ニールダイアモンド 「スィートキャロライン」 


★(072):ニール・ダイアモンド 「スィートキャロライン」 (1969年) (2013.8.31公開)



c0119160_7582774.jpg日中・日韓関係が悪化の一途を辿り日米同盟の重要性が叫ばれる中でも、米国との諸課題は依然遅々として解決に至っていません。そんな現状を打開しようとオバマ大統領は、この2013年秋から在日アメリカ全権大使にキャロライン・ケネディ氏(故ジョン・F・ケネディ大統領の長女)を指名することになりました。1957年の生まれかぁ!小生と同年齢・・、あまりにも違いすぎる人生ですな~(笑) ご存じの通りケネディ大統領は1963年日本初のTV衛星中継において公衆面前で暗殺(その瞬間が世界中に放映されるという衝撃的な事件)され、妻ジャクリーン・ケネディ(キャロラインの母)が腰を抜かしながら車上を這いつくばってパニックしていたシーンが生々しく思い出されます。当時6才だったキャロラインが悲しみに暮れ、父を葬送する姿も実にけな気だったなあ・・。その後も叔父暗殺、弟の飛行機事故など「ケネディ家の呪い」ともいわれる不幸が続き、心が沈みゆく彼女(1969年・当時11才)を励ますため、「ニール・ダイアモンド」が歌った曲がまさに「スィートキャロライン」でした。「可愛らしいキャロラインよ!楽しい時がきっと来るよ、元気を出せよ!」・・と。ニール・ダイアモンドは、米国ではビルボードチャートの歴史上、エルトン・ジョン、バーブラ・ストライザンドに続いて3番目に大きな成功を収めたアダルトコンテンポラリーアーティストとして称賛されています。モンキーズの代表的なナンバー「アイムアビリーバー」(1969)はニールの原曲であり忠実に再現されたことがよく解ります。1972年には「ソング・サング・ブルー」が全米1位に輝き、1973年には映画「かもめのジョナサン」(リチャード・バックの小説・映画化)のサントラ曲、70年代中盤になっても「遥かな誓い」(1976)、「いとしのデザレ」(1977)とコンスタントにヒットを放ち、小生にとっては、洋楽に嵌っていた70年代初頭~中期~終盤とそれぞれの節目でヒット曲を愛聴してきたアーティストなので個人的にはお気に入りミュージシャンの一人なのでありました。顔はウスター級の濃~いソース顔、野太い声にはアクがあり決して美声 とは言えませんが、それ故に強い印象が残っています。(もう72歳になっているんだネ~) 1980年に入っても彼の活躍は続き、映画「ジャズシンガー」に自身が主演(ゴールデングローブ賞主演男優賞に輝く!)、映画サントラ盤でも「ラブ・オンザ・ロックス」「ハローアゲイン」などの美曲を書き上げ100万枚以上の売上を記録するヒットを飛ばしていました。全世界で1億数千万枚(米国では5千万枚)の売上を記録し2011年にはロック殿堂入りも果たしたているのですが、何故か日本では殆ど人気が出なかったんですよね~、不思議・・!そんな理由からか、まだ一度も来日したことがないアーティストの一人でもあります。今回掲載した「スィートキャロライン」は米国のスポーツイベント(ボストンレッドソックス・ボストン大学バスケなど)の試合曲としても有名、今年4月にボストンマラソン爆破事件の悲劇が起きましたが、被害者支援のために彼はこの曲の印税を寄付したとのことです。日本のファンには馴染みが薄いニール・ダイアモンドですが、まさに米国人にとっては心を捉えて続けてきた40数年間だったのではないでしょうか。そして彼に励まされた「スィート」だったキャロラインさん、今後は「ストロング」に変身していただき、日米関係のさらなる基盤強化に向けて大いに活躍していただくことを祈念いたします!

  by rollingwest | 2002-11-01 00:07

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