2015年も押し迫りもうあと僅か・・、今年の洋楽コーナーは50周年(1965ビートルズ・ラバーソウル)40周年(1975クイーン・ボヘミアンラプソディ)と掲載してきたので、次は30周年記念レポートをして2015年に別れを告げたいと思います。1985年、アフリカの飢饉・貧困救済を目的に米国のスーパースター達(USA for Africaと称した)が集結して収録され、同年4月に世界中のラジオ局で一斉同時オンエアされた歴史的なチャリティーソング「ウィアー・ザ・ワールド」は世界記録的な大ヒット(売上げ2000万枚)となり、7500万ドル(当時約70億円)もの募金が集まりました。ハリー・ベラフォンテ構想を基にクインシー・ジョーンズがプロデュースしたチャリティー大イベントに参加したのは当時のビッグネーム45名ですが、ソロリレーを取ったのはさらなる超大物に絞られて21名。そのメンバーはRW洋楽記事で6割程紹介をしてきたので、順番に登場して歌い継ぐアーティスト達を過去紹介リンクを張りつけながら記事を進めて行きます。まずスタートを飾ったのはPJ提唱と呼びかけの功労立役者「ライオネル・リッチー」。1970年代にコモドアーズ活躍していた彼がソロ独立でこれ程までに世界メジャーになるとは思わなかったなア・・。次は誰もが大物重鎮と認める「スティーヴィー・ワンダー」 、3番目は小生の洋楽への誘い人S&Gの「ポール・サイモン」、早く2回目の記事やソロを紹介しようと思いながら数年が経つ・・。4番目はカントリー界からハスキーボイスの髭モテおやじ「ケニー・ロジャース」 、「ジェームス・イングラム」「ティナ・ターナー」へと受け継がれて、7番目は「ビリー・ジョエル」(ニューヨークの想いを歌わせれば3本の指に入るぞ)。そして8番目は・・、ついに出ました~「マイケル・ジャクソン」」!(←今は亡き伝説的な「King of Pops」の記事は少年時代の名曲「ベン」を紹介)。マイケルは敬愛する「ダイアナ・ロス」と美しい声でデュオを取り、その後「ディオンヌ・ワーウィック」「 ウイリー・ネルソン 」「アル・ジャロウ」と続きます。そして13番目に登場するのが大声量でガナりまくる「ブルース・スプリングスティーン」!この方が発する圧倒的な声はひときわ際立ちNo1の存在感があります。(全体的に目立ち過ぎ~!) 14番目は「ケニー・ロギンス」、映画フットルースなどで80年代アーティストのイメージが強いですがRWにとっては70年代のほのぼのしたフォークコンビを組んでいた頃が懐かしい。15番目はジャーニーのボーカリスト「スティーブ・ペリー」(お笑いのピン芸人なだぎ武とソックリ)、あいかわらず素晴らしいハイトーンヴォイスですね~!16番目は「ダリルホール」」の登場!(←この方も80年代になって超垢抜けちまったなあ・・!ブルーアイドソウルと呼ばれた黒っぽいホール&ウォーツが好きなRWのボヤキでした。(苦笑) 再びマイケルが登場し熱唱、そして「ヒューイルイス」「シンディローパー」(この方もマドンナと並ぶ80年代女性アーティストの象徴)、「キム・カーンズ」と歌い継がれ、スーパースター達の「ウィアー・ザ・ワールド~♪、ウィアー・ザ・チルドレン~♪」の大合唱へと入ります。21番目は大御所「ボブディラン」!あいかわらず抑揚のない吟遊調ですが、この方がノーベル文学賞候補になっていることをご存知ですか?「従来歌詞とは異質の『詩』が革新的で、詩が歌と同じ『声の文化』であることを再認識させた」・・との理由らしい。再び「ウィアー・ザ・ワールド~♪、アワ・ワールド~♪」の合唱の中で、クライマックスは「スティーヴィー・ワンダー」と「ブルース・スプリングスティーン」のロングな掛け合い、最後のトリは「ジェームス・イングラム」と大御所「レイ・チャールズ」が締めてフィナーレを迎えます。40代以上の世代は当然誰でも知っている偉大なるチャリティーソングは多分若い人にもかなり浸透しているのではないかと思います。つい最近の様な気もしますが「もう30年も経ったのか~?」・・と時の経過の早さに驚きながらも実に感慨深いものがありますネ~。
さて今年も洋楽コーナーに皆様の含蓄あるコメントを沢山頂戴し誠にありがとうございました。来年も〇周年記事なども含めて多くのアーティストを紹介していきたいと思います。2016年も数々の名曲をお楽しみ下さい。
★(136)クイーン 「ボヘミアン・ラプソディ」 (1975年) (2015.12.7公開)
今年(2015)は「クイーン」の代表的なアルバム「オペラ座の夜」(1975年:彼らの最高名盤)がリリースされて11月23日で丁度40年の節目を迎えました。またフレディマーキュリーの命日は翌11月24日(HIV感染合併症によるカリニ肺炎で45歳の若さで死去)、来年は四半世紀目の命日となるのか・・!(早いもんだなあ・・、俺も年をとるわけだ。) 初期の時代(Ⅰ~Ⅲ)が大好きなRWは、過去の洋楽記事でクイーンを紹介したのは第3巻(027)「輝ける七つの海」のみですが、やはりこの金字塔アルバムを掲載しない訳にはいきません。当名盤における超傑作曲といえば「ボヘミアン・ラプソディ」(冒頭掲載曲)、英国音楽誌の読者投票で20世紀を代表する曲の第1位に選ばれた大傑作です!この曲は3部構成の大作で、序盤はピアノ伴奏と落ち着いたバラードで静かに始まり、中盤では一転して壮大なオペラ世界へ、終盤はハードロックのエキサイティングな展開、最後には再びピアノに導かれて静かに終わりを迎える・・、というドラマティックかつストーリー性に溢れた展開(一曲が全体6分)は本1作品自体がアルバムタイトルの如くまさにオペラ劇場にいるかのような錯覚さえ覚えてしまいます。「ボヘミアン・ラプソディ」は当時シンセを使用しない事で有名だった彼らが200人分以上のコーラスを4人で重ね録りし、また巨額の制作費が投じられたプロモーションビデオ(「クイーン Ⅱ」ジャケットがモチーフ)が大きな話題にもなりました。フレディ・マーキュリーの才能を集結した曲の意味深な歌詞(冒頭から「母さん、たった今僕は人を殺してきたんだよ」というショッキングな内容)には色々な解釈があります。「ボヘミアン」とは「異邦人・移動型民族・放浪者」(かつてはジプシーとも呼ばれた)を意味し、彼の出自(タンザニア生まれのインド系英国人,ゾロアスター教)と同性愛者だったことが創作の動機となったと云われます。英国内ではマイノリティ立場であり、その被差別意識や苦しい思いを跳ね返したいというメッセージがこの名曲に籠められているのかもしれません。リリース40周年を記念し「オペラ座の夜」特集を徹底的にレポートしましょう!オープニング曲は「Death on Two Legs」、衝撃的なイントロから始まり目まぐるしく曲調転換を見せながら息つく暇もなくエンディングへと一気に突っ走るアレンジは実に巧妙!壮大なクイーン・オペラ劇場開演を打ち鳴らす幕開けに相応しい序曲です。「I'm in Love With My Car」はハードロック調で迫るRWのお気に入り曲で、車が趣味のロジャー・テイラー(dm)が作曲、カーレーシングのレトロチックなモノクロPVには目を奪われます。POPなリズムの「マイ・ベストフレンド」は、ジョン・ディーコン(bs)の作曲で彼の初シングルヒットとなりました。RWは当時大学に入学して上京してきたばかり、四畳半下宿のFENラジオから毎日のようにこの曲が流れていたことが実に懐かしい!「'39」は、ブライアン・メイ(gt)が作曲し自身もボーカルをとっているカントリー調のアコースティック・ギターと牧歌的なメロディが実に秀逸です。ミュージカル調のコミカル作風が魅力の小作品「シーサイド・ランデヴー」(昔の海水浴風景を、デキシーランド・ジャズっぽい軽快なリズムで歌いあげた心地良い曲)や「グッド・カンパニー」(ジャズ風の金管・木管楽器・手回し式演奏オルガンをブライアン・メイが全て演奏)を聴くと、クイーンはこのオペラ劇場的なアルバムを、ビートルズの2大名盤(SGTペッパーズ、アビーロード)と対比させたかったのではないでしょうか?これらのホノボノ曲が時たま散りばめられていることも、ビートルズ2大名盤に疑似させているような気がします。初期3部作はひたすら才能をアピールし、先鋭的な作風が剥き出しになっていた傾向がありましたが、このアルバムから遊び心と余裕が生まれ、クイーンの音楽スタイルのターニング・ポイント・分水嶺となった作品です。この名盤でクライマックスシーンを迎えるのは最長曲「預言者の歌」、冒頭と終焉の琴とアコースティックギターのコラボが不思議な世界に誘い、ロックサウンド展開後の絶頂部は絶え間なく響く声明的な幽玄世界は僧侶集団が輪唱しているかの如し!まるでイエスサウンドの世界に引き込まれたかのような錯覚を覚える壮大なる曲です。最後の締めを飾るのは、クイーンファンの間でも人気の高い名曲「ラヴ・オブ・マイ・ライフ」(せつない失恋の心情の歌詞)、メランコリックなピアノとハプシコードに導かれるままフレディ・マーキュリーがしっとりと歌いあげる数あるバラードの中でも3本の指に入る美しさを誇ります。クイーンのメンバー4人は、それぞれのパートでロック界のNo1と言えるほどの実力を持ち合わせたインテリ集団、その傑出した能力が結集してクラシック音楽とロックを融合させた完璧と言えるアルバムは永遠にロック史に刻まれ伝説として受け継がれていくことでしょう。
★(135)ジョーコッカー 「美しすぎて」(You Are So Beautiful) (1975年) (2015.11.21公開)
ハスキーなしわがれ声と独特の歌唱で多くのファンを惹きつけた英国出身のロック歌手「ジョー・コッカー」が昨年12月に肺がんで亡くなってから(享年70歳)、ちょうど1年を迎えようとしています。1969年のロックフェス「ウッドストック」での熱唱で、一躍世界的なロックシンガーとなり1980年代では映画「愛と青春の旅立ち」の主題歌などで知られていました。彼の最も美しい名曲「美しすぎて」を聴きながらあらためて来月の一周忌の冥福をご祈念したいと思います。日本人が好むピアノ・バラードの名曲の最後の歌詞「You Are So Beautiful to me」は声がもうかすれ声・・、特に「…to me」の部分は絞り出すような嗚咽にも思えるくらいの熱唱。ビリープレストンのカバー曲は、もはや今ではジョーコッカーの代名詞になる程に強烈な印象を残しました。ジョー・コッカー(1944年生まれ)は学校中退して働きながらプロの歌手を目指す下積み生活が長かったものの、1968年「With A Little Help From My Friends」(ビートルズのカバー曲)をヒットさせてから運が開けてきました。彼の曲には数多くのビートルズ名曲のカバーナンバーがあるので相当大きな影響を受けていたのでしょう。そして彼の音楽人生が一挙にブレイクしたのは1969年の伝説的な野外ロックフェスティバル「ウッドストック」に出演したことが契機でした。「Let's go get stoned」(1969)を引っ提げて劇的に初登場したシーン(ソウルフルで力強い熱唱)はまさにお宝物映像!当時はまだ無名に近い存在でしたが、曲が進むに従って客席の心を鷲づかみにし、圧倒的な歌唱力でステージを支配していき最後は割れんばかりの拍手に包まれるステージを披露したのです。その後、「マッド・ドッグス&イングリッシュメン」というのツアーバンド(レオン・ラッセルが仕掛けた豪華過ぎるメンバー)を組み「ザ・レター」(1970、ふてぶてしいレオンラッセルの姿が印象的)などのヒットを飛ばして活躍し一時代を築きました。RWはリアルタイムに彼の音楽を傾聴する機会はないものの、当時のミュージックライフ誌で凄い大物ロック歌手なんだなあ・・と遠くから恐れ多く意識しているだけでした。しかし中年になって歳を重ね最近になって、ジョーコッカーの魅力・味わいには深いものがあるなあ・・と再発見状態です。1970年代前半は、大麻所持逮捕、長年のアルコール依存症で暫くはヒットも途切れ低迷の時代を迎えてしまいましたが、彼は逆境にもへこたれずに1970年代中盤に音楽活動を再開して冒頭の「美しすぎて」(You Are So Beautiful)の大ヒットを飛ばし復活したのです。この時代には、「I Can Stand a Little Rain 」(1974)や「The Jealous Kind」(1976)の名曲を輩出、しかしその後は酒やドラッグ漬けから脱却しようとする苦労を重ね、ついに1980年映画「愛と青春の旅立ち」」(リチャード・ギア主演)の主題歌(ラスト掲載曲)で第2の頂点を迎えたのです。それ以降も「A Woman Loves A Man」(1987)が全米チャートの上位に入るなど息の長い音楽活動を継続しました。まさに七転び八起きの人生・不屈の魂で泥臭く全身全霊をこめて振り絞るような歌唱する姿、これこそがジョー・コッカーの魅力だったと言えましょう。一周忌を迎えてあらためて彼の代表曲「Up Where We Belong」(ジェニファーウォーンズとのデュエット、映画「愛と青春の旅立ち」の主題歌)を聴きながら天国からの絶唱を聴かせて頂きたいと思います。
中学3年生の頃(洋楽に目覚め3年目となった1972年)、深夜ラジオから流れてきた「うつろな愛」を初めて耳にした時に「何と素晴らしい曲だ~!」と感銘したことが本当に懐かしい・・。哀愁漂う独特のイントロ~物憂げなボーカルと美しいメロディー~中盤からの転調してギターソロ~静かなる高まりからドラマチックなサビへ・・、それぞれの構成が違和感なく連結した佳曲を歌い上げていたのは1970年代を代表する女性シンガー・ソングライター「カーリー・サイモン」(1945年生まれ・今年72歳)です。デビューした当時は「幸福のノクターン」(1971)等、やや地味目でしっとりした弾き語り系の歌手でしたが、翌年に「うつろな愛」の大ヒットでグラミー賞「最優秀新人賞」に輝いて、彼女は一挙に世界へ大ブレイクしたのです。その外見印象は大柄・グラマーでスタイル抜群、分厚い「たらこ唇」でセクシー容貌の女性だな~と思っていましたが、何とこの年にジェームス・テイラーと結婚してビックリさせられたことをよく覚えています。ジェームスとは2人の子供をもうけ、「愛のモッキンバード」(1974)や「デボーテッド・ユー」(1977)のデュエットも披露しており、洋楽界きってのオシドリ夫婦と呼ばれて仲睦まじき時代もありましたが1983年には離婚しています。これだけのセクシーな美貌ですから色々とあったのでしょうね~!確かにカーリー・サイモンは恋多き女性と呼ばれており、「ミックジャガーとも恋仲だったのでは?」との噂もありました。実際に「うつろな愛」でバック・ボーカルに参加しているのは間違いなくミック・ジャガー・・、今から思えば「たらこ厚唇」の大物アーティスト同士のコンビではないか~!(笑) 「ユー・ビロング・トゥ・ミー」(1978全米6位)で共作したマイケル・マクドナルドとも何かあったかもしれん・・(すみません。下衆の極みでした・・苦笑) ジェームステイラーとは離婚したとはいえ彼と出会ったことで大いなる影響を受け、フォーク音楽を基礎にフュージョン的なサウンド指向も取り入れて彼女の音楽性が高まったことは間違いありません。また彼女は映画音楽BGMにおいても数々のヒット曲を放ちました。やはり一番有名なのは、映画「007 私を愛したスパイ」の主題歌 「ノーバディ・ダズ・イット・ベター」(1977)ですかネ~!80年代では、映画「心みだれて」の主題歌「カミング・アラウンド・アゲイン」(1987・全米18位)、1989年には映画「ワーキング・ガール」の主題歌「ステップ・バイ・ステップ」(Let the River Run)でアカデミー歌曲賞を受賞しています。カーリーサイモンは古希を過ぎても魅力溢れるオーラを放ち続け、昔と変わらないスタイルと大きな口で優雅に歌っている姿が動画サイトで見ることができます。その透明感とハリある声は、数多くの恋愛や人生経験を重ねその感情をストレートに歌い続けてきた彼女の深い年輪なのではないかと思います。ラストは、デビュー当時の曲を円熟味を増した歌声で披露する「アンティシペイション」(1971)、自立した女性像を40数年間も表現し続けてきた彼女の姿はいつまでも多くの人々に愛され続けることでしょう。
2年前からビートルズ中期以降名盤の50周年特集記事をスタートさせました。2015年10月に「ラバーソウル50周年」、 2016年1月は来日50周年特集として「武道館コンサート演奏11曲」、そして2016年6月は「リヴォルバー50周年」の名曲レビューを公開してきましたが、今年5月末はいよいよビートルズの最高傑作と呼ばれる「サージェント・ペパーズ・ロンリーハーツ・クラブバンド50周年」の執筆を迎える時期となりました。さて・・冒頭曲は何をチョイスしようかと迷っていましたが、5月26日発売の「サージェント・ペパー50周年記念エディション」(34曲以上の未発表音源も収録された2枚組)の豪華プロモーションビデオを発見!名盤主要曲のエッセンスが短く効果的に折り込まれており、これを採用することにしました。偉大なるビートルズが50年前に世界を驚嘆させた名盤「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」(1967.6.1発売)、この想像力に富んだコンセプトアルバムが後進の著名バンド達に与えた影響・偉大な功績は本当に計りしれません。ロック史に輝く金字塔が発売50年を迎えて名曲の数々ををあらためてレビューしたいと思います。まず最初は、ビートルズのトリビュートバンド世界NO.1と評価される「ザ・ファブ・フォー」(The Fab Four)が演奏する「サージェント・ペッパーズ・ロンリーハーツ・クラブバンド」~「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・マイフレンズ」の連続曲画像を紹介します。本物のビートルズじゃないのにRWはこのユーチューブに大感動!実際のアルバム冒頭を飾るバンドデビュー曲(ペパーズクラブの観衆にお披露目)が見事に忠実再現されているではないか~!演奏曲もサイケデリック衣装もまさに本物そっくり!2曲目はリンゴのボーカルと3人のコーラスも実にいい感じ!ビートルズ自体がこの時期はライブ活動を封印していたのでまさかこんな映像が見られるとは思いませんでした。本当に素晴らし過ぎるお宝物映像です!次はエルトンジョンも歌った「ルーシー・インザスカイ・ウィズ・ダイアモンズ」、実際のアルバム曲とは微妙にアレンジが違いますがLSD体験曲とも呼ばれる不思議な世界が見事に映像で再現されています。宇宙へ浮遊するトリップ路線曲は後続サイケデリックバンドに影響を与え、やがてピンクフロイドなどのプログレシッブロックバンド発展への道を開いて行きました。続くはポールマッカートニー(先月5度目の来日)がソロで歌いあげる「ゲッティング・ベター」、このお方のお元気さは本当に目を見張るばかり・・!ミックジャガーと一緒に喜寿・傘寿まで頑張っていそうな両巨頭です!続くはRWが本アルバムでの最大美曲と称賛する「シーズ・リヴィング・ホーム」・・、もしシングルカットされていれば「イエスタディ」「エリナーリグビー」に匹敵する名バラードとして評価されていただろうに・・。「ウィズイン・ユー・ウィズアウト・ユー」はインド音楽と融合したジョージハリスンの最大象徴曲(シタールとタブラが織りなす妖しい雰囲気)です。ポールがリードボーカルをとる「ラヴリー・リタ」は女性の交通取締官(メーター・メイド)と引っかけて歌うお茶目曲。RWが洋楽に嵌ったのは1969~1970年(ビートルズ解散の年)であり映画「レットイットビー」が公開された時期でした。我々はビートルズが世界を席巻したリアルタイム熱狂期には数年遅れていますが、彼らの解散でビートルズ最後のブームに直面した世代です。1970年を基点とした前後の数年間に青春時代を迎えリアルタイムで日々ロックの進歩に興奮し体感できた幸せなジェネレーションだと感謝しています。この時代こそ、ロック歴史において最も進化発展した時代だったのです。そしてフィナーレは・・、やはりサージェント・ペパーズの有終の美を飾る壮大なるコンセプト名曲「ア・デイ・インザ・ライフ」で締めるしかありません。ポールとジョンが織りなす壮大なるドラマチックな展開曲、その重層的に織りなされたスケール・高揚感、何度聴いても飽きることはありません!洋楽カラオケでは、アビーロードB面メドレーと並びRWのアドレナリンが出まくる最も興奮する永遠の名曲・・!「サージェント・ペッパーズ・ロンリーハーツ・クラブバンド」・・、これからも生涯聴き続けるであろうロック史の金字塔名曲、50年目にしても全く色褪せていないなあ・・とあらためて感動します。
ビートルズにとって特筆的な年だった2016年もいよいよ暮れようとしています。今年のRW元旦記事は「来日50周年記念特集」でスタート、年末ラスト記事もビートルズで締めくくりたいと思います。3月は大ショックの出来事がありました。ビートルズの音楽性を高めた伝説のプロデューサー「ジョージ・マーチン」が亡くなったのです。「5人目のビートルズ」と呼ばれたマーチンは、1962年のデビューから最終盤「アビーロード」(1969)までほぼ全アルバムにおいて重要な中核的な役割(音楽・映像・各種エンターテイメントの指揮)を担い、ビートルズの世界的な名声と栄光(英国の1位獲得:シングル30曲、アルバム16作)を実現させた偉大なる方でした。ビートルズの初シングル「ラブ・ミー・ドゥー」を録音するにあたって、ジョージ・マーチンは当時のドラマー(ピート・ベスト)の演奏力に物足りなさを感じてリンゴ・スターを新たに起用することを決断しています。2ndシングル「プリーズ・プリーズ・ミー」の録音が完了した時、マーチンはこの出来栄えに満足し「これは絶対NO1ヒットになる!」と言い切り、予言通りシングルとデビューアルバムはTOP獲得となり世界ブレイクの発火点となったのです。そして「シー・ラブス・ユー」は7週連続NO1を記録し、彼らの人気は大沸騰、その後は映画「ハードデイズ・ア・ナイト」で映像面でも世界中を熱狂の坩堝に巻きこみ人々の心を虜にしていきました。今年6月は「来日50周年・武道館コンサート」に関するTV特集番組が多く放映され、子供心に見たよき昭和時代の熱狂光景を懐かしみました。武道館で3日間(6/30、7/1- 2の計5回)行われた公演は約5万人の観客を集め、TV中継では60%近い異例の高視聴率を記録!会場周辺は連日6千人の警官が配備される空前の警備体制と、日本中が今ではありえないような大騒動に席巻されたことを再認識!今年9月には「エイトデイズ・ア・ウィーク」の題名を冠した公式ドキュメンタリー映画「ザ・ビートルズ EIGHT DAYS A WEEK - The Touring Years」(監督ロン・ハワード)が公開され、初期リバプール時代、1963年からの15カ国90都市166公演ツアー、半世紀前の若きビートルズのLIVE活動の映像を大いに堪能しました。しかしこのツアー以降、ビートルズはLIVE演奏活動を一切やめて、スタジオ録音中心の曲作りに没頭して音楽性を大きく変化させていきます。その転機となった名盤が半世紀前にリリースされた「リボルバー」(1966)、その立役者もジョージマーチンで手腕は如何なく発揮され数々の名曲を生み出しています。6月に「リボルバー発売50周年」特集記事をレポートしましたが、RWがいつまでも聴きたい名曲はやはり弦楽四重奏とコラボした流れるような美曲「エリナーリグビー」(冒頭掲載曲、RWのカラオケ定番)かな・・。さらに10月はリンゴスター来日とまさにビートルズの話題に彩られた1年だったような気がします。LASTは誰でも知っている世界のスタンダード曲「イエスタディ」で今年最後を締めくくりたいと思います。ポール・マッカートニーはジョージマーチンへの追悼声明で「イエスタディ」が生み出された経緯やマーチンとの思い出を語っていました。「弦楽四重奏の曲にしたいというマーチンの提案に最初僕は反対したが、クラシカルにアレンジされ出来上がった曲を聴いてみるとその素晴しさに感銘した・・。結果的に、この名曲が何千人ものアーティストによって最も多くカバーされた歴史的名曲になったのだから彼の判断は正しかったんだ。」・・と!偉大なるビートルズの生みの親ジョージ・マーチン、今頃はジョン・レノンとジョージ・ハリスンと一緒に天国で音楽活動を再開しているのかもしれません。
中学生時代に小生を洋楽の道に目覚めさせてくれた「サイモン&ガーファンクル」・・、2011年に第2巻記事で「サウンドオブサイレンス」を取り上げただけで洋楽恩人に対して5年間も掲載せず不義理を大いに反省しております。久しぶりの続編は、彼らの名盤「ブックエンド」(1968)特集で半世紀前の名曲を紹介してお詫び申し上げたいと思います。S&Gの有名曲といえば他に「明日に架ける橋」「コンドルは飛んでいく」「ボクサー」「スカボロ・フェア」等が挙げられますが、今回は寒い冬の訪れに合わせて「冬の散歩道」を冒頭曲に選びました。日本でも木枯しの季節になると時たまラジオでかかる曲ですが、題名とは反し乗りのいいリズムのロックナンバー、S&Gとしては実に珍しい!12弦ギターの印象的なリフ、タイトなドラミング、途中で鳴り響くトランペット、韻を踏んだ詩がハイテンポな2人のコーラスで美しく軽快に展開していきます。名盤「ブックエンド」はレコードA面(今は死語か・・)1~7曲が「アメリカの現実」というテーマのコンセプト構成、当時の米国社会・世情を反映した数々の曲が本立ての中に収められているアルバムです。冒頭は組曲のオープニングとなる「ブックエンドのテーマ」、わずか20秒程の短いギター・インストルメンタルですが何となく惹かれる曲で期待感の予兆。A面物語の最大名曲は、やはり静かなハミング♪m~m~m~、mmm・・・~♪のフェード・インから始まる名曲「アメリカ」、語りかけるようポールサイモンの歌声と映画の一場面を見るような描写感が交錯した様なハーモニー曲。恋人キャシーへの語りかけとともに「皆がアメリカを探しにやってきたんだ」「アメリカとは何か?」という問い掛けでこの曲は終わっています。何度聴いても素晴しい彼らの最高傑作曲の一つで、日本では遅まきながら1972年にヒットして「何で今頃?」と思ったものです。アルバムB面はシングルヒットや個性的な曲が詰めらており、映画「卒業」のために作曲された「ミセス・ロビンソン」が収められています。この曲は1968年グラミー賞でビートルズ「ヘイ・ジュード」と最後まで最優秀賞を競り合い栄誉に輝いた歴史的なナンバーです。映画「卒業」のヒットで直後に発売された「ブックエンド」は彼ら初の全米NO1(7週連続)を獲得しまさに世界的なブレイクを果たした栄光期の名盤となりました。「動物園にて」は、さまざまな動物を性格設定したお茶目な曲。ポールサイモンが後にソロとなって大ヒットさせた「僕とフリオと校庭で」や「コダクローム」等に通じて行く原点曲のようにも思えるネ~。小生が大好きな不思議なる癒し曲「フェイキン・イット」は、さまざまな仕掛けが施された曲で録音テープを逆回転させたり子供の会話を入れたり凝った編曲がなされており、S&Gもビートルズ「サージェントペッパーズ」の影響を受けているんだなあ・・と再認識させられます。コンセプトアルバムは最後に「旧友~ブックエンドのテーマ」で静かにフィナーレ・・。ベンチ両端に座る2人の疲れ果てた老人がブックエンドの象徴として描かれ、人生の終焉を静かに待っているような悲しさと叙情的な詩・・。当時20代後半のポールサイモンが人生晩節に佇む老人の哀愁を表現しているとはあらためて驚きました。そして自分が当時この歌のイメージだった還暦を迎えるとは・・。最後のテーマエンドは「Time it was・・、あの頃は・・、時は経過してしまった・・」と呟く1分の短かい曲で「ブックエンド」が静かに締められています。
今回紹介する「アトランタ・リズムセクション」(以下はARSと表記します)は1970年代後半に多くのヒットを放って活躍していたオシャレなサザン・ロック・バンドでした!現在でその名を知る人は少ないと思いますが、ダサイ大学生時代のRWはFENラジオから流れてくる一流のスタジオ・ミュージシャン達のクオリティ高い音楽に大いに嵌っておりました。サザン・ロックでありながら哀愁感ある洗練されたAOR風のサウンドが特徴(レイナードスキナードほど泥臭くなく、リトルリバーバンドにも似た都会的なアレンジ)、現在聴いてもそのセンスのよさに大いに唸らせられます。ARSはその名の通り米国南部アトランタで1970年結成された専属セッション集団、ノリのよいサザンロック・ナンバー「ドラヴィル」(1974)などヒットを放っていましたが最初はあまり人気は上がっていなかったようです。彼らが本格的に米国ヒットチャートでブレイクしたのは結成から苦節7~8年後、冒頭で紹介した「ソー・イントゥ・ユー」(1977)、毎日ラジオから流れてくる気だるい歌声・妖しい感じの雰囲気ある曲はギターのピッキング・ハーモニックスもカッコよくRWは一挙に魅了されてしまいました。そしてさらに翌年、彼らの代表曲「イマジネリー・ラヴァーズ」(1978)がついに全米NO1に輝いたのです!聴けば聴くほど味が染みてくるような歌、よく考えればこの題名は「妄想の恋人」でエロイ感じではないか!めくるめく白昼夢を歌ったオタク世界を歌っていたのかも・・!(苦笑) ARSの音楽は実に多彩で才能に溢れています。オールマンブラザーズバンドを思わせるような軽快なナンバー・「ジューキン」(1976)、そしてケニーロギンスが歌っているかのような落着いた哀愁感あるメロディ曲「Do It Or Die」(1979)、カントリー調でホノボノとしたサザンロックの美曲「ジョージア・リズム」(1979)、レスポールやフェンダーローズの乾いた音が決まりまくっている名曲「スプーキー」(1979)、これらのナンバーをあらためて聴くと他の同系列バンドに比べると音創りが格段に洗練されていた超素敵なバンドだったことを再認識します。それなのに日本では全く人気が出なかったことが今を思っても不思議・・、彼らこそ1970年代の名バンドの一角として取り上げられるべき存在だったと再評価されてほしいものだなあ・・。最後はRWがARSで最も大好きな曲「シャンペンジャム」(1978)で締めたいと思います。クオリティ高い演奏力と楽曲の良さ(ギター・リフも印象的な渋いロック・ナンバー)で ARSの魅力が炸裂しています。
小生が最も愛する「ピンクフロイド」の最高傑作は1970年初頭に輩出した「原子心母」(第2巻:015)&「おせっかい」(Meddle)の2大アルバム・・・、小生にとっては今も偉大なる金字塔として永遠に輝いている崇敬の名盤です。世間一般的には歴史的NO1アルバムは「狂気」(the dark side of the moon)と評価されていますが、RWにとっては「往年の神秘性が欠ける印象を受けて期待が裏切られた・・泣」と当時はガッカリしてしまいました。それだけ「原子心母」「おせっかい」から受けた衝撃と感動がいかに大きかったのか・・と今あらためて思うのです。上記に紹介した「エコーズ」は名盤「おせっかい」(1971)のラストトラックであり23分30秒という当時では常識外れの長大曲(B面全てが単一曲)でした。ピンクフロイドファンから最も人気の高い本曲の冒頭は「ピィーン!」と響き渡る幻想音、デイヴ・ギルモアとリック・ライトが静かに語り合うようなツインリードでヴォーカルを展開し、唸らせられる素晴らしいギルモアのギタープレイ、ニックメイスンの大迫力のドラム(まるでボンゾの如し)、メンバー4人の持ち味が見事に溶け合った壮大な宇宙観が表現されています。「エコーズ」は、映画「2001年宇宙の旅」のBGMにも採用され、、映画ラスト23分映像とも完全にシンクロしていたのでした。今回紹介した「エコーズ」の映像(PART-1と2に分割)は、ポンペイ遺跡(イタリア)で無人観客でのライブを収録したエイドリアン・メイベン監督の映像ドキュメンタリーで、1973年にNHK番組「ヤングミュージックショー」で放映されたものです。当時は洋楽アーティスト映像を見られることは殆どなかったので、興奮しながら齧りつくようにTVに釘付けとなった高1時代の在りし日の自分が蘇ってきます。「おせっかい」は1971年に発表されピンク・フロイドが一大飛躍を遂げた作品であり、オープニングを飾る迫力のインストゥルメンタル曲は「吹けよ風、呼べよ嵐」!冒頭から風の音が20数秒流れた後に、ロジャー・ウォーターズによる不気味なベースが鳴り響き、リック・ライトのシンセサイザーとがコラボする印象的な楽曲で日本でも大ヒットしました。途中で聴かれる叫び声はニック・メイスンが「いつの日か、お前を細切れにしてやる・・」と悪魔のように唸っています。中盤のアコースティックな小曲群にもかなりの趣があり、「ピロウオブ・ウインズ」や「フィアレス」(最後の群集シュプレヒコールはサッカーサポーターが勝利に酔いしれる歓声の如し)はピンク・フロイドのもう一つの顔・・、静謐サウンドの象徴曲とも言えましょう。RWがフロイドのメンバーの中で最も大好きだったのは「エコーズ」でリードヴォーカルを取っている「リック・ライト」(今はリチャード・ライトと呼ぶらしいが・・)でした。地味な存在ながらも初期フロイドにおいてライトのキーボード演奏(メロトロン、シンセサイザー等)は独自世界のサウンド形成に大きな役割を果たしていたからです。他プログレバンドの代表的キーボード奏者(キース・エマーソンやリック・ウェイクマン等)のように超絶的な速弾きや目立ったソロプレイを披露することはありませんが、全体を包み込むような幻想的なサウンドを奏でていたリックライトの姿(童顔で可愛らしい)が実に魅力的なのでした。それでは超大作後半の「エコーズ」(PART-2)を聴いて頂きその真髄を再度堪能してみて下さい。リック・ライトは初期ピンク・フロイドにおいては、シド・バレットと共に音楽的には主導的立場にありましたが、1970年代中盤以降はバンド内での存在感が薄くなっていきます。特にリーダーシップを執っていたロジャー・ウォーターズとの対立で相当にいじめられ、ついには1979年解雇される事態にまで発展しました。そしてピンク・フロイド脱退後は、ドラッグに溺れていき一時は地獄のような日々を送り、2008年に癌のため65歳で死去しています。しかし失意のままで亡くなったのではなく、晩年の彼は再びピンクフロイドに迎えられて幸せな時間を過ごすことができていたのです。1987年、デイヴ・ギルモアとニック・メイスンがピンクフロイドを再始動させ、ライトはアルバム「鬱」のサポート・メンバーとして参加、そして同年に開始したワールドツアーより正式メンバーとして迎えられました。ついに往年のメンバーと縁を取り戻せてよかったですね~、ライトさん!そして今回記事のLASTは、アコースティックバージョン版「エコーズ」を聴いて頂き、締めとしたいと思います。デイヴ・ギルモアが主体となったスタジオセッションで、2005年前後(彼らが還暦前後)の映像ではないかと思われます。大型音響機材は使わず手作り感で演奏しているにも関わらず、往年の壮大曲をほぼ忠実に再現しているのですから本当に驚かされました。そして嬉しいのはキーボードを演奏しているとリック・ライトが笑顔で元気に共演していること・・、仲間たちと楽しそうによき時間を過ごしている感じが伝わってくるではありませんか!癌で人生終焉を迎えたリックライトの脳裏には、ピンクフロイド時代のさまざまな出来事が走馬灯の如くよぎり、かつての同志達といい時間を過ごせた・・と最期は満足感に浸っていたのかもしれません。