「My Favorite Songs」(第53巻)
【My Favorite Songs】の過去紹介した記事一覧(INDEX)はコチラから
★(230) ディオンヌ・ワーウィック 「愛のハーモニー」 (1985) (2020.1.28公開)
■グラミー賞栄誉に何度も輝き、今年80歳を迎える「ディオンヌ・ワーウィック」の名曲特集!
第62回グラミー賞は1月27日発表が行われ、ビリー・アイリッシュが女性初・史上最年少18歳で主要4部門独占・5冠という快挙を成し遂げました!これは1981年のクリストファー・クロス以来39年ぶり2人目のことです。今回記事は過去グラミー賞で5度も栄誉に輝き音楽アワード史に欠かせない大御所「ディウォンヌ・ワーウィック」の特集をお届けしましょう!50数年のキャリア(1963デビュー)は、アレサ・フランクリン、ダイアナ・ロス、グラディス・ナイトらと並び称される伝説歴な黒人女性歌手であり、8年前に亡くなった「ホイットニー・ヒューストン」とは従姉妹同士の関係(当初は叔母と呼ばれた時期も・・)にあります。ホイットニー・ヒューストンもグラミー賞5回の栄誉に輝いており今年1月めでたくロック殿堂入りしましたが、彼女は2012年ロサンゼルス近郊のホテルで不慮の溺死(麻薬中毒)で波乱万丈なる生涯を終えました。ホイットニーの人生を赤裸々に描いたドキュメント映画「グレイテスト・ラヴ・オブ・オール」を昨年1月鑑賞し、両者が抱えた人間関係・葛藤があったことをRWはあらためて知ることができました。冒頭曲「愛のハーモニー」(1985)は、ディウォンヌ・ワーウィックと従妹ホイットニー・ヒューストンがともに絶頂を迎えた時代にデュエットした貴重な映像です。また「Love Will Find A Way」でも仲良くコラボを見せており隠れたお宝物名曲を発見しました。この頃が2人にとっては音楽人生・人間関係の両面において一番よき時代だったのかもしれません。冒頭掲載曲オリジナル・バージョンは「ディオンヌ&フレンズ」の名称で、スティーヴィー・ワンダー、エルトン・ジョン、グラディス・ナイトとの超豪華・夢共演!1985年グラミー賞最優秀ポップ・パフォーマンス賞デュオ/グループの栄光に輝いた曲の映像は一番最後に紹介しますので後程のお楽しみ~!今年80歳を迎えるディウォンヌ・ワーウィック、グラミー賞栄誉の陰には我々が想像しえない人生の激しい浮き沈みがありました。沢山の名曲を紹介しながら、60年近いキャリアを辿りつつ彼女の傘寿をお祝いしたいと思います。
■バート・バカラックの影響を受けた60年代の名曲
ディオンヌ・ワーウィックは1940年ニュージャージー州に生まれ、叔母のシシー・ヒューストン(ホイットニーの母)や妹ディー・ディーらとゴスペル音楽を歌っていました。1963年に「ドント・メイク・ミー・オーバー」でデビュー、1964年に「ウォーク・オン・バイ」のヒットで音楽界で脚光を浴びるようになります。彼女はR&Bソウル・シンガー・ゴスペル系歌手と思っていましたが、60年代は聴きやすいポップスソングを歌っていたことを今回の記事編集で初めて知りました。上記曲や「あなたに祈りをこめて」(I Say A Little Prayer)(1967)を聴いてみればその曲調で分かる通り、彼女は60年代の名作曲家チーム「バート・バカラック&ハル・デヴィッド」の秘蔵っ子だったのです!バート・バカラックと言えばデビュー期の「カーペンターズ」の名前が浮かびますが、60年代中盤期はディオンヌ・ワーウィックがその主役を担っていたんだね~!彼女が初のグラミー受賞曲が「サン・ホセへの道」(1967)、大ヒットした翌年に女性ベスト・ポップ・ヴォーカル部門で栄誉に輝きました。さらに翌年も同部門で2年連続グラミー賞の栄光曲が「恋よさようなら」(I'll Never Fall in Love Again)(1969)がでした。この曲はRWはバート・バカラックに指導を受けたカーペンターズの初期代表曲というイメージだったのですが「ディオンヌ・ワーウィックの歌だったのか~!」 コチラもまたRWにとっては目から鱗の発見となりました。
■低迷期に陥って70年代、そして1979年ついに大復活でまたもグラミー賞栄誉!
70年代に入ると彼女の音楽人生バイオリズムは低迷期に入ります。「This Girl's In Love With You」(1970)や「アルフィー」(1972)などのヒットはあるもののパッとしない時期が5年間続きました。1974年にスピナーズとの共演で「ゼン・ケイム・ユー」が全米No.1ヒットを記録して再び大復活のトレンドか?と思いきや、その後5年間はまたも全くヒットに恵まれず再び不遇時代が続きました。しかし1979年ついに彼女は再びグラミー賞で女性ベスト・ポップ・ヴォーカル賞の栄誉に輝き大復活を遂げたのです。その大ヒット曲は「涙の別れ道」(I'll Never Love This Way Again)、70年代の人気歌手「バリー・マニロウ」のプロデュースによる曲で、RWが大学4年生の時に下宿アパート(中野区沼袋)のFENラジオから毎日流れていました。RWはこの曲で初めて彼女の存在をを詳しく知った次第です。この再ブレイクを契機に「恋にめぐり逢い」(デジャブ)も連続ヒットしてグラミー賞女性ベスト・R & B ・ヴォーカル賞にも輝いたのです。1979年はグラミーW受賞で栄光が復活し80年代前半・黄金時代を迎える中興の年となりました。
■黄金の80年代を経て、再びどん底へ!度重なる不幸・不祥事に見舞われた流転の人生
80年代に入ると彼女は大物アーティスト達との交流の輪を広げ、コラボ曲で活躍して音楽界の重鎮になっていきました。ビージーズの長兄バリー・ギブの作曲提供を受けた「ハート・ブレイカー」(1982)は全米10位の大ヒット、翌年はルーサー・ヴァンドロスらと組み「さよならは一度だけ」 (1983)をリリース。栄光の絶頂は「USAフォー・アフリカ」の一員に名を連ねて「ウィー・アーザ・ワールド」(1984)を歌い上げたことでしょうね~。彼女の登場は2回り目冒頭、ウィリー・ネルソンにバトンを繋げ、最後は大物アーティスト達・全員の大合唱へと盛り上がっていきました。その3年後は、Jオズボーンやケニー・Gとコラボした「パワー・ラブ・パワー」(1987)もヒット、80年代はまさにディウォンヌ・ワーウィックが色々なアーティストとコラボして名声を広げた第2黄金期でした。しかしこの栄光の謳歌も長くは続かず、彼女の人生はまたまた暗転し凋落・地の底へと転げ落ちて行くのです。80年代末期からはヒット曲がまたもパッタリ途絶え低迷の90年代、21世紀になると次々に大きな不幸が襲い掛かってきました。2002年マリファナ所持容疑で逮捕、2012年は従妹のホイットニー・ヒューストンが突然死、ホイットニーの母親から「幼少期にディオンヌの妹がホイットニーに性的虐待をしていた」と疑惑暴露、2013年税金滞納で自己破産と連続の蟻地獄状態に陥ったのです。しかし「苦あれば楽あり」・・・2019年は再び音楽人生が好転し新アルバムをリリース、昨年グラミー賞(第61回)では「特別功労賞生涯業績賞」を授与されました。最後は冒頭曲のオリジナル「ディオンヌ&フレンズ」の「愛のハーモニー」(1985)で締めたいと思います。この曲はエリザベス・テイラー提唱のAIDS救済基金へのチャリティーとしてバカラック&キャロル・ベイヤー・セイガーが作曲、ステイーヴィー・ワンダー、エルトン・ジョン、グラディス・ナイトという超豪華4人組で全米No.1を記録しました。この曲もまたグラミー賞(ベストPOPグループ部門)を受賞しています。「人生常に塞翁が馬・糾える縄の如し」という諺はまさに彼女のためにあるような気がします。
⇒次回は「フリート・ウッド・マック」の「ブラックマジック・ウーマン」!泥臭いブルースバンド時代の名盤「英吉利の薔薇」(1969)を中心に渋い名演奏曲の数々をお届けします。♪\(^◇^)/♪
★(229) シカゴ 「長い夜」」(25 or 6to 4) (1970年) (2020.1.10公開)
■RWが洋楽に嵌った1970年から50年、ブラスロック全盛の初期「シカゴ」を振り返る!
いよいよ五輪イヤー2020年が幕開け!洋楽業界はビートルズ解散50周年やジョンレノン暗殺40周年など大きな節目を迎え、映画公開や記念レビューバージョン発売など商業的な動きが一段と大きくなってくることでしょう。2020年はRWにとっても洋楽に興味を持ち始めた1970年(中学1年生)からちょうど半世紀を迎える節目で思い入れが深い年です。当時はハードロックやプログレが全盛期であり、様々なバンドがクラシック・ジャズ・フォークなどあらゆる分野の音楽と新たな融合をトライしているロックが最も発展・進化していた時代(先進的ウエーブが席巻)でした。ジャズやブラスサウンドとの融合で人気絶頂だったのがシカゴであり、RWはS&G・エルトンジョンに続いてこのバンドに嵌りまくっていました。過去のRW記事ではデビュー盤「シカゴの軌跡」(1969年)から「クエスチョンズ67&68」(第1巻011)と「流血の日」(第18巻110)を取り上げましたが、今回は初期の最大名曲「長い夜」がいよいよ登場!今ではすっかりAOR御用達バンドになった感も強いシカゴですが、野心的にブラスロックをバリバリやっていた頃の2nd盤「シカゴと23の誓い」特集で、今年初の洋楽記事をスタートさせたいと思います。
■初期シカゴの伝説的なヒット曲「長い夜(25or6to4)」
彼らの最大名盤「シカゴと23の誓い」(2作目)がリリースされた1970年(日本は大阪万博開催で盛り上がり)はビートルズが解散、斬新なサウンドを志向した新しいグループやシンガーが続々と登場してきた黄金期でした。そんな中で毎晩深夜ラジオから流れていたのが初期シカゴ最大のヒット曲「長い夜」(松山千春の歌ではありません)・・。カッコいいイントロのギターリフでスタート、強打をブッ叩く8ビートドラム、ピーター・セテラの熱血ボーカルが始まり、ブラスアンサンブルとコーラスが次々と絡み合うダイナミックな展開、間奏ではテリー・キャスの強烈なギターソロ(ワウワウにワクワク!)、爽快なコーラス♪「トゥエンティ・ファイブ・オー・シックス・トゥ・フォ~♪」・・、各演奏の要に仕掛けられたキメのリフが如何にもロックという痛快さで散りばめられておりRWは一遍に虜となってしまったのです。ポップとジャズの粋なスマート感をあくまでもロックのビートで聴かせる名曲「25or6to4」は、当時大好きだったハードロックのテイストながらも他バンドとは違う味わいとカッコよさが彷彿しており、暗号めいた曲名は「早朝4時の25~26分前」、つまり午前3時半過ぎ黎明時刻のことです。還暦過ぎたRWはもうそろそろ朝のお目覚め時間ですが、歌詞内容は「こんな明け方になったのに、まだ眠れない~、長い夜だよ~!」と不眠を訴えている嘆きの歌でした。RWにとっては、洋楽カラオケで毎回大絶叫して歌いまくり、パワーと元気が貰えるお気に入り曲なのです!
■最も崇敬される伝説的な初期シカゴの名盤2nd「シカゴと23の誓い」
彼らのデビューは1969年「シカゴの軌跡」(2枚組)、当時のバンド名は「シカゴ・トランジット・オーソリティ」という長い名前でしたがシカゴ交通局から「勝手に名前を使うな!」と法的な訴訟を受けたため、2nd盤「シカゴと23の誓い」(こちらも2枚組)からシンプルに「Chicago」と改名されました。このバンドロゴの文字(大きいC文字がhicagoを包み込むようにニョロッとした書き方)が大好きで何度も真似て練習したもんだなあ・・。1970年1月に発売され、米国4位・英国6位に輝くヒットを記録しシカゴの最も崇敬される伝説的なアルバムです。冒頭曲は「ぼくらは何処へ」(Movin' In) 、パンコウ作品でキャスのリード・ボーカルにコーラスが呼応しジャズ風にスウィングする曲。当該ユーチューブはロック界の大物が続々登場して実に見どころあり! ここからは「ぼくら」を冠する曲がオンパレード!「ぼくらの道」(The Road)、「ぼくらの詩」(Poem for the People)、「ぼくらの国」(In the Country)・・、それぞれの英題曲には一つもOURの文字がないのに邦題は全て「ぼくらシリーズ」にしちゃうんだから実に安易だね~。シカゴⅡの大ヒット曲「ぼくらに微笑みを」(Make Me Smile)は理解できる題名かな・・。このユーチューブ画像はディレクターカットで原曲を忠実再現しオリジナルヒットと違わない演奏を披露してくれています。これこれ、この雰囲気なんですよ。初期シカゴの魅力の真骨頂は・・!さらに全米7位のヒットとなった「ぼくらの世界をバラ色に」(Colour My World)、こちらは静かに時を刻むシカゴ初期の美しいフルートとホーンがコラボしたバラード曲だったなあ・・。アルバム中盤で代表曲「長い夜」が登場し、2枚目では長いコンセプトナンバー「栄光の旅路」(第1~4楽章)へと続きます。
■1970年代初期の黄金メンバー7人
ブラスロックを炸裂させていた頃の草創期メンバー7人を紹介しましょう!まずはリーダー的存在の「ロバート・ラム」、主役的ソングライター兼ボーカリストでTOP10シングル16曲・プラチナ・アルバム17枚の業績でロック殿堂入りも果たしています。そして伝説のギタリスト「テリー・キャス」、粗削りでがありながらブルース的な雰囲気も漂う弾きまくりギターの力量は非常に高く、ジミ・ヘンドリックスも彼の演奏のファンになった程です。キャス在籍時代こそがロック色が強い初期シカゴサウンドの真髄でしたが、1978年ピストル暴発事故で31歳で亡くなったニュースは実に衝撃的でした。ブラス演奏の要は、「ジェームズ・パンコウ」(トロンボーン)「リー・ログネイン」(トランペット)「ウォルター・パラザイダー」(サックス&フルート)の3人、彼らは地味ながらもシカゴサウンド(ホーンセクション)の土台・基礎を確実に支えていました。ドラムは「ダニエル・セラフィン」、細かいロールを多用する独特なジャズっぽいドラミングが強い個性を放っていましたが、1990年頃解雇されたのは残念なことです。皆様よくご存知の「ピーター・セテラ」は美しいリード・ヴォーカルで80年代AORシカゴの象徴、その後独立して80年代の人気ソロアーティストとして名を馳せました。最後に忘れてはならないのが、プロデューサー「ジェームス・ウィリアム・ガルシア」の存在です。ブラスロックのさきがけブラッド・スウェット&ティアーズを手掛けていましたが、その後シカゴのマネージメントに転身し大きな成功を収めました。
■1970年代初頭、2~3年でブーム終焉してしまった「ブラスロック」
ブラスロック分野は一般的にはジャズとロックの融合を狙ったものと解釈されますが、やはり「ロック」とされているからにはポップな感性と進歩的な実験精神が欠かせません。その分類境界は、ホーンセクション(管楽器)の存在であり、バンドのサウンドの厚みが大幅に増す効果があったのだと思います。そしてメンバー数はやたら大人数で7~8人という構成がメインでした。当該ジャンルでの先進バンドはアル・クーパーが結成した「ブラッド・スウェット&ティアーズ」(BS&T)でした。「スピニングホイールス」が最も有名な曲ですが、 力強い疾走感のブラスサウンド「マックエビル」やお茶目な「私が死んだ時」、重厚なロック基調で貫録溢れる「ゴーンダウンギャンブリン」、渋く歌い上げる「You've made me so very happy」など実に多彩な作品を生み出しています。BS&Tは「ちょっと渋すぎるんだよね~」と思いつつも当時から音楽路線を崩さず一貫して今も活躍しているバンドで尊敬に値します。BS&T・シカゴに2~3年遅れたデビューで一発屋に近い存在でしたが、一世を風靡した小気味のいいブラスロックバンドは「チェイス」でした。「黒い炎」(1971)は4本のトランペットが生み出すPOPなサウンドで実に疾走感に溢れた名曲で実にカッコよかったなあ・・。シャープでスリリングなホーンセクション展開JAZZ的な音楽性も強く高い評価を得ていたのに1974年にメンバー全員が悲劇の飛行機事故で亡くなってしまったことは実に残念なことでした。「タワー・オブ・パワー」はその後ファンクバンドになってしまいましたが、当時はブラスロックの範疇で語られます。「you're still a young man」(1972)はなかなかムード溢れる名曲!しかしブラスロックの王者はやはりシカゴしかありませんね~!スタジオミュージシャンやジャズメンのようなテクニックや音楽的素養は希薄な反面、サックス炸裂のワイルドかつPOPロック主体の音楽性が万人に受け入れられやすい点がシカゴの最大武器だと思います。
■続編は3rd盤「Chicago III 」&4枚組ライブ「atカーネギーホール」が登場!
現代では有料音楽配信やユーチューブで好きな音楽を手軽に楽しめるよき時代となり実に幸せなことだと思います。1970年当時は中学生の少ないお小遣いでLP1枚(2000円)を購入すること自体が一大イベントでした。その反面、一度購入した高価なアルバムは針が擦り切れるほど聴き込み、一つ一つの名曲が体に染みついておりアルバムに対する思い入れが強かったとも言えるでしょう。今、洋楽ブログメイトの方々と濃厚なコメント交流ができているのはそのような時代背景の中で青春時代を過ごし同じ音楽を聴いてきた共通体験があるからです。シカゴがリリースするLPはデビュー盤から3rd盤までが全て2枚組3600円、アルバム購入には大きな決断が必要なロックバンドでした。そして4枚目は4枚組でのライブ盤「シカゴatカーネギーホール」で何と7800円!1971年はRWは勇気を出してこの3rd盤と4th盤の高額アルバム2枚を清水舞台から飛び降りるが如く購入してしまいました。Chicago III (1971)はお気に入り曲が多く、毎日針が擦り切れる程聴き込みましたが、超高額カーネギーホールは冗長で渋すぎて落胆した苦い思い出でした。次回レポートは初期シカゴへの思い入れが頂点に達し、やがて褪めていく中学2年RWの心境をお届けする予定です。今回記事のLAST紹介は名盤2nd「シカゴと23の誓い」の最後を締め括った曲「約束の地へ」(Where Do We Go From Here)でお別れしましょう。
⇒次回は、米音楽界の大御所女性シンガーのディウォンヌ・ワーウィック「愛のハーモニー」(1985)をお届けします。♪\(^◇^)/♪
★(228) S&G 「ボクサー」~「明日に架ける橋」 (1969~70年) (2019.12. 24公開)
■令和最後の洋楽記事はS&Gの名曲「ボクサー」(1969)登場!
いよいよ令和元年(2019)も終わりに近づき、今年最後の洋楽記事を半世紀前の名曲「ボクサー」で締めたいと思います。2019年はラグビーW杯桜ジャパンのベスト8、大坂なおみ全豪テニス優勝、渋野日向子全英ゴルフ優勝、八村累のNBAデビュー後の大活躍、サニブラウン100m新記録など、数々の日本人が世界スポーツ快挙を成し遂げて大いに湧きました。しかし年末スポーツ回顧では日本ボクシング界のニュースが意外と話題になっていないかったのがチト可哀そうな感じ!5月に井上尚弥がバンタム級主要団体の5冠王者、11月には米国ボクシング権威誌で日本人初の3位ランク指定という前代未聞の大快挙を成し遂げたのです!7月村田諒太がWBAミドル級で王座奪還(12月に王座防衛成功)、12月同日には寺地拳四朗(WBAライトフライ級)が7度の王座防衛という素晴らしいニュースが次々に入り、日本ボクシングが大いに注目された年でした!ボクサーを称える洋楽曲で一番有名なのはやはり映画「ロッキー」のBGMでしょうね~。第1作ではビル・コンティのサックス炸裂「ロッキーのテーマ」、「ロッキー3」ではサバイバーの「アイ・オブ・ザ・タイガー」(1983)がリング入りを鼓舞する熱き応援歌として広く知られます。日本の歌では尾藤イサオ「あしたのジョー」(1970)とアリス「チャンピオン」(1978) が両巨頭曲でしょうね~!しかし小生にとって一番思い出に残るボクシング曲は、洋楽に初めて嵌り50年前に聴いたサイモン&ガーファンクルの「ボクサー」(冒頭掲載)なのです。心地よいイントロはアコギの響き、マンドリンやアコーディオンに合わせて流れる知的・繊細なダブルハーモニーがスタート!格闘技イメージとはかけ離れた優しい旋律が続き、やがて大編成展開(ストリングスや金管楽器が前面)に転じてクライマックス突入、終盤は連続コーラス「♩ライラライ、ライラライ、ラライラライ♩」と強烈な打楽器音と美しき弦楽世界が果てしなく続きます!その意味は「横たわるな!ぶっ倒れてもボクサーはまた立ち上がれ!」という激励歌なのかな?1分以上に及ぶリピートは「ヘイ・ジュード」の如くフェイドアウトかと思いきや、最後はフィンガーピック・アコギ音色と静かなソロで歌は終わります。力強さと心優しさ両面を兼ね備えた1969年のS&G傑作を50周年節目でお届けしました。
■S&G金字塔名盤「明日に架ける橋」(1970)の特集
な~んちゃって・・、実はボクシングネタは今回記事の冒頭に入るための方便導きでした。今日のメインは名曲「ボクサー」が収録されたサイモン&ガーファンクルの最後を飾った1970年の金字塔アルバム「明日に架ける橋」特集をお届けすることが真の目的!彼らの通算5作目オリジナル・アルバムは、全米チャートで10週連続1位、世界各国でも続々NO1売上げ獲得の大ヒット、さらにグラミー賞最優秀アルバム賞を始め6部門で栄冠に輝いた不朽の名作でした。RWが洋楽に嵌ったのは半世紀前の1970年、ちょうどS&Gが全盛期で頑張っておりビートルズが解散した年、多感な中1時代に出会った本名盤とS&Gグレーテストヒット(SONY限定赤盤)がわが青春時代の洋楽事始めのシンボル盤だったのです。今年最後の洋楽コーナーは、わが洋楽への導き恩人であるサイモン&ガーファンクルの名曲「ボクサー」(1969年)と名盤「明日に架ける橋」(1970年1月)が50年の節目を迎えたことの感慨を吐露し、「2020年に架ける橋」として年越しレポートにしたいと思います。
■アルバムA面の名曲
金字塔名盤のA面冒頭曲はアルバムタイトルでもある「明日に架ける橋」、こちらは最後の締めチョイスなのでまた後程に・・。2曲目は哀愁漂う「コンドルは飛んで行く」、この曲を深夜ラジオ放送で聴いてRWはS&Gに一挙嵌ってしまいました。南米アンデスの伝統民謡に基づいて作曲されたロス・インカスの演奏に英語歌詞を付けたカヴァー曲で雄大にコンドルが飛んでいく光景が目に浮かびます。物悲しいオカリナの音色と美しいコーラスが実にいいんですよね~!続くは全米4位に輝いた「いとしのセシリア」、強烈なパーカッション・オープニングから♪「セシーリア~、ヨア・ブレイキング・マイ・ハ~ト・・」と嘆きが始まる歌詞は、浮気を繰り返す彼女に心ハラハラする男の哀歌・嫉妬の歌。アップテンポで明るい曲調だったのでこんな内容だったとは知りませんでしたね~!4曲目「ご機嫌いかが」(Keep the Customer Satisfied)はあまり知られていない曲ですが米国のみでシングルカットされこのB面があの有名曲「アメリカ」だったと知ってこちらもビックリ!A面ラストナンバーは「フランク・ロイド・ライトに捧げる歌」はボサノヴァ風の味わいある静謐曲、曲題の主人公は有名な米国建築家、日比谷にあった旧・帝国ホテル(大正時代)も設計した方と知ったのは高校生になってからのことでした。
■アルバムB面の名曲
B面のスタートは冒頭に掲載した「ボクサー」(♩ライラライ、ライラライ、ラライラライ~♩)、2曲目は 「ベイビー・ドライバー」、S&Gとしてはやや異色の曲でユーチューブ画像を見れば彼らにもサイケデリックな一面もあったんだな~と再認識しました。続く「ニューヨークの少年」は「いとしのセシリア」のB面シングル曲、当時ガーファンクルが映画撮影で多忙状態にありレコーディングに不在がだったことからでNYに一人取り残されたサイモンの心境が歌詞に反映されています。ポール・サイモンがレゲエに挑戦した歌が4曲目「手紙が欲しい 」です。サイモンのソロデビューは「母と子の絆」でレゲエ曲で驚いたものですがすでに伏線のトライがあったのですね。このアルバムで4番目くらいに有名な曲は「バイ・バイ・ラブ」、泣きたいような失恋ソングな筈なのに実に明るい雰囲気、エヴァリー・ブラザーズのヒット曲カヴァーですがS&Gの曲としてわが脳裏に焼き付けられています。アルバムの最後を飾るのは「ソング・フォー・ジ・アスキング」、オーボエの音色の前奏、ストリングス伴奏も加わり静かにポールの歌声で始まる甘くせつない恋の歌でした。プラスアルファとして2001年ボーナストラックのデモ曲「木の葉は落ちて」 も付けておきましょう。
■ラスト閃光を放ちS&Gのコンビ自然解消・・、そして復活!
この1970名盤は商業的成功を意識した作品づくりになっており、従来の暗鬱的・内省的表現の時代(1967年前後)とは異なっています。S&Gを代表する多彩な名曲が満載!まさにビートルズのラスト金字塔「アビー・ロード」的な位置づけにある高い完成度の内容でした。しかし全体にポール・サイモン主導作品(厳密には音楽プロデューサーのロイ・ハリーとの共作って感じ)となっており、ガーファンクルの影は完全に薄い印象です。当時ガーファンクルは映画撮影に没頭しており、サイモンにとっては実に歯がゆかったことでしょうし、ガーファンクルの方も決してアルバム制作を疎かにした意識はないのに活躍の場が与えられなかったことで相互不信が芽生えたものと思われます。彼らはビートルズのように解散宣言は出しませんでしたが、その後2人の仲はフェードアウトしていくように実質的な解散状態となっていきました。しかし「人生は糾える縄の如し」・・、1975年に「マイ・リトル・タウン」をS&Gでリリース、1981年にはニューヨークのセントラル・パークで再結成しチャリティコンサートを開き53万人もの観衆を動員して世界ツアーを実施したのです。1993年は来日を果たし、RWはカミサンと東京ドームコンサートへ出かけ生のS&Gを見て感激しました。あれからもう四半世紀以上が経ったんだなあ・・。わが洋楽興味に導いてくれた恩人デュオにあらためて感謝し、彼らの最高名曲「明日に架ける橋」を聴きながら2020年への架け橋を渡っていきたいと思います。
■過去に紹介したサイモン&ガーファンクルの記事はコチラから
「サウンドオブサイレンス」
「冬の散歩道」
⇒次回は、シカゴの「長い夜」(1970)で2020年最初の洋楽記事をオープニングといたします♪\(^◇^)/♪
★(230) ディオンヌ・ワーウィック 「愛のハーモニー」 (1985) (2020.1.28公開)
■グラミー賞栄誉に何度も輝き、今年80歳を迎える「ディオンヌ・ワーウィック」の名曲特集!
第62回グラミー賞は1月27日発表が行われ、ビリー・アイリッシュが女性初・史上最年少18歳で主要4部門独占・5冠という快挙を成し遂げました!これは1981年のクリストファー・クロス以来39年ぶり2人目のことです。今回記事は過去グラミー賞で5度も栄誉に輝き音楽アワード史に欠かせない大御所「ディウォンヌ・ワーウィック」の特集をお届けしましょう!50数年のキャリア(1963デビュー)は、アレサ・フランクリン、ダイアナ・ロス、グラディス・ナイトらと並び称される伝説歴な黒人女性歌手であり、8年前に亡くなった「ホイットニー・ヒューストン」とは従姉妹同士の関係(当初は叔母と呼ばれた時期も・・)にあります。ホイットニー・ヒューストンもグラミー賞5回の栄誉に輝いており今年1月めでたくロック殿堂入りしましたが、彼女は2012年ロサンゼルス近郊のホテルで不慮の溺死(麻薬中毒)で波乱万丈なる生涯を終えました。ホイットニーの人生を赤裸々に描いたドキュメント映画「グレイテスト・ラヴ・オブ・オール」を昨年1月鑑賞し、両者が抱えた人間関係・葛藤があったことをRWはあらためて知ることができました。冒頭曲「愛のハーモニー」(1985)は、ディウォンヌ・ワーウィックと従妹ホイットニー・ヒューストンがともに絶頂を迎えた時代にデュエットした貴重な映像です。また「Love Will Find A Way」でも仲良くコラボを見せており隠れたお宝物名曲を発見しました。この頃が2人にとっては音楽人生・人間関係の両面において一番よき時代だったのかもしれません。冒頭掲載曲オリジナル・バージョンは「ディオンヌ&フレンズ」の名称で、スティーヴィー・ワンダー、エルトン・ジョン、グラディス・ナイトとの超豪華・夢共演!1985年グラミー賞最優秀ポップ・パフォーマンス賞デュオ/グループの栄光に輝いた曲の映像は一番最後に紹介しますので後程のお楽しみ~!今年80歳を迎えるディウォンヌ・ワーウィック、グラミー賞栄誉の陰には我々が想像しえない人生の激しい浮き沈みがありました。沢山の名曲を紹介しながら、60年近いキャリアを辿りつつ彼女の傘寿をお祝いしたいと思います。
■バート・バカラックの影響を受けた60年代の名曲
ディオンヌ・ワーウィックは1940年ニュージャージー州に生まれ、叔母のシシー・ヒューストン(ホイットニーの母)や妹ディー・ディーらとゴスペル音楽を歌っていました。1963年に「ドント・メイク・ミー・オーバー」でデビュー、1964年に「ウォーク・オン・バイ」のヒットで音楽界で脚光を浴びるようになります。彼女はR&Bソウル・シンガー・ゴスペル系歌手と思っていましたが、60年代は聴きやすいポップスソングを歌っていたことを今回の記事編集で初めて知りました。上記曲や「あなたに祈りをこめて」(I Say A Little Prayer)(1967)を聴いてみればその曲調で分かる通り、彼女は60年代の名作曲家チーム「バート・バカラック&ハル・デヴィッド」の秘蔵っ子だったのです!バート・バカラックと言えばデビュー期の「カーペンターズ」の名前が浮かびますが、60年代中盤期はディオンヌ・ワーウィックがその主役を担っていたんだね~!彼女が初のグラミー受賞曲が「サン・ホセへの道」(1967)、大ヒットした翌年に女性ベスト・ポップ・ヴォーカル部門で栄誉に輝きました。さらに翌年も同部門で2年連続グラミー賞の栄光曲が「恋よさようなら」(I'll Never Fall in Love Again)(1969)がでした。この曲はRWはバート・バカラックに指導を受けたカーペンターズの初期代表曲というイメージだったのですが「ディオンヌ・ワーウィックの歌だったのか~!」 コチラもまたRWにとっては目から鱗の発見となりました。
■低迷期に陥って70年代、そして1979年ついに大復活でまたもグラミー賞栄誉!
70年代に入ると彼女の音楽人生バイオリズムは低迷期に入ります。「This Girl's In Love With You」(1970)や「アルフィー」(1972)などのヒットはあるもののパッとしない時期が5年間続きました。1974年にスピナーズとの共演で「ゼン・ケイム・ユー」が全米No.1ヒットを記録して再び大復活のトレンドか?と思いきや、その後5年間はまたも全くヒットに恵まれず再び不遇時代が続きました。しかし1979年ついに彼女は再びグラミー賞で女性ベスト・ポップ・ヴォーカル賞の栄誉に輝き大復活を遂げたのです。その大ヒット曲は「涙の別れ道」(I'll Never Love This Way Again)、70年代の人気歌手「バリー・マニロウ」のプロデュースによる曲で、RWが大学4年生の時に下宿アパート(中野区沼袋)のFENラジオから毎日流れていました。RWはこの曲で初めて彼女の存在をを詳しく知った次第です。この再ブレイクを契機に「恋にめぐり逢い」(デジャブ)も連続ヒットしてグラミー賞女性ベスト・R & B ・ヴォーカル賞にも輝いたのです。1979年はグラミーW受賞で栄光が復活し80年代前半・黄金時代を迎える中興の年となりました。
■黄金の80年代を経て、再びどん底へ!度重なる不幸・不祥事に見舞われた流転の人生
80年代に入ると彼女は大物アーティスト達との交流の輪を広げ、コラボ曲で活躍して音楽界の重鎮になっていきました。ビージーズの長兄バリー・ギブの作曲提供を受けた「ハート・ブレイカー」(1982)は全米10位の大ヒット、翌年はルーサー・ヴァンドロスらと組み「さよならは一度だけ」 (1983)をリリース。栄光の絶頂は「USAフォー・アフリカ」の一員に名を連ねて「ウィー・アーザ・ワールド」(1984)を歌い上げたことでしょうね~。彼女の登場は2回り目冒頭、ウィリー・ネルソンにバトンを繋げ、最後は大物アーティスト達・全員の大合唱へと盛り上がっていきました。その3年後は、Jオズボーンやケニー・Gとコラボした「パワー・ラブ・パワー」(1987)もヒット、80年代はまさにディウォンヌ・ワーウィックが色々なアーティストとコラボして名声を広げた第2黄金期でした。しかしこの栄光の謳歌も長くは続かず、彼女の人生はまたまた暗転し凋落・地の底へと転げ落ちて行くのです。80年代末期からはヒット曲がまたもパッタリ途絶え低迷の90年代、21世紀になると次々に大きな不幸が襲い掛かってきました。2002年マリファナ所持容疑で逮捕、2012年は従妹のホイットニー・ヒューストンが突然死、ホイットニーの母親から「幼少期にディオンヌの妹がホイットニーに性的虐待をしていた」と疑惑暴露、2013年税金滞納で自己破産と連続の蟻地獄状態に陥ったのです。しかし「苦あれば楽あり」・・・2019年は再び音楽人生が好転し新アルバムをリリース、昨年グラミー賞(第61回)では「特別功労賞生涯業績賞」を授与されました。最後は冒頭曲のオリジナル「ディオンヌ&フレンズ」の「愛のハーモニー」(1985)で締めたいと思います。この曲はエリザベス・テイラー提唱のAIDS救済基金へのチャリティーとしてバカラック&キャロル・ベイヤー・セイガーが作曲、ステイーヴィー・ワンダー、エルトン・ジョン、グラディス・ナイトという超豪華4人組で全米No.1を記録しました。この曲もまたグラミー賞(ベストPOPグループ部門)を受賞しています。「人生常に塞翁が馬・糾える縄の如し」という諺はまさに彼女のためにあるような気がします。
⇒次回は「フリート・ウッド・マック」の「ブラックマジック・ウーマン」!泥臭いブルースバンド時代の名盤「英吉利の薔薇」(1969)を中心に渋い名演奏曲の数々をお届けします。♪\(^◇^)/♪
★(229) シカゴ 「長い夜」」(25 or 6to 4) (1970年) (2020.1.10公開)
■RWが洋楽に嵌った1970年から50年、ブラスロック全盛の初期「シカゴ」を振り返る!
いよいよ五輪イヤー2020年が幕開け!洋楽業界はビートルズ解散50周年やジョンレノン暗殺40周年など大きな節目を迎え、映画公開や記念レビューバージョン発売など商業的な動きが一段と大きくなってくることでしょう。2020年はRWにとっても洋楽に興味を持ち始めた1970年(中学1年生)からちょうど半世紀を迎える節目で思い入れが深い年です。当時はハードロックやプログレが全盛期であり、様々なバンドがクラシック・ジャズ・フォークなどあらゆる分野の音楽と新たな融合をトライしているロックが最も発展・進化していた時代(先進的ウエーブが席巻)でした。ジャズやブラスサウンドとの融合で人気絶頂だったのがシカゴであり、RWはS&G・エルトンジョンに続いてこのバンドに嵌りまくっていました。過去のRW記事ではデビュー盤「シカゴの軌跡」(1969年)から「クエスチョンズ67&68」(第1巻011)と「流血の日」(第18巻110)を取り上げましたが、今回は初期の最大名曲「長い夜」がいよいよ登場!今ではすっかりAOR御用達バンドになった感も強いシカゴですが、野心的にブラスロックをバリバリやっていた頃の2nd盤「シカゴと23の誓い」特集で、今年初の洋楽記事をスタートさせたいと思います。
■初期シカゴの伝説的なヒット曲「長い夜(25or6to4)」
彼らの最大名盤「シカゴと23の誓い」(2作目)がリリースされた1970年(日本は大阪万博開催で盛り上がり)はビートルズが解散、斬新なサウンドを志向した新しいグループやシンガーが続々と登場してきた黄金期でした。そんな中で毎晩深夜ラジオから流れていたのが初期シカゴ最大のヒット曲「長い夜」(松山千春の歌ではありません)・・。カッコいいイントロのギターリフでスタート、強打をブッ叩く8ビートドラム、ピーター・セテラの熱血ボーカルが始まり、ブラスアンサンブルとコーラスが次々と絡み合うダイナミックな展開、間奏ではテリー・キャスの強烈なギターソロ(ワウワウにワクワク!)、爽快なコーラス♪「トゥエンティ・ファイブ・オー・シックス・トゥ・フォ~♪」・・、各演奏の要に仕掛けられたキメのリフが如何にもロックという痛快さで散りばめられておりRWは一遍に虜となってしまったのです。ポップとジャズの粋なスマート感をあくまでもロックのビートで聴かせる名曲「25or6to4」は、当時大好きだったハードロックのテイストながらも他バンドとは違う味わいとカッコよさが彷彿しており、暗号めいた曲名は「早朝4時の25~26分前」、つまり午前3時半過ぎ黎明時刻のことです。還暦過ぎたRWはもうそろそろ朝のお目覚め時間ですが、歌詞内容は「こんな明け方になったのに、まだ眠れない~、長い夜だよ~!」と不眠を訴えている嘆きの歌でした。RWにとっては、洋楽カラオケで毎回大絶叫して歌いまくり、パワーと元気が貰えるお気に入り曲なのです!
■最も崇敬される伝説的な初期シカゴの名盤2nd「シカゴと23の誓い」
彼らのデビューは1969年「シカゴの軌跡」(2枚組)、当時のバンド名は「シカゴ・トランジット・オーソリティ」という長い名前でしたがシカゴ交通局から「勝手に名前を使うな!」と法的な訴訟を受けたため、2nd盤「シカゴと23の誓い」(こちらも2枚組)からシンプルに「Chicago」と改名されました。このバンドロゴの文字(大きいC文字がhicagoを包み込むようにニョロッとした書き方)が大好きで何度も真似て練習したもんだなあ・・。1970年1月に発売され、米国4位・英国6位に輝くヒットを記録しシカゴの最も崇敬される伝説的なアルバムです。冒頭曲は「ぼくらは何処へ」(Movin' In) 、パンコウ作品でキャスのリード・ボーカルにコーラスが呼応しジャズ風にスウィングする曲。当該ユーチューブはロック界の大物が続々登場して実に見どころあり! ここからは「ぼくら」を冠する曲がオンパレード!「ぼくらの道」(The Road)、「ぼくらの詩」(Poem for the People)、「ぼくらの国」(In the Country)・・、それぞれの英題曲には一つもOURの文字がないのに邦題は全て「ぼくらシリーズ」にしちゃうんだから実に安易だね~。シカゴⅡの大ヒット曲「ぼくらに微笑みを」(Make Me Smile)は理解できる題名かな・・。このユーチューブ画像はディレクターカットで原曲を忠実再現しオリジナルヒットと違わない演奏を披露してくれています。これこれ、この雰囲気なんですよ。初期シカゴの魅力の真骨頂は・・!さらに全米7位のヒットとなった「ぼくらの世界をバラ色に」(Colour My World)、こちらは静かに時を刻むシカゴ初期の美しいフルートとホーンがコラボしたバラード曲だったなあ・・。アルバム中盤で代表曲「長い夜」が登場し、2枚目では長いコンセプトナンバー「栄光の旅路」(第1~4楽章)へと続きます。
■1970年代初期の黄金メンバー7人
ブラスロックを炸裂させていた頃の草創期メンバー7人を紹介しましょう!まずはリーダー的存在の「ロバート・ラム」、主役的ソングライター兼ボーカリストでTOP10シングル16曲・プラチナ・アルバム17枚の業績でロック殿堂入りも果たしています。そして伝説のギタリスト「テリー・キャス」、粗削りでがありながらブルース的な雰囲気も漂う弾きまくりギターの力量は非常に高く、ジミ・ヘンドリックスも彼の演奏のファンになった程です。キャス在籍時代こそがロック色が強い初期シカゴサウンドの真髄でしたが、1978年ピストル暴発事故で31歳で亡くなったニュースは実に衝撃的でした。ブラス演奏の要は、「ジェームズ・パンコウ」(トロンボーン)「リー・ログネイン」(トランペット)「ウォルター・パラザイダー」(サックス&フルート)の3人、彼らは地味ながらもシカゴサウンド(ホーンセクション)の土台・基礎を確実に支えていました。ドラムは「ダニエル・セラフィン」、細かいロールを多用する独特なジャズっぽいドラミングが強い個性を放っていましたが、1990年頃解雇されたのは残念なことです。皆様よくご存知の「ピーター・セテラ」は美しいリード・ヴォーカルで80年代AORシカゴの象徴、その後独立して80年代の人気ソロアーティストとして名を馳せました。最後に忘れてはならないのが、プロデューサー「ジェームス・ウィリアム・ガルシア」の存在です。ブラスロックのさきがけブラッド・スウェット&ティアーズを手掛けていましたが、その後シカゴのマネージメントに転身し大きな成功を収めました。
■1970年代初頭、2~3年でブーム終焉してしまった「ブラスロック」
ブラスロック分野は一般的にはジャズとロックの融合を狙ったものと解釈されますが、やはり「ロック」とされているからにはポップな感性と進歩的な実験精神が欠かせません。その分類境界は、ホーンセクション(管楽器)の存在であり、バンドのサウンドの厚みが大幅に増す効果があったのだと思います。そしてメンバー数はやたら大人数で7~8人という構成がメインでした。当該ジャンルでの先進バンドはアル・クーパーが結成した「ブラッド・スウェット&ティアーズ」(BS&T)でした。「スピニングホイールス」が最も有名な曲ですが、 力強い疾走感のブラスサウンド「マックエビル」やお茶目な「私が死んだ時」、重厚なロック基調で貫録溢れる「ゴーンダウンギャンブリン」、渋く歌い上げる「You've made me so very happy」など実に多彩な作品を生み出しています。BS&Tは「ちょっと渋すぎるんだよね~」と思いつつも当時から音楽路線を崩さず一貫して今も活躍しているバンドで尊敬に値します。BS&T・シカゴに2~3年遅れたデビューで一発屋に近い存在でしたが、一世を風靡した小気味のいいブラスロックバンドは「チェイス」でした。「黒い炎」(1971)は4本のトランペットが生み出すPOPなサウンドで実に疾走感に溢れた名曲で実にカッコよかったなあ・・。シャープでスリリングなホーンセクション展開JAZZ的な音楽性も強く高い評価を得ていたのに1974年にメンバー全員が悲劇の飛行機事故で亡くなってしまったことは実に残念なことでした。「タワー・オブ・パワー」はその後ファンクバンドになってしまいましたが、当時はブラスロックの範疇で語られます。「you're still a young man」(1972)はなかなかムード溢れる名曲!しかしブラスロックの王者はやはりシカゴしかありませんね~!スタジオミュージシャンやジャズメンのようなテクニックや音楽的素養は希薄な反面、サックス炸裂のワイルドかつPOPロック主体の音楽性が万人に受け入れられやすい点がシカゴの最大武器だと思います。
■続編は3rd盤「Chicago III 」&4枚組ライブ「atカーネギーホール」が登場!
現代では有料音楽配信やユーチューブで好きな音楽を手軽に楽しめるよき時代となり実に幸せなことだと思います。1970年当時は中学生の少ないお小遣いでLP1枚(2000円)を購入すること自体が一大イベントでした。その反面、一度購入した高価なアルバムは針が擦り切れるほど聴き込み、一つ一つの名曲が体に染みついておりアルバムに対する思い入れが強かったとも言えるでしょう。今、洋楽ブログメイトの方々と濃厚なコメント交流ができているのはそのような時代背景の中で青春時代を過ごし同じ音楽を聴いてきた共通体験があるからです。シカゴがリリースするLPはデビュー盤から3rd盤までが全て2枚組3600円、アルバム購入には大きな決断が必要なロックバンドでした。そして4枚目は4枚組でのライブ盤「シカゴatカーネギーホール」で何と7800円!1971年はRWは勇気を出してこの3rd盤と4th盤の高額アルバム2枚を清水舞台から飛び降りるが如く購入してしまいました。Chicago III (1971)はお気に入り曲が多く、毎日針が擦り切れる程聴き込みましたが、超高額カーネギーホールは冗長で渋すぎて落胆した苦い思い出でした。次回レポートは初期シカゴへの思い入れが頂点に達し、やがて褪めていく中学2年RWの心境をお届けする予定です。今回記事のLAST紹介は名盤2nd「シカゴと23の誓い」の最後を締め括った曲「約束の地へ」(Where Do We Go From Here)でお別れしましょう。
⇒次回は、米音楽界の大御所女性シンガーのディウォンヌ・ワーウィック「愛のハーモニー」(1985)をお届けします。♪\(^◇^)/♪
★(228) S&G 「ボクサー」~「明日に架ける橋」 (1969~70年) (2019.12. 24公開)
■令和最後の洋楽記事はS&Gの名曲「ボクサー」(1969)登場!
いよいよ令和元年(2019)も終わりに近づき、今年最後の洋楽記事を半世紀前の名曲「ボクサー」で締めたいと思います。2019年はラグビーW杯桜ジャパンのベスト8、大坂なおみ全豪テニス優勝、渋野日向子全英ゴルフ優勝、八村累のNBAデビュー後の大活躍、サニブラウン100m新記録など、数々の日本人が世界スポーツ快挙を成し遂げて大いに湧きました。しかし年末スポーツ回顧では日本ボクシング界のニュースが意外と話題になっていないかったのがチト可哀そうな感じ!5月に井上尚弥がバンタム級主要団体の5冠王者、11月には米国ボクシング権威誌で日本人初の3位ランク指定という前代未聞の大快挙を成し遂げたのです!7月村田諒太がWBAミドル級で王座奪還(12月に王座防衛成功)、12月同日には寺地拳四朗(WBAライトフライ級)が7度の王座防衛という素晴らしいニュースが次々に入り、日本ボクシングが大いに注目された年でした!ボクサーを称える洋楽曲で一番有名なのはやはり映画「ロッキー」のBGMでしょうね~。第1作ではビル・コンティのサックス炸裂「ロッキーのテーマ」、「ロッキー3」ではサバイバーの「アイ・オブ・ザ・タイガー」(1983)がリング入りを鼓舞する熱き応援歌として広く知られます。日本の歌では尾藤イサオ「あしたのジョー」(1970)とアリス「チャンピオン」(1978) が両巨頭曲でしょうね~!しかし小生にとって一番思い出に残るボクシング曲は、洋楽に初めて嵌り50年前に聴いたサイモン&ガーファンクルの「ボクサー」(冒頭掲載)なのです。心地よいイントロはアコギの響き、マンドリンやアコーディオンに合わせて流れる知的・繊細なダブルハーモニーがスタート!格闘技イメージとはかけ離れた優しい旋律が続き、やがて大編成展開(ストリングスや金管楽器が前面)に転じてクライマックス突入、終盤は連続コーラス「♩ライラライ、ライラライ、ラライラライ♩」と強烈な打楽器音と美しき弦楽世界が果てしなく続きます!その意味は「横たわるな!ぶっ倒れてもボクサーはまた立ち上がれ!」という激励歌なのかな?1分以上に及ぶリピートは「ヘイ・ジュード」の如くフェイドアウトかと思いきや、最後はフィンガーピック・アコギ音色と静かなソロで歌は終わります。力強さと心優しさ両面を兼ね備えた1969年のS&G傑作を50周年節目でお届けしました。
■S&G金字塔名盤「明日に架ける橋」(1970)の特集
な~んちゃって・・、実はボクシングネタは今回記事の冒頭に入るための方便導きでした。今日のメインは名曲「ボクサー」が収録されたサイモン&ガーファンクルの最後を飾った1970年の金字塔アルバム「明日に架ける橋」特集をお届けすることが真の目的!彼らの通算5作目オリジナル・アルバムは、全米チャートで10週連続1位、世界各国でも続々NO1売上げ獲得の大ヒット、さらにグラミー賞最優秀アルバム賞を始め6部門で栄冠に輝いた不朽の名作でした。RWが洋楽に嵌ったのは半世紀前の1970年、ちょうどS&Gが全盛期で頑張っておりビートルズが解散した年、多感な中1時代に出会った本名盤とS&Gグレーテストヒット(SONY限定赤盤)がわが青春時代の洋楽事始めのシンボル盤だったのです。今年最後の洋楽コーナーは、わが洋楽への導き恩人であるサイモン&ガーファンクルの名曲「ボクサー」(1969年)と名盤「明日に架ける橋」(1970年1月)が50年の節目を迎えたことの感慨を吐露し、「2020年に架ける橋」として年越しレポートにしたいと思います。
■アルバムA面の名曲
金字塔名盤のA面冒頭曲はアルバムタイトルでもある「明日に架ける橋」、こちらは最後の締めチョイスなのでまた後程に・・。2曲目は哀愁漂う「コンドルは飛んで行く」、この曲を深夜ラジオ放送で聴いてRWはS&Gに一挙嵌ってしまいました。南米アンデスの伝統民謡に基づいて作曲されたロス・インカスの演奏に英語歌詞を付けたカヴァー曲で雄大にコンドルが飛んでいく光景が目に浮かびます。物悲しいオカリナの音色と美しいコーラスが実にいいんですよね~!続くは全米4位に輝いた「いとしのセシリア」、強烈なパーカッション・オープニングから♪「セシーリア~、ヨア・ブレイキング・マイ・ハ~ト・・」と嘆きが始まる歌詞は、浮気を繰り返す彼女に心ハラハラする男の哀歌・嫉妬の歌。アップテンポで明るい曲調だったのでこんな内容だったとは知りませんでしたね~!4曲目「ご機嫌いかが」(Keep the Customer Satisfied)はあまり知られていない曲ですが米国のみでシングルカットされこのB面があの有名曲「アメリカ」だったと知ってこちらもビックリ!A面ラストナンバーは「フランク・ロイド・ライトに捧げる歌」はボサノヴァ風の味わいある静謐曲、曲題の主人公は有名な米国建築家、日比谷にあった旧・帝国ホテル(大正時代)も設計した方と知ったのは高校生になってからのことでした。
■アルバムB面の名曲
B面のスタートは冒頭に掲載した「ボクサー」(♩ライラライ、ライラライ、ラライラライ~♩)、2曲目は 「ベイビー・ドライバー」、S&Gとしてはやや異色の曲でユーチューブ画像を見れば彼らにもサイケデリックな一面もあったんだな~と再認識しました。続く「ニューヨークの少年」は「いとしのセシリア」のB面シングル曲、当時ガーファンクルが映画撮影で多忙状態にありレコーディングに不在がだったことからでNYに一人取り残されたサイモンの心境が歌詞に反映されています。ポール・サイモンがレゲエに挑戦した歌が4曲目「手紙が欲しい 」です。サイモンのソロデビューは「母と子の絆」でレゲエ曲で驚いたものですがすでに伏線のトライがあったのですね。このアルバムで4番目くらいに有名な曲は「バイ・バイ・ラブ」、泣きたいような失恋ソングな筈なのに実に明るい雰囲気、エヴァリー・ブラザーズのヒット曲カヴァーですがS&Gの曲としてわが脳裏に焼き付けられています。アルバムの最後を飾るのは「ソング・フォー・ジ・アスキング」、オーボエの音色の前奏、ストリングス伴奏も加わり静かにポールの歌声で始まる甘くせつない恋の歌でした。プラスアルファとして2001年ボーナストラックのデモ曲「木の葉は落ちて」 も付けておきましょう。
■ラスト閃光を放ちS&Gのコンビ自然解消・・、そして復活!
この1970名盤は商業的成功を意識した作品づくりになっており、従来の暗鬱的・内省的表現の時代(1967年前後)とは異なっています。S&Gを代表する多彩な名曲が満載!まさにビートルズのラスト金字塔「アビー・ロード」的な位置づけにある高い完成度の内容でした。しかし全体にポール・サイモン主導作品(厳密には音楽プロデューサーのロイ・ハリーとの共作って感じ)となっており、ガーファンクルの影は完全に薄い印象です。当時ガーファンクルは映画撮影に没頭しており、サイモンにとっては実に歯がゆかったことでしょうし、ガーファンクルの方も決してアルバム制作を疎かにした意識はないのに活躍の場が与えられなかったことで相互不信が芽生えたものと思われます。彼らはビートルズのように解散宣言は出しませんでしたが、その後2人の仲はフェードアウトしていくように実質的な解散状態となっていきました。しかし「人生は糾える縄の如し」・・、1975年に「マイ・リトル・タウン」をS&Gでリリース、1981年にはニューヨークのセントラル・パークで再結成しチャリティコンサートを開き53万人もの観衆を動員して世界ツアーを実施したのです。1993年は来日を果たし、RWはカミサンと東京ドームコンサートへ出かけ生のS&Gを見て感激しました。あれからもう四半世紀以上が経ったんだなあ・・。わが洋楽興味に導いてくれた恩人デュオにあらためて感謝し、彼らの最高名曲「明日に架ける橋」を聴きながら2020年への架け橋を渡っていきたいと思います。
■過去に紹介したサイモン&ガーファンクルの記事はコチラから
「サウンドオブサイレンス」
「冬の散歩道」
⇒次回は、シカゴの「長い夜」(1970)で2020年最初の洋楽記事をオープニングといたします♪\(^◇^)/♪
by rollingwest | 2004-01-17 00:00 | 洋楽(ロック・POPS) | Comments(202)
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rollingwest at 2019-12-25 06:00
ちびた様、貴殿とは洋楽興味に入った時代も音楽志向も似ているようで嬉しいです!やはり1970年前後に洋楽に嵌った世代はS&Gは絶対外せませんよね。今の若い人たちはビートルズは知っていてもS&Gはもう完全に無名状態です。寂しきものを感じますが、あれから50年経過していつまでも次世代に受け継がれるアーティストと「コンドルは飛んで行く」を中学の音楽で聴いてからハマりました。「いとしのセシリア」も彼らにしては印象的な曲です。「ボクサー」はいいですね、「明日に架ける橋」は名曲ですが、「ボクサー」の方が好きです。
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rollingwest at 2019-12-25 06:08
naruru-kato様、セルフポートレイトでのディランの一人ハモをユーチューブで探してみたのですが見つかりませんでした。でもボブディランとポールサイモンがコラボしたボクサーのLIVEを見つけられてよかったです!
ローリングウエスト様、私のブログにご来訪ありがとうございます。私はサイモンとガーファンクルはリアルタイムではわからないのですが・・・いつも一緒に演奏をしてくださる尊敬する方が大ファンなのでそのつながりで聴くようになりました。
その方の勧めでCDとDVDも購入して一杯演奏を聴いたのですが、本当に素敵だと思います。英語の歌は苦手なのでまだレパートリーは少ないですが、ぜひ覚えて演奏して行きたいと思っております。ボクサーは尊敬する方の十八番、また教わりたいと思います。こんな私ですが、どうぞこれからもよろしくお願いいたします(⋈◍>◡<◍)。✧♡
その方の勧めでCDとDVDも購入して一杯演奏を聴いたのですが、本当に素敵だと思います。英語の歌は苦手なのでまだレパートリーは少ないですが、ぜひ覚えて演奏して行きたいと思っております。ボクサーは尊敬する方の十八番、また教わりたいと思います。こんな私ですが、どうぞこれからもよろしくお願いいたします(⋈◍>◡<◍)。✧♡
私が洋楽の存在を知ったのが
サイモン&ガーファンクルでした。
とても懐かしい時代だったけど
いい時代とは思ってない
きっとこの頃からADHDは発症してたのだろう
どうしたらうまく生きる事ができるのだろうと
子供の頃から考えてた自分がいます。
サイモン&ガーファンクルでした。
とても懐かしい時代だったけど
いい時代とは思ってない
きっとこの頃からADHDは発症してたのだろう
どうしたらうまく生きる事ができるのだろうと
子供の頃から考えてた自分がいます。
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rollingwest at 2019-12-26 06:34
Peace of Mind かおり様、ようこそいらっしゃいませ!一緒に演奏をしてくださる尊敬する方がS&Gの大ファンでしたか!その方は多分還暦前後だと思います。1970年頃に洋楽に嵌った人は大抵、S&G・ビートルズ・エルトンジョンに夢中になった人が多いからですね。かくいう小生がそのパターンで、S&Gの美曲には青春時代大いに癒されました。小生の紹介する洋楽記事は多分知らないアーティストばかりと思いますが、ロックPOPSが一番発展進化した60年代中盤から70年代中盤期の名曲を沢山紹介させて頂きますので今後ともよろしくお願いいたします。
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rollingwest at 2019-12-26 06:45
せいパパ様、サイモン&ガーファンクルを聴き始めた時と病気を発症された時期が被ってしまい、いい思い出曲として捉えられないのは残念ですが、彼らの歌は内面表現の歌も多く人間の心情を内省的に描いているので共感できる歌が沢山あると思います。歌詞を理解しながら名曲を聴いてみると大いに惹かれるものがありますよ。
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気まま
at 2019-12-26 15:07
x
サイモンとガーファンクルを知ったのは僕が中1の頃、まさに洋楽デビューしたての時でした。いろいろ想い出がありますが、その当時好きだった女の子に、アルバムを借りてドキドキしながら聴いたのがS&Gでした。スカボローフェア好きだったなあ。映画「卒業」のサントラも懐かしいですね。彼らが男性デュオナンバー1だと今でも思っています。
こんばんは。
これなら当方にも十分分かります。
兄がアルバムを買っていましたの
で、自ずと聞いている環境でした。
懐かしいです。
今となっては戻れぬ遠き時代と
なっています。今思いますと
1960年代から1970年代は良
かったなぁ。
最近はやりの音楽は聴いてい
ましてもつまりません。次第
に遠のき、たまにラジオなど
で流れる昔の曲なんかに喜ん
でいます。
そこでですね。
橋幸夫の『雨の中の二人』
なんて曲のメロディーが
頭にこびりついています(笑)。
これなら当方にも十分分かります。
兄がアルバムを買っていましたの
で、自ずと聞いている環境でした。
懐かしいです。
今となっては戻れぬ遠き時代と
なっています。今思いますと
1960年代から1970年代は良
かったなぁ。
最近はやりの音楽は聴いてい
ましてもつまりません。次第
に遠のき、たまにラジオなど
で流れる昔の曲なんかに喜ん
でいます。
そこでですね。
橋幸夫の『雨の中の二人』
なんて曲のメロディーが
頭にこびりついています(笑)。
はじめまして。私のブログにもご訪問くださりありがとうございます。「ボクサー」懐かしいですね。アルバムもよく聴きました。「明日に架ける橋」は友人とカラオケでよく歌いましたが、「ボクサー」は英語が速くて友人にまかせっきりでした。懐かしいです。
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rollingwest at 2019-12-26 20:50
気まま様、貴殿も中1時代が洋楽デビュー・サイモン&ガーファンクルに出会って嵌った経緯にあるとは小生と全く同じですね!憧れていた女の子からアルバムを借りてドキドキしながら聴いたなんて最高の青春の思い出ですね!S&Gを聴くと初恋の味がするなんていいですね~!小生はそんな甘い思い出は全くありません・・(苦笑) S&G特集は今回記事で一応ケリをつけましたが、2人も高齢になってきておりいつか訃報が入る日が来ることは覚悟しています。その時に「スカボローフェア」や「早く家に帰りたい」などの名曲を取り上げてみたいと思っています。
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rollingwest at 2019-12-26 20:59
地理佐渡様、S&Gは十分ズバリの懐かしきアーティストでよね!貴殿は兄上の影響を受けて洋楽好きになったのですね。小生は弟に同じような影響を与え、弟にお前はビートルズ担当と命じて歴代ビートルズ名盤を買わせ、自分は最前線のロックアルバムを購入していました。あの頃はLPは高額商品でしたので兄弟でコストシェアしながらロックPOPsを共有していました。
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rollingwest at 2019-12-26 21:13
梅乃遊様、ようこそいらっしゃいませ!小生も色々な友達と洋楽カラオケ歌いまくりに行きますが、最後の締めは必ずS&G「明日に架ける橋」で共演絶唱をします。小生は「ボクサー」も結構得意でよく歌いますよ。ライラライが長すぎるので最後は演奏中止にしちゃいますが・・(笑)同じ1970年代洋楽を共有できる仲間がまた一人増えて嬉し限りです。こちらにコメントを頂ける洋楽メイトの方々は相当詳しい方、マニアックな方が多くいて物凄く勉強になりますよ!今後ともお付き合いよろしくお願いいたします。
こんばんは☆
S&G、私のHNの秘密がこの片割れに潜んでおります。
かつて南の国で一緒に仕事をした華僑の方が、S&Gの大ファンで、私の英語名をこうしたのでした。
しかし、楽曲的にはアート・ガーファンクルの方が好きというところがご愛敬でもあります(笑)
S&G、私のHNの秘密がこの片割れに潜んでおります。
かつて南の国で一緒に仕事をした華僑の方が、S&Gの大ファンで、私の英語名をこうしたのでした。
しかし、楽曲的にはアート・ガーファンクルの方が好きというところがご愛敬でもあります(笑)
ボクサー、例の50周年シリーズですね。
ボクサーというと普通は「アイ・オブ・ザ・タイガー」
のような曲をイメージしますが直感的にS&Gと結び付きませんよね。
曲調もおよそボクシングらしくない…
実際、最後の部分にしかボクサーは登場しないので仕方ありませんが
つまりは比喩なのだと思います。
ボクサーというと普通は「アイ・オブ・ザ・タイガー」
のような曲をイメージしますが直感的にS&Gと結び付きませんよね。
曲調もおよそボクシングらしくない…
実際、最後の部分にしかボクサーは登場しないので仕方ありませんが
つまりは比喩なのだと思います。
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by
RRExpress4 at 2019-12-27 00:03
こんばんは。このアルバムに、当時までの曲を集めたベストアルバムのうち、かなりを占める曲が入っていましたね。
このアルバムの曲はピアノ、オーケストラ、大編成のコーラスなど、もはやフォークソングという枠に収まらないポピュラーソングの名曲が山ほど詰まっておりました。
それでいて、〆は静かで独り言的な「ソング・フォー・ジ・アスキング」。
彼ららしい締めくくり方とも思えます。
このアルバムの曲はピアノ、オーケストラ、大編成のコーラスなど、もはやフォークソングという枠に収まらないポピュラーソングの名曲が山ほど詰まっておりました。
それでいて、〆は静かで独り言的な「ソング・フォー・ジ・アスキング」。
彼ららしい締めくくり方とも思えます。
このアルバムはまさにS&Gの集大成とも言うべき大傑作ですね。
僕の日記でもS&Gはオリジナル・アルバムをすべて採り上げていますので、お時間のあるときにでもどうぞご笑覧ください。名前のところのURLにS&G日記の一覧があります。
僕の日記でもS&Gはオリジナル・アルバムをすべて採り上げていますので、お時間のあるときにでもどうぞご笑覧ください。名前のところのURLにS&G日記の一覧があります。
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rollingwest at 2019-12-27 06:00
simon777様、貴殿のハンドルネームはS&Gがお好きだったんだろうなあと思っていましたがアート・ガーファンクルの方がお好きだったとは意外ですね~!小生も実はソロになってからは断然ガーファンクルの方に嵌っていました。彼は本当に美しい声をしていますよね!今年も一般記事・洋楽記事に毎回こまめにコメントを頂戴して誠にありがとうございました!
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rollingwest at 2019-12-27 06:08
Beat Wolf様、今年は50周年シリーズが多かったですが、1970年がわが洋楽入門時代でしたので年が明けてもずっと続きそうです。ボクサーは一般的に今の若い人達は断然「アイ・オブ・ザ・タイガー」でしょうね~。我々のように「ボクサー」「あしたのジョー」が浮かぶ世代は完全にアラ還ですね。でもそれぞれがボクサーを初めてクローズアップさせた名曲ではないでしょうか。
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rollingwest at 2019-12-27 07:10
RRExpress4様、小生が生まれて初めて購入した洋楽LPはSONY赤いジャケットの2枚組「S&Gグレーテストヒッツ限定盤」(1970)でした。このベスト盤とアルバム「明日に架ける橋」の収録曲はほぼ被っており、赤盤はサウンドオブサイレンスなど初期~中盤期の曲も入っていたのでコチラの方がお得感がありました。そういう意味では「明日に架ける橋」LPに収録されたマイナー曲は初めて聴くのもあり新鮮でした。「ソング・フォー・ジ・アスキング」もその一つです。
人気なので、なかなか良い状態の輸入盤が手に入りません。
来年こそは・・・ 良いお年を。
来年こそは・・・ 良いお年を。
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rollingwest at 2019-12-27 07:18
☆彡ふらんぼう様、貴殿もS&G日記一覧をつくられている程、大ファンだったのですね!ビートルズは「アビーロード」で、S&Gは「明日に架ける橋」でほぼ同時期に最後の閃光を放ち金字塔アルバムを作って解散していきました。ビートルズは数々の名盤が若い世代に受け継がれていったのに比べて、S&Gは完全に忘却の彼方になってしまっていることが寂しきことです。今年も洋楽記事に毎回コメントを頂戴して誠にありがとうございました!よいお年を!
おはようございます☆☆
英語名を付ける場合、日本語のアルファベットに揃えた英語名を付ける事が多く、
実名(サイバー空間では非公開です(笑))の頭文字が
S
ですので、そこから↑の華僑の御方が
響きが佳いサイモンをチョイスした次第。
と、いう曰くがありました♪
777はオマケです(笑)
一気に寒くなりそうですが、佳いお年をお過ごしくださいな
英語名を付ける場合、日本語のアルファベットに揃えた英語名を付ける事が多く、
実名(サイバー空間では非公開です(笑))の頭文字が
S
ですので、そこから↑の華僑の御方が
響きが佳いサイモンをチョイスした次第。
と、いう曰くがありました♪
777はオマケです(笑)
一気に寒くなりそうですが、佳いお年をお過ごしくださいな
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doronko-tonchan at 2019-12-27 07:29
S&Gのボクサーは好きですが、あの印象的なLie-la-Lie・・・は
ポールによると歌詞がどうしても思いつかず苦肉の策で書いたものだそうです。
ウソではないようです。笑
また年末年始ですね。
今後共どうぞよろしくお願いします。
ポールによると歌詞がどうしても思いつかず苦肉の策で書いたものだそうです。
ウソではないようです。笑
また年末年始ですね。
今後共どうぞよろしくお願いします。
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rollingwest at 2019-12-27 07:29
たいへー様、音質のいい輸入盤を探しておられるとはS&Gへの入り方・拘り方が違いますね!今年も楽しく交流して頂き感謝申し上げます。
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rollingwest at 2019-12-27 07:37
simon777様、貴殿のハンドルネームの名づけ由来がわかってよかったです!S&Gの大好きな華僑の方に感謝ですね!777もトリプルラッキー7で来年もよき年でありますように!
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rollingwest at 2019-12-27 07:53
doronko-tonchan様、S&Gボクサーが強烈な印象を残すのはやはり「Lie-la-Lie・・・」の連続コーラスですよね~!歌詞がどうしても思いつかない苦肉の策とは初めて知りました!アリスが「チャンピオン」で連呼したのも間違いなくS&G名曲の影響ですね!
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opaphoto at 2019-12-27 11:06
S&G、多くの名曲は今聴いても素晴らしいものです。
セントラルパークのライヴ盤は愛聴してましたね。
生ライヴ観られたんですね、良い思い出ですね!
セントラルパークのライヴ盤は愛聴してましたね。
生ライヴ観られたんですね、良い思い出ですね!
ローリングウエスト様、たびたびご来訪いただきありがとうございました。
おかげさまでビートルズ、S&G、モンキーズなど懐かしい音楽を聴く機会も増えちょいとノスタルジックな楽しい日々を過ごしております (^^) 。
来年もどうかよろしくお願いいたします。良いお年を~!
おかげさまでビートルズ、S&G、モンキーズなど懐かしい音楽を聴く機会も増えちょいとノスタルジックな楽しい日々を過ごしております (^^) 。
来年もどうかよろしくお願いいたします。良いお年を~!
こんばんは。
名曲ぞろいのアルバムですね。このアルバムを最後に活動休止になってしまったのは本当に残念です。余談ですが、「いとしのセシリア」は、アカペラの定番曲として歌われています。
今年もお世話になりました。来年もよろしくお願いします。
名曲ぞろいのアルバムですね。このアルバムを最後に活動休止になってしまったのは本当に残念です。余談ですが、「いとしのセシリア」は、アカペラの定番曲として歌われています。
今年もお世話になりました。来年もよろしくお願いします。
こんばんは!
S&Gのボクサーは歌い方も演奏もとってもいいです。
「冬の散歩道」は数年前にブログの方からの紹介曲で
曲名とちょっと違ってリズムも良くロックナンバーで、
聴いて元気のでてくる曲です。
S&Gはいい曲が豊富にあるのですね。
S&Gのボクサーは歌い方も演奏もとってもいいです。
「冬の散歩道」は数年前にブログの方からの紹介曲で
曲名とちょっと違ってリズムも良くロックナンバーで、
聴いて元気のでてくる曲です。
S&Gはいい曲が豊富にあるのですね。
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rollingwest at 2019-12-28 06:04
ろーりんぐopaphoto様、S&Gの名曲は50年経過しても全く色褪せませんね。次回のS&G特集は「スカボロフェア」「早く家に帰りたい」「アイアム・ア・ロック」または「マイ・リトルタウン」あたりを主題歌にした記事にしょうと思っております。また来年もコメント交流よろしくお願いいたします。
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rollingwest at 2019-12-28 06:11
HY様、アカペラの「いとしのセシリア」って是非聞いてみたいですね!この曲は50年ぶりに嵌っています。当時は「♪シーリア~」と聞えていましたが、曲題からすれば「セ・シーリア~♪」ですよね。今さらながら気が付いたと再認識でしたが、歌詞の方は奔放な彼女に対するハラハラ心配する嫉妬曲だったのかと目から鱗でしたね~!来年もまた切磋琢磨し合いましょう!
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sikisai04 at 2019-12-28 06:26
サイモン&ガーファンクルは「コンドルは飛んで行く」を始め「ボクサー」や「明日に架ける橋」などたくさんのヒット曲がありますね。
どれも馴染みの深い曲で今でも時々聴いています。
特に「スカボロー・フェア」はお気に入りです。
サイモン&ガーファンクルはしっとりと歌い上げる曲が多いですね。
暮も押し迫って後、今日を入れて4日となりました。
どうか良いお年をお迎え下さい。
来年も変わらずよろしくお願い致します。
どれも馴染みの深い曲で今でも時々聴いています。
特に「スカボロー・フェア」はお気に入りです。
サイモン&ガーファンクルはしっとりと歌い上げる曲が多いですね。
暮も押し迫って後、今日を入れて4日となりました。
どうか良いお年をお迎え下さい。
来年も変わらずよろしくお願い致します。
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rollingwest at 2019-12-28 06:33
みすてぃむーん様、S&Gはわが青春・洋楽への導いてくれた恩人で小生にとってはビートルズと匹敵する存在です。「ボクサー」は実に素晴らしい曲でしょ!今までは「サウンドオブサイレンス」 「冬の散歩道」で特集記事を組んで今回で3記事目ですが、次回は「スカボロフェア」を紹介しようかなと思っております。
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rollingwest at 2019-12-28 06:54
カルロス様、今年は懐かしき時代の洋楽を共有できる方がまた新たに増えて嬉しい限りです!来年はビートルズが解散50周年、ジョン暗殺40周年で映画レットイットビーも公開されますからまた大いに盛り上がるでしょうね~!1970年は小生が洋楽に嵌った年なので50周年ネタで沢山の名盤・名曲を紹介していきたいと思います。来年もよろしくお願いいたします。(^^) 。!
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rollingwest at 2019-12-28 07:11
sikisai04様、洋楽記事へ久しぶりにご来訪頂きありがとうございます!サイモン&ガーファンクルは大ファンだったのですね!「コンドルは飛んで行く」「ボクサー」「明日に架ける橋」は彼らの最後の金字塔でしたが、わが世代にとっては洋楽入門の貴重なバイブル曲ばかりでした。次回の記事はまた前半期の名曲に戻って「スカボロー・フェア」は掲載しますのでお楽しみに~!来年こそ今年よりも安寧で健康に暮らせますように。よいお年を!
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yokuya2006 at 2019-12-28 11:00
このアルバムは、確かに傑作だったし、そして良く売れましたよね。私は手を出さない分野ではあるけれど、下宿の仲間で聞き込んでいる奴がいて、当時いろいろと蘊蓄開設を聞かされたものです。
酒を飲んでは、ブリティッシュだ(私)いややっぱりアメリカだと言いあってましたが、英国派は劣勢だったナ。
さて、今年は当方へのご訪問 誠に有難うございました。
来年は、私はバタバタの前半を迎えると思いますが、今後ともどうぞ宜しくお願いいたします。
酒を飲んでは、ブリティッシュだ(私)いややっぱりアメリカだと言いあってましたが、英国派は劣勢だったナ。
さて、今年は当方へのご訪問 誠に有難うございました。
来年は、私はバタバタの前半を迎えると思いますが、今後ともどうぞ宜しくお願いいたします。
こんにちは
サイモンとガーファンクルはよく聴きました。
アメリカ人らしい(ごく普通のアメリカ人)二人が歌う歌は日本人にも共感する部分がありますね。
1年間お付き合いいただきありがとうございます。
来年もよろしくお願いします。
良い年をお迎えください。
サイモンとガーファンクルはよく聴きました。
アメリカ人らしい(ごく普通のアメリカ人)二人が歌う歌は日本人にも共感する部分がありますね。
1年間お付き合いいただきありがとうございます。
来年もよろしくお願いします。
良い年をお迎えください。
ライラライ♪と聴こえてくるとアリスが脳裏をかすめまてしまいますが・・・f^^
"サイモン&ガーファンクル" 改めて今聴くと、アレンジが綿密で、アンサンブルがキレイですね。
リアルタイムではないけれど、ファンだった友達とリピートしたアルバム。懐かしいですね。
身近な感じ、しっくり心和みます。
今年もたくさんの情報をありがとうございました。
楽しく拝見させて頂きました。
令和元年もあと数日。良いお年をお迎えください^^
"サイモン&ガーファンクル" 改めて今聴くと、アレンジが綿密で、アンサンブルがキレイですね。
リアルタイムではないけれど、ファンだった友達とリピートしたアルバム。懐かしいですね。
身近な感じ、しっくり心和みます。
今年もたくさんの情報をありがとうございました。
楽しく拝見させて頂きました。
令和元年もあと数日。良いお年をお迎えください^^
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rollingwest at 2019-12-29 06:00
バイオマスオヤジ様、青春時代にS&Gはあまり聴かなかったですか!?貴殿は主にプログレ系がお好きでしたから、フォークロック系は守備範囲ではなかったんですね。小生は結構ダボハゼで色々なPOPS・ロックに食いつきましたが、やはりS&Gと初期エルトンジョンがわが洋楽入門への導き恩人だったので拘りがあります!貴殿の若き日、下宿で酒を汲み交わしながら米国と英国ロックの議論、小生も加わってみたかったですね~!来年は住み慣れた関東から引っ越しをして札幌生活が始まりますね。当面ご多忙が続くと思いますが、来年もまた息抜きで時たま顔を出されてみて下さい。それでは、よいお年を~!
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rollingwest at 2019-12-29 06:07
Yuta様、サイモンとガーファンクルの音楽は日本人の琴線を擽る名曲が本当に多いです。一番最初に彼らを知ったのは小学校時代(1967)に不二家CMで流れていたS&Gの「サウンド・オブ・サイレンス」を聴いて感銘しました。そして映画「卒業」のBGM「サウンドオブサイレンス」「ミセスロビンソン」で好きになり始め、「明日に架ける橋」の大ヒットで完全に彼らの虜となりました。
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rollingwest at 2019-12-29 06:21
夏海様、アリスのチャンピオン「ライラライ♪」は完全にサイモン&ガーファンクル「ボクサー」を意識していますね。S&G曲は貧乏でまだ弱いボクサー、アリスはその続編として「チャンピオン」に成長させて栄光の座につかせたドラマにしたのではないでしょうか。まさに映画ストーリーの如くロッキー・バルボアが王座を掴んでいくが如く!
こちらもこの1年、一般記事・洋楽記事に毎回こまめにコメントを頂戴して誠にありがとうございました!来年もよろしくお願いいたします。
こちらもこの1年、一般記事・洋楽記事に毎回こまめにコメントを頂戴して誠にありがとうございました!来年もよろしくお願いいたします。
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架け橋
at 2019-12-29 06:34
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S&Gとの出会いは好き嫌いというより、無条件に入ってきた感じ。アルバムとしての「明日に架ける橋」はほとんど意識したことがなかったので勉強になりました。「ソング・フォー・ジ・アスキング」もなかなかですね。「Essential S&G」という2枚組ベスト集CDがあったので、当方もこれで年越しだね。
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rollingwest at 2019-12-29 07:24
架け橋様、貴殿と洋楽カラオケを歌いまくりの最後は必ず「明日に架ける橋」での熱唱で締めますね。また来年も行きましょう。今年は黒部五郎岳の2人で重荷テントを担いでのロング縦走が深い思い出に残りました。来年の北アルプスも楽しみにしております。それではよいお年を~!
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まさる
at 2019-12-29 13:49
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今年もいよいよカウントダウンになりましたね。今年のトリを飾るのはS &Gと来ましたか!1993年の東京ドーム、貴君も奥様と来ていたんだね!私も行ってました。南こうせつが前座で出て来たのもビックリだったし、ガーファンクルの喉の調子が悪かったのも残念だったけど、中学時代、それこそカセットテープが擦り切れるほど聴いて、ギターを覚えた憧れのデュオと同じ空間に居られるだけで幸せだったなぁ〜。同世代かちょっとその上の方達が皆んな青春時代に戻っていたよね。私の友人達の中でも、S&Gをアコギで弾き語り出来る奴は今でもHEROですよ。
「ボクサー」「明日に架ける橋」「アメリカ」「サウンドオブサイレンス」が大好きで今でも聴いています。あの頃、映画「卒業」もヒットしていて、こっちにもハマったなぁ〜。若かりしダスティンホフマンとキャサリンロスのラストシーンに感動して(結婚式場で花嫁を奪い去るあの名シーン!)アンバンクロフトのロビンソン夫人の大人の色気にドキドキして(好きな娘のお母さんとHしていいのかよ!) そして、全編に流れるS&Gのデュオ。アメリカン・ニューシネマの代表作だったよね。
そういえば当時のニューシネマ代表作の1つでもあった「イージーライダー」のピーターフォンダも今年亡くなったね。ステッペンウルフの「born to be wild」もカッコ良かったなー。あの頃、本当にいつか必ずアメリカに行くぞって思ってた。
今でも、S&Gを超えるデュオは居ないと思ってます。
「ボクサー」「明日に架ける橋」「アメリカ」「サウンドオブサイレンス」が大好きで今でも聴いています。あの頃、映画「卒業」もヒットしていて、こっちにもハマったなぁ〜。若かりしダスティンホフマンとキャサリンロスのラストシーンに感動して(結婚式場で花嫁を奪い去るあの名シーン!)アンバンクロフトのロビンソン夫人の大人の色気にドキドキして(好きな娘のお母さんとHしていいのかよ!) そして、全編に流れるS&Gのデュオ。アメリカン・ニューシネマの代表作だったよね。
そういえば当時のニューシネマ代表作の1つでもあった「イージーライダー」のピーターフォンダも今年亡くなったね。ステッペンウルフの「born to be wild」もカッコ良かったなー。あの頃、本当にいつか必ずアメリカに行くぞって思ってた。
今でも、S&Gを超えるデュオは居ないと思ってます。
この作品の頃は私は小学校4年生。でも、洋楽はある程度聴いてました。6学年上の兄がビートルズとS&Gを聴きまくってましたから。兄の動きをみると、ロックではなくポップスという面で見れば、ビートルズ→S&G→カーペンターズという流れが、当時の洋楽入門のメインストリームだったような気がします。
それにしても、この作品発表当時のS&Gは神がかってましたね。解散後のソロ作品もそれなりに良いんですが、この時期に比べると、やっぱり・・・。
ビートルズのようにレコード会社がリマスターとかで騒がないのが不思議ですねー。そういえばカーペンターズも。
それにしても、この作品発表当時のS&Gは神がかってましたね。解散後のソロ作品もそれなりに良いんですが、この時期に比べると、やっぱり・・・。
ビートルズのようにレコード会社がリマスターとかで騒がないのが不思議ですねー。そういえばカーペンターズも。
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Soul Mate
at 2019-12-29 19:57
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すまん、S&Gはあんまり聴いたことないんよ。CD1枚も持っとらん。「ボクサー」生まれて初めてじっくり聴いたが、何を歌っとるんかさっぱりわからんな。本当のボクサーのこと歌うとるんじゃないんじゃろ?良いお年をね!!!
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240_8 at 2019-12-29 20:11
こんばんは。
S&G、大好きでした。ボクサーは、アコギを買ったときによくコピーしました。イントロの部分、これもよく弾いたなあ~。スリーフィンガーの恰好の教材…ですね。
「いとしのセシリア」もいい曲だし。タイトル曲は言うまでもなく。
そういえばこの「明日に架ける橋」の素晴らしいピアノがラリー・ネクテルという、当時ベーシストとして大好きだった彼が弾いていたと知ってビックリした記憶があります。
また来年も素晴らしい記事を期待しております。
S&G、大好きでした。ボクサーは、アコギを買ったときによくコピーしました。イントロの部分、これもよく弾いたなあ~。スリーフィンガーの恰好の教材…ですね。
「いとしのセシリア」もいい曲だし。タイトル曲は言うまでもなく。
そういえばこの「明日に架ける橋」の素晴らしいピアノがラリー・ネクテルという、当時ベーシストとして大好きだった彼が弾いていたと知ってビックリした記憶があります。
また来年も素晴らしい記事を期待しております。
今年最後の記事はサイモン&ガーファンクルですか!
「明日に架ける橋」、彼らの最高名曲というか、洋楽界の最高傑作ともいえますですね。
私が洋楽を本格的に聴き始めたのは70年代中頃ですが、その前、姉が聴いていたサイモン&ガーファンクル、多分ベスト盤だったと思いますが、一緒に聴いていて、サイモン&ガーファンクルって、いいなぁ!って思い、ラジオでもよく聴いていました。その頃からのファンです。
今年もローリング・ウエストさんの記事、楽しんで読ませていただきました。ありがとうございました。来年もまたよろしくお願いします。
「明日に架ける橋」、彼らの最高名曲というか、洋楽界の最高傑作ともいえますですね。
私が洋楽を本格的に聴き始めたのは70年代中頃ですが、その前、姉が聴いていたサイモン&ガーファンクル、多分ベスト盤だったと思いますが、一緒に聴いていて、サイモン&ガーファンクルって、いいなぁ!って思い、ラジオでもよく聴いていました。その頃からのファンです。
今年もローリング・ウエストさんの記事、楽しんで読ませていただきました。ありがとうございました。来年もまたよろしくお願いします。
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rollingwest at 2019-12-30 06:09
まさる殿、1993年東京ドームのS&Gコンサートで貴殿と同じ空気を吸っていたんだと思うと不思議になるね!我々夫婦は外野席のかなり上の外れた席だったので本物のS&Gは芥子粒みたいに小さくしか見えなかった。もっぱら電光掲示板で見ていたが、あの時のガーファンクルは喉の調子が悪かったのか・・。S&Gの名曲を初めて知ったのは小学校時代(1967)に不二家CMで流れていた「サウンド・オブ・サイレンス」だった。その後、映画「卒業」で数々の名曲、ダスティ・ホフマンが「エレ~ン!」と結婚式会場のガラス窓を叩くシーンが強烈な印象だったね!貴殿とこうやって濃厚な洋楽メイトになれたのも、2年前の中学生同窓還暦会で久しぶりに再会し、2次会で一緒に「明日を架ける橋」を熱唱してからだね~!これも何かの縁を感じるよ。来年もまたお付き合いよろしくお願いいたします。今度、上京の折にまた一緒に洋楽カラオケ歌いまくりと居酒屋で一杯やろう!
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rollingwest at 2019-12-30 06:22
ミュウ様、お兄さんは多分小生の1~2年上級生ですから、洋楽POPSの志向はぼ同じだなあと思いました。ビートルズ→S&G→カーペンターズは全く頷けます。小生はここに初期エルトンジョン、ブラスロック時代のシカゴ、プログレとハードロックが入ります。ビートルズは結成・名盤発売・解散○○周年ごとにリマスターや記念盤が出ますが、確かにS&Gとカーペンターズはないですね~。ビートルズのような商業的リサイクルがあれば、S&Gも若い人たちに受け継がれていただろうに・・。
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rollingwest at 2019-12-30 06:37
聖二殿、70年に洋楽に嵌り始めてS&G「ボクサー」生まれて初めてじっくり聴いたとは珍しいやっちゃなあ・・!プログレ嫌いは理解できんでもないが、あの青春時代にS&Gに全く興味がなかった奴は殆どいなかったよ。食わず嫌いしておらんでベスト盤聴いてみな。名曲のオンパレードだよ!それでは最後のご挨拶、よいお年を!来年もよろしくね!
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rollingwest at 2019-12-30 06:47
240_8様、貴殿はS&G「ボクサー」をよく演奏されたのであれば一層の思い入れがあるでしょうね。「明日に架ける橋」の素晴らしいピアノ演奏をしたラリー・ネクテルは小生が大好きだったブレッドのメンバーだったんですよ!ブレッドッ特集もまた続きをやります。来年もまた洋楽のお付き合いよろしくお願いいたします。
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rollingwest at 2019-12-30 07:01
星船様、今年最後の記事は 「明日に架ける橋」を聴きながら「2020年に架ける橋」を渡って年末から年始へ越していきたいと思っております。このアルバムがリリースされたのは1970年1月、まさに50年を迎える節目の大晦日記事は絶対にこの曲にしようと数年前から誓っておりました。1970年は小生が洋楽に嵌った中学1年生の思い出年なので、2020年も○○50周年がやたら登場すると思います。今年も一般・洋楽記事に毎回こまめにコメントを頂戴して誠にありがとうございました!お体をご自愛頂き年末年始を健やかにお過ごし下さい。
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silvergray2 at 2019-12-30 13:25
S&Gのボクサー。
この前ラジオでアルフィーの高見沢氏が「ボクサー」を紹介しつつ、今、この曲をオリジナルのギター演奏と歌、ハーモニーを出来るのは、坂崎と桜井しかできないだろう、と言っていました。
本家もたぶんできない。
歳を取ると色々な味付けを加えたがるものですからね。
今聴いても新鮮で、すばらしいギターワークです。でもやはりこの頃のS&Gは戻っては来ません。
今年もこちらの気儘なコメントに対応していただき、ありがとうございました。
また来年も楽しませてください。
良いお年をお迎えください。
この前ラジオでアルフィーの高見沢氏が「ボクサー」を紹介しつつ、今、この曲をオリジナルのギター演奏と歌、ハーモニーを出来るのは、坂崎と桜井しかできないだろう、と言っていました。
本家もたぶんできない。
歳を取ると色々な味付けを加えたがるものですからね。
今聴いても新鮮で、すばらしいギターワークです。でもやはりこの頃のS&Gは戻っては来ません。
今年もこちらの気儘なコメントに対応していただき、ありがとうございました。
また来年も楽しませてください。
良いお年をお迎えください。
S&Gは、自分が中学生の頃にセントラル・パークでの再結成があり、自分世代にも非常に人気が高かったですね。私自身はもっとロックっぽいのが好みだったので、あまり聴かなかったですけど^^;
他の方も指摘されているので、ワザワザ書くのもアレですが、ライラライは歌詞が思いつかなかったからというエピソードは私もどこかで聞きました。
他の方も指摘されているので、ワザワザ書くのもアレですが、ライラライは歌詞が思いつかなかったからというエピソードは私もどこかで聞きました。
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メロン
at 2019-12-30 20:04
x
S&G、、、とっても懐かしくどれも大好き!!
もちろん、「卒業」の映画もとっても懐かしく。。。
胸ウルルルですゥ〜。
テープに友達が入れてくれて大切にしていた財産をですね、テープ!!
息子が中1の時に貸したんですね、、息子も気に入ったようでした。
今でも絶対に好きですね〜。
もちろん、「卒業」の映画もとっても懐かしく。。。
胸ウルルルですゥ〜。
テープに友達が入れてくれて大切にしていた財産をですね、テープ!!
息子が中1の時に貸したんですね、、息子も気に入ったようでした。
今でも絶対に好きですね〜。
こんばんわ。
「ボクサー」と聞いてからずっとあのコーラスが頭の中でエンドレスにグルグル回っています(笑)。
S&Gの中では『ブックエンド』とこの『明日に架ける橋』が最も好きなアルバムです。
特に「ボクサー」は本当に素晴らしいコーラスですよね。
今年も本当にありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。
「ボクサー」と聞いてからずっとあのコーラスが頭の中でエンドレスにグルグル回っています(笑)。
S&Gの中では『ブックエンド』とこの『明日に架ける橋』が最も好きなアルバムです。
特に「ボクサー」は本当に素晴らしいコーラスですよね。
今年も本当にありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。
S&Gの所有レコードは「明日に架ける橋」「コンドルは飛んで行く」のEP2枚ですが、これは後世に残る名曲と判断して73、4年ころに購入したものです(笑)
そうそう「明日に架ける橋」は240_0さん、RWさんの仰るように大好きなブレッドのラリー・ネクテルがピアノを弾いているというのもあってのものでした。検索してみたら「ギターマン」の印象的なギタープレーも彼だったんですね。
今年もここ暫くほぼ「ラーメン」ネタしか書いていない拙ブログにも訪問くださりありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願いします。
そうそう「明日に架ける橋」は240_0さん、RWさんの仰るように大好きなブレッドのラリー・ネクテルがピアノを弾いているというのもあってのものでした。検索してみたら「ギターマン」の印象的なギタープレーも彼だったんですね。
今年もここ暫くほぼ「ラーメン」ネタしか書いていない拙ブログにも訪問くださりありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願いします。
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rollingwest at 2019-12-31 06:00
silvergray2様、S&Gのボクサーのハーモニー&ギターワーク、アレンジ・壮大な展開、50年目にして聴くとまさに1970年前後の隠れた名曲、S&Gって本当に素晴らしいですね~!わが洋楽への導き恩人はいつまでたっても色褪せることはありません。この1年、コメント交流についてあらためて感謝です!来年もよろしくお願いいたします。
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rollingwest at 2019-12-31 06:07
実験鼠様、貴殿がS&Gを知ったのはセントラル・パークで再結成の時だったのですね!いつかわが記事で「マイリトルタウン」を掲載して再結成のレポートもじっくり掲載してみたいと思います。「ライラライ」の歌詞エピソードは小生は今回初めて知りました。皆さんとコメント交流していると本当に勉強になります。2020年もお互いに切磋琢磨を期待しております。
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rollingwest at 2019-12-31 06:14
メロン様、S&Gを心底に懐かしく聴いて頂けたようで記事の書き甲斐がございました!映画「卒業」はS&G名曲が沢山流れ、最後は土壇場逆転のクライマックス、我々の青春映画でしたね!息子さんと共感できてよかったですね。こういう親子関係は羨ましい限りです!
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rollingwest at 2019-12-31 06:21
ぼの様、 「ボクサー」の静かなコーラスとエンディングに向かう打楽器連打とのライラライのクライマックスリピートは本当に強烈な印象でしたよね~!『ブックエンド』と『明日に架ける橋』はS&G作品ではコンセプトアルバムの位置づけを持っているような気がします。壮大な作品の中にはやはり伝いたいメッセージが息づいていますね。今年もあと一日、明日の朝は2020年レポートでまたご挨拶をさせて頂きたいと思います。
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rollingwest at 2019-12-31 06:31
ノッチmrng様、小生は1970年に「コンドルは飛んで行く」「明日に架ける橋」のシングルヒットをラジオから聴いていっぺんにS&Gが好きになり洋楽に嵌ってしまいました。初期エルトンとS&Gはわが洋楽趣味入門の恩人です。ブレッドはその翌年1971年に数々の名曲に接して本当に隙でした。「明日に架ける橋」のピアノがブレッドのラリー・ネクテルが弾いていることをあとから知り、今から思えば自分が大好きだった1970年アーティストが意外なところで繋がっていたんですね。来年もまた貴殿から色々なことを教えてもらいたいと思っております。
今年も大変お世話になりました
来年もよろしくお願いします
良い年をお迎え下さい。
来年もよろしくお願いします
良い年をお迎え下さい。
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oyajisann
at 2019-12-31 16:33
x
S&Ghはサウンドオブサイレンスで知って初の購入が明日にかける橋のシングルでボクサーが後多いになります。当時中一になったかなる直前でそのコンドルが日本で大ヒット(セシリアと2枚もシングルカット)洋楽ラジオでその後ミスターマンディそんで霧の中の二人とソニーが1位独占のような状態で男の世界でやっと東芝それでも日本独自のヒット続いた記憶あります。S&Gのボックスセット聞こうと思いましたが今や有料配信で全曲聞けてしまう。来年はもっと配信の比重高まりそうです。今年1年ありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いします。良い年をお迎えください。
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rollingwest at 2019-12-31 20:59
せいパパ様、大晦日のご挨拶を頂き誠にありがとうございます。貴殿も健康面で完全回復には至っていないようですが来年こそお元気になられて平常生活が充実されることを祈念します。あと数時間後2020年の元日記事でお会いたしましょう!
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rollingwest at 2019-12-31 22:19
oyajisann様、この年末は体調を崩されて大変だったようですが何とか健康を回復されて何よりです!S&Gについては貴殿の蘊蓄を接しますと小生よりずっと濃厚で先輩ぶりを感じます。ボクサーは還暦過ぎてじっくり聴いてみても相変わらず素晴らしいですね~!まさに70年代の名曲だなあと思います。現代のデジタルで簡単に洗練された音楽を再現できる時代では決して再現できないアナログの深み・渋さ・美しさがあるんですよね~!こちらころ今年1年のご愛顧に感謝いたします!来年もおつきあいよろしくお願いいたします!
RWさん、(遅ればせながら)明けましておめでとうございます。
子供の頃、憧れていたアメリカは、みんな明るく陽気で、ジョークを言いながら楽しく過ごす幸せな人ばかりが住んでいるんだなぁ、と、漠然と思っていました。
そんな折、ボクサーをはじめとするS&Gの唄と出会い、そんな夢の様な事はなく、一人で苦しみながら生きている人も多く、アメリカ人も同じ人間なんだなぁ、と気付かされたものでした。
ボクサーは、曲も良いですが詩の内容も心を揺さぶるものがあり、S&Gの中でも一番好きな曲です。
そんな曲をご紹介いただき、大変ありがとうございます!
本年もよろしくお願いいたします。
子供の頃、憧れていたアメリカは、みんな明るく陽気で、ジョークを言いながら楽しく過ごす幸せな人ばかりが住んでいるんだなぁ、と、漠然と思っていました。
そんな折、ボクサーをはじめとするS&Gの唄と出会い、そんな夢の様な事はなく、一人で苦しみながら生きている人も多く、アメリカ人も同じ人間なんだなぁ、と気付かされたものでした。
ボクサーは、曲も良いですが詩の内容も心を揺さぶるものがあり、S&Gの中でも一番好きな曲です。
そんな曲をご紹介いただき、大変ありがとうございます!
本年もよろしくお願いいたします。
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rollingwest at 2020-01-11 05:47
FirstMESA様、我々の少年時代に感じたアメリカは偉大で憧れでしたね~!S&Gのボクサーを聴いてみて貧富の差もあることを再認識、当時は「あしたのジョー」でドヤ街の現状も知り、まさに昭和は戦後と現代を結ぶノスタルジアの時代でしたね。皆さんのコメントを拝見するとボクサーはS&Gの中でも深い人気をが博している曲だと思いました。本年もよろしくお願いいたします。
おはようございます。
懐かしいイントロで始まりました。
シカゴかぁ..
もうずいぶん昔のイメージです。
手元にある古いラジオを時々紹介
していますが、PCから飛び出す
よりこうした昭和のラジオ達から
音が出たらなぁ..
毎朝NHK第一放送をしばらく聞
くのですが、今朝は松下のクーガ7
というラジオを使っています。
音通いのです。これなんかシカゴ
聞くのにちょうど良いなぁ..
懐かしいイントロで始まりました。
シカゴかぁ..
もうずいぶん昔のイメージです。
手元にある古いラジオを時々紹介
していますが、PCから飛び出す
よりこうした昭和のラジオ達から
音が出たらなぁ..
毎朝NHK第一放送をしばらく聞
くのですが、今朝は松下のクーガ7
というラジオを使っています。
音通いのです。これなんかシカゴ
聞くのにちょうど良いなぁ..
80年代に長い夜のリバイバルがヒットしましたよね。
あれでシカゴを知りました
それから遡ってアルバムを聴いたな
その後ピーターセテラがソロ活動になって
シカゴも聴かなくなった記憶です。
あの頃の事をここ数年
よく思い出します。
どうしてんsんだろうなと不思議に感じます。
あれでシカゴを知りました
それから遡ってアルバムを聴いたな
その後ピーターセテラがソロ活動になって
シカゴも聴かなくなった記憶です。
あの頃の事をここ数年
よく思い出します。
どうしてんsんだろうなと不思議に感じます。
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rollingwest at 2020-01-12 07:14
地理佐渡様、シカゴ記事への一番乗りありがとうございます!「長い夜」はロック史に燦然と輝く初期シカゴの名曲です。♪ダダダダ、この衝撃的なイントロは実に懐かしいでしょ~!まさに昭和ラジオから聴いてみたいものです。でも今のラジオ局でこの曲を流すなんてことはもう殆どありえないですね~。昭和40年以降に生まれた世代は「シカゴはAORバンドですよね?」なんて当然のように思っていますからね。
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rollingwest at 2020-01-12 07:21
せいパパ様、確かに貴殿の世代になれば「長い夜」といえばゆったりした流れで演奏される80年代バージョンでしょうね~。でも小生はこの曲は全く燃えません。洋楽カラオケでリクエストして80年代「長い夜」が流れてきたら、ブチッと演奏中止にして70年「長い夜」を探しちゃいます。絶叫で歌いあげる高揚感とエキサイティングなギターを聴かないと全く盛り上がりませんからね。(笑)
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yokuya2006 at 2020-01-12 13:01
シカゴね。当時 流行ってましたねぇ。
長い夜ね。趣味ではなかったけれど、今聞いてもなかなかカッコイイ曲ですね。千春さんの同名曲も、いい曲です。
ブラスロックって言うんですね。あくまでもギタープレイが前提で、ベースに、ドラム、そしてキーボードがムーグの登場で多様化して、ロックは発展したのだと思ってますけど、ラッパが入ると途端に派手派手のアブラギッシュな音楽に変貌しますね。ビフテキの味わいだな。
長い夜に、70年バージョンと80年バージョンがあるのですか。流石に深いですね。
関係ないけど、日本に甲冑みたいなコスチュームで、ファルセットで、ギターをへそ位置でグルングルン回す、ラッパも多用するバンドがありましたよね。関係ないですけど、、、
長い夜ね。趣味ではなかったけれど、今聞いてもなかなかカッコイイ曲ですね。千春さんの同名曲も、いい曲です。
ブラスロックって言うんですね。あくまでもギタープレイが前提で、ベースに、ドラム、そしてキーボードがムーグの登場で多様化して、ロックは発展したのだと思ってますけど、ラッパが入ると途端に派手派手のアブラギッシュな音楽に変貌しますね。ビフテキの味わいだな。
長い夜に、70年バージョンと80年バージョンがあるのですか。流石に深いですね。
関係ないけど、日本に甲冑みたいなコスチュームで、ファルセットで、ギターをへそ位置でグルングルン回す、ラッパも多用するバンドがありましたよね。関係ないですけど、、、
クラッシック・ロックというか、ロックの草創期の音っていうのは、現代ロックに比べ、シンプルで一本調子であっても、心を打ちます。この曲は単純なスリーコードを使用し、GFRの「ハート・ブレイカー」やZEPの「天国への階段」同様、わかりやすい音楽です。でも、燃え滾るガッツというのでしょうか?爆発する若さというのでしょうか?それがたまらなく魅力的です。ピーター・セテラも例の大ヒットバラードにより、バラードシンガーのように思われていますけど、確か「長い夜」のヴォーカルは彼ですよね?彼のベスト・ヴォーカルはこっちの曲だと私は思います。
ローリングウエスト様、ご来訪ありがとうございました!本年もどうぞよろしくお願いいたします。
「長い夜」はブラス・ロックなるものを知るきっかけになった曲です。かっこいいですよね。リアルタイムではないですがBS&Tとかチェイスとかもちょこっと聴きましたけど。それにしても「長い夜」を歌われるとは凄過ぎ~!(^^)
「長い夜」はブラス・ロックなるものを知るきっかけになった曲です。かっこいいですよね。リアルタイムではないですがBS&Tとかチェイスとかもちょこっと聴きましたけど。それにしても「長い夜」を歌われるとは凄過ぎ~!(^^)
こんばんは。私にとってのシカゴは大学時代の“素直になれなくて”ということになってしまいますが、“長い夜”だけはそれ以前に知っていて好きな曲でした。そのイメージが強かったので、初めて“素直になれなくて”を聴いた時は別のバンドかと思いました。懐かしいです。
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Soul Mate
at 2020-01-12 20:19
x
「長い夜」、カッコよかったなあ。あれピーター・セテラがボーカルじゃたんかあ、知らんかった。「愛ある別れ」、「素直になれなくて」以降はちょっとなあ。「黒い炎」は衝撃的じゃった。ワシは「タワーオブパワー」の大ファンで全盛期のCDはほとんど持っとるのじゃ。。。
文句なくかっこいい曲ですよね。
でも、とても愛ある別れと同じバンドとは思えません。(笑)
どんな流行もブームが過ぎると飽きられます。
この曲も80年代にセルフカバーでコケましたが
現代の方が新鮮に感じられる気がします。
でも、とても愛ある別れと同じバンドとは思えません。(笑)
どんな流行もブームが過ぎると飽きられます。
この曲も80年代にセルフカバーでコケましたが
現代の方が新鮮に感じられる気がします。
今札幌の家で富士通のパソコンで「長い夜」の2バージョン聴き比べました。このPCのスピーカーは千葉のソニーのよりも音が悪いので昭和47年のトランジスタラジオよりましという程度なのがあれですが…。
86年版を初めて聴いたときは「うわっダセッ」でしたが、今もあんまり変わらないかな(笑)。まあ大体最初に聴いたほうに愛着があるわけですが(例外はトレイン・ケプタ・ローリンとミスティ。これは後から聴いたエアロスミスとレイ・スティーブンスの方が好き)。
「愛ある別れ」の時は復活してうれしかったんですが、その後もこの路線が続くとついていけなくなり、「愛ある別れ」も「渚に消えた恋」と似ているように感じてきました(笑)
86年版を初めて聴いたときは「うわっダセッ」でしたが、今もあんまり変わらないかな(笑)。まあ大体最初に聴いたほうに愛着があるわけですが(例外はトレイン・ケプタ・ローリンとミスティ。これは後から聴いたエアロスミスとレイ・スティーブンスの方が好き)。
「愛ある別れ」の時は復活してうれしかったんですが、その後もこの路線が続くとついていけなくなり、「愛ある別れ」も「渚に消えた恋」と似ているように感じてきました(笑)
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rollingwest at 2020-01-13 06:00
バイオマスおやじ様、退職手続きや新居建築・引っ越し準備の超ご多忙の中でもご来訪ありがとうございます!シカゴ「長い夜」は今あらためて聴き直してみると実にカッコイイでしょ!スリリングな展開と分厚い演奏に唸らせられます。ブラスロックは1970年が全盛期で2年くらいでそのブームは終わっちゃいました。確かにロックにホーンセクションが入るとアブラギッシュ(的を得た面白い表現)過ぎて食傷気味になっちゃったのかな?シカゴはAORに音楽路線変更して今も長生きバンドですが、RWは当時のワイルドさと熱いメッセージを放っていた初期時代が一番好きです。80年バージョン長い夜はゆったりとした展開で歌っています。千春さんの♪長い夜を~も時たまカラオケで歌いますよ。本年もあらためてよろしくお願いいたします。奥様との本州お別れ旅、是非とも実現されて下さい。
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rollingwest at 2020-01-13 06:07
ミュウ様、ロックの草創期はまさに人の手による生の技巧テクニック、楽器に直接叩きつける熱情、まさにアナログ的体力勝負の中で生み出された音です。現代ロックはもう完全にデジタルで完成されており美しい完璧な音を簡単に再現できる時代。1970年代前後のロックにはまさに粗削りな渾身的な魂が息づいており、シンプルで一本調子であったとしても大きな感動を呼ぶのだと思います。80年代シカゴもピーター・セテラも商業的には成功したかもしれませんが70年代の自分自身の姿や心は忘れないでほしいと今も願っております。
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rollingwest at 2020-01-13 06:14
カルロス様、小生の洋楽カラオケは年数回、ロック同時共有世代の友達と60年後半~70年代で歌いまくります。自分はまずビートルズ「ヒアザサン」でスタートし、中盤はエルトンジョン「ヨアソング」、シカゴ「長い夜」、ツェッペリン「胸いっぱいの愛」、ビージーズ「若葉の頃」、Dボウイ「スペースオデティ」、ニルソン「ウィズアウトユー」、キングクリムゾン「宮殿」、アルスチュワート「イヤーオブザキャット」などの名曲を歌いまくり。最後はS&G「明日に架ける橋」で締めるというのが基本的なパターンです。
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rollingwest at 2020-01-13 06:21
梅乃遊様、「素直になれなくて」は1982年ですから完全にAOR時代ですね。小生にとってシカゴサウンドがAOR路線に変身してビックリしたのは1976年「愛ある別れ」でした。それまで低迷していたシカゴが完全復活して初の全米NO1ヒットとなって本当に嬉しかったですが、ストリングスを駆使したあまりにも美しい曲なので「これがシカゴなのか!?」と目を丸くしたものです。
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rollingwest at 2020-01-13 06:28
聖二殿、「長い夜」のハイトーンボーカルはピーター・セテラしかおらんじゃろう!小生も「愛ある別れ」「素直になれなくて」でAOR変身で復活したシカゴに驚愕したものだよ!美曲バラード路線シカゴに一時夢中になったが、その後は同じようなパターンで飽き飽きしてしまった。お主は「タワーオブパワー」の大ファンだったのか!S&Gやプログレなどメイン人気だったアーティストは食わず嫌いなのに、ややマイナーなブラスロックバンドが好きだったとは意外な奴っちゃやね~!
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rollingwest at 2020-01-13 06:35
Beat Wolf様、貴殿がシカゴを知ったのは「愛ある別れ」でしたか!小生もこの曲を初めて聴いて、とてもと同じバンドとは思えませんでした。お互いに逆バージョンで音楽路線の違いに目を丸くしたのですね・・(笑) シカゴはいまやAORバンドと思っている人が大勢ですから、ブラスロックばりばりだったワイルドな初期シカゴは新鮮に感じられるでしょうね~!
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rollingwest at 2020-01-13 06:46
ノッチmrng様、「長い夜」は2バージョンは最初を聴いたのがどちらであっても、70年曲の方が間違いなく素晴らしいです!これは好みの問題ではないですね~!初期シカゴファンの贔屓と言われようとも、これは世代を超えた絶対的評価でございます。まあの入れ込み具合はすでに冷静さを失っているかも・・(苦笑) 「愛ある別れ」で復活は小生も嬉しく暫くはAORシカゴに嵌った時期もありましたが、やはり先祖返りでした。
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240_8 at 2020-01-13 06:49
おはようございます。
ディレクターズカットの「Make Me Smile」、いいですね。初期の荒削りで豪快な雰囲気がよく伝わります。
シカゴの初期のアルバムは、実は通して聴いたことがなく。拝見する限り、かなり良さそうですね。昔はセテラが目立ったAOR時代が大好きでしたが、こうして聴き返すと、やっぱりこの頃のシカゴが魅力的ですね。
初期の名盤というと、やはりセカンドでしょうかね。
ディレクターズカットの「Make Me Smile」、いいですね。初期の荒削りで豪快な雰囲気がよく伝わります。
シカゴの初期のアルバムは、実は通して聴いたことがなく。拝見する限り、かなり良さそうですね。昔はセテラが目立ったAOR時代が大好きでしたが、こうして聴き返すと、やっぱりこの頃のシカゴが魅力的ですね。
初期の名盤というと、やはりセカンドでしょうかね。
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mimimomo
at 2020-01-13 07:19
x
あまり音楽を知らないわたくしもS&Gはよく聴きます^^
結婚前(もう40数年前になりますが)S&Gばかり聴いていたくらいでしたよ^^
さすがその後はほかの人の曲も聴いていますが。
ボクサーって案外好き。コンドルが飛んで行くも。
結婚前(もう40数年前になりますが)S&Gばかり聴いていたくらいでしたよ^^
さすがその後はほかの人の曲も聴いていますが。
ボクサーって案外好き。コンドルが飛んで行くも。
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RRExpress4 at 2020-01-13 11:43
おはようございます。
偶然というとか、何かの電波が通じたのか、私も先週インスタグラムの方に手持ちのブラスロック・バンドの作品をいくつか上げたところです。
ここに名前の挙がったシカゴ、BS&T、チェイスのほかに、アイズ・オヴ・マーチ、日本のスペクトラム、TOPSあたりをまとめてアップしました。
シカゴは皆様ご承知の通りAORの権化になってしまい、障子に申せば「いつもお綺麗でいらっしゃいますね(棒)」って感じですが、ロック魂に溢れていたこの時代の演奏はスリリングな躍動感にあふれていて堪らないものがあります。
https://www.instagram.com/p/B67LT4RJNyI/
偶然というとか、何かの電波が通じたのか、私も先週インスタグラムの方に手持ちのブラスロック・バンドの作品をいくつか上げたところです。
ここに名前の挙がったシカゴ、BS&T、チェイスのほかに、アイズ・オヴ・マーチ、日本のスペクトラム、TOPSあたりをまとめてアップしました。
シカゴは皆様ご承知の通りAORの権化になってしまい、障子に申せば「いつもお綺麗でいらっしゃいますね(棒)」って感じですが、ロック魂に溢れていたこの時代の演奏はスリリングな躍動感にあふれていて堪らないものがあります。
https://www.instagram.com/p/B67LT4RJNyI/
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naruru-kato at 2020-01-13 14:01
AORになってからのシカゴには興味ないですが初期のシカゴはアルバム4枚持っています。
テリーキャスのギターはいいですよね。
ただブラスロックというのがどうも馴染めなくて(汗
自分のブログでシカゴ取り上げる事は無いと思います。
特に初期は2枚組ばかりで一気に聴く体力なくて(笑)
テリーキャスのギターはいいですよね。
ただブラスロックというのがどうも馴染めなくて(汗
自分のブログでシカゴ取り上げる事は無いと思います。
特に初期は2枚組ばかりで一気に聴く体力なくて(笑)
こんにちは
シカゴ懐かしいですね。
当時はジャズをよく聴いてましたが、
ロックや他のジャンルも聴いてましたよ。
シカゴ懐かしいですね。
当時はジャズをよく聴いてましたが、
ロックや他のジャンルも聴いてましたよ。
私が聴いていた頃は、シカゴというと「素直になれなくて」のAORなイメージから入りましたが、どこかのタイミングで初期のブラスロックを知りました。アルバムは2枚組とかが多いですよね。ブラスをやっていた身としては、興味のある曲、カッコイイな~と思う曲もありましたが、なかかな通して聴くに至らずでした。
骨太なイメージがあります。
逆にライブで聴いたらずっと聴いていたいと思うかもしれません^^
骨太なイメージがあります。
逆にライブで聴いたらずっと聴いていたいと思うかもしれません^^
私は「素直になれなくて」でシカゴを知った世代ですが、LP1枚を購入するのが、とても大きな買い物であった点では同じですねw 初期シカゴはこれでもかというくらい2枚組ばかりで、ライヴ盤では4枚組ですから、リスナー泣かせです。
初期の作品は、CD10枚組ボックス物で一気に揃えましたが、お値段は5000円以下だったと思います。つまり1枚あたり500円以下。いい時代ですねw その代わり思い入れも薄いので、1枚聴き通すことはなかなか出来ないです・・・。
初期の作品は、CD10枚組ボックス物で一気に揃えましたが、お値段は5000円以下だったと思います。つまり1枚あたり500円以下。いい時代ですねw その代わり思い入れも薄いので、1枚聴き通すことはなかなか出来ないです・・・。
今年大一回目の洋楽記事はシカゴ「長い夜』ですか!待ってました。
カッコイイい曲でしたね!リアルタイムではなく多少遡って聞いたのですが、大好きな曲でした。
テリー・キャスのギター、今聞いてもホントカッコイイです。
カッコイイい曲でしたね!リアルタイムではなく多少遡って聞いたのですが、大好きな曲でした。
テリー・キャスのギター、今聞いてもホントカッコイイです。
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sikisai04 at 2020-01-14 02:58
シカゴの曲はまったく聴かなかった訳では無いですがあまり記憶に無いのです。
ちょうど洋楽から遠ざかっていた頃だったからでしょうけど、
S&Gのコンドルは飛んで行くは当時何度も有線から流れていました。
あの何とも言えない楽器の音色が耳に心地良くていかにもインカらしくて気に入りました。
ちょうど洋楽から遠ざかっていた頃だったからでしょうけど、
S&Gのコンドルは飛んで行くは当時何度も有線から流れていました。
あの何とも言えない楽器の音色が耳に心地良くていかにもインカらしくて気に入りました。
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rollingwest at 2020-01-14 06:00
240_8様、さすがお目が高い!ディレクターズカットの「Make Me Smile」は本当に素晴らしいでしょ!このディレクターさん達は音楽演奏も抜群!一流のセッションマンでもあるんでしょうね~。この演奏はまさに1970シカゴのオリジナル曲そのものが再現されており、ある意味このユーチューブが小生一番気に入っています。初期の名盤はⅠもⅢも捨てがたいですよ。でも全て2枚組なので全て聴くには根気と体力勝負かも・・(笑)
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rollingwest at 2020-01-14 06:07
mimimomo様、貴女はS&Gのファンでございましたか!「ボクサー」「コンドルが飛んで行く」「バイバイラブ」など名盤「明日に架ける橋」には名曲が多かったですね。小生も新婚時代に東京ドームにS&Gコンサートをカミサンと行きました。
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rollingwest at 2020-01-14 06:14
RRExpress4様、お互いにブラスロック特集とはテレパシーが通じ合いましたかね?シカゴ、BS&T、チェイスは当時勢いがありましたね~“シカゴは1970年に嵌ったので50年目となる2020洋楽記事の冒頭登場は「長い夜」と決めていました。AORシカゴは仰る通り美しいバラードばかりで50年前のワイルドさがすっかりなくなっちゃいましたね。ところで還暦過ぎると目覚めが早く「短い夜」、明け方4時にはもう起きていることが多いです。(苦笑)
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rollingwest at 2020-01-14 06:21
naruru-kato様、初期シカゴはアルバム4枚持っているとは大したものですね。やはりテリーキャスのギターがないとワイルドなシカゴはあり得ないですね。ボンゾのドラムがないといないとZEPサウンドが成り立たないように・・。初期は2枚組ばかりで買うのも一苦労でした。しかし4枚組カーネギーホールは7800円と超高額なのに買ってみてがっかり・・、本当に泣かされましたね。
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rollingwest at 2020-01-14 06:28
yuta様、貴殿は若かりし頃にはジャズをよく聴いておられましたか!オシャレですね~、マイルスデイビスあたりかな。シカゴはジャズロックというよりは、やはりハードなブラスロックの呼称があいますね!
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rollingwest at 2020-01-14 06:35
夏海様、貴女の世代ではやはりシカゴはAORの名曲でしょうね~!やはり1982年「素直になれなくて」が一番有名fですね。でも彼らがこの路線に転身したのは1976年「愛ある別れ」からでした。初期のブラスロックは2枚組アルバムばかりで聴き込むのは結構疲れますが、骨太でカッコイイ曲が多いですよ!
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rollingwest at 2020-01-14 06:42
実験鼠様、シカゴ初期作品CD10枚組ボックスで5000円以下ですか~!確かに1枚500円といえば当時のEPの値段ではないですか・・。LP1枚2000円って当時の物価からすれば大きい買い物でしたよね。シカゴライヴ盤4枚組は7800円、今からすれば数万円くらいの買い物に等しい超高価盤を清水舞台から飛び降りて買ってしまいました、4枚を渋いブラスロックLIVEを聴き通すことの冗長感・体力疲れは辛いものがありました。こんな目に遭うために俺は7800円を散財したのかと空しい脱力感に陥りました。(苦笑)
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rollingwest at 2020-01-14 06:49
星船様、2020年は小生が洋楽に嵌り始めた1970年からちょうど半世紀が経過の節目年なので今年の記事は思い入れのあり執筆になりそうです。ビートルズ解散して数々のアーティストが各種音楽分野との融合にトライしてロックが大発展した時期ですからね~!テリー・キャスはやはり伝説的なギタリストの一人ですね。
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rollingwest at 2020-01-14 07:00
sikisai04様、シカゴのヒット曲はブラスロック時代が1970~2年頃、AOR復活が1970年代後半~80年代前半です。今回紹介した初期のヒットを知る人は相当少なくなってきました。AOR時代では美しいバラードで大人気になりましたが、その後は皆同じような曲に聞こえて食傷気味になってしまいました。S&G「コンドルは飛んで行く」とシカゴ「長い夜」もちょうど50年前の1970年に毎日ラジオから流れていた懐かしい曲です。
やっぱり、ブラス時代のシカゴはかっこいいですね。時代と共に音楽性は変化せざるを得ないですが、良いものは良い!
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気まま
at 2020-01-14 09:55
x
シカゴの「長い夜」ですか、シカゴ大好きでした。今回は私にドンピシャの回です。皆さんと同じく、2枚組にはとても手が届かず、買ったのが「栄光のシカゴ」1枚組の日本限定ベスト盤です。初めて買った洋楽のアルバムでした。そりゃ擦り切れるまで聞きましたよ。そのおかげで1曲目のイントロダクションはノイズが入るようになってしまいました。(泣)そして初めて行ったコンサートもシカゴでした。愛知県体育館です。その体育館も老朽化から取り壊しが決定しており寂しい気がします。途中でロバート・ラムがピアノの鍵盤ではなく弦のところを弾いて演奏したことを覚えています。ピート・セテラもテリー・キャスもかっこよかったなあ。中坊のくせに生意気でした。
カーネギーホールのライブ盤も持ってましたよ。
後、驚いたのが、シカゴのロゴをまねて書いていたことをRWさんの記事を見て思い出しました。僕も同じこと、やってました。いやー気が合いますね。
多くのヒット曲の中で、少し地味ですが「DOES ANYBODY REALLY KNOW WHAT TIME IT IS ? 」が後になって頭に残っています。
カーネギーホールのライブ盤も持ってましたよ。
後、驚いたのが、シカゴのロゴをまねて書いていたことをRWさんの記事を見て思い出しました。僕も同じこと、やってました。いやー気が合いますね。
多くのヒット曲の中で、少し地味ですが「DOES ANYBODY REALLY KNOW WHAT TIME IT IS ? 」が後になって頭に残っています。
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silvergray2 at 2020-01-14 11:07
シカゴ! 聴きましたね~。
今から思えば「ブラスロック」の形容はシカゴの為に生まれたようにも感じます。
当時はAM・FM共、シカゴだらけの選曲でしたね。
テリー・キャスの猛烈なギターは痺れました。
今日は、ネットオクで仕入れたスピーカーが届くので、シカゴで試し聴きすることにします。
今から思えば「ブラスロック」の形容はシカゴの為に生まれたようにも感じます。
当時はAM・FM共、シカゴだらけの選曲でしたね。
テリー・キャスの猛烈なギターは痺れました。
今日は、ネットオクで仕入れたスピーカーが届くので、シカゴで試し聴きすることにします。
息の長いグループですね。LPを買って聞くほどではなかったですが、70年、80年代のヒット曲が流れると今でも懐かしいです。「If You Leave Me Now」とか「Hard to Say I'm Sorry」かな。長い夜はどうしても松山千春が頭に流れます(笑)
こんばんはぁ。
今年もどうぞよろしくお願いいたしますm(__)m。
いきなりシカゴですねぇ(^^)
70年代と80年代から90年代でバンドの方向性がこうも変わったバンドは珍しいですね。
完全に90年代はAOR化してしまいましたもんね(苦笑)
私もやはり70年代のシカゴが好きですね。とにかくブラスセッションがカッコイイ(*^^)v
久しぶりに聴きたくなってきちゃいました。
今年もどうぞよろしくお願いいたしますm(__)m。
いきなりシカゴですねぇ(^^)
70年代と80年代から90年代でバンドの方向性がこうも変わったバンドは珍しいですね。
完全に90年代はAOR化してしまいましたもんね(苦笑)
私もやはり70年代のシカゴが好きですね。とにかくブラスセッションがカッコイイ(*^^)v
久しぶりに聴きたくなってきちゃいました。
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rollingwest at 2020-01-15 06:00
たいへー様、本当におっしゃる通り初期シカゴのブラスロック時代こそ彼らの音楽ルーツ・真髄ですよね! AORに転進したシカゴは今も寂しきものがありますが、50年もバンドを継続できているのは時代の変遷ともに音楽性を変化せせて生き残ることを目指しました結果ですね。今も生き残った長命を誇る70年代ロックグループは共通の歴史だったかもしれません。
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rollingwest at 2020-01-15 06:07
気まま様、いや~貴殿とはシカゴに関してここまでドンピシャの心情・同じ体験者だとは思いもしませんでした。小生も初めて買ったアルバムが「栄光のシカゴ」日本限定ベスト盤で、S&G・エルトンジョンのベスト盤と合わせて中1の夏ごろに購入しました。青い色の中にアメリカを象徴する☆マークが散りばめれた中にシカゴ赤ロゴ文字のジャケットデザインでしたね。シカゴのニョロっとしたロゴ文字練習もよくしたものだなあ・・!授業中に大きいC文字がhicagoを包み込むあのロゴをノートをに何回も書きまくっていました。1曲目の「イントロダクション」続く「クエスチョンズ67&68」「流血の日」(the whole world wachingのシュプレヒコールが最高!)が大好きで何度も何度も聴きまくりましたよ!「DOES ANYBODY REALLY KNOW WHAT TIME IT IS ? 」も邦題が「一体現実を把握しているものはいるだろうか?」なんて哲学的で長ったらしい題名で大いに興味そそられました。その他「アイアムアマン」「ビギニングス」も含めてデビュー盤は骨太の名曲が満載でしたね!シカゴⅡからは「長い夜」「僕らに微笑を」、シカゴⅢは「自由になりたい」「ロウダウン」、そしてCSN&Yのような「フライト602」が印象的です。カーネギーホールのライブ盤も購入されましたか!あの超高額アルバムは自分の中では苦い思い出に満ちております。小生と鏡写しのようで青春時代共有体験の嬉しき語り合いですね!
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rollingwest at 2020-01-15 06:14
silvergray2様、「ブラスロック」は高らかなホーンセクション・疾走感あるロックのイメージあり、該当バンドはシカゴ・チェイス・BS&Tのみという印象がありますでもBS&Tはスイングジャズやブルースロックっぽい渋い感じで、POP性は薄かったですね。1970年の深夜ラジオはシカゴの音楽が流れまくっていた印象があります。新スピーカーが届いたら、往年の初期シカゴを大いに聴きまくってみてください。
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rollingwest at 2020-01-15 06:22
ちびた様、シカゴは本当に息が長いバンドです。50年以上続いているんですからね~!「If You Leave Me Now」や「Hard to Say I'm Sorry」でピーターセテラはメインアーティストになりましたね。そのあとは皆同じようなバラードに聞こえてしまい結局は飽きてしまいました。やはりシカゴは70年初頭に限ります。反戦・反体制に燃えていた熱き時代のシカゴは何度聴いても飽きません。
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rollingwest at 2020-01-15 06:29
ぼの様、いきなりシカゴというよりも、自分自身ではかねてから今年正月明けの冒頭記事はこの曲に決めておりました。2020年は、ブラスセッションで世界を席巻していた初期シカゴ全盛期から50年を迎えた年なので・・!あわせて自分自身が洋楽に初めて嵌った中い時代から半世紀、思い入れのある1970年特集をこれからバンバンやっていきたいと思います。
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nowhere1967 at 2020-01-15 15:30
シカゴはAOR化していた時代に聴き始めました。
初期の作品を聴いて、あまりの違いに驚いたものです。
ですが、初期の頃の方が骨太でいいですね。
後にクリスマス・ソングを歌ったアルバムを出すなんて、
変われば変わるものです。
初期の作品を聴いて、あまりの違いに驚いたものです。
ですが、初期の頃の方が骨太でいいですね。
後にクリスマス・ソングを歌ったアルバムを出すなんて、
変われば変わるものです。
こんばんは☆
この曲は、ビート感バッチリのオリジナルもさることながら、
後年出たスローバラード調のバージョンの素晴らしかったこと♪
こっちの印象の方が強烈でした!
T-squareの初期の楽曲にも共通する何をしても名曲は名曲♪
と云うのを感じます。
オリジナルはAMラジオのちょっと帯域が狭いところで聴くのが佳さなげな音色。
後年、オーディオに入れ揚げて(笑)、
良い装置で聴くと、思ったほど感動を覚えなかったのも印象的でした。
この曲は、ビート感バッチリのオリジナルもさることながら、
後年出たスローバラード調のバージョンの素晴らしかったこと♪
こっちの印象の方が強烈でした!
T-squareの初期の楽曲にも共通する何をしても名曲は名曲♪
と云うのを感じます。
オリジナルはAMラジオのちょっと帯域が狭いところで聴くのが佳さなげな音色。
後年、オーディオに入れ揚げて(笑)、
良い装置で聴くと、思ったほど感動を覚えなかったのも印象的でした。
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rollingwest at 2020-01-16 06:00
nowhere1967様、貴殿は小生と10歳違いですので、シカゴの聴き始めは当然AOR化後でしょうね。こちらもAOR化した変貌ぶりには本当に驚いたものです。 初期の骨太作品は素晴らしいでしょう!年齢を重ねれば重ねる程、初期のワイルドかつ実験的な彼らの演奏に唸らせられると思いますよ。
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rollingwest at 2020-01-16 06:09
simon777様、貴殿は80年代バージョン「長い夜」がお好きでしたか?こちらはゆったりスローバラードで寛大なスケール感がありましたね。70年代オリジナルはAMラジオで聴く方がいい印象ですか!我々が嵌った時代はFM局もまだ始まったことでAM深夜放送でバンバン聴いていた時代でした。今のようなネット音楽配信やユーチューブで聴けるなんて想像もできませんでしたね。
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doronko-tonchan at 2020-01-16 06:48
ブラスロックは好きです。
それらは一通り聴きました。
シカゴで一曲好きな曲があっていずれ紹介しようと思ってます。
ユーチューブにあればですが。^^
それらは一通り聴きました。
シカゴで一曲好きな曲があっていずれ紹介しようと思ってます。
ユーチューブにあればですが。^^
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rollingwest at 2020-01-16 07:17
doronko-tonchan様、貴殿はブラスロックの一連のアーティストをひと通り聴かれたとはさすがです!シカゴお勧めのユーチューブ曲の紹介お待ちしております!バリバリのブラスロック曲ならば次回編(Ⅲ~Ⅳ特集)に入れます。AOR曲であれば、80年代前後のシカゴ記事(これは2~3年後公開かな?)に入れようと思っています。
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oyajisann
at 2020-01-17 10:49
x
シカゴは当初ずっと2枚組でアルバムリリースずっと2枚組でないと思いきやカーネギーは4枚組貧乏中学生には困ったグループでした。長い夜は洋楽あまり聞かない人も購入ヒットしましたね。ジョンメイオール~BSTそんでシカゴとロックの来日始まった年のヒット。来日記念だったかなロウダウンの日本語盤懐かしいです。テリーキャスの事故死なければその後どうなったかなんて考えます。シカゴ今も健在今年はセカンドアルバムだったかな?丸ごと披露ツァーとか?
こんばんはー
プラスロックのシカゴの長い夜ですか。
他の分野と融合した、このバンドに
熱中していたのですか~♪
今回も全然知らなくって恐縮です。
それにビートルズ解散50周年の年でも
あるのですか。
ジョンの特集記事の雑誌は読みました。
プラスロックのシカゴの長い夜ですか。
他の分野と融合した、このバンドに
熱中していたのですか~♪
今回も全然知らなくって恐縮です。
それにビートルズ解散50周年の年でも
あるのですか。
ジョンの特集記事の雑誌は読みました。
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rollingwest at 2020-01-17 19:57
Oyajisann様、お久しぶりです!健康回復されて何よりなことです。ほんと、そうでした!小生が初めて買ったアルバムが「栄光のシカゴ」でこのアルバムにはⅠ~Ⅲのエッセンス名曲がたっぷり収録されており、レコード針が擦り切れるほど聴きまくったものです。シカゴⅢとⅣ(カーネギーホール)は小遣いをコツコツ貯めまくってついに買ってしまいましたね~!しかし「カーネギーホール」には泣かされました。全て渋い演奏のライブを4枚聴き通す辛さで、ついに埃を被って放置状態・・。あの当時の7800円って今の感覚からすれば4~5万円ですかね・・。どれだけ他の名盤が買えたのか・・と悔しい思いだけが募りました。このトラウマからもうシカゴからは熱が一挙に冷めてしまっちゃんたんですよね~(苦笑)
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rollingwest at 2020-01-17 20:08
みすてぃむーん様、今年はビートルズ解散から50周年、ロックが色々な他分野音楽と融合を図った大発展の年からちょうど半世紀を迎えました。プラスロックのシカゴ「長い夜」やプログレシッブロック(キングクリムゾンやピンクフロイド)はその象徴です。RWは大いにハイテンションで50周年記事を書いて行こうと思っております。
シカゴ=ブラスロック!!
…ですよねェ
「♪長い夜」は強烈に覚えてますよぉ
ブラスロックと云えばBS&T、ブラッドスウェットアンドティアーズなんてバンドもいましたよねェ
「血と汗と涙」?なんじゃソレ!!?って当時思ったものでした(笑)
しかし中学、高校時代に聴いた曲ってホントしっかり覚えているもんだなぁ…
「長い夜」と云えば、松山千春の「♪長い夜」はカラオケで唄いますよぅ(笑)
…ですよねェ
「♪長い夜」は強烈に覚えてますよぉ
ブラスロックと云えばBS&T、ブラッドスウェットアンドティアーズなんてバンドもいましたよねェ
「血と汗と涙」?なんじゃソレ!!?って当時思ったものでした(笑)
しかし中学、高校時代に聴いた曲ってホントしっかり覚えているもんだなぁ…
「長い夜」と云えば、松山千春の「♪長い夜」はカラオケで唄いますよぅ(笑)
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rollingwest at 2020-01-19 11:14
imno1様、小生シカゴBS&Tともに洋楽聴き始め時代はブラスロックに嵌っていました。ブラッドスウェットアンドティアーズ「血と汗と涙」という響きが好きでしたね~。スポーツ根性漫画も大好きでしたから!「長い夜」は洋楽カラオケでシャウトする得意曲です。松山千春の「長い夜」も時たま唄いますよ!(笑)
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まさる
at 2020-01-20 19:48
x
70年代のロックにお世話になった君の事だから、「長い夜」はとっくに紹介されたものと思ってました。当時はこのブラスロックと言うスタイルが流行ってましたよね。BS&T、チェイスなどわずかな間でしたが深夜放送のラジオから四六時中流れていた様な‥。その中でもシカゴは特別でしたね。他の方のコメントにも書かれていましたが、当時の私たちの小遣いでは、とてもシカゴのLPは買えませんでした。
長い夜のテリーキャスは最高ですね。ワウワウペダルを駆使した荒削りなギターテク。イギリスのロックとまた違ったブルージーでカントリーな感じ。好きだったな〜。その後、ロシアンルーレットで死んじゃったんだよね。この頃のロックスターって、ほんとに若くして死んでしまっているよね〜。
大人になって前職の仕事でシカゴに3か月ばかり住んでたことがあります。その年の夏、シカゴの野外コンサートに出かけた思い出があります。
シカゴでシカゴなんて粋でしょ❣️ シカゴの郊外にある大きな野外ステージで、6時から前座のステージが始まって、なんと11時過ぎ迄までやるんだよ。
地元の皆んなは上半身裸になって、ビールガンガン飲んで、そして皆んな車で帰っていく。家に着いた頃は12時過ぎてた。それで翌日は仕事‥。アメリカ人のパワーに恐れ入った。その時のシカゴはすでにピーターセテラもいないグループになっていたけど、このグループは野外ライブかなんかで聴くのが一番良いなと思った。こんなコンサートが30ドルチョットで観られるんだからアメリカって良いよな。
長い夜のテリーキャスは最高ですね。ワウワウペダルを駆使した荒削りなギターテク。イギリスのロックとまた違ったブルージーでカントリーな感じ。好きだったな〜。その後、ロシアンルーレットで死んじゃったんだよね。この頃のロックスターって、ほんとに若くして死んでしまっているよね〜。
大人になって前職の仕事でシカゴに3か月ばかり住んでたことがあります。その年の夏、シカゴの野外コンサートに出かけた思い出があります。
シカゴでシカゴなんて粋でしょ❣️ シカゴの郊外にある大きな野外ステージで、6時から前座のステージが始まって、なんと11時過ぎ迄までやるんだよ。
地元の皆んなは上半身裸になって、ビールガンガン飲んで、そして皆んな車で帰っていく。家に着いた頃は12時過ぎてた。それで翌日は仕事‥。アメリカ人のパワーに恐れ入った。その時のシカゴはすでにピーターセテラもいないグループになっていたけど、このグループは野外ライブかなんかで聴くのが一番良いなと思った。こんなコンサートが30ドルチョットで観られるんだからアメリカって良いよな。
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rollingwest at 2020-01-20 20:23
まさる殿、シカゴで生のシカゴ野外コンサートを30ドル余りで聴けたとは何と素晴らしい思い出があるんだね~!多分日本人では君を含めて数十人くらいしか体験していないんじゃないのかな?当時はピーターセテラも脱退した後のシカゴか・・、AOR路線にどっぷりに浸かったことを反省して初期時代の原点に立ち戻ろうとしていたのかもしれないね。シカゴはブラスロックからAOR転換して商業的には成功したが、「原点を忘れてしまい後悔している心境」だと聞いたことがあるよ。でも迫力あるワイルドな初期ロックサウンドは、やはちテリーキャスがいないと再現できないね~。さて久しぶりの再会と洋楽カラオケ大会を楽しみにしているよ。冒頭から「長い夜」をシャウトしようと今からワクワク気分・・!(笑)
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opaphoto at 2020-01-21 23:43
シカゴと言えば、ワタシは「サタディ・イン・ザ・パーク」でした。
ブラスロックのブームってそんなに短かったんですね、
AORサウンドもある意味ブラスロックだと思うんですけどね。(^_^;)
今頃になって改めてじっくり聴いてみたいのは
タワーオブパワーだったりします。
ブラスロックのブームってそんなに短かったんですね、
AORサウンドもある意味ブラスロックだと思うんですけどね。(^_^;)
今頃になって改めてじっくり聴いてみたいのは
タワーオブパワーだったりします。
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rollingwest at 2020-01-22 06:24
ろーりんぐopaPhoto様、「サタデイ・インザ・パーク」は次回に紹介したいと思います。確かにAOR時代のシカゴもブラス楽器が使われておりブラスロック分野であるのかもしれません。しかし我々世代が抱く初期シカゴのブラスロックは、洗練され過ぎずにワイルドな雰囲気が満ち溢れていること、テリーキャスの迫力あるギターが唸ること、反戦反体制のメッセージが込められていること、これらの条件があるかないかが境界線だなと思っています。
シカゴ、サイモンとガーファンクル、この頃私は新入社員で会社の寮暮らし。残業ばかりでたいへんだった頃です。
なかなかこちらへうかがえませんでしたが、自分のブログの更新もほとんどできていません。
私はたぶん1月中に孫が3人生まれる予定で、双子出産予定の当人が自宅に同居中です。
かみさんはバラの剪定作業など春の準備がそろそろ終わっていなければならないのに、まだ続いています。そんな最中に夫婦でスマホを買い換えたり、忙しない日常です。
まあ、これで、病院に大型カメラを持ち込んだりせずに iPhone11Proで孫の写真を撮れるでしょう。
長男の嫁さん(もうひとりの私の孫の出産を予定)は松阪の実家で待機中。いつ生まれてもおかしくない状況です。松阪にも一度行かなければならなくなりそうです。
本日は今年の台風に備えて庭のヒノキを伐採中。かなりの出費となりそうです。
なかなかこちらへうかがえませんでしたが、自分のブログの更新もほとんどできていません。
私はたぶん1月中に孫が3人生まれる予定で、双子出産予定の当人が自宅に同居中です。
かみさんはバラの剪定作業など春の準備がそろそろ終わっていなければならないのに、まだ続いています。そんな最中に夫婦でスマホを買い換えたり、忙しない日常です。
まあ、これで、病院に大型カメラを持ち込んだりせずに iPhone11Proで孫の写真を撮れるでしょう。
長男の嫁さん(もうひとりの私の孫の出産を予定)は松阪の実家で待機中。いつ生まれてもおかしくない状況です。松阪にも一度行かなければならなくなりそうです。
本日は今年の台風に備えて庭のヒノキを伐採中。かなりの出費となりそうです。
当時のシカゴはブラス前面で切れのある演奏してましたね。シカゴⅦあたりが分岐点かなあ。洗練されたシカゴも好きでした。
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rollingwest at 2020-01-23 06:14
ディック様、ご多忙の中でご来訪ありがとうございます!1月中にお孫さんが3人も生まれるとは素晴らしいことですね!無事のご出産を祈念します。また今年の台風に備えて庭の木手入れとはやれるうちに行動を起こされることが凄いです。暑くなったら大変ですものね。シカゴと、サイモンとガーファンクルがヒットしていたころはもう社会人デビューでしたか!あれからもう50年が経ったんですね~!
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rollingwest at 2020-01-23 06:24
HY様、ブラスロック時代のシカゴはとにかくワイルドでカッコよかったです!小生も洗練されたシカゴは嫌いではないのですがAOR時代はもう同じような曲に聞こえて食傷気味になっちゃいました。シカゴってアルバムはもう37枚にもなっているんですね。自分自身は1980年以降のアルバムは何が何だかわからないです。
こんばんわ。洋楽もう長いこと聞いていないことに気がつきました。最近は和の音楽になじむことが多いです。踊りや三味線のせいでしょう。長唄や端唄 歌謡曲です。すみません。
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rollingwest at 2020-01-27 06:29
シクラメン様、長唄や端唄・歌謡曲がお好きな方がわざわざ洋楽記事にコメントを頂けて恐縮にございます。和の音楽もいいですね!
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naruru-kato at 2020-01-28 06:40
ディオンヌワーウィックは聴いたこと無いですが、いろんなところで流れるので知ってる曲もあると思います。
最近ジャズの女性シンガーをよく買いますので(おもに50年代の白人系)そのうちワーウィックも聴くようになるかもしれませんね。
最近ジャズの女性シンガーをよく買いますので(おもに50年代の白人系)そのうちワーウィックも聴くようになるかもしれませんね。
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rollingwest at 2020-01-28 07:15
naruru-kato様、ディオンヌワーウィックは聴いたことがなくとも1番乗りを頂きありがとうございます。彼女の曲は各時代に渡ってヒット曲を沢山輩出しましたので、聞いたことがある曲が沢山ある筈ですよ!貴殿はジャズの女性シンガーをよく聴かれますか?小生はカントリーPOP系の女性シンガーが結構好きです。
この頃って、ミュージシャンが一緒になって曲を出すってーのが多かった気がしますね。流行りだったんでしょうね。
ディオンヌワーウィックは名前は懐かしいのですが、記事を読んでみるとそれほど曲は聞いていませんでした(汗)
グラミー賞のビリー・アイリッシュはミュージックビデオが独特ですね。
グラミー賞のビリー・アイリッシュはミュージックビデオが独特ですね。
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気まま
at 2020-01-28 15:07
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黒人女性ボーカリストと言って、頭に浮かぶのは、アレサ・フランクリン、ダイアナ・ロスとともにディオンヌ・ワーウィックですよね。RWさんが書かれている通りだと思います。パワフルなボーカルが魅力的です。70年代から聞いていますが、なぜか曲が浮かんできません。不思議ですね。しっかり覚えているのは、「ハートブレーカー」と「ウィー・アー・ザ・ワールド」です。このMVは何回見ても飽きません。顔ぶれが超豪華メンバーですから当たり前ですけど。マイケル・ジャクソンとライオネル・リッチーの作詞作曲にクインシー・ジョーンズのプロデュースとまさにドリームチームでしたね。
ディオンヌ・ワーウィックのボーカルに最初に触れたのはスピナーズとの「Then Came You」(愛のめぐり逢い)と思います。「リクエストコーナー」で録音したテープはこの曲の後が確か「愛の告白」(オリビア・ニュートンジョン)で良く聴きました。
「サン・ホセへの道」もディオンヌでしたか。この曲名は72,3年当時、オムニブスレコードの新聞折り込みチラシで見ました。「ブルージーンと皮ジャンパー
」(アダモ)とか覚えています。
「サン…」はまさしくバート・バカラックという曲ですね(単に「恋よさようなら」に歌いだしとか似ているというだけなんですが)。
デジャブの邦題は「恋にめぐり逢い」でしたか。愛の後に恋とか、うらやましい限りで。いや関係ないですけど(笑)
「サン・ホセへの道」もディオンヌでしたか。この曲名は72,3年当時、オムニブスレコードの新聞折り込みチラシで見ました。「ブルージーンと皮ジャンパー
」(アダモ)とか覚えています。
「サン…」はまさしくバート・バカラックという曲ですね(単に「恋よさようなら」に歌いだしとか似ているというだけなんですが)。
デジャブの邦題は「恋にめぐり逢い」でしたか。愛の後に恋とか、うらやましい限りで。いや関係ないですけど(笑)
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rollingwest at 2020-01-29 06:00
たいへー様、この時代は大物ミュージシャンがコラボしたり、チャリティコンサートを開催したり、映画BGMとのセットでヒットを狙ったリと、商業的な仕掛けで世の中へアピールするパターンが満載でしたよね。70年代アーティスト達は時代遅れになった危機感もあり、音楽路線を変更したりMTVでPRしたりこの時代を生き残っていくために大変な苦労があったんだと思います。でもRWとしては彼らの原点を失ってほしくなかったという気持ちもありました。
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rollingwest at 2020-01-29 06:07
ちびた様、ディオンヌワーウィックの曲はあまり耳に残っていませんでしたか?70年代はあまりヒットのない時期でしたからね。80年代で再復活した方なので80年代に興味のない人には印象が薄いかもしれません。
グラミー賞のビリー・アイリッシュは「娘に知ってるか?」と聞いてみたら「1年前から大好き、若者では誰でも知ってる」との回答でした。
グラミー賞のビリー・アイリッシュは「娘に知ってるか?」と聞いてみたら「1年前から大好き、若者では誰でも知ってる」との回答でした。
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rollingwest at 2020-01-29 06:14
気まま様、ディオンヌ・ワーウィックは60年代活躍した黒人女性でアレサ・フランクリン、ダイアナ・ロスとともに並び称せられましたがバートバカラック音楽だったとは知らなかったです。その後は70年代低迷、79年復活、80年代全盛期というトレンドですが、RWは79年の大ヒット曲「涙の分かれ道」「恋のめぐり逢い(デジャヴ)」で彼女を初めて認識した感じです。その後は80年代の黄金時代、「ハートブレーカー」と「ウィー・アー・ザ・ワールド」は最も知られていますね。マイケル・ジャクソンとライオネル・リッチーの作詞作曲にクインシー・ジョーンズのプロデュースとまさにドリームチームでしたが、「洋楽人気はこの曲を分水嶺として下火を迎えていく」という説を書いた「ウィー・アー・ザ・ワールドの呪い」という本は面白いですよ!
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rollingwest at 2020-01-29 06:21
ノッチmrng様、小生もディオンヌ・ワーウィックを初めて聴いたのはは「Then Came You」(愛のめぐり逢い)でしたが、当時はブラックミュージックのワンノブゼム的な受け止め方で、まさかこんな大物黒人女性歌手にるとは思いもしませんでした。やはり彼女を大きく意識したのは1979年の大ヒット曲は「涙の別れ道」(I'll Never Love This Way Again)です。小生が大好きだったバリー・マニロウのプロデュースということも嬉しいことでした。当時のシングル曲名は邦題がまだ主流時代、あらためてどんな名前だったのかとレビューしてみると叙情的な形容詞(愛・恋・哀しみ・想い出・涙・面影等)を使用した曲名がオンパレードでしたね! ある意味、究極のワンパターンだったかも・・(苦笑)
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sikisai04 at 2020-01-29 07:01
ディオンヌ・ワーウィックという歌手はあまり知らなくて予備知識も無かった時、
偶々見た映画「哀愁の花びらたち」の主題歌を聴いて妙に気に入り、
早速レコード(当時はレコード盤が主流)を買って聴きました。
調べてみると元は「I Say A Little Prayer(あなたに祈りをこめて)のB面でとしてリリースされた曲だったようですが、
日本では「Valley Of The Dolls/哀愁の花びら」のタイトル曲としてA面で売り出されたと聞きました。
他にもたくさんのヒット曲がありますが、私にはこの曲に鮮烈な記憶が残っています。
偶々見た映画「哀愁の花びらたち」の主題歌を聴いて妙に気に入り、
早速レコード(当時はレコード盤が主流)を買って聴きました。
調べてみると元は「I Say A Little Prayer(あなたに祈りをこめて)のB面でとしてリリースされた曲だったようですが、
日本では「Valley Of The Dolls/哀愁の花びら」のタイトル曲としてA面で売り出されたと聞きました。
他にもたくさんのヒット曲がありますが、私にはこの曲に鮮烈な記憶が残っています。
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rollingwest at 2020-01-29 07:30
sikisai04様、貴女は60~70年代ディオンヌ・ワーウィックを相当聴き込んでおられますね!映画「哀愁の花びらたち」の主題歌にも採用されていたのですね!こちらも大いに勉強させて頂きました。A面B面レコードという言葉も懐かしく当時丁寧に音楽を聴いていた時代の光景を思い出します。
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yokuya2006 at 2020-01-29 18:05
済みません、ディオンヌさんの名前しか知りませんでした。
絵を見てみると、歌の上手い貫禄あるオバチャンだなぁと思っていると、歌の上手いオネーサンまで出てきました。
確かに歌唱力は凄いですね。大御所なんでしょうね。きっと。ただ残念ながら、私はこの手の音楽を好んで聴こうとは思いません。RWさんの趣味の広さには、魂消ます。
絵を見てみると、歌の上手い貫禄あるオバチャンだなぁと思っていると、歌の上手いオネーサンまで出てきました。
確かに歌唱力は凄いですね。大御所なんでしょうね。きっと。ただ残念ながら、私はこの手の音楽を好んで聴こうとは思いません。RWさんの趣味の広さには、魂消ます。
あまり記憶に無いんです。
名前は知っていて好きな曲が一曲あったけれど
聴けば分かるけれど最近は
記憶がどんどん消えていってるので
思い出せないんです。
名前は知っていて好きな曲が一曲あったけれど
聴けば分かるけれど最近は
記憶がどんどん消えていってるので
思い出せないんです。
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rollingwest at 2020-01-30 06:00
バイオマスオヤジ様、ディオンヌさんは黒人女性歌手の超大御所です。歌の上手い歌の上手いオネーサンは8年前に亡くなったホイットニー・ヒューストン・・、お二人は従妹同士ですがあまり顔は似ていませんね。鼻の孔がドデカいのがディオンヌおばさん、スラりとした可愛い美女がホイットニーさん・・、アッこういう女性を外見評価するような表現はご法度な時代になりましたね。この辺で止めときます。(苦笑)
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rollingwest at 2020-01-30 06:07
せいパパ様、ディオンヌの曲は思い出せませんか?80年代に相当活躍していましたので貴殿世代にはJUSTに合っているかと思いましたが・・。でもウィアーザワールドに出演していましたから知っていますよね~!?
南の国からおはようございます☆
全然、名前と曲が繋がっていない私めですが、なるほどぉ~♪
音楽専門雑誌にも大きく優る文章運びと情報量に拍手です。
日本、寒いだろうなぁ~
全然、名前と曲が繋がっていない私めですが、なるほどぉ~♪
音楽専門雑誌にも大きく優る文章運びと情報量に拍手です。
日本、寒いだろうなぁ~
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rollingwest at 2020-01-30 07:16
simon777_様、自分自身も記事を書いていく中でアーティスト名と曲が繋がったり、意外な発見をして驚くことも多々あります。こうやって自分の頭の中を整理するためにもマイフェイバリットソング集は意義があり執筆が進みます。
ロッキーのテーマ コンドルは 飛んで行く
好きな曲で車のCDに取り込んで
あり聞いてます
明日に架ける橋映画で見たような 遠い思い出
好きな曲で車のCDに取り込んで
あり聞いてます
明日に架ける橋映画で見たような 遠い思い出
こんばんは!
ディウォンヌ・ワーウィックですか。
ヒット曲や浮き沈みもあり、2019年に
音楽人生が好転して、昨年のグラミー賞では
特別功労賞でよかったですね。
アーティストはヒットや脚光や話題性など
より多くのことが求められて大変です。
名前は知っていても曲は殆ど知りません。
今年のグラミー賞は史上最年少で主要4部門
独占・5冠のビリー・アイリッシュは
本当に快挙で声がキレイす。
ディウォンヌ・ワーウィックですか。
ヒット曲や浮き沈みもあり、2019年に
音楽人生が好転して、昨年のグラミー賞では
特別功労賞でよかったですね。
アーティストはヒットや脚光や話題性など
より多くのことが求められて大変です。
名前は知っていても曲は殆ど知りません。
今年のグラミー賞は史上最年少で主要4部門
独占・5冠のビリー・アイリッシュは
本当に快挙で声がキレイす。
ディオンヌ・ワーウィックですが、60年代から数々のヒットを持つ偉大なソウルシンガーですよね。
わたしが彼女の曲を始めに聞いたのは74年に復活した時のNo.1ヒット、The Spinnersとのコラボシングル"Then Came You" でした。そういえばその後しばらく聞かなくなってしまい、次に聞いたのは"I'll Never Love This Way Again"でしたが、この曲は名曲でした。この曲でディオンヌのファンになりましたです。"Heartbreaker"も良い曲でした。素晴らしい声量の持ち主ですね。
わたしが彼女の曲を始めに聞いたのは74年に復活した時のNo.1ヒット、The Spinnersとのコラボシングル"Then Came You" でした。そういえばその後しばらく聞かなくなってしまい、次に聞いたのは"I'll Never Love This Way Again"でしたが、この曲は名曲でした。この曲でディオンヌのファンになりましたです。"Heartbreaker"も良い曲でした。素晴らしい声量の持ち主ですね。
「愛のハーモニー」名曲ですね。
当時国を代表するような大規模なチャティが流行ってたので
こじんまりした印象ですがそれでも凄い顔ぶれでした。
70年代のスーパースターなので
ローリングウエストさんは特にうれしかったことでしょう。
当時国を代表するような大規模なチャティが流行ってたので
こじんまりした印象ですがそれでも凄い顔ぶれでした。
70年代のスーパースターなので
ローリングウエストさんは特にうれしかったことでしょう。
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rollingwest at 2020-01-31 06:03
Hibochan様、貴殿も洋楽がお好きだったんですね!S&Gの名曲「ボクサー」繋がりで紹介した2つの曲「ロッキーのテーマ」「コンドルは飛んで行く」が、貴殿車CDに取り込んだお気に入り曲だったとは嬉しい限りです。ブログのユーチューブからも画像を楽しみながら聴いてみてください。
おはようございます。
>ディウォンヌ・ワーウィック
懐かしい歌声です。
なんとまぁ、ホイットニー・ヒューストンとのデュエット。なかなか豪華です。
今からもう35年も前のことかぁと..。
>ディウォンヌ・ワーウィック
懐かしい歌声です。
なんとまぁ、ホイットニー・ヒューストンとのデュエット。なかなか豪華です。
今からもう35年も前のことかぁと..。
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rollingwest at 2020-01-31 06:15
みすてぃ様、貴女はディウォンヌ・ワーウィックは殆どご存知なかったですか。60年代ヒット曲はともかく80年代以降は多くのヒット曲を出していたのですがご存知なかったですかね。でもこの時代はデュエットコラボやチェリティコンサートの一員での活躍だったので彼女自身の名前は印象に残らなかったのかもしれませんね。
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rollingwest at 2020-01-31 06:22
星船様、ディオンヌ・ワーウィックの思い出曲・印象は小生も貴殿と全く同じ捉え方です。スピナーズの「ゼン・ケイム・ユー」(1974)は記憶にありますが、彼女がこの曲に参加していたことは今回記事を書いて再認識でした。やはり彼女自身がビッグネームになったのはグラミー賞に輝いて大復活を遂げた「涙の別れ道」「デジャブ」ですよね!
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rollingwest at 2020-01-31 06:29
Beat Wolf様、確かに今再確認すると「愛のハーモニー」は70年代のスーパースター達がコラボしている名曲ですね。自分が勝手に察するには、スティービー・ワンダーやエルトン・ジョンが俺たちのような超大物が何故「ウイアーザワールド」に参加の声がかからなかったんだ?と参加一員だったディウォンヌ・ワーウィックに強烈な不満をぶつけたんではないでしょうか?それでディウォンヌは困り果てて親友のグラディスナイトも巻き込んで4人のチャリティー企画にしたのでは・・。もっと深読みするとスティービー・ワンダーやエルトン・ジョンは「ライオネル・リッチーがごときかもしれません。そこでディウォンヌが忖度して「もっと大物同士でコラボしましょう!」と声をかけたパターンだったのかも・・!
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rollingwest at 2020-01-31 06:36
地理佐渡様、ディウォンヌ・ワーウィックは懐かしい名前と歌声でしょ。確かにホイットニー・ヒューストンとのデュエットはまだ新しいイメージですがもう35年前になっていること自体に驚きますね。まさに光陰矢の如し..。
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doronko-tonchan at 2020-01-31 08:00
感動の一曲。バート・バカラックはいい曲を書きますね。
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silvergray2 at 2020-01-31 10:55
” I Say A Little Prayer ”、当時邦題は「小さな願い」でした。
中三で、この邦題に至った理由を知りたく” Prayer ”を辞書で引いた記憶があります。(笑)
「サンホセへの道」はボサリオの方がよく流れていたように思います。
この頃はバカラック全盛でしたね。
子供心にもバカラックの曲は洒落た曲だと思いましたよ。
中三で、この邦題に至った理由を知りたく” Prayer ”を辞書で引いた記憶があります。(笑)
「サンホセへの道」はボサリオの方がよく流れていたように思います。
この頃はバカラック全盛でしたね。
子供心にもバカラックの曲は洒落た曲だと思いましたよ。
ディウォンヌ・ワーウィックですか。あまり聞かなかったのですよ。この歌の1985年は就職した年で、だんだん洋楽の流行からも離れてしまい、聞く曲がさらに偏って行った頃ですね。色々と知らなかった事が分かってありがたい話題ですね。
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まさる
at 2020-01-31 19:59
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暖冬の影響か、お陰でそれほど寒くもない長野で、今年は助かっております。今回はディオンヌ・ワーウィックは、君の洋楽の趣味の広さには恐れ入ります。
でも、確かに我々70年組にとって、ディオンヌ・ワーウィックは記憶にあるミュージシャンだよね。我々にとって彼女を語る上で必ず出てくるのは、バートバカラックでしょう。当時のラジオ音楽番組には、ロックに混じって、バートバカラックの「サンホセへの道」や「恋よさようなら」「雨にぬれても」がよく流れていました。ソフトで高音が綺麗な声からはディオンヌ・ワーウィックが黒人のソウルシンガーとは思わずに聴いていました。当時は歌い手よりも作曲家のバートバカラックが有名だったよね。
で、バートバカラックと言えば、「雨にぬれても」の挿入歌が印象的な映画「明日に向かって撃て」でしょう!当時はアメリカンニューシネマにもハマっていて、前にも書いたと思うけど、「卒業」や「イージーライダー」と一緒に、当時夢中になって観た映画でした。ポールニューマン、かっこよかったなぁ〜。
でも、確かに我々70年組にとって、ディオンヌ・ワーウィックは記憶にあるミュージシャンだよね。我々にとって彼女を語る上で必ず出てくるのは、バートバカラックでしょう。当時のラジオ音楽番組には、ロックに混じって、バートバカラックの「サンホセへの道」や「恋よさようなら」「雨にぬれても」がよく流れていました。ソフトで高音が綺麗な声からはディオンヌ・ワーウィックが黒人のソウルシンガーとは思わずに聴いていました。当時は歌い手よりも作曲家のバートバカラックが有名だったよね。
で、バートバカラックと言えば、「雨にぬれても」の挿入歌が印象的な映画「明日に向かって撃て」でしょう!当時はアメリカンニューシネマにもハマっていて、前にも書いたと思うけど、「卒業」や「イージーライダー」と一緒に、当時夢中になって観た映画でした。ポールニューマン、かっこよかったなぁ〜。
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rollingwest at 2020-02-01 06:03
doronko-tonchan様、バート・バカラック秘蔵っ子といえば初期カーペンターズのイメージが強かったRWですが、ディオンヌ・ワーウィックがその先輩だったとは知らなかったですね~。
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rollingwest at 2020-02-01 06:10
silvergray2様、「I Say A Little Prayer」、邦題は「小さな願い」でしたか。「ささやかな祈り」でもよかったような気もしますね。洋楽英題をちゃんと辞書で調べるなんて勉強家ですね!バカラックの曲は本当にすぐ特徴がわかりますね!
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rollingwest at 2020-02-01 06:17
梅乃遊様、貴殿は小生より5つ下なのですね。その割には小生以上に昭和30~40年代文化への博識ぶりを感じます。小生は1980年社会人デビューですが貴殿同様に1985年以降は洋楽から遠ざかりました。ディウォンヌ・ワーウィックはやはり1979~1980年ころが一番印象に残っています。
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rollingwest at 2020-02-01 06:24
まさる殿、長野県も新潟県も暖冬は過ごしやすいので何より!反面、スキー場経営・除雪作業を生計の一部している方は辛い冬だね。夏場に水不足にならないかもちょっと心配!自分自身はディオンヌ・ワーウィック本格的に知ったのは1979年「涙の別れ道」「デジャブ」の大ヒットからだったね。それまでは何となく知っていた程度で初期はバートバカラック音楽だったのかと初めて知った次第!ソウルフルなモータウン歌手かなと思っていたので、自分自身で記事を書きながら勉強した次第です。今月の貴殿との洋楽カラオケでも彼女の曲を歌いまくっちゃいますか~!?「雨にぬれても」「卒業」「イージーライダー」などの映画アBGMでもいいよ!
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240_8 at 2020-02-01 08:52
おはようございます。
ディオンヌですか~。「愛のハーモニー」、ナイスチョイスです。学生時代の彼女(帰国子女)が、この曲の対訳を私に説明してくれたことが懐かしく思い出されます(笑)。
アップされた映像もいいですね~。親族対決。ディオンヌが素晴らしいのはもちろんですが、その上をいく迫力のホイットニーはやっぱりスゴイ。ホイットニーの死が悔やまれます。
ディオンヌですか~。「愛のハーモニー」、ナイスチョイスです。学生時代の彼女(帰国子女)が、この曲の対訳を私に説明してくれたことが懐かしく思い出されます(笑)。
アップされた映像もいいですね~。親族対決。ディオンヌが素晴らしいのはもちろんですが、その上をいく迫力のホイットニーはやっぱりスゴイ。ホイットニーの死が悔やまれます。
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RRExpress4 at 2020-02-01 09:54
おはようございます。
ディオンヌ・ワーウィックは、何と言っても歌が上手い!声がいい!プロ中のプロに言うことじゃないのかもしれませんが、彼女についてまず思うのはこの2つですね。
60年代のレパートリーを集めたかなり曲数の多いベスト盤を中心に聞いていますが、アレサ・フランクリンも吹き込んだ"I Say a Little Prayer" がやはり彼女のイメージ・ソングですね。ディオンヌ版の"I'll Never Fall in Love Again" も素敵です。曲としてはやや地味に思える「サン・ホセへの道」がグラミー賞を獲っていたことは初めて知りました。
モータウンとも、他の黒人ソウル・シンガーとも違う彼女ならではのポップさとおしゃれ感はバカラック派だったことも大きいのですね。世代的には「ハートブレイカー」が直撃でしたけど(笑)
ディオンヌ・ワーウィックは、何と言っても歌が上手い!声がいい!プロ中のプロに言うことじゃないのかもしれませんが、彼女についてまず思うのはこの2つですね。
60年代のレパートリーを集めたかなり曲数の多いベスト盤を中心に聞いていますが、アレサ・フランクリンも吹き込んだ"I Say a Little Prayer" がやはり彼女のイメージ・ソングですね。ディオンヌ版の"I'll Never Fall in Love Again" も素敵です。曲としてはやや地味に思える「サン・ホセへの道」がグラミー賞を獲っていたことは初めて知りました。
モータウンとも、他の黒人ソウル・シンガーとも違う彼女ならではのポップさとおしゃれ感はバカラック派だったことも大きいのですね。世代的には「ハートブレイカー」が直撃でしたけど(笑)
「愛のハーモニー」いいですよね。
最近はこういうしっとりとしたバラードの名曲を聴くことがなくなりましたね。
やはり70年代から80年代はバラードの宝庫ですね。
あ、私のブログへのコメントについてなんですが、バンド名が間違ってるのでご確認ください。
バンド名が間違っていると、該当バンドが気の毒な気がしてしまいます。
最近はこういうしっとりとしたバラードの名曲を聴くことがなくなりましたね。
やはり70年代から80年代はバラードの宝庫ですね。
あ、私のブログへのコメントについてなんですが、バンド名が間違ってるのでご確認ください。
バンド名が間違っていると、該当バンドが気の毒な気がしてしまいます。
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rollingwest at 2020-02-02 06:00
240_8様、ディオンヌの冒頭ユーチューブ曲は当初は自分が一番最初に嵌った1979年「涙の別れ道」の予定でしたが途中から気が変わり、やはり80年代で一番有名な「愛のハーモニー」を選択することにしました。やはりスティービー・ワンダーやエルトン・ジョン達との豪華コラボ曲ですし、従妹ホイットニーとナイスなコラボも見られますからね。冒頭と最後でグラミー賞発表時期に公開させてもらいました。
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rollingwest at 2020-02-02 06:07
RRExpress4様、貴殿は60年代曲からのファンなのですね!彼女の60年代はモータウン的ソウル・シンガーと思い込んでいたのですがバート・バカラックの指導のもとで白人的ポップな歌だったんだと再認識でした。「I'll Never Fall in Love Again」は完全に初期カーペンターズの曲だと信じていましたね~!
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rollingwest at 2020-02-02 06:18
ミュウ様、確かに80~90年代はデュエットやバラードの大流行りでしたね。その後、ちょっと乱立気味で飽きてしまいましたが・・。
(PS)ヘルタースケルターは最初にユーチューブから聴いて日本人だとは全く思わず、冒頭ラウドネスの名前を見つけて完全に勘違いしてしまいました、人見さんというアーティストにお詫び申し上げます。
(PS)ヘルタースケルターは最初にユーチューブから聴いて日本人だとは全く思わず、冒頭ラウドネスの名前を見つけて完全に勘違いしてしまいました、人見さんというアーティストにお詫び申し上げます。
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Soul Mate
at 2020-02-02 18:27
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バカラックといえば10年くらい前にパキスタン系イギリス人歌手のRumerがバカラック調の曲でちょっと流行ったなあ。「Am I forgiven」とかなかなかじゃったぞ。「サン・ホセへの道」、小学校の時によう聴いたが、「サン・ホセ」がどこにあるのかも知らんアホな小学生じゃったわ。。。
こんばんは
ディオンヌ・ワーウィックは好きでよく聴いてましたよ。♫
懐かしいです。久しぶりにじっくり聴いてみたくなりました。♪
ディオンヌ・ワーウィックは好きでよく聴いてましたよ。♫
懐かしいです。久しぶりにじっくり聴いてみたくなりました。♪
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oyajisann
at 2020-02-02 22:14
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今晩はディオンヌさんはバカラック時代=セプターレコード時代のアナログベスト後多いで買ったのが最初かな?80年代はTOP40入りの曲はアルバムorシングル買い集めていたのでディオンヌさんのアリスタ時代のシングルは買ってました。CDの時代になってアリスタ時代のベスト購入です。ソウルというよりPOPでしたね。今月もよろしくお願いします。
親の年に近いと思うアーティストを聴いていた学生時代でしたが、ディオンヌ・ワーウィック・・うちの母と同い年だったなんて今日、初めて知りました(笑)
進んで聴いていたわけではなかったので、誰かがカバーしたものを聴いていたのかもしれませんが、聴いたことのある曲が沢山ありました。でも、ラストの「愛のハーモニー」は、記憶にあります。ブラック&ホワイト、どちらも歌唱力は、間違いないけれど、やっぱり発声が違いますね。
進んで聴いていたわけではなかったので、誰かがカバーしたものを聴いていたのかもしれませんが、聴いたことのある曲が沢山ありました。でも、ラストの「愛のハーモニー」は、記憶にあります。ブラック&ホワイト、どちらも歌唱力は、間違いないけれど、やっぱり発声が違いますね。
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rollingwest at 2020-02-03 06:00
聖二殿、小学校の時からディオンヌ・ワーウィックの「サン・ホセへの道」を知っていたのか?大したもんじゃなあ・・!最近パキスタン系イギリス人歌手のRumerがバカラック調曲をリバイバルさせていたことも知らんかった!お主から新しいアーティスト情報を教えてもらうとはまさか想像もしていなかったよ。(笑)
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rollingwest at 2020-02-03 06:07
yuta様、ディオンヌ・ワーウィックの大ファンでございましたか!今回は彼女の60年音楽史を書き綴りながら名曲をタップリ♫と紹介しましたので、久しぶりに懐かしい気持ちで聴き直して満喫されてみて下さい。♪ 60年代曲も素晴らしいですよ!
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rollingwest at 2020-02-03 06:14
oyajisann様、貴殿はやはり流石ですね!バカラック時代から80年代までディオンヌをアルバムorシングル買い集めていたとは、本当に長い間じっくりと聴き上げていることがよく分かります。自分はディオンヌを知ったのは70年代からだったので、60年代はダイアナロスのようなモータウン歌手だと思い込んでいました。バカラックの指南を受けたPOPな曲を歌っていたことを今回初めて認識した次第です。体調は戻られましか?今月もよろしくお願いします。
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rollingwest at 2020-02-03 06:25
夏海様、80歳になってもまだ元気に歌っているなんてディオンヌ・ワーウィックも大したもんですね~。ダイアナロスだってまだ76歳ですし、アレサフランクリンは2年前に亡くなっちゃったし・・。黒人歌手ではやはりレイチャールズが今年90歳になるので本当に凄いですね。これからは100歳アーティストも出てくるのかもしれません。
「ハートブレイカー」なんてよく聴いたように記憶していますが、ああ、そうか、これってよく聴いてみればバリー・ギブの曲調ですね。「愛のハーモニー」も聞きおぼえがあります。
いい曲ですねぇ!!
今年80歳ですか、すごいなあ
いい曲ですねぇ!!
今年80歳ですか、すごいなあ
ディオンヌ・ワーウィックはほとんど聴かないのですが、「ハートブレイカー」は大好きで、当時高校生でしたが、しつこいくらいに繰り返し聴いてましたね。
「愛のハーモニー」については、当時盛んに行われていた大物ミュージシャン同士の共演のラスボスみたいな感じで、「そりゃあ、ヒットするよね。ズルい」といったひねくれた印象を持ちましたw
「愛のハーモニー」については、当時盛んに行われていた大物ミュージシャン同士の共演のラスボスみたいな感じで、「そりゃあ、ヒットするよね。ズルい」といったひねくれた印象を持ちましたw
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rollingwest at 2020-02-04 06:00
ディック様、「ハートブレイカー」「愛のハーモニー」も懐かしく思い出して頂いたと思いますが、この頃はコラボが多かったんでディオンヌの曲という意識も我々も薄かったですね。40~50年が経過して頭に中を再整理することもいいことだと思いました。
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rollingwest at 2020-02-04 06:07
実験鼠様、「ハートブレイカー」はディオンヌ・ワーウィックよりもビージーズ名曲の一つって感じでしたよね。「愛のハーモニー」、大物ミュージシャン共演のラスボスですか~!うまいこと仰いますね!小生の勝手な憶測ですが「ウイアーザワールド」に一応声をかけられたスティービー・ワンダーやエルトンジョンが「○○とは共演したくない」と高いプライドで断ったんあじゃないかと思います。結果的に参加しなかった後悔・反省が募りこの4人でチャリティー曲共演したのでは・・?と勝手に思っています。(笑)
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opaphoto at 2020-02-07 15:40
ホイットニーの最後を思えば
ディオンヌとデュエットしたこの名曲「愛のハーモニー」が尚更沁みます。
ディオンヌとデュエットしたこの名曲「愛のハーモニー」が尚更沁みます。
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rollingwest at 2020-02-08 10:43
ろーりんぐopaphoto様、仰る通りですね。ホイットニーにとってもディオンヌにとっても「愛のハーモニー」のデュエットは2人にとって一番幸福な時期だったんだと思います。それにしてもあらためて聴き直してみると両者の歌唱力はやはり凄いです。やっぱり従妹同士ですね~!
おはようございます。
ディオンヌもヒット曲多いですよね。ソウル系には入らない人ですがスピナーズと共演したりと絶えずチャレンジしてきた感じです。これからも期待してます。
ディオンヌもヒット曲多いですよね。ソウル系には入らない人ですがスピナーズと共演したりと絶えずチャレンジしてきた感じです。これからも期待してます。
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rollingwest at 2020-02-10 07:37
HY様、自分自身はディウォンヌ・ワーウィックを初めて聴いたのがスピナーズと共演だったので、この方の初期はソウル歌手なのか思っていました。バートバカラック音楽歌手だったとは知らなかったですね~。
こんばんわ。コロナウイルスの感染拡大で世界中大変なことになりましたね。私の方も三月旅行も三味線と踊りの発表会も中止になりました。どこへ行くのもマスク面白くないですね。
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rollingwest at 2020-02-23 06:09
シクラメン様、感染力の強さ、拡大スピードの速さにビックリしています。気をつけていてもいつの間にか感染してしまうかもとだんだん怖くなってきました。
洋楽はあまり聞かなかったのでよく解りませんが、
昔の曲を聞くと当時を思い出します。
戻りたいような戻りたくないような。
昔の曲を聞くと当時を思い出します。
戻りたいような戻りたくないような。
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rollingwest at 2020-03-05 06:03
片田舎動物病院様、洋楽コーナーの方へわざわざ御出で頂き恐縮にございます。昔の曲は知らず知らずのうちに脳裏や体に染み込まれているので、あっを聞いたことがあるとい曲を沢山発見できると思いますよね。あの頃に気持ちだけでも戻れうのはやはり音楽やTV番組ですね!