レオンラッセル 「ソング・フォーユー」

★(146)レオンラッセル 「ソング・フォーユー」 (1972年) (2016.5.9公開)



c0119160_8395591.jpg前回記事で取り上げたカーペンターズ・・、彼らがチョイスしたカバー曲は数多くありますが、カレンが澄み切った声でしっとりと歌いあげた1970年代初頭を代表する名曲「ソング・フォーユー」(1972)は、当時のロックシーンでカリスマ的な存在だった「レオンラッセル」によって生み出されました。全く日本人受けしなかったこの渋~いオジサンを知っているのは1970年前後のコアなロックファンにほぼ限られているのでしょうね~。彼が放ったヒット曲って上記以外に他に何があったのだろうと思い起してみても「タイトロープ」(1972)くらいしか脳裏に浮かびません。耳触りいいヒットチャート曲とは全く無縁(頑固なまでに・・)、独特のダミ声で泥臭さ~く歌うスワンプな姿に馴染む人はかなりコアな少数派だったような気がします。当時プログレ路線やメロディアスなナンバーを嗜好していたRWは全くレコードを買う気にもならず相当の距離感を保っておりましたが、「ハミングバード」(1970)を聴き直してみると泥臭くもスケールある素晴らしい曲ですね~!再発見の感動です!この方は当時最大の話題になっていた「バングラデシュコンサート」(1971年にマディソン・スクエア・ガーデンで開催された史上初のロック主体の大規模チャリティ・コンサート)で相当な存在感を誇っていました。主催者ジョージハリソンとコラボし2人で歌いあげたLIVE名曲「Beware of Darkness」や、エリッククラプトン、ボブディラン、ビリープレストン、リンゴスターら大物達と共演した数々の秀逸なパフォーマンスは食い入るように読んだミュージックライフ誌のレポートで強烈な印象が残っています。レオンラッセルは当時珍しかったミュージシャン同士の交流を促進した触媒的存在(架け橋・媒介者)でロック界に大きな影響力を誇っていたのです。美しいロングヘアーに口髭と顎鬚(イエスキリストの様な風貌)、人の心を射抜くような眼光の鋭さを持っていた仙人のような崇高かつ孤高なる姿はまさにカリスマ、憧れの存在でしたね~。「マジックミラー」(1972)などジャズとブルースが融け合ったようなピアノを滔々と歌い上げるレオンも魅力的、またストーンズのカバー曲「ホンキートンク・ウイメン」ではギターを弾きながら躍動的な一面を見せているのも興味深い!これはジョーコッカーのバックバンド「マッドドッグス&イングリッシュメン」でバンドリーダーを務めていた時の貴重な映像です。 JAZZ界から殴り込んできたジョージベンソンが1976年に世界中に大ヒットした「マスカレード」(グラミー賞の栄誉曲)もレオンラッセルが書き上げた名曲です。何と「ソング・フォーユー」のB面曲だったのですよ。「ソング・フォーユー」は多くのアーティストにカバーされていますが、レオンラッセルのように魂を絞り出すようには歌えないような気がします。聴けば聴くほど心に沁み込んでいつしかその魔力に魅入られるようです。それにしてもレオン様、老ライオン王の如く威厳を見せてますます仙人の極みになった御姿、素晴らしい・・!その美しき白髪の神々しさに御手を合わせたくなるような気持ち、いつまでも御達者で長生きされて下さい。
(PS)最後に、星船様からご推奨頂いた名曲「レディブルー」を追加!落着いた感じで滔々と歌うレオンも大いに魅力です。

  # by rollingwest | 2002-11-01 00:13 | 洋楽(ロック・POPS)

ピーターフランプトン 「アイムインユー」

★(119)ピーターフランプトン 「アイム・イン・ユー」 (1977年) (2015.3.29公開)


c0119160_1050863.jpg70年代洋楽ファンならば誰もが知っている英国ロックのスーパースター「ピーターフランプトン」・・、今では「誰それ~?」と殆ど無名の今昔物語状態なのかもしれませんネエ・・。しかし70~80年代洋楽ロック史で爆発的に売れたアルバム「サタデーナイトフィーバー」・フリートウッドマック「噂」・マイケルジャクソン「スリラー」等の怪物アルバムと匹敵する程に売れた名盤がピーターフランプトン「カムズ・アライヴ」(1976年)でした。当時としては珍しい2枚組ライブ盤として発売され全米10週連続No.1のメガヒットを記録(販売枚数1,000万枚)した彼の大プレイク出世作は、それまでキャロルキング 「つづれおり」 が保持していた米国アルバム売上NO1記録をあっさり更新してしまったのです。第1弾 「ショウミー・ザウェイ」(一番最後に掲載)は当時のFENラジオから毎日洪水の如く流れ続けていた曲であり、初めて大学生上京し下宿生活を始めた頃の思い出曲として小生の脳裏に深~く刻まれています。これに続くヒット曲が「Do You Feel Like We Do」(1976)と、「Baby,I Love Your Way」(1976)この3連続大ヒットで年間通してアルバムは莫大なセールスを記録し、その後ハードロック界はライブ盤ブームとなり他ミュージシャン達も続々とリリース、大きな影響を与えました。ピーターフランプトンは1950年の英国生れ、何とデヴィッドボウイの学校後輩であり2人でセッションしていた仲だったと今回初めて知ってビックリしました。彼は1960年代後半にスティーブ・マリオットと2枚看板で「ハンブルパイ」を結成し大活躍していました。ロック史に輝く超名盤「スモーキン」はピーターの脱退後でしたが・・。ポップで甘いアコースティックなピーターと、逆にソウルフルで泥臭いなスティーブ、最初は絶妙コンビでしたが徐々にバンドはスティーブのブルース色が濃くなり、ピーターの音楽性が発揮できず彼の居場所はなくなっていきました。ハンブル・パイを脱退した彼は、1974年からソロに転向し「草の根ツアー」(ドサ廻りのステージ活動)を地味に継続し、とにかくツアーに明け暮れる日々を重ねていました。この努力がついに実を結び全米ツアーを収録した2枚組のライブ「カムズ・アライヴ」が1976年に全米1位となり大ブレイクしてしまったのです。この名盤からは往年のハンブルパイのようなブルージーで厚みのある「I'll Give You Money」(1975)や素晴らしいギタープレイを披露する「Something`s Happening」(1975)なども輩出しており、メガヒットとなった理由がよ~く解ります。冒頭で紹介した「アイム・イン・ユー」(1977年)は、「カムズアライヴ」に続いて発表された名盤からの代表曲で最高2位を記録したロックバラード、小生が最も愛する名曲です。希代の美少年であり性格も素直で誰からも好かれる人、好青年ぶりが超人気のアイドル的な売れ方で一挙ブレイクしてしまったことがその後の彼の人生に暗い影を落とします。「本当は実力派なのに、女子にキャーキャー言われるアイドル音楽なんて・・」という玄人筋からの酷評(殆ど妬みだね)になりました。1978年には自動車事故で大怪我に遭い、長年の恋人と別離、公演先との訴訟に巻き込まれと不幸が続き、レコード印税やコンサート収益は悪い大人に搾取されて財産は全く残らず・・、ロック史に残る金字塔アルバムと引き換えに、生涯の幸運を全部使い果たしてしまったという感じ。(泣) その後も低迷状態でしたが、1986年に「remonition」からのシングル「ライイング」(1986)で復活します。でもこれが最後の閃光だったのかな・・。記事の締めはやはり「カムズアライヴ」からの名曲で締めます。「ラインズオンマイフェイス」(1975)はスケール感がある壮大なロック弾き語りで本当に唸らされます。やはりフィナーレ曲はピーターフランプトンの象徴曲「ショウミー・ザウェイ」(1975)しかありません! 「ワォン、ワ・ワ・ワ・ワォ~ン、♪アイウォンチュ~、デイアフタデ~イ!♪」のトーキング・モジュレーターというギターが喋っているかのように聞こえるエフェクター(口に咥えながら操作して電気的にギター音色を変える機械)が実に衝撃的なトレードマークでした!よく真似したもんだ・・。フランプトンよ、再び復活カムズアライブ!

  # by rollingwest | 2002-11-01 00:12 | 洋楽(ロック・POPS)

ボブ・ディラン 「ライク・ア・ローリングストーン」

★(079):ボブ・ディラン 「ライク・ア・ローリングストーン」 (1965年) (2013.11.22公開)



c0119160_21272292.jpgビートルズ、ローリングストーンズと同じ1962年にデビューし50年以上経過した今でもなお、ポピュラー音楽や大衆文化の世界で大きな影響力を持ち続けている伝説ミュージシャン「ボブ・ディラン」の代表曲「ライク・ア・ローリングストーン」を紹介したいと思います。小生はボブ・ディランを殆ど聴いていなかったのでエラソーに語れる資格は全くありませんが、この曲は「ローリング・ストーン誌」(世界的な米国POPカルチャー雑誌)が選んだグレイテストソング500曲(2004年)の中で、ジョン・レノン「イマジン」等を抑えて堂々1位となった名曲なのです。20世紀を代表する天才アーティストとも謂われるボブ・ディラン(1941年米国ミネソタ生まれ72歳)は1962年にフォーク歌手としてデビュー。ウディー・ガスリー(伝説的なカントリーフォークの英雄、放浪の吟遊詩人)の継承者として人気を博し、「風に吹かれて」(1963)や「激しい雨が降る」等のプロテストソングを歌って60年代前半は公民権運動の高まりとともに「フォークの神様」と呼ばれる地位を確立しました。しかし彼は1965年に突然音楽スタイルを変化させてエレキギターを持ってブルースロックのミュージシャンへと変身したのです。コンサート観客(往年のファン)からは大ブーイングの嵐を浴びましたが、しかし当年にリリースされた6作目の「追憶のハイウェイ61」はビルボードチャート3位を記録しロック史に残る名盤(ローリングストーン誌の2003年選出「過去ベストアルバム500盤」の4位に輝く)として21世紀になって高い評価を得たのです。掲載した「ライク・ア・ローリングストーン」(上記名盤からのシングルカット、当時では異例の6分超の演奏曲)はキャッシュボックスでNo.1チャート(彼にとって唯一の大ヒット)にも輝いたのです。言葉でメッセージを伝えることに拘り続ける「フォークソング」というスタイルにディランは音楽性の限界を感じ、サウンドそのものが自由である「ロック」という新しいスタイルの魅力にいち早く気がついていたと云われます。怒れる若者の心の表現をロックという新しいサウンドでボブ・ディランの「言葉=メッセージ」を得ることにより、さらなる進化の段階へと進んでいった姿も うねる時代の流れが彼に対して変化を求めていたからではないでしょうか。その後もザ・バーズの代表曲となった「ミスタータンブリンマン」(1965)を作曲提供したり、「見張塔からずっと」(1967)などの名曲を生み出し、着実にロックPOPS界の大物への地位を固めて行きました。ザ・バーズの「ミスタータンブリンマン」(ボブディラン作曲)のユーチューブを検索していたら、スペシャルゲストに招かれたボブディランがバンドリーダーのデビッドクロスビー(CSN&Yにも在籍)と共演するレアなるお宝映像を見つけて大変喜んでおります!また70年代に世界的なバンドに成長した「ザ・バンド」(第4巻NO33)は元々はボブディランのバックバンドでした。ザ・バンドの映画「ラストワルツ」(1978)で歌い上げている「フォーエヴァーヤング」も掲載しておきましょう。 80年代中盤以降になるとディランは頻繁に来日し、身軽な旅芸人風情の小規模なツアーを企画しており、秋田や倉敷など地方都市も含めて精力的に日本全国を行脚公演していました。先日ディランのユーチューブをチェックしていたら「タイトコネクション」(1985)という曲(ディラン流つぶやきソウル・ゴスペル風なゴキゲンサウンド)のPVに柏崎高校の同級生「H井真悟」(わがブログにも「楽SHINGO」の名前で登場してくれている声優)が出演しているのを発見して本当にビックリしました。準主役級の角刈りヤクザ役(一番最後にもナイフで刺されている奴)で倍賞美津子と共演しています。まだ日本がバブルに向かって走っていたよき時代の東京(赤坂、六本木、新宿)の繁華街の様子が伺える内容になっており、80年代のヘアスタイルや街の明るい雰囲気が実に懐かしい!(もう30年近くも経ってしまったんだなあ・・) 90年代以降もセールスも評価も非常に高い作品を連発し数度目の黄金期を迎え、変身と前進を繰り返しながら、20世紀を代表するアーティストとしての活躍を繰り広げてゆくことになります。まさに「ライク・ア・ローリングストーン」(転がる石)のような音楽人生ではありませんか。さらに驚いたことは、彼が詩人としてもノーベル文学賞にノミネートされているという事実を知ったことです。「卓越した詩の力による作詞がポピュラー・ミュージックとアメリカ文化に大きな影響与えた・・」という評価をされており、既に「ピューリッツァー特別賞」「フランス芸術文化勲章」「アメリカ国民芸術文化勲章」などの多数の栄誉受賞しており、常にノーベル文学賞の上位候補(毎回本命に挙げられる村上春樹に続く位置らしい)になっているとは知らなかった・・!もしもロックミュージシャンがノーベル賞を受賞したらまさに驚き桃の木・山椒の木ですね~!LASTは彼の70年代の代表曲「天国の扉」(1973)で締めたいと思います。



  # by rollingwest | 2002-11-01 00:11 | 洋楽(ロック・POPS)