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<2011年8月2日>謙信・信玄ゆかりの地を行く(その3)&甲斐の国探訪(その3)



★甲斐の国探訪といえば・・、やはり「武田信玄」


3年前、仕事の関係で甲斐の国を多く訪ねる機会に恵まれました。山梨県は面積4465㎡(全国32位)、山に囲まれる狭い甲府盆地を中心に13市が押しクラ饅頭のように犇めいています。新たな市名が多く甲府や韮崎は別にして馴染みのない名前ばかり・・。平成市町村合併の弊害ですかネ~。ようワカラン・・


  .....(左)平成大合併山梨県には馴染みない新設市が乱立 (右)甲府周辺の見所spot.....
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                                      甲斐の国探訪シリーズはコチラから


甲斐の国といえばやはり「武田信玄」を抜きに語ることはできません。「人は城、人は石垣、人は堀、情は味方、仇は敵なり」・・、地元領民を守ることを優先とし治水事業・新田開発に力を尽くし、金山採掘での莫大な資金獲得、士気高い軍事力の増強。正に名経営者の鏡、山梨県民が崇敬する伝説の武将!

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甲府駅を降りると駅脇に堂々たる「信玄公」が鎮座し睨みを利かせています。「甲斐の国をいつまでも見守り続けるぞ・・」と迫力ある姿は頼もしい。4月には「信玄公祭り」が行われ「風林火山」の幟をたなびかせた武者行列絵巻が繰り広げられます。山梨の人達は「信玄公」を深く尊敬している気がする。


     ....(左)甲府駅前に鎮座する「信玄公の銅像」(右)信玄が旗に掲げた「風林火山」.....
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     ........4月上旬に行われる「信玄公祭り」、騎馬の武者行列が甲府市内を進んでいく。.....
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小生は越後出身なので当然「上杉謙信」ファンですが、09年末の帰省時に信州「川中島の合戦地」と越後の「春日山城」を訪ねました。両雄に所縁ある地は、数年前から意識して訪れるようにしています。


                            「謙信・信玄ゆかりの地を訪ねて」のシリーズはコチラから





★「武田神社」:信玄が拠点を構えた「躑躅ケ崎」居館跡


甲府駅から北に裾野坂を上がっていくと、高台から市内を見守るように信玄公を祀った「武田神社」が鎮座しています。大正8年、大正天皇の即位を契機に創建されました。この地は武田氏三代が63年間に渡って国政を執った「躑躅ヶ崎」(tsutsujigasaki)の居館跡であり国の重要史跡に指定されています。


            .......「武田神社」の本殿、入口には「風林火山」の幟がはためく.....
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「躑躅ヶ崎」の居館は戦国大名の中でも全国最大級の規模を誇るとのこと。この館には信虎・信玄・勝頼の三代が居住しましたが、この親子の間にもいろいろ相克のドラマがありましたネエ・・。息子の信玄から故郷を追われた父・信虎が哀れに思われますが、親に対する非情も信玄の活力となったのかも・・


       ........武田神社の「石灯籠の道」は見事!「躑躅ケ崎」は(武田氏三代の居館跡).....
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館跡には堀・石垣・古井戸が残り、石灯籠の連なる道、数百種の樹木が四季折々の風景を見せます。庫裡玄関には立派な「風林火山」の屏風があり、お堀には水鳥が優雅に泳いでいました。honobono・・


       ........(左)信玄の入道姿  (右)「躑躅ケ崎館」のには「風林火山」の屏風が・・.....
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神社を出ると高台からは甲府の街が見渡せます。躑躅ヶ崎館には、戦国大名の城のような立派な石垣はありません。まさに「人は石垣」、強固な家臣団の忠誠心が名武将を支え守ってくれたのでしょう。


     .......(左)お堀を優雅に泳ぐ水鳥 (右)高台の武田神社からは甲府市内が見下ろせる。.....
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★信玄の菩提寺「恵林寺」(erinji)


信玄の菩提寺として有名な「恵林寺」は、「夢想国師」(鎌倉末~室町初期の臨済宗の高僧)によって開山されました。簡素で美しい外観を誇り、参道の赤門は重要文化財に指定されていまする。境内の広さは何と3万㎡!信玄公の墓所には戦国時代ファン(最近は歴女?)が多く訪れるとのことです。

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     .......信玄の菩提寺「恵林寺」は快川和尚「心頭滅却すれば火もまた涼し」と唱えた寺.....
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戦国時代、信玄から寺領を寄進され寺勢が高まりましたが、武田氏滅亡後は、織田軍の焼討ちに遭いました。その後、徳川家康により再興され今に至ります。寺ん勢、常に塞翁が馬・・?(oyaji gayag・・寒)


        ........(左) 恵林寺のお堂と三重の塔  (右)立派な庫裡(kuri)をもつ寺務所.....
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恵林寺の社務所は立派な庫裡建築を誇っています。京都では大規模のものは有名な寺で幾つか見ることができますが、山梨県の寺ではこれほどの大きな庫裡を見ることはなかなかありません。


    ....... 庫裡の庭には「平等性智の前庭」。鬼瓦が鎮座し、鶏が放し飼いにされていた。.....
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恵林寺を訪ねるにはJR塩山駅が最寄りの駅ですが、駅前にも見所がありますのでもう一つご紹介。
「甘草屋敷」と呼ばれる広い庭を持つ旧高野家住宅があります。ここは豪農の邸宅だったのでしょう。
調べてみると高野家は、江戸時代に薬用植物である甘草の栽培をして幕府に納めていた家とのこと


         ........ 重要文化財旧高野家住宅「甘草屋敷」の立派な外観と大広間.....
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       .......JR塩山駅前には立派な名家の屋敷、ここにも「信玄像」が鎮座していた。.....
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帰りはJR塩山駅から乗車し東京へと戻ります。おっ、ここにも信玄像が座して睨みを利かしている!
ところで塩山は合併で何市になったんだっけ?「甲州市」・・。冒頭にも嘆きましたが、山梨市・甲斐市・中央市・笛吹市、ア~モ~、さっぱりわからん!昔の地名(塩山・勝沼・石和)の方が余程イメージが湧く。





★甲府市内の歴史深い古刹

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甲府市内にも歴史ある素晴らしいお寺が沢山ありますが、甲府市内にも何と善光寺があるのです。長野善光寺と形はソックリだが、でも色はオレンジに彩られて全く違う!ここに鎮座した由来は、信玄が「川中島合戦」の際、善光寺の焼失を恐れ本尊如来や諸仏宝類を甲府に移し奉遷したことに始まります。

                          
  ......「甲斐善光寺」はオレンジ色が特徴的!川中島合戦前に長野「善光寺」から宝物が移された。.....
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確かに川中島合戦時の戦陣配置を確認すると、信玄は海津城に陣を張っており、信濃善光寺は上杉謙信側の拠点となっている。合戦開始前に多くの宝物を甲斐に持ち出したとは・・、何としたたかだネ~


   ......(左).本家・長野「善光寺」は渋いこげ茶色 (右)川中島合戦の善光寺の位置地図.....
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金堂中陣天井(吊り天井)には、巨大な「鳴き龍」が二匹描かれています。その下に立ってパン!と手を叩くと不思議なビィーンという反響音を聴くことができます。これぞ「鳴き龍」の名の所以なのであります。


       ......甲斐善光寺の本堂には、吊天井の「鳴き龍」。多重反響現象による共鳴音.....
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甲府市内にある「酒折の宮」の歴史由来は相当古い!日本武尊が東夷平定の帰りに「酒折の宮」にて慰労宴を行い、武者達に連歌問答した言い伝えから「連歌発祥の地」と云われ、石碑も残っています。


       .......(左) 日本書紀に記載される「酒折の宮」 (右)「連歌発祥の地」の石碑.....
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甲府駅の北口近くに「五重の塔」があるのを御存知ですか?注意していないと気づきませんが、電車の窓から見ることができます。信玄が追放した父・信虎の妻の菩提寺「長禅寺」境内に聳えています。自分の夫が、息子と憎しみ合い故郷を追われた悲劇を見て「大井夫人」は相当涙を流したことでしょう。
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     ........(左) 「長禅寺」正門 (右)甲府駅前近くに立つ五重の塔(中央線車窓から見える).....
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★その他、信玄に所縁深い寺社・史蹟


最後に甲府を離れたエリアの信玄に所縁深い寺社史跡を追記します。まずは「甲斐・浅間神社」、「せんげん」様は富士山を崇敬する神社ですが、笛吹市(甲府市の東)にあるこの神社は「あさま」と読むようです。甲斐の国を治める者にとって富士は正に守り神・・!本殿には雄々しい富士の雄姿の額縁が・・


       .......信玄が崇敬した「甲斐・浅間神社」には、富士山の額縁が飾られている。.....
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信玄の軍師はご存知「山本勘助」。彼の生涯は謎に包まれますが北杜市山本家に「勘助の墓」がありました。信玄と側室「湖衣姫」との間に入り、主君に忠誠を尽くしながら姫を恋い慕う勘助がいじらしい。


    ...... 「山本家」(北杜市高根)の庭に眠る「山本勘助」の墓(一般公開されていなかった).....
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そして故郷・諏訪の地を攻められ、信玄の側室にされてしまった「湖衣姫」(諏訪御料人)、信玄を憎み続けながらも信玄の後継者・勝頼を生んだ悲劇の姫。その墓は当然、諏訪湖近くで祀られていました。
この訪問記事は諏訪シリーズで紹介したいと思います。いつになるかわかりませんが・・、多分来年以降


    ......信玄の最愛の側室「由布姫」に所縁が深い「小坂観音」(諏訪市)の神社本殿.....
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        .......「諏訪御料人」(由布姫、湖衣姫)は静かな諏訪の杜の中で眠っていた。.....
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戦国時代のTVや映画では無敵の「武田騎馬軍団」が有名ですが、実際には存在しなかったという説が有力。ポニーの如く脚の短い甲斐駒に跨った騎馬武者一人に対し、数人の農民が周りを固めた歩兵単位で行動していたらしい。ドラマではそんな姿じゃ絵にならんので脚色されているのかもネ・・(苦笑)


        .......(左)「武田二十四将」と騎馬軍団 (右下)甲府駅前の「ライトアップ信玄」.....
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でも忠誠心の篤い「武田二十四将」のもとで農民を組織的に駆使したことは事実。やはり地元をよく治め、戦に勝てば人民に還元する姿勢がモチベーションUPに繋がって、強力なる軍団が築けたのでしょう。
信玄と謙信、こらからも2大英雄(優れたライバル同士)の史蹟訪問の旅を少しずつ紹介していきますネ。

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                                                          おわり





次回は、岐阜の200名山「大日ケ岳」&「郡上八幡」の記事を紹介いたします。
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  by rollingwest | 2011-08-03 00:00 | 上杉・武田の史蹟めぐり | Comments(46)

Commented by 小石 at 2011-08-03 14:50 x
「忠誠心」・・・いい言葉ですね。
「萬古清風」を感じられるものに、忠誠をささげたいものですね。

 ケン様の件、本当に有難う。RWさんの優しさに、二人深く感謝しています。
Commented by biwakokayo4 at 2011-08-03 21:07
甲斐善光寺と長野善光寺を比べたら
長野善光寺の方が落ち着きますね。
何度か行きましたがお寺には上がっていません。

市町村合併で私も地理感が薄れて困ります。
Commented by yodogawasyuhen at 2011-08-03 21:42 x
こんばんは
武田信玄ゆかりの地ですか。
勉強になりました。

私は、甲府には縁がなかったです。
通過ばかりでした。
長野・松本が多かったです。
機会見て歩きたいです。
Commented by rollingwest at 2011-08-04 06:21
小石様、忠誠心なる言葉も今の日本ではだんだん使われない言葉になってきたかもしれません。国にも会社にも忠誠を誓って邁進していた時代は純粋なる帰属意識(仲間との連帯)と未来への期待が一つの支えとなっていたような気がします。そういう時代も戻ってこないのかもしれません。

PS:ところで小生のお気に入りのデザートヨーグルト(アロエ&ナテデココ)、よく見たらBB社製品ではないですか!おいしいものを提供していただき、こちらも感謝です。
Commented by rollingwest at 2011-08-04 06:27
biwakokayo様も両方の善光寺に行かれましたか!?確かに長野の善光寺の方が重厚感もあり落ち着きます。参拝者の数も圧倒的に長野の方が多いですね。甲府市内にも同じ形をした名刹があったんだと発見したのはまさに最近のことで、川中島合戦に由来があったことを知り、目からウロコでした。
Commented by rollingwest at 2011-08-04 06:31
yodogawasyuhen様、甲斐の国は面積が比較的的小さく、見所は甲府エリアを中心に凝縮した配置になっていますので、3回ほどに分けて訪問すれば結構多く満喫することができます。次回は甲府周辺の見所や食い処を紹介いたしますので是非とも参考にされてください。
Commented by shingo at 2011-08-04 13:44 x
信玄と謙信、二人はは名前も似ていれば、信の一字も同じでござる。お互いに似たものを感じながら戦っていたのかもしれんな~。
後世だいぶ脚色されているとは言え、両雄の魂魄は今の時代にも輝き続けているわけだすな。
三国志の劉備玄徳と呉の孫権を彷彿させるなりよ。
皆が大好きな信玄と謙信は永遠なり。
北海道のヒグマに襲われずに帰ってきたら、このコメント読めるなりよ。蛸はヒグマの好物だすけの~・・・。
ご用心、ご用心。
Commented by ryo_1989 at 2011-08-04 14:18
お寺巡り、粋ですね♪
俺も金貯めて、小旅行しようかな。
やはり素晴らしいお寺は、音楽で言う「グルーヴ」的な、独特な魅力がありますね。
う~ん・・・趣がある・・・
Commented by matsu at 2011-08-04 18:45 x
カムエク山行の前に、信玄特集とは嬉しい限りです。これから信玄、謙信両雄ゆかりの史跡が続々出てくるのは大変楽しみなのですが、勝手なお願いを一つ。番外編として、後北条氏関連の史跡(小田原城、八王子城、滝山城、武蔵松山城、鉢形城、川越・東明寺等)も取り上げてもらえたらと思っています。後北条氏では、一般的には始祖早雲が有名ですが、第三代当主氏康は、戦国時代屈指の民政家であり、信玄、謙信とも互角に戦った、東の毛利元就のような希代の名将であったと思います。ただ、生まれた時代が悪かったというか、信長、信玄、謙信等の影に隠れて、地味な役割を担わされてきた不遇な武将とも言えましょう。でも、信玄、謙信に加えて、氏康の存在があったからこそ、戦国時代、関東で三国志のような胸躍る状況が生まれたのだと思います。前述の史跡は、RWさんのお家からも比較的近いと思いますので、暇のある時でも探訪されて、ブログにアップしてもらえたら嬉しいです。
Commented by m2-home at 2011-08-04 19:46
若き頃、海音寺潮五郎の「天と地と」を読みながら謙信びいきのボクは
「信玄のやつめ~」と歯ぎしりしてましたよ(^^;)

しかし、今となって思うのですが・・
信玄という良きライバルがいたからこそ、謙信が輝いたのかも知れませんね。

この時期の日高山脈とは、いいですね。
無事の山行を祈ってます。
Commented by rollingwest at 2011-08-04 20:48
楽shing様、ともに越後・甲斐の龍または虎と呼ばれて対決した両雄に関するの史蹟を訪ねるのも楽しいよ。上杉謙信の軍師・宇佐美定満が城を構えた琵琶島は君の出身地でしたな。今度帰省した時に琵琶島城址でも訪ねて見るかなア・・。

北海道は明日早朝5時ころ家を出発し羽田空港から帯広に向かう予定。熊に襲われんよう気イつけて行ってくるよ。
Commented by rollingwest at 2011-08-04 21:01
RYOさん、お寺の魅力を音楽との比較表現はユニークですね。たまには都内歩きを切り替えて寺社巡りに足を延ばしてみるのもいいですよ。
今回の洋楽も1970年代初頭(ムーディブルース)、時代が偏り過ぎていてすみません。(笑)
でもこの曲は小生が一生聴いていたい名盤の最高名曲なんですよネ~!
Commented by rollingwest at 2011-08-04 21:20
マツ殿、やはり武田信玄となれば貴殿の蘊蓄を頂かないわけにはいきません。甲斐にはまだ武田所縁の地(隠し湯や金山など)があると思いますが、まだ見所があれば教えてください。
北条氏康の探訪提案、いいですね。了解いたしました!上杉謙信に対抗すべく、北条・武田・今川が結んだ相模・甲斐・駿河の三国同盟が破綻し、北条が上杉と同盟を結んでいく戦国時代の波乱万丈なる紆余曲折の歴史経緯には以前から興味を持っていました。背中後押しされて、ますます好奇心が湧いてまいりました。でも史蹟を訪ねて、記事公開するのは数年後になるかもしれないので、首を長~くしてお待ちください。
明日からの日高山行よろしくお願いいたします。綿密な計画立案を頂きありがとうございます。天気が何となく不安定な予報ですが、安全第一に行きましょう!
Commented by rollingwest at 2011-08-04 21:29
m2-home bull殿、小生は石坂浩二が謙信を演じていたNHK大河「天と地と」で謙信・信玄を初めて知りました。確かに信玄は悪役的な立場で表現されることが多いかも知れませね。謙信が女性にストイックなにに対して。信玄の方は諏訪を攻め、その城主の姫を妾にしてしまったこともイメージを悪くしているのかもしれません。bull殿も結構、歴史に詳しいのですね。
明日から日高山脈、滅多にいけない秘境の山なので天気に恵まれ事故のないことを祈るばかりです。それでは、また!
Commented by small-talk at 2011-08-04 21:52
甲府は、山に登るものとしてはおなじみの町ですが、観光で市内を歩いたのは2回ぐらいです。
暑いので夏はともかく、秋にでもノンビリ散策してみたいですね。
Commented by 小石 at 2011-08-05 08:43 x
 【純粋なる帰属意識(仲間との連帯)と未来への期待が一つの支え】

  RW様  その通りだと思います。今は世界も日本も皆それを失いかけている。でも、命ある限り、それは個々の命の中に必ず眠っています。それを呼び覚ますのは生命の【危機感】だと思っています。今、日本は【瀕死】の状態です。だからこそ、不死鳥のように蘇るチャンスも持っているのだと信じます。それは、大海に小さな小石を静かに落として穏やかなる美しい波紋がグローバルに広がるように事が進んでいくのだと思っています。
それは、RWさんが言われた【純粋なる帰属意識】つまり人の【深層心理】に染み入る誰もが共感できる【正しい目標設定】という【希望】を言霊に託し、それを行動に移していく事だと思います。それは皆で【塵】を積み重ねるだけの、楽しい作業のはずです。
 【パンドラの箱】の最後に残った【希望】という贈り物を手にする時であると思っています。  
Commented by trial05 at 2011-08-05 23:48
こんばんは~。

あれ、今日北海道へ旅立ってるのですね?!

熊に襲われないように・・・(笑)   お気をつけていってらっしゃ~ぃ!(^^)/
Commented by kwc_photo at 2011-08-06 13:02
山梨は富士山まわりしか行ったことがありませんが、浅間神社(富士吉田)は訪れました。浅間神社ってあちこちにあるのですね~。
浅間山はあさまやま、ですが、せんげん、と読んだり、あさまと読んだり、神社の方は由緒によっていろいろとあるのでしょうね。
武田信玄は今も山梨ではヒーローですね。
躑躅ヶ崎館はやっぱり由緒ある建物ですね~。一度行ってみたいです。
Commented by hoichoi2005 at 2011-08-07 13:38
西やんへ、23日、夜空いていますか。山で言っていたのですが、K泉さんと、ショクサンジンと野毛ナイトを考えたい。ホイは23日横浜泊りです。
Commented by Soul Mate at 2011-08-07 19:15 x
マメにあちこち行って歴史探偵しとるのう。ワシは日本史まるでダメじゃけん勉強になります。おぬしの会社は韓国で大規模な合弁始めるらしいの。日本は電気代も建設費も法人税も高いけんなあ。株価がこれ以上下がるとワシもフィリピンかベトナムあたりに移住することになりそうじゃわ。トホホ。。。
Commented by setuojiji at 2011-08-07 21:21 x
甲斐の国と武田信玄、領民との結びつきの歴史的探訪記事、何時もながら
興味深く見させて頂いています、日高の山、天候も良かったようなので満足な
成果を上げてお帰りになられた事でしょう、ご苦労さまでした。
Commented by akiotakahashi at 2011-08-08 05:07
心頭滅却すれば火もまた涼し・・で焼け死んだ快川和尚の恵林寺ですね。とは言っても暑かったでしょうね。一度行きたいと思っています。山本勘助の墓も残っているとは、初めて知りました。RWさんのお陰で、甲府にも行った気になれました。お勧めだった甲府のホルモンは、残念ながら、未だ食していません。
Commented by 由布姫 at 2011-08-08 19:53 x
先週末、S&M社がRWの亀甲縛りを一段階引き締めて「ア~ア~ア~ッ」にしたおかげで肉系平均が・・・って違う。S&P社のおかげで我が保有株は本日、1銘柄を除き討ち死になり。日高山中でヒグマに遭遇するが如く、なすすべもなくクマったクマった。さて、あちこちマメに行くのはいいけれど、家庭における亭主格付けが2段階、3段階と引き下げられぬように祈念しておるぞ・・・。
Commented by Soul Mate at 2011-08-08 23:10 x
わははっ。神楽坂先輩おもしろ過ぎです。家族を暑い東京に置きざりにして自分だけ北海道に涼みに行っとるRWの亭主格付けはすでにジャンク債扱いと推測されます。。。
Commented by しむけん at 2011-08-08 23:34 x
家庭内の評価格付けは多いに気になるが、他の人からの格付けだろうが何だろうが関係おまへん。その心持ちの強さが貴方の強みなんですわ。レスペクトして毎朝東の空に拝んでます。
Commented by rollingwest at 2011-08-09 06:22
small-talk様、確かに甲府は盆地の街ですので夏はものすごく暑いです。昨日、北海道から無事に帰って参りましたが、東京は「何じゃこりゃ~!」という猛暑でしたので、甲府はさらに厳しい一日だったと想像できます。でも帯広空港を出発する時も32度、北海道も異常な暑さでした。まさに日本全国が灼熱地獄状態・・、電力ピークは大丈夫なのかと心配になります。
Commented by rollingwest at 2011-08-09 06:32
小石様、再びのご来訪ありがとうございます。「パンドラの箱」なるコメントが、RWの軽石頭には荷が重すぎます・・(苦笑) それにしても異常な暑さだ・・、またBBのデザートヨーグルト(アロエ&ナテデココ)を凍らせて食べようっと!(涼)
Commented by rollingwest at 2011-08-09 06:34
トライアル様、無事に北海道より帰還いたしました。登りの途中(頂上手前付近の滝周辺)ですれ違った下山パーティから、「熊の親子連れを見た」と聞いて、かなりビビリながら頂上をめざしましたが幸いに遭遇せずに済みました。それにしても本当にタフでハードな難関峰でしたが、実に素晴らしい山旅を経験させてもらいました。バッチリいい写真も沢山撮ることができました。記事レポート公開は8月末頃になると思いますが、お楽しみに~!(^^)/
Commented by rollingwest at 2011-08-09 06:37
KWC様、静岡市に在住していた時も市内の一番由緒あるお宮は「静岡浅間神社」でした。(娘の七五三でもやはり山梨も静岡も富士山を崇める県です。静岡の方では「せんげん」の呼び名でした。「あさま」や「あそ」「うす」は火山を表す古語ですが、全て火山の固有名詞(浅間山・阿蘇山・有珠山)として」残っていますね~! (^O^) 
Commented by rollingwest at 2011-08-09 06:39
ホイチョイ様、了解しました。当日楽しみにしております。食山人様と登ってきた日高山脈の土産話を楽しみにしておって下さい。
Commented by rollingwest at 2011-08-09 06:41
聖二殿、株価暴落大変じゃの・・ (x_x*) 地震・津波・原発のおかげで日本は本当にヤバイ状態になっているし、企業も超円高で株価反転のきざしが見えん。東電もどうなっちまうんだろう・・?何とも恐ろしい時代になってしまったものだ。お袋さん、元気にしているかいの?この猛暑でお体を大切に。
Commented by rollingwest at 2011-08-09 06:47
setujojiji様、北海道の山旅は3日目に夕立に遭ったものの全般的に素晴らしい好天に恵まれました!(^^)/ 下山後は帯広でも32度となっており、涼しい北国の夏は一体どこへやらという暑さでしたね。(苦笑) それにしても帯広周辺の田園風景は言葉も出ない位に広すぎるなア~と、いつも思います。
Commented by rollingwest at 2011-08-09 06:51
憂悲鳴様、株価下落と猛暑で憂いと悲鳴の毎日かと思いますが、お元気でしたでしょうか?ここ2回ほどご無沙汰され毒舌コメントがなくて、小生も憂蛸・亀甲縛り状態になっておりました。またお元気そうな再登場、また毒針も衰えておらず、 何よりです。
家庭内評価はトリプルB状態が続いておりますのでご心配なさらずに・・。(諦)
ところでGDM-OB会の最終案内を出そうと思っているのですが、肝心のTARAから連絡がありません。一体どうなってんだろ?連絡取れませんか~?クマッタ、クマッタ。
Commented by rollingwest at 2011-08-09 06:54
聖二殿、いつも笑いすぎじゃ。(笑)
神楽坂殿はお主のコメントをネタにそして毒針を磨いておるので、これからもトリガー役を頼むわ~!
洋楽コーナーも楽しんでくれておるかの?
Commented by rollingwest at 2011-08-09 06:56
しむけん様、小生の家庭内評価は上記に記載してある通り、スモール&プアーズでございます。
「無事に帰って来たよ~!」と妻・娘に言ったら、「あ~、家の中が折角静かだったのに・・、また家の中が煩くなる~。」だって・・(苦笑)
Commented by rollingwest at 2011-08-09 09:27
アキタカ様、心頭滅却の心境には到底思えぬ程の猛暑です。カムイエクチカウシ山はテント2泊、ピストン往復12時間以上歩きました。本当にハードでリスクの高い山でしたが、沢歩き・滝・広大なカール・豪華なお花畑と本当に日高山脈の大スケールを存分に味わうことができました。
Commented by まき子 at 2011-08-10 11:06 x
山梨や甲府には、よく地ビール飲みに行ったり果物狩りに行ったりするのに
歴史散策はすっかり頭からぬけておりました。
たまには武田信玄をとことん追求してみようかなぁ~
Commented by rollingwest at 2011-08-11 06:09
まき子様、やはり甲府といえば葡萄・桃・ワインですね。
甲府駅前の住宅街にワイン工場(サドヤ)があって見学させてくれるので是非一度訪ねて見て下さい。山梨の麺といえば「ほうとう」があまりにも有名ですが、蕎麦屋・ラーメン屋も結構旨いお店があった気がします。B級グルメで有名になった「甲府鳥もつ煮」は、「奥藤」という蕎麦屋が元祖ですが、有名になった直後は車の行列で街の中が渋滞していたらしいです。その他にも「あわび煮貝」(山国の海の幸保存食)や馬刺しなども有名です。
Commented by arak_okano at 2011-08-12 08:33
アラックです。
今回も大作をありがとうございます。
本当に、昔の市町村名・道の名と由緒あるものが
どんどんなくなり悲しいですね。
日本の歴史が消えていきますね。

豊臣家、弟の秀長が生きていたら、歴史は
変わっていたと思います。
Commented by わかこ at 2011-08-12 10:54 x
何度か社員旅行で訪れているのに、史跡名所の記憶は抜け落ち、「ほうとう」と「ワイン」が美味しかった記憶しかない。
ワイナリーの試飲で若い我々が試食用のレーズンを「じゃんけん」で負けた人がごっそり握ってきては、つまみにするゲームを繰り返していた。何度目かに負けた人が売り物のレーズン一袋を持ってきた時、一同唖然。陰で見ていた社長が悪戯して、お金を店員さんに渡して策してた(^〇^)。ところではちみつたっぷり熊の右手の北海道土産は?
Commented by rollingwest at 2011-08-13 06:29
アラック様、そうなんですよ!市町村合併の弊害は由緒ある地名が失われていくことです。山梨市・甲州市・甲斐市・中央市・笛吹市・北杜市とか言われましてもねエ・・、どこが何処だかさっぱり分かりません。南アルプス市といっても、静岡の人からすれば勝手に地元の連峰の名を独り占めするんじゃね~・・とか憤慨していたりして・・(笑)
Commented by rollingwest at 2011-08-13 07:02
猫わか様、社員旅行は歴史探訪のかけらはございませんね。(笑)試飲どころか本格的な飲み旅行ではありませぬか!熊の手ねエ・・、自分の肉球にハチミツと葡萄ジャムでも塗って嘗めていて下さい。
ところで、「若い我々」って・・誰のこと? 
Commented by Soul Mate at 2011-08-15 00:05 x
昨日はワシの地元に近い取手の花火大会じゃった。おぬしの故郷の柏崎の花火も結構有名らしいの。今年もマス席(15,000円)、テーブル席(18,000円)、階段席(7,000円)がすべて売り切れじゃったと聞いたが、田舎のわりに派手な花火大会じゃの。柏崎の文化レベルと市民の皆さまの豊かさにちょっと驚いたよ。。
Commented by rollingwest at 2011-08-15 06:15
聖二殿、お盆の花火は風情があっていいなあ・・。柏崎の花火は海上で展開されるスターマインが実に見事!小学生の頃は家族や近所の人たちと浜辺にゴザやシートを広げて楽しんだもんじゃ。でも最近は久しく見ていないんだよ。7月24~25日の柏崎祇園祭に合わせて開催されるのだが、その時期はなかなか帰省しづらいし、最近は全国的に有名になってしまい余りに多い観光客や料金の高い桟敷席にちょっと気後れ気味・・(苦笑) でも今や全国十指にも入る人気の花火大会に成長したことはちと鼻が高い。

PS:イーグルス「ラストリゾート」もまた蘊蓄語ってなあ~!それではよきお盆休みを!
Commented by 半兵衛 at 2016-07-16 16:13 x
武田信玄といえば、私の母方の先祖様が武田家の武将の一人であったらしく、北条からの守りを固めるべく東京の府中市の白糸台というところに砦を築いたそうです。昔は車返しという地名でした。その時に小さいですが稲荷神社を立てました。武田家滅亡後はそのまま農民になったそうです。
Commented by rollingwest at 2016-07-17 06:39
半兵衛様、武田家の末裔でございましたか!信玄なきあと勝頼の武田家滅亡は南信濃・高遠での敗退、大月岩戸城での部下からの裏切り、天目山での勝頼自刃・・、悲しき結末ではありましたが、武田信玄の栄光は今も燦然と輝いておりますね!

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