「My Favorite Songs」(第48巻)
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★(215)ビージーズ 「マサチューセッツ」 (1967年) (2019.5.8公開)
■懐かしのビージーズ特集(前・中・後編)がスタート!
新時代の令和を迎えましたが、洋楽記事交流もあらためてお付き合いよろしくお願いいたします。今回は1960年代後期(コテコテの昭和高度成長期時代)にデビューした「ビージーズ」の特集をスタートさせたいと思います。RWが洋楽に嵌ったのは中学1年(1969~1970年)で今から丁度50年前、ビートルズの解散時期でした。最初に夢中になったアルバム購入(1970)はビートルズ、S&G、エルトンジョン、シカゴ、そして翌年公開された映画「小さな恋のメロディ」のサントラ盤でした。清純なる思い出名画のBGMを歌い上げていたビージーズも洋楽興味に導いてくれた恩人グループにも関わらず、第4巻(036)「若葉のころ」(1969)でサラリと紹介しただけだったと気付いて大いに反省しています。この記念すべき50年の節目慶事にあたり、彼らの名曲特集を3編シリーズに纏めて紹介します。まず前編は1960年代の美しきメロディを奏でていたビージーズ初期ナンバーを10数曲紹介!冒頭掲載した「マサチューセッツ」(1967)は彼らの初期代表曲(全米11位)で日本でも初めて大ヒットした記念すべきシングル盤!彼らの世界的人気はまずこの名曲で本格化したのです。
■1967年オーストラリアからデビュー、英国帰国後に世界的な人気獲得!
ビージーズの歴史は1940年代に長男バリー、双子弟(二卵性)ロビンとモーリスが英領マン島の首都ダグラスで生まれたことに始まります。音楽一家に生まれたギブ兄弟は父の故郷マンチェスター在住時代でバンド活動を開始しましたが、その後一家は1958年オースラリアのブリスベンに移住して1963年ビージーズ(名前は長男バリーのイニシャルBGに由来)としてレコードデビューしました。1967年に「スピックス&スペックス」が全豪NO.1ヒットとなりオーストラリアの国民的人気を得る大ブレイクを果たしたのです。この曲は映画「小さな恋のメロディ」のBGMにも採用されていたので聴いたことがある方も多いことでしょう。英国に帰国したギブ兄弟は、5人編成のビージーズを立ち上げ1967年「ニューヨーク炭鉱の悲劇」で英米レコード界にデビューしました。次のシングルは「ラヴ・サムバディ」、日本でのデビューシングルであり、この曲も映画「小さな恋のメロディ」BGMに採用されていました。この年はビージーズ初期の佳曲が続々と生まれました。数々のアーティストもカバー曲に採用した「ワールド」や「誰も見えない」などの名曲を若き3兄弟が美しくドラマティックに歌いあげています。
■1968~1969年、5人組から兄弟3人組へ
1968年には黄金初期時代を代表する名曲「ワーズ」が大ヒット、結成時メンバー5人組の最終作となった3rd盤「Idea」は60年代の集大成とも謂われ、初の全米TOP10入りした「獄中の手紙」(ギブ三兄弟のリフレインハーモニーが見事なドラマチック曲)や、ロビンが歌う「ジョーク」などの名曲を輩出しました。美しいコーラスやストリングス・アレンジが注目されがちですが、当時のビージーズはバンドとしての確かな力量を持っていました。メロトロンやピアノ、ハープシコード等を器用にこなすロビン、力強いモーリスのベースなど演奏者としての技量もなかなかのものです。1969年、4th盤「オデッサ」(「若葉のころ」が収録)からのシングル「トゥモロウ・トゥモロウ」や「想い出を胸に」の頃になるとグループはメンバー脱退などで空中分解状態になってしまいました。しかし1970年に入りバリー、ロビン、モーリスの3人は結束していこうと決意を固め新生ビージーズとして再出発することを誓ったのです。
■ビージーズの公式ドキュメンタリー映画が制作中
ビージーズの結成・活躍から半世紀の歳月が過ぎ、今年2月彼ら初の公式ドキュメンタリー映画制作の発表がありました。バリー・ギブ&故人となった兄弟(ロビン&モーリス)の親族公認の映画で、監督は「ジュラシック・ワールド」を手がけたフランク・マーシャルが務めるとのこと。ビー・ジーズの全アーカイブを元に独創的音楽の制作秘話や映像などが満載、グループの歴史や個々のメンバーの人物像を掘り下げながら、非凡な才能を持った3人の兄弟の驚くべき関係性が明らかとなるとのことで、今から大いに楽しみにしているところです。前編LAST曲は冒頭で紹介した「マサチューセッツ」とともに日本でも大ヒッしたト美曲「ホリデイ」で締めることと致しましょう。この曲はザ・タイガース「花の首飾り」誕生の伏線曲とも謂われており、初期ビージーズでRWのお気に入り名曲の一つです。次回・中編は映画「小さな恋のメロディ」~70年代変革期へのステップ時代をレポートしたいと思います。
⇒次回は、ホワイト・レゲエと呼ばれた斬新なロックを奏でた英国バンド「ポリス」の名曲「孤独のメッセージ」(Message In A Bottle)(1979)をお送りします。♪\(^◇^)/♪
★(214)スレイド 「クレイジー・ママ」 (1972年) (2019.4.19公開)
■1970年代前半、グラムロックに位置づけられたオチャラケロックバンド「スレイド」
1970年代前半に活躍したB級グラムロックの英国バンド「スレイド」の名前を皆さんは覚えておられますでしょうか?初めて彼らの歌を聴いたのは「グッッドバイ・T'ジェーン」(1972)が深夜ラジオから流れてきた時でした。グラムロック最盛期で大人気だったのはT-REXやデビッド・ボウイであり、スレイドは日本ではややマイナーな存在でしたが、本場英国においてはスイートやスージー・クアトロと並ぶ有名バンドでした。音楽性は二の次・・、とにかく分かり易い単純ロック、派手すぎるヴィジュアル優先のオチャラケバンドでした。やはりその強烈な印象は、おかっぱ頭ロングヘアーのデイヴ・ヒル(Gt)!ド派手のキンキラ衣装にハイヒール、出っ歯むき出しにして飛んだり跳ねたり弾け廻っている姿はバンドのシンボル的存在!「こいつはB級キワモノ感に徹しているなあ・・」と感心するくらいのパフォーマンスパワーでした。冒頭曲「クレイージー・ママ」などのストレートな単純ロックでしたが、ラジオから流れるヒット曲の数々に耳を傾けたものです。1970年代一時失速しましたが80年度にはまた復活、2000年代でも再結成してなかなかしぶとく生き抜いている4人編成のバンド「スレイド」を特集してみたいと思います。
■1971年ブレイク、黄金時代の4年間(~1974)
1966年結成ですが4年間鳴かず飛ばず、1970年から元アニマルズメンバーからのアドバイスも受けてド派手な阿呆ヴィジュアル路線に変更・分かりやすい豪快ロックに的を絞ったところ、71年のシングル「だから君が好き」(Coz I Luv You)が何と英国1位を獲得、続く「Take Me Bak' Ome」(1972)もヒットしました。ライブ・パフォーマンスに対する評価が上がり、1972年発表の「スレイド・アライブ」と「スレイド?(Slayed?)」「スレイデスト」も1位を獲得して完全にしてついに商業的成功を収めたのです。ヴィジュアル面での奇抜さもドンドン過激になっていき、ノディ・ホルダー(Vo)のかすれた高い声はなかなかワイルドで10代の少年少女たちから熱い支持を受けながらヒット・バンドへとのし上がっていきました。1973年の「カモン・ザ・フィール・ザ・ノイズ」(LASTで紹介)や「スクイーズミー・プリーズミー」が大ヒットしてこの年が全盛期だったような気がします。しかしこの元気まっしぐらの単純ハードロックがだんだん飽きられ1974年になると「Far Far Away」や「エヴリデイ」のじっくり歌い上げるバラード路線も志向し始めましたが1970年代中盤以降はその人気は完全に失速してしまったのです。
■80年代で再度復活!(美しい音楽性で幅をさらに広げていった時代)
スレイドのサウンドと相対するパンク・ロック全盛時代の1970年代後半は低迷期を彷徨っていましたが、80年代に若手ヘヴィメタバンドがスレイド曲をカバーで大ヒットしたことで彼らのことが見直され再度ブームがやってきたのです。80年代の代表ヒット曲「ラン・ランナウェイ」(1984)は70年代のノリを復活させた快適なナンバーですが、80年代のJガイルズバンド的な雰囲気もあり余裕タップリな感じで「俺らは70年代を駆け抜けた派手なビジュアル系お馬鹿なバンドだったけど、今も息長く頑張っているんだぞー!」という貫禄も感じられます。TV番組ベストヒットUSAでもミュージックビデオにも出て最前線に戻ってきた彼らでしたが、音楽性はかなり変わっており「マイ・オー・マイ」(1983)などは「エッエッエッ!あのオチャラケバンドがこんな美しいバラードを歌うの!?」って目がテン状態の幅広い変化も見せていました。スレイドのバラード美曲路線はまだまだ続き「オール・ジョン・ハンド」(1984)もスケールが大きい名曲でファッションも落ち着き紳士な雰囲気になったなア・・とビックリしたものです。
■結成50年以上経っても、今なお頑張っている「スレイド」
日本での彼らの評価は非常に低い気がします。単純な音楽性と奇抜ヴィジュアルで10代子供向けバンドというイメージが強くあったからかもしれません。しかしスレイドは息長く生き残ったバンドで今年で結成53周年を迎えます。2017年には43年ぶりの再来日も果たし、お河童頭デイヴ・ヒル、ボーカルのノディ・ホルダーも73歳となりましたがいまだ現役で頑張っているのです。ローリングストーンズに並ぶような人間国宝的な年月の積み重ねではありませんか!最後の締め曲はお馬鹿バンドに徹していた70年代の最高名曲「カモン・ザ・フィール・ザ・ノイズ」(1973)で締めることにしたいと思います。
⇒次回は、「ビージーズ」特集の前編です。「マサチューセッツ」(1967)など美しきメロディで心を癒してくれた1960年代の名曲を紹介します。♪\(^◇^)/♪
★(213)イングランド・ダン&ジョン・フォード・コーリー 「眠れぬ夜」 (1976年) (2019.3.31公開)
■青春時代に癒されたPOPデュオ「イングランド・ダン&ジョン・フォード・コーリー」
大学生時代(1976~79) の下宿アパート、FENラジオから流れてきた数々の優しいメロディ曲を与えてくれた「イングランド・ダン&ジョン・フォード・コーリー」(名前が長いので以下「ED&JFC」と表記)・・、大好きだった彼らを取り上げた記事は、2012年【第5巻】(045)で彼らの代表曲「秋風の恋」 (1976)、僅か1回のみの紹介記事だけで、もう7年の月日が経ってしまいました。(大反省・・・) ところで昨年11月に「想い出のサマー・ブリーズ」という名曲記事で紹介した「シールス&クロフツ」を覚えておられますでしょうか?実は当デュオメンバーのジム・シールズは、イングランド・ダン(ED&JFCメンバー)の兄なのです。兄弟それぞれが結成した70年代デュエット達が奏でた名曲にRWは大いに心を癒して頂きました。ED&JFCの歌声を初めて聴いたのはRWが中学3年生(1972年の秋)、高校受験に向けて猛勉強中の合間に深夜ラジオから「シーモンの涙」という美しいメロディ旋律曲が流れてきたのです!当時、洋楽ポップスに首ったけだった中高生たちには胸キュンものの清廉爽やかなる作品だったものの日本だけでのヒットに終わり、その後数年彼らの名前を耳にすることはなくスマッシュヒットの一発屋だったかと完全に思っていました。本場米国でも「ケイシー」等のシングルを出すものの全く泣かず飛ばず・・。しかし1976年に「秋風の恋」が大ヒットして一挙にビルボードチャートを駆け上がり大ブレイクを果たしたのです。RW大学入学で上京した下宿のラジオから毎日流れており、「ついに復活してくれたか!」と嬉しかったネ~!実はイングランド・ダン(本名ダン・シールズ)は、2009年3月末に癌で亡くなっており、丁度10年の節目を迎えた今、再び彼らの名曲をじっくりと掘り起こしたいと思い立ちました。前編(1976~77年)と後編(1978~1981年)の2回に分けて、癒しの名曲を沢山お届けしたいと思います。
■一躍大ブレイクした1976年名盤「Nights Are Forever」
1970年A&M契約でデビューしたED&JFCですがアルバム3枚をリリースするも全くヒットに恵まれませんでした。しかしその低迷を脱出してブレイクしたのが4作目1976年名盤「Nights Are Forever」(邦題「秋風の恋」)でした。初期イーグルスっぽいフォークテイストな洗練されたバラードなど、売れるべくして売れた名盤には珠玉の名曲が満載です!彼らの代表曲「秋風の恋」にあわせて、冒頭に掲載した「眠れぬ夜」も2週連続でチャート10位を記録しました。次に紹介する美曲は「プリズナー」、2人の澄んだ透明ボイス・合間に流れる弦楽器のコラボが実に感動的なんですよネ~!「レイディ」も心が癒される落ち着いたスイートなバラード、この曲を聴いているとまったりとしたよき時間が流れます。さて、今度はコテコテのカントリー曲「ショーボート・ギャンブラー」が登場!洗練されたED&JFCの洗練された美曲ナンバーを聴きこんできたRWにとって、伝統的カントリーを前面に押し出した曲はある意味で新鮮な印象で希少価値の名曲かも・・。でも彼らの原点はカントリーなので当たり前なのですが・・。さて次の掲載曲は、またまた一転して爽やかなるウエスコーストサウンドの典型曲「そよ風は西へ」(Westward Wind)や 優しき歌声がゆっくりと流れる「Where Do I Go From Here 」も素晴らしいナンバーです。ED&JFCは80年代AOR曲の先駆けを担っていた新旧の音楽シーンを橋渡し的な存在でもあったのです。彼らの守備範囲非常に広くスケールの大きな感動曲も披露していました。「ロングウェイ・ホーム」は故郷を想うフォークテイストが溢れる曲ですが、壮大曲を作り上げる高邁なる意欲と丁寧なアレンジの見事さには感心させられるばかりです。
■1977年「二人のフェリー・ロード」からの名曲
次は5枚目アルバム「二人のフェリーロード」からの名曲紹介に移りしょう。「悲しみのかなたに」(It's Sad To Belong)は2人のハモリが見事な素敵曲、歌詞はビミョーな内容で「運命の人と出会った時に…僕はもう結婚が決まってしまっている・・、嗚呼タイムマシンがあったらなあ(泣)」という悩ましい恋心が揺れています。 「青春の日々」(gone too far)は当名盤から輩出した大ヒットナンバー、この曲も大学2年生・四畳半下宿のラジオから毎日聴いていた懐かしの名曲です。 「フォーリング・スターズ」は夜中に流れ星を仰ぎながらセンチメンタルに浸る哀愁ナンバー! イングランドダンとは、ビートルズに感化された若き日のダンがニックネーム採用したとのこと。基本的にカントリーが音楽ベースとなっているED&JFCですが、泥臭い曲はなくPOPで洗練された味付けと壮大なコンセプト曲が多い点でもビートルズにも影響を受けていたのかもしれません。前編紹介のLAST曲は、RWが大好きな「ソルジャー・イン・ザ・レイン」で締めたいと思います。「雨の中の兵士」という題名ですが歌詞内容は都会に身を置いた自分を歌い上げたものでした。「朝の霞があたりを覆う中、僕は橋の上に立つ。もうここに来て何年が過ぎただろう。僕はどれ程変わったのだろうか?走りまわるタクシー、乗り換えを尋ねる盲人、僕はここに立つ、雨の中の兵士 」・・・。ピアノとストリングスが織りなすスケール大きいメロディアス曲、後半はさらに変調展開して重厚な管弦楽で荘厳に締めるプログレ的名曲です!
後編では1978~1981年の洗練された数々のデュオ名曲、そしてダン・シールズのソロ名盤「ストーンズ」からの名曲を紹介していきます。いつ掲載されるか未定ですが気長~にお待ちください。
⇒次回は、グラムロックに分類されたオチャラケ雰囲気ハードロックバンド「スレイド」の代表曲「クレイジー・ママ」(1972)を紹介します。
# by rollingwest | 2004-01-12 00:00 | 洋楽(ロック・POPS) | Comments(160)