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<2014年6月>埼玉探訪:行田・春日部・草加&「首都圏外郭放水路」

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★埼玉県名発祥地「行田古墳群」の探訪満喫後は・・

今年1月末、行田市にある「さきたま古墳群」を初訪問して埼玉県の魅力を再発見しました。国宝「金錯銘鉄剣」(稲荷山古墳から出土)等を見学し古代史の一端に触れることができました。出土した甲冑・鉄剣・馬具から大和朝廷に関係が深い有力騎馬民族が当地を支配していたことが窺えます。


        .....2014年1月末に初訪問した彩玉の国「さきたま古墳群」(行田市)......
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                           埼玉探訪:「行田・さきたま古墳群」&「和同開珎」(秩父)

 
日本はユーラシア大陸最東方に位置し、世界から色々な民族(インド・マレーシア方面からの海洋系・北方系・ミクロネシア系・朝鮮半島を経由の蒙古系・渡来人等)が次々に押し寄せ混血を重ね共存してきた歴史があります。4~5世紀頃は豪族間の大きな争いがあり国内も一時的に大混乱したようです。


    .......(左)「金錯銘鉄剣」(稲荷山古墳から出土) (右)「将軍山古墳」に眠る古代将軍......
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しかし最後は武力で他を制圧した勝者が統治者となり国を支配し歴史も塗り替えてきました。天皇ルーツは渡来系「扶余族」(騎馬民族)と云われますが、古代天皇や征夷大将軍が甲冑をまとい馬に跨る姿を目の当たりにすると納得感があります。青銅器文化は鉄の武器の前に屈していきましたし・・


      .......(左)日本最大の円墳「丸墓山古墳」 (右)古墳群の中で最古「稲荷山古墳」......
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まあ古代ミステリーのお話はこれ位にしておき、行田古墳群の後に訪ねた埼玉県の穴場スポットをさらに紹介したいと思います。行田市内の「忍城」「古代蓮の里」、次は春日部に足を伸ばし「首都圏外郭放水路」を見学してきました。実はここが古墳と並ぶ埼玉探訪のお目当ての場所だったのです。




★「行田」の見所探訪!(忍城・古代蓮の里)

行田市内には関東七名城に謳われた「忍城」(osijou)があります。戦国時代に熊谷市を本拠地とする成田氏が台頭し築城しました。上杉・北条氏との戦い、石田三成の水攻めにも落城せず戦乱期を耐え生き抜いた名城は、明治期に壊されましたが本丸跡地に往時の面影が今再現されています。


      .......(左)「忍城」(oshijyou)へと向かう (右)映画「のぼうの城」のロケ舞台......
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2012年「のぼうの城」(野村萬斎主演の映画)が公開されて忍城は全国的に有名になりました。戦国時代、僅か500人の兵隊で天下の豊臣軍(2万人)に戦いを挑んだ「でくのぼう」(成田長親=のぼう様)の実話を小説化した和田竜は「村上海賊の娘」で2014年本屋大賞の栄冠にも輝いています。


     ......「のぼうの城」の作者「和田竜」は「村上海賊の娘」で2014年本屋大賞を獲得......
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丸墓山古墳を廻った時に「石田堤」の跡がありましたが、これは秀吉の小田原征伐に際して、忍城攻略の命を受けた石田三成が丸墓山古墳頂上に陣を張り、忍城を丸ごと水に沈めるために構築された堤防だったのです。豊臣の大軍勢に水攻めされても少数精鋭で抵抗した成田長親って凄い!


   .......(左)石田光成の水攻めに耐えた成田氏「忍城」の雄姿 (右)天守閣と堀に陽光煌めく.....
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★縄文時代の蓮が今も咲き誇る「古代蓮の里」

忍城見学後は再び行田市の郊外部に出て「古代蓮の里公園」を訪問しました。市の天然記念物に指定される「行田蓮」(古代蓮)は原始的な形態を持つ1400年~3000年前の蓮と言われています。


    .......(左)当時訪れたのは冬、「古代蓮の里公園」はやや殺風景だった (右)展望タワー......
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1971年公共工事で偶然出土した地中深く眠っていた蓮の種子が自然発芽で甦り池に開花している姿が発見されました。市教育委員会からの依頼で埼玉大学が調査すると、ここは約2千年前に広大な湿地帯であり、縄文土器に付着していた古代蓮の種子と同一であることが解明されたのです。


        ......夏の古代蓮の里風景、水を弾く葉が開き蓮の花が大いに咲き誇る、....
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「ふるさと創生事業」(バブル時代)の一環で、行田市天然記念物「古代蓮」をシンボルとする公園を建設しようと1992~2001年開発整備され、「古代蓮会館」や展望タワーが広大な平野の中にボツンと聳えています。6月下旬から42種類12万株の花蓮が咲き誇りますがRW訪問時は冬だったのでまだ寂しき光景


      .......(左)蓮沼に静かに佇んでいた (右)オオ~飛び立った、優雅な飛翔姿!......
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古代蓮会館では縄文時代からの永い眠りから目を覚ました行田蓮の神秘的な美しさを満喫できます。花弁数が少ない原始的形態を持つ行田蓮の姿に直接対面できることに時空浪漫を感じました。


      .......(左)葦類の陳列芸術 (右)蓮座の女神像(インドの神や仏には不可欠)......
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             .......時空を超えた古代蓮の陳列芸術はまさに幻想的!......
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園内には他にも水生植物園、水鳥の池、牡丹園、梅林、桜の木のあるお花見広場があり、年間を通して自然の美に触れることができます。そしてやはりシンボルでる聳え立つ展望タワーに登らねばなるまい。地上50mの展望室からは広い関東平野や取り囲む山々の大パノラマを望むことができます。


           .......展望タワー眺望は行田の田園風景・古代蓮の池が眼下に!......
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行田観光を終えて次は春日部市へ!一般的には「何かここで見る場所なんてあった?クレヨンしんちゃんしか思い浮かばない!」の感想が殆だと思いますが実はビックリする凄い場所があるのだ~!



★驚愕の「地下のパルテノン神殿」(首都圏外郭放水路)

行田古墳群の他に、朝早くから埼玉県まで訪ねてきた動機は、春日部の地下に眠るパルテノン神殿(ギリシャ)のような神々しい姿を見ることができる洪水防止施設「首都圏外郭放水路」を体験したかったからなのです。こんな光景が埼玉県地下に眠っているとは・・!と大半の方は驚くことでしょう。


         .......治水の地下神殿(ギリシャ神殿の如し)、「首都圏外郭放水路」......
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「首都圏外郭放水路」とは、春日部市にある世界最大級の地下放水路(正式名:庄和排水機場)のこと。当地は低地が広がる中川・綾瀬川流域の浸水被害を抑えるため地下50mを貫く総延長6kmのトンネル型放水路として建設されました。1992年に着工し2002年から部分稼動を開始しています。


           ......正式名は「庄和排水機場」、首都圏の川氾濫防止の調節を担う......
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施設内に設置される「龍Q館」は一般見学者へのPR用の映像や写真・模型資料が展示されており、建設目的やメカニズムなどが事前勉強できます。施設見学には事前予約(時間指定)が必要となりますのでご留意下さい。やはり交通アクセスは相当悪いので自家用車またはタクシーで来るしかありません。


    .......(左)PR見学施設の「龍Q館」エントランス (右) 首都圏外郭放水路の床上地図......
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時間指定の見学予約者は手続を終えると、まず地底体感ホールに案内され、PR映像を見せてもらえます。地下神殿を体験前に光に彩られたビジュアル解説で治水知識を十分得ることができました。


          .......「地底体感ホール」で幻想的で迫力あるPR映像を楽しむ......
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流域河川の氾濫時は溢れる水を地下大水槽に引き込み集め、後日調整しながら徐々に排水を実施。その結果、下流部(海抜の低い江戸川区・葛飾区)の氾濫を食い止めることができるのです。巨大洪水調節池としての機能を果たす首都圏外郭放水路のおかげで東京は安全が守られています。


          .......首都圏外郭放水路のトンネル水路断面図の全容が解る......
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               .......ポンプ設備の模型で排水メカニズムを解説......
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巨大水槽内空間に整然と太い柱が立ち並ぶ光景は荘厳さを感じさせ、SF世界や地下神殿の様な雰囲気が十分。制御室も特捜指令室みたいで特撮TV番組や映画撮影にもよく使用されるらしい。


       .......操作室はまるで科学特捜隊司令本部!ウルトラマン撮影場所にもなった......
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さていよいよ地下神殿の実体験!案内係の指示に従いヘルメット装着で行列を組んで地下階段を下りて行くとついに到着!OH~凄い!まさに神殿の巨大柱が林立し無機質で無駄のない巨大なコンクリート壁が奥まで続いている。この光景ならば映画・ドラマ撮影に使用されるのも頷けるなア・・と納得!


            .......いよいよ地下放水路の中へと入って行く!ついに来た~!OH凄い!......
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       .......まさにギリシャ神殿の様な幻想的光景・・!ワクワク感、高揚感!......
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地下神殿の巨大な柱の上部には、昨年の大型台風上陸時に流入した水の痕跡線が残っています。毎年の豪雨・台風の増加傾向で、昨年は10数回の稼働を数えたそうな。当然土砂も流れ込んできて堆積するため、見学会前には機材を使って土砂除去作業をするらしい。本当にお疲れ様です!


  ......一体どれだけの水量を溜められるのか?放水後は泥かき出し清掃作業が大変らしい......
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        ......首都圏外郭放水路「龍Q館」のパノラマ全景、大変勉強になりました!......
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2大目的見学(埼玉古墳&首都圏外郭放水路)が無事に満願叶い帰路へつきます。もう夕方近いが、滅多に来ない埼玉県北東部に来たのだから春日部の見所も通過時にちょっと覗いて行こう!


           .......(左)遥かに筑波山が眺望 (右)埼玉県東部をさらに探訪......
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★春日部・草加にも、芭蕉「奥の細道」史蹟あり

春日部は首都圏ベッドタウンであり観光地的とは程遠い街ですが、芭蕉が「奥の細道」で北上していく途中で宿泊した「粕壁宿」(春日部の地名由来)があった場所です。でも一般的には知られていませんね~。やっぱり.「クレヨンしんちゃん」の生みの親「臼井儀人」の出身地という方が有名かなあ・・


       ......クレヨンしんちゃん作者「臼井儀人」(2009に山で死亡)は春日部出身......
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芭蕉が江戸を発ったのは荒川千住大橋付近ですが、埼玉に入り最初の宿泊地は粕壁だったらしい。「奥の細道紀行」では草加で宿泊したような記述になっていますが、曾良日記では粕壁宿と記載されており、東陽寺という春日部市内の寺に投宿したとのこと。境内には芭蕉石碑も残っていました。


         .......春日部(=粕壁)は「奥の細道」出発後2番目の芭蕉所縁地......
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             芭蕉が「奥の細道」の第1歩を踏み出した「荒川・千住大橋」の記事はコチラから


          ......芭蕉が一飯の恩を受けた「東陽寺」、芭蕉宿泊の石碑もある......
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もう夕暮れに近くなってきましたが、こうなったら「奥の細道」記述では最初の宿泊地とされる草加にも寄りたい・・!欲張りのRWは写真を東陽寺の写真を数枚撮って即座に退散!芭蕉の銅像に会いに行くため夕暮れの「草加松原公園」も訪ねて帰ることにしました。冬場なので5時はもう薄暗い・・


               .......最後に「草加松原公園」の夜景を見て帰る......
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   ......草加の松並木は実に立派!芭蕉銅像が佇む。でも一番有名なのは「草加煎餅」!......
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今日は朝早くから晩まで、行田古墳群・忍城・古代蓮の里・首都圏外郭放水路・粕壁・草加とマイカーで徹底的に周り埼玉東北部の隠れた魅力を発掘することができました。皆様も一度ご訪問あれ~!


     .......行田・春日部・草加を思い切り満喫!埼玉の歴史探訪ウォーキング無事完了!......
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                                                         おわり

  by rollingwest | 2014-06-18 00:00 | Comments(92)

<2014年5月>越後長岡の風景・歴史探訪(後編)

★前編は長岡市内の見所紹介、後編は郊外中心に・・


昨年GW(柏崎帰省時)に、隣接「長岡市」の歴史見所(主に市内部)を巡り、前編レポートで纏めましたが久しぶりに続編公開・・。後編は長岡市郊外と近隣穴場スポットをピックアップして紹介致します。市町村合併で寺泊(弥彦山近く)まで長岡エリアが拡大したことで良寛・芭蕉史蹟も登場!


     ......(左)信濃川の夜空に上がる三尺玉大花火(8月) (右)長生橋冬景色......
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前編は旧市街をメインとした歴史探訪で「山本五十六」「小林虎三郎」「河井継之助」の3大ビッグ゙ネーム(長岡出身)の史蹟巡り。戊辰戦争・太平洋戦争の戦火に巻きまれた長岡の歴史悲劇を綴りました。

                                    越後長岡の風景・歴史探訪(前編)


    .......(左)海軍総司令官「山本五十六」肖像 (右) 小林虎三郎米百俵の群像」......
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  .......(左)「河井継之助」記念館の入口  (右)継之助が購入した最新武器「ガトリング砲」......
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後編最初は「戊辰北越戦争」の「大黒古戦場跡」にある「北越戦争伝承館」を訪ねました。広大な水田遥か先には河井継之助が長岡城奪還で新政府軍と交戦した「八丁沖古戦場」も俯瞰できる!


         .......長岡郊外の田んぼに佇む「北越戦争伝承館」(激戦地跡)......
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長岡城を奪われた河井継之助は、城の北部に広がる沼地(八丁沖)を縦断し城に迫る作戦を立てました。八丁沖は底無し沼で通行不可能と言われ、突然攻撃に驚いた山県有朋・西園寺公望が率いる新政府軍は裏をかかれ一斉退却、継之助は奇襲攻撃で長岡城の再奪還に一時的に成功しました。


    .......(左)「八丁沖古戦場」を遥か望む (右)「北越戦争」の藩別対峙図・攻防経路......
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しかし戦いの中で河井継之助は流れ弾を足に受け重傷となり長岡藩兵の指揮能力・士気は一挙に低下、新政府軍は再び体制を立て直し反撃攻勢開始。その勢いに長岡軍はなすすべなく城を再び奪われ会津藩へ敗走していきます。河井継之助は只見で死去、北越戦争の終止符は打たれました。


        .......(左)「大黒古戦場」跡の石碑  (右八丁沖古戦場」跡の赤鳥居.......
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北越戦争伝承館に飾ってある幕末維新の志士達の若き日の集合写真を見てビックリしました。歴史教科書に乗るビッグネームの名前が続々!西郷隆盛・勝海舟・坂本竜馬・中岡慎太郎・大久保利通・桂小五郎・高杉晋作・大隈重信・伊藤博文・後藤象二郎他・・・、そして明治天皇も!何と貴重な写真だ~


    .....明治天皇を囲む各藩・勤王党志士達、錚々たるビッグネーム!(クリックで拡大閲覧).....
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  ↑上記写真は、「フルベッキ写真」と呼ばれ「明治天皇暗殺・すり替え説」があるらしい~!(驚)





★縄文時代から続く由緒深い「宝徳大社稲荷」・・(旧・越路町)


JR信越線の越後岩塚駅近くの小高い丘陵に真っ赤な大神殿が浮き立つごとく目に飛び込んできます。ごく普通の田舎風景の中にまるで巨大な宇宙船が舞い降りたかのような不思議な光景!地元では岩塚のお稲荷さんと親しまれる「宝徳山稲荷大社」の巨大神殿、鳥居も巨大でド派手~!


    ......立派な千木が張り出す「宝徳稲荷大社」の神殿群全景、旧越路町は今は長岡市......
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そのスケール・デザインからすると新興宗教臭がプンプンとしますが、その歴史は古く縄文の昔まで遡るらしい。解説には「殷帝大王の命により物部美万玉女命が瓊名の里に日宮の御社を建て・・」とありますが、ムム・・誰のことかさっぱり解りません。でもそんな由緒正しき神社だったとは知りませんでした。


     .......(左)鳥居越しに仰ぐ「宝徳大社」奥宮 (右)宝徳・大提灯、菊花御紋の天井......
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社殿に入ると金ピカ本殿に巨大提灯、やはり新興宗教っぽいなア・・。でも蝋燭が立ち並ぶ本殿の光景が実に幻想的!毎年11月の夜に開催される夜祭大祭(別名ろうそく祭り)では全国の神々が一堂に集まり国家隆昌・人民安泰・諸産業発展が多くの参拝者に祈念され火の鳥となって姿を現すらしい。


              ......絢爛豪華!「宝徳稲荷」の光り輝く神殿内部......
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★市町村合併で巨大化した新「長岡市」

先程紹介した宝徳稲荷は一応長岡市ですが昔の越路町です。2005年度の平成大合併で長岡は9つの市町村(栃尾・山古志・寺泊・越路、等)を呑みこみ面積841k㎡(3倍強)、人口28万人(1.5倍)と巨大化。栃尾や寺泊といえばそれだけでイメージした文化や風景があったのに何か寂しい気持ちも・・


  ......(左)平成大合併で「長岡」は一挙拡大! (右)あぶらげ・雁木で有名な旧「栃尾市」も編入....
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雪深い栃尾は「雁木」(がんぎ)の街でもあります。古い建物・各家々の仕様によって屋根の高さが違い、冬の生活に工夫した特徴ある柱や格子戸等が歴史の重みを感じさせてくれます。栃尾名物は巨大「油揚げ」。随所に「あぶらげ」の看板が見られ、古い雁木街並の風景に溶け込んでいる感じです。


   ....(左)上杉謙信が少年時代に過ごした常安寺 (右)栃尾城から長尾景虎として初陣!......
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「栃尾」は「上杉謙信」所縁の地。幼少時代「常安寺」で過ごし元服後、栃尾城主「長尾景虎」となり、この地で初陣を果たしました。寺裏手の長い階段を上がれば「火除け神社」で名高い「秋葉神社」が鎮座しています。奥ノ院の彫刻は越後のミケランジェロと呼ばれた「石川雲蝶」実に精密な作品で名高い!

                  「越後のミケランジェロ」と称された「石川雲蝶」記事

    .......(左)秋葉神社の「石川雲蝶」彫刻は必見! (右)栃尾には静御前の墓」もあった......
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         ......魚沼の「山古志村」は素晴らしい棚田が多くあり、闘牛・錦鯉で有名......
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棚田・闘牛・錦鯉で静かな山合い生活を送っていた「山古志村」も今や長岡市の一部です。「山古志村」といえば2004年「中越地震」で大きな被害を被った場所、あれからもう10年の月日が経つのか・・


  .....2004年「中越地震」は大規模な土砂崩れ・新幹線も脱線、防災意識の高まりの契機.....
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ところでわが故郷・柏崎もその3年後に大地震に見舞われ液状化被害で多くの家屋が倒壊しました。「中越地震」と「中越沖地震」・・、県民さえ間違えやすいのに他県の方は全く頭がゴチャゴチャ状態でしょう。もっと解り易い命名をすべきでした。「2004小千谷・魚沼地震」「2007柏崎・刈羽沖地震」を推奨!


  ......(左)故郷「柏崎」は2007年「中越沖地震」で被害  (右)2つの地震の呼び名が紛らわしい......
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     .......長岡市は「寺泊」(海産物ツアーや佐渡航路で有名)も編入、海をついに手に入れた......
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国道402号線沿いに鮮魚専門店が並び競い合っている「魚の市場通り」は、通称「魚のアメ横」と呼ばれている全国的に有名な「寺泊の観光スポット」!海の恵みの宝庫で豊富な種類の鮮魚がオンパレード、浜焼きの人気が特に高い!全国から観光バスが続々と乗り付けて市場はいつも大賑わい状態です。


       ......(左)バスツアーで大人気の「魚のアメ横市場」 (右)干物「デ゙ルフィッシュ」はエイです......
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★日本最古の即身仏ミイラ「弘智法印」が眠る古刹「西生寺」


寺泊の野積地区(弥彦山のすぐ脇)にある真言宗智山派寺院が「西生寺」。ここは「日本海の鎌倉」と称され1300年近い歴史を持つ即身仏霊場、733年に僧行基が開いた越後では屈指の古刹です。


     .......寺泊・野積にヒッソリ佇む即身仏霊場「西生寺」(奈良時代・行基が開創)......
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即身仏とは、穀類を断つ三千日の厳しい「木喰修行」で身体を浄化し腐りにくい体質に変え、地中祠で経を唱えながら往生を遂げていったミイラのこと。全国24体ある即身仏の大半が新潟・山形に存在


     .......当寺には日本最古の即身仏ミイラとなった「弘智法印」(立像)が眠っている......
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                  <2008年>山形の即身仏ミイラ記事:「出羽三山」

上記山形記事で掲載した全国の即身仏は江戸時代以降のものですが、当地に眠る「弘智法印即身仏」は唯一鎌倉時代のミイラ。文部省学術調査(1959年)で本物と認められた最古の即身仏なのです。 


           ......(左)水子供養菩薩のスケールに圧倒 (右)本堂(阿弥陀堂)......
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     ......(左)弘智法印ミイラが安置される霊堂 (右)巨大な弘智立像を下から仰ぎ見る......
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弘智法印は諸国や高野山で修行し「迷える民の憐れみ・救済」を目的に長い伝道旅を行っていましたが、高野山を去り越後で自ら即身仏になろうと決心。1363年座禅を組んだまま当地で入定しました。


          .......(左)霊堂祭壇にミイラが眠る (右)本堂の阿弥陀仏......
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         .......(左)これぞ、弘智法印の即身仏 (右)客殿には木像ミイラも鎮座......
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2010年「弘智法印御伝記」という古浄瑠璃を蘇らせる上演がドナルドキーン先生(米国から帰化した日本文化研究の第一人者)によって実現しました。古浄瑠璃物語の舞台はわが故郷・柏崎ですが、当時中越沖地震で壊滅状態になっていた柏崎に復興と希望の光を持ってもらおうという企画でした。


   .....柏崎の地元文化財団がD・キーン先生とコラボし蘇らせた古浄瑠璃「弘智法印御伝記」......
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この企画で大いに活躍された方が我がブログをスタート時期(2007)から応援してくれているハンドルネーム「小石ペガサス」様です。彼女は小生の中学同級生で、地元文化財団(ブルボン・オーナー家)から柏崎文化をPR発信する熱心な方。当縁で2013年に柏崎に「ドナルドキーンセンター」が目出度くオープンしたのです。


  .....縁を取りもったブ゙ログメイト「小石ペガサス様」(同級生)がキーン先生と2ショット!(本人掲載了承済).....
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      .......2013年9月、故郷柏崎に「ドナルドキーンセンター」がオープン!キーン先生の書斎・居間......
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昨年秋オープンの直後、小石ペガサス理事様に館内を案内してもらいました。キーン先生のNY時代の書斎が復元されており1800冊の蔵書や貴重な資料が保存されています。充実した映像ライブラリーも必見!


   .....2013年10月、小石ペガサス理事様に案内して頂きキーン先生気分で椅子に座りました......
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現代も我々に素晴らしい縁を与えてくれた有難き「弘智法印」(即身仏)様に感謝!西生寺は芭蕉の弟子・「曾良の旅日記」や鈴木牧之「北越雪譜」にも記され、松尾芭蕉や良寛もここを訪れています。


      ......西生寺には松尾芭蕉や良寛も来訪、歴史的な名刹だったことが窺い知れる......
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           .....「弘智法印」(即身仏)様に再度参拝して「西生寺」を後にした.....
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★寺泊・弥彦山の周辺にある良寛や芭蕉の史蹟紹介

市町村合併以前は寺泊町でしたが長岡市に併合されちゃったので「長岡歴史紀行」の一環として周辺にある良寛所縁史蹟、芭蕉「奥の細道」の越後ルートを紹介し最後の締め括りとしたいと思います。


   ......西生寺近くには越後名峰「弥彦山」(日本三彦山)が越後平野に堂々鎮座......
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西生寺訪問後は弥彦山の麓「旧・分水町」(現・燕市)にある「良寛資料館」にも立ち寄ってみました。当地で良寛と関わった家々に残る家宝(良寛の遺墨や資料)を公開させてもらう施設としてオープン


     .....1980年開館の旧・分水町「良寛資料館」、良寛遺墨等が多く展示.....
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        .......資料館では様々な良寛の表情・姿が人形でリアルに再現......
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良寛は出雲崎に生まれ、倉敷の円通寺で修行後、諸国行脚を経て少年期に過ごした懐かしい当地に戻り「国上山」(kugamiyama)の五合庵で「只管打坐」修行の日々を送りました。「国上寺」は山の中腹に建っており709年に弥彦大神のご託宣によって創建された県内でも格式が最高位の古刹です。

                               <2008年>秋の越後路を訪ねて(その1) 

   ......旧・分水町の国上山「国上寺」、良寛は20年間「五合庵」で過ごし修行・句・書道に励む......
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この古刹は「良寛和尚」が約20年過ごした寺として全国的に有名!諸国行脚を終え越後に戻った良寛が住んだ「五合庵」や展望公園に子供と遊ぶ「良寛像」を見ることができます。また出雲崎にある生家跡には「良寛堂」があり、堂前には渋い雰囲気の「良寛和尚」が佐渡を見渡すように座しています。


   ......(左)良寛生誕地の出雲崎「良寛堂」  (右)国上寺、良寛と子供達の戯れる銅像......
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                               <2008年>秋の越後路を訪ねて(その2) 


出雲崎では「荒海や佐渡に横たふ天の河」・・、ご存知「松尾芭蕉」の「奥の細道」で有名な俳句が生まれました。芭蕉が弟子・曽良と山形から海岸線を南下し、当地「出雲崎」に歩き着いた時の句ですが、「荒海」というと季節風が吹きつける悪天候日・・、こんな時に天の川が見えたのかなあ・・?(笑)


      .......芭蕉が辿った越後「奥の細道」ルート、出雲崎で詠まれた有名な一句......
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                       <2013年GW>山形歴史紀行:奥の細道「山寺・立石寺」 


長岡市は元々新潟県中部にある中核都市ですが、市町村合併によるエリア拡大で歴史的史蹟も当然増加しています。かくも価値の高い見所が多いのですからもっとPRすればいいのに・・と思います。歴史・文化・自然・食に恵まれた越後の魅力をもっと発信してもらいましょう!小石様、柏崎もヨロシク!


        .......長岡名物、「笹団子」「柿の種」「赤飯」、山本五十六も愛した「水饅頭」......
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                                                        おわり

  by rollingwest | 2014-05-13 00:00 | 故郷の風景 | Comments(86)

<2013年GW>山形歴史紀行(その5・最終回):奥の細道「山寺・立石寺」

★山形歴史紀行で訪ねた「奥の細道」の史蹟数々


昨年GWに訪ねた山形の歴史紀行も5回目となりましたが、今回で一区切りをつけたいと思います。相変わらずダラダラと1年近く時間をかけたレポートでしたが、最終の筆は「奥の細道」にターゲットを絞り、陸奥路のクライマックス「立石寺」を紹介しながら回顧レビューを・・「みちのくのスルメを噛み食む芭蕉の句


    ......昨年GWに山形名所を濃厚に訪問しました。『奥の細道』こそ史蹟巡りの中核ルート......
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奥の細道紀行に残された芭蕉句は数々ありますが、最も親しまれた一句「閑さや岩にしみ入る蝉の声」は今回レポートする宝珠山「立石寺」(別称・山寺)で詠まれたもの。実は山寺に訪れるのは2回目、1995年職場仲間と蔵王連峰を縦走し帰りに立ち寄ったあの日からもう20年近くが経過したのか・・!


      ......いよいよ「奥の細道」のハイライト「立石寺」(山寺)へ、「根本中堂」をバックに......
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「立石寺」(山寺)は山形市東北部に位置し、清和天皇勅願で860年慈覚大師「円仁」によって開山され、江戸時代に膨大な寺領と朝廷・幕府の手厚い保護(徳川家光が御朱印地指定)を受けました。仙人境に至る長い石階段を登り詰めていく山寺巡り(殆ど登山に近い)は格別な感慨が味わえます。


                               山形歴史紀行①:「上杉藩ゆかりの米沢」探訪 





★奥の細道のクライマックス「立石寺」(山寺)


天台宗・教学道場として開かれた立石寺はまさに幽境に佇む聖域・・。古来より「奇岩怪石の霊窟」として広く知られてきました。神仙境の雰囲気に包まれた光景は、凝灰岩質で多数の風化穴の岩によって構成され、蝉の声が岩に響く独特な音響効果を「岩にしみ入る」と芭蕉に詠ませたのでしょう。


   ......(左)出羽の国総鎮守に参拝する家族 (右)芭蕉銅像に弟子・曾良の像が寄り添う......
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奥の細道・標柱がある石段を登ると慈覚大師創建の「根本中堂」(立石寺本堂:国指定重要文化財)が現れました。天台道場には薬師如来像・伝教大師(最澄)像が安置され千年も続く「不滅の法灯」が燃え続けています。12年前比叡山に行った時にも不滅法灯を見ましたが、比叡から分けられた焔なり


         ......(左)根本中堂の脇には桜の花 (右)こけし塚のユニークな風景......
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日枝神社やこけし塚を見て山門へと進むと松尾芭蕉・曽良主従の像が鎮座していました。これから長い階段を登る参拝客を見送っているかのようだ。芭蕉らの一行は当初、立石寺に寄るつもりはなかったものの、地元民に山寺参詣を強く勧められてコース変更(羽州街道を南下)し当寺を訪ねています。


      ......(左)立石寺の山門から登山開始 (右)芭蕉と曾良の像が見送ってくれた......
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鐘楼を経て、いよいよ長い石段の入口にある山門に到着。ここからが山寺参詣の真骨頂・・、立石寺の石階段は全部で1015段もあるとのこと。山寺の頂上に到着するまでに約30~40分程かかります。


   ......これから果てしなく長い石階段歩きがスタート。杉木立の中を上がりミニ修行の始まり......
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オッ、蝉の句が詠まれた芭蕉蝉塚が出現。茶店脇にあり背後には百丈岩の絶壁がそそり立っている!茶店奥から右手に回った場所に山寺章段を刻する「おくのほそ道」銅板と巨石「芭蕉顕彰碑」があります。 蝉塚は表に「芭蕉翁」の三文字、側面に「閑さや岩にしみ入る蝉の声」の句が刻まれています。 


            ......「蝉塚」へ到着、垂直に切り立つ「百丈岩」の絶壁が圧巻!......
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蝉塚から登ると右側にもう一つ直立巨岩が見えてきた・・。阿弥陀如来を彷彿させる姿から「弥陀洞」(midahora)の名があり、岩の高さから「一丈六尺(約4.8m)の阿弥陀如来」とも呼ばれています。中腹道のクライマックス!長い歳月で繰り返した自然の営みが巨大岩を風化させ蝉の声も十分浸み入ります。


    .....弥陀堂の巨石を見上げ、弥陀洞の岩阿弥陀を仰げば、まさに山寺にいることを実感!......
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弥陀洞から仁王門が覘き金乗院へ到着、一挙に視界が開けてきました。遥か先に絶壁・百丈岩の頂上部に開山堂が見える!立石寺で格別に美しい風景の一つとされ風情が更に深まってきた・・


         ......金乗院山門にようやく到着、金乗院から見る百丈岩と開山堂、あと少しだ......
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           ......立石寺(山寺)の全体を表わした地図(赤字が今回の紹介場所)......
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石段右側に中性院が現れ、正面には満開桜。2013年東北の春は遅かったが、山寺訪問した時は待ち焦がれた開花に丁度いいタイミング!さらに石階段を登り詰めるとついに頂上部「奥之院」に到着~!


         ......(左)中性院前に咲き誇る桜 (右) 最高頂上部奥之院からのパノラマ......
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奥之院にも根本中堂同様に千年以上続く常火があり、最澄が中国・天台山から伝えた延暦寺・法燈から分灯したもの。堂内を見ると釈迦牟尼仏と神鏡が共存・・、正に神仏習合の極みですナ~


         ......(左)奥之院と大仏殿を訪ねる (右)奥之院には神鏡と釈迦如来が同居......
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奥之院からはいよいよ山寺・最大クライマックス「百丈岩」「五大堂」へ向かおう。華蔵院手前には岩窟中に納められた三重小塔を過ぎ、平野部に向かって屹立する「百丈岩」への断崖絶壁の最前部へ・・!そこには「五大堂」(舞台造りの御堂)と「開山堂」(慈覚大師の廟所)が堂々と鎮座していました。


       ......(左)岩を穿ってつくられた三重小塔 (右)「百丈岩」(左奥は五大堂)と開山堂......
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「五大堂」は五大明王が、「開山堂」は慈覚大師座像が安置されています。ここにも千年以上も香煙をゆらし続ける不滅の「常香」が!堂からの景観は山寺随一!桜咲き誇る里の全景が一望、山寺を振り返って見れば苦労し登ってきた石階段や数々のお堂、そこに屹立する修行岩場の断崖絶壁!


      ......(左)開山堂からの大眺望 (右)まさに神仙境のパノラマ、修行岩場が大迫力!......
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18年前に山寺を初訪問した時の感動が蘇り、今回も十分堪能させて頂きました。長石階段を戻り、桜の咲き誇る里を散策してみよう。山寺・百丈岩から目の前に見えた芭蕉記念館を覗いてみることに・・


      ......(左)奥の細道まゆはぎの句碑 (右)芭蕉記念館の桜は満開......
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山形市制100周年事業の一環で、芭蕉が「奥の細道」旅で山寺を訪れて丁度300年目に当たる1989年に建てられた芭蕉記念館では、芭蕉の名句・文書・みちのく巡行ルートの映像などが観賞できます。
破風屋根で雰囲気ある山寺駅と山寺ホテルを見学して、山形市に別れを告げて東北自動車道へ・・


        ......(左)芭蕉記念館の展示品 (右)桜に映える立石寺の山(クローズアップ!)......
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      ......(左)山寺駅前にある(右)山寺ホテル、2つの建物とも貫録に満ち溢れていた......
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★みちのく古代関・「白河の関」を訪ねて帰京


        ......山形盆地に広がるさくらんぼ畑・桃の花、遠くには船形山が望めた.......
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東北勢から高校野球優勝校がまだ出ていないことを「優勝旗が白河関を越えられず」という言い方をしますが、白河の関とは東北の入口を意味し、福島・栃木県境にかつてあった古代関所のことです。
一度はここを訪ねて見たいと思っていたので東北道の白河インターを途中で降りて訪ねて見ることに・・


          ......(左)境の明神  (下)白河関の史蹟 (右) 従二位の杉の全景......
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白河の関は、蝦夷勢力の南下防御や通行人・交易物品の検問等を主目的として、現在の福島県白河市に置かれた関で、大化2年(646年)に出された「改新の詔」に関設置の条項が設けられました。10世紀頃に古代中央集権国家の衰退とともに古代関所の機能が希薄化して廃絶の道となりました。


            ......(左) 正面に白河神社社殿 (右)ここにも芭蕉・曾良の像......
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芭蕉・曾良が関東から東北に入ったのは奥州街道の国境に社が建つ「境の明神」、峠を越して白河関を訪ね奥州旅が本格的にスタートすることになりました。因みに「白河関」の他には、太平洋側ルート「勿来関」(福島-茨城)、日本海側ルート「念珠関」(山形-新潟)が存在し「奥羽三関」と呼ばれました。


        ......(左)「境の明神」が国境の社として鎮座 (右)「奥州三関」の配置図......
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        .....白河インターから東北道に入って帰京・・。美しき「那須連山」のパノラマ!......
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「白河関」では白河神社・従二位の杉の威容、芭蕉・曾良の像や句碑を満喫して、白河インターからいざ東京へ、遥か彼方に「那須連山」の雄姿が!RWの2013年GWみちのく旅はこれにて全て完了~!




★今回辿った奥の細道をあらためてレビュー


         ......今回RWが訪問した奥の細道史蹟(芭蕉と逆に辿った紀行ルート)......
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最後に今回東北旅で訪ねた「奥の細道」史蹟を思い出し、当地で詠まれた名句と共に筆収めしたいと思います。まずは「出羽三山」から・・、湯殿山:「語られぬ湯殿に濡らす袂かな」、月山:「雲の峯いくつ崩れて月の山」、羽黒山:「涼しさや ほの三日月の羽黒山」 神仏習合の山々に大変感動でした。


     ......(左)雪が沢山残っていた「出羽三山神社」 (右)国宝「羽黒山・五重の塔」.......
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                              山形歴史紀行②:日本最大パワースポット「出羽三山」 


        ......(左)神秘なる「湯殿山神社」の真っ赤な大鳥居 (右)出羽三山の地図......
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象潟ではかつてここが松島に匹敵する風光明美な場所だったのに、大地震で地盤が一挙に盛り上がって今は田んぼ風景になり観光客が殆ど訪れない淋しさに感慨。「象潟や雨に西施がねぶの花」


        ......蚶満寺の山門と芭蕉像、「雨の中 観光客 殆どゼロの寂しさよ・・」......
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      ......(左)象潟の上空風景(松島は今は田んぼ) (右)芭蕉の辿った庄内ルート......
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                                    山形歴史紀行③:「酒田・象潟」探訪 

酒田・鶴岡は歴史に溢れた見所が多い場所でした。鳥海山の雄姿を見られませんでしたが「おしん」「おくりびと」等の映画ロケ地も訪ねて面白かった・・!「暑き日を海に入れたり最上川」・・。天童では将棋街の風情と山形蕎麦を味わいました。「五月雨を集めて早し最上川」・・、東北の遅い春を満喫!


         .....酒田「日和山公園」で芭蕉像と2SHOT,「常夜塔」は北前船の栄華......
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    ......(左)最上川SA「五月雨を集めて早し」 (右)天童市内の奥の細道モニュメント......
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                                    山形歴史紀行④:「酒田から鶴岡・天童」

奥の細道のハイライト「平泉」は2005年の家族旅行で訪ねました。高館「義経堂」(頼朝に追われた義経・弁慶の奥州最期の地)で詠まれた「夏草や兵どもが夢のあと」・・、芭蕉で最も知られる句ですね。奥の細道でまだ訪ねていない史蹟は須賀川・飯坂、塩釜・松島・・「松島や、ああ松島や松島や」~!


    ....(左)弁慶に扮し芭蕉像と一緒の娘(当時11才) (右)世界遺産「平泉金色堂」(2005).....
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          ......山寺・立石寺の全体象、修行の岩場が大迫力、みちのくハイライト......
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最後に今回ジックリ訪ねた山形歴史旅に賛歌を・・『みちのくの未知の国へと踏み入れて道の句に触れ奥を知るなり』・・アッ、三十一文字だ!俳句の記事でしたネ。モトイ・・『山寺に登りて味わふmichiのくに



                                                         おわり

  by rollingwest | 2014-03-26 00:00 | 山形歴史紀行 | Comments(91)

<2013年10月18-20日>「火打山」雪景色登山&糸魚川フォッサマグナ探訪(後編)

                        「火打山・雪景色登山&糸魚川・フォッサマグナ探訪」(前編)より続く



★日本列島の大断層「フォッサマグナ」の風景を訪ねる旅


    ........(左)妙高山をバックに火打山頂上へ (右) 北アルプス後立山連峰の大雲海......
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火打山登山後は天下の嶮として有名な「親不知」や日本列島を東西に分ける大断層「フォッサマグナ」が形成した糸魚川ジオサイト群(翡翠の渓谷等)を見学してきました。古事記・翡翠伝説でも有名な「奴奈川姫」(大国主の妻)の所縁地訪問も交えながら後編は地学的なお話と古代史の一端をご紹介


         ........糸魚川フォッサマグナの象徴的な光景(明星山と高浪池)......
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★日本海側のフォッサマグナ、北陸街道の最大難所「親不知」


火打山登山後は糸魚川(宿泊地)に入る前に「親不知」を訪ねました。ここは北アルプスが日本海まで迫る断崖絶壁海岸(北陸街道・最大難所で有名)。岩礁を通過しようとした旅人達は荒波に呑まれ多くの命を落としました。親子が生き別れた悲劇の海は「親不知・子不知」の地名で今に語り継がれます。


      .......最寄駅「親不知駅」は無人駅で人の姿は全くなし。電車本数も殆どなし.....
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「親不知」は過去何度か行きましたが、全て車による訪問で北陸自動車SAの記念碑を見学しただけだったので、今回初めてJR線で「親不知駅」(無人駅)に降り立ち海岸部まで歩いて訪ねてみました。


   ........(左)名勝「親不知」の案内板 (右)断崖絶壁と北陸自動車道が海岸部まで迫る......
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歩くこと20分、道の駅「ピアパーク」に行き当たり「親不知」地名が彫られた翡翠石や巨大な海亀像(自称世界一)が現れました。亀の目には小さなフクロウや奴奈川姫が顔を出していたので面白かった・・!


    ........親不知海岸に鎮座する世界一の海亀ブロンズ像(目からフクロウが顔を出している)......
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海岸沖には出雲の「大国主命」が地元の鬼と力比べをしたという伝説岩がありました。大国主命が投げた岩は鬼の投じた岩の遥か遠くへ飛び、負けた鬼は悔しがり岩を蹴って海中に身を投じたとのこと


      .......大国主伝説がある「投げ岩&鬼蹴り岩」、釣り人も沖に竿を投げる......
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海辺の「ピアパーク翡翠ふるさと館」には翡翠展示場や「奴奈川姫」像がありました。翡翠は古代の祭祀装飾品、奴奈川姫は翡翠産地の支配者でしたが出雲の大国主に求婚され妻となりました。出雲帝国は海洋民族でもあったことから日本海に沿って越の国にも頻繁に上陸し影響を及ぼしていたのです。


 .......ピアパーク翡翠ふるさと館の「奴奈川姫」(大国主に見染められ妻にはなったが入水自殺)......
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    .......(左)100tを超える巨大な翡翠原石 (右)縄文土器の破片や翡翠工芸品が展示......
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親不知も糸魚川ジオパーク(地学的観光地)の最大見所、まさに北アルプス山脈が海まで迫っている断崖絶壁!実際に「栂海新道」という登山ルート(1971全道開通)が存在し、親不知海岸から雪倉・白馬岳へと登山する頑強でマニアックな岳人もいます。ここには日本アルプスの名付け親「ウエストン」の坐像も・・。


  .......世界ジオパークに指定される親不知には「ウエストン」(日本山岳界の先駆者)の像が鎮座......
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    .......北アルプスから親不知海岸まで直結する登山ルート「栂海(tsugami)新道」の入口......
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親不知を越えた所には芭蕉が「奥の細道紀行」で句を残した「市振の関」があります。「一つ家に遊女も寝たり萩と月」・・、泊った宿では伊勢参りの遊女が隣り部屋にいたとの内容。この句は虚構ではないかと云われていますが、最大難所「親不知」を無事通過してホッとした芭蕉の実感が籠っています。


      ........(左)奥の細道で芭蕉は「市振」に宿泊し下記の句を詠んだ(芭蕉句碑あり)......
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★「糸魚川ジオパーク」:フォッサマグナの見所を探訪


親不知探訪後は糸魚川駅前でマツ氏と火打登頂達成の祝杯(⇒ビジネスホテル投宿)。翌日は各自別行動にして小生はレンタカーで糸魚川ジオパーク(地学的な自然・歴史・文化に纏わる見所)の数々を訪問


   ........翌朝は雨に濡れた奴奈川姫像(糸魚川駅前)に挨拶をして、フォッサマグナ探訪旅に出発......
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2009年、日本の3地域(糸魚川・島原半島・洞爺湖有珠山)が世界ジオパークに初指定されました。その後、山陰海岸・室戸・隠岐も追加され現在6地域。糸魚川はフォッサマグナに代表される日本列島形成のレアな地質、見事な景観、歴史の深さにも触れることができる世界的に価値の高いジオパークなのです。


       ........雨の姫川を遡り糸魚川の内陸部(フォッサマグナのジオパーク)へと向かう......
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糸魚川市街から姫川沿いに山間部へ遡上していくと「フォッサマグナパーク」の表示が出現。姫川支流の根知川沿いに歩くと糸魚川静岡構造線の露頭断層を見ることができます。断層破砕帯を挟み左がユーラシアプレート地層、右がフォッサマグナ構成岩。2億年を超える地球歴史が僅か2m間に凝縮されています。


   ........日本列島を東西分断するフォッサマグナの糸魚川・静岡構造線の断層(根知谷・露頭)......
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     .......根知川沿いにある地質露頭「根知谷フォッサマグナパーク」の銀ブロンズ看板......
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そして次はいよいよ糸魚川フォッサマグナのハイライト「明星山・高浪池・ヒスイ峡」へと向かいます。県道483号から小滝地区に入り絶景を眺望できる高台へ。当日は雨だったのでガスで見られないかと心配しましたが杞憂に終わり期待通りのロケーション。岩肌剥き出しの明星山の姿はまさにフォッサマグナの象徴だ!


    ........(左)「明星山&高浪池」の大絶壁 (右)新緑時の高浪池風景(ネット写真)......
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明星山と高浪池のコラボはまさに絶景!雨に煙る標高540mの高浪池のほとりを訪ねてみると岸辺には巨大岩魚のモニュメントが湖岸に鎮座しています!地元では「浪太郎」と呼ばれる幻の伝説魚らしい。


     .......雨の高浪池は誰もいなかったが「浪太郎」のモニュメントがひときわ目立つ.....
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明星山の断崖絶壁(ロッククライミング聖地)の最下部を訪ねると「小滝川ヒスイ峡」の激流轟音!明星山の大岩壁は3億年前の珊瑚礁が変化したもので多くの化石が眠っています。大岩壁の下は小滝川の清流に洗われた翡翠が観察できます。奴奈川姫が支配した翡翠産地はまさにこの源流の渓谷でした。


     .......「小滝川ヒスイ峡」(世界有数の翡翠生産地)を訪ねる。激しい渓谷の流れ......
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       ........フォサマグナの象徴「明星山」の大絶壁の下を流れるヒスイ峡の巨岩石......
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明星山・高浪池・ヒスイ峡の大迫力を十分満喫し再び糸魚川の平野部に戻ります。単線の大糸線踏切から見えるのはフォッサマグナの象徴「雨飾山」、2年前に食山人氏100名山達成を皆で祝った名峰だ・・


                              「雨飾山」登山 (2009年8月) の記事はコチラから 

  .......(左)大糸線踏切から雨の「雨飾山」を望む (右)糸魚川は鉱石・セメントのプラント工場が林立......
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糸魚川~信濃大町・松本に続く千国街道は「塩の道」と呼ばれる歴史街道で静かなブームの人気。フォッサマグナに沿った街道は塩・海産物が運ばれた道で上杉謙信が武田信玄に敵に塩を送った史実で有名。古事記では国譲りの戦いに敗れ出雲から諏訪に逃れた建御名方神が辿った道でもあります。


     ........(左)フォッサマグナと平行する「塩の道」ルート図 (右) 千国街道「塩の道祭り」......
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★糸魚川「フォッサマグナミュージアム」で地学勉強


     ........「糸魚川フォッサマグナミュージアム」には地質学的お宝物(ジオアイテム)が満載展示......
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「糸魚川フォッサマグナミュージアム」を訪ねてみよう。今まで見た景観や翡翠宝石がどんな経緯で形成されたのか地学的見地で頭の中を整理するいい機会だ!未来的展示場施設はビジュアルで非常に解り易い!見事に結晶した美しい石灰石、そして初めて見る魚群化石や巨大オウム貝に目を奪われた・・!


  ........(左)古代魚・オウム貝の化石 (右)小魚大群の泳いでいた姿が残る化石はビックリ!......
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Oh!巨大な翡翠石がドカンと登場、さすが世界的な翡翠産地・糸魚川!「ヒスイ」とも「カワセミ」とも読む「翡翠」に関する詳細解説があり、ムム・・確かに渓流の青い宝石の意味では一緒だ~、目からウロコ!


   .......(左)ここにも巨大な翡翠石が! (右)フォッサマグナから採取された地球のお宝物の数々......
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   ......「翡翠」の文字は「ヒスイ」とも「カワセミ」とも読む。渓流に映える青・緑の結晶美は共通呼称......
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フォッサマグナの命名者は日本で化石象を初めて研究したナウマン博士(独・地質学者)、明治政府招聘によりハタチで来日(明治8年から10年間滞在)、地質調査所設立・人材育成、日本列島を徒歩や馬で移動して測量しながら日本初の本格的地質図を完成させた偉い方。まさに外国人版の伊能忠敬だ・・


  .......(左)新潟に油田・ガス田が多い理由を再度理解 (右)フォッサマグナを発見した地質学者ナウマン.....
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フォッサマグナとは「大きな溝」という意味で西断崖が糸魚川静岡線、東断崖が柏崎千葉構造線とのこと。えっ初めて聞いた!古代は深い海峡だったが、火山活動や土砂堆積で現在の地形になったらしい。その後伊豆半島が海から移動してきて列島に衝突し高い山脈を形成したとのこと。またも目から鱗!
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今まで糸魚川・静岡構造線が北米とユーラシアとのプレート境界断層線と思っていましたが大きな誤解だったことを認識・・!故郷柏崎が東側フォッサマグナだったとはビックリ!みたび目から鱗・・、剥がれっ放し





★奴奈川姫の神社から海のジオサイトへ


     .......古代から長い歴史が刻まれた由緒深い「天津神社&奴奈川神社」を訪ねる......
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LASTは最も格式高い「天津神社」「奴奈川神社」を参詣、海のジオサイトを再度訪ね糸魚川紀行の締め括りとします。出雲の国譲りの話は前回記事で紹介済みですが、高天原の神々に抵抗し力比べに負けて、諏訪敗走(糸魚川経由)した建御名方命(諏訪大社祭神)は大国主と奴奈川姫の間にできた息子

                              出雲国譲り伝説(稲佐の浜)の記事はコチラから


 .......(左)「天津神社」の茅葺外観も拝殿も実に風格あり! (右)隣には奴奈川姫を祀った神社.....
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翡翠産地をかつて支配していた奴奈川姫の生涯は相当に不運・・。大国主が求婚し(脅しをかけ服従させたと思われる)建御名方命が生まれ、大国主は奴奈川姫に出雲への通い婚を命じますが、姫は出雲行きを拒み最期は池に入水してしまいます。息子も諏訪に逃れて蟄居、悲劇的な親子の末路・・


  .......締めは海のジオサイト(能生海岸)を訪問。糸魚川海岸部にも奴奈川姫銅像があった。......
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国道8号線沿いの能生海岸に大岩礁の弁天岩が浮んでいます。弁天岩は300万年前フォッサマグナ海底で噴出した溶岩で形成されており糸魚川ジオパークの一つ「弁天岩ジオサイト」と呼ばれる観光地です。


     ........(左)能生海岸に鎮座する「弁天岩」、親不知と並ぶ有名な海側のジオサイト......
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岩の中央部には海の守り神である「市杵島姫命」を祭祀する厳島神社が鎮座しています。頂上部には白い灯台が聳えており能生漁港(ズワイガニなど豊富な海産物)に出入りする漁船の大切な道標となっています。弁天岩の海側に突き出ている岩礁群は松ケ崎岬と呼ばれ伝説では竜宮の入口らしい。


   .......弁天岩の最上部に登って見る。厳島神社が鎮座し、松ケ崎岬岩礁には竜宮入口の伝説......
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今回の旅は火打山の頂上からフォッサマグナが形成した大絶景を楽しみ、大地に降りては糸魚川フォッサマグナパーク見学、古事記・翡翠伝説を知ることができて大変お勉強になる充実の2泊3日でありました。


    ........雨に煙る能生海岸から親不知方面を望む(今日はフォッサマグナ三昧であった・・)......
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    .......糸魚川フォッサマグナの象徴の「雨飾山」が北アルプス後立山連峰の背後に従える.......
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                                                         おわり

  by rollingwest | 2013-11-15 00:00 | ローリングウエスト山紀行 | Comments(82)

<2013年GW>山形歴史紀行(その3):「酒田・象潟」探訪

        <2013年GW>山形歴史紀行(その2):日本最大級パワースポット「出羽三山」探訪より続く

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★芭蕉が「奥の細道」で辿った庄内・日本海ルートを訪ねて


前回は松尾芭蕉が「出羽三山」を訪ねた記事を掲載しましたので、今回は「奥の細道」・日本海ルート(象潟・酒田)の史跡紹介からレポートに入りたいと思います。まずは芭蕉が訪問した「奥の細道」の最北地「象潟」(kisakata)を訪ねてみました。当日の山形は天候が悪く日本海は荒れた状態だった・・

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   ......「奥の細道」の庄内・日本海ルート。怒涛の荒波寄せる日本海、象潟は鳥海山の麓にある......
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ここには「蚶満寺」(kanmanji)という寺が海岸近くにあり、芭蕉像が立っています。「奥の細道」観光地としては寂しい風情(雨で観光客は殆ど見かけず・・)であり、雨に濡れた境内をグルリ廻ってみました。


      ......「奥の細道」紀行の最北限地は「象潟」、「蚶満寺」の山門&芭蕉立像.....
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   ......蚶満寺の境内。訪れる人は疎らで、芭蕉観光地の活気も殆どなく寂れた風情......
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なぜ芭蕉は出羽三山から酒田経由で越後へ南下せず、鶴岡からわざわざ北上してここを訪ねたのでしょう?その理由は当地が松島と並び、浮島絶景に彩られた江戸時代の大観光地だったからです。


  ......かつては「九十九島」と呼ばれ、松島と並ぶ浮島景観の大景勝地。今は田んぼに変貌.....
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しかし今は湾に浮かぶ松島の姿はなく水田の中にその面影を残しているのみ・・、1804年マグニチュード7級の象潟大地震で地盤が2.4mも隆起し、天下の名勝は一夜にして陸地となってしまったのです。


  ......(左)芭蕉象潟の句 (左)象潟の当時の面影絵図 (右)田んぼ上空からの浮島風景......
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ナルホド!田んぼを海と見立てれば松島のようなリアス式海岸の面影を残している。凄い地殻変動ダネ~
怒涛の日本海を右手に見ながら南下、いざ酒田へ!楽しみにしていた鳥海山のパノラマは残念・・(泣)





★名峰「鳥海山」登山の思い出が蘇る・・


象潟から「鳥海山」の優美な姿を眺望したいと期待し、少しでも晴れ間を覗かせてほしいと願いましたが、遂に山容を現すことなく願いは叶いませんでした。快晴ならば下記のパノラマが見えた筈なのに。
鳥海山は今から15年前にこの頂上に立ちました。スキャナーで取り込んだ当時の写真を併せてご紹介


  .....(左)残雪の鳥海山、水田に映る逆さ鳥海(ネット写真) (右)1998年7月、仲間と鳥海山を登山.....
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全国200名山を今まで150座近く登りましたが、鳥海山は十指に入るほど素晴らしい印象・思い出が残っている名峰。美しい池、光輝くブナの森、数々のお花畑、なだらかで眺望開けた裾野道、切り立った岩峰、何でも揃ったバリエーション豊富な山で、次から次へと変化する絶景の連続に只々感動!


   .....コースバリエーションに溢れ素晴らしい山旅だった!真っ青な水を湛えていた幻想的な鳥海池.......
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  .....(左)鳥海池を見下ろす高台で集合写真(もう15年前か・・) (右).翌朝、鳥海山頂上でご来光......
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そして最大クライマックスは御来光時の絶景でした!朝日を浴びた鳥海山のピラミッド影が日本海をスクリーンにして浮かび上がる「影鳥海」はまさにレアな光景。感動的な映像は今も脳裏に深く刻まれています。


    ......これぞ「影鳥海」!朝日を受けた三角形山容の影が日本海に浮かび上がり大感動!.......
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★古より湊町として発展してきた「酒田」


酒田市は人口約11万人の庄内北部の都市(県内3位)で庄内空港や酒田港(重要港湾)を持っています。市域の大部分が河川によって運ばれた豊富な土壌で形成された庄内平野で稲作も盛んな地帯


      .......(左)酒田港の上空写真 (右)鳥海山&酒田港 (いずれもインターネット写真)......
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歴史は古く、平安時代朝廷が出羽国府を築城し中世から貿易中継地でしたが、1672年河村瑞賢が西回り航路を整備するとさらに繁栄を極めました。戦後農地改革まで日本一の地主だった本間家や廻船問屋の鐙屋などの豪商が活躍して繁栄の頂点を極め「西の堺、東の酒田」とも云われたとのこと


          ......日和山公園から俯瞰した酒田市街の眺望(雨上がりの景色))......
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しかし繁栄の中にも暗い歴史があります。江戸時代から何度も大火災の記録があり、昭和では51年にも酒田大火(17百軒以上・15万㎡焼失)が発生しています。原因は強風に煽られ火事が全域に拡大したため。酒田は全国的に風の強い町で有名で、強風日が年間の1/4を記録する場所なのです。


  ......酒田は過去何度も大火に襲われた街、昭和51年(1976)の酒田大火における焼失地域.......
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1672年幕府から命を受けた河村瑞賢は西廻り航路開発に向けて綿密な調査を行い、寄港地を定めインフラ(堅牢な船・熟練水夫の選定、水先案内船・入港税免除制度等)を整えて、瑞賢船団は酒田を出発(新航路にトライ)、日本海・瀬戸内海を経由して計画通りに江戸へ辿り着くことに成功しました。


   .......北前船や千石船が航行した日本海西廻り航路(酒田~下関)を確立した河村瑞賢の像......
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この成功により北前船が生れ、日本海は海上交通の大動脈となり寄港地は繁栄していきます。酒田の繁栄を支えたのは最上川の水運と36家の廻船問屋だったのです。河村瑞賢は他にも淀川河口の治水工事、越後鉱山開発などで大功績をあげています。まさに江戸時代のプロジェクトX~!の立役者

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      .......(左)日和山公園の白い六角灯台 (右)江戸時代の灯台は常夜灯と呼ばれた.......
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酒田「日和山公園」は市街の高台丘の上にあり、そこに白い洋風の「六角灯台」(木造・日本最古級)が佇んでいます。お洒落な街のシンボル的灯台は明治期の建築物で酒田港の歴史を見守り続けてきました。その先輩は江戸時代の「常夜灯」、河村瑞賢の像と一緒に公園の中で威厳を保っています。






★「日和山公園」周辺の見所SPOT


日和山公園および周辺には他にも見所が沢山あります。まずは松尾芭蕉様、酒田では「暑き日を海に入れたり最上川」という句を残していますが、小生の場合は「晴れの日に鳥海見たし最上川」・・かな


           .......日和山公園に佇む芭蕉さんと2ショット、酒田でも名句を残している.......
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公園脇には白崎医院というレトロな洋風建築があります。小学校時代にお世話になった歯医者さんみたいだなア・・。隣には威厳ある日吉神社(比叡山の鎮守)も鎮座。この鳥居は独特な形をしており上部に三角形の破風(屋根)が乗った山王鳥居、全国の日吉神社・山王神社の鳥居は全てこの形だネ・・


       ......公園の脇に佇む大正期建築のレトロな「旧・白崎医院」、お洒落な建物ですネ~.......
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     .......(左)公園の目の前には日吉神社(独特な鳥居姿) (右)尊厳溢れる日吉神社山門......
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日吉神社本殿の隣には大正14年に建築された「光丘文庫」、地元の最大地主・本間家の蔵書を中心に地方有志家による数万点の貴重な蔵書を集められており、皇族・学者・芸術家らも多く来るらしい。


    .....(左)日吉神社本殿を参拝 (右) 神社隣は「光丘文庫」、本間家蔵書など膨大書籍が保管......
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出羽三山で生まれて初めて対面した即身仏、ここ酒田「海向寺」(日吉神社の隣)にも「忠海上人」が鎮座していました!そして注連寺におわした「鉄門海上人」の掛軸や手形も当寺に飾られています。


      ......酒田市内にも有名な即身仏があった!「海向寺」に鎮座する「忠海上人」(ネット写真)......
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今まで対面した即身仏は「真如海」「鉄門海」「忠海」・・全て海がついている。何で゙ダロ~!海が近いから?鳥海山があるから・・?いや多分日本海の果てまで弘法大師(空海)が来たからに違いない!


    .......海向寺の堂内は、天狗面と地蔵絵、震災復興祈願の観音などバラエティに溢れる信仰......
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  .....(左)この掛軸や手形は、出羽三山「注連寺」に鎮座する「鉄門海上人」のものではないか!.......
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海向寺の目の前にある赤錆の建物こそアカデミー賞に輝いた「おくりびと」の映画ロケに使われた「NKエージェント」(昔の料亭らしい)。酒田は「おしん」「おくりびと」と映画に所縁ある地、次回で特集を組む予定


   ........映画「おくりびと」の舞台「NKエージェント」は、日和山公園の隣、海向寺の目の前にある.......
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★酒田文化・繁栄の象徴・・「山居倉庫」「豪商屋敷」「酒田舞妓」


江戸時代、酒田が空前の繁栄を遂げた理由は、前述の通り日本海西廻り航路(北前船)の交易に拠るものです。肥沃な土地から生まれる庄内米や紅花(染料)の積出し港として大いに栄えました。また明治時代には米穀取引所が設置され、合わせて造られた「山居倉庫」は酒田経済発展の象徴です。

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     .......米の積み出し港の拠点「山居倉庫」(庄内のシンボル)、倉庫前を散策する夫婦.......
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山居倉庫はNHK朝のTV小説「おしん」(世界的大ヒット)のロケ舞台にもなった現役の農業倉庫(築110年余)。館内には庄内米歴史資料館もあり、米の積出風景や昔の農家の暮らし風景も見られる。


  ........倉庫内にある「庄内米展示資料館」には、米の検査や農家の暮らしが再現されている.......
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   .........山居倉庫の構内、倉庫裏手の欅並木道は実に雰囲気ある場所。散策お薦め!.......
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酒田市内には、廻船問屋・豪商・大地主の豪華な武家屋敷がいくつも残されています。「鐙屋」(abumiya)は酒田を代表する廻船問屋で井原西鶴「日本永代蔵」にも繁栄ぶりが描かれました。


  .......酒田には豪商が繁栄、「旧・鐙屋」(abumiya)など重要文化財邸宅が多く残されている......
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そして豪商が繁栄すれば当然花街も賑わい、茶屋文化が華を開かせました。歴史ある料亭茶屋の中でも最大老舗は「相馬楼」、ここでは伝統の「酒田舞妓」の文化が今も連綿と受け継がれています。


     ........料亭茶屋街通りの真ん中には、酒田花街の最大老舗「相馬楼」が門を構える......
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   .......(左)酒田舞妓の踊り風景 (右)豪華な御膳を模した優雅な手芸品(本間家の蔵品)......
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日本一の大地主と呼ばれ、「本間さまにはおよびもせぬがせめてなりたや殿様に」と歌に詠われた酒田の豪商「本間家」、その旧本邸も訪ねてみました。桟瓦葺の平屋書院造りで、表は武家屋敷(二千石旗本の格式を保つ)、奥側の商家造りと一体となっている建築様式は全国的にも珍しいものです。


     .......日本一の大地主だった「本間家」の旧本邸、庄内とは庄園の中心地という意味......
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本間家旧本邸は、幕府巡見使の一行を迎えるための本陣宿として1768年新築し庄内藩主酒井家に献上、御上が江戸に戻ると酒井家から屋敷を拝領し終戦時まで住んでいたとのこと。伏龍の赤松(樹齢400年)は立派!中に入ると大広間畳、鷹ノ羽の銀箔屏風や豪華な調度品、リッチの極みですな~


      .......(左)本間家の紋が入った幟旗、甲冑もある (右)鷹ノ羽の豪華銀箔屏風.......
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     .......(左)渋い黒板張りの御勝手場 (右) 本間家専用のクラシカルワゴン(調度用?).....
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国産ゴルフクラブ生産で有名な「本間ゴルフ」の創始者は同家の末裔。残念ながら2005年に民事再生法適用で上場廃止となりましたが、今でも酒田市にクラブ製造工場を持って事業を続けているとのこと


     ........(左)道を挟んで本間家別館 (右)本間家の紋がある行灯など数々の調度品.......
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全国の地主達は、戦後の農地解放でタダ同然の値段で土地を明け渡し悲嘆に暮れましたが、本間様は「農地は農民に戻すもの」の考えだったため庄内は大農家が多く、地元で本間様を悪く言う人は居ないとのこと。徳は得なり。私財を投じ庄内を安定させた懐が深~い名実共に日本一の大地主だネ


  ......かつて江戸時代・大繁栄を極めた酒田、今の景気状況は・・?(白い灯台と港の全景).......
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いや~「酒田」は本当に見所が豊富でした!芭蕉の史跡,北前船のルーツ(河村瑞賢の功績)、即身仏のお寺、山居倉庫、豪商・大地主の武家屋敷、酒田舞妓の茶屋街、古の時代から繁栄・発展してきた港街の文化を十分満喫させて頂きました。次は「鶴岡」へと向かいます。記事公開は10月頃かな・・


    .........「酒田」の港街文化を十分満喫、次は「鶴岡」へと向かう(映画村が登場予定).......
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  by rollingwest | 2013-07-30 00:00 | 山形歴史紀行 | Comments(88)

<2013年GW>山形歴史紀行(その2):日本最大級のパワースポット「出羽三山」探訪

                           山形歴史紀行(その1):「上杉藩ゆかりの米沢」より続く


★見るなかれ、聞くなかれ・・。奥秘パワースポット「湯殿山神社」


米沢のビジネスホテルを早朝に出発、東北中央自動車道を北上、いよいよ憧れの「出羽三山」(羽黒山・月山・湯殿山の総称)へ!出羽三山は其々が神の住む信仰の山で遥かなる歴史に包まれた修験道の聖地。神仏習合の権現を祀っていましたが、明治以降は廃仏毀釈で神の山と指定されました。


       .......米沢から修験の聖地「出羽三山」 (湯殿山・月山・羽黒山)へと向かう.....
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湯殿山は大山祇命・大国主命・少彦名命、羽黒山は稲倉魂命、月山は月読命が祀られますが、この山々に息づいてきた独特の羽黒修験道は継承されています。まずは湯殿山へ、標高を上げるにつれ残雪の高さが増してきた。GWの東北エリアは天気に恵まれず、当日も終始、曇りの一日でした。


 ......(左)雪一色の光景、山道(膨大な残雪量)をドンドン登る (右)湯殿山が見えてきた!......
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両脇雪壁の山道を行くと、残雪の湯殿山(1504m)の麓に真っ赤な大鳥居が出現!雪山に巨大な赤鳥居、不思議なオーラを一際放つ威厳の光景は日本各地でも滅多に見られない感動的な絵だ~!


     .......湯殿山神社の真っ赤な大鳥居、ここからバスに乗って御神体鎮座の聖地へ.......
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バスの中で湯殿山礼拝の説明を受けました。「湯殿山神社は社殿を持たず、御神体は茶褐色の巨大な磐です。ここは昔から「見るなかれ、聞くなかれ」と言い伝えられてきた奥秘の地なので参詣前には神主のお祓いを受け神域に入る際は裸足になって頂きます。写真撮影も一切禁止です。」・・と


 .....ココから写真撮影禁止(右ネット拝借写真)、お祓いを受け裸足で入域する究極のパワースポット......
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社殿のない神社(大神神社など)は仏教が日本に伝来する以前の古い信仰の姿であり、磐や山自体が御神体です。柵に囲まれた茶褐色の御神体には注連縄と神鏡が!巨大磐からは鉄分の湯が沸き出し、磐の向こうは断崖絶壁で轟音を響せる滝が落ちていました。正に神の降臨する磐座だ!


  .......「湯殿山・奥宮」(神社HPより拝借)&「ご神体」(鉄分温泉が湧き出す巨大な赤岩に神鏡)......
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裸足になり本宮をお参りした後、ご神体・磐座(温泉が滲み出ている)の上を歩き、滝の頂上で手を合わせます。滝の両側には13の末社が祀られており「お沢駆け」という修行が行われるそうです。


    .......湯殿山の山岳修行風景(滝行)、コチラも撮影禁止エリアにつきネット公開写真で代替......
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湯殿山は神のおわす深い神秘の地、出羽三山の奥の院は最も重要な聖地として崇められました。これ程までのパワースポットとは知らなかった・・!次は湯殿山近くの即身仏ミイラのお寺を訪ねました。




★即身仏(修行僧ミイラ)が鎮座する2つお寺を訪問


少年時代に読んだ雑誌で、東北地方の「即身仏」(土中修行で瞑想を続けそのまま絶命、ミイラになった僧)の存在を知り、初めて写真を見た時は衝撃的でした。いつか見てみたいと思いながら40数年、ようやくその望みが叶いました。今回2つのお寺を訪ねましたがいずれも湯殿山に所縁があります。


    ....... (左)田んぼ脇に萱葺山門!湯殿山総本寺「大日坊・瀧水寺」(右)本地堂.......
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「大日坊・瀧水寺」は弘法大師空海により開創された湯殿山の総本寺。かつて湯殿山は女人禁制であり、女性は当寺を訪れてお山を参拝したのです。ここに「真如海上人」の即身仏はおりました。96歳で生身のまま土中修行し絶命、弟子達が掘り起こし、洗い清めて乾されミイラで保存


    .......これが「即身仏」だ!土中に籠り瞑想を続け絶命後ミイラ仏になった「真如海上人」.......
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即身成仏の思想は真言密教・空海の教義「即身成仏義」により確立されたとのこと。お堂の中に入ると大日如来が祀られていましたが、その他にも様々な神仏(不動明王・菩薩・大黒天等)がゴッタ煮状態でした。さすが神仏習合の寺だけありますなア・・。神仏集合の方が言い得て妙かも・・(笑)


     .......金剛界・胎蔵界曼荼羅の頂点「大日如来」が本尊、四天王や諸観音像も並ぶ......
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 ......神仏習合・密教の神がズラリ!(左)三宝荒神像(右)剣を抱える波分大聖不動明王像......
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このお寺は徳川将軍家の祈願寺であり春日の局(徳川3代将軍・家光の乳母)が参詣し大日如来を奉納しました。かつては全国に名を轟かす由緒あるお寺として有名だったのです。しかし明治時代の廃仏毀釈運動でお寺は悲劇を迎えます。「神社に鞍替えしろ」と明治政府に迫られたのです。


   .......(左)飛鳥時代の金銅如来立像も (右)象に乗る文殊菩薩  神仏ゴッタ煮のお寺!......
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住職はこれに反目、「弘法太師が開基した由緒ある寺を神社には鞍替えはしない」と断ったそうです。住職は政府によって殺され本堂は焼かれてしまい、大日坊だけが残ったとのこと。恐ろしい話だ・・


    ......「注連寺」は何とミシュランガイド★★のお寺、本堂正面階段の上には立派な鰐口の鐘.......
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次は「注連寺」を訪ねてみました。ミシュランガイドでも紹介されるこのお寺も弘法大師空海によって開基され、空海が桜の木に祈祷で注連縄(しめなわ)をかけたことが名前の由来。また本堂天井を見上げると、故・村井石斉画伯による伝統絵画と4人の現代作家の絵画展示も楽しむことができます。



       .......当寺も大日如来が祀られており空海が開基、豪雪に耐える建築構造.......
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    .......故・村井画伯が描いた天井画が見事!(左)天に昇る竜 (右)老婆の祈りの合掌.......
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ここに安置される即身仏は「鉄門海上人」(湯殿山の仙人沢で修行し数々の事業を成し得た高僧)。文政時代に江戸では眼病が蔓延し人々が苦しんでいました。江戸にいた鉄門海は「私の祈祷で病を治そう」と決意し、両国橋の上に立って読経、自身の左目を刀でえぐり出し隅田川の龍神に捧げました。祈祷は天に通じて眼病の人々が次々と平癒し,江戸から眼病が消えたといわれています。


      .......(左)干支別由来の諸観音 (右)最も有名なミイラ即身仏「鉄門海上人」が鎮座.......
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日本に即身仏は幾つあるのだろうと調べてみました。全国で17体、そのうち12体は山形(8)新潟(4)、その内一体が我が故郷・柏崎(真珠院・秀快上人)に、もう一体が長岡・寺泊(西生寺・弘智法印)と知ってビックリ!長らく見たいと思っていた即身仏が地元にあったのか~!灯台下暗しでした。

                                            日本全国の即身仏17体
 



★素晴らしい錦秋パノラマの思い出・・「月山」の紅葉


さて次は羽黒山へと向かおう!道途中で蕎麦屋を見つけたのでフラリと入ってみました。やはり山形蕎麦はコシが強くて旨いね~!腹ごしらえを終え、田園風景の中をドライブしていくと湯殿山の雄姿が迫ってきた!その右隣奥には真っ白に霞む山が見える。春スキーで有名な百名山「月山」の山容だ!


    .......(左)美味しそうな蕎麦屋を発見! (右)噛みごたえある山形蕎麦を味わう.......
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  ......(左)斑模様の残雪峰が「羽黒山」 (右奥)白く霞む山が「月山」(雪が降っている)......
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日本百名山「月山」は2005年秋、東北「Fツアー」で登頂しました。前半は天候に恵まれず雨の登頂でしたが、午後の下山時にはガスが突然消えて晴れ渡る中、鮮やかな紅葉平原が一挙に現れたのです。イヤ~、実に感動的だった!大雪山と並び、生涯で見た中で最も美しい紅葉パノラマの一つでした。


  ......(左)2005・Fツアーメンバーと雨中の月山山頂 (右)雨が上むと一挙に紅葉光景が出現........
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    .......美しい紅葉で有名な月山、評判違わず眩い程の錦秋!絶景に目を奪われた!.......
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月山は標高2千m未満の山ですが、日本海からの季節風をまともに受けるため世界有数の豪雪地帯でもあり万年雪を抱く山。そして山形の夏は意外と暑い・・、この激しい気温の寒暖差により美しい紅葉が生み出されるのでしょう。月山は高山植物の宝庫で約350種類以上もあると言われます。


    ......2005年撮影の写真を数枚貼り合せ、スキャナーでPCに取り込んで公開してみました~......
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★修験道の聖地・羽黒山①:「国宝・五重の塔」&「巨木杉の参詣石段」


出羽三山の最後は羽黒山を訪ねました。正式参拝ルートは羽黒山⇒月山⇒湯殿山ですが、小生は全く逆コース・・、まア、いいか~!勿論お目当ては国宝「五重の塔」、本殿まで続く巨木杉の道(長い石階段)。ここはミシュランガイド★★★指定の大霊場。高尾山の三ツ星はチト疑問だが当地は大いに納得!


      .......(左)羽黒山の出羽三山神社(残雪多い境内) (右)有名な国宝「五重の塔」......
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羽黒山の参詣は、「随神門」(平場にある)から入り長い石階段を登って出羽神社(三神合祭殿)へ向かうルートが正式とされています。しかし今日も濃密に廻ってきて残り時間が少なくなったので全部の石階段は無理と判断、「五重の塔」と「杉木立」の道を暫く歩き、雰囲気をまず味わってみよう。


     .......(左)羽黒山の鳥居をくぐり随神門へ (右)静寂な杉林、摂社群の中を歩いて行く.......
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随神門から継子坂を下ると祓川に架かる赤い神橋(対岸には須賀の滝&祓川神社)が見えてきました。ここが俗世界と羽黒山との結界であり、かつて参拝者はこの川で罪や穢れを洗い流して山に参詣したそうです。そしていよいよ国宝・五重の塔が出現!鬱蒼とした杉林に威厳漂う古塔が鎮座


           .......(左)須賀の滝&祓川神社 (右)祓川に架かる真っ赤な神橋.......
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    .......渓谷の先には、羽黒山神社「国宝・五重塔」が現れる!脇には巨木なる爺杉が屹立.......
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五重塔や巨大杉の石階段を登り幽谷風情(ミシュランガイド★★★に指定されるだけの価値あり)を満喫し、次は出羽神社(三神合祭殿)に向かおう!本来は石階段を登り切っていくのが正調ですが、もう時間が足らない。再び随神門に戻って車でお山を登ることにしました。修行先達は、しかめ顔?


         ....五重塔をバックにパチリ!巨大杉の石階段も途中まで登り、雰囲気を味わう.......
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★修験道の聖地・羽黒山②:「国宝・五重の塔」&「巨木杉の参詣石段」


    .......徳川家も篤く信仰した出羽三山の神々は羽黒山「三神合祭殿」に合同で祀られている.......
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カーブの続く山道を車で登り切り羽黒山(414m)の山頂駐車場に到着。暫く歩くと檜皮葺の豪壮な社殿が登場!これぞ羽黒山神社「三神合祭殿」です。迫力あるね~!社殿の前には鏡池があり古代はこの池自体が祈りの対象だったらしい。ここからは平安・鎌倉期の神鏡が多く出土したそうな・・


       .......(左)三神合祭殿の本殿へ (右)本殿にはパワースポットの荘厳な雰囲気が漂う.......
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三神合祭殿内に入ってみましたが、山岳修験と日本神道が融合した独特なムードが漂っています。三神合祭とは、出羽の三山神社がここで一つに祀られるという意味。月山・湯殿山は豪雪の山中にあり冬に参拝ができないため、標高が低く比較的積雪が少ない羽黒山に合祀されているのです。


           .......(左)荘厳なる本殿が金色に輝く (右)日本神話を物語る彫刻......
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     .......(左)合祭殿に鎮座する日本の神々と神馬の像 (右)出羽三山歴史博物館の内部.......
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合祭殿の隣には出羽三山歴史博物館があります。滅多に見られない神仏習合の美術品・お宝物が満載でビックリ!出羽三山を開山した恐ろしげな「蜂子皇子」肖像も大迫力!実はこの方は崇峻天皇(蘇我馬子によって暗殺された)の皇子、自らの身に及ぶ危険を察し出羽に逃れてきたのです。


    .......(左)「天の岩戸神話」、正に神仏習合! (右)開山尊像「蜂子皇子」(恐ろしい顔ダ~)......
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          ......博物館内には、大日如来像と数々の仏像・観音像が展示されている.......
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出羽三山に日光東照大権現の掛軸があるとは・・(徳川家の篤い信仰)!更に修験道開祖・役行者、不気味な三面大黒天、巨大な天狗面、まア・とにかくゴッタ煮、キワモノっぽい雰囲気が実に興味深い!


 .....(左)三面大黒天&役行者像 (右)ド迫力,烏天狗&赤天狗 (下)東照大権現(家康)の掛軸.....
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さらに羽黒修験道の行者に関する解説もあるゾ!山伏の峰入儀式が詳細に再現されていました!古来山岳とは神霊が存在し死者の帰る他界でした。その踏み入れてはならない山に深く分け入り、行を重ね超自然力を獲得し加持祈祷等の宗教的呪術を行う人々、修験者と呼ばれる超人達です。


          .......冬の峰行が最も厳しい修行、こんな展示はここでしか見られないレア物.......
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     ......迫力の檜皮葺き神殿前には残雪がまだ多く残っていた。今年は豪雪だったからなア・・......
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出羽三山は森羅万象に神が宿る信仰の原風景!期待通りに興味深く目から鱗の連続!出羽三山は「東日本随一の山岳霊場」として江戸時代は「西の伊勢参り」に対し「東の奥参り」と称された憧れの地、月山には年間3万人参詣者があったそうな!(驚) 芭蕉が当地を訪れた理由がよく解った。


      .....芭蕉も憧れたパワースポット「出羽三山」にて、芭蕉・曾良が残した紀行文・俳句の数々......
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芭蕉が出羽三山で残した主な句は「凉しさやほの三日月の羽黒山」、「雲の峰いくつ崩れて月の山」、「語られぬ湯殿にぬらす袂かな」。次回も芭蕉が訪ねた鶴岡・酒田・象潟のレポート予定、お楽しみに~


          ......日本有数のパワースポット「出羽三山」を十分満喫し鶴岡・酒田・象潟へ!.......
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                                                      おわり

  by rollingwest | 2013-06-12 00:00 | 山形歴史紀行 | Comments(54)

<2009年10月4日>荒川・足立区探訪(その2):足立区編(北千住~西新井・舎人)

↓(その1):荒川区・南千住編より続く リンク:荒川・足立区探訪(その1)荒川区編


(その2):足立区編


★江戸時代の歴史を刻んだ「千住大橋」


「千住大橋」は隅田川に架かる水色の鉄骨橋で日光街道(国道4号線)を通し、南は荒川区、北は足立区となっています。最初の架橋は、徳川家康が江戸に入府して間もない文禄3年(1594年)とのこと。隅田川最初の橋であり、400年以上の歴史が刻まれた江戸時代からの由緒ある橋です。


     .....日光・奥州方面の玄関口となった「千住大橋」 (最初の橋は徳川家康が架けた).....
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歌川広重の浮世絵「名所江戸百景」に「千住の大はし」として描かれているこの名所は日光・奥州の出発拠点でもあり、松雄芭蕉・曽良も「奥の細道」の第一歩をこの橋から踏み出したのです。


  .....(左)橋下河岸テラスに芭蕉・曽良の絵があった。(右)歌川広重の浮世絵にも描かれる。.....
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テラス壁には、「おくのほそ道 旅立ちの地」とあり、「千じゅと云所にて船をあがれば、前途三千里のおもふ胸にふさがりて、幻のちまたに離別の泪をそヽく」  長旅に向かう銘文が記されている。




★活気溢れる「北千住・宿場町通り」


千住は日光街道の宿場町であるとともに、「やっちゃ場」と呼ばれる青空市場として賑わった場所でもあります。江戸時代から昭和の戦前まで、江戸・東京に青果物を供給する一大市場でした。
街道両側には30以上の青果市場問屋が軒を並べて毎朝威勢よいセリ声が響き渡ったとのこと。


  ....(左)千住大橋の堰堤からの隅田川  (右)やっちゃ場の名残風景(千住宿歴史プチテラス).....
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名の語源は、問屋の威勢よいセリ声が「やっちゃやっちゃ」と聞こえたことに拠るらしい。戦後は東京都青果市場へ姿を変え、「やっちゃ場」の言葉だけが青果市場の代名詞として残ったようです。
宿場町通りは北千住商店街と重なっていますが、さすがに昔の名残があり活気に溢れています。


              .........北千住・宿場町通りは本当に活気に溢れている。.....
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北千住駅は東武線・地下鉄2線・つくばエクスプレスが乗り入れる一大ターミナル駅、交通利便がよく周辺には新築マンションが増えています。この下町雰囲気あふれる活気あるロードは新転居の住民にとっても魅力的なのでしょう。当日は地元商店街のイベントも催されており、多くの人で賑わっていました。


              ........地元フェスティバル催事を楽しむ人、商店街を散策する人......
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★北千住のレトロな建物(名商家・銭湯)


北千住駅周辺は新しいビル・マンションが建築ラッシュですが、商店街や古い住宅地に入って行くと昔ながらのレトロ建物が目に付きます。宿場・問屋の街道だっただけに立派な商家が残っているのです。


              ........宿場町の名残を今に伝える商家・吉田家.....
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そして北千住は昔懐かしい立派な銭湯の建物が見られる所でもありました。安土桃山様式の格式ある宮建築(唐破風屋根)は、下町風景と共存しながらも一種独特の貫禄が感じられる街だ・・。


              .......北千住は銭湯が多く残る街、「大黒湯」は象徴的な建物.....
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           .......荒川の近くにある「梅の湯」、唐破風屋根がのった宮造りの銭湯.....
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上京した大学生時代、当時の下宿アパートは風呂がついていないのは当たり前の時代でした。
神田川の歌のような心ときめく思い出は全くありませんが、やはりあの頃の貧乏生活も懐かしい・・
北千住は時代を重ねるごとに失われる貴重な東京異空間を保ち続ける場所なのかもしれません。


         ......小金井公園「江戸東京建物園」に展示される千住の名銭湯「子宝の湯」......
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               リンク(09年4月記事):小金井公園に残される千住「子宝の湯」





★「荒川」の堰堤風景


宿場町通りを北上すると、荒川の土手に出ました。先に渡った千住の隅田川がコンクリートに囲まれた閉塞的な風景だっただけに、広い大空間が急に目の前に広がった!大いなる落差を感じるね~


        ......東京の水源となっている荒川。堰堤風景は実に開放感に溢れている!.....
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荒川土手に広がる大きな公園や運動場は「虹の広場」と呼ばれ、地元市民の憩いの場になっています。釣りやスポーツに興じる人達は本当に楽しそう。晴天休日を家族で過ごすには最適の場所!


         ......虹の広場には花壇が沢山あり、鮮やかなコントラスト!遠くには高層マンションが.......
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         .........荒川で釣りに興ずる親子、遠くには水色の鉄道橋梁........
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この荒川土手光景は行政域では足立区。・・・!? ここはやはり荒川区であるべきと思うのだが・・





★関東三大厄除け大師の「西新井大師」


足立区西新井は今から25年前に担当した特約店の本社がこの地にあったのでよく通ったものだ。当時の風景に再会、実に懐かしいね~!この地は関東三大厄除の「西新井大師」が鎮座します。


       ......「西井大師」の参道(1500年前に弘法大師・空海が自ら開山した関東の大霊場)......
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関東三大厄除けとは「川崎」「観福寺」と「西新井」の大師ですが、いずれも空海(弘法大師)に縁のある名刹。年末年始や節分・縁日の時は提灯や露天が立ち並び多くの参拝者で賑わいます。


       ........弘法大師像と、金色に輝く本尊(節分にはだるま供養が行われる).....
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       ......西新井大師の本堂(関東三大厄除大師として多くの信仰を集める)......
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小生は節分・厄除けの時は「川崎大師」に参拝するので、この辺まで遠征することはないですが、境内全体の雰囲気はやはり似ているような気がする。(西新井の訪問は東武伊勢崎線でどうぞ)




★かつては東京のチペットとも呼ばれた「舎人」

25年前このエリアを巡回している時に印象的な名前だなあと思ったのは「舎人」(とねり)という地名でした。この読み方は「日本書紀」編纂者・舎人親王の名前が浮かんでくるので、古代日本史に何か関係あるのかなあ・・と漠然と思っていました。今回じっくり調べてましたが・・、よぉ、解りません。


       .........(左)08年に開業した日暮里・舎人ライナー  (右)舎人公園のショウブ田.....
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足立区舎人は一昔前は「東京のチベット」と呼ばれる程に交通が不便な鉄道空白エリアでした。
しかし07年ついに悲願の電車が開通!日暮里から埼玉を繋ぐ新交通システム「舎人ライナー」だ。


       .......(左)舎人公園の水風景    (右)日暮里・舎人ライナーの地図(クリックで拡大).....
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昔から不便な場所であっただけに、豊かな自然が多く残されているのです。「舎人公園」は実に広々として森林・花園・水風景のスケールが大きい。果たしてここは東京23区なのかと若干の違和感




★郷愁なる千住・荒川の風景


さて今日は朝から南千住をスタートとし荒川~足立区の名所・旧跡を北上してみました。江戸・東京の北限エリアは時代を増すとともに、隅田川から荒川近郊へとその範囲を広げていきました。


      .......夕暮れの荒川風景 (高層ビルが立ち並び、三丁目の夕日時代とは様変わり・・)......
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映画「三丁目の夕日」では建設途中の東京タワーを遠くに望みながら、荒川堰堤からの真っ赤な夕日が綺麗でした。そんな光景を思い出しながら、今日の東京下町の逍遥旅は終わりにします。


     .....「三丁目の夕日」の郷愁、千住・昭和風景の「お化け煙突」(東電・千住火力発電所)......c0119160_22472956.jpgc0119160_22483089.jpgc0119160_22485035.jpg
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    (3本)       (2本)        (1本)                (4本)
おばけ煙突の呼び名は方角を変えて眺めると煙突本数が1~4本とその数を変化させたからだ。



         ..........♪夕焼け小焼け~で日が暮れて~♪  さぁて、帰ろぉ~.....
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         ........今回辿ったコース(南千住から、荒川堰堤まで) クリックで拡大.....
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次回は「港区探訪」:その1(白金・高輪編)をお送りいたします。
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  by rollingwest | 2009-11-02 08:28 | 都会の風景 | Comments(36)

<2007年9月17日>隅田川三橋と東京下町風景 

            (祝!隅田川三橋:国の重要文化財指定)


「隅田川」は江戸・東京下町を流れる代表的な川ですが、現在20数脚の橋が架けられています。
その中にも個性的な橋が沢山あり、いくつかは「水の都:東京の名所」にもなっています。
橋の下を行き交う隅田川ライン下りも非常に人気、一度体験してみてはいかがでしょうか?


 ...出典:「隅田川にかかる橋」:(財)東京都公園協会HP(地図掲載許可済)...

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リンク:東京都公園協会HP「公園へ行こう」
     ↑地図をクリックすると綺麗に見られます。


今年(2007)6月、「勝鬨橋」・「永代橋」・「清洲橋」の有名な三橋梁(何れも中央区と他区を架橋)が「国の重要文化財」にめでたく指定されました。  ヽ(^◇^*)/ オメデト~ォ!
これを機会に歴史ある近代建築の鋼橋を訪ね歩くとともに、「重要文化財:三橋」周辺に残っている東京の数少なくなった「レトロ風景」もあわせて取材してきました。
山や自然の紹介ばっかりでは飽きられますのでたまには大都会の風景をレポートしてみましょう。

 (各写真クリックで拡大写真が表示、夜景写真はインターネットよりお借りしました。ご容赦下さい)


★かちどき橋c0119160_20292587.jpg

「かちどき」とは勇ましい名前ですが、日露戦争の祝勝記念\( ̄▽ ̄ )/~~~として「築地」と「月島」を結ぶ渡し舟「勝鬨の渡し」が設置されたことにその名の由来があるそうです。

この橋自体の完成は昭和15年。戦前に開かれるはずだった「幻の東京オリンピックと万国博」の開催予定地への入り口として象徴的に設置されたとのこと。
当時は海運が主流の時代。隅田川を行き来していた3千トン級船舶の航行支障を防ぐために橋の真ん中が跳ね上がって開くという珍しい仕掛けがしてありました。
(1日5回の開脚、最大70度の角度まで開いたらしい!)★スゴイ・・・ (*゜0゜)

...その名のとおり威風堂々とした風格の「勝鬨橋」、銀座と月島を結ぶ.....
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「跳開されている勝鬨橋の」古い写真をインターネットで探してみたのですが、なかなか公開されておらず、やっと見つけた下記の映像は結構貴重なお宝モノなのかもしれません。
20年前の東京支店セールス時代、豊洲・有明に販売店さんがあってこの橋を通って頻繁に訪問したものだなあ・・と久しぶりに懐古感慨。(その時の橋の色は水色だったことを記憶しています。)

  .......現在は見ることができない「勝鬨橋」跳開と船舶航行時の写真........
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         ......出典:↑ASHYさんのHP「東京探訪」よりお借りしました。........

高度成長時代爛熟期の中で、昭和45年を最後に「勝鬨橋」は「開かずの橋」となってしまいました。21世紀の今、この東京風景を復活し跳開させたいという市民運動や都の動きもあるようです。
しかし現実的には多額の費用がかかり大渋滞影響も懸念されて夢の実現には至っておりません。
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「勝鬨橋」がある場所は、まさに銀座・有楽町・日比谷といった日本一等地のすぐ近く。
「晴海通り」を銀座から橋に向かえばやがて左手に「歌舞伎座」や「築地本願寺」が見えてきます。

                         「歌舞伎座」
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「歌舞伎座」は東銀座に威風堂々と鎮座する名実ともに日本を代表する歌舞伎劇場。
明治22年建築後、関東大震災や東京大空襲の災禍に見舞われましたが見事復活し、今は世界無形遺産「KABUKI」の殿堂として、東銀座の雰囲気に幅広さ・深みを与えている建物です。
歌舞伎観劇は難解のイメージがありますが意外とそうではありません。今から10数年前に優秀販売店の奥様招待会をこの場所で催して大好評でした。解説イヤホンをつければ非常にわかりやすいし、現代喜劇的なものもあったりして意外と親しみやすいんだなあ・・・との印象を受けました。



                      「築地本願寺」
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「築地本願寺」は、浄土真宗のお寺ですがその外観は圧倒的かつ個性的!古代インド様式のオリエンタルな雰囲気の建物です。20年前初めて本堂に入ったとき、堂内にパイプオルガンがあることを発見し大変驚きました。コテコテの日本仏教「浄土真宗」のお寺なのに、西洋楽器とインド建築のトリプル・コラボレーション。何じゃコリャー~、|)゜0゜|) 日本のお寺じゃねー!・・・と思ったものです。
ここでお葬式があげられる人は、社会的に相当地位の高い方や有名人というイメージがあります。


               「築地市場」(東京都中央卸売市場)c0119160_18314919.jpgc0119160_18321079.jpg
........↑活気ある市場の中.......川面から望む「築地市場」外観、高層ビル群に東京タワー↑........

江戸時代は日本橋が最大の魚河岸でしたが、関東大震災壊滅を受けてここに臨時市場を開設したのが「築地市場」の始まりだとのこと。首都圏の食生活をまかなう生鮮食料品流通の一大拠点(3千トン以上の魚や野菜が入荷)に発展しており、場外市場や場内飲食店には多数観光客が押しかけるようになりました。(有名寿司店は2時間並ぶのもザラだとか・・。小生には到底できません)

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........↑場外市場は新鮮な魚が並ぶ......高層.ビルがどんどん増え、時代の波が迫り来る↑........

「築地」は日本一有名な市場!築地地名は江戸時代、振袖火事の後に築かれた埋立地が由来。
石原知事が5年後に豊洲(東京ガス工場跡)へ移転しようとしていますが、「土壌汚染の危険性がある場所への移転は反対!」「新鮮・安全の食のイメージが崩壊する」と拒否の声も強いようです。

                     「波除神社」c0119160_20114587.jpgc0119160_2012345.jpg
散策してみると、喧騒な築地市場の脇には「波除(なみよけ)神社」が静かに鎮座しています。
厄除けや航海安全の神として信仰されていますが、鳥居をくぐると雌雄1対の「神楽獅子」の頭が奉納されていました。(結構大迫力!大祭の時にはこの獅子頭が神輿で担がれるとのことです。) 

....「勝鬨橋」遠景、左側が銀座・築地方面、右側が月島・晴海方面....
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それでは銀座・築地方面から「勝鬨橋」を渡り「月島・佃島」下町風景を訪ねて行くこととしましょう。


                    「月島もんじゃ焼き」c0119160_2022137.jpgc0119160_20221813.jpg
...「もんじゃ」の名の由来は「文字焼き」。昔、駄菓子屋で子供達に「いろは文字」を書いて焼いた...

街の雰囲気は東京湾埋立地の「下町風情」に変わってきました。「月島もんじゃ焼き」は東京名物で有名!店が70軒以上ある「もんじゃストリート」は地域の強い結束力を誇っており街の雰囲気・食文化を守ろうとしています。やはり目を惹くのは「細い路地の長屋風景」。ソースのにおい・猫の日向ぼっこ、こんな光景が銀座の近くにまだ存在していたんですね。(本物の東京レトロ・・・)



                    「隅田川の灯台」と「佃島」c0119160_21142866.jpgc0119160_2114454.jpg
......「石川島灯台」は超高層マンション群の中で全く目立たない。右下の白い建物が灯台↑....

昔、隅田川には川を往来する船のための灯台があったそうです。沖を通る船のために1866年に築かれたのが「石川島灯台」、今はモニュメント建造物のみが残った石垣の上に建っています。
時代に貢献した史跡はマンション群(大川端リリバーシティ)の中で本当に情けなく埋もれていました。


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迫りくる無機質な高層ビルの圧迫感、失われていく下町風情、逆らえぬ年齢、世代交代の波・・・。
「もんじゃ焼き店」や「老舗佃煮屋さん」当地で育ってきた人々には辛い時代の潮流でありましょう。
時代の流れに逆らいながら、今後も下町風景を残すべく力強く生きていかれんことを祈念します。




★永代橋
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永代橋」は1698年に徳川綱吉(5代将軍・犬公方)の50歳を祝して架けられたそうです。
初代木造橋から300年以上の歴史をもち、その間洪水や火災で何度も架け直しがされましたが、
過去の史実には群衆が多く乗りすぎて落橋し1,500人超の死者を出した悲劇もあります。
近くに鎮座する「富岡八幡宮」大祭(深川祭り)のときに、江戸の民衆が次から次へと押しかけて、その重みに耐えられずに橋が落ちたとのこと・・・。 w(*゜o゜*)w アンビリーバボー!


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現在の「永代橋」は大震災復興事業で架設された鋼製アーチ橋。男性的重量感が溢れています。別名「帝都東京の門」と呼ばれたこの橋はドイツライン川鉄道橋をモデルにして建築されたとのこと。何とも誇らしげな雰囲気!日本が欧米を目標に発展を目指していた時代の夢が感じられます。

                      「富岡八幡宮」c0119160_2141986.jpgc0119160_21413052.jpg
....富岡八幡宮の本殿(応神天皇を祀る).....  .... 境内の中には日本一大きい神輿が飾られる.......


「江戸三大祭り」とは何の祭りでしょうか? 調べてみる「神田明神」と「山王日枝神社」が当確。
もうひとつは、「富岡八幡宮の深川祭り」と「浅草の三社祭り」が三番目の座をめぐって昔から覇権争いをしているそうです。「三社祭り」の掛け声が「ソイヤ、ソイヤ」なのに対して、「深川祭り」は「ワッショイ、ワッショイ!」 神輿の担ぎ方にも違いがあり、お互いライバル意識を燃やしています。
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それにしても境内に飾られていた「金箔みこし」はデカイ!日本一の大きさを誇る大迫力の神輿。
いっそのこと「江戸四大祭」にしちまえ!→(;`皿´)→(三大にこだわる日本人、江戸っ子の意地・・)

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.......横綱力士碑(江戸勧進相撲発祥の地).....  ....測量日本地図で有名な伊能忠敬の銅像....


「富岡八幡宮」は江戸大相撲の発祥地で歴代の名横綱・大関を顕彰する力士碑があり、また有名な伊能忠敬(日本全図を行脚作成)にも縁の深いお宮様です。 威厳と歴史の深さを感じました。
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  ...↓深川めし「日本五大銘飯」のひとつ.....  .....木場の木遣り・角乗り(無形民俗文化財)↓...c0119160_21524258.jpg
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      ....「永代橋」は↑中央区(茅場町・新川)と江東区(門前仲町・深川・木場)を結ぶ。...

ご飯にアサリ汁をぶっかける「深川めし」は気短でキップのよさを身上とする「江戸っ子」の大好物。材木商で繁栄した「木場」の「木遣り・角乗り」の技も、粋を重んずる「江戸っ子気質」に通じます。
10年前に初めて「角乗り」実演を見ましたが、まるでサーカスにように足で貯木を操っていました。



★清洲橋c0119160_2292350.jpg


「清洲橋」は日本橋と深川を結ぶ優美な外形を誇る橋(ドイツ・ケルンの吊り橋がモデル)です。
関東大震災復興事業の象徴として「永代橋」の復興とあわせて昭和3年に完成しました。
男性的な「永代橋」に対して「清洲橋」は女性的な美しさをもっており、この2橋は「夫婦橋」としてその対比が讃えられています。この2橋をデザインした人は「山田守」、日本武道館・湯島聖橋・新潟万代橋・京都タワーなどの建築設計者です。(この方については後日レポート予定)

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         ........「清洲橋」のモデルはライン川に架かる「ヒンデンブルグ橋」......

まずは日本橋側から渡ってみることにしましょう。安産祈願で有名な「水天宮」が鎮座しています。

                           「水天宮」                  
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        .......安産と水難除け・水商売にご利益があると信仰を集める「水天宮」......

我が家も14年前に安産祈願でお宮参りにきましたが、当宮ご利益は「安産」だけでなく「水難除け」「水商売繁盛」もあるとのこと。「水天宮」の起源を調べてみると何とビックリ!「安徳天皇」の御霊が祀られています。(源平合戦最後の悲劇「壇ノ浦の戦い」で母と共に海に身を投じた幼少天皇)
そいうえば平家も「水軍」がルーツ。お産も「羊水」を連想するし、水に纏わる縁で結ばれています。

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........「清澄」と日本橋「中洲」の各一文字を取り入れ「清洲橋」の名がある。......


                   「清澄庭園」c0119160_2230503.jpgc0119160_22311144.jpg
    .....池のシンボル、数寄屋造りの「涼亭」..........カルガモ、亀、錦鯉(仲良く餌を待つ).......

人工的な海浜公園が多い江東区の中で「清澄庭園」は唯一歴史ある和風庭園として心を癒してくれます。材木豪商で有名な「紀伊国屋文左衛門」の屋敷跡を、岩崎弥太郎(三菱財閥の創始者)が別邸としたものです。中央に大きな池があり、その周囲は奇岩名石の築山が配されています。c0119160_22343173.jpgc0119160_22345010.jpg
.......カワウが十文字姿、羽を乾かして寛ぐ......  .......秋なのに厳しい残暑、白鷺は飛んでいく.....


                    「江東区芭蕉記念館」

深川には「松尾芭蕉」の草庵がありました。東北・日本海・琵琶湖を経由して岐阜大垣に至るまでの長大な旅「奥の細道」の出発地も深川です。「芭蕉記念館」の築山最上部には「芭蕉庵」を模した祠と句碑が置かれていました。そこにはあの有名な句が・・・「古池や蛙飛び込む水の音」c0119160_22373759.jpgc0119160_22375750.jpgc0119160_22381621.jpg


近くの川沿いには「芭蕉史跡庭園」もあります。そこにはドイツ様式「清洲橋」と林立する高層ビル・マンション群をバックに「松尾芭蕉」が静かに座して川を眺めています。(このミスマッチが面白い)

「春のうららの隅田川~♪」と唄われた水辺は全てコンクリート高潮護岸壁で覆われていますが、
最近は隅田川の景観向上のために、水辺を散歩できるテラスが設置されており良い雰囲気です。
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東京には現在、超高層ビルが800棟もあるそうです。(まさにニューヨークや上海のような光景)
20年前に東京支店セールスをやっていた頃、このあたりをよく巡回したものですが本当に下町の風景が変わってしまったなあ・・という印象です。(今回取材した「隅田川三橋」周辺の風景は、都心の中心部「中央区」とその隣接区だったので、特に変貌が激しいのかもしれません。)

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300年以上も前にここに暮らしていた「芭蕉」は、現在の日々変遷するこの風景を見て何と想っていることでしょう。是非ともその感慨を句にしてもらいたいものです。


                                                 おわり

  by rollingwest | 2007-09-17 17:35 | 都会の風景 | Comments(12)