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<2008年7月16日>柏崎:復興の「ぎおん花火」


全国的な梅雨明け宣言はまだですが、猛暑続きの毎日。(暑い~!もう実質梅雨明けなのでは?)
夏休みも近くなり、いよいよ盛夏本番!あと10日もすれば、全国各地で花火大会が開かれることでしょう。故郷柏崎でも、毎年7月26日に「ぎおん祭り・花火大会」が豪華・盛大に開催されます。

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この花火は60年近い歴史を誇り、昭和25年に市制10周年で本格的な市民祭りとしてスタートしました。(起源は明治初年の市内「八坂神社」の奉納花火) 小生にとっても小さい頃、家族・親戚で中央海岸にゴザをもって見に行ったことが懐かしく思い出される郷里郷愁の1コマです。


     *写真は殆どインターネットに公開されている柏崎花火関連の写真をお借りしました。
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日本三大花火と言えば(また三大かよ!)、一般的には新潟「長岡」・秋田「大曲」・茨城「土浦」の花火大会が三本の指に数えられています。世界一大きい「四尺玉」を上げることで有名な「片貝」(新潟小千谷)からは「ウチを外すなんてふざけんじゃね~!」という声が聞こえてきそうですが・・。

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その長岡や片貝と並んで、「柏崎の花火」が「越後三大花火:山の片貝・川の長岡・海の柏崎」と称され、さらには「全国ベスト10花火」として最近紹介されていることに気付いて、ちょっとビックリ!
ベスト10となると各地の贔屓目があり諸説プンプンですが、柏崎花火も有名になったもんだなあ・・

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  ぜひ見てもらいたい花火大会100選(全国ベスト10入り)
                   
  迫力満点の三尺玉、花火大会、ベスト10(全国第8位にランク)

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昭和40年代は海上花火という形態が珍しかったので、規模は小さくとも「個性派花火」という誇りみたいなものを感じていましたが、今や規模も相当な内容になってきたとのこと。総玉数1万5千発(うち尺玉100発一斉打ち上げ&300連発)、柏崎でしか見られない海上三尺玉二発同時打上げ、華やかな海中空スターマインの舞台絵巻。久しく見ない内に立派になったもんじゃなあ・・(驚)


  .....柏崎のシンボル「米山」を望む中央海岸の夜空に豪華な花火絵巻は繰り広げられる....<2008年7月16日>柏崎:復興の「ぎおん花火」_c0119160_2262891.jpg<2008年7月16日>柏崎:復興の「ぎおん花火」_c0119160_228614.jpg


昔は親戚も来訪し我が家で夕食に集い、その後ゴザ・シートを持って砂浜海岸まで気楽に出かけて行ったもの。それが最近は全国から観光バスが乗り付けられ、見晴らしエリアは高料金・予約制桟敷席で占拠。有名になったのは嬉しいけれど、何か我々と距離感ができたような複雑な気持ち。

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6月の岩手・宮城内陸地震で、柏崎で起きた「中越沖地震」もやや記憶が薄れがちですが、昨年の7月16日震災悪夢から一年を迎えます。まだ仮設住宅生活の人も多いと思いますが、復興に向けて頑張っている皆様にあらためてエール。(半壊の祖母実家も漸く建て直し、お盆に完成予定)
                         
                    リンク:ガンバレ柏崎(07.7月)
                    リンク:柏崎エピソード2007レビュー(07.11月)

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寂しいムードだった「えんま通り商店街」も町づくりの会が発足し、地元大学・街づくり専門家をアドバイザーとして議論を重ねているとのことです。1989年のカリフォルニア地震で復興した町「サンタクルーズ」を復興モデルとして将来展望のコンセプトを住民合意のもとでつくりあげていくとのこと。

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街のシンボル「えんま堂」との関わりを大切にする考え方で、個性的店舗や歩行者優先のレイアウトを目指すようですが素晴らしい街に生まれ変わってもらいたい。恒例の「えんま市」(歴史200年を誇る)が6月14~16日に開かれ大盛況だったとの便り。よかったね~!もっと有名になることを祈る。


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猛暑の続く毎日ですが、柏崎原発復旧問題も電力供給やCO2削減の大きな課題となっています。
先月15日には「ぎおん祭り発祥の地:八坂神社が焼失」という悲しいニュースも入ってきました。
昨年の花火大会は地震発生直後で中止となっており、これらの課題や悪い事続きをぶっ飛ばすためにも数々のスターマインを派手に打ち上げ、柏崎市民を大いに盛り上げてもらいたいものです。

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さあていよいよ本格的な夏到来!去年みたいに40度を超える異常な猛暑はちょっと勘弁ですが、
7月下旬梅雨明け時期は桜を待つ時のようなワクワク感!最近は夏を迎える高揚感もあまり感じなくなってきましたが、いつかまた「海上開花の柏崎花火」を見ながら昔の気持ちに浸ってみたい。


                                                      おわり

  # by rollingwest | 2008-07-15 21:22 | 故郷の風景 | Comments(11)

<2008年7月6日>新宿ゴールデン街とその周辺街を訪ねて(その1)

★祝!出版快挙

大学時代の山・旅サークルの先輩「神楽坂女史」が今年6月、「新宿ゴールデン街・花園街案内」という本をD社から出版する快挙!この方は痴性溢れる当サークルに於ける「名だたる文豪」です。
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女史は昔「YとK谷社」に在籍し「東京の名所歩きコース」ガイドブックを執筆されたこともあります。
「知」と「痴」を併せ持ち、それを使い分ける博識・文才ぶりは日頃より皆から尊敬を集めている方。

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7月4日、高田馬場「花福」で今回の出版快挙のお祝い会開催で大いに盛り上がった次第です。
 (ほとんど1年上の先輩たちの同期会という雰囲気でしたが・・)




★「新宿ゴールデン街」


大学時代に新宿「歌舞伎町」は時たま行きましたが、隣接「新宿ゴールデン街・花園街」は畏怖感と気後れを感じてなかなか近づき難い場所の一つでした。 今回「神楽坂ガイドブック」の発刊をきっかけに、「奥深く・喧騒なる・昭和の濃~い街」を見てみたいという気持ちに駆られ訪ねてみました。

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今回発刊された神楽坂殿の著書やインターネット公開の諸情報から、「新宿ゴールデン街の歴史」を調べてみました。概ね下記内容で記載されておりましたので、ダイジェストにまとめてみます。

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歌舞伎町一丁目の飲食店街。新宿区役所や花園神社と隣接し、第二次世界大戦後に建てられた小さな店舗(木造長屋建て)が狭い路地をはさんでマッチ箱のように沢山並んでいる。<2008年7月6日>新宿ゴールデン街とその周辺街を訪ねて(その1)_c0119160_21375579.jpg
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もともとは新宿駅東口にあった闇市が発祥。当時は繁華街から離れた場所であり、殆どの店が飲食店名目で「赤線」(昭和33年以前の国家公認売春地域の俗称)紛いの営業をしていた。風営法無許可営業のため、「青線」の名で呼ばれ歌舞伎町付近は当時都内でも有数の売春街だった。
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売春防止法施行(昭33)を契機に「ゴールデン街」と名を変え、密集街の飲み屋は「文壇バー」「オカマバー」「ボッタクリバー」の3分類になると言われた。3坪~4.5坪と狭くカウンターに数人並ぶと満席になる店が多い。雑踏と喧噪、議論・口論、そして喧嘩…というイメージが強烈に残る街
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文壇バーには作家やジャーナリスト・全共闘世代の闘志などが集まり、文学と演劇、映画・哲学を肴に酒を酌み交わし熱い議論や喧嘩を繰り広げた場所でもあり、文化発信地の自負も持つ。

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常連の文化人では、安部公房・遠藤周作・大江健三郎・中上健次・野坂昭如・半村良・佐木隆三・村上春樹・志茂田景樹・立松和平・村上龍・山田詠美・渡辺淳一等、名立たる文士が集った。

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昭和50年、佐木隆三「復讐するは我にあり」が直木賞受賞でこの街は文化人の集う場所としてマスコミに取り上げられ一挙に有名となった。バブル期には地上げの嵐に見舞われ、崩壊とともに無残な時代を迎えた。しかし平成12年以降、若い経営者が続々と出店して再び活気づいている。
今もなお、全共闘世代や出版関係・馴染みの店がまだまだ残り、ハードコアな店も多く存在する。

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さすが噂通り独特なムードとレトロ感が漂うところ・・。「夜の世界遺産」とも呼ぶべき昭和の香りを残す貴重な街並がその存在感を強烈主張しており、「修羅場を潜った者・夜通しに酒で議論を尽くした者以外、新参者が安易に近づくんじゃねエ・・」と軒を連ねた店々が呟いているように思えます。  

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でも神楽坂ガイドブックでは「ゴールデン街の掟6カ条」を守れれば一見さんでも十分歓迎とのこと。6カ条とは・・①1-2名の少人数で行く。②他所で腹ごしらえがお薦め。③値段は遠慮なく聞く。④積極コミュニケーション。⑤混んできたら席を譲り合う。⑥ハシゴ酒を楽しめ!ただし泥酔は厳禁。


.....ゴールデン街の脇にはこんな潤いの緑の道があった!「四季の道」といい旧・都電軌道跡....<2008年7月6日>新宿ゴールデン街とその周辺街を訪ねて(その1)_c0119160_2221859.jpg




★「花園神社」

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ゴールデン街向かい側には「花園神社」が鎮座、1階が倉庫・2階が神社という不思議な光景を見せています。花園神社は江戸時代から芸能との縁が深く、劇団等の催し物が頻繁に開かれてきたそうです。(昭和40年代は唐十郎や寺山修司らのアングラ劇団が何度も公演を重ねたとのこと)

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境内には「芸能浅間神社」があり、玉垣には芸能人の名がズラリ。藤圭子(宇多田ヒカルの母親)のヒット曲「圭子の夢は夜ひらく」の歌碑もあるぞ~!「15・16・17と~私の人生暗かった~♪」
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11月の「酉(とり)の市」では昭和30年代の縁日にワクワクしながら行った「見せ物小屋」(人間火炎放射器やへび女など)が催されるらしい。あ~懐かしい!昔の柏崎「えんま市」でよく見たものだ。「親の因果が子に報い、同じ人間・同じ母親~!さあさご覧あれ!」・・もう一度あの日に戻りたい。<2008年7月6日>新宿ゴールデン街とその周辺街を訪ねて(その1)_c0119160_6251939.jpg
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★明治文豪の史跡
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文壇・芸能関係者が集ったこの地は、明治時代の文豪にも所縁があるようで日本文学のビッグネームの史跡が近隣に見られます。都営大江戸線・東新宿駅出口近くには、「島崎藤村旧居跡」が見つけられました。同和問題を扱った小説「破戒」を明治38年この地で完成させたのだそうです。


     .....(中) 「島崎藤村旧居跡」       (右)「小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)終焉の地」....<2008年7月6日>新宿ゴールデン街とその周辺街を訪ねて(その1)_c0119160_636860.jpg<2008年7月6日>新宿ゴールデン街とその周辺街を訪ねて(その1)_c0119160_710368.jpg

おお~!「小泉八雲終焉の地」石碑も近くにある。偶然先月、40年ぶりに「耳なし芳一」や「むじな」の入る作品集「怪談」を読んだばかりだ!帰化人だが日本人以上に日本の心を持った八雲はここで名作を完成させ、明治37年当地で生涯を終えたとのこと。(松江在住イメージが強いけど・・)
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鬼王神社という怖い名前の神社も発見、入口に鬼が支える手水鉢があります。鬼の伝説があるらしいですが、本来は稲荷神社であり水商売の店がよくお参りする商売繁盛の神社だとのことです。
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明治時代に童話専門の「赤い鳥」という雑誌があったとのこと。その社屋跡と創刊者・鈴木三重吉という作家(夏目漱石門下生で近代児童文学の中興者らしい。)の居住地もありました。「赤い鳥」創刊号には芥川龍之介「蜘蛛の糸」や島崎藤村・泉鏡花・徳田秋声の物語も掲載されたんだって!



(その2)に続く

  # by rollingwest | 2008-07-05 21:01 | 都会の風景 | Comments(18)

<2008年7月6日>新宿ゴールデン街とその周辺街を訪ねて(その2)

↓(その1)から続く

★「コマ劇場」がついに閉鎖へ、嗚呼・・思い出の歌舞伎町


新宿コマ劇場が12月に閉鎖」というニュースが先日流れていました。この劇場は「演歌の殿堂」。北島三郎、小林幸子、氷川きよし、松平健等の大物スターが特別公演を行う場所で、いつか満席にしてみたいと願う演歌歌手の憧れの舞台です。ここ数年は観客減で採算が悪化、老朽化も目立つため、閉館され再開発ビルに生まれ変わる予定だそうです。嗚呼またも昭和は遠くなりにけり・・


   ....(左)現在のコマ劇場(黒色)  (右)懐かしい昔のコマ劇場(薄緑っぽい色だったかな?)...
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昔、コマ劇場と新宿ミラノ座の広場には噴水池がありましたが、今はもう撤去されなくなっています。
大学野球優勝時は神宮から新宿まで歩き、夜は皆で肩を組み歌を唄って大騒ぎしたものでした。

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皆で池に飛び込んだり、後輩が水銀灯によじ登ってヌンチャクを振り回して新聞に載ったり・・で、本当にお馬鹿やってましたねえ・・。周りは大迷惑だったと思いますが、当時のアホの一人でした。

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お上りさんの大学1年生にとって、ネオン溢れる歌舞伎町を初めて見た時は衝撃的な街並光景でした。当時全くモテなかった地方出身(痴呆じゃないよ)大学生2人は、「歌舞伎町に行けば夢世界があるはず!」と当時ブームのディスコ(カンタベリーハウスだったと思う)に期待を持って繰り出しました。

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馴れない「ナンパ」なるものにトライしてみましたが、見事全員スカ・・。自分たちの非力とダサさを認めたくない我々(相棒はS聖二)は、「今夜はツキがなかったなあ・・」とボヤキながら当繁華街を寂しく背にしたのでした。当時流行っていた洋楽曲(Eビショップ・愛に狂って)を虚しく歌いながら・・涙
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同級生「H井真吾」主宰の朗読劇「物語シアター」の定番には、映画化された浅田次郎作品「ラブ・レター」があります。ドラマ主人公の「高野吾郎」は新宿歌舞伎町で20年も飯を食っている裏ビデオ屋の雇われ店長でした。こちらの方も悲しい涙の結末でしたなあ・・。あっ全く違うか、失礼(笑)

                                「物語シアター」(ラブレター)

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★歌舞伎町アンダーワールド(裏社会)


裏ビデオ(DVD)といえば、インターネット普及の煽りでこの商売は最早や退潮気味なのだそうです。ウイニー等でファイルソフト交換・ネットを駆使できる若い世代はもうこの業態に見向きもしません。商売を支えているのは,PC不得意な晩秋の中高年だという現実に思わず笑ってしまいました。

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とはいえ、常に時代の流れに全くメゲない歌舞伎町のフーゾク業態。昭和62年に施行された「新風営法」でも歌舞伎町衰退の噂は囁かれましたが何のその!手を替え品を変え取締りを逃れて、新フーゾク業種も雨後の筍の如く生まれて大いに隆盛しています。何とも力強いもんですなあ・・。

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しかし今の歌舞伎町は昔以上に恐ろしい街になっているようです。中国人マフィア増殖・闇の犯罪地帯、裏ギャンブル、関東・関西ヤクザのせめぎ合い、闇金融ネットワークの跋扈など、足を踏み入れヘタなことをしたら、ヤクザに簀巻にされ東京湾に沈められてしまう危険に遭うかもしれない。


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今回、神楽坂ブックと同時並行に、歌舞伎町の「アングラ・闇社会の実態」を暴いた上記の本を読みましたが結構スゴイ裏話が沢山書かれておりました。やはり「さわらぬ神には祟りなし」ですなア・・。
想像しえぬ人間模様が様々に渦巻く不夜城の街は、数十年後も逞しく生き残っていることでしょう。




★おわりに(再びゴールデン街)


今回神楽坂殿の出版祝いを契機に、日頃なかなか足の踏み入れ難い場所を見て回りましたが、直接雰囲気を肌で感じながら、実際に歩いてみると中々興味深いものでした。今回の散策は昼間だったので、本来この街が持つ素顔やエネルギッシュさ・畏怖なムードを十分に感じ取ることはできませんでしたが、夜に備えてじっくり充電している街もまた特別な味わいがあるような気がします。

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この街で日々精一杯暮らす人々・街を愛し深く入り込んでいる人々・命に危険を感じながらヤバイ橋を渡る人々等にとっては、当記事は殆ど表面的につき小生がこの街を語る資格はありませんが、やがて迫り来る再開発の波に昭和の貴重なる文化遺産が駆逐されぬよう祈るばかりです。

<2008年7月6日>新宿ゴールデン街とその周辺街を訪ねて(その2)_c0119160_20323923.jpg


                                                       おわり



神楽坂ガイドブックは以下の文章で締めくくられ、この街に熱いエールを送っています。

「平成19年、ゴールデン街全体の店舗数約250。その古い建物には一つひとつに人のドラマがあり、今も変わらぬ反骨精神が息づいている。そして今、新たなジェネレーションが昭和を生き抜いた木造酒屋の歴史に斬新なエピソードを刻み始めた。21世紀、この街は、ますます面白くなるに違いない。」

  # by rollingwest | 2008-07-05 10:30 | 都会の風景 | Comments(22)

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