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RW/洋楽コーナー:「My Favorite Songs」 (第5巻)

                 【My Favorite Songs】の過去紹介した記事一覧(INDEX)はコチラから
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★(049):ニールヤング 「男は女が必要」  (1972年)  (2012.11.3公開)

 

RW/洋楽コーナー:「My Favorite Songs」 (第5巻)_c0119160_20585420.jpg小生が洋楽ロックに夢中に嵌り始めたのは1970年・・、当時は1960年代末のウッドストック潮流やビートルズ解散を一つの節目としてロックがダイナミックに発展していた時期。ハードロック・ブラスロック・プログレ、JAZZ・クラシック融合を目指すした試みや挑戦が展開され、先鋭的に進化を遂げる新しいロックの姿に小生も日々夢中でした。ニールヤング「ハーヴェスト」「アフターザゴールドラッシュ」、CSN&Y「4ウェイストリート」、ML誌で評価が高かったフォークロック分野も気になっていましたが、小生には保守的なカテゴリーに映っていため二の次って感じでした。当時高価なるLP購入をどの分野に資源優先をさせるか皆様も共通の悩みだったでしょう。ニールヤング初聴の印象は、今一つピンと来なかった・・。類人猿的ワイルドな顔の割には、鼻に詰まったフニャフニャした変テコリンな声だし、ギター音はガリガリとノイジーな感じで決して上手いとは言えません。しかし齢を重ねるうちに、センチメンタルに切ない声で真摯に歌いあげる姿が大好きに・・。寂寥感・抒情性を漂わせシンプルな詩にはダンディズムとノスタルジーが溢れ、スワンプに歌い上げる「オールドマン」や黒人奴隷の苦しみを歌う「サザンマン」は象徴曲の様な気がします。雰囲気から彼は米国南部出身シンガーソングライターと信じ込んでいましたが、実はカナダ人だった!1966年、LAに移り住んだニールヤングはフォークロック史の伝説的バンド「バッファロー・スプリングフィールド」をスティーブン・スティルスらと結成し活躍、後にCSN&Yへ加わりロック史名盤「デジャブ」(代表曲はヘルプレス)を発表し大きな足跡を残しています。ソロ活動でも数々の至高作品を生み出しており、代表作は何といっても「アフターザゴールドラッシュ」と「ハーベスト」、「Heart Of Gold・ 孤独の旅路」、が最も有名(彼の唯一の全米NO1ヒット)ですが、小生は今回紹介した「男は女が必要」一番好きですネ~。小生、切なげに絶叫する歌が好きなので・・、(笑) RYOさん推薦「See The Sky About To Rain」ロックインザフリーワールドも追加!ニールヤングは今もなお生涯現役に拘り、盟友クレージーホースとの熱い魂の交流を続けながら、シンプル・ストレートなメッセージを誠実に発信し続けている。




★(048):リトルリヴァーバンド 「ロンサムルーザー」 (1979年)  (2012.10.19公開)


RW/洋楽コーナー:「My Favorite Songs」 (第5巻)_c0119160_2030244.jpg70年代後半~80年代前半に、米国で多くのヒットを放ち続けた「リトルリヴァーバンド」。高い音楽性とセンスある当バンドの数々の名曲をラジオでよく愛聴していたものです。サウンド的には米国西海岸の雰囲気に満ち溢れていますが、実はこのグループはオーストラリア出身のバンド(でもエアサプライやAC/DCとは全然路線が違う)なのです。メンバーは、シンガーソングライターが3人集結し、リードギター、ドラムス、ベースの3人が脇を固めた形の6人組の構成となっています。1975年に結成され、翌年にはアメリカ進出、当時商業的な成功を収めていたイーグルス、ドゥービーブラザーズ、リンダロンシュタットなどのウエストコーストサウンドを意識しながらオリジナルで多彩な楽曲を次々と発表していきました。1978年「追憶の甘い日々」(リミニッシング)が全米3位の栄冠を獲得し、一躍全世界的なメジャーバンドへと成長しました。日本では殆ど知名度がないのが不思議なくらいです。今回紹介の「ロンサムルーザー」はやはりイーグルスサウンドに雰囲気が非常に似ている感じがします。アメリカンチャートで上位に入った「クールチェンジ」は落ち着いたAOR風の名曲、「ハッピーアニバーサリー」はややファンキーでハードなPOP曲、「遥かなる道」はサザンロックのような曲調。彼らの織り成すサウンドは、コーラスハーモニーが強力な部分は共通しているものの一つのイメージで語るのは意外と難しいバンドである様な気がします。それだけに「多才で実力がある優秀バンドってことですね~!彼らのヒット曲は実に数が多いので、今回と次回で4曲ずつ2回に分けて紹介したいと思います。




★(047):ビーチボーズ 「スループ・ジョン・B」 (1966年)  (2012.10.5公開)


RW/洋楽コーナー:「My Favorite Songs」 (第5巻)_c0119160_20165817.gifポピュラー音楽史に輝かしい伝説を残し今もなお数多くのアーティストに影響を与え続けている「ビーチ・ボーイズ」。 2012年は歴史的なロックバンド(ビートルズ、ローリングストーンズ)と同様に、結成50周年の節目の年を迎え、8月に来日してジャパンツアーを成功裏に終わらせました。初期のビーチボーイズは、1960年代米国像(ケネディ大統領が就任、強く豊かで自由な国をアピール)の若者ライフスタイルに密着したサーフィンサウンドを前面に出して、サーフロック=ビーチボーイズサウンドとして捉えられています。お馴染の曲は「サーフィンU.S.A」「アイゲットアラウンド」「グッドバイブレーション」などが有名ですね。 しかし彼らがミュージックシーンに残した功績はそれだけではなく、ビートルズとの差別化や相互の切磋琢磨から生まれた「ペット・サウンズ」というポップス史上に燦然と輝く名盤を作りあげたことが特筆されます。従来のサーフロック路線では飽き足らなかった中心メンバーのブライアン・ウィルソンは、 ビートルズの傑作「ラバーソウル」に刺激を受けてその音楽性を着々と高め成長していきました。繊細で感受性の豊かなブライアンは、初期時代から精神的な患いもあってツアーには参加せず、スタジオに籠ってアルバムを制作するようになります。傑作「ペット・サウンズ」によって、ライブツアーとスタジオレコーディング作品を完全に分けるという制作スタイル・考え方が1966年に生み出されたのです。「ペットサウンズ」はビートルズに対しても大きな影響を逆に与えました。ビートルズ金字塔アルバム「サージェントペッパーズ・ロンリーハーツ・クラブバンド」のコンセプトアルバムという形態を出現させ、その後プログレ゙など多様なロックへの発展進化に繋がっていきました。なるほど、キングクリムゾン・イエス・ピンクフロイドなどは間接的にビーチボーイスの発想から生れてきたという訳か・・!しかし世間の期待するビーチボーイズの音楽イメージは相変らずの定番サーフサウンド・・、ところが継続は力なり。 1988年にブライアン抜きの残りのメンバーで作曲した「ココモ」が 映画「カクテル」の主題歌に抜擢され、22年振りの全米NO1ヒットを記録したのです。長い間、元気に活動していると色々とありますね~!一時期、メンバーとブライアンと確執がありましたが今回目出度く和解して来日し全盛期の再現となりました。上記に紹介した曲は名盤「ペットサウンズ」からシングルカットされた「スループ・ジョン・B」(ジョン・B号の遭難)、ブラザーズフォーやキングストントリオも歌った往年のナンバー、実に爽やかな名曲です。




★(046):ドゥービーブラザーズ 「チャイナグローブ」 (1973年)  (2012.9.22公開)


RW/洋楽コーナー:「My Favorite Songs」 (第5巻)_c0119160_4552586.gifイーグルスと並びウエストコーストサウンドの代表的なロックバンド「ドゥービーブラザーズ」、ロック史に輝くこのグループは前・後期で全く違う音楽性を見せましたがそれぞれに高く評価されています。今回は前期を象徴する名曲「チャイナグローブ」で登場頂きましょう。その歴史は1969年トムジョンストンが率いるフォークロックのバンドが米国カリフォルニアで「ドゥービーブラザース(マリファナ仲間の意味)の名前でデビューしたことに始まります。デビュー当時はパッとしなかったようですが、パットシモンズという名ギタリスト・ボーカリストやツインドラムの導入で音楽性の質・パワー・アレンジを高めていき、1972年のアルバム「トゥルーズストリート」からも名曲「リッスントゥザミュージック」が全米11位の大ヒットを記録してパッと華を咲かせました。そして1973年には前期の最大名盤「キャプテンアンドミー」がリリースされ、「ロング・トレイン・ランニン」や「チャイナグローブ」の大ヒットを輩出しています。(やっと、パッとシタモンズ・・・、いつまでやってんだ oyajigyag寒~、m(_"_)m)  このアルバムからスティーリーダンのジェフバクスターが参加、さらに翌年リリースした「ドゥービー天国」からの名曲「ブラックウォーター」が全米No.1の大ヒット(1975年)を記録、これによって名実ともにアメリカンロックの頂点を極めることになりました。「チャイナ・グローブ」は実に小気味がいい素晴しい曲・・、イントロのギターカッティングは一度耳にしたら忘れられない程、印象的ですネ~。後期(1976年以降)は、マイケル・マクドナルドの加入(病気で一時的にバンドを離れたトムジョンストンの代役としてジェフバクスターが招聘)によって、バンドの音楽性は都会的なAOR路線に完全転換、グラミー賞4部門受賞で2度目の全盛期を迎えていくのです。前後期ともそれぞれに素晴らしい魅力に溢れていますが、小生はどちらかと言えば歯切れがよくファンキーな時代が好きだナア・・。前期はメロディやギターリフが素晴しくノリがいいし、ツインのドラムやギターも個性的な印象が強い・・。「希望の炎」も前期の名曲です。渋いね~!次回洗練され大人びたAORグループに変身した後期ドゥービーの魅力も紹介していきたいと思います。




★(045):イングランドダン&ジョンフォードコーリー 「秋風の恋」 (1976年)  (2012.9.9公開)


RW/洋楽コーナー:「My Favorite Songs」 (第5巻)_c0119160_613828.jpg秋になると聴きたくなるのがイングランド・ダン&ジョン・フォード・コーリーの「秋風の恋」。哀愁のメロディと爽やかなヴォーカルハーモニの心地よいサウンドが今も心の中に余韻を残しています。70年代を代表するデュオグループといえばロギンス&メッシーナ、ホール&ウォーツ、シールズ&クロフツ等があげられますが、イングランド・ダン&ジョン・フォード・コーリー(以下ED&JFCと表記)はその筆頭的なPOPデュオでした。(大学時代にFENラジオで夢中になって聴いたネ~) 1971年にデビューしたものの、その後5年経っても鳴かず飛ばずだった彼らを一挙にスターダム('76年全米第2位のミリオンセラーヒット)に導いたのがこのナンバーです。その後ED&JFCは、「眠れぬ夜」「悲しみのかなたへ」、「愛の旅立ち」、「ラブイズアンサー」、と次々にヒット曲を放っていきました。しかし彼らがまだ世界的にブレイクしていなかった時代(デビュー後5年間も低迷)、唯一日本だけでヒットした「シーモンの涙」(1972年)は高校時代に深夜のラジオ放送で聴いていたさらに懐かしい曲です。カントリー・フレイバーも漂うアコースティックなPOPサウンドと美しいハーモニーが、日本人の琴線に触れたのかも・・。ちなみに、ED&JFCの構成メンバーの一人、ダンシールズは、シールズ&クロフツのジム・シールズの弟で2009年に残念がら天国に召されました。兄弟でコンビを組んでほしかったなあ・・。(あらためて合掌)




★(044):ブルーススプリングスティーン 「明日なき暴走」  (1975年)  (2012.8.26公開)


RW/洋楽コーナー:「My Favorite Songs」 (第5巻)_c0119160_64915100.jpg70年代ロックシーン金字塔の一つ、ブルース・スプリングスティーンの衝撃的な名曲「明日なき暴走(Born To Run)」 (1975)を初めて耳にしたとき、鮮烈な印象を受け鳥肌の立つような興奮を覚えました。この疾走感と緊張感、これぞ「ロック」の真骨頂!グイグイ迫って来る力量あるブルースの激しいボーカル、それを支えるバンド演奏も実に素晴らしい~。クラレンス・クモンズ(レコードジャケットでブルースが寄りかかっている左の人物)の強烈サックスもこの曲に溢れる疾走感を一段と際立たせています。ブルース・スプリングスティーンは70年代中盤~80年代に活躍した米国を象徴するロックミュージシャンです。最も有名な曲「ボーン・インザ・U.S.A.」(1984) のイメージ(ロック版ランボーみたいな星条旗を振り回すマッチョなヒーロー)が強すぎる感がありますが、1973年デビュー当時は「ボブディランの再来」と称されるシンガーソングライターだったのです。ロック一辺倒ではなく、ハーモニカやピアノの演奏も交えた哀愁的なシンガーソングライター的な名曲(「リバー」「サンダーロード」等)も数多く残しています。3rdアルバム「明日なき暴走」で爆発した圧倒的なロックサウンドで彼は一挙に大ブレイク!その後MTVのブームにも乗り歴史的なチャリティ「ウイアーザワールド」(1985)にも参加、世界的なアーティストへと登り詰めていきました。彼のロックへの姿勢は、演奏形態・技巧・楽器奏法は全く関係なく、迸るエネルギーをストレートに表現し叫び続けるもの。「オレ達は走るために生まれてきたのさ」・・(Born To Run)、そんな衝動に駆られる程のパワーが爆発した70年代象徴の名曲でした。






★(043):デビッドボウイ 「スペース・オデティ」  (1969年)  (2012.8.15公開)


RW/洋楽コーナー:「My Favorite Songs」 (第5巻)_c0119160_672158.jpg20世紀を代表する英国ロックスター「デヴィッド・ボウイ」。60年近いロック史において彼ほど活動キャリアの中で音楽性やルックス・ファッションのイメージを変化させ続けてきたアーティストはいないでしょう。常に新しい分野へ先進的に挑戦し、自らを変革させてきた変幻自在のカメレオンアーティストとも呼ばれています。我々の世代では、Tレックス(マークボラン)やロキシーミュージック(ブライアンイーノ、ブライアンフェリー)等と並んで「グラムロック」(1970年代初頭にブームとなった頽廃的・耽美的な雰囲気のロック分野)の旗手として輝いていたことが強烈な印象で残っています。しかし1967年デビュー直後の彼は全く評価されず泣かず飛ばずの状態で一度音楽業界から姿を消していたのです。この頃演劇活動に身を投じ、劇団がTV映画に出演するサウンドトラック曲として「スペース・オディティ」を書き上げたところ、これが突然で英国で大ヒット(全英5位)し、ロックスターへの足がかりを掴んだのでした。そして1972年、不朽の名盤「ジギー・スターダスト」(異星人ロックンローラーが地球を救うコンセプト)をリリースし、名曲「スターマン」(1972)と共に大ブレイクして一気にスターダムへと駆け上がりました。それに続くアルバム「アラジンセイン」(ヒット曲は「ジーンジニー」)は、発売同時に全英1位という快挙を達成!この映像からも判るように元祖ビジュアル系のグラムロックはこの頃人気を爆発させ、ボウイはTレックスと一緒に世界を席巻して行きました。しかし彼は絶頂の中で「ジギー」キャラクターを突然捨て去り、ブライアンイーノとの出会いを経て、アメリカンソウルに接近し新たな潮流に乗っていきました。ジョンレノンと共作した「フェーム」のヒット、「レッツダンス」でディスコ系ダンスミュージックに路線を変えMTVに頻繁に登場したり、初の主演映画「地球に落ちてきた男」や日本映画「戦場のメリークリスマス」でタケシと共演してみたり・・、チベット難民救済活動を展開したり、何でもやっちゃいますネ~!90年代も21世紀に入ってからも彼の新分野への挑戦は続いてきましたが、彼の新たな音楽を求める旅は当分終わりそうもありません。




★(042):ディープパープル 「ハイウェイスター」 (1972年)  (2012.8.2公開)

 

RW/洋楽コーナー:「My Favorite Songs」 (第5巻)_c0119160_22183174.jpg最近、青春時代に馴れ親しんだロックアーティストの訃報が相次いでいますが、今度は元ディープ・パープルの初代キーボードジョン・ロードが7月16日に死去(膵臓癌)しちゃいましたネエ・・。ディープ・パープルは近日中に名曲「スモークオンザウォーター」を掲載する予定でしたが、今回はジョンロードのキーボードプレイが光った曲に選定変更します。ディープ・パープルは、1968年に英国で結成されたハードロックバンド、当時レッドツェッペリンと対比されるヘビーメタル先駆者で、その優れた楽曲・サウンド・演奏力は現在でも多くのアーティストに尊敬されています。小生がパープルに夢中になったのは最大名盤「マシンヘッド」(1972年:「ハイウェイスター」、「スモークオンザウォーター」、「レイジー」を収曲)をリリースした黄金期時代(第2期メンバー)!当時のメンバーは、イアンギラン(Vo)・リッチーブラックモア(Gt)・ジョンロード(Key)・イアンペイス(Ds)・ロジャーグローバー(B)でヘビメタ・ハードロックの王道(高速道路)を爆進中でした。「ハイウェイスター」は疾走感・スリリング溢れるその象徴曲!ジョンロードのキーボードプレイ(オルガン)での畳掛けも本当に素晴らしいネ~!しかしデビュー当時は、意外にも芸術性の高いアレンシやクラシックエッセンスを取り入れたプログレ路線バンドだったのです。(後に知ってヘ~と驚き!)。オルガン中心のアートロックを主導していたのはまさにジョンロード。第1期メンバーでは「ハッシュ」の大ヒットで順調に活動していましたが、70年代に入るとレッドツェッペリンの大ブレイクに刺激され一挙に路線をハードロック志向に切り替えたのです。イアンギラン&ロジャーグローバーを迎え入れ、名盤「イン・ロック」(「チャイルドインタイム」は超名曲)「ファイヤーボール」「マシンヘッド」で大輪を咲かせました。しかしその後はメンバーの人間関係が悪化し、イアン&ロジャーは脱退、後にリッチーブラックモアもバンドを離れ変遷を繰り返し1976年に解散する事になります。ジョンロードの重厚なるハモンド・オルガンとイアンギランの深みある声、リッチーブラックモアの強力ギターで織り成されたパープルのヘビメタ・ハードロック・・、黄金時代のサウンドは今もロック史に燦然と輝き続けています。ジョンロード様、今も天国でも元気なオルガンプレイで大いに賑わせ魅了していることでしょう。心より哀悼・・。「スモークオンザウォーター」はまた次回のお楽しみ~

  # by rollingwest | 2001-05-01 00:00 | 洋楽(ロック・POPS) | Comments(88)

RW/洋楽コーナー:「My Favorite Songs」 (第4巻)

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★(041):レオセイヤー 「遥かなる想い」(When I Need You)   (1977年)  (2012.7.22公開)



RW/洋楽コーナー:「My Favorite Songs」 (第4巻)_c0119160_13195651.jpg今回は、1970年中期~1980年初頭にかけて大活躍した英国出身のアーティスト「レオ・セイヤー」を紹介したいと思います。今はもう知る人は少なくなりましたが、当時はギルバートオサリバンやキャロルキングらと並び称賛されたシンガーソングライターで数々のヒット曲を放っていました。1973年にデビュー、英国で着実なヒットを重ねていましたが、1976年リリースの「恋の魔法使い」がついに全英・全米NO1に輝き、彼は一挙に世界的に有名なアーティストとなりました。当時のディスコブームも意識し躍動的な曲調、とてつもないハイトーンヴォイスとピエロのような風貌が実に衝撃的だったなア・・。さらに連続して全英・全米NO1ヒットとなった曲がこの「遥かなる想い」(When I Need You )。「恋の魔法使い」とは一転、低いキーで対照的な甘いメロディを物悲しく切実に歌い上げていました。実はこの名曲はアルバートハモンド(カリフォルニアの青い空で有名)&キャロルベイヤーセイガーの一流ライターによって作曲されたものです。レオセイヤーが大ヒットさせたことで、その後に超有名アーティスト達(ロッドスチュワート、ペリーコモ、バリーマニロウ、セリーヌディオン)が次々にカバー曲として取りあげてきたのです。彼はスリードッグナイトに「ショーマストゴーオン」の作品提供したり、自らもその後ヒット曲(「星影のバラードなど」)を数々放っていましたが、83年アルバム「Have You Ever Been in Love」以降、音楽活動を休止しました。エルトンジョンやビリージョエル等と比較すると影が薄いかもしれませんが、パワーある声(男性にしては高音が伸びる独特の歌い方)、抜群に安定した音程などが素晴らしく、今も大好きなアーティストの一人です。




★(040):キングクリムゾン 「21世紀の精神異常者」  (1969年)  (2012.7.10公開)



RW/洋楽コーナー:「My Favorite Songs」 (第4巻)_c0119160_613397.jpgビートルズ解散前のLAST金字塔「アビーロード」をNO1の座から蹴落とし、ビートルズ時代を終焉させたといわれる2枚のアルバムがあります。「クリムゾンキングの宮殿」&「レッドツェッペリンⅡ」まさにハードロック&プログレの夜明け、1969年の象徴的な主役交代の節目となりました。 無名の新人バンド「キング・クリムゾン」の1stアルバム(鼻の穴を広げた驚愕の顔の絵が描かれた印象的なジャケット)はまさに狂気と混乱に満ちたロック史上最高の衝撃的な登場でした。オープニング曲「21世紀の精神異常者」(21st Century Schizoid Man)は極度に歪んだメタリックギター、複雑な超絶ドラミング、電子音効果で処理されたスクリーミングヴォイス、まさにプログレシッブロックの萌芽期を代表する強烈かつ完璧な作品と言えましょう。この映像は1969年クリムゾンがデビューしたての頃、ローリングストーンズの前座としてロンドンのハイドパークに出演した貴重なる映像です。電子音にかぶされたグレッグレイク(のちにEL&P・エイジジャで活躍、この映像は若々しいネ~!)の荒々しいボーカル、イアンマクドナルドの激烈サックス、細かく切れ込み畳掛けるマイケルジャイルズのドラム、クリムゾンの連綿たるリーダーとなったロバートフィリップのハードプレイギター、曲作詞を担ったのはピートシンフィールド。JAZZ・クラシックとの融合を目指した新鋭グループは斬新なチャレンジ精神を前面に押し出しながらも、ベトナム戦争への反骨姿勢・反体制の熱気も十分に感じられます。クリムゾンはその後ロバートフィリップを中心にしてメンバー変遷と音楽性の変化を積み重ねていきますが、やはりこの衝撃的なデビューアルバムはロック史の金字塔として永遠に語り続けられていくことでしょう。そして名盤は「墓標:エピタフ」「ムーンチャイルド」を経て、最後はアルバムとグ゙ループ名を冠した曲「クリムゾンキング゙の宮殿」で壮大な展開と余韻を織りなしながら激しい曲調の中で幕を閉じていきます。



★(039):ドンマクリーン 「アメリカンパイ」  (1972年)   (2012.6.28公開)



RW/洋楽コーナー:「My Favorite Songs」 (第4巻)_c0119160_663712.jpg中学3年の小生がブラスロックやプログレに夢中だった1972年、日本の年間洋楽シングルチャートの1位はロバータフラック「愛は面影の中に」、2位はギルバートオサリバン「アローンアゲイン」、そして3位は今日掲載したドンマクリーンの「アメリカンパイ」でした。因みに4位はニルソン「ウィズアウトユー」。1970年代を代表する名曲がこの年に顔を揃えていたのです。「アメリカンパイ」は、8分36秒という長い曲にも関わらず全米No.1(1971年)となり590万枚も売れ、2000年にはマドンナもカバーし現在まで米国人に愛され続けている名曲です。1959年2月、ロック創世期のスーパースター(バディーホリー、ビッグボッパー、リーッチーヴァレンス)が飛行機事故で亡くなりました。NY出身の孤高のシンガーソングライター「ドンマクリーン」は、尊敬するバディの命を奪った事故をこの曲の中で「音楽が死んだ日」と歌い上げました。作品の歌詞は「謎の迷宮」とも呼ばれ、ボブディラン・エルヴィスプレスリー・ビートルス・ローリングストーンズ・バーズ・ジェームスディーンなどが登場、アポロ計画・核戦争なども交錯して歌われ、60年代の悩める米国を読み解くように表現した大作とも言われています。彼は懐かしき1950年代ロックが終わった節目を哀愁として捉え、また10年後の1969年も反骨精神のロック時代は終わった(Jの悲劇でジミヘンドリクス、ジャニスジョプリン、ジムモリスンなどのスーパースターが次々に死亡)と歌っているのかな? ロック音楽史で刻まれる1959年&1969年の出来事はやはりロックが変化し生まれ変わって行った節目だったのかもしれません。1970年代ロックが好きな小生も垢抜け過ぎている80年代ロックには今一つなじめないので、1980年を節目・・とか伏目がちに呟いてみようかな・・。チョット無理やりかな?でもこの年はジョンレノンとジョンボーナム、偉大なる2人のJが亡くなっているぞ・・!



★(038):10CC 「アイム・ノット・イン・ラヴ」 (1977年)  (2012.6.17公開)



RW/洋楽コーナー:「My Favorite Songs」 (第4巻)_c0119160_637479.jpg映像作品の様な音楽空間を構築した1970年代を代表する英国(マンチェスター)のユニット「10CC」、洋楽史に名を残した佳曲「アイム・ノット・イン・ラヴ」は才能溢れるこの創造的なグル-プによって生み出されました。幻想的なこの名曲はエリックスチュワート&グレアムグールドマンのコンビ(POP・メロディアス路線)による作品です。10CCは結成時は4人グループであり、他の2人は「音の魔術師コンビ」とも呼ばれたケヴィンゴドレー&ロルクレームでした。10CCは、職人技的なヒットメーカー(エリック&グレアム)と、独特な音色を模索する未来派(ケヴィン&ロル)の2組の混成チームだったのです。現代はコンピュータ発達(デジタル革命)でいかなる音でも生み出せますが、その直前時代にアナログながらも高度な録音技術を駆使し幻想曲を創作した驚異のグループでした。バンドとしてツアー活動も重要視するエリック&グレアム組と、スタジオ制作に集中したいケヴィン&ロル組で双方の意見対立が激化。レコード制作は4人で行うがツアーはエリック&グレアムだけで行くという暫定合意でかろうじてバンドは保たれていましたが、小生が最も愛する名曲「恋人たちのこと」のリリースを巡ってバンド分裂へと向かってしまいました。斬新な音を求めるケヴィン&ロルにとって、このような正統派の美しいメロディラブソングは性に合わんと拒絶して脱退して行ったのです。しかし分裂後の10CCは2人が抜けた穴を微塵も感じさせず、POP感覚溢れた素晴らしい曲を多く創作していきました。小生が夢中になって聴いた10CCは、「愛ゆえに」「恋人たちのこと」「フォー・ユーアンドアイ」そして・・、「アイム・ノット・イン・ラヴ」、エリック&グレアムを中心としたメンバーのイメージですネ~。そして彼らが生み出した数々の名曲は短い期間の閃光ではあったものの、今も燦然とロック史に輝き続けているのです。



★(037):イエス 「危機」(盛衰:I Get Up I Get Down ) (1972年)   (2012.6.6公開)



RW/洋楽コーナー:「My Favorite Songs」 (第4巻)_c0119160_539133.jpg小生がロック史の最大傑作と崇めているアルバムは、イエスの「危機」(CloseToTheEdge)。1970年初頭はまさに英国プログレシッブロックが開花し、ピンクフロイド・キングクリムゾン・EL&Pなどがクラシック・JAZZを融合させ、大げさで芸術的なコンセプト世界を極め競い合っていました。1969年デビューし独自世界を着々と築いたイエスは、「こわれもの」(1971年)で世界的な評価を得て、そして翌年に歴史的な大作アルバム「危機」(第5作目、LP両面で3曲のみ)を結実させたのです。タイトル曲はA面だけで1曲、神秘的な詩や壮大な曲構成で細部にまで凝った緻密なプレイが施されたクラシック交響曲の様な一大傑作でした。小川のせせらぎ・小鳥の囀り声のイントロで始まり、力強く躍動感を漲らせ主題を提示。中盤はパイプオルガンの荘厳なる幽玄世界。再びバンド疾走の演奏へと戻り、ハモンドオルガンソロを経て頂点を極める感動のクライマックスへと登り詰めていきます。掲載曲・PARTⅢ「I Get Up~、I Get Down~」から、LAST曲「人の四季」へと受け継がれエンディングへの壮大な展開はまさに完璧!そしてB面は小生が最も愛する名曲「同志」(And You and I)、スティーブハウのアコースティックギターとイエス叙情詩世界に魅了されます。最後は迫力・圧巻の壮大な世界「シベリアンカトゥール」で幕を閉じていくのです。イエス黄金期のメンバーは、ジョンアンダーソン(少年の様に澄み切ったボーカル)、スティーブハウ(崇高なギターテクニック)、クリススクワイアー(畳掛ける重低音ベース)、リックウエイクマン(イエスサウンドの根幹、多彩にシンセサイザー、メロトロンを華麗演奏)、ビルブラッフォード(シャープでタイトなドラム、本作を最後に脱退しクリムゾンへ移籍)。この黄金メンバー5人で2003年再結成で来日、彼らのコンサートに駆けつけ生サウンドを初体感(30年経ても変わらず)して感動的な時間に浸ることができました。イエスは小生にとって、永遠なる完成されたロックバンドとしていつまでも心に刻み続けられています。





★(036):ビージーズ「若葉の頃」(First of May)  (1969年)   (2012.5.26公開)



RW/洋楽コーナー:「My Favorite Songs」 (第4巻)_c0119160_8344285.jpg「ビージーズ」のロビンギブ(62歳)が5月20日肝臓ガンで亡くなっちゃいましたねエ・・。ビージーズを支えてきた長兄バリーは3人の弟(2003年:モーリス(ロビンと双子)53歳、1988年:末弟アンディ30歳)を若くして全て失いついに一人ぼっちとなってしまいました。1億枚以上のレコードを販売し世界で最も成功したPOPグループ「ビージーズ」( 英領マン島出身)は、初期は美しいメロディのコーラスグループでしたが、1970年中盤に突然ディスコ路線に変身し復活大ブレイク!「ステンアライブ」「恋のナイトフィーバー」「愛はきらめきの中に」などの世界的ヒットを次々に放ちその栄光を不動のものとしました。しかし我々世代のビージーズといえばやはり映画「小さな恋のメロディ」(1971年)ですね~!「メロディフェア」「インザモーニング」そして今回掲載した「若葉のころ」(First of May)・・・。マークレスター&トレシーハイドが初恋に陥りトロッコを漕いで2人で旅立つのメルヘン世界でした。なぜか本国では不発、日本だけでヒットした映画(日本人の琴線に触れたのですかね~)でした。2人が新緑の中ので初デートするシーン、背景に流れていたこの名曲、まさに思春期の象徴的でありましたな~!(プッ、誰~?噴き出している奴は・・?)小生はやはりビージーズの1960年代後半から1970年初頭にリリ-スされた哀愁名曲(「マサチューセッツ」「ホリデイ」「マイワールド」等)が今でも一番好きです。このユーチューブでは亡くなったバリーが優しい声で歌いあげ栄光なる兄弟コーラスで素晴らしいハーモニー世界を見せており、彼らの名曲はこれからも折を見て数多く紹介したいと思います。親友らと時たま開催する洋楽カラオケ歌いまくりでは毎回この「若葉の頃」をチョイスしますが、50半ばの中年オヤジが自己陶酔して熱唱する姿をいつも皆に大笑いされてしまいます。こうなったら「枯れ葉マークの頃」になっても意地でもこの歌を熱唱し続けてやる・・!(苦笑)




★(035):アンドリューゴールド 「ロンリーボーイ」  (1977年)   (2012.5.14公開)



RW/洋楽コーナー:「My Favorite Songs」 (第4巻)_c0119160_5552311.jpg♪チャンチャンチャチャン・チャンチャンチャチャン♪、「ヒワズボ~インナ・サマーデイ!ナインティフィフティワ~ン・・・」、♪チャンチャンチャチャン・チャンチャンチャチャン、硬質なピアノ連打から始まる軽快なテンポ・心地良いリズム、そして後半のドラマテチックなサビまさに70年代の典型的なPOP名曲という感じがしますね~!ウエストコーストロックの黄金期を支えたシンガーソングライターの「アンドリュー・ゴールド」の最大ヒット曲「ロンリーボーイ」を紹介しましょう。(今は殆ど知られていない曲だと思いますが・・)大学時代、毎日のようにFENラジオで聴いていた本当に大好きな曲です。アンドリュー・ゴールドは、表・裏の両面からウエストコーストロックの黄金期を支えた功労者(リンダロンシュタット、JDサウザー、カーリーサイモン、カーラボノフ等の作品に携わったセッションプレイヤー)です。70年代後半ではソロ活動でも活躍を見せ1976年の2ndアルバム「What's Wrong With This Picture?」(ピーターアッシャーがプロデュース)から生まれたのがこの名曲「ロンリーボーイ」(全米7位の大ヒット)。1951年カリフォルニア州生まれの彼の自伝を詩にしたといわれます。しかし彼はすでに昨年死去(心臓発作・享年59歳)し今年6月3日に1周忌を迎えることになりました。こんな見事な構成曲は滅多にありませんね~!後半途中で盛り上がる泣きのギタープレイと両親に別れを告げる歌詞もよかった・・。「グッバイ・ママ~、グッバイ・パパ・・、グッバイ・ユ~!」・・、他には「気の合う二人」(Thank You for Being a Friend)も好きだったナア・・。「コージープレイス」も佳曲ですよ。今も天国でも軽快にNiceな名曲を沢山歌っていますか~?ご冥福をあらためてお祈りいたします。ソー・ロング、アンドリュー!




★(034):キャメル 「ブレスレス(神秘の女王)」  (1978年)  (2012.5.4公開)



RW/洋楽コーナー:「My Favorite Songs」 (第4巻)_c0119160_1285580.jpg1970年代終盤、叙情派プレグシッブロックと称された「キャメル」、彼らが発表した1978年「ブレスレス(神秘の女王)」は小生が最も気に入っているお宝物の名盤です。キャメル最高傑作として誉れ高いアルバムと言われるだけあって佳曲の連続(メロディアスなバラード、テクニカルな幻想ナンバーなどが満載)に堪能されてしまいます。まずは冒頭から美しいギターナンバーで始まるメロディアスなテーマ曲「ブレスレス」(今回の紹介がコレ)、本当に素晴らしい曲ですネ~!メロトロンやフルートに彩られた世界に一偏に嵌ってしまいました。その次は長いインストルメンタルが続く圧巻の「エコーズ」、アンドリュー・ラティマーのギターソロと続くピーター・バーデンスのキーボード、演奏もメロディも最高!これこそ叙情派プログレの王道曲っていう感じ。その他も素晴らしいストリングアレンジ曲、インストルメンタルなフュージョン曲が次々と展開されていき、ついにラストナンバーは「レインボウズ・エンド」で余韻を残しながらフィニッシュを迎えます。初期キャメルは今聴いても本当に素晴らしい~!あまり有名ではないグループですが、皆さんも是非とも一度聴いてみて下さい。




★(033):ザ・バンド 「ウエイト」  (1969年)  (2012.4.24公開)  



RW/洋楽コーナー:「My Favorite Songs」 (第4巻)_c0119160_6141742.jpg4月19日、「ザ・バンド」のドラマー兼ヴォーカル「レヴォン・ヘルム」の病死ニュースが報じられました。我が友しむけん様から昨年秋にザ・バンドをいつか取りあげてほしいとリクエストを受けていましたので、急遽予定を変更し彼らの代表曲「ザ・ウェイト」(1970年名画イージーライダーの挿入曲)を紹介します。初期はボブディランのバックバンドであり、伝説のロックフェスティフィバル「ウッドストック」にも出演した「ザ・バンド」。カナダ出身でありながら米国南部の泥臭い雰囲気で「米国そのもの」と讃えられるサウンド(カントリー・ゴスペル・R&Bの様々な音楽ジャンルが渾然一体となった豊かな響きを醸し出す)は、今なお多くのミュージシシャンから尊敬を集めています。代表曲を多く歌ったレヴォンは、正にバンドの中心的存在。先日BS番組「Song to Soul」で彼の言葉が紹介されていました。「子供の頃はジュークボックスこそが音楽供給源だった。父親と町に出た時、小銭をもらいジュークボックスの傍に座りずっと耳を澄ましていた。本当に美しかった。」 映画「ラスト・ワルツ」(1976年:ドキュメンタリー映画)を最後にバンドは解散しましたが、その後レヴォンは4枚ソロアルバムを出し、死の直前まで精力的に後進アーティストの育成活動に携わり、正にアメリカン・ロックの良心であり続けました。冥福を祈念!しむけん様からお気に入り曲としてリクエスト頂いた「ロッキングチェア」と、りりん様の手作りユーチューブ「優しい雨のように」も追加しておきますね~!

  # by rollingwest | 2001-04-01 00:00 | 洋楽(ロック・POPS) | Comments(71)

RW/洋楽コーナー:「My Favorite Songs」 (第3巻)

                 【My Favorite Songs】の過去紹介した記事一覧(INDEX)はコチラから
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★(032):レニークラヴィッツ「ロンクンロールイズデッド」   (1995年)  (2012.4.14公開)



RW/洋楽コーナー:「My Favorite Songs」 (第3巻)_c0119160_8591331.jpg1980年代末、「自分はジミヘンやジョレンノンの信望者だ!」と敢えて宣言し登場した黒人アーティストがいました。過去合計9枚のアルバムを発表、世界で総売上3500万枚以上を記録し、グラミー賞を4度受賞の輝かしい経歴を誇るロック・レジェンド「レニー・クラヴィッツ」。知らんなア・・という人も彼の代表曲「自由への疾走」(Are You Gonna Go My Way)は聴いたことがあるでしょう。日産車CMソングや「みのもんた朝ズバ!」オープニングで有名な曲。 孤高の天才「レニー」は1970年前後のロックスタイルを貫く革命児。今年4月14年ぶりに単独来日、「Black&White Japan」ツアーを展開しました。今回の紹介曲は95年発売の4thアルバム「サーカス」からリリース、グラミー賞「最優秀男性ロック歌手部門」も受賞した「ロックンロール・イズ・デッド」。映画「オースティンパワーズ」の挿入歌で使われた曲。「ロックンロールは もう死んだ!」と叫び、矯めの効いた土臭いファンキーなジミヘン風ギターリフ、重いリズムセクションが畳掛けるイントロ幕開け!「ロック本来の姿」を求め続けるレニークラヴィッツ、ここにあり!「アイルビーウェイティング」もお気に入りです。






★(031):カーペンターズ「青春の輝き」  (1976年)   (2012.4.3公開)



RW/洋楽コーナー:「My Favorite Songs」 (第3巻)_c0119160_21275411.jpg我青春のBGM「カーペンターズ」、中学~大学生時代まで二人の美しいコーラスをリアルタイムに聴いて青春を過ごしハタチに・・。何も起こらなかった寂しいわが青春・・(苦笑)、数々の名曲は自分の心を今も癒してくれます。1969年デビューの兄妹デュオ初の曲「遙かなる影」(close to you)が初購入EPレコードでした。当時はバートバカラック秘蔵ッ子と言われましたが、その後は2人の力で「トップオブザワールド」「スーパースター」「シング」「イエスタディワンスモア」等の名曲を次々に放ち70年代を代表するアメリカンPOPSの最高峰に登り詰めました。1983年拒食症により32歳の若さで急逝したカレン、1976年リリースの「青春の輝き」は彼女が最も気に入っていた曲でした。「気付くのに時間が掛かった。私は恋をするべき時間を無駄にしたことは分っている。完璧を求めたお馬鹿さんの私、真面目に走り過ぎていた。蒔かない種は生えはしない。気付くまで随分と高くついたみたい・・。」ユーチューブ「青春の輝き」では、カーペンターズが大ブレイクしても、多忙の中で寂しさ・空疎な気持ちが出ています。兄妹の表情、移動する飛行機座席の中で恋するカップルを見て羨む心情が・・、「青春の輝き」の曲名とは正反対の心情・・。70年代に世界制覇した偉大なる姉妹、栄光の彼らとは全く反対のRWですが、甘い「青春の輝き」がなかったという点では一緒だなア・・。無理矢理こじつけた・・。(苦笑) 



★(030):ビートルズ 「サムシング」  (1969年)   (2012.3.25公開)



RW/洋楽コーナー:「My Favorite Songs」 (第3巻)_c0119160_4594160.jpgビートルズ最後の金字塔「アビー・ロード」に収められた「サムシング」。言うまでもなく、「ヒアカムザサン」 と並びジョージハリスンの代表曲ですね~。中期までジョンとポールの影に隠れサイレントビートルと揶揄されたジョージは後期になり作曲能力の才能を開花させました。「ギターは泣いている」「ヒアカムザサン」は毎回洋楽カラオケで小生が歌う定番名曲。ユーチューブはビートルズ4人の妻が全員出演、カップル4組の当時の表情が窺えてお宝物映像!ジョージ&パティ、ジョン&ヨーコと、ポール&リンダ、リンゴ&モーリン・・、各4人とも伴侶とラブラブな状態に見えます。その後4人とも離婚・死別など色々とありましたが・・。でもこの中で一番魅惑的な美人女性はやはりパティ・ボイドだね~!実に可愛らしい。ジョージは親友エリッククラプトンに妻パティを寝取られますが、以後も「ギターは泣いている」など数々の名曲コラボで友情維持したのだから偉いというか・・(苦笑)。実は「サムシング」はパティ由来の名曲だったと知り驚きました。ジョン&ポールに追いつこうと焦っていたジョージは中期時代「インド音楽」へ領域を広げしました。マハリシュ・マヘシュ・ヨギを紹介したのはパティですが、ジョージはインドに一挙傾倒し瞑想やシタール修行に没頭、パティは二の次になったのです。寂しくなった彼女は何とか夫の気持を自分に向けようとクラプトンに相談したのです。到達結論は「やきもちを焼かせよう!」・・。クラプトンは親友ジョージ夫妻のために喜んで協力、自ら「あて馬」を買って出ました。パティ&クラプトンの作戦は見事成功し、ジョージは再び彼女の元に戻ってきたのです。「サムシング」はジョージがパティに贈ったラブソングでした。しかし今度は、クラプトンがパティに本気になってしまい、彼女への募る思いは増す一方・・、ロック史名曲「いとしのレイラ」はクラプトンがこの悩ましき気持をぶつけて叫び続けています。クラプトンは念願叶い漸くパティと結婚・・、しかし結果的には離婚・・。色事だけに色々あるネ・・(苦笑)エリッククラプトンがパティに想いを寄せて叫んだ曲「いとしのレイラ」は当記事4曲目




★(029):シンディローパー「タイムアフタータイム」  (1984年)   (2012.3.14公開)



RW/洋楽コーナー:「My Favorite Songs」 (第3巻)_c0119160_2229667.jpg「貴方がもし倒れたら、私が受け止めてあげる。何度も何度でも・・」、「シンディ・ローパー」初の全米1位に輝いた名曲「タイム・アフター・タイム」を紹介。彼女は今再び来日し東日本大震災被災地を訪れ励ましの活動を続けています。1984年デビュー曲「ハイスクーはダンステリア」でド派手姿で跳んだり跳ねたりで突然登場したチト年喰ったノーテンキなオネーチャン。その後「マネーチェンジエブリシング」「シーバップ」「トゥルーカラーズ」など次々にヒットを放ち、マドンナと並ぶ1980年代POPシーンの代表的な女性エンターティナー(グラミー賞も獲得)に成長。ファンキーなデビュー曲に相反し、この2ndシングルは叙情溢れ語りかけ心に響く名曲、幅広い音楽性に魅力を感じます。彼女は大変な親日家。売れなかった若いNY時代、定職なく困っていた時に日本レストランのオーナーに拾われ働かせてもらったことを非常に恩義を感じています。1995年阪神・淡路大震災にはチャリティー活動で来日。その彼女が、何と偶然にも昨年3月11日に東日本大震災に遭遇し我々と一緒にその恐怖をリアルタイムに共有体験していたのです。来日で成田空港に到着する時に大地震が発生、各地の空港は閉鎖され緊急措置で横田米軍基地に着陸。周囲は原発事故発生で米国に帰るよう促しましたが、彼女は「音楽の力で日本を励ましたい」と残ることを決め、ツアー強行。思い出せば1984年・・「USAフォー・アフリカ」のチャリティ活動(ウイアーザワールドの曲で有名)で彼女は中核的な存在として参加しています。いまだノーテンキなド派手オバチャンの雰囲気が強いシンディですが、実は慈悲深い観音菩薩様の化身かも・・。「鬼怒鳴門」(kiin・donarudo)の名で日本帰化したドナルドキーンさん同様、貴女は日本を深く愛する外国人の代表だったのか!



★(028):モンキーズ「素敵なバレリ」  (1967年)   (2012.3.4公開)



RW/洋楽コーナー:「My Favorite Songs」 (第3巻)_c0119160_80626.jpg2012年3月1日、我々世代の洋楽アイドル「モンキーズ」の最大人気者デイヴィージョーンズの訃報(享年66歳)。モンキーズは小生の洋楽の原点で、小学校3~4年に金曜夜7時TBS系で放映していた「ザ・モンキーズ・ショウ」を夢中で見ていました。売れないミュージシャン4人が繰り広げるドタバタコメディドラマは、POPかつ哀愁をおびた名曲の数々、三枚目エンターテイナーぶり、魅力満載のTV番組に釘づけ、洋楽興味の先駆けとなりました。モンキーズは英国ビートルズに対抗すべく、米国でオーデション募集により1966年に結成されたアイドルバンドでした。オーデションに勝ち抜いたデイヴィージョーンズ、マイクネスミス、ピータートーク、ミッキードレンツが選出され「恋の終列車」でデビュー!シンプルで理屈抜きのストレートなPOPサウンド、世界配信された「ザ・モンキーズ・ショウ」のTV番組は彼らを瞬く間にスターダムに押し上げました。メンバー4人のタレント性・音楽・TVのメディアアミックスの仕掛、どれも万全に機能して「モンキーズ」という一大産業が成立した訳です。日本でも毎回20%以上の高視聴率を記録、スゴイね~!我々の世代は洋楽に興味がない人も確実にモンキーズの名と懐かしい名曲(「デイドリームビリーヴァー」「アイムアビリーヴァー」「自由になりたい」(アイワナビーフリー)等の数々を共通に知っています。1960年代後半といえば、ビートルズを中心としたリバプールサウンド旋風が一段落、米国勢が巻き返しを図っていた頃。世界のPOPシーンが最も揺れ動いた時代だったかも・・。1967年ヒット曲「素敵なバレリ」は初期ビートルズを意識した1960年代らしい曲。歌い出しからPOPに弾けるビートとコーラス、デイヴィーの甘いヴォーカル。背が低くても、ハンサムで甘い声で我々を魅了し楽しい夢に導いてくれたデイヴィージョーンズ・・、少年の様な面影が永遠に脳裏に残ります。最後に懐かしの「モンキーズのテーマ」を聴きながら・・、デイヴィーの冥福を心より祈念・・




★(027):クイーン 「輝ける七つの海」  (1974年)   (2012.2.24公開)



RW/洋楽コーナー:「My Favorite Songs」 (第3巻)_c0119160_22112035.jpg伝説のロックバンド「クイーン」の初期名曲「輝ける七つの海」を紹介。デビューアルバム「戦慄の王女」(1973)と「クイーンⅡ」(1974)、彼らとの出会いは高校生の時、デビューアルバム「戦慄の王女 」の衝撃的な1曲目「キープユアセルフアライブ」のイントロを聴いた瞬間、一挙にクイーン世界の虜となってしまいました。綿密なアレンジと美しいコーラスワーク、スピード感溢れるパワフルサウンド、洗練された高い技術のゴージャスな多重録音・・、従来のロックにないクイーン独特のハイテクニック華麗サウンド世界が繰り広げられていたのです。グラフィックデザイナーのフレディ・マーキュリー(ヴォーカル)、天文学者ブライアン・メイ(ドラム)、歯科大学生ロジャーテイラー(ギター)、電子工学生ジョン・ディーコン(ベース)、インテリ集団4人が1971年クイーンを結成し新ロックスタイルを模索中でした。この曲は「戦慄の王女」でインストゥルメンタルバージョン。後にフレディのヴォーカル入り曲が英国シングルチャートでベスト10入り、「クイーンⅡ」のラストトラックも飾っています。結成デビュー後は本国イギリスでは全く評価されていなかったクイーン。ようやく 「輝ける七つの海」のヒットで人気が出始め、名曲「キラークイーン」(サード盤、シアーハートアタック)で大物バンドとなりました。その後は「ボヘミアンラプソディ」で展開する「オペラ座の夜」(1975)が世界的評価を受け、ロック史を飾る伝説的バンドとなったのです。今は若いリスナーにも大人気のクイーン、中・後期曲(ボヘミアンラプソディ、ウイアーザチャンピオン、ロックユー等)が有名ですが、小生はやはり初期が好きだな~!「輝ける七つの海」は美しい旋律(ピアノ・イントロ)でスタート、激しく奏でられるアップテンポで鋭い切れ味の展開曲、渋いギター・リフも実に素晴らしい~!見事にクイーンのイメージを表現した邦題!7つの海を支配した大英帝国「女王の国」のバンドのイメージアップに一役買いました。彼らは、日本のファンこそが自分達を最初に認めてくれた国として今も感謝しているのです。




★(026):ショッキングブルー「悲しき鉄道員」  (1970年)   (2012.2.14公開)


RW/洋楽コーナー:「My Favorite Songs」 (第3巻)_c0119160_6241153.jpg小生が洋楽に本格的夢中になった年はビートルズ解散の1970年でした。当時ヒット曲は、S&G「コンドルは飛んでいく」「明日に架ける橋」、オリジナルキャスト「Mrマンデイ」、ジェリーウォレス「マンダム・男の世界」、クリスティー「イエローリバー」、マシュマッカーン「霧の中の二人」等・・、懐かしい~!シルビーヴァルタンやダニエルビダルのフレンチPOPSと並び、オランダ勢も非常に頑張っていた時期。筆頭は「ショッキングブルー」!世界的ヒット「ヴィーナス」が余りにも有名ですが、今回は日本だけでヒットした名曲「悲しき鉄道員」。エキゾチックな雰囲気の女性ヴォーカル(マリスカ・フェレス)が歌いあげるリズム感ある曲調、哀愁帯びたギターとメロディ・・。不思議な魅力の曲は日本人の琴線を刺激したのかも・・。知らん~という方が多いでしょうが、「悲しき鉄道員」は「男の世界」(ウ~ン・マンダムとチャールズブロンソンが呟く)と1970年秋に壮絶なチャートを争い、当時ラジオに噛り付いた洋楽ファンは涙が出る程懐かしい名曲。鉄道員を賛美した歌と信じていたのに調べたら、実は「鉄道員とは決して結婚するな!」(Never Marry A Railroad Man)っていう歌詞。鉄道員さん、本当に悲しくなってしまうじゃないか~!(涙) 当時の洋楽曲邦題は「悲しき〇〇」とか「悲しみの〇〇」ってのがやたら多かったなア・・(笑)





★(025):ビートルズ 「インマイライフ」  (1965年)   (2012.2.4公開)



RW/洋楽コーナー:「My Favorite Songs」 (第3巻)_c0119160_7314446.jpgビートルズのデビュー50周年のセレクト曲は、小生が大好きな「インマイライフ」・・。先日、ユーチューブで名曲ベスト10を紹介済ですが、「ヘイジュード」がNO1に輝いており、全体の選曲・順位も常識的かなと思いました。「インマイライフ」は素晴らしい曲ですが、数多い名曲の中ではやや地味・マイナーな位置づけなので予想通りベスト10には入っていない。しかし調べると、EMIミュ-ジック・ジャパンの公式サイト「2011年版ビートルズ人気投票」企画では「インマイライフ」がなんと2位に輝いている!1位はやはり「ヘイジュード」ですが僅差だったらしい。「2009年リマスター発売記念・人気投票」でも2位の座(1位は「レットイットビー」)を獲得している。決してメジャーでないのに不思議な魅力があるのでしょう。格調高い間奏のピアノメロディ(バロック調)とハプシコードが印象的、1965年の名盤「ラバーソウル」に収めらました。ジョン・レノンが故郷リバプールの子供時代に住んだ地区(ペニーレーン)に思いを馳せて作った曲。ジョンの人生に対する姿勢や恋人・友人への思いを素直に歌いあげています。そうか・・、ペニーレーンって〇〇の雨みたいなイメージだったけどジョンの生れた街の地区名だったのか。「君との新しい愛を想う時、過去の思い出は全て意味をなくす」・・。温かい余韻・ノスタルジア溢れる詩や旋律、実に癒されます・・。過去紹介したビートルズ関連記事




★(024):レッドツェッペリン 「サンキュー」  (1969年)                (2012.1.24公開)



RW/洋楽コーナー:「My Favorite Songs」 (第3巻)_c0119160_22273134.jpg 「レッド・ツェッペリン」は、ブルースをベースとしたハードロックを確立し頂点に立ったロック史の伝説的なバンドですが、アコースティックな美しい佳曲も非常に多いことに気付かされます。最高名曲「天国への階段」がその典型例ですが、意外にもジミーペイジやロバートプラントはそのタイプの曲も好みらしく、積極的にアコースティックなナンバーを発表しています。彼らの金字塔アルバム「Led Zeppelin Ⅱ」(ビートルズの名盤「アビーロードをNo1の座から蹴落す)の4曲目に「サンキュー」という美しい曲が埋もれており、小生はこの曲こそ「天国への階段」と並ぶアコースティックZEPの双璧曲です。「ZepⅡ」は「胸いっぱいの愛を」「ハートブレイカー」等インパクトの強いハードロックナンバーが目立つだけに、対照的な「サンキュー」はある意味ナイスなバランスを与えています。「もし太陽が照らさなくても山々が海に崩れ落ちてもはお前を愛し続ける・・」、ロバートプラントが妻に捧げた情熱的なラブソング、彼が本格的に詞を書いた最初の曲で、40年前のメロディは今も全く飽きることはありません。ジミーペイジの美しいアコースティックギターとジョンポールジョーンズのオルガンが荘厳の雰囲気を与えていますが、それ以上に驚くのはやはりジョンボーナムの重厚に炸裂するドラム。まさにハードで圧巻・・・、かくなる静かなメロディ曲でもやはり「ボンゾ」(1980年32歳で死去)の強烈なドラムビートなしにはZEPサウンドが成立しないことがよく解ります。過去紹介した「レッド・ツェッペリン特集記事」はコチラから




★(023):ブレッド 「ギターマン」  (1972年)                  (2012.1.14公開)



RW/洋楽コーナー:「My Favorite Songs」 (第3巻)_c0119160_737535.jpg1970年代初期ソフトロックを代表するバンド「ブレッド」・・、もう世間の記憶からは忘却の彼方ですが、青春時代に夢中になって聴いたお気に入りバンドの一つ。デビッドゲイツ、ロブロイヤー、ジェームスグリフィンにマイケルボッツ(1stはジムゴードン)の4人が奏でる曲は一服の清涼剤、魅惑の美しいボーカル・ハーモニーに癒されます。「灰色の朝」「イフ」「愛の別れ道」「オーブレー」「二人の架け橋」「スイートサレンダー」「涙の思い出」など多くのヒット曲を生みました。日本で一番売れた名曲「ギターマン」は、美しくセンチメンタルなスチールギターと絡みつくバウギター、心地よい澄んだボーカル・・・。ブレッドは、ソフト&メロウ作風のDゲイツとハードナンバーを作るグリフィンの対比が魅力的なバンドですが、この曲はゲイツが奏でるソフトな世界。印象深いギターはラリーネクテルという有名なスタジオミュージシャンで、S&G「明日に架ける橋」でのピアノを弾いていた人と知ってビックリ!70年代前半はプログレやブラスロックなどロックが変化に挑戦し急進発展を遂げていました。そんな時代の中で、極めて簡潔な3分シングル曲づくりの姿勢を崩さず、最後まで見事に貫き通したブレッドというバンドに今も大きな魅力を感じます。

  # by rollingwest | 2001-03-01 00:00 | 洋楽(ロック・POPS) | Comments(86)

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