洋楽(ロック・POPS)に魅せられて(その1)から続く
★ロック誕生50数年、洋楽POPS草創期を飾ったスーパースター


ロックが初めて誕生した年は1955年と云われており、すでに50年以上の歴史が刻まれました。
映画「暴力教室」の主題歌「ロック・アラウンザ・クロック」(ビルヘイリー&ヒズコメッツ)が全米NO1になり大ブームが起きたことに始まります。「ロックンロール」の呼称で,起源はR&B・ロカビリーです。
(左)ロックの起源ビルヘイリー&ヒズコメッツ「ロックアラウンザクロック」 (右)ベンチャーズ「ウォークドントラン」、テケテケ・・


(中)チャックベリー(バディホリーやジェリーリールイス等と並ぶロックンロール創始者の1人)
これにエルビスプレスリー、リトルリチャード、チャックべリー等が続きます。ビートルズやストーンズは皆、彼らに憧れて誕生したのです。ベンチャーズほど日本で愛された外国のバンドは他にないでしょう。寺内タケシに象徴されるテケテケテケ・・・のエレキギターの音を響かせたGS黎明期の功労者です。

エルビスプレスリーは「キング・オブ・ロックンロール」と呼ばれた不世出の歌手。「ハートブレイクホテル」でデビューし世界を席巻し、その後映画出演もして数々のヒットを放ちました。我々世代では復活した終盤時代の映画「エルビスオンステージ」を観て初めて知ったという人が殆ど。モミアゲ・ベルボトムズボン・太り気味でキンキラキンのイメージの方が強いんですけどね・・。メルリ~ミ~、メルリ~ミ~♪

(左)エルビスプレスリー。「この胸のときめきを」はいきなり「When I said!」と始まる。



(中)ボブディラン「追憶のハイウェイ」・フォークロックの開拓者 (右)バーズ「ミスタータンブリマン」
フォークとの融合が図られたのもこの時期です。ボブディランやドノバン等がシンガーソングライターという分野に新たな道を開きます。またディランの「ミスタータンブリマン」をヒットさせたバーズや「朝日の当たる家」のアニマルズ、永遠の名曲「青い影」のプロコルハルム、牛も知ってるカウシルズも懐かしい。そして米国西海岸ではビーチボーイズがサーフィンサウンドで若者の心を席巻しました。
(左)サーフィンサウウンドで有名なビーチボーイズ「ペットサウンズ」 (右)プロコルハルム「青い影」・超名曲



(中)アニマルズ「朝日のあたる家」、ビートルズと並び人気を博した英国バンド
ボーカリストでは、トムジョーンズ・ニールセダカ・エンゲルバートフンパ-ディンク・クリフリチャード・アンディウィリアムス・グレンキャンベル等が、グループではホリーズ・グラスルーツ・バッキンガムス・ニューシーカーズ・ママス&パパス等が活躍。この辺は団塊世代の方が懐かしむ名前と思います。
★貴重な情報源:ロック情報誌やラジオ番組
中学生になり読みあさった音楽誌は「ミュージックライフ」(星加ルミ子初代編集長)や「音楽専科」。
大物グループ来日特集は実にワクワクしました。グループ、ボーカル・ギタリスト別の人気投票コーナーがあり、今トレンド先端者は誰なのかを知ることができ、毎月買っていました。LP交換コーナーもあったなあ・・。



ミュージックライフ(ELP来日特集) 音楽専科(Rプラント) ウルフフマンジャック(アメリカンTOP40)
大学入学で上京してから、毎日AMラジオでFEN(駐日米軍向け極東放送)を聴きまくっていました。ロック・POPSが流され続け、いわば日常的BGM。ウルフマンジャック(アメリカンTOP40)やチャーリーツナの名ディスクジョッキーが大好きでしたが遂に自身の英語力は上達しなかったなあ・・・。
80年代は勿論、小林克也「ベストヒットUSA」。当番組はプロモビデオを駆使し一時代を築きました。
★歴史に輝く伝説のロックコンサート
ロックフェスティバルで最も有名なコンサートは1969年に開かれたウッドストックです。
ジミヘン、サンタナ、Jジョプリン、グレイトフルデッド、Jエアプレイン、CSN&Y、テンイヤーズアフター、フー、BS&T、ザ・バンド、CCRの有名実力バンド30組が参加し40万人以上の観客が集まった伝説の野外ライブでした。

伝説のライブ殿堂・「フィルモア」(ビルグラハムが創設)の数々のコンサートもロックク史には欠かせません。アルクーパー、Mブル-ムフィールドの「フィルモアの奇蹟」、オールマンブラザーズバンドの「フィルモアイーストライブ」(NY)、ウエスト(SF)で開催されたロック映画「フィルモア最後の日」にその名は燦然と輝きます。
(左)ウッドストックライブ(反戦・マリファナ・ヒッピー文化の頂点) (右)ウィーアーザワールド(USAライブエイド)



(中)バングラディシュコンサート(Jハリスンが主催したロック史初の飢餓救済チャリティライブ)
ロックは世界に向けて飢餓の救済を訴える一大ムーブメントも興しました。1971年に開催された「バングラディシュコンサート」(Jハリスン、リンゴスター、エリッククラプトン、ボブディラン、レオンラッセル等)、1985年には「USAフォーアフリカ」(マイケルジャクソン、ライオネルリッチー、スティーヴィワンダー、シンディローパー、Bスプリングスティーン、ホール&ウォーツ、ヒューイルイス&ニュース等)が集結、歴史に残る2大チャリティとして記憶に残っています。
★思い出に残る吟遊詩人たち(1970年代前半)

1970年初頭、ロックの先進性・革新力ではイギリス勢の方が圧倒優位であり、音楽性の高さ・発展性でアメリカ勢に断然の差をつけていたと思います。しかしシンガーソングライター部門では、アメリカから優秀な人材を多く輩出しカントリー音楽に根ざす素晴らしい数多くのヒット曲が生まれました。
(左)キャロルキング「つづれおり」は歴史的名盤 (右)カーリーサイモン「うつろな愛」ヨ~ソ~ベイン



(中)ジェームステイラー「スイートベイビージェームス」、穏やかに優しく弾き語る。
シンガー・ソングライター時代の幕開けを告げた男といえば、いぶし銀ジェームス・テイラー。夫人は名曲「うつろな愛」カーリーサイモン(厚い唇が印象的)。結果的に2人は離婚しちゃったけどね。
テイラーとデュエットしたキャロルキングの「つづれおり」はグラミー賞4部門制覇の超名盤です。
グラミー賞といえば1973年のロバータフラック「やさしく歌って」を忘れることはできません。
(左)ギルバートオサリバン「アローンアゲイン」 (右)ジョンデンバー「ロッキーマウンテンハイ」、カントリーロ~ド♪




(中)レオンラッセル「ソングフォーユー」、ロング金髪で孤高の雰囲気が漂っていた。
泥臭く渋いレオンラッセル、ロッキー山脈と大自然を歌うジョンデンバー、「雨にぬれた朝」のキャットスティーブンス、「アイガッタネーム」のジムクロウチ(J悲劇の一人、飛行機事故で死去)。 同じく悲劇の死を迎えた伝説のマービンゲイ(父親に殺された)、「ホワッツゴーインオン」は永遠のソウル名曲です。懐かしいアイク&ティナターナーはその後、夫のDVで離婚。80年代に女房だけが大ブレイクしました。
(左)ジムクロウチ「アイガッタネーム」、涙が出るね~! (右)ニールヤング「アフターザゴールドラッシュ」



(中)マービンゲイ「ホワッツゴーインオン」、社会問題にも提起した「ニューソウル」の創始者
名曲「ふれあい」のダンヒル、「片思いの僕」のロボ。(この2人誰も知らねーだろうなあ・・)
奇抜な格好でデビューのギルバートオサリバン(アイルランド出身)。名盤「ハーベスト」等でフォークロックの象徴・栄光のニールヤング(アメリカ人と思っていた実はカナダ出身だと知ってちょっとビックリ)
★進化発展をみせたウエストコーストサウンド
1970年中盤~後半ではフォークロックがカントリー色を脱し、米国西海岸(ロス、サンフランシスコ)を中心にウエストコーストサウンドと呼ばれる一大ブームが起きました。スーパスター4人で結成したCSN&Y、サザンロックと呼ばれたオールマンブラザーズ。美しいメロディを奏でるアメリカ。デビュー当時は野生味溢れたスタイルだが、洗練された都会派に進化したドゥービーブラザーズ。 実にキラ☆の如くでしたね。
(左)CSN&Y 「4ウェイストリート」、(デジャブも名盤) (右)アトランタリズムセクション



(中)オールマンブラザーズバンド゙ 「ブラザーズ&シスターズ」、米国南部ロックの雄

(左)アメリカ「名前のない馬」 (右)オーリアンズ「ウォーキング&ドリ-ミング」、ダンス・ウィズ・ミ~♪



(中)ドゥービーブラザーズ(キャプテンアンドミー)、初期と後半期は路線が違うが各時代とも秀逸。
歴史的なロックバンドであり世界的にも有名なイーグルス。「ホテルカルフォルニア」はやはり超名盤であり、
新加入ジョー・ウォルシュのエネルギッシュなギター、洗練的な都会サウンドはやはり最高アルバムのひとつです。
音楽スタイル変化の大きな発展となった「呪われた夜」は名曲満載。イーグルスはやはり素晴らしい。
(左)イーグルス「呪われた夜」も超名盤 (右)レイナードスキナード(渋くてカッコイイ!)



(中))ロック史に燦然と輝くグループイーグルスの「ホテルカルフォルニア」
しかし初期のカントリー色強いイーグルス(「デスペラード」が最高!)や同じ雰囲気を持つレイナード・スキナードもお気に入りでした。(同級生H池はこの2つが特に大好きでよく聴いていたなあ・・)
レイナードは飛行機事故で主要メンバーを失った悲劇(チェイスも同様だけど・・)のグループです。
★大学時代:思い出のヒットメーカーたち(1970年代後半)
大学に入学し1976年4月から下宿生活を開始。おのぼりさんにとっては初めて触れる東京の都会風景・文化は実に新鮮でした。やはりその頃流れていた巷のヒット曲が懐かしく思い出されます。
Pフランプトン、オリビアニュートンジョン、アバ、バリーマニロウ、カーペンターズ等の歌が懐かしい!
(左)バリーマニロウ「歌の贈り物」、バラードの王道 (右)アバ「アライバル」、POPの王道



(中)カーペンターズ「イエスタディワンスモア」、今は亡きカレンの歌声は青春時代のBGM

当時は下宿・アパート暮らし(ビンボー学生でした)で部屋にステレオなんて贅沢、レコードも買えません。 毎日AMラジオFEN(極東放送)やFM東京を聴きまくり「アメリカンTOP」等でビルボード誌ヒットチャートをチェックすることが楽しみでした。(当然、彼女はいるわけなし・・)悲しいねエ・・(笑)
(左)バーブラストライサンド「追憶」 (右)リンダロンシュタット「悪いあなた」♪イッツ・ソーイージー



(中)オリビアニュートンジョン(そよ風の誘惑)、上京の春に流れていた思い出の曲
当時は、タータンチェックのアイドル・ベイシティローラーズが大人気でした。(キャーキャー、女の子の黄色い声が煩かった。) そんなの聴いていられるかと、毎日FENでマイナーヒット曲をチェックしていました。
(左)マンフレッドマンズアースバンド (右)ドクターフック&メディスンショウ(楽しいオヤジたち)


(中)ゲイリーライト「夢織り人」、オオ~、ドリームウィーバ~!
上京の春1976年頃の思い出曲としては、エルビンビショップの「フールアランザフェルインラブ」、マンフレッドマンズアースバンドの「光に目も眩み」(Bスプリングスティーンの歌)、ゲイリーライトのスペースサウンド「夢織り人」、澄んだ声のメアリーマクレガー「トーンビトゥィーントゥラバース」、渋いヒット曲(「めぐり逢う夜」「セクシーアイ」等)で楽しませてくれたドクターフック&メディスンショウ(お茶目なオヤジたち)も大好きでした。

「ワォン、ワ・ワ・ワ・ワォ~ン、♪アイウォンチュ~、ショミーザウェイ~♪」 ピーターフランプトン(ハンブルパイから独立)のソロライブ盤が世界で1,000万枚の大ヒット!大学入学時、毎日のように流れていた曲です。
80年代にブレイクしたジョンウェイトが率いたベイビーズもワイルドかつ音楽性の高いナイスなバンド。
(左)P.フランプトン「フランプトンカムズアライブ」ショーミーザウェイ♪(右)スティーブンビショップ「オンアンドオン」



(中)ロギンス&メッシーナ「ママはダンスを踊らない」、ケニーとジムは各自ソロでも活躍

70年代後半、吟遊詩人・名アーティストがさらに多く輩出しています。ここに紹介しているのは一部に過ぎませんが、美しいメロディや洗練された名曲を聞きながら癒されていたものです。こんな曲を聴きながら女の子とデートできる日がいつ来るんだろうなアー・・と妄想を抱きながら、哀・・(T¬_T)。
(左)ダンフォーゲルバーグ「フェニックス」 大好きだった! (右)レオセイヤー「ウェンアイニードユー」



(中)ポールデイビス「クールナイト」、名曲「アイゴークレージー」は長い間ヒットチャート上位にいた。
レオセイヤ-、ジノバネリ、ランディバンウォ-マー、「アイゴークレイジー」のポ-ルディビスも心に残ります。
大好きだったダンフォーゲルバーグが昨年(07/12月),56歳の若さで亡くなりました。何とも寂しい・・。そういえば、ビージーズの次男モーリスギブも5年前に53歳で他界していたなあ。 追善哀悼・・
(左)ビリージョエル「ストレンジャー」名曲「素顔のままで」(右)ロッドスチュワート「明日へのキックオフ」




(中)ビージーズ。「マサチューセッツ」や「小さな恋のメロディ」は思い出、1970年後半はディスコ路線
黒人ではスティービーワンダーやコモドアーズ(ライネルリッチーがその後独立)も大活躍でした。
しっとりとした深みのある名曲を多く持つ大人のコーラスグループ・マンハッタンズも好きだったなあ。
(左)アース・ウインド&ファイアー「黙示録」(右)ディスコ女王・ドナサマー(ホットスタッフやバッドガール)



(中)「サタデイナイトフィーバー:サントラ盤」この映画とアルバムがディスコブームに火をつけた。
1970年代後半にはディスコサウンドが大ブレイクします。ソウルからの転進組がメインですが、あのビージーズ(「サタデーナイトフィーバー」で大復活)やデビッドボウイまでが・・とビックリしたものです。
そしてジャクソン5の純真で可愛かったマイケルジャクソンが成長、ムーンウォークで大ブレイク!
(左)ライオネルリッチー(コモドアーズ時代が特に好き) (右)マイケルジャクソン「オフザウォール」



(中)盲目の伝道師スティービーワンダー「キーオブライフ」、「迷信」は大ヒット
70年代後半になるとロック・POPSは商業化し、ジャンル拡大・アーティスト数も大幅に増えます。
もう個々ミュージシャン別の薀蓄を語るのは辛くなってきました。60年代後半と比較すると音楽性の高度化・洗練が急速に進んだなぁと思います。やはりこの濃い10年間での進歩速度は著しかった!
次の第3編ではプログレ・ハード等のロック爛熟期から80年代、そしてバブル時代へと突入。
洋楽(ロック・POPS)に魅せられて(その3)
洋楽(ロック・POPS)に魅せられて(その4)に続く