 2013-03-22 00:00 | 山陰・山陽の旅 | Comments(72)

<2013年1月>2012山陰山陽の旅①:「鳥取風景~出雲・神話の里」


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2012年秋、「山陰・山陽の旅」へ・・!今年60年遷宮を迎える「出雲大社」、古事記の史蹟・神社、世界遺産「石見銀山」・宮島「厳島神社」・岩国「錦帯橋」と廻ってきました。レポート記事をスタートします。


                   「出雲展鑑賞&「出雲大社探訪旅へのプロローグ」の記事はコチラから



                                      

★品川から夜行バスで鳥取県米子へ


昨年、憧れの出雲大社や古事記ルーツを訪ねましょうとマツ殿から提案を受けて、2012年11月中旬に山陰山陽の巡り旅を計画してきました。土壇場で母上が倒れてマツ殿は参加断念、しかしレンタカーや宿手配は済ませたので、一人旅で行こうと決意。品川から夜行バスで鳥取米子へと向かいました。


     ........(左)夜行バスに乗るために品川駅到着  (右)京急夜行バスでいざ出発!........
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         ........東京から夜行バスで鳥取県米子駅へ、結構よく眠れました。.......
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東京~米子の距離は740km、10時間半の夜行バス旅。黎明の山陰は雨が上がったばかり、独特な雰囲気の山風景が広がっていました。米子駅に朝7時前到着、レンタカーをチャーターしていざ出発!


      .......(左)朝6時頃、雨に煙る鳥取の山々 (右)神々の里・山陰周遊の旅へ!......
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              .......米子到着、レンタカーを借りて出発!今回の辿った山陰コース.......
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★米子城跡、中海から見た朝の山陰風景


まずは米子城跡に登ってみよう!山陰初の近世建築で西伯耆の拠点だった城郭は、かつて天守閣を有した湊山(標高90m)、隣接の2つの山に囲まれ、正面は中海、正に天然要衝地。城山を内堀で囲み外郭に武家屋敷を配して外堀を巡らせるという典型的な平山城の特色を備えていたそうです。


         ........(左)米子城跡の入口(石垣が立派) (右) 旧・小原家長屋門.......
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      ........入り組んだ中海の風景、遠く右には美保関や境港エリアも見えている!.......
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天主など建物は現存しませんが、石垣・礎石は城郭の形を留め、当時の構造をよく知ることができる国指定の史蹟城です。一帯は「湊山公園」となっており、頂上からは伯耆大山・日本海・島根半島・中海が一望できる素晴しい絶景。オオ~!大山の右裾野から神々しい朝日が昇って来た~!


     ......(上)本丸跡に立てば米子市街が一望 (下)伯耆大山(houkidaisen)に朝日が輝く!......
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米子港に繋がる加茂川の天神橋沿いにはナマコ壁の土蔵や連子窓の古い家が並んでいました。(河童もいた!) かつて大問屋が集まっていた所で海産物・綿の交易で賑っていたとのこと。江戸時代に海運業を営んでいた後藤家は最大の豪邸で母屋や蔵が国の重要文化財に指定されています。


        ........(左)回船問屋後藤家住宅 (右)運河の乗船場には河童がいた!.......
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鳥取・島根北部に広がる中海(nakaumi)と宍道湖(shinjiko)は、日本で5番目と7番目に大きい湖であり、斐伊川からの淡水と日本海からの海水が混じり合った日本最大級の汽水湖エリアなのです。


  .......中海からは日本百名山「大山」(daisen)の勇姿が!中国地方の最大名峰.......
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中海からは真っ白に冠雪した伯耆大山が見える!伯耆富士と呼ばれるだけあって富士山ソックリだ!実はこの名峰には9年前(2004年)に家族3人で登頂しております。懐かしい思い出が蘇るネ~!


  ......(左) 水鳥の航跡が描かれる中海 (右)冠雪の伯耆大山、前日の雨が頂上部では新雪に.....
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★懐かしの家族旅行・思い出レビュー (伯耆大山登山、鳥取観光SPOT)


大山家族登山は関西在住時(2004/5月)、中国~米子自動車道で入り、一般的な大山神社コースから登りました。朝から小雨模様、しかし稜線に出たら凄い風が吹いており登頂は結構苦労したナア・・


    .......(左)2004年、大山神社コースから家族登山 (右)大山は別角度からは全く異なる山容.......
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娘を3歳の頃から家族ハイキングに連れ出していましたが、10歳にもなると自我が段々目覚めて反抗期に・・。大山登山以降「もう山なんか絶対行かない!」と2度と付き合ってくれなくなりました・・。(涙)


     .......(左)登山道から隠岐ノ島が望めたことが印象的! (右)風雨に見舞われ大変でした.......
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    ......(左)断崖絶壁に神社!(三徳山三佛寺投入堂) (右)三朝温泉宿泊(背景絵画は大山).......
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大山を無事登頂した後は、山陰エリアの名湯「三朝(misasa)温泉」に宿泊。翌日は鳥取で最も有名な「鳥取砂丘」を訪ねました。観光用駱駝もおり、正に砂漠の中にいる様な気が・・、実に広かったネ~


      ........大山登山の翌日は憧れの鳥取砂丘を歩く。雨上がりで結構砂は固かった.......
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さらに「境港」にも訪問し、「ゲゲゲの鬼太郎」の道や「水木しげる記念館」も廻ってみました。この頃は今程にブームにはなっておらず人も疎らでしたが、懐かしい妖怪キャラクター達と再会で楽しかった・・。

       .......鬼太郎と魚のまち鳥取県境港の「水木しげるロード」を歩く(2004年5月).......
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   ......(左)「水木しげる記念館」前にて (右)「オイ、キタロ~!」目玉オヤジの声が聞こえてきそう!.....
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あッ、チョット脱線してしまいましたネ~。再び「山陰・山陽の旅」の本題に戻りましょう。いよいよ古事記の世界に入っていきます。まずは日本国を生んだイザナギノミコト&イザナミノミコトの史蹟へ向かいます。






★イザナギ・イザナミ神話の史蹟&「出雲風土記の丘」


島根県へ入り、山陰道を西に進むと東出雲町の山合いに「黄泉比良坂」という古事記にまつわる史蹟がヒッソリと存在しています。「黄泉の国」(yominokuni)、死者世界との結界門がそこにありました。


       ........(左)死者の国の入口とされる「黄泉比良坂」(yomotsuhirasaka)の結界門.......
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伊邪那岐(イザナギノミコト)、伊邪那岐(イザナミノミコト)は天津神から命じられて日本の国造りに力を合わせました。次々と神々を誕生させたイザナミは、火の神を生む際に火傷をして亡くなってしまうのです。妻の死を悲しんだイザナギは、黄泉の国(死後世界)を訪ねて愛するイザナミに会いに行ったのでした。


    ........(左)イザナギ&イザナミは二人で日本の国を造った。 (右)神々の系譜(クリックで拡大表示).......
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イザナミは生き返ることが可能かを黄泉国の神に相談すると御殿に入りますが、その際「覗いては絶対いけません」と言い残します。しかしいつまでも妻は現れず、痺れを切らしたイザナギは御殿の中に入り、イザナミの腐り朽ち変わり果てた姿を目撃してしまうのです。「見たな~!」イザナミは大激怒~


  .....死んだイザナミに会いに黄泉国を訪ね、変わり果てた妻に追われ地上に逃げ戻ったイザナギ......
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イザナギは逃げるものの、怒り心頭のイザナミは蛆が沸いた姿で執拗に追いかけます。結局イザナギは黄泉国と地上の間を岩で塞ぎ2人は絶縁してしまいました。離婚宣言されたイザナミは「私は黄泉国の神となり貴方の国の人間を一日に千人殺す」と宣言。それに対してイザナギは「私は一日1500人の子供を産んで対抗する」と言い合います。日本国を生んだ神夫妻の離婚場所がここなのでした。


     .......「出雲の国風土記」では「猪目洞窟」(日御碕の東)があの世の入口とされている.......
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出雲には「出雲風土記」に記されたもう一つの黄泉国・入口が存在します。縄文古墳時代の埋葬や生活遺物が多く発見された出雲半島西北部の「猪目洞窟」は寂れ霊気漂う不気味な所らしい。イザナミノミコトが葬られたのは比婆山(島根県安来市)であり、この辺には死を連想させる地が多いとのと。





★国引き神話に所縁深い「八雲立つ風土記の丘」

松江市の南部「八雲立つ風土記の丘」一帯は、「出雲国風土記」(奈良時代編纂)の国引き神話を起源とする意宇郡の中心地域。この周辺は縄文・弥生遺跡や多くの古墳が分布し、奈良時代の政治経済・文化の中心地です。出雲国造家に所縁ある神社や寺も点在、出雲文化の一大宝庫です。


   .......「八雲立つ風土記の丘」(意宇郡)、古墳時代中期(5世紀)の竪穴式住居跡が復元.......
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「八雲立つ風土記の丘」には古墳時代の竪穴式住居跡・出土品が展示されています。意宇(ou)の地は、ヤツカミズオミツノミコトが国引き神話の壮大な事業を成し遂げ、終了宣言した場所と云われます。


          ......銘文入りの銅製大刀や銅器具の数々、馬埴輪や家形埴輪も展示......
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「国引き神話」は、ヤツカミズオミツノミコトが杭の代わりに大山・三瓶山に綱をかけて、離島であった国を引き寄せて出雲国の面積を広げたと記されています。継ぎ足されたところは島根半島の部分です。  
ヤツカミズオミツノミコト伯耆大山に綱をかけて美保関を引っ張り、使われた綱が弓ケ浜になったとのこと。


     ........「出雲の国引き神話」は島根半島・中海・宍道湖の地形形成に根拠由来あり.......
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中海・宍道湖の北部はかつて離島(縄文時代は海面が高かった)でしたが、弥生時代の海退と、斐伊川の流出土砂や大山・三瓶山の噴火灰が蓄積され弓ケ浜等の砂州に成長し陸続きとなったと分析されています。国引き神話は「島根半島の地学的な形成史」と合致していることがよく解りました。





★古事記ゆかりの史蹟巡り(出雲風土記の丘周辺)


この周辺に点在する古事記所縁の史蹟を紹介したいと思います。風土記の丘の近くにイザナミノミコトが主祭神として祀られる「神魂(kamosu)神社」(離縁した夫・イザナギノミコトも合祀)が鎮座しています。出雲国造家(出雲大社の祭祀職)の大祖「天穂日命」(アメホノミコト)が創建したと伝えられています。


     .......(左)イザナミノミコトを祀る「神魂神社」へ参拝 (右)朝の鳥居に鮮やかな紅葉が!.......
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当時は紅葉が盛りを迎えていた頃、鳥居には鮮やかな紅葉が!急階段である男坂を上るとそこには、国宝の本殿(現存する大社造社殿としては最古)が出現。末社の貴布禰・稲荷両神社も立派!


    .......(左)本殿は日本最古の建築様式(国宝) (右)雨上がりの神社に注ぐ朝の日光.......
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このあとは、「八重垣神社」(スサノオとクシナダヒメの縁結び聖地)に寄りましたが、もうレポートが飽和状態になってきましたので、コチラのレポートはスサノオノミコトや八岐大蛇に関する史蹟記事で紹介いたします。


     .....「八重垣神社」は八岐大蛇を退治しスサノオとクシナダヒメが結婚生活を始めた所縁地.......
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日本神話の史蹟に触れてだんだんとテンションも高まってきました。レンタカーを走らせていくとついに宍道湖に出ました。次は松江城や小泉八雲(ラフカディオハーン)旧居や記念館へ・・。次回お楽しみに~!


          ......「宍道湖」の癒される風景を見ながら、松江城へと向かう.......
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                                                          おわり

  by rollingwest | 2013-01-14 00:00 | 山陰・山陽の旅 | Comments(64)

<2012年11月(神在月)>「出雲展」鑑賞&「出雲大社」探訪旅へのプロローグ

★古事記1300年「出雲~聖地の至宝展」


    .......11月初旬、東京国立博物館(上野)の「出雲~聖地の至宝展」を鑑賞.......
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今年は古事記編纂1300年の節目、そして来年は60年に一度行なわれる出雲大社遷宮の大行事を迎えます。以前から出雲・古事記の謎に興味があるRWは、10月から開催されていた「出雲~聖地の至宝展」(11/初旬)を会社同僚を早速誘って東京国立博物館(上野)へ鑑賞に行ってきました。


  .......(左)出雲展ポスター (右)中国王朝至宝展チケットを購入して出雲展(併設)も同時に鑑賞.......
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出雲大社の創建は「日本書紀」に拠れば659年出雲国造に命じて神宮を造らせたとの記述がありますが、その起源は謎に包まれています。日本神話では、国を造った大国主が高天原の神々から国譲りを迫られ、その代償として出雲に大神殿を建立することを求めたと「古事記」に記されています。


    .......10世紀頃の「出雲大社」神殿復元想像図、日本最大の神殿伝承!これはスゴイ!.......
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現在の出雲大社も、「大社造り」と呼ばれる風格ある最古の神社建築様式ですが、10世紀の「出雲大社」は何と高さ48m壮大なる巨大社殿(上記復元図)だったとのこと!正に天に届くが如くの神殿!


      ...... 1984年に一度に358本の銅剣が出土、荒神谷遺跡が発見された!.......
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出雲展の展示場には、数々の銅鐸・銅矛・銅剣が陳列されていました。これらは荒神谷遺跡(1984)、加茂岩倉遺跡(1996)から発見されたもので、358本の銅剣が出土など1つの地域からこれ程大量な青銅器が出たことは前代未聞とのこと。当地域に一大勢力・文化圏があった確実なる証拠です。


        .....さらに1996年、加茂岩倉遺跡から出土したおびただしい数の銅鐸.......
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2000年には出雲大社境内から「宇豆柱」(uzubashira)という巨大な柱遺跡が発見されています。この出土は日本中を驚かせました。古事記に記述された大神殿や国譲り神話などは単なるつくりごとと思われていただけに日本古代史の事実と想定されるからです。こんな巨大建築があったとはネ~!


       ......出雲大社境内から出土した「宇豆柱」、巨大なる神殿実在の歴史を証明.......
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       ......この階段規模と人間のサイズを比較してみてください!とてつもなくドデカイ!........
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平安時代の編纂書に「雲太・和ニ・京三」との記述があります。出雲大社が日本一、2番が大和の東大寺大仏殿、3番が京都御所・大極殿と言い表したもので、当時の出雲神殿がいかに巨大な建物だったかを物語っています。しかし出雲大社の栄華と国譲りの真実はミステリーに包まれているのです。


  .......平安時代の編纂書「口遊」(kuchizusami)伝承に「雲太・和ニ・京三」、真実と判明した!.......
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712年、太安万侶から元明天皇に奏上された「古事記」は今年1300年を迎えました。「日本書紀」(720年・舎人親王)にも神話は存在しますが、出雲の部分は古事記のみしか記載されていません。また「出雲風土記」には、大国主の宮を建てたのは高天原ではなく出雲の神々と記述されています。


      .......出雲には、天孫族(天皇家祖先)に屈服していった闇の歴史が隠されている.......
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記紀は天皇側(勝者の立場)から記載された歴史・神話書、その真実は作り変えられ闇に葬り去られた可能性が高いと云われます。6歳で観た東映映画「わんぱく王子の大蛇退治」は日本神話を物語った壮大なドラマだったナア・・。今も心に残る映画のルーツ出雲の旅に出てみることにしました。
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 ......映画「わんぱく王子の大蛇退治」(1963)、主人公スサノオノミコト、伊福部音楽が素晴らしかった.......
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11月中旬、有休休暇を取って憧れの「出雲」の地についに足を踏み入れ、古事記・日本神話の史蹟・神社を訪問しました。夜行バスで現地入り、レンタカーを使い早朝から夕方までひたすら走りまくり~
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★古事記・日本神話ゆかりの地「出雲」を訪ねた旅

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詳細なレポートは来年公開する予定ですが、今回廻った出雲大社や古事記に所縁深い史蹟の数々をダイジェスト速報版として紹介しておきたいと思います。まずは出雲神話が濃縮されている「八雲立つ風土記の丘」を訪問、その後出雲大社へと向かいました。「旧JR大社駅」は実に見応えあり


     ......(左)「八雲立つ風土記の丘」 (右)かつての出雲大社の玄関、「旧JR大社駅」.......
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そしていよいよ、伊勢神宮と並び古代より日本の歴史を見守り続けた出雲大社へ!まずは自称日本一の大鳥居がお出迎え・・、ここに祀られるは「大国主」(スサノオノミコトの息子)、国つ神の筆頭。銅鳥居手前にある「ムスビの御神像」は大国主大神が海神から「幸魂奇魂」の「おかげ」を授かる姿なのだ!


   ......日本最大級の大きさを誇る「出雲大社」大鳥居、ドでかい~!(1位は熊野大社).......
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     .......(左)「ムスビの御神像」、縁結びの御魂を現す海神 (右)御魂を授け受ける大国主.......
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出雲大社の拝礼方法は「二礼・四拍手・一礼」、通常は「二礼・二拍手・一礼」ですが格式高い出雲大社は別。今回拝礼は「御仮殿」に行いました。60年に一度の遷宮(2013年)に向け現在は「本殿」「拝殿」が修理中のため、大国主大神は今仮の神殿移り鎮まっているからです。来年は遷宮の大行事!


  .......(左)出雲大社「拝殿」(遷宮前の仮殿だった) (右)本殿は修復中、2013/5月遷宮実施.......
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出雲大社の西に広がる砂浜海岸は国譲り神話で知られる「稲佐の浜」。毎年陰暦10月10日(今年は11月23日)に神迎えの神事(神迎祭)が行なわれます。全国から集結する神々が当浜に上陸し出雲大社に集結します。オ~、遠く海上には国引き神話に由来深い「三瓶山」が望めるではないか!


    ......(左)国譲り神話の舞台「稲佐の浜」 (右)「三瓶山」(sanpeisan)は2003年に登頂した.....
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稲佐浜から北上すると、日御碕(島根半島、最西端)に行きつきます。ここに天照大神とスサノオを祀る日御碕神社が鎮座。ナルホド!太陽が命名される岬の神社だからアマテラスもおったか!ここに日本一の高さを誇る優美な灯台が屹立しています。素晴しい日本海サンセットを撮れて大満足でアリマシタ~!


     ......(左)日御碕神社、上宮がスサノオ、下宮がアマテラス (右)サンセットの光を浴びる鳥居.......
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    ......(左) 日御碕から望んだ日本海の夕日 (右)夕暮れに輝く日御碕灯台(東洋一の高さ).......
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出雲大社とはやや離れますが、伊弉冉尊(イザナミノミコト)を祀っている「神魂(kamosu)神社」にも訪問。本殿は日本最古の大社造り、初め出雲国造家はこの神社の祭主を代々勤めていましたが、杵築の地に出雲大社が創建され、祭主として移住したそうです。伊弉冉尊は女神、出雲大社の大国主命は男神


    ......(左)イザナミノミコトを祀る「神魂神社」 (右)「佐太神社」、神在月に全国八百万の神が集結.......
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アマテラスノミコトが治める高天原で大暴れしたスサノオノミコトは天から追放され、出雲の斐伊川上流(船通山)に降り立ちました。当地で国神アシナヅチ娘の稲田姫(クシナダヒメ)と出会い八岐大蛇の生贄になる事実を知ります。彼女を救うためスサノオは大蛇を酒に酔わせ退治し、目出度く2人は夫婦となりました。


    ......(左)スサノオノミコトが八岐大蛇と対決 (右)「八重垣神社」、スサノオとクシナダヒメの縁結び聖地.......
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「八重垣神社」はスサノオノミコトが稲田姫を愛しく詠んだ日本最初の和歌「八雲立つ出雲八重垣、妻籠みに八重垣作る。その八重垣を・・」に因んだ名前。出雲大社も縁結びの神、女性に人気の神社。


      .....多数の銅鐸・銅剣等が出土した(左)「荒神谷遺跡」と(右)「加茂岩倉遺跡」も訪問.......
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出雲展で鑑賞した.多数の銅鐸・銅剣等が出土した「荒神谷遺跡」と「加茂岩倉遺跡」にも行ってみました。出雲市から離れた山間部、当日は大雨でしたがレンタカーでないと不便な場所。奥出雲は見所が多いですが距離が離れており、朝~夕方まで精力的・効率的に廻らないと全ては見られません。





★2013年より、「山陰・山陽の旅」シリーズを開設いたします。


今回の旅は出雲を訪ねただけでなく、本当に欲張って山陰・山陽の名所をテンコモリに廻りましたので主な見所もダイジェストで掲載しておきます。夜行バスで米子到着でレンタカーを調達し、中海を右手に見ながら松江へと向かいました。松江城の天守閣・お堀、月照寺、小泉八雲の足跡なども巡りました。


      ......(左)松江城・天守閣の雄姿  (右)日本を深く愛した小泉八雲の旧居.......
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              .....(左)松江城の堀川めぐり  (右)宍道湖の癒される風景.......
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奥出雲を巡り、名画「砂の器」(野村芳太郎監督、原作・松本清張)の舞台となった「亀嵩駅」にも寄ってみました。ここはいつか訪れたいと願っていた場所。山陰の山奥は滅多に来られないので感激!


     ......(左)名画「砂の器」ロケ地・記念碑 (右)砂の器「亀嵩駅」で奥出雲の蕎麦を味わう.......
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奥出雲から西に向かい島根県部中央部にある世界遺産「石見銀山」も訪ねてみました。大航海時代の16世紀、世界で流通した銀の約3分の1近くが石見銀山で産出されたものと云われています。


  ......世界遺産「石見銀山」を訪問 (左)銀採掘坑道「竜源寺間歩」(右)「清水谷精錬所跡」.......
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    ......(左)石見銀山で栄えた街並、赤瓦で統一感 (右)世界遺産センターで銀山の歴史も.......
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石見からは瀬戸内方面に南下しもう一つの世界遺産「宮島」へ!広島で泊まったホテルを朝5時過ぎに出発、宮島口から始発フェリー(6:25)で渡り、干潮浜に佇む「厳島神社」の大鳥居を見ることができました。数々の史蹟や弥山に登って昼近くに戻ってみればもう大鳥居は海の中に浮かんでいました。


    ........世界遺産「宮島」の「厳島神社」 (左)朝の干潮風景 (右)昼には水上社殿となった.......
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宮島・弥山から俯瞰した瀬戸内海・大パノラマは本当に感動的でした!ここはロープウェイで上がれますが、頂上まで歩くのは相当距離あるハイキングですので甘く見てはいけません。弥山は登る価値あり!広島名物もみじ饅頭のルーツはここだったのかと思うほどに紅葉谷の錦秋は見応えあるものでした。


      .....(左)厳島神社の背後に聳える弥山 (右)弥山の頂上から展望した瀬戸内パノ゚ラマ.......
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        ......見事な紅葉日和に恵まれ大聖院(↓)や大願寺・五重塔・千畳間等を巡る.......
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最後は岩国(聖二殿故郷)に寄り「錦帯橋」「白蛇」「岩国城」を見て帰りました。天気のタイミングもあったと思いますが、やはり山陽はサンシャイン溢れた明るい雰囲気、山陰はやや翳あるミステリーな場所・・


                   .....日本三大名橋「岩国・錦帯橋」の勇壮・優美な姿.......
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      ......(左) 岩国城から望むパノラマ (右)岩国の名物「白蛇」、巳年の来年はブームかも.......
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大国主大神は、皇孫に国譲りをしましたが神世界(神事)は出雲が支配するという条件交換を行いました。旧暦10月に全国から八百万神を集結させ、死後世界や人の縁の決めごとをする「神在祭」。旧暦10月を神無月(出雲では神在月)と呼ぶのは全部の神様が出雲に出張で不在になるからです。


   .......(左)2012年11/23~30日「神在祭」が行なわれた (右)出雲大社のシンボル「大注連縄」.......
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来年は巳年、八岐大蛇や岩国シロヘビもブームになりそうな予感が!そして出雲大社60年ぶりの遷宮(修復)と伊勢神宮の21世紀初の遷宮(20年移転)が重なる凄い年!日本を代表する2大の社・神宮が同じ年に大祭を迎える訳で、ブームは頂点に達し日本国民は大いに盛り上がることでしょう。


   .......(左) 来年出雲は大社遷宮・大蛇でブームかも! (右)伊勢神宮の20年遷宮とも重なる!.......
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                                     「伊勢神宮」レポートはコチラから

今回の旅内容については、来年以降、「山陰・山陽の旅シリーズ」としてジャンル分けで詳細に公開していく予定です。下記内容となりますが、全てレポート完了するには2年くらいかかりそうダナア・・(笑) 


(1)米子・大山~出雲風土記の丘 ⇒ (2)松江城・小泉八雲・月照寺 ⇒ (3)出雲大社・日本神話 ⇒ (4)日本神話・古事記ゆかりの史蹟を巡る ⇒ (5)奥出雲風景(銅文化遺跡・たたら製鉄・砂の器ロケ地) ⇒ (6)世界遺産「石見銀山」 ⇒ (7)世界遺産「宮島・厳島神社」 ⇒ (8)「宮島・弥山」からの瀬戸内海パノラマ&岩国「錦帯橋」   「2012秋・山陰・山陽の旅」の全レポート記事」

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                                                         おわり

  by rollingwest | 2012-11-25 00:00 | 山陰・山陽の旅 | Comments(75)

<2011年5月9日>【常陸(茨城)・房総(千葉)の旅】(その3):「鹿島神宮」「香取神宮」

                                    (その2):「水戸・大洗・鹿島灘」編から続く


       ≪日本の夜明けは、常陸(hitachi)の国から・・ガンバレ・茨城!Sunrise!≫


★茨城・千葉に鎮座する憧れの古代神社

10年11月に巡った茨城・千葉の旅・3回目をお届けします。1回目は牛久大仏・土浦・石岡・笠間稲荷、2回目は水戸・大洗でしたが、今回は日本を代表する古代神社「鹿島神宮」&「香取神宮」を紹介しましょう。実は、茨城への旅情を掻き立てられた動機は2大神宮を訪ねたかった事に他なりません。


      .....(左)「鹿島神宮」....神宮への憧れが茨城・千葉へのトリガー...(右)「香取神宮」.......
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昨年秋に訪ねた茨城・鹿島の地は期待に違わず思い出深い訪問旅でした。日の立つ常陸国の由来、鹿島工業地帯の夜明け、神宮の歴史深いパワースポット、Jリーグの雄アントラーズの聖地・・、堪能した半年前の風景は今や震災に襲われ苦しみの境地に陥りました。一刻も早い復興祈願、ガンバレ茨城!


   .......鹿島神宮は茨城県・香取神宮は千葉県だが、利根川を挟みぼ同じエリアで隣接......
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★鹿島コンビナートの夜明け


鹿島コンビナート(鹿島・神栖)は日立と並ぶ代表的な茨城の臨海工業地帯です。早朝の工場群(Jリーグ鹿島アントラーズ母体の住金や鹿島石油等)から仰いだ感動的な日の出に出逢え実にラッキーだったなア・・


     .......鹿島臨海公園から望む鹿島コンビナート(住金鹿島)の夜明け........
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宿泊した市内のホテルを早朝まだ暗い中で出発、港湾道路から海岸へと行き果てると「鹿島臨海公園」に到着。夜明け前からの護岸堤は釣りに興ずる太公望達、自分だけのよき時間を満喫していました。

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     ........日の出前、静かに佇む「鹿島石油」タンク群、製油所装置からスチーム上昇........
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    .......鹿島港貨物船、堤防で釣を楽しむ人々。当時は震災なんて全く想像もせず.......
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快晴確実となる黎明、11月早朝は放射冷却で身震いするような肌寒さでしたが、常陸国の日の出を間近に見られると思うと心躍る期待感・・!濃い群青色だった空は徐々に明るくなり水色~オレンジ雲へと輝き色を変化させてきた・・。ついに待ち兼ねた太陽が鹿島石油タンクから顔を出し始めました。


          ........朝日が昇り始めた!石油タンク前を通過する艀船.........
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本州の最東端(銚子・鹿島)から登る太陽は誠に有難タヤ~! 背筋に感動が走り、日出づる国に生まれてきたDNAが刺激されます。朝から日の出を待ち構えていた若者達も大歓声を上げていました。


   ........(左)鹿島臨海公園・タワー下に集う若者 (右)朝の陽光を浴び感激に浸る......
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今回の大震災報道は東北が中心となっており茨城・千葉は割を食っていると思います。津波被害の悲惨さ・原発被害で東北の深刻度とは比較にならない事が理由かもしれませんが、茨城被害も相当なものです。度重なる余震が連続、福島原発の農漁業への風評被害、苦しみは量り知れません。


   .....(左)「鹿島臨海鉄道」広い野原の線路 (右)「住金鹿島」(今度新日鉄と合併)も大被災.....
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鹿島はまさに企業城下町。工場操業が止まり生産活動停止となれば、下請け業者への仕事が減少、従業員の給料カット・市の税収減へと繋がり、影響は即、街の景気に大打撃となることが確実・・


     .........鹿島工業地帯の上には大雲塊、北アルプス連峰の様だった!.......
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これから被災地に残った課題は余りにも多く半年前に見た鹿島・黎明光景(ホンワカした雰囲気)に戻るには相当時間がかかるのかもしれません。一刻も早く平常な生産活動や日常に戻ることを祈念!




★2500年以上の歴史を誇る古代神社「鹿島神宮」

さあ、最大のメインイベント!憧れの「鹿島神宮」への訪問です。早朝の凛とした空気の中、神社の鳥居をくぐると赤い「楼門」(日本三大楼門)が出迎えてくれました。やはり威厳が漂い雰囲気があるね~


    .....ついに「鹿島神宮へ!鳥居くぐると真赤な楼門・・、何とこの鳥居も震災で倒壊......
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神武天皇の御代に創建、天智天皇が神宮を造営。その後歴代の天皇や将軍により修造・寄進され、現在の本宮社殿は2代将軍徳川秀忠より奉納(1619)の国・重要文化財、桃山期の極彩色が華やか!社殿背後の巨木は根廻り12m、樹齢1,200年と推定されるご神木。確かに巨大杉が多いね~


  ......ルーツは何と紀元前660年鹿島神宮「本殿」、2500年超の歴史を刻む社殿は威厳が漂う........
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神宮本殿には、日本古代史から崇められた軍神「武甕雷男神」(タケミカヅチノミコト)が祀られています。社殿から奥へと進むと、巨大杉林立の奥参道が奥宮の方に延びていました。神寂びた雰囲気ある美しい大森林は「鹿島の杜」と呼ばれ21万坪800種以上の草木が茂る天然記念物となっています。


   ......朝の清冽な空気の中、「鹿島の杜を進み行く。巨大な古代杉から空仰ぐ.......
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「天照大神」は当時出雲の大勢力「大国主」に国を明け渡すよう迫っていましたが、出雲の抵抗で事態は進展せず・・、業を煮やした天照神は、武甕槌(タケミカヅチ:鹿島)と経津主(フツヌシ:香取)の2大武神を出雲に派遣、最後は大国主に国譲りを行わせました。鹿島神宮と香取神宮の兄弟神話の由来・・


     ........神話時代、最強武力を誇った武甕槌神(タケミカヅチノミコト)が祀られる。.........
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参道を行くと左手に鹿園があり「神鹿」の由来が記載してあります。大和朝廷時代となり権勢を握った藤原氏は、奈良を守るためには鹿島の地からこの軍神を呼び寄せることが平定の道と考え「春日大社」を建立しました。鹿島軍神を奈良に分祀する際、神鹿を守りとして一緒に奈良へ招き入れました。


     ........神の使い「神鹿」の立て札、鹿島神宮は名の通りシカに深い由来........
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そして神鹿の末裔達は、奈良観光の名物「春日大社の鹿」となっています。そうか~、奈良公園のルーツは鹿島アントラーズのご先祖様の鹿達だったのか!ちなみに「アントラー」とは鹿の角という意味です。


     ........奈良公園(春日大社)の鹿はここがルーツ、鹿島神宮から運ばれた。.........
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やや薄暗い木漏れ日注ぐ一角に鳥居と、鯉が泳ぐ群青の湧水の池があります。神秘的な清冽な泉は「御手洗池」(mitarashinoike)。鹿島の七不思議の一つとして、この池には誰が入っても同じ深さ、子供が入っても大人が入っても水面が胸の高さを越えないと伝えられます。


      .......参拝前に信者が身を清める「御手洗池」、紅葉が輝いていた。.......
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  ......神代から湧き出ずる御手洗池,鹿島七不思議の一つ(干ばつ時も涸れたことなく鯉泳ぐ).......
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鹿島神は元々常総地方の土着神でしたが、神話に最強武力神として登場した背景には、大和政権の蝦夷征伐との関係があるようです。朝廷軍が東北地方に遠征する時、鹿島の地は重要な軍事拠点でした。そして北進する朝廷軍を守護する軍神として霊威力を発揮したのが鹿島神だったという訳です。


        .........鹿島神宮「奥の宮」、ここは最大パワースポットかも・・・........
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尊王攘夷の基礎となった水戸学は、鹿島神宮など茨城に根ざした神話や古事記がルーツとなっています。「常陸」(hitachi)は、日本で一番先に太陽が出る最東端(常陸←日立=日が立ち始める神聖な国)として崇められてきました。武神の威力は太陽によってパワーが注がれると考えられたのでしょう。



★「レイライン」(太陽の通り道)の最東端、日本の夜明けは「鹿島」から・・


初日の出が一番早く拝める場所は、鹿島灘に突き出た房総半島・最先端「犬吠埼」。神話時代から太陽は絶対的な崇高な存在であり、鹿島の地は崇敬を集めていました。ちなみに日本での最東端は納沙布岬(根室市)ですが、冬季の太陽は南東から明けるので初日の出はやはり鹿島エリアが一番先


  .....出雲と対峙した「天照大神」の要請を受け、2武神(タケミカヅチ&フツヌシノミコト)出征の絵図.......
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地球は地軸が23.4度傾いているため、公転時に太陽から受ける光・エネルギー量の変化が生じ四季が存在します。天孫降臨の「高天原」(宮崎県)を起点として太陽の通り道(地軸傾斜23.4度)に線を描くと不思議なことに気が付きます。線上に日本有数のパワースポットが多く位置しているのです。


   ......日本列島を縦断通過する太陽の道「レイライン」の上に数々の神社・パワースポットが存在......
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最も力強い生命力を与える夏至の太陽の動きを、「高千穂」からスタートすると「剣山(四国)」⇒「高野山」⇒「吉野山」(奈良)⇒「伊勢神宮」⇒「富士山」⇒「明治神宮」⇒「皇居」、最東端がまさに「鹿島」。高千穂から太陽が昇る日の出方向を求め、日本人はレイライン(太陽の道)に聖地を造ってきたのかも・・


     .......最大のパワースポット「要石」、大地震の根源「なまず」を抑える石として祀られる。.......
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鹿島七不思議の最大のパワースポットは「要石」。これは地中に眠る大鯰が暴れて大地震が起きないように頭を押さえている封じ石とのこと。見かけは人間の頭程度しかありませんが地中深くまで続く一枚巨岩らしい。水戸光圀が一週間掘ってみたが、終に実現しなかったという伝説の不思議石なのです。


        ......鹿島神宮、朝の境内。神聖空気に触れ大きな力を受けたような気が・・.....
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茨城沖は太古時代から地震が多い場所だったのかも・・。今回は要石の封じが外れちゃったのかな?
太陽&地震、まさに自然威力を恐れ、崇めてきた日本人のルーツがこの神宮には存在する気がします。




★燦然と輝くJリーグ屈指の名門「鹿島アントラーズ」


鹿島と言えばアントラーズ、今やJリーグ超名門!Jリーグのスタート(1993)以来18年になりますが何とその内6回優勝しているのです。その他ナビスコ杯・天皇杯も各2回優勝、まさに無敵の強さを誇ります。
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Jリーグ発足当初は鹿島にプロチームをつくること自体に無理があると言われました。小規模の街で大スタジアムもなかったからです。しかし住金を母体に鹿島市民が一体となって即座にカシマサッカースタジアムを造り上げ開幕に間に合わせました。今回初めてその雄姿を目の当たりにしてその熱気を感じました。


  ...(左)鹿島スタジアム熱狂サポーター応援風景 (右)アントラーズ戦士(大船渡の小笠原、シャルケ内田も)....
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W杯で活躍したスーパースター・ジーコをブラジルから招聘し、プロ意識を徹底的に植え付けられて何と発足の年に準優勝の好成績、その後、アルシンド(友達ならアタリマエ~)やビスマルクなどを補強し1996年に初優勝!その後の強さは今に至り、2007-09年は3連覇も果し、その栄光の輝きはまさに偉大です。
               

   .....アントラーズの礎を築いた初期スーパースター達(ジーコ、アルシンド、ビスマルク、マルキーニョス、レオナルド).......
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鹿島市民が一丸となって応援する熱狂的なサポーター体制が選手達に勇気を与えるのでしょう!鹿島アントラーズの強さは、神の鹿が「鹿島神宮のパワー」を運び与えてくれる賜物なのかもしれません。カシマスタジアムも地震に見舞われたが鹿島軍神が守ってくれる!


   .......鹿角アントラーの強さ!右は怪獣「アントラー」模型(3式機龍殿のプレゼント)・・、アッ関係ね~か.......
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★上総一之宮の「香取神宮」(鹿島神宮と兄弟神社)


そして鹿島神宮の近隣には(千葉県ですが)、先程紹介した兄弟なる「香取神宮」が鎮座しています。天照大神命を受けた香取軍神「経津主」(フツヌシ)は鹿島タケミカヅチと一緒に西征し出雲の国譲りを実現


    .......「香取神宮」の鳥居、 紅葉や菊祭りで賑う境内。菊花が雪の如し.......
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鹿島神宮の色彩が全体的に落ち着いたダーク系色であるのに対し、香取神宮は朱色で明るい感じがする。しかし兄弟神宮であるだけに、建物は楼門・本殿・奥宮・森など全て同じように対で存在


          .......香取神宮「総門」、朱色・黄葉のコントラストが映えていた(10/11月)......
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対の極めつけは、香取神宮にも地震封じの「要石」が存在、水戸光圀が掘り出せなかった逸話も一緒
鹿島神宮も昔は香島神宮と呼ばれ「香」の字・共通でしたが、鹿に縁があり鹿島に名を替えたとのこと


      ......香取神宮にも地震封じ「要石」があった!正に鹿島神宮と対なす兄弟神社!......c0119160_813189.gifc0119160_8132419.jpg
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    ......(左)神宮参道を「七五三親子」が歩く。微笑ましいネ~ (右)「奥宮」は少し離れた場所......
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香取神宮の長い参道は、両脇に沢山の石灯籠が配置され明るい緑に包まれて実に風情があります。七五三参拝を終え、3歳の女の子がチョコチョコと長い参道を歩き下り行く可愛らしい姿が印象的でした。




★カンバレ!茨城・SUNRISE!

今回の旅は「鹿島神宮」(茨城)から利根川を渡って「香取神宮」(千葉)に入りましたが、この辺りは常総地区と呼ばれ一体感があります。次回はアヤメの咲く頃に合わせて利根川を挟んだ水郷(潮来・佐原)を紹介してみたいと思います。このエリアも液状化現象で内陸部でも相当被害があった模様・・


          .........茨城南部ルートを辿り、いよいよ上総国(千葉)へと入っていく。........
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大地震発生1週間前(3/4)に鹿島海岸浜にイルカ50頭が打ち上がっていたそうです。地震封じの神様であるべき鹿島神宮も鳥居が壊滅状態となり、まさに千年に一度の大震災というしかない惨状です。


   ......大地震発生前の鹿島海岸にイルカ50頭・・、予兆?そして鹿島神宮の鳥居も無残な姿に・・.....
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茨城・千葉の被災規模は東北に比べれば小さいもしれませんが、続く余震恐怖、農業・漁業・観光での福島原発の風評被害、精神的ダメージは相当なものと察します。心からお見舞い申し上げるとともに日の出の聖地・茨城が一刻も早く復活し明るい夜明けを迎えられるよう祈念します。ガンバレ茨城!

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   ....(上)日が立つ常陸国、鹿島の海・怒涛サンライズ (下)鹿島コンビナートの夜明け......
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                                                        おわり

                                     (その4):「水郷」(潮来・佐原)編へ続く


次回は「横浜開港の道:夜景ライトアップバージョン」(その3)を予定
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  by rollingwest | 2011-05-09 00:00 | 旅の風景 | Comments(52)

<2010年6月>伊勢路・奈良の旅(その1):「伊勢神宮」

★はじめに


初夏に伊勢路と奈良に旅する機会に恵まれました。伊勢といえばご存じ、神社本庁の本宗「伊勢神宮」(三重県)がある日本の総氏神の聖地。また奈良は関西在住時に何度も訪問しましたが、今年は「平城京遷都1300年祭」の節目で是非とも訪ねてみたいと思っていたところ。


          ........(左)伊勢への大巡幸絵図  (右)神宮の正門・宇治橋の鳥居......
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今回は1泊2日の強行軍でしたが、日本人の崇敬する「お伊勢様」と「奈良遷都・平城京」華やかな姿をジックリ見ることができました。古代日本を象徴する社寺探訪記事を3回に分けて紹介します。


  ......(左)ご存知「せんとくん」が寝そべる~! (右)奈良遷都1300年祭の象徴「大極殿」.....
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     (その1)「伊勢神宮・編」天皇家の氏神・天照大神を祀る伊勢神宮を紹介
     (その2)「平城京遷都1300年祭・編」今年大賑わいを見せている「遷都1300年祭」を紹介
     (その3)「奈良西ノ京の国宝寺・編」白鳳文化の究極美「唐招提寺」&「薬師寺」を紹介





★天皇家の氏神を祀る「伊勢神宮」(ルーツ伝説)


伊勢神宮は、元来は皇室の氏神(守り神)であることから皇室・朝廷の権威と強い結びつきを持ち続け、「お伊勢さん」の呼称で親しまれており、日本人にとって「心のふるさと」として別格的な神社です。


   ......(左)神宮入口の大鳥居 (中)江戸時代はお伊勢参り・大ブーム (右)アヤメ展が風情あり .....
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伊勢神宮の中には、太陽を神格化した「天照大御神」(amaterasuomikami)を祀る「皇大神宮」と、衣食住の守り神である「豊受大御神」(toyoukeomikami)を祀る「豊受大神宮」の2つの正宮正殿が存在しています。一般に皇大神宮の方が「内宮」、豊受大神宮の方が「外宮」と呼ばれているだそうです。


         ......(左) 伊勢神宮の「内宮」を行きかう人々 (右)内宮の「神楽殿」......
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当初「天照大御神」は大和の国(奈良県)の皇居内に祀られていたそうですが、皇居外の最も神聖な場所に祀られるべきと、各地を巡りついにこの伊勢の「五十鈴川」周辺が適地として選ばれたのです。


          .......紀伊山地からの清流が滔々と流れる神聖なる「五十鈴川」......
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日本書紀」によると大和朝廷は「天照大御神」と「倭大国魂神」(yamato・ohkunitamanokami)を共に宮中で祀っていましたが、紀元前93年(崇神天皇)に国中疫病が蔓延し民衆は荒れ反乱が起こったとのこと。天皇は鎮静の祈願を日夜捧げましたが、次第に両方の神の祟りを恐れるようになりました。


   ......(左)「崇神天皇」2つの神を離れさせるべきと決心   (右)太陽神「天照大御神」......
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2つの神を別々に祀るため相応しい場所を巫女らに託し、天照大神の鎮座地選定は豊鍬入姫命に託しました。次の垂仁天皇時代、豊鍬入姫命の後継者「倭姫命」(yamatohimenomikoto)が大和(奈良宮廷)から旅立ち、数々の地(伊賀・近江・尾張等)をリサーチした後に、とうとう伊勢の国に辿り着きました。


     .....「倭姫命」(左)が「天照大神」鎮座地を求め数々の地を探訪、ついに伊勢に着く......
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伊勢は海に囲まれ稲作も盛ん、海山の幸に恵まれた豊かな地。倭姫命は、天照大神から『美し国・伊勢の鎮座OK』との神宣を受け、ここを神宮の地に決定~!・・、という訳で移動しついに大巡幸完了

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倭姫命は伊勢の地で天照大神を祀る初の皇女となり、神宮祭祀(神嘗祭など)、神宮所属の宮社神田・神領を選定しました。禰宜、大物忌の奉仕職掌、祓の法を定め現在の基礎も確立したそうです。因みに倭大国魂神(=大国主)の方は天理市の大和神社に鎮座したとのこと(いつか行きたい)


       ........伊勢神宮の境内はやはり独特のムードが漂っている。......
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今回、特別な取り計いを頂き「天照大神」を祀る「内宮」参拝の機会を得られました。天皇家が誕生した黎明期は、他部族を超越するため伊勢神宮という神の強大な力が必要だったのかも知れません。


         .........「天照大神」を祀る「内宮」正殿、ここから先は天皇家関係者以外は立入禁止......
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★20年に一度の大移動・「式年遷宮」


宇治橋から見た五十鈴川(別名・御裳濯川)は倭姫命が汚れた裳の裾を濯いだ伝説から名付けられたとのこと。伊勢神宮は20年に一度、全社殿が造り替えられ神座を移します。これが式年遷宮です。


    ......(左) 宇治橋から見る木除杭 (中) 五十鈴川に辿り着く倭姫  (右)霧の五十鈴川.......
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神宮大移動は、内宮(天照大神を祀る)・外宮(豊受大神宮を祀る)の二つの正宮殿、14の別宮社殿、正面の大鳥居・宇治橋も全てが新しい木に造り替えられるのです。記録によれば神宮式年遷宮は、飛鳥時代の天武天皇が定め、持統天皇の時に第1回遷宮が行われたそうです。(神聖なる大行列)

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   ....伊勢神宮の周りはあちこちに檜の大木が林立。果てしない年月の積み重ねを実感!......
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戦国時代は120年以上に及んだ中断や幾度かの延期などはあったものの、1993年の第61回式年遷宮まで、約1300年に渡って綿々と受け継がれてきました。次回遷宮は2013年か・・!あと3年後に正遷宮(神体渡御)の大行事が厳粛に行われ、大々的に報道されることでしょう。(今から楽しみ)

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★伊勢神宮の古代ミステリー


日本の古代史ミステリーには結構興味を持っておりますが、「伊勢神宮」を始めとする日本の神社と、「古代イスラエル」には何らかの繋がりがあると云われているのです。伊勢神宮の石燈籠には天皇家を象徴する「菊御紋」と一緒に「籠目紋」(イスラエル国旗の象徴=ダビデ六芒星)が刻まれています。

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イスラエルと日本・神道の風習は同根という説があります。両者の類似点は、①ユダヤ神殿・幕屋の構造・設置法は日本神道と瓜二つ ②イスラエル祭司と神主の服が類似 ③古代イスラエル風習と神主お祓い方法が類似 ④ユダヤ「契約の箱」(聖櫃・アーク)と神社「御神輿」の類似(移動式神殿)など


  ......ユダヤの聖櫃「契約の箱」(三種の神器がある)を担ぐ姿と、日本の神社の「神輿」も酷似......
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天皇はミカドと云われますが、ヘブライ語では貴人を【Mikoto・Mikado】と呼んでいたことも共通点。外宮の豊受大御神(toyoukeomikami)の「受」(ウケorウカ)はヘブライ語で食糧の意味、つまり豊作を願う豊穣神・・。伊勢神宮には三種の神器の一つ「八咫の鏡」がありますが、神鏡にはヘブライ語が書かれているらしい。伊勢神宮の内殿には十字架が安置されているという説もあり神秘的な話ですね~!


    ......伊勢神宮の内宮、この中に三種の神器「八咫の鏡」がありヘブライ文字が・・?.......
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いや~、伊勢神宮って何となく「神社の総帥」みたいなイメージだったけれど、天皇家の氏神社としてかくなる発祥伝説や遷宮のルーツがあったとは知らなかったネエ・・。日本古代史は実に謎が多いなあ・・
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★内宮の門前町として賑う「おかげ横丁」


         ........テーマパークの雰囲気ある「おかげ横丁」は多くの人で賑っている。.........
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伊勢神宮の門前にテーマパークのような雰囲気で賑っているストリートがあります。伊勢路の代表的な建築物・土産屋が軒を連ね、時代劇の旅がらす姿芸人がいたり、さながら映画撮影舞台セットみたいだ。                          


      .......蔵の前を通ると、旅姿のパフォーマンス芸人が流暢なる口上を切っていた。.......
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伊勢神宮への集団参詣「おかげ参りブーム」に沸いた江戸~明治の姿を再現することを目的として93年、地元の老舗「赤福」(名物・赤福餅)がオープンさせたもので今や伊勢の有名な観光地になりました。


       ..........300年の歴史を誇る伊勢の銘菓(赤福餅)の「赤福」本店の前.........
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「赤福」といえば数年前賞味期限切れ販売で世間に叩かれていましたが、時の経過とともに店の信頼は回復しただろうか?でも伊勢最大の老舗だけあって建物も立派!今は多くの人で賑っていました。


         ........(左)おかげ横丁のレトロな建物 (右)五十鈴川カフェは女性客が多い。.......
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懐かしきレトロの街を歩いて行くと五十鈴カフェという喫茶店もあり、その名の通り背景は清流「五十鈴川」。川から見る堰堤に並んだレトロ建物を眺めるのも中々の壮観です。伊勢独特の風景だ・・


  .....(左)おかげ横丁を川沿いから眺めた風景 (右)式年遷宮で使われる「お白石」.......
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         .........五十鈴川のほとり、黒瓦の町並みにも多くの人が行き交う.........
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「おかげ横丁」を満喫した後は、伊勢に別れを告げて奈良方面に向かっていきます。海の幸に恵まれた伊勢湾の近くだけあって道中には、大きな伊勢エビやアワビ等を売る土産屋が多く見られました。


  ......(左)伊勢エビはやはり値段が高い~! (右)日本人,心の風景:二見ケ浦の「夫婦岩」 .......
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伊勢の名所「二見ケ浦」(夫婦岩で有名)に寄れなかったのは残念でしたが、またいつか来てみよう。
伊勢満喫後、名阪国道経由で奈良盆地に入り、奈良公園の近くにある本日の旅館へと向かいました。宿の近くには、夜のライトアップ「興福寺」が非常に綺麗でした。奈良町もそぞろ歩き・・・、続きをお楽しみに~

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                                                           つづく


次回は、南アルプス難関峰「鋸岳」に登るをお送りします。
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  by rollingwest | 2010-08-27 00:00 | 寺社・史跡・古道 | Comments(40)