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<2016年2月5日>デビッド・ボウイ回顧展・【DAVID BOWIE is】鑑賞・・・彼の心境によせて

                   <デビッド・ボウイ一周忌:特別レポート>

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★「デビッド・ボウイ」衝撃の死から1年経過・・、天王洲アイルで回顧展開催


昨年1月に亡くなった世界的なロックスター「デビッド・ボウイ」の生涯を振り返る回顧展「David Bowe is」が天王洲アイル・寺田倉庫で開催中!20世紀で最も影響力あるアーティストと評価されたボウイの音楽人生・アート・ファッションの真髄展を観に行ってきました。!リキを入れて思う存分に紹介します!


   .....2016年逝去のロックミュージシャン達、余りにも多過ぎて衝撃的な年でしたが今年も同様かも....
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昨年は往年のロック大物アーティストが次々とこの世を去りましたが、デビッド・ボウイの死がまさに皮切りであり衝撃的なニュースでした。その後もグレン・フライ、モーリス・ホワイト、ジョージ・マーチン、キース・エマーソン、プリンス、レオンラッセル、グレッグレイク、ジョージマイケル・・・、70~80年代の洋楽を一世風靡した至宝達も後期高齢者なので相次いで亡くなるのは致し方なきことかな・・(泣)

                   遺作となった名盤「ブラックスター」(2016年1月)の記事はコチラから


   .....2016年1月10日に逝去したデビッド・ボウイ、遺作「ブラックスター」は全米NO1に!....
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最期まで男の美学を貫いてカッコよく死を迎えたのがデビッドボウイ!癌闘病生活(18ケ月)に耐えながら天に召されましたが、2日前(彼の誕生日)に遺作「ブラックスター」を全世界にリリースした直後、宇宙へと旅立ったのです。精悍な声で「私は死に往く・・」と歌ったボウイの姿はまさに驚異的だ~!


  .....「私はもうすぐ死に往くのだ・・」と末期の心境を歌い上げた「ダラー・デイズ」(遺作ブラックスター)....
               

デビッドボウイ回顧展は品川区の「天王洲アイル」にある「寺田倉庫ビル」で開催されています。ここは江戸幕府が第4台場を置いた場所で、RWが若い頃は東京商船大や臨海工場があったエリア。今は豊洲に隣接する超高層ビル群が林立する未来都市。街全体が無機質過ぎるのが気になるけど・・


 ....(左)高層ビルが立ち並ぶ未来都市「天王洲アイル」 (右)寺田倉庫ビルで回顧展が4/9まで開催中.....
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回顧展は2013年にヴィクトリア博物館(ロンドン芸術殿堂)で開催された内容を世界109都市に巡回展示しており、観覧者数は170万人に迫り驚異的観客数となっています。さあ早速入場してみよう!
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                          天王洲アイルの記事(品川区探訪・前編)はコチラから





★幻想・前衛・美しき世界観、新技術を駆使した画期的な展示


ヘッドフォン装着の体験型展示方式は実にユニークで画期的!彼が歩んだ歴史別のミュージックビデオが随所に流されており、そこに立つと彼の名曲が自動的に耳に流れてくる仕組み!所有の楽器・手書の歌詞、奇抜なコスチューム・ファッション等、所蔵品厳選の300点の貴重な品々が展示されているゾ!


     .....幻想的な会場レイアウト(写真撮影禁止につき、以下はインターネット拝借写真を使用).....
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ボウイのデビューは1967年「David Bowie」。実質の音楽活動開始は1964年とは結構古いネ~!本名はデイビー・ジョーンズですが、当時大人気だったモンキーズのDジョーンズ(同性同名)と区別するためにボウイと名を変えた事を初めて知りました。若い頃から実にハンサムだったのだと再認識した次第


  .....(左)ボウイ若き日の姿 (下)直筆の作曲楽譜 (右)デビュー盤ジャケット、やはりハンサムだネ~.....
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★1970年前後は「宇宙人の申し子」を演じ続けたボウイ


彼が世界中で知られたのは1969年、映画『2001年宇宙の旅』モチーフで創られた「スペース・オデティ」!アポロ11号打上げに合わせて制作され、世界が注視する月面着陸のTV放送でBGMとして使われてことで一挙に大ブレイクしました。この曲はRWが洋楽カラオケで得意に歌いあげる名曲の一つ!

                           彼の最高傑作「スペース・オデティ」の記事はコチラから


   .....米国のアポロ11号月面到着の年に大ブレイク!超名曲「スペース・オデティ」(1969) .....
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RWが彼の名前を初めて知ったのは1971年。異星から到来した架空ヒーロー「ジギー」がロック王者として成功する映画作品主題歌を歌い、ML誌でその存在が強烈に紹介された日でした。歴史的な名曲「ライフ・オン・マーズ」(1971)や「スターマン」(1972)など当時のボウイはまさに宇宙人そのものでした。


 .....(左)火星生活を歌いあげた「ライフ・オン・マーズ」 (右)世界に大ブレイクした名曲「スターマン」(1972)....







★妖艶なグラムロックの王者として君臨!その後もファッションの前衛を疾走!


RWがロックに嵌った1970年初頭、彼は「グラムロック」の旗手に変身してマークボラン(T-Rex)とともに大活躍しました。ド派手・奇抜な衣装とメイクでキワモノに見えましたが、その後の彼は音楽性・ファンションは時の流れに合わせてドンドン変化させていき、間違いなく最先端を疾走していたのです。


 .....夢中で聴いたグラムロック時代の名曲「スターマン」を歌う映像と当時の本物衣装が展示.....
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   .....妖しき華美なグラムロック王者として君臨していた頃の名曲「ジーン・ジニー」(1973).....
               
長年の薬物中毒に冒され精神疲労が限界に達した彼は1976年自分自身を建て直し復活しました。「白人の黒人音楽実現」というテーマを掲げ、自らを「プラスティックソウル」と呼び音楽の方向性を大転換させたのです。グラムロック時代の面影は完全に抹殺し、新たな変化を重ねカメレオンの如く生き抜きました。


  .....ボウイの着た数々の先進的衣装が飾られている!まさにトレンド最先端なものばかり.....
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ボウイは山本寛斎と交流し日本の最先端ファッションを次々と取り入れました。「アラジンセイン」の独特ズボン衣装!「出火吐暴威」の漢字が躍る白いマント、日本の侍や歌舞伎にインスパイアされた衣装は実に個性溢れ進歩的!そのデザインの斬新かつ彫刻的な造形で世界は彼に再注目をしたのです。


 ....山本寛斎がデザインした「アラジンセイン」衣装や「出火吐暴威」と漢字表現の白マントも出現!.....
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1977~1979年、ボウイは西独ベルリンに移住します。ブライアン・イーノとコラボして「ベルリン三部作」をリリースします。当時はニューウェーブ全盛期の中で、骨董品の様なシンセサイザーを用いて成功を収めました。


  .....本展クライマックスの「ショウモーメント」のセクションではライブ姿や前衛的な芸術的空間が炸裂.....
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ボウイの幅広い交流は数々の大物ロックアーティスト達とのコラボも実現しました。ジョンレノン、ブライアンイーノ、ルーリード、クイーンとの共演映像は貴重!先に紹介したミックジャガーとのMTVはやはり笑えますネ~。

                      Dボウイ&Mジャガー「ダンス・インザ・ストリート」の記事はコチラから

 
   .....1980~90年代に入ると往年のキワモノ感は全くなくなりお洒落でダンディーな雰囲気!.....
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ボウイは東西冷戦の終焉象徴「ベルリンの壁崩壊」に繋がる伝説コンサート(1987)を開きました。東西ベルリン壁の前で野外ライブを行い、壁の向こうにいる社会主義体制に抑圧された若者達にロックを聴かせたのです。自由に憧れる東独の若者達はついに立ちあがり断絶の壁を打ち崩したのです。


 ....1987年ベルリンの壁の前で行ったボウイライブが東独若者を奮い立たせ東欧社会主義崩壊.....
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先へ進むと、彼が尊敬した三島由紀夫肖像画が登場!ピカソの如く熱情と迫力を感じました。1983年映画「戦場のメリークリスマス」(大島渚監督)で共演者・北野武、坂本龍一がボウイの思い出を語るインタビュー映像のコーナーもありました。ボウイがいかに日本を愛してくれたのかと再認識した~


    .....(左)ボウイが描いた三島由紀夫の肖像画 (右)彼が使ったシンセサイザーも展示.....
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 .....大島渚監督の映画「戦場のメリークリマス」(1983)で共演した坂本龍一・ビートたけしも登場.....
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ボウイの栄光の歴史をビジュアル体験する素晴しい展示を大いに堪能し有料エリアを出ると右手にはボウイ三昧のお土産売り場やフードコート、ここにも彼のタペストリーやグッズが沢山あり圧倒されました。


      .....会場を出るとお土産コーナーの外設展示場にもボウイのタペストリーが次々登場.....
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さすが「20世紀で最も影響力のあるアーティスト」にも選ばれただけの理由がよくわかりました。あれから1年、存命ならば古稀を迎えたこの時期に東京で回顧展が見られたとは貴重な体験でした。


   ....宇宙から来た男デビッドボウイ!最後まで男の美学を貫きカッコよく宇宙へ旅立って行った.....
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  .....彼の名曲は非常に多過ぎて一遍に紹介しきれない!彼の名曲TOP20でお楽しみ下さい!.....
             

ボウイは間違いなく地球に降りてきたスターマンでありジギー・スターダスト(宇宙から来た架空のロックスター&救世主)でした。そして予言するかのように別れを告げてblack★に帰っていくとは・・。地球の皆にラストメッセージを残した最期のお別れ曲「I Can't Give Everything Away」でラストを締めることとしましょう。


 ....辞世の歌「私は全てを与えられずに、この世を去るが・・」と直訳されるが真の意味は一体・・!?.....
               

デヴィッド・ボウイ50年間に渡る創作活動を振り返る回顧展「DAVID BOWIE is」はアジアでは唯一日本だけの公開!これは見逃せません!4月9日(日)まで開催なので興味ある方はまだ十分チャンスがあります。当日チケット販売もありますが、予約制なのでコンビニ窓口等で事前購入がお薦めです。

                                                        おわり

  by rollingwest | 2017-02-18 06:00 | 洋楽(ロック・POPS) | Comments(123)

「My Favorite Songs」(第36巻)


【My Favorite Songs】の過去紹介した記事一覧(INDEX)はコチラから
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★(179)K.C.&ザ・サンシャインバンド 「ザッツ・ザ・ウェイ」 (1975年) (2017.10.4公開)



c0119160_10262036.jpg70年代中盤~後半にかけて米国ヒットチャートを席巻し続けていた「ディスコサウンド」、世界的大ブームのピークは1976~78年(RWが大学1~3年生)まさに映画「サタデーナイトフィーバー」の影響が大きかったブーム真っ只中ですが、ビージーズ・ディスコ全盛期に火が付く1年前(1975)に3曲連続で全米NO1を実現した「KC &ザ・サンシャイン・バンド」を今回レポートしましょう。今の若い世代にとっては全く無名なバンドでしょうが、上記曲「ザッツ・ザ・ウェイ」は最近ではサントリー烏龍茶(ミランダ・カー)やホンダ車のCMソングなどで何度も使われており無意識の内に脳裏に刻まれているはず・・。♪ルゥル~ル・ルルル・ルルル~♪「That's The Way~アハアハI Like It~アハアハ」(これが俺の生き方さ!アハアハ、お気に入りだぜ!アハアハ・・)我々50~60歳の中年オジサン世代にとってはハタチ前後にディスコで踊りまくったノリのいい思い出曲です。このバンドはまさに70年代ディスコ・ブームの象徴・旗手的な存在、白人リーダーのハリー・ケーシー(通称KC)とリチャード・フィンチを中心に1973年マイアミで結成された白人黒人混合の4人グループ、単純明快で分かり易いサウンドで黒人音楽特有の粘っこさは全く感じられず、マイアミ太陽の如くカラリとした明るい雰囲気の開放感溢れるディスコ・バンドでした。特に1975年から76年にかけて、「ゲットダウン・トゥナイト」、上記の「ザッツ・ザ・ウェイ」、「シェイク・ユア・ブーティ」が全米No.1ヒットの3連発!この中で特に3曲目の♪Shake, Shake, Shake~はディスコ向け楽曲としては最も完成度が高かった曲のように思います。洋楽史において、1年間で3曲の全米1位を連続獲得したのは1964年ビートルズ以来の快挙だったのですから本当に驚き!さらに翌年(1977)も「ブギーマン」(全米1位)、と「愛はノンストップ」(Keep It Comin' Love)(全米2位)に輝き、さらに映画「サタデーナイト・フィーバー」でも「ブギーシューズ」(1977)がサウンドトラック収録されて、彼らの勢いは止まるところを知らずまさにわが世の春を謳歌していました。しかしこうやってあらためて聴くと、ひたすら単純明快なリフレインが続き、特別な転調・ヒネリもなく歌詞の中味もないディスコ音楽・・・「楽しく踊らせるということが一番の目的なのだからコレでいいのだ~!」と開き直って聴けばいいのかもしれません。しかし80年代になるとディスコブームはパタッと凋落の一途を辿ります。AORやフュージョン等の新しい波が台頭して来て、単純な繰り返しサウンドは完全に飽きられてしまいました。この潮流を肌で感じ取ったKC&ザ・サンシャイン・バンドは、80年代に入るとPOP路線に変更し、スローバラードの「プリーズ・ドント・ゴー」(1980全米1位)やチャイナポップ調「Na・na・na・na・・・ na~」の「Give It Up」(1982全米18位、全英1位)をリリースして結構頑張っていました。しかしこの2曲を最後に彼らの栄光は終焉を迎えるのです。やはりかつての栄光ディスコバンドのイメージが強すぎたのでしょうねエ・・。伝統あるR&Bやソウルを愛していた黒人音楽ファンにとってディスコブームは、オチャラケで心のこもらない白痴的歌詞と単純な繰り返し演奏でソウル音楽から魂を奪った諸悪の根源だと苦々しく思っていたことでしょう。しかしあの短い数年間に英米でNO1ヒット曲を立て続けに5~6曲を輩出した「KC &ザ・サンシャイン・バンド」(まさに1960年代半ばのビートルズ的勢い)は、今から考えると物凄い偉業を達成したバンドだと再認識します。締め曲はメロウ路線転換を図り、最後の全米No1を記録した哀愁のバラード「プリーズ・ドント・ゴー」(1980)でサヨウナラ・・!燃え尽きる花火が最後に栄光の華を咲かせた静かなる閃光曲でした。


⇒次回は、1960年代後半にビートルズ、ストーンズと並ぶ英国3大ロックバンドと呼ばれた「ザ・フー」の名曲「ババ・オライリィ」(1971))をお送りします。♪\(^◇^)/♪



★(178)スティーリー・ダン 「エイジヤ(彩)」 (1977年) (2017.9.18公開)


c0119160_21234781.jpg今年もまた一人、偉大なミュージシャンの訃報が入ってきました。ジャズ・フュージョン系ミュージシャンを多く起用して洗練されたクロスオーバー的音楽で世界を魅了した「スティーリー・ダン」、その主力メンバーだった「ウォルター・ベッカー」(ドナルド・フェイゲンと並ぶ両巨頭の一人)の死去ニュース(9月3日・享年67歳)を知り、当初予定(KC&sunshine)を変更して急遽「スティーリー・ダン」(後編)のレポートに切り替えたいと思います。2014年2月に公開した「前編」(第13巻-086)では、「リキの電話番号」「ドゥイットアゲイン」「リーリン・インザ・イヤーズ」等の1970年代中盤期の名曲を紹介したので、後編スタートは彼らが1977年に発表した最高峰「彩(エイジャ)」の主題曲が必然のチョイス!ウォルター・ベッカー(1950年NY生まれ)とドナルド・フェイゲンは大学時代の友人で1972年スティーリー・ダンを結成し「「Can't Buy A Thrill」でアルバムデビュー(前編参照)。有名スタジオミュージシャンとコラボし、拘り抜いたサウンドが大いに評価され音楽評論家からも絶大な支持を受けましたが、1977年に第6作目「彩(エイジャ)」が全米3位・200万枚の大ヒットを記録して一挙に世界的な大ブレイク!豪華な一流スタジオ・ミュージシャンとのコラボでジャズ・ロックが混合した洗練フュージョンアルバムは、グラミー賞最優秀録音賞も獲得しロック音楽史に燦然と輝く栄光盤となりました。名盤の表題曲(上記掲載)は、8分間に及ぶ複雑なジャズ的転調でウェイン・ショーターのサックスソロ、スティーヴ・ガッドによる巧みなドラム演奏などが折り込まれ、スティーリー・ダンの名声は決定的なものとなったのです。金字塔傑作には大ヒットした「ペグ」「ディーコン・ブルース」(1977)等の拘り抜いたサウンドが満載!アルバムジャケットは、日本人モデルの山口小夜子(化粧品CMでも有名)が起用され、アジア・テイストの文化追及のコンセプトにも大いに魅了されたものだなあ・・。デビュー当時4人編成のスティーリー・ダンでしたが、この名盤制作を最後にウォルター・ベッカー&ドナルド・フェイゲン、2人だけのグループとなっています。「FM」(1978)は、FMラジオ局を題材とした米国映画(日本は未公開)のサントラ盤で当時の大物アーティストのヒット曲と一緒に収録されており全米5位という大ヒット曲。当時RWは「スティーリー・ダン」って、まだグループだとは知らず音楽才能のある男性ソロアーティストの名前だと勘違いしておりました・・(苦笑)。次のアルバムは膨大な時間(2年半)と1億円近い費用をかけて制作された「ガウチョ」(1980)でした。前作の「彩(エイジャ)」の評価があまりにも高かったためそのプレッシャーは相当大きかったと思います。色々とトラブルがありましたが、完璧主義のドナルド・フェイゲンは演奏に寸分の狂いも許さずこのアルバムはプラチナセールスを獲得し、収録曲の「ヘイ・ナインティーン」(1980)もシングル・チャートの10位に入っています。一方のウォルター・ベッカーは当時麻薬に溺れ、レコーディング終盤で交通事故で入院するなどボロボロ状態だったようで、「ガウチョ」を最後にコンビは活動を停止。その後ドナルド・フェイゲンがソロ・アルバム「ナイトフライ」(1982)を発表し大活躍している中で、ベッカーも1985年に麻薬を克服して音楽界へ復帰するものの目立った活動は見られませんでした。しかし1999年以降は再び二人での活動を再開し、2000年の8th盤「トゥー・アゲインスト・ネイチャー」がグラミー賞を4部門受賞で復活しグラミー賞殿堂入りも果たしたことは実に嬉しいことでした。最後の締め曲は名盤ガウチョからシングルカットされた「バビロン・シスターズ」(1980)を聴きながらこの二人がロック史に残した偉大なる足跡を振り返り、ウォルター・ベッカーの冥福をあらためて祈念します。これからも突然入ってくる有名アーティスト訃報の追悼記事をあたふたと急遽掲載する機会が増えていくんだろうなあ・・。 (合掌)






★(177)ステッペン・ウルフ 「ワイルドで行こう」 (1970年) (2017.9.3公開)


c0119160_16162565.jpg60年代米国の若者文化を活写して話題を集めたアメリカン・ニューシネマの傑作「イージー・ライダー」(1969)・・!ハーレーダビッドソンを運転し、真夏の太陽がサンサンと照り付ける荒野を風を切って走るデニス・ホッパーとピーター・フォンダ(主演・脚本)の勇姿が実にカッコよかったなア・・!日本での映画公開は翌年(1970年、RWが中学時代)でしたが、映画ポスターが他クラス教室の壁にこれ見よがしと貼ってあった記憶が鮮明に蘇ります。当時は、ビートルズ解散後に封切られた映画「レット・イット・ビー」のポスター(黒枠4人)と並んで人気の双璧・憧れの的となっていました。「イージー・ライダー」の映画主題歌は「ステッペン・ウルフ」の「ワイルドで行こう」(Born To Be Wild)、イントロが流れるだけで血沸き肉踊るような迫りくるビートと躍動感、この強烈な印象曲は全米第2位を獲得し、その後ローリング・ストーン誌が選定した最も偉大な500曲において第130位に輝いています。当時はベトナム戦争真っ最中、若者の反体制的文化が沸騰していた時代であり、この曲題名・リズム・ビート・ワイルドなボーカル全てが反抗心に溢れた1969年ロックの象徴曲の如く感じられました。しかしこのバンドは本曲以外はあまりよく知らないという方が多いのでは・・(実は自分自身もその一人)、色々調べてみるとその他にも沢山のチャートヒットを放っていたことを知り、ステッペンウルフ再発見のレポートとしたいと思います。リードボーカルのジョン・ケイを中心とした5人組のハード・ロック・バンド、カナダ出身で1968年に「スキ・スキ・スー」という曲でデビューしました。ワイルドなサウンドに合わせて「スッキ-スッキ-スッキ-スッキ-・・スー!」と繰り返されるお茶目なリフレインがRWもスッキ-スッキ-大好っき~!2ndアルバムからの 「マジック・カーペット・ライド」(1968)は最初に轟音ギターのハウリングが鳴り響く渋めのロック曲ですが後半は幻想的なサイケデリックロック(全米3位の大ヒット)、3rdアルバムからは前半は正統派ロックが終盤には突然アフロチック演奏に変調する「ロック・ミー」(1969 全米10位)などが聴きどころ!「ワイルドで行こう」が世界に大ブレイクしてからも全米ベスト10入りしたヒット曲が3連続もあったなんて知らなかったな~!新ギタリストのラリー・バイロンを迎えた4th盤からは反体制のメッセージが強く主張されている「ムーブ・オーバー」(1969)や5th盤からは、「Hey Lawdy Mama」(1970)がシングルリリースされています。上記2曲もアメリカン・TOP40にチャートインしており「ワイルドで行こう」だけの一発屋バンドとの印象が強いステッペン・ウルフですが、7~8曲もヒットナンバーを持っていたとは目から鱗!しかも、こうやって色々な曲を聴きこんでみると、プログレのような壮大なロック曲が多いバンドだったんだ!・・とあらためて驚かされました。しかし、1970年代に入ると絶えまなく続くツアーとレコーディングに追われメンバー達はついに疲れ果ててしまい、1972年2月14日にバンドは解散宣言・・。彼らの活動拠点だったロサンゼルスの市長は解散日を「ステッペンウルフの日」に指定し惜しんだのだそうな・・ Σstpn(゚◇゚;) wolf!  代表曲「ワイルドで行こう」の歌詞一部に「ヘヴィ・メタル・サンダー」という言葉が登場しますが、これがきっかけで「ヘヴィ・メタル」の音楽ジャンル名称が誕生したとも言われ、ロック史に輝く名バンドだったんだなあ・・とあらためて敬服します。映画「イージー・ライダー」での劇中歌の「プッシャー」(1969)も渋めの名曲!「イージー・ライダー」は戦争や政治に対する反抗・反体制的な若者文化で米国が2分されていた時代の象徴的な映画でした。現在の米国は、トランプ大統領が選出され米国第一の保護主義化、白人優位主義・移民差別の対立、朝鮮半島の戦争危機などの米国自身が混乱し国が分裂している時代となりました。当時とは状況がやや違うものの、国内対立・迷走・人種差別・戦争というキーワードでは相当似ている部分がある気がします。戦争という面では、トランプ大統領と金正恩は「ワイルドで行こう」とヤケを起こし一触即発・戦争衝突なんていう事態は絶対に避けてほしいものですネ~。 最後の締め曲は4thアルバムの題名曲「モンスター」(1969)、序盤はスローなバラードそして徐々に壮大な世界へ引き込まれていく秀逸かつ壮大なロックナンバー、母国アメリカを心底愛する硬派達が横暴なモンスター権力に対しての反骨心と熱い想いを全身全霊で歌いあげています!実に素晴らしい~!RWはこの曲こそがステッペンウルフの最高曲だと感銘いたしました!




  by rollingwest | 2013-12-01 00:00 | Comments(140)

RW/洋楽コーナー:【My Favorite Songs】INDEX 

RW/洋楽コーナー:【My Favorite Songs】・INDEX各巻の参照は【第〇巻】をクリックして下さい。
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My Favorite Songs【第1巻】
(001):アルスチュワート 「イヤー・オブザ・キャット」 (1976年) (2011.7.9公開)
(002):オーリアンズ 「ダンス・ウィズ・ミー」 (1975年) (2011.7.16公開)
(003):エリックカルメン 「恋にノータッチ」 (1976年) (2011.7.23公開)
(004):エリッククラプトン 「いとしのレイラ」 (1970年) (2011.7.30公開)
(005):ムーディブルース 「新しい地平線」 (1972年) (2011.8.5公開)
(006):イーグルス 「ラストリゾート」 (1976年) (2011.8.13公開)
(007):ビートルズ 「ユー・ネヴァー・ギブ・ヨアマネー」 (1969年) (2011.8.20公開)
(008):ボストン 「宇宙の彼方へ」 (1976年)  (2011.8.27公開)
(009):エルトンジョン 「イエスイッツミー」 (1971年)  (2011.9.3公開)
(010):フリートウッドマック 「ドリームス」 (1977年)  (2011.9.11公開)
(011):シカゴ 「クエスチョンズ67&68」 (1969年)  (2011.9.19公開)
(012):コールドプレイ 「スピードオブサウンド」 (2005年)  (2011.9.28公開)


My Favorite Songs【第2巻】
(013):ジミ・ヘンドリックス 「紫のけむり」 (1967年)  (2011.10.7公開)
(014):シルヴィ・バルタン 「悲しみの兵士」 (1970年)  (2011.10.16公開)
(015):ピンクフロイド 「サマー68」 (1970年)  (2011.10.26公開)
(016):サイモン&ガーファンクル 「サウンドオブサイレンス」 (1965年)  (2011.11.5公開)
(017):アランパーソンズプロジェクト「アイ・インザ・スカイ」(1982年) (2011.11.15公開)
(018):ジョージハリスン「リヴィング・インザ・マテリアルワールド」 (1973年) (2011.11.25公開)
(019):アバ 「悲しきフェルナンド」 (1976年) (2011.12.5公開)
(020):ダンフォーゲルバーグ 「懐しき恋人の歌」 (1981年)  (2011.12.15公開)
(021):ロッドスチュワート 「セイリング」 (1975年)  (2011.12.25公開)
(022):ビートルズの名曲「トップ10ソングス」 (2012年) (2012.1.4公開)


My Favorite Songs【第3巻】
(023):ブレッド 「ギターマン」 (1972年) (2012.1.14公開)
(024):レッドツェッペリン 「サンキュー」 (1968年) (2012.1.24公開)
(025):ビートルズ 「インマイライフ」 (1965年) (2012.2.4公開)
(026):ショッキングブルー「悲しき鉄道員」 (1970年) (2012.2.14公開)
(027):クイーン 「輝ける七つの海」 (1974年)  (2012.2.24公開)
(028):モンキーズ「素敵なバレリ」 (1967年)  (2012.3.4公開)
(029):シンディローパー「タイムアフタータイム」 (1984年)  (2012.3.14公開)
(030):ビートルズ 「サムシング」 (1969年)  (2012.3.25公開)
(031):カーペンターズ 「青春の輝き」 (1976年)  (2012.4.3公開)
(032):レニークラヴィッツ「ロンクンロールイズデッド」 (1995年)  (2012.4.14公開)


My Favorite Songs【第4巻】
(033):ザ・バンド 「ウエイト」 (1969年) (2012.4.24公開)
(034):キャメル 「ブレスレス(神秘の女王)」 (1978年) (2012.5.4公開)
(035):アンドリューゴールド 「ロンリーボーイ」 (1977年) (2012.5.14公開)
(036):ビージーズ「若葉の頃」(First of May) (1969年) (2012.5.26公開)
(037):イエス 「危機」(盛衰:I Get Up I Get Down ) (1972年)  (2012.6.6公開)
(038):10CC 「アイム・ノット・イン・ラヴ」 (1977年)  (2012.6.17公開)
(039):ドンマクリーン 「アメリカンパイ」 (1972年)  (2012.6.28公開)
(040):キングクリムゾン 「21世紀の精神異常者」 (1969年)  (2012.7.10公開)
(041):レオセイヤー 「遥かなる想い」 (1977年)  (2012.7.22公開)


My Favorite Songs【第5巻】
(042):ディープパープル 「ハイウェイスター」 (1972年) (2012.8.2公開)
(043):デビッドボウイ 「スペース・オデティ」 (1969年) (2012.8.15公開)
(044):ブルーススプリングスティーン 「明日なき暴走」(1975年)  (2012.8.26公開)
(045):イングランドダン&ジョンフォードコーリー 「秋風の恋」 (1976年) (2012.9.9公開)
(046):ドゥービーブラザーズ 「チャイナグローブ」 (1973年)  (2012.9.22公開)
(047):ビーチボーズ 「スループ・ジョン・B」 (1966年)  (2012.10.5公開)
(048):リトルリヴァーバンド 「ロンサムルーザー」 (1979年)  (2012.10.19公開)
(049):ニールヤング 「男は女が必要」 (1972年)  (2012.11.3公開)


My Favorite Songs【第6巻】
(050):ローリングストーンズ 「レディジェーン」 (1966年) (2012.11.13公開)
(051):ジュリアンレノン 「ヴァロッテ」 (1984年) (2012.11.26公開)
(052):ニルソン 「ウィズアウトユー」 (1971年) (2012.12.11公開)
(053):ビートルズ 「ゴールデンスランバー、ジ・エンド」 (1969年) (2012.12.24公開)
(054):エレクトリック・ライト・オーケストラ  「エヴィルウーマン」 (1975年) (2013.1.6公開)
(055):クリーム 「ホワイトルーム」 (1968年) (2013.1.19公開)


My Favorite Songs【第7巻】
(056):ダニエルパウター 「ベストオブミー」 (2010年) (2013.2.2公開)
(057):サンタナ 「ブラックマジックウーマン」 (1970年)  (2013.2.16公開)
(058):ラズベリーズ 「明日を生きよう」 (1972年)  (2013.3.3公開)
(059):ジャーニー 「ホィール・インザ・スカイ」   (1978年)  (2013.3.16公開)
(060):CCR 「雨をみたかい」  (1971年)  (2013.3.30公開)
(061):オリビアニュートンジョン「そよ風の誘惑」 (1975年)  (2013.4.11公開)


My Favorite Songs【第8巻】 
(062):マイケルジャクソン 「ベン」   (1972年)  (2013.4.27公開)
(063):エルビスプレスリー 「この胸のときめきを」 (1970年)  (2013.5.11公開)
(064):フォリナー 「ホット・ブラッデッド」 (1978年)  (2013.5.25公開)
(065):アメリカ 「金色の髪の少女」 (1975年)  (2013.6.7公開)
(066):BS&T 「スピニングホイール」 (1969年)  (2013.6.19公開)


My Favorite Songs【第9巻】
(067):スーパートランプ 「ロジカルソング」 (1979年)  (2013.7.1公開)
(068):スリードッグナイト「喜びの世界」 (1970年)  (2013.7.13公開)
(069):ロバータフラック 「やさしく歌って」 (1972年) (2013.7.25公開)
(070):ホール&オーツ 「シーズゴーン」(追憶のメロディ) (1976年) (2013.8.6公開)
(071):マウンテン 「ミシシッピクイーン」 (1971年) (2013.8.18公開)


My Favorite Songs【第10巻】
(072):ニールダイアモンド 「スィートキャロライン」 (1969年) (2013.8.31公開)
(073):ボブシーガー&シルバーバレットバンド 「ナイトムーブス」 (1977年) (2013.9.12公開)
(074):キッス 「ハードラックウーマン」  (1976年) (2013.9.24公開)
(075):キャット・スティーヴンス 「雨にぬれた朝」 (1972年) (2013.10.5公開)
(076):エマーソン・レイク&パーマー 「展覧会の絵」 (1971年) (2013.10.17公開)


My Favorite Songs【第11巻】
(077):トッドラングレン 「ハローイッツミー 」 (1972年) (2013.10.29公開)
(078):ポールマッカートニー&ウイングス 「ジュニアズファーム」 (1974年) (2013.11.10公開)
(079):ボブ・ディラン 「ライク・ア・ローリングストーン」 (1965年) (2013.11.22公開)
(080):ミッシェルポルナレフ 「シェリーに口づけ」 (1971年) (2013.12.4公開)


My Favorite Songs【第12巻】
(081):ブライアンアダムス「ヘブン」 (1984年) (2013.12.16公開)
(082):ベンフォールズ 「アニー・ウエイツ」 (2001年)  (20013.12.27公開)
(083):ローリングストーンズ 「ラフ・ジャスティス」 (2005年)  (20014.1.8公開)
(084):セリーヌ・ディオン 「哀しみのハートビート」 (1990年) (2014.1.20公開) 
(085):CSN&Y 「オハイオ」 (1970年) (2014.2.1公開)


My Favorite Songs【第13巻】
(086):スティーリーダン」:「リキの電話番号」 (1974年) (2014.2.13公開)
(087):ケニー・ロジャース:「ギャンブラー」 (1977年) (2014.2.25公開)
(088):カンサス 「すべては風の中に」 (1977年) (2014.3.9公開)
(089):キャロルキング 「君の友達」(You've Got A Friend)(1971年) (2014.3.21公開)
(090):バッド・カンパニー 「キャントゲットイナフ」 (1974年) (2014.4.2公開)


My Favorite Songs【第14巻】
(091):アートガーファンクル 「永遠の想い」 (1975年) (2014.4.14公開)
(092):マンフレッド・マンズ・アースバンド 「光に目も眩み」 (1976年) (2014.4.26公開)
(093):T-REX 「20センチュリーボーイ」 (1973年) (2014.5.8公開)
(094):スティックス 「永遠への航海」 (1977年) (2014.5.20公開)
(095):コモドアーズ 「アイムイージー」 (1977年) (2014.6.1公開)


My Favorite Songs【第15巻】
(096):ビリ―ジョエル 「イタリアンレストランで」 (1977年) (2014.6.13公開)
(097):ユーライアヒープ 「7月の朝」 (1972年) (2014.6.25公開) 
(098):ジムクロウチ 「アイガッタネーム」 (1973年) (2014.7.10公開)
(099):クリストファー・クロス 「セイリング」 (1980年) (2014.7.23公開)
(100):エルトンジョン 「ホリディイン」  (1971年)   (2011.8.7公開)


My Favorite Songs【第16巻】
(101):ハート 「バラクーダ」 (1977年) (2014.8.18公開)
(102):グレンキャンベル 「ラインストーン・カウボーイ」 (1975年) (2014.8.31公開)
(103):ラーセンフェイトンバンド 「今夜はきまぐれ」 (1980年) (2014.9.13公開)
(104):グランドファンクレイルロード 「アメリカンバンド」 (1973年) (2014.9.25公開)
(105):ニッティ・グリティ・ダートバンド 「ミスター・ボージャングルズ」 (1970年) (2014.10.8公開)


My Favorite Songs【第17巻】
(106):ヴィグラス&オズボーン 「秋はひとりぼっち」 (1972年) (2014.10.20公開)
(107):シン・リジィ 「ヤツらは街へ」 (1976年) (2014.11.1公開)
(108):エアサプライ 「オール・アウト・ラブ」 (1980年) (2014.11.13公開)
(109):リンダ・ロンシュタット 「ブルーバイユー」 (1977年) (2014.11.25公開)


My Favorite Songs【第18巻】
(110):シカゴ 「流血の日」(someday) (1969 年) (2014.12.6公開)
(111):ギルバートオサリバン 「クレア」 (1971年) (2014.12.17公開)
(112):サラブライトマン 「クエスチョンズオブオナー」 (1995年) (2014.12.28公開)
(113):ピンクフロイド 「エコーズ」(PART-1) (1971年) (2015.1.9公開)


My Favorite Songs【第19巻】
(114)ティアーズ・フォー・フィアーズ 「シーズ・オブ・ラブ」 (1989年) (2015.1.21公開)
(115)レターメン 「ラブ」 (1971年) (2015.2.4公開)
(116)チープトリック 「永遠のラブソング」 (1982年) (2015.2.17公開)
(117)リンゴスター 「想い出のフォトグラフ」 (1973年) (2015.3.2公開)


My Favorite Songs【第20巻】
(118)レディ・アンテベラム 「ニードユーナウ」 (2009年) (2015.3.15公開)
(119)ピ-ターフランプトン 「アイム・イン・ユー」 (1977年) (2015.3.29公開)
(120)ジェリー・ウォレス 「男の世界」 (1970年) (2015.4.11公開)
(121)テイラー・スウィフト 「チェンジ」 (2008年) (2015.4.27公開)
(122)レーナード・スキナード 「フリーバード」 (1973年) (2015.5.12公開)


My Favorite Songs【第21巻】
(123)ブレッド 「灰色の朝」 (1969年) (2015.5.27公開)
(124)ハーブ・アルパート 「ビタースイートサンバ」 (1965年) (2015.6.10公開)
(125)ウイッシュボーン・アッシュ 「戦士(Warrior)」 (1972年) (2015.6.25公開)
(126)バリー・マニロウ 「哀しみのマンディ」 (1975年) (2015.7.15公開)


My Favorite Songs【第22巻】
(127)スティービー・ワンダー 「迷信」(superstition) (1972年) (2015.7.23公開)
(128)ロギンス&メッシーナ 「川の流れのように」 (1974年) (2015.8.6公開)
(129)スティーブミラーバンド 「ロックンミー」 (1976年) (2015.8.20公開)
(130)ジョン・デンバー 「緑の風のアニー」 (1974年) (2015.9.3公開)


My Favorite Songs【第23巻】
(131)アデル 「サムワン・ライクユー」 (2011年) (2015.9.17公開)
(132)TOTO 「ホールドザライン」 (1978年) (2015.10.5公開)
(133)ビートルズ 「ノルウェイの森」  (1965年) (2015.10.21公開)
(134)イエス 「ラウンドアバウト」 (1971年) (2015.11.6公開)


My Favorite Songs【第24巻】
(135)ジョーコッカー 「美しすぎて」(You Are So Beautiful) (1975年) (2015.11.21公開)
(136)クイーン 「ボヘミアン・ラプソディ」 (1975年) (2015.12.7公開)
(137)USAフォー・アフリカ 「ウィ・アー・ザ・ワールド」 (1985年) (2015.12.7公開)
(138)ビートルズ 「ロックンロール・ミュージック」 (1965年) (2015.1.9公開)


My Favorite Songs【第25巻】
(139)デビッドボウイ 「ラザロス」 (2016年) (2016.1.24公開)
(140)イーグルス 「テイクイットイージー」 (1972年) (2016.2.9公開)
(141)ボブ・ウエルチ 「悲しい女」(Sentimental Lady) (1977年) (2016.2.24公開)
(142)アース・ウィンド&ファイアー 「宇宙のファンタジー」 (1977年) (2016.3.8公開)


My Favorite Songs【第26巻】
(143)アルバートハモンド 「カリフォルニアの青い空」 (1973年) (2016.3.27公開)
(144)アトランタ・リズムセクション 「ソー・イントゥ・ユー」 (1977年) (2016.4.11公開)
(145)カーペンターズ 「遥かなる影」(Close To You) (1970年) (2016.4.25公開)
(146)レオンラッセル 「ソング・フォーユー」 (1972年) (2016.5.9公開)


My Favorite Songs【第27巻】
(147)デフレパード 「ヒステリア」 (1987年) (2016.5.24公開)
(148)バーブラ・ストライザンド 「追憶」(The way we were) (1974年) (2016.6.8公開)
(149)ビートルズ 「フォーノーワン」(名盤リヴォルバー50周年特集) (1966年) (2016.6.23公開)
(150)バッドフィンガー 「嵐の恋」 (1970年) (2016.7.8公開)


My Favorite Songs【第28巻】
(151)マービンゲイ 「ホワッツ・ゴーイン・オン」 (1971年) (2016.7.24公開)
(152)レッドツェッペリン 「胸いっぱいの愛を」 (1969年) (2016.8.9公開)
(153)オーリアンズ 「友よ再び」 (1979年) (2016.8.25公開)
(154)リン・アンダーソン 「 ローズガーデン」 (1970年) (2016.9.8公開)


My Favorite Songs【第29巻】
(155)パット・ベネター 「ウィ・ビロング」 (1984年) (2016.9.23公開)
(156) プロコルハルム 「青い影」 (1967年) (2016.10.8公開)
(157)ポール・デイビス 「アイゴー・クレイジー」 (1977年) (2016.10.23公開)
(158)ハンブルパイ 「ほら穴の30日」 (1972年) (2016.11.8公開)


My Favorite Songs【第30巻】
(159)フリートウッドマック 「リアノン」 (1975年) (2016.11.23公開)
(160)サイモン&ガーファンクル 「冬の散歩道」 (1968年) (2016.12.8公開)
(161)ビートルズ 「エリナーリグビー」(ジョージマーチン哀悼) (1966年) (2016.12.24公開)


My Favorite Songs【第31巻】
(162)Dボウイ&Mジャガー 「ダンス・イン・ザ・ストリート」 (1985年) (2017.1.8公開)
(163)イーグルス 「いつわりの瞳」 (1975年) (2017.1.24公開)
(164)エイジア 「ヒート・オブザ・モーメント」 (1982年) (2017.2.11公開)


My Favorite Songs【第32巻】
(165)アリス・クーパー 「ユー・アンド・ミー」 (1977年) (2017.2.25公開)
(166)クリスタルゲイル 「瞳のささやき」 (1977年) (2017.3.12公開)
(167)ランディ・ヴァンウォーマー 「アメリカン・モーニング」 (1979年) (2017.3.28公開)


My Favorite Songs【第33巻】
(168)ピンクフロイド 「夢に消えるジュリア」 (1968年) (2017.4.15公開)
(169)J・ ガイルズ・バンド 「堕ちた天使」 (1982年) (2017.5.1公開)
(170)ビートルズ「サージェント・ペパーズ・ロンリーハーツ・クラブバンド」 (1967年)(2017.5.17公開)


My Favorite Songs【第34巻】
(171)クール&ザ・ギャング 「チェリッシュ」 (1985年) (2017.6.2公開)
(172)ダンヒル 「ふれあい」 (1977年) (2017.6.18公開)
(173)オールマン・ブラザーズ・バンド 「ジェシカ」 (1973年) (2017.3.公開)


My Favorite Songs【第35巻】
(174)カーリー・サイモン 「うつろな愛」 (1972年) (2017.7.17公開)
(175)ポール・サイモン 「僕のコダクローム」 (1973年) (2017.8.3公開)
(176)ジノ・バネリ 「アイ・ジャスト・ワナ・ストップ」 (1978年) (2017.8.17公開)


My Favorite Songs【第36巻】
(177)ステッペン・ウルフ 「ワイルドで行こう」 (1970年) (2017.9.3公開)
(178)スティーリー・ダン 「エイジヤ(彩) (1977年) 
(179)K.C.&ザ・サンシャインバンド 「ザッツ・ザ・ウェイ」 (1975年) (2017.10.4公開)


My Favorite Songs【第37巻】
(180)ザ・フー 「ババ・オ・ライリー」 (1971年)  (2017.10.20公開)


My Favorite Songs【Pre Stock】


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  by rollingwest | 2007-01-01 00:01 | 洋楽(ロック・POPS)

「My Favorite Songs」(第35巻)


           【My Favorite Songs】の過去紹介した記事一覧(INDEX)はコチラから
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★(176)ジノ・バネリ 「アイ・ジャスト・ワナ・ストップ」 (1978年) (2017.8.17公開)



c0119160_19085084.jpgジノ・バネリ・・、今やこの名前を聞いてもピンと来る人は少なくなったと思いますが、1980年前後にRWが最も嵌っていたAOR系アーティストの一人です。AORジャンルに分類されていますが、彼の音楽性の多彩さは実に幅広く、音作りに対する拘り、その高い完成度から「ミュージシャンズ・ミュージシャン」とも呼ばれて大いに評価称賛されています。某誌曰く「AOR3大完璧主義者」は、ジェイ・グレイドン、ドナルド・フェイゲン、そしてジノ・バネリであるのだそうな・・。特にお勧めのアルバムは6作目「ブラザー・トゥ・ブラザー」(1978)、今回はこの名盤からの曲を中心に彼の魅力をたっぷりと味わって頂きたいと思います。最も有名な曲は上記に掲載した「アイ・ジャスト・ワナ・ストップ」(1978年全米4位)、ゴージャスな雰囲気のAOR王道的なバラード曲はグラミー賞にもノミネートされ彼の名前が一挙世界に知られることになりました。続いてリリースされた「人生」(Wheels of Life)も哲学的な詩が印象的で実にドラマティックな感動曲、この2曲にて当時大学3年生だったRWは彼に完全に嵌ってしまいました。1952年カナダ(モントリオール)に生まれ、で音楽環境の中で育ち(父親もシンガー)、 1968年16歳の若さでA&Mからハープアルバートに見い出されてデビューしました。当初から音楽性を徹底追求する姿勢を持っており、アルバム内容もマニアックな部分に傾倒したこともあって10年間はセールス的に恵まれませんでしたが、最高傑作と称される「ブラザー・トゥ・ブラザー」が1979年前期のプラチナディスクに認定されるほど売れて一挙にブレイクしたのです。この名盤には捨て曲など一つもない完璧な仕上がり、「アパルーサ」はジノの情熱的な歌声がグイグイ迫るハイセンスなUPテンポ曲で聴きごたえがあります。「フィール・ライク・フライング」は、AORフュージョン系の静かなるアーバンな曲、哀愁を帯びたメロディーと印象的なサビのフレーズが心に染み渡ります。「エヴィル・アイ」は、サウスポーのギタリスト「カルロス・リオス」(ラリー・カールトンの一番弟子)のギタープレイが冴えるカッコいい曲。その他「ラブ&エモーション」など、ジノ・バネリの名曲はシンセサイザーを駆使したなサウンド、圧倒的な歌唱力と印象的なメロディーで人々を魅了してきました。完璧主義者とも言われている通り、スタジオ録音・ライブ演奏のパフォーマンスには、細部にまで拘りっています。サウンド・クリエイト能力を生かしたダイナミックな曲作りは兄ジョー・バネリ(kbd担当)、弟ロス・バネリ(プロデューサー、ミキサー)の3兄弟の連携によって生み出されました。アリスタ移籍後の7作目「ナイト・ウォーカー」(1981)も評価が高い名盤!「リヴィング・インサイド・マイセルフ」(1981全米6位)は、キーボートと洗練されたメロディが印象的なこの曲はAORミュージシャンとしてジノ・バネリの真価が発揮された名曲です。「Put The Weight On My Shoulders」も ドラマティックなメロディを持つ名曲で後半の畳み掛けるような感情たっぷりのボーカルに迫力あり!70年代後半から80年代初頭にかけヒットを連発して乗りに乗っており全盛期の2大名盤は音の配置やアレンジ、ロックをベースにポップ、ファンク、ジャズのテイストがミックスされたクロスオーバーな魅力に溢れており高いセンスを感じます。最後は、RWが最も気に入っている名曲「ブラザー・トゥ・ブラザー」で締めたいと思います。10分近い大作であり、まるでスティーリー・ダンが演奏しているようなハイレベルなテクニック、曲の構成が実に見事であり、カッコ良すぎる~!これはまさにジャズ・フュージョンロックの壮大なるプログレ曲というしかありません。同じ題名を冠した名盤「ブラザー・トゥ・ブラザー」はキャッチーでアーバンコンテンポラリーなロックサウンドは30年昔とは思えないほど収録曲の充実度。ジノ・バネリの出世作に相応しいアルバムであり、今後も色褪せることなくロック史において称え続けられることでしょう。


⇒次回は、ステッペンウルフ!映画「イージー・ライダー」の劇中曲として世界的な有名曲「ワイルドでいこう!」(1970)をお送りします。♪\(^◇^)/♪





★(175)ポール・サイモン 「僕のコダクローム」 (1973年) (2017.8.3公開)



c0119160_15091632.jpg前回記事は「うつろな愛」・カーリー女史レポートでしたので、今回はサイモン繋がりで「ポール・サイモン」のソロ時代名曲をクローズアップして取り上げていきます。RWを洋楽の道に導いてくれたのは1970年「明日に架ける橋」でグラミー賞の最優秀賞に輝いたサイモン&ガーファンクルでした。過去に初期の名曲「サウンドオブサイレンス」や中期時代の名盤「ブックエンド」から「冬の散歩道」を執筆済、またアート・ガーファンクルは「永遠の想い」を紹介してきましたが、ポールサイモンについてはソロ時期の名曲を掲載していなかったことに気付き大いに反省・・、2006年米タイム誌で「世界で最も影響力のある100人」の一人にも選ばれた恩師ポール・サイモン様、遅くなってしまい大変申し訳ございませんでした。<(_ _)> 1970年はビートルズ解散の年ですが、「明日に架ける橋」で栄光頂点を極めたS&Gも、この年を最後に2人の活動は事実上停止(正式解散表明はしていませんが)しており、志向する音楽路線の違いから別々の道を歩み出すことになりました。1972年1月、ポールサイモンはソロデビューし、「母と子の絆」(1972)が一挙に米ビルボードチャートの4位まで上昇、有名白人ミュージシャンとして初めてのレゲエ・ヒットとなったのです。第2弾シングル「僕とフリオと校庭で」(1972)はお茶目の雰囲気曲で連続のヒット(全米22位)を記録。「明日に架ける橋」という壮大な感動曲の直後であり、従来のS&G音楽性とは全く変わってしまったことに対するギャップ・違和感を感じながらも、新たな試みに挑戦し再出発を図っている新生ポールサイモンを応援したものです。上記に掲載した「僕のコダクローム」(1973)はアップテンポな乗りのいい曲で全米2位の大ヒットを記録しました。フィルムカメラの名門ブランドを称賛した曲にはアナログ時代の懐かしさをヒシと感じますが、今やスマホカメラ画質の良さでデジカメでさえも後退傾向にある状況なのですから時の流れは実に早いもんだなあ・・・。その後もポールサイモンの活躍はさらに続き、「ラヴズ・ミー・ライク・ア・ロック」(1973)も全米2位、1975年は「時の流れに (Still Crazy After All These Years)」(1975)がアルバムチャート1位を獲得し、グラミー賞の最優秀アルバム賞と男性ポップ・ボーカル部門の2部門を受賞したのです。1980年代になると「コール・ミー・アル」(1986)のようなアフリカンビートを取り入れた強力なリズムの曲が多くなり、さらに音楽性を転換させていきました。1986年のソロ通算6枚目「グレイスランド」はアフリカン・リズムを配しつつポール・サイモンらしいシンプルでポップなメロディとの調和が見事でグラミー賞に輝く栄光を積み重ねました。アフリカンコンサートでは「アンダー・アフリカン・スカイズ」(1986)のユーチューブ映像からも多くの黒人ミュージシャンを起用しています。アフリカンな姿は「1965~1970年時代に奏でた静かで感動的なS&Gイメージからはかけ離れてきて何かついていけないなア・・」との感情を持った往年ファンも多いのでは・・。(RWもその一人) ポールソロ特集記事の最後は史上最多13のグラミー賞受賞した名盤「時の流れに」から全米NO1を記録した彼の最大ヒット曲「恋人と別れる50の方法」(1975)と「スリップ・スライディン・アウェイ」(1977)で締めることにしましょう。このユーチューブは彼らのコンビが復活した伝説コンサート「セントラルパーク」LIVE映像でポールとアートガーファンクルの共演を見ることができます。




★(174)カーリー・サイモン 「うつろな愛」 (1972年) (2017.7.17公開)



c0119160_21105290.jpg中学3年生の頃(洋楽に目覚め3年目となった1972年)、深夜ラジオから流れてきた「うつろな愛」を初めて耳にした時に「何と素晴らしい曲だ~!」と感銘したことが本当に懐かしい・・。哀愁漂う独特のイントロ~物憂げなボーカルと美しいメロディー~中盤からの転調してギターソロ~静かなる高まりからドラマチックなサビへ・・、それぞれの構成が違和感なく連結した佳曲を歌い上げていたのは1970年代を代表する女性シンガー・ソングライター「カーリー・サイモン」(1945年生まれ・今年72歳)です。デビューした当時は「幸福のノクターン」(1971)等、やや地味目でしっとりした弾き語り系の歌手でしたが、翌年に「うつろな愛」の大ヒットでグラミー賞「最優秀新人賞」に輝いて、彼女は一挙に世界へ大ブレイクしたのです。その外見印象は大柄・グラマーでスタイル抜群、分厚い「たらこ唇」でセクシー容貌の女性だな~と思っていましたが、何とこの年にジェームス・テイラーと結婚してビックリさせられたことをよく覚えています。ジェームスとは2人の子供をもうけ、「愛のモッキンバード」(1974)や「デボーテッド・ユー」(1977)のデュエットも披露しており、洋楽界きってのオシドリ夫婦と呼ばれて仲睦まじき時代もありましたが1983年には離婚しています。これだけのセクシーな美貌ですから色々とあったのでしょうね~!確かにカーリー・サイモンは恋多き女性と呼ばれており、「ミックジャガーとも恋仲だったのでは?」との噂もありました。実際に「うつろな愛」でバック・ボーカルに参加しているのは間違いなくミック・ジャガー・・、今から思えば「たらこ厚唇」の大物アーティスト同士のコンビではないか~!(笑) 「ユー・ビロング・トゥ・ミー」(1978全米6位)で共作したマイケル・マクドナルドとも何かあったかもしれん・・(すみません。下衆の極みでした・・苦笑) ジェームステイラーとは離婚したとはいえ彼と出会ったことで大いなる影響を受け、フォーク音楽を基礎にフュージョン的なサウンド指向も取り入れて彼女の音楽性が高まったことは間違いありません。また彼女は映画音楽BGMにおいても数々のヒット曲を放ちました。やはり一番有名なのは、映画「007 私を愛したスパイ」の主題歌 「ノーバディ・ダズ・イット・ベター」(1977)ですかネ~!80年代では、映画「心みだれて」の主題歌「カミング・アラウンド・アゲイン」(1987・全米18位)、1989年には映画「ワーキング・ガール」の主題歌「ステップ・バイ・ステップ」(Let the River Run)でアカデミー歌曲賞を受賞しています。カーリーサイモンは古希を過ぎても魅力溢れるオーラを放ち続け、昔と変わらないスタイルと大きな口で優雅に歌っている姿が動画サイトで見ることができます。その透明感とハリある声は、数多くの恋愛や人生経験を重ねその感情をストレートに歌い続けてきた彼女の深い年輪なのではないかと思います。ラストは、デビュー当時の曲を円熟味を増した歌声で披露する「アンティシペイション」(1971)、自立した女性像を40数年間も表現し続けてきた彼女の姿はいつまでも多くの人々に愛され続けることでしょう。



  by rollingwest | 2003-11-01 00:00 | Comments(144)

「My Favorite Songs」(第31巻)

【My Favorite Songs】の過去紹介した記事一覧(INDEX)はコチラから

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★(164)エイジア 「ヒート・オブザ・モーメント」 (1982年) (2017.2.11公開)


         
c0119160_21492487.jpgロック界大物スター2017年訃報の第1弾は、1月末のジョン・ウェットン(67歳・元キング・クリムゾン)、そしてその1ケ月前(昨年12月)にはグレッグレイク(69歳・元 EL&P)が亡くなっています。この2人に共通するのは①英国プログレシッブロック(1970年初頭に世界席巻した先進ロック)の雄であったこと。②さらに10年後にプログレの大御所ミュージシャン達で結成された「エイジア」のボーカリストだったことです。こんな深い縁ある大物が一遍に2人も天に召されてしまったとは・・、こうなればスーパーグループ「エイジア」の衝撃的なデビューアルバム『Asia(詠時感?時へのロマン)』の全曲を紹介するしかありません!9週連続全米NO.1で1500万枚セールスを達成したこのモンスターアルバムは「プログレのエッセンスをポップスとして鏤めた3分半の楽曲」というスタイルを確立して世界的な大人気を博しました。最初にシングルカットされた「ヒート・オブ・ザ・モーメント」(冒頭曲)は、ヘヴィなリフと透明感のあるジョン・ウェットンのヴォーカルから始まり、ワクワクさせるビートがエンディングまで連続する名曲!いきなり全米チャート4位に輝きエイジアはあっという間に世界に大ブレイクしたのです。続く曲はアルバムタイトルにも通ずる「時へのロマン」(Only Time Will Tell)は魅惑的なイントロと華美で絢爛豪華なサウンドのメロディアス曲ですが、歌詞内容は惨めな男の恨み節的な心情が吐露された男女の別れの歌だったとは知らなかった・・。3曲目「孤独のサヴァイヴァー」は、米国プログレハードを彷彿させる魅力的なメロディーラインでシングルカットされてもいい作品。亡きグレッグレイクと今や仙人のようになってしまったスティーヴ・ハウがまだ若々しかった頃の姿が実に貴重ですネ~。エイジアのオリジナル・メンバーはジョン・ウェットン(vo,bs:元・キングクリムゾン)、スティーヴ・ハウ(gt;元イエス)、カール・パーマー(dm:元・EL&P)、ジェフ・ダウンズ(kb:元・バグルス→イエス)という往年のプログレバンドのスター達が集結し、夢の様なスーパーグループとして注目されました。RWも中3~高1時代にイエス・ELP・クリムゾン・ピンクフロイドに夢中になっていたので、彼らのデビュー盤がリリースされた当時(24歳)はもう興奮の坩堝だったことが今も鮮明な記憶として蘇ります。EL&Pのグレッグ・レイクは一時的な参加にも関わらずオリジナルメンバーのような存在感が今も鮮烈に残っています。「ワン・ステップ・クローサー」はユーモラスなイントロから始まり、洗練されたコーラスを重視したヴォーカルが実に魅力的!「タイム・アゲイン」は、叙情的なメロディーのシャッフル・ビート曲で往年のEL&Pやユーライア・ヒープっぽい印象を受けます。スケールの大きなプログレ色と3分間ポップという相反する両極面を融合することを、見事にやってのけた名作はどの曲も素晴しく捨て曲は一つもありません。ソングライティングにおいて全曲を手掛けているジョン・ウェットンのセンスに脱帽するしかないですネ~!B面(今や死語)の冒頭を飾った曲「この夢の果てまで」(Wildest Dreams)は兵士を称賛した作品でドラマティック・スリリング・ダイナミックさが重なった名曲です。1970年初頭のプログレファンからすれば、このバンドへの批判・風当たりに相当に厳しい意見があったのも事実です。心地いいメロディアスなPOP志向性はどの曲も同じように聞こえ、キング・クリムゾンやイエスのコアなプログレファンからすればまさに商業主義の軟弱路線にまみれた邪道、産業ロックの象徴的バンドに見えていたのでしょう。しかしプログレへの拘りを忘れて聴けば、ポップでもキャッチー過ぎず英国らしいメロディー満載!上質な産業ロックはRWにとっては大のお気に入り路線なのでした。「ウィズアウト・ユー」は、美しくメロディアスなバラードで始まるジェフ・ダウンズのキーボード・ソロ、スティーブ・ハウのギター・ソロもたっぷり聴けてまさにエイジアの真骨頂!歴史的なプログレメンバーが集結したからこそ生み出された壮大曲というしかありません。「流れのままに」( Cutting It Fine)は、プログレシップな指向の中になおもポップなセンスが息づいた作品。明るくリズミックで牧歌的な一面をあり何度聴いても飽きることはありません。最後の締め曲は、「ときめきの面影」(Here Comes The Feeling)、これもポップでキャッチーながらもエンディングまで息をつかせない名曲!大好きだったグレッグ・レイク(丸々と太り過ぎだけど・・)が元気な姿を見せているのが実に嬉しいことです!エイジアは名曲が多過ぎるので、あと2回位は記事をたっぷりと書いていきたいと思っています。最後にあらためてジョン・ウェットンとグレッグ・レイクのご冥福を祈念いたします。お二人が天国でエイジア名曲のWコーラスで盛大に霊界を熱狂させているのかもしれません。


⇒次回は、蛇を首に巻きヘビーなロックをしていたアリスクーパーが一転した美しいバラード「ユー&ミー」(1977)をお送りします。♪\(^◇^)/♪;



      

★(163)イーグルス 「いつわりの瞳」 (1975年) (2017.1.24公開)
         
                 <グレン・フライ1周忌:追悼記事>





◎【変革・発展期】(1974~1975)

c0119160_164428.jpgイーグルスのグレン・フライが昨年1月18日に亡くなり1年が過ぎてしまいました。追悼の意を込めて再びイーグルス特集、今回は「変革・発展期」1974~1975年の名曲を紹介します。第1編【黎明期】(1972~1974)で紹介しきれなかった3rd「オンザ・ボーダー」収録曲と、歴史的名盤「呪われた夜」(4rth)の名曲を中心にお届けします。

イーグルスの黎明期はグレン・フライとバーニー・リードンが主導しカントリータッチのコーラスやハーモニーが重視された曲が多く、ほのぼのとした感じで愛着を持って聴ける印象がありました。冒頭に紹介した「いつわりの瞳」(1975、全米第2位)は発展期の名盤「呪われた夜」からのシングルカットですが、まさにイーグルスを象徴する代表的なカントリー調の名曲です。心癒される爽やかな歌声とは裏腹に歌詞は「金持ちの年寄りと暮らす小娘が若い男と浮気を繰り返す姿を皮肉っている」との内容だと知って、ちょっと意外でしたが・・(苦笑)。第3作「オンザボーダー」(1974)は、多様な音楽性を求めていく過程の移行期途上のアルバムでした。従来路線のカントリー調曲「ミッドナイトフライヤー」(1974)はバンジョーの響きが心地よい曲、そして若くして世を去った往年の映画スターを歌った「ジェームス・ディーン」(1974)から徐々にハードなロック志向を強める傾向が出てきました。本アルバムからの最大名曲は第1編(黎明期)で紹介済した「我が至上の愛」(BEST OF MYLIFE)ですが、RWは「懐かしき‘55年」(1974)がお気に入り!トム・ウェイツのカバー曲ですが、グレン・フライ&ドン・ヘンリーのハーモニーが美しく、まさにイーグルスを象徴するノスタルジックな曲です。このアルバムから5人目のメンバーであるドン・フェルダー(Gt)が新たに加入しています。

そして次はイーグルスの最大名盤と称賛される「呪われた夜」の紹介へと移行しましょう。このアルバムは3つのトップ10シングルを生み出した名盤です。「呪われた夜」が全米第1位、冒頭紹介した「いつわりの瞳」が全米第2位、そしてストリングスを使用した壮大なバラード「テイク・イット・トゥ・ザ・リミット」が全米8位、アルバムも全米No1に輝き名実ともにイーグルスが世界的なビッグバンドへと飛躍していったのです。しかしこの栄光の中でグループの中には葛藤と軋轢が生まれていました。黎明期のカントリー主体の音楽性を志向するバーニー・リードンは「このアルバムは産業ロックにシフトしすぎてイーグルス本来のアイデンティティーではない!」とアルバム完成後に脱退してしまったのです。後任ギタリストはハードロックバンドのジェイムス・ギャングからジョー・ウォルシュを迎えたことから、イーグルスのサウンドはさらにロック色を強めていき、世界的に超有名な「ホテルカリフォルニア」の商業的大成功へと繋がっていきます。音楽路線変更でのメンバー間の確執でイーグルス創設者・グレン・フライも悩み多き時代だったのかもしれません。ラストナンバーは、あらためてグレン・フライの一周忌を偲び、「アフター・ザ・スリル・イズ・ゴーン」(1975)で締めくくりたいと思います。盟友ドン・ヘンリーと一緒に歌い上げた美しきミドル・バラード、哀愁漂うリズムとメロディが実に印象的です。(合掌)・・



⇒次回は、ジョン・ウエットンの訃報が入り、急遽哀悼特集としてエイジアの「ヒートオブザモーメント」(1982)をお送りします。♪(;´д`)♪






★(162)Dボウイ&Mジャガー 「ダンシング・イン・ザ・ストリート」 (1985年) (2017.1.8公開)



c0119160_19262325.jpgRW洋楽コーナーも今年最初の記事をスタートさせたいと思います。昨年はロック黄金期の巨星達が次々と天に召された衝撃的な年でしたが、その口火を切った訃報が丁度1年前のデビッド・ボウイ死去(2016.1.10)のニュースでした。死の2日前に新作「ブラックスター」(参照記事:第25巻(139)「ラザロス」)をリリースしたばかりだったというのに・・!しかし宇宙から舞い降りて来たデビッドボウイのこと・・、死を予感し地球人へ強いメッセージを残した直後、敢えてこのタイミングでブラックスターへ戻る「当初からの計画的な昇天」だったのでは・・?と思えてなりません。デビッドボウイ(享年69歳)は若くしてこの世を去りましたが・・、かたや74歳を迎えるミックジャガー(ローリングストーンズ)はデビュー以来55年間音楽シーンの最前線を走り続け、今も飛んだり跳ねたり超パワフルな姿を維持し続けています!ビックリするのは昨年何と彼に8番目の子供が生まれたこと・・、普通ならピストルから赤玉(定量打ち止め)が出ている年齢なのに今も元気現役とは恐れ入りました・・(◎m◎)┌★*!そんな対照的な2人が1985年にコラボした「ダンス・イン・ザ・ストリート」を今回冒頭に掲載しましたが、彼らが1980年代に放った数々のヒット曲を紹介しながら「ボウイ1周忌の回顧」&「絶倫ミックの長命激励」のW記事にしたいと思います。

デヴィッド・ボウイの1980年代はアルバム「レッツ・ダンス」(1983)で商業的には最も成功を収めた時期といえるのかもしれません。「チャイナガール」(1983)などダンサブルな曲で音楽スタイルを一変させ、それまでのカルト的イメージを完全抹殺し一挙に主流商業路線に躍り出ることになりました。「モダン・ラヴ」(1983)や「ブルー・ジーン」(1984)などの曲もMTVに多く露出し、若い人はデヴィッド・ボウイはダンシングロック歌手と思いこんでいる人も多いのではないのでしょうか?我々世代は「スペース・オデティ」など70年代名曲を懐かしむファンが主体なので歯がゆい思いで聴いていた方も多いのでは・・?小生も80年代のボウイはアーティスト感覚が殆ど感じられず好きじゃないけど、やはりカメレオンの如く時代変化に合わせて生き抜いてきたその強かさには評価すべきものがあります。

さて80年代のローリングストーンズも同じ様な境遇に晒されていました。ストーンズといえばとにかく永遠に「ロックンロール」一途の印象が強いですが、お洒落な80年代では「もう古臭い消えゆくバンド」に見られていた感があります。しかし彼らも70年代後半~80年代は当時はやりのディスコサウンド風の曲を多く取り入れ、時代に合わせていかなければ生き残れないかもしれない・・と悪戦苦闘し路線修正に悩んでいました。しかし彼らは見事にPOPSシーン最前線へのTOP復活ができたのです!その象徴的な曲は「スタート・ミー・アップ」(1981)!往年のファンからは「流行のダンスサウンドを見境なく取り入れやがって(`ヘ´#)・・・」と強いブーイング もあったようですが、何と米国チャート2位に一挙躍り出てストーンズ自身もビックリ!予想外の成功にまだまだ自分達はやれるんだと自信を深めていきました。「エモーショナル・レスキュー」(1980)のように彼ら独特の雰囲気も維持しながら、その後も「ミックスド・エモーション」(1989)などヒットを放ち続けて90年代から21世紀へ・・、こうなると何をやっても全てロック超大御所と崇められる存在(「21世紀のローリングストーンズ」)となり、長寿・元気さも驚きの目で見られる伝説的なバンドとして鎮座し今に至っています。

「アフリカ難民救済」を目的とした20世紀最大のチャリティー・コンサート「ライヴ・エイド」企画(1985)の一環で、上記に紹介したデビッド・ボウイとミック・ジャガーのコラボ曲「ダンス・イン・ザ・ストリート」が実現しましたが、これは「往年のダサいミュージック・ビデオランキング」の上位に常にランキングされる映像で今見ると80年代のお洒落を気取った野暮ったさ加減が実に笑えます。この2人は当時おホモ達の関係にあったようで、デヴィッド・ボウイの元妻アンジーは二人が裸でベッドに寝ているところを見たとも発言しています。色恋お盛んなミックは傘寿・米寿になっても数々の話題を振りまきながら頑張っている気がします。早世したデビッド・ボウイもミックに対して「あんた、若い時には麻薬三昧でハチャメチャな生活していた割には何でこんなに長寿なの・・?」と大いに呆れ返っているかもしれません・・(笑) 両者とも時代の流れを敏感に感じ取り、往年ファンから一時罵声を浴びながらも苦しい時代を耐えて生き抜いたからこそ、後世に大御所的存在に認められ金字塔歴史を築き上げられたのだと思います。ローリング・ストーンズは昨年末に新譜「ブルー&ロンサム」をリリースし彼らの原点である泥臭いブルースやスワンプロックの道に回帰しています。生きていても亡くなってしまってもロック史に残る巨星達はしぶとく永遠に輝き続けることでしょう!

  by rollingwest | 2003-07-01 00:00 | 洋楽(ロック・POPS) | Comments(152)

「My Favorite Songs」(第30巻)

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★(161)ビートルズ 「エリナーリグビー」(ジョージ・マーチン哀悼) (1966年) (2016.12.24公開)



c0119160_1511042.jpgビートルズにとって特筆的な年だった2016年もいよいよ暮れようとしています。今年のRW元旦記事は「来日50周年記念特集」でスタート、年末ラスト記事もビートルズで締めくくりたいと思います。3月は大ショックの出来事がありました。ビートルズの音楽性を高めた伝説のプロデューサー「ジョージ・マーチン」が亡くなったのです。「5人目のビートルズ」と呼ばれたマーチンは、1962年のデビューから最終盤「アビーロード」(1969)までほぼ全アルバムにおいて重要な中核的な役割(音楽・映像・各種エンターテイメントの指揮)を担い、ビートルズの世界的な名声と栄光(英国の1位獲得:シングル30曲、アルバム16作)を実現させた偉大なる方でした。ビートルズの初シングル「ラブ・ミー・ドゥー」を録音するにあたって、ジョージ・マーチンは当時のドラマー(ピート・ベスト)の演奏力に物足りなさを感じてリンゴ・スターを新たに起用することを決断しています。2ndシングル「プリーズ・プリーズ・ミー」の録音が完了した時、マーチンはこの出来栄えに満足し「これは絶対NO1ヒットになる!」と言い切り、予言通りシングルとデビューアルバムはTOP獲得となり世界ブレイクの発火点となったのです。そして「シー・ラブス・ユー」は7週連続NO1を記録し、彼らの人気は大沸騰、その後は映画「ハードデイズ・ア・ナイト」で映像面でも世界中を熱狂の坩堝に巻きこみ人々の心を虜にしていきました。今年6月は「来日50周年・武道館コンサート」に関するTV特集番組が多く放映され、子供心に見たよき昭和時代の熱狂光景を懐かしみました。武道館で3日間(6/30、7/1- 2の計5回)行われた公演は約5万人の観客を集め、TV中継では60%近い異例の高視聴率を記録!会場周辺は連日6千人の警官が配備される空前の警備体制と、日本中が今ではありえないような大騒動に席巻されたことを再認識!今年9月には「エイトデイズ・ア・ウィーク」の題名を冠した公式ドキュメンタリー映画「ザ・ビートルズ EIGHT DAYS A WEEK - The Touring Years」(監督ロン・ハワード)が公開され、初期リバプール時代、1963年からの15カ国90都市166公演ツアー、半世紀前の若きビートルズのLIVE活動の映像を大いに堪能しました。しかしこのツアー以降、ビートルズはLIVE演奏活動を一切やめて、スタジオ録音中心の曲作りに没頭して音楽性を大きく変化させていきます。その転機となった名盤が半世紀前にリリースされた「リボルバー」(1966)、その立役者もジョージマーチンで手腕は如何なく発揮され数々の名曲を生み出しています。6月に「リボルバー発売50周年」特集記事をレポートしましたが、RWがいつまでも聴きたい名曲はやはり弦楽四重奏とコラボした流れるような美曲「エリナーリグビー」(冒頭掲載曲、RWのカラオケ定番)かな・・。さらに10月はリンゴスター来日とまさにビートルズの話題に彩られた1年だったような気がします。LASTは誰でも知っている世界のスタンダード曲「イエスタディ」で今年最後を締めくくりたいと思います。ポール・マッカートニーはジョージマーチンへの追悼声明で「イエスタディ」が生み出された経緯やマーチンとの思い出を語っていました。「弦楽四重奏の曲にしたいというマーチンの提案に最初僕は反対したが、クラシカルにアレンジされ出来上がった曲を聴いてみるとその素晴しさに感銘した・・。結果的に、この名曲が何千人ものアーティストによって最も多くカバーされた歴史的名曲になったのだから彼の判断は正しかったんだ。」・・と!偉大なるビートルズの生みの親ジョージ・マーチン、今頃はジョン・レノンとジョージ・ハリスンと一緒に天国で音楽活動を再開しているのかもしれません。

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(PS)ジョージマーチンの他にも2016年は70~80年代洋楽を一世風靡した至宝達が相次いで亡くなる特筆の年でした。デビッド・ボウイ(1月)、グレン・フライ(1月)、モーリス・ホワイト(2月)、キース・エマーソン(3月)、プリンス(4月)、レオンラッセル(11月)、グレッグレイク(12月)、ジョージマイケル(12月)・・・、こうやって並べてみるといかにロック黄金期の大物アーティストの訃報が続いたことか・・。ご冥福をお祈りします。我々の青春時代に夢中になった名曲を生み出してくれた偉大なるアーティスト達に感謝の念を込めて・・。



⇒次回2017年冒頭の洋楽記事は、1周忌を迎えるデビッドボウイと、新アルバム発売でいまだ元気なミックジャガーがコラボした「ダンシング・インザ・ストリート」(1985)をお送りします。♪\(^◇^)/♪







★(160)サイモン&ガーファンクル 「冬の散歩道」 (1968年) (2016.12.8公開)



c0119160_14474415.jpg中学生時代に小生を洋楽の道に目覚めさせてくれた「サイモン&ガーファンクル」・・、2011年に第2巻記事で「サウンドオブサイレンス」を取り上げただけで洋楽恩人に対して5年間も掲載せず不義理を大いに反省しております。久しぶりの続編は、彼らの名盤「ブックエンド」(1968)特集で半世紀前の名曲を紹介してお詫び申し上げたいと思います。S&Gの有名曲といえば他に「明日に架ける橋」「コンドルは飛んでいく」「ボクサー」「スカボロ・フェア」等が挙げられますが、今回は寒い冬の訪れに合わせて「冬の散歩道」を冒頭曲に選びました。日本でも木枯しの季節になると時たまラジオでかかる曲ですが、題名とは反し乗りのいいリズムのロックナンバー、S&Gとしては実に珍しい!12弦ギターの印象的なリフ、タイトなドラミング、途中で鳴り響くトランペット、韻を踏んだ詩がハイテンポな2人のコーラスで美しく軽快に展開していきます。名盤「ブックエンド」はレコードA面(今は死語か・・)1~7曲が「アメリカの現実」というテーマのコンセプト構成、当時の米国社会・世情を反映した数々の曲が本立ての中に収められているアルバムです。冒頭は組曲のオープニングとなる「ブックエンドのテーマ」、わずか20秒程の短いギター・インストルメンタルですが何となく惹かれる曲で期待感の予兆。A面物語の最大名曲は、やはり静かなハミング♪m~m~m~、mmm・・・~♪のフェード・インから始まる名曲「アメリカ」、語りかけるようポールサイモンの歌声と映画の一場面を見るような描写感が交錯した様なハーモニー曲。恋人キャシーへの語りかけとともに「皆がアメリカを探しにやってきたんだ」「アメリカとは何か?」という問い掛けでこの曲は終わっています。何度聴いても素晴しい彼らの最高傑作曲の一つで、日本では遅まきながら1972年にヒットして「何で今頃?」と思ったものです。アルバムB面はシングルヒットや個性的な曲が詰めらており、映画「卒業」のために作曲された「ミセス・ロビンソン」が収められています。この曲は1968年グラミー賞でビートルズ「ヘイ・ジュード」と最後まで最優秀賞を競り合い栄誉に輝いた歴史的なナンバーです。映画「卒業」のヒットで直後に発売された「ブックエンド」は彼ら初の全米NO1(7週連続)を獲得しまさに世界的なブレイクを果たした栄光期の名盤となりました。「動物園にて」は、さまざまな動物を性格設定したお茶目な曲。ポールサイモンが後にソロとなって大ヒットさせた「僕とフリオと校庭で」や「コダクローム」等に通じて行く原点曲のようにも思えるネ~。小生が大好きな不思議なる癒し曲「フェイキン・イット」は、さまざまな仕掛けが施された曲で録音テープを逆回転させたり子供の会話を入れたり凝った編曲がなされており、S&Gもビートルズ「サージェントペッパーズ」の影響を受けているんだなあ・・と再認識させられます。コンセプトアルバムは最後に「旧友~ブックエンドのテーマ」で静かにフィナーレ・・。ベンチ両端に座る2人の疲れ果てた老人がブックエンドの象徴として描かれ、人生の終焉を静かに待っているような悲しさと叙情的な詩・・。当時20代後半のポールサイモンが人生晩節に佇む老人の哀愁を表現しているとはあらためて驚きました。そして自分が当時この歌のイメージだった還暦を迎えるとは・・。最後のテーマエンドは「Time it was・・、あの頃は・・、時は経過してしまった・・」と呟く1分の短かい曲で「ブックエンド」が静かに締められています。





★(159)フリートウッドマック 「リアノン」 (1975年) (2016.11.24公開)



c0119160_1254406.jpg大学生時代に夢中で聴いた1970年代を代表するスーパーグループ「フリートウッドマック」の続編を5年ぶりにレポートします。第1巻(010)「ドリームス」以来、大ファンだった彼らを長くほったからしにして深く反省・・。フリートウッドマックの最大名盤はやはり1977年「噂」(Rumours:全米1位31週間、1700万枚セールス)ですが、今回はその前作「ファンタスティック・マック」の名曲を特集します。フリートウッドマックは、①メンバーチェンジが頻繁②音楽性を幾度も大転換②成功規模(セールス枚数)が超メガ級④人気最前線・活動期間が長い、この4要素が同時体現されたロック史における稀有な存在のグループです。1967年ミック・フリートウッドとピーター・グリーン主導で結成され、当初はコテコテの泥臭い正統派ブリティッシュ・ブルースロックバンドでした。しかしピーター・グリーンなど初期メンバーが相次いで脱退すると、新加入のボブ・ウエルチ(1972~73年)が徐々に音楽性を転換させてジャズ・ロック的なアプローチを行い一定の人気を維持していきました。その後世界的にブレイクして大成功を収める契機・布石は1975年、リンジー・バッキンガム&スティーヴィ・ニックスの加入で今度は一挙にPOPな垢ぬけた音楽路線(神秘性もあり)に再転換したのです。小生がフリートウッドマックの音楽を初めて耳にしたのは、大学1年生(1976)の下宿でFENラジオから流れて来た「リアノン」(上記掲載曲)を聴いた時でした。ウエールズ神話に出てくる女神が名付けられた曲の序盤はステーヴィー・ニックスの気だるそうな声で不思議な雰囲気が淡々と醸し出されていきます。やがて小柄な彼女から激しくパワフルなダミ声が響き渡り、リンジーの唸るギターとコラボしてクライマックスを迎えて行く展開・・「何と素晴しい曲だ~!」と彼らの魅力に一挙取り憑かれてしまいました。この魅惑曲が収められていたのが、フリートウッドマックを世界に羽ばたかせるトリガーとなった名盤「ファンタスティック・マック」だったのです。アルバム冒頭曲は、リンジーのシャウトから始まりステージが一挙に広がる軽快な曲「マンデーモーニング」でオープニング!そしてアルバムからのシングルカット「セイユー・ラブミー」、非常にわかりやすくポップな名曲は「ファンタスティック・マック」の路線転換の象徴曲の一つです。「我々の音楽性はよりポップな方向へと変わったぞ!」と大いにPRしている印象を受けます。次曲は「ウォーム・ウェイズ」、ボーカルはクリスティン・マクビー(ジョン・マクビーの妻)、彼女の温かみのある優しいボーカルでまどろみに包まれるような曲。アルバムからの初のシングルカット曲は「オーヴァー・マイヘッド」、これもクリスティン・マクヴィーの淡々とした優しい声とアレンジが素晴しい癒し系の名曲でした。「ワールド・ターニング」は一転してマクビー&バッキンガムがシャウトする力強いエキゾチックな歌、バラエティに溢れています。やはり本名盤の特徴は、新加入したスティービーニックス(妖精のような可愛らしさと小悪魔的容姿と独特のダミ声に特徴)の存在が注目を浴びて際立ったことです。「ランドスライド」「クリスタル」も摩訶不思議美女の虚脱感あふれるような魅力が十分味わえる隠れた名曲です。数々の色彩に溢れる名盤・・、今回レポートのLAST締め曲は壮大なスケールで展開する名曲「アイム・ソー・アフレイド」、フリートウッド・マックは本名盤でビック・ネームに成長し、さらに翌年に金字塔アルバム「噂」でロック史に輝く名バンドとなっていきました。次回は「噂」の名曲特集を予定。いつになるのやら・・(苦笑)

  by rollingwest | 2003-06-01 00:00 | 洋楽(ロック・POPS) | Comments(136)

アート・ガーファンクル「永遠の想い」


★(091):アートガーファンクル 「永遠の想い」 (1975年) (2014.4.14公開)


c0119160_6415931.jpg中学生の頃小生を洋楽の道に導いてくれた「サイモン&ガーファンクル」(第2巻(016)参照)・・、「明日に架ける橋」がグラミー賞に輝いた1970年に残念ながら解散してしまいました。ポールサイモンはソロ転身後も「母と子の絆」、「僕のコダクローム」等のヒットを放ち気を吐いていましたが、S&G時代に一つも作曲しなかったアート・ガーファンクルの方は解散後は沈黙していた印象があります。その頃、彼は自分の澄んだ歌声に合う楽曲を見つけていかに自分流に歌うかという方向性でデビュー盤を作ろう・・と奮闘していたのです。その結果満を持して、自らの声を比喩したような題名をつけて1973年発表されたソロデビュー盤が「天使の歌声」(ANGEL CLAIR)でした。その冒頭曲は「青春の旅路」(Traveling Boy)を聴いて、期待に違わず美しい高音とちょっと鼻にかかる特徴的なガーファンクルボーカルが健在!とまずはひと安心、そしてアルバート・ハモンド作品で大いにヒットした「ひとりぼっちのメリー」・・、ビブラートが効果的に響くはかなさも伝わってくる声にまたも感動!そしてデビュー盤で小生が最大のお気に入り曲は、ジミーウェッブ作詞・作曲の「友に捧げる賛歌」(All I Know)、親友を思う歌詞と美しいメロディーが透明感溢れる声で感動的に表現されており、まるで「明日に架ける橋」の如し・・!続く1975年発表の2nd「愛への旅立ち」(Break Away)も超名盤で本当にお薦め!このアルバムは数々の名曲がプレゼントされておりレコード針が摩れる程聴き惚れ幸福感に酔ったものだなあ~・・。スティーヴン・ビショップ提供の「めぐり逢い」(Looking For The Right One)も余韻ある名曲・・、オリジナルピアノ演奏者はかの有名な大物プロデューサーデヴィッド・フォスターらしい。上記に掲載曲した「永遠の想い」は2nd盤に収められており、その他にも「瞳は君ゆえに」、そして小生が下溜めて愛してきた曲「L.A.より99マイル」等の多くのヒット曲がキラ星の如く。この名盤は曲の選択もさることながらアレンジも素晴らしくバックミューシャンにもCSN&Yのデヴィッド・クロスビーやグラハム・ナッシュなどの豪華なゲストも参加しておりました。「夢心地」を味わえるこの名盤のヒット曲には、ポールサイモンとの共演曲「マイリトルタウン」も入っています。ついにS&G復活か~!と大喜びしたものです。実際のコンビ復活は1981年セントラルパークコンサートでしたが、その後2人で何度か来日してくれて1993年カミサンと一緒に東京ドームで生のデュエットを聴けたこと(もう20年以上か・・)がいい思い出です。アートガーファンクルのソロ名盤は「シザースカット」(1981)等まだまだ沢山ありますので、いつか後編として紹介したいと思います。

  by rollingwest | 2002-11-01 00:31

「My Favorite Songs」(第17巻)

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★(109):リンダ・ロンシュタット 「ブルーバイユー」 (1977 年) (2014.11.26公開)


c0119160_2055176.jpg1970年代中~後期にかけて絶頂を極めたウエストコーストサンド、これらバンド達の中心にいて数々のヒットナンバーを放っていた歌姫が「リンダ・ロンシュタット」でした。グラミー賞を複数回受賞し、世界アルバムセールスは1億枚以上・・、ラジオから流れてくるリンダの名曲はまさにRW青春時代のBGMでした。そんな彼女(68)が難病パーキンソン病に冒されており昨年夏に引退表明したことは大変残念なこと・・。デビューから30数年間ごく自然な形で音楽スタイルを次々に変えながら華やかな活動を続けてきた彼女の偉大な足跡をレビューしてみたいと思います。前編は1970年代初頭~1977年(名盤Simple Dreams)の頃までを、後編は1978年(名盤ミスアメリカ)~1990年代までをレポートとしましょう。リンダ・ロンシュタットは米国南部アリゾナ州に生まれたことから当初はカントリー系シンガーとしてデビューしています。ジョニーキャッシュやグレンキャンベルとも共演したこともあり、「ロング・ロングタイム」(1970)などの曲で評価を上げて行きました。1970年前半では何とあの「イーグルス」をバックバンドとして引き連れていたのですから今から思えば凄い事実ですネ~。彼らの代表曲「デスペラード」(1973) もリンダが美しい高音で歌いあげており、誉れ高い名曲に華やかな花が添えられています。しかしまだ当時、彼女の人気は世界にブレイクしておらず、開花した契機は「ピーター・アッシャー」(ジェームステイラーのマネージャー兼プロデューサー)との出会いからでした。彼がプロデュースした名盤「悪いあなた」(Heart Is Like A Wheel)(1974)は世界的に高い評価を受け、シングルカットされた「悪いあなた」(You're No Good)(1975)も一挙に全米No.1ヒットに輝いたのです。アルバムとシングルの原題曲はそれぞれ違うのに邦題は一緒にしちゃって・・、名付けた方は「悪いどなた?」、本当に紛らわしいレコード邦題なので混乱させられます・・。続くシングル「いつになったら愛されるのかしら」(When Will I Be Loved)(1975)も全米2位となり、いよいよ彼女の栄光時代が始まったのでした。リンダのレパートリーは殆どがカバー曲で占めらています。それもC&W、フォーク、ポップス、ロック、バラードデュオとジャンルは多種に渡っており、それら全てを吸収して新鮮な曲に生まれ変わらせる彼女の才能には唸らされるばかり・・。パワフルにロックンロールを歌いあげる「ヒートウェイブ」(1975)はマーサ&ザ・バンデラスのカバー曲・・、冒頭紹介曲「ブルー・バイユー」(1977) はしっとりと儚げに歌い上げるロイ・オービソン(1960年代)の初期ヒット曲でした。米国南部の故郷に残してきた恋人を想う詞をリンダの哀感が満ち溢れる歌唱・・、波間に漂うような曲調は実に味わい深いものがありますねエ・・。この名曲は、リンダロンシュタットが成熟・完成度を高め頂点に達したといわれる米国音楽史の名盤「Simple Dreams」に収められています。そして前編最後の締め曲は名盤からの大ヒット曲「イッツソーイージー」(1977)しかありませんね~!バディーホリーの名曲をカバーしたものですが、力強い演奏と一緒に野太い声で歌い上げられる小粋なロックンロールは、完全にリンダの代表曲として今も語り継がれておりウエストコーストサウンド象徴曲ともなっています。 大学時代のアパートのラジオから毎日のように流れていたなあ・・。当時「It's So Easy to Fall in Love」のRWは、失恋の痛手に打ちひしがれて「Never Gonna Fall in Love Again~泣」(エリックカルメン)の心境でしたが・・。(苦笑) 


⇒次回は、シカゴが最もワイルドで輝いていたブラスロック時代の反戦歌「流血の日」(1969)をお送りします。♪\(^◇^)/♪




★(108):エアサプライ 「オール・アウト・ラブ」 (1980年) (2014.11.13公開)


c0119160_2261870.jpg1980年代初頭「ペパーミントサウンド」と称され、当時席巻していたAORブームの旗手を担っていた「エアサプライ」!爽やかな海のイメージに彩られた数々のヒット曲を前・後編に渡って懐かしんでみたいと思います。前編は全米デビューでいきなり世界的ヒットとなった名盤「ロストインラブ」&2nd盤「シーサイドラブ」からの名曲の数々を紹介します。彼らはオーストラリアから登場したバラードナンバー中心のデュオで、グラハム・ラッセルの繊細な曲作りと、ラッセル・ヒッチコックの伸びのあるボーカルが日本でも大人気(とりわけ女子大生に大受け)でございました。邦題にはやたら「愛だの恋だの永遠だの」と青臭い題名が多く付けられており、口の悪い音楽評論家達は「オーストラリアのオフコース」などと憎まれ口を叩いていたもんだなあ・・(苦笑)。彼らを一挙に有名にした曲は1980年の「ロストインラブ」(最後に紹介)、いきなり全米チャートの第3位で登場して世界に羽ばたいたのです。次の「オール・アウト・ラブ」(1980冒頭曲)も第2位、そして第3弾「ときめきの愛を」(1980)が第5位と、全米デビューからいきなり3連続の大ヒットを飾って本当に目を丸くしたものです。デビュー盤「ロストインラブ」は、さらに「ハヴィング・ユー・ニア・ミー」(1980)などアコースティックでまろやかなPOPサウンド曲が満載!中年オヤジが青春真っ盛りの純愛歌を称賛するのは背中がムズ痒くなりますが、当時はまだ20歳前半だったので素晴らしいバラード曲の数々に一挙魅せられてしまいました。続く1981年発売の2ndアルバム「シーサイド・ラブ」(The One That You Love) (1981)の主題歌は彼らにとって唯一全米No.1シングルに輝き、日本の女子大生・OLに大人気となり海辺のドライブ用BGMとして定着していった感があります。彼らのイメージ・邦題は「海辺の愛」が定番、必ずしも夏や海を歌っているわけじゃないのに、80`sトレンドを反映した国内CDプロモーションの事務所戦略だったんでしょうねエ・・。この曲だって直訳すれば「貴女の愛したもの」でしょうが・・!どこがシーサイドラブなんじゃい?と反発心がフツフツ擡げてきたので、ユーチューブは敢えて海に関係ない映像を選択しました。(それも冬の季節に・・、悪しからず!苦笑)。この2nd盤からは他にも、「ヒア・アイ・アム」(1981)や「あなたのいない朝」(1981)が大ヒットしています。でもRWは2~3nd盤あたりになるともう耳触りのいい曲ばかりでもう食傷気味・・、当時席巻していたデビッドフォスター風のAOR曲(シカゴ、TOTO等)とゴッチャになり全て同じ音楽に聴こえて完全に飽きてしまいました。その後AORブームは鎮静化、80`sの華やかなサウンドも一区切りが着いて、最近は彼らの名を耳にすることは殆どありません。今や立派な前期高齢者となった両者ですが、美しいコーラスのハイトーンボイスで歌いあげているユーチューブ映像を見ると、2人はなかなかいい歳の重ね方をしているような雰囲気を感じます。エアサプライバージョンの「ウィズアウトユー」(1991)もなかなか素晴らしいですね~!ちなみにこの曲は数々のアーティストによってカバーされていますが、やはり小生が一番大好きなのは第6巻(052)で紹介した「二ルソン」バージョンです。そしてやはり前編のラスト曲を飾るのは世界に衝撃的デビューを飾った「ロストインラブ」(1980)で締めるしかありませんね。エアサプライを聴きながら彼女を隣席に乗せて海辺をドライブする憧れのシチュエーション、当時は北海道勤務での独身時代だったのでそんな場面もチビっとあったのですが、結局は長続きせず線香花火のように終わってしまいました。(まさにロストインラブ・・、青春時代の苦い思い出⇒泣)。後編(公開時期未定)は3rd盤「ナウ&フォーエバー」、そして1980年後半から現在に至るまでの活動状況をレポートする予定です。




★(107):シン・リジィ  「ヤツらは街へ」(The Boys Are Back In Town) (1976年) (2014.11.1公開)


c0119160_2125364.jpg誰にでもリアルタイム時代で聴き逃してしまった死角アーティストはあるものですが、70年代に活躍した「シン・リジィ」(アイルランド出身)は「未聴のお宝物のハードロックバンドだった!」と気付いたのはつい先日のことです。1970年代中盤当時は米国ヒットチャートばかり追いかけていた小生にとって彼らの名前は耳にするものの、パンクロック系のHR/HM「ハードロック・ヘヴィメタル」かなと位置付け「とりあえず自分の趣味対象ではないんだろうな・・」とぼんやり遠ざけていた感じでした。メタル系ギラギラバンドでとっつきにくい対象と思い込んでいましたが、最近洋楽ブログ仲間のRemyさんに紹介され試聴してみたところ目から鱗!「何と素晴らしい~、RW好みのサウンドではないか!」と一挙にお気に入り!メロディックなハードロックで本当に聴きやすく小生の琴線部にスッと入り込まれ大いに興味を持ち始めているところです。確かに当時の米国ヒットチャートに頻繁登場するバンドではなかったし、日本での人気も今一つ地味な印象だったのは事実でしたが、冒頭に紹介した「ヤツらは街へ」(The Boys Are Back In Town)(1976)はしっかり記憶に焼き付いています。間奏のメロディアスなツイン・リードギターが非常に印象的、当時FENラジオで毎日流れており「キャッチーでカッコいい曲だなあ・・」と大好きだったのですが、まさかこれが「シン・リジィ」の代表的なヒット曲だったとは全く認識しておらず、今更ながら嵌っている次第でございます。サミー・デイビイスJr.を怪しくしたような顔で、口をあまり開かずに歯だけを見せて歌う「フィル・ライノット」(vo,bs)を中心にアイルランドで結成され、「ウィスキー・イン・ザ・ジャー」(1972)がスマッシュヒットし国内や英国で1位を獲得したことが彼らの本格的な活躍の契機となりました。アイルランド・フォークとロックの融合を軸にしたツインリードギター編成でサイケデリックサウンドを展開、ケルトの香りも漂うアイリッシュでメロディックなハードロックを貫抜き通し彼ら独特な世界が展開されている気がします。このスタイルは1975年「ファイティング!」 で確立され、「ロザリー」(1975)のヒット曲も大人気となりいよいよ黄金期へと突入していきます。ツインリードギターといえば60年代の「ヤードバーズ」(ジェフベック&ジミーペイジ)や「ウィッシュボーンアッシュ」が有名ですが、英国では当分野を継承してきた伝統なるものがあるのかもしれない。1976年に名作「脱獄」(JAILBREAK)を発表し、上記紹介の「ヤツらは街へ」が大ヒットとなり、彼らはついに世界的なトップバンドとして認められたのです。70年代中盤の王道ハードロック不毛の時代にUFOと並んでブリティッシュ・ハード・ロックの牙城を守ったとも評価されています。「Bad Reputation」(1977)や「ブラックローズ」(1979)、そして日本でもヒットした「ヤツラはデンジャラス!!」(1979)も実にカッコいい!豪快なツインリードギターの煌めきとフィルのアイリッシュ漂うボーカルで伝統的なブリティッシュサウンドすが、不思議とアメリカを感じさせる部分もあります。「ボンジョヴィ」など後進の米国ハードロックバンド達からリスペクトを受けている所以もこの辺にあるのかも・・。「シン・リジィ」は80年代中盤に紆余曲折を経て解散してしまい、それを悲しむかの如くフィル・ライノットは36才の若さでこの世を去ってしまいました。しかし「Dedication」( 1991)は残ったメンバー達が彼の死を悼んで敬意を捧げた超名曲、フィルの死後もムリな展開が全くない豪快なハードロックや泣きのバラードが受け継がれています。しかしこのユーチューブ画像は本当にフィルが歌っているかのようだ!またこのバンドには、「パリの散歩道」(冬季五輪・羽生結弦BGM)で超メジャーになったゲイリームーアもかつては在籍していました。ロック史を代表する歴史的な名バンドだったのですねエ・・。最後はフィルのヴォーカルとギターソロが素晴らしい 「それでも君を」(still in love with you)(1974)を紹介してこの記事を締めたいと思います。独特の世界観を持つ哀愁漂う素晴らしい美曲(ゲイリームーアと競演)です。「これを聴かずしてシンリジィを語るなかれ!」とコアなファンから絶賛されている泣きのロックバラード!


★(106):ヴィグラス&オズボーン 「秋はひとりぼっち」 (1972年) (2014.10.20公開)


c0119160_155199.jpg秋が日々深る今日この頃、今年秋の訪れが例年より早く、素晴らしい紅葉を長く楽しめそうな気がしております。今回はマイナー(主に70年代一発屋的なアーティストを中心)でありながら、センチメンタルを深く感じさせる秋の名曲を沢山紹介(初の季節特集)したいと思います。70年代後半以降に洋楽に目覚めた方々にとっては初めて聴く曲が多いかもしれません。逆にリアルタイムで聴いた人にとっては懐かしい気持ちでフラッシュバックするのではないかと思っております。冒頭の「ヴィグラス&オズボーン」(英国フォークデュオ)の「秋はひとりぼっち」(1976)はまさにこの哀愁曲だけの一発屋でした。それも母国では全く受けなかったものの、日本だけで支持され洋楽チャートで2位まで上がる大ヒットを記録しています。やはり秋の深まりを思わせるメロディーとアレンジ、そして二人の甘いヴォーカルが日本人好みだったのでしょう。秋の名曲といえばやはり「イングランドダン&ジョンフォードコーリー」の「秋風の恋」(1972)を取り上げない訳にはいきません。誰もが認める定番曲(今回記事では最もメジャーかも)は全米チャート第2位に輝く70年代の代表曲です。「ブレッド」の「オーブレー」(1973)・・、アコースティック・ギターと優雅なオーケストラをバックに淡々と静かに歌われゆくデビットゲイツの甘く切ない美しいメロディーの佳曲、小生はこの曲を聴くといつも心が安らぎます。イングランドダン&ジョンフォードコリーとブレッドは、RWの超お気に入りアーティストなのでこれからも何度も記事を紹介しようと思っておりますのでお楽しみに~!「ロボ」の「片思いと僕」(1972)は深夜放送ラジオで流れていた切なく美しいメロディ!これほど邦題と曲のイメージがピッタシなのも珍しいかもしれません。ロボの本名ローランド・ケント・ラヴォアということを今回初めて知りました。1971年「僕と君のブー」でスマッシュ・ヒットに続いて大ヒットしたこの曲は草食系・純情男子の心情を歌った素朴なフォーク・ソングでしたネ~。remyさんからご提案頂いた「アバ」の「落ち葉のメロディー」(1974)と、めったPOPS様よりご推奨の「オリビアニュートンジョン」の「秋風のバラード」(1975)も追加いたしました。思い出させてくれてありがとう~!ソフトAORがブームになっていた80年代初頭、ロサンゼルスの6人組バンド「スニーカー」が1曲だけ放ったスマッシュヒットは「想い出のスニーカー」(1981)で特に日本に特化して人気を得た曲でした。今や完全な無名バンドですが、70年代ウェストコーストロック(スティーリーダン、イーグルス、ドゥービーズ)の後継者として当時は大きく期待されていたらしい。トーケンズの「ライオンは寝ている」をカヴァーヒット(1971年全米3位)させた「ロバート・ジョン」(NY白人シンガー)の「恋するウーマン(サッドアイズ)」(1979)は、7年間低迷後の中で久々にヒットを放ったカムバック曲、毎日のようにこのハイトーンボイスをFENラジオで聴いていたものだ・・。小生を洋楽に導いてくれたサイモン&ガーファンクル・・、数々のメジャーヒット曲がありますが「旧友」(1968)の名作アルバム「ブックエンド」より)は地味な曲ながらも哀愁漂わせるサウンドはストリングスがなんとも言えない雰囲気で落ち葉が舞う秋にピッタリの曲ではないでしょうか。晩秋の公園ベンチで孤独な思い出に生きる老人を表現しており、友人同士が公園のベンチにブックエンドのように座る光景がアルバム名に表現されています。そして最後は、秋の定番名曲として誉れ高い「アルバート・ハモンド」の「落ち葉のコンチェルト」(1972)、超有名曲の「カリフォルニアの青い空」の次に連続ヒットしたこの曲でアルバートハモンドの名を洋楽ファンに完全知らしめることになりました。木々からこぼれる葉々はそれぞれに舞い散っていき・・・、まるで協奏曲(コンンチェルト)を奏でているようです。スマッシュヒット一発屋さんや隠れた名曲は、これからも季節や個々の題材をテーマにした特集として時たま紹介して行きたいと思います。それでは皆様、落葉の音を聴きながらよき秋を満喫下さい。

  by rollingwest | 2002-05-01 00:00 | 洋楽(ロック・POPS) | Comments(120)

RW/洋楽コーナー:「My Favorite Songs」(第12巻)

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★(085):CSN&Y  「オハイオ」 (1970年) (2014.2.1公開) 


c0119160_21155268.jpg1960年代後半から70年にかけて、数々のアーティスト達(フォークではボブディラン,ジョーンバエズ,PPM、ロックではジミヘン,ジョンレノン,CCR,シカゴなど)がベトナム戦争を続ける米国政府に対して反抗姿勢を示し、反体制のメッセージを強く発していました。戦争国家へ変化したアメリカへの失望と、自由の国から変節した国家からの束縛に対する抗議と情熱(日本の全共闘世代も含めて世界的な潮流)は当時のロック音楽の源泉と本質であったような気がします。1960年代末から1970年代初頭にかけて活躍した「クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング」(以下CSN&Yと呼称)はアコースティックで美しいコーラスが中心の米国フォークロックバンドですが、上記に掲載した「オハイオ」はロック史に燦然と輝くプロテストソング(政治的抗議曲)の一つです。1970年5月米国オハイオ州立ケント大学構内でベトナム反戦集会に参加した学生4人が州兵に射殺されるという悲劇的な事件が起きてしまいました。これを知ったCSN&Yは米国政府の暴挙に憤慨し、事件後すぐに「オハイオ」をリリースして当時のニクソン大統領を名指しで批判したのです。この曲は即刻放送禁止というハンデを背負ったにもかかわらず、全米14位にチャートイン(彼らの1971ライブ名盤「4 Way Street」にも収録)で民衆の支持を得たのです。ニールヤングの切なる歌声とスティルス&クロスビーによる強烈なギターイントロは、前途ある若者の死に対する悲しみと体制への怒りが満ち溢れています。翌年にグラハムナッシュがソロで歌い上げた「シカゴ」(1971)もプロテストの名曲として有名です。CSN&Yとは、デヴィッド・クロスビー(元バーズ)、グラハム・ナッシュ(元ホリーズ)、スティーヴン・スティルスとニールヤング(元バッファロー・スプリングフィールド)、の構成メンバーで名前・頭文字を単純に並べているだけですが、各メンバーはすでに人気を博していたグループの主役級で当時世間は「スーパーバンドの誕生」と騒ぎ立てました。新たなバンド名を冠せず名前だけを並べた理由は「一緒にやりたい時だけ活動し、やりたくない時には別々に活動する・・」、当時バンド活動の人間関係に嫌気がさしていた彼らが「個人の集まり」という方法論を採ったのでしょう。デビューは1969年6月にCS&N(ニールヤングはまだ不参加)の同名盤でデビューしています。そして伝説的なロックフェスティバル「ウッドストック」に参加して「青い目のジュディ」(1969)を歌いさらに飛躍の舞台に立ちました。翌年にはその心境を再現した「ウッドストック」(1970)という曲も作り上げています。同年にリリースした2作目「デジャブ」はニールヤングも加わりサウンドの厚みが強化され、「ヘルプレス」や、ナッシュのほのぼの曲「僕たちの家」、ライブ名盤「4ウェイストリート」でも演奏された長大曲「キャリーオン」など、名曲満載のロック史に輝く金字塔盤となりました。当時のRW(中学1年生)はロックに目覚めたばかりでプログレやハードロックに夢中になっておりフォーク調CSN&Yには嵌らずじまいでしたが、今じっくり聴いてみると噛めば味わいのスルメの如し・・。実は彼らを知るきっかけは英国映画「小さな恋のメロディ」(1970)のラストを飾ったトロッコで旅立つマークレスターとトレイシーハイドのトロッコシーン背景に流れた「ティーチ・ユア・チルドレン」でした。まさかこんな渋~い反戦オジサン達が純愛映画のBGMを歌っていたとは想像もしませんでしたね~(苦笑)  元々は単なる個人の集まりであったCSN&Y・・、やがてグループは自然消滅し、当然の如く各自ソロ活動に入りました。しかしその後も彼らの紐帯は続いており、ニールヤングは滅多に参加しませんが、残りの3人はソロ活動のあいまを縫って一緒に活動して懐かしいハーモニーを聴かせてくれているようです。皆様元気で長生きしてほしいものですね・・・♪~CSN(^O^)(^O^)(^O^)&Y(^O^)~♪

⇒次回は、1970年代にジャズとロックを合体させた都会的センスあふれる大人の音楽「スティーリーダン」の「リキの電話番号」(1974)送りします。♪\(^◇^)/♪




★(084):セリーヌ・ディオン 「哀しみのハートビート」 (1990年) (2014.1.20公開) 


c0119160_2143599.jpg今回はカナダが生んだ世界的な歌姫「セリーヌ・ディオン」の初期ヒット曲(世界的ブレイク以前)の「哀しみのハートビート」(1990)をお送りします。セリーヌといえば今さらRWの解説など不要かと思いますが、グラミー賞5冠・全世界累計セールス2億2千万枚以上を誇る超大物歌手。何と言っても世界的な大ヒットを記録した歴史的な大作映画「タイタニック」(1997)の主題歌が一番有名ですね。彼女の90年代名曲をじっくり振り返るのもいいかも!と思い(実は自分の頭の中を整理するのが目的ですが・・)、セリーヌの足跡と名曲を年代順に紹介していきたいと思います。今や地球規模の大歌手となった彼女(1968年カナダのケベック州生まれ)ですが、幼少より類まれなる才能を発揮しており、12歳の時に音楽マネージャー「レネ・アンジェリル」と出会ったことが人生最大の転機となりました。アンジェリルは彼女の才能と歌声に惚れ込み、自宅を担保にしてデビューアルバム発売資金を調達したのです。1980年代前半はフランス語圏シンガーとしてケベック州のトップスターとなり、さらに1990年代初頭から英語圏ヒットチャートへ進出、上記曲を送り出し世界スターへの道を歩み出しました。その後ディズニー映画主題歌「美女と野獣」
(1992)ではピーボブライソンと共演し世界的な地位を固め始め、日本でもトレンディドラマの主題歌に「to love you more」(1994)が採用されて人気が一挙に沸騰してミリオンセラーを記録、初来日公演でも葉加瀬太郎(バイオリニスト)と共演してこの曲を披露しています。そして世界の頂点に立った・・!と真に実感したのは、1996年アトランタオリンピック開会式で「パワーオブラブ」を歌い切った時なのではないでしょうか。勢い止まらぬ大活躍の背景にはかの有名な音楽プロデューサー「デヴィッド・フォスター」も大きな貢献をしており、まさにアンジェリルとの鉄壁コンビで数々のヒット曲を世に送り出してきたのです。「あなたが愛してくれたから」(1996)は今やウェディングソングの定番曲、小生が愛するエリックカルメンの名曲「オールバイマイセルフ」も御本家以上の迫力ある歌唱力と声量で堂々と歌い上げています。彼女は19歳の時に26歳も年上の「レネ・アンジェリル」と恋をしていることを母親に打ち明け大反対されたそうです。そりゃそうでしょうね~、2度離婚歴がある45歳の中年オヤジ(しかも3人の子連れ)に未成年の愛娘が奪われると思えば母上殿は本当に気が気じゃなかったことでしょう。しかし2人は愛を貫き通し1994年に晴れて結婚、2人の間にはさらに3人の子宝が恵まれたのでした。セリーヌ最後の曲は、やはり愛を貫いた感動大作「タイタニック」のテーマ「マイハート・ウィル・ゴーオン」(1998年)、で締めるしかありませんね。家族愛に包まれた彼女は、子育てが一段落して再び音楽活動を再開させています。先月(2013年12月)には6年ぶりの新アルバム「Loved Me Back To Life」をリリースし相変わらずの美しい歌声と圧倒的な歌唱力を見せており、今後もさらなる躍進と大活躍を続けていくことでしょう。




★(083):ローリングストーンズ 「ラフ・ジャスティス」 (2005年) (2014.1.9公開)

    (21世紀のストーンズ名盤「ビガーバン」からのお気に入りチョイス)



c0119160_2254446.jpg結成50年を超えたロック界の至宝「ローリングストーンズ」が今年8年ぶりの来日(2/26~3/6)をします!今回はスペシャルゲストとして往年の主力メンバーのミックテイラーも出演するとのこと。昨年はビーチボーイズ、ポールマッカートニー、今年3月にはボブディランと・・、ロック草創・発展期の超大物がこの2年間で次々と日本の音楽ファンにLIVE演奏を披露してくれるのですからまさに凄いことですね~。ストーンズのお元気ぶりにはいつも目を丸くさせられますが、皆様すでに古希を過ぎておりこれが最後の来日となるのかもしれません。2014年冒頭の洋楽コーナーは「21世紀のローリングストーンズ」と題し、今世紀唯一のスタジオ録音された彼らの名盤「ビガーバン」(2005)からお気に入り名曲をチョイスしてスタートしたいと思います。ちなみに過去掲載した「ストーンズ特集記事」「ブライアンジョーンズ回想記事(第6巻050)」もあわせてレビューしてみて下さい。ローリングストーンズ(1962結成)は60年代末から70年代にかけてブラック&ブルースロックに傾倒し数々の名盤を送り出し黄金期を築きましたが、その後スタジオ録音は80年代が5枚、90年代が2枚と減る傾向に・・。しかし21世紀にリリースされた「ビガーバン」はまさに「70年代のアルバムに並ぶ傑作」と評されています。名盤の冒頭は「ラフ・ジャスティス」(掲載曲)、実にノリがいいギター中心のシンプルな旋律がカッコいい!「デンジャラス・ビューティー」は悠然ゆったりと歌う迫力の貫録曲。そして彼らのお得意のスローバラードは「ビゲスト・ミステイク」(本作の最大名曲とも評される)で披露してくれています。ミックとキースの関係が過去20数年で最も良好な中で制作されたと言われる名盤には「彼女の視線」というミックとキースが2人でサビを歌っている曲もあります。全くヒネリもない単純リフの繰り返し(ビートルズ曲では殆どありえない)なのに、これぞストーンズの真骨頂と称賛されるのですからやはり大したもんです。(笑) アルバム発売の翌年(2006)からは「ビガーバンツアー」(前回の来日も含む)で世界を廻り、その映像は2008年に封切りされた映画「シャイン・ア・ライト」で再現され我々を大いに魅了してくれました。当時古稀も近いミックが鍛えた体で腰をフリフリさせながら飛んだり跳ねたり走り回ったり・・、この映画を観て「何じゃ、コリャ~!」と本当に驚いたものだ・・・。「ビガーバン」は数々の完成度高い曲で構成されており内容充実の名盤だなぁと思います。、軽快なリズムで演奏する「ドライヴィング・トゥー・ファスト」は何となく「ブラウンシュガー」に似ている!スローな語りかけるように始まりゆっくり展開される渋いバラード「ストリーツ・オブ・ラヴ」、そしてハモニカの唸りが渋い濃厚なブルース「バック・オブ・マイ・ハンド」(このスライドギターは何とミックが弾いているそうな・・)、数十年間磨き抜いてきたストーンズサウンドのエッセンスがピカピカと輝いており本アルバムはまさに宝石箱の如し!小遣い制のRWにとっては、超高額なストーンズのLIVEチケットなどはとても手が出ませんが、「ビガーバン」を聴きながら次はどんな名盤を披露してくれるのだろうと心待ちにしております。最後は、キースとミックの才能が交配した名曲「スローで行こう !」で今年最初の洋楽記事を締めくくりたいと思います。「ローリングトーンズの皆様方、これからも喜寿・傘寿になるまで皆元気で思いっ切り転がり続けておくれやす!」(ローリングウエストからの勝手な年初祈願)




★(082):ベンフォールズ 「アニー・ウエイツ」 (2001年)  (20013.12.27公開)



c0119160_2020040.jpgピアニストロックアーティストについては以前も語りましたが、思い浮かぶビッグネームといえばエルトンジョン、ビリージョエル、レオンラッセル、ギルバートオサリバンなど片手で数えられるくらいしかない・・、60年近いロック史の中で数多のアーティスト達が輩出しているのに、ピアノマンって商業的な成功には難しい何かが(大きな壁のようなもの)があるのかな・・?と、つい思ってしまいます。2013年末の最後を締めくくるアーティストとして紹介する「ベンフォールズ」という非凡なピアノマンも日本では殆どマイナーな存在(彼のCDは中古市場で非常に安く叩き売られている情けなさ)ですが、彼のソロとしてのデビュー盤「ロッキン・ザ・サバーブス」(2001年)は小生が最も愛するお宝物の推奨盤。RW推奨の鳥肌モンの名盤の冒頭を飾る「アニー・ウエイツ」(上記掲載)は当時J-WAVEで頻繁に流れていた佳曲・・、POPで小気味いい鍵盤メロディのオープニングを初めて聴いた時に小生は彼に一挙魅了されてしまいました。このアルバムからの商業的なヒットナンバーは殆どありませんが、最初から最後までRWのPOPツボを突きまくる幅広い音楽性に彩られる名曲が数多く収録されている完成度の高さだなあといつも感銘してしまいます。10年以上経過した今でも愛聴しており、皆様も是非一度は聴いてみて下さいませ!アルバムの全体的な印象は、「The Ascent Of Stan」「Still Fighting It」などのストリングスとピアノによる味わい深いバラードや素晴らしいメロディー曲に多く彩られているものが大半ですが、「ザック&サラ」は迫力あるノリのいいパワーPOP曲、アルバム表題曲「ロッキン・ザ・サバーブス」はお茶目なヒネリも入れたリズムと激しいサウンドで圧倒する展開を交互に見せる曲、随所にエルトンジョンやビリージョエルを超えるような激しさと・熱さのようなものも垣間見えます。ベンフォールズ(1966年生まれ)は米国出身のマルチな才能を発揮するピアノマン、1994年に「ベンフォールズ・ファイヴ」という異色の3人編成バンド(ピアノ・ベース・ドラムのみでギターなし)を結成して音楽界にデビュー(20世紀末に3枚のアルバムを発表)、独特なサウンドで人気を博して一定の地位を築きあげました。彼のピアノのテクニックは非常に卓越しており、繊細なタッチ演奏から鍵盤を叩き付ける荒々しいプレイまで実に幅広くこなし、ライヴではピアノの弦を直接弾いたりピアノに椅子を投げつけたりといった過激なパフォーマンスも見せています。目指すキーボードプレイヤーとしてはキースエマーソン(EL&Pの構成もギタリスト不在)を意識していたのかなあ・・。しかしそのマルチな才能ぶりはトッドラングレンにも通じるようだし、ポール・マッカートニーやクリスト・ファークロス的な雰囲気も感じます。この2001年のソロアルバムは「ベンフォールズ・ファイヴ」解散直後にリリースされましたが、完成度が高い曲はまだまだ散りばめられており、「Losing Lisa」「Not The Same」なども明るく秀逸なPOP曲!聴き込み甲斐のあるアルバム各曲の殆どの楽器を彼自身が一人で演奏しているのだからまさに驚きですね~!その後、彼はベンフォールズファイブを 2012年に再結成し4枚目のアルバムを発表して今年2月には来日、打楽器の如くピアノを弾くベンのスタイルも健在で活きのいいサウンドを披露してくれたそうです。センスに溢れた非凡なピアニストロックアーティスト「ベンフォールズ」はもっともっと日本でも評価されるべきと思います。(PS):さてさて・・、2013年もあと残りわずかとなりました。RWの洋楽コーナーをご愛顧して頂いた皆様には深く感謝申し上げ、来年はさらなる幸運が訪れることを祈念して、「The Luckiest」(→幸運の人)をお送りして新しい年を迎えたいと思います。2014年は節目の100曲目を迎えますが、引き続き「My Favorite Songs」を引き続きご愛顧の程よろしくお願いいたします。




★(081):ブライアンアダムス「ヘブン」 (1984年) (2013.12.16公開)



c0119160_218275.jpg久々に80年代アーティスト(本コーナーでは殆ど取り上げておらず申し訳なし)を掲載したいと思います。80年代ロックは当時MTV媒体でよく聴いたものですが、70年代以前ロックと比べると洗練され過ぎ感(軟派基調?)が強く、皆同じような音に聞こえてしまうことから(AOR・フュージョン・プログレハード等、各ジャンル別の違いこそあれ・・)小生の心にはあまり深く残っていないのが実感です。まあ、この時期は社会人デビューした頃なので、10代の青春時代に夢中で聴いた音楽とは受け止め方や影響度合が相当違うことも大きな理由なのかもしれません。そんな印象を持つ80年代ロックの中でも「ブライアンアダムス」は小生のお気に入りアーティストでした。洗練さの中にも多少荒削り感があり正統派ロックを堂々と歌い上げている姿(ハスキーな声で硬派感あり)が実にカッコよかったですネ~!冒頭の「ヘブン」(1984)は彼自身の・・いや80年代ロックを代表する名曲であり、わが弟と従弟が各自結婚式(2人とも80年代洋楽好き)でラストフィナーレ曲に選定していたことが可笑しかった。(当時のブライダル定番曲だったのかも・・) ブライアンアダムス(1959年生まれ)はカナダのロックアーティスト、20歳でデビューし活きの良いロックン・ロールや端正なルックスで注目を集め始め、3作目「フロム・ザ・ハート」(1983)あたりから米国でも人気に火が点き始めました。さらに翌年の4thアルバム「レックレス」をリリースすると驚異的なメガセールス(全世界で1千万枚超)を一挙に記録、「ラントゥユー」(1984)、「サムバディ」(1984)などが大ヒット、伝説的な「ライブエイド」(We are the World)にも参加するなど一挙にビッグアーティストの仲間入りを果たしました。留まる事を知らない勢いはさらに加速し、当アルバムからは「想い出のサマー」(Summer of 69)(1984)、「ナイトラブアフェアー」など連続6曲をマシンガンの如くTOP20ヒットチャートへ立て続けに送り込んだのです。この大快挙はマイケルジャクソン「スリラー」、ブルーススプリングスティーン「ボーン・インザUSA 」、デフレパードの「ヒステリア」と並ぶ歴代最多記録となっています。その中にはティナターナーとのデュエット「イッツオンリーラブ」(1984)も・・、当時25歳のイケメンボーイがセクシーな大物おば様に強引に誘惑されるような勢いで迫られてタジタジと感じになっている姿が何となく微笑ましい・・(笑) 1991年には映画「ロビンフッド」(ケビンコスナー主演)の主題歌「(Everything I Do)I Do It For You」(1991)を提供するなどの活躍が続きましたが、サントラや映画主題歌製作が増えてやがて良識派ロックファンから「サントラ職人」と陰口を叩かれるようになっていきました。米国のファンからは飽きられる傾向となり、その後の活躍はパッとしない感じですが、もう50台半ばを迎えるのですねエ・・。小生のイメージにおいても、彼は20代半ばで出来すぎたサクセスストーリーを一挙に達成した「バラード主体のロック青春野郎」ですが、今の若者にとっては下に掲載したクリスマスソング↓「Christmas Time」で有名なブライアンアダムスなのかもしれません。クリスマスソングでヒットを飛ばしたアーティストって、ある意味得してるというかうまく成功を収めた存在ですよね・・。何せ、世代を超えて聴き継がれる名曲として毎年心ウキウキする季節に思い出してもらえるのですからね・・(笑)
                       

  by rollingwest | 2001-12-01 00:00 | 洋楽(ロック・POPS) | Comments(78)

RW/洋楽コーナー:「My Favorite Songs」 (第11巻)

【My Favorite Songs】の過去紹介した記事一覧(INDEX)はコチラから
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★(080):ミッシェルポルナレフ 「シェリーに口づけ」 (1971年) (2013.12.4公開)


c0119160_8101712.jpg小生が洋楽に興味を持ち始めた頃(1970年前後)、日本のヒットチャートを物凄いパワーで賑わせていたのは、フランス勢(シルヴィーバルタンやダニエルビダル)とオランダ勢(ショッキングブルー等)でした。1960年代後半、ロックを象徴とする若者文化の激動は世界中に拡がりを見せており、伝統的に頑固なフランス(他国文化の影響を受けない姿勢・矜持が強い)でさえもその潮流に諍えることはできず、旧来のシャンソンとは違う「フレンチPOPS」という新ジャンルが席巻していたのです。その中でも数多くのヒット曲を放っていたスーパースターは「ミッシェルポルナレフ」でした。当時中学2年だった小生は彼の代表曲「シェリーに口づけ」 (本国フランスでは他曲B面扱いで全くヒットせず)を初めて聴いた時、「なんて魅力的な曲だろう~!」と全身がシビれたものだネ~!日本では1971年に大ブレイクし、さらに四半世紀以上の時を経てW杯フランス大会(1998年)に念願初出場した日本代表の非公式応援歌「アレアレ・ジャポン」としても復活し現代の若者の中でも十分浸透している名曲。(同じフレンチPOPS曲ではウォーターボーイズ映画主題歌として若者に再ブレイクしたシルヴィーバルタン「あなたのとりこ」の復活劇と似ているかもしれない・・)。彼のヒット曲はあまりにも沢山あり過ぎて1回では紹介しきれないので前後編(前編はデビュー~1972年頃まで、後編はそれ以降1970年代末まで)に分けて2回掲載したいと思います。彼の数々のヒット曲はやたら「愛」(直江兼続の生まれ変わりかいな?)というキーワードが登場していた記憶があります。「愛のコレクション」(1972)「愛の物語」「愛の休日」「愛の伝説」・・。ミッシェルポルナレフは1944年に音楽家のもとで生まれ(もう古稀を迎える)、5才の頃から天才ピアニストとして才能を発揮していたそうです。しかし青春時代に家出(親に反発)、転職を繰り返していたものの1966年にアマチュアロックのコンテストで優勝、その年に「ノンノン人形」という曲でデビューしています。彼のイメージは、やはりあの独特のトンボの様な宇宙人の様なミラー・サングラス!実は目の障害が原因で色の濃い眼鏡をかけているようですが、小生にとって1970年代初頭のPOPS「3大サングラス男」と言えばエルトンジョン、井上陽水&ポルナレフだったかも・・(笑) 初期時代のユーチューブを見ると「悲しみの舞踏会」(1969)も含めて、素顔のままで歌う彼の姿が公開されていました。ヒャ~初めてお目にかかった!彼は当時ゲイだと言われたらしいですが、お目々が実にパッチリしていますネ~! ファーストアルバム制作ではレッドツェッペリンのジミー・ペイジやジョン・ポール・ジョーンズが参加していたと聞いてビックリ!その後、彼は「愛の願い」(Love me, please love me)(1971)の大ヒットで一躍スターダムに上り詰めました。さらにその勢いは止まることを知らず、立て続けに数々のヒットを放ち1970年代は最高潮(まさに黄金時代)に達した印象があります。彼の曲名は「愛」 ばっかりと思えば悲・哀のパターンも多かった。「哀しみの終わるとき」(1972映画主題歌)、「悲しみのロマンス」「哀しみのエトランゼ」・・、まあ当時の洋楽邦題の付け方って実に安易でこんなもんでしたよね~。前編LASTは彼の代表曲の一つ「愛の休日」(1972)で締めを飾りたいと思います。後編(時期は未定)も「渚の想い出」「忘れじのグローリア」「愛の伝説」「愛のシンフォニー」など、数々の名曲が登場いたしますのでお楽しみに~!



⇒次回は、カナダが生んだ1980年代の象徴的なロック・スター「ブライアンアダムス」の名曲「ヘブン」 (1985)をお送りします。♪\(^◇^)/♪




★(079):ボブ・ディラン 「ライク・ア・ローリングストーン」 (1965年) (2013.11.22公開)


c0119160_21272292.jpgビートルズ、ローリングストーンズと同じ1962年にデビューし50年以上経過した今でもなお、ポピュラー音楽や大衆文化の世界で大きな影響力を持ち続けている伝説ミュージシャン「ボブ・ディラン」の代表曲「ライク・ア・ローリングストーン」を紹介したいと思います。小生はボブ・ディランを殆ど聴いていなかったのでエラソーに語れる資格は全くありませんが、この曲は「ローリング・ストーン誌」(世界的な米国POPカルチャー雑誌)が選んだグレイテストソング500曲(2004年)の中で、ジョン・レノン「イマジン」等を抑えて堂々1位となった名曲なのです。20世紀を代表する天才アーティストとも謂われるボブ・ディラン(1941年米国ミネソタ生まれ72歳)は1962年にフォーク歌手としてデビュー。ウディー・ガスリー(伝説的なカントリーフォークの英雄、放浪の吟遊詩人)の継承者として人気を博し、「風に吹かれて」(1963)や「激しい雨が降る」等のプロテストソングを歌って60年代前半は公民権運動の高まりとともに「フォークの神様」と呼ばれる地位を確立しました。しかし彼は1965年に突然音楽スタイルを変化させてエレキギターを持ってブルースロックのミュージシャンへと変身したのです。コンサート観客(往年のファン)からは大ブーイングの嵐を浴びましたが、しかし当年にリリースされた6作目の「追憶のハイウェイ61」はビルボードチャート3位を記録しロック史に残る名盤(ローリングストーン誌の2003年選出「過去ベストアルバム500盤」の4位に輝く)として21世紀になって高い評価を得たのです。掲載した「ライク・ア・ローリングストーン」(上記名盤からのシングルカット、当時では異例の6分超の演奏曲)はキャッシュボックスでNo.1チャート(彼にとって唯一の大ヒット)にも輝いたのです。言葉でメッセージを伝えることに拘り続ける「フォークソング」というスタイルにディランは音楽性の限界を感じ、サウンドそのものが自由である「ロック」という新しいスタイルの魅力にいち早く気がついていたと云われます。怒れる若者の心の表現をロックという新しいサウンドでボブ・ディランの「言葉=メッセージ」を得ることにより、さらなる進化の段階へと進んでいった姿も うねる時代の流れが彼に対して変化を求めていたからではないでしょうか。その後もザ・バーズの代表曲となった「ミスタータンブリンマン」(1965)を作曲提供したり、「見張塔からずっと」(1967)などの名曲を生み出し、着実にロックPOPS界の大物への地位を固めて行きました。ザ・バーズの「ミスタータンブリンマン」(ボブディラン作曲)のユーチューブを検索していたら、スペシャルゲストに招かれたボブディランがバンドリーダーのデビッドクロスビー(CSN&Yにも在籍)と共演するレアなるお宝映像を見つけて大変喜んでおります!また70年代に世界的なバンドに成長した「ザ・バンド」(第4巻NO33)は元々はボブディランのバックバンドでした。ザ・バンドの映画「ラストワルツ」(1978)で歌い上げている「フォーエヴァーヤング」も掲載しておきましょう。 80年代中盤以降になるとディランは頻繁に来日し、身軽な旅芸人風情の小規模なツアーを企画しており、秋田や倉敷など地方都市も含めて精力的に日本全国を行脚公演していました。先日ディランのユーチューブをチェックしていたら「タイトコネクション」(1985)という曲(ディラン流つぶやきソウル・ゴスペル風なゴキゲンサウンド)のPVに柏崎高校の同級生「H井真悟」(わがブログにも「楽SHINGO」の名前で登場してくれている声優)が出演しているのを発見して本当にビックリしました。準主役級の角刈りヤクザ役(一番最後にもナイフで刺されている奴)で倍賞美津子と共演しています。まだ日本がバブルに向かって走っていたよき時代の東京(赤坂、六本木、新宿)の繁華街の様子が伺える内容になっており、80年代のヘアスタイルや街の明るい雰囲気が実に懐かしい!(もう30年近くも経ってしまったんだなあ・・) 90年代以降もセールスも評価も非常に高い作品を連発し数度目の黄金期を迎え、変身と前進を繰り返しながら、20世紀を代表するアーティストとしての活躍を繰り広げてゆくことになります。まさに「ライク・ア・ローリングストーン」(転がる石)のような音楽人生ではありませんか。さらに驚いたことは、彼が詩人としてもノーベル文学賞にノミネートされているという事実を知ったことです。「卓越した詩の力による作詞がポピュラー・ミュージックとアメリカ文化に大きな影響与えた・・」という評価をされており、既に「ピューリッツァー特別賞」「フランス芸術文化勲章」「アメリカ国民芸術文化勲章」などの多数の栄誉受賞しており、常にノーベル文学賞の上位候補(毎回本命に挙げられる村上春樹に続く位置らしい)になっているとは知らなかった・・!もしもロックミュージシャンがノーベル賞を受賞したらまさに驚き桃の木・山椒の木ですね~!LASTは彼の70年代の代表曲「天国の扉」(1973)で締めたいと思います。





★(078):ポールマッカートニー&ウイングス 「ジュニアズファーム」 (1974年) (2013.11.10公開)


c0119160_22362616.jpgビートルズ結成から半世紀が経過し、今なお世界のスーパースターとして元気に活動を続けているポールマッカートニーが11月に4度目の来日(11年ぶり、ビートルズ時代を含めると5度目)をしました。古希も過ぎているのでもしかしたら最後の来日になるかもしれませんが、老いてますます盛ん!私生活では3回の結婚(2人目の妻には離婚訴訟では47億円支払)、昨年のロンドンオリンピックでは開会式で元気な姿で登場、そして今回の世界ツアー巡行・・と大したものですナ~。ジョンとジョージのソロ時代名曲はすでに紹介済みですが、大御所のポールはまだ未掲載でしたので、前・後編2回に分けて公開(前編はビートルズ解散後から1970年代中盤のウイングス時代)したいと思います。1968年頃から崩壊寸前状態にあったビートルズ・・、ポールは原点回帰(ゲットバック提唱)でメンバーをリードしてライヴ活動を再開しようと努力を重ねましたが皆の心が再び一つになることはありませんでした。1969年「アビー・ロード」の収録を最後にグループの活動は事実上停止、ジョンとヨーコとの結婚(1969年)を契機にポールは、脱退宣言(1970年4月)とともに解散を求める訴訟を起こしビートルズの栄光の歴史はついに閉じられてしまいました。ポールは1969年に写真家リンダ・イーストマンと結婚し、農場に引きこもって初のソロアルバム「マッカートニー」を仕上げますが、発売直前の脱退宣言公表によってポールは「ビートルズを解散させた男」という悪名高いレッテルを貼られることに・・。その後もジョンやジョージとは険悪な関係が続き、2作目の「ラム」(1971年)も評論家から不当な非難を浴びせられていました。小生がちょうど洋楽を聴き始めた頃の思い出深い名曲「アナザーデイ」(ポールの初のソロヒット)は、ポールの人生で孤独感・脱力感に苛まされていた心境が綴られていたのかもしれません。しかしポールはくじけず、愛妻リンダや子供たちに支えられ1971年にウイングスを結成します。翌年リリースしたシングル「ハイハイハイ」(1972)が卑猥な歌詞が原因で放送禁止になったことはビックリしたもんだネ~! ポールがリンダにキーボードを教えて夫婦共にステージに立つことに素人起用だと最初非難を浴びせていた評論家達もだんだん正当な評価を下すようになり、名バラード「マイラブ」が初のNo.1ヒットに輝き、さらに1973年発表の第5作「バンド・オン・ザ・ラン」の時代になると人気・実力は揺るぎないものになっていきました。この年は映画「007死ぬのは奴らだ」の主題歌も大いにはやっていましたネ~。今回の冒頭曲「ジュニアズファーム」(1974)や彼らの代表曲「ジェット」(1974)はテンポに溢れ、まさに油が乗り切った時代の最高に格好いいナンバーです。 ウイングスはメンバーチェンジが激しかったものの名曲・名盤を次々に世に送り出し、世界的なバンドへと成長していきました。1976年「幸せのノック」 がヒットしていた頃は全米ツアーも大好評を博し、ポールがビートルズ・ゲットバック運動で叶えられなかったライヴ活動で世界制覇する夢がついに実現したといえましょう!しかしその後幸せも長く続かず、「しあわせの予感」(With A Little Luck)」(1978)の頃は、メンバーの脱退で3人編成となり、結束力にやや翳りが出てきていた時代だったかも・・。そして愛妻リンダは乳癌に冒され1998年に亡くなってしまい、ポールの最も充実していたソロ時代の中で最も悲しい節目を迎えてしまいました。でも「しあわせの予感」は小生が個人的に一番好きなマッカートニー・ナンバーであり、これからもしあわせに長生きをしてほいしいものです。
*後編(公開時未定)はウイングス全盛期から解散まで、そして1980年代(スーパースター達との競演も含む)の名曲をチョイスします。 「ビートルズ時代の名盤記事」はコチラから






★(077):トッドラングレン 「ハローイッツミー 」   (1972年) (2013.10.29公開)


c0119160_20455284.jpg1970年代前半に美しく切ないメロディメーカーとして静かに(表面的には)ヒットを放ち続けていた「トッドラングレン」(今年8月来日)の数々の名曲を紹介したいと思います。凄い大ヒットを放ったアーティストではないのにも関わらずマニアファンからは絶大なる支持を得ている印象があり、マルチな才能で活躍していた天才アーティストと云われています。世界的な人気と実力を備えながらも日本では今一つ盛り上がらないアーティストの筆頭かもしれませんが、実は彼はGFR,バッドフィンガー,ザ・バンド,ホール&オーツなど数々の有名バンド・アーティストのプロデュースを行い、自身でもジャンルに捉われない幅広い音楽活動を行い多くの作品を発表してきた方なのです。日本で人気ある代表曲は上記掲載の「ハローイッツミー (Hello It's Me) 」(1972)や2枚組大作(3作目)「サムシング/エニシング?」からのシングル「瞳の中の愛(I Saw The Light)」(1972) が最も有名かな・・。全ての楽器(ギター,ベース,キーボード,ドラムス,)を自分で演奏しヴォーカルも様々な声を使い分ける何でもやれてしまう天才マルチプレイヤー「トッド・ラングレン」は1948年米国生まれのミュジージシャン。1967年にナッズというバンドを率いて注目を集め、1970年にソロデビューし「We Got To Get You A Woman」(1970) のヒットを放ち、その後も上記2曲のヒットで全米にその名を轟かせるようになりました。さらに1973年には「GFR」(大音量ハードロックの米国バンド)の名盤「アメリカン・バンド」をプロデュースし爆発的なセールスを打ち立てるなどの業績で彼の名声は1970年代前半で揺るぎないものとなったのです。ヴォーカルはカメレオンの如く変幻自在、アップテンポなロック曲では迫力の声、おふざけ曲ではヨレヨレ爺さんみたいなヘンテコ声、バラードを歌う時は伸びのある透き通った声・・と、何とも器用な方ですね~。美メロ職人としての才能が遺憾なく発揮されている「be nice to me」(1971)や、ロマンスと衝動感のバランスが絶妙に表現された「Couldn't I Just Tell You」(1972)も完成度の高いポップ錬金術師としての片鱗をソロデビュー直後から見せているお気に入り曲。彼の長い音楽キャリアに比例して顔もびっくりするほど長い・・(あっ関係ネーカ)。写真を間違って縦方向に引き伸ばしたのではないかと誤解する程の馬面(ピンクフロイドのロジャーウォーターズも真っ青!)ですが、顔が長いだけでなく音楽的な懐も広く才能の豊かさが並でないことは確かです。切々と歌い上げる「A Dream Goes On Forever」(1974)やダリルホールと共演した「Can We Still Be Friends」(1978:ロバートパーマーとロッドスチュワートのカバーバージョンが最も有名)も必聴ですね。小生の好みで今回は美曲ばかりを集めてしまいましたが、トッドラングレンの作品は、予測不可能な程は曲調の違う曲が同居しその脈絡のなさは相当に「ひねくれ者っぽい一面」を持ち合わせていることが、マニアックなファンにとっては大きな魅力のようです。「普通ではなく何か面白い事をやってくれるという期待感」「確実に楽しませてもらえる安心感」は、彼の溢れる才能や自信から来る職人技の余裕なのでしょう。最後は、 ピアノベースのシンプル曲を重厚感あるバラードで歌い上げた「Wailing Wall」(1971)で締めたいと思います。

  by rollingwest | 2001-11-01 00:00 | 洋楽(ロック・POPS) | Comments(75)