サイモン&ガーファンクル「冬の散歩道」




★(160)サイモン&ガーファンクル 「冬の散歩道」 (1968年) (2016.12.8公開)



c0119160_14474415.jpg中学生時代に小生を洋楽の道に目覚めさせてくれた「サイモン&ガーファンクル」・・、2011年に第2巻記事で「サウンドオブサイレンス」を取り上げただけで洋楽恩人に対して5年間も掲載せず不義理を大いに反省しております。久しぶりの続編は、彼らの名盤「ブックエンド」(1968)特集で半世紀前の名曲を紹介してお詫び申し上げたいと思います。S&Gの有名曲といえば他に「明日に架ける橋」「コンドルは飛んでいく」「ボクサー」「スカボロ・フェア」等が挙げられますが、今回は寒い冬の訪れに合わせて「冬の散歩道」を冒頭曲に選びました。日本でも木枯しの季節になると時たまラジオでかかる曲ですが、題名とは反し乗りのいいリズムのロックナンバー、S&Gとしては実に珍しい!12弦ギターの印象的なリフ、タイトなドラミング、途中で鳴り響くトランペット、韻を踏んだ詩がハイテンポな2人のコーラスで美しく軽快に展開していきます。名盤「ブックエンド」はレコードA面(今は死語か・・)1~7曲が「アメリカの現実」というテーマのコンセプト構成、当時の米国社会・世情を反映した数々の曲が本立ての中に収められているアルバムです。冒頭は組曲のオープニングとなる「ブックエンドのテーマ」、わずか20秒程の短いギター・インストルメンタルですが何となく惹かれる曲で期待感の予兆。A面物語の最大名曲は、やはり静かなハミング♪m~m~m~、mmm・・・~♪のフェード・インから始まる名曲「アメリカ」、語りかけるようポールサイモンの歌声と映画の一場面を見るような描写感が交錯した様なハーモニー曲。恋人キャシーへの語りかけとともに「皆がアメリカを探しにやってきたんだ」「アメリカとは何か?」という問い掛けでこの曲は終わっています。何度聴いても素晴しい彼らの最高傑作曲の一つで、日本では遅まきながら1972年にヒットして「何で今頃?」と思ったものです。アルバムB面はシングルヒットや個性的な曲が詰めらており、映画「卒業」のために作曲された「ミセス・ロビンソン」が収められています。この曲は1968年グラミー賞でビートルズ「ヘイ・ジュード」と最後まで最優秀賞を競り合い栄誉に輝いた歴史的なナンバーです。映画「卒業」のヒットで直後に発売された「ブックエンド」は彼ら初の全米NO1(7週連続)を獲得しまさに世界的なブレイクを果たした栄光期の名盤となりました。「動物園にて」は、さまざまな動物を性格設定したお茶目な曲。ポールサイモンが後にソロとなって大ヒットさせた「僕とフリオと校庭で」や「コダクローム」等に通じて行く原点曲のようにも思えるネ~。小生が大好きな不思議なる癒し曲「フェイキン・イット」は、さまざまな仕掛けが施された曲で録音テープを逆回転させたり子供の会話を入れたり凝った編曲がなされており、S&Gもビートルズ「サージェントペッパーズ」の影響を受けているんだなあ・・と再認識させられます。コンセプトアルバムは最後に「旧友~ブックエンドのテーマ」で静かにフィナーレ・・。ベンチ両端に座る2人の疲れ果てた老人がブックエンドの象徴として描かれ、人生の終焉を静かに待っているような悲しさと叙情的な詩・・。当時20代後半のポールサイモンが人生晩節に佇む老人の哀愁を表現しているとはあらためて驚きました。そして自分が当時この歌のイメージだった還暦を迎えるとは・・。最後のテーマエンドは「Time it was・・、あの頃は・・、時は経過してしまった・・」と呟く1分の短かい曲で「ブックエンド」が静かに締められています。



  # by rollingwest | 2002-11-01 00:30 | 洋楽(ロック・POPS)

アトランタ・リズムセクション 「ソー・イントゥ・ユー」



★(144)アトランタ・リズムセクション 「ソー・イントゥ・ユー」 (1977年) (2016.4.12公開)



c0119160_15545226.jpg今回紹介する「アトランタ・リズムセクション」(以下はARSと表記します)は1970年代後半に多くのヒットを放って活躍していたオシャレなサザン・ロック・バンドでした!現在でその名を知る人は少ないと思いますが、ダサイ大学生時代のRWはFENラジオから流れてくる一流のスタジオ・ミュージシャン達のクオリティ高い音楽に大いに嵌っておりました。サザン・ロックでありながら哀愁感ある洗練されたAOR風のサウンドが特徴(レイナードスキナードほど泥臭くなく、リトルリバーバンドにも似た都会的なアレンジ)、現在聴いてもそのセンスのよさに大いに唸らせられます。ARSはその名の通り米国南部アトランタで1970年結成された専属セッション集団、ノリのよいサザンロック・ナンバー「ドラヴィル」(1974)などヒットを放っていましたが最初はあまり人気は上がっていなかったようです。彼らが本格的に米国ヒットチャートでブレイクしたのは結成から苦節7~8年後、冒頭で紹介した「ソー・イントゥ・ユー」(1977)、毎日ラジオから流れてくる気だるい歌声・妖しい感じの雰囲気ある曲はギターのピッキング・ハーモニックスもカッコよくRWは一挙に魅了されてしまいました。そしてさらに翌年、彼らの代表曲「イマジネリー・ラヴァーズ」(1978)がついに全米NO1に輝いたのです!聴けば聴くほど味が染みてくるような歌、よく考えればこの題名は「妄想の恋人」でエロイ感じではないか!めくるめく白昼夢を歌ったオタク世界を歌っていたのかも・・!(苦笑)  ARSの音楽は実に多彩で才能に溢れています。オールマンブラザーズバンドを思わせるような軽快なナンバー・「ジューキン」(1976)、そしてケニーロギンスが歌っているかのような落着いた哀愁感あるメロディ曲「Do It Or Die」(1979)、カントリー調でホノボノとしたサザンロックの美曲「ジョージア・リズム」(1979)、レスポールやフェンダーローズの乾いた音が決まりまくっている名曲「スプーキー」(1979)、これらのナンバーをあらためて聴くと他の同系列バンドに比べると音創りが格段に洗練されていた超素敵なバンドだったことを再認識します。それなのに日本では全く人気が出なかったことが今を思っても不思議・・、彼らこそ1970年代の名バンドの一角として取り上げられるべき存在だったと再評価されてほしいものだなあ・・。最後はRWがARSで最も大好きな曲「シャンペンジャム」(1978)で締めたいと思います。クオリティ高い演奏力と楽曲の良さ(ギター・リフも印象的な渋いロック・ナンバー)で ARSの魅力が炸裂しています。



  # by rollingwest | 2002-11-01 00:29 | 洋楽(ロック・POPS)

レーナード・スキナード 「フリーバード」


★(122)レーナード・スキナード 「フリーバード」 (1973年) (2015.5.27公開)


c0119160_1745548.jpg70年代米国サザンロックの代表的存在といえばオールマンブラザーズバンドが有名ですが、彼らと双壁をなした伝説的なバンドが「レ―ナード・スキナード」でした。米国南部カントりーの泥臭さと哀愁を帯びた壮大なサウンドが実に魅力的、そして「トリプル・リードギター」という特徴ある編成で迫まるギタープレイはまさに圧巻!彼らが残した名曲は数多くあるので前後編記事に分けて紹介したい思います。前編冒頭は小生が最も愛する「フリーバード」、10分近くに及ぶこの長い曲は「いとしのレイラ」(エリッククラプトン)のような雰囲気をもつロック史に輝く名曲です。哀愁の静かなアコースティックと渋いボーカルから始まりゆったりとしたバラードが続き、途中一転してアップテンポに泣きのギター、ここから3本の官能的なスライドギターのテクニカルな競演バトルが繰り広げられ、クライマックスを迎えます。この壮大なる名曲はいつ聴いても唸らされそして魅せられます。この曲は1973年デビュー盤「レ―ナード・スキナード」からのカッティングですが、実はこの曲が評価されたのは2nd盤「セカンド・ヘルピング」(1974)で「スイートホーム・アラバマ」(一番最後に紹介)でブレイクした後のことでした。しかしこのデビュー盤は実に素晴らしい曲が多く、冒頭から重厚なトリプルギターが炸裂する「アイ・エイント・ザ・ワン」(1973)や哀愁を帯びた泣き節ギターが印象的な「チューズデイズ・ゴーン」(1973)、ロックの王道を行くような「ギミー・スリー・ステップス」(1973)などカッコいい曲が多くて実に名盤だと思います。特に「シンプルマン」(1973)は「フリーバード」と並ぶスケールの大きい名曲、静かなボーカルから重厚かつ落着いたなギタープレイが見事に展開され、最後はこれまたトリプルギターのエキサイティングな競演!もう本当に言葉もなく、これぞレーナードの真骨頂だ!と感服します。レ―ナード・スキナードは1964年にフロリダ州で5名で結成。彼らを見出しデビュー・アルバムのプロデュースを担ったのがアル・クーパー(BS&Tの初期リーダー)だったと今回編集で初めて知ってビックリ!サイケなイメージがある彼がこの泥臭いグループに関わっていたとは実に意外でした。そしてレーナードはザ・フーの北米ツアーの前座を務め大きな喝采を浴びるパフォーマンスを披露して地道なライブ活動の中で多くのロックファンに徐々に認められていきます。この成功への軌跡を辿れた背景には、彼らの前座だったピーターフランプトン(下記119記事で紹介)がライブ活動で大ブレイクを果たしたことに学んだ対抗意識(アイツにできるならば俺達だって)だったとのこと。彼らがブレイクしてサザンロックの象徴としての地位を確立したのは1974年「セカンド・ヘルピング」、彼らを有名にしたこの名盤もまた実に素晴らしい~!「ワーキン・フォーMCA」(1974) やバイクが疾走する軽快なロックの「コールミー・ブリーズ」(1974)、わかりやすく耳に残るリフと重厚で豪放なリズム、ラフでルーズなグルーヴ感は、レーナード・スキナードというバンドの最も魅力的な部分を見事に具現化したものだったように思えます。彼らはその後もライブアルバムが大いに評価され、サザンロックの王道を突っ走っていましたが、突然信じられないような悲劇のニュースが飛び込んできます。5作目のアルバムリリースした3日後(1977年10月20日)、メンバーとクルー総勢26人を載せた自家用飛行機が移動中に墜落して6名が死亡(ブラスロックのチェイスに続く飛行機事故悲劇)。犠牲者には主力メンバー3人も含まれておりロック界全体に大きなショックと失望を与えたのです。本当に素晴らしいサウンドを聴かせてくれたロック王道アーティスト達の魂がこんな形であっけなく失われたとは・・、何という惜しいことだ・・。前編最後は彼の象徴曲「スイートホーム・アラバマ」(1974)で一度締めたいと思います。後編は「何も聞かないで」(セカンド・ヘルピング収録曲)を始めとして、墜落悲劇の直前にリリースしたLAST名盤「ストリート・サバイバーズ」からの名曲紹介を予定しています。


  # by rollingwest | 2002-11-01 00:28 | 洋楽(ロック・POPS)