タグ:鉱山探訪 ( 2 ) タグの人気記事

 

<2016年4月16~17日>「毛野国」探訪③:(足尾銅山&田中正造)編

c0119160_17463992.jpgc0119160_1746517.jpgc0119160_1747321.jpg
c0119160_17471351.gif

                                    「毛野国」探訪②:(桐生・足利)編より続く


★「毛の国探訪」第3編は足尾銅山へ!


両毛エリア(群馬・栃木)の魅力を紹介するシリーズ「毛の国探訪」(第2編)は足利市と桐生市でしたが、続く第3編は足尾銅山の歴史探訪!更に日本初の公害問題「足尾銅山鉱毒事件」に毅然と対決した「田中正造」に焦点を当ててレポートします。皆様には殆ど知られていない穴場かもしれない。


  .....(左)渡良瀬川沿いに北上し、足尾銅山へ (右)足尾銅山鉱毒事件と闘った田中正造.....
c0119160_17525841.jpgc0119160_17531051.jpgc0119160_17532813.jpg

c0119160_1843839.jpg






c0119160_17534342.jpg


宿泊した桐生市のホテルを朝出発、「わたらせ渓谷道」(国道122号)を北上し足尾銅山方面へと向かいます。途中に.関東の重要な水源・渡良瀬水系の「草木ダム」が出現!今年7月迄は渇水危機にも舞われ心配されましたが、8~9月は台風が数回上陸し現在は安定水位に戻ったようです。


   .....「草木ダム」は今年の渇水危機で結構有名になったかも・・!当時は桜が満開でした.....
c0119160_18955.jpgc0119160_1885158.jpgc0119160_1882913.jpg
c0119160_1884052.jpg

c0119160_19303525.jpgc0119160_1923950.jpg
c0119160_19233121.jpg





★足尾銅山の歴史を知る (トロッコ列車で坑道探訪)


足尾銅山は栃木県・日光市足尾町に所在し1550年に発見され、明治10年(1877)に古河市兵衛が経営に着手。最先端技術を導入し最盛期には日本の銅産出量の1/4を産出する日本の代表鉱山として名を馳せました。最初に「通洞鉱神社」に参拝、次は「足尾銅山観光.」へと入ります!


   ....足尾銅山の守り神「通洞鉱神社」に参拝、「足尾銅山観光」(当地は日光市の一部)....
c0119160_20202425.jpgc0119160_20132698.jpg
c0119160_2014140.jpg


   .....日本最大級の銅山坑内が実際に体験できるトロッコ列車の駅舎で電車出発を待つ.....
c0119160_20225841.jpgc0119160_20282076.jpgc0119160_20231449.jpgc0119160_20233281.jpg
c0119160_20235070.jpg


足尾銅山は閉山していますが観光トロッコ電車に乗る観光坑道があります。通洞坑は銅山の基幹坑道として使用され、圧搾空気動力鑿岩機やダイナマイト発破工法(当時の最先端技術)を駆使して開鑿された遺構であり、保存状態も良好。足尾銅山観光ハイライトとして一部が公開されており、いざ探訪!


  .....(左)さあ出発!(銅山キャラクター源さん) (右)黄色いトロッコ電車はいざ坑道へ、進行~!.....
c0119160_20342237.jpgc0119160_20343962.jpg

c0119160_20345374.jpg

c0119160_20401817.jpgc0119160_2048278.jpgc0119160_20403379.jpg

c0119160_20405025.jpg


真暗な坑道停車場で下り、奥へ進むと鉱山採掘の蝋人形が続々登場。当時の辛く厳しい鉱石採掘の様子が年代別(江戸時代から昭和期まで)にリアル再現されています。大変だったろうなア・・


    .....江戸から昭和まで400年間掘り進めた足尾銅山坑道、長さは1,234kmに及ぶ.....
c0119160_21101214.jpgc0119160_21281192.jpgc0119160_21282573.jpg

c0119160_21284192.jpg

c0119160_2133644.jpgc0119160_21332756.jpgc0119160_21334189.jpg
c0119160_21335674.jpg


坑道見学の後は「銅資料館」を見学。鉱石が銅になる工程や作業光景、銅山の貴重資料、採掘機械等が展示されており、日本産業の近代化を支えた足尾銅山の歴史・役割がタップリ学べます。


     .....(左)トロッコ坑道見学終了 (右)次は「銅(akagane)資料館」へ入って見る.....
c0119160_21535785.jpgc0119160_21541239.jpgc0119160_2215678.jpg

c0119160_21544299.jpg


     .....資料館では銅鉱石や掘削機械の展示、通洞作業のジオラマ再現等が公開.....
c0119160_2245396.jpgc0119160_22595.jpg
c0119160_2252540.jpg






★鉱都「足尾」の栄華を残す「古河・掛水倶楽部」

次は足尾銅山隆盛期の古河鉱業・迎賓館「古河・掛水倶楽部」を訪問しました。大正初期に改築された建物は、外観は洋風、内部は和洋様式が共存する木造建築で館内には数々の資料が展示。大正期のピアノ・国産1号ビリヤード台も置かれ、当時の華やかな上流階級の様子が窺えます。


      .....足尾銅山最盛期に当地の迎賓館として栄華を誇った「古河・掛水倶楽部」.....
c0119160_22114677.jpgc0119160_22124735.jpg


c0119160_2213671.jpg


        .....2階は畳の大広間で全面窓。桜満開の景色を眺められるとは贅沢!.....
c0119160_22165492.jpgc0119160_22172010.jpg

c0119160_2218154.jpg


和風部分は明治末期に改築され洋風2階建てとなり、古河機械金属の福利厚生施設(銅山宿泊・会合施設)として今も現役活躍しています。豪華食堂・寝室・ビリヤード室は大いに見所ありです!


    .....当地を訪問の華族や政府高官の接待や宿泊に使用された古河Gr迎賓館は実に豪華.....
c0119160_5393413.jpgc0119160_540277.jpgc0119160_5402031.jpgc0119160_5404417.jpg
c0119160_541787.jpg


       .....豪華な食堂・ベッド・ビリヤード室・・、まさに上流社会の交流・迎賓施設だネ~.....
c0119160_5445745.jpgc0119160_5452227.jpg
c0119160_5455191.jpg


ビリヤード室には古河グループ創業家・歴代当主の写真が飾られています。古河財閥の創始者「古河市兵衛」は天保3 年、京都の庄屋に生まれ、26歳で京都小野組の番頭古河太郎左衛門の養子となり古河市兵衛と名乗りました。生糸取引で手腕を認められ小野組糸店の支配人となりました。


  .....(左)歴代の古河グループ創業家当主達 (右)創業者・古河市兵衛渋沢栄一と深い交流.....
c0119160_5533191.jpgc0119160_554065.jpg
c0119160_5543029.jpg

      .....古河財閥グループ発展史の基礎は足尾で築かれたと言っても過言ではない.....
c0119160_5571773.jpgc0119160_557309.jpg

c0119160_5575153.jpg


その後小野組の倒産により独立し、1875年渋沢栄一の援助を得て鉱山経営をスタートさせました。古河財閥から生まれた企業群には古河の名を冠した数多くの会社がありますが、その他にも、富士電機と富士通も有名。まさに足尾銅山は日本の近代化で重要な役割を果たしたといえましょう。


    .....明治40年の足尾鉱業事務所、重役・管理職住居が当時とほぼ変わらない姿で残る.....
c0119160_683587.jpgc0119160_69420.jpg
c0119160_693311.jpg


      .....旧足尾鉱業所付属倉庫は明治43年の煉瓦建築。桜とのコラボが素晴しかった.....
c0119160_61364.jpgc0119160_6131948.jpg
c0119160_6133696.jpg






★「わたらせ渓谷鐵道」を北上、足尾銅山の「本山精錬所跡」へ

「わたらせ渓谷鐵道」はその名前の通り、美しい渡良瀬渓谷川の流れに沿って走る鉄道で群馬県桐生駅~間藤駅(matou日光市)の17駅(44km)を結びます。元は産出された銅の輸送目的で敷設された鉄道で1911年に開業、その後国営化され現在は第3セクター経営されている観光鉄道です。


    .....(左)足尾町の中心駅「通洞駅」(足尾銅山観光の最寄駅) (右)白い木造のレトロ駅舎.....
c0119160_6214010.jpgc0119160_6215699.jpg

c0119160_6221570.jpg


      .....通洞駅のホームに立つと「わたらせ渓谷鐵道」のレトロな列車がやってきた!.....
c0119160_6255380.jpgc0119160_6261259.jpg








c0119160_6263162.jpg


間藤駅を過ぎると「間藤発電所跡展望台」、いよいよ足尾銅山の本山精錬所跡へと向います。さらに渡良瀬川を遡上して行くと巨大煙突が見えて来た!今は廃墟となった鉱山とはいかなる姿か?


      ....終点駅は間藤駅(栃木県日光市)、ここには「間藤発電所跡展望台」がある.....
c0119160_733043.jpgc0119160_734816.jpgc0119160_19462614.jpg

c0119160_741054.jpg


      .....間藤駅から足尾本山駅はすでに廃線!渡良瀬川を遡上すると巨大煙突が!....
c0119160_19535754.jpgc0119160_19555344.jpgc0119160_19543845.jpgc0119160_1955383.jpg
c0119160_2055361.jpg
c0119160_19561371.jpg


足尾銅山が閉山した後も多くの施設は取り壊されず廃墟化し、独特の雰囲気が漂っている!製錬所の周囲が皆禿げ山になっているのは、製錬所から排出された亜硫酸ガスが長年に渡って足尾の山々を汚染したことが原因・・、製錬所北部は現在も不毛の地となっています。公害の爪痕だ~


    ....渡良瀬川の対岸から、昔栄華を誇った銅山抗と製錬所全体を眺めることができる....
c0119160_2028282.jpgc0119160_20311682.jpgc0119160_20314152.jpgc0119160_2032789.gif
c0119160_20323282.jpg


     .....銅山は閉山し本山駅線路は廃線。昭和時代にタイムスリップしたような廃墟風景.....
c0119160_20481693.jpgc0119160_20483853.jpgc0119160_20543237.jpg
c0119160_20485493.jpg


旧足尾町にあたる区域の人口は、今や2千人強、銅山が閉山した影響が大きく、この100年で人口は1/10以下になったとのこと。鉱山町の共通現象かもしれないが余りにも寂しき光景だ・・


      .....「古河橋」は赤倉地区と本山坑・製錬所を結ぶな橋梁(国指定重要文化財).....
c0119160_2183480.jpgc0119160_219712.jpgc0119160_21929100.jpg
c0119160_2110065.jpg


    .....足尾には沢山の廃墟・廃屋があり村が丸ごと廃村となった地区も数多くある.....
c0119160_21153244.jpgc0119160_21155086.jpgc0119160_21161196.jpgc0119160_21171120.jpg
c0119160_21173559.jpg
c0119160_21175463.jpg


足尾銅山の歴史や廃墟後を見学し、次は館林市へと向いました。館林の見所は第1編で紹介しましたが。当市には足尾銅山の歴史とは切っても切れない人物の記念館があるからです。その名は「田中正造」、日本最初の公害問題「足尾銅山鉱毒事件」に対して立ち向かった有名な方です。

                                    「毛野国」探訪①:(高崎・安中・館林)編




★最後に「田中正造記念館」と「渡良瀬遊水地」を訪問して帰京


田中正造記念館」には足尾鉱毒事件や田中正造について学ぶ資料が沢山あります。足尾の山は煙害と炭鉱による過度の伐採で丸坊主となり、自然の恵みをもたらしていた渡良瀬川は鉱毒が垂れ流し状態となりました。現地被害民も黙っておらず正造は政府に訴え出ようと館林を出発!


  .....日本初の公害問題「足尾銅山鉱毒」に対して立ち向かった「田中正造」の記念館を訪問.....
c0119160_21432641.jpgc0119160_21472739.jpg
c0119160_21442231.jpg

c0119160_2152048.jpgc0119160_21521847.jpgc0119160_21523825.jpgc0119160_21525355.jpg

c0119160_21531010.jpg


しかし富国強兵が第一優先の明治政府は訴えを無視、正造の訴訟団を警官隊に阻止させ国家権力で弾圧したのです。(川俣事件) 田中正造は亡国演説を行い政府の糾弾を継続。そして彼は最終手段で直訴状を携え、「お願いがござる!」と天皇馬車に走り出し逮捕されてしまいました。


  .....国家弾圧に怒った田中正造はついに天皇直訴を決行!警察に制止され未遂に終わる....
c0119160_2213767.jpgc0119160_2215241.jpg
c0119160_222513.jpg


   .....(左)田中正造夫妻の絵が居間に (右)足尾銅山精錬所風景、地形もよく理解できた.....
c0119160_2254618.jpgc0119160_226431.jpg
c0119160_2262616.jpg

c0119160_2264592.jpg


次は雲龍寺を訪ねてみました。朱門を入ると左手には「足尾鉱毒事件被告の碑」があり、さらに進むとを田中正造の墓があります。この寺は川俣事件で鉱毒被害民が集結した歴史の地。石碑には正造の詠歌「毒流すわるさ止めずバ我やまず渡良瀬利根に地を流すとも」が刻まれる。

     .....田中正造の墓がある「雲竜寺」(館林市)、渡良瀬川の近くにヒッソリと眠っていた.....
c0119160_22114553.gifc0119160_2212339.jpgc0119160_22121918.jpg
c0119160_22123662.jpg

c0119160_22171773.jpgc0119160_22174696.gif
c0119160_2218069.jpg


旅の最後は、日本最大の遊水地「渡良瀬川遊水地」(利根川の中流域)を訪問して帰京しました。渡良瀬川洪水被害で足尾銅山の鉱毒被害は明確になり、明治43年には内務省による改修事業が開始、昭和5年に渡良瀬遊水地が完成したのです。今は地元住民の憩いの場となっています。


    .....利根川の中流域(群馬・栃木・茨城・埼玉)、日本最大の遊水地「渡良瀬川遊水地」.....
c0119160_22212874.jpgc0119160_22214480.jpg
c0119160_2222096.gif


水質汚染は確実に解消し、2012年国際会議においてついにラムサール条約湿地(国際的に重要湿地)に登録された遊水地となりました。田中正造翁も天国から大いに喜んでいることでしょう!


      .....ウインドサーフィンを楽しむ人達が沢山!足尾鉱毒事件の悲惨史は全く感じない.....
c0119160_222610100.jpg
c0119160_22262854.jpg

    .....かつて鉱毒事件悩まされた渡良瀬のラムサール条約登録候補地になる程に環境改善.....
c0119160_2229829.jpgc0119160_22292610.jpgc0119160_22295070.jpg
c0119160_2230495.jpg


足尾歴史と環境闘争の田中正造足跡を訪問し今回は大変勉強になりました。毛の国探訪はまだまだ続きます。第4~5編は足利尊氏・新田義貞の太平記史跡、徳川家康のルーツ世良田東照宮、佐野(厄除大師・ラーメン)、大谷石採掘場のレポート等が今後続々登場の予定です。お楽しみに~!



           【NHK番組・その時歴史が動いた】 『田中正造 足尾鉱毒事件に挑む』
                   



                                                        おわり

  by rollingwest | 2016-09-13 16:55 | 毛の国探訪 | Comments(116)

<2014年1月>2012山陰山陽の旅⑦:三瓶山~物部神社、世界遺産・石見銀山

c0119160_1504338.jpg
c0119160_151320.jpg


★国引き神話・石見の名峰「三瓶山」

一昨年秋(2012)に訪問した山陰山陽の旅記事は2年目に入りましたが、いまだ山陰でウロウロしています。奥出雲を十分堪能した後は三瓶山麓を通過し石見国へ!「物部神社」と世界遺産「石見銀山」を訪ねて鳥取・島根県レポートは7回目、ついにLASTを迎えますが山陰は本当に奥が深い・・と再度認識


   .....(左)島根県ラストは石見方面へ (右)草原道を抜け「三瓶山」(sanbesan)へと向かう......
c0119160_1521132.gif
c0119160_1522718.jpg
       
               山陰旅⑥:「奥出雲探訪」(出雲帝国遺跡&砂の器ロケ地)の記事から続く

奥出雲では一日中雨でしたが、三瓶山の麓に来ると曇りがちながらも徐々に天候は回復。頂上部はガスに覆われていましたが、12年前(関西在住時)に三瓶山に登ったことを懐かしく思い起こしました。


 .......(左)三瓶山の牧場登山口 (右)三瓶山に登った2002年は当時40代半ば、若かった・・.......
c0119160_1553079.jpg
c0119160_1554131.jpg

職場先輩と車で宝塚から中国道三次IC~R54経由で三瓶牧場へと向かい、定の松登山口から登頂。大山・蒜山と並ぶ山陰の名峰は「石見富士」とも呼ばれますが、山頂からの風景は穏やかな印象を受けました。男・女・子・孫の家族がつく山々は緑に覆われ、中央噴火カルデラをグルリと囲んでいました。


     ......(左)頂上部でガッツポーズ! (右)三瓶の峰々は家族に見立てた山名が・・.......
c0119160_1571553.jpg
c0119160_1573746.jpg

      
山陰記事で何度も紹介しましたが出雲風土記・国引き神話で三瓶山が登場します。ヤツカミズオミツノミコトが大山・三瓶山を杭にして綱をかけ離島を引き寄せて出雲国にした神話。島根半島の地学形成史から見れば大山・三瓶山の噴火土砂が蓄積され砂州の長浜が成長し陸続きになったと推定されます。


    .......三瓶山と伯耆大山は国引き神話の山、この山を杭にして島を綱で引き寄せた.......
c0119160_16134820.jpgc0119160_16435312.jpgc0119160_1644105.jpg 



c0119160_16133883.gif


                                  「鳥取・大山」(古事記神話)の記事 

 .......(左)雨上り後に大田市から遠望 (右)稲佐浜からは海に浮かぶ三瓶山が神々しかった......
c0119160_16201637.jpgc0119160_16181268.jpgc0119160_16324042.jpg



c0119160_16203476.jpg

   
三瓶山の周辺には多くの温泉と湧水が点在しています。山麓から湧き出す地下水は苔蒸した岩のすき間から流れ出ており本当に美味かった!雪が多い山から供給される水と火山溶岩の地下構造が涵養保水能力を高くしています。近くには清水地でしか育たないわさびの田んぼが沢山ありました。


   .......(左)緑と水に恵まれた湿原 (右) (2002年)三瓶山頂は家族ハイカーが多かった.......
c0119160_16343148.jpg
c0119160_16345769.jpg

三瓶という聞き慣れない名前の由来は「出雲風土記」には佐比売(sahime)大明神の山と記され、天から三つの瓶が降りてきて山麓に水が湧いたと神話があるとのこと。佐比売が転じた名前なのかも・・


      ......12年前に撮影した三瓶山の全体峰、当時の貼り合わせ写真がややレトロ.......
c0119160_1637383.jpg



         
★石見に鎮座する「物部神社」、古代ミステリー「物部神道」


「石見国一宮」と称される「物部(mononobe)神社」は、祭神は物部氏の祖とされる「饒速日(nigihayahi)命」と長子である「字摩志麻遅(umasimaji)命」で地元では篤く崇敬されています。字摩志麻遅命は神武天皇東遷の時に忠誠を尽くし、日本で最初に鎮魂・占い・呪い祈祷をした人物と云われています。


    ......「物部神社」の威厳ある鳥居、日本の歴史から抹殺された物部氏には深い謎が・・.......
c0119160_17354517.jpgc0119160_17355942.gif



c0119160_17362775.jpg


本殿は出雲大社に次ぐ巨大な大社造り(高さ16.3m)で堂々たる威容!神紋は赤い太陽を背景にした鶴(境内にも立つ)は「日負い鶴」と呼ばれ、宇摩志麻遅命を石見国に降臨させた鳥とのこと。物部氏の総氏社は奈良「石上神宮」(大神神社の近く)ですが、表裏一体を為す古代ミステリー神社なのです。


  .......(左)物部神社の本殿 (右)古代豪族・物部氏の祖・饒速日命(nigihayahinomikoto).......
c0119160_1744532.jpgc0119160_17443065.jpgc0119160_17445286.jpg






c0119160_17451793.jpg


物部氏が日本史上での有名史事は仏教が日本伝来した6世紀に起きた「崇仏論争」(廃仏戦争)です。強硬な排仏派だった物部氏は蘇我氏(崇仏派)と対立し物部守屋は蘇我馬子に敗れてしまいました。その後「大化の改新」(蘇我氏滅亡)で一時復活(物部氏の流れを汲む石川麻呂が左大臣)したものの、藤原不比等が右大臣に就任してからは再び権力闘争に敗れ衰退の一途を辿っていくのです。


      .......物部尾輿時代に一族の繁栄を極めたが、崇仏戦争では蘇我氏に敗れる.......
c0119160_174955.jpgc0119160_17492773.jpgc0119160_17494364.jpg




c0119160_1750796.jpg
c0119160_17502071.jpg


「古事記」「日本書紀」に物部氏の記載は一切なく抹殺されましたが、実は物部氏は天皇家に次ぐ強大な力を誇った大豪族だったのです。物とはモノノフ(武士→軍事力)やモノノケ(物の怪・鬼→呪術)等の語源で、その両方を掌握する絶対的存在でした。しかし権力を握った藤原氏(不比等)は記紀を編纂させる際に歴史を捏造し物部を完全抹消したのです。まさに歴史は勝者により作り変えられる・・


 ......神社本殿にも「日負い鶴」が!籠目の唄「鶴と亀が統べった」は物部氏・秦氏の統合を現す.....
c0119160_17591183.jpgc0119160_17592596.jpgc0119160_17594337.jpg

天皇外戚として大繁栄を遂げた藤原氏は、天孫族(現天皇家祖先)こそ神武天皇の万世一系(正当王朝)と見せかけるため出雲史と物部神道を抹殺し捏造しました。しかし出雲国譲りの大神殿造営や伊勢神宮遷座の理由は、出雲・物部氏を蔑ろにした祟りが起き天皇家が畏怖したからと云われます。


     .....崇神天皇時代に大物主の呪い ・祟り発生、大神神社(三輪山)・伊勢遷宮へのトリガー.......
c0119160_184949.jpgc0119160_1843872.gifc0119160_1851288.jpg





c0119160_1864621.jpg


                        「出雲大社&伊勢神宮」(日本神話に潜む謎の関係)の記事

全国で疫病・天災が広まり、崇神天皇夢枕に「大物主」が現れ「わが子孫・大田田根子に大和で我を祀れば治まる」と告げ日本最古の「大神神社」(三輪明神)が創建、天照大神は伊勢に遷宮しました。「大物主」(別名:大国魂大神)は強大な鬼・祟りの神、正式名は「天照国照彦火明櫛玉饒速日命(nigihayahinomikoto)」。物部神社は正に古代天皇が畏れた祟り神(物部氏の祖)を祀っているのです。


       .....「大物主」とは物部氏の主、強烈なモノ(呪い・祟り)の主の意味を持つ.......
c0119160_18161412.jpgc0119160_18162994.jpgc0119160_18164717.jpgc0119160_1817234.gif

各種古代史ミステリー本を読むと更に信じ難い様な話が語られています。天皇家の祭祀・秘儀を司る謎の組織「八咫烏」(裏天皇)が存在し、天皇に対して存在目的・将来的に成すべきことの預言・儀式教授をしているらしい。また皇太子が天皇を継承する大嘗祭は全て「八咫烏」が祭司を仕切るとのこと。


   .....日本人ルーツや神社はユダヤが由来と解説する著書は実に多い(すぐに信じ易いRW).....
c0119160_18203621.jpgc0119160_18204840.jpg

c0119160_1821631.jpgc0119160_18212289.jpg
c0119160_18214044.jpg


「八咫烏」(鴨族)は京都の上賀茂・下鴨神社で天皇祭祀を司り、祭祀や神社のルーツは古代イスラエル(物部氏)や原始キリスト教(秦氏)にあると云われます。また物部氏の正体は秦・始皇帝時代に不老不死の薬草を求めて日本に2度派遣された「徐福」の集団だというのです。徐福伝説は全国に痕跡が残る・・


      .......「徐福」は秦・始皇帝に「不老不死の薬を探せ」と命じられ、日本に2度渡来.......
c0119160_18293437.jpgc0119160_18295064.gifc0119160_1830376.jpgc0119160_18301536.jpg

日本古代史にはもっとさらに信じ難い様な深い話が沢山あり、一遍には書き切れません。今後RWが古代史に纏わる全国パワースポットを訪問する度にミステリーの裏側へ徐々に迫っていきたいと思います。


   ......物部神社には鎮座する伝説的種牡馬「パーソロンの像」(名馬シンボルルドルフの父親).......
c0119160_18363953.jpgc0119160_18365189.jpg

c0119160_1837811.jpg

c0119160_18372735.jpg
c0119160_18374887.jpg


古代史ミステリーに全く関係ありませんが、神社には伝説的種牡馬「パーソロン」(史上最強馬シンボルルドルフの父親)の像がありました。馬主が物部神社の氏子という縁で寄贈したようですが、祭神「字摩志麻遅」(ウマシマジ)を祀る神社なので由来もあるような・・。今年はウマ年、幸運に駆け抜けていきたい!

                             「奥出雲」(スサノオ・八岐大蛇伝説の史蹟)の記事



★世界遺産「石見銀山」を歩く

島根県レポートの最後を飾るのは「石見銀山」!2007年7月にアジア初の世界遺産に登録された鉱山遺跡は、1526年に九州の豪商によって発見され1923年まで400年間に渡って採掘されてきました。


    .......(左)石見銀山駐車場前の鉱山モニュメント  (右)世界に流通した日本産の高品質銀貨.......
c0119160_20315479.jpgc0119160_20322020.jpgc0119160_20325177.jpg




c0119160_2033964.png


世界的な経済や文化の交流を生み出したこと、環境に配慮し自然共生した鉱山運営をしていたことが特に評価された世界有数の鉱山遺跡。ここを訪れた時刻は14時半となり、結構急いで廻りました。


       .......(左)石見銀山で栄えた街並、赤瓦で統一感 (右)お寺の屋根も石州瓦.......
c0119160_20412123.jpg
c0119160_2042638.jpg

島根県西部の石見地方に入ると、赤茶色の屋根が目立つ美しい町並だということに気付かされます。山陰の山間部は雪深く、日本海沿岸部は台風通過や冬の荒波で厳しい天候。この環境に耐えうる頑丈な石州瓦は400年の伝統を持ち、日本第2位の瓦生産力で繁栄してきた地場の主産業です。


    .......(左)重要文化財「熊谷家」の外観  (右)和風にも洋風にも似合うオシャレで美しい瓦.......
c0119160_2047128.jpgc0119160_20444594.jpgc0119160_20473970.jpgc0119160_20475418.jpg




c0119160_20481516.jpg


       .......「熊谷家」商家の内部は実に豪華、世界に銀を輸出した栄華の跡が!.......
c0119160_20582969.jpg
c0119160_2058598.jpg

石見銀山の散策コースには、「銀山地区」(鉱山史蹟がメイン)と「街並地区」(繁栄の街通り)の2つがありますが、銀山地区に重点を絞り石見銀山公園から「龍源寺間歩」(通り抜け坑道)へと向かいます。


       .......(左)石見銀山・大久保間歩 (下)風情ある街並  (右)散策コースMAP.......
c0119160_2105797.gifc0119160_2115430.jpg





c0119160_212244.jpg





c0119160_2125311.jpg


龍源寺間歩までは周遊バスと遊歩道(徒歩40分)がありますがウォークトライ。残された時間も少ないので相当早足で登って行きましたが結構歩き甲斐があるコースだ!遊歩道散策というよりハイキングに近い・・


     .......(左)石見の紅葉は見頃を迎えていた  (右)龍源寺間歩へと向かう小川の道.......
c0119160_21172612.jpg
c0119160_21173892.jpg

c0119160_21181772.jpg
c0119160_21182988.jpg


石見銀山には大小約600の間歩(坑道)がありますが、現在一般公開されているのは「龍源寺間歩」のみ。江戸中期以降に開発された間歩は代官所が管理する幕府直営で石見銀山を象徴する遺坑道。壁面には当時のノミ掘削跡がそのまま残っており当時の採掘作業光景がよく伝わってきます。


       .......(左)「龍源寺間歩」の入口  (右)間歩(坑道)の中はまさに鉱山洞窟.......
c0119160_21215280.jpg
c0119160_2122696.jpg

戦国時代から近代まで高品質銀を大量産出し、幕府・諸大名の経済基盤を築くとともに日本鉱山技術の確立に大きく貢献しました。石見銀は16~17世紀にかけて国際貿易の主役となり東西の経済・文化交流を生み出したこと、環境を維持する精練法だったことが世界遺産として認められた点です。


     ......(左)石見銀山世界遺産センターの精錬所ジオラマ (右)戦国諸大名と銀山の関係図.......
c0119160_21235773.jpgc0119160_21241934.jpgc0119160_21243657.jpg








c0119160_2124583.jpg


       .......(左)ポルトガル宣教師の石見銀山地図  (右)16世紀世界の銀の流通ルート......
c0119160_21331411.jpgc0119160_21332921.jpg





c0119160_21334839.gif


戦国期は数百貫に過ぎなかった年間産出量でしたが、徳川幕府の直轄地以降は4千貫近くに達する程に石見銀山の銀産出は増えていきました。比例するように間歩群はさらに掘られ長く奥へと延びていきました。ピーク時の年間作業者数は20万人、車馬が昼夜を問わず往来した大繁栄だったとのこと


       .......真っ暗な地下を掘り進む作業は本当に危険で過酷だったのだろうなあ・・.......
c0119160_21375689.jpgc0119160_21383322.jpgc0119160_21384968.jpg







c0119160_2139523.jpg


龍源寺間歩から約1km離れた遊歩道に入り「清水谷製錬所跡」へとアプローチ開始。山道を登り6kmのウォーキングを覚悟しなければなりませんが、ここは是非とも訪れてみたい場所。明治時代の先端技術による製錬所遺跡で壮大な石積み遺構が残っています。何か中南米の古代遺跡の様な雰囲気が!


      .......「清水谷精錬所跡」は明治26年に建設され僅か1年半余りで閉鎖された遺構.......
c0119160_21471398.jpgc0119160_21473864.jpgc0119160_2148632.jpg






c0119160_21482317.jpg


もう16時となり「町並み地区」コースはゆっくり楽しむ余裕がなかったものの、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている町並みはやはり素晴らしい。素朴な風情の中にも誇りと威厳がある・・


          .......(左)夕暮れの下河原吹屋跡 (右)途中には立派な石垣のお寺.......
c0119160_21544024.jpgc0119160_21545776.jpg





c0119160_21552264.jpg


          ......長い歴史の積み重ねの中で石見銀山独特の街風景が形成された.......
c0119160_2202768.jpg
c0119160_2204516.jpg

石見銀山でユニークな雰囲気を醸し出しているのが銀山公園脇にある「羅漢寺」、銀山で働いて亡くなった人々の霊を供養し銀山の安全を祈願するため、石窟の中に500羅漢石仏が造営されています。


       .......(左)羅漢寺の象徴風景「反り橋」  (右)寺正門前の立派なイチョウ大木......
c0119160_2224343.jpgc0119160_223455.jpgc0119160_2231916.jpg



c0119160_2234867.jpg


早朝6時前出発、奥出雲を巡り石見の国と、神々の山里や世界遺産を夕方暗くなるまで廻り島根県を十分堪能できました。やはりこの国は謎に満ちた日本の起源を体験できる魅力満載の場所でした。


    .......夕暮れの「江の川」(山水画の如し)を渡り、浜田自動車経由で山陽方面へと向かう.......
c0119160_22112475.jpgc0119160_22114267.jpgc0119160_22115629.gif

c0119160_22121610.jpg


     .......(左)出雲・石見の国よ、いざさらば! (右)島根県は実に奥が深かった・・!.......
c0119160_22161216.jpgc0119160_22162415.jpg



c0119160_22165016.jpg
c0119160_2217358.jpg


山陰山陽の旅は7回目のレポート記事を重ねましたが、次回はいよいよ山陽(広島・岩国)へと入り「厳島神社」や「錦帯橋」などを紹介します。本シリーズは当分お休みして続きの公開は秋になる予定です。


                           出雲大社訪問&山陰・山陽への旅(プロローグ記事)


                                                          おわり

  by rollingwest | 2014-01-25 00:00 | 山陰・山陽の旅 | Comments(88)